1993年9月10日         労働者の力             第48号

小沢路線主導の細川連立政権
 小選挙区制導入の超党派化に反対しよう

         川端 康夫

 細川連立政権が発足した。女性初である土井たか子衆院議長の誕生によって全面的に「補強」された細川政権は、七〇〜八〇%という類を見ない高い支持率を集め、自民党支配体制の金権腐敗への民衆の「飽き」を明らかにした。手垢に汚れた自民党政権ではない、「清新」なイメージの所産であろう。「寄り合い所帯」の弱点もまた見方を変えれば利点ともなる。連立政権を構成するそれぞれの党や会派の支持層は、政策的な不徹底性や内部的きしみを、「連立政権だから」という理由で「温かく」見守れるし、さらには政権内部でのそれぞれ自らの支持勢力の「突っ張り具合」を応援できる。武村と小沢のさや当て、対立が騒がれれば、それだけそれぞれの応援にも身が入るというものだ。政権の「アキレス腱」である社会党も、選挙制度で小沢の「先手をうち」、安保問題で上原康助(北海道・沖縄開発、国土庁長官)の発言が反響を呼ぶなど、支持者へのアピールを頑張り、「連立への埋没」という図式が正しくはないとのパフォーマンスに努め、まず「土俵に上がる」という最初の第一ラウンドの目標をなんとか切り抜けた。党内で懸念された「連立反対」の噴出、という最悪の事態は一応避けられた。これには土井議長誕生ということも大きな要素となった。社会党内部での批判派にとどまらず、連立参加に批判的な旧来の支持層の期待は土井元委員長に集中したからである。

細川政権の一カ月
「清新さ」を売り物にした新政権の誕生

 
 細川政権の一カ月はどうであったか。
 第二ラウンドはまず「戦争責任謝罪」問題に始まった。歴代自民党政権が正面から向き合うことを拒否してきた「戦争責任」を明確に認めることは、アジア民衆に対するあまりにも当然の責務である。
 とりわけかつて羽田新外務大臣や土井議長らが超党派的に実現に動いたこともあり、決議をつぶした自民党内部の力学との関連において、細川新内閣の特色を最大に打ち出すものであった。
 続いて「円相場の急上昇」と景気低迷の持続への対処が要求された。一ドル百円時代到来を思わせる急激な円相場上昇は新政権の不意をつき、その前途多難を思わせ、さらに円高による輸出企業の窮地、冷夏による消費低迷が拍車をかけた景気停滞の持続もまた新政権に水をかける要素になりかねない。だが、円急上昇は百円割れ寸前でG7の協調介入実現によりストップがかかり、新政権は、円高差益還元、各種規制緩和による消費者重視策によって内需喚起の呼び水にしようという対応を切り抜け策とした。
 第三は、政権の目玉である「政治改革」法案である。社会党とさきがけ(武村)の連合が新生・公明ブロックに先行して「小選挙区二五〇比例区二五〇、二票制」を打ち出し、小選挙区の比重を上げ、一票制を主張する新生・公明と対立した。前者のブロックには細川が乗り「穏健な多党制」願望を公然化し、後者のブロックを代表する小沢の「二大政党制」論との違いを明確にした。これもまた、新政権にとっては小沢流の強引な手法を警戒する民衆の気分に添うものといえる。
 だが、この一カ月間に現れた諸問題は、同時にこの政権の前途に暗雲を投げかけるものを内包していた。
 AWACS(空中警戒管制機)導入、プルトニウム政策の継続、靖国公式参拝、NPT(核不拡散条約)無期延長支持、長良川河口堰建設継続など、前政権をそのまま継続する諸政策の問題点は当然として、以上に述べた諸問題はその背後に、リップサービス的な政治的ポーズでは切り抜けられない政策実行の裏づけと貫徹が求められ、ここに立場・建て前と具体策とのかい離が顕在化する傾向を強く示したのである。
 「戦争責任」問題について新政権は、自民党政権がとってきた「戦争賠償は決着済み」との態度を受け継ぐ。景気浮揚に関する所得税減税について、赤字国債発行や消費税率アップの見解が強く、政治改革については政党への公的資金助成の「お手盛り」を連立与党として方針化した。PKO対応、国連常任理事国化実現方針もまた自民党政府の政策をそのままに継承し、自衛隊別組織案や国連改革論などは瞬時に影をひそめた。
 総体として新政権の政策体系の基軸は、選挙制度問題が象徴するように新生党・小沢路線との関係で形づくられている。
 特徴の第一は、新生党が政策転換を必要としない領域においては前政権の施策が基本的に継承され、第二は小沢路線との関係で政策の修正や変更がはじめて問題となることにある。
  
