1994年5月10日         労働者の力               第56号

羽田政権、はやくも危険な性格を露呈
 
羽田「改憲」内閣の打倒、国会解散を

      川端 康夫


 社会党の突如の離脱によって少数与党政権として出発した羽田内閣は、その当初から一挙にその危険な反動的性格を露骨にしはじめた。
 そそくさとヨーロッパに出発した羽田自身が、細川前政権すらもがためらった国連常任理事国化への野望を公然と主張する一方、防衛庁出身の永野法務大臣は「南京虐殺はでっち上げ」「大東亜戦争は侵略戦争の意図から行ったものではない」「従軍慰安婦は女性差別ではない」などと記者会見で打ち上げた。永野発言は即座に中国や韓国の政府と民衆の憤激をかった。あわてた羽田はヨーロッパで永野発言を不適切とし、永野も発言撤回で事を切り抜けようとしたが、支えきれるものではなく辞任に至った。永野は自民党時代に小沢調査会の理事を務めており、小沢を含めた保守タカ派共通の認識をふまえた確信犯的発言であろう。
 さらに新閣僚からもあいついで、朝鮮半島有事に備えた有事立法や憲法解釈の変更が鮮明に言及された。まさに「改憲内閣」の様相が露骨に打ち出されている。細川内閣の、あえて言えば唯一の功績である「侵略戦争の公式承認」が、新生党・小沢路線にとっては文字通り本質を覆い隠す仮面でしかなかったことを明らかにしたのである。
 以下二人の見解を毎日新聞(5・1)朝刊から引用する。
 四月三十日NHK録画撮りでの発言。
 外務大臣柿沢弘治。(朝鮮民主主義人民共和国の核問題に関し、国連安保理決議なしに米韓両国が日本に制裁同調を求めた場合について)「米国は核拡散防止条約(NPT)体制に危機感を持っている。その可能性を念頭に置いて関係省庁でそれなりの研究をしてほしい」と述べ、協力すべきだとの考えを示した。
 神田厚防衛長官。「集団自衛権(の解釈)で、ある程度の決断をせねばならない。あらゆる想定を含めてどこまでできるか研究していかねばならない」と述べ、自衛隊の行動について朝鮮半島有事も含めた法改正の研究を進める方針を示した。
 留意すべきは、この内閣の政治基調が「改憲」論の新しい概念に立脚していることにある。つまり、条文改憲、解釈改憲に加えて「立法改憲」という概念である。国連の要請、国際関係への対応などによる「新たな立法」によって国内法規である憲法規定を乗り越えてしまう、空文化してしまうというのである。すでに細川内閣において、官僚機構は「必要あれば法改正をして」国連に協力すると明言していた。その路線は羽田内閣によって全面的に受け入れられている。そしてその担保は、おそらく最高裁の「統治行為の範囲」論の再度の拡大適用の期待にあるであろう。現在の最高裁であれば、そうした期待が裏切られるとは決していえない。
 憲法九条の危機は深く、直接的だといわざるをえない。
 
 2
 
 社会党離脱の布石ともなった与党政策合意で、小沢は徹底的に半島有事に対する有事立法化路線の布石を敷いた。
 四月二十七日の七党派合意確認事項は以下のようになっている。
 「日本国憲法は、国連による普遍的安全保障を理念としていることを認識し、世界の平和とわが国の安全保障を図るため、日米安全保障条約を維持しつつ、国連の平和活動に積極的に参加する」「いずれにせよ、わが国は、国連の方針が決定された場合には、これに従うものとする。また、政府は、日本国憲法のもとで緊急の事態に備えると共に、日・米及び日・韓の各国間で緊密に連携し、協調して対応する」
 この確認に社会党は拘束されないと言明した。だが、党内右派のデモクラッツからは、公党としての公約であり遵守すべきとの意見が流されてもいる。
 合意内容や社会党右派の対応の問題もさることながら、羽田内閣の政策路線は社会党という重石がなくなった分、さらに身軽に新生党・小沢路線に純化していっている。「少数短命」であるのならば、タカ派、改憲論者、海外派兵論者、侵略戦争肯定論者、あるいは現実主義者などの政権参加亡者などのいずれをも引きずり出す正面突破作戦に撃って出る。小沢の戦術はこのようにも見えてくる。事実、永野発言に対して自民党の反応は鈍く、弱々しいものであった。保守タカ派永野発言の背後には、石原慎太郎などの自民党タカ派人脈が控え、中公や文春、新潮などの右翼マスコミ、渡部昇一(上智大)らの右翼文化人脈が連なる。これらがとりわけ南京虐殺をめぐって「でっち上げ説」を振りまいてきた張本人たちである。ピエロ渡辺美智雄のいう「政策合意」の広がりである。
 もはや公明、民社あるいは日本新党という区分けは、二重権力を自認する羽田内閣の内部においてはさほどの意味をもたない。ワンワンライス、あるいは一・一ラインという内閣外の権力者たちの共通路線が小沢路線なのだ。
 
 3
 
 民社、公明、そして日本新党は、いつ改憲路線に変質したのか。
 少なくとも現議員が当選した時点で、彼らは改憲を主張していなかったはずだ。永田町政治が選挙制度の勝手な改ざん、そして今回の改憲論の内閣を誕生させたのである。「民衆は投票日だけが主権者である」という間接民主主義の最大の弱点をフルに駆使した詐欺・背信行為である。
 「新・新党を作って過半数を占め、単独政権にする。それでなければ選挙は実施しない」(小沢、東亜日報インタビュー、昨年12月30日)
 小沢が依拠する永田町政治の効用の一端は、民社の米沢らが「公民協力」によって当選していることに端的に見える。細川新党が小沢にすり寄ったのも同じ理由からである。新党さきがけに対する小沢のどう喝が「さきがけ候補に対立候補をたてる」というものであった。柿沢や鳩山が都知事を狙うという動機で公明党に接近するために自民党を離党したこと、あるいは小選挙区制では人員過剰になる保守・自民王国地区から離党者が続発していることも永田町の論理だ。
 また離脱直後においても、社会党デモクラッツ系列は選挙協力に未練たっぷりであり、前議員たちは議席獲得のためにはどことでも手を組むという本音を露骨にのぞかせてもいる。
 沖田正人前議員は「政治改革法が成立した以上、中選挙区制度のままで選挙するのは矛盾する。小選挙区の区割りが出来るまで待つべきだ。社会党が単独で戦っても負けるだろう。他党とリベラル大連合を組んでいかなければ」と語り、吉田和子前議員は「早く新たな政界再編に向けて動き出さないと。小選挙区制では、社会党単独では戦えない。自民党の一部やさきがけ、連合のバックアップがないと厳しい選挙になる」と言う。これに輪をかけているのが前都本部委員長の渋沢利久。「真の改革に向けたプログラムを作り、それが一致するならば」羽田政権への協力もある、と(以上、朝日新聞4・27朝刊都内版)
 渋沢発言が典型的に示すように社会党デモクラッツは、小沢路線主導のもとで作成されたAWACS(空中警戒管制機)、パトリオットミサイル導入を含む予算案成立に無条件に協力し、かつ集団安保論にすっぽりはまった七党派合意内容への反省もない。「議席」あって「政治」なしである。
 これらの総体が、永田町における小沢路線の「力」の源泉であり、唯一の政治路線という虚構を成立させているのである。
 
