1994年7月10日         労働者の力               第58号

政治の総保守化のはじまり−−政界再編の第三幕への突入
 
     川端康夫

 
 村山自社連立政権の誕生
 
 
 六月二十九日、国会会期切れ目前にして突如出馬した海部俊樹を破り、社会党委員長村山富市が後継首班に選出された。片山内閣以来、四九年ぶりの社会党首相の誕生である。細川、羽田に続く政界再編の第三幕が保革連立の村山政権として始まったのである。この政権は、反小沢を契機として成立した以上でも以下でもなく、小沢の敗北ではあれ、日本政治の構造の「安定」化からはほど遠く、「過渡期政権」を越えるものではない。
 
 反小沢ブロックの勝利
 
 羽田の総辞職から一週間、政界は大揺れに揺れた。羽田再任を本命とする第三次連立内閣の成立への流れが大勢とみられた中、自社さきがけ三党の反小沢派がウルトラC的な自社連立を成功させた。
 両党ともに相当数の造反部分が輩出し、旧連立与党サイドは衆院の決戦投票での勝利を確信して臨んだといわれるが、結果は村山二六一、海部二一四という村山「楽勝」に終わった。
 村山首相誕生の最大の数的な基盤はもちろん自民党である。決戦投票で村山が獲得した二六一票のうち、自民党は一七三票を占めた。社会党は六三、さきがけは二一、他に無所属から四が投じられた。
 旧連立与党はおおむね結束を保ち、唯一の「造反」としては、参院の民主改革連合(連合参議院)代表の星川議員が村山に投票しただけであった。
 揺れに揺れた自民党は、いわゆる「改革派」系列と渡辺・中曽根に殉ずる渡辺派の長老議員を含む六名の計一九名が最終的に海部支持にまわった。社会党からは最右派である新政策研の左近らの八名が海部支持を貫き、デモクラッツの大勢はこれまた最終的に村山支持にまわった。さきがけ・青雲・民主の風グループからは、さきがけの石田勝之が海部に投じた。
 結果として、小沢・市川ラインが命運を託した自社両党からの引き抜き路線は、一部成功したものの、反対に自社両党の反一・一ラインの結束を生み出し、新保守主義に対抗するハト派結束という図式を演出してしまったのである。
 小沢はこうして十一カ月の間に細川、羽田、渡辺、海部というすべての持ち札を使いきりつつ、敗北に終わった。
 
 小沢の敗北
 
 自社両党が小沢による切り崩しの脅威に揺さぶられることから、揺さぶりを見切る覚悟に転じたからこそ、薄氷を踏む思いではあれ、反小沢統一戦線に踏み切ることが可能になった。
 小沢路線、通例「新保守主義」と称される「普通の国家」論は、いっさいの虚飾をはぎとれば、アメリカの最も忠実かつ信頼できる、力ある国家をめざすという路線である。
 この路線は、戦前型の超国家主義路線や岸などの自民党右派路線と限りなく区別がつかないということもあと一つの特徴であり、ここに渡辺や中曽根、あるいは早々に更迭された永野などの「国防族」が合流する流れとなるが、同時にその政治的登場が自民党一党支配体制打破という「政治改革」の水路を通じてなされてきたことにマジックの種があった。
 自民党一党支配打破、政権交代可能な二大政党制のための「小選挙区制度導入」という発想が土台にあってはじめて、新保守主義の小沢路線が軸となる新たな連立、新・新政党形成論に現実性が付加されたのである。細川が小沢派へ転じる契機もまた、大統一政党による政権政党化構想に獲得された結果なのである。
 社会党も民社、日本新党も、そして公明党も、新保守主義路線の吟味以前に、自民党に対抗する統一政党形成という「政治改革プラン」に巻き込まれた。
 が、それだけが小沢路線の基盤ではない。「新保守主義主義」は、一方で普通の帝国主義として飛躍させたいという国家主義傾向の願いを満たし、同時に他方でアメリカとの関係を可能な限り良好に持続させたいという日本型多国籍企業集団の意向により添う政治展望を提出するという点で、まさに「新」である。
 産労懇を媒体とする多国籍型資本とその企業連組合が小沢路線にきわめて強い親近感を示し、民間政治臨調の中心的推進者となった理由がここにあり、アメリカ政治において小沢が飛び抜けて期待された理由でもある。
 だが、こうした保守政治および旧革新陣営内部の変容と新たな路線的骨格の形成のシンボルとして小沢が登場したにしても、それはあくまで不安定なシンボルにすぎない。「新保守主義」を掲げることだけでは、保守・革新を貫く新保守構造の内部でのパワーゲームの決着が自動的につくわけではなかった。
 小沢の「新体制」になびく(屈服)か、対決か。小沢は政界全体に以上のように問題を投げ込んでいた。
 派閥横断的な結合に成功したYKK(グループ新世紀)は反小沢・自社連合の推進者であるが、彼らの政治基調もまた「新保守主義」路線である。YKKは小沢への屈服を拒否し、みずからが権力掌握に接近する観点から「ハト派」連合の構図を利用する方針に出た。梶山や佐藤らの「旧宮沢内閣執行部」の工作を支持し、自民党内部の反小沢感情に乗り、社会党内部の「新保守主義」への対抗感情とのブロック化に踏み切ったのである。
 自民党内部における社会党とのブロックに向けた党内工作は、すでにタカ派である元警察官僚の亀井静香が「リベラル政権をつくる会」で活発に動いていたように内務官僚筋が石原らの右派押さえ込みを図っていた。こうした工作へのYKKの参入はとりわけ渡辺、三塚の動きへの牽制となった。
 渡辺、中曽根らの「保保大連合」論が一方では小沢路線への屈服あるいは妥協に映り、他方では強権国家論者連合に映ったがゆえに、自民党の大勢、そして中曽根・渡辺派の大勢は動くことがなかった。
 
