1994年2月10日         労働者の力            第53号

小選挙区制強行と消費税率大幅アップ
 
保守による政治の独占と強権・国家主義政治の幕開け

総保守状況を打破する
闘いを加速させよう
 

  川端 康夫

 臨時国会終了間際、自民党との党首会談という談合によって「政治改革法案」は、自民党案の「丸呑み」という修正を前提として成立した。細川首相の政治的危機は回避され、さらに低落傾向にあった支持率も一挙に成立当初の数値へとはね上がった。だがその直後、通常国会冒頭で決定する運びになっていた「大型景気対策」施策の柱である「減税」財源をめぐって、細川は強引に国民福祉税という名称の消費税大幅アップを発表した。社会党の政権離脱も辞さずとの決意を含めた真っ向からの反対にあい、連立与党は減税とその財源案の白紙撤回・再検討を余儀なくされた。小選挙区制度導入をめぐる一連の経過と今回の消費税大幅アップ強行の過程は、細川が一・一コンビ(あるいは一・一ラインともいう)、すなわち新生党小沢一郎代表幹事、公明党市川雄一書記長に完全にのっかり、かつ自己独善化に陥ってきた状況が如実に表れている。新選挙法成立直後に、即座に独善と独裁の方法が表面化したことは、極めて象徴的である。

保守二大勢力の談合
による新選挙法成立

結論として、自民党案をほぼ丸呑みした新選挙法が圧倒的多数で採択された。小選挙区比例代表並立制という名称はまさに名ばかりで、その実質はかぎりなく小選挙区制そのものである。成立の過程はまた、極めて分かりにくい。一月二十一日に参議院段階で否決されたその瞬間に、新生党や公明党はいったんは衆院で否決した自民案丸呑みに動き出し、次には両院協議会を一方的に打ち切り、衆院での三分の二多数による議決をめざす構えに出て、あげくは土井議長あっせんを利用した自民党との談合決着にもちこんだ。
参院での議案否決という事態により、自民党も社会党も分裂必至か、という状況に突入した。自民党「改革推進派」は、海部、後藤田をかついで数十人規模で政府案賛成―離党に踏み切る構えを示した。
 社会党もまた衆院議決に際しては、前回よりも数的には幾分多い反対票を予想せざるをえなかった。もちろん、それでも衆院三分の二獲得という連立与党サイドの強硬路線が貫徹する可能性はほとんどなかった。自民党は分裂回避を至上命題にし、細川政権との対決を回避し、「政治改革慎重派」を押さえ込んだのである。
細川、河野の談合と共同記者会見は、自民党という出自を同じくする政治勢力が日本政治を圧倒的に牛耳ったことを示すものであった。細川と小沢、河野と森という談合の組み合わせは、以前の自民党内部における談合の再現そのものであり、海部、宮沢の二つの内閣をつぶした自民党内の対立が政界全体をおおう形で拡大し、旧野党勢力がそこに完全に呑み込まれたことを意味した。
まさに選挙制度改悪構想が最大のねらいとした「保守勢力」による政治の独占という構図が、国会終了間際の談合として登場したのであった。

新選挙法強行――限りなき「小選挙区」制度

事態は、その過程と結果の双方において、後藤田ら自民党の旧内務官僚族が推進した政治改革構想が貫徹されたことにほかならない。政治構造の根本を変えるために、切り札である小選挙区制度導入実現のために、彼らは動いてきた。いわゆる五五年体制打破を合言葉にした政治改革論は、自社両党体制による(体制内)対決型政治構造を「制度疲労」として規定し、新たな挙国一致型の政治構造を創出するという仕掛けであった。
それは自民党政治の「腐敗」を利用し、「金のかからぬ政治」という詐術でアピールした。同時に民間政治臨調という政財労の結合組織を形成し、宗教とマスコミ、それに政治学者を取り込んだインフォーマルな組織体による強固な布陣を築き上げてきたことの成果でもある。
新党構想のほとんどは、こうした政治改革論の文脈にのったものであり、そのブームがある種の社会的圧力の背景となって「守旧派」を追いつめるという構図がつくられていた。
臨時国会最終局面での政治的緊迫は、五五年体制政治構造を自ら打ち壊すことなしには五五年体制打破という目的も達成できないという後藤田らの決断、自民党分裂の切迫からもたらされた。政治改革法案の流産が、そっくりそのまま五五年体制型の自社両党の存続ないしはそれらの勢力の再浮上を意味したがゆえに、自民党分裂をあえて貫徹する必要性が出てきたのである。
この数年、自民党案は小選挙区比例代表並立制から完全小選挙区制度までの間を揺れ動いてきた。法案作成の度に違うのであり、そのいい加減さはあまりにも度が過ぎた。にもかかわらず自民党は「改革」を掲げ、そのかぎりで後藤田らの制度改革論と対立するものではなかった。制度改革の観点からすれば、最大に理想的なものは「完全小選挙区制度」であり、それを掲げる自民党執行部の腹がどうであれ、後藤田らが反対するべきものではなかった。
他方、新生党やさきがけ日本新党にとっても事情は同じである。自民党案の極限である完全小選挙区制度であってもかまわない、あるいはそれが理想的制度ですらある。その他の事項はあくまで付随であるにすぎない。
自民党案丸呑みの構想は彼らにとっては当然すぎる発想なのであった。

