1993年5月10日         労働者の力               第44号


公然たる戦争へ突き進むカンボジア

自衛隊、UNTAC要員の即時撤退を 

PKO法廃棄の全国運動を起こそう


    川端 康夫

 五月六日午後六時、衆議院議員面会所前で、自衛隊のカンボジアからの即時撤退を要求する緊急集会がもたれた。福富節男さん、小峰雄蔵さん、天野恵一さんが中心となってPKO法反対、自衛隊海外派兵阻止の全国実行委員会の運動体に呼びかけたものだ。集会は今後波状的に議面前集会を行い、自衛隊撤退、文民警察や選挙監視要員の引き上げの実現まで行動を拡大していくことを確認した。社会党や共産党はPKO撤退要求の声明を出したが、自民党政府はPKO五原則が崩れていないと強弁し、選挙監視要員の派遣を強行すると確認した。またPKO法成立に加担した公明、民社もUNTAC選挙強行支持の方針を表明し、事実上政府方針に追随している。UNTACは破綻した。カンボジアは戦争事態に突入した。PKO五原則に照らしても日本自衛隊は「独自の判断にもとづいて」撤退しなければならない。「ガラス細工」のPKO法の矛盾が完全に露呈したのである。自衛隊派兵は止めどのないエスカレーションに直結するという指摘は、政府の五原則無視によって誰もが否定できない事実となった。いまや、撤退か、それともより強力な武装部隊の派兵かの二者択一である。二つの間に道はない。軍事貢献論が、全面的な海外派兵軍隊化論に無限に転嫁する以外ではないことも明らかだ。日本自衛隊、PKO協力要員を即時に撤退させよ。PKO法の廃棄の全国運動を起こそう。

ポト派による軍事攻撃の
無差別的な全面化


五月四日、カンボジア西北部タイ国境に近いアンピルでUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)部隊に護衛されて移動中の文民警察隊が白昼襲撃され、日本人警察官一人が死亡し、二人が重傷を負い、その他にも負傷者が出た。
ポル・ポト派の組織的攻撃であることは間違いないとみられている。さらに翌五日にはカンボジア中部のコンポントムでUNTACの中国軍工兵隊部隊などが迫撃砲やロケット弾による攻撃を受け、さらにプノンペンからバッタンバンにむかう列車が襲撃された。UNTACへの攻撃は無差別的な攻撃へと拡大した。
カンボジア総選挙を目前にしてポル・ポト派の軍事行動が急速に拡大している。内戦の再開である。
いまや、これを阻止するてだてはシアヌークにしてももってはいない。今月二十三日からの総選挙の強行が全面的な流血事態を招き寄せるであろうことは確実だ。和解の最終手段であったはずの総選挙が、戦争全面化の直接の引き金となるのである。
 一説によれば、ポル・ポト派内部に権力移動があったといわれる。キュー・サムファンを除いた旧指導部に代わって、軍事派が指導権を掌握した結果の対決姿勢といわれている。全状況は、虐殺者集団であるポル・ポト派が自己の生存を賭して軍事的な徹底抗戦の道を選択したことを示している。
 UNTACによる総選挙はまったく無意味なものとなった。


UNTACの矛盾が犠牲者を


 一連のポル・ポト派の攻撃による国連ボランティアやUNTAC要員の犠牲者は、こうしたUNTAC活動の前提の崩壊を知りつつそれを放置し、ただひたすら選挙強行にのみ走ってきたUNTAC、PKO五原則を意図的に無視してきた日本政府によって生み出されたのである。
 その犯人について諸説がある国連ボランティアの中田さん殺害は、選挙推進活動の先頭に立っている国連ボランティアがいかに危険な状況におかれているのかを明らかにした。
 こうした緊迫した情勢に直面してUNTACは、総選挙実施のためにプノンペン政府軍の間接的護衛を受けることをも決定し、実行に移している。
 しかし、これらの措置は二重の意味で矛盾である。
 第一に組織的攻撃に対抗する準備も意図もUNTAC部隊は持っていないのであり、第二に紛争当事者の和平の意思という条件のもと、中立の活動を行うというUNTACの趣旨からの全面的逸脱であるからだ。
 UNTACが選挙を強行するならば、それは軍事的な全面的対峙の態勢を固めるしかない。そしてそれは、UNTACの「建え前」の全面的な破綻そのものである。その「建え前」の破綻が悲劇的というのではない。「建え前」は崩壊すべくして崩壊したのである。問われるべきは、そのような「建え前」をこしらえ上げることで可能となった、UNTACという発想の方法そのものである。
 われわれは、UNTACが類例をほとんど見ない特異な国連による直接統治であると同時に、カンボジア民衆に虐殺者集団ポル・ポト派(以下ポト派)を受け入れさせる方式であると主張してきた。ポト派を政治利用してきた国連やタイ軍部、中国が「社会主義」プノンペン政府を解体し、「国民和解」をおしつけるための方策であった。それは同時に、国連が旧時代の「PKO」から、PEU(平和執行部隊・平和強制部隊、Peace Enforcement Unit)に実質的に移行することであった。UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)は、いかに「暫定」であろうとも、統治機構である。そうであるかぎり、その統治には「強制力」の背景が不可欠である。UNTACがその業務を貫徹しようとすれば、それはカンボジア民衆の上に無関係に立つ、武装する「暴力装置」(重装備軍隊)を背景とする方向へと突き進む論理を不可避的に内包しているのである。カンボジア民衆にとって到底支持しうるものではない。また同時にそれは、中国を含む国際関係によって可能となった、妥協としてのパリ協定では一切想定されていない。つぎはぎの矛盾にみちたUNTACである。
 ポト派は不利な軍事的力関係からの脱却の術策としてのみパリ和平協定を受け入れ、UNTACを承認したのである。
 パリ和平協定以後の三年、UNTAC活動は、武装解除を拒否し、より一層の軍事的浸透作戦を継続してきたポト派支配地域の拡大を具体化しただけである。現在の内戦は、以上の新たなバランスシートのもとでポト派によって決行されたのだ。
 

