1995年2月10日         労働者の力              第64号

総保守化と闘う新政党の大衆的形成のために

新党「連帯」(仮称)準備会の発足と今後の課題

川端 康夫


新党「連帯」(仮称)結成準備会の討論

二十九日の結成準備会は、座長に平和憲法の会21の吉田正雄さん(前衆議院議員・新潟)と新党・護憲リベラルのいとう正敏さん(参議院議員・比例区)を選び、吉田さんが座長あいさつをかねて経過報告を行った。呼びかけ人の田さん、上田さん、岩井さんからのあいさつの後、小森さんが事前に成文化して提起していた新党構想についての「基調」提案を行った。その後、現職議員の三石、西岡、国弘さんを含めた参加者による協議が活発に行われた。
呼びかけ人各氏のあいさつ、小森さんの報告は、それぞれに微妙に力点の置き方は異なるものの、共通軸は「護憲勢力の結集」という枠組みを強調し新たな政党創出が急務だというものであった。もちろん「護憲派」の認識や範囲などについての違いは以前からもあり、また、結成すべき政党についても細部まで一致していたともいえないのは当然だが、とりあえず「護憲勢力」という大枠でつくられるべき政党の政治的基軸を定めようとする点で一致していることを明らかにするものだった。
小森さんの報告は、以上の枠組みにたって具体的に新党形成へのプロセス、イメージについて踏み込んだものである。小森さんは、まず政治勢力としての結集を図り、それを土台に早急に新党に移行するというプロセスを描き、団体、グループ、個人の総体的結合による大衆的で広範な広がりを包摂し、組織的にも「同権性と執行性を兼ね備え」る、「がっちりとした」新政党のイメージと展望を提起した。また、名称としては「連帯」を推薦し、準備段階の「政治団体」から新党への過程を連続性をもって貫くという提案であった。
全体討論は多岐にわたったが、中心的論点はおおむね四点にまとめらる。
第一は準備過程について、第二は、小森提案の骨子である「二段階」的プロセスの是非について、第三は「名称」について、第四は新党発足の時期について。
第一の経過については、具体化が一月に入ってから始められたという事情もあって、拙速にすぎなかったか、「この指とまれ」的ではないか、議員主導意識の「永田町政治」意識にとどまっているのではないか、などが会場から出され、少なからず感情的なやりとりともなる場面もままあった。準備過程が各方面との調整が整合的になされてきたとはいえず、また平和憲法の会21の事態の討論と準備のシステムがあいまいなままに進められたという印象が強く、経過に関するあつれきが起こることも、過程としてはある程度やむをえないことだったというのが率直なところだ。
第二のプロセスについては、政治団体と新党とを区別する必要がないのではないか、という見解が出された。小森さんの説明は、新党準備会と政治団体とは一体であり、連続するものだというものであったが、討論の中でその真意が解明されたとはいいがたかったし、その後の準備会での討論でも出されることになるが、二十九日は「何を発足させたのか」という疑問がつきまとうことにもなった。
第三の名称については、三石さんや西岡さんから、もう少しフットワークの軽い明るいネーミングがほしいという意見が出され、さらに会場からも結成の過程であらためて大衆的な名称の選定を進めるべきではないかとの声が出された。準備会段階の運動から正式結成へと連続性、一体性を持たせた方がいいというのが小森さんの意見だったが、ここは正式結成時に大衆的な投票や名称公募などの方法を尽くすのが常識的なところだろうと思う。
第四の時期について、これは討論が錯綜して混乱的であったと感じる。早期結成論と実践的な可能性ある進め方との両論が出された。つまり、小森提案が二段階論であったのに対して、会場討論はそれには対応していなかった。また小森さんも内容を必ずしも深めては明確にはしなかった。したがって「なにを早期に結成するのか」が不透明なままに論議されたという印象が強い。
「結成時期については決まらず、準備会で討論を深める」というマスコミ報道がなされたが、討論が結成時期という大きな課題を残したまま終わったのには根拠がないわけではなかったのである。
結成準備会は、準備会発足の確認と準備委員立候補を受け付け、以降の具体化は約五〇名の準備委員会にゆだねられた。小森さんがとりあえず準備委員会の招請を行うことが確認された。

第一回準備委員会での討論

二月三日に衆議院第一議員会館会議室で第一回準備会が行われ、準備委員会の構成や進めるべき作業の目標、手順が論議された。招請者である小森さんのあいさつの後、二十九日の経過から座長に吉田さんといとうさんを選出した。最初に準備委員会の進め方、運営方法が討論され、基本的には、継続性を保障しつつも座長回り持ちというあり方をも採り入れるという集約になり、今後希望者を募って進めていくことで一致した。
協議は、準備会代表委員の選任、準備会事務局の構成、組織の性格、その他が予定されたが、「議論百出」だった二十九日を引き継いだ会議ということもあって、いわゆる「事務当局が準備した議案を討論する」という形にはもとよりならないという、市民運動的あり方が色濃く反映される会議となった。会議は動議的に出された準備委員の意見にしたがい「組織の性格」から討論に入った。前項で述べたように「何を発足させたのか」について必ずしも理解が一致していたとはいえない事情だから、「組織の性格」という項目の定義を明確にする過程が必要とされた。あわせて「事務局の構成」の定義も討論され、それぞれ準備会事務局、新政党組織の性格と規定された。
「結成時期」の討論は、統一地方選挙前と地方選挙終了後の両論が討論された。一方には一刻も早く新組織の名称を掲げて地方選挙を闘いたいという要求があり、他方には、すでに地方選挙体制に全面的に突入している時期に広く討論を呼びかけ参加をうながすのは不可能だという見解が出る。少数でも核的に先行出発し、後からの広範な参加を求めればいいという「雪だるま」的結集論の見解には無理があるという実践的判断と、同時に手法的にも「この指とまれ」だという批判が出された。この批判は後に述べるように、正しいというべきだろう。
準備会事務局の構成に関しての討論は、準備会全体の構成、運営と重なる問題であり、結成時期や結成へのプロセス判断などが関係する討論となった。準備会の「幅広さ」を反映し、広範な広がりの参加を追求し保障するような事務局形成という視点から多く意見が出され、具体的な人選をめぐる意見の違いも出たが、準備会総体をいかに規定するか、という出発点を再度明確化していくなかで事務局構成を検討するという、いとう座長集約がなされた。具体的には、準備会結成呼びかけの四氏をあらためて準備会代表に推薦し、枠組み的な具体化作業の検討を依頼し、あわせて四氏以外の準備会代表委員の選任の検討提案を要請することが、出席されていた小森、田両氏の同意のもとに了承され、第二回準備会を早急に開催することを確認して終わった。

