1994年12月10日        労働者の力              第62号

特集 連合新党をめざしての大きな一歩


 社会党は、「新民主連合(新民連、山花貞夫会長)騒動」を通じて解党とリベラル政党化の方向へと動き出した。党内各傾向の駆け引きはあれ、社会党が党の基軸を移行させることになったのは新民連の「功績」である。他方、十二月十日の新進党結成を控えて様々不協和音も飛び出した。委員長をめぐる確執や創価学会をめぐる思惑や公明党の分党、さらには「社会主義インター」との関連での異論の噴出など、「野合大政党」の道はなかなかに険しい様相である。自民党もまた旧態依然のままで、居直り的に単独政権に復帰するという腹づもりでは容易には展望を切り開けないだろう。時代は小選挙区制度の下に、日本政治の新たな構造がいかなるものになるかを本格的に模索する過渡期に突入した。以上の構図はしかし、保守リベラルをめぐった流れへの収れんの一こまである。新たな「革新」勢力の再結集は民衆の自立した運動に委ねられている。旧来政党の離合集散を越えた新たな民衆的政党形成の動きがようやくにしてその姿を外郭的ながら示し始めた。「市民派全国ネット」が発足し、「平和憲法の会21」も結成された。本号では、平和憲法の会21を中心に「護憲派」連合新党への動きを特集する。
 
 
政治団体「平和憲法の会21」を結成
 
 十一月十九日(土)、東京麹町の食糧会館で、護憲の新たな政治勢力の結集をめざす第二回呼びかけ人総会がもたれ、約百人の参加のもと、護憲総連合の仮称を改め、「平和憲法の会21」を発足させることが確認された。
 総会には、来ひんとして上田哲善衆議院議員(護憲新党あかつき代表)、田英夫参議院議員(新党・護憲民主リベラル代表)があいさつし、小森龍邦衆議院議員がメッセージ参加した。いとう正敏参議院議員も出席した。
 上田哲さんは「総保守体制と社会党の変質と解党は小選挙区制度が通過した昨年十一月から始まった。私はこの時点で見切りをつけ離党を決意。護憲新党あかつきを結成したが、護憲派総結集のこの日を待っていた。小さい花が一つひとつ集まって大きく咲くアジサイのように大結集が必要だ」。田英夫さんは「先頃結成した『新党・護憲リベラル』だけでは限界がある。小さい花の一輪挿しをならべても力にはならない。市民団体、個人、諸党派含め大きな花瓶に集めれば大輪となる。リベラルは全面的に賛成」と、それぞれあいさつ(以上、引用は報告文書から)。
 総会は呼びかけ人代表の岩井章さんのあいさつと問題提起、「基本合意」(私たちの決意)、政策課題(私たちは約束する)、規約の提案討論、岩井さんの集約と進み、拍手で確認された。なお会の当日現在での呼びかけ賛同人は三一五名と発表された。

 決定事項
 @会の名称を「平和憲法の会21」とする。岩井章を代表とする政治団体として自治省に登録する。
 A調整能力をもつ顧問会議を設置する。顧問は小森龍邦衆議院議員、田英夫参議院議員、上田哲前衆議院議員、岩井章代表委員とする。
 B護憲新党結成のための準備会を早期に発足する。結成の時期は中央の政局変動をふまえて見極める。
 C代表委員会に都知事候補選考委員会を設置する。
 D統一地方選で護憲派候補の推せん、紹介など選挙勝利をめざして積極的な活動をすすめる。来春統一推せん名簿の公表と勝利のための新年旗開きを行う。

 決定された役員名
 顧問 小森龍邦・上田哲・田英夫
 代表委員 岩井章・和田静夫・矢山有作・吉田正雄・斉藤一雄・北野弘久・内田雅敏・栗原透・山崎道人・中小路清雄(今後補充)
 事務局長 小峰雄蔵 事務局次長 吉原節夫 ほか今後補充
 暫定会費 年会費一万円 年金生活者、低所得層、家族会員は五千円。
  
 原案を修正した部分
 原案は本紙前号で紹介したが、変更部分は以下の通り。
 @原案は全体的に受動的で、二十一世紀を展望する視点に欠ける。また原案にある「社会党大会で放棄された基本政策を継承、発展させる」との表現では、趣旨は理解できるが、ミニ社会党をつくる印象が強く、かえって広範な人々の結集を妨げるとの意見を尊重し、基本合意三項目を四項目として、内容表現を全面的に改めました(2面に全文を掲載)。
 A基本合意・当面の政策課題の表現を「私たちの決意」と「私たちは約束する」に改めることとし、やわらかい表現としました。
 B政策基調として「暮らしの中に憲法を! 暮らしの中から憲法を!」としたスローガンで新たに付け加えました。
 C個々の政策課題のうち特に自衛隊については原案ではあいまいであるとの指摘が多数あり、従って違憲、当面軍縮を促進、廃絶をめざすとし、立場を鮮明にしました。また国際貢献の名称を修正し、国際協力として内容も修正しました。このほか地方自治、原発、教育、福祉など、この間寄せられた皆様のご意見を参考にし訂正しました。
 D会費については、年金生活者、低所得者、家族会員について軽減措置を講じました。
 Eなお、政策課題については、今後暫時追加補筆することを呼びかけ人総会で確認しました。
 
岩井代表委員のあいさつ(報告文書より引用)

