1993年8月10日         労働者の力               第47号

国際主義労働者全国協議会
第五回総会コミュニケ


   (1)
 
 国際主義労働者全国協議会は八月、東京で第五回全国総会を開催した。総会は、@「スターリニズムの敗北と崩壊」A「いま社会主義の再生を考える」B「政治再編と任務」C「女性差別問題と日本支部」D財政Eその他――の各議題にそって行われた。議案構成は、@二〇世紀における「社会主義」=スターリニズムの敗北と崩壊を分析し、A新たな社会主義運動の再生のための方向・道筋を検討し、B流動する日本政治情勢における新たな社会主義運動の形成に向けての方向づけを行い、C解体した旧日本支部の再生の前提条件を検討する、という組み立てとして提出されたものである。
 
   (2)
 
 以上の各議案は全国協議会結成以来、一貫して討論、検討されてきたテーマである。一九六〇年代以降年々全面化するに至った「マルクス主義の危機」、ペレストロイカから東欧・ソ連邦解体へ至る事態、これらが相乗する「社会主義」の世界的な衰退、後退に対処する作業は、日本的のみならずインターナショナルそのものの直面する根本的問題群を提出してきた。
 第五回総会における報告と検討は、「体系的」な結論に至る中間的段階という領域を越えたものではない。しかし、インターナショナル自体が、第十二回大会の問題設定をさらに深めつつ新たに第十四回大会にむけて踏み出そうとする方向性との大枠的な一致は確認できるものであった。
 
   (3)
 
 総会は、二大政党制に収束する方向にある日本政治の再編について検討し、保守二党体制の動きに対する左派勢力の新たな独自的結集が必要であり、かつ緊急であると結論づけた。
 八党連立政権のもとに採用されるであろう「小選挙区比例代表並立制」は、独立的性格をもつ左派、護憲派あるいは市民派政治勢力を封圧する可能性を増大させる。
 保守二大政党制への集約に抗するためにこそ、憲法九条改悪阻止を掲げる新たな政治勢力を、左派、護憲派、市民派総体の広範な政治ブロックとして登場させるために行動を起こさなければならない。
 総会は、労働戦線における新政治勢力登場の基盤形成に努力する必要を確認し、同時に社会主義政治連合が積極的な役割を果たすべきことを確認した。
 
   (4)
 
 総会は、第四インターナショナル日本支部の再建にあたって、その前提である「男性側」組織の現状について検討し、以下の認識をもった。
 第十三回世界大会が設定した組織再建の枠組みに関して、事態は切開の方向には向いていない。世界大会が設定した出発点的な組織関係が固定化される傾向にある。
 総会は以上の認識にたって、事態克服のための男性側の協同作業を積極化する努力が以前にまして必要であり、開かれた討論を追求することを確認した。
 
   (5)

 一九九五年を節目とする日本政治の保守化の動向に対抗し、スターリニズムの崩壊がもたらしている「社会主義」の後退と衰退と闘う戦線の構築は時間との競争でもある。マルクス主義が直面してきた「危機」は、資本主義が突き進んでいるカオスと混迷の世界からの脱却の水路を明らかにすることによって克服することができる。
 今世紀の後半は、フェミニズム、エコロジーが突き出したマルクス主義の硬直化の実状が日々明らかになっていく時代でもあった。労働者階級の単一前衛政党の神話も崩れるべくして崩壊した。インターナショナルは「トロツキズムインターナショナル」からの転換と飛躍へと向かうであろう。
 過去の体系の崩壊は、新たなものの再生へと転じるべき契機である。
 左派運動の新たな前進をのためにともに闘おう。
 
    一九九三年八月

 国際主義労働者全国協議会第五回総会の議題から――政治再編と任務

保革連立政権を貫く「新国家主義」
左派、護憲派、市民派の政治ブロックの形成を


 自民党政権が終わった。自民と共産を除く全議会勢力が連立を組み、政治改革=選挙制度改革を旗印とする連立政権を誕生させた。いわゆる「五五年体制」の終焉は、政治的に行きづまり、長期政権の中で金権・利権腐敗の泥沼に陥った保守党政権内部の矛盾の爆発がもたらし、衰退する社会党の保守首班連立内閣参加によって補完、完成させられた。民衆は、一方では既成政党からの離反の意志を表明し、他方では低投票率という形で「新」的な動きへの疑念や不信をも表現した。
 連立政権の成立
 政略と大義名分の錯綜 

 総選挙は、自民分裂、宮沢内閣不信任案可決という劇的事態、およびそれに続く非自民連立政権構想という「華々しい」ファンファーレで始まった。羽田首班構想は社会党によって「率先」してに打ち上げられた。新生党、公明党のブロックに社民勢力が加わる布陣が成立したのである。
 選挙結果は、自民党が「後退しなかった」こと、予想通りの社会党の惨敗を特徴とし、社会党の大幅後退は保守新政党への流れとなった。
 この結果が自民党の「敗北」となるための鍵が日本新党・新党さきがけの二つの保守新党にゆだねられ、非自民政権のトップに細川が座ることへとつながった。
 非自民連立政権成立の過程は、各党が(自民党を含めて)キャスティングボードを握った二つの保守新党が提起した「小選挙区比例代表並立制」へなだれこむという政治駆け引き、党利党略が横行する過程であった。選挙制度をめぐる過去数年間の対立や論争はいっさいが水に流され、同時に政治スキャンダルの中心部に存在した小沢の問題も水に流された。
 新たに成立した細川首班内閣は「野合」である。このような連立政権が長期的に安定する、あるいは一つのまとまった政策体系をもっていると受けとめる人は皆無であり、政治再編は「第一幕」であるにすぎず、さらに流動が拡大する第二幕が待ち受けているとすべての人々が理解している。
 連立政権は、小沢にとってかつて描いた「竹下派二百人構想」からみれば、大幅に後退した戦列である。だが、連立政権の一方の柱である公明、民社、社会の横断ブロックは不安定ながらも、連合主流の小沢路線全面支持という「かすがい」で留められている。ただし、その「かすがい」は、「自民党政権打倒」の大義名分の効用が持続しうるだけの間でしか有効ではない。さらに日本新党、さきがけ集団は独自性、異質性を保持しようとする。
 新生+公明という中軸的ブロック以外はまさに不安定そのものである。小沢の命運は、連立政権の七党一会派を一つの統一選挙会派的なものへと高めていくことで自民党を選挙において粉砕しつくすことにかけられていく。
 