国政選挙に立ち向かう意志結集を

新党「連帯」準備会が発足した。その最初の課題も明確にされた。新党は今年前期中には結成されなければならない。
しかし、その合意は、結成時期の討論や政治団体か政党かというイメージ問題を残したままであり、その認識の差は、放置すれば新政党形成という事業への致命的作用をもたらさないともかぎらない。
準備会総会と第一回準備会で出された諸問題の整理は、とりあえず四人の代表委員の討論に調整がゆだねられた。二月十日に代表委員の会合が予定されている。本紙が届く頃には明らかになっているだろうが、しかし容易に解きあかされるとも思えない問題も含まれていると思われるので、視点の整理をしておきたい。
現在必要なことは、新政党形成の現在的合意点が何に依拠するかを冷静に見通して論点を克服していくことである。二点を指摘したい。
一つは、新政党形成の立脚点、合意点であり、二つは新政党の実践的な成立の条件である。
第一に。一般的な「護憲政党の必要性」のみで広範な多様な層の政治結集ができるわけではないことを指摘しなければならない。「護憲」一つとっても、改憲阻止論から憲法完全実施論までの幅があり、その違いを埋めることが難しいのは戦後の各種論争を振り返るまでもない。ここでは「大枠護憲」しか成立しない。また地方政治の観点からすれば、中央政治と連携するか、独自性を維持し政治的柔軟性の余地を保持するかなど、それぞれの視点の差、利害関係から一様にはならないであろう。
そうした差を越えて協同の作業が実現するとすれば、国政の場から少数派を排除するための制度的障壁を協同で突破するという意識が全体的なものとなる場合である。換言すれば、「政治的排除」に対する民衆的な怒りの全国的広がりを具体的に投票行動で表現しうる手段、場を与える役割を果たすことが、新政党が「有権者」との接点を具体的に築いていく上で必要とされる。新政党は、まさに国政上でこそ、その果たすべき役割が明確になるのである。
第二に。新選挙法のもとでは政党としての資格要件を満たさなければ、基本的に衆議院選挙から排除される。この事情は、排除条項を突破するために、現職議員五名という条件を満たすこと、あるいは国政選挙での得票率が二%を越えることのいずれかをクリアすることを求めている。
新党・護憲リベラルが五名の参議院議員を有しており、また小森、西岡両議員も社会党会派を離脱し、新党結成に動いた。計七名の現職議員が合流すれば、第一の条件クリアに十分であり、新政党結成の核としてこれら七名の現職議員に座ってもらうことは制度上不可欠である。だが同時に、選挙制度が二大政党化を進めるためのものである以上、少数政党を構成する現職議員の議席が不安定であることも避けられない。国政選挙における二%条項の突破という第二の条件のクリアが新政党の制度的基盤にとって不可欠になる。参議院選挙は新選挙法の「過酷な条件」から今のところ免れており、参院選挙への参入は比較的に自由である。この参議院選挙システムで二%を突破することができれば、衆院選挙への参入も相対的には容易になる。
国政レベルで闘うことを目標とし、既成政党組織とは独立して出発しようとする新政党は、どうしても乏しい組織的資産からの出発とならざるをえない以上、力を全国的に結集できる機会を最大限に生かす場、すなわち参議院選挙、しかも比例区選挙区で突破口をこじ開けることが求められるのである。

参院選挙を闘う新党結成を

参院比例区選挙は政党別投票である。政党名を記載しての投票の制度は、選挙区での立候補が「無所属」であっては比例区選挙に反映しないことにもなる。以上から、参院選挙で突破口を開ける、すなわち比例区で二%の得票率を獲得するためには、参議院選挙を政党選挙(選挙区、比例区の両方)として闘うことが求められる。それゆえ新政党は、参議院選挙に間に合って結成されるべきであり、その準備は選挙準備と平行して進める必要がある。
地方選挙態勢に突入している地域での活動家層が国政、参議院選挙に目を向ける余裕が出るのは投票後、すなわち四月下旬以降である。それからの二カ月で全国的な参議院選挙体制と新政党の双方を同時に実現することは容易ではない。それゆえ、参院選挙の構図を描き、全国的態勢形成の準備を行うことが新党準備会活動の最大の課題となる。
結成準備会は、参院選挙態勢を全国的に、すなわち比例区選挙および拠点的選挙区選挙での闘いを準備し、その態勢構築の組織的努力をもって新政党の骨格を築いていく作業を要求されているのである。
(二月八日)
阪神大震災に思う
              迫られる日本社会のあり方
                                      高山 徹

「あぁー、生きててよかった……」

 阪神大震災で亡くなられた方々にお悔みを申し上げます。また、負傷や家屋倒壊、火災をはじめとする被害に遭われた皆さんをお見舞いいたします。被災後三週間たった現在、復興に向けて懸命な努力を払っている現地の人々に一日でも早く普通の生活が戻ることを願っています。
 
