1992年4月10日         労働者の力             第32号

PKO法案採決への動きと政界再編
川端 康夫

安保・自衛隊での政治大連合の本質を暴露しょう
                  左派の新たな政治結合をつくろう

政界再編諭の核心は
安保・自衛隊での大連合

 PKO法案を再度強行しようとする動きが浮上している。自民党は衆参同日選挙の脅しを前面に押し出しつつ、連合参議院を直接の対象として、PKO法案成立への策動を強めている。
 昨年秋の臨時国会で流産したPKO法案を改めて持ち出してきた背景には、カンボジアPKOへの日本軍隊=自衛隊派遣を強行する狙いがある。
 そして、民社党と公明党の綱引きのこじれから流産した経験から自民党は枠組みを自公ブロックから、民社および連合(参議院)を取り込んだものへと広げ、そこに社会党田辺執行部の「暗黙の了解」をとりつけつつ彼らに「表面的な抵抗」のポーズをとらせながら参院通過を図ろうというシナリオが描かれているようである。
 三月十五日、テレビ朝日の番組の中で、連合の山岸会長が個人的見解と断わりつつも、PXO法案支持の方向を打ち出した。連合は六月段階に「基本政策」の中間まとめを行うとも打ち出した。山岸見解は「自衛隊は専守防衛と文民統制を前提として認める」「国連平和維持活動(PKO)協力法案は社会党が何と言おうが必要だ」というものである。昨年秋の時点で山岸は、PKO法案の国会承認を条件として容認する方向を表明していた。こうした方向は民社党の方針を受け入れるものであり、ここにPKO法案成立への基本枠が見えだしたことを意味する。問題の公明党はPKO法案のうちのPXF部分の一時凍結という妥協案を出してきた。そして民社(および山岸)が主張する国会承認問題には、依然として不必要という態度を変えていない。もちろん連合参議院はイコール連合ではないわけだから、PKO法案支持という山岸の私見の立場を即座に容認するというスタイルにはならない。また公明党がその意地はりをひっこめることも即座には考えにくい。
 PKO法案の背後に、いわゆる「政界再編成」の構造が密接にからんでいる。この問題は参院選挙の過程で地ならしされていくというのがありそうなことである。
 政界再編成は、自公フロックという小沢−市川主導の流れが昨年秋時点で挫折した後の、社民結集論や自社連立論などのさまざまなアドバルーン合戦で一見はなばなしい。しかし、その実態は、いわゆる二大政党論などが示すように、安保、自衛隊問題に関する大連合ー自社公民横断の共通政策枠組み形成のための諸方策にほかならない。さらには原発容認・推進などの、日本資本主義の基本方向承認にむけた政治的共通枠組み形成への動きである。
 連合が主導する社民結集論が民社路線への社会党の屈服以外のなにものでもない以上、社会党の路線転換には事実上限度がないと同じである。
 政界再編のアドバルーンは社民結集論のほかに、金丸が主張する自社連立、合同論に社会党の久保副委員長が同調するという動きをも引き出している。公明党が一種疎外感を感じていることも的外れでとはいえない。

参院選と連合の会方式
希薄化する社会党

来るべき参院選(同日選挙になる可能性もあろう)は、基本的に政界再編のかけ声の中で、「安保・自衛隊」問題への起党派合意形成のセレモニーに転化する可能性が大である。社会党単独候補が群馬で惨敗した結果、なおのこと連合の会方式が、「反自民意識」を結集する位置を占める構造が見えてきている。奈良、宮城と続いた連合の会候補の勝利の流れがいつまでも持続するものではないであろうが、少なくとも反自民意識が社会党ではなく連合の会型に吸収されていく構造はある。土井ブーム時代と違って社会党が単独で反自民意識を吸引するよような雰囲気ではない。反対に社会党はますます独自存在の印象を薄くしている。
 連合の会方式とは、民社候補を社会党が支持するということでもある。たんなる政党の組み合わせに終わらない理由は、民社候補の多くは、まさに自民党以上の「軍国主義者」、自衛隊支持者である現実の反映である。
 広島選挙区しかり、そして東京選挙区の森田しかりである。森田を擁立することを社会党支持層がそのまま容認することは考えられない。一方では、多くの社会党支持層は、選挙戦では動かないこともあるであろうが、他方では、反自民意識を吸収するということにもなる。
 東京選挙区での森田擁立劇から見えるものは、もはや社会党の選挙いえるものではなくなった実感である。連合という巨大労組構造が議員集団の手足を縛っているだけでなく、労組員の動向にも少なくない圧力を加えている。社会党は連合という水路を通じて民社党の地平に誘引され、そして皮肉にも民社党が自己の固有の領域への社会党の侵食に抗議している。
 いずれにせよ、民社党は連合参議院との連携によって、「政界再編」劇において、公明党よりは強い位置を占めたいと考えている。その民社と連合参議院の折衝には、結果はどうであろうと、少々時間がかかる。それゆえに、PXO協力法案の「修正」のシナリオは現時点では不透明だ。が、公明、民社両党が自民党と共同して日本自衛隊の海外派遣を実現しようとしていることは変わらない。
 四月から五月にかけた一カ月が、日本軍隊の海外派兵が強行されるかのどうかがかかった時期となる。自公民のブロックで強行するのか(それは昨年度の臨時国会の再現だ)、それとも連合参議院を含んだ勢力となるのか、あるいは社会党の一部が公然と賛同する形にまで至るか……。
 連合が方針決定を六月に早めたことを見れば、それは参議院選挙のもっとも中心となる争点であるにはかならない。

