1993年11月10日        労働者の力                第50号

新しい政治勢力の結集とわれわれの課題

諸運動と共同作業ができる
労働者運動の主体形成を

        坂本 実


状況をどう認識するか

 現在進行しているのは、五五年体制の最終的な崩壊と、それに代わってどのような新しい体制あるいは枠組みがつくられるのかが決定される局面である。五五年体制の崩壊から新しい体制の形成までにどのくらいの時間がかかるのかは分からないが、このつくりかえの過程が根本的なものであることははっきりしている。そして今の局面で、このつくりかえ決定していくすべての政治的な要素が、登場し立候補している。
 この局面にあっては、事態を見守り、可能性があれば新党を出していくということでは完全に情勢に立ち遅れてしまう。どのような新しい体制ができるのか、一定程度かたまった形でできるまで数年かかるかもしれないが、その過程を決定していく要素というものは、この一年、つまり現在の局面に登場し立候補していなければ間に合わない。
 これが状況認識の第一である。
 第二の状況認識はわれわれの出発点に関してである。戦後日本労働運動が完全に敗北してしまって、組織された労働者運動がもはや支配の一つの道具に転化してしまって、旧来の「労働者政党」あるいは「労働者を基礎とする政治勢力を」と主張しても、それが全体を吸引する力をもちえないし、全体を語ったことにならない状況がある。
 第二の状況認識とは、労働者階級の立場に固執してきた勢力にとっては、戦後日本労働運動の敗北から生まれた、こうした負の構造を克服する主張を突き出さなければならないということである。つまり新しい政治勢力をつくり出そうと主張するだけでいいのではなく、負の構造を克服しなければならないというマイナスの要素が出発点にある。特に労働者階級を基礎にしてフェミニズムやエコロジーなどの様々な社会運動と共同して新しい運動構造、政治勢力の構造をつくろうとする場合、この負の構造を引きずりつつ、労働者階級を基礎とすることのもつ全体にとっての積極的な意味を明らかにできる主張が絶対に必要である。

細川政権の危険な性格

 周知のように今年の総選挙の結果、自民党政権が倒れ、細川政権が成立した。社会党・総評構造だけでなく、自社体制、つまり三分の一の社会党の存在と自民党の安定支配体制という構造もが崩壊したのである。そのうえで社会党が参加して細川連立政権が成立した。そして、基本的に戦後革新勢力が最終的に終わってしまったといわれるようになった。
 細川政権は七〇%あるいは場合によっては八〇%という非常に高い支持率の上に成立しているが、この政権の性格についてはっきりと認識しておかなければならない。支持率が非常に高い事実は、国民の間になんらかの変化を期待する意識、あるいは新しさを求める意識が強く存在し、細川首相が「戦後責任」やその「補償」問題に関してある程度前向きの発言(具体的な内容は必ずしもはっきりしていない)をし、これが支持されていることを示している。
 恒例の自衛隊観閲式で細川は「冷戦崩壊後の軍縮の必要」に言及したが、それは彼個人の発言であり、自衛隊の実体をなんら規制するものとしての発言ではない。こうした細川個人としてのイメージ、そして、この点を意図的に強調して報道するマスコミ――こうした事態の積み重ねが高い支持率の背後にある。
 だが細川政権が実際にやっていることは、「これまでの日本国家(結局は自民党政府)の基本政策を継承する」という主張のもとの「第二自民党」といわれる政治である。たとえば、小選挙区制の導入、自衛隊法の改悪、所得税減税と引き換えの消費税率の引き上げの準備、米の自由化の動きなどがそうである。歴代の自民党政権がやりきれなかった小選挙区制の導入を一挙に実現しようとしている。
 これらすべてを、国民の間で細川政権による変化への期待が高いためと見ているだけでは、事態の認識を完全に誤ることになる。明らかに第二自民党の政府あるいは自民党がやりきれなかった政策課題を実現していく政権として存在している。そして社会党がこの連立政権に参加をし、この政権を維持しようとしていることが、細川政権が第二自民党の政権としての役割を果していくうえでの極めて重要なテコとなっている。
 自衛隊法の改悪は、この典型である。連立政権への社会党の参加と、それを口実にした社会党の従来からの原則の放棄こそが、自民党政権のやり残した政策課題を細川政権が実行していく政治日程を順調に進めていくことができる根拠の一つになっている。もはや社会党は戦後革新勢力としての位置を完全に失った、といえる。この意味で細川政権を裏で支えているのは小沢一郎であり、その著書「日本改造計画」に表明されている基本路線にぴったりとそった形で細川は進んでいる。細川政権を、このように第二自民党の政権としてきちんと認識する必要がある。

総与党化状況に対抗
する勢力が必要

 細川政権に関する評価として強調しておかなければならない点は、歴代の自民党政府がなんど挑戦してもやりきれなかった小選挙区制の導入と、いくつかの政府が倒れてやっと成立した消費税の率引き上げの準備である。この二つを両方とも実現しようとしている。消費税は六―七%の引き上げになるといわれているが、これは完全な大衆収奪である。所得税減税の引き換えに消費税率をアップするとされているが、減税と消費税の増税との得失を考えれば、年収六五〇万円以下ではほとんど増税になると試算されている。年収が少なければ少ないほど、消費税引き上げによる負担のほうが減税分よりも多い増税となるのである。
 細川政権に期待すべきではない。細川政権に政策課題がスームズに進む原因は、従来の自民党政権下でこれに対抗して「抵抗の党」「なんでも反対の党」といわれた社会党を軸にして野党が存在し、小選挙区制にしろ消費税アップにしろ抑え込んできたという状況がなくなったことにある。
 しかし、この抵抗の軸である社会党自体が連立政権に参加することを通じて総与党化の状況が生まれてしまった。ここに現在の情勢の特徴がある。しかも、総与党化状況が全体として小沢の「日本改造計画」で述べられている戦略に基本的に合致している。だから、細川政権を第二自民党の政権、小沢戦略にもとづく政策を遂行する政府として批判、認識しなければならない。
 小選挙区制をめぐる十一月の攻防は、公聴会の開催が十一月八日から十一日までと日程が決まり、日程的には年内成立がきつくなっている。この事情の中で自民党との間で原案修正の動きが表面化してきている。しかも、この修正は法案の骨格部分におよぼうとしている。つまり、小選挙区と比例との議席配分、比例区の対象を全国からブロックにするなどである。社会党の委員長も、これを容認する意向を表明している。
 公聴会が終わる頃から修正の内容が具体化し、よりはっきりしてくるだろう。その内容によっては、自民党の再分裂、あるいは、そこまでは妥協できないとして連立政権における社会党の位置が最終的に問われる事態になってくるだろう。
 こういう意味で十一月政治情勢は、自衛隊法の改悪問題を背景にして、小選挙区制をめぐって相当に緊張したものにならざるをえない。しかも、ここには政界再編の可能性をうちに含んでいる。