 
 保守二大政党論と穏健な多党制論
 小沢、細川の論理的欺瞞

 この政権の主たる役割である「政治改革」そのものにおいて、小沢・公明党とその他の政治的色彩の差が表面化している。
 小沢・公明党ブロックの主要な目標が政界再編であり、なかんずく自民党解体を意識したものである。彼の二大政党論は、実は小沢自身が政権党、保守党を掌握するということ以外の目標を持たない論理にほかならない。
 小沢は公明党と組んで、連立政権諸党派を横断した新政党結成を目標とする。その目標から逆落ちして選挙制度や公的資金助成の高額化という方針が出てきている。
 この限りにおいて路線は鮮明である。
 政治改革が問題ではなく政治権力獲得が問題の中心であるから、政治資金は多ければ多いほど望ましいし、かつ党中央(小沢)が一切を仕切ることが可能な制度であるべきである。政治家個人への献金を許しては、統制がきかない。個人への献金を禁止することが実現されれば、党への資金流入は企業献金であろうが個人献金であろうが、はたまた公的資金であろうがかまわない。
 小沢と公明党のブロックへの警戒が、細川の「穏健な多党制」論の背景にあるであろう。「さきがけ」が自民党勢力との提携の可能性を放棄しない理由も同様であろう。新選挙制度において、小選挙区部分の比重を上げないこと、二票制を採用することなど、社会党案に乗ることも同じ文脈からきている。だがすでに明らかなように、これらの動きはすべて「修正案」である。小沢路線に対する「対案」ではない。
 小選挙区制度反対、全面的な比例代表制度の導入――これが「穏健」かどうかは別にして、「多党制」のための前提であるはずである。細川も武村も「小選挙区比例代表並立制」に反対すべきなのである。だが細川、武村が並立制導入を連立成立の条件とした。口と実際は正反対である。
 他方、自民党も小沢と同じく「一党独裁」体制の継続を夢見ている。彼らが策定した選挙制度案は、限りない単純小選挙区制、候補者個人への投票が即政党への投票となる一票制の採用を特徴とする。この案は、すべてか無かという性質を持ち、裏目に出れば致命傷となる「危険性」がある案である。自民党が採用した方針は、「穏健な多党制」とは対極にある。新総裁河野がどう言おうと、現実に採用された自民党案は、自己の一党支配体制を復活させること以外のなにものも考慮してはいない、小沢と同じ土俵の論理にほかならない。
 政治改革=選挙制度をめぐる動きの中心は、公的資金による既成政党への資金保障とその使用の一元化、言い換えれば「中央集権制」の保障と、三%条項などの導入によりこれ以上の新たな勢力の参入に対して幾重にもハードルを築くことを骨格として動いている。そして資金援助を受ける側の政党の資金使用方法に対する監査がなされるわけではない。「私的存在」である政党が公的資金を私にし、その額を自らの裁量で決定するという、まさに「お手盛り」そのものの法案が、政治改革論の帰結になろうとしている。
 

 小沢路線への修正案か対案か
 許されない政権維持の自己目的化
 
   
 連立与党案であろうが自民党案であろうが、新選挙制度導入の論理は、結論的に強い政党、強い政府、強い権力を創出するという目的、方向をもって動いている。「穏健な多党制」や「新国家主義反対」などの論理は、現実には「いちじくの葉」でしかない。連立与党案と自民党案がつきあわされ、その間に妥協が進められるとすれば、なおさら限りない単純小選挙区制度への接近のメカニズムが働く。
 連立政権が多数の民衆に与えている現状打破に向かう「清新さ」というものが、「強い政府」「強い権力」の発射台になりつつある。連立政権を維持し、かつ小沢路線を清算するという「離れ業」は空想の中でしかありえないであろう。
 必要なことは、小沢路線への「修正案」によっては実現できない。対案を持ち、そのもとで行動することである。自民党に対して小沢を支持するという愚に陥ってはならない。
 「対案」は連立政府の解体に直結する性格を持つ。反自民という視点を重視すれば「対案」は提出できないことになる。
 支持率八〇%という連立政権の解体に直結しかねない方針を表明することは、政治的勇気と確信が必要であろう。にもかかわらず細川政権の一カ月において、小沢路線から自由になれないという本質が見えた現状で、反自民の論理にのみ固執し続けることも自己を偽ることである。
社会党の内的緊張は、究極的には連立政権離脱か否かに帰着する。新選挙制度や公的資金による政治資金援助などへの抵抗は、政治的ポーズでないとすれば、連立政権からの離脱をも決意してはじめて貫徹できる。
 河野、細川、武村など、保守陣営内部での権力争いではない、小沢路線への対案を掲げる明確な政治勢力、政党が必要である。連立政権の崩壊をも覚悟しない限り小沢路線の影響から離脱できないのであれば、それもまたやむをえないというのが論理の結論となるはずだ。
 民間政治臨調や産労懇などを通じ、政財官労、それに宗教とマスコミを加えた形で進められている政治の総保守化の画策に抗すること、政財官の癒着を真に断ち切る政治的ヘゲモニーを形成していくためにも、小沢主導の改革劇からの離脱と政治改革論議の「仕切り直し」に立ち向かうことが必要なのである。
 小選挙区比例代表並立制反対。公的資金による政治資金援助反対。一切の企業献金の即時廃止の実現を。

国際主義労働者全国協議会第六回総会の議題から

スターリニズムの敗北と崩壊

        織田 進


 東欧諸国家の共産党支配体制が打ち破られ、ソ連邦が単一の国家としては解体したことは、それらの諸国家の支配集団によって担われてきた「社会主義」が、その果実の苦さを味わい尽くした人民から、最後的に拒絶されたことを意味している。
 十九世紀半ば、マルクスとエンゲルスによって発せられた「共産党宣言」以来、プロレタリア社会主義の歴史的な運動は、部分的・一時的に困難を背負うことはあったが、ひとつの国際的な体制としての成長を持続していると、一般に信じられてきた。みずからを「社会主義」と規定する国家群が、長期間にわたって世界の政治的に規定する二大勢力の一方となり、対立する外的要因によってはとうてい滅ぼされえないと見える強固な結束を維持しつづけていたことは、この思想の「成功」を語る雄弁な証明であるとみなされた。
 だが、これらの国家の「社会主義」体制が突然に崩壊し、「社会主義の勝利」が虚構であったことを、当の支配集団の内部の人々をも含む「国民」たちが語りはじめた。この紛れもない事実は、歴史的な社会主義運動の前進という一つの疑うべからざる共同の信念、多くの人々の確固たる「大地」であったものを、瞬時にして水泡に帰したのである。
 われわれも、今日まで「社会主義」の一翼を担ってきた。われわれの生活は、社会主義の未来に向かって全世界の人民がともに結びつけられてきた長い苦闘の一部分であると自覚してきた。われわれが、六〇年安保闘争において日本共産党からたもとを分かち、ベトナム反戦闘争や三里塚闘争を通じて築こうとしてきた「左派」の運動は、この世界的な「社会主義」の勝利を資本主義国の先端において実現し、その改革と再生を経た発展をめざそうとするものであった。
 したがって、「社会主義の敗北」はわれわれにとっても敗北であり、その歴史的な現実を解明することなしにはわれわれの「敗北の総括」はなされえず、そしてわれわれ自身の「総括」なしには、再び「社会主義」をめざす運動の新しい出発点はわれわれに与えられないことも明らかである。

