1993年3月10日         労働者の力             第42号

日本新党政策大綱を批判する

改憲論の先陣を切る日本新党


 日本新党の政策大綱が公表されている。
 その内容には地方分権論など多様であるが、最も端的な主張は「護憲的改憲論」である。
 一種のブームを起こすかもしれない存在として多方面から注目されている日本新党は、その政治的性格があいまいなまま、既成政党離れの流れを代表する存在となってきた。既成政党にあきたらない人々の中から新党に接近する傾向も少なくない状況である。
 大綱の発表によって日本新党の政治的性格がようやく文書的レベルで明らかになった。
 その特徴的印象は、細川の登場にはじまる「細川新党」の当初の印象とはかなり違うものだということである。


日本新党の漠然とした「改革」ムード


 日本新党の支持率は朝日新聞の調査(2・28―3・1)によれば11%で、そのうちの5%が強い支持であるとされている。これについての解説は、新自由クラブのときには及ばないものの「野党」第二党の支持率であるが、その支持は強いとはいえないというものである。
 この調査の結果全体は極めて興味深いもので、政界再編必要が72%、竹下辞任が78%という結果を示している。他方、自民党分裂を支持するものが53%、自民党を信頼するが3%という史上最低の数字が出ている。だが同時に、政治の流れは変わらないが79%の数字である。
 自民党支持率(47%)の減少は依然続いており、社会党もまた低迷状態(18%)、その他の政党に大きな変化がなく、日本新党が隙間を埋めている様相である。だが「政治の流れが変わらない」という見方が八割であることから、政界再編論や新政党への期待感があると同時に、再編論や政治の転換論に対する「おぼつかなさ」というものを感じている層が少なくないこともうかがえる。
 かつての新自由クラブの登場は、同じ朝日によれば、77年末で強い支持9%、弱い支持4%の計13%であった。また当時、政治の流れが変わるという立場は30%を示していた。
 さらに90年総選挙に至る土井社会党は、ほぼ一人勝ちという強さを示した。日本新党へは、確かに自社の後退を埋める形で伸長している。だが自民党政治打破、政治の流れを変えるという積極性の点で、強い印象を与えているとはいえない。


反自民・現状打破への期待

 もちろん、11%という支持率は政治的には極めて大きな比重をもつ。先の参議院選挙で社会党が失った票の多くが日本新党に流入したことを想起すれば、政治の「プロ」にとっては脅威であり、同時に魅力でもある。
 竹下をかかえ続ける自民党や、どうにもやりきれない感情を支持者層に与え続けている社会党、そして茶番劇続きの国会と新潟知事選挙が象徴した、地方政治における総与党化状況が印象づけるものは、明らかに現状打破の新政治勢力や新政党を求める切実感である。
 現状のままに状況が推移すれば、来るべき諸選挙において、とりわけ社会党は壊滅的な打撃をこうむることは間違いない。かなりの部分が日本新党に吸引されることになるであろう。自社両党の失点ということではあるが、変革派、改革派、革新としての社会党に対する幻滅の加速度的進行を最大の要因として、新たな現状打破勢力として期待される日本新党への流入を促進している。
 だが、日本新党は新たな現状打破勢力という性格をどのように表現しているのであろうか。


 日本新党の政策大綱


 日本新党政策大綱は四章構成で、最後の章は六つの基本目標を述べている。
 1 政治の抜本的変革
 2 新世界秩序の形成
 3 新しい改憲論の提唱
 4 6つの基本目標
 1
 @旧戦後体制の打破と冷戦以後の新体制創造
 A保護統制・生産者の既得権擁護型から生活者の主権を大切にする開放・自由選択型へ
 B中央集権・官僚主導型から地方分権・住民参加型へ
 Cイデオロギー対立型から政策論争型へ
 D利益誘導型から政策提示型へ
 2
 @国連中心の新しい平和秩序
 A国連警察隊の創設とアジア・太平洋地域の新たな安全保障の枠組み
 B「競争」と「共存」の国際的ルールを受け入れる国際協調主義
 C強いリーダーシップとグローバルな理念
 3
 @平和主義の立場からの新しい改憲論
 A国連平和維持活動への積極参加の明文化
 B内閣のリーダーシップ強化を目指す。他に国民投票の拡大
 4
 @首相公選制を含む内閣の強力なリーダーシップの推進
 Aシステムの生活者優先への転換。生産者保護から市場メカニズムが働く経済構造へ
 B「地方主権」の確立と法・財源の整備。小さな政府と農業への過剰介入を排す。土地問題には中央政府の強力な介入
 C教育改革。教育委員会の再編強化と地方分権。教育の多様化と国家統制の廃止。教科書検定制度の廃止
 D日・米・欧三極の安全保障と協調体制の堅持。平和維持と地域紛争処理の国連活動への貢献のための法整備
 EGNP2%の環境保全資の目標。日本の技術の世界への積極的な拡大とエネルギー多消費型文明の見直し、代替エネルギーの開発。国際的な大規模公共事業や宇宙・海洋開発への積極的貢献


