1990年2月10日         労働者の力             第6号

社会党、共産党に投票を

保守・中道の道か、自民党政府打倒か

自民党政府を倒せ 社会党を中心とする政府をつくれ

 自民党の過半数割れかどうかが国際的にも注目される中で闘われている総選挙は、自民党の獲得議席数の多少の変動にもかかわらず、政治状況の重大な変化の号令となるであろう。自民党政府体制を保障し、政・財・官・労を貫いて挙国一致的イデオロギー状況を導いてきた日本資茶主義は、いまその絶頂期にあるかのようである。だが、すでに多方面において陰りと歪み、矛盾が増大してきていることを昨年の参議院選挙が示した。世界情勢の歴史的変動の中で、自民党政府体制が直面している危機状況はさらに深化するであろうし、そのもとに成立した挙国一致状況の解体も速度を早めるだろう。「自民党政府を倒せ。社会党中心とする政府をつくれ。社会党、共産党に投票せよ」の基本スローガンのもと、九〇年代の新たな労働者党形成のために闘い抜こう。

(一)

 自民党は、二百億とも三百億ともいわれる巨額の政治資金をそれぞれの産業界に直接に働きかけるという、これまでのルールを破ってかき集め、衆院解散に打って出た。消費税、リクルート、そして農業切捨てに対する厳しい人民の指弾を受けて参院選で大惨敗を喫した自民党は、政治改革のかけ声などのとりつくろい策もあっさりと投げ捨て、大資本に巨額の資金調達を強要し、まさに金権を振りかざした選挙に突入した。
 自党の立場、本音を覆い隠し反対党の揚げ足とりをのみ目的とした戦術に終始してきたこと自体が、この党の政治体系の行き詰まりとその結果による政治的退廃の深化を物語る。残された手段は、派閥連合の力学と「野党」の取り込みという議会内政治の手練手管である。
 「救世主」として擬せられているのは公明党である。竹下と石田の密約関係が成立しているとする見解には相当に有力な材料が揃っている。公明党はこの間、最初に中道勢力論、ついで社公民解消論を打ち出してきた。
 われわれは、参院選を「自公民」路線の敗北と総括した。社会党、すなわち土井社会党の「一人勝ち」の現象は、まさに日本資本主義の直面した国際的な矛盾が自民党政府体制の矛盾として表現されたことにほかならなかった。公民両党の「敗北」の原因は、技術的手直しで克服しうるようななまやさしいものではない。自公民路線からの離脱のみが、この両党の未来に――未来があるとすれば――いくばくかの可能性を与えるであろう。
 だが、両党は社会党への吸収、党の消滅の可能性を最も恐れた。自公民路線の新たなバリエーションの道に立ち戻ることが、両党、とりわけ公明党の選択になった。公明党は、その党内に、宗教政党としてあらためて自己の基盤を確認し、社公民ではない、保守中道政権を展望する生き残り戦略に傾斜する傾向を増大させた。

(二)

 社公民路線の定着のために、社会党は衆院選で勝つべきではないというに等しい石橋の意見書は、土井執行部に対する足の引っ張りをも意識した、左派排除貫徹をもくろむ党内右派主流の「理論」となった。この理論は実践的には、複数候補擁立をめぐる左右抗争の姿をとった。複数擁立は、右派主流系列によって独占される傾向にあった候補者問題に左派の介入する余地を与えたからである。
 兵庫一区での警察導入に至る事態、そして京都での除名騒動などは、政構研急進派の意思のはっきりした表明である。党内闘争の貫徹と左派の放逐が社公民路線実現の前提であるとの立場が、ここに全面的に表現されている。
 だが、政構研の判断には重大な誤認がある。今や、自公民路線の行き詰まり構造に無批判な「現実路線」では党内闘争に勝利する基盤を持ち得ない。
 社会党内の一部にみる「左右抗争」復活の明らかな徴候は、複数候補擁立という条件とともに、土井社会党を押し上げる力の全国的登場や、国鉄清算事業団労働者の不屈の闘いが最大の原動力ともなった「全労協」があらゆる政構研勢力の妨害にもかかわらず結成されたという情勢を背景としていた。
 われわれは、社会党内の協会派によって構成された左派が八〇年代においてほぼ壊滅的なまでの敗北と解体を進行させた事実を指摘せざるをえない。地域的な勢力として散在している協会派の残存勢力の多くは、「全労協」にも参画しえない半端な抵抗勢力の様相を示している。京都地区を含む全逓協会左派がそうであり、兵庫の社会党一区協の主軸というべき兵庫県職もまたそうである。
 その彼らが、「元気づいた」としても、それは彼らの主体的な一貫した政治展望にもとづく積極的なイニシアチブによるものでないことは明らかな事実であり、今のままでは部分的、エピソード的抵抗に終わるしかないであろう。
 「連合」と政構研は左派排除をさらに徹底する。そのとき、これらの協会派勢力は誰と、どのような運動と結びついて右派と闘うのか。これらの闘いが実を結ぶとすれば、党内政治の狭い領域を越えたときなのだ。
 十分に予測される社会党の変動が、協会派の枠組みをはるかに越える左派総体の再編成、結集によってもたらされることを疑う理由は一つもない。
 社会党党員協として厳然と行動している部分を一方の柱とする「全労協」の闘い、社会党原対協に結合しつつ、その方針を「連合」・政構研勢力と不断に対立させる力となっている各地の反原発闘争勢力などの地域活動、農民の闘い、都市部における市民運動、消費者運動、活性化している女性たちの多様な闘いなどの連携、結合の広がりを土壌とし、東アジアを早晩覆うであろう国際情勢の変動を新たな与件とする「国際国家日本」の進路に主体的に向き合い、日本資本と対抗する――このような展望こそ新たな左派形成のための大枠にほかならない。
 協会派の問題は、日本共産党にも通底している。日本共産党が巨大な歴史変動に直接に巻き込まれ始めていることは、すでに否定しえない事実である。この党もまた九〇年代の「遅くない時期」に、スターリニズム党としての「唯一の前衛論」にもとづくセクト主義の最後の一滴までの解体を迫られよう。
 今日、共産党の労働運動方針がどこまで統一的なものかについて断言することはできない。一方で、都職労などでの「分裂工作」や90春闘での強引な「左派一本化」論にみる「全労協」の分解・吸収の組織戦術が顕在化しているにもかかわらず、他方で社共統一戦線派の頑強な抵抗が随所に垣間見られる。
 以前の時期には、党員をそれなりに動員する力として通用してきた(唯一の)前衛党理論は今や急速に色あせ始めている。しかし、この事実が実態化するには党内の容易ならざる抗争を経過せざるをえないであろう。
 これらのさまざまに派生するあつれきに正面から向い合い、この克服をめざし、より広大な左派の協同を形成しつつ闘い抜くことこそが、総体としての左派に主体的課題、任務として要求されている。
 まさに90衆院選は、九〇年代を切り開こうとするすべての人々にとって、それぞれが八〇年代に強制された不本意な狭い政治領域を越え、戦列を再構築して広大な地平に打って出るための闘いの具体的始まりを告げているのである。