新たな保革の分水嶺を
築く闘いが必要だ

 政界再編劇は、旧来の自民対反自民という図式が急速に変化、再編してきていることの反映である。
 連合の会方式の選挙が反自民勢力結集の方式として演出されている。だが現在進展している状況においては、与野党あるいは保守・革新の分水嶺が連合の会として作られるのではないと明確にいう必要があるのだ。
 社会党総体は、新たな状況の中で、流動的、過渡期の様相を示している。昨年秋に見られた党内護憲派勢力の派閥横断的登場をみればそういえる。だが、新たな状況とは、政策決定の重心がすでに大きく連合サイドに移行していることである。
 社会党、共産党の幅と広がりにおいて五五年体制革新が存在してきたとすれば、現在そうした幅と広がりは急速に失われはじめている。社会党自体が身動きできなくなりつつある。社会党がすでにまったく連合に支配されてしまったということはできないが、「左」にぶれる要素と基盤が急激に狭まってきていることは事実である。
 社会党を中心に問題をたててきた諸運動、諸勢力は、あらためてこうした新たな情勢を直視することを余儀なくされている。三月二十一日の東京選挙区をめぐる市民集会が如実に示したことだ。
 現時点において、独自の社会連動勢力が全国を横断する形で政治的な姿で登場していない。そうするためのそれぞれの主体的意思や準備が欠けていたことも事実である。連合形成を抽とした自社公民の合意形成というしかけが明確化してから二〇年を経過してきたのに比較すれば、状況への立ち遅れということも事実だろう。参院選への独自候補擁立が困難であるのもここに原因がある。
 しかし基本的流れは、そうした独自の政治勢力化あるいは横断的な結合の方向を客観性として提出している。社会党の内外あるいは共産党勢力を含んだ共同の作業によって、連合という形を通したヘゲモニーに対抗する独自の全国ネット形成が要求されたのである。
 三・二一集会で田英夫参議院議員は「平和、人権、環境をかかげた結合」を提起した。
 こうした指摘は、繰り返すが、ようやくはじまったばかりだが、彼らの労戦再編−政界再編に対抗する、独自の政治再編の萌芽がここにも見られるのである。

PKO阻止から新たな
民衆の政治勢力形成へ

日本自衛隊が現実に、有効な「戦力」として海外展開するためには、依然大きな障害がある。次の最大の政治争点は改憲そのものだろう。小沢調査会自身認めざるを見ないように、解釈改悪には絶対的ハードルが第九条として横たわっている。最後的狙いが改憲そのものであること、それを焦点をす見た主体的準備が必要だ。
 PKO協力法案阻止、カンボジアPKFへの自衛隊派遣阻止の闘いを、自社公民大連合形成の流れを打ち破る全国運動、横断的結合を意識した闘いにしていこう。
 結成が準備されている社会主義をめざす政治連合も当然以上の目的に対する視点をさらにとぎすませなければならない。
 PKO協力法案阻止/
 日本自衛隊のカンボジア
派遣を阻止しよう/
     (四月五日)

中労委の公約違反を許すな

    国鉄採用差別への
    裁定を無期延期

 中央労働委員会は三月三十一日を期限として、一連の採用差別問題に対する見解を明らかにすることを昨年十二月二十五日の会長談話として公約してきた。それが守られなかった。
 国労は三月下旬の三日間のストを打ち抜き、全国行動を波状的に組織しつつ、三月三十一日に備えてきたのである。いかなる裁定が出ようとも最終的勝利まで闘う決意のもと、国労の闘いは、中労委に裁定をもとめる闘いとして取り組まれてきた。
一連の地労委での国労側の全面勝利の中、事態は明白にJRの開き直りをとがめる命令を発することにしぽられている。が、中労委は、JRが「受け入れられる」解決案をひねり出すしとに奔走してき
た。それはJRを救済するために努力するということにほかならない。
 労働委員会が本来果たすべきなのは、労働者の救済である。そして事実、すべての地方労働委員会は、国労およびその他の労働者の提訴を是としJRを非とする裁定を下している。中労委はまさにJR救済にその役目を見出してきていると言わなければならないのである。
 地労委が一致して到達した結論を中労委がねじまげることは許されない。あまりにも理不尽すぎることは中労委にも分かっていることだ。だから、中労委は、両者の妥協という形を演出しようというのである。その妥協の舞台づくりがうまくいかない。そこで期限を無視することにしたのである。
 JRは裁判闘争を公言している。まったくの開き直りである。中労委はただ事態を引き延ばしている。国労は、裁判闘争も必要ならば受けて立つ覚悟でいる。中労委の判断留保、職権命令回避はただ国労例の妥協を前提とするものでしかない。
 即刻の命令を、という国労サイドの立場はまったく正しいのである。中労委は事態引き延ばしをやめるべきだ。
 国鉄構算事業団労働者が二度目の解雇をうけてから三年目に突入した。
 国鉄解体、国労解体攻撃のバランスシートは日々明らかになりつつある。日本全体の過疎化を促進し、過密化を演出した政策総体が問い直されるべき対象となりつつある。清算事業団に付託された膨大な赤字の解決の目途はすこしもたっていない。JR各社は安全性を犠牲にした営利優先の経営に走り、国労叩きをつうじて作り上げた強権的労務管理と御用労組の体系がいま全面的に崩れかかっている。旧動力車労組は、一転して組織防衛のストライキに訴えた。
 東日本、東海などを除いて、各社が軒並みに経営悪化に直面するのもそう遠い事態とはいえないのである。
 まさに国鉄解体という「国策」の総体があらためて問いなおされる局面が始まっているのである。
 国鉄採用差別裁判は、国鉄解体政策の根幹を問う裁判となるであろうし、またそうしていかなければならない。闘争団は自活の闘いの中で、この裁判を闘う体制を囲めている。国労の闘いから、国鉄解体を撃つ闘争へと闘いを飛躍させる基盤は十分にある。中労委の引き延ばし策を許さず、国鉄解体を問う全国運動に踏み込もう。

資料 中労委「会長発言」
 4・3・31三者懇談会
 JR関係の採用事件については、労使がこの問題で長期間争うことをせず、中労委段階で円満な解決を図り、健全な労使関係を形成することが望ましいとの観点から、昨年12月25日に関係労使に示した方針に基づき、1月以来、三者懇9回、労使からの事情聴取10回を開催したはか、公労使委員による個別折衝等を行い、種々努力してきましたが、労使の合意意形成はできませんでした。
 今後、中労委としては、なるべく早い機会に最終的な解決案を示して問題の決着を図りたいと考えています。
 その折りにはよろしく御検討、御協力をお解いします。

ソ連邦の解体とトロツキズム

                高木 圭


 「ロシアの労働者たちは他のものよりも早く出発したが、目標にはあとから到達するであろう。これは悲観論ではなくて、歴史的リアリズムである」――トロツキー『ロシア革命史』第3巻「一国社会主義論」

