1998年12月10日        労働者の力               第4号

解散、総選挙に向かう情勢と左派の任務
政治情勢の転換を主体的に闘いとろう
自民党政府を倒せ!社会党を中心とした政府をめざせ!社会党、共産党に投票せよ!

第四インターナショナル日本支部全国協議会運営委員会


 日本政治情勢の焦点は、消費税を軸として衆院解散、総選挙に向かいつつある。一九九〇年一月末もしくは二月はじめ解散という日程がいわれている。社会党ブームのかげり、自民党の持ち直しがいわれているなかで、自民党は衆院解散を引き延ばしてタイミングを計ってきた。だが、参院選が示した政治的基本構造が貫いていくであろう。一時的な現象ではない構造的な変化が、自民党政府の政策体系の行き詰まりを導き出しているからである。他方、社公民の野党連合政権構想は、このブロックの明白な政治的脆弱性を暴露する形で進んでいる。自民党の持ち直しとは、こうした野党の現状との相対的な関係の、季節変動的な推移にすぎない。総選挙に向かっている状況は、自民党、そして社公民ブロックの双方の行き詰まりを顕在化させつつ、九〇年代の新たな政治構造への移行が主体的側面において一定の過渡的な時期を必要としていることを表現している。来るべき衆院選はすべての独立的左派勢力に対して、「全労協」結成の地平に立って、いかに九〇年代の新たな政治構造を主体的にひきよせるために闘うのかを明確に問うものとなっている。

自民党政府の危機と八六年体制論の崩壊

 一九八九年の参院選に示された日本政治情勢の特質は、要約すれば中曽根で頂点に達した自民党政府体制が国内外を貫いて明らかな行き詰まりと政策体系の転換を迫られはじめたことを顕在化させた点にある。政治=上部構造のレベルでは労働戦線での総評解体、新連合の形成や公民両党の保守補完政治の継続という自民党政府体制の圧力と影響力が働いていたが、現実に都市の市民と農村がともに表現したのは、自民党政府の政策体系に対するアンチであった。八O年代の前半期の政治的特徴を反映した政治の表層とは異なった流れが明らかに登場した。
 自民党の惨敗ともに、消費税国会で自公民共闘を演じた公民両党の衰退は覆い隠すべくもない事実として現れた。 自民党の敗北は、すなわち大資本の政策体系の行き語まりを表現するものにほかならない。第一に、輸出至上主義の立場をとり続け、そこに「立国」の方針を定式化してきた五五年体制の前提であったアメリカ帝国主義の経済的安定が崩れたことの影響である。第二は、ばらまき行政の最大の対象であった農民層への対応を大資本防衛のために一八○度転換することが不可欠となりはじめたことである。農業の「開放」は日本農業の解体に等しい結果をもたらすであろうという認識が、農民層に浸透しはじめたのである。第三に、地価高騰が意味する「不動産屋の、不動産屋による、不動産屋のための」政治が、すべて自民党政府による政策行使とその分け前の自民党への還流という構造でなされていることへの徹底的な批判・反発の登場である。この構造のもとで、消費税が強行導入されたことは、消費税がばらまきと利益還流の新たな資金ねん出の手段でしかないという直感的認識を多数派として成立させた。
 五五年体制のあと一つの主役であった自民党政府体制自体も、先行した社会党・総評ブロックの衰退と同様、その長期政権を支えた国際的、国内的基盤の衰退に直面したのである。これは、自民党が中曽根のもとで打ち出した「変革」構想としての「八六年体制論」の成立基盤そのものの危機の到来にほかならない(左派勢力の一部には土井社会党の勝利を評して「八六年体制の完成に向かう動きの加速」と騒ぎ立てている部分もいるが、到底まともな討論に耐えられるものではない)。

顕在化する日本資本主義の構造的行き詰まり

治へ屈服するという八六年体制の枠組みを展望することであった。だが、日本資本主義中曽根が主張した「戦後政治の総決算」とは、労働組合が総体として大資本主導の政の国際化と圧倒的な経済競争力の実現が、アメリカと正面からぶつかった事実が突き出した問題は重大であった。資源略奪型、過剰競争・打倒主義的資本主義としての日本大資本への逆風がはじまった。日本資本主義が、地球規模の貧困と環境破壊の最大の元凶であるという批判にさらに拍車がかかった。
 内需拡大と経済構造の転換、すなわちダンピング体質を濃厚に残す輸出至上型構造からの転換を要求された日本大資本は、企業内組合型の労働組合をも動員して、日本農業をスケープゴートにしようとしてきた。世界の資本主義体制それ自体からも、日本大資本の体質転換-政府・官僚機構と緊密に結合しあった
日本株式会社の戦後的、五五年体制的あり方の根本的な転換-が要求された。その要求をかいくぐる方策として、典型的には農業をいけにえの羊としてさしだそうとした。農民層の自民党政府体制への反抗がここに必然的となった。日本農業問題は、日本株式会社の構造的な行き話まりを象徴する一つである。
 同時に、日本資本主義が直面してきた、さらに重大な国際的、歴史的な変動の影響がある。中曽根政権のときは、強烈な反ソキャンペーンが展開された時期でもあった。ソ連軍の日本侵攻をテーマにしたフィクションが次から次へと出版され、反共スパイ防止法キャンペーンが繰り広げられ、北方領土返還要求が大々的に宣伝された。防衛予算のGNP比一%突破の形で、防衛費の異常な突出と予算措置そのものの「聖域化」が進められた。在日米軍が対ソ戦争を意識した三沢配備をはじめとして格段と増強された。非核三原則が完全に空洞化し、日本はアメリカの核戦争戦略の重要な一翼となって登場した。この防衛力増強、核戦略体制への組み込みということが、アメリカ帝国主義をなだめすかす日本大資本の方策として意図的に推進されたことも見逃せない。
 だが、こうしたレーガンばりの「冷戦思考」と「自由主義体制防衛論」という政・財・官・労を貫いた「戦後体制の総決算」路線は、同じ時期に登場したソ連のペレストロイカとゴルバチョフの平和攻勢に対応しうるものではないという事実が日々明らかになった。「自由主義体制の防衛」という冷戦型の延長としてのスローガンの効用は、構造的な限界を明らかにしはじめたのである。
 経済成長の基盤を輸出至上主義に求め、国際競争力向上が生き延びるための唯一の手段であるという一種の強迫観念にまで高められた日本人民の意識、低賃金、長時問労働、劣悪な労働条件に甘んじる意識の延長に自由主義体制防衛、軍備増強、核戦略体制の暗黙の承認という政治性格が登場してきた。現在、これらすべての前提が変化に見舞われて、転換を必要としている。自民党政府体制の動揺が避けられないものとなった。すなわち日本国家の進路と展望に関する既成の価値体系が、大きな構造的変動に突き進みはじめた。
 ペレストロイカとデタントの時期、日本資本主義は、輸出拡大と多国籍化を通じた膨張の制約という状況に正面から衝突しはじめた。大資本にとっては、軍備増強も農業解体も、国内政治への強権発動なしにはそれをアメリカに対する取り繕いの方策とし続けることが困難になっていく。大資本と支配者層のなかに、強権化への衝動に駆られる部分が登場する可能性はないとはいえない。中曽根が主張した天皇制を国民統合の手段にするという脈絡が、すでに代替りへの過剰な警備体制として発動されていることは軽視できない。だが、強権支配の道こそ時代への逆流そのものである。強権化の道は、行き詰まって基盤を失いつつある自民党政府体制の崩壊を促進し、かつ日本大資本そのものの政治分解を本格的に招来するであろう。