 小沢政治の軌跡
 自民党権力闘争から連立政権へ
 

 第一幕、第二幕もともに再編の政治的軸心は、新たな「国際化」への対応である。東西対立のもと「西側陣営」の中にありつつ、その狭間において「一国的枠組み」のもとに成立した五五年体制政治は、東西対立の終了、日本資本主義の「国際化」時代に対応した政治へと容赦なき転換を迫られるものとなった。その最大要因はもちろん年間一千億ドルを超えるに至った貿易黒字の存在である。この状況のもとでは、日本国家が東西対立の狭間で「ひっそり」と暮らしてきたことをそのまま延長することは不可能である。
 自民党政府体制の長年にわたった政策体系の根本が問われ、変化することを強制されてきた。政策の転換――それは自民党とその対となってきた社会党を串刺しした政策の転換にほかならない。
 小沢が表現する一方の体系は明白である。すでに八〇年代の早期からビッグビジネスとビッグユニオンの結合された勢力の強い主張が台頭していた。すなわち日本資本主義の強力な海外展開と「略奪的市場制覇」をさらに支え続ける政策体系への転換である。ここでは開放経済体制の全面化は、日本資本の海外市場制圧の代償として不可欠とされた。
 米に代表される農業保護、大店法が意味する中小零細商店の保護にはじまり、金融保護、産業保護等々の無数の保護行政が生産者保護の名でくくられ、消費者の立場への転換が語られるに至った。
 保護行政の撤廃は「監督官庁」の転換なくしてありえず、それに「寄生する」利権構造という政治構造の転換なしにもありえない。利権構造もまた新たに再編されなければならない。旧来の自民党が依拠してきた層そのものが政策転換の対象となり、したがって自民党そのものが転換しなければならないものとなった。
 転換が可能であるか否かは、自民党内部における権力抗争に勝利するか否かに集約された。政権党分裂の直接の契機がここに生まれた。
 他方、政治改革=小選挙区制度導入のそもそもの発想動機は、抵抗政党である社会党が土井時代にその「真価」を最大に発揮する可能性を見せたことにあった。参議院における与野党逆転、衆議院における社会党の躍進という土井社会党への支持の集中をいかに解体するか――ここから出発した小選挙区制導入を目的とする「政治改革論」は、自民党政府体制改革の前提条件として必然化された。
 小沢政治は、公明党との密着による社公民政治ブロックの解体にはじまり、社会党の「変革」を柱とする「健全野党」の育成を「政権交代可能な二大政党」論によって実現しようとし、それによって自民党「改革」の環境整備をすすめることをめざした。だが、現実に手にしたのは自民党からの離脱と野合としての連立政権である。他方、社公民の「野党」は、政権参加=権力構造への参入という小沢が提供した利点にとびついたのである。
 小沢や連合がいう「生産者の論理」に対立する「消費者の論理」は欺まんである。「生産者」の頂点に存する多国籍産業やビッグユニオンは聖域として除外されており、「政財官」の三角形は解体されるのではなく再編されるものとしてある。多国籍資本とそれと運命共同体の連合主流は、「国内産業の犠牲」の上に世界市場での活動を継続しようとするのである。
 小沢にあるのは強い権力による「国家改造」の論理である。そして軍事に力点をおいた「普通国家」の論理である。
 小沢は、その目的のために手段を選ばず闘うであろう。財界もまた輸出産業を軸としてこれを支えようとするであろう。企業連型組合も利害を共有している。
 
 新たな保守の無定型性?
 細川首班と新党・さきがけ
 

 日本新党、新党さきがけの共通項はなにか。
 竹下派支配が象徴し、小沢が体現してきた自民党権力構造への抵抗、反発を公言してきた。だが、消費者論理や分権論、護憲論的色彩をもった改憲論など、日本新党の論理はまさにファジーであり、あいまいである。小沢の論理と本質においてどこが違うのかと問われた場合、立ち往生は必至である。
 日本新党に投じられた票は、固定化し、腐朽化した自民党政治体制の改革への支持であって、けっして「国家の改造」推進のレベルではなかった。日本新党の側も、ソフトかつ都市型住民の「生活保守」に見合う対応を進めてきた。しかし表面のソフトさを通じて、「国際貢献」においても「農業自由化」においても日本資本が必要とする政策が明確に反映されている。また細川個人が「強い権力」論を持論にしていることも自ら明らかにしている。
 日本新党とさきがけのブロックの危うさは、連立政権参加にあたって彼らが「切り札」もしくは「口実」のために使用した論理が「選挙制度」であったことに典型的に示された。
 彼らの論理は、選挙制度改革論に含まれた、わずかな真理に依拠する以上ではなかった。わずかな真理とは、現行選挙制度のもとでは議員相互の競争が激化し、無限に「金がかかる」。小選挙区制度のもとでは議員個人は選挙区を占有、占拠し続ける余地が相対的に大きなものとなる。そうであれば「金」をかける必要性が低くなるというという三段論法である。同時に「私的な政党」が必要とする「金」は国家が「公的」負担するという身勝手そのものの論理である。
 「企業献金廃止」は「政党への公的補助金」と一体であり、憲法的にも民主主義政治的にも本質的な疑念をもたせる。衰退社会党が「喉から手が出るよう」に欲しがっていると伝えられるように、既成政党を支え、新たな新政党形成に幾重ものハードルを築くための「公的援助」にほかならない。
 選挙制度を変えることでもって政財官の三角形がなくなるわけではない。ただ、その政策的流れが変化するだけである。さらに、連立や保守二党論は、その三角形に「労」や「宗教」を加えることで成り立っている。この巨大なブロックが政治を独占すること――これが小選挙区制導入のもたらす直接的な結果である。
 この両党は一体化することを決定している。だが、その論理の「ファジー」は、強い政権論、軍事貢献論に傾斜するのか、それとも躍進の原動力となった都市型住民の生活保守感覚に寄りそうことに活路を見いだすのかを不断に問われるのである。
 