瀬戸際までいたった自民党分裂の可能性

もちろん、完全小選挙区制などの自民党案は自民党内の消極派の意向が働いたものである。海部内閣当時の自民案はさておき、宮沢内閣の案と今回とはそれぞれ消極派が築いたハードルのような性格をもっていた。
野党勢力、とりわけ社会党の呑めないような案を作成するということが共通する性格であり、そこにおいてはたとえば宮沢のように、完全小選挙区制度を提出しておきながら同時に政治改革法案の成立に全力を期すという決意表明を繰り返すという政治感覚の持ち主(あるいは政治感覚をもたない)が、党内でのいずれの陣営からの信用も信頼も勝ち取れるわけはなかった。
河野は後藤田らの支持を受けて浮上したという事実がある。今回の一連の改革は、自民党離党の動きの中軸になった野田や津島らの「若手改革派」を、いずれも河野がまわりに引きつけておこうとした部分である。彼らは太田らと同じく河野総裁誕生の原動力になった部分であるが、同時に派閥政治を代表する党の公式機関、総務会や政調会からは相手にされないということでもあった。これらが海部をかついだ改革派グループを構成し、離党予備軍として行動した。
海部の行動の動機もまた明白であり、世代交代と内部確執のせめぎあいの中において自民党の分解、分裂の確度はかなりの程度まで高まってきていた。
自民党の表向きの改革案が実は改革阻止案であるという二面性のからくりを突破するためには、連立与党案が、自民党(改革派)にとっては一歩も二歩も前進であるという評価を行いうることが必要であった。その口実を与えるのが連立与党サイドの譲歩であった。衆院段階でのトップ会談は決裂した。それでも法案成立が阻止されることではなかった。だが再度の衆院決議の段階となれば、決裂は改革法案の挫折を意味する。離党への動きは、ここに具体的な様相を帯びることになった。
自民党の主力にとって、繰り返されたさみだれ的な離党は、予測を越えることもあったであろうが、しかし一定程度折り込み済み的なものでもあったろう。西岡らの衆院段階での行動、そして参院で政府案賛成に回った五名の動きは、その後の彼らの行動にも明らかなように新生党の「エージェント」的なものともいえた。
しかし、再度の衆院段階での分岐は党の大分裂となる。総務会を中心機関にして、自民党各派は分裂が避けられない状況であるとの認識で一致したと報道されたのは、参院での否決から間もない時である。旧竹下派が竹下の示唆で行動したかどうか明らかではないが、少なくとも橋本らの旧竹下派は分裂回避のために行動した。参議院自民党の大勢が旧竹下派であり反小沢である以上、最終段階で参院自民党への大きな影響力となったのが橋本らの行動であるとみるのは自然である。
自民党慎重派にとっても、建て前であるはずの改革推進党議決定が最後的に制約となった。彼らは、最終的には小選挙区制度そのものへの反対を表明しなければ論理が成り立たないところに至った。腐敗防止法の切り離し先行実施のアイディアも、その急ごしらえと底の浅さをつかれればそれまでということになった。彼らが固執した「自由な自民党」という論理を固めるだけの準備も決意も、存在はしていなかった。

不可避的に加速する政界再編

以上のバランスシートとして、マスコミから流される情報の氾濫のなかで、一致した見解と呼べるものは唯一、政界再編は加速されるだろうということだけである。新選挙法は従来型の各党それぞれの選挙という枠組みを許さない。特に、少数派政党は生き残ることが不可能となった。こうした少数派政党にとって自殺法案というべきものに率先して賛同した要因は、すでに言い尽くされてもいるので立ち入らない。残るのは大政党への吸収である。
社民連は解党を決定し、日本新党、さきがけ、社会党にそれぞれ所属すると明らかにした。新生党と公明党は確実に同一歩調をとる。日本新党とさきがけの問題は今や微妙である。細川が、この間の傾向である新生党・公明党ブロックに重心を移す構えを強めていることが原因である。
自民党の分裂があるかどうか、それがどのような形態になるのかも安易には予断できない問題である。事実上、各派閥が内部的に解体の度を深めていると同時に、派閥がそれぞれ独自の党の様相を強め、離合集散の主体としての構えをみせる渡辺派のような存在もあるからだ。
だがいずれにせよ、具体的に選挙の区割と公認問題となれば、現在の自民党の力学では統制がつかない事態になることも明らかだろう。
社会党はどうか。この党も依然、分裂寸前である。消費税問題への憤激では珍しく一致したところを見せたが、早晩それも一時的なものであることが明らかになるであろう。連立維持のための理屈はいろいろあれ、デモクラッツの傾向には社会党というものにこだわるという側面が急激に薄れている。新民主党的傾向への傾斜、とでもいえる政治傾向に呑み込まれているというべきである。今は大勢のようにも見えるアンチ新生党という側面すらも危うい。
新生党、公明党のブロックは、新選挙制度採決の最終局面で社会党議員への事実上の「買収」工作をかなり公然と展開したといわれる。すなわち、次期参院選(おそらくは現行制度のもとで行われるだろう)での議席保証の約束である。この紙切れ、口約束がそのままに履行されるとは限らないが、社会党議員の大半が議席の将来に不安を抱いているわけだから、それなりの効用をもったことは事実だろう。
社会党が単独で選挙戦を闘える、そこで勝ち抜けると思っている人は、ほぼゼロに等しいだろうからである。連立与党の統一した選挙協力あるいは統一名簿形成への動きも強まる。その働きかけは当然、自民党所属議員に対しても行われる。
こうして新選挙制度は、社会党の保守勢力に対する全面的な依存という不可避的な作用をもたらす。社会党へのこうした「厚遇」が一時的なものであり、社会党の役割が終われば使い捨てになるであろうことは、当の社会党自身がよく認識していることであろう。だが全体としての社会党ではなく、議員個々人の利害という点においては、個々人はそれなりに泳ぎ渡ることを考えているのである。
 社会党的に代表されてきた野党的、革新的勢力の解体という事業が最終段階に入ること、および保守政治の全面化のなかで、いかなる政治勢力がヘゲモニーとして登場することになるであろうかの問題に移行することになる。
  
