1992年12月10日        労働者の力               第39号

「国際貢献」論にもとづく政治再編論の浮上

果てしない「軍事貢献」の泥沼を拒否する闘いを

             川端 康夫

 国会で展開されている金丸、竹下の追放劇で集約される流れは、「九増十減」や政治資金規制法の小手先の手直しで終わらせようとすることと一体である。
 
佐川疑獄の核心とその歪曲

 急浮上している政治再編への動きは、政権党の独裁、換言すれば「労資一体となった」日本株式会社の現存構造を温存・強化するためのものとして進められている。
 「ところが奇怪なことに……政治や選挙に金がかかり、派閥を生み腐敗が発生するのは、すべて現行衆院中選挙区制度が元凶だ、それを小選挙区制度に改めることが政治浄化、そしてその基本である政権交代の可能性を生む前提条件だ、という説が噴出している。
 ……しかし、ここには大きな落とし穴がある。もしこの小選挙区制が採用されれば、わが国の選挙風土からいって、日本列島中で自民党が圧勝し、四百人前後の驚異的多数派になるに違いない。そして二度目、三度目の改選でも、中央とのパイプ役をその自民党代議士一人が独占するからなお強く、野党が割り込む余地はない。超長期の自民党の政権独占体制が再確立するに違いない。政権交代の可能性など夢である」(朝日11・23朝刊論壇。多田実 二松学舎教授・元読売新聞政治部長)

佐川大疑獄にゆれる自民党政府は竹下派という政治的中心を失った中ですべてが後手にまわっているという分析もなされている。だが、これは意図的な欺瞞というべきであろう。
自民党政府の国際政策の基本的よりどころは、依然としてアメリカ中心の国際関係の枠組みに依拠し、それを支え、その大枠の中で日本「国家」の、その「戦後的・敗戦国的」制約を除去すること、「経済的力量」に見合った「政治大国」としての新たな地位を築くことにおかれており、その路線は確固として推進されているのである。
この間表面化した国連における安保理常任理事国への野心や、核大国を準備するプルトニウムの大量備蓄と積極利用政策の推進などがそれらを典型的に示している。

国連とPKO活動の変質

 国連は、ガリ新事務総長のもとで予防PKO論から積極軍事介入国連軍もしくは多国籍軍の公認に突き進んでいる。ソマリアへの多国籍軍派遣の要請はアメリカに対して行われた。ユーゴ・ボスニア内戦が積極型PKO論の引き金とされた。
 国連は国際武装部隊をもって、各地の「紛争」に「自らの判断」で介入し戦闘するものへと一挙に変質しつつある。六〇年代におけるコンゴ内戦に武力介入した苦い経験から、国連が武力でもって直接介入する方式は葬り去られてきたように見えていた。が、ガリ路線は人道の名のもとに武力介入に踏み切ったのである。
 PKO活動は厳密に制約された活動であった。すなわち、その制約とは「紛争当事者」の合意のもとでの派遣であり活動であり、それは停戦監視業務以上のものではありえない、として規定された。こうしたPKO活動は、当然ながら紛争当事者もしくはその当事者の背後にいることの多いアメリカや「旧」ソ連という大国以外からの派遣でもあった。そして「当事者」の了承がえられないホットな地域への派遣は、考慮の対象から除外されることでもあった。
 アフガン、エチオピア、アンゴラ等々。そしてカンボジア。あるいはニカラグアやエルサルバドルでの戦闘、グレナダやパナマなどアメリカ軍の直接の侵略。いずれも国連を無視して戦争・戦闘が継続し、行われた。こうしたPKO活動を拡大し国連軍的機能をもたせ、そこにアメリカをはじめとする帝国主義諸国の利害を貫徹するものとして、ガリ構想は動きはじめているのである。
 はっきりさせておかなければならないことは、安保理決議をもって行われる「国連軍」は、アメリカを代表とし、イギリス、フランスを随伴者とする帝国主義諸国の利害に反しては行動しないという事実である。ソ連の崩壊とロシアの西側陣営への迎合、中国の経済優先路線から、P5(安保理常任理事国)が進める国連軍型多国籍軍の性格は明白であるだろう。
 善悪を判定し、それにもとづいて軍事を発動すること、その判断基準がアメリカ帝国主義の基準であるとなることは最悪の事態である。国連を通じた「新世界秩序」論であるクリントン政権の基本構想とガリ構想は、まさにピッタリと適合している。

敗戦国ドイツとPKO
 
 ドイツのコール政権が現行基本法(憲法に相当)を修正し、ドイツ軍隊の海外派兵の全面化を推進している。呼応して社民党は党大会でNATO域外派兵に難色を示しているとはいえPKO参加容認へと踏み切った。さらにドイツは流入する国際難民の制限へと動き、ここに戦後の西ドイツ政治の大枠をとりはらい、ドイツ国家の国家利害を前面に押し出すべきだとする右派勢力への譲歩に踏み切った。
 ドイツ社民党の「抵抗」は、しかしながら以上のように国連PKOが全面的に変質しつつあるすう勢においてなんらの歯止めとはならない可能性が大きいと言わねばならない。ドイツ社民党の問題点を探れば、この党が大きな影響力を発揮してきた背景には、バードゴーデスベルク綱領からベルリン綱領へと歩んだ社民党の単なる反共化からの「脱皮」の軌跡があり、それは故ブラントが牽引した「東方外交」の発想が基礎となったものであった。だが、東西冷戦の終えんという事態が、そうした積極的な政策の蓄積を誇った社民党を不意打ちしたのである。
 社民党は東西ドイツ統一を強行したコール政権に対決しきれなかった。またコールの野蛮な政策が旧東ドイツ経済を一挙に崩壊させ、その結果への反動が右翼、ネオナチ勢力の台頭に結びついたのだが、そのいけにえとされる移民の流入に対する規制を強化するというコールの政策への有効な対応策を見出せていない。そして今、NATO域内への限定というドイツPKO部隊の展開への抵抗もまた、旧ユーゴ内戦という事態への対応を迫られるがゆえに歯止めとはなりえないのである。
 ドイツ社民党は明らかに、冷戦終了後の世界に対する積極的な前向きの視点において立ち遅れている。
 P5を通じたアメリカ帝国主義を中心とする世界秩序形成への流れ――それがいまだ明確な姿を確定しきれていないとしても――が、いわば帝国主義の一方的、強権的な世界秩序強要にほかならないこと、およびそれを通じてアメリカそのものの国家利害がしゃにむに貫徹されようとしている事態への明確なオルタナティブの確立が遅れているといわなければならないであろう。
 アメリカ中心の帝国主義的な国際秩序形成への志向は、フランスのミッテラン社会党政権をも呑み込んだ。湾岸戦争に際してフランスは、結果としてアメリカの政策に完全に従属したのである。
 こうした枠組みから導かれるものは、一連の「ウルグアイラウンド」をめぐるアメリカ帝国主義の、特に農業をめぐる理不尽などう喝――アメリカ農産物の覇権確立のために各国農業の犠牲を求めるというどう喝や、リオにおける環境サミットにおいて示したアメリカの頑強な抵抗(二酸化炭素規制の拒否)などについて基本的に対抗できない力関係が作られていることなのである。
 
