1994年6月10日         労働者の力              第57号

 羽田内閣を打倒せよ
 露呈する「新保守主義」との対決を
 

 羽田内閣は、一方で「北朝鮮の核疑惑」への制裁強行路線を確認しつつ、他方では核兵器使用について「国際法上、必ずしも違法とは言えない」との意見陳述書提出を決めた。さらに司法当局は六日、京都の朝鮮学園土地取引問題を口実に、なんと二十七カ所もの一斉家宅捜査を強行し、その後に捜索はミスと発表した。これらのすべてが、羽田内閣のよって立つ「新保守主義」の実態を示している。あらゆる虚飾をはぎ取れば、この政権の本質は、自ら「核武装」の権利を確保しつつ「普通の」帝国主義国家へと転じ、それを通じて東アジアにおける覇権国家を完成する路線を体現するものにほかならない。強権的帝国主義国家化をまい進する羽田政権打倒を民衆の共通課題としなければならない。
 
 「北制裁」と国連外の制裁路線
 暴かれた「国連中心主義」の虚構

  
 羽田が柳井俊二(外務省総合外交政策局長)をアメリカに送り、米韓日三国での協調と制裁実施の合意を行わせた背景は次のように語られる。
 「米国と中国が制裁をめぐって意見対立した場合、『米国の主張を優先する』(政府高官)」「北朝鮮問題を通じて、日米同盟というものを考えねばならない(政府首脳)」(以上朝日新聞6月7日朝刊)。
 さらに、より「明快」な見解がある。読売新聞(6・6社説)。
 「制裁の場合、国連の枠内が望ましいが、拒否権を持つ中国次第で日米韓をはじめとする国連の枠外の制裁検討も仕方ない。北朝鮮が冒険的行動に出る可能性はある。日本にとっても、破壊活動や難民問題という厳しい状況を引き起こす恐れがある。危機管理体制の整備が急務だ。北朝鮮問題は日本自身の安全に対する脅威の問題である。国連の下の協調はもちろん、日米韓の緊密な連携で事態を乗り切り、脅威を解消させなければならない」
 羽田政権誕生に際しての政策合意をめぐって、小沢は社会党に執ように「日米韓の協同」の確認を迫り、当初中国との協調を条件にした社会党が最後的に屈服した経緯があった。「国連の枠外」での日米韓を中心にした多国籍型による制裁強行のオプションは、羽田内閣として当初から明確だったのである。
 小沢路線は従来、国連中心主義、国際社会の要請、国際貢献などの枕詞で論理を補強していた。だが現在の羽田内閣の対応には以上の言葉はすでに越えられている。「国連の枠外」が前提され、「日本の安全」のために、「脅威を解消させる」という読売の社説通りに日本政府の路線軸が据えられている。
 「脅威を解消させる」ために自らが行動するということが、「軍事を含めて」に至るにはほんの一飛びである。さらに日米同盟論が出てきていることは、日本政府が明確に対中国を意識した軍事関係を意識していることを物語るだけだ。読売の論調のどこを探しても憲法やNPTの矛盾や核兵器使用問題への日本政府の対応の問題点などにふれた箇所はない。また外交的努力や北東アジアでのアメリカの核の存在などへの意識もない。
 ただあるのは、「平和な世界に向けての核拡散防止」「融和政策だけでは、北朝鮮は瀬戸際政策を変えないだろう」という最後通牒的な武力行使論である。読売は北朝鮮の政策を「瀬戸際政策」とさえ規定し、「北朝鮮に核開発を断念させる」と、一方的に北朝鮮の核開発が規定の事実のごとく論断する。
 こうした粗雑な論議は、大衆扇動のデマゴギーの常道だ。新保守主義のチャンピオンである小沢が「日本がなにもできないということになったら、世界の国々から相手にされない」(四日、新生党大阪府連結成大会)と語り、渡辺美智雄が「米軍がもし海上封鎖などに出て、その後方支援を求められた時、日本としてもぎりぎりの努力をすべきだ」と言い、さらに十四日から訪朝する自民党YKK(新世紀)の一人山崎拓にも「制裁を辞さないという国際世論の姿勢を伝え、堂々と議論してくるべきだ」という強硬論が寄せられている状況である(以上、朝日6・7朝刊)。
 クリントンが六日、ノルマンディーのオマハビーチで「国連で失敗すれば、米国だけで制裁を行うことも検討する」と述べたように、アメリカには国連中心主義という概念はもともとない。国連利用主義であるし、本質的には国連無視主義である。日本の小沢一派や新保守主義の本質もそこにある。国連中心主義であるならば、中国、ロシアを含めた制裁反対、慎重論に耳を傾ける必要がある。しかし、そうした観点はゼロである。
 
 羽田内閣の多国籍型制裁への態勢準備
  
 柳井が訪米し三国協議で行った内容は次のように発表されている(共同通信)。
 一、三か国は国際原子力機関(IAEA)への支持を表明、北朝鮮の行為が朝鮮半島に深刻な状況をつくり出し、北東アジアの平和と安定および国際的な核拡散防止努力に脅威を与えたとの点で一致した。
 一、国連安全保障理事会を通じて、制裁を含む適切な対応策を緊急に検討すべきだとの見解を三か国は共有した。
 一、三か国はまた、安保理が北朝鮮の核問題に関して次の措置を検討するに際して、緊密に協議することでも合意した。
 柳井が提示した日本政府の公表された、非軍事的な措置案は以下の通り。
【ヒトの流れ制限】
▽日本の公務員の渡航見合わせ
▽北朝鮮公務員の入国拒否
▽北朝鮮からの民間人・船員の入国・上陸の厳格な審査
▽日朝間を航行する特別機乗り入れ拒否
▽文化・スポーツ・科学技術の交流規制
【モノの流れ制限】
▽武器その他の兵器関連物資の輸出禁止
▽核関連物資の輸出禁止
▽輸出入、仲介貿易の禁止
【カネの流れの制限】
▽資本取引の禁止・支払い規制(北朝鮮への投融資禁止、送金停止)
▽支払い手段の輸出入規制(現金持ち出し禁止) 
 羽田は、アメリカへの同調姿勢を明確にする一方、中国に柿沢外務大臣を派遣し、中国の同調を求める方針を明らかにしている。六日午後、首相官邸では外務省、防衛庁らの代表が集まった合同情報会議が行われた。
 資金規制実行は、具体的には朝鮮総連とその関係者を全面的な監視下におき、かつ「空港や港で厳しい身体・手荷物検査を実施」することである。禁輸は、外国為替管理令、輸出貿易管理令の改正によって、告示から数日で可能とする準備を終えている。
 防衛庁は、海上阻止行動など軍事的な活動を含む制裁にまで発展する事態も想定し、米軍などへの燃料や食糧補給などの後方支援の法的問題の検討に入っている。
 日本政府機関すべては、米軍による北朝鮮の封鎖、日本政府の制裁前面協力を前提とした準備をすでに公然と進めているのである。
 表面は、「一般的には自衛隊に任務が与えられておらず、難しい」(畠山事務次官)、「海上阻止行動への直接参加などに議論が及べば、集団的自衛権の行使など憲法解釈の問題に突き当たるのは必至だ。『とてもそんな論議はできない』(幹部)との覚めた見方も多い」(朝日6・7朝刊)との報道だが、この「憲法の隘路」を突破することこそ新保守主義路線の基本的狙いであり、小沢、渡辺、そして自民党YKK(新世紀)にも共通する政治基調にほかならない。
 