 私はいくつかの問題にしぼって私の考えを述べて挨拶としたい。
 第一に護憲新党の問題。この問題は社会党の動向と密接に関連がある。もちろん社会党が今までやってきたことをそのまま引き継ぐことなど毛頭考えていない。しかし社会党がやってきたことと、われわれが護憲という問題をやろうとすることとは重なる部分がある。そこで大事なことは今、田、上田両君が挨拶で触れたように、社会党がどうなるかの問題は一番重要なことと思う。
 来年の一月か二月かわからない部分があるが、その段階で社会党が解党する方向に向いている。党の中で護憲を唱えていた者もみな引っくるめて連れていこうとしている。もちろん、それについていけない人も出てくるだろう。今私が関心を持つのは何人残るかということだ。新党を考えるときにはこの社会党の動向、大きく言えば政局の動向をよくにらみながら、腹を決めることが大事ではないか。
 次に、新党結成の時期はいつかといった問題だ。今は不透明でわからない。だが社会党の解党大会と関係するので一月か、二月とも思うが、これはもう少し慎重に議論する必要があろう。従って新党をつくる準備、手筈を整えることが今大切なことと思う。
 第二に、この会の運動は新党につながっていくわけだから、今ここに上田、田両君が来られているが、いずれも党代表としての来ひんであることだ。新党を考えるとき、私たちの仲間の党の関係をどうするかを慎重に考えなければならない。率直に言うと一昨日、田、上田、小森君三人と率直な話し合いを行い、顧問に就任していただいた。顧問の意味は単なる顧問ではなくて私をいれて四人で、ややこしいことを調整する任務をもつことになった。
 このなかでは新党となって選挙闘争になったときに何人かの候補者がダブったときに調整ということの意味を持つ。次に大事なことは発足するこの会とそれぞれ既にできている党派との関係をどうするかという問題だ。この会は平和憲法の会21だが、これは様々な運動体とは同権だと書いてある。同権とはなかなか難しい面があるが、この会にはそれぞれの党派が散在していることを相互に了承することが大事だ。もちろん、上部、下部という大げさなものではないが、この会に多くの党派も運動体も入っていただく。そして相互に尊重しあい、調整しあうことの大事さを、相互に理解しあうことだと思う。
 次に選挙をやるときに、五名の国会議員が必要だということだ。今のところ衆議院には五名の議員はいない。はっきりしているのは、小森さんだけだ。そこで社会党が崩れていく、そっくりいくのか、何人残るのかだ。小森さんの分析では三、四名かもというが、いずれも不確定だとのことだ。兵庫の岡崎さんを加えれば五人になろう。いずれも不透明だが、とりあえず来年の地方選挙、次の参議院選挙、これをどうすすめるかという話も顧問会議でつめた。
 十分ではないかも知れないが地方の要請にこたえて、この会が候補者を推せんするなどの取り組みは、政党要件をもたなくてもできると話し合った。参議院選挙はどうするか、すでに五名のリベラル新党ができている。これを軸に闘うのだが、しかし、全国的な票の総計によって当選者が出てくる訳だから、各地方、各県毎に参議院選挙について闘わなければならなくなる。
 この場合、別に新党になっているのかどうか、これらを踏まえて進めていきたい。現在この会には三一三名の賛同者がいるが、まだまだ増えると思う。運動をどれだけ広げられるかが大事だ。既に加わっている方々を中心に県ごとに横に広げ、どんどん組織を作り拡大していただきたい。名称にはこだわる必要はない。大きな枠のなかで護憲平和に向かって、進めて行きたいと思う(語句の一部を修正)。

「平和憲法の会21」結成への評価と見解(川端康夫)


 大連合新党形成――これが十一月十九日に確認されたことである。しかし同時に「平和憲法の会21」が直接に「新政党の準備会」なのではない、という点をふまえておく必要がある。同会は、新党をめざして活動する運動体であり、新政党への準備は、この会の活動を通じつつもあくまで別個になされる。それは岩井章さんの言明によれば、社会党の動向を見定めつつ近い時期、来春早々(?)に準備会を発足させることによって始められる。
 要約すれば、それぞれ別個に分立して始まった「護憲派新党」への動きが相互に調整しあって共同の目的、すなわち「大連合新党」への作業を進める場を提供し、保証する運動体ということであろう。政治団体登録はさほど意味をもつことではない。
 
「公選法上の」新党と準備会について

 その「大連合新党」には社会党の護憲ネットとして活動しているグループなども参加の対象として意識されているし、各市民派団体やローカルパーティーなどの参加も想定されている、ということのようだ。
 「アジサイ」「花束」などの表現は、設置される準備会が想定する新政党が、それぞれの母体を維持しつつ共同でつくる「連合新党」という性格であることが、四者(岩井、上田、小森、田)の合意であることを間接的な言い方で表現したものである。
 準備会の性格や構成は明示されなかったが、当然にも、四者団体に限定されない、それぞれの「政党」「党派」「グループ」などが同権的に連合する場ということになろうと期待する。
 その場合、法律上の問題(法人資格や政党助成法など)ともからむが、現在唯一政党要件を満たした政党である新党・護憲リベラルがどうするのかが一つの焦点である。可能な限り「公選法上の新党」が実現できるような組織的対応を検討して採用することが望まれるところだ。
 
 時期について
 
 「各馬一斉にスタート」にはならないし、また時間的制約というものもある。スタート時間をいつまでも延期させるわけにもいかない。直接には来年夏の参議院選挙をどのような構え、党で闘うのか、ということが時間的リミットとして出てくる。社会党の内部分解がずるずると引き延ばされていく流れも一方であることだから、社会党の護憲ネットの参加を待つのでは間に合わないことにもなる。社会党が「新民連」騒動で、一月に一挙に解党大会あるいは解党宣言大会に突入する事態がありうるのかそうはならないのか、岩井章さんの「準備会発足時期」の判断は、そこらにかかっているということであろう。
 しかし時間的に「一定の見切り」は避けられない。来春早々にも新党準備会を連合党の形態で、衆参両院の現職議員を中心にして政党要件を満たす「公選法上の新党」に踏み出すことが必要であるし、この会の確認でもある。
 
 「同権」について
 
 新選挙法によれば、現職国会議員の力が極めて高い比重をもつ。現職議員五人が政党要件を満たす最低の条件という民衆には過酷な制度であるから、制度的には「同権」は保証されていない。議員政党の性格が極めて強くなる。そこでの同権の追求は、それゆえ極めて意識的な作業と配慮が要求される。労働運動の領域や市民運動の領域でこの新党を担う人々の比重を相当に高くおくのでなければ、民衆的な場に根づいた新党ということにはならない。この点について真しな検討が望まれるし、各団体からの積極的な意見表明が出されてしかるべきだ。
 たとえば、議員、労働運動領域、市民運動領域がそれぞれ三分の一ずつ評議権をもつ、などが検討されてもいいだろう。
 同時に男女間などのクォータ(割当)制度を前提としておくべきだろう。これらは今後の討論課題になるだろう。
 
