1995年1月10日         労働者の力                第63号

 敗戦後五〇年
 アジア民衆と共生する日本民衆の政治勢力の形成へ

川端 康夫 


 一九九五年、第二次大戦が日本帝国主義の敗北に終わってから五〇年目を迎える。国際的、国内的に戦後政治の決算が否応なしに迫られ、進展しつつある。旧「社会主義」の崩壊とともに、左派の「脱皮のための努力」がはじめられた。政治の液状化、政党の牽引力の低下の陰に、民衆から超然化した権力構造への移行が小選挙区制度導入の水路を通じて策動されている今日、新しく社会主義を再生させる努力は、新たな民衆的な政治的陣営と政治的構想の水路を深めること重なって進む。九五年は新たな民衆の政治表現の具体化にとっての重大な年となるであろう。
 
 浮遊する世界状況と新国際秩序論の破綻
 
 勝利した「連合国」が一気に分解と対立の関係に入り、米ソ対決を基軸にした東西対立が世界の階級対立を表現する形で現れたとき、日本国家においては、そのいずれの方向を選択するかに集約された階級的対立が政治的基軸となった。「東西対立」の図式で表現すれば、ブルジョア陣営は「西」を向き、労働者民衆は「東」に期待を寄せた。そうした時期的基調は、幾度かの内容的変遷をともないつつも、基本的には一九八〇年代いっぱいまでは持続した。
 一九九〇年代、そうした時代の趨勢は終わった。戦後的、五五年体制的な左派、革新派陣営の基軸も今、最終的な崩壊局面にある。自民党と社会党とを代表的な表現とした政党構造は崩れ、政治状況の混とん、浮遊化の進展は奥深い。
 「東」の崩壊は、力のバランスによる世界各地域の安定という支柱を取り外すことに通じた。世界各地域の政治的流動が始まり、それを通じて、新たな地域的なヘゲモニーや権力獲得を展望し、「強制された寛容」から「解き放たれた不寛容」が優越する状況が流動化する地域を覆い始めたた。民族、部族、宗教などの概念を媒介にして、それらは現れたのである。
 軍事衝突は「東西対立の表現」から、それぞれが地域的な「独自の新秩序の形成」をめざすものへと姿を変えた。対立と抗争、衝突は、東西両陣営衝突の前線という位置およびそこにおける一定のトータルな制御からはなれた、混とんを表現するものへと変化した。
 混とんを秩序へ――「国際十字軍」が冷戦の勝利者たちによって提唱される機会が到来したのである。
 だが、そのクルセーダーは次々にざ折を味わった。帝国主義は「国際十字軍」を国連機構を利用しうるような、一定の合理性に裏打ちされた編制にまで高めることをなしえなかった。ソマリアから旧ユーゴスラビア、そしてルワンダと続く一連の紛争に対して、国連は「平和創出」のために必要な共通の基準を見つけることができなかったのである。
 あるとすれば、「北」が「南」を支配する、「西」が旧「東」を支配する、という帝国主義の利害観点を基準としてのみであり、そこにおいて帝国主義の「新国際秩序」が構想された以上ではなかった。したがって、行動基準はすぐれて「二重基準」(ダブルスタンダード)に満ちたものとなり、その矛盾は不断に白日の下にさらされる。NPT(核不拡散条約)をめぐる「北朝鮮」への軍事どう喝とイスラエル、インド、パキスタンへの対応の違い。あるいはチェチェンへの軍事侵攻を進めるエリツィン政権への容認の態度とイラク内部のクルディスタン保護の軍事活動の展開という現実を見れば明らかだ。
 「国際十字軍」は、帝国主義の利害を踏まえる。多国籍軍編制と国連軍編制との距離は無限大といっていい。そこでの「平和執行」と新国際秩序創出の矛盾、そして平和維持と平和創出との矛盾、および根底にある「平和維持」活動そのものの矛盾。これらが「国連を通じた平和」論を覆っている。
 