・はじめに

 一九九一年暮れ、人類史上最初の労働者国家・ソ連(ソヴェト社会主義共和国連邦の略称)が解体した。それに先立って、クーデターを試みたかどでソ連共産党が解散を命じられた。まさに激動する歴史の証左と言いうる事件の連鎖であった。
 こういった事態をどう評価するかで、これまで「社会主義」の旗を掲げてきたさまざまな陣営は揺れている。わが国際主義労働者全国協議会も例外ではない。本来、トロツキズム、すなわち二十世紀において古典的マルクス主義の旗をスターリニストの歪曲に抗して守護してきた思潮は、今回のような事態をもたじろがずに凝視しえ、未来の針路をも示しうる蓋然性を最も大きく与えられているはずである。にもかかわらず、その可能性を十分には生かしえてはいないように思われる。マルクス主義的思潮総体を襲っている深刻な思想的危機は、残念ながら、われわれをも捕らえていると言っても過言ではないのである。このような危機の到来には理由がある。単純に、これまでの思想が今回の試練に堪えるほど強固なものではなかったからである。
 今こそ、これまでの思想的遺産を総動員し、新たな歴史の試練を乗り越えてゆく理論を構築しなければならない時代が到来しているのである。

T・時代の診断――「復古」の時代の到来
 a フランス革命とのアナロジー

 「ソヴェト・テルミドール」――トロツキーは一九三六年、つかの間の亡命地ノルウェーでものしたほとんど最後の成書『裏切られた革命』の中で、労働者国家・ソ連邦を襲っている事態をこのような言葉で表現した。
 トロツキーにはロシアの革命をかつてのフランス大ブルジョワ革命とのアナロジーで捉えようとする志向が一貫してあった。彼は一九〇四年の『われわれの政治的課題』において、ボリシェヴィキの指導者レーニンを、その特異な主意主義的組織論をもって、新たなロベスピエールと呼んではばからなかった。フランス革命において容赦のないテロルをふるった恐怖政治の断行者ロベスピエールを想起してのことである。もっとも、こういったレーニン批判は後に、少なくとも部分的には撤回されるのであるが。
 いずれトロツキーは、スターリンの登場をもってロシアにおける「テルミドール」の実現と捉えていた。一九二四年レーニンが没し、一九二九年トロツキーが国外追放され、右翼反対派のブハーリンが権力から転落することによって、ソ連はすでに、一九一七年に掲げた社会主義革命の当初の理想からは遠く離れた政治体制に転化していたのだった。一九二八年の穀物調達危機に端を発する、スターリンによる農業の強制的集団化とそれに随伴する思想の全面的画一化(「マルクス・レーニン主義」の教条主義化・俗流化)は、生き生きした革命の息吹を根絶やししつつあった。
 ソ連史のすぐれた研究者・溪内謙氏が『スターリン政治体制の成立』全四巻(岩波書店)で詳細に論じているとおり、農業の強制的集団化はスターリンの覇権確立にとって決定的役割を果たした。同じ時期に、スターリンによって指導されていたコミンテルンが、社会民主主義をファシズムの穏健な一翼と見なす「社会ファシズム論」を展開していたことにも注目しなければならない。これらの冒険主義的諸政策は一体のものであり、革命を前進させるよりは、革命の理念を歪曲し、清算へと導くものであったことに留意すべきである。
 トロツキーは「社会ファシズム論」を破滅的であるとして批判する一方、農業の強制的集団化を、自らが唱えていた工業化政策とは似ても似つかない「経済的冒険主義」であるとして、『反対派ブレティン』などで国外から告発し続けた――旧左翼反対派のプレオブラジェンスキーらが、「工業化政策」に幻惑されて無残にもスターリンに屈服してしまったにもかかわらず。
 こういった全体主義的画一化によって登場したスターリン主義官僚体制を、トロツキーは「帝国主義に包囲された労働者国家のボナパルティスト専制体制」と規定した。ここにも、フランス革命とのアナロジーへの志向が表れている。「ボナパルティスト」とは、フランス革命の理念が退廃してゆく情勢の中で、その理念を継承すると称しながら骨抜きにし、軍事独裁体制を敷いたナポレオン・ボナパルト、ないしナポレオンの威光を借りて同様の政治を断行した彼の甥ルイ・ボナパルトに由来する用語にほかならない。つまり、トロツキーは、スターリンをナポレオン・ボナパルトと類比的に捉え、スターリン主義官僚体制をナポレオンの軍事独裁体制と同様のものと理解していたのである。
 それではこの間の事態の引き金にもなった、一九八〇年代中葉に開始されたゴルバチョフの上からの一連の改革はどのように理解されるべきなのであろうか? ゴルバチョフはたしかにスターリン主義的な強圧的な政治スタイルを改革しようとした。しかし、それは、労働者・農民から自発的な改革の意欲を引き出すかわりに、上から官僚的に政治・経済両面で改革を推し進めるものであった。それは、大局的なソ連政治思想史の観点から見れば、ブハーリン的、ないし社会民主主義的改革路線であったと規定することができよう。
 ゴルバチョフの改革はスターリン主義の尾ひれを多分につけたフルシチョフの改革とは異なり、斬新なものであった。それは、これまでの人間の肉声を伝えない官僚の作文とは異なり、何ほどかの期待を民衆に抱かせるものであった。だが、結局、思想の自由を保証するグラスノスチの側面では一定程度成功を収めたものの、経済的側面であるペレストロイカをうまく推進することはできなかった。
 政権末期のゴルバチョフに、主要に二つの勢力が反応した。第一は共産党上層官僚であり、第二はエリツィンに率いられたいわゆる「急進改革派」である。スターリニスト・ノーメンクラトゥーラは、ついに一九九一年夏クーデターというほとんど信じられないほど拙劣な手段に打って出た。結果は、あまりにも惨めすぎる失敗であった。クーデターの試みに対して、改革の味を知ってしまっていた市民は抵抗した。市民は雑多な勢力の集合体であったろう。が、その中で政治的ヘゲモニーを握ったのは、すでにロシア共和国大統領職に就いていたエリツィンであった。
 エリツィンは、グラスノスチの急進的推進者であると同時に、経済のほとんど全面的な市場化の政策の唱道者でもあった。彼は、ゴルバチョフと異なり、もはやスターリン主義官僚には何の未練を持っていなかった。ソ連を解体するに当たり、これまでのロシアがうまくいかなかったのは、「共産主義イデオロギー」のせいであり、「社会主義」への執着を自分はまったく持っていないことを吐露するような政治思想の持ち主であった。彼は、「悪は共産主義なのであるから、ロシアの民族性には誇りを失わないように」と市民にテレビを通じて演説してはばからなかった。
 なるほどエリツィンのいう「共産主義」は、スターリン主義とほとんど同義なのかもしれない。しかし、これまでのソ連の指導者とエリツィンは明確に異なる。歪曲された形ではあれ社会主義の理念を保持したゴルバチョフと異なり、彼がそれらをはっきり「悪」と断言する政治指導者であることは疑いようもない事実なのである。
 かつて来日もしたボリス・カガルリツキーは、スターリニスト官僚が不倶戴天の敵とする思想家は二人いると述べた――ソルジェニーツィンとトロツキーにほかならない。エリツィンの友は、少なくともトロツキーではない。エリツィンは、まったく同一というわけではないが、むしろソルジェニーツィンに近い思想の持ち主であることは想像するに難くない。実際、ソ連の赤旗の代わりに、クレムリンに彼が立てた旗は、ロマノフ王朝の旗、ロシア民族の旗なのであった。