 自民党に再生はあるか
河野の理論的再武装の可能性?
 
 総裁が渡辺でなく河野であり、幹事長が三塚でなく森であるという自民党の選択は、この党が、小沢路線に対抗する論理を必要とし、政治改革論に対応する「構え」を必要としていることの現れである。自民党政府体制を打破する、という総体世論に風穴を開けるには、渡辺や三塚では不可能である。河野が総裁就任にあたって主張したのは「国家主義批判」であり、意識的な「護憲」のポーズであった。
 小沢(路線)との対決が自民党の当面の最重要課題である以上、自民党がその小沢と最も対極にある(ように見える)河野を看板に押し出したことの理屈は通る。
 自民党の大勢は利権構造の上に地位を築いてきた。
 そうした事情は、一方で政権を離れた自民党の「もろさ」を露呈させるし、他方で権力奪還にむけて結束するという力学を導く。自民党分裂が旧竹下派の分裂抗争および旧阿倍派の跡目をめぐった三塚と加藤の分裂抗争の延長の側面が濃厚であるがゆえに、政権・権力をめぐる抗争において、勢力分布の決着がつかない段階では、自民党は総体として「闘う」であろうし、かなりの「強さ」も発揮するであろう。
 だが、自民党に旧来のような政治的な統一的枠組みを保持しえる力があるであろうか。
 「保守本流」と経団連が一体となった自民党体制は、内部に右翼や暴力団の出先のような人物がいても、派閥が激烈に抗争しても、官僚機構を駆使しつつ総体としての結束を保ってきた。今、そうした状況は失われつつある。アメリカ民主党政権は、宮沢より「柔軟な」政権を期待し、経団連は「輸出至上主義」の体系の行き詰まりの中で政策の分裂に直面している。
 自民党が河野を看板とするにしても、当面の総体の路線が河野が主張するものとなるとはいえない。自民党の分裂が竹下派分裂に端を発する権力抗争の結果であり(底流には流れてはいても)、旧来の「保守本流路線」か否かの対立に集約されるようなものではなかった。
 河野が自民党にとって急場をしのぐための看板以上になることはないであろう。だが河野に政治的基盤が皆無だということも言い過ぎとなる。日本資本の活動のあり方、ひいては日本国家のあり方に関して、小沢的論理にのみ集約されているわけではない。「生活大国論」的発想が日本資本の現在的意識において明確に意識されていることも事実である。さらに軍事大国への道ではない展望が都市型、生活保守的層に受け入れられる可能性が少ないわけではない。
 不幸な処遇を受けている前川リポートや最近のソニー経営陣などに見るように、すでに日本資本主義のあり方についての再検討の必要性は少なくとも理論上は認識されている。宮沢の「生活大国」構想もまた、輸出型から内需拡大型への構造転換の必要性を認識していることの反映である。
 現在の自民党もまた、五五年体制の政治的再編の流動から独立して存在し続けることはできないのである。
 
