1993年12月10日        労働者の力                第51号

細川連立政権――絶頂から一転して危機へ

     川端 康夫


 防衛庁長官中西の辞任問題は、連立七党一会派の細川政権の根底に横たわる矛盾を明らかにし、この政権が誕生以来五カ月めに入って「危機」に直面しつつあることを劇的に示した。中西辞任の発端となった発言は小沢路線を忠実に踏襲したものであり、その意味では中西は「確信犯」として改憲論を主張した。国務大臣の憲法順守義務という、まさに「皮肉」な憲法条項を突きつけられ、しかもそれが改憲を党是とする自民党からの攻撃であったことは、中西からすればまさに意外であったに違いない。だが、中西はもちろんのこと、辞表を受理し同じ新生党の愛知を新長官に任命した細川自身も、中西発を理由にした辞任とは言明することはなかった。辞任理由はただ「国会空転を避ける」だけであり、細川はとってつけたように閣僚発言の慎重さが必要とつけ加えた。中西は、公式には「改憲発言」の責任はとってはいない。

待ったなしの政界再編劇
 
 大臣罷免や辞任が発生するのは、その内閣が末期を迎えた現れであるといわれる。だが、この場合は明確に違う。今回の中西発言に至るまでには同様な発言が繰り返されてきたし、細川や官邸サイドがそれらに注意を促した形跡は一切ない。いわば内閣のめざす基本方向にそった形で一連の中西の行動、発言があったといわねばならない。連立政権の中枢を占める新生党・小沢の路線的、政治的牽引力に寄り添う形で細川内閣の基本路線が成立してきたことを、今回の事態は反映しているのである。
 ではなぜ辞任か。
 自民党が態勢を立て直して攻勢に出た、ということもあろう。しかし、それにはとどまらない。この内閣が売り物にしてきた「政治改革」論を越えて、米、経済、外交、防衛などの総路線において小沢色が顕在化し、連立与党内部の相互のきしみが拡大しつつあることをも表現しているのである。
 とりわけ、消費税率大幅引き上げを主要な狙いとした所得税減税論、米の自由化への踏み出し、国連安保理常任事国化への工作、「冷戦終えん」にもかかわらず増強されるハイテク兵器導入など、全一連の政策路線が政策合意なき連立与党を小沢路線に引きずってきているからである。 
 細川政権は、端的にいえば政治改革以上の合意なき分野に踏み込んだ。本格政権をめざすすのであれば、それは避けられないことだが、にもかかわらず連立八会派にはその構えが事前にあってそうなっているわけではない。政権の矛盾は当然なのである。
 そして、この当然の矛盾と当然の危機は、以前から想定されてきた政界再編の第二幕目の公然たる開始の号砲となる。
 
不透明化する政治改革法案の行方
 
 政権の危機は、政治改革法案そのものの行方にも暗雲を投げかけ始めた。落ち込み続ける景気、公式に否定する口裏から流れる米自由化の動き、減税とは真っ赤な嘘の消費税率アップ。
 「政治改革に全力を」という余裕はないという圧力が一方に出ている。
 補正予算案先議、来年度予算案の年内編成という圧力は、経済の失速感が加速度を加えている事態にあって先鋭になっている。連立与党、とりわけ社会党に拡大する政策的不安感が、今や最大問題となっている選挙区制度への社会党議員造反問題だけにとどまらない波風となりつつある。参議院審議日程が補正予算案先議、来年度予算案編成の割を食い、すでに審議の越年化が必至だとの見方が生まれている。
 年内成立でなければ「政治責任をとる」という細川の大見得問題もあるが、最大の問題となるのは、この法案の担保となっていた「連立政権を維持する」という名分の魔力が薄れ始めたことであろう。越年してどうなるか、政権の求心力がさらに失われるだけとはならないだろうか。
 法案が衆議院を通過したとはいえ、この法案が自民党との「妥協」によってさらに非民主的になり、かつ参議院ではより以上に改悪される可能性が高いから、社会党造反議員を抑え込む力が薄まれこそすれ、強くなることはあるまい。
 法案成立の危機を感じる細川は、なりふり構わずの行動に出ている。一つは参議院での自らの会派、新党、さきがけ、民主改革連合ブロックに新生党の加盟を強要したこと、二つは連合山岸に社会党議員への締め付け強化を要請したことである。だが新生党、そして連合が果たしている役割、その強引さが裏目に出て始めているからこそ、危機が生まれてきているのである。
 朝日新聞が十月二十三日付社説で「われわれにもジレンマがあった」と自己批判したことに示される改革法案をとりまく状況は変化している。細川個人の人気、反自民への期待というふくれあがった風船への追い風だけでは、路線のボロを隠し続けることは難しくなりつつある。
 連立政権の危機は、連立八党を横断する政治再編の動きを加速するであろう。小沢路線であろうが、新国家主義であろうが、連立政権を維持し、あるいはその領域を踏み越えた新たな「新党」に進むという力学が強まることは、火を見るより明らかである――とりわけ社会党、民社、社民連という社会民主主義の立場にあった政党が今や旧来の政治路線を食いつぶして生き残る道は「保守へのなだれ込み」だけという惨状を呈しつつあるだけに。
 反対の動きも当然加速される。社会党の村山委員長を誕生させた力は、社会党の主流派をさらに自認していくことになる。
 自民党は実質的に統一した党をなしていない。政権党ではなくなった同党が独自の求心力を持続しえないことは予測の内であったが、改革法案をめぐる騒動は、単に若手議員だけではなく、後藤田、海部、あるいは渡辺という頂点クラスが遠心化の要素であることを明示し、保守再編が遠くはないと思わせた。
 
連合の圧力と社会党の攻防
 
 連合の選別支持によって狙い打ちされた護憲派議員をも含めた社会党再生全国ネットが誕生した。他方、保守との合流を推進する水曜会は、新たな拡大会派形成に動き出した。社会党は久保、村山を表面的な軸とする分岐を示してきたが、今やこれら両陣営は新たに戦列を再編しつつ、決戦を準備し始めているように見える。
 両者は互いに本流を自認する。つまり、相手を「たたき出す」こと、それによって社会党の「財産」をわがものにしようとすることを狙っている。この発想は党内闘争の論理としては当然すぎるものである。それが大衆不在、民衆不在ではあっても。社会党の世界はそういうものとして経過してきた。
 決着はいずれつく。組織の分裂ということに帰着するであろう。以前の時期のように、そして最近も繰り返されたように人事での取引というレベルでの折り合いという段階ではないからだ。
 そのテンポ、その勝敗が問題だが、連合の介入が大きな比重を占めてくるであろう。連合がさらに前面に出る状況のもとで争われる党内闘争のテンポは、相当に限られた時間的範囲のものに違いない。
 新選挙法案の通過如何にかかわらず、再編が加速されることには変わりがない。決着がどうなろうと、戦後型あるいは五五年体制型の社会党が、そして自社体制もが終わりであることはすでに明白である。