 新政党と「平和憲法の会21」について
 
 公選法上の政党ではない、「真の」新政党を想定する声も当然出てくる。公選法上の政党が新政党に移行する場合もありうるし、そうではなく改めて作りなおすという場合もあろう。だが現在時点では、それらは地平線の彼方の問題だ。公選法上の政党がいかなる活動をできるのか、いかなる政治的な位置を占めるのかなどを通じて論議されてくる問題だろう。
 その点では、平和憲法の会21が、どのような「運動体」なのかなどが不断に問われてくることでもあろう。この会は「個人参加」である。したがって同時に個人参加による「政党」への直接の発展という発想がつきまとうことにもなるかもしれない。現状では限りなくあいまいなままであり、人によって解釈が異なるようにも見える。しかし、平和憲法の会21が新党に直接発展するという展望は「この指止まれ」的であり避けたほうがいいし、市民運動などの状況からみても現実になりたたない。
 「政党論」に踏み込むつもりはなくても、「連合党」という性格を越えて誓約集団的「党」を想定するのは時代的にあわないとはいえる。また、新選挙制度が「地域ブロック」型対応を求めるわけだから、地域ブロックでの政党活動が日常的には比重が増し、それらの連合党的な全国政党というあり方も考えられる。
 個人加盟型政党ではないタイプの政党、あるいは「非政党的政党」の試みの方向で、組織的ありようを検討したほうがいいのではないだろうか。そのほうが市民運動の領域や労働運動の領域などがそれぞれの共通意志でもって党活動に参画することが容易になるだろうし、また公選法上の政党との連続性を保ちやすいことも確かなことだ。


 「市民の政治」全国ネット発足
 「大連合」新党を推進する市民派の力の結集をめざす。
 

 十一月二十七日、東京の南部労政会館にて「市民の政党と95参院選を考える全国懇談会」の第三回目の集まりがもたれ、会の結論として「市民の政治全国ネット」(仮称)を発足することが決まった。第三回懇談会には全国からおよそ五〇名が参加し、宮本なおみ代表世話人のあいさつと全国キャンペーンで訪れた各所の会合の報告ではじめられた。
 キャンペーンプロジェクトからの全国状況報告、理念政策プロジェクトからの討論の中間報告がそれぞれなされた。続いて福富節男さんから、政治状況と今後の方向性についての東京での討論をまとめた提起があり、さらに毛利子来さんから、毛利私案というべき市民派ネットの政策的、組織的構想が提起された。会場からの特別の報告として、長年都知事選挙に深くかかわってきている大倉八千代さんが、この間の都知事選対応(左派、市民派共同候補擁立をめざす動き)をめぐる共産党との「確執」を報告し、その中で目黒区長選挙における宮本さん立候補が共産党の非協力の理由とされたことを述べた。
 以上の報告・討論の詳細は「市民の政治」誌を参照していただきたい。
 全国ネットの性格、内容は「行動・討論しながら作り上げていく」ことを旨としつつ、護憲派、左派、市民派などの「連合した政党」形成を射程に入れ、市民派の独自的な政策的、ネットワーク的協同を強めることを主眼とするという位置づけがなされた。
 ネットの名称や政治的視点、組織的な性格などは、全国キャンペーンを継続し、全国討論を深めながら策定されていくことになる。連絡事務所は、東京の「市民のひろば」に依頼するが、関西にも設定する方向が確認された。会の「メディア」としては「市民の政治」誌と連携しつつ、より充実させていくことを検討することになった。
 共同代表に、内田雅敏さん、中北龍太郎さん、毛利子来さん、事務局長に宮本なおみさんがおされた。第一回全国会合は来年一月十四日の予定。
 
資料 新党・護憲リベラル
新しい市民政党の組織について


1 市民が主役となる新しい政党のあり方は、連合、分権、自治が原則となる。
2 新しい政党と市民運動や地域政党などとの間の同権的な関係が求められる。
 新しい市民政党は、共通の理念や政策を掲げて公選法上の政党として活動するが、さまざまな自立的な市民運動やローカルパーティーが議会と選挙の場において自らを政治的に表現するために共同、協力するネットワークである。
 新しい市民政党は、選挙と議会活動に専念し、大衆運動やローカルな政治についてはそれぞれの運動やローカルパーティーが責任をもって対応する。
3 ネットワーク型の連合
 新しい市民政党は、国会議員団あるいは候補者集団、政策集団(政策立案ブレーン・スタッフ)、さまざまな運動やグループ、多くのローカルパーティーのネットワーク型連合である。それぞれの要素は自立しているが、どの要素も大小にかかわらず特権を持たず、対等、平等の立場で討論と協調を重ね合意を形成する。調整の会議は設けられるが、「中央」指示、指導、統制の機能を持つ機関は置かない。
 ローカルパーティー(例えば護憲リベラル東京など)が参加したり、新しく作られるがそれは下部組織ではなく、自立した決定権と自治権を持つ。
4 合意の形成、全国大会
 基本的な理念や政策(国政における公約)、役員(代表、運営委員)、財政計画(党費、活動の予算)は全国大会において決定する。
 公約以外の課題や争点に対する政治的判断、政策的対応については、議員個々人の判断に委ねる。(党議拘束を外す)議員が、労働組合であれ生協団体であれ、大きな組織を持つ特定の団体の意向に拘束されず、自主的に活動することを保障する。
 党議は、非効率や不決断を恐れず、討論と協議に時間をかけて合意を形成する。少数意見者は批判の自由のみならず、行動に参加しない自由を持つことも保障される。
5 機関
 @全国大会
 代議員の選出などを検討中(改正公選法との整合性が必要である。法人格を持つ政党)
 A全国代表者会議
 国会議員、ローカルパーティー代表、地方議員、連携する市民運動などが可能なかぎり各県単位で代表者を調整し構成する(衆議院の十一比例ブロックの代表も考える)。
 B運営・調整委員会の設置
 日常的な政治活動や他の政党・政治勢力との共闘などについての合意や判断をするために運営・調整委員会を設ける。全国代表者会議においてメンバーを決める。この中に事務局を置く。
 C監査委員会
 財政を監査し全国大会に報告する。
6 公開性の確保
 全国的、地域的なレベルの会議は原則として公開し、市民の参加と発言を促す。国政選挙の候補者および名簿順位は、ローカルパーティーや市民運動による推薦、擁立を基本にして決める。男女のクオーター制を導入する(予備選の実施を検討する)。
7 政党助成金について
 この制度が政党の国家化と既成政党による利益の独占を生むことを批判した上で、次のように使途を限定する。
 政党助成金は選挙費用に支出する。また市民の政治的政策的活動を支持する目的で「市民活動基金」(仮称)を設立し、ここに支出する(日常の党運営には使わない)。
8 定住外国人の入会
 新しい市民政党は、永住権などを持つ定住外国人の選挙権を認めるよう運動を進め、こうした外国人の入会を認める。
9 会員の年齢制限
 新しい市民政党は、一八歳で選挙権を得、二五歳ですべての選挙への被選挙権が得られるよう運動を進める。従って一八歳以上の者に対し入会を認める。
  新党・護憲リベラル
規約
第一条(名称及び事務所) 本会は、平和憲法の会21と称し、事務所を東京都内におく。
第二条(目的) 本会は、日本国憲法の前文及び第九条の理念と精神を基軸とした非軍事・不戦平和の新たな世界秩序の創造を期し、護憲新党の結成をめざす政治団体として、護憲、平和、人権、環境、農林、自治、共生、公正を中心に、広範な勤労者、民衆と共同、連帯して総大な運動を展開することを目的とする。
第三条(事業) 本会は、前条の目的を達成するため、次の事業を行う。
@政策課題及び政治、経済、社会情勢の調査研究
A国及び自治体に対する提言
B各種選挙運動
C学習会及び講演会の開催
D関係諸団体との交流、提携
E機関紙及び出版物の発行
F会員の拡大
Gその他目的達成に必要な事業
第四条(会員) 本会は、目的に賛同する者をもって会員とする。
第五条(役員) 本会に次の役員をおく。
顧問  若干名
  (調整機能をもつ)
代表委員  若干名
常任幹事  若干名
(十一ブロックから選出)
幹事  若干名
  (都道府県から選出)
事務局長  一名
事務局次長  若干名
会計  一名
監事  二名
第六条(役員の選出及び任期) 役員は大会で選出し、任期は一年とする。但し再任を妨げない。
第七条(会議) 本会の会議は、大会、代表委員会、常任幹事会及び全国幹事会とする。会の運営については別に定める。
第八条(経費) 本会の財政は、会費、寄付金及び事業収入でまかなうこととし、会費は年額一万円とする。ただし低所得者、年金生活者、家族会員は五千円とする。
第九条(会計年度) 本会の会計年度は、毎年一月一日より十二月三十一日とする。会計責任者は、本会の経理について毎年一回監事の監査を受け大会の承認をえなければならない。
第十条(規約の改廃) 本規約の改廃は、大会において決定する。
第十一条(運営規則) 本規約に定めない事項については常任幹事会で決定する。
附則 本規約は一九九四年十一月十九日から施行する。