  (三)

最新の世論調査(一月二十九日付『朝日』)は、自民党の「復調」と社会党支持の相対的持続という状況を明らかにしている。農村部における「逆風」が収まっているとも報じられている。さらにリクルート、消費税問題が参院選時と較べて相対的に関心が後退しているともいわれる。
 にもかかわらず、政府体制について、自民党単独政権を望む意見は一八%に過ぎず、自公民連合論を合わせても三六%に過ぎないのである。自公民政府の支持が三分の一でしかないという現状は、すでにこのブロックの政治的衰退がかなりのところまで進行していることを意味している。
 とりわけ、農業政策が象徴するあくどい選挙対策が選挙終了後にはいとも簡単に破棄されるであろう事態を見れば、自民党政府体制、そして自公民の路線が突き当たっている、人民の多数派の安定的支持の解体が後戻りできない姿で進んでいるという、どうにもならない構造的矛盾を克服する展望はないというべきであろう。
 明らかに、日本労農人民の意識は大きな分極化に向けて進みつつある。自民と社会党の対立という基本構造が再び姿を現しつつある。
 大資本の利益を一切の判断基準とした時期は終わったのである。日経連が今回はじめて「自民党支持」を公然と打ち出したことは、彼らの危機意識が深刻なものであることを示した。これは、民社党への企業ぐるみの支持を容認する余地などないという宣言にほかならない。
 「聖域化」された安保・自衛隊問題、農民層の解体を意味する農業開放政策、低賃金と長時間労働を柱とする労働政策、「効率よい低価格のエネルギー」を追求する原発。これらの政策体系は、ただひたすら大資本の「国際競争力」の観点からつくられ、これが多数の人民の意識を支配してきた。
 「軍備増強も……米国との『交際費』、『無駄の効用』などという理屈がいつまで通用するものか」(『朝日』)という時期が到来している。
 「経済摩擦」を「股くぐり」(前掲)するために、農業を「開放」し、安保強化、自衛隊増強、そして非核三原則の空洞化を進める――こうした政治体系を政治的に葬り去るためには、なにが必要か。
 自公民の体系は、少なからず自社公民の挙国一致イデオロギーと重なっている。自公民体系に打撃が加わるほどに、こうした自社公民の挙国一致的イデオロギーが蒙る打撃も拡大していく。すなわち「連合」が象徴する社公民ブロック論のイデオロギーは、大資本の利益の防衛=企業連型大労組の利益の視点に貫かれているからである。自民党政府体制の危機の深化とその崩壊が現実化するほどに、こうした「連合」が大資本の随伴者としての姿勢を公然化することが困難になっていく。これが、消費税必要論、農業開放推進などの方針が「連合」勢力の表面から消えている現実の意味するところである。
 政治の基本軸が、中曽根の行革などに表現された大資本の「専制」から別の位相へと動きはじめている流れをさらに拡大させていくことは、大資本を背景とする諸勢力の力をそぎおとすのである。
旧来の社会党・総評ブロックに代表されてきた、大資本に対抗する労農人民の政治的、政策的力量は、八〇年代に決定的に後退し、総評は分解・解体をとげた。そして一九九〇年という現時点にあって、公民両党の衰退という状況をともなって社会党=土井社会党がいずれの方向に傾斜するかをめぐる新たな政治再編の第二幕が始まった。
 「連合」を象徴とする(自)社公民志向=「現実路線派」の基盤である大資本支配との闘いをさらに拡大し、新たな労農人民の政治的結合――新たな労働者党の展望を切り開く闘いは、社会党、そして同時に共産党の分解と再編を必然的な事態として包摂し、それが左派の強化されたイニシアチブのもとに遂行されるなかで現実の姿をとるであろう。
 その過程をつかみとるためにこそ、自民党政府を倒すことを、すべての労農人民の共通の課題としていく闘いが要求されているのである。
 この総選挙において、自民党政府体制に最終的な打撃を与え、自公ブロック政府などの成立の余地を与えないまでの勝利を社会党に与えることは極めて困難であるとしても、おそらく相当の可能性をもって登場してくるであろう保守・中道政府論を一時の茶番にしてしまう中期的な闘いの始まりを切り開くことは大いに可能である。そのための基盤は成熟しているのである。
 われわれは、あらためて呼びかける。
 自民党政府を倒せ。 
 社会党を中心とする政府をつくれ。
 社会党、共産党に投票せよ。
     (一月末記)
「即位の礼・大嘗祭」反対運動を

本島市長への狙撃弾劾

 政府は、昭和天皇の喪が明けた一月七日の翌日、「即位の礼」の実施要項を検討する即位の礼委員会(委員長、海部首相)を発足させた。即位の礼委員会は一九日、「即位の礼」を十一月十二日(月)、「大嘗祭」を十一月二十二日から二十三日(「勤労感謝の日」)にかけて行うことを決定した。

