1990年1月10日         労働者の力                第5号
地球規模の危機の克服をかけ社会主義のための闘争を

日本支部再建に向けた討論を開始しょう

(1)
 一九八〇年代の最後の時期を画したものは、ソ連東欧諸国でのスターリニズムの全面的な崩壊の進行であった。
 ポーランドの連帯主導政府の形成に始まる東欧諸国の政治的激動は、まさに一挙的に東欧におけるスターリニズムの体制を解体し、ついにルーマニアの流血のなかの政府打倒に至った。
 スターリニズムの歴史的運命は明白なものとなった。ルーマニアに典型に示された、人民にたいするむきだしの暴力的弾圧によってしか自己を防衛できない政府体制が、社会主義防衛の名のもとに、さらには反革命との闘争の名のもとに自己を正当化することの理不尽さは、天安門の流皿の弾圧の記憶をまた新たなものとした。
 時代は、中国指導者層の思惑を越えて、スターリニズムの崩壊という歴史的時期に入った。もはや、スターリニズムとしての共産党の独裁にたいする人民の共感は世界的にほぼ解体しつつある。ソ連が党の指導性、一党独裁の放棄の結論に到達するのもそうは遠くないであろう。もはや歴史の流れを逆流させることは不可能なのである。

(2)

 スターリニズムの全面的崩壊が劇的に進行している今日とはすなわち、社会主義が、その存在の根元を問われている時期に他ならない。スターリニズムの崩壊は、現実に社会主義の歴史的危機にむすびついている。社会主義の、スターリニズムでない別個な姿とは如何なるものでありうるのか。
 資本主義から社会主義への移行という壮大な歴史的運動、発展が、スターリニズムによって歴史的な挫折に追い込まれている今日、一方において資本主義以外の道はないというまことしやかな見解が流布されることになるのは明らかである。だが、今日の世界において、資本主義・帝国主義の果たしてきた、そして現在も果たしている役割もまた歴然たるものである。
 侵略と戦争、収奪と搾取、抑圧と差別・不平等−矛盾を極端にまで植民地・半値民地諸国に押し付け、ここに絶望的なまでの貧困と飢餓を拡大再生産し、それを土台にして生き延びつづけている資本主義。
 二〇世紀という歴史的時期、資本主義の矛盾は危機を地球規模にまで拡大した。核による生存の危機、地球環境と生態系の破壊による生存の危機−これらはまさに資本活動の直接の産物として拡大され、再生産されている。
 資本の国境を越えた活動は、いかに労農人民を搾取し、収奪するか、いかに低廉な資源を確保するか、換言すればいかに低い生産コストを実現し、資本問の競争−国際的、国内的−に勝ち抜くかに凝縮され、ここに国家ぐるみの株式会社体制を形成した日本資本主義の「卓越」性が登場した。
 日本資本の活動を象徴する二つの出来事が昨年発生した。一つは、富士通とNECの一円入札競争であり、あと一つは暮れに起きた韓国進出企業−スミダ、タナシン、スワニーなどの、いわゆる渡り鳥企業による一方的な労働者切捨てと企業移転である。
 「わりばし、棺桶、ハンバーガー」によって象徴的に表現される国際的な資本活動による熱帯雨林の破壊は、低緯度地帯のみならず地球規模での異常気象−乾燥と豪雨−を猛烈に促進する。成層圏に達し始めたフロンは、それがほんの一部に過ぎない現在においてすら、すでにオゾン層破壊を拡大・加速している。
 地球を覆う、生存環境の破壊と貧困と飢餓の拡大−ここに蓄積される富の偏在と生存の危機の拡大こそ、日本資本が経済的「卓越性」を獲得した二〇世紀後半の最後の十年の真の資なのである。
 自民党政府体制の行き詰まりの源泉は、まさにこの資本主義総体の作り上げてしまったもの、日本資本の到達点にある。日本における労農人民のなかに進行する価値体系の転換がここに充分な基盤を持って始まった。「全労協」結成によって左派は、こうした新たな水路に具体的・現実的に接近する重要な出発点を獲得したのである。総評解体・連合結成、そして社会・民社合同という一方の流れに対抗する新たな労働者党のための歴史的展望の出発点なのである。

   (3)

 スターリニズムとしての社会主義は、こうした地球規模に拡大した資本主義の矛盾の克服とそこにおける世界的な生産と消費のあり方の根本的改編という歴史任務に挑戦することから程遠いところに自らの存在理念を設定してきた。
 「一国における社会主義の勝利」なる命題を掲げ、その命題を「国家の強化」によって労農人民に強制するシステムは、スターリニスト官僚体制の防衛が自己目的となるものに他ならなかった。
 資本主義が歴史的になしてきたこと、そしてなしつつあること−すなわち世界を自己の姿に似せ、そのようなものとして世界を作り変え、地球規模での危機を作りだしてしまった−その総体にたい
する対抗者としては、革命の纂奪者としてのスターリニズムは最初から資格を持ってはいなかった。そしていま、纂奪者たちの体制は限界に達し、「改革」と「崩壊」の間に立たされ、その頂点からの改革が、激しい民衆の決起を呼び起こしつつスターリニズムそのものの解体に突き進んでいる。
 一九九〇年代−それは二十一世紀を骨格づけるものとして、社会主義の全側面、すなわち思想、連動、目的、主体を貫いた一切がスターリニズムの歴史的崩壊をくぐり抜けて再組織、再構築される時期である。世界、地球は一刻も早い社会主義のための闘いの再出発を要求している。
 インターナショナルはスターリニズムの解体、崩壊を越え、新たな時代に新たな歴史的必然性を体現して、真に労働者階級を大衆的に、そして民主的に表現するものとして登場するであろう。
 第四インターナショナルは、スターリニズムと徹底的に闘い抜いてきた五〇余年の全歴史をかけ、自己を徹底してセクト主義とドグマ・教条から解き放ちつつ、この新たな社会主義とインターナショナルの再生のために闘い抜かなければならない。
 日本支部再建の課題もまた、スターリニズム的思考の影響を払拭していくなかで可能性をつかみとれるであろう。
 日本支部のすべての構成要素が、女性差別問題が旧来の日本支部の根本的性格を告発したのだという認識を共通に確認し、旧来の組織概念がまさに目本新左翼主義として表現されたスターリニスムの影響のもとにあったという事実を直視することから始めるとすれば、再建のための組織的討論の最研の手がかりは獲得される。
 九〇年は、全労協建設と三里塚闘争を軸芯とした闘いのなかで、支部再建の成否が真に問われるのである。
 全国協議会は、すべての同志たちに、あらゆるレベルにおいて支部再建にむけた討論を開始することを呼びかける。 一九九〇年二月

