1994年3月10日         労働者の力                第54号

 第二期に突入した細川政権
  内部抗争を通じて進行する総保守化構造確立との対決
を 
   
川端 康夫

 
新選挙制度成立が
加速する権力抗争

 
 細川が内閣改造を打ち出した瞬間に、新たな局面が切って落とされたのである。改造が強行されたか挫折したかを問わず、細川連立政権は第二期目に突入した。中央政界の右往左往は激化の一途をたどることにならざるをえない。
 新たな再編を意識した流動の最大の根拠が、成立した新選挙法である。自民党案をほとんど完全に丸のみした修正法案は、一度たりともまともに論議されたこともない比例配分部分の十一ブロック集計制というシステムでその悪質さを上塗りした。
 改悪選挙法は自民党案である完全小選挙区制に限りなく近く、同時に政治資金規制も骨抜き同然という最悪のものとなった。政府案提案者である細川が国会論戦中に述べた法案提出の立場、視点のすべての前提を投げ捨てることによって、細川は政治改革法案の成立にようやくにしてこぎつけた。この過程にはなんら細川自身の理念や見識というものが見られない。小沢主導の強引な政治技術と一体となったものだ。コンビを組んで出発した武村との関係がぎくしゃくするのも必然であった。
 だが、逆からみれば武村も自ら細川を操作するかのごとき立場を意識してきていたのである。これは通常いわれる「首相と官房長官の関係」ではない。自民党的にいえば武村は「幹事長」的にふるまい、連立与党を牛耳る小沢と張り合った。官房長官を「家来」視する細川が心穏やかなわけはなく、それが福祉税(消費税)問題で噴出したのである。
 改悪選挙法の成立が、この両者の連立与党内部における並立状況をこれ以上不可能なものにしてしまった。いずれがヘゲモニーを握るのか。小選挙区制度のもとで、一つの陣営における複数の理念の共存・共栄の余地は極度にせばめられる。はじめからそうした共存関係を前提として進めるのでないかぎり、そして小沢のねらいが強力に集権化された権力構造を自ら掌握するということである以上、連立与党はいずれ、小沢か非・反小沢かに分岐せざるをえない権力闘争を激化させる。
 加えて、自民党という存在がすでに自己求心力を失った存在であることも明らかである。自民党は政権党であるという求心力を持ってきたにすぎない。先の国会が表現したように実態的に統制力を持たない、分解再編に時期を待つだけである。この党が「政権奪還」にむけて結束し、小選挙区制度のもとで闘いぬく強力な野党となる、という図式を描くことは不可能というべきであり、したがって与野党を貫いて、小沢連合かそうでないのかに不可避的に収れんしていくことになるのである。
 小沢、武村の権力抗争は、武村が最近の著書で意識的に設定しているように「普通の国家」か「小さくともきらりと光る国家」かのイメージ宣伝合戦にすでに移行している。歴史的類推でいえば、大英帝国華やかな時期におけるトーリー党(保守党)のディズレーリとホイッグ党(自由党)のグラッドストーンの対比、あるいは二〇世紀アメリカにおける共和党と民主党のような関係が意識されていることは間違いない。自民党の総裁選を争った河野と渡辺美智雄、前者が反小沢を意識し、後者が小沢と接近していることも見れば、自民、反自民の対立の図式は底流において終えんしつつある。
 武村から見れば、細川は路線的な裏切りであるとも見えよう。また日本新党に投票した都市型市民にとっても同じように受けとめられよう。この間の細川支持率のかげりが日本新党支持率の低下に直結しているという関係は明白であり、細川が改造をめぐって揺れ動いた一つの根拠でもあろう。
 
 三極分立論の欺まん
 二大保守党へ収れんする再編

 武村が一時公然と表明した後藤田から横路までの政治ブロック構想は、この間の横路の動きからして、あながち根拠のないことではないようである。また、小沢と渡辺の秘密会談がマスコミにすっぱ抜かれたことも、政治再編が複雑な要素を抱えて同時進行していることをうかがわせる。もちろん連立与党が統一会派もしくは新政党を形成して反自民で闘うという可能性がなくなったとは完全には言い切れない。しかし反自民八党連立が急激に求心力をなくしていることをみれば、より大がかりな再編がありそうなことである。細川は、小沢に乗るとすれば、名目的なシャッポとして一時期延命できるかもしれない。だが、非小沢であればその命運は楽観できるものとはいえない。福祉税導入や改造問題で示した独善と密室決定、トップダウン型発想の傷跡はそこまで深いというべきである。
 細川は亀裂を回避した。が、それは一時のものにすぎまい。今後、政策決定の過程がさらに大きな問題になる。つまり最大の問題である消費税問題がどのイニシアティブで決定されていくのか、さらには具体的な選挙区割り法が成立した段階で選挙協力の方法がどのヘゲモニーで進められるのかなど、求心力を失った連立政権の手に余る問題が累積している。トップダウンを意識した瞬間に細川の時期、役割は基本において終わった。
具体的にどうなるかは別にして、後藤田から横路までの幅の政権構想とは保守政権そのものである。横路の動きが武村と密かに連動したものだとすれば、それは日本政治の基底が、反小沢という回路を通じてあらためて「保守への統合」を進もうとすることであり、けっして「さきがけ、社民」結集の「リベラル」な三極目が生まれるわけではない。さきがけ、武村が自民党の後藤田と結び、自民党分裂に展望を託していることは周知の事実だ。小沢もまた同様に自民党の分裂解体を展望しているのであるから、自民党は「草刈り場」として意識されているといわなければならない。ともすれば保守の再編やそこにおける権力抗争にとらわれがちだが、こうした局面を貫いて進行するものはいわゆる社民勢力のまったくの保守政治への吸収解体なのである。
「リクルートから六年」といわれる「政治改革の実現」とは、真実には革新勢力解体の現実化にかかった六年でる。さらにいえば、第二臨調を演出し、国鉄労働運動解体を最大の節目にする「戦後政治の決算」をめざした後藤田らのねらいが実を結ぶまでに十年がかかったのである。
「悪役小沢」に配するに「パパ武村」という出演者のいずれが主役の座を勝ち取るのか、後藤田らの直接の関心事とはいえないであろう。核心事は「戦後政治の清算」の完成であり、以上の両者ともに役どころは変わっても与えられている課題には変わりはない。