レーガン路線?――日本新党の新しさ


 日本新党の大綱を要約すれば、内閣のリーダーシップの強化、新世界秩序への貢献と国連警察活動への参加、そのための憲法改正、開放経済のための保護育成政策の排除ととりわけ農業保護の廃止および強力な中央政府の介入をも承認することと地方分権の推進ということになろう。
 どうにも矛盾に満ちた政策大綱である。
 この大綱の骨格ともいうべき市場論理への全面依存と開放経済体制への対応という論理で導かれる「小さな政府」論は、にもかかわらず強力な内閣とリーダーシップと矛盾せず、同時に強力な中央統制をも遂行するというのである。
 平和主義のための憲法改正と国連警察活動への積極参加という主張も「なぜ、このように積極的に」という疑問符がつく。
 教育や環境問題、高齢者問題など部分的にはさまざま新たな論理や視点が採用されてはいる。
 だがそれらは、「新しさ」「変革」のための小道具として使われている――それが日本新党の政策大綱だといわざるをえない。
 大綱は原発という言葉さえも避けている。
 この大綱の基軸は、その文章表現でみるかぎり、レーガン、サッチャーなみの市場論理と小さな政府および「強力な」国際政策推進のリーダーシップということにつきているのである。
 国際貢献、国連中心主義という枠組みによる軍事的関与、日本資本の輸出ドライブを支えるための開放経済体制維持の犠牲にされる日本農業、世界にまれな原発積極推進、プルトニウム大国化という枠組み――これが日本国家が進めてきている基本的枠組みである。
 環境問題やグローバルな視野を説き、戦争放棄を掲げて積極的なイニシアティブを発揮するという形容句的主張をちりばめて、その実、大綱に示される日本新党の新しさは、以上に述べた枠組みをさらに積極的に、強力に推し進めること、そのための強力な行政権力の構築および市場論理の貫徹、徹底化による競争社会の実現というところにある。これ以外の読み方は不可能である。


日本新党とオルタナティブ

 日本新党の「改革・変革」の展望は、本質において底の浅いもので、最近流行の「改革派」の論理に基本のところですがり、化粧としてさまざまな運動から生まれている問題意識を借りている。その方法である政治改革論が戦後政治の清算、内閣の強力なリーダーシップ実現という主張であることは、いささか危険な側面を想起させる。
 小沢が強権であるとすれば、「改革派」ブレーンもまた東大教授の佐々木毅の力説も強いリーダーシップの主張におかれている。
 中曽根の持論である首相公選制や自民党を席巻している小選挙区制などもまた、強い政府のための集権的パターンへの政党(自民党)の転換を、それぞれ思惑は違え内包している。
 こうした「強さ」はなんのために必要とされるに至っているのか。疑いもなく「戦後政治」の決算のためである。その核心は繰り返すが、「軍事」である。「護憲的」という形容詞を除外すれば、海外派兵のための改憲の積極提唱に他ならない。
 だが反面、こうした細川―日本新党の自己表現のありかたに、現状打破を求める意識が突き当たってしまっている閉塞状況を見ることも必要であろう。
 すなわち現在、日・米・欧の三極体制やG7を中心とする経済協調体制を基軸にし、そこに自由貿易主義の徹底貫徹という日本資本の「現在」の立場を盛り込み、かつ同時にその総体を国連中心主義の名による新世界秩序維持の「武力」によって維持する――これらの体系を前提として、一切の「改革論」が収束されているのである。
 社会党内の諸「改革派」、シリウス、平成維新の会、そして小沢、羽田と並ぶ諸勢力は、その手法に違いはあれ基本軸において、この日本新党の大綱が表現する性格と共通する。それゆえ「国際民権」と「国粋国権」との違いだと江田五月が主張したところで、相互の共同歩調への引力はいささかも減じない。
 だから、こうした「改革=改憲派」を批判することの問題は、さまざまな市民的、シングルイシュー的な運動や主張が、トータルなオルタナティブ運動としての求心力をもっていないという状況において、これら「改革派」のつまみ食いの余地を与えているという側面をどう克服していくかということに帰結してくる。
 あるいは、別の言い方をすれば、日本新党の大綱が言及し、取り入れざるをえない「新しさ」が大綱の矛盾の基礎であること、大綱の依拠する基軸とは違う基軸において真に生きていくものだということを明らかにしていくことの必要性、緊急性である。旧来の革新勢力がこの点において大きな立ち遅れをもってきたことを否定してもはじまらない。
 今、左派、護憲派などが改めて改憲阻止、新護憲の民衆の憲章づくりに踏み出そうとすることは、大きな契機となるであろう。それが一定の結実をみせることができれば、日本新党の大綱の矛盾やつまみ食いといった要素に対する大きな圧力に転化することも可能であろう。
 われわれの課題もまた同一地平である。
 IMF(国際通貨基金)、世界銀行、国際軍事・警察活動、市場万能論などの一連の枠組みからの転換なしに現代資本主義が生み出した世界的なカオス、混沌をこえることはできないからである。
 日本新党の「大綱」が示すものは、主体的な新たなオルタナティブのための努力の緊急性である。
        三月六日

カンボジアPKO第二次派兵反対
破綻に瀕するUNTAC


カンボジア派兵の第二陣として、自衛隊北部方面隊が三月に派遣される。第一陣の中部方面隊の交代である。札幌では「送るな自衛隊!共同行動実行委員会」が結成され、三月二十八日の北部方面隊包囲行動を全国に呼びかけている。



事実上の内戦の継続の上に虚構として展開されているUNTAC(国連暫定カンボジア統治機構)活動という実態が日々明らかとなっているにもかかわらず、自民党政府はなし崩し的にPKO部隊業務を拡大し、「参加五原則」の拡大解釈によってカンボジア情勢に対応する腹構えを崩していない。
カンボジアは、UNTACの破綻の中で国連ガリ事務総長のめざすより大規模な軍事介入という国連の新たな総路線化が、本格的に適用される突破口の可能性すら否定できない状況にある。
そのとき国際貢献という名分によって、憲法を無視した自衛隊の「非軍事的」PKO部門への派遣は、その名分の「魔力」が続くかぎり、容易に本格的な軍事的派兵に転化する露払いとなるであろう。
施設部隊と戦闘部隊の間にはなんらの垣根もありはしない。否、戦闘部隊の投入こそが「真の国際貢献」だという主張が全面化するであろう。