朝鮮総連への政治的、刑事的弾圧の強化
 
 過去数カ月、朝鮮総連系組織への警察や国税庁などの査察介入が厳しくなってきていた。その最大の現れが、京都府警による異常かつ不法な強制捜査である。
 府警は、「一九九一年八月二十日に京都朝鮮学園が京都市の市街化調整区域にある伏見区内の私有地約八千三十平方メートルを地権者二人と購入の予約をした際、契約の六週間前までに土地利用などを京都市長に届け出なければならないのに、無届けだった」として六日朝、朝鮮総連京都府本部や京都朝鮮学園事務局など二十七カ所を国土利用計画法(届け出義務)違反容疑で強制捜査を行った。 その後、同日午後十一時四十分、「法律に基づいて同学園から届け出が出ていたことがわかった。捜査を終結する」と発表した。
 この問題の経緯は疑惑だらけである。まず事実の問題だが、府警によれば「京都朝鮮学園が無届けで土地売買の予約契約をしたとの情報を得て内偵。今年三月二十八日付で京都市理財局用地審査課に照会したところ、四月一日付で、届け出はないとの文書回答があった。ところが捜査中の六日午後四時ごろ、関係者を事情聴取したところ届け出をしたとの証言があったため、市に再度照会をした結果、午後七時になって実際は一九九〇年六月八日付の届け出文書あったことがわかった。京都市が届け出の有無を検索した際、見落としたとみられる」という。
 京都市は「京都府警から京都朝鮮学園の土地取引に関する問い合わせは六月三日にあった。このとき、理財局としては『調べてから回答したい』と返答した、との報告を受けている。四月一日付の理財局の回答がどういうものだったのか、今はわからない」(中谷佑一理財局長)という。そして後にみずからのミスとして陳謝し、府警の責任ではないと懸命になっている。
 話が食い違っているだけでなく、「情報」とはどういうものだったのか、四月一日から二カ月も時間をかけたのはなぜか、そして最大の問題は「届け出義務違反」という行政指導的なレベルの問題に、なぜにこれほど大がかりな強制捜査態勢で、しかも行政指導をバイパスして臨んだのか、まさに不透明だらけであり、明らかにでっち上げ容疑での政治的強制捜査である。捜査の異常さからみて、府警レベル以上の警察庁の直接的指令による意図的な行動と思われる。
 公安委員長(自治大臣)である新生党の石井一は遺憾である、再発しないように注意すると述べているが、京都府警の謝罪を求めて大衆的抗議行動を行った朝鮮総連の怒りはまさに正当である。
 「京都府警が事実無根の口実をもって不当な捜査を大々的に行ったことは非常に遺憾なことであり、常識を外れた行為である。最近行われている警察当局による不当な捜査、人権侵害などをみずから謝罪することを求める。今後、朝鮮総連および関係諸団体の活動と在日朝鮮人の生活を脅かす政治的弾圧、また悪意に満ちた捜査が繰り返されないように望む」(在日本朝鮮人総連合会中央本部国際局)は、抑制されたなかで、最近多発する朝鮮学校生徒への襲撃や司法・財政当局に不当介入の拡大への怒りと危機意識を反映している。
 制裁実施の場合、「日本側には、人権問題や現場での混乱も起きかねない、との懸念が出ている」(朝日6・7朝刊)ということではすでにない。総連へのあからさまな弾圧がすでに以前から、周到に実行に移されているのである。とりわけ、先に引用した読売社説が「破壊活動」に言及している。制裁参加は日本における超法規的な総連と在日朝鮮人への弾圧、およびそれとタイアップした民間右翼集団の襲撃拡大を不可避的に導くだろう。組織破壊の狙いをもった総連への弾圧が「資金の流れを絶つ」手段として正当化されてくる可能性がきわめて強いことは、ここに示されている。
 京都府警のみならず政府そのものが、警察庁や国税当局以下の最近の行動に責任を持っているのである。政府の全面謝罪、責任当事者の更迭、主管大臣石井の辞任が最低果たされるべきことである。
 