 新しい民衆の政党をめざし
 大衆討論の全面的な開花を

 
 新党結成問題が提起されている。具体化も始まっている。社会党前議員だった上田哲氏は、すでに離党を宣言し、年内にも新党結成を表明する。労働戦線では、全労協山崎議長や岩井国際労研代表が繰り返し新党の必要性を表明している。この両者も年内ないしは年明け早々にも具体化をはかると表明している。
 社会党の財産争いがどうであろうと、五五年型社会党が終わりだという意識がこれらの新党論の根底に流れる共通感覚であることは明らかだ。新たな革新の政党をという提起は全面的に支持できる。
 問題は、あまりにも長く社会党の存在に慣れすぎたことからくる、意識的な主体感の欠如が広範囲にあることだろう。社会党内部の人々が内部闘争論(のみ)に傾斜して発想することも、同党外部が他人事として見ることもまた、政治を社会党に委ねる、あるいはその存在を空気のように当然視してしまうことからくるものだろう。
 だが、空気がなくなるのであれば、窒息を免れるために自ら闘わなければならない。今、状況はそのようなものだ。社会党の連立参加から連立に飲み込まれるという変化は急だった。意識の対応が遅れた。今後も事態の変化はさらに急激化する。おそらく来年の前半期には一定の結論が出るはずだ。
 何が必要か。まさに民衆レベルでの討論である。テレビをみて論評することから、自分の位置での討論に移行しなければ事態には追いつかない。
 新しい民衆政党への討論の全面化を呼びかけたい。
活動家討論

          新たな民衆の政党をめざして
 以下は、主要に労働運動を舞台に新党を追求している活動家の討論(十一月二十四日)である。新党問題へのイメージ的、具体的接近と今後の広範囲な大衆的討論の素材として掲載する。参考になれば幸いである。(編集部)

今なぜ新党なのか

■司会□ 新党問題について、数カ月にわたって労働者の力紙上でそれぞれ発言してきてもらったわけだが、相互に必ずしも一致していないようなところもある。たとえば「一万人の党員と百万人の支持者」という亀谷提起や「共同戦線の党」という加藤提起がある。われわれ全体の共通した方向性をつくる上でも、あらためて討論をつきあわせてみてどういう結論になるか、率直な討論をお願いしたい。
 まずはじめに、今なぜ新党かについての考えを整理したい。
■遠藤□ 左派労働運動分野で今あらためて、全国政治が必要なのかどうかが問題となっている。つまり、資本と切り結びつつ一定の運動ができている。手の届くところ、地域の政治や運動への対応は一定程度やっているが、しかしそこから先、なぜ全国に連動した政治勢力が必要なのかについてまともな論議がされていないことの反映だ。
 労働運動の構造が崩れ、巨大労働組合がむしろ労働者支配の手段となり、原発や反戦運動、自衛隊政策などでも、むしろ労働者に敵対している。この「負の遺産」から出発しなければならないが、それでも世の中を変える労働運動の視点を持ち続けるとすれば、それぞれの労働組合の周りの、自分の身の丈にあった運動をやっていればいいということにはならない。
 今の政治状況総体とどう対決するかを考えた場合、総与党化体制の内部に社会党構造も沈んでしまい、社会党があってその「左に」少数の新左翼がいるという総体が崩されているわけだから、総保守化と対決したいという人々の今の思いは分散化させられている。この総体に労働者部隊は何を主張するのか。抵抗し対決したいという力をどう集めるか、それは自分の政治表現を持つということである。
 単に社会党の左派が残っており、それなりに力があるから一緒になって国会議員を持ちたいというレベルの問題ではない。総保守化構造に抵抗したいという人々の一部として左派労働運動を続けてきているわけであり、全体を対象しての新党問題が出てくる。社会党の新党構想ができればそれを利用する、ということではない。
 岩田軽井沢町議が全国労働者集会で「今までの市民運動は社会党利用主義だった」と述べ、利用主義をやめようと言っていたが、まさにその通りだ。総保守化体制に抵抗するそれぞれのグループ、運動主体が相互に結合し、社会党の補完物でない新しい全国的政治的な表現や力を必要としていることへの対応が求められている。
 しかし、いざ踏み込んで討論してみると、感覚が意外に違っていることが多いのも事実だ。社会党左派の人と討論していてもそうだ。いわゆる社通派のある人との討論での感覚の違いを紹介するが、彼は「現在の再編は根底的だ」と言う。まさにその通りで違いはない。その次に彼は「だから再編は五年、十年かかる。それを通じて新たな枠組みが完成される。その過程では様々な大きな事態が出てくる。じっくり構えていくべきで、今すぐあわてる必要はない」と言う。ここにきて違いが出てくる。
 現実はそういうものではない。そのうちに何か有利な状況がひょいと飛び出してきてうまいことができるだろうということでは、結局ずるずると何もできないままに終わってしまうのがせいぜいだ。
■亀谷□ 私の問題意識はきわめて簡単で、大衆の意識構造はどうだろうかと考えることから始まった。総評はなく社会党もだめになりつつある。土井なきあとは社会党も終わりだ。そう考えていけば、社会党を支持し、革新を立場としてきた人々は当然にも新しい党が必要だと思うだろう、と。
 労働運動を担ってきている人には、閉塞的な現状で労働運動をさらに一歩進めていくためには新しい党が必要だということになり、社会党とある程度結びついてきた地域運動や市民運動からすれば、前々回の参議院選挙が示したように、やはり感覚的にも自分の党、新しい党が必要だということが出てきていた。それぞれが、自分たちにとってどのような党が必要なのか、というイメージがないままではあるが、党の必要を求めていた。
 そうした土壌がすでにあった。そこにたまたまではあるが社会党の崩壊が進み、二大政党が騒がれ、対抗政党が共産党だけという状況がきたとき、やはりこれはおかしいという感覚が相当に強く出て、党のイメージはないけれども「新党」、「護憲新党」だという感覚が一挙に出てきたのだと思う。新党が必要かどうかという討論もなく、新党のイメージももちろんないが、新しいものが必要だという感覚だ。
 新しいものが必要だという感覚に乗ったのが、逆説的にいえば日本新党なりさきがけだ。中身が何もないにもかかわらずあれだけの支持を集めた理由は「新しさが求められていた」ことにマッチしたからだ。細川支持率が七〇%もあるのは、細川の政策の具体的な何かを支持しているというよりは、漠然とした、何かしてくれるのではないかという期待感があるからだ。日本新党へのイメージがバラバラであるにもかかわらず支持率は高い。
 新党構想が、われわれも今の政治状況にあわせた新しいものを打ち出さなければならないな、と感じてきたことを表現すると考えたのである。
 新党イメージについて「一万人の党、百万人の支持者」と提起したが(労働者の力十月号)、それは社会党が十万人の党で一千万の票を獲得してきたわけで、その一割の力もなければどうにもならないでしょうという考えを言ったものだ。一万人が活動家集団として集まれば百万の票はとれるのではないか。ただ、一万人が結集できる党とはどのような党であるか、これから考える問題だが。
■加藤□ なぜ新党か。一例をあげれば、二〇年、三〇年まえに比べればいろいろな運動が広範に出てきている。職場、労働組合としては何もできないようになっているが、家庭、地域に帰れば様々な運動が出てきている。それが職場にフィードバックされずに、やりたいほうだいの労務管理がなされ、労働組合としての対応もできないのだが。
 以前よりは様々な運動がいろいろなところで起きている。だが一つの力としてまとまれない。個別の運動が個別のままに交わらずに専門化し、完結している。運動は後退しているというよりは前進していると見たほうがいいと思うが、問題はそうしたものをどのようなところで政治的に収束していけるのかという点だと思う。
 社会党が崩壊していることは、新党にとって代わられる歴史的段階にきていることではないか。主体的には、自分たちの運動や周りの運動が大きな壁に突き当たっていると感じている。自分たちだけの問題であれば、いろいろと処理の仕方があり、何とかやりくりできるところもあるが、それを越えて社会全体、仕組み全体、つまり根本的な解決にむけて進みきれない、そうした状況でじっと我慢せざるをえない。全労協ができたときに、社会的労働運動が提起された。社会的労働運動とは何か、いろいろと模索はされてきたが結局のところ、「社会的な諸課題をやる労働運動」に切り縮められてきたようにも思う。
 職場での労働者の基本要求だけではなく、社会的諸問題にも取り組む運動ということになって、出口が見えないままにいる。社会的労働運動とは社会全体の仕組み総体を問題にし、メスを入れていく運動へと掘り下げていかないと本当には見えてこないという感じを持ってきた。
 新党形成の問題は、ある意味では労働組合という枠組みではなく、様々な人々と共有する枠組みを意識的につくることという意味を考えれば考えるほど、今、立ち止まっている個々の運動の枠を取り払い、広げ、前進させるための回答にもなる。今こそ新党という理由である。