12-9 全労協結成される
    50万組織の出発

十二月九日、全労協(全国労働組合連絡協議会)が結成された。百三十六組合、二十六都道府県から八百人が結集し、五〇万組織の出発を宣言した。
 会揚となった東京・東条会館は、集会場が狭いせいもあつて、ホールに入りきれない参加者がロビーを埋めつくす超満員の盛況ぶりであった。全労協の結成は、社会党からの様々な圧力、自民党政府からのどうかつを乗り切って闘いとられた。マスコミが一定程度明らかにしたが、結成阻止の圧力は国労に集中し、清算事業団労働者の雇用対策を武器にした自民党政府による結成方針撤回の要求、各地方本部を通じた結成延期要請を仕掛け、統制処分をちらつかせた社会党の圧力は激しいものがあった。
 だが、修善寺大会の地平に立ち、清算事業団労働者の闘いを支えぬくという国労の意思は、こうした圧力を粉砕して全労協への断固とした主体的参加を貫徹したのである。
 「自立と創造・闘いの息吹を」の横断幕が掲げられた演壇には、全労協の旗がかけられ、全国一般全労協準備会の佐藤さんの開会宣言、議長団に木村都労連書記長、野坂京都総評常幹が選出された。
 準備会を代表して宮部都労連議長があいさつ。来賓あいさつは労研センタ−代表の若井さん、社会党党建協の西川さん、評論家の山川さん、九〇春闘懇の渡辺さん、国学院大学教授の菅井さん。さらに評論家の中島さんが紹介された。元三池労組書記長の灰原さん、都職労本庁支部執行委員会、労働者教育センターの内山光雄さんがメッセージ。
 議事は、準備会事務局長の宮坂国労書記長から、経過報告、基調と目標、活動方針が提起され、事務局次長の山崎都労連副委員長から規約、財政が提起された。
 討論には五人が立ち、全労協と全労連の二つに同時に加盟した京都総評の立場を代表して事務局長の木嶋さん。札幌市職労から急きょ躯けつけた本庁第二支部長の浅井さん。国労家族会の小林さん。紙パユニオン静岡安倍川支部の鈴木委員長。愛媛から全国一般全労協準備会の大野さん。
 討論集約、確認の後役員選出に入った。役員選考委員会の遠藤さんから提案され、満場一致で決定した。新三役は次の通り。
 議長、宮部民雄(都労連委員長)
 副議長、佐藤智治(東京全労協準備会代表、国労東京池本委員長)
 事務居長、宮坂要(国労書記長)
 事務局次長、山崎都労連副委員長、新井国労中執、佐藤全国一般東京北部特別執行委員。
 ほかに常任幹事、会計監査、長期政策委員会事務局を選出した。

ソ連・東ヨーロッパ反官僚革命の現在の局面とわれわれの課題
織田進


一九八〇年代の最後の年に一挙に達成された。ポーランドからルーマニアまでの、東ヨーロッパのスターリニスト支配の解体は、一つながりの過程であった。遅れて組み込まれた国民ほど、先行した国民が達成した成果をすばやく自分のものにするだけでなく、さらにその先へ前進していくという、同じ一つの正確が、この過程で示された。それは、この東ヨーロッパ反官僚専制革命が、直接的な面でも、本質的な側面においても、ひとつの歴史的必然であったことに根ざしている。
  
  東欧官僚体制の崩壊

 東ヨーロッパの雪崩は、ソ連のペレストロイカに支援され、とくにゴルバチョフの今日の戦略に結びついている。
 ソ連のペレストロイカは現在、重大な危機をむかえている。ゴルバチョフはこの危機を乗り切ろうとして、いわば、「国際戦略」というべきものを発動した。一方ではアメリカ、西ヨーロッパとのデタントをいっそう進め、他方では東ヨーロッパの改革を呼びかけたのである。
 ゴルバチョフは、クレムリンが、各国の専制の救済にでかけないこと、それぞれの国の人民の選択に口を出さないことを、くり返して明言した。ポーランドやハンガリーの「非共産党政権」を祝福しさえした。これは東ヨーロッパの人民に送られた明白なサインであった。過去いく度も改革の波がはね返された最後の壁が消え去っていることが見え、前進のチャンスが目前にあった。彼らはそれをつかみ、半世紀に及んだ東ヨーロッパのスターリニスト体制が崩壊した。
 東ヨーロッパのスターリニズムは、その革命自身の堕落として生まれたのではなく、ソ連圏に軍事的・政治的に囲いこまれた結果、外から、抵抗を排除して押しつけられた。しかもそれは、スターリニズムの完成した形態、もっとも過酷で、野蛮な警察国家の形態においてであった。だが、国のすみずみにはりめぐらされた警察システムのなかで、民族の固有のエネルギーは、その歴史的形態を保持し、生き延びた。それにひきかえスターリニズムの方は、九〇年代まで生き延びることができなかったのである。
 今日、東ヨーロッパのスターリニスト支配は終わったということができる。これらの国々に、再びその一党独裁が復活することはできない。それどころか、スターリニスト党にとって今後問題になっていくのは、彼らが消え去ってしま
うのかどうかということである。特権の報酬なしには、この党がもちこたえることはむずかしい。
 ワルシャワ条約機構が弱体化することはさけられないだろう。この機構の基盤であった諸国家の同質性は、失われた。もし、改革を進める共通の課題が、新しい共同の目的となれば、存在の意味を示すことができるかもしれない。そうでなければ、弾圧の国際監視台であったその歴史が終わったあとに、なおそこにとどまる理由を、各国政府は自国の人民に説明することはできない。民主主義的社会主義の建設に向かって、相互援助と協力を行う機構として生まれ変わるときだけ、ワルシャワ条約機構は存続の新しい根拠をもちうるだろう。

