1992年10月10日        労働者の力                第37号

日本軍隊の海外派兵=自衛隊のカンボジア派兵を許すな!
9・27京都大久保基地に全国から結集


基地包囲の人間の鎖、成功

 九月に入って、自衛隊カンボジア派兵反対の行動が全国各地で闘われている。派遣団の主力となる陸上自衛隊第四施設団が置かれている京都府宇治市の大久保基地への抗議行動がすでに八月段階から波状的に闘われているほか、輸送機が発進する愛知の小牧基地、輸送船の出航基地である広島の呉や神奈川の横須賀、あるいは中継基地とされた沖縄での闘いと各地の闘いが積み重ねられている。
 九月二十七日、宇治市の大久保基地闘争は、全労協の組織決定による参加を含め、全国の闘いを包括する全国集会と行動になった。基地近くの集会場は午前中から関西共同行動・京都共同行動の前段集会が開かれ、前日の京都共同行動主催の全国交流会に参加した人々を含めた集会となった。午後、会場を埋め尽くして約二千人が参加した全国集会が行われ、大久保基地へのデモ、そしてデモ終了後の基地包囲の人間の鎖行動が展開され、成功のうちに全行動を終えた。
 集会には北海道から九州までの各地からの結集があった。東京からの参加者は数百名に達したが、急きょ形成された大久保基地包囲・東京共同行動(代表 宮本なおみさん)は、前日の全国交流会参加を含め、約百数十名のバス派遣団で集会に結集した。この行動は一連の反PKO法行動や内田選挙の闘いから生み出されたもので、新たに結成された社会主義政治連合も積極的に関与した。東京での日常的な地区共闘や市民行動などの連携強化への試みとしては成功であった。反PKO闘争時の全国実行委員会を継承する九・一七の日比谷野音集会と再度の全国実行委員会結成と並んで、地区共同行動の強化とその横断的な連携の進展は今後の東京での運動にとって大きな意味をもつものであり、内田選挙の成果をさらに推し進めることにつながるであろう。

自衛隊による「国際貢献」論の欺瞞の象徴――ウトロ地区住民の切り捨て

 全国集会を主催したのは「自衛隊の海外派兵に反対する平和実行委員会」で、昨年以来宇治市の市民や労組や平和団体が積み重ねてきた共同行動の継続として結成された。宇治市の共同行動では、「ウトロを守る会」の活動が大きな意味をもっていることを紹介しておきたい。
 施設団配備ということで今まではさほど注目されることのなかった大久保基地は、実は第二次大戦の歴史を今なお直接に引きずっている存在である。基地に隣接して、在日朝鮮・韓国人の住むウトロ地区があり、現在、日産資本の横暴によって土地取り上げ訴訟がおこされている。
 ウトロ地区、八〇世帯三八〇人の人々は第二次大戦中に、軍事工場や建設中であった飛行場の労働力として集められ、敗戦と同時にその場になんの補償もなく放り出され、しかたなく当時の飯場、ウトロ地区に居住してきた。戦後は米軍の追い出しと闘いつつ居住の場を確保しつづけてきた。国有地と民有地にまたがっているが、その民有地の所有者、すなわち旧軍需産業をひきついだ日産車体が、戦後四十二年たった一九八七年に突如不動産業者に所有権を移し、この不動産業者を動員して立ち退き訴訟をおこし、さらには実力行使で一部家屋撤去の行動に出たのである。「ウトロ守る会」はこうした強制立ち退きを阻止するべく組織され、今まで法廷闘争や自治体での闘いを続けてきている。ウトロ住民はさらに国際的にアピールするべくニューヨークタイムスや韓国の新聞への意見広告をだす運動を行っている。
 戦後補償もなくただ放置されたウトロ住民に対して、日産資本はもとより国もまた関知しないという態度を貫いている。こうした歴史を今なおひきずる大久保基地からまっさきに海外派兵がなされることこそ、国際貢献という名目をかかげつつ侵略戦争責任に頬かむりし、居直る戦後日本の実態とその国際貢献論の本質を象徴的に示すものである。

自衛隊海外派兵の既成事実化を許さぬ闘いを

 さみだれ的に行われている自衛隊カンボジア派兵は、10・13の小牧基地からの本隊派兵で一応完了することになっている。交代をふくめて一年間の予定である。だが防衛庁はUNTAC活動が終了期限の来年十月以降も延長されることを想定した準備に入っていると伝えられる。
 カンボジアUNTACが「困難性」を増すほどに、日本自衛隊のカンボジア派兵が量的のみならず質的に増強される可能性は大きい。
 現状から見て、UNTAC活動が予定どおり終了し、平和裏に総選挙が実施されるというのは幻想に近いであろう。かりに各勢力の武装解除が表面的に進行したとしても、それはあくまで表面上ということにすぎないであろう。各派の衝突は潜行的に持続せざるをえない。
 そしてカンボジアPKO活動は、まさに軍事衝突を回避するという名目で軍事的側面を拡大することになるであろう。国際貢献を言い、国連の要請に応えることを立脚点とする日本自衛隊は、カンボジアPKOにおいて、橋や道路を直すというところから直接に軍事力を行使するところに踏み込むということを、既成事実の積み重ねとして進めていくことになる。
 最近の世論調査は、非軍事に限定された自衛隊PKO支持が五〇%強と報告している。これは「橋と道路を直す」「貢献」という理解に基づくものだ。
 だが「橋と道路」は自衛隊派兵の第一段階の既成事実にすぎない。
 「橋と道路」ならば、自衛隊が行く必要は一切ないからだ。
 既成事実の積み重ねの青写真は、軍事的緊張をはらむカンボジアPKO活動に日本自衛隊が積極的に関わるということからもたらされる質的・量的エスカレーションの道筋にそったものなのである。
 ソ連の「脅威」が消滅した今、アジアにおける日本の軍事力の突出が顕在化しはじめた。台湾へのF16売却決定はアメリカがアジアをどのように見ているかを明らかにしている。フィリピンからの米軍基地撤去によってますます日本の米軍基地が増強されている。佐世保には上陸強襲空母がはじめて配備された。
 アメリカはアジアでの「戦争」に備えているのである。その戦争はソ連崩壊以降の情勢において、対ソという観点から中国に対処してきた戦略からの転換とアジアにおける――中国を想定した――対抗的「大国」の登場を阻止するという観点から導かれるものであろう。すなわちイラクに対すると同様の、「地域的」な紛争に、即座にそして全面的に介入することを可能とする軍事的プレゼンスを背景とした絶対唯一の超大国の位置確保の戦争である。
 自公民ブロックはそうしたアメリカの戦略に食い込んで、自衛隊の対外「戦力」化を公然化する過程に入った。カンボジアでの「橋と道路」はその遠大な野望の始まりにほかならない。
 カンボジアへの自衛隊派兵を許容する意識の醸成と既成事実化を許してはならない。小沢調査会答申の積極的な暴露が必要である。
 自衛隊海外派兵阻止の闘いのさらなる拡大を。