 
民間政治臨調の終わり
 
 小沢の敗北はすなわち、「民間政治臨調」路線の威力の終わりである。
 「政治改革」派の大連合という小沢路線のもう一つの性格に依存して、海部という切り札を引き出しても勝利できなかった。新保守主義と政治改革の二面性が明らかにかい離し始めたことの結果である。
 亀井という住友出身の多国籍型資本の代表、産労懇を通じてそれと公式につながる連合の組合官僚、多くの政治評論家やマスコミ各社の政治部代表などの連携。
 この力は、とりわけ巨大マスコミの媒体メディアをフルに駆使した点で圧倒的であった。その力が消えてなくなったわけでもなく、また逆に一枚岩的であったわけでもない。
 が、しかしこの強大な結合が「敗北」するとは日本政治の総保守化構想の「仕掛人たち」にとって予想もできないことだったに違いない。政治評論家の多数は明らかに「勝ち馬」に乗ろうとした。
 この流れの合言葉は二つである。
 自社両党は守旧派であり、五五年体制論者である。小選挙区制度に反対するものは政治改革に反対するものである。こうした図式が巨大マスコミから流され続くとすれば、世論形成誘導はいかにも容易である、と彼らは信じたに違いない。そして一定程度、成功したのである。巨大マスコミが政治方向誘導にみずから積極参入したという民間政治臨調のあり方は、戦前の近衛「新体制」つくりに動いた方式の踏襲であろうし、その巨大な影響力を意識して動いたマスコミの大勢は、強く指弾されるべきものだ。
 だが民間政治臨調の形成が、小沢の権力掌握支持と表裏一体であったということもできなかった。
 国家主義的部分から穏健リベラル的部分までを同床異夢的に包摂した政治臨調の最低の合意は、選挙制度の改廃、すなわち小選挙区制度の何らかの形の導入にあった。しかし小沢路線的な「新保守主義」に関して、その路線支持が主流傾向であったにしても、政治臨調としての総体的合意は基本的にはなかった。朝日新聞の論調を追えばそのように見えてくる。
 マスコミでいえば、最も強力に小沢路線を推進したのが読売・日本テレビとフジ産経グループということになる。比較冷静で一定の距離をおいていたのが日経であり、朝日系、毎日系は一枚岩的とはいえなかった。
 政治臨調の左右両派を貫いた合意事項が、いわゆる自民党一党支配へのくさびということである以上、連立時代への突入、さらには自社連立という予想外の出来事は、皮肉なことだが政治臨調本来の目的あるいは名分が、意図せざる方法と姿で達成されてしまったことを意味する。とすれば、小沢的新保守主義推進の舞台回しを続ける必要はもはやない。
 民間政治臨調の合意は、そこから派生する新保守主義と小沢独裁権力形成をめぐる紛糾によって逆規定され、内部的亀裂を深めつつ実質的な終わりを迎えることになる。そして合意の共通枠であった小選挙区制度の命運も確定されたとはいいがたいままにある。
   
連合政治の分裂
 

 民間政治臨調のあと一つの主役であった連合は、村山政権誕生の土壇場で大きく分裂した。その後遺症は深く、いまだ修復される様子は見られない。
 連立復帰路線をひた走った連合は、総力をあげたにもかかわらず、村山首班というウルトラCで混乱の極に陥った。村山の出身母体である自治労が最初に村山首班推進に転換したことによって、多国籍型企業連組合の主導が崩れたのである。旧総評系官公労の二大組織である自治労と日教組が村山首班支持を明確にし、私鉄が呼応している。中間に位置するのは全逓で、郵政省と新生党との癒着関係に加わってきた関係上、全逓出身の大出が大臣に就任したとしても困惑し、そうして金属労協系列は電機労連を先頭に怒りがおさまる様相にはない。しかし同時に連立復帰積極推進の先頭に立ってきた山岸の全電通は、態度表明に慎重に構えているようである。自社連立派から、NTT分割見送りの話があったともいわれる。
 輸出産業企業労組と国内産業型労組の対立の構図であるが、新保守主義か否かの対抗図式をも反映しているところに、この両者の判断の違いが底の浅いものではないことになりそうである。
 連合は、第一に民社と社会の分離を解消し、同時に政権党への復帰を望んだ。これは連合傘下組合にほぼ共通する意向であったが、輸出型企業連組合は小沢的新保守主義との接点を強め、むしろ積極的推進路線に傾斜していた。
 この点に関しては他の旧総評系労組との温度差があることは当然であった。後者は政権参加のための必要な譲歩と理解しただろう。選択が小沢との連合以外に提示されれば話は変わってくる。久保亘とデモクラッツ多数の判断がここで揺れた。田口健二らの自治労出身デモクラッツ議員のデモクラッツ離脱が赤松らの動きへのブレーキ役となったのである。
 村山・自社さきがけ三党連立政権への距離感の差は、小沢路線を「丸飲み」すべきとするか否かの違いにつながる。電機労連選出議員がすべて海部に投票したことが象徴する。海部個人の政治性がどこにあれ、小沢路線に従属する以外にはないことは明白であった。
 新保守主義に対抗する「ハト派政権」の論理に対して、これら多国籍産業の企業連組合には、明白な敵対的意識をもつ十分な理由があるのである。
 連合政治修復の構図はいまや全く変化してしまった。左派議員を単純に排除することで統一することをねらった今までと違って、左派議員集団は村山政権の一つの基盤となっている。村山政権支持は従って、右派議員集団あるいは連合の一方の主力である金属労協系との亀裂を深める結果になる。
 他方、民社党所属議員の出処進退も難しい。連合参議院(民主改革連合)となればなおのことである。
 早晩、民社や連合参議院が、自社さきがけ連立の村山政権与党へと転換する圧力も現れることになるし、一・一ラインと組んできた米沢が新・新党形成に固執することもある。
 この新たな事態において今後、連合がどこまで統一した政治的立場をとれるか疑問だ。この組織は、突然に、きわめて大きな政治的危機を迎えてしまった。もはや、採用方針は単線的にはなりようがなく、企業連組合が一定程度自制しないかぎり、路線抗争に火がつきかねない局面にある。
 連合の政治基調は、当然にも変化せざるをえないが、その内容は一筋縄ではいかないのである。
 
