1992年11月10日        労働者の力                第38号

右翼・暴力団と金――自民党政治を打倒しよう

佐川徹底究明! 宮沢政府の総辞職を!

 金丸の議員辞任では問題はおさまらなかった。佐川問題が明るみに出しつつあるのは、戦後自民党政治の背後に隠されてきた暗部そのものである。アングラマネーが横行し、右翼政治屋が跳梁し、そして私設暴力装置として巨大暴力団がうごめく。佐川問題はまさに一貫した政権党であった自民党の、そして同時に日本政治の本性をさらけだしたのである。金丸、竹下、そして小沢という日本政治を牛耳ってきたトリオの問題ではすまないことが日々明白になっている。つまり、金・竹・小の権力基盤がこうしたアングラの世界との密接なつながりの上になりたっていたことは、自民党の政治そのもの、その総体がこうしたアングラ世界との連携なしに回転しないことを暴露したものにほかならないのである。


金・竹・小の黒い権力 
右翼と自民党の構造癒着


 周知のように、戦後保守党政治は、児玉誉士男という札付きの右翼分子が隠匿した旧軍の機密財宝、中国からの略奪物資を財政的基礎に築かれた。児玉はその後、ロッキード事件の暴露にいたる長期にわたった保守自民党政治の陰に居座る黒幕としてその権勢をふるってきた。児玉のほかにも多くの名前があげられてきている。
 だが佐川問題が比較にならぬ衝撃的度合いを示したのは、そうした政治とアングラ世界の密着にくわえて巨大暴力団が全面的に登場したことであり、かつ日常的に政治の裏側に存在している事実が明らかになったからである。
 「うわさ」や「風聞」、あるいは「知る人は知る」のレベルを一挙に越えた自民党政治の本性が具体的に明らかになりつつある。例えば、中★根は天皇訪中に際して、宮沢へのアドバイスとして「右翼対策に万全を期せ」と述べた。この中★根のアドバイスは、中★根は「万全を期す」方策に通じていることを垣間見せたことにほかならない。あるいはまた、中★根は「皇民党」問題に際して、「右翼の処理」もできないのでは次期首相には推せない、と述べたということも伝えられている。
 右翼やアングラ世界との密着なしに自民党政治を牛耳ることはできない。中★根のアドバイスはこうしたものである。右翼を駆使し、右翼に依存し、右翼に脅される――そしてその対策に巨大暴力団を使用し、その結果暴力団と密着する。竹下派は自民党の実権掌握への道をこのようにして歩んできたのである。

利権・金権の政治体系

 自民党の実質権力に踊り出た竹下派の政治が自民党を統制し、日本政治を左右してきた。竹下派の膨張は、権力のあるところに人も金も集中していった結果である。その「人」は、主要に官僚界から補充された。族議員政治が横行し、利権・金権が許認可制度や予算ばらまきの配分権の争奪を通じて確保される。
 その結果は日本政治構造総体のフリー・ライダー化(費用の負担なしに集団的行動の成果のみを受ける組織・個人)の定着である。暴力団・右翼は当然にして、産業界や銀行までもが政府資金の配分を争う。地上げバブルのあと処理に公的資金の導入をもくろむ銀行界の策動は今もつづいているのである。
 その頂点が政治資金と称するものであろう。数十億の金が闇から闇へと流れ、一切が明らかにならない。
 企業は政治家を飼い、政治家は見返りのために奔走するのである。リクルート以降、共和問題での鈴木善幸の一億円「預かり」があり、そして比較にならない規模の佐川問題がつづいた。
 これらはまさに、税金を奪い合うこと、行政を都合よく左右するための方策の象徴である。
 右翼、暴力団と密着しなければ実権を掌握できない自民党政治に、政・財・官・労の結合体が上乗せされているといわなければならない。
 竹下への辞職要求は当然すぎる要求であるが、同時に自民党政治そのものの解体こそが掲げられる必要があるのである。自民党政治の解体は政・財・官・労の結合を推進してきた勢力の解体の宣言でもあるし、野党政治の最近のまったくの「わかりにくさ」を根底的に打破することにほかならない。

まやかしの「政治改革」論

 佐川問題の「激震」は竹下派の分裂と「政治改革」論議を浮上させた。
 小沢と羽田が組んだ竹下派の実権争奪戦が「政治改革」をめぐる路線闘争だと主張される異常な事態は、現在の政治の総体構造が陥っている利権・金権の政治という実態を隠蔽することに利益を感ずる勢力のこしらえ上げた筋書きであろう。
 金丸・田辺ラインという存在は、政治全体の利権・金権化の象徴である。自民党内から金丸を批判した山崎が、田辺も同じく引退せよと発言したが、その趣旨は「健全野党を堕落させた張本人」だということであった。山崎個人にそのような発言をさせるほどに、金丸・田辺ラインのもとで社会党は自民党の政策に密着してきたのである。
 国鉄の分割・民営化においてはたした田辺の役割を忘れることはできないし、労働界における連合路線が政・財・官・労の結合を進めるための最大のてことなっていることも事実である。
 小沢や羽田が進めた「小選挙区制」導入論にすりかえられた「政治改革論」は、いまや急速に「改革派」の旗として浮上し、これまた(政)財・官・労の結託である「民間政治臨調」の主軸的論調となりつつある。
 「改革派」は一切を現行の中選挙区制の弊害に帰すのである。右翼や暴力団と結びついて成立する自民党政治や利権と金権の構造、それに乗っている政・財・官・労の結合という現在の政治構造全体が限界に達し、それが派閥の徒党化を通じた権力の私物化やたらいまわしに政治を堕落させているという本質を覆い隠すために合唱されはじめているのである。