声明】
最高裁に上告しました
三里塚管制塔被告団


 一九九二年六月二十五日、管制塔民事訴訟の控訴審判決が出されました。東京高等裁判所は、私たち管制塔被告に対し、政府・空港公団の請求全額を支払えと命じたのです。
 これは、一審で私たち被告が勝訴した部分を破棄し、政府・空港公団の要求に満額回答で応える不当極まりない判決でした。しかも、裁判所は、裁判の過程で政府・空港公団さえ一度も主張しなかった特殊な計算方法で損害額を出したあげく、原告の請求額が少なすぎるとまでいっているのです。いったい、審理の内容と無関係に出される判決などが、あっていいものでしょうか。
 この判決で、私たち管制塔被告団は、遅滞金を含めて約七〇〇〇万円の賠償を負わされ、仮執行の脅しにさらされることになりました。
 しかし、私たちは負けません。三里塚の道義に照らして、一円たりとも支払う義務はないと考えます。むしろ、この攻撃を三里塚闘争の一環としてはね返していくことこそが、私たちに課せられた仕事だと確信しています。
 八月二十六日、私たちは最高裁判所に上告しました。
 政府・空港公団は二十六年間にわたって、田や畑を破壊し、人間や人間の関係を破壊し、地域の文化と風景をも破壊しつづけてきました。管制塔占拠闘争はそれを許さない闘いであり、彼らに比すればほんのささいな破壊活動にすぎません。私たちはこの闘いの継続として上告審の裁判をつづけていきます。
 私たちは、政府・空港公団が、成田空港建設の非を認め、損害賠償請求を取り下げるよう主張します。二期工事中止・成田空港の廃港を要求します。
 三里塚農民のみなさん、全国の仲間のみなさん、共に最後まで頑張りましょう。
 一九九二年九月十二日
  三里塚管制塔被告団 
10・25三里塚全国集会へ!
日時   十月二十五日(日)正午
主催  三里塚芝山連合空港反対同盟(熱田派)

【短信】
 天皇訪中と北京学生の意識調査

天皇の戦争責任あり94%

報道(『朝日』9・27朝刊)によれば、北京の学生の九六%が日本軍国主義の復活がの能性ありとし、九四%が天皇に戦争責任ありとしているという調査結果が明らかにされた。調査はさらに天皇が謝罪すべきだという立場が六八%であり、また九〇%近くが戦争責任への民間賠償要求を支持している結果を示した。同時に天皇訪中歓迎が半数という結果も示された。
 日本に対する感覚では五二%が嫌いと表明している。
 調査は北京大学を中心にし、中国人民大学、北京師範大学の学部生、院生、若手教師がが対象としたもの。
 主催者である北京大学院生の「国情研究会」は、「民間賠償や謝罪への高い支持率は、天皇の北京訪問に不安定な要素を与えている。もし日本が北京の学生の立場や要求を無視するならば、全国的な学生の反日の波を引き起こすことになるだろう」「半数が天皇訪中を歓迎すると答えたのは、反発はあるものの中日関係の大局を重視しているため」と述べている。
 だが天皇謝罪問題では、必要ない二〇%、どうでもよい一二%であり、訪中問題では歓迎しない一五%、どうでもよい三五%の結果がある。
 これをどう見るか。天皇の顔も見たくないという意識や無関心を装うという対応があることも浮かんでくる。
 いずれにせよ、中国民衆が天皇に戦争責任ありとし、日本国家に賠償責任ありと認識していることが明らかだ。(K)

第五回全国総会提出文書――2

社会主義の未来と日本トロツキズム運動

          高木 圭


T 社会主義の危機?

