1994年1月10日         労働者の力               第52号

「勝利した資本主義」のもと
分裂と対立に突き進む世界 


 社会主義の再生にむけた主体的踏み出しを
 
  川端 康夫

 
 94年の幕開けにあたって
 
 数年前、一九九〇年代とは「資本主義の勝利」とそれが主導する「新世界秩序」形成にむけて動きはじめる時代であると喧伝され、アメリカはその線に沿って事態を展開しようと努めた。イラクへの攻撃が史上類を見ない多国籍軍による攻撃となり、パレスチナ和平がそれとセットとなって推進された。ソ連はすでに対抗陣営の主ではなく、中国も膝を屈した。ソ連圏を志向した第三世界諸国での「和解」に向けて国連の武装PKO部隊が動員されはじめた。
 IMF(国際通貨基金)、世界銀行が被融資諸国の経済を統制し、ここに簡素な資本主義論理、すなわち多国籍資本の論理が貫徹する世界経済の枠組みを構築せんと努力した。 この流れは今なお持続している。
 本来「北」の論理に対抗しようとした「南」の諸国の要求を反映するものとして設定された世界環境サミットやウルグアイラウンドをも呑みこんだ。リオデジャネイロにおいてアメリカは最大の反環境路線の主導者として登場し、そしてウルグアイラウンドにおいてはアメリカとECがその利害を最大に優先させて調整する場を演出した。
 ソ連、東欧の崩壊はそれらが体現した「社会主義」イデオロギーの全般的衰退および世界的な展望の喪失となり、同時に体制間対立の時代にあって一定の歴史的役割を果たしえた社会民主主義運動もまた自己の限界を見るものとなった。
 だが、この簡素な資本主義論理は、その圧倒的な「時代的、局面的優位性」にもかかわらず、即座に新世界秩序構築に必要な能力と資格を欠いていることを明らかにしはじめた。というよりも即座にその本来の性格を露呈し、全面的な「勝利」は同時にその矛盾の全面化にほかならないことを示したにすぎなかったのである。
 簡素、すなわちむき出しの資本主義論理がその矛盾の全面化して、なおもその力の優位を発揮し続けるであろう時代、局面が現在である。一九九四年は反帝、反資本主義を志向する勢力にとって依然として苦闘を要求される年であることには変わりはないであろう。が、スターリン主義の敗北、社会民主主義の衰退を直視し、資本主義の矛盾の全面化を克服する新たな社会主義運動の展望を手繰りよせるための努力がさらに必要であることも確実に、世界的にも日本的にもより多くの人々によって認識されていく年になるだろう。
 
 二〇世紀イデオロギーの行き詰まりと世紀末
 
 二〇世紀イデオロギーはだいぶ以前から崩壊してきた。一方にケインズ主義経済論があり、他方に党の「鉄」の支配による統制経済が存在した二〇世紀は、その双方において破綻を顕在化させてきた。この両者とも共通に、一種の「大衆的福祉国家」の論理によって支配の基盤を安定させようとした結果、前者は慢性的なインフレーションと国家財政の赤字の累積、後者は社会的停滞と硬直化にいきついた。前者は福祉国家論を放棄し社会的分裂の拡大に直面し、後者は個人的自由の導入を試み、体制そのものの崩壊に到達した。
 国家の諸階層、諸階級をイデオロギー的に統合する力は、前者においては失われつつあり、後者では失われた。
 世界的な広がりにおいて、各国民国家は社会的分裂の兆候を強めている。宗教的、人種的、民族的、地域的な水路において社会的分裂がそれぞれ表面化する傾向を強めており、それは他を排除し抑圧する論理を公然と表現するか、あるいは潜在的に内包して浮上しつつある。
 端的な例をあげれば、五〇年代資本主義のイメージを背負い、統合ヨーロッパという未来に向けて出発したECは世紀末の今日、その到達したEU(ヨーロッパ連合)の実態が、昔のローマ帝国同然、EC諸国の周りに限りなく高い防壁を築くことに転化したのである。いまや、スラブ、バルバリ、オリエントの「諸族」の浸透に対する防壁としてのEUに他ならないものとなってしまった。高い失業率と社会的分裂の拡大の波におそわれているEU各国にとって域内統合が意味した夢と理想は色あせたものとなった。
 資本と労働の対立が後景に引き下がる一方で、浮上しつつある社会的分裂と対立の前近代的装いは、決してこの世界に楽観的見通しを与えない。
 過去の二つの世紀末は、次の新たな時代への過渡期となるエネルギーの充満、爆発期であった。この二〇世紀の世紀末が予感させるエネルギーの爆発は、どこに到達しうるものであろうか。現状では深刻な時代の到来しか予感させないといわざるをえない。
 
軍事による秩序
米国と国連の到達する論理
 
 全般的な趨勢は軍事に流れている。そもそもレーガン前米政権が提唱した新国際秩序は、軍事による世界の秩序づけの宣言であった。国連がガリ事務総長のもとに一挙に軍事化しはじめた契機がここにある。パックスアメリカーナというべき国際新秩序の道具へと国連が転換することが含意されたガリ路線は、帝国主義諸国家の力を総合し背景とすることを目指して突き進んでいる。ドイツ、日本の常任理事国入りはまさに中国の存在感をさらに薄める作用を果たすであろうし、さらに彼の平和執行部隊などの構想は国連の名による軍事介入への道をはき清める。
 資本主義が直面している矛盾の露呈に対して、アメリカは自己の国家力の再建および軍事抑圧の以外の方針をもたない。アメリカ帝国主義にとって、多くの基準はすべてダブルスタンダード(二重基準)であり、自己の利害が最大に優先することはあらためて言及するにはおよばない。
 その国家力の再生と(多国籍)資本の論理とが必ずしも一致しないという現実において、アメリカ帝国主義は、一方で経済的国境線を強引に拡大し、他方で帝国主義間競争戦に勝つための政治的圧力を強化する。北米自由貿易協定(NAFTA)を設定することが多国籍資本の要求であるのであれば、クリントンはアメリカ国内での犠牲の代償に、とりわけ日本資本を対象として経済競争戦に手段を選ばないことを要求される。
 経済と軍事の両面において、アメリカ帝国主義は自らを絶対的優位におこうとする。経済と軍事とはまさにイタチごっことなり、アメリカ多国籍資本の要求が世界経済の不安定性を加速させ、軍事介入の必要性をさらに増大させる以外のなにものでもないことが明らかになっていく。
 