大衆的インターナショナルとの関係は

■司会□ 次に、インターナショナルとの関連での問題意識はどうだろうか。つまり第四インターナショナルは現在、「大衆的インターナショナルの建設」という視点を提起している。その提起と現在意識されている新党とは、どのような関係になると考えるか。
■亀谷□ 直接に結びつけて考えてしまうと難しくなるのではないか。大ざっぱに言えば、新党は現在の政治圧力に対抗する党がさしあたりどのようにあり得るのかということだから、その発展の中においてつくられた新党が様々な運動や政策を通じて戦略的レベルでどのような方向を選択していくのか、という地平で関連が出てくると思う。
■遠藤□ 前提として、世界的にも日本的にも状況は「ガラガラポン」だという認識が必要だ。このガラガラポン状況の中で、自らが過去の制約から抜け出つつどのように変わろうとするのかを問題意識の最初におかないと、現在の党とあるべき党を区別するという議論が出てきてしまう。
 党が必要となった今の政治状況とは、歴史的な大激動が進んでいる状況である。民衆の運動が合流する中で、たとえばマルクス主義の再生を主張するのであれば、その過程で一緒に行動したりともに問題提起したりして、試されながら進む以外にはない。「あるべき党」の主張には、どこからか正しい指令や綱領やイデオロギーが降りてくる、大衆運動を指導するというイメージが依然残っているという印象を受ける。
 五五年体制崩壊の中で、それに対応しようとする運動、勢力の中を貫いて役に立つものを提起していけるかどうか。共同作業の意味なのだが、たとえば「たかだか選挙の共同戦線問題であって、党づくりはもっと高次元の別の原理原則からされるものだ」ということでは、自らの「敗北」を踏まえ、密室の作業でなく、同時に大衆運動に対する指令型、指導型の党ではない新しいものをつくりだすことにはならない。日本における新党運動を進めることは、同時に自らの政治的再生と結びつかなければならず、おそらくは大衆的インターナショナルの建設の文脈も同様な要素をもっていかないと難しいものとなるのではなかろうか。
■亀谷□ 全労協の経験がいい見本となる。総評がつぶれる中で連合ができ、全労連もでき、そして全労協ができた。しかし、その全労協は依然として総評・社会党ブロックから一歩も出ていない。
 誤解を恐れず言えば、今までの運動とは選ぶ側の運動だった。候補者が提供され、それに対していいとか悪いとか、支持するとか支持しないとかを選ぶ運動であった。それで左派を自認してこれたし、別に大衆的でなくとも過ごせた。
 だが今は違う。選ばれる側に一挙に移行した。全労協は選ばれる側である。選ばれる側であるから、常に方針を出し続けなければならないし、誰かを立候補させていなければならない。大衆が選ぶ側であり、全労協は今までのように社会党に対して選ぶ側に立つということでは進まない。
 全労協を構成している部分、われわれも含めて、善悪は別にしてすでに選ばれる側、テストされる側に立ってしまったということを意識するかしないかの問題だと思う。
 そこにで要求される大衆性がインターナショナルに結びつくかどうか、それは不定としかいいようがないのではないか。