 核兵器使用は国際法上正当との政府見解
 
 羽田政権が「核兵器の使用は国際法上必ずしも違法とはいえない」という陳述書を準備しているとの報道が大きな波紋を投げかけた。
 オランダのハーグにおかれてある国際司法裁判所(世界法廷)は、昨年五月のWHO(世界保健機関)総会が「核兵器の使用が健康や環境上の観点から国際法上違反かどうか、世界法廷の判断を求める」決議を行ったことを受けて、各国に「六月十日までに陳述書を提出できる」と通知していた。日本政府はWHO決議には棄権していた。
 外務省寺田輝介報道官は「核兵器の使用は国際法上の人道主義の精神には合致しないが、純粋に実定国際法上の評価として言えば、諸国の慣行や学説などを判断した場合、実定国際法に違反するという判断が国際社会の認識として成立するに至っているとは言えない」と述べている。
 こうした立場は細川内閣当時も明確で、昨年十二月に細川は、「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度のものであれば保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」「核兵器の使用が国際法上違反であるとは言いきれないが、人道主義に合致しないもので国際法の精神に反する」と文書で述べている(共産党・立木洋参議院議員への答弁書)。
 主旨は同じだとはいえ、今回の文脈は逆である。国際法上の精神に合致しない、という細川の結論と国際法の精神には合致しないが違反ではない、という今回の羽田内閣としての陳述書では、与える印象は相当に違う。一歩進んだ、という印象である。
 現在の最大の問題が「北朝鮮の核疑惑に対する制裁への参加」にあることに対して、羽田内閣は自らの陳述書との整合性をどのように図ろうとするのか。
 日本は、非核三原則を掲げ、核兵器保有を否定している。原子力基本法、核不拡散条約(NPT)でも核兵器保有が禁じられている。しかし、細川の答弁が示すように、自民党前政権は自衛的な核兵器の保有は法的には認められるという見解を発展させてきたのであり、それを全面的に踏襲して連立政権の見解が出てきている。
 日本政府は、核オプションを放棄していない――これが、この政府が進めているプルトニウム備蓄や増殖炉計画推進への世界的疑惑の源である。先日、IAEA査察団が動燃東海原発におけるプルトニウムの異常な量の消失について勧告を出したという事実があった。運転過程で経路に付着した、回収を急ぐというのが日本側の説明であるが、日本の記者団よりも外国記者団の数が多く、世界的な疑念の強さを物語った。仮に北朝鮮の原発で類例の事態があったとすれば(日本の動燃の説明から類推すれば、ないとは言えない)国際的は制裁発動の決定的な理由となり、日本政府が率先して騒ぎ立てるはずだ。
 その日本が、自衛のための核武装が憲法上許されるとし、国際法上は違反ではないとする。さすがに連立政権内部でも少々紛糾した。二日の連立与党政策幹事会での外務省の口頭説明に際して「承服しがたい」という声が上がり、七日の閣議では公明党の浜四津環境庁長官が異議を申し出た。だが、これはセレモニー的に終わった。連立与党サイドの説明によれば、核抑止力(特にアメリカの)を否定するという立場には踏み込めないという。政治的容認であり、さらに修正する時間もないという。
 つまり日本政府である連立政権は、第一に日本の核兵器オプションの道を容認し、第二に大国(アメリカ)の核保有を認め、そしてもってその他の諸国の核開発疑惑には強権で臨む、という立場を公然にした。北朝鮮にNPTの遵守強制をいうのであれば、少なくとも核兵器の廃絶に向けた積極的立場がなければならない。だが現実の日本政府の路線は、みずから核武装選択の可能性を保持し、核使用を前提とする核抑止戦略に全面的承認を与えるのである。
 
 羽田内閣打倒、新保守主義路線との対決を
 
 北朝鮮制裁問題が含む日本政治の基軸への決定的影響は、「自民・非自民」などの図式をはるかに越えた深刻さをもっている。社会党デモクラッツが連立復帰路線に傾斜し、連合山岸が「新保守主義の毒を制御する」論理で後押しするとき、こうした傾向が新保守主義の基本傾向と対決し、そこからヘゲモニーを奪うだけの路線的決意や明確さを持ち合わせているとは思えない。羽田政権が仮にみずから総辞職し、社会党が再度参加した連立組み替え政権に横滑りするとした場合、社会党は現政権の基調と対抗軸をもっての参加だと前提することは幻想にすぎない。以前の「政策合意」には、明確に「いずれにせよ国連決議があればこれに従う」と明記されている。
 ただし、国連の枠外での制裁実行という問題は残る。これは、社会党としては首の皮一枚の留保点となる。「政府が国連決議なしに米韓両国との連携で行動すれば、党として同調できない」(幹部)「ねじ曲げた憲法解釈で国際紛争に協力しようとするなら、現政権と断固対決する」(村山委員長)「対応によっては政権づくりに影響を及ぼす」(久保亘書記長)(以上、朝日6・7朝刊)。 自民党の河野も同じ。「まず日米韓三国で、どうしたら国連決議がきちんとできるか、十分に打ち合わせしてほしい」と独自制裁路線に釘をさしている(五日)。
 たしかに、安保理という枠組みをアメリカが安易に捨て去る事態は考えにくい。多国籍型の経験が湾岸戦争であるとしても、今回直面するのは安保理国である中国が直接に関与する領域の問題であり、容易ではない。一定の期間あるいは中長期的に国際的一致を求めて交渉、折衝が繰り返される可能性が強いと判断される。
 しかし社会党も河野も「国連決議」の枠に依拠する、消極的立場を出るものではない。換言すれば、中国の出方に依存している。みずから積極的な東アジアの将来像を固めつつ、東アジアにおける米軍の核のプレゼンスという現実を打破する路線、あるいは中国、ロシア「両大国」の核保有を打破する方向を追求しているというわけではない。東アジアにおける民衆的和平への道筋をとらえる努力なしに「国連の枠組み」をいうことは、もし制裁決議が何らかの形で、中国を屈服させる形でなされた場合には完全に立場を失う。
 現在、北朝鮮はNPT脱退というアメリカへの「最後の切り札」をちらつかせる一方、ロシア提唱の国際会議の容認姿勢や中国への軍事使節団派遣・協議を進めている。また「制裁は戦争宣言だ」との強い態度をも表明している。これらの一連の綱渡りが裏目に出る可能性が皆無だということもできない。
 政局は錯綜している。羽田内閣の期限切れとされる予算案の成立、会期切れが近づいている。「新選挙法での次の選挙実施が担保されるならば、今回中選挙区制度での解散総選挙もありうる」という後藤田発言(五日、フジテレビ)が一方に飛び出し、他方で社会党の久保書記長が「予算案通過後に各党間の話し合いが活発化し、政権構想についても協議が進むだろう」という状況にある。
 羽田政権を終えんさせることは、第一に総保守化をねらう新選挙制度を拒否し、第二に小沢型の新保守主義に決定的ダメージを与えるためにこそ、なされなければならない。
 日本政府が「はじめに制裁ありき」「国連の枠外での多国籍型行動」という立場と明確な一線を画すときに、はじめて中国、北朝鮮を含めた東アジア諸国を主体とした相互対話の可能性が見えてくる。もちろん、その際、日本政府はみずから推進する「国策プロジェクトとしてのプルトニウム大国化」への批判や、事実上の日韓米三国同盟、さらに最大に核配備する極東米軍の撤退問題などのすべての項目において路線的指弾を受けることになる。そして、それらはまさに当然の問題提起なのである。そうした新たな対話の段階に踏み込むことなしに、新保守主義の罠から脱却することはできない。
 「北朝鮮の核疑惑」問題こそ、東アジアにおける対決関係の抜本的転換を主体的に進めるチャンスであると受けとめるべきだ。
 小沢的新保守主義論理との徹底対決が、次の段階の連立政権協議の前提とならなければならない。
 