 国際貢献論による軍事力発動への論理
 
 国連という「調整機構」に「執行機構」機能を与えようとする試みは、すべて無に終わってきた。世界の貿易、世界の環境保護も、世界的な経済調整も、実質はすべて国連機構の外で進められてきた。なによりも「サミット」という「西」側諸国首脳会議がまさに国連から独立して、国連とはまったく無縁なものとしてこの十余年の国際的な政治・経済の基軸をつくるものとして開催されてきている。ユネスコからアメリカが脱退した状況が国連機構を象徴している。
 このような国連機構に「統一した世界平和の執行機関」という装いを背負わせようとしたのが、「西」とりわけアメリカの策動であった。もちろん前提として、P5(安保常任理事国)の合意――それがどのような水路で導かれたものかは問わず――がない場合には、アメリカそして「西」は自らのむき出しの利害に基づく多国籍軍を編制することが設定されている。
 昨年の「北朝鮮」をめぐる事態は、P5の一員である中国との関係において国連機構を利用できない状況にあった。そして「朝鮮半島有事」論は、アメリカによる「北朝鮮」制裁を目的とした多国籍軍の編制という、極めてありうる状況に対して、日本国家がいかに対応するかをめぐる政治的緊張を導いた。
 多国籍軍に積極的に公然と参加する――これが「国際貢献論」者たちの積極的な主張の内容であった。日本軍隊――自衛隊は「北朝鮮」への軍事封鎖あるいは軍事的制裁行動に参加する以外の選択はありえない、という結論が「国際貢献論」として準備されていたのである。さらに補強する見解として「日米安保条約」が規定する「極東の範囲」にすっぽりと「北朝鮮」が入る、と。日米安保条約はここではむきだしの「攻守同盟」へと変質させられて主張されようとした。
 アメリカが一方の可能性として「北朝鮮」との戦争を想定していたことは事実である。あと一つの可能性を探るカーター外交の成功が村山政権成立の追い風になった、と当時喧伝された。いうまでもなく、細川、羽田の旧連立政権は日本自衛隊を多国籍軍に参加させる意図のもとに行動する準備をしていた。昨年前期の検察当局による京都での朝鮮総連への異様な弾圧態勢が、細川・羽田内閣と日本国家機構の当時の意識を表現した。小沢・市川の一・一ラインの本音はまさに「朝鮮有事ぼっ発」の待望にあったといって過言ではなく、ここにおいてアメリカに真に役立つ日本政府という姿を演出しようとしたのである。
 細川は思いもしなかった課題を突如背負わされた形となり、その「任の重さ」を見すかした形で、新生党そのものの代表である羽田が後継につく。日本新党の役割はここに終わった。
 「普通の国家」路線は、日本軍隊を「新国際帝国主義秩序」の確立と維持の手段として駆使することなのだ。
 こうした思考が「敗戦後五〇年」という節目に一挙に日本政治の主軸に登場したのである。
 
 日本政治総体の「普通の国家」論への転換
  
 村山政権は、そうした根底にある問題を覆い隠して時を過ごしている。新進党も同様である。相対立する両陣営は、相互に議員数の「数合わせ」が主軸となった政界再編劇の乗り切りを策し、それがまた再編劇を動かす最大の動機になっている。
 限りない員数合わせの力学は、全体の政治構造を相互浸透的な形、すなわち一方を限りなく小沢路線の地平に寄せ、他方を口当たりいい政策提起に傾斜させる。そして「ハト派的タカ派」や「タカ派的ハト派」などが入り乱れて相互の陣営に分散し分岐している。自・社・さ連立と新進党勢力のそれぞれに所属する議員個々人の政治的分類と、その所属する陣営とは今やまったく無関係である。相対立する両陣営は、意識的に座標軸をずらせているのである。
 村山が自衛隊合憲をためらいなく受け入れた事実は、日本国家の政治基軸を「西」側におくことを全面的に認めたことにとどまらず、小沢的視野を「先取り」してしまうことで小沢路線の求心力を削ごうとする手法であった。その延長上で「朝鮮有事」が万が一にも再燃するようなことがあった場合、おそらく村山政権はアメリカ主導の国際制裁、多国籍軍発動に(程度がどうあれ)積極的に関与していくに違いない。
 もちろん、自社両党はもとより新進党内部においても、こうした小沢路線が突き出した普通の国家、国際貢献論の論理で整理がついてしまったということではない。反小沢、あるいは非小沢という点では、皮肉にも新進党内部、旧新生党内部の反小沢グループが正面から「普通の国家」論を時代遅れとして批判しはじめてもいる(愛知和男、1・10付朝日朝刊)。
 だが「普通の国家」論の土台で政治総体の軸心が動いた。政界再編の権謀術策の中で、「保守二大政党論」の土壌が明確に掃き清めらた。村山政権誕生は、戦後政治の明確な歴史的転換を画した。戦後革新の党は崩壊したのである。
 このままで推移すれば、保守両陣営のうちのいずれかましな方を選ぶという道しか民衆には残されない。だが「普通の国家」論への客観的圧力のもう一つの側面を見過ごすことも不可能である。それは小沢的「普通の国家」論の欺まん性を徹頭徹尾明らかにするのである。
 