目白押しの天皇制攻撃

即位の礼準備委員会の段階で「即位の礼」当日は臨時の祝日とし、日付は昭和天皇の「即位の礼」が行われた十日に行うことが固まったと報道されていたが、土曜日ともあわせてより効果的に国民に祝わせるため、月曜日の十二日に変更されたという。
 「即位の礼」は国の行事として総理府予算で支出し、大嘗祭は「皇室行事」として位置づけた上で公的な性格を認め、宮内庁予算から公的行為の支出にあてられる宮廷費を使用するとされている。つまり「大喪」と「葬場殿の儀」の関係を踏襲したものになっている。
 一昨年秋の「下血」以来、日本は「自粛漬け」にされ、「追悼」が強要されたが、昭和天皇の喪明けから、一月十二日の礼宮・川島紀子の「納采の儀」、二十三日の天皇の賢所に「即位の礼」期日奉告の儀、二十五日の神武天皇陵などへの「奉幣の儀」など、今度はうってかわって「奉祝漬け」攻勢が始まった。主なものだけでも、二月八日、アオウミガメの甲に火をいれひび割れの方向で斎田を決める「斎田点定の儀」。二月十一日、「建国記念日」。五月、植樹祭(長崎県)。六月、礼宮・紀子の結婚式。七月、海づくり大会(青森県)。大嘗宮地鎮祭。八月、夏期国体(北九州市)。十月、秋期国体(福岡県)。そして十一月の「奉祝」のクライマックス。
 天皇代替りの前半部分においては、自粛強制のエスカレートが国民生活をも圧迫するという異常な事態の中で、昭和天皇の戦争責任の追及をはじめとして天皇制に対する異議申し立ての運動が戦後四十余年にしてはじめて大衆的に市民運動として盛り上がった。
 これは、天皇制イデオロギーから自立した市民層の拡大を基礎として、反天皇戦線の闘いの蓄積と踏み込みによってつくられた。さらに自粛の行き過ぎという国民的不満と、戦後「象徴天皇制」に移行したとはいえ、昭和天皇自らが戦前の「絶対天皇制」において戦争遂行の最高責任者であったにもかかわらず、なんら戦争責任に言及することなく、「平和愛好者」として逝くことに対する広範な疑義の存在が運動高揚の背景にあった。
 だが天皇代替りの後半部分では、状況が異なってきている。今度は、祝賀といういわば「彼らがやりやすい」ところで進められる。そして「戦争責任」問題を昭和天皇とともに葬り、「戦後象徴天皇制の下で育った」民主的で「クリーン」な新天皇として明仁を押し出してきている。
 すでに昨年一月の「即位後朝見の儀」において明仁は「皆さんとともに憲法を守り」と述べ、またマスコミを通じて「お言葉」の平明化、警備の簡素化、「威厳」よりも「親しみ」、従来の皇室慣例の改善、民主的家庭像が宣伝されている。「天皇制イデオロギー」イコール「戦前型反動への回帰」、「天皇主義」イコール「改憲主義」の従来の固定観念では対応しえない新たな「平成天皇像」を打ち出してきている。
 反天皇制運動は、代替り前半の運動の地平を引き継いで、さらに象徴天皇制そのものを掘り崩す闘いへの深化を求められている。私たちは、「即位の礼・大嘗祭」反対を頂点とする代替り後半の運動を通じて明仁の「憲法にもとづく民主的皇室」の装い新たな天皇制の本質を明らかにして、「象徴天皇制」廃止の闘いを進めていかなければならない。

本島市長狙撃の背景

 「即位の礼・大嘗祭」の日取りが正式に決められる前日の一月十八日、「天皇の戦争責任」発言をした本島長崎市長に右翼の凶弾が打ち込まれた。これに対して野党はもちろんのこと、政府・自民党もテロ非難の合唱に加わった。
 言論の自由が保障された民主主義社会である日本で暴力は許せないという公式発言の裏に、右翼の崇拝と戦争責任を払拭できない昭和天皇に代わって、民主的・平和的ポーズを打ち出した皇室行事が続くだけに、「今回の事件が天皇制に否定的な論議を沸騰させたりしないか」が心配であるという本音があることを隠せない。
 本島長崎市長に対する右翼のテロは、いかに民主的ポーズをとろうとも天皇制が「大嘗祭」によって万世一系の皇位を継承し、大神と一体になることによって成立するかぎり、国家神道と不可分の関係であり、国家神道を信奉する右翼を切り捨てることはできないことを示した。
 「国内最大の右翼団体の連合組織である『全日本愛国者団体会議』九州地区事務局は事件直後、『今回のような軽薄なことは慎むように』との緊急通告を行った」(朝日、一月二十二日)。だが、その後「九州地区二十七団体は二十四日、福岡市で代表者会議を開き、『長崎市長の狙撃を支持する』とテロを容認する統一見解を確認した」(フクニチ、一月二十五日)。彼らによれば、侵略ではなく日本国家自衛のための戦争で、天皇の戦争責任はなく、本島発言は国家、国民への重大問題であり、言論の自由の濫用を戒め、狙撃という超法規的手段もやむを得ないとされる。
 この右翼の論理のうち、最後の項の狙撃という手段を直接とらなかっただけで、テロ非難に加わった自民党が本島市長に対して行ってきたことはまったく違いがないのである。
 天皇の戦争責任に言及した人は、本島市長の他にもたくさんいる。だが自民党の身内からも、この発言が出たことに天皇主義者の危機感はいっそうつのった。右翼狙撃の必要条件はすでに、皇室の存在、自民党、マスコミによってつくられていたのである。

「万世一系」の天皇制

 明仁は「朝見の儀」において昭和天皇が一貫して平和を希求していたと述べ、昨年八月の「即位会見」では昭和天皇の戦争責任について「お答えする立場にない」と発言している。昭和天皇の戦争にまつわる暗い過去を払拭して、クリーンな明仁をきわだたせるというやり方もある。だが、明仁の代になっても、天皇の戦争責任問題は天皇制にとって依然としてアキレス腱である。
 象徴天皇制は戦後、憲法によって新しく立憲君主制としてできたものではまったくない。昭和天皇の戦争責任を曖昧にすることによって、現人神から新憲法の象徴天皇制に移行できた。象徴天皇制は、民主・平和国家日本に基礎をおいて新たに成立しているのではなく、戦争責任を曖昧にすることによって万世一系として成立している。
 であるがゆえに、明仁は、象徴天皇制としての自分を守るために、明治以降の絶対天皇制の果たした役割について口をつぐんで、歴代天皇の文化的役割を強調しなければならない。明仁が少しでも昭和天皇の戦争責任に言及したとたん、象徴天皇制は根元からぐらついてしまうのである。
 政府・自民党はこの間、意識的に現憲法下における政教分離問題に大葬・即位問題を押しとどめてきた。マスコミの「開かれた皇室」大キャンペーンによって、問題点は「大嘗祭」のあり方に限定され、運動の側にも「即位の礼」‖合憲の論理が押しかぶさってきている。すでに「津地鎮祭最高裁判決」によって、宗教的行事であっても、皇室の神道は伝統にもとづく側面が強く特定宗教の布教・宣伝・教化を目的としたものではないとして、「皇室行事」として宮廷費使用を確保している今、「大嘗祭」のみの宗教性を指摘しても無力である。