新しい政治勢力の
イメージとは

 以上のような総与党化の状況の中で、労働現場での労働者の動きはどうなっているだろうか。小沢の「改造計画」によると、それがめざす「五つの自由」の一つに「長時間労働からの自由」があげられている。だが、実際には労働条件は劣悪になっており、また反戦平和の願いとは逆行する事態が進行している。環境、原発、女性の権利などの問題で課題は山積しており、実際にこうした運動は全国で展開されているが、社会党の与党化の中でこれらの運動は個別分散化させれていく傾向にある。このまま情勢が進むと、九条を軸にした憲法改悪という方向へ進展してしまいかねない。
 こうした状況、体制に対抗し抵抗する政治勢力の必要性、しかも、それが全国レベルにまで挑戦できる政治勢力の必要性に応えることが極めて重要な課題になっている。国政レベルに挑戦できるということであれば当然、小選挙区制が今の総与党化状況の中で通過することを想定しながら、かなりの力、つまり三%条項をクリアできるとか、必要な供託金を準備できるなどの力をもった政治勢力の装置がイメージされなければならない。
 こういうふうに考えると、一つの新しい政治勢力が一つの理念や政策でまとまって出発しなければならないと考えるのには相当無理がある。逆に、この内部には非常に多様な問題意識、たとえば環境党や女性の権利の組織などのシングルイシューの主張があっていいし、もう一方では社民的な体制をめざす主張があってもいいし、さらにはマルクス主義の根本的な再建再構築を主張するものがあってもいい。
 しかし、多様さと同時に九条改憲を阻止し、総与党化の政治状況にアンチを主張できる全国的な政治勢力の必要性という共通の認識のもとに、新しい政治勢力がイメージされるだろう。こうした意味で、政治ブロックあるいは共同戦線的な、それぞれの政治主張をもった勢力が共同して公選法上の一つの新党をつくり、その中で様々な共同討論、共同作業、共通の大衆運動を展開し、選挙に取り組んでいく活動を通じて新しい理念、政策を練り上げていくことになる。

なにから挑戦するか

 組織のあり方の問題についても当然、これまでのように中央本部があって都道府県本部があり、中央が指令するという中央集権ではなく、地方分権的な構造になるだろう。共通の問題意識をもった様々な勢力が水平的に全国結合するというものにならざるをえない。組織のあり方に関しては、旧来とは一線を画すようなものが必要となってくる。
 こうした政治勢力の結集に向けて、どのように挑戦していくのか。問題は緊迫しており、現実に様々な動きがすでに始まっている。十一月の小選挙区制をめぐる攻防の中で既存政治勢力の再分裂、政界再編の可能性を含んでおり、これと連動しながら情勢が急速に進展していくだろう。
 具体的には、全労協議長の山崎道人さんが提唱している新党民主フォーラムの動き、岩井章さんが提唱している護憲新党の動き、新潟の市議会議員山田さんが朝日新聞の「論壇」で「社会党沈没のあとのぼくたち」として新しい結集の必要を訴えた状況、井上ひさしさんを党首にして新党をつくろうと夕刊紙に報道された事態など――全国的な新しい政治勢力の必要についての多くの期待とそれへの挑戦が非常に部分的で、まだ全体として統合されていないが、いろんなところから出てきている。
 今重要なのは、これら一つひとつの動きの欠点や弱点をあげつらってつぶすことでなく、様々な人々による現在の政治状況、体制に対するアンチをつくろうじゃないかという動きをしっかり支持して、全体がどうすれば共同作業ができるかという方向で考え行動していくことである。
 最初にいったように、われわれは労働運動を軸に、労働者階級を基礎にした新しい政治勢力を目標にしたいが、しかし、労働者階級の現実がどうなっているのかに関する反省をこめて考えないといけない。地方議員の主張や反原発を闘っている人々ともっとストレートに共同しながら新党、新しい政治勢力の結集に向けて共同作業を行っていくという構えが必要である。その際、当然にも社会党内に残っている人や社会党を批判しながら健闘している人、社会党の構造からは独立、自立している人々を含む共同作業を考えておかなければならない。
 最後に。こういう中で新しい政治勢力の結集に向けて、左派労働運動の一端を担ってきたわれわれの課題はなにか。岩井さんの護憲新党にしても新党民主フォーラムにしても、あるいはこれら以外の提唱にしても、これらの動きを全面的に支える労働者グループというものが見えてこない状況がある。全労協自身も非常にきつい状況にあり、山崎議長が新党民主フォーラムを提唱しても、組織としてなかなか動けないでいる。
 左派労働運動の一端を担ってきたわれわれ自身が、新しい政治勢力の形成に合流する労働者グループとして自らをきちんと形成し、様々なグループ、勢力と共同作業に入っていかなければならない。そういう共同作業に入っていく戦闘的な労働運動の側の主体をつくっていかなければ、新しい政治勢力の形成に外野的にかかわっていくだけに終わってしまう。
   (談、十一月二日)

ソ連・東欧資料センター緊急報告会(10月26日)から

エリツィンの「王様の革命」と独裁

報告者  佐久間邦夫(ソ連問題研究家)

 十月四日、ロシア最高会議は、軍の砲撃のもとにエリツィンへの降伏を余儀なくされた。九・二一大統領令による議会の強制解体という衝撃的事態に対抗し、自ら権力執行を宣言した最高会議の選択によって、ロシアは二重権力状況下におかれたが、決着は武力行使によってつけられた。ロシアにおいてなにが進行しているのか。将来像はどのような可能性をもつものなのか。そしてエリツィンの行動はいかに評価されるべきか。問題はきわめて根深いといわなければならない。以下は、さる十月二十六日、ソ連・東欧資料センター主催の緊急報告会におけるソ連問題研究家であり、翻訳家である佐久間邦夫氏のレポートを要約したものである。レポートは、トロツキーシンポジウムにも参加したカガルリツキーの見解と行動を紹介する形をとってロシアの現実に迫るという方法で行われた。質疑応答を含めてほぼ三時間に及ぶ膨大な報告であり、割愛して掲載せざるをえないことを了承されたい(構成・文責は編集部)

