1992年3月10日         労働者の力               第31号

92春闘の状況と労働運動の課題

連合のもとでの春闘解体に抗し
「92権利春闘」を闘い抜こう

坂本次郎


 92春闘を特徴づけるものは、財界労務部の役割である日経連が、もはや「労働組合対策」に重点をおいていない、ということにある。今年の日経連の問題設定の最大は、「産業人としての労使の共同の取り組み」というものである。いわば連合運動成立と「定着」を踏まえ、資本の側からその方向性へ積極的に介入することといえる。連合指導のもとで、労働運動の行くつくことになる運命については、これまで多くの言い方で指摘されてきた。基本的には「労使協調・労資運命共同体」という指摘である。労働者の立場からの発想ではなく、企業、それも世界市場における競争戦を勝ち抜く企業の観点が第一義的なものとされる労使協調タイブの労働組合運動である。これが大方の予測であった。

日経連と連合−「産業人としての共通の利害」

労資協調路線がそのままの姿で個別企業と個別組合の「内約」関係にとどまり続けられないこともまた当然である。92春闘をむかえて、日経連と連合は、日本国家との関係における新たな積極的立場の枠組みで、相互の関係をそのレベルで確立、定式化する方向に踏み出したといえる。
「資本と労働は、階級対立関係にあるのではない。日本という国家において、他の農業とかプチブルジョアジーと異なる共通基盤をもっている。それは産業人という立場である」−これは、日経連が92春闘に際して打ち出した新「綱領」というべきものである。戦後労働運動の流れからすれば第三の段階を画す出発の宣言である。
戦後労働運動の三つの段階を大きく特徴づければ、第一段階は荒廃した産業状況の中で、日本国家の進路に対する密接な関心を社会主義の方向にむけ、積極的であり攻勢的であった。そこでは意識的に階級闘争の一翼をになう労働運動というイメージのもとに展開された。それはほとんどがきわめて「政治闘争」に直接的に結びつくスタイルを示した。第二段階は、春闘方式の形をとった、一定の資木主義復活発展の承認の上に、幅広い民衆的広がりを背景にした、生活向上、権利拡大、政
治反動化反対の労働運動である。これは日本国家の運命に関して、積極的主体的であったというよりは防衛的(戦後民主主義防衛)であり、中立的(反戦平和)、そして消極的(憲法擁護)でもあった。
 第三段階は、日本国家との関係において、あらためて「積極的な」位置関係に立とうとすることと言える。
 日経連が打ち出した「産業人」概念は、彼らはストレートには言ってはいないが、戦前の「産業報国会」の発想を借りてきたようにも見える。つまり労資・使が共同して「国に報いる」という発想が二重写しとなって透けて見えるところがある。具体的には、国際的な物価政策、農業政策、時間短縮、住宅政策など、政府や自治体あるいは国家に対して、「産業人」としての共通の立場で要求していく、ということである。国家を射程に入れた「産業人」としての共通利害から、様々に主張、要求していくということなのである。

第三段階の運動に対応する政治再編

これは、政治の再編についても、社民再編ではなく、金丸言うところの自民−社会をつらぬいた政治全体の再編、そこからいわゆる「健全な二大政党=二大保守党」の考え方に通ずる。旧来の労働者階級を代表する労働組合という考え方を解体しようとすることである。
 当然、連合の側もこうした立場を解体してきた。連合が総評と同盟の合体、それを通じて労働運動を右傾化させるという一般的認識にとどまることはできない。いわゆる戦後民主主義あるいは五五年体制型革新というものを、根こそぎ解体して新しい秩序をつくりあげはじめているのである。。
 こうした大状況が進みはじめている中で、たとえば参院選補選が各地で闘われているが、労働者階級は、自民党、連合の会、共産党という三つの選択しかない状況におかれている。連合の会の性格は、奈良選挙区でいえば、当選した連合の吉田は民社党所属だが、ある意味では自民党よりも超「保守」である。
 宮城選挙区の連合候補も民社党がかつぎだした。紛糾している広島はこれも超ウルトラ自衛隊支持である民社候補を中央がおしつけようとすることに、地元社会党が反対している構図である。大阪の西川きよしはもともと保守の色彩であるし、最悪の形になっているのが東京の森田健作擁立である。森田は勝共連合に関係し、スパイ防止法制定全面支持の運動を推進した。前回総選挙では中曽根を応援した、いわば典型的な軍国主義の立場にたつ起ウルトラ保守主義といってもいい。これを、同じウルトラ自衛隊支持論者である民社の元委員長の塚本がかつぎだしたのである。これを連合型候補として社会党が支持するという状況になった。
 東京の森田に対しては、社会党の中には当然反発が強い。また革新市民層も抵抗している。
 しかし、連合型候補−社民再編−政界再編の一連の動きは、その底流に、「産業人」としての共通利害の共有ということが進行しているのであるがゆえに、社会党の党としての「狭い」枠組みでは手が届かない動きとして現れているといえる。
 従来、社民合併論は、ほぼ自動的に大きな社会党が小さな民社党を吸収合併することになるという見方が通用してきた。今でもそうした関係はある。連合型選挙に対して、民社党のサイドの内部からは、自分たちの「玉」が社会党にのっとられるという不満が消えない。
 しかしそれはもはや正確ではない。今、実際に進んでいるのは、日経連という経営者団体と「産業人」という立場を共通にした巨大労働組合、労働者部隊の最大組織が支える政治組織への「転換」の動きである