 1 ソ連崩壊後の思想情況


 一九九二年暮れに人類最初の労働者国家・ソ連邦が崩壊するとともに、社会主義思想に未曾有の危機が襲っている。
 われわれは一九八〇年代半ばに開始されたゴルバチョフによるペレストロイカが、ソ連の本来的な社会主義建設路線への復帰につながることを希望していた。だが、現実の歴史の展開はそういった希望とはかなり相違していたように思われる。いま旧ソ連で社会主義思潮を高唱するものはごく少数派であり、しかもそういった人々はしばしば嘲笑を買っているともいわれる。それほども社会主義からの人々の「揺れ」はすさまじいと言うことができるのである。
 そして、わが国で社会主義を口にするものの多くは、社会民主主義のみがその今後可能な形態であることをはばからず公言するようになっている。たとえば、和田春樹氏の公刊されたばかりの岩波新書の一冊『歴史としての社会主義』はそういった主張を盛った著書である。
 ともかく革命的マルクス主義者を自認する者は今日困難な情況に置かれているように思われる。かつてレーニンは『共産主義の「左翼主義」小児病』(一九二〇年)の中で革命の要件についてこう書いた。「革命のためには、第一に、労働者の大多数(少なくとも自覚した、思慮深い、政治的に積極性のある労働者の大多数)が完全に変革の必要を理解し、この変革のために死地におもむくだけの覚悟をもっていること、第二に、支配階級が政府危機にあり、この危機に最も遅れた大衆をも政治に引き入れ(あらゆる真の革命の特徴は、いままで政治に無関心であった勤労被抑圧大衆の中の、政治的に闘う能力のある者の数が十倍に、あるいは百倍にさえ急増することである)、政府を無力にし、革命家が政府をすみやかに打倒することを可能にすることが必要である」。「革命」という言葉をもてあそぶのでないかぎり、当面する世界の情勢がレーニンのいうような「革命」情況から遠ざかっていることを率直に認めざるをえないように思われる。
 それでは、われわれは革命的マルクス主義の旗を放棄し、バリケードの反対側のブルジョワ階級のもとに馳せ参じるべきなのであろうか。たとえば、現在の日本の社会民主主義者の多くがそう考えているように。われわれの答えは、きっぱりと「否」である。ヨーロッパでは、いわゆるサッチャーリズムなどの経済ナショナリズムが勢いを増しており、また外国人労働者を排撃する新ファシズムともいうべき政治勢力が台頭しつつあるという。その一方で、それに対決する労働者の闘いは東欧・ソ連の労働者をも巻き込みつつあり、ヨーロッパ規模の団結は強化されつつある。
 われわれの闘いが一歩でも後退する時には、反対勢力が一歩前進する。われわれは少しも後退するわけにはいかないのである。たとえ、革命的情勢が一時的に遠ざかっているにしても、労働者の階級的陣営を明け渡すわけにはいかない。陣営を強固にし、おそらく数十年はかかるであろう革命の潮の再来の時のために奮闘しなければならないのである。
 現在の思想的危機は主として、国際的政治情勢からもたらされた。すなわち、東欧・ソ連の政治経済的危機がその根本的要因にほかならない。その危機の思想的根源はいったい何なのか。そこで、われわれは一九八〇年代の東欧・ソ連の危機の歴史的起源を分析し、ペレストロイカとはいかなる政治経済的性格をもったものであったのかを冷静に総括しなければならない。
 ソ連労働者国家の解体は同時にスターリン主義官僚体制の崩壊でもあった。狭義のスターリン主義体制は、スターリンの死と、その直後のフルシチョフらの脱スターリン化とともに終えんした。だが、広い意味でのスターリン主義体制はどうであろうか。ソ連の歴史が教えているように、広義のスターリン主義体制はゴルバチョフによってペレストロイカが開始されるまで存続したとみることができる。実際、長期のブレジネフ体制は歴史家たちによって適切にも新スターリン主義の時代と呼ばれるているのである。
 それではスターリン主義体制とは何か。その予兆はレーニンの死とともに出現した。一九二四年に講演され、出版されたスターリンの『レーニン主義の基礎』はその最初の兆候であった。それはスターリンの独創的著作というよりは、レーニンの思想の俗流化と教条化の体系的展開と規定されるべき書である。この著作の初版ではなく、後の版に「一国社会主義」の教義が現れた。この著作は「ボリショヴィキ化」ないし「レーニン主義化」の一環として刊行された。つまり、レーニンの理論、とりわけ党組織論の化石化傾向の一つの現れであったのである。このことによって、レーニンの「民主集中制「官僚独裁制」(代行主義)に転化し始めた。スターリン主義は、一国社会主義という歴史理論と、組織論における代行主義によって特徴づけられるのである。
 一九二八、九年になってスターリンが政治的覇権を掌握するや、このスターリン主義はまことに暴力的に発現を見ることになる。農業は強制的に集団化され、工業化は常識はずれのスピードで促進された。また哲学思想は「マルクス・レーニン主義」という名目で、まことにわい小に一枚岩化された。われわれがこれまで「計画経済」という呼称で、時に美化して語ってきた経済体制は、実にスターリンが始めたものだった。さらに、この体制の成立過程とともに、有名な大粛清が展開された。
 フルシチョフによって開始された非スターリン化は、主としてスターリンの凶暴な性格なるものを批判したものであった。その思想的根源である一国社会主義と代行主義を乗り越えようとするものではなかった。それというのも、非スターリン化を推進しようと企図したフルシチョフ自身、広義のスターリン主義官僚であったからである。
 ゴルバチョフのペレストロイカはフルシチョフの改革をたしかに一歩も二歩も前進させた。このことは評価してもしすぎることはない。しかし、彼のスターリン批判は依然として一国社会主義の路線に沿ったものであり、また代行主義も部分的にしか放棄することはなかった。ソ連改革派の政治経済路線はブハーリン的な一国社会主義路線であった。ゴルバチョフがソ連の指導者にのし上がるや、逸早くブハーリンの復権を志したのは偶然ではない。彼は下から労働者・農民を動員して社会主義建設を呼びかけることなく、上からの部分的改革を呼びかけるにとどまった。共産党官僚がクーデターによってゴルバチョフの追い落としを謀った行為は、まさに代行主義の極みであった。ゴルバチョフの後は、たしかに民主化という点では急進的であったエリツィンが継承した。けれども、彼は何の未練もない社会主義放棄派であった。彼はアメリカに飛んで、「ロシアを二度と社会主義の国家にはしない」と、こともあろうにアメリカ帝国主義の中枢で誓ってみせる政治的感覚の持ち主であった。こうしてロシアの「復古」の時代が到来するにいたった。
 このような情況にあって、日本の論客たちは多様な反応をみせた。が、声高に発言したのは、マルクスやレーニンの思想の放棄を積極的に叫ぶ社会民主主義的思想の持ち主であった。たとえば、先ほど言及した和田氏や、かつて右翼スターリン主義者であった加藤哲郎氏である。だが、注目すべきことに、溪内謙氏や上島武氏は革命的マルクス主義の原則の保持を主張した――しかも、重要なことに、トロツキーの思想に大いに依拠しながら。

 2 二十世紀の古典的マルクス主義としてのトロツキズム

 最終的結論はまだ出されていないものの、一九一七年のロシア社会主義革命に始まった歴史の一サイクルが閉じた時点で、この時代を顧みていえることは、どうやらトロツキーの思想が最も包括的に古典的マルクス主義の観点からソ連史を捉え、かつそれに実践的に対応したことである。トロツキズムは二十世紀の古典的マルクス主義の最もすぐれた形態であった。
 まず、トロツキーはロシアに社会主義権力が到来することを誰よりも的確に予見しえた。永続革命論がその予見の道具であった。彼は、ロシアにプロレタリア権力が樹立される蓋然性を最もオプティミスティックに予言した。そして権力の奪取をレーニンとともに最も勇敢に実行した。また、彼は一九二〇年代の経済政策論争においても、極めてすぐれた観点を提示しえた。労働者と農民に巨大な犠牲を強いた「戦時共産主義」から「新経済政策」(ネップ)への転換を最初に呼び掛けたのは彼であった。同時に、この政策にもし適切な工業化が伴わなければ、ソ連経済は世界資本主義に押しつぶされるであろうことを訴え続けた。
 トロツキーはさらに、一九二九年に始まったスターリンの経済的冒険主義の最も徹底した批判者であった。このことは一九三〇年頃から『左翼反対派ブレティン』に立て続けに掲載された諸論考によって裏書きされる。今日のソ連の悲惨な現状を見る者は、いかにトロツキーの予見が驚くべき先見性を示していたかを学びえるであろう。むろん、彼は組織論におけるスターリン的代行主義の最も非妥協的批判者でもあった。この観点は一九二四年の『新路線』で示されている。
 トロツキーの『裏切られた革命』(一九三六年)は、古典的マルクス主義の良心がいかにしてロシアに根付き、またロシアからほとんど跡形もないまでに追放されてしまったかの比類のないドキュメントなのである。こういった観点から見る時、ドイッチャーの非スターリン化に寄せた期待は幻想とはいえないものの、過大であったことが分かる。第三インターナショナルの単なる反対派であることから踏み出して、独立した第四インターナショナルを建設したトロツキーの判断は正しかった。しかしながら、トロツキーをめぐる歴史はこれまでのところ悲劇であった。そして彼の思想的闘いは勝利からはほど遠いもので、まったく未完のままなのである。ここに多くの人は悲観すべき理由をみるかもしれない。だが、ここにこそわれわれの存在意義があるのであるということもいえるのである。
 今日ロシアをめぐる歴史の一サイクルが閉じられたことをもって、レーニンやトロツキーの時代もが終わったことを高唱する論者がいる。しかしよく反省してみると、彼らはほとんど例外なくスターリン主義の同伴者であった。われわれは、このような思潮に反対し、マルクスの古典的理論をもトロツキーの古典的マルクス主義をも擁護する。が、それにも満足しない。そういった最良の遺産を継承しながら、古典的マルクス主義の現代に即応したさらなる彫琢をも目指そうとするのである。