資金の徹底規制が先決

 事実において中選挙区制が制度疲労の状態にあることは事実である。代議制民主主義において「民意を反映する」方法は種々多様であるし、また、どの方法も完全なものとはなりえない。そして日本において中選挙区制が採用された契機が設定当時の各政党間の駆け引きの結果であったという事実もある。中選挙区制度の弊害を述べ立てることに材料が尽きることはないであろう。
 だが日本政治の構造が金権と利権の構造であるかぎり、中選挙区制度の廃止が一切を解決するものだという論理に与することはできない。
 中選挙区制度廃止・選挙区制度の変更の論議は、利権・金権と右翼暴力団と結託した自民党あるいは政権に寄りすがる集団の徹底究明、その打破をめざすこととはまったく次元を異にしている。
 政治資金の徹底規制、国政調査ごとに行われる選挙区定数の公正な変更、族議員政治の廃止、高級官僚の政治関与の禁止、個人への政治献金の限定と全面公表、政治家本人への連座制など、すぐに実行すべき方策はいくらでもある。
 金をかければ当選する、という現実を、金をかければ失格するという状況にきりかえることが必要なのだ。また小選挙区制度にすれば、あるいは比例代表制度にすれば金はかからない、という論法も自民党の現実をみれば一切通用しないのである。政治資金そのものの強力な規制なしに主張される選挙区制度変更論は百害あって一利なし、というべきである。

利権政治と日本株式会社

 日本政治の右から左までの癒着の基盤が日本株式会社といわれる特質にある。
 日本の資本主義国家は明白にアメリカ帝国主義の戦後戦略―反共戦略のもとで育成され、その発展の道筋をたどってきた。
 アジアにおける日本資本主義の位置、そのアジア人民への搾取と収奪の基本構造、環境破壊の現実、これらはすべてアメリカの戦略なしにはなりたたなかった。
 日本政治は、一方における「自由主義陣営の一翼」、他方におけるアメリカに依存した経済再建・発展のコースをひたすら歩むことにおいてきわめて単純化された保守政治の総体の枠組みを築いてきた。ここでは吉田の流れを汲む保守本流の経済主義か、戦前へのノスタルジアを含む自前国家論かの色彩の差異があったにせよ、その基本はアメリカの世界戦略の一部に組み込まれること、その枠組みからは出ない、出られない、という範囲での争いにすぎなかった。
 こうした保守政治が政権党の「安定」とアジアにおける日本の、民衆的レベルにおける拭いされない「孤立」と不信、そしてアメリカの戦略に同調せざるをえないアジア諸国への経済侵略という一連の政治体系を演出してきた。政・財・官・労の結合は、まさにこうした日本株式会社の構造と相対的に単純化された政治の反映であった。
 だが東西対立の終えんとアメリカの「衰退」が押し出しているものは、アメリカのかげに隠れた日本、冷戦に対応する世界戦略の中で思考するアメリカとの折衝でものごとがすんだ政治から、日本そのものが政治の正面に出ていくことへの変化である。
 日本政治はそれへの対応策をもっていない。ただあるのはアメリカの、さらに過大化する要求に最大限に応えつつその値切りを折衝するという方策である。軍事の強化と海外派兵能力の既成事実化、農業の解体をも想定するコメの自由化、そして国際的な財政支出の増大、これらが日本政治が準備している貧弱な在庫の中の「めぼしい」ものである。そしてこうしたものが「政治改革の断行」による「国際化時代」に対応する新たな政治の創出といわれているものの実態である。
 これらのための財源はすでに消費税が導入され、さらにその税率のかさ上げとして提示されている。日本型経営という名のもとに連続的に分配率を引き下げられ、労働時間短縮が進まない一方で変則勤務の増大と労働強化のさ中におかれている労働者。直間比率の是正の名によって間接税の引き上げが画策され、さらに貧弱な社会福祉政策を補完してきた「コメ福祉社会」の解体。

民間政治臨調による策動

 これらが意味するものは、日本株式会社が過去数十年にわたって継続してきた破壊的な経済活動をさらに持続することに利益を見出す政・財・官・労の結合体の政治のさらなる延長である。「国際貢献の費用」を民衆からしぼりとり、企業活動によって流入する膨大な貿易黒字は、そのまま企業に留保され、海外投資にふりむけられる。
 「民間政治臨調」を構成しているメンバーたちこそ、こうした構造の代表者たちである。ここではまさに利権と金権型の政治構造は、なんらその性格を変えることなく持続することになるのである。
 日本資本主義の数十年にわたる略奪的、破壊的活動の体系が洗い直されなければならないのであり、それを国家として支えた日本株式会社の政策体系を改める方向に立つのでないかぎり、すなわち現在の政・財・官・労の癒着構造の切開にむけて進むのでないかぎり、現在流行の「政治改革」論の基本のところは変わらない。表面的な資金規制強化策でお茶をにごし、その実は「国際化時代」に対応する「強力な政治」のための小選挙区制度への移行へと軸しんが定められていくであろう。

自民党政治の打破を

 竹下の辞職要求は、自民党政治の打破という観点で集約されなければならない。
 欺まんそのものの「改革論」や政治再編論による政治的上部構造のなかでの勢力争い、権力争いが、あたかも「政治再編」や「政治の再生」の可能性への挑戦だとするデマゴギーを許してはならない。
 すでに先の参議院選挙が明らかにした「政治離れ」は既成政党総体からの離反の進行であった。それは言い方を変えれば政・財・官・労の癒着構造からの離反の始まりであった。自民党のみならず社会党が凋落したことがそのもっとも象徴的な事例である。社会党はこの癒着構造にどっぷりと身を浸していることによって、自民党政治に対するオルタナティブ政党の位置を失ってきた。新潟知事選挙における自社相乗りは象徴的事態である。
 こうした状況において「政治再編」は避けられないし不可欠である。その文脈は、日本の政治の総与党構造がもたらしている政治の金属疲労状態の打破であり、オルタナティブ勢力の全面的な登場が必要だという観点にそって語られなければならない。政・財・官・労の結合体が過去のしがらみを切り捨て、「強力な国際貢献政治」に向かうための政治再編と正面から立ち向かう民衆の側からの政治再編が緊要なものとなった。
 「皇民党」問題での、二十億、三十億円提供問題をはじめ、解明しなければならない課題は山積している。事態解明が進めば進むほど「改革派」を含めた自民党の存在そのもの問題であることが明白になっていくことは必然である。
 佐川問題の徹底究明、金丸・竹下・小沢などの国会での証人喚問、そして宮沢内閣の総辞職を要求しよう。
(十一月七日)