   東欧人民の選択

 ポーランドからルーマニアまでの諸国民は、「共産党」の「指導性条項」法から削除し、国名から社会主義と「人民」をはずし、議会制民主主義共和国として出発すると宣言した。
 民主主義・・・それは、第二次世界大戦をくぐりぬけたばかりの東ヨーロッパが直面していた課題である。今、その振り出しに戻ったようである。
 だが、この半世紀に成果がなかったわけではない。スターリニストの支配下で、東ヨーロッパのブルジョアジーは一掃された。この事実は、現在を第二次世界大戦直後から分ける決定的な点である。各国の政治権力はプロレタリアートの諸政治勢力が構成し、各国経済の工業的根幹は、国家所有または共同所有のもとにある。民主主義東ヨーロッパの再出発は、さしあたっては、国有経済のもとでの、非共産党プロレタリア政府として開始する。だが、民主主義のうつわにどんな内容を盛るのか、それが問題である。
 その進路には、二つの可能性がある。一つは、歴史上はじめてスターリニスト体制でないプロレタリアートの政府のもとで、民主主義的労働者国家が発展していくことである。もちろんまわりみちや手探りを積み重ねながらであろうが、プロレタリア大衆自身によって政治と経済が「主体化」されていく可能性が存在している。スターリニスト支配を打ち倒した人々が今はじめている、前衛によって代行されないプロレタリアート大衆自身の政治権力をきずく闘いは、第一次世界大戦直後のロシア・ヨーロッパ革命にくらべられるほどの、真に偉大な歴史的挑戦である。だが、この巨大な事業は、その人々を極めて苛酷な、無慈悲な試練にさらすことになるであろう。
 だが、もう一つの可能性は、資本主義の復活である。経済危機からの脱却には、西ヨーロッパとの技術的・資本的提携がどうしても必要であり、そのことが、東ヨーロッパにおける資本主義復活のチャンスを生む。民主主義化された東ヨーロッパは、資本主義の魅力に富んだ未開拓市場となる。さまざまの経路で移植される資本家経営の拠点が増殖を開始すれば、経済外的強制によって封じ込めることは困難である。国有計画経済が市場を導入しても、それはまだ資本主義ではないが、生産手段の私有に基づく資本家経営が優勢となって国民経済総体を規定し、私的資本の蓄積と移動の自由が実現するにいたれば、資本主義の復活が日程に上ったといえるであろう。だがそれには、プロレタリア政府が経済危機を解決できず、国有または共同所有のプロレタリア経営が資本家経営に対抗する高い生産力を実現できず、資本家経営の利害と闘うプロレタリアートの闘争が敗北することが前提となる。
 東ヨーロッパが、スターリニズムでない社会主義に進むか、資本主義の復活を選ぶか。どちらを選択するにしても、結局はそれぞれの人民が決めることである。各国の内部で、資本主義の利害に対抗できる階級はプロレタリアートだけであり、そして少なくとも現在は、彼らが権力を掌握している。もし彼らが、資本主義のシステムのもとで生活したいと望むなら、資本主義が復活するだろう。もし彼らが、国民国家と国民経済の主体・組織者としての能力を身につけ、行使することができなければ、やはり資本主義が復活するだろう。
 東ヨーロッパ人民が社会主義を選択することが確実であるとすべきなにものもないが、社会主義は人民自身の選択であるということが原則である。そしてこの選択は、社会主義に新しい内容と、息吹を吹き込む創造の作業としてなされる以外にはないのである。

   ペレストロイカの危機

 ソ連では、人民代議員選挙以来、ペレストロイカが重大な危機の段階に入った。民主主義のシステムが実際に作動しはじめるとともに、改革の現実性を確かめた人民の諸階級・諸階層・諸集団は、独自の利害をそれぞれ強力に提出するにいたった。だが、今日のソ連には、たがいに異なり、対立さえする諸要求を満たしていく経済的能力が欠けており、未来にむけて調整る民主主義の政治能力も形成されていない。なによりも、国家と人民のあいだに「自分のもの」としての主体的関係が未だ成立せず、要求獲得の対象として存在しているだけである。
 こうしたことから、人民の諸部分の利害の対立や国に対する不満が公然と衝突する様相を呈し、それが重大性を帯びている。これらの対立のなかには、宗教的・民族的要因が大きな比重を占めている。スターリンの民族・宗教政策の矛盾が、いま増幅して新しい矛盾に重なり、爆発している。抑圧がプロレタリア独裁の地下に前期的共同体を閉じ込め、反スターリン化のなかで歴史的エネルギーが再登場する事情は、東ヨーロッパでみられているのと同じである。
 ペレストロイカのむかうところ、特権官僚体制そのものの崩壊へといきつくことは、東ヨーロッパの革命の同時的進行のなかで、まざまざと見せつけられているところであり、改革に抵抗する官僚階層に、決戦の時が到来していることは疑うべくもない。行政と経済の要所を占拠している官僚集団は全力をあげたサボタージュ組織し、ゴルバチョフ指導部を危機に追い込むことによって活路をきりひらこうとしている。大衆の不満が、それに利用される。
 改革推進派も、未到の荒野に踏み迷う困難を経験している。彼らに教科書はなく、参考に資す先人の経験も時代のギャップを飛び越えることを許さない。経験的試行をぬけ出ることができない彼らの未成熟・時間の不足が、危機を大きくする。
 現在のソ連を規定する「危険に満ちた」均衡は、それ故、必然性を有する過渡的局面であるといわなければならない。ペレストロイカはこの危機を通過していかざるをえない。なぜなら、危機の最大の要因は改革勢力自身の力の不足であり、しかもその不足は単に指導部分の政治的成長によってうめることができるものではないからである。