カガルリツキーの政治的立場

 カガルリツキーはロシアにおける社会主義再建を掲げる活動を続けてきている。旧ソ連体制下では反体制活動家として投獄されたこともあるが、彼は、一貫して在野の活動家として旧体制とは無縁な活動家集団の組織化を進め、旺盛な著作活動でも知られる。
彼の政治的立場は、端的にはガイダールらの「改革」路線について「買弁派」と規定することに最もよく表現されている。
「買弁派」は、西側からの資本導入に対応できるのはロシアの資源であり、その切り売りによって外貨を獲得しようとする。エネルギー資源(石油、天然ガス)は西側が最大に興味を示すものである。だがロシアの石油生産はこの間、急速に低下している。最盛期の三分の二といったところだが、ガイダール派はその輸出に力を注いでいる。幸か不幸かロシアの生産も急落し、生産ラインも停止しているところが多い。従ってエネルギー需要も冷え込んでいるという事情がある。
だが他方で、ロシアではガソリンが自由に手に入らない、ガソリンスタンドが閉鎖されているし、冬の暖房がどうなるのかという深刻な事態にある。にもかかわらずロシアは資源を売り物にしている。
つまり、このグループは、国内産業を維持すること、国内生産の低下をくい止めるために最大限の努力をするという、さしあたって指導者として最も重要だと思われる部分を全く無視している。国内産業の衰退をいいことにして資源輸出を外国資本と結びつくための最大限の材料にしている。国内産業の回復はエネルギー需要の急増となるから、産業回復には関心を持たない。それゆえに買弁派なのだ、とカガルリツキーは規定し、ガイダール改革を徹底批判し、労働者、年金生活者の生活を防衛し、工場生産の回復を軌道に乗せていくということを強く主張していた。
 
カガルリツキーの逮捕

十月三、四日の流血事件後に彼の自宅に電話したところ、彼は逮捕されているとの返事であった。まさかホワイトハウスに立てこもっていたのではないだろうなと聞いたところ、そうではないという。警察に直接電話をしてみたが、カガルリツキーという名前を言った瞬間に電話を切られてしまった。彼と連絡がとれたのは、釈放された二日後で、まる一昼夜捕まっていたわけである。
彼の逮捕理由は、非常事態宣言が出された中の夜間外出禁止令に違反したことだった。四日に出された外出禁止令もさほど徹底されず、多くの人々が無視して活動していた。たまたま仕事を終え地区ソヴィエト事務所から外にでた時にパトロールの民警の一団と出会い、逮捕ということになった。留置所では長時間、相当に物理的に痛めらつけられたらしい。

 圧倒的多数がエリツィン非難
 
 カガルリツキーはエリツィン政権の議会解体の行動に反対の立場をとり、様々宣伝活動を行った。大統領令がでた九月二十一日、彼ら「労働党」は不法な大統領令であり、大統領のクーデタだ、と評価した。
モスクワ市ソヴィエト、つまりモスクワ市議会は翌二十二日、直ちに大統領令撤回要求の決議をあげた。労働党はモスクワ市議会ではかなりの影響力を持っていたが、それだけではなく、ほとんどの政治勢力が一致して決議に参加し、圧倒的多数で決議された。
モスクワとペテルブルグはワシントンDCのように特別の市で、他の八十八の地方行政単位と同格であり、モスクワ市の下にいわば東京と同じく区や市がある。これらの地区ソヴィエトも同様にほとんどが大統領令非難決議をあげた。
カガルリツキーによれば、全ロシアのうちの九〇%を越す議会が非難決議に参加したという。大統領令への反発はきわめて強かったのである。
しかし、ルツコイやハズブラートフは、最初の一週間議会に閉じこもって決議をあげることばかりを行っていた。決議によってエリツィンと闘えると思っていた。
より強い大衆行動に取り組む必要があると気づいた頃には、もはや広範な人々を組織するための能力を持たなかった。結局、最も「過激」なグループ、すなわち旧共産党系の過激グループである「共産主義労働者党」、彼らがつくっている「労働ロシア」という大衆団体、および民族派グループ、これはかなりの程度ファシズムに近いグループだが、これらの合体した「救国戦線」つまり赤(共産主義者)、白、あるいは茶つまり褐色(ファシスト)の連合、野合がホワイトハウスのイニシアティブを掌握していくことになる。
救国戦線はテレビでよく報道される「保守派」グループで、活発な実力行使グループである。今年三月の大統領と議会の信任国民投票に際して、エリツィンサイドにたって猛烈な報道キャンペーンを行ったオスタンキノテレビに大衆的、波状的な抗議行動を行っている。こうした行動派がホワイトハウスに組織的に集結した。ルツコイやハズブラートフが議会外政治勢力との連携を考え始めたときに見えたのは、こうした勢力だった。ルツコイ、ハズブラートフのスタンスは急速に「救国戦線」に寄りそうものとなっていった。

 流血の十月三、四日
 
 カガルリツキーら労働党はもっぱらモスクワ市議会(市ソヴィエト)と地区議会(地区ソヴィエト)を中心に活動した。九・二一大統領令の直後から、議員グループで調整委員会を組織し、議会との連携を密にしながら燃料や食料医薬品の供給など、市議会の活動への援助を行った。他方では宣伝活動を行い、全体的に反エリツィン活動の一翼を担った。
 ルツコイ、ハズブラートフは、周辺に集結した行動派、ネオスターリニストのタカ派やウルトラ民族派に接近してしまった。しかし他方、明確には組織されていないがエリツィンに抗議する様々な広範な人々がいた。
 十月二日には数万人のデモが行われた。
 問題は三日のデモである。この日、「労働ロシア」が中心となって数千人のデモを組織し、内務省がホワイトハウスに敷いた包囲網を突破し、勢いづいた群衆がホワイトハウスを取り囲むことになった。前日も当日も労働党の活動家もデモに参加した。
 デモは十月広場に集結し、ホワイトハウスに向かった。カガルリツキーおよび現場を見ていた私の日本人の友人も一致しているが、この日、内務省部隊(機動隊)は阻止行動をとらなかった。十月広場からゴルキー公園入り口を通ってクリミヤ橋でモスクワ川を渡る。そこで「市長側」が最初に発砲した。種々の情報は一致しているが、後から急きょ駆けつけた数十人の警備部隊がデモ隊とぶつかり発砲した。
 最初の激突が始まったが、群衆は容易に突破した。オモン、つまり内務省特殊部隊は手を出さなかった。ホワイトハウスへの道は完全に開けられていたのである。今年のメーデーで、労働ロシアが警官隊と衝突し、火炎瓶を投げるなどの流血の激突となったが、それと同じ場所である。この小衝突ではかなりの民警がデモ隊に参加したことも一致した証言である。
 オモンのこうした行動には、内務省、オモンが民衆との衝突を避けたがったということが反映されていた。
 五月の流血に際しては、内務省、オモンが非難の矛先にさらされた。政治家は一切責任をとらなかったのである。さらにはオモンはかつてソ連時代、バルト三国でのラトビアでの血の日曜日の責任をとらされた。あの行動はクレムリンの大きなシナリオの一部として行われたのだが、政治家はすべて逃げてしまい実行部隊だけが非難された。しかも今回は、エリツィンの大統領令に内心は反対の人が多かったのである。
 こうしてホワイトハウスへの道は開かれたが、その時ルツコイ、ハズブラートフはモスクワ市庁舎攻撃を命じ、さらにオスタンキノテレビを襲えと命令した。ここについてカガルリツキーは、ルツコイ、ハズブラートフはパニック、カタストロフィ状態になっていたのだと分析する。
 襲撃の指揮官役をはたしたのはマカショフ退役元帥である。当初は武器もさほどなくせいぜい二〇挺ほどで、後になって増援されたが、それでも四〇挺程度という。ルツコイは、武力で勝算があったはずはないが、勢いにまかせてあのばかげた行動を指示したのだとカガルリツキーは分析する。
 はるかに強力な内務省部隊は、ホワイトハウスの周辺地域を固めることに主眼をおいていたために、市庁舎やオスタンキノテレビそのものの防衛体制は相対的に弱かった。そこでデモ隊が中に入り込んだ後に、外部から攻撃する形になった。
 