資料 北朝鮮の核問題経過
 
1992・3 IAEA未申告の核廃棄物貯蔵施設二カ所への「特別査察」要求。北朝鮮、一般軍事施設として拒否。
1992・3 「北」、NPT(核不拡散条約)脱退宣言。
1992・4 IAEA安保理に問題付託。米朝交渉に委ねられる。
1992・6 「北」、NPT脱退保留表明。
1994・1 「北」、IAEA査察受け入れ、南北会談再開に合意。
1994・3 IAEA「放射線化学研究所」査察を要求。「北」、拒否。IAEA安保理付託。
1994・4 「北」実験用原子炉の燃料棒交換通告。IAEAの立ち会い要求。
1994・5 「北」、燃料棒交換開始。IAEA査察団、放射線化学研究所への追加査察完了。「北」燃料棒サンプル採取を認めず。IAEA「査察不可能」を宣言。「北」、「IAEAの要求通りに測定する技術的な機会を維持するやり方で、燃料棒の交換が行われている」と声明。
 すなわち「IAEAの求める燃料棒の分離・保管方式はNPT脱退保留という特殊な地位にある現段階では受け入れられないが、NPT完全復帰が実現すれば、査察の継続性も保たれる」との立場。
 以上からIAEAと北朝鮮との関係の錯綜が浮かぶ。IAEAは査察対象を次々に拡大し、北朝鮮は拡大に抵抗しつつ最後的な決裂を回避するために受け入れる。IAEAが安保理付託の理由づけを求めている印象があり、北朝鮮は対米交渉の材料として査察問題を利用している印象である。いずれにせよ「危険なゲーム」の応酬に見える。IAEAサイドのどのあたりにアメリカが介在しているのかについても注意が必要だろう。
(五月八日)

五月市民フォーラム開催さる

 
 五月二十八―二十九の両日、五月市民フォーラムが、東京・南部労政会館で全国各地から一七〇名の参加のもとに開催された。集会は第一日目に全体会と分散会、夜の交流会、第二日目は全体会での分散会報告と全体討論として進められた。
 第一日目の全体会は、司会に弁護士の内田雅敏さんと福士敬子杉並区議。開会あいさつは伊藤誠さん。問題提起は以下の六人が行った。山崎全労協議長、医師の毛利子来さん、大阪から中北龍太郎弁護士、名古屋の秋田健さん、前東京都議の大久保青志さん、政策集団「太陽」からとして参議院議員のいとう正敏さん。
 山崎さん――昨年八月に「護憲新党」形成を呼びかけたが、それは仮のネーミングで、平和・人権・民主主義・共生・環境を掲げ、ネットワーク型の政党というイメージ。事態に間に合うためにはこの七月にも具体的な設立会議が必要。
 毛利さん――市民というよりは庶民の政治。理屈でなくハートをつかむこと。護憲でではだめだし、環境だけでも不十分。庶民感覚としての「公平・安心・真実」を掲げたらどうか。
 中北さん――大阪の議論では、市民運動の課題追求型から日本総体を考える立場までの幅がある。従来型選挙の発想ではなく、市民運動の発展と結ぶことなしには市民サイドの積極参加はむずかしい。また、そこに可能性もある。
 秋田さん――ローカルパーティー論にはひかれるものがある。しかし多数派獲得論と異議申し立ての五%政党論では後者にひかれる。地域運動の連携としての全国選挙という合意をつくることができる方法がポイントだ。
 大久保さん――小選挙区制度は市民派にはきわめて高いハードル。二%という政党要件をクリアするためにも現職議員との提携の比重が高くなる。
 いとうさん――参議院でつくられた「護憲リベラルの会」は政党要件の最低単位。最低線は用意している。新しい政党は従来型でないのだから、ネーミングも自由に、飛んだもので考えていいのではないか。政治への参入は候補者を自前で準備していくことが問われる。
 分散会は五つ。それぞれ、問題提起者を囲む形式で進められた。
 第二日の冒頭になされた分散会報告やその後の全体討論を通じて出された論点は、主要には@「護憲」が新たな政党、政治勢力形成の中心的理念となるのかどうかA新たな全国政治勢力形成の道筋をどう考えるべきか。まず全国からか、それとも地域からかB政党なのか、非政党型の結合なのかC選挙準備の必要性から早急な結成か、それとも「一定の手順を踏む」のか、というものであった。
 さらには前面には出なかったが、秋田さんの提起した五一%政党か五%政党かという提起もこの数年水面下的に意識されている問題意識であり、いずれ論議の煮つまりのなかで浮上してくる問題である。また現職議員の比重が不可避的に高くなるという新選挙制度のもとでネットワーク型、同権型というイメージとの整合性がとれるためには具体的にどうイメージされるべきか、という問題も討論の背後に横たわっていた。
 第一回目の「全国各地の有志の討論」であるから、以上のすべてが出そろって討論、検討され、結論が出されたということにはならないのは当然である。むしろ、部分的、地域的、分野的に討論されてきたことが、はじめて全国的、全体的な場でつきあわされたということの意義が深かった。
 特徴的にまとめれば、社会党分解、分裂から新党へという道筋で見れば、事態が急であるがゆえに、早急な準備と旗上げ、全国的な候補者選定、財政基盤づくりを急ぐという発想になり、市民運動的、地域運動的サイドからは、運動を政治に結びつけるための回路や道筋づくりを模索するという側面が強く押し出されるということになっている。
 そのいずれにせよ、社会党の「革新の座」からの転落に向き合う新たな民衆の政治勢力や政党が必要だという枠組みでは一致しているわけだから、それぞれの思い、思考の曲線が相互に交差する座標軸を見つけだす討論をより具体化するなかで、出された論点のつきあわせを進めていく場が必要となる。同時に、「民衆」「市民」「庶民」サイドが自らの立脚するイメージをさらに具体的課題の検討を通じて掘り下げていくことも、急がれる必要があることも明らかだ。
 五月フォーラムでは、結論として諸勢力、諸傾向の同権的な会合、「円卓会議」の推進を確認し、同時に「市民」の共同のスペース設立とメディア拡充も提起され確認された。
新刊紹介 環境問題を考える