 米国が左右する日本
 政治が衰退する枠組み
 
 結論からいえば、日本という国家の政策体系は、基本においてアメリカ帝国主義の意向に左右されている。
 この国家が輸出大国となりえたのは、アメリカの存在を抜きにしては考えられない。輸出のためには輸入するところがなければならず、それがアメリカ市場であった。日本資本が輸出に依存する構造から脱却しない限り、現在の経済摩擦の根本は解決されない。だが、それは単純に不可能である。アメリカ資本は日本経済の次位につくことを認めない。つまり日本が輸入大国になるためには、かつてのアメリカ経済がそうであったように日本がその先端技術において産業高度化をすすめ、その他の分野を他の諸国からの輸入に割り当てることが可能にならなければならない。だが、アメリカ資本がそのようなことを認めることはない。
 確かにサッチャーのイギリス、レーガンのアメリカは自国産業を空洞化させ、極端にいえば自国経済の「第三世界化」に棹さした。自国労働者との政治戦争を通じて実現した低廉、安価な労働力と不安定雇用という彼らが自国資本のために獲得しようとした「成果」は、その意図とは裏腹に日本資本の進出を導いた。一挙に多国籍化した日本資本は、イギリスやアメリカを低廉な労働力市場として利用するにいたった。
 だが、そのままでは事態は推移しない。アメリカはその産業の「米」である自動車産業を譲る気はないし、ましてハイテク産業での敗北を承認することも許さない。これらを失った場合には、アメリカ産業には何も残らない。軽工業も素材産業もさらには重工業すらもすでに失ったも同然だからである。
 必然的に出る政治的結論は、日本は自制しつつ輸出依存型を持続し、輸入大国化の装いを農業、軽工業、サービス等々の分野で示すしかない。これはあくまで当面を糊塗する方策だが、それ以外にアメリカとの関係を円滑に継続することはできない。以上はアメリカが承認すればという条件付きである。したがって日本は、アメリカ帝国主義の政治的軍事的要求に相当に譲歩することを必要とする。
 こうしてアメリカの要求は、日本保守政治の骨格を形つくると同時に、輸出依存型産業の労資一体の政治路線の骨格をも規定する。現実路線、あるいは連立政権の路線の根拠である。
 
米型世界秩序への代案
日本政治復権の前提条件

 簡素な資本主義原理が導く進路は、限りない軍事化への全面協力となろう。日本政治は資本主義のあがきの泥沼に不可避的にひきこまれるのである。
 こうしたアメリカ型政治の泥沼から脱却する道を求めることこそが、日本において民衆にとって決定的に要求されている「政治改革」の基軸であるはずである。換言すれば、いわゆる小沢的政治改革路線が表現するものは、なんらの独自的性格をもたない、アメリカ帝国主義の要求する政治方向に迎合するものにすぎず、同時に日本の肥大化した多国籍資本の要求に対応しようとすることだけである。さらにいえば、小沢路線とは分裂の度を深める世界と社会の構造に対するに、結論的に軍事的対応強化のみに依存する展望しかみいだせない帝国主義の現状の反射的投影物であり、これをして政治というのであれば、政治の衰退は底なしとなるだけである。
 政治の衰退は、とりわけ帝国主義諸国において顕在化してきている。政党の影響力の後退は共通であり、選挙の投票率低下もまた共通である。日本においてもここ数年投票率の低下が顕著になってきていることを無視はできない。日本国内の現象が総与党化現象などで説明されると同様、より巨視的に見ればまさに政治的アパシーの拡大は二〇世紀イデオロギーの行き詰まりそのものの反映である。
 さらに小沢現象への関心は、特徴的に若年層に比較的高いといわれる。小沢の著書が数十万部も売れたこともまた異例とされる。だがそれには、ドイツやフランスにおけるネオナチや極右勢力の台頭という現象との違いを見ることがどこまでできるだろうか、疑問符がつく。
 政治の衰退と同時に進行する排外主義、暴力主義、軍事主義の台頭が、社会の分裂と全般的な未来への積極的展望が失われてきている二〇世紀末の一つの象徴であるとすれば、日本社会における政治の衰退と小沢現象もまた、その文脈に含まれるものだといわざるをえないのである。
 
新路線による政治の復権
社会主義の再生めざして
 
 小沢現象は、帝国主義の行き詰まりと対抗するオルタナティブな路線と運動の必要性が日本においても切迫しはじめていることを物語る。ことに日本において、現実に優位に立っている力は依然輸出至上主義である。それはさらに加速され従来政治の大半をのみこんだ。そして、そこに矛盾がある。
 輸出型産業以外のすべてが切り捨てられる運命にありながら、その輸出型産業自体にも危機がすでに見えている。アメリカとの関係で日本企業には自由貿易主義はすでになく、数字によって管理された関係へと移行している。
 輸出至上主義の限界はすでに明白だ。しかし対案はない――これが日本社会における社会各層の相互寛容を失わせ、亀裂を次第に拡大していく要因にほかならない。輸出型産業にのみこまれた政治は、犠牲として農民層を提供することをためらわなかった。その流れは、社会全般的により拡大していくものとなろう。
 同時に、左の側にも体系として明白なものはまだない。社会主義再生の作業は、断片的に着手されはじめた段階だと認めなければならない。試論、試案は様々に提出されている。それは生産力主義、成長一辺倒の論理への対案として、あるいは競争型社会、さらには性別分業・差別社会への対論であり、同時に環境問題の鋭い提起の一定の勝利を反映する。資本主義批判であると同時に、より鋭くは「社会主義批判」としての意味をもった様々な設問は、にもかかわらず一九世紀から二〇世紀初頭にかけて形成された社会主義論の世界変革の路線としてのグローバル性、体系性に迫る域には至ってはいない。前途は広遠であるが、少なくとも二〇世紀初頭の社会主義論の壮大なビジョンを、現在的に組み替え、スターリニズムとして帰結したその破産を越える手がかりが皆無だという必要もないのである。
 さしあたって、少なくとも日本において輸出至上主義経済成長型理念を変えること――これが現在要求される最大の日本政治の課題であろう。この課題への挑戦が衰退しつつある政治を復活させる。社会主義再生が手がかりの段階であることから一定程度必然化される「異議申し立て」運動から始まらざるをえないにしても、新たな政党もしくは政治運動の可能性はここにある。
 