宙づりの小選挙区制度
 
 小沢マジックの種がつきてしまった。民間政治臨調が命運尽き、連合も路線修復が大変である。公明党と創価学会における市川の命運も定かではない。新生党の内部もきしんでいる。
 小沢個人が独裁的に事を進める時代の終わりの始まりといっていい。
 直接に影響受けるのは、選挙制度である。
自社連立の村山政権の誕生によって中選挙区制度のもとでの早期解散、総選挙の可能性は遠のいた。羽田が総辞職ではなく解散を選んだら話は違ったが、自社両党は現在、みずから早期解散に打って出る雰囲気にはない。
自社さきがけの政権合意では「次期総選挙は新選挙制度の下で実施する」とし、また村山新首相は次期総選挙を新選挙法で行うことが常識的だと明言している。しかし、選挙制度がこのまま小選挙区制度に確定したとも断言できない要素も多い。
「合意」が自民党内部の離党予備群といわれる、いわゆる「改革派」の動向に対する戦術的配慮だったといえないことはなく、「改革派」との決戦に勝利した現在、こうした言明にどこまでの価値がおかれるか、事態は微妙である。
 第一。小選挙区制度導入に直接責任ある後藤田につらなる武村らが、小選挙区制度導入によって「穏健な多党制」が定着すると理解してきたとはとうてい思えない。昨年の細川政権成立以降、武村らには明らかに論調に変化があった。その鍵は小沢との対抗関係の深刻化にあった。
 「穏健な多党制」論は小選挙区制度推進という立場とはいかにも矛盾する論理である。ここから演繹して、「穏健な多党制論」の本音は、小選挙区制度導入の白紙還元論ではないか、という見方が出てきて当然である。こうした環境が、自社さきがけ政権成立で変化するものとなるのかどうか。反小沢という構図の必要性が持続する間、小選挙区制度を確定させてしまうことは得策ではないということになることは大いにありうる。
 小沢か反小沢かという対立構造が顕在化するにつれて、後藤田の論調に微妙な変化が生まれたことも特徴的だ。いわく「次の選挙が小選挙区制で行われるという担保があれば」、中選挙区制度のもとでの解散総選挙もやむをえない、という発言が後藤田から飛び出した。後藤田は自民党が不信任、解散総選挙の戦術を採用することにゴーサインを出した。
 小沢路線か否か、という対立構造が小選挙区制度そのものの命運に影を落とすことになったのだ。
 第二。自社連立が小選挙区制度導入を互いに利益が合致する共同の制度として理解することもまた考えにくい。この両党は現在の関係のままで推移する限り、いかに技術的取引を行ったところで、選挙をめぐって相互に正面から対抗する政治的両極であり続ける。
 自民党YKKからは、将来における新たな再編、すなわち対小沢に勝利したうえでの連立解消・再編の可能性がすでに言及されている。換言すれば、小沢の影があり続ける間は、社会党を必要とすることにほかならない。他方、社会党は単独で小選挙制度のもとで生き延びることができるという可能性は依然としてない。自社連立政権の間に将来の生き残り策を懸命に模索することになる。
 第三。小沢的路線に従属した旧連立与党の統一会派構想、非自民の新・新党構想がなおも持続するとすれば、その鍵は小選挙区制度のもとにおける選挙協力以外にはない。
 この「必然化されたコース」から逃れることを考えれば、そもそもの原点である「小選挙区制度」の再検討という要素が当然浮上してくる。旧連立与党内部においても、日本新党や民社党の内部が揺れ始めているように、新選挙制度と新・新党がすべての結論であるということには必ずしもならない。
 以上の要素は決して無視できないのである。
 自社連立によって、日本政治の総保守化状況への誘導は基本的にはできあがった。民間政治臨調の亀裂は分解となり、自民か非自民かから、小沢か反小沢かへの分岐へと移行した。小沢にとどめをさすことが自社さきがけ政権の共通枠組みとなるであろう。ここでは、小選挙区制度が「政治改革の決め手」というそもそもの前提が揺らぐ。
 すでに自社連立政権は、新たに腐敗防止法や政党法などをからませる方向性を打ち出している。
 自社連立政権は当面、解散総選挙を引き延ばし、来年の参議院選挙を相互取引で乗り切りつつ、なんらかの「打開策」が浮上してくることを待つ態度に出ることになるだろう。
 秋口に新選挙法での早期解散という、細川や小沢が新・新党のために宣伝しているような見通しは、社会党の存在を考えればほとんど可能性はない。さらに村山政権が一定程度安定し、自社さきがけが選挙戦を闘えるまでの支持率を獲得する時間的余裕も必要なはずだ。
 すなわち、小選挙区制度は宙づりのままであり、中選挙区手直しの基本方向は変わらないとしても、現行成立のままで確定するともいいきれない。政界再編の第三幕のなかで命運が決せられていくことになる。
 