 b エリツィン体制の評価

 われわれはいったいどちらを支持すべきだというのであろうか? クーデター派か、それともエリツィン派か? こういった二者択一のことを「不毛な選択」という。
 一九九一年暮れのソ連の消滅は、先ほどからトロツキーに倣って進めてきたフランス革命とのアナロジーを外挿すれば、一八一五年のナポレオン軍事独裁体制の崩壊と似ていると言わなければならない。ボナパルティスト体制は消滅した。しかし、それを消滅させた者の中で、新たな覇権を握ったのは、革命の理念を守護する者ではなく、むしろ革命総体の理念の不毛をうたう者であった。その結果出てきたのが、国際的には「冷戦」の終結であり、新たな国際秩序なのである。ちょうど、かつてナポレオン戦争の終結とともに、ウィーン会議が新たなヨーロッパ政治秩序の創出をうたったように。
 誤解を招かないように言っておけば、ソ連の解体がナポレオン体制の崩壊と同一だと主張しているわけではない。あくまで「似ている」と言っているだけである。ナポレオンのフランスからの追放とともに、「王政復古」(レストレーション)が成し遂げられた。しかし、それはフランス革命以前への全面的復帰を意味したわけでは必ずしもない。いわば「社会心理的」な「復古」を意味した。革命への怨嗟の気分が流れ、革命時代の負の効果(恐怖政治など)が、あらゆる革命にとって必然的であるかのような思想が説かれるようになり、実際、民衆もそれに同調する気分が一般的になった。まさしく、「マルクス主義」とか、「共産主義」とか、「社会主義」といった言葉に現在、世界の人々が感じているのは、「復古」(レストレーション)の気分なのである。人々の気分の振り子は歴史とともに揺れるのである。
 それでは、エリツィンが今推進していることは、ある論者たちが主張するように「反革命」なのであろうか? おそらく、否であろう。民衆の意識はどうであったか? 彼らの攻撃対象は明らかにスターリニスト官僚であった。これまでソ連の民衆を抑圧していたのはスターリニスト官僚であり、したがって彼らの打倒対象がスターリニスト官僚であったのはごく自然なことであった。
 しかしながら、それではわれわれはエリツィンに率いられた「急進改革派」の綱領に全面的な支持を与えるべきなのであろうか? 答えは、これまた否であろう。ここ数年ペレストロイカの鋭利な分析を進めてきた上島武氏は最近「エリツィンの経済綱領――もう一つの見方」(藤井一行編『新ロシアの基本問題』窓ブックレット4、所収)と題された論考の中で、エリツィン派の経済綱領を、「自由な競争的市場経済というより官僚的資本主義、あるいは国家独占(寡占)型資本主義とでも呼ぶべきものである」と示唆しておられる。上島氏はさらに、少数派ながらずっと後に「下からの」社会主義の模索を始める勢力も出現する可能性があると指摘した上で、「もろん、今はその時ではない」と言っておられる。
 おそらく上島氏の診断は正しいであろう。われわれは、しかし、まさに今、いかに少数派であろうと「下からの」社会主義の建設を説き始める。エリツィンの旗は決してわれわれの旗ではない。フランス革命の共和主義の理念を守り抜こうとした人々、あるいはその左派に位置するバブーフ的平等主義者が、ナポレオン体制崩壊時の「復古」の思想に合流するわけにはいかなかったようにである。われわれはあくまで、スターリン主義官僚に抑圧されてきた労働者・農民の諸権利の擁護のために、そして社会主義の民主主義的・国際主義的復権の旗を掲げる。それこそ、たとえ少数派であれ、スターリン主義官僚のクーデターに抗して決起した労働者の最左派の掲げていた旗であり、モスクワを拠点にして第四インターナショナルが現在始めようとしている活動の象徴なのである。
 ソ連の解体によって敗北したのは、明確にスターリン主義の「一国社会主義論」=「国家社会主義」である。古典的マルクス主義はなるほどそのことによって勝利したわけではないが、不死鳥のごとく再び社会主義に挑戦しようとする。もちろん、スターリン主義者や、あるいはひょっとしてレーニンやトロツキーすら犯していたかもしれない誤りをも総括し、新しい理論的武器を携えて。
 省みて、一八一五年の時点で、フランス民主主義革命の理念を支持しつつ、ナポレオン軍事独裁に抵抗した共和主義最左翼・民族解放派はどうしたであろうか? 彼らは、テロルに反対したジャコバン主義者の最良の理念を保持し、あるいはバブーフの平等主義を継承しながら、王政復古体制と闘争することをも忘れなかった。その闘争が、十五年後のフランスでの一八三〇年七月革命を導き出し、さらには一八四八年の全ヨーロッパ規模での革命を引き出したことは周知の事実である。前者は、サン・シモン主義など「空想的社会主義イデオロギー」の形成に連なり、後者は、マルクスやエンゲルスらの本格的な共産主義思想の成立を促す契機になった。
 エリツィン指導の独立国家共同体(CIS)には、ソ連に対して用いられた「労働者国家」という観念はもはや妥当しない。それは、旧ソ連より「進んで」いるかどうかはともかく、たとえ歪曲された形態であれ「社会主義」を目指す政治体制ではなくなったからである。注意しておくが、トロツキズムの「労働者国家擁護」というスローガンが間違っていたわけではない。変わったのは、ロシアの政治経済体制の方なのである。
 第四インターナショナルは、そのパブロ主義的過去と明確に決別すべきである。もはや「労働者国家」の軍事力に依拠して政治戦略を立てるわけにはいかない。
 中国やベトナムやキューバなど、いまだに「労働者国家」と呼ぶに値する国家に関しては「労働者国家擁護」のスローガンを掲げ続けるべきである。そして、中国や北朝鮮では、即座の「政治革命」を提起すべきである。また、キューバについては、民主主義的権利など(分派結成の自由など)を大幅に認め、「一国社会主義」イデオロギーへの固執を捨てるように要求すべきである。
 もちろん、これらの政治的綱領を実現するには、これまで主としてスターリン主義が蓄積した「負債」をも返済しうる理論の再構築が前提されなければならない。古典的マルクス主義=トロツキズムは、そのための最良・最大の遺産である。それは創造的に継承されねばならないのである。