U マルクス主義の危機と
    再建の要件

 マルクスとエンゲルスは、十九世紀のヨーロッパ資本主義の現実の分析から彼らの思想を建設した。それは、日常の使用価値を生産する経済システムである資本主義が資本の利潤獲得を主要目的とするあまり、人々の肉体と精神を無益な競争に駆り立て、あまりに無政府的であることを矯正しようともくろむ政治経済思想であった。また、それは先進資本主義諸国の労働者たちの多数をも革命的に獲得すべき社会思想として機能した。だが、マルクス主義が何の歴史的前提をももたない、よく言えば普遍的で、悪く言えば独断的な教義であると考えるとしたら、それはマルクスらの創造的精神への重大な背馳といわれねばならない。
 まさしく、古典的マルクス主義を創造的に発展させるべく、レーニンやトロツキーは柔軟にかつ革命的に思考した。その結果が、彼らによる社会主義権力の奪取とその理論的裏付けなのであった。彼らはいずれも一国社会主義理論に反対した。また今日人気が悪いレーニンの組織論ですら、不可逆的なまでに代行主義的であったわけではなかった。彼らは世界資本主義をいかに社会主義的なものに変革してゆくべきかを常に下部労働者のことを念頭に置いてものを考えた。すなわち、国際主義的にかつ被抑圧大衆の利益のために思考することを片時も忘れなかった。
 現代のわれわれがなさなければならないことは、スターリンの一国社会主義と官僚的代行主義に反対したトロツキーの理論と実践を継承しながら、しかもそれらがどの程度まで現代資本主義を捉え切れているかリアルに評価し直すことである。ほんの素描的にではあるがこのことを試みてみよう。
 第一に、資本主義ないし帝国主義に関するマルクスやレーニンの理論は、なるほど現代でもかなりの程度有効性はもっているにしても、ソ連解体後の現代資本主義批判の理論として十分であるかどうかが問われねばならない。現代資本主義は、近代科学技術で武装して生産力の拡大を図り、かつそうして獲得した富を特定資本が国家権力と提携して運用しようとする「私有化」ないし「民有化」の思想で裏付けられている。さらに、それぞれの帝国主義は、競合しながら、かつ政治的・経済的な破滅にいたらないように政策協調する側面をももっている。先進国サミットは、こういった政策協調のための政治的儀式なのである。
 こういった現代資本主義の最初の犠牲になっているのが天然資源であり、地球環境である。また「北」の資源浪費国に対する「南」の資源供与国である。特定産業資本が肥え太る一方で、農漁業は衰退し、労働者は真の豊かさからは遠い、文字通りバブルのように空しく膨れあがった経済のために、本質的に無目的の生活を余儀なくされている。このような経済システムに対抗し、資源や環境に関する国際的な環境計画経済を基本とし、スターリン主義体制のもとでの中央官僚指令経済とは別の形態の、労働者管理に基づく活力ある生産・分配システムが目指されねばならない。そこでは国際的・国内的な理性的な経済目的に統括され、かつ経済的自由を保証する市場とうまく調和した、既成政治経済体制とはまったく別のシステムが闘いとられるに相違ない。こういった概略的目標に向けた理論と実践が細密に展開されねばならない。
 第二に、闘う労働者に十全な民主主義を保証する労働者党の組織形態が追求されるべきである。それは一枚岩的な画一主義に染まらず、世代間の思想継承も民主主義的に行われるような組織形態であろう。レーニン主義的組織論は戦争時のような緊急時には必須であったろう。それを清算するということではなく、その精神性を継承しつつ、新たな共同体的結合の形式が模索されるべきである。同時に、多元主義的な思想や組織の競合が、一定の範囲内で許容されねばならない。個人の精神的自発性は、そのような組織のもとでこそ発現されうることが示されねばならない。
 第三に、被抑圧民族の政治的・文化的な自主・自決を認めながら、人民の国際主義的結合が追求されねばならない。民主主義的でかつ規律あるインターナショナルが大衆的に建設されねばならない。
 スターリン主義のもとでの国家社会主義の試行は、少なくとも反面教師として重要な教訓をわれわれに残した。現代資本主義の新しい段階に適応した、以上に展開したような新たな理論がぜひとも構築されるべきである。マルクス主義はスターリン主義によって徹底的に汚された。いまやその汚辱を濯ぐべきである。それはトロツキズムの遺産を継承した新しいマルクス主義理論の建設を通してでなければならない。