村山政権と政治再編の第三幕

 自社さきがけ連立発足に対しての民衆のとまどいは大きい。また、これら両党の組織構成上、中央段階での連立が地方段階で矛盾する事態がほとんどである。
 また視点を違えれば、「反小沢統一戦線」によって社会党は村山政権の下で決定的な変質過程に入り、この党を中心にした「革新的な広がり」の政治性が根本的に変化することになることも明らかである。
 いわゆる「自由主義陣営の一翼」として村山政権が行動することになる以上、この党を基軸にする「革新陣営」もブルジョアリベラリズム政党化への道を否応なしに歩むことになる。結果としては、小沢的なねらいとは別の形で社会党の解党、保守政党への吸収になる可能性も少なくはない。あるいは、新保守主義に対抗する「社民リベラル」政党として、二極のあと一つの主役へと「転生・再生」するという道も皆無ともいえない。
 自社さきがけ政権を通じても、「連立の時代」がしばらくは持続し、政治流動と再編がその組み合わせをいろいろに違えて浮上し、解体するであろう。
 また、連合政治にかげりが生じたことによる労働戦線への影響も少なくはないはずだ。連合形成と成立展開という過去十年余の労働運動の過程も大きく変動することも考えられる。
 明白なことは、民間政治臨調と連合の政治的しかけ、それは中曽根時代の「戦後政治の総決算」路線の体現だが、その構造が一定の役割を終え、転換期を迎えたという事実である。
 村山政権を支える中軸に社会党左派が座る事態は、この党が全体として「自然に」現実路線に転換することを意味するのである。
 いずれにせよ、五五年体制的社会党のそのままの延長ではありえず、社会党を基軸とした革新的な政治的広がりが決定的な影響を受けることは間違いない。換言すれば、今後おそらく市民運動や左派運動が、暗黙的にその政治的な利用の対象に社会党を据えるということが続かなくなるだろうということである。
 こうした社会党の今後に対応するに、政権政党の論理に呼応し、その「現実化」とともに進み、政策展開過程に介入し影響力を行使しようとするか、それとも新たな革新政党形成の道を独立的に展望しようとするか、という選択が生まれてくることも必然だろう。
 すなわち反小沢統一戦線による自民党丸抱えの村山政権が、「よりましな政権」なのか意見が分かれるところとなる。
 非自民党の細川・羽田連立政権が「よりましな政権」として民衆の高率の支持を受けたが、その内実が「新保守主義」の完遂にあることが明らかになり、政権の分解が進行したように、自社さきがけ政権が強権的国家主義の小沢との対抗を掲げ、「ハト派」政権として登場したとしても、そうした性格が確定した力関係によって支えられているとはいえない。自民党タカ派や新保守主義論者が一方の支えとなってできた政権である。
 「よりましな政権」という概念を認めるとすれば、あるいは現在までの惰性に従って、代理人としての「社会党」支持運動を続けるとすれば、矛盾は限りなく深まる。
 そうした意味で、始まった再編劇の第三幕こそは、必然的に市民派、左派が否応なく本格的にみずからの独立した政治表現の装置を準備しなければならない時期となるのである。
 それは社会党の左派、もしくは護憲派分裂を直接に引き金にする「新党」形成という技術的立論とは区別された市民派、左派の政治的自己形成の水路を厳しく要求するものとなるのである。
 (七月七日) 
立川市議選
           島田さん返り咲く
           届いた改憲阻止の声
 六月十九日投票の東京・立川市議会選挙で島田清作さん(革新無所属、前回落選)が七回目の当選を果たした。三十四人中二十五位、得票数は一千四百四十六だった。今回の立川市議選は、定数が前回より二議席減の三十四に対し四十四人が立候補という、過去五回の選挙で最も激しいものであった。
 結果は、青木市長の与党、自民、公明、民社の候補が全員当選、社会党は現職四人が全員落選、また共産党は六人全員が当選、日本新党も議席を確保した。こうした状況にあって、前回の敗北とブランクを乗り越えて草の根市民派の島田さんが勝利した意義はきわめて大きい。
 島田陣営の訴えは「見すごされ かき消されそうな声とどけ」「ゆるすな改憲! つくろうともに生きる町」のスローガンに象徴されていた。実際の運動では、告示前に有権者十二万に対し延べ十万枚以上のチラシ、ニュースを戸別配布し、島田さん自身も早朝から街頭演説、対話活動を行った。車イスの障害者である支援者は、一人で一万三千枚のニュースを三日間でまききった。告示後も市民の注目を集める積極的な活動を行い、これまでにないやる気とムードを印象づけた。
 また、相次ぐ在日朝鮮人への差別、いやがらせに対しては、朝鮮学校生徒の利用する駅頭で差別を許さないことを訴える激励行動を行った。
 選挙には、内田雅敏弁護士、井上スズ国立市議、柳谷あき子藤沢市議、府中の三宮さん、町田市の吉崎洋子さん、橋本文子日野市議、宮本なおみさんらが駆けつけた。最終日には、國弘正雄参院議員、遠藤洋一福生市議、岩本英二上福岡市議も応援に駆けつけ、ムードは最高潮に。
 島田さんの勝利は、統一地方選や市民新党形成への大きなステップとなった。