1.資本主義世界市場にたいする敗北としての「ソ連・東欧社会主義」の崩壊

 「ソ連・東欧社会主義」体制は、崩壊した。
 だが、いったい何が崩壊したのか。
 崩壊したものは、国有計画経済に基礎をおく共産党(スターリニスト党)一党支配の国家権力の体制である。
 (あらかじめ断っておくが、わたしがここでスターリニズムという用語を使用する際には、価値判断に類するものを含めようとしてはいない。あくまで、直接的な名辞としてこの用語を使用するつもりである。スターリニズムの歴史的な解明は、わたしにとっては今後の大きな課題の一つにとどまっているし、トロツキストたるわれわれのこれまでの運動が、いわゆるスターリニズムの誤謬からどれだけ自由であり得たのかという点においても、確信をもって語ることができるとも思えないからである)
 共産党一党支配の政治体制は解体され、ブルジョア民主主義議会制度に基礎をおく政府体制として再編成されつつある。
 国有計画経済は市場経済化への転換の過渡期にあるが、その転換は次のような性格のものとして進められている。
 第一に、全面的な資本主義的市場経済化を目指していること。
 第二に、前体制の経済がもたらした破産状態からの脱出と規定されていること。
 したがってこの市場経済化は、単に国有計画経済の行き詰まりを打開するための市場原理の部分的な導入(ゴルバチョフのペレストロイカが最初に意図し、現在の中国やベトナムで試みられていること)とは区別されなければならない。
 転換はそれぞれの国家によって異なってはいても、ほぼ共通して次のような局面を通過していっている。
 価格の自由化(ショック療法)→ハイパーインフレーション→統制の部分的復活による危機への対処
 ショック療法は、大多数の消費者にとっては市場に(購買できる)商品を呼び出すことにはつながらず、むしろ現国有計画経済の生産体制の分業の有機的な連鎖を寸断し、全般的な過小生産をもたらしたために物不足をいっそう深刻にした。
 ハイパーインフレは、投機的な利益をむさぼる腐敗したブルジョア層を富ませる一方で、大多数の勤労者と「弱者」を飢餓水準に落としこんだ。その結果、いわゆる「改革派」の危機が創り出された。
 改革派政府は先進資本主義諸国の援助にますます頼ろうとし、また、それら諸国の側もその必要を共通認識とはしたが、強力なインフレ対策の統制施策導入を条件とした。
 この統制施策は、賃金と投資・融資の抑制であり、通貨乱発の停止である。だがそれらは、いっそうの企業倒産・工場閉鎖と失業を生み出している。
 こうして、統制の復活が生産の縮小をまねくこととなり、さらに外国援助への傾斜を強めるという悪循環がもたらされている。

 前体制の経済が全面的な破産状態にあったということは正しくない。
 確かにそれは、根本的な限界に突き当たって長期的な停滞と下降を余儀なくされていた。だが、この経済は冷戦体制下で西側市場と分断されることによって、一定のバランスと秩序を保ち、国際的な分業と市場を成立させていた。
 経済が急速に、全面的に破産状態に突き進んでいったのは、二つの経済体制の分断が取り払われたためである。両体制の経済的実力、技術格差、商品として質のギャップが何らの調整も準備されることなしに一挙に市場でぶつかることとなったため、「破産」すなわち旧経済の崩壊が強制されたのである。
 言い換えれば、今日の経済危機は、急速な市場経済化によって国有計画経済が崩壊させられたことにある。それには、西側市場への編入の最初の一触で十分だったのである。
 「市場経済化」自身が危機を創り出しているのであるから、この転換の過程がいまだに「民営化」のプログラムに到達できないでいるのも当然である。
 当初、西側のもくろみでは援助と引き換えに旧体制の基盤であった国有部門・巨大企業体、とくに産軍複合体を解体し、私有に移すことを目指していた。だが、このような危機のなかで、私有化の基盤が下から形成される状況はきわめて遠い。民間に資本が形成されるどころか、民間はハイパーインフレで収奪される一方である。
 市場経済化の現在の危機は、「自由な民営化」のプログラムを実現する条件を奪っている。

 このように、全面的市場経済化をめざす「改革」の経済的現状は、危機に満ちている。 それでは、この危機は「改革」の挫折をもたらすのであろうか。
 いわゆる「保守派」の台頭は、ロシアのエリツィン大統領自身が西側諸国からいっそう大きな「援助」を引き出すために、半ば「脅迫」の口調で繰り返しているように、旧独裁体制の復活の予兆なのであろうか。
 事態はそのようには決してならないであろう。
 ロシアその他の諸国の国民が、再びスターリニズム的な何物かをうけいれることはありえない。
 資本主義化として実行されている「ソ連・東欧社会主義」の市場経済化は、逆戻りできない過程として進行していくだろうし、そのテンポも早まっていくだろう。
 だが、次のような変化が生じざるをえないだろう。
 この資本主義化は、旧体制の支配的な官僚的経済機構の上からの転換という性格が強くなっていくだろう。
 なぜなら、今日の危機を乗り越え、転換をなだらかな過程とするためには、統制的な性格をもった施策がいっそう必要となるであろうし、また、冷戦の復活にたいする危惧が、ほとんど根拠を失ったため、西側に対する旧体制支配層の脅威も薄められているからである。
 こうして事態は、トロツキーがかつて官僚自身の選択による資本主義的反革命と呼んだものに、ある意味で近づいてきている。そのことは、「国有計画経済」の市場経済化のなかから、民主化された新しい経済体制のモデルへの模索を行うという期待も、しばらくは遠ざけられるであろうことを意味してもいる。
 この歴史的事態は、「ソ連・東欧社会主義」すなわちスターリニズムの、資本主義世界市場にたいする経済的な敗北の結果としての全面的な崩壊として規定されるべきであろう。
 そこでわれわれは、この敗北がなぜ生じたのか、それは避けられない敗北であったのか、またそれは、「本来の」社会主義との関係においてどのようにとらえられるべきであるかという問題に直面するのである。