戦後五〇年のアジアと日本の一国政治の解体
 
 敗戦から五〇年、日本政治の主軸が一挙的に「西」側として確立しはじめた。だが、それは同時に、東アジアの政治全般が「東西対立」の論理から自己解放されることと一対のものである。
 東アジア政治は「西」も「東」も、その冷戦論理において旧日本帝国主義の決算を中途にしてきていた。そして日本政治も、表層的には東アジア政治に深く関与することを避けるポーズをとり、政治的一国主義のポーズを一定の国内合意として標ぼうしてきた。日本経済は「西」の枠組みで、東西対立を巧妙に利する形で戦後復興から急成長へと推移してきたのである。だが、そうした国際的な条件も失われた。「西」陣営に属した東アジア諸国の軍事的な独裁権力構造が崩れ始め、「西」側の内部の国家間交渉ですませることができた戦争賠償や「戦後処理」は、あらためて民衆レベルでの賠償、補償問題として噴出してきた。
 「普通の国家」への圧力は、同時に二面的に現れているのである。
 細川、羽田の連立期も村山連立政権においても、変わりなく「閣僚の不適切発言」が繰り返された。また、日本外交の基本は、相変もわらず国家間での了解をとりつけることですまそうとする手法のままにある。いわく「国連常任理事国化への各国政府の支持」、いわく「戦後補償は国家間の条約で処理済み」などの論理は、旧日本帝国主義の決算を中途にすることを可能としてきた戦後の東アジアの国際関係の中で通用したものであった。
 日本遺族会は「侵略軍であったとされては戦死者は浮かばれない」と主張する。だが「この侵略帝国を滅ぼせ」と叫ぶ、膨大な朝鮮、中国、そして東アジア民衆がいたことを歴史から抹消することはできない。そして戦後日本国家は、自らの侵略軍軍人には手厚く、他方、侵略の被害者たちは切り捨てた。このような戦後国家の「一国主義」をそのままにすることも、もはや不可能なのである。
 旧軍弾劾よりは旧ナチスを訴追することが主軸となった戦後ドイツ政治のような一種の「スケープゴート」を欠き、同時に直接の責任者である天皇が訴追を免れるという日本の場合、弾劾が旧軍隊に直接に向き、かつ、その最高責任者を免罪するという論理矛盾した環境におかれた。その矛盾は戦後国際政治構造によって爆発を抑止され、より積極的には天皇が免罪されるなら東条らのA級戦犯も免罪されるという「論理的合理化」や「靖国の論理」を導いてきた。歴代の保守党政権は、この論理的合理化を了解してきたのである。
 日本が「普通の国家」であるならば、普通の国家らしく戦争責任を明確にし、その行為を謝罪し、賠償を行い、行為の責任者を追放しなければならない。すなわち天皇の免責を自ら取り消し、A級戦犯をまつる靖国を解体するということこそが、「普通の国家」たる最大の条件であろう。だが小沢路線にはそうした概念は一切ない。特殊戦後国家としてのありようを継承し、そして温存されてきた旧帝国主義意識を決算することなく、「西」、「北」の一員として東アジア、世界に臨もうとする。小沢の主張は、決して「普通の国家論」ではない、まさしく「特殊国家論」そのものである。
 
戦後一国主義左翼からの離脱と飛躍を
 
 戦後の日本政治の特質は、同じく左派、革新派の陣営にも作用した。
 東との交流関係と国内における反軍国主義化闘争の展開――これらは相当の規模で展開され、また歴史的にも正当に評価されるべきではあるが、そのいずれにせよ、日本における左翼運動、革新陣営の視野が積極的に世界構造に向かい、また国内政治の新たな展開に踏み出すというところには重心は向かなかった。
 東西対立関係の均衡が崩れたとき、その弱点が露呈した。
 現在、攻勢にある保守の「国際主義」は、「西」側政治が世界を席巻したことの反映である。こうした保守の国際主義の正体は、帝国主義の国際秩序形成に加わろうとするものであり、同時にそれによって「特殊国家としての日本」の位置を防衛することを目的にする。政治的にも経済的にも戦後日本の保守政治は、東西対立関係から利益を引き出した。それをさらに延長することに政・財・官、そして(主要に輸出型産業の)労の結合されたブロックの共通視点があり、そして彼らの「国際主義」が展開される。
 アメリカ市場を主要ターゲットとし、自由貿易論に保護された日本産業の「洪水的輸出」、戦後賠償を契機にして進出した東アジア諸国へのプラント輸出と略奪的な資源収奪。これらの構造が限界に達したことは、すでに明らかだ。内外価格差の維持によって工業製品の輸出競争力を下支えすることに象徴される輸出特化型産業構造は、為替レートの平準化作用によって不断に相殺され、同時に国内市場価格吊り上げは価格破壊の波に粉砕される。農業も林業も漁業も国際化時代の中で荒廃する一方、円高を背景にした資源収奪が猛威を振るい、収奪地域を荒廃させるにしたがって新たな対象を求めて移動する日本資本は、まさに「北」の象徴である。
 日本経済と日本社会のシステム全体が、行きづまりの傾向を明確にしてきている。もはやアメリカとの技術競争戦を貫徹することも、アメリカ側から拒否される。経済競争戦に勝ち抜く産業構造の高度化の展望は、いまや持続できないところにきた。バブル崩壊が日本経済の戦後的構造の限界点を表現した、という歴史的評価がなされることになったとしても不思議ではない。
 政・財・官・労の結合は、いわば日本経済が突き当たりつつある新たな障害への臨床的対応にあがく集団の結合であり、アメリカという「虎のひげ」に触ることがないように行動するために、経済外的う回路線として国際貢献論にのるのである。
 新たな革新勢力が直視すべき視野は、まさにこうした国際的状況である。国際通貨基金(IMF)と世界銀行を通じた「北」の経済支配、略奪的開発を誘う「北」の資本、これらを通じて拡大する全般的な地域と社会の荒廃、そして貧困の蓄積、環境の破壊、飢餓と流亡。「南」の不安定は「北」の反映であり、それが「北」にはねかえり「北」社会の不安定性の増大をもたらす。アメリカ社会の不安定化や第三世界化しつつあるとも一部に酷評されるイギリス社会。日本社会のかげりもそうした作用の明らかな反映である。
 世界の不安定化、混とん状況化は、明確な処方箋を見つけることなく進行している。軍事力による抑止という論理が強まる一方、その限界もすでに示された。世界総体の不安定化の拡大を軍隊で抑止できると理解する立場は、まったくの想像力の欠如か、またはデマゴギー的政治家のものにほかならない。新保守主義の国際主義と真っ向から対じする新たな国際主義的な革新勢力が、登場しなければならないのである。それは、アジア民衆との関係において政治的、経済的、そして倫理的にも共生する日本の将来像を探り、推進する中から成長していく。九条護憲論という大枠的結集は、その端緒である。
 