10・25
三〇〇人を結集して
三里塚現地で全国集会を開催

 十月二十五日、三里塚・芝山連合空港反対同盟(熱田派)の全国集会と現地デモが行われ、約三百名が結集した。秋晴れのもと三里塚現闘本部前広場で開かれた集会は、空港反対闘争のシンボルともいえる小川源さんが亡くなってから現地での最初の集会となった。
 源さんは、「空港シンポジウム」への参加推進とそれへの疑問・批判との間にあって、闘争と交渉は両立するものだという反対同盟の考えを体現してきた人であった。集会参加は少なくなってきているが、そこにはシンポに対する違和感や批判があり、また反対同盟もシンポへの対応に軸を移し、大衆行動の組織や全国的活動の余裕を失ってきたことも背景にあったであろう。
 同盟を代表して発言に立った石井武さんは「シンポで反対同盟が押しているが、いざとなれば政府は平気で踏みにじってくる。権力の暴挙を許さないためにこそ、運動が必要であり、集会への全国からの結集が必要なのだ」と、反対同盟の立場を強く訴えた。石毛事務局長からはシンポジウムの経過が報告され、「農民の道理と運輸省の歪んだ倫理とのがっぷり四つの闘いだ。シンポジウムでの同盟の闘いをみつめてほしい」と要請が出された。
 これらの発言を通じて、次のような諸点が明らかになったといえよう。シンポジウムも「曲がり角」にさしかかりつつある。公団は第二ターミナルの供与を開始し、あくまで「公共性」という立場から二期完成の方針にしがみついている。「事業認定の無期限化」への否定的見解が出された隅谷所見にもかかわらずである。
 運輸省の完全空港化方針の欺まん性を暴露しつつ、その方針の全面撤回に追い込む闘いの再構築が、支援にも反対同盟の側にも、ともに問われていることが痛感された。
 デモは千代田バス停付近での流れ解散のコースで行われた。

新たな労働運動を考える全国討論集会
92年十月集会を開催


 十月十―十一の両日、92年十月集会、「新たな労働運動を考える全国討論集会」が東京勤労福祉会館を中心会場にして開催された。参加者は約三百人。今年のテーマは「アジアの労働者と連帯し自衛隊の海外派兵を阻止しよう」。
 全体集会は前田裕晤実行委員長、市川誠代表のあいさつ。来賓として山崎全労協議長、吉岡労研センター代表幹事、憲法を活かす会の小峯雄蔵さん。武藤事務局長の基調報告。講演がフィリピン・バヤンのアグカオイリさんと先の参院選挙東京選挙区で健闘した内田弁護士。ほかにメッセージが国労中央本部ほかから。
 集会テーマが示したように、自衛隊海外派兵闘争、参議院選挙の成果を引き継ぐ主体的な闘いを強調する内容が特徴的であった。
 一日目の夜と二日目の午前が六つに別れての分科会、午後は全体集会が行われた。
 昨年が合宿形式の集まりとなったためか、あらためて大衆集会形式をとったものの、例年にくらべて結集が少なかったが、事務局からは分科会討論の充実など、社会的労働運動の追求を掲げてきた蓄積が評価されている。
 なお、十月会議は、全労協の成立と定着や政治再編状況の進行などの事態を受けて、来年以降の新たな活動のひろがりにむけ、東西二ブロックにわかれた全国相談会の開催を十一月に予定している。

第五回全国総会提出文書から――4
「人々の合意にもとづく社会主義」を

  木下三郎


私の出発点

 一九一七年ロシア革命以降の諸革命と、その結果としての「現存社会主義国」(注)の存在は、われわれにとって「資本主義を乗り越え社会主義を実現する」という目標が現実的であることの証であった。われわれは「現存社会主義国」を「資本主義から社会主義への過渡期としてのプロレタリア独裁の歪められた形態」であると捉らえてきたし、その存在こそ、歴史が封建主義→資本主義→社会主義(共産主義)へと発展するというマルクス主義の歴史観を証明するものであると考えてきたのである。
 (注)消失してしまった「現存社会主義」というのはいかにもおかしいが、とりあえず使います。
 その点で、例えばハーバーマスが次のように言うとき、われわれと彼とはまったく違っている。
 「(われわれは)……『現実化した社会主義』が存在したが故に、社会主義者になろうとしたのではなくて、あのような『社会主義』の存在にもかかわらず、社会主義者になった」(「未来としての過去」より)
 このように言うことによってハーバーマスは、ソ連・東欧における現存社会主義の崩壊が自分の社会主義的信念になんら影響を及ぼさなかったと主張しているのだが、少なくともわれわれはそのように言うことはできない。ソ連・東欧の事態を受けて、われわれのよって立つ基盤そのものを根本から捉らえなおし、自分自身を全面的に新しく規定しなおす必要があるのではないか。そうした問題について、私はいくつかの場所で自分なりに何度か提起してきたが、議論は圧倒的に少ないという気がする。ソ連・東欧の現存社会主義国が総崩壊してからすでに二年、当時の衝撃はすでに薄くなり、ソ連・東欧において資本主義が廃絶されていた時代などなかったかのように振る舞うことも可能であるとしても、問題を掘り下げる努力をしないならば、われわれは必ずその報いを受けるであろう。