 一月十七日に発生した兵庫県南部地震(阪神大震災)は、死者五千数百人、損壊家屋約十一万件、百ヘクタールを越える火災消失面積、生活に不可欠な電気、水道、ガスなどの寸断(一部は回復)、高速道路や鉄道網の崩壊、液状化現象など、地震に伴うすべての災害の面で甚大な被害をもたらした。人命や被災者の受けた精神的な打撃など計算できない被害を別にしても、約十兆円の被害総額になるといわれている。
 こうした尊い、しかも膨大な犠牲は、従来の地震対策を根本的かつ全面的に見直させることになった。マスコミなどが次々にこれまでの地震対策の欠陥を指摘している。
 たとえば、「今回の大都市圏の直下型地震として最大級とされていた昨年のノースリッジ地震(米国ロサンゼルス)では、高架道路の崩壊が問題になったが、日本の関係者は「鉄骨構造の日本の高架道路は大丈夫」とコメントしていた。ノースリッジ地震では、揺れの強さを示す重力加速度は最大一・八二Gを記録した。日本の高架橋建設の想定地震力は〇・三G」(日経新聞1・18)という。建築物でも同様の問題点が指摘されている。また、ガス、水道、通信網などでも実に様々な問題点が指摘されている。
 物理的な面のみならず、中央政府や自治体をはじめとする政治面での不備も指摘され、批判の声があがっている。
 今回の大震災は大変な衝撃であった。日本だけにとどまらず、世界的にも大きな衝撃を与えた。そして災害対策をはじめとして従来の社会のあり方の全面的な見直しが要求されている。地震に直接関係する研究分野をみても、地震の発生と地震波の伝わり方を研究する地震学、地震動(地震に起因する地面の動き)の性質を研究し、耐震設計の基礎固めをする地震工学、地震動に対して壊れないようにする設計技術の耐震工学などがあり、それぞれが見直し作業を進め、ほぼ最終的といえる段階に達するには数年間を要するであろう。
 犠牲があまりにも痛ましいものであったばかりでなく、日本全体が地震をはじめとして「災害列島」といわれる状況にあり、すべての人々が、といっていいほど今回の災害をわがこととして捉えている。このため従来の地震対策だけでなく、日本社会のほぼあらゆる面にわたって見直しの作業――その端的な一例はボランティア活動――が進行している。それに伴って実に多方面から、そして実に多様な見解が表明されている。
 阪神大震災の教訓全体を引き出そうとする作業は結局、長い時間をかける必要がある。ここではとりあえず、政治の責任と地域社会のあり方の二つの問題を考えてみたい。
 その前に印象を二つ。一つは、倒れた家屋の下敷になった人を家族や隣人が懸命になって救出しようとしているが、猛烈な火事が近づいたので、救出されようとしている人が家族や隣人に対して「もういいから、行って」と頼んだと伝えられている事実である。こうした情景は相当数あったに違いない。頼んだほうの、そして立ち去らざるを得なかったほうのやり場のない無念さ、怒りを思うと言葉を失う。
 もう一つは、精神的な打撃をいやそうとしてカウンセラーの女性が六歳くらいと思われる女の子に語りかけていた場面である。「こわかった?」との問いかけに「うん、こわかった。……真っ暗で、どうしていいか分からなかったの」と答え、そうした問答がいくつか交わされた後、女の子が突然「あぁー、生きててよかった……」と、半ばつぶやきに似た口調で言う。それまでの幾分不安感をにじませた調子が、突如転調して明るい調子になる。私は今でもその理由が分からないのだが、この場面をテレビで見ていて涙がにじんできた。
 日常生活を根底から覆す大災害(危機)に直面すると、人はおそらく生きる意味自体を考え直さざるを得ないのであろう。この子は、内容は別にしても生きる意味を確信したに違いない。

政治の責任

 政治の責任については、地震発生直後のいわゆる初動態勢の問題とこれまでの災害対策の二つに大別されるだろう。現在の課題となっている復興問題は、ここでは取り上げない。
 初動態勢については、村山首相の「最善の措置をとった」との発言があったにもかかわらず、十七日夕方であったか、首相官邸の一部から「遅れがあった」との率直な反省があった。これに関して、災害の規模を掌握できなかったことと「上からのイニシアティブの欠如」がすでに指摘されている。
 これら二つに共通した背景要因は、想像力(判断力)の欠如である。政治にとって不可欠の資質は、現在の状況から先にどんな事態が生起するかを見通すことである。テレビを見ているだけでも大変な事態になることは、容易に想像できたはずである。もし想像できなかったとすれば、そんな人物を政府首脳にいだいている日本国民はまことに不幸の極みである。ところが実際には「正式な報告」をいたずらに待ち、対策の着手が遅れた。災害から最大で四十八時間以内の対処が、とりわけ人命被害を大きく左右するといわれているのに。
 初動態勢の遅れに関して、情報伝達機構や首相官邸の態勢・設備問題が原因としてあげられている。これらが原因の重要な一因であるのは間違いないが、やはり根本問題は人間にあると考えなければならない。情報の意味を想像し、判断するのはあくまでも政治家という人間だからである。村山首相個人だけを問題にしているのではない。政府あるいは首相官邸を構成する人間集団の問題である。
 こうした想像力、判断力、そしてイニシアティブの欠如の背景要因は二つある、と思われる。一つは、自・社・さ連立政府という現内閣の成立事情である。連立政府が一般的にそうだというのでない。自・社という長年対抗関係にあり、時には野合してきた両党の連立が問題なのである。互いに手の内をよく知っているから、こう出れば相手がどう出るか分かっており、政権維持のため両党はそれぞれが自己規制をして「なあなあの関係」にある。こんな政府には、一定の時間をかけてよい政策課題への対応は期待できるにしても、瞬時の対策、対処が要求される課題について期待することにそもそも無理がある。
 第二の要因は、官僚依存と行政機構の硬直性である。外国からの救助隊受け入れの決定に五日間を要した、という。捜索犬の狂犬病のチェックや外国人医師が日本の医師免許をもっていないなどが、その理由だそうだ。行政機構にとっては、規則はいかなる事態にあっても遵守すべき神聖な規則だ、というわけである。硬直性の問題だけでなく、この規則自体に日本官僚機構のごう慢さが現れている。外国でも狂犬病はチェックしているし、担当者が犬の健康を日常的に管理しているが、それは信用できない。外国の医師免許もまた信用できない――これが規則の背景だからである。
 従来の災害対策の問題点に関して、政府は、今回の大地震は直下型で想定外であったとか、「関東大震災の二倍の規模」などと、従来の対策の不備を言い繕っているが、すでに数多く指摘があるように、こうした弁解には根拠はない。
 従来の対策の遅れについて二つだけ例をあげたい。一つは、雲仙普賢岳の教訓がまったく無駄になったことである。この時、災害対策基本法の不備が指摘された。法の全面的な見直しをやっていたなら、今回の災害でいささかでも前進があったかもしれなかった。もう一つは、前述のノースリッジ地震に関する政府報告書の存在である。大都市直下型地震の問題点を政府は知っていたのだが、しかしまったく対策をとらなかった。
 結論的にいうなら、これまでの政府は地震をはじめとする災害対策に本腰を入れていなかったのである。昔の例であるが、「昭和の初めころから、東京大学地震研究所の……末広恭二は、早くからこのこと(地震の最大加速度の記録)に着目していて、一九三二年にアメリカの土木学会に招かれて講演したとき、大地震時における地震動の加速度を正確に記録して、土木・建築の耐震設計資料とすることの必要性を熱心に説いた。アメリカはこの忠告をすぐに取り入れ、早くも翌年には……据えつけた。……ひるがえって、わが国での状態はどうであったか。……強震計の全国的配置の実現は戦後まで持ち越され、アメリカに対して大きく遅れをとってしまった」(大崎順彦「地震と建築」)ことがある。
 確かに日本の地震研究は世界でも先端をいっているようだが、政治がこのように遅れていると災害対策の点ではまったく無意味になってしまう。
 