 九五年、参議院選挙を左派、市民派の新党ブロックで闘おう
 
 新たな左派・革新政党をめざす動きは焦眉の課題となった。
 社会党そのものの分解や離合集散がどのような形になるにせよ、新たな「国際化時代」の国際的左翼の構造が成立してくることになる基盤と必然性が準備されつつある。社会党は脱皮することを要求されているのであり、社会党が新政党に変化するのは歴史的必然である。新保守勢力に合流するための新党運動も避けられないが、同時に新たな左派政党をめざす運動も新政党の姿をとらなければならないのである。
 そうした新政党は、部分的に社会党の歴史性の継承を表現することもあるが、それ以上に国際化時代の市民派的、左派的政党として新しく組織されてくるという姿になるであろう。そうした方向への芽は多くはないにしても幾分かは現れている。それを具体的に結実させる過程が容易ではないことも確かだが、九五年における闘いが当面の直接的な出発の有りようを定めることになる。
 具体的には、最も近い国政選挙、すなわち七月の参院選挙には明確に全国的に諸勢力を結集した選挙ブロック(政党)を形成して打って出ることから着手されなければならない。
 新民主連合(新民連)の分派・分党行動が村山政権の不安定化を促進することは明らかであり、この政権が解散・総選挙に追い込まれることも可能性としてはある。しかし、その場合、選挙態勢に即応できるのは自民党だけであろう。新進党にも新民連にもはっきりとした追い風が吹きそうにもない、一種の政治的喪失感と倦怠感が強まっているだけに、野党サイドからも、もちろん混乱の極にある社会党サイドからも早期解散論が出てくる余地は少ない。
 参院選挙は衆院における新選挙制度の規制を受けない。それゆえに、参院での比例区選挙は、今や唯一の全国的な力を合わせて闘うことができる選挙の仕組みとなった。しかも比例区選挙は政党への投票である。政党としての力量と影響力が掛け値なしに問われる。新選挙制度、政党助成法からして五人以上の国会議員もしくは直近の国政選挙での二%以上の得票率が最低条件とされている。
 市民派・左派は、小選挙区制度の幾重もの規制を突破するために昨年、選挙ブロック、つまり公選法上の政党形成という方法を提案し、あわせてこうした方法を通じて「生まれも育ちも違う」多様な勢力が協同作業を積み重ねつつ新しい政党へむけての経験と可能性を蓄積していくことを提案してきた。
 「国会議員五人の壁」を突破する軸心は、当然にも社会党護憲ブロックからの動きにかかる。新政党形成の動きに現職議員が決定的な力をもつことはやむ得ざることとして理解された。新党・護憲リベラルが五人の壁をクリアし、また衆議院の小森龍邦議員と参議院の西岡議員が新党形成に踏み出した。いわゆる護憲派はすでに五人の壁を越えている。平和憲法の会21の年頭の代表者会議では、紆余曲折はあれ統一地方選挙前に準備会発足、参院選前に新党結成、という日程が合意された。それは周囲の政治状況や護憲リベラルと平和憲法の会21、そして市民派の折衝次第で繰り上がることもありうる。
 こうして想定される新党形成を現実化させるにあたって、留意すべきことは、「党」概念において相当に禁欲的であらねばならないという事実だ。前述したように結合しようとする諸勢力、諸個人の間には政治的な共有の経験も論議もないのであり、さらに一つの勢力が他の諸勢力を吸収するという発想があれば、結集そのものが水泡に帰してしまう。諸勢力の「対等な結集」の尊重の上に協同が生まれる。
 したがって、選挙ブロック政党を、なによりも参院選挙を闘えるものとして作り上げるという透徹した理解が不可欠になる。新党・護憲リベラルは全員が参議院議員であり、かつ今回が改選期である。小森議員に同調する西岡議員も同じである。新党・護憲リベラルはなによりも来る参議院選挙をくぐり抜けなければならないのであり、そのためにこそ新政党が全国規模で形成され、選挙戦を闘うことが最初の出発点になるのである。
 実践的には最低「二%の障壁」を越えなければ、この「新政党」は永田町の離合集散の一部で終わってしまうであろう。市民派・左派が参議院選挙を焦点として意識しつつ地方議会への挑戦を軸にした動きの全国ネットワークへの結合を進めてきたのも、永田町政治から自立した政治のうねりを主体的なものとして結実させようとする思いからであった。
 比例区でまずは最低二%。これが勝ち取られなければならない今年前半の最大の活動目標である。「新政党」は、そのために必要な手段、すなわち保守独占の永田町政治のカラクリを打破しようとする民衆の力、思い、エネルギーに現実の水路を提供する手段なのである。出発においてこの課題をクリアできるかどうかに、その後のすべてはかかってくる。
 九五年、二十一世紀につなぐ国際的な民衆の政党の創出の歴史的一歩を踏み出すために力を集中しなければならない。
  (一九九五年一月)
新刊紹介
      「国連新時代――オリーブと牙」外岡秀俊著 ちくま新書