日本国家にとっての次はなにかー問われる根本問題

 二十一世紀が接近している今日、世界政治構造は多大なる変動の方向に進みはじめている。ソ連、東欧圏のペレストロイカ、民主化は、戦後世界を規定してきた「東西対立」と核軍備競争のエスカレートに対して重大な影響を与えている。東ドイツの国境線の自由化は、ワルシャワ条約機構とその軍事力の性格変化のサインであり、また経済的な意味での中欧圏の新たな形成の展望すらを示唆する。この延長に、NATO体制そのものへ影響が生じてくるであろう。ここにはじまる分断ヨーロッパと経済と政治の二極化に与える変化・変動の予兆こそ、新たな世紀の新たな政治構造形成の明確な軸心となりつつある。
 誰も正確な未来を予測できない。だが、一方でスターリニズムが東西対立関係の緊張をその国内政治の強権化の土壌とし、他方で帝国主義が反共主義を盾に世界の人民に対する抑圧と侵略を正当化し続けてきた基盤が、急速に弱体化していくであろうことは明らかである。
 反共と自由主義体制の防衛という旗印が、具体的に打撃を受けている。アメリカ国防総省が、みずから軍事費の大幅削減を提案した。アジア地域だけが局外に存在し続けることはできない。自民党政府は、アジア地域のソ連軍が増強されているという主張で反ソ軍事増強路線を正当化しようとしている。たが世界的な流れのなかで日本だけが無関係という態度を継続し、「北方領土」の解決なしに対話はないという姿勢を持続することは、もはや無理である。巨大な比重を占めはじめた軍事費の「聖域化」を持続することが早晩不可能となるであろう。
 自由主義体制防衛、西側の一員としての責務などが自民党政府単独政権の根拠となる時期は過ぎ去りつつある。自由貿易体制堅持という、いまでは日本大資本にのみ利益をもたらす旗印も危機に瀕しつつある。輸出至上型経済成長万能論の限界に、日本資本主義の全体系が衝突している。
 次はなにか。この問いかけが深く、そして広範囲に生じはじめている。九〇年代政治の趨勢は、こうした問いかけがさらに具体的に姿を現すことによって骨格づけられるといわなければならない。

交錯する古い要素と新しい要素ー社公民路線か否か

 一九八九年の日本政治状況は旧来の要素と新しい時期の要素が交錯し、錯綜していることを示した。
社会党の急激な浮上の最大の原動力が、今や使い古されたというべき社公民路線という「現実路線」ではなく、土井委員長が体現した自民党政府体制、大資本の政治体系に対する一定の歯切れの良さをもった対置にあったことは明らかである。社公民派が事態を自己の勝利として錯覚して受け止めていないという事実は、連合政権論争や消費税廃止共同提案などの一連の経過のなかにも示された。公民両党の「独自性」主張は、社公民路線への幻減をさらに深めるに役立っただけである。
 土井委員長の主張は、いわゆる土井構想として明らかにされた。社会党における主流的な右派…社公民派としての政構研の低抗にもかかわらず、土井構想には民社・公明両党の「現実路線」化の圧力を体系として受けつけない性格が表現されている。連合政権論議がかげをひそめていることは、総選挙が近いという事情のためたけではない。公民両党の現実路線のいい加減さ、第二自民党的路線の性格が明らかになってきたことにもよるであろう。実際、地方議会では自公民体制が圧倒的である。こうした自公民ブロックヘの反発が参院選の結果を導いたのであり、野党勢力を集めて連合政権、その路線は自民党とほとんど変わらない、ということでは通用しない。
 土井構想は、社公民的風潮のなかで政治的にきわだっている。それは、党内で土井委員長の具体的勢力が圧倒的に少数であるという事実とは矛盾しない。過去と未来の交錯にほかならない。社会党内的には土井委員長の社公民、現実路線への封じ込めが追求されるが、土井社会党の浮上は党外の支持に決定的に依存している。
 連合政権論議それ自体が、旧来の政治手法と連合政権論議を現実化させた社会党浮上の要因となった新しい要素との錯綜した状況を示し、新たな時期が形作られる過渡的時期の様相を示している。

対米同盟関係の解消ー土井構想具体化の必要条件

 土井構想自体も、たしかに次はなにかを明らかにしえてはいない。つまりアメリカ帝国主義との同盟関係にある日本という、国家のあり方に対する批判的視点がはっきりさせられていない。日本国家がアメリカ帝国主義との密接な同盟関係を変更しなければならない、という認識を結論として打ち出していない。構想の文脈は、現実路線への配慮とそれへの疑問の提起という両論併記の形になっている。あわせて出された「プロジェクト報告」という各論になれば、「現実路線」へのより以上の接近が見られる。いま構想は、日本国家の進路という根本的レベルで自民党政府体系とのはっきりした違いを表現してはいない。
 土井構想が総体としての日本社会と国家の進路の枠組みを変革するとすれば、アメリカとの距離を現在のままに据え置くことでは不可能である。ソ連を含んだアジア地域の相互結合がアメリカとの関係を相対化し、そこに日本大資本を統制する基盤を作り上げるという道筋なしに、いかなる政府であろうとも自民党政府体系の行き詰まりを克服することは困難である。
 しかし、九〇年代から二十一世紀に向かう国際政治の枠組みの変動のなかで、日本と中国との関係が東アジアにおいてさらに比重を高めていくことになることは必然であろう。アメリカ一辺倒の歴史構造の不可避的変化も、ここに示されることとなろう。
 日本政治情勢の根本的な歴史的構造変化の国際的な基盤が、ここに立ち現れてくる。土井構想がいう「新しい現実」「新しい発想」「新しい政治」の現実的基盤、枠組みは、以上のような国際的変動の中で具体化の契機を与えられていくといえる。

