1992年7月10日         労働者の力             第35号

参院選
東京、広島で相次いで反PKO法の候補擁立
東京では弁護士の内田雅敏さんが
市民運動を背景に出馬

 われわれは先号において、現在闘われている参議院選挙の核心問題が、日本自衛隊=軍隊の海外派兵の突破口であるPKO協力法への対応にあることを訴えた。PKO法案強行採決に踏み切った自公民三党ブロックに対する社会党の抵抗は、社民勢力結集論による「連合の会」方式の選挙共闘の押し付けに抵抗する広範なうねりを呼び起こし、問題となっていた東京、広島の両選挙区で相次いで、それぞれにタイプは異なるが、反PKO法候補の擁立へと結実した。東京では市民運動のイニシアチブにより弁護士の内田雅敏さん、広島では社会党県本部の総意を体現して、県本部組織部長で日本婦人会議の栗原君子さん。森田擁立反対をめぐって揺れ動いてきた東京選挙区では、明確にPKO法反対をかかげる内田候補の出馬によって、多くの市民運動や非・反連合の労働運動が内田支持で動きだし、選挙情勢は一挙に流動化した。PKO法・自衛隊海外派兵は選挙戦の焦点となり始めた。われわれは、東京選挙区において、上田耕一郎候補とともに内田雅敏候補への支持をよびかける。一人でも多くの自衛隊海外派兵反対の候補の当選をめざして。 

衝撃を与えた参院社会党の闘い

 自公民三党は、自ら提出したPKO協力法案の修正案をなんらの実質討議を行わずに強引に成立させた。六月に入って、参議院は大荒れに荒れた。
 社会党参議院などの抵抗は、記録的な牛歩戦術を貫徹し、テレビ報道を通じて与えた印象は、まさに衝撃的であった。長らく永田町政治の、あるいは国対政治の枠組みに浸り続けてきた議員集団にとって、あのようなまでの抵抗戦術が敢行されるとは、予測をはるかに越えた事態だった。
 自公民三党の議事日程のスケジュールは大幅に遅れ、仮に参議院社会党が明らかにしていた諸議決案件のすべてが提出され、かつそのすべてに記録的な牛歩が貫徹されるなら、PKO法案の採択が不可能になるのではないかという観測まで飛び出していた。
 一つの案件の議決が十二時間にも達するという前代未聞の牛歩戦術、議場閉鎖された中での生理的、体力的限度までの抵抗戦術に全国の関心が集中したのは当然だった。自公民三党の言い分は、ただ審議時間の長さのみを主張するだけであり、この法案の性格についての真摯な検討を進めようとするものではなかった。反対に、いかに問題点が明るみに出ないように、論議ぬきで事を進めようとする意向が見え見えだったのである。
 参院社会党の抵抗の貫徹は、共産党の同調にとどまらず、進民連も同調し、そして連合参議院が公然とは背を向けることができない事態をつくりだした。

参院での闘いを支えた
市民と労組の運動

 連日、参院議員面会所前にはPKO法案反対を叫ぶ市民が集まり、法案採択への抗議と社会党などの反対党への激励を続けた。憲法を活かす会を中心として急きょ結成された「PKO法案を廃案へ全国実行委員会」は社会文化会館(社会党本部会館)を結集場所として、随時集会と請願行動を組織した。集会と行動には、鮮明に「PKO法案の廃案」をめざす、社会党系や無党派市民、そして明確な「連合」系列ではない労働組合活動家が多数結集し、これまた連日の動員を続けた共産党系団体と重なりあいながら請願行動とデモを繰り返した。
 議面前の狭い空間には、あたかもかつての安保闘争を思い起こさせる雰囲気が充満した。ここでは、社会党が運動の結集軸となった。普段は社会党離れを隠さない多くの市民団体や運動体が総体として社会党への応援団となったのである。
 その理由は重層的だが、少なくとも社会党の運動構造が、一方における連合派労働組合が牽引する傾向と、他方における非・反連合型運動とへの分解を深めたことの影響が大きかった。
 憲法を活かす会それ自身が社会党、社民連を横断する「護憲派」議員によって構成され、これが社会党内部における旧来型派閥構造を越えて形成されたこと、市民や非・反連合の労働者との提携を深めることをその運動スタイルとして積み重ねてきたこと、民社党との妥協に傾斜する党の大勢に対する公然たるチェック機能を表現したことなどの結果であった。
 もちろん、こうした状況は、あくまで院内と議面前という相対的に狭い空間の現象にとどまっていた事実を無視することは公平ではない。
 労働組合が直接法案阻止にむけて行動をしたことはない。全国行動が大規模に組織されたということもなかった。あくまで、院内そして議面前に限定された行動という大枠を越えなかった、といわざるをえない。そうして、その波及力はテレビを通じた、参院社会党の徹底的頑張りに発したといえる。社会党・総評構造といわれた戦後の大衆運動構造が歴史的に崩壊し、積極的なイニシアチブとその伝播、および大衆運動とのヒードバックの機能が失われた状況を深く反映することだった。
 しかし、こうした状況への反発は、すでに土井委員長時代の性格に表現されたものだ。機構が連合によって占拠されるという制約を持ちつつ、そしてその制約が土井委員長時代を終わらせたのも事実だが、にもかかわらず、そうした連合によるハイジャックへの反発が構造化されていることが、憲法を活かす会の成立と「全国実行委員会」運動の基盤となったのだった。
 
党の危機におびえ
自民党にすりよる公明、民社

 参院社会党の闘いは、政党としての社会党が、労組構造を越えた広がりで存在しなければならないという、あたりまえの事実を引き出した。連合の重しは一日ごとに失われていった。
 より正確にいえば、社民結集論が意味してきた社会党の民社路線への従属という構造は、参院での闘いを通じて民社党がいかなる政治選択をするのか、というものへと変化した。
 連合参議院もまた、社会党を民社路線に引き寄せる媒介という役割から、事実上社会党にひきづられる存在へ変化した。民社党は自公民路線に純化せざるをえない状況に直面してしまった。彼らは、それ以外の道を見出せなくなったのである。
 PKO法成立が意味したものは、「現実路線」に急傾斜した公明党、および企業主義組合に基礎をおく民社党のいずれもが、いまや自民党の補完物とならざるをえないこと、そうであればこれらの政党の存在価値はほとんどないも同然だということを改めて示したことだった。
 現実路線が自民党との違いを見出せないことの代名詞にほかならない以上、これらの政党は自らを積極的に訴えるものを持たないに等しい。
 公明、民社の両党ともに、同日選挙の脅しにおののいた。同日選挙なし、との御墨付きにすがることにのみ、彼らは自公民ブロックによる法案成立強行に踏み出した。まさに党利党略の永田町政治の典型であろう。
 社民結集論は大きな打撃を受けた。社民連が最終局面において社会党との全面的な共同歩調をとり、かつ七月三日に社会党との再合流の可能性を含んだ院内会派結成の取り決めを結んだこともその現れであるだろう。