「象徴天皇制」を撃つ闘いを

 明仁の下、いかに民主的皇室を強調しようとも象徴天皇制にとっても「即位の礼」と「大嘗祭」は一体のものである。国民を動員し、「即位の礼」によって国内外に皇位の継承を宣言し、「大嘗祭」によって天照大神の直々の子、すなわち神になることによってはじめて天皇制は成立する。
 いかに「西欧民主主義」国の王室を装うとも「象徴天皇制」は明仁が「現人神」になるために「神とともに米を食べたり、布団にくるまって寝る」という宗教的行事を一晩中一人でやることによって成立しているのだ。
 日本資本主義は、富の遍在化、差別構造の拡大、他民族の抑圧、国際的あつれきなど、資本の国際化の矛盾に対応する装い新たな明仁「象徴天皇制」を国民統合装置として定着させようとする。歴史性、国際性、生産性段階に対応した「天皇制」のあり方は変化するが、「単一民族の万世一系の皇位の継承性」を抜きにしては、天皇制は成立しえない。この点を徹底的にみすえていかなければならない。
 「象徴天皇制」擁護の共通項の下、総選挙では「即位・大嘗祭」はまったく争点にされていない。礼宮の結婚式をはじめとして、政府、マスコミ、民間からの「奉祝」大動員に抗して、労働現場、地域から「即位・大嘗祭」反対運動をつくりあげ、「象徴天皇制」を撃つ闘いを構築していこう。    (一月末)

紹介――季刊の総合雑誌『窓2』

頭脳を心地よく刺激


 窓社(東京都新宿区)から季刊の総合雑誌『窓』が創刊され、その第二号がさきごろ出された。第二号は特集として「社会主義はどこへ?」を掲載し、きわめて刺激的な内容になっている。ここでは、第二号を中心に『窓』を紹介する。
 同誌は、創刊号の特集が「論争よ、起これ!」であったことからうかがえられるように、「学問の純粋性、自立性、継承性を守り、発展させることと、現実社会への自律的洞察、発言、参加を放棄しないことの矛盾する営為をひきうけるものとしての社会科学の再建をめざし、学問とジャーナリズムの架橋を夢見ての創刊」(第二号編集後記)をされた。
 女性解放の問題、自然と人間との関係、ソ連・東欧圏の動向、コンピュータを先端とする現代の技術と人間などの様々な問題が突きつけられ、左翼の側の理論はそれらの問題に応えきれていない。特に社会主義とはなにかという問題は、人間の解放という根本問題に直接に関係すると同時に、ソ連・東欧圏の改革(革命)が現実の問題として具体的に提出されている中で、きわめて緊急のものになっている。理論は、こうした現実に対して明らかに立ち遅れている。理論の立ち遅れを克服することの重要性の指摘については、ほとんどの人に異論はないだろう。
 他方、左翼系の雑誌として存在してきたいくつかの雑誌が廃刊(休刊)ないし終刊になった。季刊のクライシス、月刊の現代の理論、新地平などがそれである。廃刊や終刊にならずとも、今日の日本では毎月のように数々の雑誌が創刊されているのに、左翼系雑誌の衰退がはっきりした現象になっている。こうした状況の中で「社会科学の再建」をめざした総合雑誌が創刊された意味は、それだけでもきわめて大きいといわなければならない。
 
 トロツキーの全面的な復権

 「社会主義はどこへ?」を特集した第二号は、「ソ連の集会を歩く」「暮らしのなかのペレストロイカ」「雑誌を開くと社会がみえる」というソ連の現実を生活のレベルでとらえた報告、ハンガリーの諸政党の綱領の紹介(資料集)、ソ連・東欧(中国を含む)の改革の分析、「社会主義への視点」というアンケートを中心に編集され、特集以外にトロツキー関係で「トロツキイ・イン・メキシコ、トロツキイの孫エステバン・ボルコフ氏会見記」と「トロツキイ復権の最新動向」(藤井一行、敬称略、以下同じ)の二本、さらに国際論争として「『日本的経営』は世界になにをもたらすか?」などが掲載されている。
 ソ連をめぐる三本の報告は、「党と国家の権力に抑え込まれて窒息状態にあった民衆の社会が、今や自立して独り歩きを始めたのだ。……ペレストロイカとは民主化と社会主義の発展だという。このうち民主化は過去の専制を批判し解体する過程として進行しているが、社会主義の発展となるとそれはどんなイメージでとらえられるのか。この点になると暗中模索の状態である。民衆は街頭での、あるいは仲間内での議論をとおして、また、マスメディアに接して、いま自分の意見を確かめている最中のようだ」(暮らしのなかのペレストロイカ)という状況を生き生きと描き出している。どうしても断片的になりがちなテレビや新聞の報道を補って余りある、民衆レベルの実態を知るのにうってつけの報告だ。
 私たちにとって直接に大きな関心を呼ぶのは、トロツキー関係の二つの記事だ。ボルコフ会見記は、メキシコの状況、特に左翼に関わる状況の一端をも明らかにしてくれる。
 圧巻は、藤井一行の「トロツキイ復権の最新動向――ソ連における著作刊行と全面的肯定論の登場」である。直接、この論文を読んでもらいたいが、項目だけを紹介しておこう。「公刊が続くトロツキイの著作」では、トロツキーの『文学と革命』『スターリンの偽造学校』『新路線』の公刊をめぐる状況とそれへの評価が紹介されている。
 「トロツキイ全面肯定論の登場」には驚いた。「週刊の大衆誌『アガニョーク』ともしび)に……功罪相半ばする革命家としてトロツキイを見るという見地をまったく拒否するトロツキイ論が発表された。レニングラードのヴラヂーミル・ビリクという歴史学者のトロツキイ観がそれである」。これは『アガニョーク』が歴史学者ビリクにインタビューした記事で、その内容が詳しく紹介されている。これを評価して藤井一行は「インタヴューにたいする回答からして、ビリクはトロツキイについてちゃんとした資料に依拠して相当に深く、かつ広く研究していることが知られる。本格的なトロツキイ研究者の出現である」と述べている。そして「やがてはそうしたトロツキイ像がソヴェト国民の共有の財産となる日も訪れることであろう」という。
 トロツキーの復権はありえない、とは二、三年前までの私たちの判断だった。だが、この判断も覆されそうだ。それだけではない。こうなると、第四インターナショナル自体の存在理由が根本的に問われることになる。第四インターナショナルは、トロツキーに体現されたマルクス主義、レーニン主義を継承し、それを宣伝することを存在理由の一つにしてきた。この点で独自性を発揮する余地は急激になくなっていくだろう。
 トロツキーの主張を継承するだけでなく、現実の運動と結びつき、有効な現実の指針をどのように出せるのか、これが本当に問われる時代が始まった。