 東欧・ソ連の民主主義革命を前にしたとき、私はまず何よりも「革命の側、民衆の側に立たねばならない」と感じたが、革命の進展とともに、われわれの従来からの理論的立場を保持するならば、起きている事態は論理的には「反革命」と呼ぶ以外にないと思えてきた。そして、こうしたことは、われわれの理論と現実が乖離していることに起因しており、現実を理論に合せて無理にねじ曲げて解釈しないとするならば、現実に適合しない理論は根本的に再検討されねばならないと思えてきたのである。
 東欧・ソ連において民主主義はいかにして達成されたのか。われわれの仮説と対比しながら思い返してみたい。
 ×西欧的な議会制民主主義として←→ソビエト制度にもとづくプロレタリア民主主義としてではなく
 ×フォーラム型の運動に結集した市民を主体として←→真の前衛党に結集するプロレタリアートを主体とするのではなく
 ×市場経済(「資本主義」)化をとおして←→民主主義的計画経済によってではなく
 ×総じて西欧資本主義への融合を通して←→世界社会主義革命の前進をとおしてではなく
 以上のように、ブルジョア階級が根絶され資本主義が廃絶された諸国において、基本的に資本主義を導入する方向で政治・経済の諸制度が根本的に変革され、国家権力の「在りか」が移動したのである。これは、従来のわれわれの観点からは「反革命」、「歴史の後退」というしかないのではなかろうか。
 しかし、例えば「自分自身の事柄(政治的立場、経済的立場……)を自分自身で決定する度合いの自由」を「進歩の尺度」として、東欧・ソ連で起きた事態を考えてみよう。「政治的な自由の度合い」は間違いなく質的に拡大したといえる。さらに、「経済的な自由の度合い」というものがあると仮定してみれば、それは拡大したのか縮小したのか。自らに責任のない出自その他によって社会における経済的な立場が確定されるような不合理、自らに責任のないなんらかの原因によって労働の成果を他人に掠め取られるというような不合理、こうしたものは、官僚的な国有計画経済の崩壊によって大きくなったのか、小さくなったのか。一概にはいえないほど、官僚と一般の民衆の間に経済的な不平等は大きかったのではないか。
 また、資本主義経済は確かに「無政府的であり、浪費的である」という原理的欠陥から完全には免れていないとしても、官僚的な国有計画経済がそれ以上の、少なくともそれと同等の浪費的で非合理的な生産様式であったことは確かであろう。西欧資本主義は「現存社会主義国」の民衆によって、心を奪われるほどの「豊かさ」を一般民衆の少なくない部分に保証することによって、生産様式としての安定性を保持することに成功したのである。具体的な事例の研究がぜひ必要だと思われるが、少なくともソ連・東欧で起こった事態は、政治的にはまぎれもなく「解放」であり、経済的にも歴史の後退とはいえないと思う。
 われわれは、「現存社会主義国」と資本主義を対比させるとき、ただ単純に「どちらが良いか」という量的なレベルで比較してきたのではなく、「現存社会主義国」の存在を、資本主義から社会主義への世界的な過渡期の始まりを刻印するもの、歴史的な段階を画するもとして、資本主義諸国に対比させてきた。「労働者国家無条件擁護」というスローガンはそのことを表してきた。こうした考え方はトロツキストに特有なものではなく、例えば「最悪の社会主義は最良の資本主義にまさる」(ルカーチ)という言い方はそのことを表してきたといえる。
 しかし、東欧・ソ連の民主主義革命の過程で、人々は「現存社会主義には原則的に守るべき価値はない」という態度をとった。振り返って見れば、こうした立場は、今回初めて表明されたわけではなく、例えば八〇年代のヨーロッパ規模の反核運動の中で、NATOの核とワルシャワ条約機構軍の核を同列に置いて批判し、平和のためには東欧からのソ連軍の撤退が必要であるという立場をとった、東欧の自立した反核運動の中に現れていた。またサハロフなど「異論派」内部の民主主義派、自由主義派は初めからそうした態度をとっていたのである。
 われわれはこうした勢力や運動に対して、「まだプロレタリアートが闘いの中心に登場していないという歴史的な限界」と説明しようとしてきたと思うのだが、官僚による強権支配が最終的に解体されるまで、ついに「現存社会主義の中にある歴史的進歩の側面、原則的に守るべき価値を擁護する」ものとわれわれが仮定した「プロレタリアート」は登場しなかったのである。民主主義革命の隊列の中にそうした主張は確かにあったが、しかしそれは小さなセクト的スローガン以上にはならなかった。われわれの仮定とは逆に、ドイツ統一の過程では、むしろ知識人の間に「東ドイツの独自の未来」に固執する傾向が強く、産業労働者層は「西ドイツへの吸収・合併」を支持する傾向が強かったのである。こうした経験の後で、私たちはトロツキストの綱領的立場であった「労働者国家無条件擁護」という考え方をどのように説明すべきなのだろう。
 われわれの理論的立場と現実の乖離について歴史的に考えてみたい。
 一九一七年のロシア革命の衝撃は全世界を覆った。革命の報を聞いて一人のの若い労働者が生まれたばかりの乳飲み子を天に放り投げ、
 「お前も天皇陛下になれる世が来た」
 と、狂喜したという話をどこかで読んだことがある。極限の弾圧下にあって、日本の共産主義者はソ連邦と中国革命に連帯し、天皇制日本帝国主義の侵略戦争に反対して闘い抜いた。このとき、かれらの感情、かれらの闘いには現実的な根拠があったのだろうか。私には、それは当時としては極めて現実的な根拠を有していたと思われる。
 しかし、それらか半世紀以上たった一九九〇年、「現存社会主義国」が西欧資本主義国に吸引される民主主義革命によって崩壊したとき、われわれはためらいながらも民衆の側、革命の側に立ったのである。
 ここには「ねじれ」がある。ロシア革命以来の諸革命と「現存社会主義国」の存在に対して、われわれが従来とってきた態度と、東欧・ソ連の民主主義革命に対してわれわれがとった態度との間にある「ねじれ」は、われわれのこれまでの理論では説明がつかないと、私は思う。
 「いや、従来の理論、従来の体系を保持した上で説明は十分可能だ」という人もいるだろう。説明のつかない「ねじれ」はあるのか、ないのか。この点を踏まえて議論することは大切だと思う。「社会にどのように向き合うのか」という基本的な姿勢につながる問題だと思うからである。
 とりあえず、「現存社会主義国は、資本主義から社会主義への過渡的存在、社会主義に向かう闘いの物質的成果であり、資本主義に対して擁護すべき存在である」という主張には、かつて現実的な根拠があったが、いつの時点からかその主張は現実的な根拠を失ったのだと考えると、それは「資本主義が歴史の要請に応えてまがりなりにも変容したのに対して、社会主義が硬直化し必要な転換をなしとげられなかったからだ」と思うが、この点についてはここでは触れず、東欧・ソ連の民主主義革命の中で、私が考えた社会主義をめぐるいくつかの点を以下に述べる。