牛歩戦術のバランスシート
流れを変えた物理的抵抗

 参院の「物理的抵抗」を中断し、衆院での法案強行に対する闘いも不十分であったことの代替物が、社会党・社民連の衆院議員総辞職だったことは否定できない。
 戦術抵抗が中途挫折的に終わったことには、背景として、各種世論調査が当初、牛歩戦術に対する否定的傾向を表現したことがあげられよう。これから各種マスコミは一部を例外として、競って牛歩という戦術抵抗への批判に傾斜した。
 たしかに多数派が明確に存在している以上、議場戦術にのみに依存した法案阻止には限界が伴う。議場戦術で阻止できると考えるのであれば、それに対しては議会における民主主義の観点からの、常識論的な批判が集中するであろう。各種マスコミ論調はそのようなものだった。
 だが反面、そうした戦術が、当面の多数派の切り崩しのために必要な時間を稼ぎだしているものだ、という観点はどう扱われたであろうか。
 明らかに、自公民三党は時間が経過するなかでの反対論の増大と自らの陣営の動揺の増大を恐れた。いかに論議の時間を最小限におさえるか、これが彼らの戦術だった。これもまた、議会における民主主義という観点からは批判されなければならないはずのものだ。だが、この観点からする常識論的な批判をマスコミがとりあげることは、ほとんどなかった。
 ともあれ、参院社会党の劇的な抵抗は社民連を共同歩調にひきこみ、連合参議院をも自衛隊との別組織案の立場からする法案反対の立場に立たせた。のみならず、より重大なことは、PKO法が持っている自衛隊海外派兵と現行憲法との関連、および社会党が主張するに至った国民世論の判断を仰げ、という論調への賛同が急激に拡大したという事実である。以上の見地は各種世論調査ではほぼ五〇%を越える。
 社会党の闘いは無駄ではなかった、といえる。戦術抵抗は、それが中途半端に終わったかどうかの評価は別にして、それなりの効果をあげたのである。これは院外の大衆運動が弱体化してきていた状況にあって、正当に評価されるべきである。
 事実として、会期中に自公民ブロックを動揺させるまでには至らなかったが、自民党では、福島選挙区の自民党参議院議員がその後離党表明を行うという事態が潜在的に存在していたし、また公明党のサイドにおいても、婦人部を中心に内部動揺がなかったわけではない。中西珠子議員は公然と法案反対の立場を表明もしていたのだ。
 そして社会党系列においてはまた、社民再編論への抵抗が格段に強まった。それは連合の会型選挙方式の亀裂をもさらけだす一方、社民結集論の論理に抗する具体的動きの登場の契機となった。このことが、広島選挙区、東京選挙区での社会党系列からする独自候補の擁立に、具体的に示されたのである。

争点であるPKO法
露呈した連合の会方式の矛盾

 
 参院選挙は、日本の選挙制度の仕組みからして、社会党が主張するようなPKO法の是非を問う国民投票という性格を正確に表現することは不可能である。だが、ほかに方法がない以上、擬似的表現の役を負わされざるをえない。参議院選挙の争点は、まさにPKO法、自衛隊海外派兵の是非をめぐるものとされなければならない。
 この意味からいって、連合の会方式に対して、社会党陣営における反民社の独自候補擁立の動機は十分すぎるほどだといっていい。
 連合の会方式に対する民社党サイドの動きは露骨であった。PKO法反対候補の擁立を絶対に認めないという通達が流された。富山選挙区がその典型である。それにひきかえ、社会党本部は、PKO支持候補であろうと連合型候補を支持するという態度を崩してはいない。この落差は大きい。
 党本部の態度と地方の動きのずれは、下からの独自候補擁立をうながした。
 広島では、現職の野田議員擁立が挫折した。これには自治労本部サイドからの圧力があった。しかし、県本部は非公然ではあれ、独自候補擁立を決行した。
 東京選挙区では、以前からあった森田ではない独自候補の声は市民運動サイドからの擁立へと具体化した。
 内田候補である。田議員は社民連を離党し、また社会党護憲共同の国弘議員もまた公然と支持活動を行っている。
 連合およびその組織的な影響下におかれている東京都本部は、組織統制の圧力で内田擁立の動きを阻止しようとしている。連合内部からは、内田支持党員は除名だ、という脅しがなされている。党組織とは無関係な労働組合である連合の内部からである。それだけ連合サイドの危機感が強い。

反・非「連合」の運動を
体現する内田選挙

 内田擁立は、連合シンパ以外の社会党員や、非党員、無党派市民の多くに共通する感情に応えたものである。東京選挙区に連合型として森田を擁立するという話が登場して以降、社会党都本部内外で反対の声が高まった。
 本来、ほとんど右翼思想の持ち主といってもいい森田をかつぎだしたのは民社党の塚本グループである。自民党以上の再軍備論者である塚本グループの「タマ」にとびついた連合は、強引に都本部に森田をおしつけた。
 今年に入って、「当選後の会派所属」をめぐって、民社と社会党の駆け引きはまさに見苦しいものがあった。結局、確認書は、それぞれが勝手に説明できるように、違ったもの二通がつくられる始末であった。都本部での反対の動きは潰され、党外の声も無視された。森田擁立は、党内外での抵抗を潜在したまま、既定事実として動きだしていた。広島が、県本部ぐるみで民社の小西擁立に抵抗し、野田擁立で最後までふんばったのに対して、東京の場合は、都本部が森田擁立で動いたという違いがあった。東京での社会党独自候補擁立の動きは相対的に弱いものにならざるをえなかった。
 それゆえ、あるいはそうであるからこそ、東京選挙区における社会党系候補は党外の市民運動のイニシアチブと、比較的党機構から自由である田、国弘両議員の意志が合流する形となったのである。
 党機構は連合機構に足をかけている。その連合組織の大半はPKO法案における社会党の対応に対して、明らかに反対の姿勢であった。だから、反PKO法の社会党系運動が高揚したとき、それを表現する具体的表現は連合派の勢力範囲の外部に形成されなければならないことになっていった。
 PKO法案阻止の運動の高揚は、社会党の基盤内の、連合に囲いこまれていない領域からの噴出である。森田に抗する明確にPKO法案反対運動をストレートに表現する候補、それは連合による革新運動のハイジャックに抗する行動の表現に結び付いていく。