何が新しいさなのか

■司会□ 新党と、われわれが模索する大衆的インターナショナルはあらかじめ一緒のものだとか別のものだというようには問題は立たない、立てないという結論だと確認しておきたい。つまりは、留保の意味を込めながら、過程において判断していくという立場から当面新党形成に集中していくということとまとめたい。
 では、次に新しさということだが「公選法上の党」なり「共同戦線党」なりの提起は正しいものだと思うが、しかし何か言葉が足りないという感覚が残る。新しさに対応する言葉、概念が必要だと思うが、そのあたりはどうか。概念の固定化を越えるという意味で。
■加藤□ おそらく「時代を提起できていない」ということだと思う。「一万人の党」にしても「連合戦線の党」にしても、過去と現在のあり方から演繹、類推されてきている提起である。未来を提起できない。つまり、何に向かって何をやろうとするのかが見えていないということではないかと思う。社会党はだめになった、労働組合もだめになった、われわれが一緒にやれる政治的なものは何もない、だから新らしいものだ、というところで止まっている。未来において何を新しくつくろうとするのか、が見えていない。
 まあ、日本新党を考えてみれば、はっきりしない方が今はナウイのかもしれないが(笑い)。
■亀谷□ 当初は「新しい社会主義政党」という提起をしようと思っていた。今の政治状況に対応してもっともはっきりさせるとすれば、人民の党、新しい社会主義の政党という提起が筋だという意味で考えてきた。しかし、社会主義という言葉には、抵抗があるというだけでなく、様々なイメージが混雑している。社会主義の党と規定した場合、どのような社会主義であるか、党であるかを事細かに説明しなければならなくなってしまう。それよりはわかりやすく、「みんな集まったら」ということで、どういう党であるかいわないほうがいいのかとも思ったわけだ(笑い)。
 いってしまうと選別排除のようにもになってしまう。われわれがそう言うというのではなく、受け取る方が「ああ、これは選別排除の方針ですね」と受け取ってしまいかねないという意味で。言葉でいくら「選別排除ではない」といっても、たとえば「緑で行きたい」人々や「反原発で行きたい」人々にとっては選別排除の政党という印象にしかならないのではないか。それで今は共同戦線的な党で意義なしというわけだ。
■遠藤□ いらつくことは新党という時、新生党、日本新党、さきがけのいわゆる新党三党になっていることだ。新党に対する支持は強い。この間の宮城知事選挙にも見れるように、圧倒的に強いと思われた自民、社会、民社のいわば守旧勢力を打ち破ってしまった。新党であれば保守でも何でも構わないということへの対抗が必要だし、われわれの側にも新党であれば中身は問わないということに流れることへの注意が必要になる。
 総保守体制に対抗する新しい政治勢力が必要であるという意味で、亀谷が言ったように本当は今の社会システムをひっくり返すことをめざした新党が必要なのだ。
 しかしたとえば、社会主義を頭に置くとして仮定した場合には、数限りなく弁解しなければ通用しない。そのような政治勢力は無理だ。だから今は統一的、単一的に集約、収れんするような価値観がない。共同戦線的な党という場合には、今はそんな性格しか持ち得ないのではないの、という意味あいがあると思う。
 いきなり単一の理念で統一できるわけがない。三%条項をクリアしながら、なおかつ共同の作業、運動、討論を展開し、選挙を闘う中で共同の政策、理念ができあがっていくのだ。練りあがっていく理念をずばっと一言でいえれば、こういう政治勢力をつくろうといえるが。そこが悩ましいところで、本来的には、あるいは身内で通用する言葉では「社会主義の再生」といいたいわけだが、それ自身に百も注釈がついてしまう。
 たとえば護憲、人権、連帯、共生、環境などのいくつかのキーワードがある。社会主義という言葉でくくってきた中身を、具体的な言葉でリアルに表現しようという試みである。護憲という言葉は古いイメージがあり守旧派の印象があるが、人権、連帯、共生、環境などの用語を使った方法があると思う。環境新党の提案には、いわゆるシングルイッシューの提案とはいえない要素があるわけで、生産、進歩など社会システムの拡大発展の中での調和でいいのかという提起がある。そうした要素を討論しつつ、カラフルなイメージをつくりだすという課題にせまることだろう。
 「一万人の党と百万人の支持者」という提起について、あらかじめ狭い勢力意識の範囲で考えてはだめだ、という意味で提起されているとすればキャッチフレーズ的にはいいのではないか。はじめから「できっこない」という反応が出てくるとすればいささか疑問だ。むしろ「それでは狭すぎる」という批判が出てしかるべきだと思う。たとえば岩井章さんは「二万人の党員をめざす」と言っている。
■加藤□ 共同の党などの枠組みすらはずした、一人党の集合というような形で広げておかないと、極端な話、一八〇度違った方針を持つような人々が同居できるようなところからやり直す、始まるということが必要だとも思うが。
■遠藤□ 加藤提起の主旨は賛成だが、たとえば日本新党が環境派議員や市民運動グループなどを一定程度引きつけて分解させてきた過程があった。それがこの間の細川政権の現実の中で、細川の評価は相当にはっきりしてきたと思う。だから「一八〇度違う」という場合、日本新党の評価をめぐって諸戦線が分岐してきたことを意識しないと、文字どおり極端なことになってしまう。
 住民運動、環境運動、生協運動などほとんど分岐している。知事時代の細川がやったことを見れば、いかに細川新党が環境問題に対処するか鮮明だ。そうしたことを踏まえて分岐がある。それに対して、労働戦線なり政治運動の方があいまいなままにいれば信用されるわけがない。