国連による直接統治という前例をみない強引な介入を強行したUNTAC活動は、明石の強弁にもかかわらず、プノンペン政府の弱体化の一方でポルポト派勢力の支配地の軍事的拡大という結果をもたらし、その「平和の強制」は完全に破綻している。
選挙の実施という最大の売り物はポルポト派の同意を得られず、一時UNTACと蜜月状態にあったシアヌークは事実上UNTACを見放している。
ポルポト派によるUNTAC部隊への攻撃も拡大し、ポルポト派はもはや用済みのUNTACの撤退と、最大の狙いとしてのプノンペン政府の解体もしくは「次善の策」である自己占領地域の独立化の戦略を遂行しているといわねばならない。
確実に到来するであろう公然たる軍事衝突・内戦に対して国連は、「予防的」「事後的」かは別にして、不可避的に「軍事介入」の姿勢を採るであろう。その介入はまた、ポルポト派支配地域とプノンペン政府支配地域との強制的な線引き、分割という以上のものにはなりえない。ボスニア問題への対応がそうであるように。



 国連は一九六〇年代、コンゴでの手痛い経験からそれを学んだはずである。そこから非軍事に重心をおいた軍隊投入という苦肉のPKO方式をひねり出した。だがこの方式も、軍事に依存するという発想の枠内にあり、実際にはなんら有効性を発揮していない。
 キプロスでの永久的PKO、レバノンでの存在、アンゴラの破綻、そして日本に派遣要請があるモザンビーク自体が内戦を潜在化させている。そこから重装備軍隊投入というガリ構想への道筋がひかれた。コンゴの教訓は捨て去られた。
 紛争当事者同士を強制的に和解させることは不可能である。それを強行しようとすれば、それは国連による軍事的強制、制圧、占領ということしか導かない。そのようなことは不可能である。
 UNTACは、その不可能性を無視して強行されたはじめての例である。UNTACに力を与えようとすれば、それは軍事的強制、軍隊の投入でしかありえない。UNTACという方式の論理がそのように組み立てられている。日本自衛隊の「非軍事的」派兵は軍事そのものに直結しているのである。
 
  4

 ユーゴ問題の背後にドイツがあったように、レバノンにはイスラエル、アンゴラ、モザンビークの背後には南アフリカが存在している。
 ドイツは「社会主義国」ユーゴの解体の実現を最大の問題と見た。ドイツだけではない。冷戦終了後の世界において「西側」の最大優先課題は「社会主義体制」の徹底破壊にあり、IMFを通じたロシア介入の主眼もそこにおかれている。ここでは民生は二の次でしかない。
 UNTACは、社会主義体制としてのプノンペン政府の解体という「課題」を果たした。
 現在のプノンペン政府は、「社会主義体制」に関してはもはやなにものでもない。そしてUNTACの陰でカンボジア民衆は、一方でポルポト派の伸長にさらされ、他方で日本をはじめとする資本の進出と経済的支配に飲み込まれつつある。
 「国際貢献論」は、戦争は政治の別の形態であるという真理の鏡に耐えることはできない。
 あらゆる形のポルポト派支援の即時停止、プノンペン政府の民衆自身の主体による再生、社会の再建への全面的援助こそが必要である。それは、多くのNGO(非政府組織)が実践してきたことである。日本政府は、このNGO活動にこそ大きな財政的援助を行わなければならないのだ。
 自衛隊派兵はあらゆる面で国際的貢献に最悪に背反する。
 日本自衛隊はカンボジアから即時撤退を! 第二次派兵反対!
       三月七日

寄稿

ロシア革命、過渡期、社会主義(上)

    城山 隆


はじめに

 一時期、あれほど隆盛をきわめた社会主義論(というよりも社会主義否定論)も、今ではすっかり低迷しているようである。それは、移り気のマスコミと世論のせいばかりとは言えない。世界唯一の超大国アメリカ合衆国が陥っている経済的・文化的苦境、ヨーロッパを席巻する民族主義、「資本主義化」してバラ色となるはずであった東欧諸国の経済的崩壊、資本主義にもなりきれず経済的・政治的混迷を深めているロシア、こうした否定しようもない諸事実が、スターリン主義に対するオルターナティブがけっして資本主義ではないことを最も鈍感な頭の持ち主にも教え始めているからであろう。
 いわゆる東欧革命と新ロシア革命当時にはしゃぎまくった「左翼」知識人と「左翼」雑誌は、今ではすっかり日本論などに話題を移して、あの当時の自分たちの分析や予想がことごとくはずれたことに対する責任を回避している。過去の言動に対する無責任という点では、この「左翼」知識人と「左翼」雑誌とは、彼らが批判して止まない「前衛」政党と本質的に同じである。あの東欧革命と新ロシア革命とが、何か国際的にプラスの面があったとすれば、それは、左翼やマルクス主義者や民主主義者を装っている彼らが実は単なるリベラル(しかも、最も偽善的タイプのそれ)にすぎなかったことを赤裸々に暴露したことであろう。
 私は、ソ連の八月クーデターの直後、ある雑誌の依頼でこの問題に関する論文を書いたが、その内容が編集部のリベラル的確信と相容れなかったため、没にされた。彼らに言わせると、私の論文はあまりにもゴルバチョフに批判的なのだそうだ。ゴルバチョフ! ああなんと懐かしい響きのする言葉か! かつて「世界を変えた男」だの、「今世紀最大の人物」だのと天高く祭り上げられ、あのノーベル平和賞までとった男、リベラル左翼の期待を一身に集め、ジャーナリストや伝記作家を目の色を変えてその軌跡を追った男。
 ところが今やゴルバチョフのことなど思い出す者は誰もいない。時代と歴史の力によって、分不相応に大きな歴史的役割を背負わされ、一気に世界の寵児となったが、彼を頂点に押し上げたのと同じ力が彼から神秘的後光を取りさるや否や、彼は歴史のくず篭に直行してしまった。人間の真の価値とは、権力を失った時にはじめてはっきりとする。トロツキーは権力から排除された後も、世界を震撼させ続けた。いやむしろ、追放された後のほうが、その威力が発揮されたとさえいえるかもしれない。死後五〇年たっても、彼の歴史的価値に何の陰りも見られない。だが、ゴルバチョフは、権力から退けられた翌日から忘れられ始めた。かつて、ゴルバチョフをトロツキーになぞらえるという奇想天外な試みすらなされたが、今ではそれは悪い冗談にすぎなくなっている。