地域社会のあり方

 しばらくして考えたのは、十七日に自分が避難者の一人になっていたとしたら、という点だった。特に避難所の人々が口々に「食べ物も水もまったくなかった」というのを見たときである。
 かなりの時間、地震が与えた衝撃とその後の光景のすさまじさに虚脱感に襲われ、何もできなかったに相違ない。だけども夜が近づくと、空腹やのどの渇きに耐えかねて、何人かと連れだって市役所(区役所)に押しかけ「何とかせーや」と談判しただろうと思う。そこに食料や水、あるいは寝具などがあれば結局は奪う形になろうとも運んで、さらにもっと多くの人と何度か避難所の間を往復しただろう。
 実際にこうした動きがあったのかどうか分からない。しかし、その後の報道によると、避難所での人々の自治的な活動が最初に始まったのは、社宅や商店街など地域的な結びつきがもともと強かったところだという。逆にいえば、自治的な活動の核となる人々がいなかった避難所では、ほぼ近隣地区から集まったのであろうが、人々が相互に連帯した一定の自治的な活動になかなか至らなかったのであろう。また、人々がたき火をたいて暖をとったりお湯をわかそうとしたり、あるいは穴を掘って仮設の便所をつくろうとしたのを禁止した行政などが自治的な活動を妨げた事情も無視できないであろう。
 人々は、この地方では地震はないと思いこんでいた(思いこまされていた)から、地震で受けた衝撃は想像されるよりも大きいのだから、その点を配慮しなければならない。だが、それにしても……という感を免れない。一つの人間集団が共同行動を展開するためには、当然ながら共同の意思が形成されなければならない。だが、見ず知らずの人間集団に共同意思が生まれるのは、大いに困難である。この背景には、都市部に強くみられる「人間関係の希薄化」とでもいう傾向があったに違いない。
 マンションでは隣にどんな人が住んでいるのかを知らない、といわれるような現象が自治的な共同行動の形成を妨げた重要な要素である。これは、高度経済成長時代以前に一定の自治的な役割を果たしていた町内会のような組織が形骸化し、住民自治が失われてきたためである。それは同時に、人々が企業論理に包摂され、子どもらも企業論理に類似した競争原理に包み込まれていった過程でもあった。そして企業原理が支配的になっていったのが、主動力である。この背景には、次のような歴史があったといえよう。
 「日本は啓蒙時代の思想を直接知ることがなかった。個人の礼賛や、個々の人生の多様さを尊重するため、社会に精巧な仕組みを与えようとしたこともない。……国家の建設が、社会契約を通じてではなく、いわば古来の習慣を基礎としてなされてきたことである。ワシントン同様、東京にも市民はいない。日本は社会ではなく、ひとつの社会の記憶だと考えた方がわかりやすい」(「民主主義の終わり」ジャンマリ・ゲーノ)
 単に災害対策としてのみならず、人々が人間らしく生きていくためにも、地域社会での連帯、それを規定してきた企業論理、競争原理の克服を真剣に追求していくことが求められている。
 この数年間の自然災害などで、ボランティア活動がかなり活発に展開されるようになってきた。今回の震災では、こうした活動が一挙に開花したようである。おそらく国際的なNGO活動の展開と関係があるのだろう。こうした活動が「社会ではない」日本の状況を埋め合わせていく一助になってほしいものである。

 なお末尾ながら。自衛隊の出動が大きな政治問題になっている。「自衛隊を災害救助隊に改組せよ」(正確には「自衛隊を廃止して、災害救助隊をつくれ」)という要求は正しいと思う。そうだとすると、自衛隊のままでの災害救助出動にどんな態度をとるのか、という問題がある。考えられる態度は三つあろう。一つは、自衛隊の出動を必要悪、やむを得ないものとして認める、二つは、口をつぐんで沈黙を守る、三つは、改組を要求して出動にはあくまでも反対する――である。
 なお、この問題に関連して米連邦緊急管理庁(FEMA)が注目を集めている。この活動は、軍隊の存在と実質的な地域戒厳令を前提にしていることを考慮しなくてはならない。
 いずれにしても、本紙でも態度を表明したいと考えている。
(二月八日)

世界経済分析
より不安定な循環の開始
                         マキシム・デュラン、ニコラス・マウー


 主要工業国の指導者たちは、リセッション(景気後退局面)を脱したと発表している。だが、アメリカ経済の現状を検討するなら、彼らは再考せざるを得ない。確かに一九九二年にリセッションは終わり経済成長がみられたが、大部分のアメリカ人は依然としてリセッションが続いていると考えている。以下の論文は、世界経済の現在の上昇が長期的な経済危機における新たな循環的な不安定局面の始まりである理由を明らかにし、ネオリベラル派(実際は新保守主義)が現在の成長局面を維持するためにとっている政策が世界の最富裕国社会において、不安定さ、貧富の格差の拡大を増大させるだけであることを分析する。