   改革への試練

 ペレストロイカが危機を打開するためには、次のような課題にこたえなければならない。
 第一は、プロレタリアート自身の改革である。旧構造は、官僚によってだけではなくプロレタリアート自身によっても支えられてきた。現状維持をこととする日常のあり方において、プロレタリアートのすくなからぬ部分が、被抑圧者としてだけではなく、受益者としても生きてきたのである。
 旧構造を改革するには、プロレタリアート自身がその受動性の代償として与えられていた「既得権」をなげすて、攻撃的存在に生まれ変わらなければならない。今日ソ連経済は、失業とインフレに直面している。そしてこの失業とインフレは、なかなかうまくいかないペレストロイカの産物であるだけではなく、官僚的丸がかえ経済がリアリズムを犠牲にして隠蔽してきた諸矛盾が、白日のもとにさらされる表現形態である。そして、真に改革された経済は、リアリズムが前提にならなければならない。
 失業とインフレは、国有経済の生産力の低さの結果である。ソ連プロレタリアートは、この苦痛を自ら引き受けることもふくめて、再建されていく経済の主人公となり、高い成長を実現するために闘わなければならない。同時に、失業とインフレに対抗する国家の機能を創出することが、試練のなかで民主主義を鍛えることである。ペレストロイカは、プロレタリアートが政治と経済を自覚的に担う階級として成熟していく闘いであり、この課題をなにか有能な指導部の置き換えによって代行することはできないのである。
 第二の試練は、民族問題の領域に存在している。
 民族問題は、ソ連邦の解体の危機を内包している。バルト三国をはじめとして、スターリンの犯罪的な民族政策の犠牲になった諸民族は、半世紀がすぎた今日なお、この犯罪を許さず、その取り消しを要求している。この要求は、問題を歴史的出発点にさかのぼってただすこと、すなわち、連邦からの離脱をふくむ完全な独立国としての権利を全面的に承認することにいきつく。長い時間が過ぎたために、たしかに民族問題は複雑な要因をかかえこんでいる。けれども、まずスターリンの犯罪を取り消すことから始めるという観点が、貫かれるべきである。
 独立国としての行動に関する一切の決定権、貿易と国防・軍事、通貨の発行、公用語の決定、その他国家としての決定を自由に行う権利は、すべて各共和国のものとされなければならない。他民族の国家におけるロシア民族等の少数民族の権利の問題は、まずこのことが全面的に認められたあとで論議されるべきである。そのうえで、連邦は、社会主義建設の共同事業に参加することを自分の意志で選ぶ共和国によって再構成されるべきであろう。だが、ソ連邦やロシア共和国の運営に重大な打撃をあたえかねない、連邦からの離脱をいくつかの民族が選んだとしても、連邦はうけいれなければならない。かりに、それとはちがった決定を今日は強制することができても、明日には困難であろう。みずから再編成するのか、それとも事実として解体を受け入れるか、結局はそのどちらかを選択することになるからである。
 民族問題で思い切った改革を受け入れることは、ペレストロイカの困難を打開するうえで極めて重要な貢献となるであろう。なぜならそれは、ペレストロイカの指導部が、改革のために真の犠牲を払う用意があることをしめすもっとも説得力のある行為であり、問題を人民自身にかえす可能性をひらくからである。
 第三の問題は共産党自身にかかわる。国家における共産党の指導性をさだめた憲法条項を削除するかどうかという点で争われているこの問題は、理論の分野ではレーニン主義の前衛党論の再検討をせまるという意義をもつものであるが、実践的には、ペレストロイカの危機を打開できるかどうかの鍵を握っている。ペレストロイカは、保守派官僚のサボタージュによって遅らされている。行政機構と経済機構の要所に居座る反改革派の官僚を取り除き、改革派に置き換えていくことなしには、ペレストロイカの大胆な前進はもはやないという事であり、そのためには、共産党が機構に所有してきた既得権を奪うことが不可欠なのである。
 「指導性条項」が削除された場合、ソ連国家の仕組みは根本的に変わっていかざるをえない。議会制民主主義が多党制としての実質を有し、官僚特権の政治的前提が消失する。だれがなにを行うのかという問題が、人民自身によって現実的・合理的基準で再検討する道がひらかれ、改革に抵抗する保守派の官僚がおいつめられていくことは必然であろう。それ故、この問題は官僚の最後のとりでとなる。改革派がここで勝利するためには、瀬戸際に立つことを余儀なくされる。ゴルバチョフは、共産党のなかで闘うだけでなく、党外の改革勢力の支持を動員しなければならないであろう。
 「指導性条項」の削除をめぐる闘争は、ペレストロイカの成否を決する正念場である。だが、この問題についてはすでに東ヨーロッパの人民が回答を出してしまったという事実がある。ソ連だけが別の道をいくわけにはいかないであろう。したがって、労働者国家の権力構造の議会制民主主義への転換は、もはや確定的となったと思われる。

   「上からの革命」

 ソ連・東欧の改革をひとつながりの国際的過程としてみるとき、「上からの革命」という性格が刻印されていることが明らかである。改革は、そのはじまりにおいて国際スターリニスト体制の頂点であるクレムリン官僚の最高指導部によって直接よびかけられ、次第に下にむかって広がっていき、ソ連国境を越えて各国の体制を頂点から流動化させた。そして、この過程が後戻りのしないものであることが確実になるにつれ、広汎にかつ激動的に大衆が登場し、みずから退場しない反改革官僚を包囲、追放し、ルーマニアでは実力によって打倒した。
 ソ連・東欧のスターリニスト体制は、一つの国際的ピラミッドの構造をなして各国人民の上にそびえていた。このことが逆に、その崩壊において、クレムリンの頂点から発した信号が各国人民への合図となって受け止められる根拠となり、過程の全体が一つの国際的な「上からの革命」として推進された。 私がことさらこの点に注目するのは、そこに今後の課題を考えていく場合にふまえなければならないこの反官僚革命の歴史的な特徴が規定されているからであるが、同時に、そこにプロレタリア独裁の問題の本質が凝縮して示されているからでもある。
 最初に確認できることは、スターリニスト官僚専制が歴史的限界に到達した、ということである。スターリニスト官僚専制は、極めて非合理的な浪費の体制であったとはいえ、労働者国家を帝国主義の包囲のなかで防衛し、国民経済の幹としての工業を育成するという歴史的役割を果たした。この体制の生命力は、多分に水増しされていたとはいえ、国民総生産の高い成長率に示された。だが、今日の公式統計上にかくしようもなく暴露されているソ連経済の長期停滞は、この体制の生命力が尽きたこと、いかなる意味でも進歩的な役割を果たすことができなくなったことを明らかにした。
 以上のことを階級の問題として考えれば、次のようにいうことができる。国民の大部分が農民であり、経済の大きな分野が自足的な小規模農業にしめられていて、しかもその農民との関係においてプロレタリア革命の砦としての諸都市が孤立しているような段階から、包囲されたソ連労働者国家は出発した。国民的工業経済の建設と、その担い手としてのプロレタリアートの形成は、プロレタリアートの歴史的たちおくれのなかで、大衆的な自己権力としてのソビエト国家によってではなく、代行的な官僚独裁によって遂行された。そして工業的国民国家へのロシアの改造の課題が本質的に達成されたとき、代行の歴史的根拠も消滅したのであり、スターリニスト官僚専制の機能は、現状を維持するにすぎないものとなったのである。
 スターリニスト官僚専制の歴史的限界が到来したにもかかわらず、国家の内部に強力な革命的反対勢力は形成されていなかった。この専制は史上最強の警察国家であり、スターリンの統治下では、長い期間プロレタリアートの自主的・創造的な知的・政治的成長の余地を残さない兵営国家であった。このため、国民経済の主体として客観的に存在するにいたったソ連プロレタリアートは、退場すべきスターリニストにとってかわる準備ができていなかった。そしてこの立ちおくれには、二〇世紀のプロレタリア革命の歴史が結びついている。
 スターリニスト官僚専制の内部から、その危機を直視し、その打開のための経験的模索を通じて、官僚特権の構造にまで改革のメスを入れ、部分的にせよ、官僚専制そのものの廃絶の諸課題にまでせまろうとする部分が登場し、それが国家のヘゲモニーを掌握するするというようなことは、もっともありそうもない事態である。だが、そのようなことが起こったのである。このような部分がもし生まれうるとすれば、それは頂点からのみであることは容易に理解しうる。官僚制度と自由な思考とは、ヒエラルキーの下部に行くほど両立がむずかしいし、ましてその実践という点では、なおさらそうである。こうして、プロレタリアートの代行的独裁の堕落としての官僚専制の真の改革への代行的な闘争を、
官僚階層の頂点が開始するという事態がうまれた。この体制をとらえている危機の深さだけが、それを説明できる。
 「上からの革命」は、上からであるための利点を持っている。それは、「下・らの革命」がもたらしがちな巨大な規模の流血や犠牲を、回避することを可能にする。このことについてルーマニアで流された血を教訓とするとしても、ルーマニア人民の闘争の偉大さをそこなうことにはならないだろう。
 だが、「上からの革命」が上からであるための弱さを必ず克服して進むであろうと前提することもできない。「上からの革命」は、中途でたちどまる危険を常に持っている。官僚階層の結束した反革命をよびださないうちに、後戻りのできないところまで革命の成果を固められるかどうかを、プロレタリア大衆がどれだけはやく全過程の進行の鍵を握る位置につけるかが決める。このことだけが本質的な解決をもたらす。プロレタリアートの大衆的登場と、その政治的な成長だけが、代行主義独裁の代行的改革の局面を、大衆自身の権力創出の闘争へ転化させるのである。