      地球環境問題とは何か      米本昌平著(岩波新書)

自然科学と政治との新しい関係を追求

はじめに

最近では、大企業が「地球にやさしい」会社だとみずからやその製品を宣伝し、あるいは某宗教団体の機関紙がオゾン層の問題をとりあげて「地球にやさしい○○新聞」と宣伝しているのを見ると無性に腹が立つ。そうした企業なり宗教団体が実際に何を行っているかよく分からないにしても、これまでが「地球にやさしくなかった」と自分で宣言しているのと同様であるのだから、そうした無神経さに立腹するのかもしれない。あるいは、安易に時流に乗る、その厚かましさが腹立たしいのかもしれない。
 そもそも「地球にやさしい」という感覚的な言葉で何を表現したいのだろう。日本の広告に関してよく指摘されるのであるが、感覚や気分に訴える表現が少なくない(正確には大部分を占めている)。こうした広告に使う金があるならば、その金を黙って様々に存在する自然保護団体の活動資金へ提供する方がはるかに「地球にやさしい」行為ではないだろうか。あるいは、その金で樹木を何本かでも植えた方がはるかにましである。
 やや八つ当たり気味であると自分でも思うが、これには当然の理由がある。最近(五月二十一日)軽い喘息発作を起こした。三月末には花粉症の症状が出たので、アレルギー体質になったなと思っていた矢先の発作である。これは、発作を起こした人にしか分からない、まことに恐ろしい体験であった。気道が収縮して、肺から空気は出てはいくのだが、一向に入っていかない。呼吸困難でこのまま窒息死してしまうのかと、一瞬覚悟したほどだ。喘息やアトピー性皮膚炎などのアレルギー性疾患の増加と環境悪化との間には有意な関係があると、統計的に証明されているという。
 それまでの自分自身が環境に対して一方的な加害者の立場にあったのが、同時に被害者の立場にもなった。そうなってみると不思議なもので、「地球にやさしい」というそれ自体ではどうということもない宣伝が腹立たしい存在に思えてくるのである。
 こうした状況の中で最近、環境問題に関する二冊の新書を読んだ。それを今回は紹介する(敬称略)。その前にお断りしておきたいが、私は環境運動の実際について完全な無知であり、しかも高校以降の学校教育で生物課目を学んだことがないので、見当はずれがあるかもしれないが、その点をご了承願いたい。と同時に本紙の読者が直接、ここに紹介する本を読んで、これからの進むべき道を考えていく上での一助にしていただきたいとお願いする次第です。

沼田真著 自然保護という思想

 三月に初版が出た岩波新書で、「はじめに」には次のように述べている。
 「自然保護というのは、「人間―自然系」をいい状態に保つことにある。この地球生態系の状態がおかしくなったら、その治療、リハビリテーション、復元もはからねばならないし、「人間―自然関係のモラル(生態倫理)」にも目を注がねばならない」
 著者は現在、千葉大学名誉教授、千葉県立中央博物館館長、財団法人日本自然保護協会会長、日本環境教育学会会長の役職にあり、本書は岩波書店の「図書」をはじめとする様々な出版物に執筆した文章を加筆して一冊にまとめたものである。
 そのためか一冊の本としての流れは悪く、ごつごつした感じを与える。そうした感じを受けるのは、前述の生物学への私の無知も関係していると思うが、生物学(生態学)それ自体を扱っている部分がかなりあるためかもしれない。博物学、生物学(生態学)自体に興味がある人には、この部分がおもしろいかもしれない。
 著者は第一章「自然保護の軌跡」で、自然保護活動の流れを歴史的に追い、今日の課題が「持続性と多様性へ」となっていると指摘している。ついで次のように述べる。
 「九〇年代の保全戦略(この決定版は、新・世界保全戦略として「かけがえのない地球を大切に――持続可能な生活様式のための戦略」の形で一九九一年に刊行され、各国首相に提言された)の方では、生態系的症状として、地球温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨、熱帯林の破壊、生物の種の遺伝子プールの絶滅のほか、砂漠化、洪水、塩類土壌化、アルカリ土壌化など土地の荒廃をあげている。……
 これらの症状に対して、その基本になる「持続性」の方では、生態的持続性としての生物の多様性とか生物的資源の維持をあげるのであるが、そこで必ず「開発と両立する……」という説明の入るところで首をひねらざるをえない。……
 九〇年代の保全戦略では、持続的利用よりも、持続的開発に強く傾斜している」
と疑問を投げかける。著者が、この報告書をまとめる責任者であった人物に「持続可能な開発」とは自己矛盾的な用法で同意できないと語ったところ、その人物は「その最たるものは経済学で使う「持続可能な成長」だと述べ」たと報告している。
 開発に反対し、利用に傾く著者の立場の背景には、その中心的な概念、鍵となる概念である「人間―自然系」がある。本書は、この考え方を生態学と日本を中心とする環境保護(あるいは破壊)の様々な実例の両面から展開している。
 後者に関しては、東北地方のシバ草地での肉牛や馬の放牧をはじめ多くの例があげられているが、その一つひとつは本書にあたられたい。前者には二つの面がある。
 一つは、人間をどう位置づけるかである。これに関連して従来の生物学教育を次のように批判し、欠陥を指摘する。
 「教科書で扱われている人間は、きわめて矮小化されている。生態系の図式でも……生産者(緑色植物)、消費者(動物)、分解者(微生物)、無機的要因となっているが、ここでは人間は動物に含まれている。実際の人間は、消費者であるにとどまらず、そのとびぬけた知識と技術によって、生産者や分解者の役割も果たしている……」
 もう一つは生物の「主体性」の問題である。
 「生態学の流れのなかに生物主体的環境観が生まれ……この場合の環境とは生物の感覚にとって到達可能な主体的世界であり……環境はたんに計器によって測定されるものではなく、生物の側からの評価が問題になるのである」
 かつてK・マルクスが人類の解放とは、人間が自然的な存在になり、自然が人間的になり、両者の対立が止揚されることだという趣旨を書いたが、人間や自然それ自体の研究が深まり、他方では人間活動がある許容限界を越えつつあるために、マルクスのような抽象的な発言ではとてもではないがすまなくっており、両者の関係を具体的に論じなければならない現代世界であることを痛切に感じさせる本書である。

