1995年3月10日         労働者の力               第65号

 日本資本主義の迷路と方向性なき総与党化
 
市民派的自立を貫徹し、新政党創出のために地方選挙を闘おう


 阪神・淡路大震災の激震に直撃されたのは単に被災地域の人々にとどまらず、日本の政治と経済の総体も同じであった。回復基調に乗ったといわれた景気の足並みは乱れ、円為替は急変動し、そして二大政党体制に入ったかに見られた政治も安定からはほど遠い実体を示している。際限のない円高の連続は、輸出型経済の体質の根本を疲弊させている。その延長で政治もまた談合型の総与党化候補擁立という、疲弊の徴候をまざまざと示している。統一地方選挙を、市民派的自立の政治として貫徹し、その成果をもって新たな政党形成に結びつけるために闘うことが必要だ。
 
 阪神大震災―暴露された日本社会のゆがみ
 
 言葉を失うほどの被災地域の惨状をリアルタイムで見ながら、人は、第一に大正関東大震災(一九二三年)に耐えられると豪語してきた日本の土木・建築技術のもろさ、第二に防災計画や防災キャンペーンを繰り返してきた、その政治と行政の圧倒的無力さというものを痛感せざるをえなかった。
 時間を追い、日を追って拡大する被害の規模の大きさの実感と同時に、発生時間が早朝であったという、ささやかな「幸運さ」の実感もマスコミを通じて全国に一斉に伝えられたはずだ。もし新幹線が動いている時間帯であれば、少なくとも数本の列車が時速百数十キロのスピードで崩壊現場に突入したであろう。これ一つとっても人的被害は想像を越えるものであったに違いない。そう考えれば、来るべき「関東大震災」や「東海大震災」での被害を想定することすら不可能である。
 阪神淡路大震災では、全国からの即座の救援や支援、そして日本史上初めてといっていいボランティア活動の盛り上がりなど、日本社会がある程度の成熟社会的な段階に入りはじめていたことを意味しているであろう。それが敗戦後五〇年、ひたすら経済的キャッチアップ(追いつき)を追求し、そしてドル換算では最高水準の経済力を持つに至った日本資本主義の到達点の一つの表れと評されるべきことである。
 だが、この一点をのぞけば大震災が暴露した社会的なゆがみ、欠陥の方がはるかに際だった。「成熟社会」的な要素は社会全体のほんの一部でしかないことが明らかになったのである。
 高齢者や社会的弱者たちが自力で生きていかなければならない社会構造も、あますところなく暴露された。多くの犠牲者を出し、あるいは避難所生活が余儀なくされたことによって寝たきりにになっている高齢者やあるいは障害者たちが、まったくの「自力」での生活を強いられている実態が明らかにされた。段差型家屋の中で移動もコミュニケーションも不自由なままに置かれつづけてきた人々は、さらに介護の社会的力の欠如や、避難所にあてられた施設・設備の全面的な不備の中で移動もできない状況におかれた。段差だらけの施設には、車いす用のトイレやエレベーターがなくてもいいとされていたのである。
 住宅事情の差が直接に被害状況の差となって表れた。それにとどまらず「住宅ローン社会」の実状が個々人を直撃した。膨大なローン(負債)を抱えたまま倒壊したマンションをみつめる居住者たちへの救済は、住宅金融公庫の残務ローンの一時返済猶予や兵庫県による新規借入れ分への一部利子補給などが講じられているだけである。 
 世界最高水準の経済力を有する日本資本主義社会は、大震災を通じて個々人の生活が、いったん事がおこれば根っこから転倒せざるをえない構造の中にあるという事実を見せたのである。大蔵大臣武村は、これを称して資本主義社会の法則(自己責任の原理)である、と断言した。
 だが住宅を例にあげれば、持ち家政策を推進し、住宅ローン漬け社会を築き、公有住宅政策を限りなく後景に追いやってきたのは政府の基本政策であった。地価の「右上がり」神話が持ち家政策の前提であり、公営住宅の賃貸料の急激な上昇がそれを後押しし、賃金の年々の上昇構造が補完した。段差型家屋でしかありえない「兎小屋」のまん延は、戦後日本資本主義の成長の有機的な一部に組み込まれた、構造的な産物であったのである。倒壊・半壊したマンションの累々はそのまま、住宅ローン社会の将来的崩壊の構図を示唆した。
 