独善と独裁の権力構造の
可能性と現実性

 政治全体の保守への糾合と同時進行する保守政治の再編において、国家主義的なり、リベラル的などの形容詞をつけたカテゴリーで保守政治勢力を分類しようとすることは、一定の根拠はあるとはいえても、なにかしら政治テクニックに踊らされている側面もつきまとう。
 とりわけ現時点においては、新生党、さきがけ日本新党のそれぞれが自民党改革派と共通したところから形成されてきていること、その改革派がおしなべて小選挙区制度導入論者であることが、諸傾向について国家主義やリベラルなどと規定をすることの危うさを示している。
 そのようなことよりも、全体としての政治の軸心が動くことを見なければならないであろう。
 細川の行動が小沢とどのように違っているかをみれば明らかであろう。消費税問題がそうであるように細川は、小沢構想といわれる政策転換の率先した実行者である。かつ、その方式が数の優位で押し切ること、密室での決定、トップダウン、上からの決定の方式であることなどに、独善と独裁こそがリーダーシップであるとのおごりが見えている。
 国連安保理事国入りを含めて、細川は一連の敷かれた路線を走ることで政治基盤を確実なものにすることに期待をつないでいる。
 すでに明らかだが、小沢路線の根底には一種の「超然主義」の論理が厳然として横たわっている。すなわち一時的な民意に左右されない政治の遂行であり、政治評論家や学者から「国家の利益」という用語が使用される頻度が最近高まっていることとは無縁ではない。
 こうした点からみてみれば、道州制度的な地方分権論も、「国家」から民衆を切り離す仕組みの一部として位置づけられていることが明瞭になる。民意は地方政治だけに限定するということだ。それゆえに参院無用論も飛び出るわけである。同時に地方政治の悲惨な現実に直接の関心は持たない。
 この点においては後藤田も同じだ。後藤田は「首長は一種の大統領制であって……首長選挙の例を小選挙区の欠点として取り上げるのはどうかと思う」と主張している(朝日新聞二月三日朝刊) 。
 こうした超然主義が、政党の中央集権化を実現することによって可能になるというわけだ。連立与党の決定であれ、保守勢力相互の談合であれ、政治全体が超然化し、民衆からますます離れた存在に転じていく可能性は、さらに大きくなる。
 民衆レベルにおいて政治改革への期待があり、同時に、その成立を通じて細川の支持率も高まったことは一方の事実だ。が、同じ世論調査において、政治が変わると思っている人のパーセンテージが三〇%強と低いことも報じられた。しかし、はたして政治は変わらないのであろうか。
 変わらないという見解は楽観主義か、あるいは無関心の表現である。その見解とは反対に、確実に政治は変わることになる。現在の政治を放置すれば、民衆の手がさらに届かないものへと変わるのである。
 民衆を政治から疎外する事態の進展は、確実に国政選挙投票率の傾向的な低下として現れる。後藤田のいう「大統領型」各種首長選挙のひどいといえるほどに低い投票率は、自治体における各党相乗りの結果である。この間の国政選挙レベルにおける投票率低下傾向もまた、政治の総保守化がもたらしたものだった。
 民衆を政治から疎外する事態の進行を前提として、政治の超然化への集約が実現されていく。
 とにもかくにも、国政レベルが旧自民党各派の談合、確執を全体に拡げたものとなっていく以上、「政治に風穴」を開けるための投票行為、「一票一揆」の余地はまったく限定されたものとならざるをえない。
 
反自民・非自民連立政権
擁護「神話」の打破を
 
 朝日新聞二月五日付朝刊の社会面には「識者の声」の特集記事があり、おもしろい読み物となった。細川擁護、批判の両陣営からの声ではあるが、マスコミ受けのいい細川も今度ばかりは珍しく旗色が悪い紙面作りになっていた。
 見出しはこうである。
 「自民党政権より密室/官僚に利用された/正体みたり」
 京大助教授の肩書きをもつ浅田彰―の発言。
 「細川首相は旧来の政治家とは違う清新なイメージで高い支持率を得、その一方で「一・一ライン」と大蔵省の強引な戦略にのってしまったのだ。だが、国民はこの権力の二重構造に気づきながら、進んでだまされているふしもある。「五五年体制」下での自民党のドロドロした政治よりはまだまし、ということなのだろうが、真の野党が姿を消してしまった現在の状況を考えれば、非常に危険なことでもある」
 作家のなだいなだ。
 「後世の人は細川首相を、保守陣営が送り込んだトロイの木馬と評するだろう。今回は木馬の中に隠れていた小沢一郎氏ら保守中の保守がちょっと早く出過ぎて失敗した、というところか。しかし、いまはほかに、代わりを務められる人がいない。そこが日本のつらいところだ」
 作家の田中康夫。
 「専制封建領主の正体みたりだ。細川氏は官僚と小沢一郎、市川雄一両氏のコンビに乗せられただけ、との分析もあったが、冗談じゃない」
 引用した三者の言い方は三者三様である。私は田中康夫の主張に与するが、その根拠は以前にも触れたように、細川個人の主張には「強い政府」志向が明確に記されていることにある。これは、いわゆる小沢路線と重なるものである。なだや浅田の見解は、世を挙げたマスコミの細川擁護、悪役大蔵省という報道にもう少し鋭敏に切り込んでほしところだ。
 今や問題は「細川の代わりを務める人がいない」というジレンマ、「一・一ラインと官僚に乗ってしまった」という評価を積極的に打破しようとしないかぎり、政治の超然化、独善と独裁、密室化に対抗できないところにきている。
 細川が自ら選択しないかぎり小沢路線は進まない。大蔵省と小沢も密約、取引を承知で小選挙区制度を強引に導入したのが、細川自身である。予算案先議では当然消費税アップ問題となり、それでは社会党はおろか政権自体も危ない。だから予算案編成の先送りを進めた。その見返りが細川政権による消費税の一挙的アップの方針にほかならない。官僚に利用されたのではない。相互の密室取引の結果である。