 社民結集論を「越えた」社会党の転換
  五五年型社会党の「終わり」 
 
  
 日本国家の政治的気分は、ニュアンスや重心の差はあれ、普通の国家=「帝国主義」国家へ基軸を移しつつある。社会党の「現実路線化」は、まともにこのような政治の力学に飲み込まれることになった。「社民主義での結集」の論理は吹き飛んだ。五五年体制政治からの最大の変化は、日本社会党という世界的にも「希有」な存在であった独特の社会民主主義政党が突き進んでいる転換にあるともいえる。
 日本における政治状況が日本型であることをやめ、しかもヨーロッパ型ではなくアメリカ型の様相を示し始めたこともごく最近、それもこの一年の状況である。社民結集論が消えたのはいつのことか。最終的には昨年のPKO国会、参議院選挙を経過してのことだ。昨年秋の民間政治臨調の「保革連合」集会開催がアメリカ型への移行の公然たる旗揚げであった。
 江田を中心にかついだシリウス、政構研が策動した改革議員連盟など、すべてが保守新政党によって飛び越えられた。シリウス議員の「有名人」の大半は落選した。社民連は、菅の日本新党への「移籍」によって事実上の解体に瀕している。社会党は、まさに自らを削ぎ落として保革連立から保守二大政党体制の実現に「貢献」している。「現実路線」は社民主義を越えたブルジョア政党への合流に帰着した。もはや「93宣言」の段階ではなく、党名変更の問題でもない。「党の存続」が最大の問題となっている。
 皮肉なことだが事態を引き延ばす要素は連立政権の「不安定性」にある。社会党左派を「切れ」という主張は一挙に鳴りをひそめた。土井「議長」を必要とするこの連立政権は「憲法精神擁護」の文言をも受け入れた。自民党と社会党という五五年体制の主役はいまだ影を落としている。
 だが、流れは変化しない。五五年体制型社会党はいまや急速に、その最後の儀式への過程を歩んでいる。一千万票という固定的支持層が諸政党による草刈り場に転じつつある。土井「議長」が政治的な意味を持つとすれば、それは社会党の統一性維持の最後の手段であることだけである。その後にはなにもない。
 社会党分裂は、万人が避けられないと理解しているである。
 社会党転換の前提となってきた論議には、重大な認識が抜け落ちていた。すなわち新たな時代の性格はいまだ明確とはいえず、不透明性を拡大しているという事実の認識である。提示されている基本性格は、いまや「結束」が最優先課題ではなくなった帝国主義諸国が相互の利害対立の調整にさらに大きな困難を抱えはじめたことに象徴される。
 自由貿易体制という資本主義存続の基盤が揺らいでいる。
 一千億ドルを越える日本の貿易黒字はまさに世界経済にとって「調整」の対象である。日本の多国籍資本は本質的な答えをもっていない。設備投資による国際的・国内的競争力の保持が、最大の衝動としてあり続けている。巨大化した日本資本主義は、その巨大さの故に軌道修正しえないまま惰性、慣性によって直進している。
 各国経済はいまや相互に切断しえない緊密な分業関係によって結ばれており、市場論理においては日本資本を排除することはできない。従って「調整」は直接的に、日本資本活動の政治的抑制に帰着する。宮沢とクリントンの対立とは、日本資本の活動を日本国家が具体的数字として統御せよという要求をめぐる対立だった。これは日本資本の活動のあり方、社会構造のあり方が全面的に転換していくことを意識しない限り、問題そのものに接近することすら至難の技である。自民党政府は結局この問題を解決できなかった。
 そして小沢は日本社会の犠牲によってアメリカ国家の要求との共存を図るという方向を当面の急場切り抜けの方策として提出している。
 連立政権はこうしたの政策路線に耐えることが可能であろうか。「与党第一党」の社会党の問題が普段に焦点となり続けることになる。
 
 国際性に対応する
 左派論理の再構築
 
 
 世界的にも国内的にも、左翼、左派の再建は以上のような世界構造からの脱却の道筋を改めて明確にすることにある。
 緊張を高める国際関係のなかで、国際秩序維持にむけた国連、国際的な軍事化の趨勢は変わらない。それは旧時代の東西対立、社会主義勢力との抗争とは代わるポピュリズム的な諸政権、政治傾向の相互対立に向けられるが、それを通じて帝国主義間の緊張が増大していく。
 「自由主義陣営」の枠組みからの脱出、「陣営」それ自身に対するオルタナティブ勢力としての理論的再武装を通じる以外に存在価値を見いだせない。現在の資本主義諸政権が進める路線とは別個なもの、あるいは「反対勢力」が部分的に表現する価値体系が総合化されていく中において新たな社会的政策の体系、社会主義的体系が登場してくることになろう。
 環境問題、軍事問題、社会福祉問題――現在、これらが「解決される」展望はどこにもない。当然「人権問題」も揺らぐ。この一連を通じて工業、企業、資本の問題が浮上してくる。これが新たな社会主義のためのサイクルの端緒、契機である。
 日本政治が直面する二つの問題――軍事と米――。前者は武力衝突としての秩序維持論の問題であり、後者は環境および「米福祉社会」解体の問題である。
 貿易戦争激化は、それが社会的不均等の拡大、大衆収奪課税の強化を伴うがゆえに、企業と労働のあり方についての「方向転換」をも導く契機となる可能性を突き出すであろう。
 左派的政治体系は、国際性において資本主義および日本資本主義のありようへの対抗軸を打ち立てることなしには貫徹できない。想定される「ニューリベラル」的なものとの競争、競合が避けられないものだということも前提として、資本主義批判、日本資本主義批判を貫徹することである。
 武力による「平和維持」活動へのよりかかりへの批判をまさに国際政治の問題として展開し、国連中心主義を媒介とする改憲、なしくずし改憲の承認への抵抗線を築く。IMF、世界銀行による第三世界経済への搾取構造維持、その一翼たるODA批判、資源略奪浪費社会からの脱却、脱原発社会に集約される政策体系を必要とするでろう。
 新たな左派は、その当初においては「異議申し立て政党」の役割から始まるが、その過程は社会主義理念と運動の再建・再生であり、資本主義体制のきしみの増大を糧として成長するのである。
 
 制度が政党をつくる小選挙区並立制
 左派、護憲派、市民派の政治ブロックの形成を
 

 二大政治ブロックによる第二幕のはじまりである次の総選挙は、小選挙区比例代表制度のもとで闘われることになろう。
 連立政権が維持され、かつ自民党に劇的な変化がないとすれば(だから総選挙はそんな遠い将来ではないだろう)、連立政権サイドと自民党の正面からの激突になる。連立政権側は理論的には、全小選挙区での統一候補を選定し、正面から自民党を「粉砕する」作戦に出る可能性がある。そうはならないとしても、二五〇の小選挙区において連立政権側が無制限に複数競合することは自殺行為に等しく、なんらかの調整が図られるであろう。否応なしに統一会派、新政党化への拍車がかかる。
 選挙区選挙で落選しても比例区で一定程度救済される、というたてまえではあるが、今回の得票数と当選者の数字であてはめれば、社会党は単独で闘った場合、現議席をさらに大きく減少(半減近くか)させることになる。社会党が与党連立連合の統一選挙体制に組み込まれる可能性は限りなく大きい。
 小選挙区をめぐる調整は、現状の各政党の議席数に比例してなされるであろう。したがって第一に現職議員が優先され、第二に比例区分名簿登載順位での選別が、特に社会党においては大問題となる。多数党=連立政権サイドでは、落選前議員、新人候補が割り込む余地は少ない。「左派」、護憲派議員が落選議員はもちろん、選別の嵐がさらに強まる中で選挙区からの排除、比例名簿順位での冷遇など、実質的に排除されていく過程は強まろう。
 社会党とは別個に選挙体制を組むという決意なしに党内の左派、護憲派、市民派が独自の政治主張を表現することはほとんど不可能である。結論的に、左派、護憲派、市民派もまた、党外の運動と結合した独自の統一政治ブロック形成が迫られるのである。そうしないかぎり、政治的表現は不可能である。
 力をあわせて政治的「大連合」を作るべきだ。
 われわれもその一翼を担う決意である。
 (一九九三・八・一〇)
(本紙では第五回総会で議論された討論文書について、順次公開していく予定です)