資料
「平和憲法の会21」
私たちはめざす

一、東西冷戦の終えんにともない、日本国憲法の前文と第九条が、人類共有の現実的目標であることが実証され、世界の人々からその先駆性が確実に高く評価されるに至った。今、世界はすべての軍事同盟体制を根本的に見直すべき時期にきている。私たちは、平和憲法の指針にそって、軍事同盟である日米安保条約を廃棄し、違憲の自衛隊を解消することによって、非武装平和主義を先導し、全世界の人々が平和的に安全に生存することのできる権利を保証する新しい世界秩序の創造をめざす。
二、護憲を旗印にしてきた日本社会党が完全に消滅したことによって、総保守体制化が急激に進行し、あたかも翼賛政治の再現的現状で、真に憂慮にたえない。
 私たちは、護憲、平和、人権、環境、自治、共生、公正を共同目標とし、その実現に向かって闘うすべての個人、団体の総結集をめざす。
三、すべての護憲勢力・政治勢力と対等・同権的関係を維持し、目標実現のために闘う共同戦線的運動体をめざす。
四、常に弱者、少数者の立場にたち、その意志と要求と願望を政治に反映し、実現することも最も重視する。当面各選挙などの闘いを通じて、大同を願うすべての政治勢力との大連合を達成し、政治団体登録を通じて護憲の新たな政治勢力の総結集による護憲新党をめざす。

平和憲法の会21の基本政策に思う
理想を堅持した現実政策を

                                 高山徹


はじめに

 「護憲の新たな政治勢力結集をめざす代表世話人会」が呼びかけた会合が十一月十九日に開かれ、「平和憲法の会21」が旗揚げされた。これについて翌二十日付日経新聞は次のように報じている。
 「護憲を旗印とした新政治集団「平和憲法の会21」(筆頭代表委員、岩井章・元総評事務局長)を旗揚げした。今後は同党離党組の受け皿として、新党の早期結成をめざす。同会はすでに結成されている「護憲新党あかつき」(上田哲委員長)、「新党・護憲リベラル」(田英夫代表)、「護憲市民全国協議会」(吉田正雄事務局長)など護憲を掲げる政党、組織を糾合。岩井氏や和田静夫元社会党副委員長らが呼び掛け人となり、同党の小森竜邦代議士もメンバーに名を連ねている」
 その会合で本紙前号に紹介した文書が検討された。「基本合意・約束(案)」は「私たちはめざす」(別掲)として、体裁的に大きく変更され承認された。また「当面の政策課題(案)」も、「私たちは約束する 暮らしの中に憲法を! 暮らしの中から憲法を!」として一部変更の上に承認された。ついでながら、これらの変更の結果、少なくとも日本語の文章としては相当に改善され、格調も高くなっており、歓迎すべきことと思われる。
 私たちがまだ第四インターナショナル日本支部だった時期であれば、こうした文書を資料として機関紙に掲載することもなかったし、組織や読者に検討を呼びかけることもなかったに違いない。何が変わったのか。一つは運動情勢、つまり潮流形成の土台が根本的に変化したのであり、もう一つは私たち自身の社会主義観、党組織論、つまり潮流形成の考え方が変化したのである。
 旧日本支部は、いわゆる総評・社会党(・共産党)構造が諸情勢の変化や構造内部の対立・矛盾を介して登場させてくる青年層を中心とする「前衛層」の獲得を組織建設の軸にしていた。そして権力関係、階級関係として世界をとらえ、その認識をそのままの言葉で使った。たとえば、かの「世界的二重権力構造」とは「東西対立、冷戦構造」に権力関係を導入した言葉であり、権力関係として問題を把握しようとする人にのみ通用するものであった。こうした手法や言葉はもはや通用しない。私たち自身が普通の言葉で考え、人々と対話していくことが求められており、その過程を通じてのみ「新しい社会主義観」が形成されていく。
 以下、この文書を読んだ感想を記したいが、その前に一点述べておきたいことがある。社会党の基本政策放棄をどう総括するか、という問題である。
 社会党が旧連立政府に参画し、「従来(自民党)政府の基本政策を継承する」との基本合意を承認し、ついで村山政権に至って党の基本政策自体をあっさりと投げ捨てたのは、「現実路線」の名の下に徐々に進めてきた路線変更の集大成であったのだろうが、しかし急激な転換に間違いない。なぜなのか、という素朴な疑問がつきまとって離れない。そして、この疑問は、従来の社会党が掲げていた基本政策とほぼ同様の路線を掲げる政治勢力にとっては、これに回答することなしには従来の社会党支持層の支持を再獲得できないほどに重要な課題である。
 平和憲法の会21が社会党の基本政策放棄をどのように総括しているのか、この文書からはうかがい知ることはできない。この問題自身が簡単ではないし、しかも今後の方向性に直結しているのだから、提案文書の討論と関連してじっくりとした議論が必要だと思われる。