自民党政府体制打破をめざし九〇年代を切り開け

機構と資金に関して長らく総評に依存し、今また新連合に依存する社会党の旧態依然たる組織構造、組織力は、きたるべき総選挙で百八十人を立候補させるのを不可能とする。現在、せいぜい百六十人台といわれている。自民党支持率のある程度の回復と衆院選だという事情があり、次の総選挙での一挙的な自民党の少数転落は容易には想定できない。社会党が仮に現状から大幅に拡大するとしても、公民両党、そして共産党の後退はほとんど確実であると思われる。
 自民党のなりふりかまわぬ選挙対策は、減反面積の据置決定に典型である。パチンコ疑惑なるものを取り上げ、朝鮮総連への排外主義を扇動し、社会党への打撃の材料としようとした。さらに消費税問題は大蔵省と結託した廃止案への揚げ足とりに終始している。ここに、自民党政治の行き詰まりが導いた政治的退廃が見事ににじみでている。これによって、次の選挙で大敗北を免れたとしても、大勢を覆すようなものとは程遠い。自民党が参院で公民両党の協力を獲得して、与野党逆転を切り崩しいくに必要な政治の流れの変化は、ここからは到底でてこない。
 労農人民の選択は、自民党政府体制に集中的な打撃を与え、自民党との連携に不断に揺れ動く公民両党にさらに決定的なくさびを打つことに向けられる必要がある。
 自民党政府体制の打破は、国家的不当労働行為に直面している国鉄労働者にとって、国家のむき出しの暴力と対決し続けている三里塚農民にとって、核燃基地と闘う下北の農民にとって、そして他のすべての闘う労農人民にとって共通の新しい地平の到来を意味するであろう。さらに土井委員長体制が象徴する女性たちの飛躍的な政治と社会運動への参加と影響の拡大は、「男性社会」としての産業戦士時代からの転換の意識を一層拡大するであろう。そして労働運動において、新連合に重心のかかった現状の打破の可能性は拡大する。
 九〇年代と二十一世紀への主体的展望は、自民党政府体制の打破から具体的に開始される。自民党政府打倒は自公民路線への打撃に直結する。
 来るべき総選挙において、自民党政府を打倒し、社会党を中心とする政府の樹立をめざすことの必要性が徹底的に明らかにされる必要がある。保守補完勢力としての自公民ブロツクの解体を進め、社公民路線に傾斜している流れを克服し、労農人民に依拠する政治勢力の総体的前進と政治的イニシアチブの獲得をめざす闘いが、総選挙において貫徹されていかなければならない。社会党、共産党への投票が必要である。「全労協」をはじめとする左派労働者の意識
的な選挙闘争を作り上げなければならない。
 すなわち、つくられるべき政府が、参院選挙で示された労農人民の意思表示を体現するものであるようにしていく闘いが全労協をはじめとして意識的に推進されることが必要なのだ。いわゆる三点セットー-消費税廃止、農業切り捨て反対、リクルート疑惑解明を中心にして、年金制度改悪としても貫徹されている大衆収奪、資本と資産家優遇の政策体系総体への徹底的な対抗者であることが、この政府実現の政策に表現されなければならない。この過程を通じてこそ、民社党の強調する「防衛増強・安保強化」論や国鉄清算事業団労働者への敵対を持続し続けている「連合」がそ発推進や農業開放、そして消費税承認の体系、また自民党が行っている自民党との裏取引などの行動が労農人民の意思を裏切るものだということが具体的に暴露されていく。
 自民党政府を倒せ!社会党を中心とする政府をつくれ!社会党、共産党に投票せよ!
 一九八九年十二月三日

12.2郵政合同労組、元気に出発

未来は必ずや私たちのもの」
 新たな労組の結成かちとる

 十二月二日、郵政合同労働組合の結成大会が仙台市で開催された。「連合」加盟決定の強行に断固反対し、「闘う全逓」「権利の全逓」の歴史を引き継ごうとした全逓の闘う労働者たちは、仙台南郵便分会への組織統制など官僚的弾圧に抗しつつ、ついに新たな労働組合の結成をかちとった。
 「全逓官僚との組織戦、路線闘争を貫徹し、ここに結集したことを喜びとしたい!」-午後五時、結成大会の開会が告げられた。
 多くの仲間が駆けつけた。郵政全協の仲間は「私たちも続く」と力強く表明。全逓のある職場からは三万余のカンパが届けられた。東北全労協準備会事務局からは「本当の多数派をめざせ」と激励。女川原発反対同盟の阿部宗悦さんは「総評解散は結局、労働運動がどういうものだったのかをあらためて問うた。労働運動の分岐点が出てくると思っていた。住民運動が支持できるナショナルセンターが必要だ」と挨拶した。
 緊張のうちに二時間の議事が進行した。議案が採択され、執行体制が決められた。「郵政合同の旗は反原発の旗」との特別決議、そして結成宣言が満場の拍手で採択された。長谷川穣委員長は大会の成功を確認し、「未来は必ずや私たちのものであると確信する」と宣言した。
 新たな船出を祝うレセプションが引き続いて催された。ここでもまた、各組合と地域の仲間たちが次々と激励の挨拶を行った。ようやく笑いが起き始めた。「急流に飛び込んだからといって、溺れないぞ」。
 ひときわ大きな拍手のなか、組合員の自己紹介が始まった。たった一人から職場で全逓を組織してきた仲間、すでに三六交渉に入り、職場の雰囲気が変わったという仲間。「全逓はもうだめだ……」と思い、悶々としてきた仲間。早くも意見交換に話がはずむ青年組合員たち。そこここで涙が光り、爆笑が渦巻いた。そして最後に真紅の支部旗、分会旗を囲む仲間たちはみな、晴れがましく輝いていた。(十二月二日H記)
出口なき迷路に入りこんだ全逓
郵政労働者は全労協に結集して闘おう
郵政民営化攻撃と全逓本部の企業防衡路線
 中曽根行政改革は、中曽根、退陣後も続いている。政府、財界は、郵政事業の「民営化」を決め、郵政省、全逓ともに「九一年から九二年の民営化は避けられない」という判断をしている。
 郵政省はすでに八七年「郵政事業活性化計画」なる「企業戦土」作りの攻撃を開始し、民営化に備えつつある。紙面の関係でその全容を紹介できないが、労働者意識を解体し、能率主義にもとづく職場支配体制を確立し、それに労働組合を巻き込もうとするものである。
 こうした「郵政事業活性化計画」という、いわば労働組合の根本を揺るがすような攻撃に対して全逓中央の対応はどうであったろうか。「活性化計画」が「究極の合理化攻撃」と表されることになぞらえれば、全逓の方針は「究極の労使協調」というべきものであった。
 全逓本部から「二十一世紀の郵便局をめざして」なる青写真が示された。それは、自民党逓信部会がだしたものと寸分変わらないものである。制度政策要求の名のもとに「職歴形成、労働力移動」の方針が出された。当局の推進する「活性化計画」と寸分違わない方針である。
 さらに本年初頭、中央本部による各地方本部別オルグ(→地方本部全支部会議)が実施された。特別昇級制度導入以来の本部オルグだそうである。その目的は「経営形態問題が重要な時期になってきたので、腹固めのためのオルグ」だそうで、ある地方本部で、中央本部は次のように発言している。
 「運動の方向を見誤らないでもらいたい。制度政策闘争は未来思考のもので、それが『二十一世紀の郵便局』である。…・-それを過去の価値観でみると迷路に入ってしまう。意識の転換が必要」「全逓は国労と違った対応をしてきた。政策を対置し、今日的状況を見極め内部の意識調整をして対応してきた。これは、労働組合の知恵だと考える」
 なんということか!現場の労働者は、当局からも全逓からも「意識の転換」ー企業戦士たらんことを要求されているのだ。
 国鉄の分割・民営化と国労の闘いに対する評価は実に率直に本音を吐き出している。国労は「知恵がない」といっているのだ。
 さらに続けていう。「組合員と本部のギャップはある。……中略……『これは絶対にしない』ということはいわないほうがいい。-…組合民主主義ということもあるが、過去の価値観にとらわれず、情勢を受けとめてもらいたい」と。
 全逓本部がいう「過去の価値観」とは、当局に対し労働条件の改善を求めて闘うこと、あるいは労働組合に民主主義を求めることをさしているらしい。その価値観をもって「労使協調路線」という「迷路」に入ってしまえば出口は見つかるはずがない。
 しかし本当に迷路に入り込んだのは、全逓本部である。それは、企業防衛という名の迷路である。この迷路に出口はない。