2.スターリニズムの崩壊と市場経済

 スターリニズムが、ブハーリンら右翼反対派から「分離」したのは、農民政策すなわち市場に対する政策をめぐってであった。
 ボリシェビキの経済政策には、戦時共産主義における反市場主義的ユートピアの伝統があり、市場の導入としてのネップはあくまで妥協としての時間稼ぎであるとの「革命的」観念は共通の信念であった。
 スターリニズムは、一九二〇年代後半の穀物危機の中からその政策的独自性を発展させた。それは農民にたいする農産物の政治的・軍事的強制による収奪を階級闘争として推進する反市場主義であった。
 スターリンは、反市場主義的農業政策を永続化させるために強制集団化を強行した。
 このような農業政策は、国家を極端な緊張のもとにおいた。それは、国家を長期的に内戦状態として固定した。この国内的な反市場主義と内戦状態は、国内経済を世界市場から分断し、長期にわたって孤立させる政策を継続する必要をもたらした。
 内戦的な緊張にたえ、資本主義的世界と対抗する政治的目的意識に全国民を結束させるという至上の課題を呈示することによって、スターリン個人崇拝を頂点に据えた共産党の一党支配の官僚専制国家が強固に構築された。
 したがって、経済政策としてのスターリニズムは、本質的に反市場主義であり、そのようなものとしての国有計画経済であったということができる。
 国有計画経済そのものが本質的に反市場主義であるとはいえない。だが、現実の「ソ連・東欧社会主義」としての国有計画経済は、本質的な反市場主義的経済体制として組織されたのである。

 このようなスターリニズム型の国有計画経済は、それにもかかわらず、第二次世界大戦に向かってソ連経済を再建し、重工業を根幹とする工業化された国民経済として発展させた。この歴史的事実が、スターリンの拙劣な指導にもかかわらず、むしろそれ故に際立った「計画経済の優位性」を示したものであると、われわれは主張してきた。
 はたしてこの主張は妥当であったといえるであろうか。
 大戦間期の資本主義は、市場の矛盾をめぐる闘争と模索の局面であった。
 循環的な恐慌と好況のはざまで、階級闘争は激化し、国家間の対立は戦争に向かって先鋭化した。市場は統御できない魔力を発揮して諸国経済の安定を呑み込んだ。「来るべき不可避的な恐慌・世界恐慌」こそ、革命党のみならず、反革命勢力をふくめたすべての政治党派の戦略の共通の第一テーゼであった。
 資本主義経済が市場の矛盾を統御・解決できないまま戦争に向かってなだれをうっていったこの時代は、同時に、その矛盾の解決をめざしてさまざまなアプローチが理論的・実践的に開始された時期でもあった。
 それらは、多かれ少なかれ計画経済的な手法を国家の政策として生産と市場に導入することであった。その典型的な例として、一方にはドイツ・ファシズムがあり、他方には反ファシズム諸国の戦時統制経済があった。
 いずれの国家も、高度に統制され、計画化された経済政策の導入なしには、戦争を闘うことができなかった。
 この期間においては、スターリンの国有計画経済は、最も高度に集中された統制と計画の経済として、市場的矛盾にたいする一つの解答たりえた。

 だが第二次世界大戦後の局面では、資本主義諸国の市場にたいする闘いは、別の道を通った。それは、いわば経済の民主化というべき方法、「大衆資本主義」の道であった。この「大衆資本主義」のシステムを解明した理論が、「レギュラシオン理論」である。
 その要点をごくおおざっぱに概括すれば、市場の矛盾を供給にたいする需要の過小としてとらえ、過小需要を克服する分配の調整を制度化することによって、供給と需要のバランス自体を拡大再生産していくものとして「フォーディズム」を規定する。この「フォーディズム」によってアメリカ経済の戦後の繁栄が組織され、そのシステムは資本主義世界経済全体に拡大していったのである。
 これにたいして、第二次世界大戦後のスターリニズムでは、大衆から苛酷な負担を取り除き平和と安定の果実を供給する譲歩の政策が、資本主義諸国におけるのとは異なる方向で、すなわち国家の全般的「保護主義化」としてなされた。このことは、内戦の常態化を原理としてきた国家において、発展の基本的な原動力が失われていくことを意味した。
 第二次世界大戦後の資本主義が、市場の矛盾をゆるやかなものとして手なづけることに成功したとき、その適度な市場的強制力は生産力の発展の原動力として働く競争原理として機能した。だが、市場の矛盾から解放されたはずのスターリニズム型国有計画経済は、市場にかわる競争原理を「内部」に育てることができなかった。もともと、この体制の生産力発展を強制してきた競争原理は、内外の敵にたいする闘争として、階級闘争原理として確立された。それゆえ、国際的階級闘争の虚構が次第にくずれ、その風化が進行する中で、内部に発展の原動力をもたないこの体制は、大衆資本主義化した資本主義諸国経済にたいして、生産力発展の重大な遅れをとることとなつた。
 格差が次第に拡大して、官僚専制の頂点から危機として自覚されるまでになったとき、その頂点が意図した改革は、市場原理を部分的に導入することによって、上から発展の原理を体制に定着させようとすることであった。だが、すでに保護主義的に固定した体制は、その改革をめぐって重大な利害の対立を権力の支配層内部で不可避とした。
 改革をめぐるいっそうの前進以外に道はないと確信する改革派指導部は、自分の論理にとらえられ、後戻りできない闘争の循環過程に突入していった。

 市場原理の部分的な導入は、実際にはすでに骨の髄まで官僚主義化したこの国有計画経済体制において、改革の機能を果たすことができなかった。改革派指導部には、みずからの体制と西側資本主義とのギャップにたいする格差の見積もりにおいて、重大な過小評価があった。この判断の誤りは、誕生いらい多分に軍事的に存在し続けてきた権力の性格が、必然的に招いたものであった。その過小評価のもとで、冷戦の壁をみずから開け放したこの体制は、準備の整わないまま西側資本主義の市場の強烈な圧力にさらされ、そして呑み込まれた。改革ではなく、解体が不可避となった。
 反市場主義を原理とするスターリニズム型国有計画経済は、市場の原理にたいして長く閉ざしてきた扉をみずから向こう見ずに開け放ったために、あっという間に粉砕された。二つの経済体制の歴史的発展のギャップは、一挙に決着をつけられた。この経済的決着は、そのまま政治的決着につながっていった。冷戦の終えんとは、スターリニズムの歴史的な敗北にほかならない。このような意味で、スターリニズムの敗北と解体は、きわめて国際的な過程であったといわなければならない。