エリツィンの三度目のクーデタ
 
 カガルリツキーはエリツィン反対を強力に主張し、また行動したが、同時にルツコイ、ハズブラートフの行動にも決定的な批判を行っている。
カガルリツキーは、エリツィンの行動はきわめて意図的で周到に練られたものだと理解し、今回の一連の事件は、ロシアの資本主義化を推し進めるためには独裁体制が不可欠だとする考えのもとに準備された計画である。独裁体制をいかにつくるか、いかに議会側を封じ込めるかを目標にした計画であると分析する。
これについて私の理解をつけ加えれば、エリツィンは八月十二日、「九月に政治的大攻勢をかける」という演説を行った。議会を解散に追い込んで、年内に繰り上げ選挙を実施すると述べた。
ロシアマスコミは「九月攻勢」で持ちきりとなり、エリツィンはあちこちで演説しながら、八月は九月攻勢のための「砲火準備」の期間であると言ってまわっていた。問題は「どのようにして」であるかが世界の(ロシアウオッチャー)の注目を集めていた。議会を解散したいというのは、すでに以前から明らかだったからである。
カガルリツキーは今回を「エリツィンの第三のクーデタの試み」と規定する。
第一回目は昨年の十二月十日。連邦崩壊後一年を経て、連邦崩壊の過渡期に議会がエリツィンに与えていた非常特別権限が切れるに際して、その継続を求めた騒ぎである。エリツィンはここでは議会側に敗北した。ガイダールを首相にしようとするエリツィンは、逆にガイダール解任に追い込まれた。中間派のチェルノブイリジンが首相に就任することになった。
第二回目は三月二十日。議会との抗争の中で、エリツィンは特別統治令を大統領令として出す。
議会は憲法違反とし、大統領弾劾決議の採択に動いた。弾劾決議は定足数の三分の二の賛成票が必要であった。定足数は一〇三三で、その三分の二には数十票が不足し、エリツィンはかろうじて解任を免れた。四月の大統領、議会の同時信任国民投票では勝ったが、しかし議会の繰り上げ選挙は通らなかった。第二回目も失敗に終わった。
そして今回が第三回目ということになる。
これまで二回の教訓から憲法を完全に無視する線で出てきたのである。同時に議会だけではなく、地方ソヴィエトの解体をもねらってきた。

十月四日以前の政治状況

十月四日を経て政治状況はどのように変わったのか。
この夏、すでにエリツィン後の大統領選挙に向けて、多くの政治家が名乗り出ていた。
一人はリベラル派エコノミストのヤブリンスキー。この人はペレストロイカ時代に「五〇〇日計画」を立案したことで有名である。彼は、九・二一大統領令直前のモスクワニュース紙での世論調査では五人の政治家の中で人気がトップであった。
二人目はガイダール。「ロシアの選択」という政党を組織している。
三人目はシャフライ。彼は一貫して地方勢力との妥協を主張し、十・四にも批判的である。議会、大統領同時選挙の主張者であった。この案は実は四月時点でのエリツィン、ハズブラートフの妥協の線であり、エリツィンにも呑める案であったはずなのだが。
五人のうちの後の二人はエリツィンとルツコイ。ルツコイはすでにいないから、実際的には四人である。 モスクワニュースの人気投票では、ヤブリンスキー以外は不信任が信任を上回っている。ヤブリンスキーは一般的な人気は非常に高い。彼は、エリツィンと距離を置き、ガイダール以降の経済改革の混乱に手を汚していない。国際的にも評価が高い。ロシアのマスコミはバイアスがかかっているから鵜呑みにはできない。疑ってかかる必要もあるのだが、一応そういう結果が出ている。
八月には、カガルリツキーらの労働同盟は、市民同盟と組んでルツコイを押そうという方針を持った。
カガルリツキーは八月はじめに、ロシア労働同盟の結成を準備していると述べていた。これは労働党とロシア独立労組連合、社会主義労働者党の主体として、団体加盟による共同行動組織をつくろうというものであった。
社会主義労働者党とは、元のソ連共産党マルクス主義綱領派の一部で、反スターリン主義歴史家として有名なロイ・メドヴェージェフを代表者とするものである。独立労組連合は中心活動家が参加を決定したという意味である。このロシア独立労組連合は旧官製労組から出てきており、官製労組が事態の中で変化してきたことが反映されている。ポーランドで官製労組が戦闘化したが、ロシアでも同様な過程に入っている。また、メドヴェージェフは旧スターリン主義体制では投獄された経験をもつが、ペレストロイカでソ連共産党に復党し、その有力な論客としてエリツィン批判の先頭に立った経歴をもっている。
「違うのは過去だ」というのがカガルリツキーの立場であったが、相互の「強み」を持ち寄ろうというねらいのもとに組織化が進められていた。「強み」とは、労働党が在野勢力として旧党官僚機構から全く自由であること、旧共産党勢力が旧体制時代から引き継いでいる全国的なネットワークの力をもっていることである。
現状と将来については基本的に認識が一致する、という「民主派」左翼としてくくれるということである。急速な資本主義化路線に反対し、労働者の生活擁護、生産再開のための要求を強める選挙母体をつくろうということである。
カガルリツキーは「モスクワ人民戦線」の当時から産業テクノクラート、企業テクノクラートへの批判を続けてきていた。そのテクノクラートたちの組織である市民同盟と結ぶのは、買弁派を倒して、国内産業を回復させるという考え方から出てきた。これは労働組合の要求でもある。
私なりの理解をすれば、ロシアにおける労働組合の階級的性格の限界、つまり企業家たちと闘うというよりは現在の過渡期において企業経営者と利害が一致してしまい、それら総体を崩していこうとするガイダールたち買弁派と争うことになっているのである。
ともあれこの夏、カガルリツキーの方針は、旧共産党や民族派の「タカ派」を切り捨て、中間派であるルツコイをかついでエリツィンと闘うというものであった。