古びた脳を心地よく刺激する

 毎日の仕事に追われて新聞を読むので精一杯という生活を送っていれば、当然頭脳は古びてくる。なるべく難しい問題を避けようとする傾向が出てくる。『窓』第二号のペレストロイカに関する報告やトロツキーの全面的復権に関する記事が事実自体として驚きだとすれば、理論的に問題を扱った論文は、私のそうした頭脳に心地よい刺激を与えてくれる。
 市場経済の導入がいわれて久しいが、それが資本主義の復活を導くのではないか、この懸念が表明されており、その観点からペレストロイカを批判する動きもある。だが、こうした議論が陥りがちな欠点は、同じ市場経済、社会主義経済、資本主義などの言葉を使っていても必ずしも同じ意味を有しているとは限らない点である。
 『窓』第二号に掲載されている「新たな批判学派の誕生――ユーゴスラヴィアにおける社会主義の再資本主義化と再定義」は、題名からわかるようにユーゴスラヴィアの経済改革の基本方向をめぐる理論の一端を紹介したものだが、そこでは「再資本主義化」がはっきりと主張されている。内容については、ぜひ実物に当たっていただきたいが、ソ連や東欧の実態に関していかに無知だったのかを思い知らされたとだけいっておこう。そして問題は、結局のところ資本主義をどう理解するのかに落ちつきそうだ。            (T・T記)

現闘のSさんに聞く
                 現地への結集を訴える

 インター三里塚現闘団は一月十四日、「天下の悪法を撃つ」とアッピールを発した。「成田治安法」をめぐって三里塚現地の状況は緊張している。現闘のSさんにインタビューして状況や今後の方向性を聞いた。
――成田治安法による団結小屋の使用禁止と封鎖攻撃および江藤運輸大臣の回答という状況の中で、どのように闘おうとしているのか。
S まず反対同盟の問題意識ということだが、江藤が「陳謝するが、事業認定は有効である」といった最初の公開質問状への回答に対する第二回目の公開質問をどうするかということがある。
 江藤は調子のいい奴だから、本当にくるかも知れない。本当にきたらどうするかが、話としてでている。小川派は、今年の旗開きで、向こう側が頭を下げてきたら、俺らはそれ以上に頭を下げる、お願いだから空港を廃港にしてくれ、収容はやめてくれ、と。相手側よりも二倍、三倍も頭を下げるといっていたという。
 期せずして熱田派の中でも、同じような話がでていた。農民の発想は同じで興味深い。たとえ江藤がきたとしても、向こう側の回答の内容には変化はないだろう。
 同盟はいま、事業認定の期限切れの問題と、選挙をも含めた政府側の決断の時期、それをめぐっての攻めぎ合いの所でいかに情勢をつかむのかと、考えているのではないだろうか。
 二つめは、インター横堀団結小屋の問題である。反対同盟として検討している。評価はいろいろある。鉄塔だけが倒されるという人も、たとえ何をしなくても封鎖されるという人も、抵抗しなければ封鎖だけにとどまるだろうとか、天神峰はやられたが、こっち側はないのではないか、というように幅が広い。
 最初はもぬけの殻戦術というのもあったが、常駐者の権利を主張するという観点から、それは後景化した。そして今は、封鎖攻撃にでてきた場合、いかに不当であるのかということがみて分かるような闘い方はないか、という考え方になっている。また、何とか封鎖させないで使用することはできないのかという話もでている。
 天神峰での敵のやり方に頭にきているから、前向きにインター横堀団結小屋に対応しようということになってきている。攻撃は選挙後ではないか、といわれている。
 現闘としては、鉄塔に絵をかける運動をやってきたが、一面残っていたところにワクワクツアーの人たちと一緒に絵をかけることをやっていく。また、向こうが突然やってきたら常駐者三名は権利として中でがんばる。闘う。横堀小屋の防衛のために支援に駆けつけてくることを要望する。
――反対同盟の公開質問状に対する運輸省の回答についての評価はどうですか。
S 反対同盟としては、陳謝になっていないということで一致している。しかし三里塚闘争二十数年ではじめての「陳謝」ということで、微妙なところで影響を与えていると考えられる。
 だが、反対同盟が一番問題としている事業認定の失効について何一つ変わっていないことで、「陳謝」の影響はとどまっている。
 第二の公開質問状で、公団と政府が事業認定の効力が依然として存在しているというならば、その根拠を示せとの内容を準備している。同盟としては、そこは出てこないのではないかと冷静にみている。
――最後に一言、今後の闘い方や方向性について。
S 成田治安法の適用はむちゃくちゃで、でたらめなものであるから、攻撃がかけられてきたら現闘としてやるしかない。
横堀の団結小屋を闘争拠点としてなんとかして確保する方法はないか、考えてもいいと思っているが、きたら粛々と闘う。熱田の親父さんも闘うつもりでいるので、ともに闘う。
 今後の三里塚闘争に問われているものは、どのような行動、運動をやっていったら全国の人々をひきつけられるかだと思う。なにをやっても過激派だといわれるが、そこにたちどまったら、ワンパターンになってしまう。そうならないようにするには、どうするのか考えてみなければいけない。
 もう一度、口コミ宣伝を含めて、じっくり腰をすえて運動をつくり直すしかないと思う。全国に出かけていくことも含めてやる以外にない。現地への結集を訴える。
声明――運輸大臣来成に対して
                    三里塚芝山連合空港反対同盟(代表 熱田一)
一、本日の会議は、運輸大臣が私達が提出した質問状に対する回答を持参したこと以上ではない。
一、私達も二期工事問題の解決が、平和的に「話し合い」で解決されるなら、それは望むところである。しかしながら、「話し合い」が成立するには、最低二つの前提が必要であると考える。
一、前提の一つは、あくまでも相互が人間として対等の立場に立つことである。大臣も十一月三十日付け回答書で、「皆様方地元農家の方々と対等の立場に立って」と言われた。しかし、私達の現実は先の質問状にも述べたとおり、いかにも非人間的なものである。私達の家や農地の回りは、螺旋状の有刺鉄線や鉄パイプが張り巡らされている。そして、近隣に建てられた十数基の櫓から、双眼鏡で覗かれ、家の中までサーチライトで照らされ、二四時間の監視を受けている。農作業や学校の送り迎え、買物の行き来など、ひとたび部落を出ようとすれば、辻々にたった機動隊が、車であれ歩行者であれ停め、いちいち検問を受けることになる。この状態はオリに入れられた動物に対する扱いに等しい。私達だけをオリに入れたまま「対等の立場」などと、どこが言えるのか。「話し合い」を望むなら、検問その他をやめ、用地内の非人間的な状態を即刻解除し、人としての生活を保障することである。
一、前提の二つ目は、「話し合い」を呼びかける以上はそれ以外で解決しないという、「話し合い」に対する信頼を打ち立てることである。すなわち、強制収用の脅しをやめ、事業認定の失効を認めることである。強制収用で土地を取りあげるつもりがあるなら、「話し合いで」、などと言うべきではない。強制収用という刀を振りかざした相手に、丸腰の私達が「話し合い」の席につけるはずがない。 以上声明する。 一九九〇年一月三十日