   プロレタリア独裁のパラドックスとスターリニズム

 「上からの革命」のなかに、われわれは歴史的なプロレタリア独裁のパラドックスを見ているのである。
 二〇世紀に成立したプロレタリア独裁は、すべて、プロレタリア大衆自身の民主主義的な権力ではなく、共産党による代行的独裁に他ならなかった。
 永久革命の理論を概括して、トロツキーは次のように言った。
 「ブルジョア的発展のおくれた諸国・・・における任務、民主的・民族的解放の完全かつ真の解決は、従属国の指導者、なかんずく農民大衆の指導者としてのプロレタリアート独裁を通じてのみ、考えられうる。」
 帝国主義の時代において、「ブルジョア的発展のおくれた諸国における任務」には、二重性がある。一つは、中世的・封建的束縛からの人民の解放によって国民的生産力を形成することであり、もう一つは、帝国主義支配に対抗する独立した国民国家・国民経済を確立することである。この二重に国民的な任務は、ブルジョア的発展のおくれた諸国ではブルジョアジーによっては担われない。なぜなら、そうした国ではブルジョアジーは、自己の階級的利害を、多かれ少なかれ中世的・封建的な専制権力や、外国帝国主義の買弁権力と提携することによって満たすからである。
 このため、その任務はプロレタリア独裁の肩にかかってくるのであるが、その場合、次のことも自ずから明らかである。すなわち、ブルジョア的発展のおくれた諸国では、プロレタリアートの発展もまたおくれているということである。国民国家・国民経済の組織者、指導者としてのプロレタリアートの能力は、生得的なものではなく、ブルジョア的生産とその政治的闘争の理論的・実際的成果のなかから学びとられ、さらにその矛盾をのりこえて進むものとして獲得されていく以外にないからである。
 ブルジョア的発展のおくれた国におけるプロレタリア独裁は、現実には、プロレタリアート自身の民主主義的な権力としてではなく、共産党として組織されたその「前衛」を自ら任じる代行者による代行的独裁であった。そして、この共産党自体もまた、このような諸国における必然として、一握りのエリートの独裁に他ならない。したがって、現実に存在したプロレタリア独裁は、その論理の延長上に指導者個人の絶対的支配が必然になる、共産党の一握りの指導部の独裁にすぎなかった。代行的独裁が官僚の専制に堕落する危険は、はやくから、何人もによって指摘された。だが、この問題についての解答は、存在しなかった。それは必然であり、それにもかかわらず、革命は開始すべきであったからである。
 現実のプロレタリア独裁は、ブルジョア的発展のおくれた諸国にしかうまれず、それ自体一個のパラドックスとなった。一九一七年のロシア革命を闘いぬいた共産主義者たちは、このパラドックスを積極的、自覚的にひきうけた人々であった。かれらは、それが避けがたいパラドックスであることについて自覚的でありつづけることによって、堕落にたいする抵抗力を、党の内部に築こうとした。だがこの抵抗自体も、新たなパラドックスに他ならなかった。官僚的堕落との闘いは、共産党自身の規律や、指導部の高い資質にもとめられる以外になかったのであり、いいかえれば、官僚主義との闘争自体が代行的に進められていったのである。
 現実の革命が困難に直面すればするほど、孤立と帝国主義の包囲の脅威にさらされればされるほど、ボリシェビキは、党の絶対化・党物神化に陥っていった。革命の正当性は、権力の存続によって証明されなければならず、その権力はただ党によってのみ保持されている。党以外に、この権力を担いうる実体は存在しない。党がすべてであり、共産主義者とは党のために生きる人々なのであった。こうした信念のもとで結束したボリシェビキであったからこそ、孤立した革命国家を生き延びさせえたことは、明らかである。
 だがここに、スターリンによる労働者国家官僚専制への堕落の道が敷設されていく根拠が存在したのである。スターリン分派は、他のすべての分派を抹殺していくのに、党物神崇拝を利用しつくした。党の絶対性を承認するとき、あらゆる反対派は、闘うまえに自分の手をしばることとなった。粛清の論理は、この構造のなかに内在していた。敗北していく反対派のなかで、党は神聖にして侵すべからざるものであった。現にある党の絶対的正しさに疑いをなげかけるようなどんな抵抗も、最初から排除されていた。粛清そのものと闘うということはけっして試みられずなかった。信じられない規模の革命家たちが、信じられない内容の罪によって、抹殺された。
 代行的独裁の論理は、スターリン分派による独裁をスターリン個人の独裁におきかえるまでは完成したとはいえなかった。党の絶対化が、スターリンの絶対化と等しくなるためには、スターリンそのものが党であることを無条件に承認する世代によって、国家の全体が担われなければならなかった。一七年の革命を担った共産主義者の全部が、たった一人を除いて抹殺された。ボリシェビキそのものが絶滅した。そのようにして、プロレタリア独裁の歴史的パラドックスは、貫徹したのである。