3.スターリニズムの崩壊と民族問題

 「ソ連・東欧社会主義」体制は、階級闘争の政治体制として「民族主義」を否定した。もちろんこの否定は、クレムリンへの全東欧・国際社会主義陣営の無条件の服従と同じものであった。
 この立場は、革命の過程においては、「ブルジョア民族主義」を、被抑圧大衆が社会主義に到達する障害を取り除くための一段階として承認した。「社会主義」内部では、諸民族の融合、共栄が実現されているものと前提されたため、民族主義が生き延びる余地はなかった。スターリンによってなされた民族的な不平等政策は、この前提によってそもそも問題それ自身が存在しないものとみなされた。
 第二次世界大戦後は、植民地解放を闘う「民族独立闘争」は、反帝国主義の戦線として積極的に支持された。民族主義と社会主義とは、相互に扶助し合う盟友であるとする立場が公認のものとなった。だがそれでも、「社会主義」内部における民族主義の位置は、なにもかわらなかった。
 だが、現実の「ソ連・東欧社会主義」はきわめて苛酷な民族抑圧の体制であったことが、その崩壊とともに明らかにされた。いまや社会主義の解体は、諸民族の流血の抗争の過程そのものとしてと展開している。
 この事態の歴史的な根拠は、スターリニズムそのものにある。スターリニズムは、反市場主義であったのと同様に反民族主義であった。言い換えれば、スターリニズムの反民族主義の根拠は、「反農民・反市場」主義であった。
 スターリニズムは、その国有計画経済の前提として民族の経済的主権を否定した。
 第一に、すべての民族を中央集権の経済に依存させ、第二に、地方分散の農民経済を否定し、中央集権の工業経済に従属させる。このことなしには、スターリニズム型国有計画経済は存立できない。すなわち、反市場主義の経済としてのスターリニズムは、民族抑圧なしに成立しない。
 この、全面的に民族主義の抑圧のうえに成立したスターリニズムが崩壊したときに、最初に登場したものが民族主義であったことは、まさに本質的であった。
 民族の全面的復活は、民族の経済の復活であり、諸民族の国家のための闘争の激発である。この基本的な趨勢を変えることのできるものは、どこにもない。
 民族相互の対立と抗争をどのようにすれば終わらせることができるのであろうか。
 諸民族の権利を相互に尊重し、その独自の文化的・経済的繁栄を保証する世界的なシステムは、どのようにしてうまれるのか。
 これこそ、現在の世界において最も緊急な、最も困難な、そして最も重要な課題である。
 社会主義が再生するためには、この課題にこたえることが不可欠である。
 スターリニズムは、その解体をつうじてこの課題そのものを生み落とした。そしてさらにスターリニズムは、この課題の解決において、最も否定的な解答をも示した。それは、なにかより大きな「真理」をかかげて、そのもとへの諸矛盾の従属を強要することによって、いわば「止揚」の論理によって問題そのものを抹殺するという方法である。
 スターリニズムの失敗が、このような超越主義的イデオロギーの危険性をこのうえなく明確に示している。民族主義を見下す高次の「真理」としての社会主義は、あるいは他のいかなるイデオロギーも、結局民族主義の矛盾を「克服する」ことができず、やがて打倒される。
 だが、民族主義そのものに民族の対立と抗争を終わらせ、諸民族の共存と相互扶助の道を開く力があるわけでもない。民族主義と真に手を携えることができる社会主義を創り出すこと、それこそが問われている。

政治再編とわれわれの闘いについて

    宮城 加藤 滋


 五五年体制の崩壊は自民党の分裂、社会党の政治的解体を通じて、そして新保守主義の登場によって、新たな段階に入った。自民党長期政権による腐敗と堕落は、重大な政治不信を生み出し、これまでの構造、つまり五五年体制の終えんを鮮明に打ち出した政治再編を必然化した。
 今回の政治再編の特徴は、これまでの資本主義体制、自由主義体制の維持を基本とし、さらに、そのイニシアチブは改憲勢力であることにある。したがって権力にとって、今回の政権交代は根本的に何も問題はないのである。しかも政治改革の基本方向は、小選挙区制の導入によって、二大保守政党に向けたものである。小選挙区比例並立制が、比例の割合を多少動かしても、基本が小選挙区であるかぎり二大政党体制になることは必然的であろう。ここに総保守化や新保守の登場という現象の意味がある。しかも、これまでの自民党中枢の新生党がイニシアチブをとり、新たな政党再編が始まりつつある。

■政治再編と社会党の問題□

 非自民連立政権に参加した社会党は、細川政権の中で全面屈服した。安保、自衛隊、原発を容認し、PKO、自衛隊の海外派兵さえ、これまでの政府(自民党)路線の継承ということで承認している。つまり進行している政治再編は、社会党の解体、言い換えれば五五年体制の革新政党の解体を鮮明にしている。東欧・ソ連の崩壊、東西冷戦の崩壊という情勢での新しい局面は、階級矛盾、対立を覆い隠し、労働者階級とブルジョアジーとの和解、協調の構造を創りだそうとしている。
 戦後労働者階級に支持され革新の位置にいた社会党は、細川連立政権の誕生の中で、自ら戦後革新の存在を解体し、新保守の中に埋没しようとしている。総評の解体、連合の形成の段階から、右翼労戦統一が政治再編、政党再編に進むことはいわれていたが、連合の成立以後、民間政治臨調を主導力とする今日の政治再編は、自民党の分裂、社会党の解体として見事に進められつつある。
 今回の総選挙での護憲派議員つぶし、土井たか子の衆議院議長就任と、社会党の分裂の芽を摘んで、丸ごと解体、崩壊させようとする攻撃は、労働者階級の意識を政治的に解体しようとすることでもある。