左派の共同課題
新政党形成へ

  
 衰退する旧政治は現在、分裂への道を不可避的に歩むであろう日本社会における政治的亀裂と抵抗に備えるために、選挙制度の改悪を強行しようとしている。最大の狙いは、政治の独占と一元化にあり、幾重にも排除条項をもうけて広範な勢力が政治に参加する芽をつむことに腐心している。その三%排除条項を突破することが、当面やむをえざる異議申し立て運動としての制約された出発にとって、力をつくされなければならない課題となる。
 一九九四年、社会党の組織的危機はいずれにせよ結論に到達する。左右両派の大分裂から左派の総敗北の可能性に至る幅を含めて、そのいずれにせよ五五年体制左派、革新を表現したこの党は、歴史的に終わることになるであろう。
 世界と日本の資本主義は、もはや資本主義的成長原理と平和主義が共存する「社会党の五五年体制」の存続を許容する条件にはなくなりはじめたのだ。新社会党あるいは左派社会党も、護憲新党も、旧来の社会党的なありようををそのままに引き継ぐことはできない。換言すれば、土井社会党を最後にしてこの党の「二本社会党」性は限界に到達したのであった。それは、アメリカ帝国主義の政治に折り合うか、それともその枠組みからの離脱を志向するかであり、実践的には連立政権に留まるか、それとも離脱するかの、基本的に共存できない選択をめぐる違いである。
 「二本」が共存できない局面はそれぞれが相互依存できず、それゆえに路線的、政治的あいまい性もまた根拠を失う。左派はあいまい性の上に組織論的に社会党組織に依存してきたのだから、自立には相当程度の苦闘が伴わざるをえないことになるであろう。だがその点に関しては、社会党外の部分も同じである。ともに社会主義の再生という課題に直面しつつ道を切り開かなければならないことには変わりはない。
 われわれは、社会主義政治連合の一翼をになうものとして、政治連合が提唱する「公選法上の新政党」に積極的に参画していきたいと思う。選挙協力から始まるにしても、その選挙協力とは、既成政党のめぐらす幾重もの排除規定を突破するという重大な重みをもったものであり、そこでは誇大ではなしに、将来をめぐるあらゆるものが試されてくることになるのは明らかである。
 細川内閣と連立与党の改悪選挙法が参議院を通過するかどうかは、あくまでも不透明である。解散総選挙の可能性も十分にある。しかし、社会党をめぐる事態の本質は変わらないし、総保守化の趨勢にも変化はないであろう。
 新政党を組織し、そこにおいて新たに政治を興すこと、そうしたうねりをつくり出す一翼をになうことを新年にあたって心から訴える。
 (一九九四年一月五日)
ロ シ ア

           エリツィン体制と改革の未来
                                     織田 進



 昨年十二月十二日におこなわれたロシアの国民投票と下院選挙の結果は、アメリカをはじめとする先進資本主義諸国政府の期待に反して、エリツィンの支持基盤が急速に衰退しつつあり、ロシアの政治的安定がいぜんとして遠いことを暴露した。
 エリツィンがマスコミを独占して強力なキャンペーンを繰り広げたにもかかわらず、新憲法の賛否を問う国民投票の投票率は五四・八%にとどまり、そのうち賛成は五八・四%であったから、エリツィン憲法にたいする国民の支持は、わずかに三分の一にも達していない。
 下院選挙の結果では、最初の色分けで、議席数四五〇のうち改革派は一五二議席で三分の一勢力にとどまり、共産党・農民党などの「保守派」が一四三議席で拮抗している。良識ある人々に不安を抱かせたのは、ロシア民族主義とかネオ・ファシズムとかいわれるジリノフスキーの自由民主党が七八議席をしめたことである。
 比例区の得票率を見ると、保守派が三〇%で「改革派」の二九%を上回り、自由民主党は二三%を獲得した。こうした選挙結果は、エリツィン陣営にとっては敗北を意味し、エリツィンにたいする事実上の不信任ともいえるものである。大統領と新議会が、エリツィンが意図したような協調関係を発展させることはおそらく困難であろう。経済改革の遅れが早急に克服されなければ、ロシアの政治情勢はいぜんとして危機を脱することができない。
 エリツィンは、敗北の責任を問うかたちで、ブラーギン・オスタンキノテレビ社長ら数名の陣営スタッフを解任した。だが、敗北の根本原因は、国民に広がっている改革への失望と、それを乗り越えて新しい目標を提示するべき「改革派」の陣営が分裂して互いに反目しあい、ペレストロイカ以来の政治的資本を食いつぶしてきたことである。「改革派」のこの状況は、単に政治的な未熟を通り越して、ほとんど自殺的な無能力のレベルに達している。彼らがいまだに相対的多数を維持できているのは、スターリニズムの過去にたいする国民的拒否が、生活できるならどんな政治でも受け入れようという絶望の心情を、いくらか上回っているためにすぎない。