成長率の低下

 過去二十年間の成長率は、一九五〇年から七〇年までの二十年間の年平均成長率四―五%よりも一貫して低かった。一九七〇年以降の全局面は、循環的なリセッション、すなわち資本主義という海の干満における最低局面であった。一九七四―五年、一九八〇―八二年、一九九一―三年の三つの主要なリセッション(図参照)があったが、決定的な危機に至ることなく上昇局面に転じた。
 一九七四―五年のリセッション後には、一九七八年と一九八八年に成長率が戦後の水準に達し、事態の全体が資本家にとって正常化したようであった。だが、一九八〇―八二年のリセッションは、その前のリセッションとは異なり、より深刻だった。この時期からネオリベラリズムの経済戦略を全面的にとりいれた新たな経済政策が採用された。すなわち経済のデフレ化(収縮)、労働者の購買力の削減、社会保障制度に対する雇用者の貢献の削減(金持ち優遇減税など)、経済全体の規制緩和がそれである。
 こうした経済に対する国家の関与の変化は、間違いなのであるが、「国家の役割縮小」と呼ばれたし、今も呼ばれている。こうした新たな政策の狙いは、基本的に労働力コストの低下と、資本家が利益として受け取る経済剰余における彼らの取り分の増大であった。これらの点では、新経済政策は成功を収めた。一九八四年に利益率が上昇し、それ以降、大きく低下することはなかった。一九八八年から一九九〇年にかけて世界経済は空前の高みに達した。その理由は、生産技術への投資の増大と富裕層による消費の拡大とにあった。そしてアメリカにおける上昇は他の国よりも顕著だった。
 資本主義の御用学者らは、上述したネオリベラル派の構造調整計画を賞賛した。リセッションを終了させたにとどまらず、過去二十年間の構造的な危機を克服さえした、としてである。この自己満足は、一九八九年十一月にベルリンの壁が取り払われた後には陶酔にまで高まった。新聞のコラム執筆者らは、すべての挑戦者に対して資本主義が最終的な勝利を収めたのだと主張した。
 事実、一九八八―九〇年を頂点とする景気回復は、その前の上昇に比べてはるかに長期かつ明白に循環的なものだった。だがリセッションとなって、経済危機それ自体が追放されたのだという幻想は砕かれた。成長率はその前の二つのリセッション以上に低下し、失業が再び拡大した。今や、一つの経済循環が終わり、新しい循環が始まったのであり、だれもが経済の復活について語っている。
 一九七四―七五年のリセッションは、戦後の長期成長過程から長期のリセッション局面への転換を画するものとなった。それ以降、現在まで二十年間のリセッション局面が続いている。次の三点で今回の長期リセッションは、従来のものと異なっている。@成長を持続させる点での資本主義の能力の減退A労働者の購買力がほとんど増大しないB相対的に低い失業率――である。
 これら三つの特徴は、一九六〇年代の安定した資本主義の利点であるかのようにみえる。エコノミストや政治家らは、これらなしで生きられるかどうか自問している。政府の政策とは、本質的に危機管理である。危機とは資本主義がみずからを再生産できないことを意味しないが、危機は制度自体を以前よりも反動的かつ不安定にしていく。

より明白な景気循環

 資本主義が以前よりも反動的かつ不安定になっていくということは、資本主義が不可避的かつ確実に最終的な破局に向かって衰退している主張することではない。そうでなく、われわれは、資本主義の循環がますます明白になりつつある、と考えている。したがって戦後期の不安定さを乗り越えるのにあずかったすべての手段を使い果たした現在の資本主義は、古典的な資本主義的方法でしか管理できないのである。
 現時点は、景気循環には上昇や下降があることだけしか示していない。中期的には資本主義は、一九七四年以前の年平均成長率を維持する力をもっていないし、労働者に対する少しではあるが確実な購買力の増大も実現できない。また、失業者を再び生産の場に吸収することもできない(この吸収は資本家にそうさせようとする社会闘争が存在する場合だけ実現される)。経済の質的変化は、財政および通貨の危機を制度の中心問題にした。この点でも、現在の経済危機を克服し脱しようとする方法が従来と違うことを見出す。
 図が示しているように、利益率と成長率との間には明白な相関関係がある。高度成長の時代には高利益率が記録される。しかし一九八九―八九年以降、この相関関係が弱くなっている。過去五年間、基本的に利益率は上昇し、上述したリセッションにもかかわらず危機以前(一九七〇年)の水準に近づいている。他方、成長率は一九八八年以降、可もなく不可でもない水準にある。
 最近のこうした傾向を理解するためには、利益率と成長率との相関関係にもかかわらず、成長率それ自体が資本主義の最終目標でないことを想起しなければならない。利益をあげること、これこそが資本主義の最終目標である。成長や完全雇用、失業などは、最終目標を実現するための手段にすぎない。
 ヨーロッパの一九九三年は欧州単一市場の年だった。数百万の新しい雇用の創出が約束された。だが実際には、過去二十年間で最悪のリセッションがあった。欧州連合(EU)だけで五百万の労働者が職を失った。南欧諸国で特にひどく、スペイン、ポルトガル、イタリアでは二十四カ月にわたって労働者の五―八%が職を失ってきた。EUの現在の失業率は一一・三%を超え、千七百四十万人が失業している。しかも一九九四―九五年には景気上昇が予測されているのに、失業率は一二%を超えようとしている(つまり過去のリセッションよりも高くなる)。
 経済開発協力機構(OECD)は、みずからの(やや楽観的な)一九九五年の成長率二・八%という予測を前提にしてさえも、失業率を一二%という高い水準で安定化させるにすぎないと認めている。OECDは、ドイツを例外として、OECDを構成する工業国二十五カ国では、第三次産業部門でごくわずかに新たな雇用が創出されるにすぎないと予測している。OECD報告書が「従来のリセッションでは、第三次産業部門での雇用の創出が他の産業での失業を埋め合わせてきた」と分析しているのだから、第三次産業部門でもごくわずかの雇用しか創出されないことは、深刻な問題である。