「見える」運動をどう構築するか
  、
 朝日新聞が春闘特集の連載を行ったが、その中には旧来のような春藤の話は一切でてこなかった。旧来型の春闘、労働運動を見つけようとしても見つからない構造である。
 ここまで事態が進行している中では、連合に参加している自治労や教組などの内部の部分にとって、かなりの程度の政治レベルではあつれきも生じてくるだるう。しかし総体としての枠組みの転換が進んでいるのであるから、そうした枠組みの内部での「改革」が、連合内部では基本的に受け入れられないことも明白である。
 あらかじめ労働者階級とは反体制的存在である、階級闘争を反映するという認識にたって問題を設定し方針を立ててきた人々が、その前提的枠組み、土台がまったく違ったところで従来の延長で左をはろうとしてもむずかしい。
 労働運動が、あるいは春闘が「見えない」という状況は、結論的には連合形成・成立の中で、労働連動それ自身が変貌していっていることによって、従来型の視点からでは、まさに運動が「存在しない、 見えない」ということである。反対から見れば、つまり連合主流の側からは、今の「運動」が「見える」ものになっているということでもある。
 日経連と共同し、共同の「産業人」という土台の上に立ってさまざま政策要求を行い、さらに公然たる「軍国主義者」を立候補させたりする運動を拡大、定着させることが彼らの「見える」運動なのだ。
 総評・社会党構造が総体として連合タイブの土台へと移し変えられていっているという政治再編の流れの中で、労働運動を「見える」ようにするためには階級概念を承認することが自ら運動を再構築するというきわめて容易ならざる立場にあることの認識から出発しなければならない。連合形成にはじまり、総評センター解散の繰り上げ、そして社民結集論とその背景に姿を現した「産業人」論という一連の動きのバランスシートが、その必要性を示している。
 旧来的な形での社会党内部での左右の動きが党組織の分解、分裂に直結するとするならば、そのための契機は、この総評解体の一連の過程で十分すぎるほどにあったというべきだ。国労への解体攻撃そのものが党の分裂にいたる内容・性質をもったものだといって過言ではない。
 だが、これら一連の過程では分裂はなかった。
 社会党が表現してきた「革新性」は、現在的にとらえれば、一時土井ブームという形で現れたようなものであろう。消費者運動や地域的な民衆参加型の政治活動、エコロジー運動などがそうであり、最大には女性のエネルギーが土井ブームを押し上げた。「憲法九条」の防衛などの思いも重なった。これらは政治的な「疲労」といわれる現在の政治構造への明確な批判、対置の表現である。同時に土井ブームは農業問題や軍事問題などの、日本国家が進むべき上で選択しなけれはならない諸問題に対処しきる方策の体系、あるいはそのための必要な土台を見いださなかった。ここに連合サイドや右派からの攻撃に勝てなかった要因があったであろう。
 しかし、こうした土井ブームを一時的なエピソード的現象と見ることは誤りであろう。「五五年型革新」の分解が、新たな姿での「革新の再生」を求めていることを指し示したのである。様々な連動は独自の道を進みながら、土井ブームが果たせなかった新たな革新の形成の流れを形成して
いく可能性が示されたし、「革新」の分解と再編(共産党系をも含んだ総体として)の道を示唆するものでもあったろう。
 全労協や全労連などが、こうした独自の道を歩もうとする諸運動と結びつく、つまり伝統的な階級闘争を反映する労働連動が自ら新しい政治勢力として踏み出すことがなければ、労働運動はいつまでも「見えない」ことになるであろう。
 国鉄闘争の中で、過疎の問題、安全の問題−安全の問題はすなわち環境の問題につながるものだ−ということと結びつけて一千五十七名の解雇問題を取り上げていく考え方も生まれている。そうした運動の大きな枠組みヘシフトすることがないと、国労内部の左派、右派の抗争にふりまわされ、その解説をするだけに追われてしまうことにもなりかねない。
 全労協や全労連にとって、こうした大きな政治性に対応し、内容を見つけ出していくことでないと、運動は長続きはしないだろう。全労協はどういう政治勢力として、どのような流れの運動として自らを位置づけるか、発展しようとするのかをみつめないと将来性は困難なものといわなければならない。全国一般全国協が新たに形成されているが、総体としての労働運動の再編の中で、新しい運動と政治勢力の構築につながっていく中で運動の将来性を見いだせるということでもあろう。
 他方、全労連が革新の再組織化の軸になっているかについては大いに疑問である。住民運動との結合やソ連問題などの国際間題に関する見解、労働運動における大衆的な運動展開などの側面でみると、この組織はやはり閉ざされた世界にとどまっているといえる。公称の組織力に比較してはっきりと存在感が薄いのである。

労働力不足と不況を背景にいかに闘うのか

 以上のような背景のもとで92春闘が進行している。すでに日本茶労働運動の一時代を規定したような意味の春闘はない。
その上で具体的にみれば、急速な景気の落ち込みとの関係が大きい。自動車、電機と軒並みの減産がある。日産では操業停止、レイオフ三日ということが二月から三月にかけてあった。これは自動車産業が拡大過程に入ってから初めてのことである。昨年から今年にかけてベルトコンペアのスピードをガウンするなどの生産調整がなされてきたが、それでは間に合わない事態になったのである。下請けなどでは残業なし、休日の全面消化などが拡大し、労働者の手取りが大幅に減少している状況にある。
 日経連は賃上げは「定昇」にとどめるべきだと主張している。余力は時短にまわせとも主張している。連合がこうした状況に抵抗することは考えられない以上、賃上げ水準が低く設定されることは当然ということになる。
 昨年の賃上げ平均は労働省統計で五・六%だったが、今年は山岸がすでに五・一%という数字を出している。根拠は物価上昇分二・八%にプラス定昇分二・三%という計算である。要求段階ですでに昨年実績より〇・五ポイント下回っている。92春闘の賃上げ水準が相当に低水準に終わることは明らかだ。
 三月二十五日のJC一発回答で、おそらく良くて四%台後半の水準が出され、決着することになるであろう。私鉄大手が二十六日交渉、中小が二十九日交渉のスケジュールであり、三月決着の大枠となる。
 連合春闘には、以前のような春闘相場を総体として底上げし、全体に波及させていくという発想はない。大手企業以外の中小はまったく取り残されることにならざるをえない。昨年の五・六%平均という実績は、民間中小の妥結水準はその70%という統計が出されている。その率でいけば92春闘は民間中小にとっては相当に厳しい状況になる。
 他方、大きく宣伝されている時短についても、連合の方針はひどいものである。結論からいえば、今年の方針は年間二千時間を割ろうというものにすぎない。松下が一千八百時間達成をいい、パイオニアもそういう方向が確定したといわれるが、全体としては「九〇年代の早い時期(九三年と想定される)に過四〇時間体制へ移行する」という八八年の労働省国会答弁の実現は困難といえる。
 九三年四月一日は来年であり、今年の方針が二千時間を割る目標であることからみてそうである。特に中小企業では経過措置として例外措置がとられ、いわば二重基準状態にあり、過四十四時間から四土ハ時間まである。二重基準のままでは中小の時短は自動的には進まない。
 週四〇時間体制を法的にいつ発効させるかは、労働側にとってきわめて大きな意味をもつ。法的背景があるのとないのとでは闘いにとっての影響はまったく違う。二重基準の廃止、四〇時間体制の法的発効を要求することは重要な課題になっている。とりわけ学校五日制度の実現の影響は大きい。社会的な労働時間の短縮が進まなければ、悪名高いサービス残業などの横行する状態を変えられないからである。
 他方では、絶対的労働力不足という状況の影響が新たに見られる。すなわち景気後退が即失業に転化しない、できない状況でもある。
 第三次産業の拡大による労働市場の変化が、企業に対して人員整理、解雇ではなく労働力を確保させる方向にいかせてもいる。まったくの時代錯誤としかいいようのない日立の残業拒否解雇是認の最高裁判決自体が、資本とって全面的に歓迎されているということでもない。残業しなければ解雇という企業印象が生まれたわけであり、応募する労働者にとってまさに魅力のないことになったという側面があるからだ。このギャップに労働側の視点がむけられる必要がある。
 労働力に関する現在の状況は複雑である。通常インプットされている、景気後退→賃金抑制→失業増大という単純な図式では必ずしもない。第三次産業の労働力吸収は持続しており、それゆえに、外国人労働者、老年労働力、女性労働力の比重が上がっていることになっている。
 育児休業制度改正は、政府レベルを含め、資本にとって、とりわけ労働力確保への対策としての政策、諸施策が必要になってきたことを背景にしている。
 六〇年代から七〇年代にかけてなされた育児休業制度は、労働者側からの社会的要求としてはあっても資本サイドがそういう要求が必要だとしたわけではない。現在は資本が必要としている側面が強いのである。連合が「闘いの成果」と宣伝することは誇大というべきである。
 しかし、背景はどうあれ、休業法第一条に明記されている「男女労働者をとわず」と理解できる表現は時代の流れを反映したものだ。こうした状況をさらに進めることが必要である。
 とりわけ男性労働者にとって、法律にそうした条文が明記されるところまでに時代が進んでいることが問われる問題である。男女を問わず労働者にとっては現実の要求は、休業制度ではなく、育児時間拡大、有給の休暇制度の拡大であろうといえるかもしれない。
 これらは、介護の問題を含めてさらに検討される必要があるが、法的制度の進行の一方で、男性労働者が女性の問題であり、自らの問題として受けとめていないことが続くのでは、まさに「女性労働力対策」という政府・資本、連合のレベルをいささかも越えないことになってしまう。その意味では、育児休業法第一条は男性労働者にとっては、「啓蒙的法律」としての役割をもたせることが必要である。