具体的なイメージは

■司会□ 次に具体的な見通し、状況判断をふくめた新党への接近をどう考えるか討論したい。
■遠藤□ 小選挙区制をめぐって、社会党の内部がどうなるかが一つの要素になって新しい政治勢力つくりへの諸要素がだいたいはっきりしてくきたのかなと思う。
 一つは社会党内部で小選挙区制度に反乱している護憲派、左派がつくった「護憲の社会党再生強化をめざす全国ネット」。これは左派、護憲派、議員グループをほぼ結集したものだ。労働組合レベルまでの結集にはなっていないが。
 もう一つは、あえて名づければ市民派政党派ともいえる動き。さらに地方議員グループを中心としたローカルパーティー、その連合としての全国連合。重なってはいるが少し違う位置での環境派議員の動き。以上が見えている要素だ。
■亀谷□ 社会党という「会社」の再生強化をめざすという場合に、会社のオーナーの位置にいる連合の動きが決定的な要素となる。「従業員たち」は遅くとも六月には整理解雇されることになると思う。
 一月党大会で会社は危機だということが明らかになる。参議院を通過して六月には区割りが決まる。来年秋に総選挙があるとすれば、遅くとも六月頃には臨時党大会が開かれなければならない。
また、九五年統一地方選挙を意識した場合、準備に一年かかるとして、来年六月には少なくとも各県本部を再編し、左派を切った選挙態勢をつくらなければならない。島根の分裂のような事態に対して処理がずるずる長引くというのでは、党の基本組織は県会、市会議員をめぐる動向が問題となるわけだから、中途半端なままに統一地方選挙になだれ込むということはあり得ないことだ。
社会党が生き残ろうとするのであれば、六月分裂が必至という結論が出てくる。だから左派が好きなことを言えるのは六月までだ。それまでに左派への懐柔なりどう喝なりが続く。六月にはすべてが「つぶされている」と思ったほうがいい。
■加藤□ だから岩井さんは一月党大会ではっきりさせると言っている。
■遠藤□ 新党が必要だといっている人のほとんどの共通感覚として、社会党の再生が必要だとか可能だとかは考えていないといっていいのではないか。
 新党へ合流すべき要素の一つとしての社会党系列のグループ化が再生ネットとして見えてきたが、この再生ネットがまるごと新党に参加するとも思えない。再生ネットの中の「永遠再生派」がまた煮え湯を飲まされることになるという指摘はその通りだと思う。だが一応グループ化はできた。
 そして市民運動グループや地方議員らの動きも進み始めている。問題は、労働運動に足場を持ったグループとして新党を主体的に担うというグループが全く見えないことにある。連合は社会党のオーナーとして強引に引きずっている。自治労も教組も引きずられている。しかし対抗すべき全労協は、護憲新党や岩井構想あるいは山崎全労協議長の護憲民主フォーラム構想には乗っていない。全労協自身が亀谷が言うように旧来の社会党・総評構造を引きずっている。全労協イコール社会党主流ということだ。
 新しくつくられる政党が、労働者階級の党として純化されるとは思わないが、にもかかわらず労働者階級の中に一定の足場をもち、闘う労働運動グループが一定の位置を占めないとだめだと思う。
 率直にいって非常におぼつかない状況だと思う。われわれは地域運動連絡会議がその役を担うべきだと主張してきたが、そうはなっていない。地域運動連絡会議の構造から見れば、労研センターより左は役職を持っていない。だから東北ブロックを除けば左派の意向は全然反映されない構造である。
 とすれば、大阪集会から十月会議へと引き続いた独立派が、最低まとまってがんばって推進力になるグループとしての固まりをつくらなければならない。
 一方、社会党や労働組合サイドからは、本当に市民運動が党などに結びつくのかという、疑問が出されている。確かに社会党のサイドからすれば、市民運動の不定形さや政治ぎらいを意識せざるをえないのは理解できる。
 だが、その市民運動から新党が必要だという意見が出てきている。これは正常なことで、前々回の参院選挙で市民グループが三つに分解して敗北した経験を繰り返さないという意識があるし、内田選挙を通じた経験の蓄積もある。ところがミニ社会党的なものとなることには強い反発もある。
 現実的に考えた場合、たとえば国会議員が複数参加した「公選法上の新党」ができる場合、そのイニシアティブは社会党左派、協会派になる可能性が高い。その場合、排他的にはならないとは思うが、少なからず横柄に対応することが考えられる。「ついてこい」「入ってこい」という態度になりかねないわけで、これでは両方ともにつぶれてしまう。
 こうした想定される事態に対して、独立派の労働運動グループが力をもって働きかけることが必要なのだ。

新党と社会党との関係は

■司会□ 具体的に考えて、二つのコースが考えられる。一つは社会党の分裂、それが少数グループであろうとも、その分裂に市民運動やその他のグループが合流する形を想定しているのか。あるいは新党というものが一定の共通イメージがあって、そこに社会党から出てくる人たちも合流するというイメージなのか。
■加藤□ 性格的には後者でなければならないと新党の意味はない。そうでないと新党としては成立しない。綱引きだろう。社会党が分裂してできるものに市民運動の人々も入ってこいという力が働くが、それが全般化するとはいえない。事態はそんなに甘くはないと思う。そこをどうするか、新党を準備する場合に積極的に動くことが問われるところだ。
 成りゆきにまかせたらばらばらのままに一緒になれず、別々になっていく可能性が高くなるだろう。悲劇的な事態となりかねない。
■遠藤□ 矛盾だ。後者でなければならないが、たとえば社会党から分裂してくる部分は大きければ大きい方がいいわけで、大きければその分だけ前者の幻想が膨らむ。これだけ出てきたのだから「この指止まれ、ついてこい」的な雰囲気となる。それではミニ社会党で破産してしまう。大きく割ることを追求しながら、割った人たちも含めて後者の立場に合流することができればいい。その場合、社会党であった立場、割らざるを得なくなった総括がされ、割った意味が出てくるることにもなるが、そうでなく正しかったからこうなったという立場をとる可能性も強い。自己批判がないとどうしようもなくなるだろう。
■加藤□ 社会党分裂で社会党サイドの構造が決定する前に、外部、つまり市民運動や独立派などが新党結成の基盤の具体的な準備を始めていなければならない。だが、それが秘密的に進められるものであれば、おそらくは非常にいびつな新党になってしまうだろう。
 新党はむしろ政治ショー的で、大衆運動的にわいわいと騒ぎながらつくられる新党でなければならないと思う。さらにいえば、あらかじめ枠組みがあってそれに結集するかどうかということではなく、つまり全国があって地方組織があるというのではなく、運動的には地方も各戦線も合流して新党をつくる。社会党系列の人々も無視できないエネルギーをもった全国運動をつくっておくことが必要なのである。そこを成りゆきにまかせてはならないわけだからこそ、新党イメージや新党の方針をつくる人々の公開の場、構造をつくりださなければならない。すべてが公開されるべきだとは言い切らないけれども、公開性が決定的だということは強調したい。
■亀谷□ 市民運動が、独自に総体としての全国結集をするとは思えない。環境運動は環境の結集ということ以上にはならないのではないか。触媒の役割を全労協なりの組織が担えれば、それぞれの多種多様な意見、見解の突き合わせの場ができていくと思う。それを通して市民運動と労働運動がともにやれることは何だろうかという討論が可能にもなる。
■遠藤□ それにつけ加えて、市民運動が強いところの多くは議員を持っているということになる。だから革新議員、地方議員の全国的集まりで論議される場合に、しっかりした運動的、組織的な背景をもった人々の意見が表現され、反映されることになる。様々なローカルパーティー論などがある。それはいい。それらを横につなげるとどのような組織形態になるのだろうか。地方自治体議員の役割は大きい。そうした力が媒介になってこないと、一般的に市民運動といっても見えてこない。
 東京でのいくつかの動きはあるが、それは内田選挙などを通じて蓄積されてきているもので、全国を見れば落差は激しいわけだから、なおさら地方議員の横断的結合の位置は大きい。新党への接近にあたって重要な鍵を握っていると思う。
具体的な日程――
どう準備するのか