   社会主義の再検討

 歴史的なプロレタリアート独裁は、いま最後のパラドックスを語りはじめている。代行的官僚専制は打倒されつつある。だが彼らのひきうけたパラドックスは、解決されたわけではないのである。
 ペレストロイカは、社会主義の再検討の問題である。だが、社会主義は、本来資本主義の矛盾を突き抜け、その先に人類の未来を切り開くものであるはずであった。社会主義の再検討は、資本主義自身の再検討に他ならない。現代の資本主義の根底的な批判なしに、社会主義の新しい前進をはじめることはできない。そしてこの、現代資本主義の根底的批判は、資本主義諸国の革命的運動のなかからうまれて来なければならないのである。まさにこの点において、だれがたちおくれているのか、だれが歴史的なプロレタリア独裁のパラドックスを解かなければならないのかは、明白である。
 資本主義は、二〇世紀の前半のうちに滅びなかったし、二〇世紀の後半にも、重要な繁栄を実現した。それ故、資本主義がすでに完全にいきづまり、もはやその未来を持っていないとした幾つかの予言が、現実のものとならなかったことは事実である。だが資本主義が、これまで考えられもしなかったような新しい、巨大な危険・災厄を生み出したことも事実である。資本主義は、地球そのものの破壊の反対側に繁栄を実現したのであって、その破壊が、巨大独占資本の無政府的な利潤追求の結果であることは明らかである。資本主義の発展の全過程の最先端に、人類の生存そのものを脅かす破壊がある以上、地球規模で展開する計画的生産を実現することによって、人類の未来をとりもどすために、社会主義を明らかにし、そのために闘う責任が、共同のものであることを確認しなければならない。
 ソ連・東ヨーロッパの人民の民主主義へむかう努力のなかで、われわれは社会主義のための戦略の諸問題についてきわめて多くのものを学ぶことができるだろう。だが、われわれ自身は彼らになにを寄与できるのであろうか。われわれが自らの社会主義への貢献をはたしうるのは、現代の資本主義にたいする理論的・実践的な革命的批判をなしとげることによってである。

   マルクス・レーニン主義の再検討

 これまでの世界社会主義運動において、マルクス・レーニン主義の核心とされてきたものは、プロレタリア独裁の理論と、前衛党の理論であった。 ソ連・東ヨーロッパは、議会制民主主義を政治制度の基本的あり方に採用しようとしている。この政治システムが、ロシア革命初期のソビエト民主主義とされるものと異なっていることは明らかである。ソビエトは、国家権力の階級的独占のシステムであり、それを法的・形式的にも強制するシステムである。ソビエト型の権力なしに、はたしてプロレタリアート独裁は可能であろうか。プロレタリア民主主義は、プロレタリア階級の内部においてその民主主義を展開するものであり、他の諸階級にたいしては、その抑圧性・反動性に対応して民主主義行使の枠をあらかじめ設定されるべきであるとするのが、これまでのプロレタリア独裁の考えかたであった。はたしてそれは今日でも正しく、現実にソ連・東ヨーロッパでいま進められている事態は、官僚専制の破産結果として余儀なくされているブルジョア的堕落なのであろうか。
 同じ性格の問題として、市場の問題がある。官僚的中央集権のもとでの指令経済システムの破産にたいして、市場の導入の必要が主張され、それが経済改革の基本的戦略のかなめにすえられていこうとしている。これにたいしては、ソ連プロレタリアートや改革派の活動家のなかには、プロレタリアートの生活を脅かすものとして、強力な反対の声があるようである。かれらは、破産した官僚的計画化に対置して民主的計画化こそ必要なのであり、市場はその補助的手段にすぎないものとされるべきであると要求しているようである。
 プロレタリア独裁においては、社会主義建設の武器は国家であり、したがって経済の分野では国有経済部門こそ社会主義のとりでとされてきた。市場は国有部門が世界資本主義および国内私有部門を利用し、かつ競争的に克服していく経済内的な補助手段にすぎないのである。
 議会制民主主義と市場経済という二つのブルジョア・システムが、たがいにむすびついていることは明らかである。政治の分野で議会制度に賛成しながら、経済においては市場の導入に「原則的に」反対するというような態度は、実践的には無意味である。これらの両者は、明らかなブルジョア的システムなのであり、それが今日、労働者国家において優勢となりつつあるのである。もちろん、労働者国家がブルジョア的システムを利用することに原則上の問題があるわけではないが、いま問題なのは、それが主要な、優勢なシステムとしてとりいれられようとしていることである。われわれが労働者国家であると認識する、ソ連・東ヨーロッパにおいて、このような現実が生まれつつあることについて、原則的にどのように考えるのか、実践的にはどのような態度をとるべきであろうか。

  問題の本質的領域

 プロレタリア独裁は、本来権力のプロレタリアートによる独占を前提として成立する。したがって、ブルジョア的議会制度、市場経済制度は、プロレタリア独裁と全面的に両立することはありえない。今日の事態は、スターリニスト官僚専制の破産のなかで、労働者国家内ではブルジョア階級が消滅したという事実と、世界市場においては資本主義が圧倒的に優勢であるという事実との、二つの要因によってもたらされている。資本主義の工業的先進地域においては、プロレタリアートは議会と市場をつうじて、かれらの階級的利益を享受している。この実例が、官僚的計画化のなかで窒息している労働者国家のプロレタリアートを、資本主義にひきよせている。
 もし官僚制度からの議会と市場を通じての脱出が重要な成果をうむことができ、これらの諸国の人々がこの制度の一層の発展の方向に進んでいくとすれば、彼らはプロレタリア独裁の理論そのものの根本的な再検討の要求を提起するであろう。そしてその要求には、社会主義に前進するためには、プロレタリアート独裁によらなければならないというこれまでの原則自体を再検討することも含まれざるをえないであろう。
 私は、問題がこのような本質的領域になげだされていることを認める。現実に展開されている事態が、プロレタリアート独裁とは「ブルジョア的発展のおくれた諸国」における歴史的通過点であって、人類の社会主義への前進のためには、別の道筋を通ることが必要であることをわれわれに教えることになるかもしれない。だが、それとはまったく逆に、プロレタリアート独裁の真実の再建こそが課題であることを、事態の進行のなかでわれわれは学ぶかもしれない。いずれにしても、私はいま提起されている問題の深さを、そのところまで見積もっておく必要があると考える。
 だが、現在の局面では、この問題はそれとはちがった観点で実践的に判断されなければならない。議会と市場という二つのシステムは、労働者国家のプロレタリアートが、現実に国家の主体となるための成長の道具としていま不可欠である。官僚専制の抑圧のもとで自由な思考を奪われてきたプロレタリアートは、政治と経済を組織する主体となるということが、どのようなことであるかをいま急いで学ばなければならない。議会制度は、彼らが自らを政治的に組織し、人民の諸部分とあるいは闘争し、あるいは協同していく努力の上で、投票というバロメーターによってその成長の度合と人民の全体のあり方を示すであろう。また市場システムは、かれらが体現する生産力が、世界市場において、また国内の諸階級との関係においてどのような段階にあるかを、価格というバロメーターを通じて明らかにするであろう。つまり、議会と市場は、労働者国家の真の主体とならなければならないプロレタリアートが、自分の現実の姿をうつしだすために、いま手にできる鏡である。この鏡の他に、プロレタリアートが自らを知るための有効なシステムを、官僚専制は、つくらなかったのである。
 議会制民主主義と市場の導入は、プロレタリアートが社会主義建設の新しい、本当の主体となるために、どうしても通らなければならない過渡的局面の学習の戦略であるということができる。たとえプロレタリア独裁の理論そのものを根本から問うことになるかもしれなくとも、それもふくめて、いま進んでそのなかに歩みいるべき、この局面の試練なのである。