「流れを変える」

 当の社会党はどうか。この党こそ、まさに「進んでだまされた」のである。この党の「久しぶりの一致した結束」に、「仏の顔も三度まで」ということを期待しても、むなしい結果になるあろう。
 選挙法改悪が実施された状況では、社会党が「使い捨て」されることは子どもでも分かることである。そして今後もこの党の多くは、「だまされる口実を模索する」ことになるだろう。すでに党内右派では「税制の直間比率是正は必要」との議論が、公然となっているのである。
 にもかかわらず、社会党が今回突きつけた「離脱も辞さず」宣告の意味は大きい。客観的事実として、ジレンマ、タブー、あるいは自ら掲げてきた大義名分に公然と挑戦したことにほかならないからだ。今後、他をこの大義名分で抑圧することが難しくなる。政治、政策路線の選択という本質での論争、対立にならざるをえない度合いが増してくる。
 「代わりがいない」という呪縛ではなく、「代わりを求める」立場、それを貫かないかぎり総保守化、すなわち浅田のいう「真の野党がほとんど姿を消してしまった危険な状況」を打ち破ることはできない。
 参議院での社会党造反議員、二院クラブ所属議員が直面した圧力は、一つは「自民党政府の再登場に手を貸す」、二つは「否決したらさらに悪い結果になる」ということであった。これをはねのけないかぎり、連立政府維持という唯一の大義名分しかもたない選挙法改悪に対抗することができなかったのである。
 結果が、細川が自民党との保保大連立政権を選択することであろうともかまいはしない。保守政権であることには変わりはなく、これ以上悪くなることはない。むしろ小沢・市川色が薄められる意味をももつであろうし、同時に細川リベラルの幻想が一日でも早く消えてしまったほうが民衆にとって「総保守化に棹さす」という悪夢から脱却するうえで、はるかに望ましい。
 「流れが変わる」という点によせて、最後に社会党所属衆議院議員、金田誠一氏の見解を紹介しておく。
 「党議拘束は旧時代の遺物」と題された前記引用と同じ朝日朝刊紙上に掲載された「論壇」への投稿である。
 「議員は、議員であり続けようとすれば、有権者に顔を向けるより、カネと権力が集中する党中央に忠実にならざるを得なくなる。これは本来の改革に逆行する。しかし、反対すれば党議に反し、賛成すれば良心に反することになる。思えば、先の国会ほど、多くの議員が党議と良心との間で悩み苦しんだことはない。……わが国では広く行われている統制処分を伴う党議拘束は、決して普遍的なものではなく、実は極めて日本的な風習である……私はその源流を、ひとつは明治憲法下の全体主義に、いまひとつをソ連型社会主義の民主集中制に見いだす……
 いま時代は統制や全体主義から脱し、民主主義や優しさを求めて流れているとき、改革派と守旧派の分水界は、マスコミがいうような小選挙区制に対する賛否ではない。党議拘束を排除する民主主義的潮流か、小選挙区制とそれを強行するために先の国会で取られた手法に象徴される、国家主義的・強権的潮流かが分かれ目となる。
 そして、これから始まるであろう政界再編成も、その二極を軸に、いくつかに収斂(しゅうれん)していくに違いない。私は改革派でありたいから、参議院で青票を投じられた勇気ある方々と同じく、党議に忠実である以上に、良心と有権者に忠実である道を歩みたいと思う」
 金田議員はいったんは衆院で賛成票を投じたが、再度の衆院採択時では反対する立場に変わったことを付記しておく。
  一九九四年二月五日 
新刊紹介
            河辺一郎著
           「国連と日本」(岩波新書)