SNC北京会合と
シアヌーク救国構想の挫折

 すでに以前からUNTACに見切りをつけてきたシアヌ−クは、UNTAC・明石に代わり、自己を「国民統合」の唯一のシンボルと意識して、確実に訪れるであろう出番に備えてきた。
 ポト派事務所のプノンペンからの退去があり、シアヌークの北京への逃避があった。
 おそらくキュー・サムファンと気脈を通じていたであろうシアヌークによるSNCの北京開催要求に対して、当初反発した明石とプノンペン政府もまた、非公式会議という形ではあれ最終的に同意することになった。シアヌークの要求を拒否したままで総選挙を強行するとすれば、それはポト派は別にしても、シアヌーク個人ひいてはその後ろ楯である中国との関係悪化が避けられないという事情が作用したことは明らかだ。
 また、シアヌークが巧みにも五月一日の声明で各派に対して戦闘の即時停止、選挙実施への協力を呼びかけていることもある。
 ポト派の要求が直接には総選挙の中止であり、パリ協定とSNCを規定する「当事者の和解意志の存在」という条件は失われてしまっている以上、北京会議の承認は、国連UNTACのイニシアティブの実質的な崩壊を意味する。後は、新たな「枠組み」への移行、すなわちSNCの再編などの検討が早晩日程に上ることとならざるをえないであろう。
 これがシアヌークの描いた構想であったはずだ。
 だが北京会合に同意したキュー・サムファンは、その後何の連絡もせず会合を欠席した。キュー・サムファンがポト派内部の承認とりつけに失敗したことを物語る。おそらくは、国連・UNTACの面子をたてるために、いったんは総選挙を実施させ、その後にシアヌークのもとで本格的な選挙を行うというシアヌークの「救国政府」構想が、全面的にか部分的にかは別にして、ポト派内部で拒否されたのであろう。
 シアヌークの描いた筋書き自身が崩れた。シアヌークは構想の練り直しを余儀なくされたのだ。しかし北京会議において、ソン・サン派が総選挙延期を主張し、シアヌークへのすべての権限委譲を主張したことにみられるように、ソン・サン派やラナリット派が、流血必至の総選挙に最後まで付き合うことになるかどうか、確実なものは一つもない。シアヌークの構想が土台から潰えたということはできない。
 
ポト派と「和解」は
両立しない

 ポト派は、プノンペン政府が正式に北京会議出席を受諾した直後の五月三日、シェムレアプのプノンペン政府軍への組織的攻撃から全面的な攻勢を開始した。九一年パリ和平協定調印以降で最大規模の戦闘となったシェムレアプ攻撃は、ロケット弾攻撃による空港の一時的な占拠や市街地への二方向からの突入という激しいものであった。
 今月二十三日からの総選挙実施をひかえて、ポト派は各地で部隊を前線に移動させている。中部のコンポントムでも四月末に東西から挟むように約五百人の部隊が配置されプノンペン政府軍とのにらみ合いが続いてきていた。次の主要な軍事的攻勢はコンポントムをめぐるものとなると思われる。
 ポト派が存続するかぎりカンボジアでの戦争は、決して終わらないことが理解されなければならない。
 カンボジアでの現在の戦闘と殺りくの根源は、ポト派の自己延命、すなわち人民大量虐殺の歴史的責務を一切認めないということにある。ポト派がカンボジア民衆の大多数から支持を受けることはありえないし、また彼らは、武装解除したならば、民衆からの「報復」にさらされるという恐怖にもかられているであろう。ポト派は、軍事力(暴力)による民衆支配以外の方策を見いだせないのである。まして「民族浄化」としてのベトナム系住民への無差別の殺りくなどに何らかの意味を見ることは問題にならない。
 UNTAC、あるいは国連、安保理がカンボジア民衆に対してポト派の存在を認めさせたり、共存を押しつけるという発想こそが厳しく問われなければならないものだったのだ。

ポト派との「和解の強制」は
なにも解決しない

 現在、読売や産経などマスコミの一部を通じて、ポト派の妨害に屈することをいさぎよしとしないという立場から、選挙強行論が強く流されている。同時に、UNTAC部隊の重武装化がいわれ、またアメリカが急きょカンボジアへの強い関心を表明した。
 それは第一に、必要な「軍事力」がどのようにして動員できるのか、すなわちボスニア問題と同様に「関係諸国」の軍事介入という問題を引き起こす。日本の軍事力の動員問題に直結するであろう。
 それは第二に、国内的に憲法九条問題を全面的に提起するが、同時にその強行は、東アジアにおける何らの機構的な了解や限定のないままに、日本軍隊の国外展開を進めることである。中国を中心軸として、武装拡大化の傾向にある東アジアの潜在的軍事的緊張は比較にならぬほどに高めることになるだろう。こうした図式に安保理事国中国が抵抗することは明らかだ。中国の本心は多分にシアヌーク構想の何らかの実現にあると見ていい。
 現在、提示されている選択は三つに絞られる。
 第一は、UNTACによる総選挙の強行。
 第二は、総選挙中止、SNCの再編、すなわちシアヌ−ク主導への移行。
 第三は、パリ協定の破綻の承認とSNCの解散。
 これらはすべてカンボジアにおける戦争を回避できない。
 しかしながら、そのうちの第一と第二の道は、カンボジア民衆に対して、ポト派との共存を「強制する」という点において本質的に違いはない。直接的な戦争突入か、再度の時間稼ぎを行うかの違いである。国際的な圧力や軍事介入から「和解」の形態が何か生み出されようとも、一時的な枠組みにすぎない。
 根本的解決は、カンボジアの民衆自身の主体的選択が全面的に可能になるときに到来する。
 諸外国の「介入」、ポト派への援助・支援を完全に終わらせることがその前提である。ポト派が軍事対決を意図している以上、当面戦闘状態は避けられない。しかし、ポト派を支えつつ同時にカンボジアの平和を達成することは不可能なのだ。
 タイ軍部、さらに中国は、ポト派の政治的、外交的利用や一切の形態の援助を即時に停止すべきである。シアヌーク個人もまったく同様である。
    (五月六日)