反PKO法の運動を
体現する内田選挙

 内田選挙は、反PKO法案の高揚の直接の産物である。それは市民運動のイニシアチブによって、時間の切迫と競って急きょ組織された。
 人も金も組織もない。当然、事前活動の時間もない。ボランティア、市民の資金カンパによって支えられている。選挙体制も寄り合い所帯だ。
 だが、流れは明確にある。全都規模で革新無党派議員が動きだしている。都労連組織のかなりの部分が公然、非公然に内田支持の動きを示している。全労協も、広島と並んで内田支持を決めた。市民運動は当然にも内田支持の流れにある。
 いままで選挙運動にかかわることを避けてきた、作家の澤地久枝さんや広瀬隆さんが推薦に名をつらねた。
 内田選挙がどれだけの広がりと波及力をもって限られた選挙期間で浸透できるかは、はっきりいって未知数だ。だが、少なくとも、社会党勢力という戦後革新の伝統的勢力が、連合という大労組機構を通じて自衛隊容認、海外派兵支持へと変質させられることに抗する党内外の具体的運動がここに始まったのであり、その波及力は相当なものだということはできる。
 同時に、選挙論戦の焦点であるはずのPKO法、自衛隊海外派兵を後景に押しやることをねらった各政党のもくろみもまた、内田候補の登場によってより困難になった。森田陣営はPKO法にほおかぶりをできなくなった。そしてその度合に応じて、民社党とのあつれきを増幅させざるをえなくなっている。
 選挙直前までは、共産党の上田耕一郎候補の孤軍奮闘状況であった反PKO法のアピールは、ここに内田候補の登場によって、明らかな論点として浮上した。
 われわれは、今参議院選挙では反PKOの政党、候補の支持という基準が決定的だと主張してきた。そして、反PKO法、自衛隊派兵反対の候補が広島と東京において具体的に登場した。それも社民結集論に抗しての登場という姿に、今選挙の論点が象徴されている。
 東京選挙区において、われわれは、上田耕一郎候補とならんで内田雅敏候補支持を呼びかける。
  

記者会見資料より

内田雅敏さんの横顔

 ちみもうりょう、利害打算のこの世の中にあって、これほど、ぼくとつ、素直な弁護士も珍しい。
 金にならない、マイナーな事件も断わらず引き受けてきた。
 その人権感覚は多くの人たちに広く深く共感を呼んでいる。
 山登りを趣味として、日曜日は少年ラグビーのコーチをするという多才な人でもある。もちろん、家事、育児も時間の許すかぎり、実行するこまめさもある。
合宿などでみせたそうめん作り、ねぎのみじん切りなどの技は、余人をよせつけないものがあり、「おかたい」イメージがある弁護士という職業観を一変させた実践は、女性たちの間に語りつがれている。
 横断歩道を渡ろうとしている素敵な女性に突如プロポーズし、いろいろあっただろうが、その女性が今の夫人、美代子さんである。
 鉄兵(高三)、ゆうき(高一)、駿介(小四)の三人の子持ち。
 四十七歳。小平市在住。

略歴

一九四五年 愛知県生まれ
一九六八年 早稲田大学法学部卒業
一九七五年 弁護士登録(東京弁護士会所属)
東京弁護士会の国選弁護委員・人権擁護委員
日弁連人権擁護大会実行委員、国際人権セミナー運営委員を務め、現在、日弁連接見交通権確立実行委員会事務局長として、人権問題を中心に精力的な活動を続けている。
 主な論文に「『弁護士抜き』裁判の危険性」(『月刊労働問題』)、「デュープロセスと接見交通権」(『法学セミナー』)などがある。
 著書としては、講談社現代新書『弁護士』がある。
 この著書は選挙事務所で大量販売中。
 なお、三里塚開港を阻止した一九七八年三月二十六日の闘いでの多数の逮捕者の弁護活動にもあたられた。感謝。
内田候補の当選へ
市民選対の活動盛り上がる

 六月二十九日、慌ただしい立候補表明のわずか二日後、総評会館の二階会場は内田さん擁立を確認し、具体的に選挙運動を手作りで作り上げようとする市民が急きょ結集し、満員の盛況となった。
 緊急の連絡にもかかわらず、二百人を越える個人や運動団体からの参加者は、それぞれ区、市町村単位で参加登録を行い、早速ポスター貼り体制づくりに向けた東西南北、三多摩での連絡体制のための意見交換や資金カンパの相談などがあちこちでくりひろげられる。
 会場では、戦争末期、秋田の花岡で中国人強制連行者が蜂起した「花岡事件」シンポジウムに出向いて不在の内田弁護士に代わって、四谷法律事務所の同僚である内藤弁護士が熱弁をふるう。
 なにしろ六月二十三日に田議員を交えた出馬要請、翌二十四日出馬決定、二十七日記者会見で発表という次第で、事務所全体がめんくらう事態だとのことだそうだ。
 全労協議長の山崎道人さんもかけつける。日本文化会議の中島誠さんも、熱気にあふれたアジテーションを行う。
 市民サイドの擁立運動の中心をになってきた宮本なおみさん、福富節男さんが、人、金、組織、時間のないところから、まさに手作り選挙で闘い抜く内田選挙への経過を報告し、選挙戦への意思結集をはかる。
 福生市議の遠藤洋一さんが、具体的な選挙活動のノウハウを説明する。会場から、早速明日からどういう活動が可能なのか、事前のポスター作成を急ぐべきだ、といった質問がいっせいに飛び出す。司会者の答えは、一切準備がない、地区で個人でその積極創意を具体的に生かしてほしい、とのきりかえしだ。
 事務所、ポスター、法定ビラ、選対形成、事務所体制、人、金、選車……すべてがこれからといった慌ただしい雰囲気が全体に伝播し、資金カンパ用紙や領収書、著書『弁護士』販売予約申し込み書などがまたたくまになくなる。
 市民選対は、まさに騒然と出発した。