十月四日以降の変化 

十月事件の結果の激変は、最大派の中間派の分解となって表れた。
市民同盟の一部は今度の事件でエリツィン支持にまわった。ウオリスキーらの「刷新」グループであり、以前はカガルリツキーたちが接触していたグループであるが、今はエリツィン支持派である。
トラフキンの民主党は、前の安全保障会議の事務総長であった軍産複合体の代表者といわれるスココフが中心になってつくった「祖国のための同盟」に接近していたが、十・四事件後は立ち消えになったようである。スココフは今全然表面に出てきていない。
社会主義労働者党は「右」の勢力、つまりコサック同盟、ロシア復興同盟、石油産業同盟、女性同盟の四組織に接近しはじめた。
こうして労働同盟も立ち消えになった。労働組合も動揺局面に入り、独立労組連合は非常に慎重になっている。
ルツコイの党であったグループは、すでに選挙活動を開始しているが、結論的には中間派大連合でエリツィンに対抗しようとした動きは挫折したというのが現状である。

選挙ボイコットか否か

カガルリツキーの現在の基本的な立場は次のようなものである。
事件までは選挙に向けて様々な努力をしてきたが、現在では十二月選挙はボイコットすべきものだ。理由は不法そのもののクーデタの上にできたものを認めることはできないからである。
私の考えをつけ加えれば、憲法上大統領は議会を解散する権限は一切ない。また、憲法裁判所を解体し、検事総長を首にする、地方の代表による上院形成という構想もなくし、地方議会をも解散を勧告する形で解体する。議会に戦車で大砲を打ち込むという行為を背景にしているために、地方がおびえあがり後退しているのである。
カガルリツキーは以下のように言っている。
「王様の革命」であり、現在までの法は一切関係ない。選挙法も選挙管理委員会もすべてエリツィン派で決め、独占している。十二月議会選挙と同時に行われる国民投票予定である新「憲法草案」もいまだできていない。むちゃくちゃな中での「王様の革命」、法律を全く無視した独裁政権である。
議会選挙でできれば今後のためにも議席を確保しておきたいし、場合によっては市民同盟を支持するかもしれないが、議会選挙と同時に行われる憲法の国民投票への参加を勧めることになることもできない。
本来の意味では「ボイコット」になるのだが、という意見である。

 質疑に答えた佐久間氏の見解
 
軍について

 現在、エリツィン政権は最後の土壇場で軍を動員するのに相当に苦労したという報道が大々的になされている。
 軍をめぐっては、いろんな噂がとびかった。アゼルバイジャンの部隊がホワイトハウスに加わっていたというのもその一つだ。
 現在、旧ソ連ではたくさんの地域で武力紛争がある。アゼルバイジャン・アルメニアやモルドワ問題、グルジア・アブハジア。たとえばアブハジアはシェワルナゼのグルジア軍を破ったが、アブハジア軍にそのような力があるはずはない。実際にはロシア軍がやったのだ。
 十月事件では、これらの内戦地域で動いている「タカ派」と呼ばれる部隊からの参加もあったという噂が広がったのである。最も噂に出たのは、モルドワをめぐるプリドニエストル紛争関係の軍である。ルーマニア民族共和国であるモルダビアには、ドニエストル川の東、左岸に以前からのロシア人居住区が存在していた。モルダビアがソ連から独立してモルドワになった時に、ルーマニアへの復帰を叫ぶ動きが出てきた。ロシア人居住区は恐慌をきたしてモルドワからの分離に動き出し、ドニエストル川をはさんだ軍事紛争へと発展した。その時、プリドニエストル駐在第十四軍がロシア人側にたって出動した。十月三、四日に、そのプリドニエストル軍がホワイトハウス側で出てきたという。少なくともプリドニエストル軍の制服を着ているグループはいた。
 旧ソ連軍を引きついだロシア軍の体制は、ロシア全体もそうだが、きわめて変則的状態にある。旧軍の階級序列が混乱し異常である。旧ロシア共和国軍が独自に組織化された時に引っこ抜き的に旧ロシア政府によって登用された末端の部分が、現在のロシア軍の頂点を占め、旧ソ連軍でははるかに上位だった将校群が下位におかれている状態にある。
 今のグラチョフ国防相と国防次官のボリス・グロモフとは、旧ソ連軍ではグロモフがはるかに高位の上官だった関係である。ルツコイもグロモフの部下であった。グロモフが真の実力者であり、タカ派はグロモフに直結しており、またグラチョフが軍を動かせるような状況にはないともいわれる。グロモフがどうするかが注目の的であった。しかし、今の所はなにも聞こえてきていない。
 軍は実際、惨めな状態にある。過去の栄光も権威もなく、軍事演習一つできない。原潜は修理もされず港で放置され、沈んでいっている。そこで、軍を動かすなら、現状をなんとかせい、という要求が出された。
 内務省と同じように、軍にもエリツィンの手先に使われるのはごめんだという気持ちがある。軍もバルト三国問題では、リトワニアのビュリニスに空挺師団を弾圧に出動させ、痛い経験をしたことがある。ゴルバチョフを含めたソ連指導部が逃げ、すべて軍が責任をかぶせられたのである。
 軍自体が動きたくない。まずい事態になったら、政治家ではなく軍が責任をとらされる。十月四日の砲撃を行ったタマンスキー師団はモスクワ郊外に駐屯している自動車化師団だが、砲撃の夜は異常なまでの厳戒体制を敷いたと伝えられている。報復テロの対象にされることを極度に恐れたのである。軍の心情がここにも反映されている。軍は「内戦」の道具にされたくはないのである。
 そうした軍の状況に対して、エリツィンは大盤振る舞いで応えた。これはエリツィンのいつものやり方でもある。
 軍は事件後、エリツィンから来年からの軍事予算の五〇%増を約束された。これではガイダール改革路線は実行できないことになる。
 ただしこれらの報道には、エリツィン派がマスコミを完全に掌握し、情報操作を行っていることは明らかだから、意図的な操作が働いているとも考えられる。つまり「軍がぎりぎりまで動かなかった」ことを宣伝することによって、軍の投入が計画的なものではなく、議会側の武力行使によってぎりぎり余儀なくされたものだというキャンペーンの一部という可能性である。これらの報道には多くの真実・事実が含まれているであろうことも間違いない。だが政権による情報操作がなされていることもまた事実なのである。
 