カウツキー主義からレーニン主義へ

 あの東欧革命と新ロシア革命とは、一九一七年のロシア革命に始まった一つの歴史的サイクルの終焉を意味するものだという認識は、基本的に正しい。それは世界史的に見れば東西対立の終焉であるが、左翼の歴史からみれば、それはかつてあれほど社会主義左翼の世界を徹底的に支配したレーニン主義というパラダイムの終焉である。レーニン主義が、スターリン主義という形をとっていようと、マオイズムという形をとっていようと、原レーニン主義という形をとっていようと、である。
 レーニン主義の以前にはカウツキー主義というパラダイムが社会主義左翼の世界を支配していた。そして、カウツキー主義的パラダイムが必然的に崩壊したように、レーニン主義的パラダイムも必然的に崩壊したのである。もちろん、こう言ったからといって、レーニン主義の支配が何か歴史の誤解や、歴史の「本来の」筋道からの逸脱などと言いたいのではない。その反対である。
 カウツキー主義が一九世紀後半から二〇世紀初頭にかけて本質的に進歩的な役割を果たしたのと同様に、レーニン主義は、カウツキー主義とパラダイム交替した一九一七年から数十年間、本質的に進歩的役割を果たした。そして、両者とも、それがもつ進歩的性格自身が桎梏に転化し、それ自身の崩壊を不可避ならしめたのである。
 カウツキー主義の特徴はトロツキーが『戦争とインターナショナル』で明らかにしたように、思想・イデオロギーにおける革命的・国際主義的性格と、実践における改良主義・待機主義・日和見主義・民族主義的性格にあった。この矛盾した性格は、比較的平穏な資本主義の発展期においては、さまざまな傾向をもった左翼を統一せしめ、社会主義的確信を世界に広げることを可能にした。
 理論を実践に合わせることによってこの矛盾を解消しようとする試みはベルンシュタインであり、今日の社会民主主義の直接的始祖となった。実践を理論に合わせようとする試みはローザ・ルクセンブルクであり、今日のあらゆる革命的左翼の流れにつながっている。この両者の試みは、時代そのものがカウツキー主義の破棄を求めない時には、純粋に理論的であった。両者の戦い、いわゆる修正主義論争もまた基本的に理論的装いのもとに展開された。そして、両者はお互いに激しく非難しながらも、カウツキー主義のもとに何とか収められていた。
 しかし、資本主義の平和的発展の時代が終わりをつげ、戦争と内乱の時代が幕を開け、生死にかかわる問題をめぐって左翼の実践的態度が問われるようになるや否や、カウツキー主義のこの矛盾は必然的にカウツキー主義そのものの崩壊を運命づけたのである。カウツキー主義者たちは第一次帝国主義戦争に対する態度をめぐって基本的に二つの陣営(もちろん、あらゆる中間主義は存在する)に分裂した。戦争を支持ないし黙認ないし早く通り過ぎてほしいと悪夢と見る陣営と、戦争に革命を対置する陣営とにである。
 後者は、主に三つの中心点をもっていた。ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒト、フランツ・メーリングを中心とするドイツ派、トロツキーを中心とする『ナーシェ・スローヴォ』派、レーニンを中心とするボリシェヴィキ派である。これら三つの潮流のうち、ドイツ派は、その伝統と名声の点で他の二つを上回り、トロツキー派はその理論の点で他の二つを上回り、ボリシェヴィキ派は中央集権的組織をもっていた点で、そしてその時代精神の点で他の二つに対して優位性をもっていた。ボリシェヴィキ派は、後にトロツキーの永続革命論と過渡期綱領を取り入れることによって理論的劣性を克服し、ロシア革命を成功させたことによって(そしてローザとリープクネヒトが殺されたことによって)名声の点でもトップに立った。