 自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合
 八月結成総会に結集を
 全国から参加を


 昨年八月に準備会を結成して一年が経過しようとしている。準備会結成以降、政治連合正式発足にむけて、結成宣言案の討論、二度にわたる準備会ニュースレターの発行、昨秋の「国際貢献論」をめぐる討論集会などを積み重ねてきた。
 今年は、一月の準備会において共同メディアの準備にとりかかるという「大事業」に着手することを合意し、政治連合を見える形にしていく活動が始まった。
 同時に、準備会は日本政治の大きな政治的流動、再編期が到来しつつあるとの認識から、折からの参議院選挙東京選挙区での森田擁立問題をめぐる市民運動からの積極的問題提起に最大限に応えていく活動を継続してきた。
 三月に行われた東京パンセホールでの市民集会を皮切りに、市民の観点からの運動化に協同し、今回の東京選挙区の内田候補擁立に至る過程を支える役割を果たしてきた。
 もちろん政治連合の具体的に果たす役割や、そのめざすもの、組織的性格、あるいは社会主義運動とフェミニズムやエコロジー運動の関係など、参加する個人や政治グループ相互の間に一本化された方向性が確立しているというわけではない。政治連合の提唱がはじめてなされてからすでに五年、準備会結成以降の討論も、ニュースレターに明らかなように、その掲げる「社会主義」の理解や方法論的アプローチにおいても一致しているとはいえない。
 だが、これらは政治連合という協同作業を進めていく上で、前提として含意されていることである。言い替えれば、含意されるまでに五年経過した、ということである。
 その共通項は、社会主義を掲げてきたそれぞれの個人や政治グループ、党派が、相互にそれぞれの社会主義観への反省的総括を深めつつ、新たな時代における社会主議論、あるいは共産主義論を再構築していく協同の努力を軸心として、新たな政治的流動期に主体的にかかわろうとすることにある。
 東西対立構造がソ連邦の解体という歴史的激動の中で崩れさった。
 ソ連邦を中心にした、あるいは中国を中心にした社会主義国家圏との結合によって、社会主義(それは多くのバリエーションを持ったが)を語り、闘いの目標を定めようとしてきた時代の土台が崩壊した。
 同時に、徹底的な資本主義批判として出発し、資本主義へのオルタナティブとしての社会主義論を構築していった、その歴史が、グロテスクな独裁国家ソ連として象徴される結果となったことが、安易な社会主義像を拒否しなければならないことを導いた。
 政治連合を構成する個人、グループ、党派はそれぞれに共通に、ソ連邦・スターリン型社会主義と闘ってきた歴史をもっている。にもかかわらず、その社会主義理論がスターリニズムを媒介した歪曲された理解からまったく自由だったということはできない。
 多くの非スターリン主義党派が、スターリン主義との対抗という観点から、もっともスターリニズムの最悪の思想、独裁・粛清・他党派解体という、いわゆる内ゲバ主義に毒された。また、いわゆる中央集権体制という、上位下達の官僚組織構造にも批判の視点をほとんどもたなかった。
 あるいは生産力主義という言葉で語られる環境問題の軽視、形式的男女平等と現実における男性優位型組織の持続。
 こうした姿に集約される「前衛党」の概念、用語に含まれる他者の排除、打倒、一党独裁論の麻薬的作用の中毒からはっきり解き放たれた、新たな社会主義運動の地平を築くことこそ、政治連合への結集の眼目であろう。

 政治連合結成総会は別項の要項にあるように、政治連合が当面対象とする理論的、実践的諸分野を討論していく予定である。また、秋期からの具体的な理論的検討や活動ネットワークのための作業を検討し、一定の結論をもつことを予定している。
 八月のハイシーズンの最中ではあるが、全国各地からの参加を期待したい。

 共同メディア準備号を刊行 八月に結成総会を予定している自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合準備会は、結成への準備活動の一環として、新聞『Op-al』(自立した民衆のメディアをめざす Opinions for Alternative Society)創刊準備号を七月一日に発行した。準備号は政治連合結成後に正式発行を開始する『Op-al』の紙面イメージを豊かにしていく検討素材として、正式紙形式の八頁建で作成された。
 いまだ準備会の段階であり、多くの人々には政治連合の具体的な顔、姿が見えない状態の中で、政治連合のめざす地平を大胆にキャンペーンしていく宣伝素材としての役割も期待されている。
 地域、職場での積極的活用と購読予約獲得活動を進めよう。  (K)

国連環境開発会議について――今後の検討課題はなにか

多様な運動と結びつつ
新しい主体の形成を


   山本 悟


世界の注目集めた
ブラジル会議への経過


 六月三日から十四日まで、ブラジルのリオデジャネイロで、国連環境開発会議(UNCED、地球サミット)が開催された。
開催中はもちろん、その数カ月前からマスコミなどを通じてさまざまな情報が提供されてきた。この会議が世界的に注目をされ、かつそれが政府レベルから民衆レベルまで含めた実にさまざまな動き・流れとなっていることが知らされていた。
しかし、いったん会議が終了してみると、少なくとも日本ではあっという間に熱気が冷めてしまったかに見える。もちろんこの間、PKO法案や参議院選挙が多くの人々の関心を集めていたという事情があり、この落差にとりたてて非難がましい論評を加えるべきではないように思える。
むしろ、すでに会議の結果をふまえて、賛否入り交じった評価がなされているに違いないし、次に向けた動きが始まっていることだろし、今後の論議と行動を注意深く見つめて行きたいと思う。

 ところでUNCEDに先だって、五月十二日から十四日まで「地球環境と地域行動」をテーマにして「ローマクラブ福岡会議イン九州」が開催された。
ローマクラブは一九七〇年に設立され、マサチューセッツ工科大学の研究グループに「人類の危機」についての研究を委嘱した。この研究報告が七二年「成長の限界」という名で出版され、超ベストセラーになったことはあまりにも有名である。そしてその二カ月後に今回のUNCED(ブラジル会議)へと連なる「国連人間環境会議」、いわゆるストックホルム会議が開催されるのである。
今回のこの福岡会議においてローマクラブは、二十年ぶりに「ビヨンド・ザ・リミット」(すでに限界を越えた)と題するリポートを報告した。
しかし六月のUNCED(ブラジル会議)を前にして、当然タイミングをはかって発表されたこの研究報告は、「成長の限界」のようには賛否いずれにせよ、大きな波紋を広げたようには見えない。
「成長の限界」が提示した、誰もが予測していなっかたショッキングな未来とは異なり、地球規模での環境破壊の深刻さは、すでにどのレベルかは別にして周知のこととなっている。こうしたあまりありがたくはない客観的事実と、それに間に合おうとして開始されている主体的な行動・実践によって、このリポートの役割は基本的に終了しているといえるのかもしれない。
「危機の告発」という前回ストックホルム会議から二〇年という時が流れ、「危機の克服」という困難きわまりない課題を、今回のUNCED(ブラジル会議)が背負っていることの例証である。