 全労協の方針

 全労協の計画は、三月十八日に第二波統一行動、三月決着路線に対抗する闘いが、第三波として三月二十五から二十七日に国労の三渡にわたる連続ストを軸として準備されている。三月三十一日から四月一日が国労の解雇撤回の闘争。四月三日に中小の集中スト闘争が組まれている。国労連続ストの第三波闘争と四月の集中ストがポイントである。
 92権利春闘−国鉄の闘争勝利が国家的不当労働行為との闘いとしてまさに核心的問題である。日立判決に見るように、労働法を支える概念であるはずの「労働者保護」の視点・精神が国鉄を典型として後退させられている。過労死の横行が示すように、職場での労働者の働き方、働かされ方を直視した権利意識の確立、権利の拡大を闘うことを中心にした春闘をつくりだすことが問われている。      (三月四日)

4/5三里塚現地集会に全国から結集しよう

 春の三里塚現地集会を四月五日に開催することが、反対同盟から呼びかけられた。
 昨年秋の現地集会は、シンポジウム問題をめぐる反対同盟と支援団体との評価の違いを底流とした、集会の名称、スローガンの調整の不調によってやむなく中止された。そして今年の反対同盟の旗開きでは、従来その場で発表されていた春の現地集会の日程への言及もなく、三里塚闘争の行く末を危惧する声もあった。
 こうした中で「空港粉砕・二期工事阻止 四・五 三里塚現地集会」の名称で春の集会が呼びかけられた。
 4・5現地集会を迎える三里塚闘争勢力におけるシンポジウム問題をめぐる評価は一致していない。とりわけ奥田運輸大臣の強制収用発言、そしてシンポジウムでの運輸省の「事業認定の無期限の効力論」と衣の下に鎧が見え隠れする有様は、シンポジウムを袋小路の方向に向かわせているようである。
 だが、二十六年も闘いぬかれてきた三度塚闘争をめぐる状況はいま、主客とも大きく変わりつつある。反対同盟の執念ともいうべき強制収用放棄という運輸大臣の事実上の確約を闘いとり、シンポジウムに参加する根拠も浮上しているといえる。
 この三里塚闘争をめぐる新しい状況の中で、二期阻止・空港粉砕をどのように実現していくのか、勝利していくのかを問いかえしていくことが求められている。
 四月五日、全国から三里塚現地に結集し、自らの体で新心い状況を体験し、三里塚闘争の再生・事業認定執行・二期阻止の全国的な闘いをつくりあげていく第一歩としていかなければならない。
 4.5現地集会に全国から結集しよう。

四・五三里塚現地集会への招請状
三里塚芝山連合空港反対同盟

石井武

 全国の闘う仲間の皆さん、各地域での闘争御苦労様です。三豊塚闘争も二十六年目を迎える中で、昨年の秋の集会は残念ながら中止をするようなことになってしまいましたけれども、今春は従来通り全国集会を行いたいと思います。シンポジウム云々ということで皆さん御心配しているようですし、シンポは幕引きだとか何だとか言っている人もいるようですけれども、私達はやはり一つの言論での実力闘争だというように考えております。残念ながら今日までの運輸省側の態度は、口先と実際は全く違った状況で何ら進展がありません。このままいけばまた大変に大きな問題にぶつかるということを予想できるような状況になっております。何としても二期阻止に向けて闘っていくには、やはり多くの皆さんの結集が何と言っても必要だと考えています。色々と批判されることもあるでしょうけれども、多くの皆さんの結集を訴えたい訳です。我々は皆さんを裏切ることなく、最後の勝利まで頑張っていくつもりです。日一日と暖かくなり春の気配が感じられて来ているというのに、「三里塚の春」は未だ訪れることなく厳寒の試練の真只中にあります。どうかまた春の集会には現地へ来て、自分達の目でまた体で、現地の状況をよく体験してもらいたいと考えております。大変でしょうが仲間と一緒に4・5の全国集会には総決起されることをよろしくお願い致します。


石毛博通

 三里塚闘争が持ってきた住民運動としての側面と、全国的な政治闘争としての側面の、二つの側面をどうするのかが、今非常に難しい問題になってきている。社会状況が大きく変わり、三里塚というものが風化しながらも、政府は代執行という強権を発動できなくなり、その中で、闘う農民の主張が社会に広がっていかない状況が長い間続いたと思う。シンポを選択したというのは、やっぱりここでもう一回態勢を建て直して、世間に農民は何を考えて闘争してきたのか、今どういう現実
を抱えてがんばっているのかを浸透させてゆくきっかけが絶対必要であり、それは今までの闘争の枠を越え、発想を全く転換させなければ不可能だと思ったからだ。
 シンポの結末については、運輸省も、反対同盟でシンポに参加している者も、学識経験者も、新聞記者も誰も分からなくなっている。全く先の見えない運動展開、戦争をやっているということでは、いちかばちかという局面もあると思う。
 やはり今は持久戦だと思うけれども、安全圏にいて勝とうというのは虫がよすぎる。動いていれば知恵を授けてくれる人がいるかもしれないし、思わぬ拾い物があるかという風になると思う。
 戦後住民運動の多くが敗れてきた中で、やっぱり勝負をかけて本気で勝ってやろうじゃないかと、その可能性のあるのは今こういう大きな闘争では三里塚だけでしょう。
 今までの言い古された左翼の物の言い方では民衆に見破られると思う。成田はなぜいらないのか、なぜ農民は闘ってきたのかということを、多くの人にわかりやすく伝えてゆくべきだ。
 支援の人たちとは、三里塚闘争の今後についてじっくりと討論したいと思っている。