 新議会に表現されたこのように不安定な政治状況に比べると、かろうじてではあれエリツィンが獲得した憲法上の権力は、きわめて大きい。その不釣り合いは、さらに新たな矛盾を醸成する危険を生み出している。
 憲法成立によってエリツィンが手にした権力は特別なものである。
 新憲法は、その第四章全体を大統領のためにあてている。それによれば大統領は、事実上国家権力を一手に掌握する。
 大統領は、首相任命を提案し、政府総辞職を決定し、憲法裁判所と最高裁判所の裁判官の候補者を決定し、検事総長の任命と解任の提案権を有し、軍を統率する。
 大統領は、大統領令を公布し、連邦議会における法案の成立を認可し、下院を解散できる。
 大統領権限の大きさをしめす一つの事例として、たとえば次のような条文がある。
 「提案されたロシア連邦首相の候補者が下院によって三度拒否された場合、ロシア連邦大統領は、ロシア連邦首相を任命し、下院を解散し、新しい選挙を実施する」
 これにたいして、大統領を解任し、あるいは弾劾する議会の権限はきわめて弱いものであり、ほとんど不可能に近い。大統領が解任されるのは、国家転覆その他の重大犯罪のかどで、下院において議員総数三分の一以上の発議により三分の二以上の多数で決定され、最高裁判所と憲法裁判所によって確認され、連邦院が三分の二以上で決定する場合を除いてはない。しかもこの連邦院は、地方自治体から各二名の代表によって構成されるものだが、その具体的な構成方法は憲法の規定になく、連邦法で決定するとされ、実際上大統領権限の範囲内に入ることになる。
 つまり大統領は、その身分を脅かされる危険にほとんど直面しないで、行政・立法・司法を人事を通じて左右する無統制の権力を憲法によって保証されたといえるのである。
 はやくもエリツィンは前言をひるがえして、任期いっぱいまで大統領職にとどまることを表明したが、それでも憲法の規定は、同一人物が二期にわたって大統領職に就くことを禁止しているから、一九九六年にエリツィンの任期が切れた後に、だれがこの強大な権力を引き継ぐのかをめぐる争いが、今日から激化していくであろう。



 かろうじて成立したものであるとはいえ、「エリツィン憲法」がこれからのロシア連邦の国家としての在り方を規定することになるのであるから、その特徴を見ておく必要がある。
第一に、新憲法がとくに強調しているものは、ロシアの「国家の統一」と、それを体現する大統領権力である。
 民主主義のいわゆる「三権分立」は後景にしりぞいて、大統領の「超越性」が際立っている。言い換えれば、新憲法のロシアは、西側的な議会制民主主義とは異なり、「制限された議会制国家」とみなさなければならない。
 第二に、新憲法では、「歴史的に形成された国家的統一の保持」が優先された目的である。「一般に承認された」民族の自決は、文言としての言及はあっても、それを保証する具体的な規定を欠いている。民族がその帰属を自由に決定し、必要と判断する場合には連邦そのものからの離脱をも選択できる権利こそ、現在の多発する衝突のなかで諸民族が求めている共通のものである。
 したがって、この憲法が第一義の理念として掲げる「国家の統一」が、諸民族の自決の要求と衝突するものとなるであろうこと、この憲法体制が民族主義との対立をはらんでいくであろうことを予測することができる。
 実際、一七八名の定員で出発するはずの連邦院は、いくつかの共和国のボイコット、投票率が極端に低かったなどの理由から、八名の欠員を生じてしまった。
 第三に、生産手段の所有形態についてこの憲法は、あいまいなままである。「経済圏の統一、商品、サービスおよび資金の自由な移動、競争の保護、経済活動の自由」の保証とならんで、「ロシア連邦においては、私有、国有、公有及びその他の所有形態は、これを平等に承認し、保護する」と規定している。現在存在する経済的活動主体はだれでも、憲法によって保護されるべきことを主張できるのである。
 国有計画経済の官僚と、その保護のもとにある独占的な企業家たちは、この憲法が彼らに自由な活動空間を保証していることをもちろん歓迎するであろう。他方、計画経済から市場経済への移行のなかで犠牲にされてきた、またされていくであろう人々の、移行期の困難については、焦点はあてられていない。
 官僚的指令経済からの自由な市場経済への転換を主張しても、そこに民衆的な利害がどのように貫かれていくのかという肝心な点が、エリツィン「改革」では最初から不明であったが、この憲法においても、そこに光があてられたとはいえない。
 第四に、この憲法がもっとも声高に謳っている理想は「人権」である。
 「人と市民の権利及び自由」は、第二章の全体があてられ、四八の条文によって規定された、この憲法の量、質ともに最も重要な部分となっている。
 人権にたいするこの重視の宣言は、旧体制とのたたかいの最重要な課題の確認という意義をもっているが、アメリカ・西ヨーロッパの援助にますます依存しなければならないエリツィン政権としての、当然の配慮という側面もある。だが、この宣言の実効性という点では、政治制度における大統領権力の超越的性格とのあいだで、整合性に疑問を生じさせるものがある。人権の具体的な保証は、日常の政治過程における民主主義の実現と切り離すことができない。
 エリツィンが描いて見せる構図は、反人権の旧体制とその遺物に抗して、民衆の権利を防衛するために行使される強大な大統領権力である。そこには、その強権そのものが民衆の人権と敵対的に対峙しうるという想定が、まったく排除されている。だが、はたしてそのような想定が、決して現実のものにならないということが、だれに言えるであろうか。
 このようにこの憲法の基本的性格を見てくると、この憲法を「民主主義の憲法」とし、エリツィンの「改革」を、無条件に「民主主義」をめざすもの、まして民衆的な価値の実現に向かってたたかうものであると前提してかかることはできない。実際それが、多数の民衆の支持を手にしているとはいえない状況であることも、すでに明白となったところである。
 これからはじまる一時期のロシアは、混沌に満ちた過渡的体制である。それは、どの方向に向かうかということ自体が、これからの過程のなかでしか決まってこないほど、過渡的なものであろう。
  


 だが、この憲法のもう一つの問題は、その成立の過程で議会における逐条審議を経ていないことである。
 およそ憲法のような重要な法律が民主主義の国家で成立するために、十分な時間をかけた公開の逐条審議が議会でなされなければならないことには、議論の余地がない。そしてまさにこのことが、なかったのである。しかもエリツィンは、憲法にたいする議論そのものを、マスコミから排除しようとさえした。国民はこの投票にあたり、内容にかかわる重要な情報をえられないまま、態度を決めなければならなかった。いわばこの国民投票の実質的な意味は、エリツィンにたいする信任投票にすぎなかったのである。
 このような強引な国民投票による憲法の成立はそれ自身、重大な反憲法的な行為であるといわなければならない。それは、エリツィンの政治的手法の特徴をよく表現している。エリツィンにとっては、政治的な手続きは大きな価値をもたない。より良い意図と目的のためには、必要とあれば「合法性」を無視することもためらわない。彼が乱発する「大統領令」は、その恣意的な選択に「合法性」を与えるきわめて便利な手段として常用されている。
 この手法は、エリツィンがスターリニズムの学校で教育を受けた人物であることを証明している。彼は、秩序から排除されたスターリニストにほかならない。
 手続きを重視しないところに民主主義は成立しない。民主主義とは決定それ自身ではなく、決定に至る過程にこそ現れる立場なのである。