■司会□ 具体的なテンポの問題はどうか。手はずはどうか。
■加藤□ 選挙区制度問題で社会党から一〇とか二〇とかの議員が離脱するということになれば事態は違ってくるが、実際問題としては選挙区の区割りが決定される五、六月には新党の骨格ができていないと話にならないということになるのではないか。三月段階では具体的に進んでいなければ間に合わないだろう。
■遠藤□ 岩井構想の年内が一月にずれ込んでいる。その岩井呼びかけが、社会党内部に限定された集まり、懇談会であるならば、少々の意識のずれが生ずる。社会党内部で様々に努力されることはいいことだから進めてもらっていいが、先ほどの話に出たように社会党サイドで話が決まった、さあそこに結集してくださいというのではよくない。準備段階から開かれた共同性がなければ、それは共同作業とはいえない。そうした観点からの動きを早急に進めなければ、遅くとも一月段階で具体化しなければ間に合わない。
■加藤□ 一月党大会問題は微妙なところで、出ないという人もいれば、出て華々しくやり合いたいという人もいるようだ。それとは別に、地方議員や労働運動活動家を対象にした動きは党大会を待っては間に合わないから、新党懇談会は年内にはできないだろうが、そこに向けた準備会的なものをやろうという機運はある。
 これから、たとえば宮部(工人社)さんが出しているような、候補者リスト作成にあたっての予備選挙とか公選制とかの、面白い発想がたくさん出てくると思う。面白いけれども社会党はとても飲めないということになるだろう――何のために離党したのかわからないという議員心理が出るのは明らかだから。そこは変わってもらわないと。
■司会□ どうもありがとう。だいぶイメージが煮詰まったという気がします。 

ロシア エリツィン・クーデタ

新しいツァーが生まれた

 インターナショナル・ビューポイント誌モスクワ特派員  ポール・F・ラーセン

 ロシア大統領ボリス・エリツィンは九月二十一日のクーデター後、十二月十二日に新しい議会の選挙を行うことを公約した。しかし、未だ選挙方法の詳細は明らかにされていない。公認された政党のリストなどは発表されていない。インターナショナル・ビューポイント誌モスクワ特派員は、選挙は一幕の笑劇となりそうだと伝えている。

議会解散から十月四日へ

 エリツィンのクーデターは、九月二十一日の議会解散として始まり、その論理的な結論として十月四日のホワイトハウス攻撃とそれに続く実質的なすべての野党勢力の禁止に帰結した。エリツィンは、絶対的な権力をもつ君主の座にある。というのは彼は今や、国家に関するいかなる問題について布告でもって決定できるからである。この状況は、ほとんど正当性のない弱体な議会をもたらすにすぎない十二月選挙後にも質的に変わることはない。
 エリツィン派は、これまで何度となく自らのスターリニスト的なやり方を革命前のロシアの特質を口実にして言い訳しようとしてきた。こうしてエリツィンは、疑似議会の下院を「ドゥーマ」と名づけた。しかし、いくらきらびやかに飾ろうとも、エリツィンがロマノフ王朝の初代ツァーではない事実を隠すことはできないし、また政治的な混乱と経済的な混乱に悩んでいる国家の長としての彼の「王朝」がそんなに永く続くこともありそうにない。実際、彼の存続を保証しているのは、十月の事件が劇的に示したように弾圧機構なのである。つまり彼の政治生命は、武装勢力、警察、治安機関などが最近、国防大臣パベル・グラチェフが表明した「ボリス・エリツィンこそが、ここしばらく、そして今後の五年間においてわが国を危機から脱出させうる唯一の人物であると、わが国と国民の大部分が信じられる指導者である」という信念にしがみつく限りのことである。
 リベラルなマスメディアが生み出した神話とは逆に、一九九〇年三月に選出され、基本的に当時のノーメンクラツーラ内部の力関係を反映していたロシア最高ソビエトと、エリツィンとの間にはもともと大きな矛盾はなかった。そして、ある意味ではロシアの「不可侵」の政治指導者としてエリツィンを「創出」したのは最高ソビエトそれ自体であり、彼を最高ソビエトの代弁者として選出し、その後、彼に異例の特別権限を与えたのもこの議会であった。最高会議多数派内部のきわめて不均質な官僚利害の存在が、一九九一―九二年冬のエリツィン攻勢後になって、やっとはじめて議会の抵抗を生み出したのである。その攻勢は、ロシアが大部分のソビエト機関を専一的に支配し、価格の自由化を行い、それによってソ連邦の消滅とロシアにおけるIMF(国際通貨基金)式「ショック療法」の道を切り開いたのであった。
 両者の闘争は非常に長引き、この間、一九九二年四月(政府が辞任の脅しをかけた)、同年十二月(ガイダールを解任)、一九九三年三―四月(エリツィンはクーデターに向け「リハーサル」を行った)と大噴火があった。しかし、これらの「爆発」の間に、交渉がなされ、全般的な妥協が試みられ、両陣営の相互とそれぞれの内部で再編が生じ(ルツコイはその典型)、この闘いの非敵対的な性質を示していた。