国家権力が崩壊した後に「社会」が現れた

 東欧・ソ連の国家社会主義諸国の権力が崩壊し、政治的自由が保証されると、それら諸国では、保守派から中道勢力、左翼そして極左派にいたるまでの政治勢力が、国ごとの特殊性はあるものの、西欧諸国とほぼ同様なかたちで誕生した。そして、各国での総選挙の結果、大多数の国で西欧資本主義に融合する方向での市場経済への転換を主張する自由主義者が政権についた。こうしたことは、私たちの予想を越える事態であったといえる。なぜならば、強権が消失した途端に、資本主義諸国と同様の政治的分化が起こるということは、その社会が、資本主義諸国を歴史的、質的に越える存在ではなかったことを暗示していたからである。
 私たちが、ある場合には極限的ともいえる政治的な自由の侵害、人権迫害の事実にもかかわらず、資本主義諸国に対して「労働者国家無条件擁護」の立場をとったのは、いかに官僚主義的な手法で強行されたとはいえ、それら諸国家で資本家が一掃されたことを決定的なメルクマールとして、それらの諸国家が資本主義から社会主義に向かう過渡的国家へと、質的に転換したという認識があったからである。しかし事態の進行は、極度に中央集権化された国家権力を掌握し、国家をテコに社会の改造を強行した官僚の権力が崩壊したとき、国家権力が五十年間かけて変革しようとして変革できなかった、いわば「社会」というものの存在を浮び上がらせたのである。宗教的な価値や民族的な価値など、いわば「社会」の領域に存在する諸々の事物が、まるで五十年間凍結されてきたものが解凍されるように浮び上がってきた。
 このことは、これまでのわれわれの社会主義観や革命というものに対する感覚に何かを付け加えないだろうか。
 私には、「国家が解体すると『社会』が現れた」という事態は、「革命の問題は国家権力の問題である」という言葉に集約することのできるロシア革命以降の諸革命の決定的な限界性を露呈したものだと思える。社会主義的党派が、国家権力という「管制高地」を掌握することをとおして、社会を改造していくという展望の限界である。国家権力によっては「社会的なもの」を解体したり、変容させることはできないということ、せいぜい凍結することができるだけだということを、ソ連・東欧の事態は事実をもって証明したのではないか。
 この点で「市民社会におけるヘゲモニー」を問題にしたグラムシの思想が思いだされる。グラムシは、東方においては機動戦による国家権力の掌握が革命の主要な問題であるのに比べて、市民社会の成熟した西方における革命は「市民社会におけるヘゲモニー」をめぐる陣地戦が不可欠であるとした有名な覚書を残しているが、事態は東方においてさえ、社会におけるヘゲモニーを欠いた強権支配によっては、社会的なものをついに解体できなかったことを示しているのだ。東欧・ソ連の民主主義革命は、国家権力を急襲して掌握することをテコとする、いわば「国家による革命」の時代の終わりを示したのではないだろうか。

「プロレタリアート」に特権的位置はあるか?

 資本家階級の一掃と国有計画経済が、資本主義以降の過渡期社会であることのメルクマールであると考えられていたとすれば、本来的にその社会の主人公であると考えられていたのはプロレタリアートであった。官僚は社会の寄生物であり、プロレタリアートの力と資本主義世界の力の対立こそが、「労働者国家」の将来を決定するとわれわれは考えてきたのである。しかし、「労働者国家の本来的主人公」であるはずの「プロレタリアート」は、国有計画経済の解体と市場経済=「資本主義経済」への転換にあたって、「現存社会主義国」の「労働者国家性」を防衛する主体としては登場しなかった。「現存社会主義国」にプロレタリアートは存在しなかったのである。
 ソ連邦以降の諸革命が資本主義社会に対する「進歩性」を喪失していく過程は、革命の主体としての「プロレタリアート」という考え方が現実性を喪失していく過程でもあったのだと思える。
 東欧・ソ連における民主主義革命で主体となったものは、フォーラム型の組織に結集した「市民」であった。それは、民主主義的社会主義をめざす反スターリン主義的共産主義者から西欧資本主義にひかれる自由主義者まで、さまざまな勢力の結合体であったから、民主主義の確立の後は分裂するのが常であったが、彼らが力を合わせて獲得したものが、三権分立にもとづく議会制民主主義であったことは残る。労農兵ソビエトに起源を持つ官僚の独裁権力が、市民を主体とする民主主義革命によって議会制民主主義にとって代えられた後で、われわれは、「社会主義に向かう過渡期としてのプロレタリア独裁」という考え方を依然として保持し続けるべきだろうか。
 第一に、「自らを解放することを通してすべての諸階層を解放するべき歴史的な位置にあるプロレタリアート」というものの存在について、第二に、そうしたプロレタリアートの排他的な権力としての「プロレタリアートの独裁を通した社会主義」という展望について。

歴史は、封建主義→資本主義→社会主義と発展するのか

 われわれが、封建主義→資本主義→社会主義(共産主義)へと、歴史が法則的に発展するという歴史観の根拠としてきた「現存社会主義」諸国が、市民を主体とする民主主義革命によって、西欧資本主義諸国に融合される方向で崩壊したという事実は、こうした歴史観自体に見直しをせまるものではないだろうか。
 「法則的必然性としての社会主義」という考え方よりも、むしろ、歴史に必然性はないという立場に立った上で、「人々の合意にもとづく社会主義」を構想する必要があるのではないかと思う。
         (未完)

「つぶせ!観閲式 やめろ!海外派兵 11・1朝霞行動」に一二〇〇人結集


 十一月一日、自衛隊中央観閲式が朝霞基地内で開催されることに抗議して、東上線朝霞駅前に千二百人の労働者、市民、学生が結集して、集会とデモが行われた。
 今年の観閲式は、「国際貢献」の名の下に自衛隊の海外派兵の現実化ということの中で、歴史的なものとなった。
 観閲官として訓示した宮沢は、「世界有数の経済大国として築いてきたわが国は、新しい世界平和の秩序の構築に積極的に貢献していく責任もあるし、その資格もあると信じる」と述べ、海外派兵を積極的に推し進める考えを明らかにした。
 こうした日本帝国主義の政治、軍事政策の転換の具体化としてのPKO派兵に反対する行動の一環として、首都圏、全国レベルで11・1朝霞行動が取り組まれた。今回は集会とデモの後、朝霞基地を取り囲む「人間の鎖」行動も取り組まれ、基地は海外派兵に抗議する声に包まれた。