ロシア革命とレーニン主義

 レーニン主義のパラダイムの歴史的意味を理解するためには、まず何よりも当時の時代的性格を知らなければならない。一九一四年の第一次大戦は戦争と革命の時代の幕開けであったが、しかし、「戦争と革命の時代」一般ではなかった。より正確にいえば、当時資本主義が陥っていた危機の性格は、資本主義一般の危機ではなかった。前フォード主義からフォード主義への、古典的帝国主義から新しい帝国主義への、資本主義自身のパラダイム転換に伴う相対的危機、資本主義内部での古いパラダイムの危機であった。
 古典的帝国主義の不均等複合発展法則は、資本主義の中枢よりもその周辺に、「鎖の最も弱い環」に最大の矛盾をもたらした。真っ先に革命が起こった国がロシアであったのは偶然ではない。ロシアは、ヨーロッパとアジアの中間物として、一方では古典的帝国主義本国自身の矛盾をかかえていただけでなく、他方では古典的帝国主義の周辺国家の矛盾もかかえていた。さらに、ロシアは、前フォード主義的資本主義と封建的・絶対主義的帝政との混合物として、一方では、資本と労働の古典的な矛盾と、他方では、土地をもたない農民と封建的寄生階層との矛盾をかかえていた。これらの矛盾はそれぞれが絡み合い、増幅しあって、ついに二〇世紀史上最大の革命が勃発したのである。
 ロシア革命はかかる矛盾の産物として、近代化革命と脱近代化革命との二重の性格をもっていた複合的なものだった。したがって、そこから生じた過渡期社会も、過渡期一般ではなく、前近代的要素、近代的要素、社会主義的要素が複雑に絡み合った複合的な過渡期社会であった。レーニン主義は、ロシア社会とロシア革命の性格に規定されて、革命的近代主義とマルクス主義との矛盾的結合であった。これが適合するのは、資本主義の手段によっては近代化できない中進国社会である。
 トロツキーの永続革命論がこの現実を自覚的に把握して特殊な革命理論に結晶化したとすれば、レーニン主義はこの現実を無自覚的に自己のエートスのうちに結晶化していた。レーニン主義の組織は、その制度の点で近代主義的であり(民主集中制!)、そのメシア的精神において革命的近代主義であり(前衛!)、その目標において社会主義的であり、その理論的看板においてマルクス主義的であった。
 だが、トロツキーの永続革命論を受容する以前のレーニン主義は、克服しえないジレンマの中にあった。その組織形態もそのエートスも、帝政の圧制下で地下活動をするのに適していただけでなく、革命を起こし権力を奪取し、専一的に権力を行使するのにも適していたにもかかわらず、「正統」マルクス主義の理論に災いされて、その目標たる社会主義革命は資本主義の一時代を経た先にあるとし、当面の革命においては自己の課題を民主主義に限定しなければならないとしていたからである。
 このエートスとい革命的展望との間の裂け目を何とか繕うために考えだされたのが、労農民主独裁論であった、これは一方では当面の目標をブルジョア民主主義に限定し、他方では自らの党が権力の中枢に入ることを想定していたからである。だが、この「解決」は解決したものと同じだけの問題をつくりだしてしまった。当面の課題が民主主義だけなら、なぜマルクス主義政党である必要があるのか、いや、そもそもマルクス主義を標榜し社会主義を究極目標をする政党が権力の中枢にまで押し上げられるような事態になっているにもかかわらず、どうして課題をブルジョア民主主義に自己限定できるのか。
 この問いに対するレーニンの答えは、歴史に対する彼の合理論的アプローチを典型的に示している。情勢の力で党が民主主義的課題を乗り越えてしまうとすれば、それは自然発生性への屈伏である、自然発生性に屈伏してはならない、考え抜かれた正しい綱領の筋道にそって革命を意識性に従属させなければならない、と。彼は本気で生きた現実を「考え抜かれた」綱領の図式に収めることができると考えていたのだ。

レーニン主義から
スターリン主義へ

 だが、一九一七年の二月革命が起きたとき、レーニン主義のエートスは自らの理論的制限をたちまち突破してしまった。彼は、長年悪罵を投げつけてきた永続革命論をあっさり受け入れた。だが、その受容の仕方は本質的に無自覚的なものだった。トロツキーが永続革命論を構築した時、それはロシア革命の緻密な分析に基づいていた。したがってまた、その理論の歴史的限定性をも十二分に理解していた。すなわち、後進国ロシアは他の先進国に先んじて社会主義革命を起こすことができるが、けっして一国だけで社会主義にまで到達しえないという限定性である。
 だが、レーニンの場合、一九一七年という沸騰するような革命的情勢に押され、かつ自己のエートスに合致するものとして永続革命論を採用したにすぎない。それは最初から自足的なものに、すなわち一国社会主義論に転化する可能性を孕んでいた。
 もちろん、レーニンが当初、ロシア一国で社会主義は不可能であると口を酸っぱくして言っていたのは事実である。だが、その主張を支えていたのは何だったであろうか。一つは、先進資本主義諸国が未曾有の危機にあり、明日にでも、明日でなければ明後日にでも革命が起こるという確信であり、第二に、後進ロシアは先進国の軍事的圧力に抗しえないであろうし、また完全な社会主義を建設するための経済的・文化的諸前提を有していないという確信である。
 だが、資本主義がその危機を乗り越え、ロシアが軍事的圧力にも耐え、ネップによって工業が復興しつつあるとしたら、その時には、どうなるのか。かくして、レーニン主義のエートスは永続革命論の歴史的限定性と衝突することになったのである。すでにレーニンは晩年、「社会主義の建設に一定の文化的水準が必要であるというが、まず革命によってその前提条件をかちとり、その後で労農権力に基づいて他の国民に追いついては、なぜいけないのか」と問いを発している。もちろん、この問い自体は一国社会主義の十分な肯定ではない。結局、レーニンはそこまで至らずに政治の舞台から退いた。
 こうした晩年の方向性をはっきりとした政治的結論にまでもっていったのがスターリンである。「ロシア一国で完全な社会主義を実現できないとしたら、何のためにわれわれは権力をとったのか」というスターリンの発言は象徴的である。それは政治的レトリックではなく、彼の本音を示している。もちろん、彼のいう社会主義とは、それ以前のどの社会主義者も夢想だにしないようなものであったが。
       (つづく)

米国

希望と幻想のクリントン

デービッド・フィンケル

 【デトロイト、一九九三年一月十五日】ビル・クリントンの大統領選出は、様々な社会階層に幸福感をもたらした。それは、労働組合官僚やリベラル派の主流指導者から、レーガン・ブッシュ時代に熱烈な宗教右翼が社会政策におよぼした影響力に驚いた普通の人々や経済界のエリートに至るまでの層である。