分解過程

 頂点の闘いは部分的には彼ら独自のシナリオにそって進んだが、しかしロシア社会全体の危機は、国家機構の分解過程を加速した。国家の頂点での対決が尖鋭化するにつれて、ことにエリツィン陣営側は、経済の極度の不振と新憲法草案作成の失敗によって、より絶望的な状況になっていった。こうして九―十月に対決が頂点に劇的にのぼりつめていった。
 議会側指導部の政治的な限界は、ホワイトハウス包囲の全期間を通じて明白であった。数千、時には数万の人々が議会周辺に結集したが、議会側指導者は大衆動員を拡大する努力を真剣には行わなかった。また工場での支持を獲得するための組織的な努力も行われず、その結果、「政治ストライキ」の抽象的な呼びかけを誰も注意して聞かなかった。
 この部分的には自ら課した孤立こそが、民族主義過激派やファシスト方針さえもがホワイトハウス防衛に関して多大な影響力をもち、恐ろしい結果をもたらした主要な原因であった。十月三―四日の流血事件の詳細な叙述とその直接の原因は、現在の論点であり、短期間のうちには解決されない問題である(一九九一年八月の失敗した蜂起は二年を経過した現在もなお、謎に包まれている)。だが、ホワイトハウス防衛側がおそらくエリツィン陣営の挑発(いくつかのリベラル派のメディアでさえ、エリツィン側挑発説を支持している)にのって、オスタンキノテレビ局に対して攻撃を加えて以降の政治結果は極めて明白である。議会指導者の大部分は、二週間の包囲期間中にある程度大衆的な信頼を獲得していたが、決定的な数時間の過程で大衆の支持を失い、エリツィンの巻き返しに対して大きく扉を開いてやったのである。

十月四日後の弾圧

 ホワイトハウスでの虐殺後(その犠牲者の正確な数は未だ厳重な秘密にされている)、エリツィンは残る敵対勢力の中立化を図ったが、治安大臣ニコライ・ゴルーシコは、「法と秩序」の名目の下にすべての「破壊分子」に対する「監視」を強めると公約した。モスクワ市ソビエトは解散され、野党(その多くは十月事件に関係がなかった)は禁止された。数千人のコーカサス系人が組織的な虐殺のような作戦によってモスクワから追放された(数万人が逃亡したといわれている)。コーカサス人に関係する作戦は、公式には「マフィアに対する厳格な法の適用」といわれたが、しかし、その恣意さと残酷さとは、それが単にロシア人マフィアを「南部」の潜在的な対抗者から保護するために行われたことを示している。ロシア人マフィアは、すさまじく腐敗しているモスクワ市当局と密接に結びついている。
 こうした政治的な雰囲気の中で、そして政党の禁止やマスコミに対する検閲という状況の中で、「公正」な選挙は明らかに不可能である。九月二十一日以降、選挙法は、エリツィン政府とリベラル諸政党との間での交渉によって四度も改定された。
 現在の状況と一九九一年秋の状況との類似を考えることは、ある意味で理由がある。エリツィン派は政治ヘゲモニーを再確立し(今回は人民の支持以上にはるかに圧制に依拠して)、このヘゲモニーを利用して経済的、地政学的な処方箋を実行しようとしている――一九九一年では連邦の次元で、そして現在はロシアの次元で。だが、二年間の経済「改革」と国家機構の深刻な腐敗によって、エリツィン派が当初もっていた力の大部分を失い、その大衆的な基盤は損なわれてしまった。数次におよぶ「安定化計画」にもかかわらず、一九九三年のインフレ率は一三〇〇%にもなろうとしており、年末の失業者は五百万人に達しようとしている。
 パンに対する補助金の廃止をはじめとする最近の経済自由化で、国民のおよそ三分の二が公的な貧困線以下の生活を送っている中で、エリツィン派は、彼らのより重要な基盤(たとえば、さらに貧困化したホワイトカラー労働者層)からさえも抵抗を受ける可能性に直面している。

用語の意味変更

 社会全体が繁栄する道というリベラル改革に関する神話は最終的に崩れつつある。エリツィン陣営の論客でさえ、あまりバラ色ではない「改革」と「民主的再建」が独裁に転化した現実に合わせて自らの用語を修正している。エリツィン支持者のG・ブルブリスは十月十五日付のイズベスチャでリベラル路線を次のように定式化している。
 「今日の行政府は、たとえ彼らが市民社会の精神を身につけていないとしても、自らを富まそうとする一団の人々が急速に出現することを望んでいるし、そのための路線をとっている。……こうした一群の人々をどんな名前で呼んでもかまわないし、そして弁明するのではないが、その中に犯罪分子がいることも認められる」
 事実、エリツィン支持勢力の中心には、次の二つが結集している。一方は、新富裕層で、旧ノーメンクラツーラ、知識人、犯罪界から出現し、富を主として投機的な商取引によって蓄積した勢力であり、他方は、行政機構の高官で、旧制度の構造とその人脈を大規模に利用している。
 だが、こうした勢力の存在自体は、権威主義的な体制にとっての十分な基礎ではない(たとえ主観的な「意思」が長い間そこに存在したとしても)。そのためエリツィンは自分のクーデター計画を実行するためには、これ以外の勢力、特に弾圧機構を説得して計画に参画させなければならなかったのである。しかし、エリツィンと弾圧機構との結合関係は事情まかせであり、権威主義的な支配が非常に長期にわたるとしても、その期間と弾圧の程度は、前もって結論されているのではない。

軍の新しい位置

 明白な勝利者はまさに軍やその他の「武装機構」であり、それらとエリツィンとの関係は相互に対立している。エリツィンは軍事費の削減を決定し、この数年間に将官の生活水準は悪化してきた。他方、軍の高級将官は、相当の政治的な影響力を獲得し、エリツィン支配下で自由に行動する余地も新たに確保した。
 軍が政治的な力を強めたという傾向は、CIS内部での一連の紛争に示されている(たとえばモルドバのトランスオニエステル、グルジアのアブハジア、タジキスタンなど)。そしてロシアの軍事的な関心は、軍事介入の可能性を含めて強く、コズィレフ外相の公式政策の言辞と一度ならず対立している。同時に、武装機構は、国家全体への民間諸構造の全般的な浸透に対して免疫がなく、その結果、腐敗がはびこっている。国防相グラチェフをはじめとする高名な多くの将軍が、大規模の詐欺や汚職で告発されている。こうした事情がまた、軍が現体制にさらに寄り添おうとする動機になっている。というのは、現体制がこうした告発に関して、調査することがなさそうだからである。
 したがって、警察や治安機関(旧KGBがほとんどそのまま残ったもの)を含め将軍連は、エリツィンに近づいた。だが、それは、何時間も考慮しためらった結果なのであり、これは、武装機構指導部内部に違いが存在していることを示している。
 ホワイトハウス攻撃以後、エリツィンが最初に行った重要な政治決定は、新しい、より防衛的な軍事ドクトリンの採用であった。明らかに軍事機構をなだめる目的が込められていた。しかし、この譲歩が十分であるかどうか、あるいは政治的な不安定と社会不安が持続する状況にあって将軍たちがロシア国家の極度に深刻な危機に対する自らの解決策を実行に移そうと決定するかどうかは、ただ時間のみが決定する。十月四日以後、こうしたシナリオがよりありそうなものとなった。