連合を推進する全逓に労働者の未来はない
 うした全逓の一連の流れは、連合加盟という政治路線に貫徹される。
 連合の様々な問題点に触れることはここでは省くが、郵政民営化の動きと関連するのは本年の四十三回全逓全国大会議案である。「(経営形態の変更問題について)機敏に対応」するとして事実上、民営化を容認する立場に転換したのである。
 連合が「行政改革の推進」を大きな柱にしていることは周知の通りであり、その連合に加盟しようとする全逓にとって当然の選択であつ。全逓本部が再三にわたっていう「意識の転換」とは、連合路線への転換に他ならない。
 こうした地ならしを経て全国大会が開催され、新連合加盟が批准された。修正案が、京都、香川、山形の三地区から出されたが、否決。新連合加盟の反対票は約二〇%だった。
 全国大会で修正案を出した三地区は、いずれも社会主義協会派の拠点である。その三地区とも「大会決定には従わざるをえない」といって、反撃を断わった。彼らに残された道は二つ。地区、支部一丸となって連合反対の闘いを再構築し、全国の反連合勢力に決起を呼びかけ、全国運動をつくりあげること、さ
もなくば、屈服して解体されるかのどちらかである。
 しかしいま、社会主義協会派は、矛盾と混乱、失意の底にたたき込まれている。岩井章氏と国労が最後までがんばって全労協の旗を立てるはずがない、というのが彼らの立てた見通しだった。しかし彼らの立てた勝手な予測ははずれた。国労は、あらゆるアメとムチの攻撃に耐え、決然として全労協結成のために闘うことを大会決定した。このままでは、全逓であれどこであれ社会主義協会派の組合は、新連合の統制のもとに吸収され解体されてしまうだろう。
 日本労働運動のこの再編のなかに、彼らの存在する位置がなくなるということになる。
 だが、この試練に直面しているのは、一人協会派だけではない。連合にいかざるをえないとする左派を自称してきた勢力すべてに間われている。
 連合の内部、全逓の内部にあって左派で闘うということは、単に今までの運動をやり続ければいいということではない。いっさいの路線的、運動的自由自立を認めないとする連合の統制との闘いなしには、なにもなしえない。この闘いに関する連合の結論は、排除であり、自ら独立する決意なくしては屈服し解体されるしかない。
 換言すれば、連合の内側から連合を撃ち破る組織戦を準備せずして「連合に入って闘う」という資格はない。
 しかし、われわれは、新連合加盟を拒否し、全逓と袂をわかって全労協に参加することが唯一の道などとはいわない。新連合路線は矛盾を抱え、その矛盾の拡大は必至である。その連合の内部にあって、敵と切り結ぶ組織と運動をつくりあげることも重要な闘いである。連合の内と外から連合を解体する闘いが必要だからである。
 まず、全国大会決定やむなしと屈服することを拒否し、支部、分会といった下部機関での「連合反対」の運動をつくっていくことが必要である。すでに全国でいくつかの支部、分会大会での取り組みが行われている。それに対する統制処分も、仙台や多摩西で発せられた。こうした闘いを通して仙台では十二月二日、「郵政台同労働組合」が結成された。東京においても多摩西を先頭に準備が進められている。

全労協のもとに産別協議会をつくろう
 全労協を闘いとる意義について、ここでは省くが、十二月の全労協結成に当たってわれわれは、断固として連合の外から連合路線を解体する闘いをつくり出すべきだと考える。すなわち、全労協に参加する新しい労働組合をつくり出すべきであると考える。
 それは第一に、連合の内部、全逓の内部にあって、孤立しつつも奮闘する労働者が存在するとき、こうした労働者に方向性と勇気を与え、闘う旗を示すこともまた、全労協の任務の一つだからだ。前に述べた全逓本部の変質は、全逓の「死」をはっきりと示している。第二に、今や全逓本部やそれに追随する地区本部などに対して反対や批判で事足りる時代は終わった。待ったなしに自らの責任において方針を確立し、戦略を練り、運動を築くことが問われているからである。
 第三に連合は、企業防衛のために平気で労働者を犠牲にするような権力と企業に顔を向けた労働組合であるということである。あらゆる意味で「労働者が主人公」であるような労働組合がつくられなければならない。
 それは、出発点はたとえ少数であれ、決意が固く実践が的確であれば、職場、地域、全国を貫く大きな流れをつくることができる、と確信する。
 そして、このような労働組合は、各々の地域の事情にもよるが、自主的、自立的に、かつ地域の団結に根ざして闘いとられるべきである。同時に郵政職員のみならず、下請け、パート労働者と協働してつくられるべきである。
 産別主義、企業主義、本工主義の克服が観念的にできるわけではない。どのような組合をつくろうとするのか、その一つひとつの実践に回答は含まれている。
 そうだとすると、対郵政省の闘い、企業内要求はどうするのか、あるいは産別的、全国的運動の観点は、さらに全逓との攻防はどうするのか。
 すでに福岡や大阪などで独立組合が結成されている。そしていま、全労協の結成をかちとるべく多くの仲間が独立のための闘いを展開している。そうした全国の労働組合の全国産別機能を獲得する闘いが必要と思われる。
 われわれは、「全労協郵政全国協議会」の結成を呼びかけ、その準備の開始を呼びかける.ものである。一九八九年十二月三日津田敬