ナリタに民主主義はないの
「成田治安立法」に異議あり!共同アピール


 9月19臼、運輸省は、三里塚空港反対闘争の拠点である団結小屋等9カ所に対して「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」(略称・成田治安法)を適用した。1978年5月13日の施行以来、3ケ所にすでに適用され、暴力的に撤去されたことさえあるが、今回のように、8月29日の1ケ所とあわせて一挙に10ヶ所が指定されたのははじめてのことである。
 この法律は・政府が78年5月の成田空港開港にあたって、反対闘争を封ずるために、法案提出から成立までわずか17日で、泥縄式に成立させたものである。これは「空港の機能を確保するために必要」と判断すれば有無を言わせず撤去する権限を政府に与える法律であり、また使用禁止、撤去に対する一切の抵抗も反論も許さぬばかりか、逆に「質問」に対する黙秘の権利も認めない、というおどろくべき法律である。政府が恣意的に「暴力主義的活動者」もしくはその「おそれ」のあるものと認定すればいくらでも拡大解釈が可能な点も、制定当時から強く批判されており、社会党、共産党、二院クラブは反対票を投じた。そもそも、この法律が存在すること自体が、きわめて不当な人権侵害の危険性をもつものなのである。従って私たちは、この法律そのものを絶対にみとめることができない。
 あまつさえ、農はや農民の闘いを支援する人びとの根づよい闘いに焦りをふかめた政府が、空港二期工事を強行するため、この反民主主義的悪法を通用するという暴挙に出たことに対しては、厳しく抗議をしなければならない。「使用禁止命令」が出たということは、いつ「撤去」が強行されるかも分からないということを意味する。またそのさいに「法」の名の下に、平然と殺傷行為を伴う人権侵害を強行することが憂慮される。私たちはこうした事態を許すことはできない。
 そもそも、成田空港の建設が、これほどまでに農民の憤激を買った理由は何であったか。それは、何のことわりもなしに、有無をいわせず農民の生きる場である土地をとりあげようとしたことにある。政府は、農民に村し、ときに「話し合い」のポーズをみせたりはするものの、一貫してこの態度を崩していない。政府・公団に抵抗するものに対しては、暴力的に排除することしか考えてこなかった。そして、いよいよ焦燥感を深めた政府は、今、もっとも大規模な形で、「成田治安法」という常軌を逸した法律の通用にふみ切ったのである。いまこれを許せば、次には必ず農民の土地・家屋に手がかかるであろう。
 「公益」に名をかりた政府の暴力に反対し、農民の正当な生きる権利と、農民・支援の闘う権利を尊重する立場から、私たちは、成田治安法の通用に強く抗議し、これをただちに撤回するよう、無告の民の人権の名において強く要求するものである。

《賛同とカンパのお願い≫
今回の意見広告に続いて、広い大衆的な賛同を求め「朝日ジャーナル」に共同アピール本文、現地の事情などを記した意見広告を行います。この意見広告は全て、賛同者のカンパによって行われています。次回(90年2月予定)の紙面について、御意見、賛同カンぺそしてメッセージをおよせ頂けますよう、お願い致します。
   賛同カンバ ーロ ー千円 より    郵便振替 東京6−536015
送り先●連絡先・…・東京都新宿区西早稲田2−3−18日本キリスト教団社会委員会
         「成田治安法」に異議あり./共同アピール

[賛同者からのメッセージ]
芳野よしい(水と土・手賀沼の会代表)
最も代表的な日本の市民運動を守ろう。人権・自然を守るため、
この悪法を撤回しよう。
水田洋(名城大教授)
一読しておどろきました。これが近代国家の法律なのでしょうか。
土方鉄(作家)
櫓をこわしているさま、テレビでみて、怒りを耐えません。
土本典昭(記録映画)
これを許せば日本全国各地で「治安法」がつくられるでしょう。
木村京子(原発のない世界をつくる女の会)
日本の権力の本質をよくあらわしていると思います。東欧の民主化を見るにつけ、日本の非民主性がますます明白になりますね。
(共同アピールのビラを使いました)

シンポジウム「東欧の民主化と女たち」に「参加」して
         高山 徹


「東欧の民主化と女たち」シンポジウム実行委員会による同名のシンポジウムが一月二十日、東京・青山のスパイラルホールで東欧からの参加者六人を含めておよそ六〇〇人の規模で行われた。ホール内の椅子席が四〇〇弱という数字から分かるように、集まり具合はきわめて盛大で、このテーマに対する関心の熱烈さ、高さをはっきりと物語っていた。
活気に満ちた集まり