日本新党の下降と社会党の浮上?
村山のもとで進む右傾化

社会党の村山委員長は内閣改造問題で反小沢色を前面に出して踏ん張りを見せた。武村、村山、大内の連絡緊密化は紛糾の三週間、日に日に強まったといわれる。最後的に公明党が創価学会からも批判を受けて妥協路線に傾斜したことが改造にとどめを刺したことになるわけ。だが、村山の踏ん張りなしには改造断念となったかどうか疑問が残るところである。福祉税構想に対して内閣離脱を辞さずと主張し、さらに今回の改造反対論の先頭に立ったことといい、村山委員長の行動には、米問題、選挙制度改悪問題で煮え湯を呑まざるをえなかった恨みが反映されている印象すら与える。
細川支持率の下降傾向、日本新党支持の下降と並行して、この間社会党の支持率が上向きになったと各種世論調査は伝えている。社会党的にも、福祉税構想に始まるこの一カ月、村山委員長は党内結束を背景にしえてきた。反小沢色は一定程度成功しているようである。
しかし、こうした構図は、社会党の政策的座標軸の右シフトが進んでいること、村山委員長がその変化に抵抗していないこと、さらには前述した二大政党論への収れん過程における権力抗争に積極的に棹さすこと、この三つの要素によって成立しているものだ。すなわち、反小沢色の鮮明化は、決して社会党が保守再編の一部となることとは矛盾するものではない、という構図が見えてきたからこそはじめて可能になったのである。
もちろん連合を含んだ社会党、民社党の全構造が連立政権からの離脱を意識しているということはない。当然、建前的には連立政権強化が主張されている。久保書記長は党内分岐は「連立政権維持か否か」であると明言してもいる。他方、民社党では大内と米沢のニュアンスの違い(これは昔からの派閥的な相違でもあるが)は隠しきれず、連合内部でも山岸の三極形成論に対して鷲尾事務局長(鉄鋼労連)、岩山(電機労連)らの批判的見解も伝えられている。しかし、連立政権の「お荷物」であり、肩身の狭い思いをし続けた社会党にとって、新生、公明と張り合いつつ政権のイニシアティブをとろうとする立場はまんざらではないはずである。鷲尾、岩山の批判見解にしても時期尚早というニュアンスといわれている。
社会党の政策的な右シフトこそ見逃してはならない。AWACS導入に反対していた主張はいつのまにか忘れ去られた。消費税(国民福祉税)に対しても福祉目的税であればよいとしている。もちろん自民党案ほぼ丸のみの小選挙区制度導入にもなんらの異論をたてなかった。社会党的なものを限りなく削り落とし、限りなく保守路線への接近という現実路線化に乗ることによって、村山委員長の印象度が強まっている。右派出身ではない村山氏にとってまさに皮肉な役回りである。
 個々の議員にとって、新生・公明の組織的、強力な援助を受けて次期選挙で生き残るか、あるいは不確かながら少しは民衆に受けのいいようにも見える反小沢路線で行くか、選択は微妙であろう。細川の政治生命の下降に比例して日本新党が引き裂かれ状況に入っていくことは明らかだし、当然さきがけにも民社、社会党にも同じ力学は働く。小選挙区制度のもとで、政権にありつくという現実路線にとって三極論などが通用するわけはない。AかBかの選択になる以上、極論すれば自民か反自民かの構図と新生か反新生かの図式とが錯綜しながら流動することになる。そのいずれにせよ、戦後政治の決算と総保守化政治の確立への道が掃き清められることには変わりはない。