もう一つの敗戦国・日本

 ドイツが直面している以上のような事態は、日本でも同様に現れつつある。
 これら二つの旧敗戦国が突然に法改正や解釈の変更に踏み切ったことと国連PKOが大々的に変質しはじめることとが、同じ基盤をもっていることはいうまでもない。明らかに東西冷戦構造の崩壊によって、これら旧敗戦国を制約してきた国際的、国内的圧力が薄れ、同時にアメリカを中心とした「世界秩序」形成に全面的に動員されることが要求されてきたからである。国内的というのは、東西対立の激化が必然的に生み出した「反戦・中立」を希求する民衆感情の強固な基盤であった。今それは明確には見えていない。
 ドイツも日本もアメリカ帝国主義を中心とする国際秩序への「貢献」をより以上に迫られている。
 国連PKOの変質とこの両国の「国際貢献」のエスカレートはセットであり、それゆえにドイツ社民党が抵抗せんとするNATO域内の枠組みは国際秩序形成という名分のまえに一挙に崩れ去りかねないあやういトランプの壁のようである。
 ひるがえって日本の場合は「NATO」という制約のための目安もない。この二つの国にとって、九二年の時点でPKO活動への参加に踏み切った、あるいは踏み切ることができたのは、まさにアメリカ中心の世界秩序を国連の媒介にして全世界に強要するという文脈と一体のものであったからにほかならない。
 日本自衛隊のカンボジアPKO活動は、すでにその条件としていたPKO活動原則を踏にじって進んでいる。当事者間の合意が必要条件であったPKO活動のはずが、UNTACはその領域を越えて行動している。ポルポト派への制裁(名ばかりだが)発動の事態はガリ路線の発動そのものであり、明石が「統治者」的に行動しているのも同じ文脈である。
 ポルポト派を支持するか否かを問わず、UNTACが統治者的役割をもってポルポト派との対決を辞さないという、現在進みつつある事態は、国連による制裁が名ばかりであるかどうかにかかわらず、PKO活動の前提条件である「当事者の合意」が崩れつつあることを意味する。日本自衛隊のPKO活動は、まさにこの基本のところで大きく流れが変わりつつあるにもかかわらず、それをあえて無視する形で遂行されている。
 三つの事実をあげたい。
 第一に、国連安保理の制裁決議は即座にポルポト派の抵抗を生み出した。PKO要員が拉致(らち)されたり意図的な地雷攻撃にあったりしている。UNTACとPKO部隊はポルポト派への制裁行動の一部を形成し、もってポルポト派への敵対勢力の一部に転化しつつあるのである。
 第二に、PKO部隊の任務の政令による拡大の実施である。日本政府はフィリピン政府の要請に応えるという名分でPKO部隊の任務を拡大し、輸送協力を付け加えた。
 第三に、クリントンのブレーンは十二月二日、「日本が常任理事国への昇格を望むならあらゆる地域でのPKO活動に全面的に参加すべきだ」と述べた。これはガリ構想が示す国連PKOの変質や国連の名において多国籍軍編成を進める一連の事態への全面的参画を求めたものだ。
 こうして、日本の「国際貢献」の証としてカンボジアに「道路修復と橋を架けに行く」はずだった日本自衛隊の「ささやかな」派兵は、即座に多国籍軍への公然たる参加に至るまでの「新たな分野」に直面し、それに応えることが国際貢献という「戦力の全面行使」に直結し始めたのである。
 これは小沢調査会答申そのものの現実化である。
  
憲法改悪の流れと政界再編

佐川疑獄が一挙に火をつけたかのように政界再編、政治刷新の動きが全面的になる様相を示している。
日本新党に続き、大前研一の、その名もアナクロそのものの「平成維新の会」が旗揚げした。小沢派は「改革原理主義」を旗印とし、社会党・社民連・連合参議院を横断した「シリウス」が生まれ、それに対抗するグループもまた生まれるという状況である。
これらをひとまとめにする形で「民間政治臨調」が「中選挙区制度廃止宣言」を打ち出す。
自民党サイドでの政治的ブレーンの代表格となっている佐々木毅東大教授はまた民間政治臨調の中心でもある。他方、社会党サイドからの「改革派」の流れはドイツ社民党型政策の輸入版の傾向にある。このドイツ社民党型とは、コール政権に対決するのではなく追随する傾向、現実路線の傾向である。
また民間政治臨調への労働組合の動員は連合、なかでも鉄鋼や自動車などの企業連組合であり、鷲尾や得本らはアメリカ型の(保守)二党論者として知られている。十一月十日の民間政治臨調集会には小沢派の羽田とシリウスの江田が代表格で並び、会場は鉄鋼労連や全電通の動員で埋められたのである。
さらに江田は小沢派との協同作業呼びかけと同然の発言を行い、同時に公明党大会は小沢新党への期待の表明とそれへの合流を含みとした市川書記長答弁を了承している。
 民間政治臨調やシリウスなどの動き、あるいは公明党大会が示したものは、一つの大きな共通項である。それは、小沢路線へ抵抗感をもたないことである。それゆえか、これらの勢力は佐川疑獄のあと一人の中心人物である小沢本人への批判に目をむけないのである。
 これらの勢力が本気で佐川疑獄解明、政治改革に走っているとはとうていいえない。彼らにあるのは、政界再編の流れに乗り、アメリカ帝国主義の世界路線にもっとも接近すべきと主張する小沢と結び、あわよくば政権に密着せんとする政治的野心のみであろうといわざるをえない。
 「現実路線」のキーワードは、あえて名づければ「小沢路線」であり、それは解釈か、明文かは別にして、現行憲法九条の公然たる破棄につながる路線である。そして同時にヨーロッパと同様に日本の米作農業の開放・解体の断行をも強行する路線となる。
 先にドイツを見たが、日本の革新勢力の柱であった社会党が直面している状況はより以上にきつい。すなわち労働戦線の主力が連合の、しかも保守勢力との融合を選択する部分の影響下におかれている。このような連合が社会党の日常の組織機能を支配し、選挙における組織と資金を担保するという事態において、社会党はその路線の変質の圧力に対してきわめてもろい状況にある。すでに社会党内では党名変更の論議が浮上している。来年(一九九三年)の大会がこの党にとって正念場になる可能性は大である。
 現状からは来るべき総選挙をはじめとする各種選挙で社会党が伸長するとの予測は難しい。先の参院選挙の結果から見て、細川や大前の動きに票が流れる可能性が大きい。なによりも現在の議席が土井ブームの産物なのであり、土井ブームなき社会党になんらかの展望があるとはだれも思わないであろう。
 選挙の不振が「現実路線」化へ拍車をかける。
 