理想の旗を高く掲げて

 平和憲法の会21の主張の中心軸の一つは、「非武装平和主義を先導し、全世界の人々が平和的に安全に生存することのできる権利を保証する新しい世界秩序の創造をめざ」し、そのために「日米安保条約を廃棄し、違憲の自衛隊を解消すること」にある。つまり非武装平和主義を新世界秩序の基本とし、その世界秩序を護憲・安保破棄として日本で貫徹し、世界の先鞭となる、ということである。この理想自体に反対する人々は少ないに違いない。「しかし、あまりに非現実的」というのが通常の反応であろう。そして社会党は、この反応に屈服した。
 東西冷戦構造の崩壊は従来の世界秩序の終わりを意味していた。環境問題をはじめとして地球規模の課題が山積しているのだから、新しい世界秩序の必要性を否定する人はいない。国連重視やEU(欧州連合)、その他地域連合体の形成など、様々な模索・追求が行われている。しかし、いずれの追求もその場限りの対症療法であり、「西洋文明と非西洋文明の衝突」といわれる現実世界の歴史的な転換期にしては、従来の文明を超える理念、理想が欠落していると思わざるをえない。こうした状況にあって、非武装平和主義は極めて重要な理念の一つである。
 前述の反応には二つの根拠があると思われる。一つは非武装平和主義とはあまりにも程遠い世界の現実であり、もう一つは理想実現に至る道程が見えないことである。
 前者の問題を考えると、一体どうなるのだろうか。たとえばセルビア・ヘルツェゴビナの問題を非武装平和主義の立場から解決しようとすると、どんな提案が可能なのだろうか。おそらく「当事者を中心にした平和的な交渉による解決」しか出てこないだろう。だが、これまでの経過を振り返ってみると、当事者による交渉が何度も行われてきたが、それに至るには国連という形あるいはNATO軍としての軍事力をはじめとする種々の圧力行使があったのは事実である。また、ヨーロッパ諸国とロシア、アメリカ、イスラム諸国――これら諸国間の複雑な利害対立が問題をより一段と複雑にしているのも、否定できない事実である。問題を国民国家(とその萌芽)の武装として考えていかなければならない。
 非武装平和主義を貫くためには、そして、それが単なる空論でないことを明確にするためには、セルビア・ヘルツェゴビナをはじめとする様々な武力紛争問題について回答を用意しなければならない。それには武力行使の抑制が必要である。
 現実にはほぼすべての主権国家(とその萌芽)が武装しているのだから、軍事力行使を抑制することは、なんらかの方法で国家の主権発動を制限することにほかならない。そのためには、各国が軍事力行使をしなくてもすむ方法(機構)と、各国に軍事力の行使をさせない・許さない方法(機構)が不可欠である。これは、当面の方法としてはヨーロッパ安全保障会議のような地域安全保障機構と国連の問題に帰着するであろう。
 平和憲法の会21は、「私たちは約束する」の中で「国連の民主的改革を推進する」と主張している。これはこれで結構だが、「民主的改革」の内容が問題である。現在の国連なり、地域安全保障機構の最も根本的な問題点は、主権国家の連合体にとどまっていることである(しかも、その連合体の内部は必ずしも民主的ではない)。各国が軍事力行使をしなくてもすむ方法(機構)と、各国に軍事力の行使をさせない方法(機構)としての国連への改革を考えていくべきでなかろうか。国連改革の道筋がはっきりしてのみ、非武装平和主義を世界に貫徹していく道程が見えてくるであろう。
 国民国家の主権発動を強く制限する国際機関の形成は、大局的、歴史的にみれば空論でなく、一つの流れである。この数年間、国民国家の衰退がかなり大きく主張されるようになってきた。一方では、国連重視やEUへの動き、NAFTA、APECなどの地域的な経済協力機構の結成など、国民国家の主権のほんの一部だが、それを譲渡される国際機関が登場しはじめている。他方では、ヨーロッパをはじめとして、少数民族の自治要求にみられるような国民国家に対してはいわば下からの主権奪還の動きがある。二つの動きにはさまれて国民国家がその役割を後退させている、というのである。
 図式化していうと人間は、世界市民(あるいはヨーロッパ市民、アジア市民……)、国民国家市民、自治体市民として三層構造(これらの間に多数の集団構造が当然にも存在している)を有して存在している。従来の考えがあくまでも国家市民としての存在が決定的な軸心であった。思考の中心はあくまでも国民国家にあった。これに対して「新しい世界秩序」を考えるためには、これら三層をバランスよく一つの全体として統一的にとらえていくことが要求されている。数千万台のコンピュータがインターネットという世界的な単一のネットワークで結合している現実を考えると、「世界市民」の概念ははっきりと現実味を帯びてくる。と同時に自治を最大限に実現する「地域」の充実も追求されなければならない。
 社会党が「現実主義」に屈服していったのは、結局のところ国民国家中心主義の思考から脱却できなかったためと思われる。平和憲法の会21が社会党の従来の基本政策を引き継ぐにしても、この点をはっきりさせることが極めて大切だと思われてならない。