 東京(5月3日)
 改憲阻止に大結集
 三千語運動正式発足す


 五月三日の東京、「護憲派動く」――朝日朝刊(5・4)の大見出しは、まさに適切な形容である。
 昼、有楽町マリオンは、戦争の道を許さない女たちの連絡会議を軸とする実行委員会主催集会「つらぬこう平和憲法・九条改憲を許さない女たちのつどい」が、会場に入り切れない多くの人がロビーでテレビモニターで参加するという超満員の千二百人集会となった。
 夜、九段下の千代田公会堂では、三千語宣言運動準備会主催による「改憲阻止・活かせ九条」大集会――新護憲三千語運動発足の集いが開かれ、これも会場を埋め尽くす千二百人が参加した。
 東京・目黒区では、午後一時から日市連が主催した「憲法九条の危機と再生集会」が四百人を結集して行われた。
 相互の重なりを省いても二千人をはるかにこえる市民、労働者が「改憲阻止」の独自集会に結集したのである。
 「女たちのつどい」は、吉武輝子さんが全体の司会者となり、もろさわようこさんが聞き手の三木睦子さんと大原富江さんの対談、澤地久枝、鶴見和子、暉峻淑子、土井たか子、丸木俊さんのお話し、中島通子、樋口恵子、残間里江子さんらの三分間リレーメッセージを中心に、詩朗読、歌をはさんで進められた。集会後、銀座並木通りから国労会館までのデモが貫徹された。
 集会には、口こみやマスコミ情報で知ったというフリーの参加者が多く、実行委員会の予想をはるかに超える大集会となった。
 千代田公会堂の集会も事前に準備した集会資料がまったくなくなるなどの集まりであった。元婦人有権者同盟会長の本尾良さんの開会あいさつ、三千語運動を中心的に準備してきた山川暁夫さんが基調報告、永畑道子さんや色川大吉さん、山田軽井沢市議や沖縄の知花さんのメッセージ、北海道、京都での三千語運動代表などによるリレートーク「改憲阻止・活かせ九条」をメインにして、改憲阻止への決意とさまざまな装いで登場している改憲派と闘う運動の必要性が強調された。また参加していた複数の護憲派国会議員、都議選立候補者が紹介され、広範囲な横断的運動への広がりの可能性を示した。
 二月七日に準備会が発足し、以降、雑誌エコノミスト、毎日新聞への意見広告掲載が全国カンパ運動で組織され、三日の集会で正式発足となったものだ。

第六四回メーデー
全労協系
日比谷野音に一万八千人が結集


 一九九三年五月一日。東京日比谷野音の内外は、国労や都労連、全国一般全国協などの労働者で埋め尽くされた。
第六四回メーデー中央集会。
日比谷メーデーの成功は、総評解体、連合への強行統合に抗する労働者が全労協を中心に結集し、最大の意思表示として作り上げる場として完全に定着してきたことを示した。。
中央メーデーは連合形成以降三分解し、今年も代々木公園の連合(十五万人、八万九千人、数字はいずれも主催者発表と警視庁発表、以下同じ)、亀戸中央公園の全労連(十万人、二万六千人)、日比谷(一万八千人、一万二千人)と三会場での分裂メーデーとなった。全国で一千二百会場に三百四十万人が参加した。
連合は、その発足以降、年々実質的にメーデー離れの傾向を強め、純粋のお祭り化から連休中から日程をずらすことを検討するまでに至っている。連合が行ってきていることは、政治介入に熱中し、社会党解体、「政権担当可能な」保革連合新党作りを推進することであり、バブル崩壊を好機とする実質賃金の切り下げを受け入れただけである。日比谷メーデーの成功的定着は、「大きなことはいいことだ」として連合に走った日本労働組合運動に軌道を修正させるためのたしかな手触りを実感させてた。

三里塚芝山連合空港反対同盟(熱田派)
成田空港シンポジウムで
三項目の提案(全文掲載)

【提案全文】
1、運輸省・空港公団による収用裁決の申請の取り下げ。
2、二期工事B・C滑走路建設計画を白紙に戻す。
3、今後の成田空港問題の解決にあたっては、「空港をめぐる地域の理性あるコンセンサスをつくりあげる新しい場」がもうけられ、そこにゆだねられるべきである。
【航空行政批判要旨】
 航空審議界は、米軍事空域などの存続を前提とし、過大な需要予測をもとに富里案を答申。政府は地元の反対で用地取得が容易な成田に位置決定、規模を半分に縮小した。騒音被害のうえに成り立つ内陸空港なのに、騒音問題は事後的対策にすぎない。
 この結果成田空港は、不便なアクセス、旅客・貨物施設の混雑、国内路線網など問題だらけ。主要国際空港なのに二十四時間運用や機能拡大もできない。関連施設を収容しきれず周辺も乱開発された。
 二期工事が完成しても、B滑走路から離陸できるのは近距離国際線だけ。横風用C滑走路もないよりましな程度。需要増加を理由とした必要論も、不要不急な観光需要の喚起や、国際線成田集中の弊害を考えると、説得力を持たない。
 航空行政には軍事空域返還を含む空域再編や、地方空港の活用など多様な選択がある。政府は時代遅れなBC滑走路建設計画を白紙に戻し、その将来を参加者すべてが対等で公平な「空港地域」の議論にゆだねるべきだ。