一党支配体制をねらう
反民主的な選挙制度

三月四日に参院を通過して成立した小選挙区法にもとづいた新衆議院の選挙は区割り、周知期間を経て秋には実施可能となる。早期か遅れるのか、あるいは参議院との同日選挙になるのかは、今後の政界流動、再編の度合いにかかってくる。クリントンと細川の蜜月が終わってしまった状況のもとでは、この政権の政治的求心力の低下は加速される。したがって細川は、のたれ死にか死中に活を求めるかの選択を、そう遅くない時期に迫られることは必然といえるだろう。
来年四月の統一地方選挙、六月の参議院選挙というスケジュールが動かせない以上は、政界再編が終了し(どう再編されるか別にして)二つの陣営が整然と相競うということにはなりそうにもない。地方議会で各党がバラバラに闘い、参院選挙でも、複数選挙区や比例代表区選挙を各党ごとに闘うというという従来の関係を払拭できるとすればそれは学会組織票に支えられる公明党しか能力はない。とりわけ地方議会での政治再編が、来年四月以前、よりはっきり言えば、選挙準備が出そろう今年半ばまでに完了するとは考えられない。
しかし、比例代表部分二〇〇定数、ブロック集計制の導入によって、新選挙制度は実質においては小選挙区制度そのものとなった。それは以下のようにも作用する。
「……四国七、北海道八など、ブロックでは配分母数が小さくなる。比例代表制が、民意を反映する機能をはたせなくなり、四国では一四%、北海道では一二%以上の得票率がないと当選できない。比例代表全体の四割に、五%を越える議席配分阻止条項がついたのも同じだ。それでもなお、比例代表といい得るのだろうか。……新制度では小選挙区で落選しても、当選者への肉薄度によって比例代表で救われる重複立候補が認められる。……この仕組みで比例代表単位をブロックにすれば、比例代表枠は大政党が小選挙区の落選者を分け合う装置になりかねない。そこに、新・小政党が割り込むことは至難だ。……新制度では……新党や小党を徹底的に抑圧して、芽を摘もうとしている。小選挙区では、新党などは無所属扱いで政見放送を認めない。運動量も半分に制限。企業献金も受け取れなければ、政党助成も与えない。改正では、戸別訪問を再禁止し、選挙期間も二日間縮め、手足も懐も締め上げる。これほど活性化の動きを排除していると、ここ一、二回の選挙で政治再編が片づくと、それこそ一党覇権体制に収れんしていく心配がある。……選挙の腐敗や政治資金に対する効果的な手だては、ほとんど見送られた……一党支配の腐敗構造という悪夢の再現も懸念される」
以上は私の見解ではなく朝日新聞三月二日付朝刊に掲載された(編集部)村上栄忠署名論文からの引用である。
ここで村上が言う「一党支配体制」をどう理解するかは別にしても、完全な既成政党保護のお手盛り法であることは言うまでもない。民意を恐れる集団が共謀した、歴史に残る反民主的な悪法であり、こうした制度を発想し、成文化し、かつ賛同した部分にはもはやなんらの信頼も置けないといわなければならない。青票と白票との間にこそ、根本的な分水嶺があったのだ。連合は青票議員七人(衆院・秋葉忠利、参院・喜岡淳、佐藤三吾、志苫裕、中尾則幸、西岡瑠璃子、山口哲夫)を連合組織内議員懇談会から利敵行為として除名を要求し、議員懇談会は会員の除籍を決定している。

民衆の政治・政党をめざして
新制度の壁を突破する闘いを

総保守化完成のための制度でもある新制度に対して、風穴を開ける闘いはまさに障害を幾重にも越えて行くことを要求されている。この悪法に対しての憲法違反提訴が当然に続発することにもなろうが、その前提条件としても新制度の決定的欺まん性と反民主的な性格を具体的に広くあばき出す闘いが必要とされる。大マスコミあげての「政治改革論持ち上げ」が流された結果、新選挙制度のなんであるかを知らずに評価するという意識が形づくられてきたし、二大政党化や総保守化が政治改革だというキャンペーンはマスコミの大勢として今後とも続けられることも明白だ。
「保守二大政党化に一切の幻想を抱かない」ことを鮮明に明らかにして闘う勢力が、新制度の幾重ものバリアーを越えて、否そのバリアーがあるからこそ登場することが必要である。
統一地方選、参議院選、衆院選を同時ににらんで闘う全国体制が必要だ。全国十一ブロックへの分割は、確かに全国選挙として一斉に闘うことからみれば極めて制約の多いものとなる。ブロックごとにそれぞれの体制を作り上げることは少数政党や新政党には難しいのも事実であり、対応しきれないままに選挙戦に入らざるを得ないこともあり得るであろう。だがそれが既成政党のねらいである以上は、困難さを回避の理由とすることはできない。全国ネット形成が困難さを克服する前提条件となろう。ブロックに区割りされた中で、幾分かの可能性がある地区での闘いに自ら限定してしまうのでは、既成政党に対する民衆的批判票を掘り起こすことにはつながらない。
まして、最初の選挙は、新政党を「政党扱いしない」制度でなされる。各立候補者は無所属扱いされるのであり、宣伝も運動も極度に制限される。これを越えるためにも全国的な新たな政治勢力として明確に登場し、その浸透の波及効果をはかることが必須の要件となろう。
さらに新制度が加える制限から、選挙戦を闘う場合、はじめから「公選法上の政党」であるべきかどうかは前提的な必要条件ではならなくなったともいえる。選挙戦を闘う母体の枠組みを政党に限定せず広げて考えること、つまり当面の問題としてではあるが、地方選挙、参院選を含んだ選挙ブロックの形成と選択で代替されうるとも考えられる。
新政党形成の課題が拙速主義では進まないことも一面の真理である。場合によるが、選挙ブロックを経過し一連の選挙を闘い抜く中で、理論上の必要性ではなく、現実の必要性として新たな政党形成の課題が広く民衆的にも浸透していく過程が要求されることもあろう。
そのいずれにせよ、民衆的な広がりをもった、一種の円卓会議的な場が意識的に準備されることが必要である。社会党的な場から実践的な大衆運動の領域にまで、新たな政治勢力を意識する動きが見えてきている。まだまだ徴候的、あるいは意識している段階にとどまっているともいえるが、少なくとも様々なチャンネルを通じて協同の作業への条件がつくられつつある。もちろん社会党サイドは社会党的世界の内部抗争に限定されがちであり、運動世界には選挙や政党という概念に対する戸惑いがある。それらを一挙に越えることもまた難しいのも事実であるから、それぞれの運動が、対等平等に、横に結びついた全国的な構造を、なおのこと意識的に準備する課題は緊急なものとなっていると考える。
     (三月五日)