小川源

 シンポジウムは、若い方々がやっていることだけれど、決して悪いとは思っていない。シンボの中で、政府の間違いを正し、事業認定が執行したことを認めさす、あるは、取り下げさす、ということまではシンポの方々に頑ってもらいたいと考えているわけだ。
 反対同盟を結成した当時、「問答無用・農地死守で絶対勝利する」と言っていた頃と、今とでは状況が変わっているんだからしょうねえだよな。だからシンポの方々には、十二分に骨をおってもらって、二十五年の開いを無にしない闘いをしてもらいたい。さもなければ、政府相手に闘っている我々反対同盟、死んでも
死にきれねえだよ。うかばれないわけだ。 この四月の全国集会では、シンポを十二分に説明して、ご理解をお願いし、そして、我々二十五年の闘いを無にしないよう、勝利に結びつけてもらいたいわけだよ。
 それまでは、俺は、政府・公団との話し合いどうのこうのということは、絶対にしないから、勝利するまで闘い抜いていくから

柳川秀夫

 シンボをめぐって様々な意見がある訳だけど、それはそれでいいことだと思っているだよな。単にシンポの足を引っ張るだけでなく、二期をやらせない、ということを真剣に考えるのは大事なことだから。
 いずれにしても三里塚の情勢というのは形としてはシンポで動いているけども、ひとつ新しい流れが始まっているのが事実なんだよな。シンボに関わっている俺らからしてみれば当然責任もってやる他ねえ訳だけど、二十五年の流れの中で今の状況を考える時に、反対同盟の枠内だはで、もう事態は解決しねえ、もっとデカイ問題なんだと思うよ。
 とにかく三里塚は大きく動いているのが事実なんだから、それをふまえて来てもらう他ねえよな。
 感じ方は様々だし、集会やったから何かできるという訳でもねえけど、二期をやらせない、ということの中身を前向きに考えたいよな。それぞれの思いをもって集会に来て下さい。

笹川英祐

 私達は、全国の労働戦線、学生戦線の人々とともに、二十六年間闘ってきました。二期工事を阻止し、地域と農地を守り、人間としての正しい生き方を貫いてゆく闘いの信念は、故戸村委員長、故木内副委員長の遺志を引き継ぐものとして、変わっていません。
 現在の公開シンポジウムは、裁判闘争勝利の闘いとともに、二期阻止の同盟の運動の一環として公開の原則に立って、進められています。
 三里塚の闘いに参加した学生、労働者のみなさんがすでに子を持つ親となり、各地で指導的立場に立っているわけですが、社会の中心を担い、後輩の指導にあたり、三里塚と心を一つにして新しい世の中が作られてゆくと思います。共に勝利に向かって闘いを貫いてゆくべく、四月五日の現地集会への参集を呼びかけます。
    一九九二年三月

集会案内
集会名称 空港粉砕・二期工事阻止 四・五 三里塚現地集会
日時   四月五日(日)午後一時集会開始 三時デモ出発
場所   芝山町積掘 反対同盟現地闘争本部前葉会場
主催   三里塚芝山連合空港反対同盟
連絡先  千葉県山武郡芝山町香山新田l〇六一四
      TEL〇四七九(七八)〇〇六九 反対同盟現地闘争本部

ゴルバチョフの否応なしの破産
エルネスト・マンデル

 ミハイル・ゴルバチョフが行ってきた官僚的なソビエト体制改革の試みは、失敗に終わった。この事実は、官僚による自己改革の不可能性を改めて示した。
 
失敗に終わった改革

 ゴルバチョフの失敗は、チトー、フルシチョフ、毛沢東、ドプチェックの失敗と同じものである。ソビエトの官僚機構はあまりに巨大であり、その社会的なネットワークはあまりに強固であり、官僚機構がその本性としている消極性、惰性、妨害、サボタージュといった本質は、それを上からの改革で決定的に弱めようとするにはあまりに濃密である。官僚機構を排除するためには、数千万の労働者のイニシアティブと行動が、つまり下からの真の人民革命、反官僚政治革命が必要である。ゴルバチョフは、こうした革命を促すことはできなかったし、またそうする意志もなかった。彼のねらいは、社会制度を大きく改革しつつも、それを基本的に維持することであった。
 社会制度の急進的な改革に向けたゴルバチョフの路線は、最初の局面では、思想上の選択の結果ではなかった。それは、客観的な条件、旧ソ連邦が一九七〇年代末から陥ってきた絶えず深まっていく危機の不可避的な結果なのであった。
 この危機の主要な兆候は次のようなものであった。
●成長率の持続的な低下。
十年以上にわたってアメリカの成長率よりも低いままであ
った。
●こうした条件下において、経済の近代化、帝国主義との軍拡競争、大衆の生活水準の中程度であれ絶えざる向上、官僚の特権の維持と拡大といった動向の維持や促進をできなかったこと。
●トロッキーが一九二〇年代に予見したように、粗放的な工業化を集約的な工業化へと転換できなかったこと。この転換を実現するためには、量よりも質の問題、正確な原価計算、分かりやすい経済メカニズム、消費者尊重といった点を優先する必要があった。ごれらを優先することは、官僚独裁とは両立できなかった。
●特に六百万もの貧しい人々の存在と保健衛生制度の顕著な悪化(数年問にわたって平均余命が絶対的に低下しつづけたことをはじめ)に表現された、著しい社会環境の悪化。
●体制が政治的な正統さを完全に失ったこと。そして広範な反対派層(専門家、作家、若い人々、被抑圧諸民族、一定程度自立して活動する労働者など)の登場。
●もはや官僚が統制できない非常に深刻なイデオロギーおよび精神の危機。
 ゴルバチョフの敗北は、とりわけ経済ベレストロイカの敗北である。当初から間違って受け取られ、何度となく方向転換をし、矛盾がより強まっていく複数の目的を同時に実現しようとしてきたベレストロイカは、かつての指令経済を解体したが、それに代わる新しい経済制度を実現してはいない。