市民同盟「刷新」について

 現在、諸政治グループの間で、企業家の奪い合いが起こっている。ウオリスキーは、軍産複合体の代表者であり、旧ソ連時代からの実力者である。またきわめて頭のいい人物で、もともとはアンドロポフにつながり書記長補佐官を勤め、その後軍産複合体の責任者に転じた。アンドロポフとゴルバチョフの関係があることもあり、ペレストロイカの波にもうまく対応した。同時にエリツィンとも悪くはない。
 九一年二月に経済改革を始めたガイダールはマクロ経済の専門家であり、ミクロ経済は全くわからない。ウオリスキーらは半分エリツィン支持に足を入れながらガイダール批判を開始し、エリツィンへの圧力をかける。結果はこのグループから副首相を三人入れることになった。チェルノブイリジンはその一人でその後首相になった。ガイダールとチェルノブイリジンの経済政策のスタンスは全く違う。このグループ「刷新」が市民同盟の中心的組織で、今も市民同盟という形で選挙運動を始めている。
 「企業家の奪い合い」とは、ガイダールが「私有化を推進した」立場として、そのような方面の企業家、つまり新興ブルジョアジー(この言葉が適切かどうかわからないが)を組織し「ロシアの選択」をつくった。またヤブリンスキーも経済改革のエキスパートであり、同じように別の企業家同盟を組織している。
 だが最大は、やはりウオリスキーのロシア産業人企業家同盟である。彼らの強みは企業と労働者の利益が割と合致していることにある。軍産複合体は、民需転換に進むよりは、「国内産業の生産復興のためには軍産複合体の役割が大きい」「軍産複合体でなにが悪い」という開き直りを強めている。
 さらに地方勢力の存在も大きい。地方勢力の動きは外部からはほとんどわからないが、ソ連崩壊期と同じく中央対地方の官僚同士の争いということである。エリツィンは議会と闘うために、地方に大盤振る舞いを行ってきた。その結果、地方権限が中央権限よりも大きくなってしまっている。
 エリツィンは今それを奪い返そうとしているが、中央よりもワンテンポもツーテンポも遅れ、情報もわれわれ外国にいる部分よりも遠い地域の出来事としてテレビで見ている地方の人々が広範にいる。また少数民族の人々もたくさんいる。俗に「保守派」と呼ばれる政治傾向であるこういう人々とも、市民同盟は結びつくポジションにいる。実際のところは市民同盟の勢力、力はわからない。活動の規模からはさほどのものでもないとも見れるが、ポジションは非常におもしろいのだ。保守派が失墜している。保守派が新選挙制度での五%の「足切り」をどれだけクリアーできるかも全く疑問である。したがって中間派に保守派票が流れ込む可能性もある。圧倒的にエリツィンが好き放題を行える選挙だから、エリツィンの優勢は変わらないだろうが。
 また、チェルノブイリジンの位置の変化も見逃せない。テクノクラートの実務家であった彼が、この夏から突然に「政治化」し始めた。有名な「北方領土」問題での彼の発言は、今までであればあり得ないような発言である。しかもその発言をめぐって、内閣公式見解であると主張する彼に対して、大統領府が否定するという応酬がなされた。チェルノブイリジンの位置は急速に重みを増していると同時に、明らかにガイダールと一線を画している。地方との妥協派であるシャフライもそうだが、エリツィン派である。十月四日の軍出動に際してもチェルノブイリジンは積極的に動いている。間違いなくエリツィン支持だが、しかし政治的ポジションは微妙である。
 政界再編成が急激化した中、シャフライの動きには中間派ブロックと通底する動きが見られるが、チェルノブイリジンのスタンスもウオリスキーらを背景にしつつ、独自の政治的存在感を強めようとしてきていたようであった。
 今、十月四日以降の揺り戻しのなかで、諸勢力も様々に軌道修正を余儀なくされつつあり、揺れ動いている。カガルリツキーの発言にもそれが反映している。チェルノブイリジンが今後どう動くのかはっきりは見えてはいない。しかし、その政治的発言の重みが増していることだけは事実である。
 
「独裁による民主化」について

 文化論、政治文化としてロシアを分析する人々には、ロシアの風土には「独裁」が必要とされるとする見解が強い。日本では袴田茂樹さん、ロシアではミフラニヤンが代表する。
 ロシアにおける「民主化、改革には強い腕が必要悪」なのだという見解は、ロシアでも有力で、説得力がかなりある立場である。
 カガルリツキーは、ミフラニヤンらの「強い腕」論が主張され始めたときから批判し、スターリン路線の論理と同じだと規定してきた。
 歴史的に「開明派」君主は強権独裁君主でもあった。また、議会制民主主義への経験が皆無な状態ではどうにもならないどうどうめぐりの「泥沼化」に落ち込んでしまう。議論がいっこうに煮詰まらない。それはロシアのつぶされた最高会議や人民代議員大会の現実でもあった。
 この国にはそれなりの秩序が与えられなければならず、それを強制する力が機能することが必要なのだ、とする見解である。こうした論議はかなり難しい、複雑なものが含まれていて、ロシアの現実を知っている人ほど、ミフラニヤンらの主張にひかれるところがある。
 しかし、今回の事件は自国の議会に砲弾を打ち込んで「王様の革命」を行ったのであり、今はルツコイ、ハズブラートフへの批判が強く、エリツィン批判が陰に隠れているし、また砲撃に衝撃を受けおびえている側面も強いが、しかし誰も納得してはいないことである。
 袴田さんもミフラニヤンも今回のエリツィンの選択は行き過ぎだという立場ではある。シャフライが進めた妥協案で解決すべきだったとしている。
 中国の天安門事件と似通うが、論理のレベルの問題ということがある。天安門事件では、「権力」からの論理からすれば★小平の判断が正しいが、市民社会の論理からすれば反対である。天安門に軍を投入しなければおそらく中国共産党独裁政権は倒れかねなかったであろうという意味で。
 十月四日事件も権力の論理から見れば軍投入もあり得ることである。だがそれでもまだ、エリツィンにはいったん大統領令を撤回し、議会の自主解散と同時選挙というシャフライが進めた妥協を選択するほうがよりクレバーであったろう。
 だが実際には、権力の論理による強行手段が選択された。ロシアが、「開明君主の啓蒙独裁」という文化的伝統からいまだ飛び出していないという見方からすれば、エリツィンが発動した強権の理屈も成り立つ、ということにもなろうが。
付 十月四日以前のロシア  政治地図
 
■<保守派>□
「救国戦線」
 ・共産主義労働者党…ナショナルボルシェビキ→労働ロシア
 ・民族主義、大ロシア主義 
  
■<中間派>□
「市民同盟」
 ・自由ロシア国民党…「ルツコイ党」 クピツキー
 ・刷新…ロシア産業人企業家同盟 ウラジスラブレク、ウオリスキー
 ・民主党…トラフキン(旧民主綱領派)
 ・「祖国のための合意」(93・9)…スココフ、アブドラチーポフ(民族会議議長)、ワルターザーラフ(社会主義労働者党)、トラフキン
  