人間中心型社会をめざす

 社会構造のあり方に関して「私たちは約束する」は、「大企業中心の社会構造を変革し、人間中心・勤労者中心型社会をめざす」と主張する。これは、日本社会を考える上で非常に重要な問題だと思う。
 かつて本紙でも紹介された「豊かさとは何か」(岩波新書)に「企業の門をくぐると、そこには憲法はない」という趣旨の一節があった。この象徴として過労死やノルマ制度、単身赴任、サービス残業、異端分子への村八分などがある。また「日本株式会社」との指摘があり、その基礎には「会社本位主義」(奥村宏)があると主張されている。
 こうした日本的システムは、日本的経営、企業系列・企業集団、株式相互持合い、行政指導、労資協調主義などとしてあり、その中心に「政・官・財の三位一体構造+労」がある。そして教育制度をはじめ天皇制や日本的な家族制度(観)、文化・娯楽などの様々な制度、仕組みが企業中心社会を支え補完している。「企業中心の社会制度」とは、経済や労働だけでなく、日本社会全体を規定する根幹をなすあり方だと思う。
たとえば企業の政治献金である。政治献金は政治活動そのものであるから、政治的な存在のみに許されるべきである。ところが日本の最高裁は「会社は、自然人たる国民と同様……政治的行為をなす自由を有する」として、その根拠を示すことなく政治献金を認めた。最高裁の論理を逆にいえば、会社は選挙権をもつべきことになる。
 「私たちは約束する」は、前述の一節に続いて「勤労者の雇用確保と権利を保障し、あらゆる不当労働行為と人権侵害を許さず当面国鉄労働者に対する不当首切りの即時撤回を求める」という。この記述は、企業中心の社会構造を変革する主体が労働者であるとの認識を示しているのだろう。そのこと自体は正しいと思うが、たとえば労働組合一つとってみても、大部分の労組が資本や国民国家にすりより密着している現在、企業の内部に憲法を取り戻すためには労働者の主体性のみならず、労働組合をどうつくりかえていくのかが極めて大切な課題となる。「当面国鉄労働者に対する不当首切りの即時撤回を求める」という課題設定が、そうした労組のあり方を示しているのだろう。
 奥村宏は「会社本位主義は崩れるか」(岩波新書)の中で結論として次のように述べている。
 「法人資本主義の原理としての「会社本位」主義は崩れつつある。……「会社本位」主義の崩壊、法人資本主義のひび割れ、さらに大企業体制の解体は、いずれも構造的な変化であり、それが実現するにはかなりの時間がかかるだろう。しかしその変化は確実に起こりつつある」
 大企業中心の社会構造を変革する課題は、決して空論でなく、歴史の方向に合致している。従来の革命の立場に立てば社会構造の変革とは、旧社会構造を徹底的に破壊して新しい制度を樹立するのだから、現代の制度との関係を考える必要はない。だがここでは、そうした革命の立場ではないようだから、現在の構造から出発して、どのようにして変革していくのか、その具体的な道筋の提示が必要である。
 ところで「人間中心・勤労者中心型社会」とは、どんな社会なのだろうか。K・マルクスは共産主義社会の具体像を示さなかったが、基本的には自由な生産者(勤労者)の関係を考えていたようだ。どんな理想社会でも、人間には生産が不可欠である以上、生産組織(企業的なもの)が必要であり、めざすべき生産組織のあり方(その内部のみならず、社会的な位置関係を含めた)を方向性として内包した人間中心型企業の現在的な追求がなされるべきであろう。しかも社会制度として理解されているのだから、当然にも人類と自然との関係を含む多様な豊かな構造として提示されなければならない。
 この考え方からすると、「私たちは約束する」の全体が、この理想社会との関係で組み立てられるべきであろう。だが、実際の「私たちは約束する」は、そうした組み立てになっていないようだ。時間が必要であろうが、こうした方向でのさらなる検討を行っていくべきであろう。
 ついでながら、本紙前号で紹介した「原発」の項目が、今回は「エネルギー」として書き換えられ、次のようになっている。
 「エネルギー効率の高いコンバインド・サイクル方式の(を?)採用し、コ・ジェネレーションのあらゆる分野における開発を推進する。……クリーンエネルギーの積極的推進を図るとともに、省エネルギー政策を推進する。原発は必要でないからこれを認めない」
 多くの人々は「コンバインド・サイクル方式」「コ・ジェネレーション」なんて理解できないのではなかろうか。自慢するわけでないが、私には理解不能である。多くの人々の訴える公約としては、問題だと思う。他に細かな点であるが、教育の項には「徹底した地方分権」とあり、地方自治の項には「大幅な地方分権」とある。こうした点を含めて、全体が一つの体系性をもった、配慮の行き届いた文書にする必要がある。
 いずれにしても、平和憲法の会21の文書は重要な提言であり、これを多方面から検討していくことが大切だと思う。
(十一月二十八日)
ルワンダ
               集団虐殺の構造
                               フランソア・ベルクマン

 百五十万人以上の死者に二百万人を超える難民、そして数十万人にもおよぶ負傷者や病人――およそ七百五十万人とみられるルワンダ人口のうちの数である。内戦、人種間殺戮、飢餓、流行病の発生……。ルワンダで起こっている事態が短期的かつ長期的に、個人に対して、あるいは社会全体に対して、ルワンダ一国に対して、アフリカ総体に対して何を結果としてもたらすのか、誰にも想像がつかない。事態の「論理的」な分析は簡単ではないが必要である。言葉で表現できないほどのカオスと絶望的な悲惨さの背後には、この事態に対する政治的な責任と現実的な利害関係が隠されているからである。長年にわたってルワンダに関与し理解してきたNGO(非政府組織)活動家たちは「この事態は全く理解できない」と述べている。ほかの解説者は、人類の「生まれながらの」残酷さや先祖から続く「種族間対立」などの自然的な要因を原因にあげている。そして「黒人の後進性」や「彼らのあまりに表面的なキリスト教への帰依」といった植民地主義的なヨーロッパの精神風土が、こうした考察を助長している。だが、より重要なのは「国境なき医師団」の責任者が述べているように、「集団虐殺の事実が否定され、国際的な責任が隠され、張本人たちの不遜さがあまりの不幸の中に隠れている」事実にある。

計画的な集団虐殺

 これが計画的な集団虐殺であることは、だれも否定できない。ルワンダでは、ツチ族に対する集団虐殺が繰り広げられてきたのである。赤十字によると六週間で五十万の死者、国連関係者によると三カ月で百万以上の死者である。これらの人々は、その出身種族を理由に体系的に虐殺された。財産は奪われ、家屋は略奪され、燃やされた。しかも彼らは非武装の一般市民であった。衝突があったわけでなく、戦争も内戦もなかった。児童、女性、妊娠した女性がことに虐殺の対象にされた。
 この虐殺と比べられるのは、ヒトラーによるユダヤ人虐殺だけである。だが、二つの点で違いがある。犠牲者の絶対数(ナチスは六百万人のユダヤ人を虐殺した)と、ナチが近代社会の装置を虐殺に利用した点である。しかしナチと同様に目標は、集団虐殺という「最終的な解決」である。大量殺害による人間集団の破壊であり、目標は、その社会的、生物的な再生産を停止させることであった。
 ルワンダ愛国戦線(RPF)のメンバーが行った、そして将来にわたって行うであろう行動に比肩できるものはない。彼らのフツ族攻撃は明らかに非難すべきであるが、しかし復讐の行動であった。