 4
 
 小沢的幻影を打破するために最も効果的なのは、政治改革関連法を流産させてしまうことである。連立政権や新党ブームの幻想がはげ落ちた今、各議員個人が新選挙制度での浮沈におびえることだけが小沢に残された武器であるからだ。
 同時に道理の問題として、中選挙制度であらためて細川から羽田の連立政権の一連の政策体系――小選挙区制、有事立法改憲論、国連常任理事国への立候補、増税路線、農業切り捨てなど――の是非を問うべきなのだ。
 超党派の「改革派」がみずからの政治改革に自信をもつのならば、民衆的支持結集に不安はないはずだ。だが、鹿野などの自民離党者が大儀名分としたことは「改革流産の陰謀に対抗し、解散・中選挙区での総選挙を阻止する」という理屈である。民衆の支持の自信がもてないがゆえに、改革派の小沢は永田町政治におぼれ、デモクラッツ沖田は区割り法成立まで待つべきと言う。改革派は民衆に向き合うことを極度におそれているのである。
 衆院解散、中選挙区制度での再度の民衆的判断を受けることが、政治改革派にとってふさわしい選択のはずであろうに、事態はまったく逆である。
 解散総選挙による政治空白も、もはや問題にはならない。
 永田町政治というコップの中の権力闘争による政治の空白はすでに半年に及ぶ。予算案提出を遅らせた小沢は、それ以降も次々と強引な政治仕掛けを続け、審議入りを遅らせた。難題をもちだして、抵抗するものに審議遅れの責任を転嫁しようとする。いまや予算案は小沢の仕掛けの道具になっている。
 予算案否決、国会解散こそが、連立を離脱し野党に戻った、「七党派合意に拘束されない」村山執行部の決断すべき方針でなかろうか。
 次のような意見もある。
 「自民党と社会党は、必要とあれば連合して羽田新政権を倒さねばならない。それも野党に期待されていることである。数の上では、自社連合による倒閣は十分に可能である」(朝日4・30朝刊「論断」河合秀和学習院大学教授)
 その過程が自社両党の分裂に結果するかもしれない。だが、それはそれだ。時間が早いか遅いかの問題にすぎまい。小選挙区制度の重圧のもとに新生党路線に吸収され解党するよりはましではないか。
 小沢的「単独過半数政権」が永田町という密室で作為的にこしらえあげられるのを座視することを拒否しようとして、今、市民派、独立左派は新たな野党形成へと動きだしはじめようとしている。社会党が改憲の羽田政権打倒に動くのであれば、社会党は過去数年間に急速に失った民衆的支持回復の可能性を持つであろうし、かつては政治から遠かった市民派や独立左派との新たな協同関係が進むことも確実である。
 
 付記
 
 仮に小沢的一党支配が否定される結果になれば、この日本政治の当面は、三極的な、そして「必然的な連立時代」になだれ込む可能性を強めるだろう。
 あえて想定すれば小沢的積極帝国主義路線、武村的消極帝国主義路線、そしていまだ判然としない社会(民主)主義路線――以上を底流として再編の過渡期が渦巻き、連立時代が席巻する。日本資本主義の直面する矛盾は、別項「春闘総括」でスケッチしているように、積極帝国主義のための十分な基盤を与えているとはとてもいえない。
 すなわち、旧来の用語・概念で表現すれば、ウルトラ右派と右派、右派と中間派、中間派と左派、左派と極左派などが連立を組み、あるいは解消しつつ争う時代である。
 保守路線も社会民主主義路線も過去の枠をはずれることになる。(もちろんここでの「三極」ということは本質的規定ではなく便宜的なものである。たとえば、消極帝国主義路線と社会民主主義(的帝国主義)路線との垣根は本質的に確定したものではない。社会的な政治構造の力関係で、この二つの関係が定まる。つまりアメリカ型かヨーロッパ型か、その亜流か、の違いである。全体的にはより精密な分析が必要である) 
 こうした留保つきの三極的関係という底流にあって、日本共産党の位置も変化せざるをえないことになろう。今や唯一の抵抗政党になったお陰でこの党は、労働戦線においてもイデオロギー戦線においても一時のぐらつきから抜け出し、表面的には宮顕的な伝統的セクト主義路線で党を制圧できたように見える。セクト主義以外に宮本党が自己を閉鎖的に維持することができない。連合の圧倒的規模での成立と社会党のそれへの追随が、宮顕路線の(おそらく一時的な)延命の基盤であるといわなければならない。新たな左派の復活がこの党の一時の安定を揺さぶるものとなることも明らかだ。三極的な連立時代が到来すれば、この党が巻き込まれ、かつ他と同様に「右、左、中間」への分解を顕在化することは必然的であろう。
 新たな政治勢力形成の要素の一部として「共産党との統一戦線」論を提唱することは、大局的に正しいとしても、政治勢力形成のための前提的な必要条件として措定するものではないはずだ。   (五月五日)