U・新しい修正主義論争

 トロツキズムは古典的マルクス主義の最大の遺産継承者と言っても言い過ぎではない。が、最大の遺産継承者が自動的に繁栄を誇れるわけでは無論ない。マルクス主義は不断に時代のもたらす課題に挑戦してゆかなければ、朽ちてしまう危険を常に抱えている思潮であると言ってよい。それほどもアクチュアリティを求められる思想なのである。
 ところで、東欧・ソ連の激動を受け、マルクス主義を未曾有の危機が襲っている。十九世紀末から二十世紀初頭に起こったマルクス主義の危機と同様の情況にあると言うことができるかもしれない。かつての危機に際して展開されたのが、いわゆる修正主義論争であった。「マルクス主義の終焉」が叫ばれ、「ポスト・マルクス主義」が唱えられている今、新しい修正主義が歴史の舞台に登場していると言っていい。
 マルクス主義は十九世紀の中葉、ヨーロッパの産業資本主義の興隆を背景に、その矛盾の抜本的解決策として生誕をみた。その思想は、マルクスの無二の共同者エンゲルスと、彼らの弟子たちによって継承されていった。弟子たちの中で最も有能な理論家がカウツキーであった。彼は、第一次世界大戦が勃発し、彼を含む社会主義の旗を掲げる者のほとんどが戦争に反対せず帝国主義に屈服してしまうまで、マルクス主義の最高権威であり続けた。
 マルクス主義がその古典的原則を守り通しさえすれば安泰であるかのような幻想はカウツキーの例が打ち破ってくれる。十九世紀末、歴史に新たな現実が訪れ始めていた。第二次産業革命が起こり、近代科学技術が経済システムに大規模に参入しただけでなく、ヨーロッパ資本主義強国が、その経済力をふんだんに利用して非西洋地域を植民地として従えるにいたったのである。帝国主義の登場である。
 このような新しい現実に対応して、マルクスの教義を修正しようとする論者が出現した。カウツキーと並んでマルクスの有能な弟子と目されていたエドアルト・ベルンシュタインはそういった一人であった。今日ベルンシュタインは「日和見主義」のレッテルを張られて、それでお仕舞にされてしまうのが一般であるかもしれない。けれども、彼は単なる戦術的日和見主義ではなかったことに注意すべきである。彼はたしかに、現実を直視し、先進資本主義国のプロレタリアの窮乏というマルクスの観察に批判的目を投げかけた点で、一定の洞察力を示しえたのであった。最大の権威であるカウツキーの方がむしろ、マルクスの教義に教条主義的に固執したことで、かえって現実から離反する結果になったことも併わせて見ておかなければならないのである。
 マルクス主義者の中には、ベルンシュタインと同様、現実認識や発想の転換を図りながら、しかしマルクスの革命的伝統を守ろうとする者もいた。ロシア出身のマルクス主義者であるパルヴスやトロツキーやレーニンは、そういったタイプのマルクス主義者であった。
 彼らロシアの革命的マルクス主義者は、主要な矛盾は周辺資本主義国、特にロシアにある、と見た。こうして遂行されたのが、一九一七年のロシア社会主義革命なのであった。だが、その革命の指導者であったレーニンもトロツキーも、ロシアでプロレタリアが権力を獲得することは予見し、実際そのために闘い勝利したものの、そこで社会主義が実現されるとは考えなかった。その点で、彼らはマルクスの教えに忠実であった。
 社会主義がロシアのような後進農業国でも実現できることを主張したのが、ほかならぬスターリンであった。それは一九二四年秋、レーニン死後のことである。スターリンは自分の主張を実現させようと、歴史の趨勢に暴力的な大ナタをふり下ろした。それが、前述の農業の強制的集団化に始まるスターリン主義的計画経済の内実だったのである。
 スターリンによるボナパルティスト的政治スタイルは、残虐な大粛清にもかかわらず、第二次世界大戦でソ連民衆を動員することに成功し、戦後の東欧や中国の民族民主主義革命を後援し連携することによって生き延びた。キューバやベトナムの革命でも、スターリニスト官僚はかろうじて革命の側につくことができた。これら一連の事態が、人々をしてスターリニズムを「マルクス主義」と等置させ、トロツキズムのパブロ主義的傾向を生み出した理由だったのである。
 そして今、スターリニズムがもたらした一連の革命とその歪曲が一緒になって、音をたてて崩壊しつつあるのである。こういった一連の事態に驚き、マルクス主義の終焉を唱える論者が出て来てもおかしくはない。実際、マルクスやレーニンやトロツキーなどの古典的マルクス主義者とその歪曲者スターリンを一緒にする思想傾向を持ち、現代の世界で有効なのは民主主義という一般理念であることを説く加藤哲郎氏などはその一人である。「新修正主義」の登場といってよい現象であろう。
 他方、依然として「教条主義」も「健在」である。旧ソ連のスターリン主義的「国有経済」(実際には「中央官僚指令経済」)を理想化し、それを擁護することが「社会主義」であるかのような幻想を持ち続けている者がいる。
 また、狭隘なセクト主義的組織論を「レーニン主義」であるとして墨守する人々もいる。レーニン主義的組織論は、帝政ロシアの専制政治体制では必須のものであったであろう。その安易な清算には慎重であるべきだが、同時にスターリン主義が「レーニン主義」の特異な卑俗化であったことをも忘れるべきではない。レーニンの精神性を継承した上で、セクト主義に陥ることのない、闘う側が誤ちを犯しうることをも想定した組織原則が打ち立てられねばならないであろう。
 「マルクス・レーニン主義」の「正統派」と見なされてきたスターリン主義からは異論派として抑圧されてきたグラムシ派・ローザ派などと交流を深め、教条主義的ではない、アップ・トゥ・デイトな新しいマルクス主義理論とそれに基づく実践のスタイルが追求されなければならない。
 その際、現実にある問題に即応する柔軟な態度を保持するとともに、古典的マルクス主義には定項と言うべきものが存在していたことにも留意すべきである。古典的マルクス主義は一般に経済の社会化を追求するが、このことがスターリン主義的中央集権的経済システムを直ちに意味するわけでないことは言うまでもない。富の偏頗を修正し、共同体のそれぞれの成員が活性化しうるような経済システムの建設が「共産主義」(コミュニズム)の原義であることを片時も忘却すべきではない。その意味で、市場化も社会主義と必ずしも背反することがらなわけではない。実際、トロツキーとレーニンは、一九二〇年代初頭、市場原理を盛り込んだ「新経済政策」(ネップ)を採用した。
 そして、革命論に関して、革命的マルクス主義は一貫して「永続革命論」と名づけられるべき戦略を採ってきたことを銘記すべきである。マルクスは、社会主義革命は最も急進的なプロレタリアートがいるフランスから起こり、最も先進的な経済システムを持つイギリスへ波及してゆくものと考えた。これが「永続革命論」の原型である。
 さらにトロツキーは革命はロシアから始まり、ヨーロッパへ進撃してゆくものと考えた。そして結局、「ヨーロッパ社会主義合衆国」の建設を目指した。また、一九二六年の講演『ヨーロッパとアメリカ』以来、社会主義をアメリカを包含した形で建設するプログラムをも自分の思考の射程に収めるようになっていた。この考えはグラムシに影響を与えた。
 あらゆる教条を排し、しかも現実に革命的に対応する姿勢を堅持することが肝要である。これが、現在展開されつつある「新修正主義論争」に臨むわれわれの基本姿勢でなければならないのである。