新たなオルタナティブのための闘いを

 世界状況は一挙に混沌の様相を示している。抑えこまれてきた民族感情が噴出し、対立はとどまることをしらず拡大している。東西冷戦が一つの世界秩序を構築してきたとすれば、現在は両陣営が育んできた勢力がその武装によって自己主張し、抑圧されてきた民族がまた武力をもって自己主張を展開している。
 ここで問われている問題そのものは、きわめて単純明快である。すなわち、帝国主義がその強大な武力でもって秩序を強要することを是とするか、否かである。ドイツにおいても日本においても、前者の道が「国際貢献」論として台頭した。だが帝国主義の秩序とは帝国主義の利害からみた秩序にすぎない。しかもそれは現在的にはアメリカ帝国主義の利害が貫徹する秩序である。国連の「変質」もまたその一部を構成する重要な要素となろう。
 あらためて全世界は帝国主義とそれ以外とに分断されるであろうし、後者は帝国主義による抑圧と搾取、収奪にさらされる。
 日本における政治再編は自民党支配の基本構造にはなんら手をふれることなく、一方的に社会党の分解と解体あるいは変質への圧力として作用する。自民党政治が依拠するアメリカとの協調が変化することではなく、また自民党の基礎である利権・金権の構造が変化することでもない。政治再編は公明党や民社党がまきこまれることは当然であるが、最大には自民党への一定のオルタナティブ勢力であった社会党の問題として集中的に現れるのである。
 事態はまさに国際的視野にたった、新たな反帝国主義の世界的なオルタナティブの視点、その一部としての日本における新たなオルタナティブ勢力――新たな革新と言い換えてもいいが――形成のための闘いが本格的に挑戦されることを要求している。
 PKOの変質、無制限の拡大化がつくる現行憲法との鋭い矛盾をつき、現行憲法に含まれる非戦国家、小国家、平和国家という理念に固執する立場から、新たな民衆的な広がりをもったオルタナティブ形成が問われている。社会党における路線変質に抗するさまざまな人々やグループとも横断的に結ぶ自立的な闘いの協同に全力をあげるべき時である。
 そのためにこそ、社会主義をめざす政治連合が誕生したのである。政治連合を拠点に政治再編への大胆な介入を進めよう。
    (十二月五日)

プルトニウム社会をつくらせるな
海上輸送を許すな

 プルトニウム輸送船「あかつき丸」は十一月二十九日現在、南アフリカ希望峰の沖合い数百キロ付近を海上保安庁の巡視船「しきしま」に護衛されて航行中と、南アフリカのテレビ局が取材し、報道した。インド洋を航海するものとみられる。あかつき丸が輸送する一トンのプルトニウムは、長崎型原爆一二五発分に相当する。きわめて危険な物質を運搬する同船や日程などについて完全な秘密主義をとってきた日本政府は、いまなお、輸送に関する情報を明らかにしていない。十二月下旬に日本に到着するのではないかと予想されているが、全くの推測の域を出ない。が、世界で最大級の環境保護・平和組織グリーンピースの監視船「スミット・ニューヨーク」が、あかつき丸としきしまの二隻を追跡している。この行動は、きわめて危険な物質であるプルトニウム輸送に対する抗議行動であるとともに、日本政府の極度の秘密主義に対する抗議、監視の行動でもある。「日本までの無寄港航海に耐えられる食糧、水、燃料を積んでいる。最後まで追跡する方針」(朝日11・22)という

日本政府の過度の秘密主義

 日本の原子力利用の基本方針を示す原子力基本法(一九五五年成立)第二条は「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする」(一九七八年改訂)と規定している。この「民主・自主・公開」を原子力三原則といい、その前提に「平和と安全」が掲げられているので「平和・安全・自主・民主・公開」を原子力五原則という。
 日本株式会社の国家は、原則というものを様々な省令や政令、規則、運用規定などで骨抜きにすることを得意としている。ことに問題が軍事、先端技術、外交などの「国家機密」に近づくほど、この傾向はあからさまとなる。そして裁判所、とりわけ上級裁判所が司法の独立を事実上放棄しているので、こうした政府の違法、不法行為が黙認されるか、あるいは様々な理由によって合法化され、歯止めがかからない。
 プルトニウムの海上輸送に関しては、その日程や航路を公表しないだけでなく、つい最近まで輸送を担当する船舶があかつき丸(四八〇〇トン)であることさえ秘密にしてきた。多くの人々や機関の調査から、あかつき丸がプルトニウム運搬船であるとの指摘がなされても日本政府は完全にだんまりを決め込んでいた。
 日本政府がプルトニウム輸送船をあかつき丸と認めたのは、今回のプルトニウムに再処理し、輸送船が出港するフランスの政府が日本政府の秘密主義に反発してあかつき丸であること、出港の予定日などを公表してからのことであった。フランス当局が明らかにしなかった場合、日本政府は最後まで秘密を守り、隠密航海を続けたであろう。
 別掲の「プルトニウムの恐怖」に引用しているようにプルトニウムの輸送に関しては、国内でも全くの秘密にされてきた。それのみならず今年からは、核燃料輸送情報の公開が禁止される事態に至り、核燃料の輸送に関する日時、経路、方法などの情報が完全に秘密にされるようになった。原子力三原則の一つである「公開」は完全に踏みにじられている。
 政府当局は、「平和と安全」が最優先されるべきであり、「輸送方法、輸送情報、コンテナの設計図、貯蔵場所の図面などの情報を公開することは安全と平和を脅かす」として、原子力基本法の第二条に違反する違法状態をつくり出している。日本政府は、こうした徹底した秘密主義の根拠として「核物質防護条約」をあげている。一九八〇年に締結されたこの条約は、原子力の平和利用における国際協力を促進するために核物質に対する犯罪の防止、発見及び処罰を確保するための効果的な措置をとることを目的の一つに掲げている。
 同条約は、犯罪の要件を定めるとともに、国際的な犯人の引き渡しを規定し、核物質防護の観点から情報を秘密にするように要求している。「今年になって輸送情報公開禁止という事態になりましたが、これはこの核物質防護条約を理由にしておりますが、ここに定められた基準を大幅に上回る過剰なものでした」(パンフレット「プルトニウムとPKO」―プルトニウム輸送と自衛隊の危険な関係―藤田祐幸氏講演録 たんぽぽ舎、都区労働者学校)。
 こうした秘密主義に対する反発は、フランス当局に限られたものでなく、世界各国からプルトニウム輸送の危険性と秘密主義に対する反対が広がっている。
 また、今回のプルトニウム海上輸送に賛成する東京大学工学部の近藤駿介教授でさえ「ただ輸送の情報については、ある程度公開したほうがテロや核ジャック防止には逆に有効だろう」(日本経済新聞11・3)と主張している。