 94春闘敗北から「春闘のリストラ」へ動く連合
 袋小路に陥った連合労働運動―政財官労の結合を打破しよう

 
 第六五回・日比谷メーデーに二万二千人結集
 
 五月一日、東京・日比谷野音で今年も国労・都労連を中心とした全労協系労組が構成する実行委員会主催による恒例の日比谷メーデーが開催された。会場内外を埋め尽くした参加者数は二万二千人と発表された。
 連合主導という状況で年々労働運動の地盤降下が進み、メーデー自体もその意義があいまいにさせられつつあるなかで、日比谷メーデーには連合に屈することを拒否し闘う組合の原点を堅持する多くの労働者たちとともに、バブル崩壊のしわ寄せをまともに受けている外国人労働者の組合や管理職組合が登場し、多彩な労働者の闘う祭典としてのメーデーが健在かつ新たな可能性をもちつつあることを印象づけた。
 バブル期から一転した不況の時期を通じて、連合主導の春闘は連戦連敗を続けた。94春闘は「実質賃金の防衛」という最低限度の目標さえも達成できなかった。
 リストラ合理化と賃金切り下げ攻撃が吹き荒れる中で、労働組合運動の進路にも明確な分岐が現れている。一方は春闘のリストラ=清算であり、他方は闘う春闘の再生をめざす道である。
 代々木での連合メーデーと日比谷のメーデーの分岐は、労働組合運動の基本的あり方をめぐる分岐を、現実の運動として表現するものとなりつつある。代々木メーデーが、さらに闘争を放棄するほどにその内部的な空洞化を深め、同時に矛盾を深めることは避けられない。日比谷メーデーこそが労働組合運動の力ある復活を指し示す旗印になるであろう。
 
 与党下春闘の惨状
 
 94春闘の最大の特徴は、「与党下の春闘」という事実にある。
 連立政権誕生とその維持に全力をあげた連合は、政権に密着した見返りに何を獲得したのであろうか。「左派」放逐の実行にまで踏み込んだ干渉を行い、社会党の内的解体を推進してきた結果として、連合は何を獲得したのであろうか。
 四月十二日発表の連合の数字によれば、連合の平均賃上げ数字は、八六一九円、三・一二%。前年比で率ではマイナス〇・七七%、額ではマイナス一八七九円である。同じく十二日に出された日経連の数字では、八九〇四円、三・一一%。率でマイナス〇・七五%、額でマイナス一八七四円である。
 春闘で最低であった一九八七年の三・五六%を下回り、昨年四%台を確保した私鉄もストを構えたにもかかわらず三・九四%(一万千四百円)にとどまり、四%台確保はならなかった。額面では石油が最も高く一万三八四〇円、三・七七%。最低は鉄鋼の四五〇〇円、一・五六%である。鉄鋼をはじめとして発表される賃上げ数字はもちろん定期昇給込みであり、日経連が打ち上げた「せいぜいでも定昇分だけ」という指標が実質的に実現されたといっていい。定昇がベース賃金制度においては賃上げでは決してない以上、少なくとも鉄鋼資本は賃上げをストップさせたことになる。物価上昇を考慮すれば実質賃金はマイナスの数字を示すことになろう。
 94春闘をめぐる状況を要約すれば、細川連立政権の政策的基軸は、公共料金を大幅に引き上げ、大衆課税の強化によって税収を大幅に増やして政府財源を強化し、多方面へのばらまき行政の財源を確保することだけにあった。
 法人優遇税制へのメスを入れるなどはすべて放棄し、金持ち優遇税制への切り替えを推進することに政策の中心がおかれていた。そこで確保される豊かな財源のばらまき先は、国連常任理事国になるためのODA(国際的資金ばらまき)と、旧態依然たる公共事業投資である。細川の突如の国民福祉税創設が挫折した結果として、単年度減税が実施されることになったが、これはハプニングであり、基本的には「減税以上の増税」路線が小沢路線の基軸である。ましてこの連立政府は、以前の自民党政府ですら一定程度考慮せざるをえなかった「賃上げによる内需拡大論」などのマクロ経済論などは一切考慮しなかった。
 連合が推進した連立政権との癒着路線の結果は、大衆収奪の強化による「国家の強化」の路線であり、同時に連立政権が権力ゲームの中で最大に優先させた財界重視・癒着強化への埋没である。
 政財官労の癒着という構図が成立するためには、どこかにそのために必要なはけ口がなければならない。その矛盾のはけ口が「大衆」である。
 連立政権与党下の春闘の惨状は、論理的に必然の結果である。あとは春闘の清算の道が残されるだけである。
 
 「春闘のリストラ」の論理
 
 94春闘を通じて、いよいよ春闘の清算への動きがはじまった。
 日経連の春闘無用論は、春闘総括において次のように表現された。
 「いわゆる横にらみを排し、悪循環、悪慣行にメスを入れ、今年の春闘の交渉をもって春闘改革元年とされることを、これから交渉を進める企業にお願いしたい」と。
 連合山岸の総括は以下のようにある。「人びとの生活基盤を高めていくことに労使、官民あげて努力することだ。それが軌道に乗れば、春闘は本当にいらなくなる」と。
 「賃上げの数字だけの横にらみでこだわる時代は終わった」「企業業績も賃金も、どんどん右肩上がりという時代は去った」「定昇プラス物価上昇プラス生活向上分の要求方式は時代おくれ」という経営サイドの言い方に対して、連合は春闘のリストラで応えているのである。
 だが現実は、日経連がいう賃上げと物価上昇の悪循環論どころか、実質的な賃下げと物価上昇のサイクルに直面している。
 バブル崩壊以降、「労使、官民あげて努力」してきたことは、「人びとの生活基盤の切り下げ」にほかならなかった。経済の右肩上がりを信じ、地価と株の神話におぼれ、膨大な内部留保と株式市場からの豊富な資金調達によって国内外の土地を買いあさり、結果として国内的のみならず国際的にも破局を招いたのは大資本そのものであった。
 日本資本主義がバブル期に実践したのは、宮沢のいった「生活大国」どころか「資本大国」であり、国内の犠牲において国際競争に打ち勝つことだけであった。強度の「内外格差」の存続はまさに姿を変えたダンピング輸出であり、そうして国家は法人税制優遇によって後ろ支えしてきた。旧財閥系企業集団の横ならび意識は、相互の投資競争を加速しつつ国際市場で他国資本を駆逐してきた。
 その結果が巨大な国際収支の、どうにもならない構造的な黒字である。
 経団連の指導力の低下が言われはじめている。それも当然であろう。
 経団連が通産省と組んで推進してきた貿易立国論の根底が揺らいでいる。自民党体制の崩壊と経団連の地位低下は一体なのである。
 輸出至上主義がダンピングと表裏一体になって推進されてきた。それを通じて巨大化した日本資本は、にもかかわらずその基軸を変えられない。内需拡大論はそもそもこれら日本巨大資本には考慮できない論理にほかならない。そして自民党政府に輪をかけて、細川政権あるいは小沢路線が進めたものは、日本資本のもはや自力ではどうにもならないまでに固着した輸出主義イコール外需依存型成長経済方式の貫徹でしかなかった。
 長時間労働と低賃金という日本資本主義の二つの武器への依存がさらに持続することになり、結果として年々一千億ドルの貿易黒字をあげる日本資本主義という経済構造の根底は一切変化しない。それどころではない。労働組合運動の変質による影響は、外需と内需という二指標の格差をさらに拡大する方向に動く。
 こうしてバブル崩壊からリストラ合理化の過程を通じ、横ならびの賃金抑制や切り下げ論を掲げることによって、日本資本主義はみずからが、骨の髄までの徹底的な「五五年体制」的存在であることを暴露したのである。
 