 さて、その重たい課題を背負ったUNCEDであるが、とりあえず会議においてまとめられたのは次のような項目である。
「環境と開発に関するリオデジャネイロ宣言」
「気候変動枠組み条約」(温暖化防止条約)
「生物学的多様性条約」
「森林保護のための原則声明」
「アジェンダ21」(地球環境保全のための行動計画)
 行動計画を実行に移すすための「資金」と「組織・機構」

ブラジル会議を
どう評価するか

さてこれら決定事項の内容に対しては、多くの疑問が各国のNGO(非政府組織)・市民団体から投げかけられている。よく取り上げられているのが、「気候変動枠組み条約」において二酸化炭素の削減の具体的目標値が曖昧にされてしまったことである。しかし曖昧なのは、このように目標が明確にされないだけではない。いったい誰がどのようにして(資金の問題もこの中に当然含まれる)それを実現するのかは、さらに深刻である。これらの点については会議の終了後も引き続いて論議され、方向が打ち出されて行かなければならないテーマである。
こうした現実とは裏腹に、会議の規模は世界各国から訪れる政府代表団やNGO、報道関係者など数万人になったという。一部に「環境カーニバル」に終わるのではないかという危惧が生まれた所以である。
たとえば、全国自然保護連合の小林賢一郎氏による(「フォーラム《海外派兵を許すな!》ニュースbP」)と同連合は、「“地球サミット”の欺まん性に対する声明」を発表したという。それは「この会議の最大の課題は、国連広報センターが言っているように、先進国に利益をもたらすための途上国への『資金や技術の補充』であり、資金調達のための首脳会議である」「このような政治ショーに、権力に承認された民間組織(NGO)が参加して、会議の補完物となることを危惧する」という内容の緊急アピールだという。
たしかに、さまざまな利害関係・対立をはらみながらも、資本・国家の側からの動きは活発である。
参加を表明していたにもかかわらず、PKO法案をめぐる攻防によって不可能になった宮沢を除いて、G7の首脳が全員参加したのは典型的である。
また、UNCEDのモーリス・ストロング事務局長の要請により、UNCEDに対する財界の支援を起こすために「持続的開発のためのビジネス・カウンシル」が組織された。この組織には、日本からも経済同友会・京セラ・王子製紙・日産自動車・新日鉄・三菱商事・東ソーのトップが名を連ねている。そして、リオには経団連も代表を派遣しており、UNCEDをめぐる現実に過大な期待や幻想を持つことはできないだろう。
 とはいえ小林氏のような結論は、正直に言ってあまりにも短絡的であり、事態を皮相にしか見ていないように思え、にわかに賛成しかねる。
何故かといえば、今回のUNCEDに向けたさまざまな動きの中で、とりわけ顕著であり、特徴的なものは、そうした資本・国家の側の動きにあるのではなくて、各国のNGO・運動団体の側の活動であるからだ。そのことに私は注目したいと思う。
日本において、市民団体のセンターとしての役割を担ってきた「92国連ブラジル会議市民連絡会」のニュース「92NGOフォーラム・J」一〇号のなかでも、三月にニューヨークで開かれた第四回準備会に参加したスタッフの一人は率直に「もはや私はブラジルでどんな地球憲章や行動計画が採択されようと、あまり期待していないし、気にもしていない(といったら言い過ぎか)。むしろUNCEDに参加するプロセスで知り合った国内外の人々と、会議終了後も緊密な連絡を取り合い、アクションが必要なときには素早く対応することができるようなネットワークを作ることに力を注ぎたい」と語っている。
つまり、UNCEDの限界をあげつらうだけでは、ちょうどローマクラブの「ビヨンド・ザ・リミット」がそうであるように、まったく事態に乗り遅れていると思えるのである。

多様なNGOの活動

 このNGOの活動に関しては、実に多様で数多くの動きがあり、かつそれらは相互に交錯し影響しあっていて、とても整理しきれるものではない。
日本におけるいくつかの代表的な例をあげてみる。竹下登元首相をホスト役に開かれた「地球環境賢人会議」に対抗する形で開かれた「地球環境・凡人会議」。登山家の今井通子さんや音楽評論家の湯川れい子さんたちが集まった「地球環境・女性連絡会」が開催した「地球に恋する女性たちのネットワーク会議」。五月一日から三日まで横浜で開催された「地球環境・アジアNGOフォーラム」には、一〇カ国二〇人のゲストが海外から参加をし、のべ三千人が参加をした。そしてUNCEDにむけた「神奈川宣言」(別掲資料参照)を採択した。 
 さらに、コンサートや四月二十二日のアースデイを中心に開かれた「アースデイ・フェスティバル」、「アースデイ・アジア・フェスティバル」、アースデイ月間(四月十五日―六月十五日)に北海道から沖縄まで二百カ所以上で行われる海や川などの「クリーンアップ」の行動。もちろんこれ以外にも、全国各地でさまざまな規模・目的・形態のイベントが数えきれないほど取り組まれている。
こうして、全世界でくりひろげられてきた、さまざまな活動の一つの集約点が「グローバル・フーラム」であった。リオデジャネイロのフラメンゴ公園で開催された「グローバル・フォーラム」には、最終的には一八七カ国、七九四六の団体、一八六八〇人が参加したという。それはちょうど、各国首脳が参加した本会議に対抗する民衆会議といって良いであろう。混沌としていながら、しかし限りなくエネルギッシュなそれである。