展望なき泥沼―無限に続く円高構造
 
 地価と賃金との右上がり神話が戦後の高度成長期の経済的特色であったとすれば、それが今、バブル崩壊と大震災後の賃金抑制の中ではっきりと揺らいでいる。日本資本主義の成長構造の変化がすでに始まっているのである。
 バブル崩壊不況の持続の一方で、日本資本主義の貿易黒字(経常収支の黒字)は依然として高水準で推移している。ドル換算での賃金水準もまた世界最高水準に到達してきた。同時に、物価水準も世界最高水準にあり、これらのつくり出す落差はため息の出るほどである。
 日本輸出型大企業の「通貨」概念は、「ドル本位制」であるといっていいすぎではなかろう。ここでは一円の為替相場変動が巨額の損失に直結する。変動相場制に移行して二〇年、日本の円は三六〇円から九〇円にまで上昇した。四倍の高さに切り上がった訳である。当然、ドル換算にすれば、賃金も物価も単純にいって四倍に切り上がる。賃金水準がドル換算で世界最高水準になるのは、なんら不思議ではない。しかしこれは、賃金物価が連動して上昇している国内の「円本位制」にはまったく反映されず、ドル換算と円での測定の間の落差が、この二〇年はるかに拡大してきたという実感が優先するはずである。
 同時にこの二〇年、日本資本主義は「円高」に対応するためのあらゆる方策を年々繰り返してきた。生産コストの削減、技術の高度化、生産現場の海外移転が続き、そして他方では輸入コストの低減による国内第一次産業の全面的衰退が加速し、永続的な都市への人口流入、地方の過疎化に拍車がかかった。企業に蓄積するドルは海外市場への再投資に流れ、国内的には土地投機の原資となった。
 バブル崩壊とともにマネーゲーム、投機の効用も消えた。投機が投機を生み、消費が消費を生むという循環の崩壊は金融機関の巨大な不良債権として跳ね返った。東京協和、安全両信用組合が氷山の一角であり、全体の金融システムのきしみは一部に「昭和金融恐慌に似てきた」との声も出ている。
 そして今や円は一ドル八〇円台に切り上がりつつある。二〇年間もの企業努力は円高とのいたちごっこを招いているにすぎず、現状がそのまま推移すれば、円は「無限に」切り上がるのである。日本経済のファンダメンタルの良好さの象徴としてあげられる「高貯蓄率」と貿易黒字の双方がおかしくなったわけではない。それらは二〇年間、そして今も引き続いている。だが、それが何になるのか。日本資本主義の「努力」、そして企業社会人の「努力」も限界に到達しつつある。なによりも「努力」がなんらかの「解決」には決して至らないであろうという認識が生まれているのである。
 経済同友会が開いたセミナー(三月九日)は円高問題をめぐって論議が沸騰し、収拾がつかないままに終わった、と報じられた。経常収支=黒字犯人説があり、規制緩和をさぼる中央官庁主犯説もあり、ドル安をあまり気にかけないアメリカが痛む手段が必要という見解が出れば、反対に輸出主犯説も出る。「規制緩和と市場開放」の要求という経済四団体の統一見解は解決につながるものではないという意見が一挙に噴出したのである。
 ドル本位制であるかぎり、そして日本企業が輸出型産業であるあるかぎり、日本資本主義の巨大な隘路を越える道筋は見あたらない。アメリカは、ドルが基軸通貨であるという特権を絶対的に維持し、そして自らの財政危機への対処としては紙幣増刷の「輪転機を回せば」いい。ドルのたれ流し、貿易赤字と国家財政赤字との双子の赤字云々のアメリカ経済の諸問題が直接に切羽づまった問題、すなわち株式と債券の大暴落(長期金利の高騰)に至らないうちは、アメリカ政府の政策基調には変化がないであろう。
 ルービン米財務長官は九日、「米政府は意味があると判断すれば(通貨)介入し、そうでなければ介入しない」と述べてもいる。事実、アメリカは今回のドル安への積極介入は行わないできている。「円高」に騒ぎ立てることにも疲れが出てくるのもしかたのない事態といわなければならない。
 日本資本主義にとって、キャッチアップの経済論の時代はすでに終わった。賃金ストップ、物価上昇、失業増大というバブル崩壊後の経済的すう勢からの脱却の見通しに確実なものは見えない。企業が個別の論理で輸出努力を続ければ続けるほどに、巨大な貿易黒字のままに日本資本主義は歴史的転落をとげかねない。まさに日本資本主義の現状は憂うつなものいわざるをえない。 
 