 労資の五五年体制思考の打破を
  
 事実をみすえれば、日本資本主義は今や、確かに右肩上がりの高度成長をそのまま持続することはできない。
 戦後における経済復活、五五年体制を利用した経済的なキャッチアップ(追いつき)が、六〇年代後半期以降に一定の頂点に到達し、限界を示した。それを七〇年代中期以降のハイテク化、ME化への全面的な移行によってくぐり抜けた日本資本主義は、にもかかわらず経済的、貿易的な基本構造では一貫して対米輸出に重心をおくことを変えなかった。自動車、電機を大輸出部門にしあげたハイテク化とME化の波は、とりわけ電機産業で欧米の当該産業を窒息的な事態へと追い込んだ。
 アメリカ産業の急激な衰退は、それがレーガン、ブッシュの共和党政権の政策によって加速されたとはいえ、主要には日本資本の輸出攻勢の中で鉄鋼、造船、家電などの諸部門の最終的な壊滅を決定づけた。自動車とコンピュータ産業での激しい競争に至って、アメリカにとって最後の砦であるこれらの産業の危機が見えてくると、日米貿易摩擦が政治課題の中心を占めることになったのである。 
 しかし、日本資本主義は成長のための基盤を、対欧米輸出以外のどこに見いだそうとするのであろうか。
 アジア地域での経済ブロック構築の模索はある。だがこの構想も、主要にアメリカ市場を対象とした生産拠点の地域的高度化、つまり資源・労働力収奪の高度化である。同時にアメリカが頑強な抵抗線を敷いている以上は大々的には進められない。新たな展望はどこにもない。まったくの行き詰まりである。労資による春闘リストラ論の応酬は、日本資本が今日までの「五五年体制的あり方」、すなわち第三世界諸国に犠牲を転嫁し、国内的にもダンピング体質を温存して洪水的な輸出に進路を定め続けるかぎり、袋小路からの脱却は不可能であり、経団連や通産省の成長概念の破綻そのもの、すなわち政財官労の結合体総体の論理的破綻の証にほかならない。
 小沢的な新保守主義の論理が、この隘路を軍事貢献論で迂回しようというものであることも明らかな以上、その論理は一定程度のインパクトを持つことも事実であるが、迂回論はそれだけのものであり、現在の隘路に対する回答にはなりえない。新保守主義も「経済的五五年体制」の枠組みにあるのである。
 しかし同時に、「革新の再生」の課題も明らかだ。日本社会の構造転換を正面から掲げる政治勢力が保守政治体制の行き詰まり、隘路の突破を示す勢力になりうるのである。
 春闘の再生は、日本社会の今後の進路に密接に関わる課題となっており、春闘再生と新たな革新の再生は表裏一体の課題である。社会構造の転換の展望と道筋を明確にした政治的うねりをよびおこさなければならない。        (五月六日)
新保守主義と闘う新たな民衆の政党形成を
 5・28―29「新しい政治と政治勢力をめざす5月市民フォーラム」に結集を
 

 一昨年の参院選挙以降、新しい政治勢力形成を模索する様々な動きがなされてきている。
 社会党の連立政権参加を通じて明らかになったその政治的動揺、変質の進行に伴う最初の「大事件」が、前回参院選挙における東京、広島選挙区での民社候補擁立への抵抗であった。東京選挙区では社会党護憲派と市民派、そして全労協の結合による内田候補が善戦し、広島選挙区では社会党県本部独自候補の栗原君子さんが当選した。
 その広島では、市民ステージ95の集会が四月はじめに開催され、青票議員である秋葉、小森、栗原の三議員を擁する、政策集団・ステージ「太陽」の拠点的地域として名乗りを上げた。東京でも内田選挙以降、多様な活動が提唱され、実践されてきた。全労協議長、山崎道人さんが提唱した護憲民主フォーラム運動、土井たか子さんの東京での支援組織であった「めだかの学校」から発展した前述の市民ステージ95運動、さらには社会党内部の護憲派の横断的ネットワーク活動は、三月に千人規模の大衆集会を開いた。
 内田選挙の成果は、小選挙区制度反対運動や五・三市民集会などでの共同行動と政治討論の相互交流として継続されている。
 内田市民選対を継承する形ではじめられた「新しい市民の政治と政党を考える会」を中心に、二・六集会ではじめての大衆的な討論ももたれた。
 今回、二・六集会の呼びかけ人を中心にして全国規模の「5月市民フォーラム」が呼びかけられた。新しい政治運動が緊急に必要とされているなかで市民派、護憲派、左派労組の合流した協同の闘いであった内田選挙の構造をさらに全国的に拡大していくことは大きな意義をもっている。
 5月市民フォーラムへの結集を呼びかける。
 
 集会要項
 日時 五月二十八日午後一時〜午後九時
      二十九日午前九時〜正午
 会場 東京都南部労政会館(JR大井町駅下車)
 
 呼びかけ人
  神田公司(熊本・市民センター)/奥村悦夫(愛媛・反原発運動)/水谷賢(岡山・弁護士)/中北龍太郎(大阪・関西共同行動)/白鳥良香(静岡・県会議員)/柳谷あき子(神奈川・藤沢市議)/丹野清秋(茨城・大学教員)/阿部宗悦(宮城・反原発運動)/石崎あつ子(東京・草の実)/伊藤誠(東京・経済学者)/井上スズ(東京・国立市議)/内田雅敏(東京・弁護士)/大久保青志(東京・前都議)/小峰雄蔵(東京・憲法を活かす東京の会)/富山洋子(東京・消費者運動)/中川あつ子(東京・市民運動)/福士敬子(東京・杉並区議)/福富節男(東京・「市民の政治」編集人)/宮本なおみ(東京・草の根)/武藤弘道(東京・労働運動共同センター)/毛利子来(東京・小児科医)/本尾良(東京・市民運動)/山川暁夫(東京・政治学者)/山崎道人(全労協)/山本英夫(東京・市民運動) 