はじめに

 この数年間に新しい名称の文庫や新書が数多く刊行されている。本業の単行本で利益があがらなくなったためと思われるが、久しぶりにいった書店でそうした新書の一つとして名前だけは知っていた「ちくま新書」がずらりと並んでいたので、その中から書名だけで関心をそそられた数冊を購入した。いわぶ偶然手にした本書であったが、読後感は悪くはなかった。
 著者は「一九五三年生まれ。朝日新聞社に入社。東京社会部裁判所担当などを経て、八九年から九三年までニューヨーク支局員として国連を取材。現在、「アエラ」編集部員。広い視野と鋭い切口には定評があり、「新時代」のジャーナリストとして今後の活躍が期待されている」と紹介されている。
 本書に著者が込めた狙いは、次のように説明されている。
 「国連取材をしていた当時、私はいつも、国内での国連のイメージと、実像が食い違っていることに苛立ちを覚えた。この小著では、冷戦後に大きな変貌を遂げつつある国連の活動に焦点を合わせながら、僅かでもそのギャップを埋めることに力点を置いてみたい」 「国連憲章と(日本国)憲法をめぐる論争は多いが、それぞれの分野での主張は明快であっても、その交差する一点で、整合性を見出すことは難しかった。おそらくその原因の一つは、現実の国連の動きについて、議論の共通の土台となる認識にずれがあるためではなかったろうか」
 「憲法と国連憲章の関係について……この新書は、一般読者にはやや分かりにくく法律専門家にとっては論理構成が雑駁な、中間的な性格を帯びる結果になった」
 以上から明らかなように本書は、国連の実像を正しく伝えようとすると同時に、日本国憲法と国連憲章の関係を可能な限り解明し、世界と日本の進むべき道の一端を追求しようとするものである。

変貌するPKO活動

 著者は初めに日本国内の国連についてのイメージを分析し、実像との違いの原因を探る。
 「国連のマークは、平和の象徴であるオリーブの葉が五大陸を両脇から包むようなデザインになっている。国連憲章が「平和的手段」による紛争解決を原則としていることから、国連が性善説に立っている、と思う人も多いだろう。実際に、冷戦下では……「平和機関」のイメージが色濃かった」
 「憲章は……大戦に無力だった国際連盟の教訓を踏まえて……まず第六章で政治、外交などによる平和的な解決をめざすが、第七章では国際社会が一体となって経済制裁や運輸手段の中断などの非軍事的な強制措置をとり、それが不十分は場合には、空、海、陸軍の行動をとることができる、と定めているのである。オリーブの葉の内側には、平和を守る牙を隠し持つ」
 次にPKO活動の由来、五原則、その変貌が説明されていく。日本でもかなり常識になっていると思われる、国連憲章にはPKO規定がない事実(憲章第六章半との位置づけ)、五原則と日本のPKO五原則との関係などが明らかになる。そしてPKO原則が崩れ、憲章第七章に基づく新たな活動の開始は国連イラク・クウェート監視団(UNIKOM)だったと著者はいう。
 「これは一九九一年四月九日、非武装地帯にいる軍隊の撤退や交通の監視などを任務として安保理が設置を決めたものだ。この設置を決めた……決議は前文で「憲章第七章のもとで行動する」と明記している。……もう一点重要なのは、このUNIKOMで初めて「P5はPKOに要員を派遣しない」という暗黙のルールが崩れた点だ」
 「UNIKOMに見られた変化が決して例外的なものではなく、むしろ「冷戦後」を迎えた新時代の国連の先触れであったことは、その後、ガリ事務総長が提案した画期的な報告書(平和への課題)で明らかになった」
 続いてガリ事務総長の提案の一部が国連としては異例の早さで実現されていった過程を検証し、ソマリアと旧ユーゴ(マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)の国連活動(従来よりも強力な武力行使を認めた第二世代のPKO)を分析する。「武力行使の限界」が明らかになったと結論を下し、その原因として「指揮権をめぐる混乱、国連の中立性の喪失、内戦での武力行使の限界、国連の財政悪化」をあげている。
 そして現在の国連について次のように指摘する。
 「現実の国連は、いまだに流動的であり、試行錯誤のさなかにある。集団的安全保障の本来の姿である常設国連軍はいまだに結成されず、将来も現実化する可能性は極めて小さい。結束して湾岸危機に対処したからといって、多国籍軍型の紛争処理が必ずしも成功するとは限らない。現実には、多国籍軍も集団的自衛権を発動した米軍が主導権を握り、その武力行使を国連安保理が「容認」するという形をとった。また、国連平和実施部隊が必ずしも機能せず、憲章第七章に基づく武力行使に対する自省も強くなっている。国連は確かに活性化したが、その集団的安全保障が確立したとはとうていいえない状態だろう」