今後の検討課題

 今後論議となるであろう課題・テーマ、あるいはキーワードをこの会議に至る過程のなかで、数多く明らかにしてくれているように思える。。そして当然にもそれらは、われわれにとっての重要な課題でもあり、テーマでもある。
佐倉統氏によれば、「地球環境問題は、ひとつにまとまった実体ないし問題群として存在するのではない。それは、問題群の複合体(コンプレックス)であり、空間・時間的な広がりをもったアモルファスであ」り、政治、経済、文化・倫理、自然科学、科学論といった多様な分野の問題である。したがって、彼はそれを「地球環境問題複合体」とあえて名づけている(「現代思想としての環境問題」中公新書)。
 いま、これら複雑に絡み合った連関を、ひとつずつ解きほぐしながら解決の糸口を探し出していく準備はできていない。したがって、整理も調査も吟味もしていない中で、とりあえず思いつくまま次の点だけを、今後の検討課題として提起をしておきたい。
 それはきっと、いかにして主体を形成していくのかという問題に関わる部分であるだろう。
 「国連」に関して、「神奈川宣言」はその改組を次のように提起している。
 「国連は、現在の特定理事国を中心とする決定機構を改め、その議席を国家の代表のみによって占拠させてはならない。国を越えた地球利益を代表しえるように、たとえばその議席の半分をいままでどうりの『国家』代表、残り四分の一をアジア・アフリカ・南米などの国家を越える『地域』の利益を代表しえる市民またはNGO、そして最後の四分の一の議席を全世界または『地球』の利益を代表しえる市民またはNGOによって構成されるよう、一九九五年の国連改組の時をめざして検討を開始すべきである」
また「グローバル・フォーラム」の最終日には、それに参加してきた「日本市民」が「日本市民リオ宣言」を採択した。その最後には「一九九五年に予定されている国連改組にむけて、地球市民の意見がより政治的な力として反映されるよう、あらゆる努力を払っていくことをここに誓う」とあえて提起している。
 ソ連邦の崩壊、湾岸戦争、ユーゴスラビア、カンボジア、PKO等々をめぐって、国連の位置づけに関して論議が開始されていることは周知の通りである。
 伝え聞くところによると、吉川勇一氏は「国連脱退論」を提起しているという。他方、前田哲男氏や浅井基文氏は国連の強化を提起している。(「自衛隊をどうするか」岩波新書)
 確かに同じ国連をめぐる問題とはいえ、環境問題とPKOでは位相を異にしているのは間違いない。しかしだからといって、両者に何の整合性もないというのでは困る。
今後必ず環境問題においても、国連の位置づけをめぐる問題は避けて通れないように思っている。
 私は現在それについて、整合性をもった明確な立場を表明することはできない。ただ国連をめぐるわれわれの立場を確立していく上で、われわれがこれまで掲げてきた過渡的綱領とその方法論は有効ではないのか、もし有効であるとすればそれはどのような方向として提起されるべきなのか、という漠然とした問題意識を抱え込んでいる。
 もちろん何事に対してもその方法論を適用することはできないであろう。ましてわれわれの従来の体系を一から問い直さなければならない現在、過渡的綱領とその方法論自体も検討の対象になるのは間違いない。
そうした制約を承知した上で、なおかつそう思うのである。

☆★☆★ 資 料 ☆★☆★
    神奈川宣言
 「地球環境・アジアNEOフォーラム」から「地球サミット」へ

一九九二年六月、ブラジル、リオ・デ・ジャネイロで開かれる「環境と開発に関する国連会議」は、今日までの準備過程を見るかぎり、地球環境保全にかかわる効果的な条約の制定ができないばかりか、資源の浪費と不必要な生産を拡大して地球環境をさらに追い詰める契機となる恐れが出てきた。このような恐れを前にして、私たち日本、アジア、太平洋諸島、南北アメリカ、そしてヨーロッパの市民は、五月一日から三日まで神奈川県・横浜に集い、この国連会議に市民としての建設的な提言をなすべく、地球環境問題と南北問題について話しあった。
その結果、以下の内容を「神奈川宣言」として採択し、これを国連会議に持参して、国連会議に集まる数多くの世界市民と共有したい。

■市民ネットワークの確立
私たちは、ある特定の国の国民であると同時に国を越えた地球人である。国益擁護の延長上に地球の未来はありえない。ある国の問題はすべての国の人の問題であり、国の利害を越えて互いに地球社会を実現しなければならない。国境を越える草の根から湧きあがるネットワークこそ私たちの目標である。情報は力であり、ネットワークの源である。

■開発についての新しい考え方
人間にとって「開発」とは他の人々あるいは他の生きものとの「分かち合い」を豊かにすることである。言いかえれば、社会的なつながり(環)の一番弱い部分を強化すること、そして一番弱い人を助けることである。この意味で地球環境を回復するには、まず何よりも南北問題の解決、世界の物質的に富める人々と貧しい人々との社会的格差を埋め、そのつながりを回復することである。
先進国の人々は、過剰な物質消費によって自分の身体を弱め、創造力を貧困にし、生きる実感を希薄にしている。したがって、先進国の人は、途上国の人々の過酷な現状を自分の問題とすることによって、はじめて自分の際限のない物質的欲望を押さえることができる。また途上国の人々は、抑圧的な北の支配を逃れて、はじめて自立的な社会を実現することができる。

■住民主権と地域主権
地域の資源は、基本的にその地域の人々のものである。地域をどのように開発すべきかは、地域の人々の意志によって決定されなければならない。私たちは、先住民や女性の声を無視し、国家利益を旗印に行われる国際的な大規模プロジェクトを即刻中止するよう働きかけ、地域住民の声を反映した住民主導のプロジェクトを推進しなければならない。野生生物の乱獲や熱帯林の伐採、そして商業植林を即時中止し、破壊した村民の生活立て直しに助力しなければならない。

■自然および他の生物との共存
自然はすべての生きものの物質的な基盤であり、人間はその自然の一部である。私たちは、他の多様な生物との共存によってのみ永続的な生命を確保しえるということを良く理解し、自然そのものと地域の多様な生態系を何よりも大切にしなければならない。

■先進国における生産と消費の抑制
先進国の人々は、時間的効率性を求め、エネルギーと資源の無駄使いがあまりにも多い。無制限な資源の利用と市場の拡大を自制するとともに、途上国の債務を取り消してその経済的自立に助力しなければならない。土壌乾燥と砂漠化をもたらす商品作物の生産を途上国に押しつけることをやめ、途上国における地域の自立化、自給化を推進しなければならない。また、公共交通機関の利用を促進して、自動車の大量生産と道路建設を半減させ、危険性の高い原子力発電も即刻中止されなければならない。

■身近な地域での生活の実現
水、食料などの生活に必要なものは、遠くから運ぶのではなく出来るだけ自分の住んでいる身近な地域によって確保し、また、生活の結果生じる廃棄物も遠くに捨てるのではなく自分の身近で解決しなければならない。
また、生活に必要なものは一度だけ使って捨ててしまうのではなく、あらゆる段階での再使用、再利用を実現しなければならない。政府は、この実現のため新資源の輸入に対して特別の課税を行い、その収入をその資源収奪によって生じる環境破壊を復元する資金として途上国の地域に返還しなければならない。