成長を阻害する要因

 新たな成長の開始が先進資本主義諸国に共通の現象になっているわけでない。アングロサクソン諸国が最初にリセッションに入り、そして最初に脱した。そしてアメリカの成長はすでに鈍化しはじめている。日本は後退局面にあり、需要の増大率は一九九〇年の六%から一九九二年の〇%、一九九三年の一%となっている。政府の需要刺激策は、日本のGDP(国内総生産)の二%にもなっている。貿易収支の黒字が持続しているにもかかわらず、日本の経済成長の力は弱まっているようだ。
 ブルジョア陣営の指導者らが地球規模の一体化や国際的な統合について語らざるを得ない時期に、これら諸国の足並みが乱れているのは変にみえるかもしれない。現実に地球規模の一体化と同時に生じたのは、それ自体に固有の力学をもった大規模な経済ブロックの形成といういったい化とは矛盾した傾向だった。主要諸国間の違いが示したのは、各国が固有の経済力学をもち、同時に主要諸国間での経済調整政策が存在していないという事実だった。
 経済の国際化がますます進行しているのに相互間の調整策が存在していないという事実は、一九九〇年代の経済循環における大問題である。たとえば大部分の産業家は現在、金融の自由化が進みすぎたと考えている。資本のフロー(流れ)があまりに激しいので、これが絶えざる経済の不安定と不確実さの原因になっている。金融市場はこの事実を反映して、平価切下げを繰り返し、マーストリヒト条約が導入しようとする新たなネオリベラル的な政策を妨害している。
 より基本的な次元では、リセッションの終了が適当な管理ができない対称性の喪失をもたらしたことが重要である。たとえば現在、アメリカの成長は財政赤字の増大、ドルの下落、利子率の上昇という連鎖反応を自動的に促進する。他方、アメリカの利上げは、すべての資本主義諸国がたぶんにアメリカの利子率に追随せざるを得ないので長期的には経済成長を阻害する要因である。
 各国は現在、自国の財政赤字を補填するために国外からの借金を迫られている。その結果は、金融市場に連鎖的に穴があく事態であり、通貨危機である。証券市場の「ソフト」な倒壊は、利益率が相対的に高い時期であれば資本を生産部門に導くので成長を実現する可能性が実際にありえる。この場合は、企業が生産投資の資金を借金に依存する必要がないからである。だが、一九八〇年代に存在した日米間におけるアメリカのいかんともしがいたい財政赤字を日本の絶えざる経常収支の黒字が埋めるという相互関係の終了を目撃することになろう。
 ヨーロッパでは、各国通貨がドイツマルクと連携することは、もはや以前のような安定化効果を発揮しなくなった。というのは、ドイツマルクの通貨市場における地位がドイツ再統一に伴うコストによって大きく影響を受けているからだ。その結果、欧州通貨制度(EMS――これに参加している国の通貨は定められた狭い範囲内でしか変動できない)は、イギリス、イタリア、スペイン、そしてEMSには参加していないがスウェーデンがEMSの許容する基準以上に通貨を切り下げたために崩壊した。各国は、自国通貨の切下げによって輸出の増大を意図したのであった。
 この事態のもう一つの面として、各国が労働コストの低下、財政支出の削減(国内需要の急激な減少を意味するが)を図らざるを得ない事情があった。他方、通貨が相対的に切り上がったドイツ、オーストリア、オランダ、ベルギー、デンマーク、フランスは、輸出がかなり減少する要因に直面した。こうしたヨーロッパ経済のねじれ現象は、経済政策上の調整を欧州委員会に迫ったが、調整された同時的な刺激策による経済成長を単なる願望にしてしまった。ヨーロッパ全体の経済成長刺激策には、すべての構成国における財政赤字という困難がある。

減少しない財政赤字

 リセッションは、すべての国で公的債務を増大させた。ヨーロッパのほとんどの国の財政赤字は、マースリヒト条約が定める三%以内という基準を超えてしまった。また、日本の財政上の安定性はますます損なわれつつある。財政赤字が増大した原因は、財政支出の削減とネオリベラル派が主張する「国家の役割縮小」とに対する強力な社会的抵抗が存在していることにある。それのみならず、リセッションが歳入の財源そのものを小さくしているという事情がある。これらの赤字のGDPに対する比率は一九七八年以降、六ポイント増加したが、一九九六年以前にこの増加が停止することはないだろう。
 マースリヒト条約締結によってEU構成国は、重要な中期目標として国家財政赤字の削減を約束した。たとえばベルギー政府は、財政赤字を一九九三年の対GDP比七・二%から一九九六年に同三%にまで削減すると約束した。これは極めて困難な課題である。たとえ社会闘争が具体的な力にならないにしても、だ。
 リセッションが終了したという経済統計上の「現実」と大部分の人々が日常生活で実感する現実との落差は、論理的には必ずや賃金や社会保障、そして教育と厚生関連予算の削減をめぐる社会的な対立を増大させずにはおかない。労働者の生活水準は、景気上昇がもたらす資本との交渉余地の拡大を彼らが利用し得た場合だけ、改善される。昨年の十一月十二日にイタリアで、年金削減に抗議する百万人以上のデモが展開された時、他の国の支配階級は、自国でも同様な反応があるに違いないと考えたであろう。ことにフランスで闘争拡大の可能性が強い。ここで労働者は、賃上げと雇用創出との要求を結合して闘っているからだ。
 もしフランスの闘いが関連予算削減の阻止に成功するなら、現在の闘いが有効需要の拡大を実現し、かくして経済成長に寄与するだろう。
 基本的に「緊縮予算を維持する必要性」そのものが、現局面では経済成長にとって最も大きな敵なのである。OECDは、ヨーロッパ各国の財政赤字を平均で一九九三年の六・三%から二〇〇〇年までに二%に縮小することを目標にしている。これは、今世紀終了までの年三%の経済成長を前提にしている。だが、三%の成長が持続したとしても、EUの失業率は一九九三年の一〇・七%から二〇〇〇年の一〇・四%に低下するにすぎないと予測されている。