【提案全文】
1、運輸省・空港公団による収用裁決の申請の取り下げ。
2、二期工事B・C滑走路建設計画を白紙に戻す。
3、今後の成田空港問題の解決にあたっては、「空港をめぐる地域の理性あるコンセンサスをつくりあげる新しい場」がもうけられ、そこにゆだねられるべきである。
【航空行政批判要旨】
 航空審議界は、米軍事空域などの存続を前提とし、過大な需要予測をもとに富里案を答申。政府は地元の反対で用地取得が容易な成田に位置決定、規模を半分に縮小した。騒音被害のうえに成り立つ内陸空港なのに、騒音問題は事後的対策にすぎない。
 この結果成田空港は、不便なアクセス、旅客・貨物施設の混雑、国内路線網など問題だらけ。主要国際空港なのに二十四時間運用や機能拡大もできない。関連施設を収容しきれず周辺も乱開発された。
 二期工事が完成しても、B滑走路から離陸できるのは近距離国際線だけ。横風用C滑走路もないよりましな程度。需要増加を理由とした必要論も、不要不急な観光需要の喚起や、国際線成田集中の弊害を考えると、説得力を持たない。
 航空行政には軍事空域返還を含む空域再編や、地方空港の活用など多様な選択がある。政府は時代遅れなBC滑走路建設計画を白紙に戻し、その将来を参加者すべてが対等で公平な「空港地域」の議論にゆだねるべきだ。
寄稿
    ロシア革命、過渡期、社会主義(下)

           城山 隆

 ロシア革命の世界史的位置

 ロシア革命から始まった一つの歴史的サイクルが終結した今日、どのような意味でロシア革命の意義を語れるだろうか? ロシア一国の見地からすれば、それは何よりもロシアの近代化の手段であった。ロシアはツァーリのもとでは近代化をやり遂げることができなかった。もちろん、ストルイピンの改革を持ち出すまでもなく、帝政ロシアのもとでも上からの近代化の試みはあったし、それなりの成果を治めた。しかし、ツァーリ体制に決定的に欠けていたのは、近代化のためにロシアの人民の同意と自発性を動員する道徳的・イデオロギー的権威であった。
 腐敗し堕落した帝政は、近代化にも戦争にも人民を動員することができなかった。そして、本来ならば、帝政に代わって、近代化のための道徳的・イデオロギー的権威を提供するはずであったロシア・ブルジョアジーとブルジョア知識人は、世界史的な労働運動と社会主義政党の台頭によって脅かされ、臆病になっていたために、そしてまた西欧帝国主義への依存と従属のために、その歴史的使命を社会主義政党と社会主義知識人に代行させたのである。ロシア革命の成功とその後の労働者国家のもとで、ロシアは世界史的にまれに見るスピードで工業を発展させた。スターリニズムの堕落と偏狭さと浪費と未曽有の弾圧・粛清にもかかわらず、革命後の内戦と第二次大戦という、これまた未曽有の戦争被害にもかかわらず、また帝国主義諸国の経済的・軍事的・政治的包囲と圧力にもかかわらず、ロシアは革命前の遅れた三流国家からアメリカ合衆国と対峙しうる超大国へと変貌した。
 このような成長は、ツァーリのもとでは、たとえどんなに西欧帝国主義の手厚い援助があったとしても、絶対に不可能であったろう。
 ロシア革命はまた、国際的に見るならば、ロシア以外の植民地諸国や半植民地諸国が欧米帝国主義の隷属から脱出するための革命的刺激と模範を与え、革命後における近代化とその成長・発展を保障した。
 しかしながら、ロシア革命の真の世界史的意義は、それが歴史上初めて、国際資本主義・帝国主義の心胆を寒からしめた真に本格的な社会主義的挑戦であったということである。それは、先に述べた植民地・半植民地諸国のみならず、先進資本主義国の内部にも種をまき、ありとあらゆる場所で、資本主義・帝国主義に挑戦した。資本主義・帝国主義の代理人たちは、これらの「コミュニスト」たちを死ぬほど恐れ、彼らを孤立させ掃討するために全力を尽くした。努力のかいあって、中心的な労働者国家は崩壊し、共産主義政党は多くの先進国で解体・孤立するか、防戦を強いられている。すなわち、この最初の本格的な挑戦は敗北を喫したのである。
 このことから、二つのまったく異なる結論を引き出すことができる。一つは、社会主義の実験そのものが失敗した、資本主義(恥ずかしがり屋は「市場経済」と表現する)は永遠に不滅であり、その枠内での改良に努力せよ、である。もう一つは、社会主義的挑戦の第一ラウンドが終了した、その失敗からあらゆる教訓を導きだし、次の新たな社会主義的挑戦の糧とせよ、である。
 この二つの対立する見解は、資本主義は永遠かどうか、社会主義は可能かどうか、といった抽象的議論の結果として生じるものではない(知識人層は、自分の結論が、その種の問題についての「客観的な」分析から生じたかのように考えているし、そのように主張するのだが)。それは、その人の立脚する客観的基盤と、何よりもその人の(政治的・イデオロギー的)気分に規定されている。
 一つ目の見解は、言うまでもなく、現在の主流であり、かつての左翼、かつてのスターリン主義者、かつてのトロツキスト、かつての全共闘、かつての毛沢東主義者などがこぞって支持している見解である。この恐ろしく陳腐で、信じられないほどくだらない意見は、日本共産党の主流の人間よりも、かつてその左に位置していた連中(党内および党外)のほうに歓迎されているようである。
 六〇年代の急進的学生運動を担った彼ら団塊世代は、以前には、修正主義・日和見主義・社民化のかどで日本共産党を罵っていたが、今では、社会主義への固執の罪で共産党を告発している。さまざまな世代の中で、最も激しく右傾化しているのは、この団塊世代である。かつて、ばかばかしいほど左翼的で急進的であった彼らは、過去の己れの罪を償うために、社会主義に死刑宣告し、ヨーロッパ社会民主主義の現実主義を礼賛し、資本主義に投げキッスを送っている。
 社会主義的・急進的方向では勝者ないしは多数派となりえなかったので、今では敗者ないしは少数派に唾をはきかけることによって勝者・多数派の仲間入りをしたいと思っている。かつて、まともな吟味もせずにマルクス主義やレーニン主義の信奉者になった彼らは、今では、これらすべては単なる間違いか幻想であったとして、これまた、まともな吟味もせずに歴史のゴミばけつに放りこんでいる。歴史の最も醜悪な一コマ、ドイツ社会民主党が第一次大戦を支持したのに匹敵する大転向!
 困ったことに、この団塊世代は知的・道徳的にはすでに老いぼれ、想像力も創造力もすっかり枯渇しているにもかかわらず、肉体的には働き盛りで、社会的には第一線であることである。彼ら、とくにその知識人層は、大学での講義や、彼らが書いた一文の値打ちもない論文や著作(何と多いことか!)を通じて、自分たちより若い世代を毒している。社会主義を頑固に擁護しようとするオールド・ボリシェヴィキは、すでに第一線から退き、社会的影響力ももたない。団塊世代より少し上か少し若い世代も、基本的には団塊世代に唱和している。
 最もまともなのは、すでに完全に急進的学生運動が終焉し、社会主義のイメージがすっかり地に落ちていた時代に、その政治生活を開始した一〇代、二〇代であろう。彼らは最初から幻想をもたずに、この道を選択した。彼らは運動の高揚を体験したこともなければ、その挫折を味わったこともない。団塊世代が、社会的に高い地位や一戸建の家を所有するという希望がもてたし、実際にそれらを手に入れたのに対し、今の一〇代、二〇代はそうした希望をもつことはできない。この若い世代は、団塊世代の中の反主流派(すなわち、あいかわらず社会主義価値観に断固信任をおく人々)と同盟して、労働者国家崩壊の二つ目の教訓をわがものとし、第二の挑戦に向けての準備を開始するだろう。
 