11・21政治シンポジウム
新しい政治勢力の可能性
自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合


 東京佐川急便事件は、本格的な政界再編の引き金を引きました。民衆の怒りと市民の自発的な行動に包囲されてドン・金丸が議員辞職を強いられ竹下も追いつめられる中で、竹下派は分裂しました。この動きの底に、「国際貢献」のための政治改革を呼号し海外派兵・改憲の道を突っ走る小沢一郎らによる新党結成のもくろみが見えてきます。それは、「社民総結集」論の破産の上に「保守二大政党」の一極を担う「連合新党」形成の動きを加速するに違いありません。
 しかし、政界再編の動きの深部にあるのは、全野党を含む既成政党に対する民衆の絶望に近い不信感の高まりです。参議院選挙で多くの人びとに失望感を与えた社会党の動揺・低迷ぶり、さらに都市部での日本新党の躍進は、民衆の希望や意思を表明できる新しい政治勢力をどういう形で登場させるのかという課題を否応なく私たちに突きつけました。しかも、反PKOの内田選挙が市民運動・労働組合・社会党内護憲派の結合として見事にたたかいぬかれたことは、反戦平和・環境・人権・自治などを基準とするような新しい政治勢力の形成の一つの可能性を開示したともいえます。都議選・総選挙・三年後の参議院選などへの取り組みを念頭に置きながら、新しい政治勢力の可能性をめぐる熱っぽい議論をさまざまの場で起こす必要があると感じています。
 例えば、ヨーロッパの「緑の党」的な政治勢力が生まれる条件は、日本でどこまで成熟しているのか。新しい政治勢力は、どのような性格を持つべきか(「市民派」なのか「護憲派」なのか「環境派」なのか、「新党」なのかネットワークなのかなど)。新しい政治勢力は、社会党とどのような関係に立つのか。こうしたテーマを自由闊達に論じあいたいと考え、違った立場で先駆的な提起をしてこられた方々を招いて政治シンポを開催します。多くの方の参加を呼びかけます。
 
日時 十一月二十一日(土)
   午後一時半〜五時(午後一時会場)
会場 文京区民センター(地下鉄春日あるいは後楽園下車)
パネリスト
 ★小峰雄蔵(憲法を活かす東京の会)
  「護憲派連合戦線」の提唱
 ★住沢博紀(日本女子大講師)
  ドイツにおける「赤」と「緑」の連合をどう考えるか
 ★松谷 清(静岡市議、駿河湾ネットワーク)
  「地域主権」と「地域政党」の可能性
 ★宮本なおみ(前目黒区議、ネットワーク21)
  選挙をたたかえる市民運動へ
参加費 五百円

決議

ボスニア戦争――何をなすべきか

第四インターナショナル統一書記局


 第四インターナショナル統一書記局は一九九二年十月の会議で、以下の旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナで続いている戦争に関する決議を採択した。

 サラエボは、セルビア人、クロアチア人、イスラム系のそれぞれの住民が過去何世紀にもわたっボスニア・ヘルツェゴビナてそうであったように、相互に共存できる可能性を象徴している。サラエボの混合住民の抵抗は、多民族ボスニア・ヘルツェゴビナの存続と、ユーゴスラビアの危機の中から登場しつつある新生諸国、とりわけセルビアで進行している「民族的な純化過程」を逆転させることとにとって、深刻な問題になっている。
 これこそが、ラドヴァン・カラジッチが率いるセルビア民族主義勢力が大セルビア国家を建設するためのボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア自治共和国を主張した後に、サラエボの抵抗の背骨を同都市に非常事態令を敷き、その統一を破壊して弱めようとした理由なのである。
 これがまた、クロアチア政府とボスニアのイゼトベゴヴィッチ幹部会議長との正式の同盟宣言にもかかわらず、マーテ・ボーヴァンが率いるボスニア・ヘルツェゴビナのクロアチア民族主義勢力がサラエボの絞殺を行っている理由なのである。というのは、彼らもまた、カラジッチと同じくボスニア・ヘルツェゴビナの「彼ら」のクロアチア人国家を「解放した」からである。
 セルビアとクロアチアのそれぞれの民族主義勢力は、ボスニア住民内部での数的な割合に応じて、ボスニア・ヘルツェゴビナをセルビアとクロアチア各共和国に有利なように解体することで了解に到達した。両者ともにボスニアの「イスラム共和国」に誤った警告を発し、そして現在、このイスラム共和国で支配的なのが非宗教的な世俗勢力である事実を無視している。
 各都市のイスラム住民は、その他の住民とともに現在、ボスニア・ヘルツェゴビナの解体と虐殺の最大の犠牲者である。彼らの前には、クロアチアとセルビア民族主義勢力が共有する目標が立ちはだかり、その目標の背後にはボスニア・ヘルツェゴビナを民族ごとの「地域」に分割しようとする計画がある。
 これまでにこの作戦に与えられた欧州共同体(EC)と国連関連機関による支持と、「和平会議」において自らの立場が受け入れられるように望んだ反戦運動や反民族主義諸政党の排除とは、これらの機構を支配する帝国主義勢力の論理を証言している。すなわち、当該住民の真の利益をほとんどまったく配慮しない論理である。この危機の開始以来、帝国主義者のとってきた変転する無原則で無責任な立場は、支配的諸国の同様な狭い主張を説明している。
 