あばかれる「国連中心主義」のお粗末な実態

著者の問題意識と研究方法

 著者の河辺一郎は、一九六〇年生まれで、一九八五年に東京都立大学を卒業した後、「新聞資料センターを設立し、国連総会と安全保障理事会における各国の提案投票行動の調査を中心に、国連の研究を行なっている」(本書奥付の著者紹介から)。最近の若手研究かによくみられるように、事実を細かに検証してそこから一定の傾向を導き出そうという研究の方法であって、何か自分の結論が先にあってそれに向けて事実を積み重ねるというタイプではない。
 本書は題名から明らかなように、国連そのものを対象としているのではない。あくまでも国連と日本との関係に注目し、そこから日本の政治や社会の在り方、あるいは世界における日本の位置とその問題点などに言及していく。国連それ自体に関わる議論は、冷戦終了後の現在にあって世界がどうあるべきかに関して全般的な合意がないなかで、当然にも極めて多岐にわたる論点を含む。
 世界では、様々な国家連合や国家、民族や地域に関わる共同体、個人といったレベルで利害関係は極めて複雑に錯綜している。そして冷戦終了は、複雑に錯綜する利害関係を表面化させ、時には極度に悲惨な暴走行為さえ生じさせている。
 著者は、こうした事情を次のように説明している。
 「一九九〇年八月二日のイラクのクウェート侵攻以来、国連が日本政治の大きな争点の一つとなっている、多国籍軍への自衛隊参加、資金協力、掃海艇派遣、平和維持活動(PKO)協力法、カンボジアへの自衛隊派遣、日本の常任理事国化などの問題が、憲法論議を引き起こしながら世論を二分してきた」
 「ところが両者(PKO協力法に反対する人々と保守派)とも不満を漏らし、しかも同時に現状とは異なる国連協力を政府に求めるという点では一致している」「一方、これだけ国連が注目されていながら、基本的な問題点すら抜け落ちることが多く、議論が抽象的で上滑りしたものになりがちなことも見逃せない」「また国連を批判しながら、自分たちの代表が国連で何をしているのかが問われないのも不思議だとしか言いようがない」
 「世界最大の力をもつ米国の国連支配が問題であるのならば、それを牽制できるのはまず第二の国だろう。逆にこの国(日本)が第一の国と結びつくと、多の国の発言力は大きく低下する。国連を問題にする場合、日本においてはまず日本政府の行動を論じなければならない。それを監視する責任は日本国民にあるのだから」
 「にもかかわらずこれらは今もほとんど顧みられていない。自分たちの代表の行動を問わないままに国連や米国を非難し、果てはガリ事務総長……への個人批判まで繰り広げられている。同時に、日本は差別されているなどの意見もあとを絶たない。自分たちの責任を果たさずに、他人に転嫁しているともいえよう」「同様の事態は国会でも見られた。……PKO法案などの審議でも、国連が何を決めたか、何を要請してきたかなどが議論されるばかりだった」
 以上のように国連をめぐる日本での論議の在り方を総括する著者は、次のごとく述べる。
 「国連は「世界の鏡」とよばれる。そこには世界のほとんどあらゆる問題が持ち込まれ、しかも原則公開討議の中で各国が公式態度を示すという、他に得がたい場である。当然そこには、なんらかの形で世界の実情が示される。各国の姿勢の変化を観察する上でも興味深い情報が得られる。政治の透明性が低く情報公開も遅れている日本にとっては、政府の行動を検証する上でもこの意味は大きい。つまり国連政策という限られた問題ではなく、PKOはいうまでもなく、紛争、軍縮、人権などの国際問題に対する日本の姿勢を検討することになる」

米問題と通じる議論のお粗末さ

 著者の問題意識を明らかにしている「はじめに」を読んだ時に、最近読んだ本の一節を思い出した。それは、ちくま文庫の「ドキュメント日本の米づくり」(村野雅義著)に井上ひさしが「農民への応援歌」と題して書いた解説である。ついでにいえば、同じ文書が「どうしてもコメの話」(井上ひさし著、新潮文庫)に再録されている。
 「米を論じるのはたいへんに困難な仕事である。なにしろその根は四方八方東西南北左右縦横に伸びている上に、伸び先でそれぞれしっかりと張っており、米のことを喋っているつもりがいつの間にか日本文化論になり、天皇制についての議論になり、流通論になり、都会論になり、国際化論になる。そればかりか立場を逆転させて、政治論から米を論談したり、外交論から米を見たりする人も多くなる。つまり根っ子の一本にすぎない意見が大事な茎のフリをするわけで、これらはすべて結局のところ主客転倒の議論とならざるを得ない。目下の流行は米を、農業をコスト論からウンヌンすることで、この角度だけから米の先行きを決めたりしては大事なことをごっそり見落としてしまうのがオチだが、とにかくそういう逆立ちした議論が今のところは大きな力を持っている」
 国連に関する議論が、確かに天皇制や流通論、都会論になることはなかろうが、これらを憲法論や国際貢献論、あるいは環境論や人権論などに置き換え、米を国連に置き換えると、井上ひさしの主張がそのまま通用する。そして「目下の流行は国連を、国際貢献論からウンヌンすること」といえる。
 こうした議論のお粗末さと日本の対応の見当違いについて著者は「おわりに」のなかで、次のように語る。
 「国連が日本政治の焦点になってすでに三年以上たつにもかかわらずいまだに、日本国民としての最低限度の責任を果たすための情報も国民に伝えられていない。いうまでもなくその第一の責任は、政府の活動をチェックすべき国会にある。同時に報道も独自の取材が不十分であるように思われる。国連という、情報公開がなされており、しかも世界中の代表団に容易に取材できる場所も十分には活用されていない。日本代表部、つまり政府の出先機関の発表だけに基づいた報道も少なくないようである」
 