 それでは、現在の局面において、先進資本主義諸国政府が、一致してその支援を義務として確認しているエリツィン体制は、どのような意味で「改革的」であるといえるのであろうか。
エリツィンの政治家としての特殊性は、彼がスターリニズムのノーメンクラツーラ制度の有望な上昇階梯にいったんは迎え入れられながら、頂点に到達する直前で完全に排除されたことである。排除をおこなったのはゴルバチョフであった。ブレジネフ時代以来、官僚体制の安定を確保するために、ノーメンクラツーラ内部では、通常極端に不穏当な処遇は回避されてきた。だが、ペレストロイカのきわめて微妙な段階で、バランスを破壊しかねないエリツィンの「戦闘的」組織活動にたいして、ゴルバチョフは「上からの民主化」の漸進的な遂行の過程をまもるために、その排除という手段をとった。
これにたいしてエリツィンは、共産党に対抗してたたかい、大衆の強い支持を獲得して政治家として復活した。エリツィンの排除も、復活も、ペレストロイカの進行と旧体制の崩壊へのその帰結という事態の産物であった。こうして、旧体制の解体の成否がそのまま自己の政治生命に直結している政治家エリツィンの存在が歴史的に形成された。
 だがそのことは、エリツィンが信念をもった民主主義者であることを意味しないし、その利害を最も抑圧された下層の大衆に結び付けようとする革命家であることも意味しない。彼の政治的特質は、自らの権力への欲望と改革の成否が直結していることを無条件に確信しているところにある。彼にとっては、自らの権力の防衛が「改革」なのである。
 旧体制にたいする非和解的敵対性と、その個人的権力欲との組み合わせのなかで、エリツィンの政治的手法は諸状況の困難が増大すればするほど権威主義的色彩を強めてきた。エリツィンのなかに、ゴルバチョフが見せたような理想主義の信念は存在しないし、大ロシア主義的なもの、軍事主義的なもの、KGB的なもの、その他多くの反民主主義的政治傾向にたいする強い拒否感もみられない。むしろ彼は、旧体制の崩壊のなかから生み出された、民主主義と専制主義、進歩と反動、平和主義と軍国主義などの入り混じった今日のロシアの混沌を体現している。
 このような存在であるエリツィンは、その特殊性の故に、ほとんど個人的な権力を旧体制の解体と同義化することに成功し、冷戦の復活とスターリニズムの再生を恐れる西側諸国の支持をとりつけた。エリツィン自身に新しい体制を建設するための科学的方法論やビジョンがあるわけではないから、市場化に向かう経済政策は、めまぐるしい人事異動を武器とする模索の域を出ない。したがって、この効率の悪い経済改革を辛抱強く支える最大の勢力は、西側諸国であったし、しばらくの間はこれからもそうであろう。



 ここで九月抗争についてふりかえってみよう。
 九月抗争は、議会側の暴力的な反乱にたいする軍の出動・鎮圧というかたちで収束し、エリツィンは結局その望む憲法を手に入れることができた。
 だが、そもそもこの抗争はエリツィンの議会解散命令からはじまったものであり、その命令自体、反憲法的反民主主義的な暴挙というべきものであった。
 エリツィンが議会にたいしておこなった、旧体制の牙城という宣伝は、明らかに乱暴な規定であり、事実に反してもいる。議会がソ連時代の勢力関係を一部反映しているのは事実であるにしても、今日の改革派の大部分も議会内に勢力を有していた。議会がエリツィンと対決するにいたったのは、エリツィンの経済改革が当初の予定を大幅にこえる犠牲を大衆に強要するに至ったために、改革派自体が動揺し、分裂したためである。議会とエリツィンの対決の原因は、改革派の分裂であり、さらにその根本には大衆の改革にたいする失望がある。だからこそ、新たな選挙によって自らに忠実な新しい議会をつくろうとしたエリツィンの期待は、まったく現実のものにならなかったのである。
 ロシアの大衆のなかには、今日の経済改革が西側諸国と結んだ市場化政策であり、一部の買弁的資本家勢力だけに利益を与える路線であるという反感が広がっている。共産党などの保守派が支持を回復しつつあるのは、この不満にこたえて社会政策の重視を訴えたためである。したがって問題の真の解決のためには、改革の路線を再検討し、より慎重なテンポと、大衆へのより大きな配慮とにもとづく戦略の確立を追求しつつ、とりわけ困難に直面している人々への施策を急ぎ、改革派の団結を再構築することが必要であった。だがエリツィンは、そうするかわりにあの突撃を敢行したのである。
 九月抗争は、さしせまった病根を取り除くためのやむをえない手術であったとみなすことは、事実に反している。それはむしろ、自ら泥沼にはまって動きがとれなくなったエリツィンの、クーデター的強行突破であったといわなければならない。