軍事介入

 これは、帝国主義諸国が軍事介入する場合によく使われる類の論理である。それゆえ、われわれは、ECあるいは国連によるいかなる軍事介入にも反対しなければならない。セルビアに対する外国の軍事介入は、ボスニア・ヘルツェゴビナでの準軍隊勢力の活動を妨げることなくミロセヴィッチへの抵抗活動に敵対することになるだろう。軍事介入が戦争の原因を取り除くことにもならないだろう。
 ボスニアへの介入はそれ自身が、戦線のはっきりしないゲリラ戦争に巻き込まれ、「バルカンの嵐」をときはなつ可能性を濃厚にもっている。殺人的な抜きがたい苦境と戦争状態の継続がその実際の結果であろう。
 また、国連軍が存在して各勢力の力関係を確定し、セルビアとクロアチアの準軍隊勢力がそれぞれの政府の共謀のもとに着手した「民族純化」の論理を認めることになる事態を受け入れられない。
 唯一の解決策は、反動的な方針とセルビア、クロアチア、イスラム住民への民族的、宗教的な差別に反対する多民族共存の立場からする市民的、社会的な抵抗の展開である。とりわけコソボとクロアチア側でのその対応地域で力によってクロアチア・セルビア勢力の抵抗運動を「移植」しようとする動きを激化させかねない大セルビア民族主義を政治的に敗北させることが重要である。
 この危機からはなんら進歩的な結果は生まれないし、当該諸勢力自身による交渉による解決策以外には恒久的な平和はもたらされない。そして、その解決策は、ある勢力が民族的に「純粋」な国民国家を樹立することによって、他の勢力の民族自決権を否定しつつ自らの民族自決権を主張することのないように保証するものでなければならない。
 
四つの緊急任務

 われわれは、この状況に関して次の四つの緊急任務を提起する。
 1 セルビア政治情勢の枢要な役割と現在の戦争に対する大セルビア主義に中心的な責任がある事実に鑑みて、セルビア内の平和勢力に対する連帯と支援を強化しなければならない。反戦運動と脱走兵を支援し、その運動の活動家を自国に招き、その発言を広く知らせなければならない。学生の反戦運動と独立労働組合を支援しなければならない。また、独立系のマスメディアを支援し、反セルビアの立場を広く宣伝しようとするこの運動の影響力を弱めようとする妨害活動に対抗するための物質的な支援を行う必要がある。

 2 われわれは、自ら平和地域であることをを宣言し、「民族的純化」の論理に抵抗するボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、セルビアのすべての共同体、都市、村との、とりわけ都市との「提携関係」を結んで、これらの地域を支援しなければならない。多民族の、そして多国籍の運動が自らを表現する手段(自由ラジオ、会議の開催、テレビへの出演、平和コンサートなど)を得ることができるよう運動しなければならない。民族間フォーラムの各種情報分析や方針、その権利と自由の憲章を宣伝して支援しなければならない。
 十一月六―九日に予定されているマケドニアでの多民族平和会議に注目する必要がある。

 3 ボスニア・ヘルツェゴビア解体の策動と民族ごとの居住地域の論理に反対し、この論理を支える一切のセルビアとクロアチアの準軍隊組織の武装解除のために運動しなければならない。また、すべての多民族共存の立場からする抵抗運動への政治的、物質的な支援を、そしてサラエボの孤立を打ち破るための支援を最大限に強化しなければならない。
 収容所に関する一切の事実を暴露し、「民族的純化」に関係する人物を裁く国際法廷開催のためのキャンペーンを展開しなければならない。

 4 旧ユーゴスラビア内と外国に流入した難民を支援しなければならない。その焦点は、難民が自らの家に進んで帰れるようにすることであり、「民族的純化」に抵抗したいとする難民を法的かつ物理的に保護することである。
 十一月九日の反人種差別ヨーロッパ行動デーは、「民族的純化」に対するサラエボの抵抗運動のイニシアティブを支援する機会である。
(インターナショナル・ビューポイント誌237号)

キューバ
危機における妨害

ジャネット・アベル


 対キューバ経済制裁の強化は、カストロ政権の打倒には至っていないものの、同国の社会的、経済的な困難をますます深めている。まさに革命の将来そのものが問題となっている状況にあってキューバ共産党の指導部は、深まりいく内部論争の公開を拒否し続けている。同党政治局から最近、対外関係とイデオロギー・文化の責任者であるカルロス・アルダナが追放された事実は、この党の透明性を高めることにはつながらなかった。以下の論文は最初、フランスの第四インターナショナル支部、革命的共産主義者同盟(LCR)の機関紙ルージュに掲載されたものである。

深刻なキューバの危機

 キューバの中心的な指導者の一人、カルロス・アルダナの追放は、同国が多大な困難にある中で起きた。一九九二年は、革命以来最も困難な一年間であり、政治的な圧力の強化とアメリカによる制裁の強化で終わろうとしている。キューバはその購買力を七〇%も低下させ、輸入は一九八九年の八十一億ドルから今年はわずか二十二億ドルに減少した。
 キューバ共産党指導部は巨大な緊張に直面して、必要とされる議論を活性化しなかったし、国民の最も意識的な部分が必要としている批判的な思考をも活性化しなかった。国民の意識的な部分は、革命の総括を望み、かつ、革命の成果を防衛しつつこの嵐を乗り切る展望といかなる社会を樹立するのかに関する展望の形成に参加したいと望んでいるのである。
 経済全体の再建が必要なキューバは、西側世界での新しい市場、信用、技術を求めている。工場は部品が欠乏しているために稼働できず、第一次製品は外国からの投資と貿易にとって必要不可欠だからである。一九九一年の第四回党大会で採択された新経済方針は、観光産業以外への投資には依然としてためらいを示したものの活力ある企業の確立を追求したものである。
 この新NEP(新経済方針)はいまだ、望んでいた結果を生んでいない。アメリカの圧力は十分に強力で、そのため外国の投資家は投資をためらい、西側企業は大企業でさえ、この点を十分わきまえている。そのうえ、フロリダ半島のマイアミにいる「反キューバ」勢力は、ためらわずにキューバと提携しようとする企業を脅かす。こうした状況の中でアメリカ議会が対キューバ制裁を強化するトリセリ条項を採択するなら、キューバの経済的、社会的な危機はさらに深まるだろう。
 一夏だけで、これまでキューバに近いと思われていた二つの政府が距離を置き始めた。七月にスペイン・マドリードで開催されたスペイン・ラテンアメリカ会議の宣言には、対キューバ封鎖を非難する文言がなかった。スペイン大統領、フェリペ・ゴンサレスはキューバ問題に関連してキューバの「国内問題」を非難した(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン一九九二年七月二十五、二十六日付)。彼はキューバ人亡命者グループの代表と会談した後、キューバは一年以内に民主的選挙を行うべきだと発言した。スペインのフアン・カルロス王は、フロリダの新聞とのインタビューの中で、彼自身が妻のソフィア女王と首相とともにキューバ大統領に辞任するように要求したと述べた。
 メキシコのサリナス大統領は同国とキューバとの関係の歴史の中ではじめて反カストロ・グループの代表を受け入れ、それにとどまらずブッシュ大統領の息子の事業上の協力者で極右の指導者であり、キューバ・アメリカ基金の代表者であるホルヘ・マス・カノーサを自らが主催して接待したのである。
 こうしたの事態の展開のタイミングは、キューバにとって決して偶然ではなく、キューバ政権を絞殺しようとするワシントンの方針に対する新しい支持を意味しているのである。