経済の停滞から衰退へ

 経済は、何度か上昇はあったものの、基本的には一九九〇年以降、停滞から衰退の局面に入った。猛烈なインフレが経済の衰退を促進した。企業間の結合は解体していった。消費財は、公式の流通網から消えてしまい、次第にマフィアや自由市場に独占されていき、そこで法外な価格で売られた。
 モスクワで最低限の生活に必要な費用は、一九九一年初めで一人当たり二〇〇ルーブルであった。これは最低賃金でまかなえた。複数の労働組合の計算によると、一九九一年十月には、必要最低経費は五二一ルーブルとなった。モスクワ市民のおよそ九〇%は、これ以下の収入しかない。それ以降、状況はさらに悪くなっている。そして一九九二年二月二日、価格自由化が実行され、物価が大幅に上昇した。こうした広範な大衆の絶えざる生活水準の低下の中で、ゴルバチョフは完全に大衆の支持を失ったのである。
 ゴルバチョフの外交政策を突き動かしてきた本当の原動力は、どんなコストを支払ってでも軍拡競争をやめて、沈没しはじめた船を救うために帝国主義からの技術および金融上の支援を獲得することだった。このことが、中央アメリカとキューバ革命、南アフリカとアラブ世界の解放闘争を犠牲にした反革命的な地域協定の締結に至らせたのである。これによってコルバチョフは、スターリンや彼の後継者、部下などによる国際革命の長い裏切りの歴史、つまりスペイン、ユーゴスラピア、
ギリシャの革命に対する裏切り、一九四四年から四八年および一九六八年から六九年にかけてのフランスとイタリアでの革命的な突破の可能性に対する裏切り、中国、ベトナム、最初の局面のキューバ、ポルトガルの革命に対する裏切りの歴史を継続したのであった。
 しかしゴルバチョフが成功すると予測した人がいるとすれば、それはゴルバチョフのもとでソ連邦で実際に生じた深くて積極的な変化に目を閉ざすという誤りであっただろう。
 それらの変化は本質的にグラスノスチという言葉に、あるいは別の好みに応じたソビエト大衆が現実に享受した民主的自由の大幅な拡大という言葉に要約される。
 これらの自由は、もちろん制限され、部分的で制度として保障されておらず、ゴルバチョフの最後の時期に強化された権威主義的な支配のやり方と結合していた。しかし、これらの民主的自由は十分に現実のものであった。多くの政党、政治結社、社会組織、自立した労働者組織が登場した。党の検閲制度を完全にはずれた報道が現れた。大衆的なデモ、しかもかなり大規模なものもしばしば行われた。ストライキの件数もふえた。有権者が本当に異なる政治方針をもつ候補者を選択できる選挙も行われた。
 これがスターリニストやポストスターリニスト体制と比較して大衆にとって巨大な変化である事実を否定することは、そしてゴルバチョフ政権を「全体主義」と規定することは、スターリニスト独裁を美しく飾りたてることにしかならない。
 スターリン時代には数百万の政治囚がいた。ゴルバチョフ時代には、政治囚の数は、アメリカ、イギリス、スペインあるいはイスラエルのそれよりも少なかった。スターリン時代には一切のストライキは、暴力でもって弾圧された。ゴルバチョフ時代にストライキが暴力で弾圧されることはなかった。
 ソ連の政治的な現実をそのように見誤る原因は、政治体制に関する極左的な見解にある。この見解によると、政治体制には唯一の区別、すなわちソビエトの権力かそれともファシストーあるいはファシスト志向の−のブルジョア独裁権力のいずれしかない。これら二つの問にある一切の中間的な政治権力は彼らにとって、存在しないものである。
 一九九一年八月の一揆は、現実に存在していた民主的自由を制限あるいは廃止しようとした。一揆の首謀者たちは、ストライキ権と労働者の自立組織をなくそうと図った。これこそが、一揆が可能な一切の手段を用いた抵抗に直面した理由なのである。また、これこそが、一揆の敗北を歓迎すべき理由なのである。
 以上のことは、旧ソ連の勤労大衆が二つの戦線で現在、闘いを展開していかなければならないことを意味している。すなわち一方での民主的自由の防衛、拡大、確立であり、他方では、私有化に反対する闘いである。二つの中心約な闘いのどちらか一方でも放棄することは、労働者階級の根本的な利益を犠牲にすることである。
 労働者階級が大衆的に独立した政治的な階級組織としての能力を再び獲得するまでは、政治革命が発展し、勝利していく可能性は存在しない。労働者階級の政治的に独立した組織の獲得は、長期の見習い期間、闘争の展開、新しい前衛層の登場などの条件が満たされてはじめて実現される。現実に民主的自由が存在しなければ、このために必要な過程はもっと多くの時間がかかり、より困難となり、実現する可能性も小さくなっていく。そして、こうした政治革命が勝利しなければ、長期的には資本主義の復活は不可避である。
 ゴルバチョフは、大衆動員によって打倒されたのではなかった。また、帝国主義の攻撃や国内のブルジョア勢力の攻撃によって打倒されたのでもなかった。彼は、ポリス・エリツィンが率いる官僚の一派によって打倒されたのである。

 機構の人、エリツィン

 エリツィンは、ゴルバチョフ以上ではないにしても、同じ程度にノーメンクラツーラトップ層の一派を体現レている。エリツィンは、その一切の過去および教育からして、機構の人である。ポピユリスト扇動家としての彼の才能も、この判断の修正を迫るものではない。エリツィンをゴルバチョフと分かつものがあるとすれば、それは彼の方があけすけで、より権威主義的であり、したがって大衆にとってより危険な存在だということである。
 自らをあまりはっきりしないやり方ではあったが、社会主義者と呼びつつけたゴルバチョフと違って、エリツィンははっきりした資本主義の復活者になったといわれる。これは本当である。しかし、その人の信条告白だけではその政治家を判断できない。われわれは、実際に何が起きているのか、いかなる社会的な利益に奉仕しているのか、これらの点を見なければならない。
 エリツィンと「ソビエト主権国家連合」に賛成する方向でのソ連解体過程でのその一派は、この観点からすれば、ブルジョア勢力(本質的に「根無し草の百万長者」と呼ばれる新ブルジョアジー)とは区別されるノーメンクラツーラの一部を代表しているが、互いの周辺領域では重なりあっている。
 最も典型的なのは、ウクライナとカザフスタンの大統領である。彼らは、エリツィンとともに、「コルバチョフを裏切って」(カザフスタン大統領の言葉)ソ連を消滅させた。
 彼ら二人は、ゴルバチョフ時代の始まり当時のそれぞれの共和国におけるスターリニスト機構の指導者であった。二人とも当該地域のKGBに依存しつづけた。八月一揆の時には、静観の態度をとるか、あるいは一揆を支持さえした。二人とも、彼らの共和国における民族抑圧に対する正当な大衆反乱を利用して、自ら「民族主義の指導者」になりかわった。
 彼ら二人のシニシズムは、少なくとも当座は、真正の大ロシア排外主義者であるエリツィンやその一派と与するつもりである事実に示されている。
  旧ソ連においてわれわれが目撃しているのは、ノーメンクラツーラ上層部の一派、直接の資本主義復活主義勢力(つまり言葉の社会的な意味でのブルジョア勢力)、そして勤労大衆という三勢力問の闘いである。これら三勢力は、それぞれ独立した存在であり、それぞれの利益にしたがって独自の社会的な行動を展開している。
 再度の一揆の可能性もある。エリツィンは、反労働者、反人民政策をとっているので早急に大衆的な支持を失うかもしれない。彼の背後には、ソ連のルペン(フランス国民戦線のファシスト指導者)である不吉なウラデイミール・シリノフスキーの姿が見えている。彼は、スターリン、ツアー、ピノチェトなどからの霊感を期待しており、軍の一部の支持をえており、猛烈な大ロシア排外主義者、反外国人、反ユダヤ主義、そして人種差別主義者である。彼の人気を過小評価すべきではない。
 今日、旧ソ連には革命的情勢あるいは前革命的情勢も存在していない。労働者階級は疑いもなく、その階級敵よりも非常に強力であり、一九一七年あるいは一九二七年よりも相当に強力である。同時にスターリニズムは、われわれがこれまで常に予測してきたように、破産の過程にある。しかし政治革命でスターリニズムを打倒するためには、労働者階級が独立した政治勢力として行動しなければならず、その可能性は現在、存在していない。
 スターリニスト独裁がもたらした共産主義、社会主義あるいはマルクス主義思想そのものに対する巨大な不信のために、ソビエト社会の根深い思想的、道徳的な危機が生み出した空白は、労働者階級がすぐに埋められるようなものではない。しばらくの問は、労働者階級の行動は、積極的ではあるが、短期かつ即時的な目標に限られ、しかも断続的で断片化したものになるだろう。右翼が政治的なイニシアティフを握っている。