V 日本トロツキズム運動の
    停滞と再生

 先に示唆したように、トロツキーによる第四インターナショナルの建設は正しかった。ドイッチャーのような解党派は間違っていた。だが、第四インターナショナルのこれまでの思想と活動を誇るだけでは十分ではない。その段階にとどまるのは、さながら立派な資産を伝えられた子どもが、その遺産を食いつぶすだけなのと同断である。最良の遺産をもとに新しい歴史の現実に挑戦しなければならない。
 トロツキズムは残念ながら社会民主主義やスターリニズムのような大衆的基盤をもちえなかった。これからは、社会主義的潮流が一般的に困難な情況におかれる中で、大衆的基盤の獲得のために、社会民主主義や共産党の後に隠れてではなく、先頭に立って闘わねばならないのである。
 その際、こころしておかなければならないことがある。トロツキズムは、戦後の労働者国家と「人民民主主義」運動の拡大と前進の時期に、トロツキーの古典的マルクス主義から逸脱し、パブロ主義に後退したように思われる。それはソ連の軍事力に過大に期待し、トロツキズムの自立性を希薄化させてしまった。私は決してパブロ主義の時代総体をすべて誤りであったとは思わない。パブロは正しくもセクト主義の立場に立たず、労働者大衆の中に分け入ろうとした。しかし、意識的労働者が既成労働者国家に幻想をもつことなく、そしてソ連が解体したいまとなっては、パブロ主義の総括とそれからの決別は必須である。
 私は何もパブロ主義の時代の、それへの対抗思想であったキャノン主義を再評価せよ、と主張しているのではない。いわんや、いまやスターリン主義のあらゆる側面が解体しつつある思想情況の中にあって、意図せずしてスターリン主義的組織理論を後生大事にしているかにすらみえるウルトラ・セクト主義的な特異な「反スターリン主義」に希望を託そうというのでももちろんない。トロツキーの古典的マルクス主義の原則に帰り、その立場から新しい理論を構築しようと呼びかけているのである。特に旧日本支部は、新左翼急進主義の一環として自己を位置づけていたため、トロツキズムの理論的主体性を十分発揮することができなかった。今日のわが日本トロツキズム陣営の理論的混迷は、あげて自己のかなり特殊なパブロ主義的過去にあることをまずはっきりと認識すべきである。
 われわれの今後の課題を明確にしておこう。
 第一に、マルクス主義とトロツキズムの遺産を整理し、現代に生きる歴史理論としてそれを再建することである。いまソ連では、労働者に多大な犠牲を強いたスターリン主義官僚路線とも、また欧米の「私有化」ないし「民有化」の経済路線をまねた、現在のロシア人民にサディスティックに大きな犠牲を強制しているエリツィンの「ノーメンクラトゥーラ私有化路線」とも明確に異なる、第三の真に民主主義的な社会主義的政治勢力が形成されつつある。トロツキズムはこの路線の中核に位置するであろう。
 人はわれわれのことを時にトロツキー・ドグマティストと呼ぶ。よろしい、マルクスが十九世紀の資本主義の根底的批判者であったのと同様、トロツキーは二十世紀の戦争と帝国主義の時代に被抑圧者を根底から擁護した。その姿勢を非妥協的に受け継ぐ点で、われわれはトロツキー・ドグマティストである。ある共産党籍をもつトロツキー研究者は、最近こう言った。「トロツキーはほとんどすべての試練に合格した。トロツキストは自己の数十年の経歴を誇るべきである」と。この認識は重い。「トロツキー研究会」は、こういった理論的再建の一つの拠点であろう。
 第二に、われわれは、にもかかわらず、あらゆる教条に捕らわれず、新しい現実に立ち向かう。左翼セクト主義的な観点をとらず、社会党が「現実主義的」に変質しつつある中で、労働者階級の真の利益を守る勢力が誰なのかを示し、階級の闘う団結を求める。社会党の「左」には共産党が位置している。だが、いま共産党の少なくとも下部は動揺している。社会党の左の翼と連携し、闘う被抑圧者の民主主義的組織として日本支部の再建を勝ち取らねばならない。共産党の教条主義とセクト主義をなくし、社会党の闘わざる性格を克服し、労働者・農民が団結すれば、どんなに大きな政治的力になりうるかを、われわれこそが示さなければならない。最近結成された「社会主義連合」は、そのための重要な政治的機関であろう。
 われわれは当面は、「革命の党」というより、「抵抗の党」にとどまるかもしれない。しかし、それは未来の世代が、そこから生き生きと巣立ってゆけるような抵抗の党でなければならない。
 われわれの現状のリアルな自己認識は、次のような三つの選択肢に分かれるであろう――「ほとんど無か、何物か、それ以上のものか」。われわれが時流に流され、社会民主主義に追随したり、また血迷ってエリツィンの民有化路線を支持したりしてトロツキズムの旗を投げ捨てた場合、われわれは「ほとんど無」であろう。われわれがトロツキズムの旗を守り続けた場合、われわれは「何物か」でありえ、歴史に自己の刻印を記すことができるであろう。さらにもしわれわれがトロツキズムの闘いの遺産を守った上で、新たな現実に応えうる理論を構築しえ、かつそのもとで実践できれば、われわれは確実に「それ以上のもの」になりえるであろう。
 われわれは無論、第三の選択肢に挑戦しなければならない。それはトロツキズムの旗であると同時に、未来の社会主義の旗でもある。

第五回全国総会提出文書――3

 エコロジー問題再考
   
   山本 悟

 この文章は、全国協議会の総会に提出したレジュメをもとに、その後に開かれた社会主義連合の結成総会の分科会での感想などを交えて、書き加えられたものです。ちなみに、レジュメの表題は「エコロジーと哲学・倫理……が問題になっているらしい」というものでした。表題を変えたのは、読者の皆さんの目に触れるのでふざけた感じを極力なくそうというのと、それ以上に「哲学・倫理」という看板とは内容が異なりすぎるためです。

はじめに

トロツキズムや社会主義についてならばともかく、ことエコロジーや環境問題について、全国協議会のメンバーには、とりあえずの枠組みはなにもないといって良い。
あえていえば、生産力主義的(俗流という形容詞を付けても、いっこうに差し支えない)な共通の感覚は、かつて持っていたかもしれない。
こうした訳で、全国協議会のメンバーはもちろん、かつて日本支部を構成してきた人々にとって、フェミニズム・女性差別問題は無関心を装うことのできない事柄だが、ことエコロジーに関しては無関心を装ったとしても、それはむげに否定できるものではない。
あるいは次のような考え方があったとしても、なんら差し支えない。
「ぼくは、基本的に活動するのが嫌いなのである。出不精だし、ものぐさだ。寝っころがって好きな本を読んでいるときが一番楽しい。他人が何をしようと、めいめいが勝手に好きなことをやればいいと思う。お説教じみた御高説や正論は、意識的に避けてしまう。
『どーだっていいじゃん、そんなの』と思ってしまうのだ。環境問題に対しても同じ意識である。基本的には、『どーだっていいじゃん、そんなの』と思うのだ。だから、周りが、『環境、環境』と騒ぐと、『なぜ環境を大事にするのか?』について、納得できる答えがほしくなる。だって、突き詰めて考えれば、人間がいるから環境が破壊されるわけである。ここでぼくの思考はストップしてしまう。―環境を保護するのは大切なことだ→だけど、ぼくが犠牲になるのは嫌だ→GO TO END」(佐倉統「現代思想としての環境問題」)
というわけで、結論を急がず、かなりの幅をお互いに認めあって、あるいは我慢しあって、議論を続けていくべきだろうと考えている。

ところで、エコロジーに関するこれまでの多くの論議は、あくまで大雑把な分類であるけれども、@環境問題の現状報告・告発、A現状に対する対策・処方箋、Bそれを担う主体・運動・方法、といったものが中心であったと思われる。たとえば、「@オゾン層の破壊、Aフロンガスの規制、B先進各国が、…」といったぐあいである。
しかし、ここで取り上げたいと思うのは、これらのベースとなるべき「哲学・倫理(観念・理念)」や、さらにそのベースともいうべき「文化とかスタイル」といった領域に関わる事柄である。ここらあたりが、エコロジカルであるのか? ここらあたりからエコロジカルであるのか?