新刊紹介  市場を考える

森嶋通夫著「思想としての近代経済学」
R・ハイルブローナー著「二十一世紀の資本主義」

      高山徹


市場への関心の高まり

 旧社会主義体制が崩壊し、「マルクス主義」の破産、市場経済(資本主義)の勝利が叫ばれてすでに数年間経過した。一つの現実として、旧社会主義圏では市場経済の導入が図られ、暗中模索の状況が続いている。しかも、この過程は、市場に関しては専門家集団であると見られている国際通貨基金(IMF)や世界銀行が細部まで指令を発しながら実行されている。それでも市場経済への移行はうまくいってない。こうした現実を背景の一つとして「市場」への関心が急速に高まっている。
 経済学の流れに関する知識は零なので全く感覚的な表現であるが、学問としても大きな問題となっているようだ。後で紹介する「二十一世紀の資本主義」の「訳者あとがき」は次のように述べている。「この数年間に出た何冊かの著書、たとえば、A・コッタ著「狼狽する資本主義」、M・アルベール著「資本主義対資本主義」、L・C・サロー著「大接戦」といった書名から推察できるように、いま資本主義諸国間では相互の対立がにわかに目立ちはじめ、市場経済の道筋が大きく変わりつつある。……市場経済への関心がこれまでになく高まっている」。
 こうした事情は当然にも、「先進資本主義」諸国の政策次元で市場をどう考えていくのかが重大な課題になっている状況を反映しているのであろう。ケインズ経済学を否定して登場したレーガン流経済政策、マネタリズムの根本的な考えは、市場は自力で均衡(一般均衡)に到達するのだから、市場に対する国家(公的部門)の介入を最大限に排除し、市場とそれを構成する経済主体(個人や企業)の自主性に任せようというものであった。
 だが、その結果は明白だ。貧富の差の猛烈な拡大(米国では総人口の一〇数%近い人々が貧困線以下の生活を余儀なくされている)であり、国家財政と貿易収支という「双子の赤字」の増加である。そしてアメリカ経済が世界資本主義の支柱としての役割を果たせなくなって、世界経済の安定性が根本から揺らぐ状況になってきた。
 歴史的にみた場合はどうか。市場経済がほぼ丸ごと地球を呑み込んだ結果、地球規模で貧富の差が拡大したにとどまらず、日毎に数十万人が餓死するというまことに悲惨な状況となっている。そればかりか、オゾン層の破壊、熱帯雨林の乱伐、チッソやイオウの酸化物による大気汚染と酸性雨、農業の企業化に伴う土壌の破壊など、列挙すればきりがないほど、人類の未来に暗雲を投げかける問題が次々と表面化している。これらの問題が市場の無政府性(旧社会主義圏では官僚の無責任さ)と無関係だとは、どんな市場賛美者でも言えない。
 他方、かつての第四インターナショナル日本支部はそうだったが、多くのマルクス主義潮流は市場に計画経済を対置して事足れりとしてきた。その場合でも対置のやり方としては、市場を撤廃したうえので計画経済と、市場経済に徐々に計画性を与えながらの完全な計画経済への移行、という二つの流れがあったようだ。しかし、いずれの場合も市場については、その無政府性を指弾するだけであって、市場が現実にいかなる機能を有するのか、市場を理論的にどう認識するのかについては全く無関心であったといって過言ではない。あの「資本論」を読んでも、市場に関する理解(市場の無政府性を除外して)が深まるわけではない。
 私たちが呼吸する空気を日常生活で意識しないのと全く同様に、意識の圏外にあった市場が人々の生活のあらゆる側面から意識され、理解されることを要求する存在になってきたのである。

著者の目的

 「労働者の力」のある読者から森嶋通夫著「思想としての近代経済学」(岩波新書)をとりあげて解説してほしいとの要望があった。喜んでその要望に応じたいところである。だが、その読者も言っていたが、本書には、マルクス以外にリカード、ワルラス、シュンペーター、ヒックス、高田保馬、ヴィクセル、ウェーバー、パレート、フォン・ミーゼス、ケインズという近代経済学者が登場し、彼らの論理にひそむ市場認識を中心とする原理を明らかにしようとする書であるから、解説なんどとてもおこがましく、私の任ではない。しかも、本書のうたい文句は「通説を根底から疑い、経済学の歴史を描き直す」である。
本書は、同じ題でNHK教育テレビ「人間大学」講座(一九九三年)のテキストをもとにして、リカード、マルクス、ミーゼス、ケインズについて新たに章を設けたものである。だが「通説を根底から疑い」という著者の問題意識からして、これまでの「通説」に著者は言及しているものの、それに関する知識をある程度もっていたほうが本書の理解が容易になるのは間違いない(その点を含めて私の任ではないと言ったのだが)。著者自身は本書の目的を次のように語っている。
「目的は、経済学の歴史を平明に解説することにあるが、視点は類書とは異なっている。通説は、労働価値説に対立するものとして限界効用説を論じ、その基礎の上に一般均衡論が構築されたことを見た上で、そのような新古典派理論が、どのようにしてケインズのマクロ経済学と総合されたかを論じる。……完成された新古典派理論があるかのようにみるのが通説だが……それらは……内部に未解決の問題をかかえており、新古典派はその問題の解決を迫られていた。その最中にケインズが現れたのである。
新古典派の中心部におらず、批判的な眼で周辺から見ていたケインズには(未解決な問題が)明らかであった。それは「セイ法則」だと彼は認定した。本書では、私はこの問題をさらに掘り下げ、セイ法則に関連して「耐久財のディレンマ」の問題が存在することを明らかにする」