 人類の未来と社会主義

 東欧・ソ連の労働者国家が崩壊する中で、社会主義そのものに疑問が提示されている。せいぜいのところスターリン主義の補完物でしかない社会民主主義への転向者が「マルクス主義」知識人の中であいつぎ、市場の支配の永遠性についての退屈な議論が巷にあふれている。
 分析の道具としてのマルクス主義の有効性は一定認めるとしても、体制としての社会主義はやはり不可能ではないのか。ソ連の指令経済も、ユーゴスラビアの「自主管理」経済も、ポル・ポトの農村「社会主義」もともに破綻したではないか、というわけである。物事を世界的にではなく、スターリン主義者と同様、一国的に考える者だけが、このようなことを思いつく。資本主義・帝国主義の海のただなかに浮かんだままで、国家権力ないしはそれを指導する共産党の主体的なあれこれの「型」の選択によって社会主義に移行することができたりできなかったり、また理想的な経済成長を実現できたりできなかったりすると、こうした論者は考えているのである。これこそ、度はずれた主意主義である。
 先進諸国に社会主義革命が起こらないかぎり、労働者国家は、社会主義どころか、理想的な労働者国家をさえ建設することはできないであろう。それは多かれ少なかれ歪みと官僚的欠陥をともなったものであろう。できるのはせいぜい、その歪みを是正し、官僚的欠陥をできるだけ少なくすることであり、国際的な革命運動にできるだけ悪影響を与えず、できるだけそれを鼓舞するような形で、「持ちこたえる」ことであろう。
 世界的な体制としての社会主義は、必要不可欠であるばかりでなく可能でもある。資本主義の現在の姿は、それがもはや人類の生存と両立し得ないものであることを日々暴露している。巨大な環境破壊と南北問題は、社会主義の客観的必要性とそれの主体的意識との間にある未曽有のギャップの悲劇的表現なのである。資本主義的生産力は、民族国家の枠を乗り越えただけでなく、その自然的制限をも乗り越え、自らの生存の土台そのものを掘り崩している。
 市場の無政府的な支配力を取り除かなければならない、資本の利潤追求原理を廃棄しなければならない。これらは、人類史的観点から見れば、遠い未来の最大限綱領なのではなく、今世紀中に解決しなければならない最小限綱領なのである。
 しかしながら、と懐疑論者は口をはさむ。東欧・ソ連の計画経済はすべて失敗したではないか、たとえ、それを国際的な規模で実現したとしてもやはり失敗するのではないか、市場の支配への挑戦は風車にむかったドン・キホーテと同じ無謀な試みではないか、と。
 しかし、すでに述べたように、ソ連の七〇年余の歴史は、ソ連労働者国家が、非常に制限された枠組み、いや最も不利な枠組みの中で、そして、非常に制限された権力主体、いやおそらく最悪の権力主体のもとで、未曽有の発展を実現したことを物語っている。これは計画経済なしには不可能であった。逆説的に聞こえるかもしれないが、これまでの計画経済の実験は、社会主義と計画経済の豊かな可能性を十二分に示したとさえ言える。もし、このような最も不利な条件がなく、よりまともな権力主体のもとで、社会主義と計画経済の実験が行なわれたとしたら、それがどれほどの成果をもたらすかは、どんなに想像力の乏しいものでも容易に推察できるであろう。
 だが、となおも懐疑論者は粘る。社会主義は労働者の自主管理を建前としているが、それは不可能であることが明らかとなったのではないか、ソ連でも労働者は権力をすぐに喪失したし、先進国でも、経済の複雑化と肥大化は、労働者による自主管理を不可能にしているのではないか、と。
 もちろん、マルクス主義的であれ何であれ、その名に値する社会主義者はすべて、労働者による政治・経済の自主管理が可能であるという確信に立脚している。マルクスは、それが可能であるだけでなく、必然的でもあることを『資本論』で証明しようとした。マルクスによれば、資本主義が発展するにつれて、労働者の管理能力が陶冶されるだけでなく、所有と経営の分離という不可逆的過程によって、生産過程から資本家が消え去り、資本主義の枠組みのなかで、労働者の管理が――ただし敵対的な形態で――行なわれるのである。