■<カガルリツキー>□
 ・社会党→労働党(91末)…社会党+アナルコサンヂカリスト左派+旧共産党マルクス主義綱領派の一部(ブズガーリン)+モスクワ独立労組
 ・ロシア労働同盟(93・8)…労働党+ロシア独立労組連合+社会主義労働者党(ロイ・メドヴェージェフ)
 

欧州共同体

通貨統合計画を台無しにした七月危機

クロード・ガブリエル(八月十八日、パリ)

証券市場の規制緩和に賛成した人々をはじめとする「市場」の先駆者たちが今や投機者たちを卑劣と非難しているのを見るのは、なんとも楽しい。七月の通貨危機で投機が一定の役割を果たしたとしても、この投機は危機の原因ではなく、むしろその結果なのである。欧州通貨制度(EMS)は、不況と国家財政の危機の二つの重圧の下に破裂してしまった。

EMSが動揺した

 EMSの規則が変わった。各国の通貨が他の国の通貨に対して変動できる率の幅が、上下二・二五%から一五%に大きくなった。つまり従来の厳しい規制から三〇%を限度とする事実上の変動制に変更し、この範囲内であれば各国政府が自国通貨を維持できると考えたのである。
 各国の政府と中央銀行という主役たちは、まずは楽観主義の態度を表明した。この変動幅であれば、通貨の動揺を抑えられるし、以前の通貨の位置に復帰できると考えた。しかし七月の事態は、何ら偶然でもなく、一時的なものでもない。七月事態の結果、欧州共同体のいくつかの通貨は切り下げられ、そしてより重要なことであるが、EMSの通貨に関する規定が一時的に放棄された。
 事態は大きく展開した。その結果、欧州通貨同盟(EMU)に表現されている単一の通貨をめざす方針が台無しとなった。これは、欧州全体の統合への第一段階としてある金融と経済に関する決定の放棄に至る可能性もある。これ以降、いくつかの政府は、イギリスとイタリアに続いて通貨を切り下げ、自国製品の輸出に有利な状況をつくり出そうとする可能性がある。
 この点を留意してドイツ首相ヘルムート・コールは、共通通貨を実現するための彼によれば「きわめて厳しい条件」を喚起した。同様にフランスの首相は、「各国の経済政策がバラバラなときに経済通貨同盟を建設しようとするのは間違い」と述べた。
 通貨統合に向かって前進するには、各国の経済状況がそれぞれに違っていなければならないのに、実際にはこの数カ月間事態は正反対の方向で進行してきた。各国はそれぞれの問題や矛盾に苦しんでいる。ドイツは、東西ドイツ統一のコストを支払い、資本を引きつけインフレーションを抑えるために高金利政策を続けなければならない。ベルギーは公的債務を減らせないでいる。フランス国家財政の赤字は増大している。スペインでは、失業率が二二・五%に達し、公的債務が膨大になっている――などである。

停滞している英国

 ジョン・メージャー政権でさえ、フランスフランとドイツマルクに対してポンドを二〇%以上も切り下げたのに、経済の基本動向を変えられなかった。イギリス経済は、上昇の気配は全くない。ECのブリュッセル委員会の予測では、地域全体の経済成長率はわずか〇・五%である。
 投機者をただ非難したり、マーストリヒト条約の「自由主義」を批判するのは単に制度全体(資本主義)の根本問題を非難することでしかない。マーストリヒト条約に関していえば、それが単一通貨制度の中心目的の一つに共同体の通貨の動揺の抑制をあげているのだから、無意味である。
 EMSは従来、変動相場制から単一通貨を形成するまでの間の過渡的な安定した通貨制度と考えられてきた。そしてEMSは、各国の通貨切り下げ競争を排除し、各国通貨間の「適正な固定的な為替相場」を決定する働きをしてきた。この制度はまた、各国政府に節度ある金融政策をとらせる働きをしてきた。EMSによってECは、管理不能な短期の変動が起こらないようにしたり、商取引や投資を容易にしたりなどの役割を果たしてきた。
 その当時から、各国の公的債務が同額、同じインフレ率、同じ利子率という理想の世界で、「共通の引出し」で仕事ができ、単一通貨を形成できると考えられていた。そして、この理想状態が通貨統合のための基準とみなされてきた。
 しかし、この過渡期に、欧州単一議定書によって可能になった自由な資本の移動は、経済的、政治的な衝動の下にEMSをバラバラにする危険を伴っていたし、EMS全体をきわめて活発な通貨市場に従属させる可能性もあった。まさに、この事態が発生した。
 不況の中で金融市場の国際化とEC内部での資本移動の増加との傾向が結合した。EMSで各国通貨の為替相場が規制されているため、残されている自由な利子率を活用することになった。ドイツの高金利から始まった利子率の上昇は、インフレ率という「主要基準」や国際収支、流通貨幣総額を規制するための中心的な手段となった。この高金利によって投資と消費が抑制され、不況傾向を強めてしまった。
 資本が市場に入ってくるならば、利子率の競争的な上げは通貨の価値を人工的に高めることになる。スペインペセタがまさにそうなり、それによって輸出の増加が制限され、一九九二年九月の通貨切り下げとなった。
 イギリスでは正反対の事態となった。その政府は、信用の拡張による「単独」での景気上昇をもくろんだ。利子率しか政策の余地がなかったのは同様だが、他の国とは反対に利子率を相当に下げ、結局はEMSを離脱し、ポンドを切り下げた。
 だが、平価に何ら影響もなしに利子率を操作できるはずはない。マーストリヒト条約は、通貨同盟に至る二年間に為替相場の修正は行わないとしている。予定では、一九九四年が為替相場の調整の最後の段階である。
 各国経済の不均衡と不況の影響が国によって違っているために、この最終的な調整は、特にイタリアのリラ、ポルトガルのエスクード、スペインペセタ、イギリスポンドに関しては一九九三年初頭に行われるとみられていた。市場参加者たちは一九九二年九月から、この予測される切り下げに向けて投機を開始した。この投機筋の動きは、切り下げの流れを加速し、同時にECが事態を統制する力を奪った。
 
節度あるドイツ?