日本国憲法と国連憲章

 著者は国連とその憲章あるいは戦後の時代そのものを「第一期は制定期、第二期は冷戦期、第三は冷戦後の現在と、一応は区分できる」として、それぞれの時期での憲章と憲法の意義とその解釈(実態)を分析する。前述のように本書で著者が最も力を注いでいるのが、第四章「日本と国連」である。
 本書は「日本国憲法と国連憲章の関係を可能な限り解明し、世界と日本の進むべき道の一端を追求しようとするものである」が、この課題が簡単に解決できるものでないのは明白である。
 著者の結論の一端を紹介して本書の紹介を終えたい。
 「従来の護憲派が主張してきた論理も、不十分だったと指摘せざるを得ない。……第二期につくられた国連の平和的イメージは、必ずしも絶対的なものではなく、最終的な安全保障をその一点に委ねるという主張は、現実において第二期には説得力を持たなかった。国連が活性化したこと自体を批判するだけでは、第三期において、十分な共感を呼ぶことはできないだろう。冷戦後に再び変化しつつある国連に対し、憲法第九条を持つ日本がどうかかわっていくべきか、新たな護憲の論理を再構築しなければならない……そのためには……変動する国際情勢と国連憲章を視野におきながら、従来の理論を組み変えていく大胆さが求められている」
 「憲法第九条制定時の趣旨……は侵略戦争の否定であり、第二項によるその徹底だったといえるだろう。……そこから派生してきた概念が、個別的自衛権の限定であり、集団的自衛権の不行使、武力行使の否定という諸制限だった。第二期の軍拡時代(冷戦期)に、その制限は次第に緩和される方向に向かったが、冷戦後の第三期において、その流れをさらに緩和する必然性はまったくないだろう。……憲法前文、第九条の趣旨に照らせば、軍縮を指向する姿勢こそが、戦後の日本の出発点であり、使命であったことを忘れてはならない」
 著者は日本の常任理事国入りをめぐる状況を整理して、その条件として「国連の軍事行動に今後どうかかわっていくか」「現行のPKO協力法の様々な問題点」を指摘する。そのうえで「より重要なことは、日本がもし常任理事国入りを希望するなら、どのような国連活動をするのかを、加盟国に明確に示すことだろう」として、次のように結論する。
 「最も大切なことは、日本が第九条のもとで、覇権を求めず、いかなる名目であっても侵略戦争につながる軍事行動を厳しく自制することを改めて鮮明にすることだろう。これまでの常任理事国はいずれも核保有国であり、武器輸出大国だった。日本とドイツがもし参入するなら、過去の反省を踏まえ、これまでの軍事大国とは明確に一線を画することが不可欠になる。……
 同時に、日本が軍縮に向けて努力することを、常任理事国入りの目標として掲げることが不可欠の前提になる」
 最後に本書に掲載されている国際連合憲章(抄)の一部をここに採録しておく。
(高山徹 十二月三十日)

資料
国際連合憲章(抄)
国際連合広報センター監訳
前文
 われら連合国の人民は、
 われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、
 基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、
 正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、
 一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること
 並びに、このために、
 寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、
 国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、
 共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、
 すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いること
を決意して、
 これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。
 よって、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。
第一章 目的及び原則
第一条
 国際連合の目的は、次のとおりである。
一 国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとることと並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
二 人民の同権及び自治の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
三 経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。
四(略)
第二条
三 すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
四 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
五、六、七(略)
第七章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動
第三九条
 安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第四一条及び第四二条に従っていかなる措置をとるかを決定する。
第四一条
 安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、その措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。
第四二条
 安全保障理事会は、第四一条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
第四三条
一 国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ一又は二以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。
二、三(略)
第五一条
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛権の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