国鉄清算事業団労働者の大量解雇、
労働委員会の空洞化を許すな
国労11.22集会三万数千の大結集


十一月二十二日夜、東京・明治公園は三万数千人の熱気が立ちこめていた。国労と支援組織の全国動員と東京首都圏の支援勢力の総結集となった「消費税廃止、総選挙勝利、人権擁護、JRに労働委員会命令を守らせる十一・二二中央集会」である。あたかも前日の総評解散に抗し、新連合発足に対抗するかのように国鉄清算事業団労働者の原地・原職復帰を闘いとろうとする東京集会は、当事者である国労および「全労協」加盟を決定した都労連労働者や他の民間労働者はもちろん、新連合加盟単産傘下の労働者が数多く参加した久々の大集会となった。とりわけ東京南部を先頭とする全逓旗が随所に目だち、東京での新連合派に対する厳しい批判が表現されていた。

 新連合旗上げと闘う労働者の決起集会に
 中央集会集会は明治公園を埋めつくす大結集のなか、主催者代表の稲田国労委員長の挨拶にはじまった。社会党、共産党、そして文化人として評論家の中島誠さん、アフリカ民族会議(ANC)駐日代表のジェリー・マツィーラさんが来ひんとして挨拶。 闘いの報告は、労働委員会報告を宮里日本労働弁護団副会長、北海道の闘いを三好北大名誉教授が行った。連帯あいさつは、青森県農団労委員長の関山さん、生協労連委員長の鈴木さん、韓国スミダ労組の代表団、鹿児島教組の児玉さん。
 決意表明は、北海道清算事業団の仲尾さんと九州家族会の柳瀬さん。閉会のあいさつが中央共闘の中里忠仁さん。デモは渋谷、四谷、日比谷国会請願の三コースで行われ、国労合唱団の歌声が彩った。
11・22は、国労全国キャラバンの集約と東京総行動の重なった日で、早朝から国鉄清算事業団労働者の全国からの結集を軸に一日行動が組織され、明治公園に集約された。
 首都東京は、東京地評がまっぷたつに分裂し、東京都労連が連合参加を拒否、「全労協」加盟を決定するなど、反連合派の全国最大の拠点地区となっている。国労最大の地本である東京地本はまた、修善寺大会での屈服を拒否した中心的力であり、ここに、11・22集会は新連合組織旗揚げに対する闘う労働者の総決起集会となった。労戦右翼再編、総評解散は同時に、国労闘争の意識的な見殺し、屈服の強要であった。だから国労清算事業団労働者の断固とした屈服拒否の闘いこそ、新連合発足に対するもっとも先鋭な対置である。
 この日、明治公園は、連戦連勝を続けている国労の労働委員会闘争を背景とし、自活闘争体制の決意を固めている清算事業団労働者を中心として、中曽根と自民党政府および連合派による屈服の強要に抗する国労の闘いが今後の左派労働運動の結合軸となっていくことを明らかにした。全労連傘下の労働者の姿も多くはないが、そこここにみうけられ、「連合」と全労連内外を貫く、全労協を主軸にする一本の太い線が確実に作られつつあることが示されたのである。

 闘いが「連合」に風穴をあけ始めた
 海部と自民党政府は、広域採用と就職斡旋を柱にした清算事業団労働者への「最後通牒」を決定し、国労の屈服を迫っている。原地・原職復帰、不当労働行為一掃、労働者への謝罪という国労の要求を無視し、JRの労働委員会命令拒否という事態に対して一片の言及もなく、決定方針に従わなければ解雇だとする政府方針は、明らかに原地・原職復帰要求者を大量解雇する宣言である。そこでは、最低でも約一千人が解雇対象と想定されているといわれている(『朝日』)。
 先日の国労中央委員会は態度を留保した。以前からは比較にならないまでに組織力量を低下させた国労が総評の支えなしに闘いぬけるかという不安が、労働者個々人はもちろん組合組織につきまとうことも事実であろう。だが、当然ながら九州、北海道で広域配転を拒否して原職復帰を要求し続けている清算事業団労働者に、組織として屈服をおしつけることはできない。闘い続ける意思を最大に尊重する立場こそが、修善寺大会を生み出し、国労の防衛と左派労働運動の独自的結集につながってきた。清算事業団労働者の闘いは、今や新連合に風穴を開ける全国的焦点になりつつある。「全労協」はもちろん、左派の総体にとって清算事業団労働者の闘いを支え、大量首切り攻撃との正面からの闘争をつくりあげていくことがさらに要求されているのである。
 旧総評を含む新連合、国労とそれを支援する闘いへの敵対を隠さない。総評の最後を演出した真柄は『朝日』のインタビューで国労方針は理解できないと本音をあけすけに語り、新連合の会長となった山岸は「敵に塩は送らない」とNHK番組で断言した。そして国労清算事業団労働者の闘いに支援の意思を持ち、また現に国労婦人部を中心とした女性たちの集会にアピールをよせた土井社会党委員長の行動を、連合とそれに通じる政構研などの社会党内勢力は完全に封じこめようとし続けている。
 翌二十三日、社会党の山本政弘さんが、ある集会で連合への苦言として清算事業団労働者の切り捨てはいかがなものかと発言した。国労とそれを支援する勢力の粘り強い闘い、そしてなによりも不屈の意思で闘いを貫徹しようとする清算事業団労働者の闘いが、成立した新連合の壁をはっきりと崩しつつある。土井委員長が復活させた名言として記憶に残るであろう「山が動く」は、国鉄労働者の闘いとしてもあてはまっている。清算事業団労働者の闘いが「連合」の空虚さを徹底的に明るみに出しつつある。
 労働委員会命令を拒否し、なにがなんでも本訴に持ち込むというJRの方針は当然、自民党政府の承認のもとになされているのだが、連合とそれに連なる社会党勢力の公然たるバックアップなしには遂行できないものにほかならない。全国的に、国鉄型・JR型の組合漬し攻撃が拡大している。労働委員会制度が空洞化してしまつこの流れを、労働組合運動の側から積極的に支持するというあまりにも「悲惨」そのものの立場に突き進んでしまったのが、新連合と社会党の社公民派右派勢力なのである。
 清算事業団労働者は、来年三月末日以降の闘いを展望して争議団としての自活体制を築き上げつつ一歩も退かず闘い抜こうとしている。国労全国全職場でのストライキで闘おうとする清算事業団労働者の要求は、具体的に11・30ストから開始されている。
 国労の闘いから地域と社会の国鉄闘争へ!11・22を闘いぬいたカをさらに強化し、自民党政府の大量首切りとの対決を!連合と社会党右派勢力の国労攻撃を打破しよう!
 国労の「全面解決要求」の実現のために闘おう!