全労協 第五回大会を開催
「護憲新党を目指す」の問題提起


 全労協第五回大会が水上で開催された。非自民・非共産の連立政府樹立が白日のもとになっている中で、全労協にとっても極めて重要な大会であった。山崎議長挨拶は次の点に要約される。
 九三権利春闘は全労協加盟単産の三倍(七四〇組合)の結集で闘われたが、大手との格差是正にはほど遠い妥結内容であった。労働者の権利宣言について議案を提起してきたが、特に外国労働者の権利問題が重要である。
 大会論議でも「外国人労働者が自らの団結を創り出すための労働組合の全国的取り組み」の重要性が提起され、大阪、東京での成果が報告された。
 注目すべきは政治動向に対する問題提起である。先の衆院選の結果として社会党の敗北と新保守主義の台頭の中での連立政権について、「社会党に明日はあるか」と提起しつつ、「社会党の分裂と護憲新党を目指さなければ」と訴えた。土井氏が議長を引き受けるか否かが焦点になっており、様々な憶測が会場周辺で飛び交う中で「護憲派の切り崩し、左派の切り崩し」の動きとして捉え、「護憲新党」をどう考えどう動いていくのかが全労協にとって論議の焦点にならなければならない。
 連合の選別支持の中で落選を余儀なくされた上田前議員は「申し訳ない」と謝罪しながら「社会党は甦るか」「時期を失いたくない」と並々ならぬ決意を表した。
 大会論議はこの問題についていくつかの傾向を示した。積極的に受けとめて行こうとする発言。全労協として共闘組織的に今後やっていけるのかどうかと新党問題等々について主張し、政党支持、特定候補の支持を新たな検討課題に加えようとする部分。宮里氏に代表される「労働組合は政治にあまり関わるべきでない」という傾向等々。
 論議は開始されたばかりである。春闘、合理化、国鉄闘争、年金、労基法改悪等々、労働者を取りまく問題は山積みされている。一〇〇万全労協の組織化と全労協運動は時代の要請に応え切るために、鋭い闘いを展開しなければとあらためて感じた第五回大会であった。 (宮城 高橋)

4・27叛軍兵士裁判
判決公判に結集を


九月六日十時 東京高裁825法廷

 4・27叛軍兵士裁判は、一九八九年九月二十七日の東京地裁判決に対し、叛軍兵士側(原告側)は十月にただちに控訴し、九〇年十月の第一回公判以来十一回の公判を経て第十二回公判で判決を迎えることになった。
 七月五日、第十一回公判が行われ、叛軍兵士(控訴人)側は準備書面(六)を提出して、処分の根拠である軍隊規律問題の判断を回避した形での一審判決は「自衛官と人権としての表現の自由が両立するはずがないという偏見的主観」によるものであり、二審では、この問題での審議を十分に行うべきことを重ねて強く要求した。
 これに対し自衛隊側代理人は、これまで通りなにも反論しないことを表明し、裁判所もこれ以上審議の必要はないとして審議を打ち切り、次回九月六日に判決を言い渡すとして閉廷した。
 この間の裁判を振り返ってみると、必ずしも万全とは言い難いが、準備書面を六回と求釈明書と承認申請書を各一回、そして山内敏弘教授の意見書を提出し、証拠として採用されている。
 裁判所の訴訟指揮の経過を見ると、予断を許さない状況がある。裁判所は、軍隊規律問題について国側が全く応えておらず、その結果、論議がかみ合っていないことを認めながら、そのことを含めて判決を出す、と述べている。どのような判決が出るとしても、最高裁に上告となり、争うことになるのは必然であり、今後ともこの裁判に対する注目と支援をお願いします。
(4・27叛軍兵士裁判ニュース50から作成)

ブラジル

労働党第八回全国大会を開催

五大会の路線を深める

ジョセ・コレア

 ブラジル労働党(PT)第八回全国大会が採択した基本路線「左翼の選択」は、第五回全国大会が決定し、一九八九年の大統領選挙でルラ候補がその選挙綱領で社会計画として展開した民主的でかつ人民のための戦略を深め、戦闘化するものである(一九九三年六月十八日、サンパウロ)。