地価と賃金の「右上がり」の終えん
 
 阪神淡路大震災とともに、賃金ストップの動きが具体化した。鉄鋼各社や近畿圏の電鉄各社の労組が賃金要求自粛や春闘そのものの回避に動く一方、全電通は、極度の低額水準(定昇込み二・八%)ではやばやと春闘を集結(三月三日)し、労働界に大きな波紋を投げかけた。日経連がこの春闘で賃上げストップ、定昇のみという方針を打ち出したが、現実は定昇の切り下げ、廃止への動きともなっている。
 春闘の終えんがいわれて久しいが、日本型企業別組合の基礎ともいうべき年功序列型賃金体系そのものの基礎である定昇をカットする動きの登場は、「春闘相場」の作用を通じて賃闘そのものの終えんを意味するに等しい。労働界は、ドル換算賃金水準の高さに満足したのだろうか。そうではないだろう。
 輸出型大企業の「行方のなさ」、限りない円高との闘いの「疲れ」――これらが輸出型大企業の賃金水準の抑制となり、そのまま春闘相場の全体に跳ね返っている。春闘相場は逆説的に、賃金抑制の役割として作用しているのであり、連合は一頃の「マクロ経済論」などの主張は忘れたようである。
 企業連型組合が企業論理の枠内で行動するということがはっきりすれば、連合の役割も社会的な存在であることをやめることになる。物価を下げる、内外価格格差をなくす、規制を緩和する、関税・非関税障壁をなくす――これらの日経連など経済四団体の統一要求は、本来は個々の輸出型大企業の個別の論理から導かれたものだが、にもかかわらず一定の社会的な必要性の側面をも持ち合わせていた。
 労働組合のナショナルセンターとしての連合も、そうした企業サイドの論理によりかかることを通じて社会的な役割の装いを持つこともできてきていた。だが、企業と労組とが、今や率先して自らの延命のために動き出した。日本経済成長の基本構造の一部であった賃金の「右上がり上昇」にストップがかかる時、ローン漬け型社会は行き詰まり、そして「高貯蓄率社会」の必然性も消えていく。年収の幾倍にも達する住宅購入資金が貯蓄の最大の原動力であり、二〇年、二五年ものローンを前提にした金融システムがふくれあがっている。
 バブル崩壊からの持続的な立ち直り、景気はゆっくりであるが着実な回復基調にある、などの論理は以前の経済環境、構造が持続するということを前提にしている。しかし現実の大震災後の事態は、経済環境が大きく様変わりしていることを示唆している。その中では、蓄積されてきている社会的なゆがみは、そのゆがみをより大きな領域で吸収しつつ解消していくという成長経済期の仕組みではなく、その反対の断絶、切り捨てという形で強行に「解消」させられる方向に向き始めているのである。
 成熟化社会の展望はここでは絶対に見えてこない。まして戦後日本資本主義と日本の政治を貫いた経済的キャッチアップ、追いつき追い越せの展望(今は、中国経済などがその渦中にあるが)は再現しようもなく、政治的影響は相当のものになるといわなければならない。