スーザン・ファルーディ著
バックラッシュ 逆襲される女たち

新潮社一九九四年四月発行 訳者 伊藤由紀子、加藤真樹子


緊張に満ちたアメリカの意識世界

 私がいつも利用している小さな市立図書館に新刊コーナーがあって、そこにある図書は誰もまだ借りたことがないので好んで探索の対象としている。五月末に本を返しに行った際にいつものようにのぞくと本書があった。新潮社が出している雑誌「波」の四月号に上野千鶴子・江原由美子(敬称略、以下同)による「対談 すべてはフェミニズムのせい?」(これは本書序章の表題と同じ)が掲載されていて、それを読んでいたためか、気になって借りて読んだ。
 二人がその対談で本書をどのように説明しているか、そのいくつかを紹介する。
 「上野 ファルーディさんはこの本で、本当に執念というほどの思いで、フェミニズムをスケープゴートにする様々な言説に対して、現実は違うんだ、現実はフェミニズムが原因なのではなくて、性差別やアメリカ社会のストレスが問題なんだって、克明に火の粉を払う作業をやっている」
 「江原 ブルーカラーの職に女性が進出していったときの嫌がらせについては、興味をひかれましたね」
 「江原 数字がこれだけ影響力をもつというのもアメリカ的だよね。……
 上野 そういうデータをマスメディアがうまく利用していっているんだと思う。アメリカの政策決定もそうしたデータで動いてきている。でもデータは自分の都合のいい方向に誘導できますからね。
 江原 社会史的な側面からも読むことが出来るよね。アメリカの八〇年代の家族や女性を巡る言説の変動を追っているという意味でも。フェミニズムそのものはアメリカと日本では随分違うけれど、にもかかわらずフェミニズムに対しての威嚇のやり口があまりにも似ていることには驚きましたね。
 上野 この本の結論は、いささかの留保をつけても、共通点が多いですね」

膨大かつ克明な反論

 カバーは本書を次のように紹介している。
 「バックラッシュ――。それは反撃であり、逆襲である。
 ピュリッツア賞受賞の女性ジャーナリスト、スーザン・ファルーディが本書を著わして以来、「バックラッシュ」は女性問題を語るのにかかせない言葉となった。マスコミによって流される「ニュース」や、操作された統計資料、ハリウッド映画、テレビ、ファッション、美容産業を通じて流される情報。その底にはねじ曲げられ、意図された、女性への「メッセージ」が隠されていた! キャリア・ウーマンの結婚難や不妊の増加を誤った資料をもとに伝え、社会を撹乱し、「フェミニズム」こそ女性の敵だと訴えるのは、一体だれなのだろうか」
 訳者の一人は、本書を次のように説明する。
 「(原書は)五五二ページの大作です。八〇年代のメディアが流してきたトレンドを反証するために、何人かの専属リサーチャーを使って、四年にも及ぶ資料調査をした結果が詰まっています。……本文中に実にたくさんの引用が出てくる。原書にはなんと八〇ページにも及ぶ出典の注釈が出てくる」
 著者を本書のカバーは次のように紹介する。
 「スーザン・ファルーディはハーバード大学を卒業した、現在三五歳の女性ジャーナリスト。「ウォール・ストリート・ジャーナル」等で精力的に記事を発表している。大手スーパーマーケットのルポルタージュでピュリッツア賞を獲得。今後の活躍が期待される」
 現在の年齢から考えると、著者自身が二〇代に体験した時代を研究の対象にしたことになる。本書を読みはじめたとたんに感じるのは、「八〇年代のメディアが流してきたトレンドを反証するために、何人かの専属リサーチャーを使って、四年にも及ぶ資料調査をした結果が詰まっています」と、訳者が紹介している内容の重みである。一九八〇年代に何がメディアによって流布されたのか、まずはその点に関する資料の収集からはじめたのであろうが、それだけでも実に膨大な作業である。
 そして、その一つひとつに、これもまた実に丹念に反証のための資料を集め、論点の一つひとつに克明に反論していく。
 本書の最初のほうに出てくる例を紹介しよう。
 「一九八七年、マスコミは二人の社会科学者の研究を取り上げた。一人は女性の自立に理解を示し、もう一人は批判的な姿勢を示していた。
 まず支援派としては『ハイト・リポート』でお馴染みのシール・ハイト。……ハイトは、男女関係とセクシュアリティに関する全国調査の最新版を出版したばかりだった。……それによると、五分の四の女性が、家庭においても権利と尊厳のためにいまだ戦わねばならないと回答しており、本当に平等の扱いを受けていると感じている女性はわずか20%しかいない。……結局、女性の悩みや絶望は、男性が相変わらず女性と平等に扱っていないことによる、というのがこのリポートの結論だ」
そして、これに対するマスコミの対応を紹介する。
「しかしながら、『ニューズウィーク』が焦点を当てたのは……調査の本題とは無関係な、ハイトへの個人攻撃に終始した」として、その実例を紹介する。他のいくつかのマスコミの対応も例としてあげられる。そしてハイトの本の内容を具体的に紹介し、「こうした私的なリポートから、ハイトは女たちが男女関係、結婚、一夫一婦制などをどう捉えているかをデータにして示している。マスコミはこうしたデータを男叩き、あるいは男を脅かすものと捉えるが、これはちょうど、反フェミニズム、いわゆるバックラッシュが女たちの積極性に対し、いかに簡単に過剰反応を起こすかを端的に物語っている」。
これとは正反対に女性の自立に批判的な社会科学者へのマスコミの対応が続いて紹介される。この場合は、マスコミに対してだけでなく、その社会科学者に対する反論でもあるので、さらに克明な分析となっている。