V・現代社会主義の綱領

 マルクス主義が現代においても有効であることを主張する者は、現代の政治経済体制が抱えている主要矛盾を抜本的に解決できるのが依然としてマルクス主義であることを積極的に示さなければならない。マルクス主義はともかく資本主義的政治経済システムの根源的批判の綱領として成立をみた。この基本性格は不変である。したがってまた、資本主義体制の変容に応じた綱領の不断の改変もマルクス主義の課題であると言わなければならない。
 マルクス主義は、そのスターリン主義的歪曲によって巨大な負債を抱えるにいたったが、一方資本主義体制も断じて安泰というわけにはいかない。資本主義はこれまでの累積する矛盾を、不断に先送りにし、「周辺部」に追いやる形で帝国主義本国内の労働者を馴致してきたことを忘れるべきではない。その先行きには巨大な暗雲が垂れ込めているのである。
 それでは、現代資本主義が抱えている主要矛盾とはいったい何か? その分析を試み、素描してみよう。

 a 地球生態系の危機

 これまでの帝国主義がその矛盾を本国の「周辺地域」に強制していたとすれば、現代資本主義はその主要矛盾を「自然」に強制している。人間の自然性の搾取と自然そのものの搾取は同根なのである。従来のマルクス主義は、生産力の拡大こそが社会主義的生産様式の到来を促すと考えた。この考えは必ずしも間違っていたわけではない。
 しかし、自然から人間が無限に富を獲得できるとする考えが誤りであることが近年認識されてきた。今、原子力を何か錬金術にも似た科学技術の力によって安全なエネルギーとして利用しえるかのような幻想をもつ者は、皮肉にも社会政策的に最も反動的な論客のみである。理性的にものを考える自然科学者はむしろ原子力が危険なエネルギーであり、「未完」のテクノロジーであることを訴えるのを常とする。また、社会政策的な改革の推進を唱える者は、自然の「開発」よりは自然の保護を主体とする政策を掲げる。
 今や科学技術力によって生産力の拡大を訴える形態の社会主義、「空想的社会主義」=サン・シモン主義が終わったことが確認されるべきである。その代わりに、自然環境に十分配慮した上で、科学技術を労働者の生活の質を向上させるために最大限運用する形態の社会主義の綱領が追求されねばならない。このことは、いわゆるエコロジストの専売特許ではない。われわれは環境問題を、普通のエコロジストのように個々の市民の心がけに帰着させるに止どまることなく、システマティックに労働者と地域住民のグローバルな問題として捉えようとする。このことは日々、すでに「自然発生的に」労働者によって実践されることである。また、ドイツ社会民主党左派のラフォンテーヌによって綱領化されていることがらである。
 意識的な自然科学者によって時に訴えられているように、資源・エネルギー・自然環境は、経済活動の理性的コントロール、ある種の計画経済によってでなくては、十全には保全されない。今や「環境社会主義」=エコロジー計画経済が綱領化されるべきである。現在の資本主義的「発展」によって自然が「開発」され続けると、半世紀後には地球は人間の住めるところではなくなる――これが理性的な自然科学者の現時点での予測である。社会主義だけが地球環境を救う可能性を与える。