断ち切られた歴史の糸

 一九八〇−八一年まで(ポーランド「連帯」の最初の高揚期)のわれわれの正当な希望に反して、ヴォルクタ労働キャンプの反乱と一九五三年の東ドイツの革命的な闘争から一九五六年のハンガリー革命を経て、「プラハの春」とポーランド「連帯」の最初の高揚に至った歴史の糸は断ち切られてしまった。それを再びつなぐには、相当な時間が必要である。
 このことは、ノーメンクラツーラの権力復活か、それとも資本主義の真の復活のどちらかが最もありそうな結論であることを意味するのだろうか。まったく違う。これら二つの可能性は、政治革命への急速な発展と同様にありえない。
 確かにエリツィン政権は、資本主義復活に向けた初期的ないくつかの措置をとるだろう。しかし、そうした過程を開始することと、その目的を実現することとの問には巨大な距離がある。
 資本主義が真に復活するためには、商品経済の拡大の程度−旧ソ連の商品経済は今日、一九二〇年代のNEP方針の時代よりも未発達である−がきわめて不十分である。大規模な生産と交換の手段が商品とならなければならない。そのためには、少なくとも数千億ドルが必要であるが、現在の状況ではこの費用を西側でも旧ソ連自身でも用意できない。
 また資本主義が真に復活するためには、労働力が「労働市場」の法則に従属するようにならなければならない。このことは、三千万から四千万人の失業者と生活水準が三〇ー五〇%低下することを意味している。こうした事態は、猛烈な抵抗に遭遇するに違いない。
 最も可能性が大きい事態は、長期にわたる分解と混沌の過程の持続であろう。われわれの妥当かつ実際的な願望は、この分解と混沌の期間に、ソビエト労働者階級が次第に階級としての独立性を獲得していくようになることである。それぞれが小さく孤立している社会主義勢力の中心的な任務は、労働者と結びつき、彼らが階級的な独立を獲得する任務を実現していく上での障害を克服していくのを助けることである。
(インターナショナル・ビユーポイント誌二二一号)
イラク人民に対する封鎖を解除せよ
   第四インターナショナル国際執行委員会
 一九九二年一月に開かれた第四インターナショナル国際執行委員会(1EC)は、ここに掲載する決議を採択した。

 イラク人民はこの十八カ月問、生活を脅かす経済封鎖にさらされ、これは、一九九〇一九一年冬の帝国主義の侵略戦争による悲劇的な結果とあいまって、食料と保健衛生の面で破滅的な状況をもたらし、子どもや老人を中心に多数の死者を出すに至っている。
 イラク人民にサタム・フセイン独裁の行動に対する責任があるはずがない。帝国主義は、イラク人民に対して、侵略的な政権を罰するためという口実で、多数の死者という高価な犠牲を強要している。このことは、いわゆるイラクに対する攻撃の人道的目的なるものが、その真の狙いである中東地域の原油生産に対するヘゲモニー獲得のためのイラク国家の支配であることを隠していることを示している。
クウェートは、王族の手中に戻され、その支配は前よりも反動的になっている。イラクの軍事力は完全に破壊された。荒廃した経済状態は、国連調査団に「終末的」である。しかし、帝国主義は、国連安全保障理事会の名前のもとで、イラクに対してその最も富裕な隣国へ戦争賠償金を支払わせようとしつづけている。
 この封鎖は、恥ずべきものである。われわれは、この封鎖の即時無条件の解除と同時に、アラブおよびクルド人民の自決権の尊重を要求する。
(インターナショナル・ピユーポイント誌二二一号 92・2・3)

トロツキー著 藤井一行訳(岩波文庫)
「裏切られた革命」発刊によせて

川端康夫



 今回、新たに岩波文庫にトロッキーの不朽の名著『「裏切られた革命』一九三六年)が加えられた。翻訳は富山大学教授の藤井一行さんで、数年前に窓社から出された『ソ連はどこへ』に手を加えたものである。
 訳者あとがきでは、今回の岩波文庫版は窓社版をもとに、ベレストロイカの中で進んだソ連本国でのトロッキー研究の成果をとりいれて、校訂作業により自信をもったと述べられている。昨年夏にソ連を訪れて、一昨年東京で行われたトロッキーシンポジウムにおとずれたパンツオフ、ボトシチエコルチン、スタルツェフ、ビリクらの各氏らを含んだ研究者たちとの討論やソ連で、はじめて、五五年ぶりに刊行されたばかりのロシア語版一九九一年)の参照を行う中で、窓社版刊行の時点で残ったいくつかの不明個所を解明できたとのことである。
 翻訳にあたっての問題点とは、トロッキー自筆タイブ原稿の復刻である第四インター版は、トロッキー自身の書き込みがあちこちになされたもので、タイブ活字の磨滅や書き込みの部分の判読困難部分が相当に残っているということで、その処理のしかたをどうするかということだったらしい。その解明がソ連での研究者との協同ですすんだというのであれば、モスクワ版刊行者とベレストロイカの双方に感謝すべきことであろう。


 『裏切られた革命』は「ソ連とはなにか、そしてソ連はどこに行きつつあるか?」が原題である。訳者によれば、フランス語版(ヴィクトル・セルジュ訳)が名づけた、通称である『裏切られた革命』を著者白身もあとでは採用したとのことである。
「裏切られた革命』は一連のトロッキーの著作と同様、ソ連の「進むべき道」を簡明・明確に指し示そうとし、スターリン体制下のソ連とはなにかを包括的にわかりやすー実際は厳しい論争の焦点であり、ソ連の性格の評価と規定なしに第四インターナショナルの創設は不可能であったー展開したものである。
 私が以前に手にした版は対馬他訳の現代思潮社版(一九六八年)であった(論争社版の山西訳一九五九年も見た記憶があるが、古いことで、はっきりとはおぼえていない)。この訳出の労は評価するにしても、訳者の過剰なまでに介入的で主観的な解説にはへきへきしたおぽえがあり、はっ
きり言って、読後感はいいとはいえなかった。以前のことで記憶もさだかではないが、訳文も読みにくかった記憶があり、その後はどちらかといえば敬遠してきたようにも思う。また他の人に積極的にすすめなかった理由もこのあたりにあったといえる。
 窓社版は対馬版に感じた違和感と難解さ、とっつきにくさをめぐいさってくれたのであるが、あらためて岩波の文庫版として手にしたときに、その読みやすさに隔世の感がした。
 