よりあからさまな主張

 しかしOECDは次のように考えている。高い失業率はそれほど悪いことでない、と。その理由として「OECD域内での賃上げが、高い失業率の持続の結果として、穏健な範囲にとどまる」をあげている。次の主張はさらにあからさまだ。「利益の拡大は、とりわけ労働生産性の上昇よりも労働報酬の増加をより低く抑えることによって達成される」。
 ヨーロッパ委員会の政策文書「雇用白書」は、この戦略を「受容可能な経験則」にさえ高めている。労働報酬として支払われる経済剰余における労働者の取り分が減少した分が投資の原資となり、成長が実現される、というわけだ。問題は過去十年間、この「冷静かつ賞賛に値する」犠牲を実現しようと試みられてきたのだが、依然として作用していないことである。一九八一年から一九九二年までに利益率は三分の一増加したが、それに見合う投資率の増加はまったくなかった。
 われわれが目にしているのは、統計家がいうところの「テクニカルなブーム」である。企業は蓄積財を使い果たしたので購入姿勢がわずかに改善し、生産能力が限界に近づくまで投資が抑制されていたので、投資もごくわずかであるが増加している。
 換言すれば、投資の拡大は資本家が消費拡大の兆候を感じる場合のみ持続する。残念ながらフランスの商店売上げ額は、パリの公的機関の調査によると十月に二・三%も減少した。フランス財界が後援する最近発行された報告書は、経済活動は良くても一九八八年の水準だろうと述べ、その理由として「一九九五年のヨーロッパの消費は公的債務を減少させる計画の一環として決定された大幅な財政出削減の影響を大きく受ける」ことをあげている。その結果、ヨーロッパの資本家は、輸出市場に望みをつないでいる。この成否が現在の景気動向を大きく作用する。
 緊縮予算とわずかな賃上げという状況下で、需要が拡大する要因があるだろうか。ブルジョアジーには一つの解答がある。今以上に資産格差を拡大することである。富裕層はさらに多くの現金をもって「ふさわしい」商品を購入する。格差が拡大し、不安定な中で失業者は、低賃金、パート労働、好まざる職などに「感謝」するしかない。
 ヨーロッパでは、この暗いシナリオは、ドイツ型の社会合意の終わりを意味している。ドイツの経営者や政治家らは、アメリカや日本という競争者と同様の実質賃金の切下げと規制緩和を主張している。そしてドイツと日本では、アングロサクソン諸国がすでに実行している銀行業と金融部門の自由化を声高に要求している。
 人々の圧倒的な多数にとって、リセッションの終わりは、社会的な排除や周辺化の拡大、職の不安定化というにがいものになろう。資本家にとってリセッションは終わった。だが、われわれの側はだれもそうは考えられない。
(インターナショナル・ビューポイント誌263、一九九四年12月号)
新書紹介
      進藤栄一著(岩波新書)「アメリカ 黄昏の帝国」

はじめに

 アメリカは世界国家であり、その政治のみならず軍事、経済、はては文化の動向が世界の人々のかなり多くに相当に影響をおよぼしている。日本に関しては、昔は「アメリカがくしゃみをすると日本は肺炎になる」といわれた。現在でも「日本は風邪をひく」程度といわれるようになったにしても、「日米関係主軸論」が支配しており、日本社会党でさえ「日米安保条約堅持」に政策を転換してしまった。
 ところが、日本からアメリカを見た場合、つまり新聞やテレビ、雑誌などで伝えられるアメリカ像というのは「世界国家」としてのそれ(もっと正確にいうと日米関係だけ)であって、アメリカ内部がどうなっているのか――この観点から伝えられる情報はかなり少ない。私たちが第四インターナショナルの一部であった時代を省みても、第四インターナショナル全体としても、あるいは旧日本支部としてアメリカの世界路線を分析したとしてもアメリカの内部に立ち入ることは極めて少なかった。友好組織の関係にあったSWP(社会労働党)は、その理由は分からないが、アメリカ全体を分析することなく、その機関紙でもベトナム反戦、黒人解放闘争、フェミニズム、少数民族の闘い、労働組合運動など、その時々の個別課題を積極的に報じるだけであった。
 他方、一九八〇年代末に冷戦構造が崩れたにもかかわらず、そして当時のアメリカ大統領ブッシュを先頭にして「新世界秩序」の構築の必要が声高に叫ばれたにもかかわらず、旧世界構造が崩れただけで新しい世界構造(あるいは新しい世界構造に関する共通認識)は形成されないままになっている。この状況は、第一次世界大戦と第二次世界大戦との戦間期にも似た、いわば羅針盤がないままに荒海に船出するような、根底的な不安感を人々に与えている。
 こうした不安感を基礎にして人々は、様々な新しい道を模索している。マルチメディアなどの先端技術による解決や宗教、民族的なものの自立、刹那刹那の生き方など、人それぞれである。新しい理念の追求や旧来の理念の見直しもまた、そうした模索の一つであろう。「イデオロギーの終えん」が宣言されて時間はかなり経過しているが、新しい理念、イデオロギーの必要性はあらためて指摘するまでもないだろう。
 最近、日本ではリベラルを冠した政治潮流、傾向、組織が輩出している。これは日本特有の傾向ではないらしく、第四インターナショナルが指摘するところによると、イギリス労働党やフランス社会党をはじめとして、ヨーロッパの社会民主主義諸党がアメリカの民主党を模範とする政治組織への転換を模索しているという。リベラルが注目されるゆえんである。
 本書は、アメリカの現代を知る上で、そしてリベラルなるものを理解する一助として興味をひく。