 労働者国家における「共産党の指導性」を規定した憲法条項の削除をめぐる問題は、レーニン主義の組織問題の核心というべき「前衛党」の理論が、現実の労働者国家において持っている意味についての問題である。ソ連と東ヨーロッパの人民は、「指導性条項」の削除によって、「前衛党」の理論そのものからを要求しているのである。問題となっているのは、単に、「誤った前衛党」なのではない。そもそも、「前衛党」という考えかた自体が歴史の審判を受けていると考えなければならない。
 前衛党の理論は、ロシア革命の現実の過程で、決定的な役割を果たした。この理論のもとで、ボリシェビキは革命を遂行した。それは、「ブルジョア的発展のおくれた諸国」におけるプロレタリア革命の正当化の核心であった。だが、いまやこのことが問い直されている。「前衛党」の理論は、現実のプロレタリアートを代行する権利の宣言である。プロレタリアートの「前衛」を自称する党は、情勢に要求されていると判断すれば、このような代行を自らの権利として承認するであろう。もし「前衛党」の立場に立つものが複数党主義を認めても、それは、プロレタリアートの不均等な発展を認める立場から、おくれた思想・運動の存在を許容し、真に正しい思想への発展の途上においてたどる過程の問題としてそうしていることになる。
 だが、現実の民主化の過程で、ソ連と東ヨーロッパに登場したの人民のさまざまな政治的運動・組織が、プロレタリアートの単線的成長という考えかたを事実として拒否している。党として自己を表現しない運動が、広がりと生命力をもって次々に現れたのである。そこでは、前衛党とよばれるべきものの存在を許さない、許すべきでないとする思想と運動が展開している。レーニン主義の核心とされてきた「前衛党理論」そのものへの拒絶が、民主主義の名のもとでプロレタリアート自身によって主張されているのである。党の問題は、権力の問題と本質的な同一性を持っている。それは、階級の組織のあり方の問題だからである。プロレタリア独裁の根本的な再検討を提起する運動が、同時に前衛党理論の根本的な再検討を要求するのは、したがって必然である。
 われわれが現実の過程から何をつかみとるのかについては、さまざまな立場がありうるであろう。私は、八〇年代の労働者国家の反官僚革命の過程をたどり、そしてわれわれ自身の運動の限界と思われるものに直面してきた者として、いまやわれわれの真摯な思考の努力を、レーニン主義やトロツキズム、革命的マルクス主義とされてきたものの、もっとも核心からの再検討がせまられていると考えざるをえないのである。

人民の立場に立ちきった闘いを貫き通す
宮城合同労組本部執行委員長  星野憲太郎

 昨年は、永久に続くと思われていた自民党単独政権に「参院選結果」というクサビが打ち込まれ、不動の体制といわれてきた東ヨーロッパの官僚支配が、人民の民主化闘争によって続々と打倒されていった衝撃の年であった。そして、いま始まった一九九〇年は、世界の政治、経済、文化にとって躍動の時に他ならない。いうならば「世界再編」の端緒の年となるだろう。
 われわれはこの間の「労戦」をめぐる攻防に最大の力を注いできたが、日本の労働運動の再編自体、全世界的に進行する「旧いものから新しい内容への移行」の一コマであったと気がつかされたのはほんの最近のことであった。
 九〇年代の抱負を語れば、まず世界の歴史が何に向かって動きだしているかを正しく読みとった上で、人民の立場にシフトを置ききった闘いを貫き通したい、ということである。
 新連合を名のる労働運動は「世界一の金持ち国=日本」に対応しようとする利益運動であるが、七〇年代の国民春闘も「高度成長」に歩調を合わせようとした点で共通性があった。総評の多数が吸収された要因はこのところにあったが、われわれの身の置き方は、世界の人民が日本資本主義を相手に闘いを挑む時期がそう遠くないことを想定し、インターナショナルの旗を掲げることにあるだろう。
 利益への参画ではなく、不利益、差別、抑圧と身を削って闘い抜くことができる日本の労働運動を打ち立てることだと思う。全労協は、国労の仲間の反差別闘争の息吹の中で結成をかちとった。全労協は少数で出発するが、不条理を許さない人民が世界の歴史の主役になりつつある今日の情勢と共通した質を内蔵させている−われわれは一翼を担って闘い抜く。

一九九〇年に向かって
          電通労組副委員長 加藤 滋

 国際的にも国内的にも、激動の時代に入っている。ロシア革命以降のスターリニズムの支配を打ち破り、東欧の労働者人民は、新しい政治革命の闘いを全面的に展開している。この世界情勢の流れは、米ソ平和共存の進展の中で、確実に政治的、社会的な再編の時代を迎えている。
 国内的には労戦再編が、新連合、全労連、そして全労協と三分解し、本格的な組織戦、政治戦を迎えている。さらに、昨年の参議院選においてリクルート疑獄、消曹税、農政問題を通じて、自民党の惨敗、社会党の躍進という状況の中で、政党再編を含む政治再編の動きが出始めている。
 いま、直面している情勢は、これまでわれわれが経験したことのない本格的な激動の時代なのである。これまでの階級闘争の歴史を総括し新たな時代に向かって、われわれが何をなすべきかが問われている。
 一九六〇年代、七〇年代を経て今日の情勢にわれわれが主体的に切り込んでいく闘いをどのように展開するのかということは、われわれの革命観にもとづく政治情勢の把握、戦略的展望、そして客観的な階級情勢と、これまでの主体的総括による新たな闘いの提起を厳しく問うものになっている。
 われわれは、六〇年代、七〇年代を反戦闘争を抽に闘いながら、階級的労働運動に全力をあげてきた。3・26三里塚闘争の全面的攻防の中で、電通労組を結成し、労働情報、労組連、10月会議の闘いの中から労研センター、全労協にいたる一連の闘いはまさに本格的な階級闘争に向けてであった。
 昨年の総評解散、全労協結成の成果を受動的にとらえるのでなく、積極的、主体的に新しい情勢に向け、われわれの戦略、戦術を大胆に提起するために全力をあげる必要がある。全労協は形ができただけで、路線も、政治性格も、これからである。歴史的闘いを担うべき九〇年の初頭に決意を固めよう。
   一九九〇年一月