■われわれはいかに闘うか□

 細川政権の支持率は八〇%を越えようとしている。政権交代、政治再編の基軸が、対立から和解へ、そして総保守化の流れが、危険な構造を創りだそうとしている。社会党の解体、消滅のみならず、大衆の意識をも解体されようとしている。この政治再編の情勢に大きく立ち遅れてしまった要因は、社会党分裂のための闘いに関して、待機主義をとったか、あるいは社会党に対する絶望からこの重大な情勢を無視をしたかの、どちらかである。
 今日の情勢において最も重要なことは、大衆の政治的組織化である。始まっている事態は新保守主義による新たな政治的組織化による改憲であり、対立から和解への構造は国民統合への動きである。連合も社会党解体も、結局は大衆闘争の解体をめざすものである。大きく立ち遅れてしまったが、今われわれの闘いの中心は社会党の分裂をいかに闘うかである。新護憲の三千語運動、改憲阻止を結集軸にする新しい政治勢力の形成は、社会党の分裂を前提に始めるべきである。
 つまりわれわれの前提は、国会議員が何人分裂するか、あるいは土井たか子はどうか、などという情勢の変化を受動的に期待することではない。社会党分裂問題は、労働運動はもちろん反戦平和の闘いなどさまざまな運動の問題である。社会党の護憲派が分裂したからといって、すべて解決するわけではない。問題は今後の政治情勢の中で、大きな手掛かりができるということである。
 今、労研センター、全労協が、社会党分裂、新党結成を打ち出している。このことに踏み切るには、社会党左派、労組はかなり厳しい状況である。十月に結成を予定している平和運動と地域運動の全国連絡会において具体的に方針を確立できるかどうか、ここに向けて全力で闘い抜かねばならない。

アメリカ

ロサンゼルス:あれから一年

  イヴリン・セル

 ロサンゼルスは、将来のアメリカの積極的な側面を示す都市とみなされてきた。同市は、外国からの移民者を迎えるニューヨークのエリス島に代わって、国内で最も多様な民族分布をもつに至っている。しかし、一九九二年の「暴動」事件は、都会生活の基盤が衰弱していることを劇的に示したのであった。(ロサンゼルス発、一九九三年六月 筆者は革命的社会主義組織ソリダリティの一員で、第四インターナショナル支持者)

どんな都市か

 ロサンゼルスの民族分布は一九九〇年の調査によると、ラテンアメリカ系四〇%、アングロ系三七%、アフリカ系アメリカ人一三%、アジア系一〇%となっている。メキシコ国内以外で最大のメキシコ人居住地であり、エルサドバルの首都サンサルバドルを別にして最多数のサルバドル人が居住する都市であり、アメリカ内で最も多くの中国人、韓国人、フィリピン人、台湾出身者が居住する都市である。同市の学校ではほぼ百の言語が話されている。一九八〇年代に新たな資本と人々が流入したために、ロサンゼルスは「環太平洋の首都」を自称するに至った。
 ロサンゼルスタイムズ紙はかつて「グローバル化するロサンゼルス」を賞賛したが、ロドニー・キングさん暴行で起訴された警察官らが一九九二年四月二十九日に無罪判決を受けたのをきっかけに発生した「暴動」事件をアメリカ史上「最初の多民族暴動」として不幸にも報道する事態に陥った。アフリカ系アメリカ人に対する警官の同様な暴行事件と、この事件が唯一違っていた点は、事件がビデオテープにとられ、それが全世界に報道されたことであった。
 ロサンゼルスの事態の展開がアメリカの明日の姿を示すのであるなら、この一年間の事態はまさに、寒々とした将来像を示したというべきである。昨年の事件を引き起こすに至った原因の解消に関して、なんら本質的な改善はなされなかった。
 ◆アフリカ系アメリカ人、ラテン系、アジア系、その他非白人地域住民に対する警官による暴行は毎日のように発生している。最も多数の被害を受けているのは、ラテン系住民である。警察の側は、強い威力の誇示に務め、強力な公開暴動鎮圧訓練を実施し、催涙弾をはじめとする百万ドル相当の鎮圧機器を購入した。新たに購入されたものとして例えば、一九九二年十二月十四日にサウスセントラル・ロサンゼルスでアフリカ系アメリカ人に対して使用されたゴム弾がある。この事件に関して警察は暴れている群衆を解散させたと発表したが、実際は自衛委員会についてのリーフレットを配布していた黒人、商店主、自宅の前にたたずんでいた住民を襲撃したのであった。
 一九九二年六月にスト中のプレハブ建設労働者を警察が攻撃したが、その事件の後、カリフォルニア移民労働者協会の幹部は、「ラテン系労働者が労働組合を組織する度に、ラテン系学生がデモをする度に、事あるごとに、われわれラテン系は差別され暴行され、過剰な逮捕をされている」と述べた。今年五月十一日、警察は、カリフォルニア大学ロサンゼルス分校(UCLA)にチカーノ(メキシコ系アメリカ人)学科の設置を要求する学生のデモを攻撃し逮捕した。
 ◆貧困率と失業者数は、ほかのいかなる州よりも高いままである。アメリカ人の十人に一人がこの州に居住し、この州がGNP(国民総生産)の一四%を占めているのだから、これは極めて重大な事実である。最新の報告では、一九九三年五月時点でカリフォルニア州の失業率は八・七%で、全国平均の六・九%よりもかなり高く、政府報告で注目されている十一の巨大州で最高である。ロサンゼルス郡の失業率九・一%という数字は、州内で最悪である。
 