統計の本質 マスコミの犯罪

本書は「八〇年代は、いわゆる「統計」から導かれた「諸説」が多くの女性を不安に陥れた時代だ」という言葉ではじまっている。
前述の克明な分析の中で、著者はマスコミがいかに統計をみずからが有する結論に合わせて勝手気ままに利用するかを述べている。一例の分析を終えた著者の一つの結論は次のようになっている。
「大々的に宣伝されている統計は、よほど注意して読まなければならないことがわかる。統計が真実を伝えているのでなく、メディアがその思惑にぴったり合った統計を取り上げて宣伝するから、あたかも真実であるかのように共通認識されてしまうのだ」
「バックラッシュ勢力の結束が強まるにつれ、統計、特に女性に関連した統計はもはや社会のバロメーターとして機能しなくなってしまった。その代わりに、統計が女性の社会生活の規範として機能するようになったのだ。……その証拠に、レーガン政権になって以来、国勢調査局の調査員たちは女性の自立に対抗するデータを作るようプレッシャーをかけられていた、と述べている」
ここでも、統計調査に関する実例が紹介されている。そしてマスコミの統計利用の実際が明らかにされる。
「男不足 結婚意識調査の実情」では、マスコミの側からみた「統計」の実情を具体的に紹介する。
「アメリカでは、結婚に関するニュースはどんな媒体でも率先して取り上げる」とした上で、一九八六年のバレンタイン・デーの頃の出来事が対象である。カリフォルニア州のアドボケート紙で記者が「花やチョコレートを買物中の男性数人にインタビュー。その後イェール大学の社会学部に電話をいれ」ベネットという社会学者から「まだ完成したわけではないと念を押した上で、例えば、大卒女性の場合には学問やキャリアを優先するあまり、結婚難に直面するといった調査結果を教えた。「高学歴女性は結婚市場に参入し損なう」というわけだ。
アドボケート紙は一面にこの記事をもってきた。AP通信はこの情報をいち早くキャッチし、全米、さらに全世界にニュースを送信。ベネットは早速、オーストラリアから電話取材を受けることになった」
この調査の問題点を指摘し、さらに「二名の国勢調査局研究員は、ベネット(ら)の寄稿に対し反論を書いているが、結局、掲載されず終いだった。上層部がこれを差し押さえていたのだ」
こうした調子でパート2では、メディア、映画、ファッション業界、美容整形などの世界が分析の対象となる。
 こうした内容を読み進むと、本紙前号で紹介したこととを想起せざるを得ない。「情報化社会といわれる現代社会の中では、科学情報を含め正確な情報伝達はほとんど行われていない」としたうえで、「原論文の内容と一般に流通している科学情報の内容とがひどくかい離しているのにすぐ気がつく。……そもそも現代社会は、そういう(かい離の)構造を内包している」(「地球環境問題とは何か」米本昌平著)と、著者は結論していた。このかい離の構造は科学技術の分野だけに限られるはずもない。

著者の結び

 原書の副題は「アメリカ女性に対する宣戦布告なき戦争」である。そして、アメリカでは女性が自己決定の権利を拡大する(あるいはそう見えた場合)ごとにバックラッシュが繰り返されてきたと主張する。それにもかかわらずアメリカの女性たちは、と次のようにエピローグを書いている。
 「八〇年代は、フェミニズムに対するバックラッシュが女性の進歩を阻んだ時代だ。ニューライトからの攻撃、レーガン政権下での法律の後退、企業の厚い壁、はたまた、マスコミやハリウッド映画が作りだす神話、広告業界が打ち出す「ネオ・トラディショナル」路線の宣伝など、一連の反フェミニズム・キャンペーンが女性の進出がこれ以上進むのを防ごうとした時代だ。しかし、こうしたバックラッシュの横槍にもかかわらず、女性が降参することのなかった時代でもある」
 「バックラッシュは、さまざまな媒体を通じてフェミニズムを非難し、女たちの心の中にまんまと忍び込んだ。しかし、工場労働者のジャン・キングの言う「心のどこかでいつも聞こえる小さな声」まで消すことはできなかった。自分のことは自分で決めたいというつぶやきだ。いつだって、この声が今にも負けそうな女たちを再び奮い立たせてきた」
 「それぞれの女性がそれぞれのやり方で壁に挑んできたが、この決意だけは共通している。思想的な違いがあろうと、住む世界が違っていようとも、女性たちはこの抵抗の意思という意図で一つに結ばれてきたのだ」
 「バックラッシュの壁は取り除かなくては意味がない。いつも逆らっているだけでは何にもならないのだ。そのために必要なことは、個人的な不平を述べることでも、個人的に目的を定め、それに向かって個別に努力することでもない。それ以上の武装が必要なのだ。女たちに一人で戦うことを勧めるのは、罠に落しめんとする陰謀であり、行き着くところは敗北でしかない」
 「個人的な取り組み以上の武装とは何か。率直な行動計画と一般大衆の支持、それに徹底した説得力だ。この三条件が揃うことはめったにないのだが、揃えさえすれば、女性は効果的に抵抗できるはずなのだ。過去の例がそれを示している」
 訳者(伊藤由紀子)もあとがきで次のように日本の状況と対比しつつ述べている。
 「日本ではフェミニズム勢力の拡大以前に、日常的にバックラッシュ状態にあると言っても過言ではないでしょう。女性の躍進が進めば進むほど、その反動としてフェミニズム叩きがますます巧妙、かつ熾烈になっていくことは、この本を見ても明らかです。しかし、どんな反動が起きるにせよ、女性たちが固持すべき原点はいつでも自分のことは自分で決定する自己決定の権利です。これは決してわがままとか、利己主義といった個人的レベルの問題ではなく、国や人種、性別や障害のあるなしにかかわらず、おしなべて尊重されるべき性質の権利であることを、この本を通じて読者の皆さんと改めて確認し合うことができればいいなと、心から願っています」
(六月末 高山 徹)