 ソ凄邦(CCCP=ソヴェト・社会主義・共和国・連邦)は昨年解体した。ソヴェト共産党もすでにない。そして「独立国家共同体=CIS」といういまだ先行き不明の存在が登場した。
 CIS(独立国家共同体)という現段階において、階級闘争の様相が明らかに復活の気配をみせているとは言いがたい。つまり労働者が、階級として国家的なレベルで政治の表層に組織されて登場しているという徴侯はみえない。
 にもかかわらず再資本主義化という方向へ、明確な海図や羅針盤もなしに船出しつつあるCISが直面しつつある経済的困難は、まさに脆弱な「資本家」と統制力なき経済政策の混とんは、必然的に労働者相互の結合の基盤を拡大するであろう。
 そうした労働者集団が、次になにを選択するか−それは当然にも、ロシア十月革命とそれによって誕生し、貧困からの出発したソヴェト国家が採用した、あるいは採用せざるをえなかった諸政策の直接的な焼きなおしではありえないが、本書で明確に親定されているソヴェト国家の「二重性」をより明確に対象化した形で問題を整理することは十分に可能となるはずである。
 一連のソヴェト国家論、ソヴェト経済論などはまさに本書の精粋である。本書は読者に対して、陰うつな、自由が圧殺され、警察機構のもとにアトム化されたソ連の民衆が進んできた道とは全く正反対のソヴェト国家の姿が現実に可能だったのだと確信させる。もし、歴史に″1F”を想定することが許されるとすれば、ソヴェト国家と二〇世紀の社会主義は「資本主義の死の苦悶」をつきぬけた新しい人類の歴史段階の入口に到達しえたに違いない、と。
 そうした可能性のさらに厳密な検討・検証は必要であるレ、また左翼反対派がめざした工業と農業の矛盾の克服や国家の死減にいたる全体構想の評価も必要だ。
 だがそれらについては別の機会に譲ろう。本書の訳者である藤井さんおよび志田さんによるトロッキーの「ネップ論」の刊行(近々大村書店からが予定されている)を待った方がいいと思われるからである。
 ここでは少し違った側面から本書の特徴をとらえ、若干の問題提起をしてみたい。討論の素材となれば幸いである。
 それは、本書で著者が定式化している、ロシア革命とソビェト国家、そして社会主義への闘いマルクス主義の大きな歴史の枠組みにおいて与えた位置に関する側面である。本書は、ソ連の解体、今日における社会主義との関連でどのように対象化できるのかという課題に対する重要な示唆を与えているのである。

4
 中国革命もキューバもベトナムもロシア十月革命とソ連邦なしに、現在の姿をとることはなかった。その意味において、ソヴェト国家の解体・消滅はまさに世界の三分の一をしめた二〇世紀社会主義運動の敗北といっていい事態だろう。
 この「敗北」をいかなる性格で認識するか、今後にいかなる展望(あるいは展望喪失)を求めるかは、千差万別とも表現できる。これはさらに拡大・深化していく論争の始まりだろうということも見てとれる。こうした討論・論争が回避できるとも回避すべきとも思えない。論争・討論がこうしたまさに歴史の転換において起こらないとしたら、むしろその方が、マルクス主義の衰退・危機を刻印するものだろう。
 日本新左翼をとれば、ソヴェト国家を把握するに際して、革命後にソヴェト国家の採用した一連の政策体系の「基礎」を絶対的に承認する、つまり絶対化する傾向がほとんどであった。
 これは現在、ソ連国家の解体という事態において、正反対の立場に転化する様相も示している。つまり絶対的否定である。このような結論も、だから、全然理解できないことではない。絶対化の崩壊の一つの帰結であろうからである。
 マルクスの原理的定式化の否定にいたるものか、あるいはマルクスとレーニンとの問に絶対的な分水嶺を築くのかの違いはあるが、「レーニン主義」の破綻の帰結として現在をとらえるという考え方に一直線に突き進んでいくことになっている。前者はマルクス・エンゲルスの思想そのものに「レーニン主義」の源泉を求め、マルクス主義の理念そのものの破綻としてソ連の解体をとらえる。後者は「レーニン主義」がマルクス、エンゲルスの思想の全面的な歪曲であり、マルクス自身の考
えとは違うもので、したがっってソ連の解体はマルクス主義の破綻と無関係だと論証しようとするのである。もちろん反対にレーニン型の徹底化の不十分性の帰結としてとらえ、そこからプロレタリア独裁の全面強化がさらに必要だとする傾向もある。
 こうした「混乱」を解く鍵に接近するためには、ロシア革命全体の「構想」そのものの分析が必要であろう。