「左翼の選択」の主張

 この文書、「左翼の選択」は次のようにいう。
 「ブラジル社会を根底から改革していくことは、支配グループの権力を打ち破る、あるいは大幅に制限することを意味している。これこそがブラジル社会を民主的に変革していく中心内容である。すなわち、現在の権力構造と決裂し、まったく異なった新しい社会をつくりあげていく道を切り開くのである」
 この文書は、PTが提唱する改革の反独占、反帝国主義、反大地主の性格を、そして民主的で人民のための綱領を基礎とする同盟形成の必要を強調している。文書の冒頭には、これまでの党の路線に関する自己批判と路線変更の訴え、指導部の更新の必要が展開されている。
 事前討論の段階では八つの政治文書が提出されていたが、大会では次の四つとなった。「ブラジルのための計画」潮流(注1)が支持する「ラジカルデモクラシー」、「アーティキュレーション―闘いの中での団結」潮流(注2)の文書、この潮流にはミナスジェライス州PT(注3)が提案した「新しいヘゲモニーのための方針」文書の署名者の大部分が含まれている。三番目は「闘うPT」潮流(注4)の文書、最後は四つの文書を統一した「左翼の選択」である。
 大会初日の十一日午後に同意された政治テーゼは、「闘いの中での団結」と「闘うPT」が提案した多数の修正案を取り入れたものである。修正案の中で注目すべきは次の諸点である。
 ●「闘いの中での団結」からの労働組合運動に関する修正案で、これはさらに「左翼の選択」の執筆者たちによって修正された。これは、統一労働者連合の危機の深まりをPTの労働組合方針を明らかに放棄しているためとして批判し、今年後半にPTの労働組合活動家全国会議の開催を提案している。
●「闘うPT」からの修正案は、議会で提出されている憲法改訂に反対する闘争に関するものである。
●「闘いの中での団結」からの修正案は、PTの国際方針を詳述するものである。
様々な潮流の代表が集まった政治決議起草委員会は、PTの経済方針提案に関する文書を一致して採択した。これは「闘いの中での団結」と「闘うPT」の二つの文書からつくられた。
この文書は、政治テーゼでみられた経済に関する国家の役割の誇張をうすめ、ブラジル経済の世界市場との結合に関する「闘いの中での団結」の間違った見解を訂正し、「世界経済へのブラジルの競争的な参加」の定式を採用した。「ラジカルデモクラシー」が提出した六つの修正案と「闘うPT」が提案した四つの修正案などは、政治テーゼに採用されなかった。

PTの同盟関係

報道陣はPTの同盟関係に注目した。しかし、この問題はフェルナンド・エンリケが大蔵大臣に就任した(注5)ために、PT党員にとってはあまり大きな問題ではなかったのである。この点について政治決議は次のように主張している。
「PTは、人民のための民主的な政権を望む勢力に対して、そうした政権構想実現のための同盟形成方針を提起し、エリート政治勢力のマルフ候補と第三の道の候補とに分裂することに反対する」
政治決議は、情勢を明らかにし、民主労働党(PDT)とブラジル社会民主党(PSDB)について詳細に検討している(注6)。後者に関して「人民のための民主的な勢力の一部ではないが、進歩的である」として、さらに次のように述べている。
「現在、第三の道を追求する勢力がPSDBを支配しているが、近い将来、彼らがわれわれに接近する可能性がある。このためPTは、その活動家とそれを支持する有権者との支持を、すでに彼らと指導権を共有している地域を手始めに獲得していく必要がある。そのために、PSDB内の人民のための民主的な政権に賛成する勢力とそれ以外の勢力との分極化を進めていく」
V・ペレイラによる提案が他の二つに対して勝利した。その一つはアウグスト・デ・フランコ修正案であり、PSDBに関する詳細な規定を避け、その代わりにブラジル共産党、ブラジル社会党、PDT、PSDB、社会人民党(PPS)、統一社会労働党(PSTU)、緑の党(PV)など(注7)に関するより一般的な規定を置くというものであった。
もう一つはR・コレイア提案であり、PSDB内に進歩的な勢力が存在する点を認めつつも、「現在、第三の道を追求する勢力がPSDBを支配している。PTは、その活動家とそれを支持する有権者との支持を、PSDB内の人民のための民主的な政権に賛成する勢力とそれ以外の勢力との分極化を進めていくことによって、獲得していく必要がある」という。
「ラジカルデモクラシー」の修正案は大部分が憲法問題と「統治能力」に関係していた。人民のための民主的な政府の下で構造改革を実現する社会闘争に中心的な位置を与えるという追加の修正案が採択された。これは「(社会闘争のための)動員は、広範な同盟の可能性をもたらし、政権獲得にとって不可欠な議会内多数派の拡大を通じて圧力を行使し、われわれの議会内活動を促進するだろう」と述べている。