 既成政党の談合政治化―政官ゆ着の一層の進展

 政治の混迷は底が見えない。自・社・さきがけの「防衛的」連立にすぎない村山政権は当然ながら、規制緩和、市場開放、地方分権などのスローガンによって経済界の支持をとりつけようとしてきた「改革派」の小沢・新進党勢力も勢いを失っている。規制緩和、市場開放のスローガンが自・社・さきがけ連立政府に採用され公式の立場になったことは、小沢の主張の成果であると同時に、経済界が小沢を押し上げる必要性も薄れる。
 まして村山政権の政策の実態のなさに切り込めない以上は、新進党の立場の薄っぺらさも暴露される。地方分権に至っては、東京や大阪に知事選挙をめぐる総与党化の画策と談合、官僚出身者をかつぐだけの発想しかもたない状況を見れば十分である。民衆レベルでも、新進党、小沢の「改革派」イメージは消えた。政治改革論がまやかしにすぎなかったことが明らかになれば、残る危機管理論のタカ派論理だけでは「改革派」の牽引力を維持できない。
 東京都知事選では、無党派候補の青島幸男や岩国哲人の前人気が高い。総与党の談合、かつ公明党に典型的な権力ゆ着志向が見えるほどに、自治省官僚の石原信雄(前官房副長官)以外の選択を望む声が高まるのも当然である。大阪府知事選挙でも同じ構造で迷走している。中川立候補断念の後に現職自治省事務次官をあてようとする発想の露骨さには当人が辞退するほどである。
 ほとんどの地域で総与党化の舞台回しを行っているのが連合である。たとえば大阪では、連合は最後まで中川再選に固執し続けた。加えて与党志向の公明党がいる。そうしてまた、ほとんどの地域で官僚出身者が統一候補に擬せられているのである。東京、大阪に加えて神奈川、福岡などの旧来の社会党系知事の後に官僚出身者が居座ろうとしている。行革に抵抗する中央官庁を責めるのと裏腹に、政治の総体が官僚機構とのゆ着に走っている。こうした「地方自治」の実態、権力にゆ着し、利権に群がる既成政党の姿から「政治の改革」の実感がわかないのは当然である。
 だが今や、当の連合にも路線的整合性があるとは実感されていないに違いない。一方に新進党支持グループがあれば、他方に自社連立派がいる。九五春闘が示している連合の統一性の崩壊現象は、政治的な分解の深さと連動しているであろう。だが、いずれの傾向を通じても明らかなことは、権力接近、ゆ着志向であり、独自の立場からする政策体系をもつというところからはまったくほど遠いのである。
 政・財・官・労のゆ着がいわれて久しいが、これに「宗」が加わって政治改革論議は結局のところその姿の基本を完成させる過程に他ならなかったのである。
 連合の政治のわかりにくさは、社会党の動向とからんで倍加されている。彼らが「第三極結集」、新党形成をいうほどにその現実性が薄れていく。迷走する社会党の相当部分に、さきがけとの親近感を表明する人たちがいると報じられている。さきがけは意識して政策的独自性や市民的広がりを取り込もうとするポーズを示し、ある面では社会党勢力の大半を吸収してしまうことまで視野に入っているかのようである。
 しかし、そうしたさきがけの基調にも関わらず、この勢力が独自の第三極論者であるとはいえない。おそらくは、二大政党システムの一方の旗頭、あるいはその軸心に入り込むことが将来的な狙いであろうと思われる。すなわち、自民党の枠組みのきしみ、新進党体制の遠心化をにらみつつ、再度の政界大再編の不可避性を想定した当面の独自路線なのだ、と考えられるのである。
 さきがけの可能性は別にして、現行成立している二大ブロックがともにまったくの不安定さの中にあることは否定しえない。総与党化体制のすう勢にありつつ、その主導権をめぐった争いが進行する。その組み合わせは、自民党の渡辺や中曽根の動きを見るまでもなく、無数に考えられる。しかも現在、「不戦決議」をめぐる自民党内部のあつれきの拡大を考慮すれば、村山政権の終わりがあった場合の後継をめぐる泥仕合が十分に予測できるのである。
 北海道知事選挙をめぐり、社会党に造反した伊東秀子、それを支持する中尾、金田議員らが「リベラル政権を作る会」であり、自社連立の積極推進者である事実など――これらを総合的に考慮すれば、社会党の第三極論、新党形成論は、二大政党化に合流していく筋道(分裂)の一つの過程の主張といわざるをえない。新民連の動きに反発した社会党内勢力は、一部は積極的村山政権支持派であり、他は自らの旧来の左派性を二大政党論に適合していくための時間を稼いでいる勢力の合体であろう。
 統一地方選挙を通じて社会党の大幅後退は必至である。おそらく社会党の歴史的終えんを画す選挙となるにちがいない。そしてそれを通じて、この党は第三極結集論を媒介にして保守勢力との本格合流の道に踏み出すことになるのである。

方向なき総与党化―市民派的自立で風穴をあけよう
 
 政治的方向性なき総与党化――事態のすう勢を結論づければこういえる。その要因も単純だ。日本資本主義の成長の一時代が終わったが、その後の展望が少しも明らかにならない、ということにある。方向性なしには、市場開放論や規制緩和論、地方分権論も政治的なポーズか、あるいは急場しのぎの政策以上の意味をもたない。そして、ただ権力とのゆ着の意識だけが利権がらみで各政党をうごめかせている。
 都知事選挙でささやかれるように、事態は既成政党の談合的ゆ着と無党派、支持政党なし層との対決といっても過言ではないかもしれない。愛知知事選における牧野候補の善戦、倉敷市長選での相乗り候補の大苦戦などが示すものは、日本政治の底流で変化を求める動きが持続し、拡大していることだろう。先に日本新党がブームを呼び、さきがけの今の位置も独自の変革派的装いに依存するところが大きい。
 とすれば独自、独立の政治的立場の明確化と貫徹が、こうした底流に切り込む必要条件となるであろう。もちろん、そうした動きが一挙に日本新党のようなブームを呼び起こすとはいえないが、そうした細川的泡ぶく、バブルではない市民的自立が諸運動の分解状況、すなわち社会党ブロックの解体後の大きな後遺症を克服する主体の相互の結合になっていくであろう。総評解体後の労働戦線、日農運動の衰退後の農民運動など、社会党ブロックの崩壊の傷跡は依然として大きい。
 同時に、連合が社会性を喪失し、農協が積極方針を持たずにさまようような現実において、多数派合流志向が談合政治に吸引され政治的運動的エネルギー皆無の惨状に陥っていることも日々明らかになることである。現実において、多数派志向や権力への接近の引力は決して軽視できないものだが、談合政治のまん延に挑戦し、風穴を開ける主体的努力にこそ将来があるといわなければならない。
 統一地方選は今夏の参院選、そして衆院選での新たな政党の登場の重大な前哨戦である。無党派、無所属候補の各地での闘いは、総与党化と直接的に対抗する闘いにほかならない。統一地方選を闘い抜き、その成果とエネルギーをもって参議院選挙を全国の共同で闘う、新政党に結びつける必要はきわめて大きい。
 すでに明らかにしてきているように、五月には全国の統一した参議院選挙方針と体制をつくる各界、各層からなる同権的会議、円卓会議がもたれる必要があるし、それが公選法上の政党として自ら主体的に政治的登場を実現する必要がある。結成された政治団体「護憲のための連帯」がそうした共同の作業の実現のために闘うことも必要なことだ。
 統一地方選挙の最大の主眼点は、まさに既成政党の談合政治と対抗する政治的核を生み出すために闘い抜くことである。いかに地域的に小さいように見えても、各地での闘いのエネルギーが結合されれば、全国的な場での闘いに十分に耐えられるものとなることは確実だ。
 新たな政党創出につながる闘いに全力を。
(三月十日)
新刊紹介
      ジャンマリ・ゲーノ著(講談社)  民主主義の終わり