書評 暉峻淑子(岩波新書) 「豊かさとは何か」
山本悟


 読み方自身を問う
 本書に直接かかわることではないが、読み進めながらふと気づかされたことがあるので、冒頭に触れておきたいと思う。それは、、私自身の「本の読み方」についてである。長い間に培われ、ほとんど習慣化してしまったのだろうか。本を読む時、私はその本の中に何かしらの「理念」、それもできれば定式化され、より明確な形で提示されたものを探し求めてしまっているようだ。これまでの私のそうした「本の読み方」で本書を読んでいくと、きっとがっかり
させられるだろう。
 だいたい、混沌としたこの時代に、人さまに新しい「理念」を提示してもらおうなどというのは、虫のいい話でしかないかないとも言える。
 それよりも、本書が自分たち自身のこれまでの「感覚」や「理念」をもう一度捉えなおしてみる一つの契機になれば、それで本書の目的は十分に果たしてくれていると思う。また、たった今「感覚」と「理念」を並列させて記したけれども、むしろ私の実感では「理念に金縛りになってきた感覚」「理念に逆規定されてきた感覚」を捉えなおす、あいはよみがえらせる一つの契機と言った方が適切なのかもしれない。
 「本当の豊かさを実現するためには、まず、それぞれが、自分自身の豊かな人生の実現とは、どんな生き方なのかを、理論的にだけではなく身体的にも知らなければならない」(二四〇ぺージ)という著者の指摘は、これまでの闘争や組織活動のあらゆる面で総括を迫られている現在の私たちにとって、もう一度原点に立ちかえって考えてみるという意味で、素朴すぎるかもしれないが、非常に重要なもののように思う。

身につまされて
 著者は本書において、社会の豊かさをあらわすさまざまな側面について語っている。それらは、教育であったり、福祉であったり、労働であったり、住宅問題であったりする。そして日本の貧しい現実を語るために、対比として西ドイツの例をあげている(二、西ドイツから日本を見る)。その中でドイツ人の住宅との関わりあいを、次のように描写しているところがある。「人生を愛するように住宅を愛している。住宅は人格の一部なのである」(一八二べ-ジ)と。
 子供の寝ついたのを確認してこそこそと起きたし、台所でワープロを前にこの文章を書いている自分の姿なぞを頭に描きながら、「住宅は人格の一部だとすると、こんな所で、こんな時間に、こんなことをしている自分の人格は?」などといらぬ妄想にとらわれてしまう。
 否!こうした妄想=感覚こそ、きわめて自然で当然なんだと思い知らされる。
 また、「あらゆる側面から合理不合理が押しかけてくる生活全体の中で、それらを処理する難事業よりも、ひとつの限られた専門的仕事に没頭していることの方が、はるかにやさしかった」という著者自身の告白や、「本当の自分の欲求に直面するのをさけて、働き蜂を誇りに思うナルシズムの人はあとを断たない」(一三六ぺージ)という指摘に触れるにつけ、いろいろと思い当たる節があるのは私たけではないだろう。
 著者は西ドイツの「豊かさ」の例を数多くあげている。しかし私がかつて読んだ「最底辺」という、外国人労働者に対する差別を描いた本の舞台は、たしか西ドイツだったように記憶している。もちろん西ドイツが抱え込んでいるこうした現実は、本書のテーマではない。しかし蛇足でしかないが、「豊かさ」の裏側に、光に対する影ともいうべき部分が沈殿していることについてだけは、思いをはせておくべきだと思う。
  
 豊かさの影に
 いつの時代にも、その時代を特徴づけるような流行語があるように、「三種の神器」と呼ばれ、それぞれの時代にもてはやされた「もの」があった。いわば、その時代の「欲望の対象」といってもいいだろう。
 私は今の時代を特徴づける「三種の神器」が何なのかを知らない。だいいち「価値観の多様化」などとして特徴づけられている時代に、まだそのようなものが死語とならずに生き続けているのかさえ知らない。ちなみに広告会社の「電通」によると、「今年のヒット商品のキーワード」は「パーソナル」高機能」「ナチュラル&ヘルシー」「本物」「便利」なのだそうだ。きっとその時代に生きる人々の目を虜にするような「もの」など存在せず、あるのは「キーワード」でしかないということなのたろう。
 そういえば、ときおり降り立つ秋葉原の電気街の店頭を見るにつけ、やたらとけばけぱしく活気があるようなのだが、かつてのテレビや冷蔵庫や洗濯機などのように、誰もが思わず振り向いてしまうような「もの」を見つけたすことはできない。「テレビがあるかどうか」と「カラーか白黒か」という時代を経て、今や「サイズは?画質は?音質は?」の時代。それを「パーソナル」とか「高機能」とか「本物」とかという「キーワード」の時代とでも呼べばよいのだろうか。
 本書によれば、経済学の消費需要の理論は、欲望ということについて「欲望が充足されても、欲望は減退しない。肉体的欲望の次には、心理的欲望があり、心理的欲望には限りがない」「充足という概念は、経済学には存在しない」と主張するという。それに対して「欲望はくらべられない、という経済学の理論は、あきらかに日常生活の常識に反する。飢餓の欲望と、テレビにたいする欲望の、どっちが重要か」(九〇ぺージ)と著者は反論する。
 ところが今や、日本の「豊かさ」の中で「飢餓の欲望」とくらべるべきは「テレビの高機能度に対する欲望」にさえなっている感がある。
 「豊かな社会とは何か」という著者の問いかけを共有すると同時に、それと重なりあう形でフェミニズムやエコロジー、あるいはオルタナティブなどの運動や主張・考え方が大きな流れとして登場している。そして、私たちもこうした運動や主張・考え方と直接に接することが多くなってきた。
 これまでの「豊かさ」を疑い、本当に自分たちにとって「豊かな社会とは何か」を問い直し、「豊かな社会」を構想し直そうとするこうした流れは、同時にそれを手繰り寄せ、実現していくための方法論・運動論・組織論という領域にまでメスを入れよつとし、試行錯誤していると思う。 それは、出発こそ異なるとはいえ、発足する全労協を中心軸としながら、模索を闘始している労働運動、とりわけ十月会議に結集する仲間たちが体現しようとする「社会的労働運動」と、どこかでクロスするものと思うし、また出会えることを期待したい。
 最後に、「差別や格差をなくすこと、農薬のこと、原発のこと、食品添加物のこと、水を汚染する洗剤のこと、人権の立場から代用監獄に反対すること、豊かな老後と死にかたのこと、偏差値から解放された子どものための本当の教育のこと、知識が、人間の存在とつねにかかわっているような知識であること、弱者への連帯と思いやりは未来に向けての思いやりでもあること、国際的な平和や平等のこと」(二四四ぺージ)と語られているとおり、私たちの担うべき課題は数多く、そして具体的に目の前にあることを著者とともに確認しあいたいと思う。