あつれき

 求人数の少なさが民族間の緊張増大の一因になっている。あつれきの一例をあげると、昨年の「暴動」の際の火災で被害を受けた建物の解体工事を、どの企業が、どの労働者が受注契約を結ぶかということがある。アフリカ系アメリカ人が工事予定現場でデモを行い、黒人所有の企業とアフリカ系アメリカ人労働者がより多くの仕事を受注した。しかし新聞やテレビは、ラテン系や韓国系アメリカ人労働者のコメントを伝えた。彼らもまた、インナーシティの貧しい住民で仕事に困っているのに、その職を得られなかったと不満を表した。
 ◆カリフォルニア州は一九三〇年代大恐慌以来、最大の財政危機に陥っており、医療費や福祉事業、教育関係、精神衛生診療所費用、公的なレクリエーション施設、老人や障害者などの社会的な弱者のための支出をはじめとする大幅な支出削減を実施している。最貧住民のための医療提供を目的としているイースト・ロサンゼルス診療所は、州政府が移民者用保健費用を一千万ドル削減したために、開業時間の短縮を余儀なくされた。一九六五年のワッツ反乱の後、黒人にとって唯一の肯定的なその遺産ともいうべきマーチン・ルーサー・キング・ジュニア―ドルー・メディカルセンターもまた、支出削減の影響を受け、近く完全閉鎖されそうである。
 ◆最高の貧困率、非白人非アングロ人が最大の密度の地域はまた、住宅状況が最悪で学校には生徒があふれているし、公的な各種の施設も最も老朽化している。当然、環境面でも危険が多い。そして、この地域では様々な差別待遇のために、車の所有や商店の所有に対する保険掛金は高額である。
 UCLAが実施し、一九九三年六月十一日のロサンゼルスタイムズ紙に掲載されたインナーシティでの飢えに関する研究は、サウスセントラル・ロサンゼルスの二平方マイルの一地域での食品の高さとマーケットの不便さを強調した。このラテン系住民が多数を占める地域に関して明らかになったことの一つは、世帯所得が全国平均の半分であり、連邦政府が勧告する必要最低基本食品の購入に郊外の世帯よりも一年で三百ドルも多く支出しており、三分の一世帯が車をもたず、多くの住民がマーケットにいくためにバスを乗り継ぎしなければならないことだった。この結果、住民は商品の品質が悪い小商店への依存を強め、栄養面から病気になる比率が高くなっている。一年間におよぶ研究は、二七%の住民が必要な食費をまかなうにたる収入がないこと、平均して月に五日は飢えていることを明らかにした。
 こうした様々な要因は、法的なシステムや労働現場、日常生活のあらゆる側面でのぞっとする不公平とともに、抗議と不満の爆発である昨年の「暴動」のずっと前から広く知られていたのである。ニューズウイークは昨年五月十一日、「長年にわたってインナーシティに閉じこめられていた悲惨さを放置してきたため、わが国は血による目覚めよとの呼び声に恐れおののいた。……民族と階級の二つの要因が混ざり合い、膨大な熱でもって可燃性となった」と述べている。政治家たちはただちに援助を約束したが、実際にはほとんど何もなされなかった。

非常事態令

 選挙運動中だったブッシュ大統領は、「暴動」による火災が消えた一週間後にロサンゼルスを訪れ、災害地域に指定し、非常事態令(一種の戒厳令)の終結を宣言した。これは、洪水やハリケーン、地震などの自然災害に適用される指定が社会現象に最初に適用された第一号である。ロサンゼルス市は表向きは、連邦非常事態対策機関(FEMA)による援助の対象となっていると考えているが、市民や市の職員らは、FEMAの行動はその援助よりも再建を妨げた側面のほうが強いとみている。例えば、連邦政府の関係者は「暴動」直後に、支援は火災による損害に限定する旨を強調した。彼らは、十個所の災害救済センターへのスタッフ派遣と破壊された地域に囲いを張る費用として百万ドル以上の支出をためらった。また、そのスタッフには、バイリンガルがおらず、地域の協力を得られなかった。
 そして連邦政府の諸規制は、現地で実際に必要となっていた救援計画の実行を妨げた。例えば、政府発行の食料割引券に関する規則は、多数の老人や障害者を対象から除外している。救援活動を行った地域の人たちは、多数の労働者や貧しい人々が援助を受けられなかったが、その理由は初期の救援情報が事業家に向けられていたことにあると述べている。救援にあたった労働者は、多くの人々が支援を求めなかったのは移民管理当局に通報されるのを恐れたからだと説明している。この点は現実的な問題である。四月二十九日から五月二日までの間で、ロサンゼルス警察と移民・帰化当局が共同して中米住民が多い地区の住宅に踏み込み、警察署に拘留した。一九九二年十一月までに一千百人が追放されている。
 連邦政府の住宅都市開発長官が一九九二年六月にロサンゼルスを訪れ、一億三千七百万ドルの連邦資金を提供すると発表した。市の役人がこの数字を子細に検討したところ、この資金がすでに住宅計画に配分ずみであり、新たに、あるいは追加の資金が提供されるのではないことが明らかになった。こうした類の詐欺まがいの手段がこれまで何度も繰り返されてきた。連邦政府の一億九千五百二十万ドルの援助金や融資がずっと前に約束されたものか、緊急の用途に制限されていることなどが明らかになった。これらの資金のすべてが、雇用の創出のために不可欠な経済の再活性化、住宅や教育施設の改善、公的輸送施設の提供、児童福祉、地域の生産基盤の改善に向けられたものではなかった。
 市や州、郡政府の諸機関もまた、適切な支援を実行できなかった。一九九二年五月二日、ロサンゼルス再建(RLA)という市の再建に関する広範な権限をもつ非営利団体がつくられた。この大がかりな活動の責任者に、市長は自分と関係の深い企業家、ピーター・ユベロスを選んだ。この組織の理事会は、ほかの機関と同様に複雑で多様な民族関係を反映したものとなると考えられたが、実際のメンバーは州や地方自治体の役人と財界人にかたよった。何人かのアフリカ系アメリカ人、ラテン系、アジア系の人物はいたが、労働側からはほぼ零であった。
 RLAの役割は「地域、自治体、民間の力と資源を結集し、長きにわたって無視されてきた大ロサンゼルスの地域における雇用や経済機会の創出を実現し、自信を回復することによって変化をもたらすことにある」とされている。