資料 欧州議会選挙アピール

ヨーロッパの連帯を求めて


 第四インターナショナルヨーロッパ各国支部


 以下のアピールは、欧州議会選挙に向けたものであり、文末にアピールに署名した組織、潮流の名称を掲載している。

欧州同盟反対

■ 平和と連帯にもとづく社会主義的で、エコロジカルな民主的かつ対等な欧州を。□
 前回の欧州議会選挙は一九八九年に行われた。当時、多くのヨーロッパブルジョアジーは勝利の陶酔感に酔いしれていた。一九九三年一月一日からと設定されていた欧州単一市場の創設は、数百万の雇用を実現し、経済危機からの脱出口となるだろう、といわれたものだ。また、これを通じて、ヨーロッパが世界資本主義経済秩序の中でアメリカと日本という競争者と十分対抗できるようになるだろう、ともいわれた。
 それから五年たった現在、評価は一致している。すなわち、計画は危機の渦中にあり、当初の目的の実現に失敗した、と。一九九三年は暗黒の年であった。
 ヨーロッパ自身に関する最近の二つの数字は、人的ならびに経済的に悲惨な状況を端的に物語っている。二千万人の失業者(これは公式の数字であり、統計のとりかたの問題があるので、実態はこれを倍するものであろう)と五千万人の貧困者、という二つの数字である。
 ヨーロッパ統一に関していえば、事実上、停止している。一方では、その制度をめぐるゲームを通じて、欧州同盟の真の姿がすべての人々に明らかになってしまった。それは、労働者、女性、青年の希望に応えるものどころか、単一の巨大市場、単一の巨大銀行、単一の巨大権力をめざすものである。欧州同盟は、福祉国家の解体と帝国主義の要塞構築を意味するのだ。それは、加盟各国の労働者や青年に対する戦争を行い、日本とアメリカへの経済戦争を行い、そして第三世界に対する全面戦争を行っているのである。
 このヨーロッパは、われわれのヨーロッパではない。われわれがこれと闘うのは、自己中心的な民族主義の立場からでなく、エコロジカルで民主的かつ対等な、そして平和と連帯にもとづく欧州をめざす立場からである。現在の欧州同盟に反対する闘いは、資本主義を別の社会、すなわち社会主義社会に変革するための闘いの一環である。われわれがめざすのは、労働現場が主体となり、人々の自由な共同体であるヨーロッパであり、東の世界に開かれ、南の人々と連帯するヨーロッパである。
 欧州同盟の危機ならびに複数の国で進行している社会的再編による危機は、われわれのヨーロッパをめざす闘いを現実の課題に押し上げている。この課題のための闘争の発展は、現存する国家機構(国民国家であれ、ヨーロッパ国家であれ)を通じてではなく、労働者、女性、青年の大衆行動を通じて達成される。それは、ヨーロッパ規模の労働者階級および社会運動の構築と強化とを必要とする。それはまた、社会民主主義と共産党が労働者階級運動に植え付けた間違った路線との根本的な決別を要求する。
 第四インターナショナルとその所属組織は、それぞれの国に最も適した方法で、そしてヨーロッパ全体の要求に適合する政治綱領を提出して、この過程に貢献したいと考える。
社会主義的なヨーロッパを

■ 失業をなくせ。□
 数百万の失業者や労働市場から排除された人々は、人間にとって大問題であり、各国政府の決定的な弱点であり、社会的なエネルギーと創造力の浪費である。加えて、大量失業は長年続いており、反撃の闘いを組織する上で大きな障害になっている。それはまた、労働運動全体にとっても一つの危険な要素である。
 ブルジョアジーは、経済的ならびに技術的な理由によって近い将来に完全雇用が実現することはありえない、と主張している。社会民主主義や環境運動の一部では、同じ歌が歌われている。
 しかし、これは完全な間違いだ。
 社会的に有益で、環境面でも正当な数百万の雇用の創出は可能だ。その方法は、「西側世界」八億人の市場をめぐる四百の多国籍企業間の競争に終止符を打ち、利潤論理とは異なる原則にそって経済を再組織することである。つまりヨーロッパ各国の社会的要求と全世界で困窮状態にある約二十億の人々との社会的な要求――食料、水、土地、基本となる社会的生産基盤、健康、教育、都市改革と住宅、公共交通、再生可能なエネルギー資源の開発、通信など――に応えることである。このためには、ヨーロッパ規模で公共部門を再生し、機能不全に陥っている民間部門を公的部門で置き換える必要がある。
 ヨーロッパの衰退を停止させることは、東ならびに南との協力を意味している。これはすなわち、連帯を基礎とする全体的な計画を、地球規模での文明化の復活を意味している。
われわれは、大量失業問題に関連して週労働時間の即時削減を要求する――週三十五時間に、しかも賃金の低下なしに。このためには、ヨーロッパ規模で各国および企業の大幅な赤字に対する財政支援が必要である。これは、大資産と金融資本の利益に対する課税による「構造基金」を設立し、そこから補償金を支払う。このためには、労働者ならびに公的権威による管理が明らかに必要だ。この措置は、生産性が高い国では週三十二から三十時間労働への移行の闘いを前進させ、労働と生活の社会的内容の再編を伴うであろう。
さらに、女性のための同一労働同一賃金を追求し、反動的な家族政策に反対し、個人の確立と社会保障分野での平等を追求する。また、児童保育の質を全面的に改善する。
社会保障制度、衛生基準、労働条件などを現在の高い国の水準に上方に一致させよ。
青年のために。自由に学ぶ権利と差別あるいは監督なしの雇用を保障せよ。
欧州同盟各国での最低賃金と最低失業保険の保障。
欧州同盟各国での法的な労働組合権、スト権、労働現場の代表権、労働協約締結権の承認、国境を超えた労働委員会の設置。