次のような情景を思い浮かべてみよう。「あるエコロジストが、環境問題を討論しているというトロツキストの会合に参加しようと、会場にやってきた。ドアに手をかけると、中からは真剣で熱気あふれる討論の声が聞こえてくる。多少の緊張と、何がしかの期待が胸に増幅され、そしてドアを開けた。すると中からは、タバコの煙がモウモウと…」
この際、この不幸なエコロジストが何をどう感じたかはさして問題ではない。「スタイル」の違いといったようなものを感じてくれれば十分である。
確かに、ここまで不幸なトロツキストとエコロジストの出会いは、現実感がなさすぎるかもしれない。会議の参加者たちが禁煙を申し合わせれば、それだけでこの不幸な出会いは避けることができる。
けれども、不幸な出会いを避けるということと、実り多い出会いを創り出すということとは、もちろんまったく別の事である。
もうちょっと、現実的な例をあげてみよう。
内ゲバの血で汚れた鉄パイプを懐に秘めながら、アルミ缶や牛乳パックのリサイクルに汗を流している人々を考えてみよう。しかも彼らは、なまじ「党的意識性」や「レーニン主義」で武装されているだけに、表面的には「不幸な出会い」など起こりようもないように見える。それどころか、誰にも負けず熱心なエコロジストであるかのように見えるという、不可思議な現象すら現われる。
もうちょっと、自分たちに引きつけた例をあげてみよう。
先日開かれた社会主義連合の結成総会に、私も参加させてもらった。その環境問題の分科会に提起されたレジュメは、先の分類でいえば@〜Bのテーマを中心に、それ以外にも国連・世界国家(正確な表現は忘れてしまった)・国民国家・地方自治体といったことについても言及していた。しかしなぜか、「前衛党」とか「プロレタリア独裁」とかいったテーマについては触れられていなかった。それがいらぬ刺激を避けるために、意図的になされているのならばまだ良いのだが、どうも自覚のないまま、通りすぎてしまっているように思えるのである。
「内ゲバの鉄パイプ」と「前衛党・プロレタリア独裁」を同列に並べるのは、もちろん穏当を欠くことは承知しているけれども、それはわれわれの世界の常識なのであって、緑の人々にとっては、どちらも左翼の代名詞のように思われているのも事実であろう。
これまでのわれわれの価値観の根幹に触れる部分にメスを入れずに、「合流」ばかり急ぐと、結果的には「不幸な出会い」を避けるための表面的な変化ばかりが先行してしまうように思える。
われわれも含め、左翼全般がさえない中で、「赤が緑を取り込もうとしている」と緑の人々が感じたとしても根拠のないことではない。事実、たぶん残念ながら事実であろうが、緑の運動と人々を指導しよう、利用しようとしている懲りない面々もまたいるからである。 われわれが、実り多い「赤と緑の合流」を実現しようと思うなら、われわれが何を討論し、何を総括すべきなのか。ここはやはり、あらかじめ枠組みを固定せずに考えを披瀝しあうことが求められているように思う。

ガタリの「三つのエコロジー」
に触発されて

 つい先日、八月二十九日の未明に、フランスの思想家フェリックス・ガタリ氏が心臓発作のために死去した。
もちろん彼の死はまったく偶然の出来事だが、この提起の二番目はガタリの「三つのエコロジー」(邦訳は大村書店)の感想と、それからの引用である。
この本はとても難しい本である。わたしも一度挑戦して、途中で挫折を経験している。
たとえば、「自己成長的配備の形状の場合、意味否定的な表現的切断は、非身体的な対象、抽象機械、価値世界といったものをつくりあげる創造的な反復を呼びよせ、しかもそれらはそれらを生みだす実在的な出来事に完全に従属しているにもかかわらず、必然的につねに《そこにあった》ものとして認定される」と、まあこんな感じである。
 それがなぜ再度挑戦し、あまつさえ感想やら引用やらを書こうと思ったのだろうか。それは、たまたま開いたページに、私たちが経験してきたことと重なりあうと思われる文章が目についたからである。
例えば次のような箇所である。
「生産諸力は人間の活動可能な時間のうち人が自由に使える時間量をますますふやしつつある。しかしそれは何のためにだろうか? 失業や社会の周辺に追いやられた者の抑圧、また、孤独、無為、不安、神経症といったような現象をもたらすためにか、あるいは文化や創造や研究のため、環境を再構成したり、生活様式や感受性を豊かにするためにか?」
「一九世紀からひきつがれた階級対立は、当初、二極化された主観性の物質的な領域をつくりだすもとになった。しかし、やがて二〇世紀の後半に入ると、消費社会、福祉政策、メディアの発達などを通して、堅くてまじりけのない労働者の主観性は風化していく。差別や位階制がこれほど深く人々の生にくいこんだ時期もなかったけれど、他方で、いまや主観性を産み出す様ざまな配置の総体が、ある同一の想像上の覆いをおしあてられている。広がりをもったある同一の社会的帰属感情が旧来の階級意識に浸透し緊張を解いた」
「階級闘争における対立構造を横断的に貫通するもうひとつの対立図式は男―女の関係構造である」
「青年は経済的諸関係の網目のなかでおしひしがれ、マスメディアの集団的主観性の生産によって精神的に操作され、ますます不安定な立場に追いやられてはいるけれども、標準化された主観性に対しては独自の特異性のスタンスを保とうとしている。この点、ロック文化の国境横断的性格はまことに意義深い」
もちろん、これ以外にもあるのだが、要するに読みながら、「ムムッ」とする箇所があり、興味をそそられたということに尽きる。
ところで、ガタリの言う「三つのエコロジー」とは何を指すのだろうか。
ガタリは言う。
「環境と社会的諸関係と人間的主観性という三つの作用領域の倫理―政治的接合だけが、この問題にそれ相応の照明をあてることができる」
「エコロジー的危機に対する真の答えはことを地球的規模でとらえ、しかも物質的・社会的・文化的な革命がおこなわれないかぎり見いだしえないであろう。したがってこの革命は大きな目に見える諸力の力関係だけにかかわるのではなく、同時に、感性、知性、欲望の分子的領域にも当然かかわりをもつものとなるだろう」
いま日常的にいわれているものは、環境に関するそれである。ガタリはそれ以外に、「社会」と「文化」のエコロジーを加えて「三つのエコロジー」としている。
このガタリの言う、社会的エコロジー・文化的エコロジーについて、わたしは大きな顔をして解説できるほどに理解しているわけではない。また、ガタリの主張を全面的に支持しているわけでもない。