反セイ法則と
「耐久財のディレンマ」

 経済学は、経済活動が社会全体に対して最大の効用を与えるような条件を追求する。経済活動は、経済活動主体とそれらが行動する場によって決まるから、当然にも経済主体と場(市場)がどのようなものであり、どの方向で活動する場合に効用が最大となるかを明らかにしようとする。そして経済学が一つの理論であろうとする以上、経済主体とその活動の場を現実から抽象して仮説的な規定を与え、それを前提として理論を組み立てていく。その前提から導かれた一定の結論が現実と合致していれば、前提の正しさが証明されたといえる。
 著者は、そうした前提の一つとしてリカード、マルクス、ワルラスに共通する「市場観」を指摘する。それは、売手、買手それぞれ隊列内の競争によって価格がいわば自由に上下運動をするというもので、この市場観が正しいのは「中東の市場と近代資本主義の一部の市場に限られている」と著者は言う。
 さらにもっと重要な前提としてセイ法則を指摘する。リカードはセイの販路法則を重大な法則として使った。セイの販路法則とは「供給はそれ自身の需要をつくる」と表現されている。このミクロ経済学(市場問題)の視点から表現された法則は、マクロ経済学としては「総貯蓄はそれ自身に等しい総投資をつくる」と表現される。これに関して筆者は次のように述べる。
 「現実の経済ではセイ法則が成立しない。需要が供給より少ない(多い)場合には、供給が減らされ(増やされ)、供給が需要に適応するのである。すなわちセイ法則の逆(私はそれを「反セイ法則」と呼ぶ)が成立する。それゆえ需要が少ない時には、生産は沈滞し、失業が生じる。経済学者が容易に成立すると考えた完全雇用は、需要が充分に大きい異常事態の他は成立せず、反セイ法則下の現実の経済では、失業が常態である」
 著者は、セイ法則と「市場観」を含む市場認識は資本主義の初期段階で近似的に成立したが、しかし資本蓄積が進行し、経済主体の規模が拡大した時代では全く成立しなくなったという。抽象した経済主体の行動の自由が無制限であった時代(たとえば資本や労働力が時間や空間にとらわれずに完全に自由に移動できる)に成立した法則が成立しえない時代にも、それを前提にする経済理論があると批判する。結論的に次のように述べる(なお「耐久財のディレンマ」に関しては、要約して紹介するのが紙数の関係を含めて困難なので、ここでは省略する)。

ケインズの功績

 「リカードはセイの法則に、いささか軽率に、とび乗ったが、その法則が説得力のあるものでないことは、多くの経済学者によって直ちに指摘された。しかしそれらの人々もまた、この法則がどの程度の範囲にわたって害毒をまき散らすのかを充分に知らなかったから、彼らは意識的にはセイ法則を排除しながら、他方では無意識的にセイ法則を前提にするという矛盾をおかした。
 例えばマルクスがそうである。……主流派経済学者は、議論のどこかの段階でセイ法則を仮定しているか、さもなくばセイ法則に代わる非現実的な仮定をしている。
 ……
 しかし資本蓄積が進行し、経済発展がなし遂げられるにつれ、投資機会の多くは実現済みのものとなり、少ししか投資機かが残されていなくなる。その結果、技術発展が急速に進行する例外的な時代を除いては、一般に投資需要は、余剰生産物(実物貯蓄)より遥かに小さくなる。……セイ法則は満たされなくなる。すなわち資本蓄積、経済発展の必然的結果として、経済はセイ法則の時代から反セイ法則の時代に転換する。このような時代の転換を自覚してケインズが登場し、経済の基幹部をセイ法則――価格機構――から反セイ法則――有効需要の原理――に取り換替えることによって、セイ法則時代の幕は閉じられた」
 こうした認識の上に著者は次のような結論を主張する。
 「近代資本主義は両者(純粋の資本主義経済と上部構造)のバランスの上に初めて存命できるのである。このような経済は通常、混合経済といわれているが、混合経済こそが永続可能な資本主義経済であり、純粋「資本主義」経済は欠陥体制である」
 著者は「サッチャー時代のイギリス―その政治、経済、教育」「イギリスと日本―その教育と経済」「政治家の条件―イギリス、EC、日本」などの岩波新書で読者になじみある存在である。本書でも若干ふれているが、サッチャー批判は痛烈であった。サッチャーやレーガン、中曽根などが同じ系譜の政治家としてもてはやされていた時代に、彼らの政策の根底に存在する理論を批判し、サッチャーの政治家としての資質を暴露した著者の姿勢は、著者にとっての根本的な視点を大切にし、しかも合理的であり、一種のすがすがしさがあった。
 同様に本書は、難しさがあるものの、筆者の合理的な態度がいかんなく発揮されており、「近代経済学」になじみない読者にとって格好の入門書であるといえよう。

資本主義後の計画経済

 ロバート・ハイルブローナー著「二十一世紀の資本主義」(ダイヤモンド社)を読む気になったのは、テレビ東京のニュース番組で某(名前を忘れたので)コメンテーターが「資本主義の秩序が次第に混乱していくのは避けられず、その後には計画経済が一つの可能性としてある」という結論をもつと紹介したからである。彼は、その前に中公新書「キメラ――満州国の肖像」を紹介したが、同書は実におもしろかったので、今回も彼の紹介を信用したというわけである。同書のうたい文句は「昨秋、米国で出版後、忽ち全米ベストセラー」である。
 訳者は、本書を次のように紹介している。
 「マッセイ・カレッジの「マッセイ講義シリーズ」の一環として一九九二年におこなわれたラジオ放送がもとになっていることもあって、語り口は平易、しかし含蓄は深く……専門用語を避けてできるだけ平易に問題を解き明かそうとする姿勢……随所に配した気の利いたエピソード……じっくり味読するに足る内容が込められた二十一世紀資本主義論として、広くお薦めしたい」
 前に紹介した「思想としての近代経済学」は、経済理論を平明に紹介し、そこにひそむ問題を開明しようとしたが、本書は著者が経済思想史家であることもあってか、人類の経済活動を伝統経済(共同体の経済活動)、「社会に組み込まれた圧力とは別の強制メカニズムを必要とする」指令経済、資本主義に分けて、歴史的に資本主義(市場)に固有の問題を明らかにしていき、そこから次を展望する。再度訳者あとがきから、その結論を紹介する。
 「市場システムと資本主義経済との関連を、A・スミス、K・マルクス、J・M・ケインズ、J・A・シュンペーターの諸説と関連づけて重層的・立体的に解き明かし、資本主義経済のダイナミズムの本質をえぐりだす。そして、資本主義が経済空間の中に孤立して浮かんでいるのではなく、政治との不即不離の関連のなかで存続していることの意味を説く。二十一世紀資本主義像をめぐっては、著者は、単純な資本主義勝利論や一元的な市場経済化の主張を退け、むしろ振子が再び計画化へと振れることを展望し、参加型の経済体制が将来の体制を導く理念になるであろうことを醒めた目で描いている」
 しかし本書の中心点は、引用した結論の前半にあるようだ。「二十一世紀資本主義像」以下は、内容的に展開されておらず(というより、著者の考えとして展開(予測)不可能)、資本主義と政治との関係を具体的に展開している。「第五章 未来へのシナリオ 四 二十一世紀資本主義の可能性」では、さきに紹介した「思想としての近代経済学」と偶然の一致ともいうべき同じ結論を展開している。本書では「資本主義の秩序混乱」がそれ自身の「システムの作用から発生」するので、「経済領域(資本主義)の好ましくないダイナミズムを抑え、修正し、方向転換させなければならない。それを行うのは政府である」と主張されている。
 「混合経済」という言葉は使っていないものの、内容は同一である。この二冊を紹介したのは全くの偶然であるが、先の書が新書という体裁にかかわらずむしろ理論の具体的な検討として書かれているのに対して、後者の本は歴史的に経済の基本を明らかにしようとするものである。二冊を併読することは、それぞれ相互の理解を深めることになろう。
おそらく、こうした政府の役割を認めるかどうかで、既存政治勢力の第一の分岐があり、さらに政府の介入の内容によってそれぞれの政治勢力の独自性が表現されるのであろう。
    (四月末)