 このエリツィンの強引な強行策が、かろうじてにせよ成立したのはなぜか。
 それは、軍と警察の中央官僚がエリツィンを最終的に支持したためである。九一年八月のクーデターのときは、エリツィンは大衆に支持されてその権力を防衛した。その二年後、彼は軍と警察によって生き延びたのである。
 この勢力は、国家権力の最後の砦であり、国家の不動の存続に決定的な利害をもっている。「国家の統一」と、強固な中央集権なしには、軍と警察はその勢力を絶対に保持することができない。
 エリツィンは、今日のロシアにおいて唯一人「国家」を体現できる人格である。軍と警察は、エリツィンなしにはロシア国家を崩壊の淵から救い出すことができないと判断したのである。
 この状況は、旧体制にかわる新しい安定した経済体制・国民的統一の市場経済のシステムが、いまだ確立されていないためにもたらされている。議会制民主主義の政治制度の定着は、市場経済の安定したシステムに支えられてはじめてなしとげられるであろう。
 この事情は、現在も変わっていない。国家を体現し、国家の統一を防衛しつつ「上からの資本主義化」を進めていくことのできる人物は、しばらくのあいだはエリツィン以外にないだろう。
 それゆえ、新憲法下のロシアは、「国家の統一」の枠のなかで改革を進めていく限り、エリツィン体制として生きていかなければならない。
 おそくともエリツィンの任期切れの時点までに、ロシアは再び激しい権力抗争に直面する可能性が強い。経済的な転換が体制として完了しないうちは、国家の安定は不断に脅かされ続ける。
 ジリノフスキー現象は、改革にたいする大衆の不信の絶望的な大きさを表現してはいるが、それ以上ではない。ロシアが世界資本主義に支えられなければやっていけない局面を、主観的に飛び越えることはできない。絶望的表現をとりがちな大衆の諸傾向も結局、国家が包摂していくことになるであろう。



 エリツィン体制を脅かす真の危機は、民族自決をもとめるロシア連邦内の諸民族の闘争である。
 自決をもとめる諸民族は、この憲法体制によってはまもられない。このため、自決をめざす闘争の発展が憲法体制からの離脱、ロシア連邦の解体を求める闘争へと発展していく可能性を内在させるのである。
 エリツィン体制は、この民族的闘争が発展することを阻止しうる理念を有してはいない。かつてソ連邦は、社会主義の国際主義的理念と、その組織的物化としての共産党の体制によって、諸民族の統合を維持してきた。ソ連邦を解体に押しやったエリツィンが、ロシア連邦からの離脱を要求する諸民族のたたかいを押しつぶす大義を、いまさら持ち出すことができないことは明らかである。
 エリツィンがこの危機を乗り越え得るとすれば、その鍵は国民経済としてのロシア経済の再建の成否が握っている。経済改革が一定の進展をみせ、諸民族とその構成体が市場経済化されたロシア経済の有機的な部分として位置を得た場合には、分離主義的な要求は後退するであろう。だが、経済再建が遅れ、経済的諸困難が地方においてより深刻化する場合には、自決を求める諸民族の闘争はいっそう先鋭なものとなって、エリツィンの「国家の統一」を危機にさらすであろう。
 この意味においても、近い将来の期間、国際資本の援助がロシア連邦の最大の保証である。エリツィン体制を支えることを公言しているアメリカが、ロシア連邦の解体を食い止めるという構図が、しばらくのあいだ描かれることになるであろう。



 「窓」誌一八号で藤井一行氏は、次のように述べている。
 「一九九一年六月十二日(大統領選挙)以来の政治過程を、共産党独裁体制を解体し、民族主権と人民主権の確立をめざす「新ロシア革命」と性格づける私の視点からすれば、一九九三年九月以降の政治過程は、この革命の過程の新たな段階として意味づけうるものである。形式民主主義の立場からして「反民主主義」的な側面があったとしても、それは国民主権の名における一種の革命的行為なのだと思う。いいかえれば、主権の負託者(国民)の意思をより直接的に受託している執行権による、主権者の意思を表現しなくなったその受託者(立法権=議会)にたいする抵抗権=革命権の行使として意味づけうるものである。一九九一年八月以降のソ連邦権力と共産党独裁体制(それ自体も合憲的存在であったはず)にたいする抵抗権の行使につづく第二の革命段階なのである」
 藤井氏が一貫してエリツィンを反共産党独裁革命の旗手として支持してきたことの当否はしばらくおくとしても、ここで氏が持ち出しているエリツィン支持の論理は、きわめて危険である。それは、いわば内容が正しければ手段はおのずから正当化されるという、スターリニズムを含む主観的政治主義の論理だからである。いいかえれば、そのような唯我独尊の論理を使わなければ、エリツィンの九月の行動が「正当化」できないことを、氏自ら告白したということである。
 だが、このような論理を使えば、およそあらゆる反民主主義の政治行動は、その合法性を問われることがなくなるであろうし、実際、スターリニストであれファシストであれ、皆そのように主張してきたのである。このような論理の行き着く先は、はてしない暴力的権力闘争の世界であり、はじめからそれを主張するのであればともかく、民主主義による政治的変革をかかげる場合には、安易にこのような論理に頼ることは慎むべきであろう。
 エリツィンには、こうした拙劣な方法以外にとるべき手段がなかった訳ではないし、かりにそこまで追い詰められていたのだとするならば、その原因である経済改革の失敗を公然と認め、その克服の道をさぐらなければ、政治的な強行突破はいっそうの国民の離反を招くことに終わるであろうことは明らかであった。
 エリツィン以外に、国家を体現する人物が存在しないという事情に助けられて、エリツィンは九月の危機も、十二月の国民投票もかろうじて乗り切った。だが、それがむしろエリツィン体制の矛盾を深め、その終わりの始まりを告げるものとなったことは、明らかである。
 藤井氏は論文の最後を「この短信が読者の眼にふれるころには、十二月十二日の結果が判明しているであろう。一九九三年九月―十月の政治過程の意味はそれ以後に確証されるであろう」と結んでいる。さて、国民のエリツィンにたいする支持が、急激に衰退しつつあることが「確証」された結果をふまえて、氏はどのように九月の総括をおこなうのであろうか。
 だが、藤井氏のほんとうの問題は、国民のエリツィン支持いかんにはない。問題は氏が、現実にかたくなに眼をつぶってエリツィンを民衆的改革の担い手として一貫してとらえているところにある。エリツィンが、一定の時期に民衆的な利害を代表したことはあったが、いまやすでに民衆の利害はエリツィンによっては代表されない。民衆は、その改革における利害をになう政治的主体を模索しつつある。
 エリツィンはいわばすでに権力そのものである。しかもこの権力は、自己の「改革」を民衆的利害にあわせることを放棄している。民衆的な改革の道は、エリツィン体制とは別の主体によって模索されざるをえない。広い意味での「改革派」のなかから、そのような主体が供給されなければならないことはまちがいのない事実であろう。だが少なくとも、それがエリツィンとそのグループ以外にはないとするような独断は、すでに九月以降の政治過程で、その誤りを実証されているというべきではなかろうか。