傾聴に値する
ガタリの部


しかし、耳を傾け考えてみる価値はあると思っている。
「つまるところ、新しい歴史的文脈のなかにおける人間存在の生産はいかにあるべきかという観点に帰着する。したがって社会的エコゾフィーは、夫婦や恋人の間、家族のなか、あるいは都市生活や労働の場などにおける人間存在の仕方を変革したり再創造したりする特別の実践発展させるところに成り立つ。むろん、人口密度がもっと希薄なうえ、社会的諸関係も今日より簡略であった前時代の古い生存形態にもどるなどということは考えられない」
 ガタリの言うようにエコロジーの概念を、社会の領域にまで拡張して考えるとする。
 そうすると、先述した社会主義連合の結成総会での、国家・自治体・国連とかに関わる提起は、単に「環境問題」を解決するための道具としての社会的諸組織という位置づけを越えて、それら社会的諸組織自身のエコロジーが問題として浮上してくることになろう。そうすると、結成総会での提起に対して、厚顔にもわたしが不満をもらした前衛党とかプロレタリア独裁等々についても、ガタリの社会的エコロジーという考え方からすると、どのように理解し得るのだろうか? 正直に言って疑問は深まるばかりである。
ガタリは言う。
「一方には新たな科学技術的手段の持続的発展があり、それはこの惑星上において現在支配的になっているエコロジー的諸問題を解決し、社会的に有益な諸活動のバランスを回復する潜在的能力をもっているのだが、他方、このような手段を手中におさめて機能させようとしている社会的に組織された勢力や主観性集団がまったく無能である」
 泥沼に入り込むのは、今後の課題にとっておいて、とりあえずここでは、ガタリの展望と思われる部分を引用しておこう。
「社会的エコロジーは、資本主義権力が地域性をなくして脱領土化し、外にむかっては地球上の社会的・経済的・文化的生活の総体に覇権を拡大し、また《内に》むかってはもっとも無意識的な主観性の地層の内部にまで浸透していっていることを、決して忘れてはなるまい。その場合、資本主義権力に対して、単に外側から―組合活動や政治活動の伝統的な実践によって―対抗しようとすることはもう不可能である。資本主義権力の生みだす諸効果に対しては、精神的エコロジーの領域において、個人的・家庭的・夫婦的な日常生活、あるいは隣近所との関係とか、個人的な創造や倫理にかかわる日常的実践の内部で立ちむかっていくことが、同時に要請されてきているのである。愚かな小児的コンセンサスを追求するのではなく、これから大切なことは、実在の相異と実在の特異的生産をはぐくむことであろう」
 「こうした、主観性や財や環境がローラーで圧延されたような最悪の局面は、いまや衰退期に入ろうとしているのではないかとみなすこともできる。あちらこちらで特異性の要求が芽をふきはじめている。この点でもっとも目立った徴候は、つい最近まで周辺においやられていた少数派民族の要求が増大し、政治的舞台の前面を占めるようになってきているといった現象にみることができる」
もちろん、ガタリの展望を楽観的すぎるという意見もあるだろう。わたしも一方で、このような展望に期待をよせたいと思う反面、ガタリ自身がどのような体験と思考の経路を通じて、このような展望を見いだしてきたかについて、認識のない中で軽々に評価を下すことはできないと思う。
いずれにしても、これまで目にしてきた、エコロジーに関する本と異なる「三つのエコロジー」に出合った途端の、思いがけないガタリの死は残念である。

総会に提出したレジュメは、この後にも多少続くが割愛させてもらう。
ただ最後に、社会主義連合の結成総会での提起の内、最後の項「(4)『文化革命』を要にした複合的プロセス Bライフスタイルの転換、文化革命」に関連して私見を述べさせてもらう。
わたしもこの文章の中で、「スタイル」とか「文化」とかいう言葉を使ったり、ガタリを引用したりした。しかしわたしは、あまりこのことを自己目的化することには賛成しかねる。
 むしろわたしの場合、それは「私たちがどれだけエコロジカルであるか」という一つのメルクマールとして、あるいは自分たちの姿を映し出す鏡か影として考えてみたいという、いわばネガティブな提起であると思う。そしてこれはフェミニズムとの合流という課題とも通底しているように思っている。「実り多い出会い」を創り出すために。

彼らの通貨とわれらの通貨

大混乱する市場
 
 コリン・ミード


 欧州通貨制度(EMS)の危機は、九月二十日に予定されているフランスでのマースリヒト条約(欧州連合条約)に関する国民投票の結果への疑問にとどまらない、より深刻な経済的な緊張を反映したものである。この緊張は、国民投票の結果の短期的な衝撃いかんにかかわらず、ずっと長い間持続するであろう。
  
 通貨市場が大混乱している直接の原因は、七月中旬から始まった米ドルのドイツマルクに対する明白なとめどのない下落にある。
 米ドル弱体化の理由は、米連邦準備理事会(FRB)が永きにわたって続いているリセッション(不況)を克服する方策を積極的に追求していることにある。八月二十四日のフィナンシャル・タイムス紙によると「アメリカでは、国内経済の必要性を優先した通貨政策を追求すべきという全般的な合意がある」。この政策は、ドイツが展開している「強い通貨」政策とはまったく対照的である。
 九月四日(金曜日)、事態は急激に動いた。アメリカFRBが失業増加の発表に対応して、利子率を下げたからである。
 ヨーロッパに対するその影響は決定的だった。EMSの為替相場メカニズム(ERM)は、EC各国の通貨が狭い範囲の中での価格の安定を要求している(神秘的な通貨、ECUを媒介にして)。
 つまり他の通貨に対して下落し始めたすべての通貨を一切の手段を用いて防衛しなければならないのである。今回の事態では、ドイツマルクが上昇したので、その他の通貨も同様に高価格を維持する必要が生じた。このことは、弱い経済をかかえる諸国で利子率を上げ、通貨を防衛するために多大な努力をしなければならないということであった。そして、このことは、すでに不況に陥っている経済にデフレをもたらすか、あるいは公的債務(財政赤字)の増加を意味している。
 圧力を受けたドイツの連邦銀行(中央銀行)は九月十四日、予想されていたよりもはるかに小さい〇・五%の利下げを行った。この行為は、ドイツ連銀の強いマルクを維持するという意思を改めて強調する以外の効果はなかった。これが、ERMの死を予告するものとなった。
 同日、イタリアリラは七%引き下げられ、数日後、英国ポンドはさらなる利上げの代わりにERMを離脱した。スペイン、ポルトガル、アイルランドの通貨もまた、困難に遭遇している。
 さらに劇的な事態がスカンディナビア諸国で発生した。デンマークを除いてこれら諸国はECに参加していない。だが、加盟を望んでおり、そのため通貨をERMに入っているかのように扱っている。ソビエト市場を失って打撃を受けたたフィンランドはERMからの事実上の離脱を決め、九月九日、ドイツマルクに対して引き下げを行った。
 翌日、隣国のスウェーデンは、かねてから「市場」からその高福祉政策に疑問をもたれていたのだが、政策金利を一挙に七五%も引き上げた。「固定為替率を断固維持する強固な意思を表明するため」である(前同、九月十日)。しかし、この引き上げでも不十分で、十六日には政策金利をついに五〇〇%に上げた。

「非常識な合理性」

 金融専門家や政治家は、この事態を「実体経済」の強弱に対応した通貨の「強弱」の問題とみなしている。つまり市場が合理的な活動として、経済実体を判断して通貨の売買を行っていると考えているわけである。
 だが、長期の不況に苦しんでいる無知な魂は、この事態に相当にひどい制度総体の働きを見出すだろう。実体経済が世界的な規模で悪化している中で、景気後退政策を追求する経済に仕返しをし、あるいは経済を刺激する狙いを罰している「市場」が存在しているのである。
 そして、現在の通貨市場の動きの背後には、パニックの強い作用がある。金融の大混乱の上に巨大な債務の影が迫っている。スウェーデンの一挙的な利上げは、同国の銀行システムの危機を背景にして行われた。同様なブラックホールは、どこでもいつでも生じる可能性がある。すでにアメリカの貯蓄貸付組合(S&L)や英国の新聞王、ロバート・マクスウエルの破産などの実例をわれわれは目撃している。
 切迫する破滅を回避するため、市場参加者たちは、マクスウエルやスウェーデンの銀行、S&Lとまったく同様に、さらにいっそう狂乱的な投機を行ったり、彼らの貸借対象表の亀裂を拡大しかねない短期的な紙の上の利益を追求することを強制されている。
(インターナショナル・ビューポイント誌二三五号、9・28)


ブラジル コロル大統領と側近の汚職疑惑

ミスター・クリーンの最後?