米問題入門書勝手流紹介 上

「ドキュメント 日本の米づくり」を中心に

高山 徹


はじめに

 私はこの二、三カ月間、米やその市場開放問題を扱った新書や文庫本を何冊か読んだ。昨年末のウルグアイ・ラウンド交渉をめぐる騒動に刺激されたためであるが、読み進む過程で新聞やテレビなどで報道されているのとは全く別の視点を教えられた。そのうちの何冊かを紹介しようというわけであるが、「勝手流」と名づけたのにはいくつか理由がある。
 第一の理由は、私は米そのものや農業に関して全くといっていいほど無知であることだ。編集下請けの仕事柄、農業や米に関する本の編集に携わったことはある(それでも本は立派にできる)が、そうした過程での知識はすぐに忘れるもので、身につかない。実体験としての農作業を思い出しても、三里塚で田起こしをやったことと小学校の時に学校田で稲刈りの一環として刈った稲束を田んぼから学校まで数百メートルを運んだ作業だけである。
 だから、米や農作業に知識のある読者にはなんでもない事柄が、あたかも重大発見であるかのように書かれている場合があるかもしれない。それはそれで都市生活者の米や農作業に関する知識の一例として参考にしていただきたい。なにしろ私が住んでいる近くには田無市があって、この近辺には一七〇〇年頃に開墾が行われて一面に田んぼがあったはずなのに、今ではすべて畑に転換され、その一部は例の栗畑となっている状況なのだから。
 理由の第二は、最近の情勢の中でおそらくは米、農業問題に関する非常にたくさんの本が出版されているはずであるが、私が読んだのはそのごく一部にすぎず、ここで紹介する以外にも多くのすぐれた入門書がありうることだ。私がのぞき込んだのは小さな本屋であり、そこで見出した新書や文庫本は現在でもある程度の本屋であれば購入できる、という利点はあるが。
 これ以外に、私が米に大きな執着をもっていないという事情もある。昔「貧乏人は麦を食え」と叫んだ首相がいたが、私自身は「貧乏人は安い米を食え」主義であり、この数年間、米屋の店頭から標準米が姿を消し、やむを得ずいわゆる銘柄米を食っている。現在の米論議では、「うまい米を食べたい」とか「うまい米をつくれば日本の米は生き残れる」との主張が多いのだが、これにはどうしても納得しない。私としても、うまい米であるにこしたことはないが、戦後一時期の食糧難が体にしみこんでいるので、著しい違和感を覚えるのだろう。
 以下、敬称略で紹介する。

米づくりの実態を知る

■ドキュメント
日本の米づくり□
 村野雅義著
 ちくま文庫(六九〇円)
  九二年九月第一刷

 これは実におもしろかった。楽しかった。推理小説を読む楽しさ、おもしろさがあった。ちくま文庫としては前記の初版であるが、実際には一九八七年五月に情報センター出版局から刊行されていたものである。
 筆者の村野雅義は、「一九五四年東京に生まれる。東海大学工学部建築学科卒業。ノンフィクション作家。主な著書に「コシヒカリは危ない」「環境空気の崩壊」「過疎地人たちの優雅な生活」などがある」と紹介されている。
 本書は、著者が一九八六年の春から福島県の双葉郡浪江町大字津島字水境(阿武隈山系の山奥)で実際に米づくりを体験して、それを記録したものである。つまり、この場所にある著者の「妻の母親の実家である菅野家(第二種兼業農家。経営規模は、水田が五〇アールに畑が一〇〇アール前後。畑の半分がタバコ、残りは自家用野菜)」に東京から通っての米つくり体験記録であり、また、その合間に種苗田植機の開発を行った人物や品種改良家の研究跡などを訪ねて、それを記録している。
 昨年、テレビ朝日のニュースステーションで作家の立松和平が宮城県の農村にいって米つくりを学んだが、それよりもはるか以前に体験して、テレビでは表現できない一年間にわたる微細な観察、大局的な観察などを記録性の強い文字で表現し、一冊の本にまとめたものである。
 なぜ推理小説を読むようなおもしろさがあるのか。全編が発見の連続だからだ。筆者は私よりは米づくりの知識があるようだが、あらゆるところで筆者が抱いていた米づくりに関する常識が崩れていく。
 まず最初に「それにしても、米づくりの初日なのに、こうしてまさか一日中砂利運びをしようとは、ゆめゆめ思わなかった」と、農道整備から始まる米づくりの現実の発見がある。「菅野家専用の農道は……このままでは、田植機をはじめとする稲作機械がまったく水田まで行けない。そればかりか転倒して大ケガのもとになったりする。また集落の家々や来客に対してもみっともない。なにしろたった一本の菅野家の出入口、農道兼生活道路」だから、一切の作業の前提として農道の整備が不可欠なのだ。
 そして翌日は「夜明けの土盗り」である。ようやく農道整備が終わってから菅野勲に筆者は「明日は、朝五時前に起きろッ……。山に土サ、採りに行くからなァ」と命じられる。作業が終わって軽トラックに乗り込むとき、菅野は「だれにも見つかんなかったべな。土盗りは朝にかぎるべえ」と言う。
 その土を見た「妻」の光子は「いやいやいやー。いい土だなあ」と喜々としてその土を見つめる。土の使いみちを何度も質問する筆者に菅野がはじめて答えたのは、帰りの軽トラックの中であった。「苗、育てるのに使うだべえ」と。「それにしても解せない。土など、水田にいくらでもある。……なぜわざわざこんな朝早く隠れるようにして、山の土を採らなければならないのか」との疑問に対して「山の土は、病気がねえからいいんだ」と開き直った返答がある。
 最初の体験を筆者は次のように総括する。
 「それにしても、土を採る、いや盗りにいくとは、壮絶な農作業体験の幕開けだった。米づくりというと、僕は田植と稲刈りしか知らなかった。しかし、この先、想像をはるかに超える突拍子もない農作業がつづきそうである」
 以下、本書には、その「突拍子もない農作業」が綴られていくことになる。その一つひとつがまことに楽しく、おかしく、おもしろいのである。
 「まえがき」のおよそ半分を引用する。
 「やがて稲に穂がつきはじめたことのことだ。日本の米が抱えるさまざまな問題が、国の内外から強い批判を浴びるようになった。
 田んぼの中でそれを耳にするたびに、僕は言いようのない怒りを感じた。いずれも、米を一面的にしかとらえていない声ばかりなのである。
 日本農業を批判する経済関係者は、米を経済的な側面からだけ見て、都市生活者にとって都合のよさそうなことばかりを言いつのる。対して、反論する農業関係団体などの代表者は、これも都市生活者におもねるかのように、「田んぼは国土保全のため」「都市に緑を供給する」といった二次的なことしか言えない。
 日本の米とその米をつくっている肝腎かなめの百姓を、まったく置きざりにしてしまっているのだ。それで米論議が展開されてしまうことに、僕は一驚せずにはいられなかった。
 ……いまの日本の米づくりがどのような状況にあるのかということを描こうと思った。それは、米づくりを通して、「現在(いま)」という時代を共有している都市生活者と農村生活者の距離を測定する、僕なりの試みでもある」
 作家の井上ひさしが「農民への応援歌」と題する解説で、次のように述べている。
 「村野さんは……普通の百姓がごく当たり前のこととして見逃していることにのべつ幕なしに驚き、感動し、そしてときには素朴な疑問を抱く。その疑問とは、たとえば、体験や経験だけを大事にしてもちっとも理論武装をしない日本の百姓の超保守性である」
 本書は、米問題を議論するに際して必要不可欠は前提だと思う。議論する相手が本書を未読の場合、その人物を相手に議論するのはやめたほうがよろしい。