諸政治勢力の傾向

 「政権党」を形成しようとしたにもかかわらず、それが登場しなかったことは、エリツィン大統領時代の一貫した特徴の一つである――彼の支配の基礎が弱いことの徴候である。事実として「民主派」は、「旧共産党勢力」に劣らず分裂状態にある。そして仮にクーデターがリベラル勢力の一部――彼らの唯一の共通分母はエリツィンでしかない――を元気づけたとしても、その現象は一時的なものにすぎない。
 政権内部のマネタリストと産業主義者との対立は現政権の基本問題の一つであり、その対立が露呈している問題としては、IMFが強く反対している新ルーブル圏の設置、ほとんど破産状態のままに放置されている国営企業の問題、国営農場とその民営化の速度の問題などがある。
 十二月選挙の準備段階でリベラル派の様々なエリートたちは、懸命になって最も有利な立場を追求している。と同時に、おそらくそんなに遠くはない「エリツィン後」の時代をも視野に入れている。
 親資本主義勢力としては、次の主要な三つが登場している。ガイダール率いる、頑固なリベラルを組織しているロシアの選択。セルゲイ・シャフライ率いる、親リベラルの地方エリートや産業家を結集するロシア統一党。エコノミストのグレゴリー・ヤブリンスキー率いる、エリツィン派よりもケインズ主義の傾向が強い、名前がまだついていないブロック。
 一週間にわたるエリツィンと議会との公然たる対決の間、中間派の市民同盟は――その中心を経験豊かなノーメンクラツーラであるA・ボルスキーとそのロシア産業人・企業家同盟が占めている――明らかに低姿勢をとった。この事実は疑いもなく、民営化が進行するにつれて経営者の立場が全体としてよりリベラルなものへ移行していることと同時に、ボルスキー一派の利益が両陣営との良好な関係のを維持にあることをも示している(市民同盟は、形式的には野党であるが、政府に閣僚を送ってもいる)。
 ボルスキーは、産業界に基盤があるために取引において明らかに有利な立場にある。そして議会解散によって生まれた野党勢力の真空状態を、この勢力が埋めることはおおいにありそうである。地方においては、エリツィンが地方ソビエトに反対の方向に動き、地方執行権力が彼に反対したのだが、それでも野党に相当な可能性がある。
 地方エリートは情勢の安定を望んでいるが、しかし中央が強力な統治を行うことは望んでいない。改革が進行するとともに、地方相互間の違いが強まり、地方主義を盛んにし、中央に対する地方の抵抗を増大させている。この傾向は、四月の国民投票ではっきりと示された。すなわち、ロシアの大部分の地方は、エリツィンに不信任票を投じたのであった。そして、この事実は、中期的には「強力な連邦」を形成しようとするいかなる計画にとっても克服できない障害となるかもしれない。

独立労働組合連合

 ホワイトハウス包囲中、ロシア独立労働組合連合(FNPR、かつての官製労組)は、議会防衛の側に立った。この立場のため、FNPRは政府の集中攻撃を浴びた。エリツィン派は、FNPRに財産剥奪の脅しをかけて、その議長イゴール・クロチコフを追放し、労働組合活動の一時停止措置を導入した。この方向への一つの措置は、すでに九月二十一日の大統領布告として、形式的には組合自身によって社会保障基金の司法権への移譲として行われていた。
 FNPRは、その指導部段階で進歩的なイニシアティブをとることができているが、基本的には官僚的な一枚岩主義であり、社会的、政治的な現実を変革する力とはなりえていない。
 エリツィン派が勤労人民の犠牲の上にさらに自由化を推進するときに生まれる闘争において、前述のFNPRの基本性格はそれ自身にとって重大な問題を提起するだろう。すでにFNPRには、いくつかの裂け目が存在しており、地方支部や周辺組織は連合から抜けようとしている。他方、FNPR外部のいわゆる独立労働組合は、一般的にリベラルと結びついており、反労働者階級の改革や旧労組の不十分さに対する明確な方針をもってはいない。

左翼の困難な状況

 こうした労組運動の状況と人民の運動が基本的に存在しない中にあって、明らかに左翼にとって重大な問題が提起されている。FNPRの一部からの支持を得ている労働党は、左翼知識人の宣伝活動体の域を未だに越えていない。その他の小さなアナーキストグループや社民左翼の状況は、これ以上に悪く、組織構造の維持と生存に懸命である。
 ほとんどの旧ソ連邦共産党出身の組織は、革命派の組織よりもはるかに大きく、東欧の選挙で示されたように選挙でかなりの支持を獲得しそうである。だが、十二月選挙では、この事態は生じないだろう。というのは、大部分の旧共産党系組織が選挙に参加できないし、選挙ボイコットを訴えることもできないからである。
 選挙に参加するか、それともボイコットするかの問題は、ロシア連邦共産党をはじめとする多くの組織にとって重要な対立点になっている。同党指導部は、他の政党の候補者名簿を通じた方法による選挙参加を考えている。他方、同党の地方組織の大部分は、ボイコットを呼びかけている。
 L・バルタザローバとロイ・メドベージェフの社会主義労働党は、労働組合や他の左翼組織(たとえば労働党)からの候補者を含む名簿を提出している。
 明らかに選挙は、反弾圧と民主的な権利のための闘いと同様に、左翼にとっては重要な挑戦課題である。最初の重大なテストは、十一月七日の十月革命記念日であり、これに向けてデモが呼びかけられている。ここしばらく野党勢力、とりわけ左翼は、苦しい闘いに直面しているが、冬の到来とともに、経済の下降は持続し、政治的な安定は望むべくもなく、エリツィン王朝の運命は間もなく衰えるだろう。
(インターナショナル・ビューポイント誌250号十一月)