 b 後進資本主義国の破産

 帝国主義はいまだに政治的にも経済的にも「健在」である。他方、先進資本主義との絶望的な経済格差のもとで後進資本主義諸国は生き延びの方策を探し求めている。それらの諸国の指導者は、いかなる政治イデオロギーを採用するのであれ、社会民主主義的、すなわち改良主義的方策によっては社会改革を推し進めることはできない。「国際通貨基金」(IMF)体制は端的に打破されるべき対象である。悪徳サラリーマン金融への大口の「まじめな」借金返済がばかばかしいように。
 ラテンアメリカやスリランカでトロツキズム=革命的マルクス主義の大衆運動が健在なのには確かな理由がある。そこでは、社会民主主義は資本主義とそれほど大差ない。永続革命の政治戦略がここでは蓋然性を持ち、大衆運動を従えうる。
 アジアの後進・中進資本主義国、韓国や南アジアでは、スターリン主義から解放された革命的社会主義の運動が成立しうる。われわれはこれに直ちに連帯すべきである。

 c 先進資本主義国の新たな矛盾

 一九八〇年代の先進資本主義諸国の経済政策の基本は、勝ち誇る極端な「私有化」=「民営化」というべきものであった。イギリスのサッチャー、わが国の中曽根康弘、アメリカのレーガンなどが、この政策の実行者であった。この政策の根底は、特定資本を太らせ、経済ナショナリズムを強化することにある。この政策には、左翼の論客のみならず、ケインズ派経済学者たちまでも、言語道断の策として激怒した。
 現代日本のブルジョワ・イデオローグたちは、日本の経済的「豊かさ」を誇示することを常とする。しかしながら、本当に豊かになったのは、大蔵省の特異な税制や通産省の特定企業優遇策などによって潤った、特定金融資本や特定大製造業のみである。彼らは余剰資本を海外に投資して土地を買いまくり、アメリカでのホームレスの原因の一つを作っている。
 他方の労働者は「豊かな」大資本との巨大経済格差のもとに、「豊かさ」から取り残されている。国際的にいかに日本の労働者が貧しいかを、暉峻淑子氏はその著書『豊かさとは何か』(岩波新書)の中で、実に説得的に解説している。土地・住宅・福祉・労働者の権利、これらすべての点で、わが国の労働者は、アメリカやヨーロッパの労働者より、議論の余地なくはるかに貧しい。過労死、長時間労働、長時間通勤、土地なし住居――これらは日本の労働者の貧困さのメルクマールなのである。
 このように労働者が、貧富の格差の相対的拡大のもとに置かれている一方、農業・漁業は、自然環境ともども、危機に瀕している。三里塚の農民が現代資本主義に対する最も根源的な異議申立人であるのは偶然ではない。彼らは、通産省主導型の経済政策の犠牲である農民の象徴なのである。
 女性はこういった経済政策の犠牲の重要な構成要素である。彼女らにさまざまなしわよせが強制されている。パートタイム労働、老人看護、男労働者との賃金・身分格差など、女性たちに対してあまりに差別は激しい。矛盾の象徴的集約点は、劣悪な条件下で過酷な労働を強いられている女性看護労働者である。
 これらの諸問題を抜本的に解決する社会主義的綱領の作成が急がれねばならない。

 d 組織原則の見直し

 日本の社会民主主義は、「連合」という階級統合型労働運動に取り込まれつつある。その一方で、共産党はあいも変わらぬボナパルティスト型のセクト主義組織論を採って労働者の階級的団結の障害になっている。新左翼各派も共産党に劣らぬセクト主義で、闘う大衆を引き付ける勢力にはなりえていない。
 闘う主体は、しかし、多くのブルジョワ・メディアに囲まれながらも、成熟し覚醒していると言ってよい。現代の青年が自己の未来を託すことができるような社会運動とそのための政治組織の形態が探求されるべきである。

 以上、現代社会主義の綱領的立脚点を四点ほどに整理して述べたが、それらは闘いの現場でさらに彫琢されるべきことは言うまでもない。
 われわれは国際的交流を通じて、海外の社会主義勢力がいったいいかなる綱領を掲げて闘っているか知るべきである。少なくとも最小限綱領に関する限り、スウェーデン社会主義、ドイツのラフォンテーヌのエコ社会主義、フランス社会主義、イギリス労働党などから学ぶべきことは大いにある。われわれは、エコロジスト、フェミニストの大衆活動からも多くのことを学ぶことができる。
 にもかかわらず、われわれはそういった階級的社会運動の中にあって、団結を保持しつつも最左翼の立場に立ち、革命的マルクス主義の原則を堅持する。
 ラテンアメリカの同志たちは大衆運動を従えて健在であり、ヨーロッパの労働者同志たちは統一したヨーロッパ労働運動の構築のためにに奮闘している。スリランカでは新たに、かなり大衆的な数千人規模の構成員を擁するスリランカ支部の再建に成功した。
 旧ソ連を初めとする東欧諸国においてもトロツキストの活動が開始された。そこでは、トロツキーの『裏切られた革命』やチェコスロヴァキアの同志ペトル・ウフルの『囚われた社会主義』が活動の古典的典拠になっている。
 かつて修正主義論争が展開されている最中、マルクス主義の革命的伝統を守ったローザ・ルクセンブルクは、資本主義は野蛮化する運命にあるものと捉え、それに文明の守護者である社会主義を対置させた。この対置は依然として正しい。現代資本主義において、「野蛮」は馴致されているだけである。ただし、社会主義が野蛮な権力を奮ってはならない。これが、一九九一年まで続いたスターリン主義時代の最大の教訓である。
 教条主義を廃した真のオプティミズムの旗、革命的マルクス主義の旗は、新たな息吹をもって掲げ直されねばならない。現代にあって社会主義の最大限綱領を掲げうるのはまずわれわれである。試練は厳しい。そう、試練が厳しいからこそ、厳しい現実に挑戦し、共に闘おうではないか!