世界各国が懸念を表明

 グリーンピースは、前掲朝日によると「今回の抗議行動は昨年春から組織し始めた」という。まず、フランス、アメリカ政府などとの話し合いを始め、今年二月からは、輸送ルート沿岸国となりそうな約百の国と地域に手紙を送って「プルトニウム輸送は危険」と訴えた。そして、十一月には日本で「原子力資料情報室」とシンポジウムを開いてもいる。こうした活動もあって現在では輸送ルート沿岸国の多くが日本のプルトニウム輸送に反対を表明するか、「憂慮」を表明している。
 グリーンピースのこの問題の責任者であるデイモン・モグレンさんは「初めのころ、小さな島国は不安を持っていながら、日本との経済関係を考えて公式には何も言えなかった。日本の科学技術庁担当者は『日本政府は公式の抗議を一件も受け取っていない』と言明した。そして情報に関しては、沈黙、ただ沈黙だった。日本の沈黙が各国の反対行動を呼び起こした」(朝日前掲)と分析した。
 反対や憂慮を表明している国や地域は、「プルトニウム全国署名」作成のビラから引用(毎日新聞11・2)すると、
 海域内通過に反対を表明した国と地域
中南米 ブラジル、チリ、アルゼンチン、プエルトリコ、パナマ、エクアドル、コロンビア、カリブ共同体・共同市場
アジア マレーシア、インドネシア、シンガポール、フィリピン
アフリカ 南アフリカ共和国
太平洋 ナウル、北マリアナ連邦
憂慮を表明した国と地域
太平洋 パプアニューギニア、オーストラリア、クック島、ミクロネシア連邦、フィジー、キリバス、マーシャル諸島、ニエウ、ソロモン諸島、トンガ、ツバル、バヌアツ、西サモア
アメリカ ハワイ州、西部州知事連合会
などである。
 別掲の地図から判断されるように、輸送ルート沿岸国のほぼすべてが反対ないし憂慮を表明している。
 チリのエイルウィン大統領は「万が一、事故が起これば周辺国のみならず、人類に対し大きな損害を与えかねない」と述べ、シンガポール外務省は「危険物質はマラッカ海峡のような混雑した場所を運搬されるべきでない」(以上、日経11・3)と主張している。
 
突出する日本の高速増殖炉研究

 今回運搬されるプルトニウムは約一トンである。これは、日本の原子力発電所(軽水炉)で使用した燃料(使用済み燃料)の再処理をイギリス、フランスに委託して取り出されるプルトニウム約三〇トンの一部である。したがって、残りの二九トンも今後定期的に輸送しなければならない。そして自民党や防衛庁内部では、海上輸送の護衛を海上保安庁の巡視船ではなく、自衛隊の護衛艦を出動させるべきだという意見が公然と表明されている。PKO法の成立はこうした動きに拍車をかけるものである。
 日本政府は、これからも輸送ルート沿岸国の反対を押し切って、あるいは無視して危険な作業を続けることになる。そして、日本のこうした動向に対して、「日本が経済大国になったように、原子力でも世界を支配しないと言い切れるだろうか」(ウィーンの外交筋)との危惧の念さえ表明されている。
 なぜ、これほどまでに日本政府はプルトニウム輸送に、あるいはプルトニウムに固執するのだろうか。そして大量のプルトニウムを蓄積しようとするのだろうか。
 その理由の一つとされているのが、高速増殖炉である。これは、本来「燃えない」ウラン238を「燃える」プルトニウムに転換させる原子炉のことである。
 天然ウランに〇・七%含まれるウラン235から得られるエネルギーを一とすると、使用済み燃料から取り出したウランとプルトニウムを再利用すれば、約三に、高速増殖炉を使えば理論的には五〇から六〇になるといわれている。このため日本政府は、約三〇年前に計画した高速増殖炉に固執して、二〇三〇年までに高速増殖炉を実用化したいとしている。
 使用済み燃料の再処理工場を青森県六ケ所村に建設する工事に近く着手し、高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」を来春から稼働させようとしている。今回フランスから輸送されるプルトニウムは、この原型炉の取り替え燃料製造を目的としている。
 しかし高速増殖炉には、燃料を多量に炉心につめこまなければならず、そのため炉心の出力密度が軽水炉などよりはるかに高くなるという特性がある。ここから様々な問題が生じることになる(詳しくは高木仁三郎著「プルトニウムの恐怖」などを参照)。
 その一つがプルトニウムというきわめて毒性に強い物質を大量に扱うという点であり、また、冷却剤(熱媒体)に液体ナトリウムを使うという問題がある。ナトリウムは常温ではやわらかな銀白色の固体であるが、摂氏約九八度で液体となる。これは腐食性の強い性質をもち、水と爆発的に反応する、危険で扱いにくいものである。
 こうした事情から世界各国は、高速増殖炉の開発計画を進めてきたのであるが、その困難さのために開発から撤退しはじめている(以下はプルトニウム全国署名のビラから)。
アメリカ
 実験炉FFTF、EBRU…運転中
 原型炉クリンチバー…建設費高騰のため計画中止(一九八三)
 実証炉研究も中止(一九八四)
イギリス
 原型炉…運転中 ただし一九九四年三月で運転資金を打ち切ることを決定(一九九一)
ドイツ(旧西ドイツ)
 原型炉SNR300…燃料を入れる寸前に計画中止(一九九一)、解体へ
フランス
 実証炉スーパーフェニックス…政府が運転再開を断念(一九九二)
 やめた理由 @核暴走事故の危険Aナトリウム火災の危険B原子炉容器の検査が難しいなど
 フランスの実証炉スーパーフェニックスは、実用化(商業炉)一歩手前のものであったといわれるが、それが事故を起こし、事実上運転再開が無期延期となった。日本政府は三〇年近く前に作成された計画にとらわれずに、世界各国のこうした動向に率直に習うべきである。
 高速増殖炉には、技術的な困難さだけでなく、それ以外にも重大な問題がある。「第二に、経済的に成り立たない、という問題があります。燃料を自家生産するシステムだから安くなるはずだと思ってスタートしたのですが、現実には危険性が高すぎて経費がかさみ、経済的にはアメリカのようにただウランを燃やすだけのほうが安上がりになってしまったのです。第三の問題は社会的な問題です。プルトニウムを導入することで社会システムが全く別のものに変貌をとげざるをえないという問題です」(前掲パンフ、藤田講演から)。