 十二時半に開場ということだったので、ほぼその時間に到着したが、すでに会場ホールは一杯で立見か、あるいはテレビを通じた間接的な参加しかないという状況だった。全体の構成は二部に分かれ、第一部で「東欧で何が変わるの」という東欧の女性たちからの報告を聞き、第二部で日本側パネラーのコメントと討論、その間にチェコスロバキアの「市民フォーラム」の一員で歌手のウラジミール・メルタさんのすばらしい歌が入るというものだった。
 一時から八時まで、実質五時間程度しかなく、扱った問題の深さからすれば当然突っ込み不足が出てくるのはやむをえなかったというべきだろう。司会をつとめた辻元清美(ピースボート)さんが最後にいったように、東欧の女性たちと日本の女性たち(参加者の圧倒的多数が女性だった)が初めて直接に顔を合わせて討論し、お互いについて知り合えるようになったことだけでも大きな成果といえる。
 最初に司会の辻元清美さんがシンポジウムのめざすものという文書を説明を交えながら読み上げた。そこでは、東欧からの参加者が「それぞれ、自国の民主化の過程に非常に重要な役割を担われ、現在も担っておられる方々ばかりです。当然ながら、政治的な立場、視点はひとりひとり、異なっています。それぞれの国でどのような人々が、何をめざしていかに考え、動きつつあるか、貴重なお話がお聞きできると思います。私たちも率直に質問を発して、実りある対話を実現させたい」し、「女たちが企画し、実現させたこのシンポジウムが女の問題のみにとどまらず、その枠を越えてトータルな『民主化』を視野にいれ得たとき、真の成功があると信じています」と、シンポジウムの意図を説明した。
 呼びかけ人を代表して社会党委員長の土井たか子さんが挨拶。現在の世界を冷戦の終わりと国境を越えなければならない時代と位置づけ、80年代の西側の反戦運動と東欧の民主化運動とが表裏一体であったし、それぞれの運動で体を張ったのが女たちだったと指摘し、その背景の一つとして女性こそ生活の現場で社会にとって何が必要か知っているからだと述べた。さらに「東欧の民主化」が社会主義という考えが無意味になったこと、あるいは敗北したことを決して意味しないと述べ、資本主義が現実にもたらしている様々な荒廃を指摘し、民主化の重要性を明らかにし、シンポジウムが「東欧の民主化と東欧の女たち」ではなく、普遍的な「東欧の民主化と女たち」であることの意味を強調し、「東欧の民主化」をもう一つ前に進めようと呼びかけた。

東欧の発言から

 東欧(会場でも東欧、中欧の区別と一体性について論議があったが、ここでは西欧に対する意味で東欧の言葉をそのまま使う)からの参加者は次の六人。なお、肩書はプログラムのものを転載した(発言順)。
 ポーランド ダヌータ・ヴィニアルスカ(「連帯」活動家。クーロン労働大臣主席補佐官)
 ハンガリー アンナ・ペトロショヴィッツ(ハンガリー社民党党首、ブタペスト国立経済大学講師)
 東ドイツ ガブリエレ・クライナー(東ドイツ「新フォーラム」メンバー)
 ポーランド ルチナ・ヴィニッカ(女優・ジャーナリスト。「尼僧ヨアンナ」「夜行列車」主演)
 ルーマニア タムラ・エレナ(在日ルーマニア人。教師)
 チェコスロバキア ウラジミール・メルタ(男性歌手。チェコ「市民フォーラム」有力メンバー)
 ここで全員の報告を伝えたいが、紙面に余裕がないので、ダヌータさんとガブリエレさんの報告の紹介にとどめたい。ダヌータさんは「連帯」の中心的活動家。また民主化運動の中心となったKOR(労働者防衛委員会、この指導者の一人がクーロン)の幹部だった。

ダヌータさんの報告
 この一年間は激動だった。45年間続いた体制が終わったのだ。その体制は、西からはドイツが、東からはソ連が占領し、多数の国民の命、領土、経済生活、国家体制を破壊した第二次世界大戦以後始まった。そしてソ連が共産主義の体制を植えつけた。中欧で生活したことのない人には、共産主義の支配が45年も続いたことの意味は分からないだろう。これについては説明しない。
 その体制がなくなった。この過程は皆さん知っているだろう。ここには三つの要素があった。@社会の絶え間ない抵抗Aゴルバチョフの政権の登場Bシステムの自壊――経済の崩壊、様々な機能の崩壊――があった。
 現在のポーランドはいったい何を持っているのか。すさまじいインフレ、膨大な対外債務、それにともなうつらい気持ち、誰も買いたくない商品を生産するだけの、エネルギーや原料、労働力を浪費する工場。それと「連帯」、つまり新しい国会と私たちの政府、ポーランド共和国がある。
 これまでのシステムが崩壊した中で、新しいシステムを建設中であるが、どんな困難が待ち受けているか、どれほどの努力が必要か分かっている。だが時間、資本が決定的に足りない。私たちは、不可能を可能にさせなくてはならないし、させてみせる。
 世界の変革に関係することだが、人間は大きな理想を掲げる。だが理想の実現を追求していくときに忘れることがある。理想を実行する方法のことだ。カトリックには「人のために、弱いもののために」という伝統がある。この方法が必要であり、またどんな運動にも必要だと思う。

ガブリエレさんの報告。
 「引き裂かれた街」ベルリンからやってきた。私の家族も引き裂かれた。一九七〇年、祖父母が西側でなくなったが、死に目に会えなかった。昨年の十二月九日に壁がなくなり、二十八年後に初めて墓に花を供えることができた。
 前の権力は社会主義を名乗っていたが、そうではなかった。その抑圧で国民が小心的な状態に追いやられた。異端者は残酷に弾圧された。一九八五年はペレストロイカの始まりだった。ポーランド、ハンガリーではすでに動き始めていた。中国の天安門の時絶望以外にないと思った。千七百万の人口の内百万人が西に逃亡した。
 そうした中で反対運動が少しずつつくられてきた。それが「新フォーラム」だ。旧権力は反革命的と決めつけていたが、ついに一万人の署名を集めることができた。暴力反対を根本の立場にして、ローソクを手にして何度も何度も通りに出ていった。そして暴力なしに権力から権力を奪った。
 私たちはいま新しい道を追求している。社会民主的な道を。誰も社会主義という言葉を聞きたくないと思っている。社会主義の名を借りて権力が悪いことをしたのを誰も忘れていない。
 だが資本主義が社会主義を打ち負かしたというのは間違っている。本当の社会主義は地球上にこれまであったことがないのだから。社会主義の理想を実現するためには、権力を握ってもそれを乱用しないこと、人間が万物の尺度といった考えを捨てる必要がある。老子に「人は地にしたがい、地は天にしたがい……」という言葉があるが、その精神が必要だと思う。社会主義に失敗した国から人を呼ぶことはたいへん勇気のあることであり、それは私たちへの信頼だと考えている。
 日本では世界平和への貢献、環境保護が行われており、また社会党党首が女性であることからして女性に多くが与えられているに違いないと確信した。東ドイツでは新しい憲法をつくらなければならないが、日本の憲法の九条に合わせていきたい。
 その理由の一つは、ドイツの再統一が問題になっており、これに対する不安が存在している。東ドイツ、西ドイツともに世界の人々に大きな責任を持っている。ドイツから戦争が起こらない保障が必要である、だからこそ九条を強調した。