ソ連・東欧の社会主義の改革の中で考えたこと
「政治革命の勝利」は始まったか
政治革命論の再検討とわれわれ自身の「ペレストロイカ」の推進
外山節男


 トロツキズムの位置の変化

 直接的には八五年のゴルバチョフのペレストロイカの宣言から始まった「社会主義の改革」以来、ソ連・東欧の事態は、日本においても衝撃的影響をとりわけ民衆の意識に与えている。偏狭な反共イデオローグの解説を待つまでもなく、日々伝えられるマスコミを通じた現体制に反対して民衆が続々と立ち上がるソ連・東欧情勢の報道から、今までの社会主義、共産主義、マルクス・レーニン主義の行き詰まり、破産を民衆は感じとっている。
 われわれ左翼は、この民衆の意識にどのように向かいあっているのだろうか。
 現在、ソ連・東欧で起こっていることが、十月革命後スターリンによってつくられた社会主義の破産の結果であることは明らかである。たが、このことが自動的に十月革命のめざしたものを継承してスターリニズムに対して一貫して闘い続けてきた第四インターナショナルの正しさを明らかにし、前進につながるものでないことも明らかである。スターリニズムの破産がスターリニズムの対抗イデオロギーとしてのトロツキズムの正しさを明らかにするという単純な論理は成立しない。
 これまで絵に描いたようなスターリニズムの国家体制とスターリニスト官僚が現に存在していたが故に、トロツキズムが正しいマルクス主義の立場として成立することができる側面にわれわれは安住していたことはないだろうか。
 現在、支配的流れとなっているソ連・東欧の民主化闘争のなかで、われわれが一番迫られていることは、単にこれまでのわれわれのトロツキズム理解の上にたって、ソ連・東欧の事態を分析・評価したり、労働者大衆に任務・方針を説教することではなく、(有効な分析、方針が必要であると考えるからこそ)ダイナミックな運動に啓発されてわれわれの第四インターナショナルとトロツキズムの「ペレストロイカ」を押し進めることではないだろうか。ゴルバチョフが書記長になってペレストロイカを提唱したのは八五年であったが、当時のわれわれの反応はいかなるものであっただろうか。「経済発展の加速化」「計画・管理システムの改革」…官僚の上からの手直し、「軍縮」「核の凍結」=階級闘争を抑圧する官僚の平和共存、あまり好感の持てるものでなかったことは確かである。
 われわれの「官僚制打倒の下からの反乱」「国有化と計画経済の防衛」「帝国主義に対する強硬路線」の感性からゴルバチョフの改革路線にシンパシーを感じるものでなかったのは当然のことであった。しかしスターリンに対する批判がフルシチョフの時のように単に個人に対するものでなく、体制に対する批判を含んでおり、グラスノスチが始まり、トロツキーの「復権」がちらつき始めるにおよんで、ソ連で起こり始めている問題に対して、今までの感性ではだめだという気分がようやくにして起こってきたのである。

 迫られる政治革命論の再検討

 日本支部それぞれのグループに傾向はあるとしても、それぞれ一つの見解を持っているわけではない。われわれは、大胆にソ連・東欧の改革をめぐる討論を通じてトロツキズムの再検討、再構築を進めるべきである。
 「労働者国家における政治革命」は、トロツキズムの根幹である。「政治革命」といった場合、われわれは、トロツキーが三〇年代に提起した基本概念を受け入れてそれに何か変更を加えたりする必要を感じてきたわけではない。これまでわれわれが「政治革命」といった場合、文字通りトロツキーの提起した「政治革命」を意味していた。
 この間「世界革命」紙においてさかんに「政治革命が始まった」「反官僚政治革命勝利.の始まり」という主張が登場一してきている。「同時にこの闘いは、ゴルバチョフ官僚指導部の政策の綱渡り的性格をくっきりと照らしだした。われわれはこの闘いを通して、ソ連邦において反官僚政治革命の過程が進行していることを知ることができる」(十月三十日号、セポー論文のリード)「トロツキーの提起した反官僚政治革命は、今やソ連・東欧全体をおおう政治的現実となった」(十一月二十日号、無署名論文一。
 トロツキーの提起した「政治革命」のめざすものということならば、現実のソ連・東欧の改革の過程のなかで進行しつつあるということができるであろう。だが、トロツキーの提起した「政治革命」が進行しつつあると簡単にいいきって良いのであろうか。
 世界革命紙九月二十五日号での谷本発言の「われわれトロツキストには、反官僚政治革命でスターリニストを打倒し、労働者階級自身の権力を打ち立てるというテーゼがある。それが単なる公式やテーゼのレベルでなく、それが現実にどうなるかということが、いま実物として展開し始めている。そういうふうに『連帯』なりペレストロイカの進行の過程をとらえることがいちばん重要たと思う」という見解に同意しつつ、われわれは、これまでのテーゼとしての「政治革命論」についてもあらかじめ正しいとするのではなく、再検討していかねばならないのではないか。
 いまは、トロツキーの提起した政治革命のめざすものを継承しつつ、現在的に政治革命論を提起できる準備はない。まず、われわれが考えていかなければならないことについて、いくつか問題点を出してみよう。