■わが農業革命□
 兼坂祐著
 中公新書(六八〇円)
  八八年五月初版

 副題「世界一安い米づくりに挑む」から判断されるように、米の輸入自由化に対抗できる農家育成の観点から書かれている。と同時に世界農業視察旅行会を発足させ、会長として、あるいはその他の肩書で米を中心とした諸国の農業を広く見聞し、その報告記をも兼ねているので、参考となる書である。
 著者は、一九一九年生まれ、「終戦とともに復員、農業に従事。四八年佐倉市臼井町東部耕地整理組合役員に就任すると同時に同町角来工区の整備に着工、翌年完成。……五七〜六三年佐倉市議を二期務める。六四年、印旛沼干拓入植者組合設立」などの経歴をもつ。
 本書は第一部「農業革命をどう進めるか」(八七年十月に行った講演の速記を全面的に書き改めたもの)、第二部「コストダウンの米づくり」(同年NHK教育テレビでの同名の番組を編集)、第三部「世界の農業を見て」(世界農業視察の記録文集を編集)からなっている。
 著者は日本農業の現状を次のように認識する。
 「昭和二十七年までは、毎年四〇万人の若者が新たに農業に携わっておりました。……(同年)以降毎年減り始めて、とうとう平成元年には新規就農者は二一〇〇人になって、さらに減りつづけています。……ですから現在農業をしている人は五〇歳を越えた人が八〇パーセントで、このまま十年もたつと働き手がいなくなってしまうのではと心配されるようになってきました」
 「徳川時代から続いてきた一戸当り一町、約一ヘクタールという普通の農家は、これからはもうなくなるのではないでしょうか」
 「われわれの農業が自立できなくなってしまったのは、アメリカとの競争に負けたのではなく、都市の生活がぐんぐんよくなったため、一ヘクタール農業という小規模ではそれについていけなくなり、跡取りが皆農業以外にいってしまうから」
 この現状に対して次のように抱負を語る。
 「自動車やテレビを初めとする工業において日本が世界一になったように、日本農業を世界一の農業にしなければならない……世界一おいしくて安全な米を、世界一安いコストで作って、世界一高く売ることが出来るという三拍子揃えば、日本の農業は世界一になるわけです。……
 ではそのためにはどうすればよいか。跡取りのない農家の人たちは地主組合を作って耕作権をまとめ、一毛作地帯では二〇ヘクタール、二毛作が出来るところでは一〇ヘクタールを最低限度として村の跡取りに貸す。しかもこの水田は、いつでも畑になる、つまり田畑輪換出来る世界で一番すぐれた水田にし、しかもロボット付きトラクターで耕し、無線操縦の小型ヘリコプターで農薬を散布し、無人のコンバインで刈り取りをする。これらのハイテクの機械を使用料を払って駆使出来るようになれば、日本の農業は世界一になれる」
 読後感。著者は、その経歴からも分かるように極めて大きな行動力、実行力をもち、人々をまとめて一つの目的に向けて動員していく点でも有能である。本書を読んでいればなんだか「世界一の日本農業」を実現できそうだ。だが、著者たちが営農したのが印旛沼であることを考えれば、そのための条件が現実の日本では極度に限られたものであるのは明白である。ことに「日本の米づくり」を読んだ後では、この印象は拭いきれない。また、私が育ったところでは、平野がなく「耕して天に届く」ように田んぼが段々につくられているのだから、一枚が大きな田んぼのつくりは不可能である。八郎潟や関東平野、宮城県、北海道など日本の一部でしか実現できないだろう。それ以外の土地に対して筆者は、どのように提案するのだろうか。
 もう一つの読後感は、筆者が与える人物像が高度経済成長期の日本企業を牽引したに違いない「企業戦士」のイメージを喚起したことである。彼のイメージは農民ではなく、むしろ「企業戦士」のそれであった。農水省が喧伝する「中核農家」を牽引する人物は、こうした存在なのであろうか。