本書の構成と結論

 本書の構成と結論に関して著者は、「はじめに」で次のように述べている。
 「第一章では、総論として国連総会における投票行動から各国の姿勢の変化を概観する。八〇年代の米国が孤立しており、その一方で北欧諸国などが独自の立場を示し、日本が米国の姿勢をなぞっていたことなどが簡単に示される。
 第二章では、日本政府が国連中心主義を提唱した理由とその後の変遷を検討する。ここで、外交の実態を国民の目からそらすものとして国連が利用されてきたことが示される。
 第三章では、軍縮問題に対する日本の姿勢を、国是といわれる非核政策を中心に観察する。日本にとって核軍縮問題は、対米関係のための取引材料にすぎず、その姿勢は西側諸国の中でも反・反核的であり、しかも整合性もないことが論証される。
 第四章では、PKO政策を分析する。日本が一貫してPKOに否定的で、さらにPKO法案の審議中に、PKOに影響を与えるため国連で活動していたことが明らかになる。
 第五章では、紛争解決、開発途上国の人権、人権条約などに対する姿勢を検討する。経済権益を優先し紛争解決には消極的な様子と、内外の人権問題への否定的姿勢が示される。
 最後の第六章では、国連改革と日本の常任理事国化の意味を考える。ここで、日本の国連行革が米国の国連利用を可能としたことや、各国の不信のなかで、他国の機会を奪って安保理に立候補している様子が明らかになる」
 こうした結論を著者は、一つひとつ事実を積み重ねて検証していく。しかも本書の特徴の一つにあげても良い点であるが、著者自身が作成した図版がたくさん収録されている。
 そして、こうした結論から現在の課題を次のように提起している。
 「国連改革の目的は、世界の変化に対して現在の国連が十分対応できないこと、またはその対応が適切ではないことを改善することにある。国連の民主化にせよ日米の力の強化にせよ、国連を改革すること自体がその目的ではないだろう。望ましい世界像があり、それを目指すための国際組織を論じているに違いない。それならば、その望ましい世界像と現状の問題点が明らかになれば、必要な国際組織の姿は自ずと明らかになるはずである。ただし現実の世界ではそれがそのまま実現するわけではない。そこで現実的な方法や実現可能な措置が検討され、そのための妥協が探られることになるだろう。しかし一般に議論の向きが逆になっていないであろうか。つまり国連を変えることが目的化しており、国連改革により世界が変化するかのような論議になりがちのように思われる」
 「国民の意志を代表する政府が国民の意志を反映させる場が国連である。……つまり(日本は)政府が国民を代表するという国連の建前が成立している国である。……しかもその(日本の)姿勢が変われば国連も変化する可能性も高い。そしてその日本の姿勢に最終的な責任を負うのは日本国民である」
 本書は「日本の姿勢に最終的な責任を負うのは日本国民である」という結論となっているが、どのような方法で、どの方向に向かって責任を負うのかについて著者は直接には一言も発言していない。
 本書の構成で説明したように、著者は国連における日本政府の提案や投票行動、発言などを一つひとつつぶさに検証することを通じて、責任の負い方を論じていると思われる。著者があたかも「私はこれだけの事実、考えるための材料を提供したのだから、後は読者一人ひとりの問題ですよ」と言っているかのようである。
 国連問題は、世界のあり方、人類のあり方を考えていくうえで抜き差しならない非常に重要な論点になっている。これを考えていくためにも、本書は貴重な材料となる。
 なお蛇足ながら。岩波書店の本に誤植が少ないとの定評があった。しかし、この十年間くらいであろうか、新書や雑誌世界に誤植が散見されるようになっている。本書も例外ではなく、「一貫」と「一環」の混同、一八二ページの「九三年の暫定自治合意で、PKOとイスラエルの両者」などがみられる。
  (高山徹 94年1月) 

新たなヨーロッパのために

労働時間の大幅短縮を

 マキシム・デュラン(一九九三年十二月十日)

 大部分のヨーロッパ諸国では、労働時間の短縮が極めて重要な焦点になっている。以下の論文は、過去十年間にこの問題に関して基本的な傾向がどうであったかを簡潔に示すものである。

過去十年間の雇用情勢

 過去十年間(一九七九―九〇)、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス、スウェーデンの国内総生産(GDP)は、年率二・二%で成長してきた。この成長率は、単位時間当たりの生産性の上昇よりも低かった。これからすると、総労働時間として定義される労働量は、年率〇・二%の割合でやや減少したことになる。
 この労働時間は、どのように「分担」されたのか。「分担」とは、総労働時間が勤労大衆の間でどのような割合で分配されたのか、という意味である。労働量がほとんど変化しなかったことは、まず第一に失業の増大を意味し、就業労働者に関しては週労働時間の削減と労働者数の増大が並行して存在したことを意味した。
 この観点からすると、年率〇・六%の週労働時間の短縮はある面で期待されていた役割を果たしたといえる。つまり一九八〇年代はじめの水準に週労働時間を維持することは、ヨーロッパにおいて、それに伴う雇用の喪失と失業の増大をもたらしであろう。実際には労働者数は、年率〇・四%で九千九百万人から一億百万人に増大した。
 しかし、この労働時間の削減は不十分だった。ジャック・リゴーディアは「失業が存在したから労働時間を短縮すべきだったのではない。週労働時間を削減しなかったからこそ、失業が存在しているのである」と述べている。そして、この削減は、非常に不均等な形で様々な結果をもたらした。フランスよりも週労働時間が三時間も短いスウェーデンは無視できる。ヨーロッパ四主要国を検討対象とすると、各国の個別事情の違いには驚かざるをえない。この違いは、各国の週労働時間政策の違いをみごとに反映している。
 ドイツは、週労働時間が基本的に減少傾向にあるという点で、一九八一―八二年の景気後退に続く一九八三―八四年の時期、他の三カ国とは際だって顕著である。同国は、一九八一―八二年にフランスの水準と交差した後、再びフランスの水準に達した。しかし、二つの軌道の意味は明らかに同じではない。フランスでは、立法によって週三十九時間制と週休二日制を採用し、一九八二年に年間労働時間は一八八六から一八〇八時間へとたった一年間で約四%も減少した。だが、この減少傾向は突然止まった。その理由は第一に、法規制の労働時間が実労働時間と一致したからである。一九八三年以来、週労働時間に基本的に変化はない。現在は景気変動の影響をやや受けており、ことに一九八八―九〇年の上昇期にはわずかに増大している。
 イタリアでも類似した傾向が存在している。ただしフランスほどは明確ではない。一九八三年と一九八五年の間に労働時間はかなり低下し、近隣諸国よりも短くなっている。