 社会主義革命は、生産手段を労働者の共同占有に移すことによって、資本主義のもとで実現されたこの労働者管理の敵対的形態を取り除き、社会全体を、共通の計画に基づいた諸協同組合の連合体に変える。以上の展望はまだ非常に抽象的であるが、現在確かに言えることは、資本主義のもとで、確実に敵対的な形態での労働者管理が進行しつつあることである。
 多くの企業で、経営陣は必ずしも資本の所有者、少なくともその大所有者ではない。彼らは雇われ社長であり、雇われ専務、雇われ常務である。すなわち、高度な管理労働者である。資本主義システムのもとにあるかぎり、彼らは資本の機能、すなわち一般労働者を搾取し、資本を増殖させるという機能を代行せざるをえない。したがって、彼らは一般労働者に対して極めて敵対的であり、支配的である。彼らが抜擢されたのは、その経営能力一般によってではなく、その資本主義的な経営能力によってである。しかし、いずれにせよ、資本主義は労働者の管理能力を陶冶している。それでもなお、労働者の自主管理が不可能であると言うためには、現実に完全に目を閉ざさなければならないだろう。
 もちろん、社会主義革命後であっても、労働者の自主管理がその完全な威力を発揮するためには、ここでも社会主義の世界的な実現が必要である(それが実現されない場合には、資本主義諸国との余儀なくされる競争のおかげで、労働者の自主管理は多かれ少なかれ敵対的な形態をとる。スターリン主義国家の経済は、一般労働者の後進性によって増幅された極めて敵対的な労働者管理であった。そこでは、官僚と呼ばれる敵対的で特権的な管理労働者が専制的生産支配と寄生的消費を行なっていた)。
 とはいえ、たとえ世界的な規模で実現されたとしても、社会主義は別に無矛盾の桃源郷を意味するものではけっしてない。少なくとも、マルクスはそうは言わなかった。彼はこう言ったのである。そこから「人類の本史が始まる」と。生産者が、別の特殊な集団や物や国家や神などの奴隷となるのではなく、およそ人類が疎遠な力や物質的欲望の奴隷となるのでもなく、人類がそれ自身の意志と責任において、試行錯誤しながら、自己実現という目的をもって生活し始めるということを、社会主義・共産主義は意味するにすぎない。
 そこでは、人類の前史とは違った矛盾や困難や失敗が山積みしているであろう。ちょうど、人間の大人が子供の頃とは違った矛盾や困難や失敗に直面するように。しかし、その失敗や困難は、子供の頃(人間の前史)のように他人の意志(親や教師)の支配下での失敗や困難と本質的に違うものである。それらの失敗の中にさえ、人間としての喜びがある。社会主義・共産主義において、人類ははじめて自分の足でしっかりと立ち、自分の意志に基づいて行動するのである。
 この人類の本史に到達するためには、人類はまだこれから国際革命という炎を通過しなければならない。社会主義は必然的であっても、絶対的必然性ではない。子供は大人に成長する必然性をもっているからといって、絶対に大人にまでなれるとは限らないのと同じである。大人になる以前に死ぬ子供はいくらでもいる。
 人類がその本史に達するまでに、未曽有の環境破壊や核戦争といった要因によって滅びる可能性は大いに存在する。ここでの鍵は人類という主体が握っている。自己を社会主義者と認識する者は、「社会主義」崩壊の教訓を徹底的に学び、自己の隊列の中の疲れた者を脇に押しやり、新しい世代を獲得し、こうして、人類史における最小限綱領たる社会主義の実現に向けて全力をつくすであろう。そして、トロツキストはその中で名誉ある地位を占めなければならない。(完)

現状分析 一九九三年の世界経済

「黄金の年」ではあらず

マキシム・デュラン


【一九九三年三月二十日、パリ】一年少し前にわれわれは「世界経済は劇的な破局に向かっているというよりも、世界規模での資本蓄積が次第に泥沼にはまりこみつつある」と分析したが、世界経済の現状は、この分析の正しさを証明している。以下の現状分析は、先進資本主義諸国を対象とし、旧ソ連圏や第三世界は対象としていない。