米輸入自由化
問題を論じる


■コメを考える□
 祖田 修著
 岩波新書(六二〇円)
  八九年二月第一刷発行

 著者は、一九三九年島根県生まれ、現在は京都大学教授(農学博士)、専門は農業経済論、地域経済論。
 「本書では……複雑多岐にわたるコメ・農業論議の内容を検討する。そしてあらためて日本のコメがどう食べられているか、どう作られているかをふりかえり、今後の食生活と農業の方向、さらには農業政策や貿易・国際関係のあり方、日本の経済と農村の方向などを考える。今後、農産物戦争はますます激化し、農業論議は当分続くであろう。……いっそう深く広く、コメ問題の本質と意味、そしてそのゆくえについて、読者とともに考えてみたい」(プロローグから)
 実際に本書の構成は、
一 世界コメ生産の構造
二 コメ戦争をめぐる現実
三 自由化の嵐とコメ・農業論議
四 保護と自由のはざま
五 食生活から見たコメと農業
六 日本の稲作をどうするか
七 食管・農協・地域政策
八 文明史の中の農業
となって、極めて包括的、多面的である。
 巻末の「文献一覧」の文献もある程度努力すれば入手できそうであり、親切なつくりになっている。
 著者は、日本の現状と方向性を次のように考える。
 「いま日本に蔓延しつつある農業軽視の風潮とそれが促す市場開放は、農家を圧迫し苦しめるだろう。そして輸入を拡大すれば、さしあたり農産物価格は若干下がり消費者は利益を受けるだろうが。だが、その次の段階で、過大な輸入依存の負の側面がもたらすより大きな困難を背負い込むことになるのは、消費者であり、国民ではなかろうか……本書では、安易なコメ・農業批判を排し、農業の現実と多面的な役割、改革の方向について考察したい」
 「コメ自由化への疑問」として、以下のごとく結論する(要約)。
 「大きなコメの内外価格差もあり、農業批判が起こってもやむをえない側面もあるが、それでもなおかつ、アメリカや日本の財界が現在求めているようなコメの自由化には問題がある」
 「その理由として、@……単純な国際分業論による「工業発展・農業縮小」でなく、「農・工並進」への道こそ国民の安寧と長期的・安定的発展が可能であること、そして日本はすでに歴史上例のない過度の農業縮小、輸入依存それもアメリカ依存状態にあること、Aアメリカの主張する農・工無差別の自由化論は、各国の自然的・歴私的・社会的条件を無視した暴論、B農産物価格は、三〜五倍といった大幅な中・長期的変動が避けがたく、短期的な価格比較は無意味、C農業の経済的価値、生態環境的価値、社会的・文化的価値は今後ますます大きくなろう、D国際化の時代においてこそ、国民的対立や摩擦を乗り越えるため、世界に開かれた地域社会としての「健康な地域」を確立すべきである」
 本書は、現実的な入門書としてはすぐれたものの一つといえよう。井上ひさしは「コメの話」(新潮文庫)で「!マークを一〇〇個並べてもまだ褒め足りないぐらい「凄い」本」と絶賛している。専門書を読んでみようと考える読者にとっても、導きの発端になるだろう。

 以上のようにいくつかの入門書を読み進んでくると、米やその市場開放をめぐる問題は、突き詰め煎じ詰めれば結局のところアメリカの問題となる。ここで問題になっているのは、単に日本一国の主食をどうするのかだけでなく、各国の主食をどう考えるのかといった文化問題であり、あるいは工業と農業の関係を地球規模でどうしていくのかという、人類全体にとっての根本問題を含んでいるからである。
 この問題に関して強力に発言しているはアメリカ(その支配者たち)であり、結局のところ、そことどのような関係を形成するのか、問題は最終的にこのように設定されざるを得ない。
    (九四年二月)