大きな合計金額

 最初の活動資金を提供したのは、大企業と銀行であった。IBMはコンピュータや事務機器を寄付した。商務省は立ち上げ資金として百万ドルを出した。RLAの存続を五年間保証する資金はあるが、しかし再建活動に資金が十分というのではなかった。大きな合計金額が発表されたが、しかし具体的な支援計画に移されるような明確な約束はなかった。第一次の資金提供は外国企業からの四十万ドルであったが、一九九二年十月、ユベロスは五百以上のアメリカ、ヨーロッパ、日本の企業から十億ドルの資金提供の約束があると発表した。これらの企業には、アメリカホンダ、フォードモーター、ダウケミカル、コカコーラ、ブリティッシュエアウエイなどがある。だがロサンゼルスタイムズ紙が行った調査によると、RLAが資金提供をすると発表したこれらの企業には、そうした計画が存在しなかったのである。資金提供の約束が実現されたとしても、金額は十分なものではない。七月のRLAの会議で示された評価によると、長期にわたって放置され、その上災害を受けた地域の経済を活性化するには、六十億ドルの投資と七万五千から九万四千人分の雇用創出が必要だと判明した。
 一九九三年四月にRLA理事会に提出されたRLAに関する内部報告文書は、同機関の再建において果たしている役割は混乱し非能率的であり、市の幹部がRLAを「自らの無為」を「RLAがやっている」といって「合理化する都合のいい手段」にしていると結論した。
 五月十一日の市議会は、非難、反非難の応酬となった。選挙で選出された幹部は、RLAがインナーシティに企業を誘致すべく現地の政治家たちと協力していないし、再建と活性化のための市の特別委員会を無視して、無担保のクレジットを開業資金として出していると、批判した。RLAの理事会は、五億ドルをインナーシティへの投資として確保していると反論した。この主張は、その詳細が決して明確にされることはなく、具体化されることもなかった。一週間後、ユベロスが理事長を辞任した(理事会にはとどまった)。彼は五月二十一日の記者会見で、自分はRLAとその活動から関心をそらすための捨石になったのだと説明した。

小さな事業

 RLAは実際に何をなしとげたのか。同機関は四月、二つの計画を発表した。一つは昨年の事件で被害を受けた地域で小さな事業を開始する人々に融資をする独立機関の設置であり、もう一つは地域の自発的な活動家たちを地域の奉仕グループに結びつける電話ホットラインの開始である。またRLAは、十四の労働者訓練計画を始動させ、大スーパーマーケットチェインがロサンゼルスの貧困地域とその周辺地域に新しく四店舗を設置し五百人を新たに雇用すると発表したのを受けて、融資を獲得した。
 救援食料の集荷や配分といった緊急支援活動を行ったのは、地域グループや慈善グループ、学生、教会などであった。これらの団体の活動を調整する組織がなかったため、全体の行動は限定されたものとなったが、しかし、緊急課題に対する健全な市民の反応と多民族間の草の根グループ関係が形成されている事実を示したのであった。やや長期的な救援活動を開始したのは、個人や新しく組織された団体であった。サウスロサンゼルスのアフリカ系アメリカ人のカップルは、青年の就職を支援する行動を開始し、五百人以上に対して雇用を確保した。統一メソジスト派教会の韓国人牧師は、食品と緊急居住地を民族や国籍にかかわらず提供する活動を行った。ワッツのいくつかのグループによる連合は、青年のためにレクリエーション活動を展開した。そのほかにも様々な支援計画が実行された。 様々な宗教団体はこの一年間、合計二千六百万ドルの資金提供を約束したか実行した。今年六月九日のロサンゼルスタイムズ紙は、「低所得者と青年のための住宅事業が開始された。教会がクレジット・ユニオンを後援しており、企業家支援計画が実行に移され、消費者クレジットや事業に関する専門知識がインナーシティの住民にとってより容易に利用できるようになった。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の間で協力は前代未聞のものとなった、とある聖職者はいっている」と伝えた。
 宗教界の指導者の一人は、昨年の反乱の根本原因は残っていると語っている。地域活動家の多民族間連合は今年四月に報告を出し、「ロサンゼルスを底辺から再建する」ための社会福祉、側面からの雇用確保、教育と住宅の改善計画などに政府がもっと支出を増やすべきだと結論している。そうした計画の資金について、地域活動家は企業と一九八〇年代の大幅減税で金持ちになった個人への増税によると答えた。
地域活動家多民族間連合の代表者の一人は、今年四月のロドニー・キングさんの公民権侵害に対する連邦裁判(四人の被告のうち二人が有罪)の間とその後には平穏が支配し、「地域全体の安堵のため息があった」が、「民族問題と経済格差是正についてはほとんど前進していない」と述べた。
 ロサンゼルスの市民運動指導者たちは、新政権が崩壊しつつあるアメリカ諸都市の核を再建するだろうとの期待を込めてクリントン大統領の選出を歓迎した。だがクリントン大統領の政策と行動が勤労大衆と貧しい人々の犠牲の上に財界の利益を図るものであることは、すでに示されている。ロサンゼルス新市長、リチャード・リオーダンは当選二日後、州議会議事堂に代表団を引き連れて訪れた。州知事と議員たちに提案されている支出削減の対象からロサンゼルスを除外するよう請願した。市の代表団は、同情の声を聞いたものの、州の幹部からは九十億ドルの財政赤字への対処方法の議論だけで実際の支援は何も聞かれなかった。六月十一日、ロサンゼルス郡政執行官(世界で最大の空間、人口、財源をあずかる)は、病院、精神医療施設、防火、児童福祉、図書館、公園などで十六億ドルの支出削減を決めた。サウスカリフォルニアで最大の雇用者でもある同郡の支出削減は、新たに数千人の失業者を生み出すことになる。
現時点では、ロサンゼルスには闘いを遂行するにたる権威や能力、決意をもった組織的な勢力は存在しない。これまで次のような人々が戦闘的な闘いを展開してきた。移民労働者は労働組合の承認をかちとり、労働協約を改善した。アフリカ系アメリカ人は警察の暴行に抵抗している。カレッジの学生は授業料の値上げに反対し、教育関連予算の削減と闘っている。ラテン系の人々と地域の活動家はUCLAにチカーノ研究学科を設置させた。公務員は地域サービスの低下に抗議し、労働条件の維持のために闘っている。こうした闘いは、労働者階級や非白人・被抑圧集団の内部に戦闘性と闘う意識が存在していることを示している。必要なものは、諸闘争を統一することであり、その力でもって様々な反撃を展開している集団を結集して、相互に関連した闘いの目標達成のための力をもつことである。
(インターナショナル・ビューポイント誌7月(247)号)