 われわれは、どのような立場からロシアと旧ソ連の情勢に注目するのであろうか。破産した社会主義が、首の皮一枚残して、新しい「改革」社会主義として再生することへの期待を抱き続けながら、われわれはその注目を続けるのであろうか。
 だが、社会主義の敗北は、もっと根底的で全面的である。現在のロシアの「改革」の延長に、新しい社会主義が再生するという期待をもつことは、幻想にすぎない。それは、すぐに裏切られることが確実な幻想にすぎない。
 社会主義は、歴史的破産を宣告された。だが、その破産の真相はいまだ完全に明らかになってはいない。その真相を徹底的に明らかにしようとする作業をくぐり抜けなければ、次に進むことができない。ロシアでいまなお進行している事態は、スターリニズムがどのような構築物であったのかを白日のもとにさらす。スターリニズムを真に総括するためにこそ、われわれはいまなおロシアと旧ソ連にわれわれの凝視を向け続けている。
    一九九四年一月
インタビュー――左翼内部の論議

            パレスチナ解放闘争の新局面
 ワリッド・サレムは、東エルサレムに住むパレスチナ人科学者であり、一九六七年以来イスラエルに占領されている地域での活動家でもある。彼は、インティファーダ指導部の一員として何度も逮捕され、また、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のメンバーであるとして裁判にかけられてもいる。彼は一九九三年はじめ、インティファーダが始まってからイスラエルがつくり、すべての収容所の中でも最もひどいといわれているネゲブ刑務所での十八カ月の獄中生活から自由になった。インターナショナル・ビューポイント誌は、パレスチナ左翼内部での様々な見解について彼の意見を求めた。今後、パレスチナ左翼内部の議論、とりわけイスラム原理主義との関係の問題についても紹介していきたい。一九九三年十月二十一日にインタビューを行った。

暫定自治協定は不可避か

――ガザ・エリコ協定(パレスチナ暫定自治協定)を支持する人々の多くは、パレスチナ人にとって不利な力関係の存在を指摘するが、力関係の結果として協定は不可避であったと考えるか。
 アラファトPLO議長は、マドリード交渉は回避できなかったと強く主張している。その理由として、一方ではソ連などの社会主義陣営の崩壊があり、他方には湾岸戦争でのイラクの敗北があったという。だが彼の主張は、いくつかの事実と矛盾している。
 第一にパレスチナ人が依然として革命的な状態にあることだ。彼らを国家という枠組みで考えることはできない。一般に革命運動というものは、外交関係の結果としての力関係の変化に関して国家のように敏感ではない。アラファトは、PLOがまるで国家機構であるかのように振る舞っている。パレスチナ人民が国家をもっていないのに。
 世界とアラブでの大変動は全く好ましくない。しかしパレスチナ世界では、われわれはインティファーダという武器をもっている。PLOは、これをつかみ、拡大し、行動綱領を与え、パレスチナをめぐる力関係を変更できたはずである。世界的には後退があったことは否定できないが、その事実がすべての国家や革命運動に負の影響を与えるのが不可避だったわけではない。
 個別と全体あるいは絶対と相対との間でなされる微妙な違いがある。換言すれば、力関係の悪化は、必ずしもパレスチナ情勢の後退をもたらすのではない。悪化した力関係の中でも、パレスチナ人の権利、自決権や独立国家樹立の権利を実現する力関係の形成は可能だったのだ。
 また、インティファーダの目的の中にはアラファトがマドリード交渉で追求した以上のもの、つまりイスラエル軍の一九六七年占領地域からの撤退、独立に至るまでその地域を国際的な管理下に置くことなどがあった。

――アラファトはなぜインティファーダが掲げる要求を自らの要求として提起しなかったのだろうか。
 インティファーダが独立を要求していたのに、アラファトは自治の考えに固執していた。これですべてではない。アラファトは、インティファーダの鎮静化、その終結を図ってイスラエルを助けたのだ。アラファトの自制は、イスラエル軍による鎮圧以上にインティファーダの粉砕に大きく貢献したと私がいうのは、決して誇張ではない。彼のこの役割がなければ、インティファーダはイスラエルに対する抵抗闘争を継続できたであろう。自制ははるかに恐ろしい武器である。アラファトは、インティファーダの成果をさらに有利な力関係を形成するために使うのでなく、あろうことか、インティファーダを放棄し、より小さな目標に限定し、ついには中国訪問中に行ったようにインティファーダの中止を求めたのである。

経済援助の実態は

――帝国主義諸国はガザやエリコへの「援助」を約束したが、その実態はどうか。
 第一に指摘したいのは、そうした約束がパレスチナ人の間で雇用の創出や賃金の面で幻想を生み出した事実である。PLOが作成した今後五年間の経済開発計画は百二十億ドル規模であるが、世界銀行の試算では百四十億ドルの投資が必要となっている。ワシントンでの協定調印後の現在、約束されている援助の合計は二十億ドルにさえ達していない。
 ワシントンの調印式に参加した四十二カ国の援助の総計がこれだけにしかならず、しかも全額が実行されるのかもおぼつかない。そのうえ、調印前にECや日本、アメリカ、国連などが約束していた援助は、この二十億ドルの中に含まれている。
 しかしガザ地区だけでも通信などの経済的な社会基盤の整備や労働力人口すべてに雇用を保証するには、五十ないし六十億ドルが必要と専門家は計算しており、アラファトだけが二十億ドルでやっていけると考えている。
 西側世界では、人は金で支配できると思われている。この考えは、人が自らの価値観や意識をもち、民族闘争を行っているという感情をもっている事実を忘れている。また、アラファトはパレスチナ人民を買う手段さえもっていないといえば十分である。彼のこれまでの資金源である湾岸諸国は、一銭さえも約束していない。