マルクス主義の復権をかけ全カで全労協の建設を
     鉄道産業労働組合中央本部

 世界中が、ヨーロッパ人民の明るく希望に満ちた、そして燃え上がる笑顔に感動し、一九九〇年の幕開けを迎えた。一九八九年、世界の激動は、ゴルバチョフのベレストロイカ政策がゴルバチョフ白身をも乗り越え、誤った社会主義=スターリン主義=官僚支配体制打倒まで大胆に突き進み、社会主義における政治革命=マルクス主義の復権として急速に東欧をかけめぐり、ドイツ労働者、人民を始めとするヨーロッパ人民の団結を断しつづけてきた「ベルリンの壁」を崩壊させた。
 民主化要求は資本主義復活を求めたものではなく、まさに共産党宣言がいう「万国の労働者、団結せよ!」にほかならない。
 労働者の団結によって作られた総評は団結を放棄し、八九年に解体され「新連合」にとって代わられた。社会党は自らの規約条項から「革命」の文字を抹消し、マルクス・レーニンを否定し西側の一員たる政党へと変貌せんとしている。
 日本共産党は天安門における中国人民の虐殺に動揺し、ベルリンの璧の崩壊によって、自ら確立してきた官僚主義の危機に陥っている。
 世界の激動は今や一秒たりとも休むことなく労働者、人民の闘いによって作られている。
 マルクス主義の復権、「万国の労働者、団結せよ!」は文字通り日本労働運動が直面する最大の課題である。全労協建設はマルクス主義の復権の闘いである。
 われわれ鉄産労はマルクス主義の復権をかけ、全労協建設と新たなナショナルセンター、ローカルセンター建設に向け全力で闘う決意である。
 貴紙が全世界の労働者、人民の闘いを日本の、そしてアジアの労働者、人民に向け、常に明らかにし全世界の労働者、人民が連帯し団結する架け僑となる機関紙として発展することを期待し、年頭のアピールといたします。
   一九九〇年一月

二十一世紀にむけた 飛躍の一年としよう
       郵政合同労組執行委員長 長谷川穣


私たちが、郵政合同労組を結成して一ヵ月が経ちました。新連合−全逓に労働者の未来はない、「労働者が主人公の労働組合をつくろう」を合い言葉にして、組合を結成しましたが、全逓地区本部との組織攻防や、労働金庫対策等に追われた一ヵ月でした。加えて、年末年始繁忙に突入し、年が開けて、やっと自前の組織づくりに本腰入れられるかな、というのが実感です。
作った組織に魂を入れる闘いを全力でとりくまなければならないと考えています。
 この年末年始繁忙の業務の中、大量の小包や年賀ハガキの山を処理していたのは、多くのパート労働者、学生アルバイト、外国人労働者たちでした。時給五五〇−六〇〇円程の賃金で、何の保障もない″無権利″状態で、過酷な重労働を強いられているのが彼らのおかれた実態です。
 一方で郵政省は、年平均二五%の業務量の増加を認めながら、定員の削減を実施し、ある幹部役員は「職員一人が二五%の生産性向上を果たしたということだ」と開き直っています。減員した分は同数のパートで補充するということです。
 こうした職場の実態を見るにつけ、パート、下請け労働者を組織するということの必然性を実感すると同時に、そのための主体的弱さをも痛感するものです。本工主義の克服が言葉だけで終わってしまうことがないよう、どのような運動をつくり上げるか、正念場でありましょう。
 諸先輩、同志たちのご指導を仰ぎながら、私たちの想いを実現させていくために前進していきたいと思います。
1989年12月16日
前田さん元気に出獄
  事業認定失効の集会かちとる
 十二月十六日という一日は、前田道彦君とご両親にとって忘れられない一日となったことだろう。
 この長く、また神経の高ぶりを抑えることの難しい一日を、ともに過ごすことになる全国の仲間たちが、早朝七時という集合時間に遅れまいと、そして前田君との感激の一瞬を共有できる喜びを胸にしながら続々と集まって来る。
 集合時間よりも早く出獄させるという横浜刑務所の「粋なはからい」や、彼の残してきた数多くの伝説の中の一つである「学ラン」ではなく、彼が看ていた西武ライオンズのジャンパーやら話題にはこと欠かない。けれども十一年数カ月にわたって、自分の息子の手を握りしめることすらできなかったご両親との再会ほど、凝縮した時間はなかったことだろう。
 こうして始まった「前田道彦デー」は、いうまでもなく事業認定から二十年目にあたる「事業認定失効の日」でもある。昼からの歓迎会、夜の日本橋公会堂における東京集会へと所を移していきながら、静かに、しかし明確に反対同盟の闘いの決意が語られていく。東京集会の最後に読み上げられた「農民宣言」はいう。「さらに二十年の新しい心をこめて力をあわせて頑張っていきたい」「記念すべき十二月十六日の門出としたい」と。きっと前田君も同じ気持ちであったろう。
 しばしの休養をとった後、前田君が獄中で蓄えてきたものと、その問私たちが経験してきた多くの事柄とをつきあわせる討論をやっていきたいと思う。
 (追記、前田君ならびにご両親に、大事な「凝縮した時間」をぶち壊すかのようにカメラのシャッターを押し続けていたこと、遅ればせながらお詫び致します。Y記)
12月17日、仙台
全国から仲間が駆けつけ
 電通労組結成10周年集会
 十二月十七日、電通労組結成十周年記念集会が仙台・共済会館で開かれた。三里塚開港阻止闘争を闘うさなか、電電公社と全電通が結託した不当な処分攻撃に直面し、断固として全電通脱退、独立組合の旗を高らかに掲げた電通労組の闘いは、その後産別的には大阪、徳島の電通合同労組、関東での東京分会結成と全国に波及し、電通労組全国協へ発展した。また、その後宮城、福島での動力車労組の右翼転落に抗して決起した鉄産労、そして昨年十二月、全逓の連合加盟に抗する宮城の郵政合同労組結成に拡大した。
 記念集会には、電通労組の東北・関東の組合員、大坂、徳島の電通合同の代表、宮城、福島の地域の仲間のほか、全国から多くの人々が駆けつけた。
 何よりも直接に組合結成の契機となった三里塚から石井武さんとインタ−現闘団の里中さん、遠く長崎から長崎連帯労組の西村さん、大阪から連帯する会の上坂さん、港合同田中機械支部の刈谷さん、東京から南部支部の渡辺勉さん、東部労組の足立さん、さらに評論家の中島誠さんが特別講演の講師として招かれた。
 二百名を越す参加者は記念集会を厳粛に、記念レセプションを和やかにすごしつつ、ともに九〇年代を闘い抜く決意を礁認しあった。