偶然の事態でなく

 ツチ族の集団虐殺は、偶然の事態でなく、暴力行動の自然発生的な爆発でもない。その当時戦争が行われており、集団虐殺がその戦争の一部であったとしても、戦争における暴力として虐殺を語ることはできない。中世への逆戻りとして語ることもできない。ツチ族虐殺は先祖返りによる行動ではなく、現代的な現象であり、市場が一般化し、社会の危機が深化する程度に応じて急激に増大する現代社会の野蛮さを指し示す現象なのである。四月六日、ルワンダの首都キガリ上空で一機の飛行機が撃墜され、ルワンダとブルンジの大統領が殺された。
 それから一時間もたたないうちに、ルワンダ軍の中核である大統領警護隊が首都を占拠した。占拠軍は処刑隊を伴い、あらかじめ用意してあったリストにしたがって住居を襲撃していった。数時間後には、道路にバリケードが築かれ、そこを通るすべてのルワンダ人が停止させられ、身分証明書の提示を要求された。そして慎重かつ計画的なやり方で全国で大量虐殺が展開されていった。
 最初の数時間に多くのフツ人がツチ人として殺された。それでも人種間の暴力抗争といえるだろうか。人種間の抗争なのだが、その動機は政治的だったのである。つまり攻撃を開始した側は、アルシャ和平協定の施行を阻止したかったのである。これが、ハビャリマナ氏族の特権と権力の解体を意味していたからである。集団虐殺の始まりは、フツ族内部での一連の政治的な暗殺であった。その狙いは、ツチ族との和解政府形成に賛成するフツ人指導者を排除することにあった。こうして過渡的な政府の首相、五人の大臣、憲法裁判所の代表、複数の野党フツ人党首、野党を支持する財界人――全員が殺害された。ハビャリマナ氏族に対抗しうるすべての勢力が排除され、政治選択はツチの政府か、それともフツの政府かの二者択一に限定されてしまった。こうして集団虐殺が政治的な意味をもつようになった。

反対

 この段階ではまだ、暗殺には大きな二つの反対要因があった。一つはフツとツチが社会的に、家族形成や職業の面で混合しており、これを除去しなければならなかったことであり、もう一つは人々が集団虐殺に反対していたことである。
 こうした抵抗はすべての大量虐殺の存在する。だからこそ、すべての虐殺において、それへの協力を拒否する人々の側に犠牲者が圧倒的に多いのである。このためには恐怖(支配)の風潮が不可欠である。そして、そのためには、集団虐殺を受ける側の人々の間に絶えざる不安、相手を殺すのか、それとも自分が殺されるのかの選択を伴う不安を生み出す状況を形成しなければならない。そして対抗陣営から、あるいは抗争関係にある他人種から、それとも自分自身の集団構成員から殺されるかもしれないという現実の危険性が不可欠である。こうした絶え間ない恐怖の感覚、次の段階での大量虐殺への積極的あるいは消極的な協力が、われわれの内部に存在する「人間性」を破壊していく極度に異常な状況を形成していく。ブタレ病院での大虐殺の出来事は、以上の状況の典型である。フツ人病院関係者は、フツ人兵士によって、自らが「本当」のフツ人であるのを証明するために同僚のツチ人を殺さざるを得ない状況に追いやられた。
 人種への忠誠と大量虐殺を通じた社会統合強化の手段としての人種純化の強制は、社会関係のみならず、人種集団としての記憶や個人の精神状況に対して長期にわたる影響を刻印する。

唯一のやり方

 一九九三年八月のアルシャ協定調印後、ハビャリマナ氏族は、自らの権力を維持するには集団虐殺以外に方法がないと考えた。集団虐殺は無から生じるのではない。ルワンダのそれは、社会的、経済的、人種的なそれぞれの側面での深い危機から生じたのであった。一九八九年十月三日のある新聞は「体制はよろめいている」と述べ、一九九〇年十月十日の別の新聞と「ルワンダは前例がないほど深刻な危機のうちにある」と書いた。
 一九九〇年七月に複数の人権擁護団体が、行方不明者、勝手気ままな逮捕、個人への侵害、集団的な虐殺などの増加を非難した。
 RPFの構成は迅速で、すぐにキガリ周辺に達したが、これは前述の危機の原因ではなかった。だが政権側は、弾圧と人種差別の強化でもって対抗した。ルワンダの一九七〇年代と八〇年代前半の腐敗状況の原因は、同国北西部を拠点とするハビャリマナ氏族の権力独占にあった。
 北西部以外の土地(多くは貧困地帯)に住む(ハビャリマナ氏族以外の)フツ族経済人らは、利権の分け前にあずかれず、この事実がフツ族野党の急速な発展の原因だった。一九五九年に起こり、それ以降長期間続いた社会革命に対比して精神的な革命と呼ばれる一九七三年のクーデターが成功した後、ハビャリマナ氏族は、フツ人支配層から自分たち以外の氏族を政治的にも実際的にも排除していった。
 世界各地に分散していたツチ族難民が一九九〇年夏にニューヨークで開いた会議は、一九五九年難民の平和的な帰国を実現するための交渉開始を要求した。しかし、何も成果はなく、要求は未だ実現されていない。
 ハビャリマナが一九九〇年代の危機を乗り越えられたのは、すべてフランスの援助のおかげであった。それ以降、すべてがRPFとの戦争準備にあてられた。軍隊は五千人から三万四千人までに増強され、フランスの援助で現代兵器で武装することになった。