国際政治と地球環境問題

 「地球環境問題とは何か」の著者、米本昌平は、三菱化成生命科学研究所の社会生命科学研究室長で、東京・町田市の「町田の自然を考える市民の会」の地球サミットを機に新設されたその国際部で活動している。なお、この研究所は、自由な研究が可能なところとして評価されているようだ。
 著者は序章で本書の狙いを次のように説明する。
 「地球環境問題を、自然科学と現代社会の中間に横たわる、政治的性格をたっぷり含んだ新しい巨大領域として扱ってゆく。……あえて未知の領域である地球環境問題へ踏み込んだのも、その理由の一つは、ここにそれまで(先端医療の社会的問題など)と類似の問題を見いだしたからである。
 ……類似点は二つある。第一に、情報化社会といわれる現代社会の中では、科学情報を含め正確な情報伝達はほとんど行われていないということ。第二は、現代社会に生きる人間は、こうした不完全な科学情報を拠り所に近未来の状態を想定し、禁欲的な技術政策を立案し、受け入れていかなくてはならないはずなのだが、果たしてそんなことが可能なのか、という問題である」
 この部分だけを読んでもかなり刺激的である。本書のように入口で、たとえ大風呂敷でいいから大見得を切る著作に出合うのは、それだけでうれしくなる。しかも本書は、期待を裏切らない。
 これに続いて、第一の問題の実例を次のように述べる。
 「たとえば地球温暖化問題の場合、その論文を読んでみると、原論文の内容と一般に流通している科学情報の内容とがひどくかい離しているのにすぐ気がつく。……そもそも現代社会は、そういう(かい離の)構造を内包している」
 第一章「地球温暖化の科学論――ハンセン論文の衝撃」で著者は、八八年にゴッダード研究所のハンセンがコンピュータ・シミュレーションに基づいて行った米議会証言とハンセンを筆頭とする原著論文との比較検討を行っており、この部分は圧巻である。両者の違いや証言書き換え事件、コンピュータ・シミュレーションの限界などが次々に明らかにされていく。そしてハンセン論文の衝撃が広がっていった過程を「少数の研究者の、たいへん粗っぽい地球温暖化という危機的な世界認識が北米の科学者集団→科学者集団と一部の政治家→大多数の政治家、という順に受容されていき、同時に、次第に多くの研究者が投入され、その世界像が精緻なものにされていく過程でもあった」と総括している。
 本書は第二章「東西冷戦の終焉と環境安全保障」から第四章「国連気候変動枠組み条約の成立とその意味」まで、地球温暖化問題を国際政治との関係で扱う。ここで注目すべきは、地球温暖化問題と核軍縮との類似性を論じた部分であろう。次のように類似性が説明される。
 「第一に、両者は世界大の不安と脅威をはらんでいる。……温暖化問題はまぎれもない地球大の脅威としてわれわれの意識の中にあがってきている。
 第二に、双方とも脅威の実態の把握と確認がきわめて困難である。……地球温暖化問題も別の意味で、ありとあらゆる科学技術を動員してもなお、現在その脅威の規模と時期を計りかねている。
 第三に、両者とも一国の経済と深く関係している。……地球温暖化問題の方は、エネルギー政策を介して、一国の経済と深く関係してくる。
 ……さらに進んで欧米ではこの両者を連続的に論じる、「環境安全保障」の立場が登場してきている」
 そして第五章「地球サミット――その意味とその後」から第八章「日本の課題と進むべき道」まで、政治の側面に重きを置きつつ、様々な地球環境問題が具体的に論じられ、国際通貨基金や世界銀行などが果たした役割やその現状なども言及されている。
 特に第八章の「半権分立」以下の個所は、日本政治論、日本論としてなかなかに興味がもて、おもしろい。
 本書は、あとがきによると「環境問題は国家主権を超える」(中央公論八九年六月号から九二年十二月号にかけて断続的に掲載されたもの)を骨格の一部として、全面的に加筆・修正したもので、「書き下ろしと言ってよい」と、著者は自認している。
 最初の題名に関係して本書が日本社会に提起する一つの結論部分を最後に紹介する。
 「(日本の社会を覆う機能不全の病根)は、戦後の日本人が無意識に選んだ広義の政治的態度であり、「公的価値のために人生の一部を投げ出すこと」を回避しようとする心の傾きが強くあることである。……私的価値を個人の人生の目的とすることを相互に是認してしまうことであった。……
 しかし冷戦が終わり、時代の枠組みの方が変わった。……いまのわれわれはと言えば、公的価値に気がつかないふりをする無意識構造のまま、地域、個別文化、未来世代、自然、地球などを念頭に置いた政治的決定を行うのに、自信をなくしている。……内実のない地球環境対策の作文や、視野狭窄ぎみの国際貢献論から抜け出し、効果的な政策研究、人材確保、制度変革に向かうための道筋を見つけなくてはならない。その意味で地球環境問題とは、新しいイデオロギーとみなして一向に差し支えない。個人生活、地域、国家、世界というそれぞれの次元での政治的決定に、地球環境という価値を織り込ませるための論理体系を創りあげる作業に向かなくてはならない。それは、個人、自治体、国家、権力、情報、科学技術、経済という既存の主要概念が、別の文脈から再構築されることでもある。この作業を行うのに、どれほどのエネルギーと才能が必要なのかは想像もつかない。しかし、すでに世界のどこかで、地球環境問題のマルクスは「資本論」に当たる本の執筆を始めているかもしれない」
 本書を読んでいるうちに思い出したのは、本書でも言及されているゴルバチョフの八八年十二月の国連演説である。本書では「国際的な経済安全保障は、軍縮ばかりではなく地球環境への脅威に対する認識を離れては、考えられない」が引用されている。これに対して、当時の第四インターナショナル日本支部や日本共産党などは階級闘争論の放棄であり、一種の階級協調主義であり、けしからぬと批判したものであった。
 この批判が正しかったのかどうか、やはり考えてみなければならない課題である。感覚的な結論であるが、われわれは「時代のパラダイム」の変化という問題を十分には考え抜いていなかったのではなかろうか。
   (高山徹 五月末)