 第二部で日本側パネラーの一人として発言する予定だった上野千鶴子さん(京都精華大学助教授)が時間の関係で、一部の最後に発言した。
 
 「東欧民主化を拓いた歌」としてメルタさんが、静寂、夜の軍隊昼の軍隊、不渡り、友だち、吸血鬼の集会、天安門の六曲を歌った。

最初の討論が

 休憩を経て討論に移った。日本側のパネラーは、先の上野さんの他、池田理代子さん(マンガ家)、青木やよひさん(評論家)、堂本暁子さん(参議院議員)、松井やよりさん(ジャーナリスト)、北沢洋子さん(国際問題評論家)で、それぞれの感想、コメントを受け、ついで会場から限られた時間の中で三人からの質問を受けた。それぞれの発言を紹介する余裕がないので、辻元さんと一緒に司会を行っていた芝生瑞和さん(国際ジャーナリスト)による討論点のまとめを紹介する。
 @東欧の人々に日本についてもっと知ってほしい。ワレサさんが「第二の日本になりたい」と発言したと伝えられているが、また、会場でも日本の経済、技術をたたえる発言があったが、日本と周囲のアジア(特に女性)との関係、日本の中で女性がどのような地位にあるのか、こうしたことを知った上で発言してほしい。また日本の援助への期待が述べられたが、その実態を知るべきだ。
 A東欧からの発言に生む性としての女性の強調があったことに関連して、性の解放、子供を生む権利についてどのように考えるのか。B東欧の経済発展の方向性について。
 日本側からのコメントや質問、提起に対して東欧の側から短い回答があったが、時間の関係もあって、しかも最初の討論だったため、討論として成立できなかったのもやむを得ないだろう。だが、提起された問題は、実に多様で、現在のソ連や東欧諸国がかかえている問題にとどまらず、女性解放の根本問題、人間と自然との関係、社会主義と人間解放、いわゆる第三世界の問題など、現実に人々が直面している切実な問題が共通の討論議題にのぼったといえる。
 最後に、私自身の感想を述べよう。
 集会に参加すること自体が私にとって久しぶりなので、それで神経が高ぶっていた面があったかも知れないが、緊張した中に人を興奮させるものがあった。まず第一に東欧の人々の生の声をじかに聞くことができたのが、それである。例えば、彼女たち、彼は、ハンガリーを別にして「民主化」という言葉ではなく、「革命」という言葉を多用していたが、二つの言葉にどのような区別、違いをもたせていたのか分からないが、かつてあった体制あるいはシステムを「民主化」するという意識よりも、一つの歴史的な飛躍を達成しようとしているという意識の方がはるかに強いのでは、とうかがわせた。
 感想の第二は、日本側の提起者もそうだったのだが、東欧の人々が「社会主義が敗北したのではない」と口を揃えて発言したことに強い印象を受けたことだ。われわれがソ連や東欧の現実をさして「社会主義の敗北ではない」といくら主張しても、それはなにかしら負け犬の遠吠えに似ている。もちろん、いかなる社会主義なのかという問題が存在しつづけてはいるのだが。
 第三は「第二の日本になりたい」に関係したことだ。ポーランドのダヌータさんは、これに対して次のように答えた。ワレサは大勢の家族をかかえて解雇され、生活のために駐車場にいって故障している車を見つけてはそれを修理して生活費を得ていた。そのとき、お客からよくいわれたのが、なぜわれわれの車はすぐ故障するのか、だった。彼はそこで、日本の車は故障しないから、日本のようになろう、といった。つまりワレサの「第二の日本」という公約はその当時からのものであり、その程度のものだからまともに受けとってもらわないほうがよいと、冗談めかして回答した。
 この回答にはひどく考えさせられた。一つは、日本の労働者階級あるいは人民がポーランドに具体的にどのような支援ができるのか、この問題を抜きにして「第二の日本になりたい」という発言を批判することの正否である。例えば日本の大資本の「経済援助」への警戒が訴えられた。それはもっともだが、それと同時、日本の政府、大資本に対する労働者階級、人民の側の統制なり闘いの問題を具体的に提起しなければならなかったのではないのか。日本の巨大な資本、技術、金融力が現在、いわば無制限に行動できていることへの責任の大半は日本の労働者階級、人民にある――ダヌータさんの回答がこのようにいっているようでならなかった。
 もう一つは、東欧やソ連が直面している困難さの深さを実感をもって理解する必要性である。
 第四の感想は、一九六〇年代末に始まった青年の急進化といわれた世界史的な現象がいま実を結びつつあるという実感である。あの当時の青年たちは自分の現在的な「解放」を求めて行動し闘った。その後、その流れは、個別化し、それぞれに沈潜化し、深まり拡大してきた。この集会で、そうした流れのいくつかが合流したという思いが私の胸をよぎった。思い込みが過ぎるかも知れない。だが、社会主義の根本問題、地球的規模の自然と人間の関係のあり方――これらの問題が提起されていること自体が人類の解放という課題が現実の問題になっていることを切実に表現したと考えることが、社会主義の見直しのための基本的な出発点なのではなかろうか。

第一回公開講座開く
 一月二十七日、労働者の力の第一回公開講座が開かれ、二十数人が集まった。テーマは、社会主義とペレストロイカで、織田進さんが講師となって、「労働者の力」第五号の内容にそって、それを詳しく報告した。
時間の関係もあって討論が十分に行われたとはいえないが、市場の導入とそれが及ぼす影響などについて議論が展開された。講座の開き方やテーマの設定などを検討して、自由な討論の場として講座を今後も行っていく予定である。