工業での大量失業

 しかしイギリスは、明らかに異なった傾向にある。一九八〇年と一九八一年の時短は、工業部門での構造調整の結果だった。サッチャー時代のはじめに、工業部門で大量失業が発生した。多くの場合、最悪の影響を受けたのは、週四十時間以上働いていた非技能工労働者であり、その結果、週平均労働時間が大きく低下した。それ以降、増加傾向があり、一九九〇年の不況まで同じ傾向が続いた。
 イギリスでは、週労働時間に法規制はなく、ヨーロッパ全体に適用される規制の考えに反対している。常勤労働者の年間労働は一九〇〇時間であり、ヨーロッパの平均値よりもむしろ米国のそれに近い。
 労働時間は測定方法によって異なり、これは各国ごとの特殊性を反映している。違いが出てくる大きな原因の一つは、パートタイマーの問題にある。パートタイム労働は、EC各国ごとに割合が異なっている。イタリアでは全労働者の五・二%、オランダでは三〇・九%、EC平均は一三・七%となっている。この割合が高いところでは、平均労働時間が短くなる。
 パートタイム労働者の労働時間を統計に入れることによって、国際比較が正確さを失う。ECでは、常勤労働者の週平均労働時間は四十時間よりも長いことになる。ここにパート労働者を加えて計算すると、三十八時間になる。フランスとイギリスは、週平均労働時間は三七・七と同じであり、EC平均(三七・六時間)に極めて近い。だが両国の内実は大きく異なっている。常勤労働者だけを見ると、イギリスでは四三・六時間、フランスは三九・九時間(EC平均四〇・六時間)となっている。
 スウェーデンを例外として、パートタイム労働は西ヨーロッパでかなり増加している。検討対象五カ国のパートタイム労働年間増加率は、一九七九年から一九八九年の間で平均二・四%となっている。しかし、同一期間に雇用全体は一・一%の割合で増加しているにすぎない。
 この増加率は、国ごとに大きく違う。フランスでは、一九七九年から一九九〇年にかけて全労働者に占めるパート労働者の割合は八・二%から一二%へ増加した。一九九〇年では労働市場にいる女性労働者のうちパートは二四%で、一九七九年の一七%から大きく増大している。一般的にいって、パートタイム労働は女性に多大な影響を与えている。イタリアのパート労働者の六五%が、そしてドイツのそれの九一%が女性である(一九八九年)。
 パートタイム労働者の増大に伴って、別の傾向、つまり検討対象のすべての国で全労働者中の女性の比率が高まる傾向が現れている。全体の雇用増加よりも二%ないし四%高い。パートタイム労働の増加と女性の比率の高まりという二つの傾向の関係を調べれば、女性と男性にどのような割合で労働が分配されているかを検証できる。この検証によって、給与所得者において女性が果たしている役割をより正確に把握できることになる。女性の役割は、労働市場における女性労働者の数からだけでは判断できないからである。
 女性の寄与は低くなっている。フランスでは女性労働者が四二・三%を占めているが、全労働時間での比率は三六・七%に低下する。検討対象の五カ国では、この数字は、それぞれ四〇・七%、三三・二%となる。しかし、これは、労働市場への女性の参入が増加している事実を否定するものではない。
 