崩壊を待ちながら

 東欧諸政権の崩壊以後、アメリカは、制裁の強化による経済的、社会的な危機の深まりの結果としてのキューバにおける同様な事態の展開を待つようになっている。キューバ政権が三年以内に終わりを迎えると発表することによってワシントンは、強行手段の行使を当面免れた。この措置は当然の反撃を生み、ラテンアメリカ全体に大きな反響を呼んだであろう。冷戦の終結によって、「スペイン方式」の平和的な移行期が可能となり、数十万のキューバ人難民をフロリダに集め、アメリカ南部を不安定化させかねない暴力的な衝突の回避が可能になった。
 だがキューバ政権は未だ崩壊しておらず、国民は多大な不満をもちながらも、カストロ政権に反乱する兆候を示していない。すべての解説者、とりわけキューバにいる外交官は、これと同じ観察を明らかにしており、反対派グループもこの見解を支持し、自らの影響力がおよばないことを認めている。
 こうした国民の抵抗不在の状況はおもに民族感情の強さによって説明されるが、それにとどまらず、カストロ政権にとって代わる路線の不在も指摘されなければならない。ロスアンジェルスの暴動は、ことにアフロキューバ人の住民構成比率が高まっている人民の間で「アメリカ的な生活」の魅力を薄めた。実際、キューバのテレビはロドニー・キング事件を大きな関心をもって報道した。

熱中への大義はなく

 そしてラテンアメリカ地域の状況もまた、カストロ政権への反乱に熱中する大義をもたらすものとはなっていない。アメリカはニカラグアへの援助を約束したが、この約束は空気のように消え去り、大土地所有者が帰国して収用された土地を取り戻している。サント・ドミンゴの近くでは、電気がキューバのハバナよりもしばしば停電し、しかも配電網も不十分である。そして東欧で現実に進行している事態は、変革への願望を弱めている。仮にそうした願望が存在したとしても、その感情は、国は袋小路に入ったが、社会的不満が政治的には表明されていない、というものである。
 これがあるアメリカ人グループが制裁の部分的な解除を訴えた(フィナンシャル・タイムズ九月二十三日)背景である。カストロ政権が存続する事態の中で、いくつかの外交関係者グループが、ハバナとの関係を確立したほうがその崩壊にとってよりよいのではないかと考えはじめている。国務省は、よりよい将来への希望を育みつつずっとニンジンとムチの方針の間を揺れ動いてきた。
 この考えは特に新しいというわけではないが、キューバの新経済方針がこの考えの信頼度を高めているという新しい事情がある。この考えに込められている願望は、制裁の部分的な解除を通じて政治的な変革を促進し、両国間の旅行や接触、通信などの拡大によって政権の崩壊を実現することである。事態がどの方向に進むのであれ、アメリカの選挙前には何も起こらないであろう。また、こうした政策が新政権内部で支持されるか否かもまったく不確定である。
 こうした政策は、危機からの脱出口をワシントンとの関係樹立に求めないキューバ指導部内の一部の指導者の願望に対応している。
 しかし、いかなる条件のもとでか。この点がカルロス・アルダナ追放の背景である。
 事件に関する公式報道によると、アルダナは腐敗と特権の乱用を理由に解任された。現地のソニー代表から無料で提供された、彼のオフィスにあった電気製品には、エージェントであった法人役員が傍聴できる装置がついていたといわれている。
 公開の記者会見でアルダナ自身によって確認されたこの説明は、相反する二つの意味がある。一方では、すべての人に犠牲が要求されている中で、上級指導者が詐欺的な不正取引に関与していたことであり、これ自身が指導部内の高度な危機を明らかにしている。他方、この説明は、アルダナ一人だけが追放された理由を明らかにしていない。
 指導部内の議論とそれぞれの役割に関する不透明さが再び、あらゆる類の観測を生み出している。政治局員を解任できる唯一の機関である中央委員会は、会議を開いてさえいないし、解任という処置の政治的な基礎に何があるのか誰も知らない。しかし、革命の将来に関する最近の内部議論と関係がないとは信じがたい。
 国家が戦時体制にあるのに、その指導部が公開の方針をとることにいかなる利益があるのか。これは大きな問題である。ニカラグアの実例はキューバを悩ませ、一九九〇年のサンディニスタの選挙での敗北がその後の混乱と革命の後退の幕開けになった事実を誰も無視できない。しかしこれは、サリナス・メキシコ大統領とフェリペ・ゴンサレスに対して作用したように「よい」アメリカ人と「悪い」アメリカ人とを結びつける展望なのである。
 また別の幽霊、グレナダの幽霊がキューバを悩ませている。グレナダでは、指導部内の分裂がアメリカの干渉を招く一つの原因となった。キューバ指導部が一丸となって北の帝国に追随する昔の路線にあらゆる費用を払ってでも反対するのか、それともアメリカの新世界秩序が要求する後退に関して交渉するのか。いずれにしても革命の将来そのものが問われている。
 フィデル・カストロが決定的な問題を決める過程から人民を排除しつつも、そして必要な議論の代わりに徳の名目で解任を実行することによって、広範な大衆的な支持を得られ続けるのか、この問題が残り続けている。現在、明らかなことは、解任や人民を決定過程から排除することが、キューバ人民の根深い反官僚感情への適切な対応方法ではないということである。
(インターナショナル・ビューポイント誌10月26日、237号)