ポルトガル

リスボン市議会選挙
で左翼連合が大勝利


インタビュー 1993年12月23日


左翼連合の歴史

――「ポル・リスボア(よきリスボンのために)」連合は、同市で六〇%の得票率を記録しました。この連合を構成する勢力や統一候補者名簿作成に至った経過、選挙綱領などについて教えて下さい。
 まず、この連合の歴史から話そう。連合が選挙を闘ったのは今回が二度目である。最初は、一九八九年にリスボンで選挙を行ったが、そのきっかけはPS(社会党)内部の論争だった。リスボンは、もちろんポルトガル最大の都市であり、選挙上極めて大切な都市である。一二年間も右翼の支配下にあったので、左翼、特にPS内部でどうすれば統一候補者名簿が作成できるのか、という議論があった。PS書記、ジョルヘ・サンパエオは、みずから立候補すると決めて、PCP(ポルトガル共産党)に連合を組まないかと提案した。
 これは極めて革新的な提案だった。というのは、PSはそれまで、PCPとのどんな選挙協力をも拒否していたからだ。そして今でもリスボン以外の場所では同様に拒否し続けている。この連合こそが、前提条件だったのだ。というのは、PCPとPSが連合を組んだ場合だけ、右翼連合に打ち勝てるからだ。四年後、PS、PCP、PCPから生まれた小さな連合政党、緑の党の連合が形成された。
 PSRは四年前、リスボン市議会選挙に候補を立て、一人を当選させた。この四年間、綱領、連合自体の構成、選挙運動のあり方などについて議論があった。
 四年間の地方自治体活動の総括の問題であった。そこで、主要な問題をめぐる社会動員を発展させる方向での路線修正が必要だということが明確にされた。最初の四年間は、右翼連合時代のリスボンに築かれていた優先順位の変更作業と緊急課題に費やされた。現在、公共輸送やリスボンに至る交通機関網の整備といった問題を優先させる活動を開始すべきだと考えている。
 このキャンペーンのために基本綱領の転換が行われた。PSとPCPは、連合を継続することを決定し、PSRのような他のパートナーに参加を呼びかけた。この提案は次のように述べている。左翼連合の考え方に賛成し、長い間、そうした綱領上の転換という考えを防衛してきたPSRは、連合の法的な地位を、その内部でPSR以外のすべての政党と完全に対等なパートナーとして公然と協力していく方向に転換することを条件とした、と。つまり、このことは、PS、PCP、PSR、緑の党、そしてPCPとUDPと連携するその他の小政党の連合ができあがることを意味した。
 こうして五政党が統一候補者名簿を作成することになった。そして選挙勝利後、構成団体の関係にも変化が生じた。たとえばPSRは、自治体議員が一人から三人(全部で三二人の左翼議員のうち)になった。これは、われわれにとって力関係における改善を示すものだった。
 連合の構成の変化と綱領の転換に続く第三の変化は、選挙運動自体の変化であった。全体的な選挙運動は五つのパートナーの共同によって展開され、リスボン市民とのふれあい集会などが行われた。選挙運動はまことに力強く、これまで説明してきたような状況の進展を反映したものであった。
 この前の選挙で四五%から四七%の得票率だった右翼連合が、今回の選挙では左翼の側の六〇%に対してたったの二五%だったんだ。これまでの進歩の成果は考えるまでもなく明白だ。

結成のきっかけ

――こうした連合はポルトガル以外のヨーロッパ諸国には存在しないが、ポルトガルで形成されるに至った理由をどう考えますか。
 確かに、これはめったにないケースで、ポルトガル自体でもそうだ。PS書記長は一九八九年には、非常に難しい状況におかれていた。党内部で孤立していた。彼は、過激派出身の、しかもポルトガルで最大の過激派の出身で、一九七五年までその組織の一員だった。彼は非常に強力な左翼とのつながりをもっていた。PSの知的中心を占める党員たちは、他の左翼勢力との連携に賛成し、PSの古典的な社会民主主義概念に完全に賛同しているのではなかった。
 だが、選挙上の計算が働いていたのも事実だ。一九八九年までリスボンでは、PSよりもPCPのほうが得票がはるかに多かった。リスボンは、高度に政治的な都市であり、労働者階級の大拠点である。だから書記長が選挙方針のクーデター的な転換を図ったとき、PCP中心の第二の左翼候補者名簿があったとしても、彼は、自分はPCPよりは多く得票できるだろうが、しかし右翼連合には勝利できないだろう、と計算していた。
 したがって唯一の解決策は、大きな飛躍、つまり連合を結成することであり、彼はそれを実行した。これは、ポルトガルでは例外的な政治行動だった。この種の政治連合はポルトガルでも、これまでどこでもつくられたことはなく、これからの将来においても再現される可能性は極めて少ない。いずれにしても、一つの経験後に政治連合が結成されたことは明らかだったし、一つの党の旗の下に同じ代表を再選することは非常に困難だった。そのため、連合が二度目を迎えるのはほとんど不可避だった。

PSRの議会活動

――三人のPSR議員は、どんな行動計画をもっていますか。
 これまでに地方議会では、かなりの活動を蓄積してきた。四年間にわたってわれわれの議員は一人であったが、予算・財政問題、主要問題、毎週開かれる議会での政治論争などに関与してきた。彼は、自分一人で独立した議会グループをつくることができるという非常に民主的な権利を有していた。ただ、真剣な政治行動を展開するためには、時間が必要だった。彼の活動の基本は、地方自治体政府に独自の立場から批判的支持を与えることだったが、しかし、そこには政府との妥協はなかった。
 彼は、日々の主要問題について独自の議会活動を展開したが、それはPSRの政治キャンペーンとも関連していた。たとえば、彼が行った反人種差別や女性への暴力に反対する活動は、この数年間におけるPSR活動の焦点でもあった。
 今度の選挙で選出されたPSRの三議員は、これまでよりも広範囲な活動が展開できるし、これまでと同じ基準にたって地方自治体政府との間で同じような関係、つまり自律的かつ批判的な関係を結ぶ独自の議会グループを形成するだろう。
 従来の議会活動との違いは、力が強くなったために議案を提出できるようになった点と、PSRが議会外活動として展開している政治キャンペーンに関連した問題について決議を提出できる点である。そして、この議会外活動が、議会に対するわれわれの政治的な働きかけを決定するのだ。