 本書は以下のことを明らかにしている。
 ロシアにおける社会主義革命は、二〇世紀の初頭において、きわめて「厳密」に、そして「特殊」に組み立てられた方法論に基礎づけられたものであった。その「厳密性」はマルクス・エンゲルスの理念との整合性の追求であり、その「特殊性」は彼らの理念の発展、豊富化、あるいは「修正」である。
 さらにいえば、マルクス主義的普遍性、歴史性と現実におかれた状況との「弁証法」的結合であり、前者から後者を切り離し、かつそれを絶対化すること、換言すればマルクス主義とレーニン主義とを歴史の発展の必然的な順番的に継続する段階としてとらえることはできないということである。
 二〇世紀の初頭において、社会主義革命はロシアから始まるとは考えられてはいなかった。むしろ可能性はドイツにあり、ヨーロッパにあるとされた。「マルクスは、社会主義革命を開始するのはフランス人で、ドイツ人がそれを受けつぎ、イギリス人が完成させると期待していた。ことロシア人にかんしては、ずっとおそい後衛にとどまるものとされていた」(六九頁)と著者は述べる。
 二〇世紀の社会主義はまさにその遅れた後衛とみなされたロシアからはじまった。それを推進した先人たちは、まず前提として、ロシア革命を社会主義と結びつける場合にマルクス主義理論上における最大の論点、すなわち「ロシアという後進国で、はたして社会主義革命は可能なのか」という疑問に回答しなければならなかった。そうしてその「綱領的視野」から、ヨーロッパ世界における社会主義革命とむすびつけられ、それに支援された、ロシアにおける社会主義革命と国家形態の具体的な方法を導き出したのだった。
「資本論に反した革命」(グラムシ)の評価は、彼個人のコメントであるとはいえない。同時に、グラムシの文言だけをとりだせばロシア革命を遂行しようとしたこと自体が誤りということにもなりかねない。しかしそうではないであろう。ロシア革命の指導部の総体が「資本論に反した革命」を意識して、かつそれをマルクス・エンゲルスの理論と整合化しつつ推進したものだった。
 そうした努力は、もちろん、第二インターナショナルが、前世紀の終わりの局面において、絶対的窮乏化法則に「反した」資本主義の浮上という事実に対面して引き起こした理論論争−ベルンシュタインの提起をめぐったーの中で、左派が発見し展開した「帝国主義」概念を基盤にしてはじめて可能になったものだ。
 今世紀の初頭、パルヴスが示唆しトロッキーが展開した不均等発展の法則(結合発展の法則)、あるいはレーニンの複合的発展の法則の概念があって、はじめてロシアにおける社会主義革命の可能性と現実性が導き出された。
 そして、こうした「法則」と、マルクス・エンゲルスの理論との「厳密な」整合性を保障するものとして、ヨーロッパ革命との結合による社会主義革命の実現という規定が、まさに二〇世紀の水続革命論・世界革命論として定式化されることになった。
 ロシア社会主義革命論とは、まさに不均等発展の法則(結合発展の法則)なしには成立しようもなかった。
「二〇世紀の社会主義」論争は、つまりソヴェト国家とコミンテルン総体を貰いた論争の基軸は、不均等発展の法則というマルクス主義の「修正」を、マルクス理論との厳密な整合怯の組み立てで把握し続けるか、あるいは、スターリニズムとして発展することになるような、マルクス理論との「断絶にいたる修正」を貫徹するか、の論争対立であったのである。
 スターリニズム理論は、その根底に、ロシア一国(後進国)での、単独の社会主義実現が可能だとするとする「規定」をもち、したがって「資本論に反した革命」を文字どおりの意味で推進する立場にほかならなかった。


 したがって、ロシアにおけるソヴェト国家は、一般的な社会主義をめざす国家像としては語られない。トロッキーの論旨の展開は、彼が常にそうであるような弁証法的である。彼は、ソヴェト国家−それも孤立し、遅れている−国家における矛盾を対象化し、「労働者国家の二重性」(ブルジョア的性格と社会主義的性格の二重性)の認識から出発し、そこにプロレタリア独裁論、ソヴェト民主主義論、社会主義経済論、国際政策などを、きわめて「相対的条件」のもとでの問題として展開する。
 例えば所有形態についてトロッキーの述べるところを聞いてみよう。
「マルクス主義者が当のマルクスにはじまって、労働者国家について国家的所有、国民的所有、社会主義的所有などの用語をたんなる同意語として用いてきたことはたしかである。大きな歴史の尺度で見ればそのような語法にとくに不便はなかった。しかし、新しい社会ーそれも孤立化し、かつ経済的に資本主義諸国におくれている社会の初期の、まだ安定していない発展段階が問題になるときは、それはたいへんな誤りとまったくの欺瞞の根源となる」(二九七頁)
 トロッキーは続いて私的所有と社会的所有との関係を国家的所有を媒介としての関係とて述べるが、それはブルードン派やバクーニン派と論争したマルクス本人とマルクス主義者の論理、国家論に厳密に従っている。トロッキーは同時に、「孤立化しかつ経済的に資本主義諸国におくれている社会の初期の、まだ安定していない発展段階」という形容詞をつけることを忘れなない。
 ここでの問題は、「国家的所有、国民的所有、社会主義的所有」の関係、あるいは「私的所有と社会的所有と国家的所有の関係」が、はたして一般現定としてなされているのであろうか、ということである。
 著者が述べていることは要するに国家的所有の段階が不可避である、ということである。「国家的所有は国家的であることを革めるにつれて社会主義的なものに転化していく」。そして現実の「ソヴェト国家が人民の上に高くそびえ立てば立つほど・・・国家はみずからが国家的所有の社会主義的性格に否定的にのぞんでいる」(二九八頁)と言う。
 二つのことを問題提起したい。一つはブルードン主義などの無敵府主義の流儀をとるのでないかぎり、国家を一挙に、主覿的に廃絶するような概念は否定される。そうであれば、所有の国家的段階も避けられないのではないだろうか。二つは、にもかかわらず発展した生産力・文化の社会においてはこの国家的段階の比重はかなりの程度小さなものにもなりうるのではないか、ということである。あるいは当初から、かなりの度合までに「自主管理社会への国家の溶解」(七九頁)に接近した地点から出発することが可能なのではないだろうか。
 国家形態についてはどうか。
 ロシアにおけるプロレタリア独裁とはなにかーその大部分が農民であり、絶望的な低水準にある工業とごく少数である都市のプロレタリアート、その少数のプロレタリアートのヘゲモニーによるロシア社会主義革命と、民主主義革命で留まろうとする農民層との不一致−外国からの反革命的干渉−これらが、プロレタリア独裁を必要とさせ、同時にその権力機構としてのソヴェトを必要とする、と述べる。(ロシアにおける)プロレタリア独裁論はしたがって、あくまでもロシア革命とそれによって誕生したソヴエト国家の諸問題の脈絡で語られている。
 彼は同時に、社会主義的要素が優越であればプロレタリア独裁の必要性は失われると強調する。(ソヴェト)国家の死滅の進行である。
 こうしたことからみて、考慮されるべき核心的問題は、プロレタリアートが多数である国々、すなわち先進資本主義諸国において、社会主義国家はロシア革命が直面した圧倒的多数の農民層の圧力を克服する闘い、そこから必然化されるプロレタリア独裁とその機構としてのソヴェトの堅持とは違って、直接に「死滅する」過程として自己を表現しうるという認識にある。
 その時には、プロレタリア独裁という概念が、ロシア革命を通じて印象化され絶対化したものとは異なった姿をもつのも当然といえるだろう。
 トロッキーの弁証法はこうした方法での問題把捉を指し示していると考える。


「二〇世紀社会主義」は、その矛盾を、「先進国革命」との結合という地平で解くことを決定的な命題としてはじまった。それは結果として、達成されなかった。
 しかし、その方法論の総体はさらに重要さを増している。
「不均等発展」はさらに拡大して展開されている!
「先進資本主義諸国」の到達している高い生産力水準が世界的な規模での社会主義への道を浮揚させるという、先人たちの卓見は、さらに大きな比重が与えられる必要があろう。その社会主義が、どのような姿を見いだすか、それはロシア十月革命モデルヘの固執、そのモデルの教条的絶対化とは反対の地平で見いだされなければならない、これからの課題である。
 今日のマルクス主義は、巨大な世界史的ダイナミズムを発揮した「二〇世紀マルクス主義」のその壮大な構想力を引き継ぎ、組かえ、必要とあらば先人たちが、マルクス主義の整合性の枠内で、その豊富化として少しも遠慮となく行った「修正」を今日の視点から押しすすめることで、「再生」させられろう。(三月五日)