インターナショナル・アピール
ブレトン・ウッズ体制に抗して
世銀、IMFはいらない


 「WB、IMF:enough」(世界銀行、国際通貨基金はいらない)運動の目的は、市民のグループや地域組織、労働組合、非政府組織、教会関係者の組織などの各国や各都市の活動委員会を結集して国際的なネットワークを構築することである。われわれは、この運動のアピールをできるだけ広範囲に発表して、支援していく。(インターナショナル・ビューポイント誌)。

 IMF、世界銀行(世銀)、GATT(貿易関税一般協定)の形成に至ったブレトン・ウッズ協定締結五十周年を国際社会が祝福する理由は、ほとんどまったくない。ブレトン・ウッズ体制が各国に押し付けてきた(経済開発・発展を理由にした)「構造調整計画」なるものは、発展途上国に対しては信じられないほどの貧困と飢餓をもたらし、そして旧東側陣営諸国に対しては「第三世界化」を強制している。
 世銀の経済方針は「貧困の克服」と環境保護を唱えているが、その実態は各国の保健と教育制度の解体にほかならない。世銀支援の下で行われる大規模の水力電源開発や農業開発計画は、森林破壊と自然環境破壊をかえって加速し、数百万もの人々の強制移住や立ち退きを引き起こしている。南の諸国と旧東諸国では、何億人もの児童が初等教育を受けるという基本的な権利を否定されている。世界のいくつかの地域では世銀の構造調整計画によって公共支出が大幅に削減され、その結果、購買力の低下とあいまって結核、マラリア、コレラをはじめとする伝染病が復活している。
 GATTもまた、人々の基本的な権利を、特に外国投資、生物的な多様性、知的所有権の分野で侵害してきた。「構造調整計画」のいくつかの条項は、新しい国際貿易機関、世界貿易機構(WTO)の条項で絶えず補強されている。WTOの目的は、世界貿易を調整して、国際的な銀行や多国籍企業の利益を図ることと、IMFや世銀と密接に協調して各国の貿易政策を「監視」することにある。
 北の先進諸国でも、同様な反社会的な経済政策が適用されている。その結果が、失業や低賃金、大多数の人々の周辺化である。社会的な支出は削減され、福祉国家の成果の多くが失われている。そして国家政策は、中小企業の破滅を促進している。
 南で、東で、そして北でも、特権的な少数者が圧倒的多数の住民の犠牲のうえに膨大な富を蓄積している。この新しい国際的な財産上の秩序が、人々の貧困化と自然環境破壊を促進している。さらに、この新秩序は、社会的な隔離を強め、人種差別主義を勇気づけ、民族間抗争をもたらし、女性の諸権利を弱め、諸国を民族間の破壊的な対決に追いやっている。
 今や人類は、この現実に力強く対応し、社会変革計画を確立すべきである。われわれ署名者(第一次署名者四十八人略)――市民、労働者、教師、作家、芸術家、公務員、労働組合活動家、非政府組織メンバー――は、各国の経済的な自立、民主的な開発、社会的公正という基本的人権を確立する必要をあらためて訴える。われわれは、破滅的な「経済開発モデル」を非難し、ブレトン・ウッズ体制とWTOが主権国家の内部問題に関して妨害的な役割を果たすことに再度、反対を表明する。
(連絡先は別掲)
(インターナショナル・ビューポイント誌261、十一月号)
マドリード対抗サミット報告
                  五十年間でもうたくさんだ

 一九九四年九月にマドリードでIMFの世界会議が開かれた折に、それに対抗する会議が開催された。百以上の連帯運動組織が参加したが、その中にフランスの「五十年間でもうたくさんだ」やベルギーに本部がある「第三世界の債務を帳消しにするための委員会(CADTM)」などがあった。この対抗サミットの様子を報告する。