巨大な矛盾

 社会的、政治的な矛盾は深刻なままであった。すでに百万人の難民が発生していた。ハビャリマナ氏族は、事態を鎮静化するために、人種間対立を利用することにした。人種ごとの割当制度がすべての面で導入され、パスポートに種族を明記するなど人種による統制が適用され、人種差別の扇動が強化された。
 一九九二年後半からは、政府系日刊紙がツチ族の解体を狙った扇動を開始し、フツの人種的な優越性を叫び、「すべてを奪おうとする」ツチ族の強欲さを非難し、他方では自衛のためのフツ族が武装する権利を声高に宣伝した。集団虐殺の思想的な軸は打ち立てられたが、しかし、このファシスト的なキャンペーンはまだ、立派な対面を保っていた。フランス大統領ミッテランと握手するハビャリマナ大統領の大きな写真が印刷され各地に貼られた。まさに西欧民主主義の名前で、ツチ族追放とフツ族支配が「正当化」されたのであった。
 また一九九二年には、あの悪名高いインターハムウェとインプザムガンビの戦闘集団がつくられた。すべての警察管区単位に二百人からなる民兵隊が組織された。一九九一年の八、九月か政府がら準備してきた「人民自衛隊」計画が実現したのだった。
 殺害すべき人物の名前が書き込まれたブラックリストがつくられ、回された。処刑隊は虐殺を重ねていた。一九九三年初めには、すでに二千人が虐殺されていた。
 ラジオ局の創設が「最終解決」準備の仕上げだった。ラジオは殺人を訴えた。「墓にはまだ余地がある。それを埋める助けをするものはだれか」と。同じラジオ局は、家屋に侵入し、その住人を狩り集める方法の伝授なども行った。

前兆
 
 一九九三年一月、ルワンダ人権団体連合は報告を発表し、その中で「集団虐殺の前兆がある」と明確に述べた。
 陰で操っているのはだれか。典型的なファシストの場合、集団虐殺は二重構造を有していた。すなわち、「正当」体制それ自身の構造と、非合法組織とであり、前者が後者を覆い隠す。ルワンダでは、この二つの構造はハビャリマナ一家に束ねられて集中された。ハビャリマナ自身は大統領、その妻と弟が「ネットワークゼロ」を統制し、ネットワークゼロが軍民双方の国家機構を指揮した。大統領警護隊はまさに国軍の中核で、文民機構は巧妙な統治のネットワークを形成した。
 四月六日以降、集団虐殺が最終段階に突入した後では、国家機構が最大の役割を担った。各首長は住民を武装させ、ブラックリストをもち、現地軍当局と一緒に各家屋を訪ね、「非合法」武装集団はその残酷な任務を果たしていった。そして、この集団が、RPFとの対立の中で「焦土戦術」を実行し、住民をザイール国境、難民キャンプに移動させたのであった。そして国家官僚は、難民キャンプでも恐怖と緊張をもって住民を支配し、ルワンダに帰国するのを阻止した。
 
「ムッシューZ」

 四月六日以前に非合法集団を指揮したのは、大統領の義理の兄弟、別名「ムッシューZ」といわれる人物であった。彼は、それまでにもカナダの人権団体からルワンダ学生に対する暴力で非難を浴びていた。彼とそのスタッフが、虐殺、殺害、暗殺を計画し、非合法の武器購入と輸送を担当した。前述のラジオ局による憎悪を煽り立てる放送を指揮したのも、この集団だった。この放送で重要な役割を果たしたのは扇動の責任者だった。そしてベルギー人がマイクロフォンを握ったが、実際の主役は大統領の義理の弟だった。
 集団虐殺が真に始まったのは、一九九三年十二月だった。フランス軍が「公式」にすべて帰国してからのことである。「公式」といったのは、ルワンダ軍と処刑隊に対するフランスによる非公式な訓練は続いていたからである。クリスマスと新年明けの間にアルシャ協定が実施に移された時、つまりRPFがキガリに六百人の配備を認められた時、協定の実施をサボタージュする動きが起こった。ここで注意すべきは、ルワンダのツチはブルンジのツチと違ってフツの国家暴力から自衛する手段をもっていなかったことである。協定実施をサボタージュする動きに対して、多方面から圧力がかかった。追いつめられた政権の側が、本格的に集団虐殺に着手したのである。
 最初に、政治的な抵抗拠点が破壊された。すべてのフツ野党が政権による「RPFに賛成か反対か」という扇動の中で分裂させられた。分裂後の政党の一部は、アルシャ協定の上でのRPFとの関係修復を追求した。
 十二月に大統領の側近は、武器を住民に公然と配った。こうして「統制不能」な虐殺が拡大していった。社会危機の中から生まれた数千の住所不定の若者が、その先兵となった。

禁止されて

 一九九四年二月、新たな段階に突入した。それまでに少なくとも四十九人の犠牲者が出ていた。国連軍は介入を禁じられた。この禁止命令は、それまで虐殺を阻止する政治的、心理的な障壁を打ち壊す役割を果たした、と複数の証人が証言している。
 三月、大統領警護隊がキガリを包囲した。アルシャで再び交渉が始まり、協定が再確認された。大統領が乗った飛行機への攻撃は、これに対する支配徒党の反撃だったのだろうか。この疑問への回答がいずれであるにしても、ハビャリマナ大統領の死は絶好の口実となった。
 「ルワンダ軍非常委員会」あるいはその一部が、軍事クーデターを起こし、権力を掌握した。フツ族強硬派だけからなる暫定政府がつくられた。そこには、一九五九年革命を指導しながら一九七二年から主流をはずれていた人物も含まれていた。この事実は、支配徒党内部に対立が存在し、軍の頂点と大統領警護隊の一部が神経質になっていることをうかがわさせる。
 フツの人権活動家は、ハビャリマナ政権内強硬派と一九五九年革命の戦闘的なフツ族指導者との新たな同盟が形成された、ハビャリマナ大統領はこの両者にとって障害だったのだろう、と説明している。この説明はまた、最大の疑問である、大統領がなぜ自らの警護隊によって殺されたのか、をも明らかにしてくれる。
 集団虐殺への反対はなかった。かの「国際世論」なるものも、沈黙を守った。介入が必要なときに、介入の余地があるときに、だれも介入しなかった。フランスしかり。一九九〇年以来、同国は暗殺者の側に立っていたのであり、ことに同国軍人がルワンダの軍事顧問だったのだから。ベルギーしかりである。未確認情報として各国政府が知り、公式情報として国連が知っている事実を、なぜ、だれもが認めないのか。集団虐殺は、数カ月にわたって計画されてきた。にもかかわらず、だれも何もしようとしていない。
(インターナショナル・ビューポイント誌260、10月号)