新刊紹介 宇沢弘文著 岩波書店
「成田」とは何か―戦後日本の悲劇―


時代の転換を反映

 岩波書店も味のあることをするものである。トロツキーの「裏切られた革命」を文庫で出版し、そして「『成田』とは何か―戦後日本の悲劇―」と題する三里塚闘争にかかわるものを新書で出版したことである。
 三里塚とトロツキー――これは、新左翼的世界の象徴であり、長い間、歴史的に不当な評価をされてきた。これを岩波書店がとりあげたことが、歴史の変化を感じさせる。しかも、時代の大きな転換の中で、新左翼のラジカル性が位置を失いつつあるかのような懸念をもたせるものでもある。この感じは、今の流れへの悲観的な見方がなせるものかもしれないが。
 岩波書店がはじめて三里塚に関して出版した新書「『成田』とは何か―戦後日本の悲劇―」の著者は宇沢弘文氏である。氏は、三里塚を今揺さぶっている公開シンポジウムにおける学識経験者で構成されている隅谷調査団の一員であり、シンポジウムにおいて三里塚反対同盟(熱田派)の後見的役割を果たしている経済学者である。
 この新書は、「成田闘争の軌跡」として雑誌世界に五回にわたって連載された論文を「ほぼ原文通りに」(はしがき)集録したものである。その論文の内容は、一九七九年の話し合い問題を含めて、闘争の歴史にかなり詳しくふれている。七九年の話し合い問題については深く知っていない私には、興味深いものがあった。
 読後の感想としては、この宇沢氏の意思が率直なだけに、宇沢氏と深くコミットしている反対同盟にこれでよいのかという思いが残る。
 宇沢氏がなぜこの論文を連載したのか、その意図を紹介次の点にある。
 「それは、一九九一年五月二十八日に出された運輸大臣声明『二期工事の土地問題を解決するためには、いかなる状況においても強制的手段を用いないことを確約いたします』によって、成田空港問題に対して、社会正義に適った解決の途を見出す可能性が開けたという確信にもとづくものであった」(はしがき)
 そして氏の成田闘争の総括として、「成田闘争の軌跡を明らかにすることによって、戦後日本が直面した最大の悲劇としての『成田』の本質を見究めることができるようにも思われる」(はしがき)
という。そのうえで、
 「成田闘争の最大の問題点は一言で表現すれば、日本の政治権力の腐敗である」(第6章 成田闘争の軌跡(5))
と結論する。そして
 「国家権力の不当な行使に対して、土地を守り、自らの魂を守るという『起義』はかつては、空港建設反対というスローガンに集約されていたが、いつの間にか空港反対というスローガンのみが目的化してしまったのではないだろうかという意味で心情的風化といったのであるが、それは、表層的な理解にすぎないことを、九日夜おそくまで、反対同盟の若い人々の話(奥田運輸大臣発言をめぐる反対同盟内の話し合い K注)を聞き入りながらつよく感じた。公開シンポジウムがどのような経過をたどりどのような結果を生み出すか予断を許さない。しかし、石毛さんを中心とした、この若い人々が、がっちりしたスクラムを組んで、ウイングにボールを回して、みごとなトライを決めることは間違いないように思ったのである」(前同)と。

社会的費用論の意味

 「空港反対というスローガンのみが目的化してしまった」ことを三里塚闘争の「心情的風化」と評価することは、「政府・公団とは水と油である。話し合い絶対反対」で闘ってきた従来の三里塚闘争への否定的な立場に立つことである。そして宇沢氏の立場は、反対同盟を路線転換させ、「解決」を目的化する方向へと加速化していくことになるであろう。
 別のところでは、
 「現行の土地収用法は、経済思想の観点からみるとき、ケインズ主義の考え方を法制化したものであるといってよい。ケインズ主義の考え方をもっとも端的に表現するものとして、『ハーヴェイ・ロードの要件』という言葉が用いられている。これは、統治機構としての国家が、一般大衆よりすぐれた知識と大局的観点をもって、一般大衆にとって望ましい政策を選択して、実行に移してゆくという考え方であって……成田問題は、この、ケインズ主義の考え方にもとづいた土地収用制度が、非民主主義的、専制主義的政治機構のなかで、その極限にまで推し進められた結果として起こってきたという面をもっている。それに対して、反対運動の政治思想的背景には、マルクス主義的な考え方が、その基礎に存在していることは否定できないように思われる。マルクス主義的な発想を、成田闘争という場で、どのような形で具体化し、現実の戦術的枠組みにまで構築してゆくかという点にかんして、きわめて多様な、ときとして矛盾するような形態をとってきたということが、私たち第三者にとって反対運動の性格を理解しにくいものとしてきたように思われる。
 公開シンポジウムは少なくとも私にとって、ケインズ主義とマルクス主義という、経済学を支配してきた二つの亡霊に別れを告げ、その思想的桎梏から解放される契機を与えるものとなっている」(第6章 成田闘争の軌跡(5))
 「考慮しなければならないのは、二期工事の建設過程ならびにそれが完成して成田空港の規模が拡大されたときに惹き起こされる社会的費用についてである。これは、一期工事のみで営業されている現行の空港によって惹き起こされる社会的費用をはるかに超えた範囲と規模をもつ。一期工事の社会的費用については、その発生によって侵害されつつある市民の基本的権利をいかにして修復するかという事後的解決しか考えられない。もちろん廃港という選択肢は論理的に可能であるが、廃港にともなう社会的費用はさらにいっそう大きなものになることは疑う余地がないであろう。二期工事にともなう社会的費用は決して、一期工事の場合のように、事後的処理に寄って済ませてはならない。反対同盟と政府との間の話し合いというとき、その主要な目的は、二期工事にともなう社会的費用を明確にして、それを内部化するために、二期工事の規模をどの程度にすればよいかということについて、理性的に討議しようとするものである。そのためには、成田空港の全体的設計について、大幅な縮小、修正を加えなければならないであろう。政府がこのように対応するとき、たんに成田空港問題に対して、社会正義に適った解決の道が開けるだけでなく、広く国民の間で、政府・運輸省に対する不信感を取り除くことを可能とするものである。公開シンポジウムが、このような道を開く契機となり、『徳政をもって一新を発す』ことになることを期待すること切なるものがある」
と述べている。
 まさにここに、反対同盟の後見的役割を果たそうとする宇沢氏が公開シンポジウムに期待するものが率直に述べられている。あまりの率直さゆえに、これ以上付け加えることはないであろう。
 ただ、この機関で進められている公開シンポジウムが、公開シンポジウムに反対ないし態度保留している反対派農民への「強制執行」にならないことを祈るだけである。
 「地獄への道は善意で敷き詰められている」
 (一九九二・四・四 K)