新たな公約違反

 広範な人々の期待はほとんど実現されていない。クリントンは、アメリカ・ブルジョアジーの政治地図内では「左派」としての位置をもたず、また、そのように振る舞いもしなかった。大統領選挙運動中、クリントンは人権に関する二つの意義深い公約を行った。一つは、ハイチ難民を事情聴取せずに大量に本国に強制送還するというブッシュの残忍な(そして不法な)方針の中止であり、もう一つは、軍隊内でのゲイおよびレスビアンの禁止を解除することであった。だが、クリントンは職務を開始する一週間前には、前者について方針を転換し、後者に関しても後退を開始した。そしてブッシュが開始したイラク再爆撃を全面的に支持したのであった。
 就任式の前夜までに先の二つとは別の新たな公約違反の可能性がより鮮明になった。クリントンの閣僚陣営を一べつするだけで、それは明らかである(注1)。クリントンが国務長官(外交の責任者)に任命したウォーレン・クリストファーは、リンドン・ジョンソン政権の一員として一九六〇年代の反戦運動と黒人運動の活動家に関する軍の情報報告を受け入れた。その後一九七〇年代にジミー・カーター政権の国務副長官として、この点について証言をして議会に間違った情報を与えた。そして、その資格において彼は、カーター政権の対イラン・シャー政権の全面的な支持とイスラム革命への敵対政策に深く関与したのであった。
 危機的な経済に関する政策は、財務長官に任命されたロイド・ベンツェンのような人物に委ねられることになった。彼は、政治的には保守であり、大石油企業と深いつながりがあり、企業減税に貢献し、予算支出削減の「厳しさ」でよく知られている。資本家層での彼に対する信任の厚さは、上院の財務委員会が彼に一つも質問せずに、その就任を承認したことに現れている。
 ロバート・ライシュは、適切な経済刺激となにか曖昧な「産業政策」(社会的生産基盤への投資や労働訓練など)を主張するハーバード大学のリベラル派エリート・エコノミストであるが、当初は財務長官の候補と考えられていた。しかしクリントンは、彼を労働長官に任命した。この地位は、民主党政権では「伝統的に」労働組合となんらかの関係がある人物が任命されていた。彼の唯一の、しかも間接的な労働組合との関係は、労働組合が基金を提供した経済政策研究所のあるリサーチ委員会の委員であることだけである。ただ彼は、クリントンと同じく一九六〇年代に英国オックスフォード大学のセシル・ジョン・ロウズ奨学金学生であり、それ以来、クリントンとは友人関係にある。
 クリントンは、彼の政権の中核部分が大資本や投資会社に歓迎されるものと確信して、「よりアメリカらしい政府」実現という公約の履行を開始した。その結果は、彼にとっての「よりアメリカらしい」ということがどんなものかを示している。商務長官に任命されたロバート・ブラウンは、アフリカ系アメリカ人で民主党全国委員長であり、企業などのために有料で議会工作をするロビイストを職業とする人物である。
 厚生長官と司法長官には女性が任命された。二人はフェミニストとして通っており、右翼とのつながりはない。後者はまた、大保険会社、アイトネ・ライフ・アンド・カジュアルティのトップ弁護人である。
 政権内を「複数のフェミニスト」で固めたことには、二つの狙いがある。一方では、女性を代表しているとの見せかけを可能にし、他方で、クリントンが就任式から百日以内にその内容を明らかにすると選挙中に強く約束した「医療保険制度の改革(全国的な健康保険制度の創設)」に対する支持を与えることになる。
 しかし、その公約は、大部分の先進国で行われている健康保険制度には程遠いものであり、クリントンの「管理された競合」提案は、現在保険証をもっていない三千七百万の人々を、その利点は最少で、しかも医師を選択できない制度に入れるものであり、これを管理する既存の保険会社に多大な利益を与えることになる。そして、この三千七百万の人々、特に未組織労働者は最低の医療レベルの治療を受けて税金を払うことになる。
 ニューヨークのある解説者は投票日前の雰囲気を「クリントン・ゴア組への多大な期待と歓迎の雰囲気がゲイ・コミュニティにあった。特にゲイ・バーではたいまつデモや有権者を投票にかり出そうとしていた」と伝えていた。一部にはクリントンが「自分たちのために何かをやってくれる」との期待が実際にあったし、そして、仮にブッシュが再選されたら「収容所に入れられる」との気持ちがあった。
 通信労組の機関紙CWAニュース92年11―12月号の一面には、クリントンの絵と彼の選挙勝利演説からの引用が掲載された。「この勝利は単なる民主党の勝利ではない。勤勉に働き、ルールにのっとって生活する人々の勝利である。世界経済の中で競争し勝利しようとする、そして、そのために施し物ではなく指針を与えてくれる政府を待ち望んでいる人々の勝利である」。見開きページ全部を使ってCWAのクリントン支持選挙活動を伝えている。こうした光景は労組の新聞によくみられたものである。クリントンが、労働運動が反対している北米自由貿易協定(NAFTA)を明確に支持したり、アーカンソー州(注3)でユニオンショップを禁止する法律を支持したり、あるいは民主党政権時代に穏健でもかまわないが労組支持の声明を出すように要請されたときにきっぱりと拒否したなどの経歴にもかかわらず、である。