フランス 右翼政府を後退させた青年の闘い

          R.クリシナン(パリ、一九九四年三月三十一日)

 ほぼ一年前バラデュール政権が成立した。だが、この政権は、心の底から怒ったフランスの青年に包囲されている。一カ月間にわたって、数十万の学生、失業青年、半失業状態の青年、教育労働者をはじめとする労働組合員たちが抗議行動を街頭で繰り返した。政府は、最低賃金の引き下げを狙った法案(CIP)の撤回を余儀なくされた。それでも、抗議行動は続いている。

学生の闘い

 現在の右翼政府は、一九六八年五月革命のイメージに悩まされている。これは、いうまでもなく学生の抗議行動から始まり一千万労働者の一カ月におよぶゼネストに至った闘いであり、当時のド・ゴール大統領をしてドイツを急きょ訪問させ、そこに駐留するフランス軍が彼を支持するかどうか確認させたほどの革命的な行動であった。その後でも、一九八六―八八年のジャック・シラク右翼政権打倒をもたらしたのは、学生の行動であった。
 バラデュール政権は、はるかに先鋭な危機的状況に直面している。というのは、より広範なストライキが行われているからである。中でも昨年末に始まったエール・フランスのストは戦闘的である。
 労働者の一連のストと同時に、学生の間からも反政府の動きが表面化してきた。それは、学生の居住費への補助金削減や教育制度への支出削減、各種公共サービスの削減に反対するものであった。
 これに続く反政府の闘いは、私学(大部分はカトリック系)への公費助成を増やす法案へのものであった。一月十六日、一九六〇年代以来最大のデモがパリで、七五万の参加者を全国から結集して行われた。その目的は、教育への適切な公費助成、大学入学を一部のものに限られたものにしないこと、教育の非宗教性の維持・確保であった。バラデュール首相は再び、後退を余儀なくされた。
 この抗議行動の直前にパリ近郊では、数日間にわたって暴力的な対決が続いていた。十代のベトナム人が殺害され、その犯人が自由放免されたとの噂に端を発して、アラブや黒人移民の十代の子供たちが現地警察と衝突したのであった。
 現在の青年たちの行動の目的は、フランス語の頭文字をとってCIPといわれる「職業統合契約法案」の撤回である。これは、大学や職業学校の卒業生をはじめとするすべてのカテゴリーの青年を安上がりに雇用できるようにする狙いをもっている。
 政府関係者は失業を減らすものだと説明しているが、この改革に失業を減らす狙いがありえないことを信じるにたる根拠がある。より安い賃金で雇用された青年は、年とった労働者にとって代わるだけであり、後者は早期退職か解雇に直面するのであり、全体としての雇用は増えるはずもない。

失業

 そうでなくても、常雇用される青年の多くは、資格獲得のための実質的な失業状態にある六カ月後、年齢と中学以降の教育程度に応じて従来よりも二〇―七〇%低い賃金を受け取ることになる。
 このようにして「創出された」雇用は、最大で二年間続く。その後雇用者は、その人物を常雇用するか、それとも削減賃金で他の青年を雇用するかするのである。雇用者が後者を選択するのは明白である。
 三月十八日付ルモンドは、この点を次のように明瞭に説明している。
 「CIPは、それが青年の最低賃金を規定することによって期待されるほどには、新たな雇用を創出しない。それは資格獲得のための労働者の最低賃金を二〇%削減すると規定している。より一般的にいえば、過去一五年間の雇用政策は、青年の雇用に関しては何も改善していない。他方、経営者には税制および社会保障の面で各種の免除が与えられてきた。そしてCIPは、五〇歳以上の労働者に対しては早期退職の方向に追いやっている。その結果、雇用の可能性は事実上、三〇歳から五〇歳の人々に限られている」
 CIPの打撃は、職業教育の必要性を認めた学生に最も深刻である。一九八〇年代以降、すべての西側先進諸国の中間階級出身の青年たちは、職業教育こそが青年の未来を確保し、国民経済を後退から救う道だと教えられてきた。
 現在、政府と経営者は、青年が獲得する資格の経済的および職業的な価値は結局たいしたことはないのだ、と青年に語っている。事実、職業学校の卒業生の失業率は過去四年間で、五倍にもなり、一〇%へ上昇した。