女性とパート労働

 女性パート労働者の増加が労働量の分配と週平均労働時間の短縮において果たした役割は、この十年間の最も大きな特徴である。この意味は、一九七九年から一九八九年の間に新たに創出された雇用を検討すれば、より明確になってくる――多くの部門でみられる労働市場への新たな参入や、退職あるいは失業による離脱、常勤からパートへの移行などの様々な変化を一緒に考慮すると。
 検討対象の五カ国で一九七九年から一九八九年にかけて純増した四百万の雇用の性別の数字は、すでに雇用されていた労働者の性別割合とは比較できない。新たな雇用創出は、七十三万二千の男性労働者の減少があって実現されたのであった。
 ヨーロッパでは女性雇用者数の増加には、男性雇用者数の絶対的な減少が伴っていた。もっと詳しく検討すると、イギリスとフランスでこの現象は顕著だった。この十年間で両国では、男性雇用労働者がそれぞれ一・七%と五・九%ほど減少した。ドイツだけは、この傾向がなく、男性の雇用も増加した。
 第二の重要な数字は、ヨーロッパで増加した雇用の八三%がパートタイム労働だった事実である。この事実は、これまで説明してきた数字の傾向と合致している。つまりパートタイム労働と女性の職とが極めて密接に関係しているからである。だが、ここでフランスとイギリスは特別の位置にある。一九七九年から一九八九年にかけて常勤労働者は、両国で減少している。フランスでは六十四万九千(全体の三・二%)、イギリスで三十三万四千(同一・六%)ほど常勤労働者が減少した。ドイツでは、新たなに増加した雇用の半分がパートであったが、イタリアとスウェーデンではパートタイム労働は二義的な役割しか果たしていない。
 実総労働時間を検討すれば、性別労働時間分配を知ることができる。一九七九年から一九八九年までに男性の実労働時間は、六十五億時間減少した。これは、常勤労働者の減少を反映した数字である。同期間に女性の実労働時間は三十三億時間増大した。しかし、この数字の三分の二はパートタイム労働によるものである。
 ここでもイギリスと、とりわけフランスの数字には驚くものがある。フランスでは、主要には男性労働者の減少によって二十七億時間少なくなった。女性労働は、二五〇百万時間増加したが、常勤労働の増加は十四万時間以下であった。この期間に九十万以上増加したフランスの労働女性は、爪先ほどに少ない労働時間を「分けあう」ことで満足しなければならなかったのである。それが実際に行われえたのは、新たに雇用された女性の八一・五%がパートタイム労働者だったからである。
 この点に関するフランスでの極端な状況は、ヨーロッパでの女性雇用の増加の中心的な問題をはっきりと示している。一方では、失業の増大は、雇用調整役としての女性雇用を減らさなかった。女性の労働意欲は十分強く、「家庭に帰れ」という主張は効果がなかった。しかし、この肯定的な側面の代償として、女性の雇用増加はもっぱらパートタイム労働の増加として実現されたのであった。
 過去十年間の数字を子細に分析すると、週労働時間の絶対的な短縮の必要が極めて明確になってくる。同時に、ヨーロッパ資本主義が失業を克服するにたる潜在的成長率をもっていない事実も明らかになってくる。
 とりわけ明らかなのは、女性のパートタイム労働が想像以上に重要な役割を果たしている事実である。ここから導き出されるのは、現状を変更するための鮮明な方針の必要さである。現在の傾向が継続するならば、労働人口は三つに分極してしまうだろう。増大する失業者群、常勤男性労働者、女性パートタイム労働者の三つである。そして、これらの間に不安定な雇用が存在する。
 週労働時間の大幅短縮は、新たな方向への道である。というのは、労働時間の短縮は、両性全体に雇用を提供しようとすると同時に、一つの性の状況を他方の性の状況に近づけようとするからである。ここに、われわれの包括的な社会的かつフェミニスト的な両性の平等を希求する要求があり、そして、これは新たなヨーロッパのための路線の軸であるだろう。
(インターナショナル・ビューポイント誌252号94年1月)

インターナショナル・ビューポイント誌論説

ウルグアイ・ラウンドの偽善

  アルフォンソ・モロ


 「GATT(関税貿易一般協定)は、自由貿易とは無関係であり、むしろいくつかの変数内部での自由化なのである。……貿易の自由化が貧しい国にその機会を提供するので、それら諸国を豊かにするというのは間違いである」
 この発言をした人物は保護主義者ではなく、GATT事務局長のピーター・サザーランその人である。彼こそが、最終段階にあるいわゆるウルグアイ・ラウンドをまとめるべき責任者なのである。同ラウンドの結論を十二月十四日までに出さなければならないという状況にあって、マスメディアの宣伝は喧噪を極め、排外主義者たちはここでいうのも恥ずかしい発言を行っている。
 国際資本の中心人物らは、ウルグアイ・ラウンドが始まった一九八六年からの七年間にわたって「自由貿易」の名目で、関税による規制と非関税障壁とを撤廃するべく「神聖なる戦い」を行ってきた。
 自由貿易? われわれは自由貿易から遠く離れたことは一度もなかった。米国、日本、EU(欧州連合)は、彼ら相互間で世界貿易量の八〇%を占めており、他方、世界人口の二〇%の人々はわずか〇・九%にしか関与していない。これ以上に厚かましい話があるだろうか。
 確かにこの七年間、主要帝国諸国の間では対立が顕在化してきた。実際、ラウンドの最終結果は、一致による協定というよりもむしろ妥協の産物であった。だが妥協が成立した事実も、一九七〇年代に始まった世界経済の危機という現在でも続く明白な特徴を隠すことはできない。この危機は、資本の安定にとって一貫して不適切な状況と、誰がその結果に対して支払うのかという解決不能な問題を抱えていた。
 サービス分野では、これは一国の国内発展と世界市場へのアクセスにとって最良の機会を提供する分野であるが、「知的所有権」といった諸原則がしっかり固められた。これは、医薬品やコンピュータ製造といった分野で最貧国に課せられる搾取そのものにほかならない。
 農業協定の利益は、よく言って両義的である。貧しい国は、各種補助金と保護措置の撤廃を要求されると同時に、国内消費用の穀物を輸出に回すことをも要求され、その結果、栄養不良と飢餓が増え続ける。
 リカードの古くさいリベラル国際貿易論をいたく信頼する主要帝国主義諸国は、老朽化したGATT機構の再建に関して、彼ら独自の誰にもまねのできないやり方で交渉した。これは全くの偽善であり、三つの地域ブロックが世界市場を彼らの間で分割する相談をしたのであった。他方、世界人口の八〇%がいる大多数の諸国は、この交渉に関して「沈黙するゲスト」とされ、口をはさむ余地は全くなかった。
 実際問題として大多数の国とその人民は、ほとんどが彼らの犠牲によって行われているショーに振り込まなければならなかったのである。
(インターナショナル・ビューポイント誌252号)