冷戦後のヨーロッパの現状を背景に

 訳者あとがきによると、本書は出版されるや、フランスのみならず他のヨーロッパ諸国でも評判になり大きな反響を呼び、フランスの主要出版物、ル・モンド、フィガロ、レクスプレスなどをはじめイギリスのエコノミストなども早々と書評を掲載した、という。
 本書のテーマは、書名から分かるように「民主主義の終わり」「政治の終わり」つまり「国民国家の運命」である。冷戦が終わるかなり前から国民国家と政治に対する不信が増大し始めていた。一方ではヨーロッパ統合に向けた動きとして、他方ではNGO(非政府組織)による様々な人々の運動や地域的な運動として、国民国家や中央政治では解決できない問題に対する社会、人々の挑戦が始まっていた。
 冷戦の終わり、つまりソビエト(陣営)の崩壊は、民主主義の、自由主義の、そして資本主義の勝利という一瞬の夢をもたらした。ソビエトと地続きで接するヨーロッパ諸国では、一瞬の夢は陶酔感さえ伴った。だが現実の生活は一向に改善されないままであった。大量の失業者問題をはじめとする深刻な経済、各国で力を強める外国人排斥運動やネオファシスト勢力、あるいはバスク、カタロニア、ウェールズなどの地域分離独立主義、選挙のたびごとに表明される中央政府への不信。
 本書は、こうしたヨーロッパの状況を背景としており、冷戦終結で正負それぞれに多大な影響を受けたヨーロッパで大きな反響を呼んだのであろう。こうした問題、状況は、民主主義や国民国家そのものをも問うことになる。ヨーロッパは国民国家と民主主義の誕生の地であるから、したがって自らの存立基盤そのものが問われることになる。そして国民国家や民主主義そのものが問われるという点では、ヨーロッパに限られることはない。
 冷戦後の世界は、「世界の新秩序」という言葉で表現される新しい世界の枠組みが模索されている。のみならず、各国でも同様な新しい構造、枠組みの追求が行われている。日本では戦後に長期にわたって継続した五五年体制が崩壊し、その時代の当然の前提とされていた行政改革や政治改革、経済構造の再編――規制緩和や地方分権を含め――などが課題として浮上している。アメリカでも、中央政治への不信が増大し、「変革」が大きなテーマになり、経済の分野でも再編が進行していった。
 それでも全世界で進行している事態は、国民国家(と民主主義)を基本的な枠組みとした方向以外には進むべき道がないかのように思われる。つまり時代が大きく転換しようとしてるのに、時代の転換にふさわしい枠組みが一向に見えてこないのである。本書が「民主主義の終わり」として、こうした時代の転換そのものを高い視点から扱おうとしていると思われること、これが大きな反響を呼んだ理由である。こうした背景を本書は次のように述べている。
 「国家は、日常生活を管理するにはあまりに遠すぎると同時に、日常生活に影響を及ぼす地球規模の問題に対応するには狭すぎる。防衛や司法あるいは経済的権限など、主権の伝統的な機能を考えれば、国家は、グローバル化に適応できない窮屈な枠組みになりつつあるように思われる」
 推理小説を乱読している私にとっても、題名からして読んでみたいなと思わせる本書であった。訳者(舛添要一)はあとがきで「ゲーノもまた、外交官としての豊富な体験を背景に、現在における国際関係のあり方、そこにおける国民国家の変質、また民主主義の内容などについて思考をめぐらしていく。短い文章の中に、フランスの知的遺産がぎっしりと詰め込まれているので、著者のいわんとするところを正確に理解するのは骨の折れる作業であった。読み進めていくうちに、自分の知識の質が問われているような気にすらなる挑戦的な本である」と語っている。
 挑戦的な本であるかどうかは別にして、本書は私にとっては難解であった。もともと、時代の転換方向に関して明確な結論はありえないと考えているので、後に紹介する本書の結論にがっくりすることもなかった。むしろ現状分析と考えたほうがいいのかもしれない。