PSD政府の攻撃

――造船、鉄鋼、国鉄などで事業再構築(合理化)が計画されてますが、ポルトガル社会や労働組合の状況はどうですか。
 ポルトガルはヨーロッパで特殊な例となっている。たとえば失業率は、ヨーロッパの平均と比較しても非常に低い。ポルトガルではほぼ五%で、失職の動きが広がっても七%から八%程度になるだけだろう。だが隠れた失業は非常に多く、また、信じられないほどの低賃金雇用も多数存在する。それにしても、こうした事情があればたとえばスペインやアイルランドなどでは生じるに違いない激しい社会的な緊張は存在していない。この六年間高度経済成長が持続し、これを通じて中間層や小ブルジョアジーへの所得配分が実現されてきたためだ。
 こうした事情が、労働者階級の運動に対する圧力となっている。これは一般的にいって、政府に有利な社会情勢であり、マヌーバーの余地が大きく、かつ主導権をとりやすくもある。今回の選挙で示された小さな変化は、一年間続いた不景気の後、政府を追及し、抗議を行う運動がすでに存在しているということだ。
 造船、鉄鋼、国鉄などの事業再構築に対するそれぞれの対応というものは、その部門、企業で失業の脅威が存在するとき、あるいはその部門や企業に閉鎖が迫っているときは、常に全く異なってくる。こうした場合、ストライキ闘争は、資本家、経営者にとってはいささかも脅威ではない。
 だからこそ、社会的な動員を実現する必要があるのだ。労働組合だけでは、これを組織するにはあまりに弱体である。行動する力をもった社会運動とはまずは、学生運動である。政府は、この八年間というもの、絶対的な多数を誇っていたので、右翼が青年の間に強力な影響力をもっている。だが、選挙結果に示されているように右翼は、青年に対する影響力を急速に失いつつあり、巨大な学生運動が授業料や学習環境などの問題をめぐって発展しつつある。
 だから、長い間見られなかった大衆的なデモが行われはじめたのであり、その現象は選挙運動の際にもすでに存在していた。学生運動は非常に重要な戦闘化の過程にあり、労働者階級の運動、そしてポルトガル全体の社会運動に多大な影響を与えている。

左翼の新戦略を

――マリオ・ソアレス首相は、投票日の一〇日前に四人の大臣を更迭しました。政府危機が拡大しているようですが、首相は議会を解散し、総選挙に訴えるのでしょうか。
 そうではないと思う。更迭された大臣の所管は、いずれも社会運動に大きく影響されるものだ。厚生省関係では、大臣が更迭されたその日に、医師のストライキが行われた。もちろん文部大臣は、先に説明した学生運動が発展したための犠牲者であった。そして大蔵大臣は、不況の責任をとらされたのであった。
 ソアレスは、経済的な苦境への対策を計画した。しかし地方自治体選挙の結果が出た今となって、彼はただちにその政策を撤回した。結局のところ、与党のPSDは、PSに対して大都市で敗北したといっても、その差はわずかに三%から四・五%でしかない。現実問題としては小差であり、総選挙に訴えることを正当化するものではない。現政権が主導権をとって事態の転換を図った場合、PSDの勝利が避けられないという可能性さえ存在している。
 左翼の側は、従来とは完全に別の戦略を展開する必要がある。その戦略とは、社会的な動員に依拠し、大衆的な議論を組織し、新しい解決策を求めている社会各層に方向を示すことである。
(インターナショナル・ビューポイント誌252号)

第三世界の対外債務を
めぐって国際会議を開催


 一九九三年十二月四日、ベルギーのブリュッセルで開かれた第三世界対外債務取消しのための委員会(CADTM)の第三回年次総会には九〇〇人以上が参加した。今回の主要テーマは「人民の連帯を強めよう」であった。
 会議では、左翼政党および五大陸の様々な運動からのゲストが演説を行った。一五カ国からのゲストだった。主要なゲストとしては、ブラジル労働党(PT)指導者のジョアキン・ソリーノ、モロッコの現政権批判者のアブラハム・セルファティ、スーザン・ジョージ、フランスの作家で反ファシスト活動家のペロー、エルネスト・マンデル、ミッシェル・チョウサドウスキ、セネガルのアマドゥ・ギロー、エジプトの作家ナワル・エル・サアダゥイ、スリランカの議員で第四インターナショナル・スリランカ支部であるNSSP指導者のヴァスデヴァ・ナナイカラ、ロシア労働党のアンドレ・コルガーノフ、チェコ共和国のアダム・ノバク、キューバのアメリール・テハダ、ウルグアイのエルネスト・エレーラなどである。
 国際通貨基金(IMF)や世界銀行がその政策を実行する際に背後に隠しているものや、第三世界の債務を帳消しにするための闘い方、人道主義にもとづく関係の結び方、女性への抑圧、債務の利子支払と環境破壊との関係、ヨーロッパ諸国へ庇護を求める権利の制限、今年後半に行われるブラジル選挙でのPT勝利の可能性などの様々な課題が会議で取り上げられた。
 参加者たちは、国際主義を新しく再生する必要性、IMF、世銀、ブレトンウッズ体制の五〇周年記念行事に対抗活動を組織するのを支援することなどで一致した。この記念行事は、一九九四年十月にマドリードで行われる予定になっており、それに向けて大々的な宣伝が行われるはずである。また、参加者は、PTの勝利に向けてブラジル人民に連帯する国際活動を組織する必要性に関しても同意した。

 この会議、CADTMのイニシアティブは、多数のNGO(非政府組織)、労働組合、第四インターナショナル・ベルギー支部のPOSをはじめとする諸政党から歓迎された。
(インターナショナル・ビューポイント誌252号)