 一九九二年の世界経済

 一九九二年の世界経済の成長は弱く、一九九一年のそれとほとんど同じであった。しかし、すべての先進諸国が同時に景気後退を迎えたのではないという意味で、一九八〇―八二年の全般的なリセッションと同じではなかった。ネオリベラリズムの旗艦諸国は激しく落ち込み、イギリスやカナダで実行された政策の結果は、経済的には最悪であり、社会的には破局的であった。アメリカは一九九一年の後退から立ち直って安定し、フランスとイタリアはやや成長を実現したが、日本は急速に後退局面に入り、ドイツは落ち込んだ(表1を参照)。
 全般的な成長率の低下に伴って、失業がさらに増大した。OECD(経済協力開発機構)が明らかにした数字は、労働市場の悪化した姿の一部しか示していない。国ごとに違った様相を示している――短時間労働、臨時の職、不安定な職、下請け労働など。しかし基本傾向は明らかに失業者数の増大であり、ことにヨーロッパにそれは顕著である。OECD諸国の失業者は三千二百万人で、今年中には三千四百万人となるに違いない。
 このことは、より強硬な社会経済政策の強化への移行をもたらすだろう。ヨーロッパでの新しい特徴の一つは、失業の増大に抵抗し続け、学ぶべきモデル国とされていた諸国自体が今や失業の増加に見舞われているという事実である。特にスウェーデンがそうである。同国の失業率は、一九九〇年から一九九二年にかけて一・五%から五%に上昇した。この背景には、社会民主主義が政権を失い、「古典的な政策」に回帰したことがある。今年の失業率をOECDは六・五%と予測している。
 失業率が数年前まで〇・五%であったスイスでさえ、今年の失業率は三・八%と予測されている。三年たらずの間で三%の上昇である。
 失業増大の傾向が一番はっきり現れるのはドイツである。ドイツ工業の力と製品の質が同国の競争力を保証していたが、競争力を強化するために賃金や労働条件が脅かされるということは従来はなかった。ドイツの賃金は依然として高く、そしてドイツは失業増加傾向に最もうまく対応してきた国の一つであった。事実、労働組合は、労働時間の削減へ前進できた。しかし旧東ドイツとの統一によって、経済および財政上の衝撃波がときはなたれ、その影響は経営者の態度の変化に示されている。鉄鋼産業では大量のレイオフが発表され、自動車製造業でも同様である。労働時間の削減が逆行のうきめにあう可能性があり、旧東ドイツの失業はEC全体の賃金と雇用に圧力となるであろう。

八〇年代世界経済を
いかに説明するのか


 世界経済の現在の特徴を表2に示した。リベラル派の主導した一九八〇年代の最初の数年間は、利潤率が大きく上昇した。同様に成長率も一九八八―八九年の頂上に達する前に、利潤率ほどではないが上昇した。
 このためOECDは次のような自慢の声をあげた。これは引用に値する。
 OECDは一九八九年経済を次のように予測した。
 「OECD諸国の経済の現状は、一九八〇年代の当初よりも満足すべきという以上のものである。……加盟国の政府はこの数年間、この結果――一九八〇年代に遂行した政策の結果であり、また国際協調を強化した結果でもある――にもとづいて職を創出し、インフレを低い水準にとどめたままで成長を持続させるだろう」
 この自慢が明らかに幻想であることが判明するのに、十年も必要ではなかった。成長率は非常に低い水準に落ち込んだ。これは、まさに一九八〇年代の政策のまことの結果であった。この事実は完全に予測可能であった。その当時、われわれは次のようにはるかに正確に予測をした。
 「現在の景気回復の原動力は設備投資である。だが、これは持続しない。世界経済の成長のリズムはすぐにも、資本家ゲームの規則が許容する水準に落ち込むであろう」(筆者の分析)
 現在の景気後退の主要な原因は、賃金生活者の需要不足にある。これは、相対的に高い利潤率と不健康な需要とが結合したことをもともとの原因とする過剰生産の危機の復活を意味した。そうした結合による好況が長続きするはずがない。使われない生産能力の圧力が次第に利潤を押し下げる。

ヨーロッパ諸国の新たな矛盾

 ヨーロッパにとって一九九三年は、統一市場の幕開けとマーストリヒト条約の批准を伴って、黄金の年になると考えられていた。しかし実際の光景は全く違ったものとなっている。ヨーロッパは失業の泥沼にはまりこみ、統一への道が袋小路であることが明らかになった。ヨーロッパ通貨制度(EMS)は単に危機という以上の状況にあり、同制度は粉々になり、イギリスのポンド、イタリアのリラ、スペインのペセタ、ポルトガルのエスクードは同制度が規定する範囲を逸脱し、平価切り下げを行った。
 フランスとドイツ、そしてドイツ・マルク圏のベルギーとオランダだけが、通貨同盟への道を維持しているにすぎない。しかしフランスとドイツの間でさえ、経済状況に大きな違いがあり、フランス・フランとドイツ・マルクとの交換率は政治的な理由からでなく経済的な理由からして支持できないと誰もがみなしており、これがいつまでも維持されるとは考えられない。
 マーストリヒト条約は署名国が遵守すべき経済基準を定めている。どの国も一九九三年にこの目標を実現できない(ルクセンブルクは例外となろう)。フランスでさえ財政赤字がGDP(国内総生産)の三%以下という目標を明らかに超えそうである。他方、一連の諸国の平価切り下げは、統制できない連鎖反応的な貿易上の緊張をもたらしている。
 この数カ月間、GATT交渉の行き詰まり、クリントン新大統領の一方的な措置、最近のマスコミを賑わしている企業の再建計画や工場の移転など、保護主義の台頭を示すより明白な兆候が出現している。利子率に関する不協和音は、アメリカと日本の低下と他方でのドイツの高金利に引っ張られるヨーロッパ諸国の金利の高止まり傾向によってもたらされているが、これは最近の経済の混乱に新たな要因を付加している。
 各国の振る舞いがどうであれ、根本原因を見きわめなければならない。世界中の国が採用している、賃金を下げて他国により多くを売るようにするという通念の限界と矛盾が、ここに露呈している。こうした政策が個別の国にとっては合理的であるが、世界経済全体の成長を押し下げることを理解するのは、ノーベル賞受賞者でなくても十分可能である。