著者の基本的な立場

 本書は著者を次のように紹介している。
 「一九四九年生まれ。現在はパリ政治学院の教授。フランス高等師範学校及び国立行政学院を卒業。外務省に入り、駐米フランス大使館勤務の後、政策企画部長を勤め、一九九三年に西欧同盟のフランス代表となる。実務経験と学問を兼ね備えた国際関係学者として第一線を歩んできたが、特に冷戦終結後の世界の動きにくわしい。一般書として初めて書いた本書は、ヨーロッパで大きな論争を巻き起こした」
 著者の問題設定は、
 「二一世紀になっても、民主主義の栄光は続いているだろうか。それとも、今は不滅のように見える民主主義も、やがて次の世紀のどこかの時点で、また新たな政治形態にとってかわられるのだろうか。
 共産主義の崩壊というかたちで冷戦が終わり、世界中で民主化の波が広がっている今、なぜ民主主義の将来を問い直す必要があるのか疑問に思う人も多いだろう。たしかに、一九八九年一一月のベルリンの壁の崩壊は、大きな歴史の流れの区切りだった。……ここで過去のものとなった時代は、いつ始まり、どのような足跡を残していったのだろうか」
 こうした問題設定に対する著者の基本的な観点と結論の枠組みは以下のようである。
 「一九八九年に終わったのは、一九四五年に始まった冷戦時代でもないし、一九一七年に始まった社会主義の興亡の時代でもない。一九八九年は、一七八九年のフランス革命に始まる国民国家の時代に終止符が打たれた年なのだ。フランス革命によって平民すなわちすべての人間は国家の主権者となったことが、近代的な政治体制の原点だったのではないか。そして今、この時代(国民国家の時代)が終わろうとしているのだ」
 「来るべき時代を「帝国」の時代と名づけることにしたい。ローマ帝国は、境界線のないひとつの広大な世界だった。現在の社会は、国境の枠内だけで皆が国民としてまとまってひとつの主権を行使するには、あまりにも多様化しボーダーレスになった。……アジアの成功によって、近代ヨーロッパ流の政治のあり方は絶対的なものではなくなった。従来のヨーロッパ的な秩序は、ある中心を頂点としてできる権力のピラミッドである。新しい世界システムは「帝国」という名でイメージされるように、一つに統合されてはいるが内部は多様なままになるだろう」
この結論の前提となる著者の国民国家(国民)の定義は、次のようである。
 「市民をあるひとつの国民としてまとめているのは、社会、宗教、人種など一つの次元だけに限られる絆ではなく、背景にあるユニークな歴史的条件すべてなのだ。国民は歴史的な定義しか持たず、共通の歴史、共通の不幸、共通の幸福の場である。すなわち、国民は共通の運命の場だといえる。
 国民のもう一つの定義は、領土にある。国民とは場所に規定される集団であり、明確な国境線によって仕切られた領土に住む人々のことをさす」
 そして「最近の経済の発展は、近代的な政治の基盤である領土という考え方自体が、曖昧にならざるをえなくなってきている。……農業だけでなく、工業もまた経済活動に占める割合が縮小している事実を考えればよい。二〇世紀前半の工業のシンボルともいえる自動車の原料費は、製品価格の三〇〜四〇パーセントを占める。これに対し、新しい時代の象徴である電子部品の場合は、一パーセントにも満たない。このことは、世界がより「抽象的」で「非物質的」になりつつあることを示している。……また、電気通信網革命によってネットワークはますます領土とは無関係になりつつある。すなわち、海路と鉄道による交流の時代から空路と電気通信の時代に変わったことによって、空間の概念は覆されたのである」として民主主義、政治、国民国家の終わりを結論づけているのである。
 かつて、フランス人は分析的であり、その論理は緻密であると聞いたことがある。だが本書には、そうした傾向はない。やや乱暴と思われる論理の運びである。確かに時代の転換という大問題を扱うのだから、カミソリでなくナタのような切れ味、大胆さが必要であろう。しかし、それにしても……という感じは免れない。
 民主主義や国民国家、政治を定義づけて、現在の転換期において死滅しつつあるものと生成しつつあるものとを見極め、そこから次の時代を大胆に予測しようとする著者の方法に文句をつける気はない。だが空間の概念一つをとりあげても、電気通信革命によって空間概念が新しい意味を帯びた事実は否定できないが、従来の概念が生き延びるのもまた事実である。大量の原材料や食料、人間を電子回路を通じて運ぶのは不可能である。経済の抽象化にしても事情は同じである。人は新しく生まれるものを強調するために過剰な表現を使いがちである。この点が著者の結論にどんな影響を与えるのか定かでないが、国民国家の問題にしても、著者は死滅や終わりと結論するほか、比重の低下に近い表現をも用いている。問題が大きいだけに、こんな点はささいだというのであろうか。