  アルフォンソ・モロ


 ブラジル下院は九月二十九日、フェルナンド・コロル大統領の弾劾裁判開始決議を採択した。その結果、コロル大統領の職務停止は最長で6カ月におよぶことになった。同大統領は一九九〇年の選挙で「反エスタブリッシュメント」を旗印として掲げ、ミスター・クリーンといわれて当選した。しかし彼自身と多数の側近に汚職疑惑が発生し、下院の調査委員会は、疑惑を裏づける報告を発表した。以下は、インターナショナル・ビューポイント誌に掲載された分析(九月四日付)の後半部を訳したものである。


スキャンダルの発覚

 スキャンダルの発覚に対して、現職の経済相マルシリオ・マルケス・モレイラのような人物が、国の内外で懸命になって、たとえコロルが辞任したとしても政府の経済政策は不変であると力説したのは、決して偶然ではない。これによって彼は、全世界の債権者や国際通貨基金(IMF)、あるいは国内の支配階級の神経をなだめようとしたのである。
 すべての人物は、自分だけはなんとか無事で逃れようと必死になっている。民主労働党の中央指導者で、リオデジャネイロ市長でもあるレオネル・ブリソーラは、ポピュリスト路線をとってきた。時にははっきりとコロルを支持した。そのためコロルに不利な証拠が判明した六月はじめでも、大統領は彼を打倒しようとする陰謀の犠牲者だと述べたのである。八月半ばにリオデジャネイロで十五万人以上の規模のデモが行われ、スローガンの一つに「リオ市長は盗人を支持している」があった。そこでブリソーラは陣営替えを決め込み、民主主義の大いなる擁護者として登場しようとした。
 同様の行動は、自由戦線党(PFL)にもみられる。同党は国会議席の一四%を占る中心的な与党である。コロルは、同党に大統領弾劾裁判の阻止で彼を支援してくれるように頼み込んだが、この党は大統領とは現在、距離を置いている。
 これまでほとんど政府の宣伝機関であるかのような行動をとってきた報道界も、政府と距離をとり始めている。そして現在は、道義と統治秩序の擁護者として登場している。主要な新聞やテレビは、事件全体が早急に解決され、これまでの経済路線を変えるべきでないと主張している。

労働党(PT)の役割

 議会調査委員会(PCI)が達した結論は、PTが果たした役割を抜きにしては理解できない。一九九二年五月以来、PT全国指導部は、調査委員会の設置を要求する全国行動を訴え続けてきた。
 他の政党と議会内外でそのための同盟を結んだ。PCIが設置されると、PTは、中心的な容疑者、コロル大統領のイメージを救おうとする勢力による調査を中途半端に終わらせようとする動きを封じる闘いを組織した。
 七月はじめ、PT全国指導部は、コロル辞任を要求する闘いの展開を約束した。
 この間、PT内部では論争があった。一方は、議会という狭い範囲に政治活動を限定しようとするもので、選挙戦中心の展望を維持し、他党との同盟関係を現在のまま維持しようとする立場であった。もう一方の立場は、既存制度の枠内での闘いを放棄しないが、しかし大衆行動を重視するもので、大統領が辞任する可能性が強い中で、弾劾裁判となった場合に代行大統領となるイタマル・フランコ副大統領の任期は短いものとなり、次の選挙が近いと主張した。
 真に大衆的な動員の実現が困難だとしても、後者の方針により具体性がある――これまで真に組織された行動は展開されていない。これこそは、国の現在の危機に対する本当の打開策を提起できる唯一の政党であり社会勢力であるPTが直面している偉大な挑戦である。

地方自治体選挙

 コロル事件が最大の山場に達すると予想される時点の一カ月前の十月に地方自体選挙が予定されていることを忘れてはならない。
 また、ブラジル国民がいかなる政府形態(大統領制維持か議院内閣制導入か)を望んでいるかに関する国民投票が来年に行われる。この二つの要因は、早期の選挙実施の分析に根拠を与えている。そして、政府がその正統性を完全に喪失しているので、これらの予定を実行できる政府が存在していないのだから、早期の選挙実施は不可避である。
 PTは今日、決定的な試練の中にある。政府権力の展望が再び、議題にのぼっている。この可能性――PT政府権力の実現は、ブラジルのみならずラテンアメリカ全体の情勢を質的に変化させる――は、明確にラディラカルかつ民主的な反コロルの陣営にとどまるPTの行動なくしては実現されない。
 とりわけ国民の大多数は、自らの声を意識的で組織された運動、つまり民主的かつ人民的な政府の用意があり、それを守れる運動に見出さなければならない。
(インターナショナル・ビューポイント誌二三五号)

第四インターナショナル
スリランカ支部の指導者逮捕される


 ハヴァ・サマ・サマジャ党(NSSP、第四インターナショナル・スリランカ支部)の書記長ヴィクラマバウ・カルナランテをはじめとする指導者八人が九月一日、逮捕された。「人民の叫び」キャンペーンに参加して、政府の政策に反対し、選挙の実施を要求したためである。警察は逮捕に先立って、デモ隊を暴力的に解散させ、行方不明になった人々(当局の仕業と考えられている)のために参加していた女性たちにはことにひどい行動に出た。
 ザ・アイランド紙(七月二日付、コロンボ発行)に引用されたロイター通信によると「野党が組織した昼食時の反政府抗議行動で数千人のスリランカ人は、爆竹を鳴らし、笛を吹き、ポットを打ち鳴らした」「デモ隊の脇に立っていた警察は、マシンガンや催涙ガス銃、警棒で武装していた。デモ隊は、プレマダサ大統領とその統一国民党政府の打倒を叫んでいた」という。
 八人のNSSP指導者は、不法デモの組織と、非常事態令違反で起訴された。現在は保釈中である。裁判は十一月十九日に行われることになっている。
(インターナショナル・ビューポイント誌二三五号)