 「市場経済」と民主主義の問題

 トロツキーは「裏切られた革命」のなかで「反官僚主義革命は、一九一七年の十月革命のような社会革命とはならない。今度は、社会の経済的土台を変えたり、特定の所有形態を他の所有形態ととり代えたりすることは問題にならない」と述べている。これは「政治革命」と命名されている根本の問題である。トロツキーは「国有化と計画経済」「工業化」の物神崇拝者ではない。ネップをレーニンとともに推進し、またスターリンの暴力的農業集団化と超工業化に反対したことから私的所有形態を単純に排除しなかった。その上に立っても現在の社会主義の変革は、これまでの所有形態の変更までも問題にせざるを得ない事態に立ち至っていることを認めざるをえない。「計画」と「市場」を対立させるのではなく、「計画」をより有効に行うためには市場経済も必要であるということは、われわれの考え方であった。しかし市場経済が所有形態と関係なく機能できないということが、労働者民主主義の不在という条件のなかであるとはいえ、この間の労働者国家における様々な経済改革のなかで明らかになっていることである。社会主義の再生は、生産手段の社会化を基本にして現在の労働者国家の所有形態の変更をも含む過程であろう。
 次に労働者民主主義、ソビエトの問題である。トロツキーは「裏切られた革命」のなかでスターリン憲法を批判して「新憲法は、階級や産業グループに従ってなされるソビエト型の選挙制度から、原子化された人民の、いわゆる『普通、平等、直接』の投票を基礎とするブルジョア民主主義の制度に復帰している」と述べている。そして「今や官僚とあたらしい貴族をソビェトからたたき出すことが必要である。ソビエトには、労働者、平の集団農民、および赤軍兵士の代表しかはいる余地がない」(過渡的綱領)とソビエトの復権を呼びかける。現在の局面で民衆は、政治的民主主義の実現として複数候補、秘密投票、完全地区割りを要求している。ソ連では、今年の人民代議員大会選挙ではじめて複数候補制で選挙が行われた。
 しかしこれは、人民代議員の三分の一は党、労組、社会団体から選出するという官僚の側からの「ソビエト的方法」による昨年の「政治改革」なる選挙法の改革によって行われたもので、カガルリツキーは「モスクワ人民戦線」のなかで旧法でもそれがもっと当局によって良心的に遵守されれば、もっと非公式グループが有効に選挙戦が闘えたと述べている。新しい運動が選挙戦のなかで共通して白紙撤回を掲げた社会団体枠制は、十月二十四日のソ連最高会議で撤廃された。またカガルリツキーは「きわめて重要なことは、『すべての権力をソビエトヘ』というスローガンが、選挙法によって保障される自由な選挙システムを通して現実化することをわれわれが望んでいるといることです」と述べている。
 事態は、ソビエト民主主義といわゆるブルジョア的民主主義の方法を単純に分けてソビエト民主主義の実現といえば問題が整理されるのではないようである。

 政治革命の形態と党建設の方法

 次に「政治革命」の方法であるが、トロツキーは「裏切られた革命」のなかで「この危機には平和的解決の可能性はすこしもない。自分の爪を自ら進んで切り落とすような悪魔はまだどこにもいない。ソビエト官僚が闘わずしてその地位を放棄するようなことはあるまい」と述べている。 現在、ソ連・東欧における改革において民衆の側からの暴力的手段は意識的に抑制されている。モスクワ人民戦線の組織原則では「憲法に基づく体制の暴力的打倒を呼びかける組織の人民戦線への加盟は認められない」とされている。ポーランドにおける連帯主導政府は、まさに議会制民主主義というシステムによる選挙の結果として生まれている。
 「政治革命」とその指導部としての党の問題もまた、再検討の課題であろう。トロツキーは「裏切られた革命」のなかで第四インターナショナル・ソビエト支部の任務として政治革命について展開している。「ソビエト大衆を反乱にむかってみちびきうる党は、ただ一つしかないーそれはすなわち、第四インターナショナルの党である」(過渡的綱領)。だが「反官僚政治革命の過程が進行する」と世界革命紙によって規定されている現在のソ連・東欧には第四インターナショナルの支部はいまた形成されていないのである。
 カガルリツキーは「政治的複数制は、ソ連共産党への挑戦としてではなく、この党の内部からやってくるでしょう」と述べている。月刊「ASahi」十一月号の佐久間氏のルポによると人民戦線の活動家たちが社会主義の改革の過程が複数の党によって推進されると考えていることがわかる。「わたしは、『そうなったら人民戦線は分裂しないか』と質問した。『それはない。人民戦線は各党全体の傘になるのだ』と彼(フェドロフスキー)は答えた」。
 われわれは、労働者国家における支部の建設と「政治革命」を一つのセットとして考えてきた。だが党の建設の問題には様々な道筋があることをまず承認しなければならないだろう。
 トロツキーは政治革命によって「対外政策は革命的国際主義の伝統に立ち戻るだろう」と述べている。「官僚の反動的な国際政策を廃して、プロレタリア的国際主義を樹立せよ」(過渡的綱領)。だが、現在のソ連・東欧の改革が統一書記局のロマン同志が指摘しているように「ニカラグア革命とエルサルバドル革命の闘争の国際的孤立はますます深まっている」し、ジャネット・アベール同志は、ペレストロイカのキューバヘの否定的影響を指摘している。これまでのわれわれの概念からするならば、ゴルバチョフの対外政策は「一国社会主義防衛の反帝国主義闘争を抑止し世界革命を押しとどめる官僚の裏切り政策」の範疇に入るのであるが、旧植民地国における革命の困難性をもって、この間切り開かれてきたソ連・東欧のイニシアチブによる東西対立の緩和を否定的に評価することはできないであろう。

 現実を介して豊かなトロツキズム

 まだまだ現実との対比のなかで再検討しなければならない問題はたくさんあるだろう。。トロツキー自身「裏切られた革命」のなかで「新しい革命の綱領はそれが発生する時期に、そしてこの国がその時期に到達している水準に大きく依存しているし、さらに国際水準にも高度に依存している」ことを認めている。五十年後の今、当時のトロツキーの「政治革命」論のように現実が進まないことは当然だろう。
 これまでのわれわれの「政治革命」論を前提にしては、現に展開されているソ連・東欧の社会主義の改革の過程を「反官僚政治革命」の過程として規定することは適切ではないだろう。
 トロツキーが三〇年代に定式化した政治革命が始まったというのであれば、現実とそれはあまりにも違いすぎている。トロツキーが政治革命の提起でめざしたものの実現の過程が始まったと考えるものにとっては「反官僚民主革命」と表現したほうがよっほど現状にかなっているのではないか。
 トロツキーがすべてを見通していたとして、いかにトロツキズムが正しいのかの自己確認作業では、今までの殻に閉じ込もるだけである。パリ大学のカトリーヌ・サマリーさんは「あたかも今日の問題が単にトロツキーを読めば解決できるかのように、すべてを知っており、すべての問題に答えを持っている、外からやってきた赤い教授のアプローチでないならば」「第四インターナショナルが経験から学び、労働者国家で発展する意識の具体的形態にわれわれ自身の分析を適用させようとするならば」(世界革命紙九月二十五日号)、われわれが真実の社会主義的民主主義を闘いとることに寄与できるだろうと述べている。われわれにとっては、ソ連・東欧の社会主義の変革のなかで自己検証を通じて現実に対応できる豊かなトロツキズムをつくり出していくことが「政治革命」のためになしうる最大の貢献であろう。