現代社会論としての本書

 本書は現代社会論、ヨーロッパ、アメリカ、日本の比較論としての意味をも有している。その部分は興味深いものがある。そのいくつかを紹介する。
 「現代社会では、自律的な主体のかわりに一時的な状況しかなく、ある特定の機会に結集された専門知識にもとづいて、暫定的な同盟が状況に応じて結ばれる。グループの連帯の場である政治的空間のかわりに、利害を一時的に操作する支配的な認識しかなく、この認識自体もいつも変化している。つまり、社会は細分化すると同時に均質化している。記憶も連帯もなく、際限なく分裂していく社会。メディアに毎週映し出されるイメージの連続によってしか、一体性を見いだせない社会、市民なき社会。結局これは、非社会になっていく。
 この社会の危機は、特定のモデル、つまりアメリカだけに限られるものではない。もちろんアメリカ合衆国においては、利害対決の論理が極限まで押し進められるなかで公共利益は消滅してしまい、社会のイメージの管理も他とは比較にならないほど進んでいる。……アメリカの危機は世界の近未来を示唆しているのである。
 近未来を象徴するもうひとつの国は日本だ。日本は、政治の死と新しいネットワークの時代のもうひとつの側面をよくあらわしている。……日本では、いまだに維持されている共通のルーツの記憶と、利害調節のプロ化、その結果である細分化が自然にバランスを保ち、アメリカのようにゆきづまりが起きることはない。
 このような事態から日本を救っているのは、しかし政治ではない。国家の建設が、社会契約を通じてではなく、いわば古来の習慣を基礎としてなされてきたことである。ワシントン同様、東京にも市民はいない。日本は社会ではなく、ひとつの社会の記憶だと考えた方がわかりやすい。……注意深く制御された対立関係をうまく組み合わせたこの芝居(長期にわたって同じ政党によって上演されてきた民主主義の芝居)の振り付けは、現代アメリカにおける論争をアジア的に変えたものだ。両者とも「非政治的」であることに変わりはない。現在日米の政治がとっている形態は、……議会制民主主義のパロディである」
 「人間は主体的である、という考え方。しかしこれほど現在のわれわれと無縁なものはない。……今日、世界中の人はますます「日本人的」になってきている。「名刺」が市民としての洗礼と宣誓の代わりとなりつつある。名刺は職務上の関係を確立するために不可欠なコード化された記号であって、関係ができるきっかけとなった状況を表す。儀礼が政治にとって変わる。儀礼は社会の現実の表面に塗られたエナメルではなく、現実そのものになる。
 政治主体としての国家を形成することを断念した現代の人間は、ネットワークの時代が量産する記号の蓄積と、手続きのはざまで身動きできなくなる。当然のことであるように存在してきた国家の没落と同時に、社会を構成するための原則の基盤もなくしてしまった。できることといえば、日本のように記憶と儀礼のなかに、もうなくなってしまった社会のぼんやりした影を見いだすことぐらいだろうか」