■アジア環境市民白書の作成
現代世界においては、必要に応じてものや施設が作られるのではなく、お金と組織を拡大・維持するために環境を変え、結果的に環境を破壊していく。インド・ナルマダ川のダム、日本長良川の河口堰などの環境破壊型プロジェクトは、その建設を即刻中止すべきであり、とりわけナルマダ・ダム建設に対する日本政府の融資再開は、中止されなければならない。
また、日本の経済開発の過程で水俣病や大気汚染などの公害問題やゴルフ場による土壌汚染など数多くの環境破壊が引き起こされてきた。これらの環境被害に対する補償を実施するとともに、その被害を未然に防ぐために、情報の公開、アセスメント(事前評価)及びモニターリング(監視)の制度を徹底すべきである。さして、アジア市民の手によるアジア環境市民白書を作成すべきである。

■政府、自治体、そして企業の自覚と責任
政府は、環境保全に関する予算の増額と組織強化を含めた抜本的な環境政策と環境保全立法を推進しなければならない。自治体は、環境保全に関する具体的な目標値と目標年次を定めて、「環境自治体」としての取り組みを強化しなければならない。さらに企業は、汚染者負担の原則を基本とする責任態勢を確立しなければならない。

■NGOの正式な認知と国連の改組
 国連は、現在の特定理事国を中心とする決定機構を改め、その議席を国家の代表のみによって占拠させてはならない。国を越えた地球利益を代表しえるように、たとえばその議席の半分をいままでどうりの「国家」代表、残り四分の一をアジア・アフリカ・南米などの国家を越える「地域」の利益を代表しえる市民またはNGO、そして最後の四分の一の議席を全世界または「地球」の利益を代表しえる市民またはNGOによって構成されるよう、一九九五年の国連改組の時をめざして検討を開始すべきである」
全労協第四回大会を開催
                     反PKO闘争で市民運動との結合を強化

さらに重要となった社会的な位置

 全国労働組合連絡協議会(以下、全労協)は七月三―四日、全国から一五〇名の代議員、傍聴者を結集して第四回大会を「広げよう全国へ、自立と創造 労働者の権利を闘い取る全労協運動を!」をメインスローガンにして開催した。
 大会の第一の課題は、全労協結成以来の最大の課題であり続けている国鉄闘争に対して今年五月二十八日に中労委が出した「最終解決案」をめぐってであった。「三度目の首切り」としてただちにこの案を拒否した国労を支援して、現職復帰を命じた地労委命令を実現していく闘いを第一の課題と確認した。
 討論が集中したのは、第二の課題、反PKO法闘争を通じて切り開いた新しい地平から大会直後に行われる参院選挙にいかに取り組むかであった。全労協は、反PKO法の市民運動グループと共同し、当初はわずかの反PKO法・護憲の社会党国会議員とねばり強く闘ってきた。とりわけ今年に入ってから九三年度予算案が成立して以降、自公民三党による参議院での成立の見通しが出てからは、四月二十三日の全国集会を皮切りに五月の全国集会や連日の行動を積み重ねてきた。こうした行動の中で、反PKO法・護憲の立場を鮮明にする社会党議員が拡大し、国会内外を結ぶ運動が展開され、最終的には社会党、社民連、共産党による牛歩戦術となっていった。さらには衆議院段階でも牛歩、議員総辞職という闘いをつくり出す原動力の一つとなった運動を積極的に担ってきた。
 こうした闘いの中で、四月段階では連合山岸のイニシアチブによって連合参議院が民社党の側に引きつけられそうになっていたにもかかわらず、ここに楔を打ち込み、さらに連合を媒介とした社会党の民社党への妥協、屈服を阻止できた。
 以上のように反PKO法闘争を総括した上で、自信を深めた全労協は、この闘いの地平をさらに拡大していくためには、参院の東京選挙区・内田候補と広島地方区の栗原候補を全面的に指示して闘うことが提案された。
 この提案に対して全労協京都総評や東京のいくつかの区職労の代議員から政党支持の自由や特定候補の支持は労働組合運動になじまない、全労協の組織性格からしてこの決定を行うな、両選挙区とも直前の立候補決定であり民主的な手続きが踏まれていないなどの意見が出され、激論となった。
 討論の結果、全労協は反PKO候補を可能かぎり多く当選させるために闘う。具体的に市民運動と全労協が主体となって結合した闘いの中から生まれた東京と広島の二人の候補を全面的に支持して、その勝利のために闘うことを決定した。
 全労協が結成されて三年目になるが、労働運動総体の主流は連合に牛耳られている。その連合の路線は現実に資本に屈服し、戦後情勢の大転換といわれる自衛隊の海外派兵に向けた攻撃の中で、これに有効に対処できない日本労働運動の実態がより鮮明になっている。こうした流れの中で全労協の位置が非常に重要なものになっている。と同時に、反PKOの闘いが市民運動や社会党内の反PKO・護憲勢力と結びついて社会党そのものを一定程度揺さぶり、社会党が全体が最後まで反PKOの陣営で闘いぬいたということは非常に重要な成果であったろう。
 参加した多くの来賓あいさつの基調は以上のようなものであった。特にフィリピン・バヤンからの代表は、アジア人民の側からみた日本帝国主義の侵略への懸念を表明し、それに応えてくれる全労協とともに闘いぬきたいと訴えた。また、反PKO全国実行委員会の大久保青志都議会議員は市民運動では「あってよかった国労、あってよかった全労協」という言葉がはやっているとあいさつしたが、ここに全労協の客観的な位置と可能性が示されている。
 全労協は第四回大会を通じて、市民運動との関係を含めた社会的な位置をかちとったといえよう。
 国労闘争勝利、反PKO、参院選勝利の闘いをよりいっそう強力に推し進め、総評センターが解散し、地県評センターがここ数年のうちに解散してしまうという状況の中で、全国に全労協の地域組織をつくりあげていくことが重要な課題となっている。
 なお全国一般全国協委員長の設楽さんが全労協副議長になって、中小労働運動の意見を全労協に反映させることになった。
人間らしい労働と生活の実現に向け