 一九九三年七月の事態は、危機に新たな要素をつけ加えた。ドイツは節度あるモデルの役割を期待されていた。同国は、インフレ状態でなく、大きな公的債務も抱えていなかった。現在は、四・五%のインフレ率であり、コール政権は二百十億マルクの連邦政府の歳出削減を通じて、九四年の公的な支出を二百五十億マルクに減額しようとしている。
 フランスは、深刻な不況に陥っており、財政赤字は倍加して三千三百億フラン(国内総生産の四・五%)に達している。同時に企業の生産的な投資は、国内市場の停滞のために減少し続けている。他方、最も節度のない国、EMSを離脱し平価を切り下げたイギリスとイタリアは、その結果として次第に輸出競争力を強め、フランスの困難を強めている。今回は、フランスフランはドイツマルクに対する切り下げを避けられないだろう。フランが現在、投機筋の中心目標になっている。
 こうして、資本の保有者にとっては、EMSの危機の大きな蓋然性がある。EMSは、個別国家をその政治的、社会的な責任から自由にするものではない。こうした深刻な不況の中で各国政府は、自らの社会的、液剤的、政治的な権威が大きく損なわれる事態を懸命に回避しようとしている。
 政策手段は、それぞれが独立しているのではなく、相互に影響しあう。フランス政府が現在、方向転換を図っているのは、そのためである。そして、「強いフラン」防衛のための高金利維持をなぞめかして表現したのである。そのために支払う代価は、不況と失業の深刻化である。
 現在の危機の水準にあっては、中央銀行が介入する手段は限られている、ドイツのブンデスバンクは、一九九二年九月にはイタリアリラとイギリスポンド防衛のために九百億マルクを支出した。そして、この七月には、フランスフラン、ベルギーフランなど四つの通貨防衛のために六百億マルクを支出した。ドイツは結局、国内のインフレを恐れることからする他国通貨防衛のために自らの外貨準備高を支出したり、紙幣を印刷することをやめた。
 新しい通貨制度によって各国中央銀行は、かつては地域のすべての通貨を極度にせまい変動幅におさめることを強制されていたのに比して、ずいぶん楽になった。現在は基準から上下に各一五%の余裕があるからである。

手に負えない市場

 「市場」はこれを知っている。しかし「これを知っている」とは、事態を最も理想的に表現したものでしかない。市場は、損をするのを恐れない金融研究所の集まりではない。その正反対である。金儲けを狙う人々の集団こそが市場である。したがってアメリカのジョージ・ソローズが三日間で百億ドルを動かし、十億ドルをもうけたのは何ら驚きでもない。
 こうしたやり方は実に簡単であるが、こうした投機市場に参加するには膨大な資金が必要である。現在では毎日、一兆ドルが為替市場が動いている。中央銀行が対処するにはあまりに巨額である。
 過去十年間に銀行のやり方は極度に複雑化し、国際化してきた。この市場は二十四時間オープンであり、コンピュータ化し、分散しており、統制不可能である。
通貨危機は、現在の社会経済的な危機の深刻さを明瞭に物語っている。経済再建の図式は、以下のようであった。インフレを抑制すれば利子率の低下が可能となり、ついで設備投資と消費者金融の拡張によって不況からの脱出口が開かれ、その結果、公的債務が減少するというものであった。また同時に、この「デフレ」は、人件費を中心とするコストを低減し、高金利による融資のコスト高という条件下で自己金融力を強化しなければならない企業にとって、その競争力を回復する道と考えられていた。
この間、不況が深刻であったため、この図式の計算が一切だめになった。つまり不況によって、この図式の最終目標である需要が増大せず、また、投資が危険の大きいものにとどまったからである。
 十月にEC首脳会議が予定されており、そこでは関係国すべてによるマーストリヒト条約の批准が「祝福」されるだろう。しかし、今や明白となった事実は、二年前に設定された有名な通貨統合のための基準をどの国も満たしていないことである。たとえば、どの国も公的債務の増加を防げていないし、財政赤字も減少していない。
確かに国家の債務というのは、新しい現象ではない。しかし今日では、公的部門の債務総額はほぼどこでも債務の増額を防ぎ支払い続けていける水準を超えている。その結果、債務が雪だるまのように増大し、公的支出によって経済刺激策をとる余地を大幅に減じている。
各国政府は、民営化を行ってこの状況からの脱出を図っている。もはや民営化が自由主義のイデオロギーによるものだということに頭を悩まさない。どの政府も、民営化が自由になる資金を見出すための手段である事実を隠さない。
欧州統合の第二段階が一九九四年一月一日に始まることを想起すべきである。これは、欧州の通貨制度が中央銀行間の協調を強め、経済政策上の協調に役立つものになることを意味している。つまり第二段階の始まりでは、為替相場が安定したものになっていることを意味している。七月の事態は、こうした想定をすべて台無しにしてしまった。

強まる相互依存

まずは当初の予定通り事態を進行させるという態度を表明した後で、コールのような人物は、通貨同盟の予定表が遅れるかもしれないと述べた。
本誌ではこれまで何度もEMUが各国政府にとってもつ意味を明らかにしてきた。景気後退と国際的な通貨不安に対する競争であり、為替相場を安定させ、EC内部の貿易拡大を持続しようとするものだと述べてきた。EMUは、資本主義全体の利益からすると、一九八六年の欧州単一議定書の「自由主義」に対する修正である。自由主義とは正反対のものではない。
もしEMSとマースリヒト条約を葬りさる必要があるとすれば、同時に「共同大市場」と共通農業政策(CAP)をも早急に葬りさる必要もある。マーストリヒト条約の真の起源は単一議定書にあるのだから。
工業化諸国間での貿易拡大は全世界的な傾向であり、それら諸国間で機械設備、完成品、技術などが交換されている。ことに欧州、とりわけ単一議定書以降の欧州ではこの傾向が顕著である。ECの統計によると、十二カ国それぞれの全貿易量のうち対ECの割合は、一九五八年が三五%、八〇年が四九%、九〇年が六〇%となっている。
これは主要矛盾である。為替の変動相場制の中で、こうした貿易上の相互依存を続けられるだろうか。産業ブルジョアジーは、為替に関する保証が欠けた道を歩み続けられるだろうか。
そうした可能性はありそうもない。そのため次の二つから選択する以外にない。一つは、貿易の必要とシステム全体の崩壊のそれが勝利をおさめ、各国政府が通貨統合をそれぞれのペースで行うというかつてのやり方に固執することである。もう一つは、事態の全体が破局を迎え、単一議定書とCAPが崩壊する道である。通貨の混乱が続く状況では、資本と商品の自由な移動はありえない。こうした状況では、各国の保護主義の強化と相互依存の深まりを背景とした無秩序な競争がもたらされる。
EMU計画は依然として資本主義全体の利益にとって不可欠であり、現在の国際状況でも完全に実現可能な第二のシナリオは、各国の政治と国家自体に一連の危機をもたらすことになる。
だからこそ七月の事態を最大限の真剣さをもって扱わなければならないのである。十月二十九日にEC首脳会議が開かれる。そこでは、旧来の通貨、経済同盟の境界を再定義しなければならない。しかし、欧州各国政府は、それ以上真剣に社会、財政政策を再検討しなければならない。
勤労大衆と失業者は、この分野でこそ七月通貨危機のつけをまわされる可能性がある。(抄訳)
(インターナショナル・ビューポイント誌248号)