パレスチナ

ヘブロン虐殺が示したにがい真実

 ミシェル・ワルシャウスキー
 エルサレム 一九九四年三月一日


 ヘブロン虐殺事件での死傷者数は次のようである。イブラヒム・モスクでは、四七人のパレスチナ人が入植者バロー・ゴールドスタイン(そして疑問の余地なくイスラエル兵士も加わって)によって殺害され、虐殺後のデモにおいて一九人のパレスチナ人が殺された。この数字に、ベスレヘムで若いデモ参加者がバスに投石した際に入植者によって殺された数を加えなければならない。こうした犯罪を記述できる言葉はない。ある意味ですべてのイスラエル人が、これに責任を負っているのである。ゴールドスタインの精神が異常をきたしていたというのは、安易な説明であり、虐殺者とそれを許した人々の責任を見逃すことにほかならない。以下は、エルサレム通信員からの報告である。

すべての責任は
イスラエル政府に

 「この虐殺は不可避であった。われわれは二カ月も前から、イスラエルの世論や政府、軍隊に対して、もし軍隊が方針を根本的に変更しない限り、そして入植者を放置する限り、大虐殺は避けられないと警告していた。……一九八二年のシャブラとシャチラの虐殺事件に際して政府は、起こった事件の真実を隠せず、事件には驚いたと述べただけであった。政府は事態が悪化していくのを意識的に放置した。ヘブロン虐殺事件のすべての責任は、イスラエル政府にある」――この文章は、平和ブロックとヘブロン連帯委員会がラビン首相による「虐殺は一人の精神病者による狂気の行動である」との声明に対する共同コミュニケの一節である。
 結局のところ、大多数のイスラエル国民の関心を一対の真実に集めるために、大虐殺が必要とされたのだ。一方の真実は、ヘブロンにはパレスチナ人との交渉による解決を阻止するためには何でもやろうと身構えている入植者グループがいるという事実である。もう一方は、オスロ協定に盛り込まれている措置を実現するには、被占領地域への入植を早急に解消する必要があるという真実である。
 ラビン首相とそのチームは、この真実をもっと前に理解できなかったほどに愚劣なのだろうか。愚劣さに言及するのは、虐殺を「精神異常」のせいにする以上に事態を単純化するわけではない。ラビンが事態を見通せなかった背景には、入植者をパレスチナ側から新たな妥協を引き出すための交渉上の切り札の一枚とする戦略が存在している。そして、これこそが、ラビン首相が入植地を離れる用意のある入植者――最新の世論調査によると、東エルサレムを除いて全入植者の三五%にこの用意がある――に対する補償金の支払を拒んだ理由である。

入植者の暴力

 この点に留意すると、イスラエル政府と治安機関が意図的に事態の悪化を放置してきた理由は想像に難くない。すなわち、入植者の暴力行為をパレスチナ人に対する圧力として利用することを狙い、と同時に暴力行為を彼らに譲歩する口実として利用しようとしたのであった。これは、イスラエルの多くの解説者が虐殺事件後に述べた仮説の一つである。しかし、これらの解説者は、極右組織の活動家が治安機関の厳重な監視下にある理由と、その犯罪の意図を決して隠しはしない活動家が計画を実行できた理由を説明できない。
 政府が設置したヘブロン事件調査委員会は、この問題の答えを見出そうとしている。同委員会の公式の任務は、すべてのレベルで虐殺に責任ある人物や機関を明らかにすることである。「公式」というのは、その存在理由からしてシャブラとシャチラ虐殺後に設置された調査委員会と同様に、委員会を設置し、事実を明らかにして責任勢力を確定して、国内の議論に終止符を打ち、そして国際世論に対してイスラエル政府が非難される理由はないと証明するということである。
 イスラエル左派政党が推進した委員会設置は、政府があらゆる側からの批判に対して自己を弁明する一つの道である。ほかの道としては、たとえば虐殺を非難し、と同時に入植者全体を責めることに警告してクネセット(国会)の議論を終わらせたような満場一致(共産党とその同調議員を除く)の決議の採択がある。
 満場一致の決議は、常に「パレスチナ人に死を」と叫ぶ極右や、虐殺の当日に入植者指導会議に酔っぱらって到着し、ユダヤ教の律法はこの日に悲しむ行為は禁じられていると語った極右などを結束させた。だが決議はそれでも、イスラエル全体としては虐殺犯罪とは無関係であり、虐殺行為を重大視させない役割を果たし、国家とその機構の直接、間接を問わず一切の責任を免れさせるのに役立った。
 これは単に常軌を逸した行動にとどまらない。まさに虐殺行為への共犯そのものである。だが、これこそが、イスラエル支配機構内の勢力が重大な犯罪行為に関連して、国際社会とその批判に対して結束して示した反応である。
 国内および国外の批判を緩和するために必要ないくつかの措置をとった後の課題は、パレスチナとの和平交渉を妨げるような打撃を回避することである。PLO議長のアラファトは、激怒するパレスチナ人大衆から裏切り者と非難されているが、イスラエルの新たな譲歩を確保しようとしている――特に被占領地域における外国軍隊の存在の承認といくつかの入植地の解消に関連して。
 ラビンは、パレスチナ自治区での外国軍監視団の存在に反対しないし、近い将来に千人規模のパレスチナ人政治犯を釈放すると述べている。
 これに対するパレスチナ側の反応はすばやかった。「時には、無意味な行動をするよりも何もしないほうが好ましいこともある」と、東パレスチナの指導者ファイサル・フセイニは語り、被占領地域に広範に存在する大衆の気分を正確に伝えた。
 パレスチナ側が要求する権利を有し、そして国際社会が実行する義務を負っているのは、被占領地域全体における象徴的ではない、真に実効性ある国際的な力による保護である。パレスチナ人民は、オスロ協定に関する再交渉を、イスラエル人入植地の解消を合意に至る前提条件として要求する権利を有しているのである。
(インターナショナル・ビューポイント誌3月、254号)