現政権との関係

その他二つの修正案が否決された。一つは、同盟者候補の勢力を現在のイタマール・フランコ政府から辞任させるべきという政治テーゼ部分の削除を求めるもので、もう一つはPTの「統治能力」概念に関するものであった。
後者は原文を次の文書に変えるよう主張した。「人民のための民主的政権構想を実現していく速度は、社会的な力関係、ことに大衆動員と自主組織との水準によって決定される」。さらに「われわれは、同時にすべての敵と対決できないことに留意しつつ、選択的損失の方針を追求する」とも述べている。
「闘うPT」は、資本家、労働組合、政府の代表が構成する価格・コスト設定機関へのPTの関与を批判して政治テーゼへの修正案が出したが、否決された。これに関する記述は原文にはなかった。
PTが大統領選挙早期実現を要求する運動を積極的に展開すべきである、という修正案も否決された。地域的あるいは全国的な現在の同盟関係全体の変更を求める修正案や、社会民主主義とのPTの関係一切を非難する修正案も同様に否決された。
一般的に、大会に提出された政治文書の多くに均質性があったといえる。結局のところ、党路線の変更を求める圧力が、多くの州の会議で明白に表明されていたように、PT内部の勢力再編と最初に提案された文書の修正を通じてのみならず、多数の修正案を受け入れて採択された最終決議の政治定式に含まれる広範な可能性の存在をも通じて表現されたのである。
(注1)「ブラジルのための計画」潮流は、前はPT左派の一部であったが、その後、社民化し、現在では最も改良主義的である。
(注2)「アーティキュレーション」は、前のPT内多数派であり、第一回大会では四六%をを獲得した。その後継者の二つの潮流は、「闘いの中での団結」が二九・三%、「真実を明白に表現する時間」が一八%、合わせて四七%の代議員の票を獲得した。
(注3)ミナスジェライス州はブラジル南東部の大きな州である。この州のPTは、「闘いの中での団結」「社会主義民主主義」とPT内独立勢力が書いた政治文書、「新しいヘゲモニーのための方針」を提案した。
(注4)「闘うPT」は、いくつかの潮流の結集体であり、その主要なものは農民を基盤とする「アーティキュレーション」である。一九・一%を獲得した。「社会主義民主主義」は第四インターナショナルのメンバーが組織したPT内のテンデンシーである。
(注5)PT党員の前サンパウロ市長、ルイザ・エルンディナとPTに近いとみられていたエコノミスト、F・エンリケが入閣した。
(注6)PDTは、ブラジルの人民主義(ポピュリズム)の流れを継いでいるが、次第に社会民主主義的になっている。主要な地盤は南部であり、リオデジャネイロで選挙に強い。PSDBは、これまで人民の民主的な運動とは結びつきが少なかった党であり、現在は社会民主主義と伝統的なリベラリズムとの中間にある。
(注7)ブラジル共産党は前は親アルバニアのスターリニスト党であり、PSBは社会民主主義政党の一つとみられ、PPSはブラジル共産党(親モスクワ派で、最後は親ゴルバチョフであった)の多数派の新しい名称であり、PSTUは「社会主義集合」――PTから昨年分裂した、アルゼンチンのモレノ派と関係がある潮流――が形成した党である。PVは、小さな左翼エコロジスト組織である。
(インターナショナルビューポイント7月・247号)

解説

左翼への明白な転換


  アルフォンソ・モロ


 PT第八回全国大会は、六月十一―十三日に行われ、より左翼的な路線と党員の団結の強化という二つの重要な要因にみられたように党の立場がさらに強くなったことを示した。これは、国内外の報道の予測とはまったく違った結果である。
 大会は、階級闘争の立場に明白に立つ民主的、人民的な基本路線を承認し、反独占、反帝国主義、反大地主の闘いについて一致した。これは、一九八一年十二月の第一回大会以来、積み重ねてきた大衆的な経験の結果であり、一四年間にわたって蓄積されてきた――衝突や緊張がなかったのではないが――綱領という武器庫の成果でもある。
 ブラジルでは一九九一年の党大会以来、コロル前大統領の追放と一九九二年末の地方自治体選挙や総選挙、イタマール政権下の政治的、経済的危機の深化、あるいは前サンパウロ市長、ルイザ・エルンディナのような人物――党内の最も保守的な勢力が提唱した「中道左派」組織で指導的な役割を果たすという考えをもって新政権に参加することを決定した――のPTからの離脱など、様々な事件があった。
 こうした背景と一九九四年に選挙が予定されている中で、第八回党大会の目的は、事前討論で明らかにされていたように、党の方針を総括し、現指導部が陥っている困難を克服する道を見出し、PTに政権をもたらしうる戦略に向けて前進していくことであった。
 五百十八人の代議員の多数派が選んだ路線は、「左翼の選択」といわれ、四つの方針が融合してできたものである。その四つとは、「真実を明確に表現する時間」潮流、「社会主義民主主義」、国会議員団を中心にした潮流、「社会主義路線」潮流の方針である。党が社会的、政治的なヘゲモニーを獲得できる路線を確立したいという一般党員の熱い期待が、この融合の背景にあった。
 新しい路線は、今後の同盟関係、これから組織していく社会的動員の内容、党の役割、そしてPTがつくろうとする政権の性格に関する方針である。これらの問題に関してすでにPTの第一回党大会が左派の政治方針を採択していた事実が想起されるが、しかし当時は左派の方針のもとに結集する勢力は党の外部で、この方針が明白な結果をもたらしうるほどには強力ではなかった。
 現在、一年半の実践がこの方針の明白な力強さを証明したのみならず、党内の勢力間の実際の力関係を反映する全国指導部が形成されたことによってもまた、これまで存在してきた緊張や対立が解消される見通しとなった。
(インターナショナルビューポイント7月号)