                   全国一般全国協第二回大会を開催

 全国一般全国協議会の第二回大会が七月五日、代議員、傍聴を含め七〇人の結集で成功裏に開催された。
 全国一般全国協は昨年の十二月一日に旧全国一般の勢力を中心にして中小労働運動の再建をかちとるために全国の中小産別の結集をめざして結成された。設立大会では、わずか半年後の第二回大会で五桁の組織人員にしようと確認した。
 第二回大会は、前日まで開かれていた全労協第四回大会の成功をもって来賓として参加した樫村事務局長(国労)の連帯のあいさつにはじまり、国鉄闘争団全国連絡会の金子事務局長、フィリピン・バヤンの代表、参院東京選挙区内田候補の事務所から内藤弁護士が来賓として参加し、それぞれが反PKOの共同の闘い、選挙への協力要請、そして中小労働運動の全国結集に向けて着実に前進をとげている全国一般全国協への熱い期待のメッセージなどを表明した。
 大会は冒頭に、金属一般、自立労連の新規加盟を報告し、それぞれの代表から決意表明、自己紹介を受けて、全国一般全国協一万人組織達成の上で開催された。全国の中小労働運動を発展させるために、旧全国一般の勢力だけで出発した第一段階から、全労協に加盟しともに闘おうとする金属一般、自立労連などの中小の仲間が結集して五桁の組織を実現できたことは、今後の中小労働運動にとって非常に大きな成果といえるだろう。全国一般全国協が、この成果の上に本格的に中小労働者の役に立つ、信頼される全国組織になっていくことが重要な局面に入っている。
 結成直後に起こった嘉飯山合同労組(福岡県飯塚を中心とした全国協加盟労組)の組合長による組織的な官僚主義的行動に対して、全国一般全国協が総力をあげて対処し、嘉飯山合同労組の組合員とともに組織再建のための闘いが取り組まれた。その結果、二月十七日に大会が開催され、92春闘に間に合って新しい体制がつくられた。そのため地元新聞に「民主運営の再建誓う」とまで報道されるに至り、闘いを順調に展開している、と島田新組合長から報告され、大会は全体でこれを確認した。
 このことは、中小労働運動でオルグ依存型、専従の官僚主義的な組織運営、さらには経営問題を労働組合の側がいかに取り組んでいくかという点などで、中小労働運動全体に問題を提起し大きな教訓を残した。そして、これらの課題をともに克服する努力をしていく課題を、第二回大会は総括してとりあげることができた。
 組織を拡大して、中小労働運動の様々な弱さやまとわりつく組織問題を再び起こさない全国組織にしていくことを全体で確認した。
 そして大会は、参院選挙で東京(内田候補)と広島(栗原候補)を全面的に支援し勝利させる決議、国鉄闘争を勝利させる決議、さらに一万の組織を実現した全国一般全国協が中小労働運動を発展させていく真のセンターになるために全力をあげて93春闘、反合・権利などの闘いに取り組んでいく。そのため全国に分散している中小労働運動を横につないで、闘いぬくことを方針として確認した。
 設楽委員長、そして金属一般、自立労連から副委員長を選出し、旧来の体制をさらに強化した執行部を選んで、大会は成功裏にかちとられた。
 運動方針の中で全国一般全国協が掲げている「人間らしい労働、人間らしい生活を確立する」という視点から、賃金や時短、職場の諸条件の改善、男女差別の克服、社会的闘争との結びつきなど、これら一切を闘いぬいていこうとしている。「人間らしい労働、人間らしい生活」の中身が具体的なイメージとしていかなるものなのか、実際の職場ではどういう運動となって展開されるのか――この問題をこれからの一年間の実践を通じてさらに深めて、全国一般全国協の闘いの基調をつくりあげることが決定的な課題となっている。
 この課題は、設立大会の呼び掛けで提起された内容を豊富化し、全国一般全国協の綱領的な立場をつくっていく作業に引き継がれていくことになるだろう。
 中小労働運動が全国一般全国協のもとで本当に全国戦線として再建されるのかどうか、労働者の自発的、戦闘的なエネルギーを引き出しうる組織になれるのどうか――これは労働組合の存在意義が問われる中で、労働者一人ひとりが自分の武器として、あるいは財産として確信がもてるような労働組合をつくっていけるのかという問題とあわせて問われている中小労働運動の課題である。
 中小労働運動にとって本当に役に立つ産別組織になるためには、五桁の組織実現はその第一歩でしかなく、三万、五万の強力な組織に発展させていかなければならない。これは、もちろんオルグ活動が重要な役割を果たすが、全国一般全国協がどんな運動、闘いをつくりあげていくのかが大きく問われているのである。

管制塔占拠闘争での
民事訴訟に高裁判決


一審の勝訴部分が破棄された

 管制塔占拠闘争での民事訴訟(原告、運輸省、空港公団ほか)は、六月二十五日に東京高裁において判決が下され、一審での原告敗訴部分が破棄され、被告たちに対して不当極まりない「損害賠償」が請求された。
 この訴訟は、三月二十六日当日に被告たちが「破壊・損壊」したとされる器物の損害賠償請求なのだが、一審においては被告側が主張した、機動隊が逮捕時に行った「破壊活動」などは請求からはずされていたが、今回の高裁判決はこれを「正当な請求」とみなし、一審段階で国(運輸省)と空港公団が請求していた約四四〇〇万円が相当額とされた。なお、一審判決ではおよそ半額の約二三〇〇万円であった。
 現在争点となっているこの管制塔だが、第二ターミナルビルが完成すると当初の設計ミスが原因で「空港のすべてを管制できない」との理由で、すでに新しい管制塔がすぐ隣に建設されている。こんなずさんな計画で建設された管制塔であるが、ともかく三里塚闘争と被告たちへの敵の露骨な敵対、攻撃を許さないためにも、この訴訟の支援を忘れてはならない。(三里塚闘争連帯労農合宿所発行三里塚情報307号から転載) 

最高裁大法廷で
成田治安法「合憲」判決


 七月一日、最高裁大法廷は横堀要塞に関する「成田治安法処分」の憲法判断をめぐって、「合憲」との判断を一五裁判官全員一致で下した。
 この裁判で論点になっていたのは、
 @「使用禁止命令処分」などが「集会の自由」を侵害しているかどうか。
 A空港の安全という「公共の福祉」が「財産権の保障」を違反するかどうか。
 B不利益な処分を受ける側に十分な「適性手続き」が踏まえられているか、あるいはその必要性。
 C処分通告や現状確認のためにその工作物に立ち入る権限などの「住居の不可侵」
などである。
 判決については、全文が手に入っているわけではないので、いずれ弁護士などとも会合の上、対策を考えたい。
 現在、私たちも八九年に出された「使用禁止命令処分」の取り消しを求めて裁判を継続中であるが、今回の判決はわれわれの裁判にも大きな影響を及ぼすことは必至である(三里塚情報307号から転載)。