 人々は全世界で、IMFや世界銀行などの国際経済機関の方針と、それが内包する自由市場への闇雲の信頼とに反対する運動を組織している。ブレトン・ウッズ協定締結五十周年を祝う公式会議が開かれていた九月二十九日、インドでは同国に対する構造調整計画とGATT協定調印に反対するストライキが行われた。呼びかけは全国大衆組織プラットフォームで、銀行、鉱山、金属産業、保険、郵便業務などが完全にマヒした。この三年間、インドでは構造調整改革の実施が強制されていた。ストライキのスローガンは「三年間でもうたくさんだ」だった。
 インドの抗議闘争組織者の一人はバンダナ・シーバで、彼女はマドリードの対抗サミットに参加し、次のように報告した。
 「自由貿易は、新GATT協定によって世界システムとなったが、決して新しいシステムではない。それは、植民地化の延長線上にある。IMFと世界銀行、GATTは、世界市場を開放し、公的権力からの介入をなくしたい、と主張する。だが彼らが実際に行ったのは、最先進諸国に有利な歴史上に前例のない計画システムを確立したことだ。
 インドでの構造調整計画の適用は、普通の人々にとっては決して安寧をもたらさなかった。その正反対だ。インド独立後に実行されてきたゆるやかな農業改革は中止された。都市失業者は二年間で四百万人も増加した。農村では四億人の労働活性人口のうち一億一千万人が失業中だ。伝統的な食料生産部門は、経済的に成り立たないという理由でたちいかなくなり、その産物が換金されなくなったので、もはや統計に表れることもなくなり、その結果、「経済開発計画」において考慮されることもない。土地は輸出産品のために略奪されている。
 その結果生じたのが、過去数年間にインドで生産された総カロリーは増大したのに、一人当たりのカロリー消費量が減少したという矛盾である。災害はたまたま発生しなかった。集荷センターでの受け入れ拒否の制限と保健機構の解体が、こうした状況をもたらした。保健機構が完全に民営化される数年後に災害が生じたら、いったいいかなる破局的な事態が発生するのだろうか。IMFと世銀は、われわれに「経済開発モデル」を押しつけ、そのため多くの地域が「進歩のために」という名目で犠牲を被った。
 これら最悪の結果の責任は、インドの中央や自治体政府に押しつけられている。だが、これら政府にいったいどんな対応が可能だったというのだろうか。IMFと世銀は、関連するすべてのインドの閣僚や責任者を変更した。実際、構造調整計画は大蔵大臣に対して直接指示され、首相がその計画を知らないままに適用されたのだ」
 彼女の証言がマドリード対抗サミットの基調を決定した。一週間の会期中に様々なワークショップが開催され、ブレトン・ウッズ体制の方針を多面的に検証した。毎日千五百人が各種検証作業に参加した。その中心は青年で、彼らは自らの言葉を行動で実証した。公式会議への各国代表団は、青年の怒りのデモで「歓迎」された。ある世銀の記者会見では、巧妙に会見場に潜入した一人の活動が公式発表の裏の意味を明らかにし、また別の活動家たちが「五十年間でもうたくさんだ」と書かれた旗を掲げ、注目を集めた。マドリード警察にとってはきつい一週間だった。

 CADTMは一週間の論議において、旧ユーゴスラビア、ソマリア、ルワンダで発生している内戦とIMFとの関係についても検討した。オタワ大学教授で、ADTMの中心的な活動家であるM・チョースドブスキーが会議を先導した。
 国連は一九八四年のある「高度に機密」な報告書において、ユーゴスラビアで自由市場が復活することを望むと書いた。一九八九年には構造調整計画が遂行された。おなじみの処方箋である。
★通貨切り下げ
★黒字の労働者管理企業の民営化
★社会保障制度の解体
★連邦中央国家から各共和国への財政移転の廃止
 これらの結果、多くの共和国は連邦国家にとどまる利益を失った。構造調整計画適用の第一年で、四〇%も生活水準が低下した。したがって、IMFが強制した措置がユーゴスラビア連邦の解体と貧困化をもたらした一因だといえる。

 ソマリアもまた、破滅的な結果をもたらす構造調整計画が適用された。ソマリアの主たる経済基盤は、湾岸諸国からの資本流入にあった。そして耕作農民と牧畜農民とのぎりぎりでの均衡のうえで食料の自給を果たしていた。一九八一年にIMFが経済再建計画を導入した。ソマリアは、通貨切り下げのほか、獣医業の経済的自立を迫られた。牧畜農民は獣医業への支払ができず、その結果、手当てを受けられない多くの病気になっ家畜が死んでしまった。さらにソマリア政府は水利用への課税を強制された。こうした一連の措置こそが、ソマリアの貧困と飢餓との原因なのだ。

 ルワンダでもほぼ同様の計画が適用されたが、しかも内戦のさなかにだった。一九九〇年一月、ルワンダは五〇%の通貨切り下げを断行した。前年のインフレ率四・二%がたちまち一九・二%に急上昇した。コーヒー栽培農民は、政府の買入れ固定価格を信用しなくなった。コーヒー栽培と関連する食料生産は急減した。低価格の輸入食料(その多くは「人道的援助」といわれた)に門戸を開放したため、農民にとって販売市場はなくなったも同然だった。構造調整計画を実行する代償として政府が受け取った無償融資は、武器購入にあてられた。

 確かに経済的な「破壊」が大虐殺の基盤である人種差別を直接に育てたとはいえないが、しかし、経済的な破壊こそが人種差別の「豊かな基盤」をもたらしたのである。

 対抗サミットはその行事の最後として宣言を発し、その中で国際経済機関の活動停止と第三世界の対外債務帳消しとを要求した。
 「マドリード・フォーラムは、この破滅的な経済モデルを非難し、すべての債務の無効化を要求する。また、ブレトン・ウッズ機関が主権国家の内部問題に干渉しないように要求する。……こうした機関の存在をなくすべき時である。唯一議論すべきは、ブレトン・ウッズ体制を(解体する)時期と方法である」