著者の基本的な立場

 著者の進藤栄一(敬称略)は一九三九年生まれ、一九六〇年代末からアメリカのいくつかの大学で研究を進め、一九七五年に筑波大学助教授(現在は同大教授)となり、アメリカ、メキシコ、カナダなどの大学で客員教授をつとめる、と紹介されている。著書として「現代アメリカ外交序説」「現代紛争の構造」「地殻変動の世界像」「ポストペレストロイカの世界像」などが、そして共訳として「レーニン」があげられている。アメリカを中心にした現代世界を直接の研究テーマにしているようだ。
 著者は「はじめに」の中で次のように問題意識を披露する。
 「揺れ動くアメリカはどこへ行くのか。クリントン登場後の「変わるアメリカ」と「変わらないアメリカ」――二つの力のぶつかり合いの中で、左右に激しく揺れる現在を読み解くために、私は二つの手法によった。
 ひとつは、今日のアメリカを「大国の興亡」という長いタイムスパンの中に位置づけ、いわば鳥の眼で、その遠景をマクロにとらえようとした。それはアメリカの現在を、パクス・ブリタニカ(英国による平和)からパクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)への展開と終えんという、世界大の歴史の流れの中に位置づけることを意味している。読者はそこから、世紀末転換期の現在を読み解く視座を手にできるだろう。
 二つは、……自分史に引きつけながら、「昨日のアメリカ」八〇年代レーガノミクス――と共和党多数派支配――に焦点を当て、その実相を明らかにしようとした。……保守がリベラルを圧倒し大資本家が繁栄を謳歌した「十年間」を、経済と政治の両側面から分析し、いわば虫の眼で、その近景をミクロにとらえ直そうとしたのである。
 分析が詳細に及んでいるのは、その十年間の「決定的な」歴史の多くが、今日に至るも誤解されているからである。そして、その誤解の上に、「八〇年代」がモデルとして郷愁を呼び、いまも異様な光を放ちつづけているからだ。(昨年)一一月の中間選挙で、共和党新世代の行動的右派が勝利し、八〇年代「強いアメリカ」への回帰を目指し始めたことが、その顕著なあらわれだろう」
 そして著者は「はじめに」で、本書の結論めいたものを次のように述べている。
 「ポスト冷戦下で「唯一の超大国」となったにもかかわらず、アメリカはいま、確実に衰退の時を迎え、しかもその衰退が、帝国の膨張によってばかりでなく、内なる「社会と経済」の荒廃によってまた引き出されていることである。アメリカもまた……巨大な帝国から「並みの大国」への苦渋の転換期にさしかかっている。……クリントンやゴアたちの「新しいアメリカ」は、「古いアメリカ」をどう克服しようとしているのかいないのか。それは……戦後五〇年、そのアメリカをモデル(または反モデル)としてきた、私たち日本人自身の問題でもあるはずだ」
 この部分からも著者がクリントン(とゴア)を新しいアメリカ、変わるアメリカと位置づけ、かなりの親近感をもっていることが分かる。本書全体に親リベラル、反共和党(すなわち反大資本)が通奏低音としてあって、新しいアメリカへの期待が表明される。だが、この点、すなわち「クリントン登場後の「変わるアメリカ」と「変わらないアメリカ」――二つの力のぶつかり合い」に関する著者の結論を先に述べると、次のようになる。
 「その変化(アメリカを襲う変動の波)は一過性なものではない。……得体の知れないマグマのようなものが、アメリカの政治システムを揺るがし、帝国としてのアメリカをも呑み込もうとしている――。……その襲いくるツナミの中で、クリントンたちが始めた「変革の政治」はどこへ行くのか。「新しいアメリカ」はどうなるのか。いまいえるのはただ……どうアメリカが変わるにせよ、その動きが帝国の解体を引き出し、その黄昏の時を早めていかざるをえないことだろう」
 著者自身が設定した問題意識からすれば、この部分、つまり「その動き(アメリカの変化)が帝国の解体を引き出し、その黄昏の時を早めていかざるをえないことだろう」が「世紀末転換期の現在を読み解く視座」ということになる。
 この結論が妥当かどうか、その点は本書の読者の判断であるが、竜頭蛇尾の感は免れない。

本書の読みどころ

 竜頭蛇尾の感は免れないにしても、本書には読みどころは十分にある。本書は、第一部分裂する自画像 第一章興隆か衰退か、第二章台頭するイデオロギー(レーガノミクスの光芒)、第三章消える夢(分極化する社会)、第四章「福祉国家」へのボディーブローと第二部再生への旅 第五章苦悩するリベラル、第六章せめぎ合う力、第七章変革の道すじ、第八章帝国の終えんへ――の構成になっている。
 以上の中で特にレーガノミクスの総括に相当する第一部は、アメリカの現状を理解する上での前提知識として、私には興味深いものがあった。ことに第三章の拡大する貧富の格差、増大する財政赤字、第四章の社会福祉の後退、市場の失敗の部分は、レーガノミクスの基本である「市場万能主義」や「規制緩和」を懸命に後追いしようとしている日本の数年後を予測させるようであった。著者が「はじめに」で述べた「戦後五〇年、そのアメリカをモデル(または反モデル)としてきた、私たち日本人自身の問題でもあるはずだ」との指摘は、私たちにとっても大切な思考の基準でなければならないだろう。
 アメリカ・デモクラシーについて、「民衆から遠ざかる世紀末デモクラシーの変容が三つの側面に及んでいた」として、現職議員の再選率が圧倒的に高くなっている、投票率の低下、アメリカ民主主義の金権化を指摘している。日本とそっくりである。
 もう一つの読みどころは、第一章の「パクス・ブリタニカとパクス・アメリカーナ」である。いわば二つの「世紀末転換期」の比較論である。ただし、ここで私は二つの疑問をもった。一つは著者の「アメリカは、半導体やコンピューター、バイオなどの軽薄短小型の産業構造への変貌の中で、自らの覇権をすでに過去のものとせざるをえない状況下にさらされている」との指摘である。事実問題としてどうなのか、との疑問がある。
 もう一つは、「産業構造の変貌」と世界(経済)の一体化と指摘される現在にあって、イギリスやアメリカといった覇権国家、帝国が存在しないと、世界はどうなるのかという疑問である。著者自身がこうした問題意識を設定していないのだから、この点に言及がないのは当然だが、どうも覇権国家が存在しないと世界の「安定性」が維持できないと考えているように思われる。新世界秩序の問題を考える上で、覇権国家の必要をどのように考えるのか、ここに一つの分岐があると思われてならない。
 なお、本書で強く印象に残ったのは、「これまでの(クリントン登場前の)民主党は、その価値配分のありように挑戦しようとしなかった。いったいパイの配分のあり方に挑戦せず、敵と味方を明らかにしようとしない対抗政党に、どうして被治者の支持を獲得でき、権力を奪還できるのか。……クリントン民主党は、共和党を「持てる者」たちによる富裕層のための政党として攻撃した。……「持たざる者」のための「階級戦争」を、全面的に展開し始めた」の部分である。そして結論部で昨年十一月中間選挙での民主党の敗北を「クリントン変革政治の終わり」かもしれないと、分析している。
 新旧の連立政権時代から基本路線に違いがなくなったといわれる日本の現状にあっては、むしろ逆に問題を立てるべきだ、と思われる。基本路線に大きな違いはないと各政党が主張するようになったのに、どんな原因があるのか、と。
(一月末 高山徹)