プルトニウム社会に未来はない


 プルトニウムは先に述べたように核爆弾の材料となる。高速増殖路というエネルギー産業の設備は核兵器という軍事機密との境界にあるのであり、そこからプルトニウムに関しては徹底した情報管理、秘密主義が出てくる。日本は「核燃料輸送情報公開停止、プルトニウム輸送、PKO成立の条件の中で新しい時代に突入していった。これは、これまでのウラン時代とは全く質の違ったプルトニウム社会です」。
 「核戦略物質であるプルトニウムを産業社会の中にリサイクルさせることになれば、みんなが懸念していた核管理社会、プルトニウム型社会の形態をとらざるを得ない。それは国家による徹底的な情報管理と、テロを未然に防止することができるような警察機構、いかなる妨害行為をも強力に排除できるだけの警察力、国際テロリズムに迅速に対処できるだけの装備を備えた軍事力、軍事行動にかかせない国際的な情報収集のための国家機関、そのようなことを可能にするための機密保持体制、そうしたものが必要になります」(前掲パンフ)
 こうしたプルトニウム社会(国家)は許されるものではない。この道を歩んではならない。
 それだけでなく、ある説によるとアメリカや日本の社会のような大量エネルギー消費型の生活を続けようとすると、約十億人しか生活できないといわれている。この地球の上で全人類がどのような生活を行うのか、その点が問われているのではなかろうか。
       (高山徹)

プルトニウムの恐怖

●プルトニウムは、原子番号九四番の元素で、自然界には存在せず、人工的にのみ合成される。その一族プルトニウム二三九は半減期二万四一〇〇年の猛毒の放射性物質で、原子力発電の副産物としてできる。「人類の夢をかなえる元素」とも「悪魔の元素」ともよばれる……。
●新しく人類が手にした元素プルトニウムの中でも、プルトニウム239がその核分裂をきわめて起こしやすい、すなわち核分裂性のアイソトープ(同位体)であることが、一九四一年に明らかになった……。
●プルトニウム239は、天然ウランの主成分(99・3%を占める)に中性子をぶつけると、比較的簡単に生成すること、しかもいったん生まれたプルトニウム239は、半減期が三万年近くと推定(最新のデータでは、半減期は二万四一〇〇年)される……。
●プルトニウムは……冥王星(プルートー、冥土の王、つまり地獄の王)にちなんで名づけられたのである。……発見の五年足らず後に長崎に地獄を出現させた元素の名が、地獄の王の元素とつけられたことは、あまりにも皮肉な偶然であったといえよう。
●一九四五年八月九日。長崎。プルトニウムを用いた原子爆弾「ファット・マン」が長崎を襲い、一瞬にして八万余の命を奪い、長崎に地獄絵図を作り出した日である。それは同時に、その三日前に広島に投下されたウラン原爆とともに、人類が「核」というパンドラの筐を開けたことを意味していた。ちょうど三年前に、顕微鏡の下にささやかに存在していたプルトニウムは、すでに巨大な鬼っ子としての姿を露わにしたのである。
●一九六七年四月一三日、日本の原子力委員会の「原子力開発利用長期計画」がこの日に決定された。それによって、日本でもプルトニウムを生産し、燃料として燃やす長期計画が本決まりになったのである。この計画は国家のエネルギー開発の柱となる「国家プロジェクト」の中心に、プルトニウムを燃やし、生産する高速増殖炉と新型転換炉という二つのタイプの原子炉を据えたものだった。……これは、同時に国家に強力に支えられた巨大科学プロジェクトの時代の日本における幕開けを意味していた。
●一九八〇年の秋のある日。日本のどこか。東海村の動力炉・核燃料開発事業団の施設から、敦賀の新型転換炉「ふげん」に向けて、パトカーに前後を守られながら、それと目立たぬようにひっそりと、三台のトラックが走りだした。それは、プルトニウム二四キログラムを含む原子炉燃料の運搬トラックだった。そのルートは、「核ジャック」防止を理由に私たち誰にも知らされず、日付も明らかにされなかった。しかし、一般のトラックと同じように、一般の道路や高速道路を、おそらく私たちの寝ているすぐそばを走り抜けていったことだろう。そして、そのトラックには、原爆をつくるならば三発分、また一兆人分の許容量にあたる毒物が積まれていたのである。……このことは私たちは、いつの間にかプルトニウムを大量に積んだトラックが走りまわる時代の入口に立たされていることを教えている。
●現行の許容量の妥当性には、さまざまな疑義が提出されているが、現行の許容量をとっても、一般人の肺の中にとりこむ限度は、プルトニウム239の場合、〇・〇〇一六マイクロキュリーとされている。これは重量にして四〇〇〇万分の一グラムほどに過ぎず、もちろん目に見える量ではない。……このような大きな毒性が生じる最大の原因は、その放射するアルファ線である。アルファ線は、その通路に沿って電子をたたき出すが、これが放射線のもたらす生体に対する悪影響の主な原因である。このような放射線の作用(電離作用)が生体結合に与える破壊・損傷効果によって、いろいろな障害がもたらされるのである。
●「核エネルギーは、一連の決め手の装置がうまく動作し、かなめの位置にいる人々が完全に指示を守り、サボタージュもなく、輸送中のハイジャックもなく……革命も戦争もない場合に限って安全といえる。<神の行為>(天災など不可抗力のできごと)は許されない」H・アルフヴェン(スウェーデンの物理学者)
 以上、高木仁三郎著「プルトニウムの恐怖」岩波新書(一刷は一九八一年十一月)から
ドイツ