熱烈に歓迎する左派

 左派は、アメリカでも国際的にもクリントンの勝利を熱烈に歓迎している。左派リベラルで社会民主主義の「イン・ジス・タイムズ」は、選挙後の記念号の表紙にクリントンの旗印を掲載した。クリントンに批判的な路線をとっていたネーション紙には、選挙結果を左派の勝利と認識しない同紙を激しく非難する多数の怒った読者からの手紙が舞い込んできた。
 クリントンを支持したのは、ゲイ・コミュニティやアフリカ系アメリカ人、労働者やリベラルだけではなかった。一例をあげれば、ラファー曲線といわゆるサプライサイドのレーガン革命で知られるエコノミスト、アーサー・ラファーは、ブッシュの増税を理由にクリントン支持に回り、ブッシュが財政赤字を定着させた、と述べた。ミルトン・フリードマンもまた、彼の左翼的な経済処方箋が理由なのか不明だが、クリントンを支持した。
 保守派の指導者、ウイリアム・セファイアも、今回の選挙ではクリントンを支持した。ネオ保守主義で激烈なシオニストであるセファイアは、ブッシュがイスラエル・シャミール首相のイラク国家分割計画の実現に失敗し、イスラエルの入植地問題で同国と対立したのを理由にした。と同時に彼は、保守派の全般的な傾向を反映していた。ロナルド・レーガン元大統領がクリントンに投票したとの報道は、元大統領報道補佐官によって弱々しく否定されただけであった。
 社会的な危機が選挙結果に大きく影響した。様々な社会的な危機が次第に全体に影響をおよぼしていくような効果があった。特にロサンゼルス事件の影響は大きかった。これによって、特権層はアメリカ社会にひそむ危機の存在を知り、それが結局は自らを脅かすと考えた。
 マルクス主義者のマイク・デービスは、都市問題に詳しいが、ロサンゼルス暴動後のソーシャル・テキストとのインタビューで、この暴動のもつ意味に関連してこの現象に触れ、次のように回答した。
 「民主党に残っている包囲された非常に少数の伝統的なリベラル派にとっての意味は、今や攻勢に出るべき時だということだ。ロサンゼルス事件は、わが国の都市が直面している死の苦悶の一部である。最初の脱工業化の時代、そして次の連邦政府の都市に対する財政援助が削られた十五年間、これによって都市は社会的な諸問題の格納庫になってしまった。今や反撃に出て、中心的な目標に向かって都市を再建しなければならない時だ。平和の配当をそのためにこそ利用すべきだ」
 「待ったなしの課題である。中間層はこの十ないし十五年間、政治的に間違った計算にもとづいて働いてきた。その計算とは、社会の三分の一が腐敗してもかまわない、中間層は郊外や大都市以外の場所に移動できるので、腐敗の結果にあわずにすむというものだ。しっぺ返しはないというわけだ。だが現実は逆になってしまった。この暴動の最も重要な結果の一つは、白人中間階層が不安という感情をはじめて抱いたということである。……だから、大都市あるいは大都市の状態の問題が政治の前面に登場したのである」
 デービスは、この暴動が社会制度と一九八〇年代に最も恩恵をこうむった人々の一部とに危機の深刻さを気づかせたと考察する。クリントンの当選(そして白人有権者の間での疑似ポピュリスト的なペロー現象もまた)は、広範な不満の存在と、支配階級内部でのブッシュが失敗したとの認識の一致とが結びついたことを反映している。