経済の国際化が意味するもの

 この矛盾は、国際化が非常に進行し、同時に国際化した経済を調整する機構が存在しない状況で出現した。経済の地球規模化(グローバリゼーション)について多くのことが語られているが、これは、地球上のいかなる地点との競争を逃れられる経済セクターはないし、また、技術上の進歩が経済活動にただちに影響することを意味している。
 もちろん、経済活動を旧ソ連圏や第三世界に移すことの潜在的な可能性を過大評価すべきではない。低賃金は確かに競争力強化の重要な要素の一つであるが、技術的に訓練された質の高い労働力もまた重要な要素である。その上、社会的な抵抗や近くに市場が必要などをはじめとする、産業の大規模な移転に対する障害が存在している。
 失業の増大はそれゆえ、低賃金諸国からの低賃金を武器にした競争に主たる原因があるのではない。原因は第一に、先進諸国が行ってきた賃金に関する緊縮政策にある。
 異なる賃金水準の経済地域は、完全に無政府的なやり方で相互に接触する。たとえ、賃金格差の圧力がそれほどではなくても、低価格商品との競争はその直接的な影響よりも広範な影響を与える。そして、だれもが敗北者であるような状況をつくり出す。先進諸国が第三世界の水準に賃金を押し下げようとするならば、それは、需要をさらに縮小することだけを意味し、その結果、第三世界全体も苦しむことになる。先進諸国の購買力が制限され、輸入が減少して発展途上国全体にとっての市場が縮小することになる。
 大きく違った生産性水準をもつそれぞれの経済地域間の関係は、市場という無政府的な力によってではなく、安定した適正な価格での計画的な商品交換を行い、管理可能な基盤の上に国際分業を組織すべきであると、考えられる。この考えの狙いには、「ソーシャルダンピング(低価格を武器にした輸出攻勢)」と最貧国に対する貿易障壁をなくすことが込められている。

世界経済の三極構造

 しかし資本主義に固有な競争という本質は、ソーシャルダンピングと保護主義が同時に存在していることを意味している。この矛盾は、世界経済の三極構造の形成を通じて自己解消しようとする傾向がある。そして、この世界経済の三極構造のそれぞれの中心(アメリカ、西ヨーロッパ、日本)は、一方でヒエラルキー的な生産構造を組織し、他方ではほかの極からの競争に対して保護を強めようとしてる。この典型的な例は東南アジアである。
 しかし、この新しい秩序はいまだ不完全であり、ヨーロッパにおいて一貫性がなく、基本的な矛盾を解消するに至っていない。たとえば、旧ソ連圏は、三極構造形成に関して、その位置からしてブラックホールとなっている。不安的な世界経済構造は、その内部の弱い部分で暴力的な地域的あるいは部門間の衝突を生み出している。階級闘争と帝国主義間戦争が国家の内的な消耗に由来する衝突に道を譲っている事実は、経済的な不均衡に対応している。これからの局面を支配するのは、分断に向かう傾向である。
 現在のリセッションの局面において、景気回復を促進する計画に実行に作用する理由を認識しなければならない。二つの大きな理由は、経済政策に関する協調の不在と公的債務の重圧である。十年間にわたる自由市場政策は、日本を例外として公的債務の削減に失敗し、したがって日本だけしか公的支出による経済刺激策をとれない。しかし財政赤字の増大は各国共通の現象となっている。この点で、リベラル派の方針は、その中心的な目標の一つで失敗したのである。
 その理由は国によって違う。ドイツでは、明らかに統一にかかわる費用が原因である。どの国でも多くの矛盾が作用しあっている。経済活動の不活発は、それが熟慮の結果かあるいはやむをえずのものであるにしても、税収の大幅な減少を意味する。国家の規模を小さくしようとする政策は論理的に、経済の停滞と税収の低下をもたらし、財政支出の出動による経済政策の実行を不可能にしていく。そこに、非常な高金利による重荷がことにヨーロッパにある。
 国家の財政赤字を埋めるために公的債務が増加し、利子支払費用がその結果、増大する。イタリアでは、この過程の累積的な結果として国家の破産というべき事態が生まれている。しかし、このことは、いくつかの積極的な効果をおよぼしている。たとえば、福祉国家路線のなす崩し的な廃止に対する社会的な抵抗闘争の登場がそれである。事実、ほぼすべての国家で財政収入に関する不平等が拡大している。特に外国資本の誘致をめぐる競争にその原因がある。だが、国家の規模はどこでも縮小していない。国家財政は今や、どのような景気回復策の採用にとっても主要な障害の一つになっている。

持続する低成長の時代

事態のこの側面は、現在の危機がはじまって以来の階級闘争の全体像を説明してくれる。リベラル派は、彼らの挑戦的な意図を明白にしたが、しかし、彼らは正面攻撃を仕掛けるのでなく、むしろ拡散的な小出しの攻撃を行い、そのため国家財政の赤字をなくすのに結びついていない。
反対に政治的な次元では、抵抗闘争の結果として、リベラル派がその政治的、思想的な計画の全体を通じて弱体化を図った公的介入の正統性をあらためて強めることになった。クリントノミクスとは、新しい事態の表現にほかならない。つまり、国家の介入が行き過ぎないようにする手段をもたないまま、それを強化することである。同じ理由によって、イギリス政府がふらつく経済を回復できない原因を説明できる。
短期間のうちに、全工業諸国で同時的な激しい新たな全般化したリセッションが起こるとは予測できない。アメリカ経済はこの数カ月間、回復の兆しを示しており、一九九三年の世界経済を支えることになろう。日本政府の景気回復策も効果を表すだろう。
しかし、これらの景気動向は、循環的なものであり、長きにわたる低成長時代の終わりを告げるものではない。同じ矛盾が作用し続け、失業の持続は階級闘争の強化を意味するだろう。だからこそ、現在の日常の変化を超えて、これからの一時期が、積極的な可能性をもつ社会運動の登場の展望にとって決定的なのである。新たな路線はきわめて明白である。失業を我慢し、民族主義者がほのめかしている地域的な解決という幻想に後退するのか、それとも労働者の勇気と連帯を鼓舞して労働時間の大幅な削減という中心的な要求を柱にして、経済をこれまでとは違ったやり方で運営するのか、の選択のうちにある。
(インターナショナル・ビューポイント誌244、四月号、中見出しは本紙)