中間階級

 現在、政府とその警察との対決の最前線に立っているのが、「栄光のフランス」の娘や息子たち――しかもパリ近郊の白人、中間階級の――であることは、なんら驚きではない。
 フランスに居住する青年のすべてが、失業をはじめとする様々な不安感を抱いている。全国の失業者四〇〇万のほぼ四分の一は、二五歳以下の青年である。職についている青年でも、その大部分はパート労働であり、状況は不安定である。
 多くの高校やカレッジがスト中であり、いくつかの大学は占拠されている。しかし、職業高校とカレッジに学生組織がないために、運動を組織し発展させる機関の確立が困難である。既成左翼諸政党――社会党(PS)、共産党(PCF)、緑の党、革命的左翼――の指導を認める点では、運動に問題はない。
 小さな町やかなりの数の大都市――パリ、リヨン、ツールーズ、ナンテなど――で、デモが展開されており、そのデモに高校生や労働者階級出身の失業青年の大部隊が加わっている。彼らは多くの場合、数が多く、しかも戦闘的であり、人種や性別の点でも最も多様である。
 こうした労働者階級出身青年や、移民が集中する郊外地域の青年たちの闘争参加は、傍観することを許さなくなっており、フランス右翼の神経をいたく刺激するものであった。フランスの支配者にとって、アラブや黒人青年が彼らの友人としての白人青年とともに闘争に参加する以上の恐怖や憎悪の対象はない。
 一九八〇年代の前半から半ばにかけては、民主主義と社会正義を求める闘いの先頭に立っていたのは移民労働者の子弟であった。彼らは、青年の闘いのそれぞれにおいて決定的な役割を果たし、「移民労働者の子弟のための行進」や「平等を要求する行進」などの全国行進の先頭にたった。
 こうした闘いにもかかわらず、移民労働者の子弟たちをめぐる諸条件は、彼らの失業率が五〇%を超えている事実をはじめとして悪化し、絶えず強まる警察のいやがらせや全国に広がる外国人排斥の動きによって、さらにどうしようもなく悪化している。
 先の社会党政府が彼らの運動を裏切ったという事実は、そして、その後右翼からの正面攻撃を受けたという事実は、この運動の内部に現在、一定程度存在する絶望や路線喪失感覚を生み出した主要な原因の一つである。
 運動が広がり都市近郊の青年が参加するようになった事態に対する当局の対応は、この運動が社会全体からは孤立を余儀なくされていたので、十分に予測できるものであった。投石や略奪という偶発的な闘いの発生に対して、政府、ことに反動勢力の中心人物である内務大臣シャルル・パスクアは、運動全体への弾圧を強化し、みずからの暴力的かつ犯罪的な目的を実現しようとして投石や略奪行為を働く人物がいると主張して、運動を激しく非難し、弾圧強化を正当化した。
 人種差別の響きを隠そうとする努力はなされなかった。子どもの時からフランスにいる二人の十代のアルジェリア系学生が、リヨンでのデモ後に逮捕され、ちゃんとした裁判もないままにアルジェリアに送還された(別掲)。現時点では、運動を分断し押し止めようとするこうした策動は、無意味である。
 通常、デモ参加者は、警察の弾圧と対決しなければならない。いくつかの報道は、私服警官自身が店の窓ガラスを打ち砕き、制服警官たちのデモ隊への憤激を意図的に形成している事実を伝えている。逮捕されたデモ参加者の法廷での権利は制限され、法律が要求している弁護がなされる前に判決が下されることさえある。
 CIPは現在、公式に撤回され、学生の運動は頂点にあるが、運動の将来に関する問題が提起されている。
 労働組合の各全国組織は、CIPをみずからの組合員に対する、そして労働者の権利全体に対する明白な攻撃だとみなし、一九六二年以来という共同行動を展開した。三月十二日の全国行動には、約二〇万人が参加した。CIPが撤回されたにもかかわらず、依然としてフランス共産党に近い労働総同盟(CGT)は四月七日のゼネスト貫徹の意思を明らかにしており、攻撃目標を政府の経済五カ年計画においている。

大学生の決定的な役割

 大学生が果たす役割が決定的な要素になるだろう。一九六八年五月革命を領導したのは、まさにこの学生であった。彼らはこの間、基本的にはCIPが自分たちにはあまり関係ないと思ってわき役であった。だが、学生運動発展のいくつかの兆候がある。たとえば、三月には、六〇〇人の学生がパリ大学の建物を占拠した。
 四月六日には、「失業反対行動」の全国行進が開始されることになっている。この行進の集約として、五月末にパリでの大規模なデモが予定されている。この運動には、労働組合員、失業反対運動の活動家、居住権の運動、女性運動、その他の社会運動や民主的な権利のための運動などが合流する。
 他方、政府はCIPの撤回を嘆き座視し続けることはない。政府はすでに「新雇用創出措置」を表明し、今後一八カ月間に青年を雇用する経営者に総額で一〇億ドルを与えるとしている。
 労働組合はすでに、これはCIPと同様の不正取引であり、資本家を勇気づけて従来からの労働者を解雇させ、青年に対しては一時的かつ低賃金の職を提供するものでしかないと非難している。政府内部の別の見解は、新措置は最大でもわずか一万五千の雇用増加にしかならないと主張している。
 いずれにせよ、資本家の全国組織代表は、次のように無遠慮に宣言している。
 「道は二つしかない。一つは給与の引き下げであり、もう一つは社会保障費支出の削減である。(どちらをとるかは)政治が選択する問題である」
 これは挑戦の言葉であり、これに応えずにすますわけにはいかない。
 事実、「社会的な爆発」が近い将来に生じると信じるにたる、十分な理由が存在しているのである。
(インターナショナル・ビューポイント誌四月、255号)
お断り 最近ビューポイント誌の到着が遅れています。発行自体は定期的に正しく行われています。他の国の読者からも到着が遅いとの苦情がきているようです。
~/~ 二人の学生がリヨンでのデモの後に逮捕され、アルジェリアに追放された事実は、バラデュールが政権の座についた直後の一九九三年三月に採択した新移民法の政治的な過剰適用である。この適用は今回が最初である。パスクア法ともいわれる新移民法による本質的な変化は、フランスの青年を法律的に二つのカテゴリーに分けて、移民青年を第二階級として扱うことである。
 リヨン警察は、テロリストに適用される最も苛酷な条項を適用し、二人を追放処分にした。国内の弁護士組織が追放処分は違法だと主張したが、パスクアの無言の祝福を受けたリヨン警察は、裁定を要求した。その間、二人の十代の学生は、フランスへの帰国を願ってアルジェ空港内のトランジットで待機していた。
 最初はリヨンで、ついで全国で抗議行動が展開された。CIP反対運動以降の中心要求となった。そのスローガンは「仲間を自由にせよ」であり、三月三十一日のデモ隊の真正面に掲げられた。明らかに、デモ参加者は、この極悪非道の行為に含まれる道義的、政治的な意味を十二分に理解していたのである。