広範に存在する不満
 
 クリントンの当選は、社会の基盤に希望と幻想の二つをもたらした。社会主義者の課題は、この希望に焦点をあて、幻想を拡大することなしに希望を政治化することである。
 新政権が左翼あるいは右翼双方からの圧力を感じていない事実は、クリントンが米軍内部でのレスビアンとゲイの禁止を解除するという発表に象徴されていた。これはまず、右翼と宗教勢力に向けた発言であり、彼らがもはや力を行使できないし、彼らの力も必要としないことを示した。
 ゲイが軍隊で任務につく権利を獲得することは、民主主義の側の勝利である。だが同時に、軍務につくことがゲイ運動の中心的な要求ではない。この運動はむしろ、エイズ研究の拡充や十分な公民権の実現に関して闘うよう人々に影響を与えてきた。これらの要求の実現には多くの費用がかかるし、しかも立法措置が必要である。だが、軍隊内でのゲイの禁止解除は、クリントンが「妥協」を追求しているとはいえ、たった一つの行政命令で可能である。
 クリントンは、彼の公約の費用のかからないいくつかは実現できるし、おそらく実行するだろう。彼は悪名高いブッシュの「さるぐつわ命令」を撤回できる。これは、連邦資金が出ている家族計画診療所がその患者に堕胎に関して言及することを禁ずるものである。その他のちょっとしたブッシュ政権の粗野な政策を撤回できるだろう。しかし多大な費用のかかる公約は、別問題である。だからこそ閣僚の指名にあたって、リベラル派がはずされているのである。
 一つ例外はあるが、リベラル派からこの傾向に対する抵抗はなさそうだ。一つの例外とは、堕胎の権利に関する運動である。この運動は自由選択法を要求するだろうし、これに似た法律ができる可能性はある。しかし、その場合の法律は、堕胎を選択する権利に多くの制限や負担を国家が強制できる余地を残すだろう。選択派の指導部は、クリントンを批判する必要を感じるだろうが、同時に法の成立を阻止しようとする右翼と闘うためにクリントンに頼らざるをえないとも感じるだろう。
 堕胎に関する権利の運動以外に、リベラル派からの闘いはほとんど予想されない。リベラル派は一方でクリントンの失敗と右翼の復活を恐れ、他方では下からの社会的な爆発を恐れている。彼らは、次の二つの危険から自らを守るためにクリントンを後押しする。悲しいことであるが、左翼勢力があまりにも小さく、かつ、抵抗勢力の真空という状態を埋めるにはあまりに効果がないことである。
 この政権の最も重大な関心は、アメリカ資本主義の競争力強化であり、そのための自由貿易や労使協調などである。これらの不幸な政策のいくつかは、共和党よりも民主党のほうが実行しやすい。というのは、労働官僚の協力があるからである。
 一例をあげると、鉄道労組の活動家、リン・ヘンダーソンは、デトロイトで開かれた労働党創立推進会議(注4)の席上、同労組の機関紙ストレイト・トラックの編集長として語った。彼は、「機械を据えて労働者を永続的に追い出す」のをやめさせるために提案されている立法措置にはストライキを解決する仲裁行為を制限する内容が含まれており、スト破りに自らの職を奪われないために労働者は、自らの契約に関して交渉する権利を犠牲にすることになるだろうと述べた。
 これらの措置は、昨年の議会で廃案になったスト破り規制に対するいわゆる「パックウッド修正条項」にもあった。今年も同じ修正が提案されるだろう。AFL‐CIOは修正の実現に抵抗するだろうが――法案提出者の上院議員ロバート・パックウッドは現在、セクシュアル・ハラスメント・スキャンダルに巻き込まれている――その抵抗は、力強いものでなく、勝利する可能性も弱い。
 労働側に対するクリントンの合言葉は、「競争力」「柔軟さ」「協調」などである。これらの言葉のもつ意味はすべて、労組指導部が組合員に新たな譲歩を課すならば、その見返りとして新政権は労組側との「相談」に応じるということである。鉄鋼労組はすでに、主要企業に対して長期労働協約の締結を提案しており、その内容には、仲裁の制限、協調の強化、「労働力の再配置(つまり失業)」などが含まれている。
 ビル・クリントンは「国内経済に鋭く焦点をあてる」と公約したが、これが国内問題では何もしなかったとブッシュをみていた有権者と強く共鳴しあった。
 レーガン政権が国際的な対決を積極的に追求して政治基盤を強めて登場し、ブッシュは対イラク再爆撃開始という同じ方法で政権を去ったのに対し、クリントン政権は、こうした政治努力の決定的な拡散をもたらしかねない行動を避けたと思われる。
 だが、アメリカの軍事力を大きく削減することはクリントンの計画には入っていない。このことは、国防長官にレス・アスピンを指名した点に現れている。彼は、ウィスコンシン州の民主党員で、スターウォーズ戦略、ニカラグアのコントラ支援、B1爆撃機などに賛成してレーガン・ブッシュ政権に貴重な支持を与えた。
 いずれにしてもクリントンはすぐにでも、元大統領ジミー・カーターが「私の生涯で、いかなる大統領が引き継いだのよりもはるかに困難な国際情勢」と述べたような状況に直面する。そうしたものとして、ソマリア介入(海兵隊員が殺されればますます不人気な介入となる)、旧ソ連の全面的な混乱の深まりなどがある。
 解説者たちは事態の表面から、ジョージ・ブッシュは国際的な危機を背景に大統領をやめたが、自分の再選を無礼なやり方で阻んだ歓迎しがたい後継者に対して「しかけ地雷」を埋めて去ったのだと分析しがちである。だが、政権交替の本質は、資本主義それ自身がアメリカ経済と国際情勢とに警告を発したということである。直接かつ最大に損なわれるのは、クリントンのイメージである。疑似リベラル的なよそおいを保つ余裕は、彼が就任する前にすでに失われていたのである。

注1 強力な大統領制をもつアメリカの政府制度では、閣僚の地位は議会制度の国の大臣に相当するが、閣僚の多くは議会に選出された人物ではない。彼らは議会の承認が必要であり、そのために議会は個人攻撃に近い質問を浴びせることがよくある。
注2 本論を執筆した後、司法長官に任命されたゾイ・ベアードは、不法入国者を不法に雇用した事実が明らかになって、指名が撤回された。
注3 この法律は、アーカンソーやアメリカ南部の大部分の州で内容とは反対に「労働権」と呼ばれており、組合が資本家と一〇〇%のユニオンショップ制について交渉することを違法としている。
注4 労働党創立推進会議(LPA)は、労働運動内部で労働党創設を支持する動きをつくり出すための教育的、組織的なイニシアティブ装置である。LPAは、大衆運動には程遠い存在だが、労働者の深い政治的な不満の水路となっている。デトロイト会議を開催したのは、クリーブランドとデトロイトのLPA憲章で、教育を目的にした最初の地域的な会議である。
(インターナショナル・ビューポイント誌242号、93年2月1日)
木の根風車改修工事
資金カンパのお願い

 一九七九年夏、二期工事区C滑走路予定地内の木の根に建設された風車も時節の波にあらわれて十四年。強行開港後の厳しい闘いが続く中で、空港反対闘争のシンボルとして敢然とそびえ立つ姿は、反対同盟の闘いそのものでした。
 しかしその風車も長年の風雨にさらされ老朽化が激しくなり、万が一の自己に備えての修理が必要となってきました。この改修費用に見込まれる費用はおよそ一〇〇万円となっており、この費用捻出にあたっては反対同盟自らの資金供出はもちろん、全国で三里塚を支援してくださっている皆様にも呼びかけて、ぜひともこれを成功させるべく、ここに改修資金カンパを訴える次第です。
 政府・空港公団の二期工事の強行に打ち勝ってゆくためにも、この風車の改修工事を現地と全国の力を合わせて成功させてゆきたいと思います。風車の改修工事資金カンパよろしくお願いいたします。
一九九三年三月
 三里塚芝山連合空港反対同盟

カンパ送り先
郵便振替 東京一―四一〇四八六
 三里塚芝山連合空港反対同盟
 〒二八九―一六 千葉県山武郡芝山町香山新田一〇六―四
 п@〇四七九―七八―〇〇六九
 なお振替用紙には「木の根風車改修工事資金カンパ」とお書き添え下さい。
 (反対同盟の訴えから抜粋)