          支配階級の対人種差別二面作戦

 一九九二年十一月九日を中心とする数日間に、ナチスが一九三八年に行った反ユダヤ主義の「クリスタルナハト(水晶の夜)」虐殺記念日にドイツ全土で五〇万人以上の人々が人種差別の暴力に抗議するデモを展開した。これらの行動は、現実に展開されている反ファシスト政策の可能性とその限界を示した(十一月十一日)。

   ダーフィト・ミューラー

CDUのイニシアティブ

 十一月八日にベルリンで行われたデモは、まさしく最大のものであった。これは、三〇万人という参加者の数のみならず、デモを呼びかけた主催者側組織の多様性においても、実に驚くべきものであった。呼びかけ団体の多様性は、詳細な検討に値する。
 呼びかけ組織の広がりは、キリスト教民主党(CDU、右翼連立政権の多数党)から民主社会党(PDS、旧東ドイツの支配政党を継承する政党)までにおよんだ。主要政党の中で参加しなかったのは、CDUのバイエルン州における姉妹政党であるCSUだけであり、この党はCDUよりも右寄りであり、人種差別のカードを切りたがる傾向にある。
 デモのイニシアティブをとったのはCDUであった。驚くことにこの党は、一九八六年以来、難民に対して激しく攻撃してきたのである。ブルジョア陣営の従来方針から限定的であれ転換するのには、いくつかの理由がある。その筆頭は、CDUの発言者たちが集会当日に繰り返して表明した「世界におけるドイツのイメージ」である。ドイツからの投資、ドイツへの投資が悪評を理由に妨害されてはならないということである。
 第二の大きな理由は、保守派から社会民主派までの有権者のムードである。有権者の多数は、難民の追放に賛成しており、人種差別的である。他方、彼らは、ファシストのテロリスト的な行動を望んではいない。したがって政府は、人種差別に関する意見の相違や人種差別主義者が拡大している抑圧暴力に依存することができない。「われわれの民主主義」への統合主義的な訴えを行わざるを得ないのである。

ナチス圧力グループ

 CDUのイニシアティブを説明するまた別の動機は、今日のドイツでファシストが果たしている新たな役割である。ナチススが小さな集団にとどまっている限りは、ブルジョアの目的を実現するための「圧力集団」としてそれを利用できる――特に政治的な難民が保護を受ける権利を保証しているドイツ基本法(憲法)の条項改定に関して。多くのブルジョア政治家たちは、ファシストの小集団が難民を攻撃したときに「人々がこれらの青年に対して抱いている了解」を喜んで説明したのであった。
 しかし現在、乞食、売春婦(ことにドレスデンで)、難民などに対する攻撃を通じてファシストは、旧ドイツ民主共和国(東ドイツ)地域で、自らの街頭大衆行動の基礎を固めることができた。こうして彼らは、自らの新たな社会的な基盤を獲得したのであった。旧西ドイツ地域での彼らの支持者たちは主として中産階級であったが、旧東の地域では学生、労働者の間で基盤を獲得したのであった。ファシスト集団は、政府の政治的被保護権に反対する宣伝に力を得て、この数カ月間の人種差別的な傾向の醸成に決定的に貢献した。支配階級とその諸政党は、ファシスト運動が小集団から脱皮していく過程に無関心であった。これは、保守政党にとって多大な票の損失であったし、左翼政党の反応も同様であった。
 以上の流れからしてデモのスローガンが、ドイツ基本法の第一条、「人権は不可侵である」という漠然としたものであったのもなんら不思議ではない。

よいイメージを与えるために

 支配階級のどっちつかずの態度は、ドイツ大統領バイツゼッカーの演説に明白であった。彼は、「左右双方」の暴力を非難した。暴力の原因や彼が属する党の責任については一言も発することなく。デモは、彼自身の党の方針をとがめるためのものでなく、外部世界に対してよいイメージを与えるためのものであった。
 大統領の演説はまた、数百人の「自治主義者」(半アナーキスト潮流で、会場に入って座り込み、これまでに反ファシスト行動のおかげで相当の支持を得ていた)にとって、絶好の行動の機会であった。彼らは「偽善者」と叫び、腐った卵やトマトを投げつけた。
 そうした感情は理解できるものだが、しかし大統領に対するこの攻撃は、政治的な誤りであり、マスメディアはこれをとりあげて「民主主義を脅かす左右双方の破壊者」と宣伝した。
 それ以上にひどかったのは、デモの圧倒的な成功という成果を背景に追いやったことである。三〇万人以上の人々が反人種差別のデモに参加したこと自体が印象的であったが、その中でも重要だったのは、多くの旗やプラカードの文字に政治的被保護権の維持が掲げられていたことであった。こうして左翼の側は、ブルジョアジーの側の自らの徳を示す大行進にしようとした意図をブルジョア方針反対を表明するデモに転換することに成功したのであった。この成果もまた、腐った卵やトマトの犠牲となった。
 これは、たとえブルジョア政治家たちがデモを自らの成果とできないにしても、「暴徒」(ヘルムート・コール首相はこういった)に関して金切り声をあげ、より緊張した雰囲気をつくり出し得ることを意味した。ベルリン市長、ディープゲンは、市長を偽善者といった青年をそれだけの理由で逮捕すべきだと要求した。
 だが、少し肯定的に考えてみよう。デモは、青年の間に移民しなければならない背景や反ファシスト統一行動の必要性に関して理解があることを示した。
 この点はベルリン以外のデモからも明らかである。それらの参加者数は、シュツッツガルトでは四万、ハノーバーでは社会保障削減反対に二万、反人種差別に三千、ハンブルクで五千、マンハイムで八千などであった。