エコロジカルなヨーロッパを

■ 未来の地球を危機に追いやる政策の中止。環境にかかるコストや自然の循環、社会的必要を考慮しない利潤競争の中止。□
 環境基準および消費者保護の基準を現在の高い国の水準に上方に一致させよ。
 再生可能なエネルギーの開発を基礎とする政策を。
 公共性のある交通、通信、エネルギー政策を。これらの政策は、市場論理に束縛されず、消費者の要求を慎重に配慮し、環境を尊重するものでなければならない。
 殺虫剤、除草剤、化学肥料の大量使用をやめる方向に誘導する農業政策を。

市民のヨーロッパを

■ すべての分野で平等な諸権利を要求する。□
 あらゆる形態の民族純化、人種差別主義、外国人排斥に反対する。
 欧州同盟外からの移民者へ投票権、立候補権を含む平等な権利を。
 ジュネーブ会議で認められた広義の意味での避難権を。
 欧州同盟内部での運動の自由を。
 女性へ社会的、市民的に対等な権利を。女性に同等を。すべての選出される公的(国家)機構役職で男女平等な代表を。
 文化、宗教、民族、政治、思想での民主的な権利を。
 人々の自決権と少数民族の民主的権利の承認を。
 人民のヨーロッパ連合を。

連帯を基礎とするヨーロッパを

■ 南と東の人々を脅かす人間にとって破滅的な行為をただちに中止せよ。□
 欧州同盟が指向しているボスニアの民族純化策反対。
 南と東の諸国の債務を無条件で帳消しにし、国際通貨基金(IMF)や世界銀行による「構造調整」をやめよ。
 IMFと世銀が押し付ける市場論理と決別しよう。人間性にかかわるすべての重大問題――戦争と平和、地球の未来、経済および環境と両立する開発や交通体系、通信、文化――は、公開で議論し、国連総会で決定すべきだ。
 住民の社会的必要を基礎とする双方向の貿易と開発契約を。それは、NGO(非政府組織)と共同し、現地の条件に最も適合し、無制限の競争を許さずに、利潤論理に反対し、南諸国が世界市場に容易に参入できるものでなければならない。

平和のヨーロッパを

■ 非武装ヨーロッパのために闘う。□
 核兵器と核装備部隊を廃止し、弾圧や恐怖支配のためのすべての軍事組織(急速展開軍や準軍隊組織など)を廃止せよ。
 軍事予算の大幅削減。
 ヨーロッパ軍反対、「フランス・ドイツ統合軍」とUEOを解体せよ。NATO(北大西洋条約機構)軍から撤退せよ。
 米軍は撤退せよ。在欧米軍基地解体。地中海、北大西洋、バルト海から米艦隊は撤退せよ。

 ヨーロッパは、人々の背後で秘密に構築されるものではない。民主的かつ社会的な闘争は、欧州同盟とその現在の諸制度、大資本に反対するものである。われわれは、「下から構築」されるヨーロッパをめざす。このことは、労働組合、反人種差別・反ファシスト、フェミニスト、第三世界連帯などの様々な社会運動間のヨーロッパ規模ネットワークを強化することを意味している。
 この点で、労働組合運動の役割が特に重要である。労働組合が、経済各部門や多国籍企業の労働者間での協働・連帯を組織する役割を担っているからである。また、反失業、労働時間の大幅短縮、マーストヒリト基準に反対する運動などの共通の運動を組織する役割も担っているからである。
 あまりに遅くならないうちに社会民主主義や共産党にとって代わる強力な左翼の政治勢力を必要としている。それは、ヨーロッパ規模の勢力で、ラジカル左翼とエコロジー潮流内部のラジカルな傾向とが結集するものである。この新しい政治勢力と路線なくしては、社会的不公正や失業や悲惨、人種差別主義、軍国主義と闘っている労働者、女性、青年――どの国家、民族に所属するかを問わず――の闘争に未来はない。
 われわれは、全力をあげて新しい政治勢力の構築に取り組む。

 以下の第四インターナショナルヨーロッパ支部が署名した。
社会労働党(SAP/POS、ベルギー)
社会労働党(SAP、デンマーク)
革命的共産主義者同盟(LCR、フランス)
社会労働党(SAP、オランダ)
革命的社会主義者同盟(PSR、ポルトガル)
社会党(SP、スウェーデン)
イタリアの第四インターナショナル誌バンディアラ・ロッサ編集部
(インターナショナル・ビューポイント誌256、五月号)