解説 第一回ヨーロッパ左翼会議

立派な基礎を築く


 第一回ヨーロッパ左翼会議は、われわれの潮流を基礎にして行われたものとして、成功を収めたといえよう。
 われわれの歴史においてはじめて、その形成に関して中心的な役割を果たした綱領を軸にして、左翼社会民主主義の中でも最も重要な勢力(イギリス労働党のトニー・ベン)、共産党から登場した勢力の中で最も重要な部分、いくつかの進歩的なエコロジスト勢力を一堂に結集できたのである。実際に行われた集会と科学的な討論の場の戦闘的な基調は、出席したヨーロッパのそれぞれの潮流間の統一した運動力学の開始を勇気づけるものであった。
 集会の次の日、以下の潮流の代表による会議が行われた。旧東ドイツ共産党のPDS、スペインの統一左翼、第四インターナショナルベルギー支部の労働者社会主義党、オランダの赤と緑の連合、フランスからは、赤と緑のオルタナティブ、市民運動、オルタナティブ・社会主義・民主主義、共産党再建派、第四インターナショナルフランス支部のLCRである。ベルギー共産党、ポルトガルのマニフェストグループ、AKOA(明確に左翼転換した旧ギリシャ共産党)、ドイツのVSPはオブザーバーとして、この会議に参加した。
 労働党の左派は欠席したが、参加したトニー・ベンは、パリアピールのために具体的な行動をとると述べた。スペイン労働者委員会のマルセリーノ・カマチョも同じ趣旨のメッセージを送ってきた。
 会議は、他の政治潮流や労組潮流にパリアピールに署名するように要請すること、作業グループをつくって一九九四年秋にパリ以外のヨーロッパの首都で同様の会議と集会を組織することを決めた。
 会議での合意はいまだ非常に不十分なものである。共産党から登場した勢力が相当な比重を占めているために、エコロジストや社会民主主義の勢力を結集させていく点で難しさがあるかもしれない。参加したいくつかの党の間で重要な戦略をめぐる論争が行われている(たとえば、スペイン統一左翼内のある部分はPSOE政権と協定を結びたがっている)。さらに参加した組織のいくつかはより広範な協同を、ことにヨーロッパ議会選挙をめぐって望んでいるが、それ以外の組織(統一左翼やフランス共産党指導部と敵対関係に入るような行動を一切望まないフランス共産党再建派など)は議論を目的にした非公式の枠組み以上のものを望んでいないという事情がある。
 こうした状況の中で集会と会議を行ったことは、次の三点から政治的な勝利である。イニシアティブをとる能力、枠組みの形成、諸潮流間の結合の強化あるいは確立――の三点である。もちろん次のような問題も残されている。行動全体が真に友好的だったのではなかったこと、発言者たちはそれぞれ演説上手なのだがワークショップがまことに生産的だったとはいえないことなどである。これらは今後の課題である。
(インターナショナルビューポイント7月号)
ヨーロッパ

重要なイニシアティブ

  クロード・ガブリエル(一九九三年六月二十五日、パリにて)

既成左翼の危機の結果として

 六月十二日のパリ行動は成功を収め、意義ある議論と考察の場を形成した。ヨーロッパではここ数年、各国政府の政策の変化と資本の再編の結果として、ヨーロッパ全体規模での連帯が課題であり続けてきた。一九八六年の欧州単一議定書とマーストリヒト条約こそはほぼ三年間、こうした課題の中心問題であった。
 「マースリヒト」社会民主主義の左に位置する勢力を一堂に結集して議論を展開するという今回の試みは、むしろ遅すぎたというべきである。
 パリ行動参加者のリストをみれば、参加した大部分の組織や潮流がこれまでの改良主義政党の危機の産物であることがわかる――分裂したのか、あるいは反対派であるからだ。またパリ行動に参加したかアピールに署名したいくつかの共産党の存在は、労働者運動内のその他の勢力との行動における統一を追求できることを示している。
 労働者運動の危機、とりわけ社会民主主義とスターリニズムの危機の中でこそ、資本家とヨーロッパ各国政府の攻撃に直面する状況において、新しい方法で連帯と団結の課題に応えていくことができるのである。この課題への対応の遅れは、社会的な力関係および一般大衆に不利に作用し続けてきた。パリ行動はだから、実験の機会を制限する政治的、社会的な状況で行われたのである。
 そのため六月十二日の会議は、矛盾している事態を反映した。参加したすべての組織と潮流は、資本主義の危機による破滅的な事態や緊縮政策、ヨーロッパ統一計画に反対である。しかし、政治展望や闘争の方法、資本主義それ自身の考え方については大きな違いが存在した。一方には議論し行動することに強い意欲が示され、他方では非常に大きな政治的不均質が示されたのである。

新勢力結集の土台が

 大切なのは、こうした国際的かつ公然たる行動を、エコロジスト潮流や改良主義左翼、革命的マルクス主義が一緒になって実現したことである。これは、将来への重要な一歩であり、たとえば反人種差別運動あるいは労働組合運動といった様々な社会運動での具体的な行動ヘと結実していくであろう。
 純粋に「政治的」なやり方、つまり一九九四年六月のヨーロッパ議会選挙だけを意識した選挙中心のやり方では、今回のパリ行動と同様の成果を実現できなかっただろう。パリ行動で複数主義と統一の精神が支配的であった事実は、これからの社会的な闘争での真の道具がいかにあるべきかを示している。参加した潮流のいくつかは、当該の国において一定の位置を占め、社会運動再組織の点で役割を果たしている。
 実にこの点こそが、多くの活動家たちに行動を行うように創造的に働きかけ、ヨーロッパ全体の統一行動に有利な具体的な提案をするうえで、大切である。真に挑戦すべきは、パリ行動に結実した議論、活動家、複数主義の一セットを大衆運動への投資とすることである。

運動の統一を基礎に

 将来の進歩的なヨーロッパ像について前進がなされるのは、これらの二つのやり方をうまく結合することを通じてである。多くの運動がパリ行動において登場したり言及されたが、このことは将来に重要な結果をもたらすであろう。そうした運動としては、ヨーロッパ規模の反人種差別運動、失業反対の闘い、労働時間の短縮、フェミニスト運動(特に堕胎の権利の防衛)、反軍国主義と反帝国主義運動の構築などがある。
 パリ行動に参加した人々はこうした運動に投じうる真の勢力であり、イデオロギーと戦略をめぐる議論が十分に展開され、直接的な諸要求のための行動に統一して参加していく能力が決定的となる。パリ行動の関心と効用は、まさにこの点にある。
 ここにこそまた、第四インターナショナルとその支部が行動の原動力になった理由がある。最終的な判断をするためには、この最初のイニシアティブ以後の状況を見極める必要が確かにある。自らが社会主義と革命運動に忠実であると主張するわれわれ以外の組織がこのイニシアティブと無縁であることは間違いである。
 われわれは、夢見ているのでも、競い合いをしているのでもない。パリ行動は、現在必要にしてかつ可能なものがなにかを明確に示したのである。
(インターナショナルビューポイント7月・247号)