自衛

 社会主義者の現在の任務は、行動の用意のあるすべての人々の間での具体的な統一行動のために闘うことである。とりわけバイツゼッカーでさえも過去に言及した自衛に関して。
 同時に、難民と移民の完全に法的、社会的な平等のために活動する反ファシスト組織を形成する必要がある。この点に関係して、移民青年の間に登場しつつある前衛層に特別の注意を払うべきである。
 こうした組織や行動は、ナチスを止めることができるのみならず、国家強化の傾向にも反撃できるのである。「左右双方」に対する強硬路線を訴える声がブルジョア側から大きくなってきつつある。コール首相はすでに、社会民主党(SPD)が政治的被保護権条項の改定に賛成しないのであれば非常事態令を考えると脅している。強力国家は右翼を脅かすだろうが、その最大の打撃は左翼と労働者運動に起こるに違いない。
 左翼と労働者運動がその反ファシスト戦略を展開するにつれて、急進左翼の側も強力国家への傾向を阻止することが課題となる。この戦略は既存の社会制度総体に挑戦し、一九三三年のヒトラー政権獲得を許した大失敗を回避するものでなければならない。
 ドイツの社会主義者は、その持てるすべての力を右翼のテロに反対する統一した効果的な攻撃に注がなければならない。(インターナショナル・ビューポイント誌11・23、239号)
ドイツ

              ファシズムと資本家の統一

                                    アンゲラ・クライン

 コール首相は、ドイツ統一二周年をシュベーリンで祝福した。しかし記念行動はいくぶん静かなものであった。その理由の一端は、この数カ月における人種差別の暴力行動の拡大にあった。この種の行動で最悪のものが旧東ドイツ地域で起きた。

二つのドイツ

 エルベ河の両岸で人々は脅威を感じた。戦後のヨーロッパ分断の結果としての二つのドイツ国家の発展は、一定の安全保障感覚と居心地のよささえももたらした。東の人々は、過去のファシストの重圧からの解放を感じ、新生ドイツのよさを味わった。西ドイツの人々は、「西側民主主義と反共」の名目のもとにアメリカ的生活様式実現の道を進んできた。
 ドイツ統一は、これら二つのアイデンティティが崩壊したことを、しかも東西ドイツの人々が新たな展望に向けて共同の努力を傾けるような新しい経済的な刺激をもたらすことなく崩壊したことを意味した。その反共主義のために先が見えない労働運動多数派は、自らの信念のために高価な代償を支払い、すべての物事は西側でも生活がもっと良くなるだろうと考えられてすまされた。
 左翼にとっての重荷は、新しい状況に対して用意ができていなかったためによるものではない。左右双方とも、旧東ドイツで蓄積されてきた矛盾の巨大さと隠されていた暴力に気づいていなかった。
 旧東ドイツ国民は、外国人と一緒に暮らすことになれていなかった。わずか一万の外国人が主として相対的に快適な隔離地域に居住していたにすぎない。
 旧東ドイツの社会的な危機を貧困の面からのみ見てはならない。その社会構造の危機の重要な点は、人々が生活する場所、手段にもあった。
 旧東ドイツ国家は、人々の良き生活を保証する責任を負っていた。それは、厳格な管理と組織的な無責任にまで到達した。統一によって、これらの構造一切が無残に破壊された。旧東ドイツの人々はかつての何千倍も無所有となった。
 旧東ドイツの人々は、経済的、社会的な生活の基礎を破壊されたまま暗い未来に直面している。社会的諸機構の全体、すなわち青年クラブ、居住人組織、休暇の家、スポーツクラブなどが、劣悪な居住環境の生活をどうにか耐えられるものとしていたのだが、これらがすっぽりと消滅してしまった。
 旧東ドイツの人々は、西ドイツの人々が享受してきた社会保障の最高水準での生活水準の達成を望んでいた。しかし実際に彼らが見出したのは、寸暇を惜しんで確実な仕事を見つけるために懸命に競争しなければならないことだった。労働市場での競争は、より貧しい国からの移民、ルーマニアと旧ユーゴスラビアからのジプシー、旧ソ連あるいはポーランドからのユダヤ人などとの間でますます激しいものとなっていった。
 人種差別潮流は、従来の国家や政治、組合制度などがそのまま存続した旧西ドイツでは、長きにわたって確立されてきた政治的な合意のためもあってそれほど強力ではなかった。

激化するファシストの行動

 しかし旧西ドイツでも戦後の繁栄が衰えを示し始め、資金が大量に東に移動し、社会保障への攻撃が始められた。西では、極右を支持するのは主として自らの相対的な繁栄への直接の危機を感じる層であるが、東では、ほぼすべてを失ってしまった人々である。
 この数週間で二千五百件の人種差別攻撃と殺人が報告されている。ドレスデンでは、数百人のナチスがいかなる抵抗に遭遇することもなく、第三帝国の旗とナチスのシンボルを掲げて行進した。こうした行為は違法であるが、警察は妨害するのではなく行進者を護衛した。
 まさにこの時になって、政府は政治的な被保護権を制限する方針の実現を決定した。究極的に、そして十一月八日のデモのような国際世論を気にする振りにもかかわらず、ドイツ政府当局はファシストとの共謀の罪で有罪なのである。そして、この共謀の結果として、社会的な不満を挑戦から社会秩序に変容できるのである。
 左翼は悲しむべき状態にある。世論調査によると、若者の三分の一は「ドイツ人のためのドイツ、外国人は出て行け!」のスローガンに賛成し、人種差別を容認する学生の数が増える一方である。
 世論調査はまた、極右の共和党が議会選挙で五%条項の壁を突破し得ることを示している。また別の極右組織、ドイツ人民同盟(DVU)に関する同様な結果を合わせて考えると、ファシストが緑の党と同じ成果をあげることになる。
 過去の記憶を一掃し、ドイツを「通常の国家」たらしめようと望む勢力にとって、状況は追風である。ドイツの統一は、社会主義に対する資本主義の最終的な勝利、第二次世界大戦とドイツの罪への最後的な終止符を告知するものとして行われた。
 今日のドイツは一九三〇年代のドイツとは違う。それ自身の利益がドイツをヨーロッパ構築において指導的な役割を果たすよう駆り立てている。支配階級の中枢は、ドイツが「国際的な責任を引き受ける」ことについて語り始めている。こうして、かつてのドイツの虐殺行為が、現在の統一後の状況に対する反省と同様に困惑の種なのである。(インターナショナル・ビューポイント誌239号)