――その開発計画はどのように実行されるのだろうか。
 世界銀行が開発計画の進行を監視し、PLOは世銀の手中にある単なる一手段にすぎない。PLO経済部門責任者が作成した計画は、開発過程を世銀が全面的に管理することを要求している。つまり世銀が主役であることをパレスチナが公式に要求している。これはある国の指導者が自らを従属国たらしめようとする前代未聞の状況である。
 ハーバード計画なるものが、イスラエル、アメリカとの交渉を支持するパレスチナのエコノミストを含めて作成された。この計画もまた、世銀の積極的な関与を提言している。実際、世銀はすでに関係している。単に関係しているだけでなく、実際に経済情勢を分析し、金融システム確立の必要性を主張している。すでにパレスチナの経済を支配しはじめているといえる。

――イスラエル、ヨルダン、占領地域に一種の共同市場を形成しようという主張がある。またイスラエル製品のボイコットをやめるとの話もある。これに現実性があるのか。イスラエル商品はアラブ世界でアラブ製品との競争力はあるのか。イスラエル国内の高賃金だけを理由としても、イスラエル製品の原価はかなり高い。
 パレスチナの商業資本は、イスラエル商品をアラブ市場に大量に流し込む買弁資本だ。彼らは手数料を目的とする仲介業者となる。しかも彼らの活動地域は、アラブ世界に限られない。そこで「中東共同市場」が話になる。それには、イスラエル、エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、トルコが含まれ、各種共同事業や自由貿易、地域開発銀行の設立、価格協定などがもくろまれる。こうした制度をつくることには、政治目的もある。その第一は、イラク、リビア、スーダン、イエメンといった諸国の孤立化である。これら諸国は湾岸戦争でアメリカに反対した。
 政治目的の第二は、アラブ世界の統一をゆるめ、統一の実が結ぶのを妨げることだ。これらアラブ諸国はトルコとの関係を改善しようとしている。たとえばエジプトは、チュニジアやモロッコといったアラブ諸国との関係よりもトルコとの関係を優先するだろう。
 共同市場計画の狙いの一つに、イスラエルの存在をより受け入れやすく、より自然なものにすることがある。イスラエルは、その経済力を強め、共同市場の中心国になるだろう。同国はすでに、半ば中心国である。
 この共同市場の存在は、アメリカのECやアジアの複数の竜に対する力を強めることになる。これは、基本的にはアメリカの計画であり、経済と軍事、そして政治での帝国主義ヘゲモニーの持続を目的としている。

闘争の新しい展望

――現在の新しい状況の中で、次をどのように展望するか。
 パレスチナ人の闘いは、新しい局面に入った。これまでとは違う新しい指導部が必要だ。アラブブルジョアジーのそれとは違う新しい綱領が必要だ。現在、ブルジョアジーの破産の中でわれわれは、三つの綱領路線の候補がある。第一は、ハマスの原理主義であり、PLOとその綱領の承認を拒否している。第二は、サルベーション戦線内部の民族主義であり、民族憲章を支持し、PLO綱領、特にその段階主義の修正を考えている。この路線は、民族主義イデオロギーを強調している。第三は、マルクス主義を基礎とする社会主義的、民主的な路線であり、憲章とPLO綱領を自らのものとする。
 PLOとは、一つの機構、活動家勢力、憲章、綱領、そしてパレスチナ人民のアイデンティティである。だが、こうした存在としてのPLOは消滅してしまった。憲章は綱領としての性格をとどめており、パレスチナ人民の道義とアイデンティティの軸であり、憲章と綱領、そして政治的、道義的な本質に固執する勢力を体現している。この勢力が、新たな構成員と構造をもつPLOを再建しなければならない。それだけがアラファトと暫定自治協定を支持する勢力が裏切った大義を体現できるのである。

――最近、協定に反対する人々からイスラム民族戦線形成の呼びかけがあったが……。
 十派内部に議論がある。十派とは、マドリード交渉と協定に反対する十派が構成する一種の戦線である。主要な勢力は、PFLP、パレスチナ解放民主戦線(DFLP)、アフメド・ジブリの人民戦線とハマスなどである。前に説明した三つの路線が含まれている。ここでは、イスラム民主民族戦線の形成が合意されている。単なるイスラム民族戦線ではなく、イスラムであるとともに民主主義の戦線でもある。第一の目的は協定を無効にすることであり、第二は協定を新しくすることだ。これはハマスがPLoの再建に同意したことを意味している。そのうえハマスは、憲章に賛成であることをダマスカスでの十派会議後の声明で明らかにしている。
 そうしてパレスチナ闘争は新しい指導部、イスラム民主民族戦線を形成した。協定後に、これがパレスチナ人民にどのような展望を与えられるのかが注目されなければならない。アラファトが闘争を放棄したのだから、今後の情勢展開はこの戦線にかかっている。
 同時に、いくつかの理由によって闘いがはるかに困難になっている事実を認識しなければならない。第一にアラファトは、彼の統制下にある地域ではシオニスト国家に対して自らの善き意図を証明しようとする。パレスチナ人活動家の反イスラエル行動を阻止する。協定は、イスラエル軍がガザとエリコに介入し、反イスラエル活動を行った人物を逮捕する権利を認めている。イスラエル軍が暫定自治地域に入って来るのを阻止するためにアラファトは、反イスラエル行動をやめさせ、介入の口実をなくさなければならない。これが闘争をより複雑にしている。
 そのうえイスラエル軍は、パレスチナ人居住地域の周辺に再配備されつつある。いくつかのイスラエル側の目的は、従来よりもその実現が困難になっている。闘争が複雑になっている第三の、そして最後の理由は、反シオニスト闘争が新しい次元に入っていることにある。単なる大衆闘争でなく、またシオニスト軍隊に対する武装衝突でもない。新たな次元の反シオニスト闘争は、イスラエルの収奪と搾取に反対しなければならない。しかもイスラエルとパレスチナ双方の資本に対してである。十派戦線を構成する勢力を私は信頼しており、正しい方針を見出すであろう。
 民族的な闘いに抑圧に反対する人権のための、女性の自由のための、イデオロギー的政治的な複数主義のためなどの民主主義の闘いをつけ加えなければならない。インティファーダ自体は後退しつつある。だが反占領の闘いとして継続されるだろう。現在、アラファトはガザとエリコで権力が手に届く位置にいる。そしてわれわれは、これまでのインティファーダとは異なった民族的民主的な闘争の新しい局面に入っている。
(インターナショナル・ビューポイント誌250号、93年11月)