スペイン ゼネストを敢行

強まる分極化傾向

 ホアキン・ニエト(マドリード、一九九四年二月三日)


ゼネスト完全に成功

 スペインでは一月二十七日、ゼネストが行われ、ほぼすべての産業が活動を停止した。全国三百万工業労働者が労働組合のゼネスト決起の呼びかけに応えたのであった。
 政府が必要最小限の業務だけは維持するよう命じたため、大都市では少数の列車とバスの運行は確保された。だが乗客の姿はほとんど見かけられなかった。当日の朝、ゼネストは運輸部門から他の部門へ広がっていった。教育施設は完全に無人であり、キオスクは閉鎖された。日刊紙の労働者が前夜、ストを打ったために新聞は発刊されなかった。彼らのストの成功は明白だった。事業所は開店休業の状態で、大きなショッピングセンターのようにがらんとした建物に少数のストに参加しない雇用者の姿がちらほらと見られたにすぎなかった。
 相当数の小企業が店舗の閉鎖などの事業停止行動に参加した。農村地帯では、農業労働者はストに参加しなかったが、教育部門や地方自治体の労働者など非農業労働者がストを打った。工業化が進んだ都市周辺地域や、スペイン北西部のように工業化が進んでいない地域、経済危機の影響を最も強く受けた地域では、ストは全面的になった。大都市の中心部では、闘争の日に固有な緊張とは異なった祭りの雰囲気に包まれた。午後、百五十万労働者が百以上の都市で街頭デモを展開した。

緊張

 これは、この四年間で四度目のゼネストである。四度のゼネストの中で今回は、疑いもなく最も緊張に満ち、また最も困難なものであった。ゼネストの呼びかけは、労働人口の二三%が失業し、四〇%が職に関して不安を抱いているという危機の真っ只中で発せられたのであった。
 この危機状況の影響は複雑であった。あるものにとっては闘いへの刺激であり、ほかのものにとっては不安感や士気阻喪の要因であった。一九九三年選挙からわずか数カ月後のストは、活発な反ストキャンペーンに遭遇した。しかも単に政府からだけでなく、政府与党以外の政党、特に右翼の人民党と右翼のバスク・カタロニア民族主義諸政党からの運動があった。
 ストのきっかけとなった労働規定改悪は、議会では九二%の賛成で承認された。統一左翼(IU)だけがゼネストを支持した。経営者は、彼ら寄りの労働規定改悪を強く支持し、個人的な脅しをも含めて積極的にスト反対の行動を展開した。公営および民間の報道機関は、ゼネストの呼びかけをみずからに直接関係するものととらえ、スト反対の世論を形成すべく解説者のコメントや新聞記事による一斉射撃を開始した。
 おそらく、このように壁が厚かっただけに、ストの動員がかつてなく大規模となり、より戦闘的となったのであろう。ストに至る数日間、数万の労組活動家がピケやバリケード行動に参加し、ストの呼びかけを宣伝した。

「普通の日」

 逮捕者は数百人にのぼり、数十人が負傷し、一人が死亡した(車にひかれた)。これが報道機関が「普通の日」と位置づけた一日の決算である。労働組合運動の生命力は、数万の労組活動家に直接依存している。彼らがいなければ、このゼネストは不可能だった。
 スト当日のもう一つの特色は、スペイン社会に起きている階級分化の深さである。一方には支配機構側の勢力、財界、議員の九二%とその政党、中央および地方の政府、マスメディアなどがあり、他方には大多数の勤労大衆、労組、それを支える様々な社会組織や集団――環境運動、学生や青年層、借家人組織、消費者組織、貧困根絶集団、キリスト教地区組織、自由業者、音楽家や芸術家など――があった。後者の勢力は、極めて多数の宣言やスト支持の署名を発した。
 こうした分断が存在したのは今回が初めてでないが、今回の分極化傾向はとりわけ強かった。ここから将来いかなる結果が生じるだろうか。現在、これを予測するのは極めて困難である。依然として社会的な分断と選挙での投票行為との間には大きな落差がある。
 IUは、ゼネストを支持した唯一の議会勢力である。しかも支持活動を積極的に展開した。IUは、ゼネストへの動員を行ったすべての個人や組織にとっての政治上の基準点になりうるだろうか。六月選挙で政権党の社会労働党(PSOE)への投票が相当減り、IUの得票が増えるなら、それは肯定的な兆候といえよう。

失敗

 そうならない場合とは、PSOEが勝利して、その方針を今一度正当化できるか、あるいは右翼が政権党の失敗を利用できる場合である。
 中期的には、ゼネストは二つの事実を明らかにした。一つは、労働規定の改悪に反対する勢力の存在である。この改悪は、行政の認可を不要とするために認可業務に携わってきた人員に大量の余剰をもたらす。また、それは、経営者が若者を月三百五十ドルで、しかも社会保障や健康保険なしという徒弟制度的に雇用する道を開くことになる。
 もう一つは、政府に対して労働規定改悪に関して労組との交渉の席につくようにという要求が存在している事実である。ここしばらくは、政府はゼネスト後特有の気分の中にあり、その成功を認めないように注意している。現在、交渉を拒否しており、労働規定改訂はすでに議会の問題であると語っている。二次的な修正があるとすれば、それは議会が行うことであるとも語っている。
 確かに、いくつかの修正があるかもしれない。しかし唯一の問題は、どれだけ広範囲に修正がなされるかである。
(インターナショナル・ビューポイント誌254号)