アメリカ大統領選挙――ブッシュの敗北

クウェートからロスアンゼルスへ

  サラ・ジャベール


 アメリカ大統領選挙の最も重大な結果は、たとえビル・クリントンが一九九〇年代のJ・F・ケネディとしてもてはやされているにしても、彼の勝利ではない(そしてケネディ伝説の大部分は彼の死後に創造されたものである)。選挙結果の最も重大な側面は、一年前には世論調査で圧倒的な支持を得ていたジョージ・ブッシュの大敗北なのである。湾岸戦争勝利後のブッシュは、荘厳な威信に包まれていた。クウェートの戦争は彼のアウステルリッツ(ナポレオン一世がオーストリア・ロシア連合軍を破った場所)であったが、一年後、ロスアンゼルスが彼のワーテルロー(ナポレオンがイギリス軍とプロシア軍とに敗北した戦場)となったのである。

 ブッシュ大統領は、彼がその副大統領を務めたロナルド・レーガンのマントを引き継いだ。元俳優が支配するようになったとき、アメリカ帝国は深刻な危機の中にあった。合衆国帝国では何事もうまくいかなくなっていた。ニクソンのウオーターゲートスキャンダルによって執行権力の威信ががた落ちになった後、ジミー・カーターが「ミスター・クリーン」として大統領になり、そして一九七九年にはニカラグアのサンディニスタ革命とイスラム原理主義によるイラン・シャー体制の打倒といった事態に直面した。同年、ソ連がアフガニスタンに介入した。それは、モスクワが第二次大戦以来、承認されていた影響圏の外部で最初に行った軍事的な冒険であった。
 以上がレーガンが大統領となり、反共十字軍戦士の装いをとった背景であった。映画での経験をもとに、カウボーイ、西部劇、スターウオーズ、悪の帝国といったハリウッドのイメージを活用した。「偉大な聖体拝受者」として彼は、アメリカ国民に栄光の復活という幻想を与える術を知っていた。彼は何も困難なく再選された。彼の二期目はソビエト帝国の終わりの始まりの時期と一致していた。
 レーガン時代には記録破りの大軍拡が行われ、いくつかの重大な結果がもたらされた。合衆国は、高度な先端破壊兵器を装備することになった。その軍事技術上の優位は、それまでのライバルであった超大国が衰え始めるまでにはなかったほどの水準に達した。
 これ自身は、ある程度までレーガン軍事主義の結果であった。ゴルバチョフが結局のところ差配することになったソ連の崩壊は、ソ連に課せられた軍拡競争による官僚経済の疲弊のために一層促進された。ソ連がアメリカとの軍事的な均衡を追求することは、ソ連の国民生産からしてアメリカよりもはるかに重荷であった。
 この観点からすると、クリントンがソ連の破産に対する共和党政権の勝利宣言を、夜明けを自らの鳴き声の結果だと考えるおんどりにたとえたが、それが完全に正しいわけではない。悪名高い例の「産軍複合体」の利益に支えられたレーガンの軍事主義は、ソ連帝国崩壊の根本原因なのではなく、その崩壊過程を速めたにすぎない。
 レーガンというメダルには、「ソ連の崩壊」に比較して輝きがいささか落ちるが、もう一面がある。共和党政権の大軍拡という浪費は、モスクワの能力をその限界いっぱいまでに伸ばしただけでなく、ワシントンの限界をも超えていた。レーガン政権は、ベトナム戦争以後に作用してきたメカニズムの頂点にあった。そのメカニズムとは、戦争に際して、それが冷戦であれ本物の戦争であれ、戦費をまかなってくれる帝国主義パートナーを見出し得るというものだった。
 世界資本主義市場の要であるという自国の特権的な立場を利用して、アメリカは最大の債務者となり、相対的な意味であれ、他の経済を底に追いやった。アメリカは、担保物件をもたない巨額債務者の典型例である。この債務者に対して債権者は、その破産を宣告すればそれが同時に自らの終わりを意味しているので、破産宣告ができないという関係である。
 軍事支出での浪費、他方での単純な社会的ダーウィニズムを口実にした社会保障支出のけちけちした削減。「金持ちになれ」と、レーガンはすでにその不平等が巨大になっていたアメリカに向かって叫んだ。その結果、金持ちのアメリカと貧者のアメリカとの間に埋めがたい深淵ができた。貧者の数はとほうもなく増え、かつてにない水準に達した。富裕層がさらに金持ちになったのは、経済成長の結果ではなく、最も弱い人々を犠牲にして支出を削減し、特権層が容易に金儲けができるようにした政策の結果なのであった。
 これこそがブッシュが残したアメリカである。外交政策の面では、ソ連がますます衰えていく中でレーガンが構築した最先端の大武器庫を見せびらかすことができた。最初はまず小規模に一九八九年のパナマ侵略として、ついでインドシナ戦争以後でアメリカ最大の軍事介入だった一九九一年一―二月の対イラク大規模戦争として。その年は、ソ連の崩壊で締めくくられた。
 逆説的であるが、ソ連の崩壊はレーガンの後継者からその中心的な主張をできなくさせた。「悪の帝国」のない世界はもはや、「タカ」がワシントンで支配する必要をなくした。加えて、湾岸戦争は、新ヒトラーに対する聖戦の神話を信じていた人々を失望させてしまった。サダム・フセインはいま、非常な困難を味わされているイラク人民にとっては正反対であるが、生き残って自らに対する勝利者の敗北をながめて、おおいに慰めを得ているだろう。
 アメリカでは再び、経済、社会問題が関心の的になっている。今回、ブッシュの運はつきた。一九九〇年以来の景気後退がレーガン時代の人為的な経済拡大のせいで継続している。この状況の中で、レーガンの社会保障削減政策がもたらした様々な結果は爆発的な水準に達している。クウェートの勝利は十一月に大統領選の敗北が決まる以前の四月にロスアンゼルスの事件で失われていた、というべきである。
 ブッシュの敗北は、レーガン主義に対する弔鐘の音である。レーガン主義とは、まさに衰退の時代における一つの帝国主義の右への突然の揺れであった。彼の後継者、民主党の次期大統領が歴史の流れを逆転するのに成功することはもはやありえないだろう。(インターナショナル・ビューポイント誌11・23、239号)

訂正とお詫び 本紙前号(38号、11月)の3面「『人々の合意にもとづく社会主義』を」中の「乖離」は「乖離(かいり)」です。お詫びして訂正いたします。