帝国の時代とは

 著者が民主主義の終わりに続く時代として「帝国の時代」をあげているが、それは次のように不明瞭である。この不明瞭さの原因が、新しく生まれれつつあるものへの正確な分析の欠落にあるのでなければよいが。
 「帝国の特色は、原則ではなく手続きによって支配され、人や資本が定着せずにたえず移動し、統治にあたるのは主権者ではなく単なる状況の管理人である、といった点にある。新たな帝国は首都を持たない。もはやローマはローマにあるのではなく、領土の範囲の規定も支配者の集団も一切重要でなくなる。この帝国は、超国家でも、世界共和国でもない」
 「柔軟であると同時に安定した世界、ピラミッド型ではなくツタが絡まり合っているような世界、それは原則なき規則の世界なのだ。これから始まる高度化した社会は、不均衡と未決定にあふれたものになる」
 「宗教や共同体に細分化した世界は、どのように帝国として統合されるのだろうか。共通の手続きやルールだけでは、一体化した帝国はできないだろう。
 帝国に向かう今日の世界におけるパワーとは、単なる抽象的なものではなく、カネという具体的な形で表される。……カネは、あらゆる形態をとるパワーを一つの共通の基準で計り、多数の宗教によって分裂した世界を帝国として統合するという非現実的なことを可能にする」
 「制度の時代のすべての諸制度は、社会構造の充実にブレーキをかけるようにはできていなかったために、限りなく複雑化した。企業は大きくなり、組合が発展し、経済が手をつけていない分野は消滅し、経済以外の論理が支配していた領域も経済に支配されるようになった。民主主義や自由といった昨日まで偉大だった言葉が、今は空虚に響く。この不安から逃れる道は、
 啓蒙時代と民主主義の終えんという事実をきちんと認め、そこで初めて過去の時代の遺産のなかから救えるものを救うように務めることである。
 新帝国は、自らが一つの機能方式でしかない事実を知ることを拒まずに受け入れるだろう。そして、この点が新帝国の偉大さであり、弱点でもある。それは、政治が消滅した後の時代には、危険に対処するための方法として政治的手法は使えなくなるからである。
 完遂すべき革命が精神的秩序に関するものであると考えるのは、このような意味においてだ」
 民主主義が終わり新帝国の時代へ転換(移行)していく過程で、そして新帝国の時代において、著者は「精神的秩序の革命の必要」を提唱している。
 その精神的秩序の革命について一定の具体的なイメージを与えるのが、次の一節である。
 「エコロジー運動は、それ以前の環境保護論者たちとは異なって、人間がすべてを決める基準であるという考え方を拒否することを主張し、人間を超える地球全体の秩序のルールを解読しようとしている。環境保護論者たちにありがちな擬人主義的傾向、つまり人間の権利の思想を動植物の権利の思想にそのままあてはめるような傾向から脱却することができれば、エコロジー運動は、おそらく人類共同体の新しい定義のために新たな地平をひらくだろう」
 この点が本書の実践的な結論になるわけだが、ここで述べられていること自体に反対ではないにしても、やはり、もう一つはっきりしないという感じは免れない。(高山徹)

ロシアのチェチェン介入を許すな
エリツィンはなぜ軍事侵攻したのか


ロシアのチェチェン介入は、百年もの長きにわたって続いたロシアのツァーおよびスターリニストの支配に対する自決権に対する侵略にとどまるものではない。この侵攻は、エリツィン大統領に権力を集中しようとする権威主義の現れでもある。ロシアでは、親資本主義的な政党でさえ、こうしたエリツィンの企てからは距離をとり始めている。アレクサンドル・ブスガーリンとアンドレイ・コルガーノフがモスクワから報告しているように、チェチェン反戦運動は、その課題の巨大さに比してまだまだ弱体である。

無秩序なロシア

 ロシアが戦争での殺害や政府側の無軌道の道にはまりこんで、すでに久しい。一九九三年のモスクワでのデモに対する大規模な攻撃に始まって、エリツィン政権は、同年十月に課せられた一切の制約を投げ捨て、憲法を踏みにじり、自らの議会を解散するにとどまらず、議事堂を戦車と機関銃で攻撃したのであった。街頭での戦車――この光景はすでに一年前にわれわれが目撃したものであった。事件の登場人物も同じく、エリツィン、グラチョフなどである。
 彼らがチェチェンでの虐殺を指揮しているのであり、同時にイゴール・ガイダールやグレッブ・ヤクーニンなどの人物が再び力を得て、主役の周囲にいる。チェチェンでの人権を擁護するために本物の英雄的な精神を発露しているセルゲイ・コバーレフでさえ、一九九三年の十月で無防備な数百人のモスクワ市民が殺害されるのを、代議員らが逮捕され殴られるのを、警察が市民に暴行を加えるのを……なす術もなく見つめていた。
 一九九三年十月でも、そしてチェチェンでも、暴力は決して偶然の産物ではない。ロシア当局は、平和裏に、かつ民主的には実行できない社会経済および地政学的な戦略を適用してきた。それらはいわば「治療抜きのショック療法」であり、その結果は、経済の解体であり、政府にはびこる汚職であり、法律上の無軌道であり、犯罪のおそるべき増加である。
 自国で最低限の秩序さえ維持できない大統領と政府が、どうしてチェチェンやその他の場所で「秩序を回復できる」はずがあろうか。ロシアの人々が、エリツィンのロシアにはびこっているインフレーションや生活水準の低下、経済の荒廃とは別の道を選択したいと考えるのに、不思議はない。ましてや、労働者階級の大多数は社会的な格差の拡大に伴ってますます貧困化しているのに。まさに今われわれが目撃しているのは、一九九二年の破局の現実の結果そのものなのである。

エリツィンの「正常化」

 この過程でいわれてきた「正常化」なる言葉は、入院患者たちの平均体温が「正常」だという話を思い出させる。一人の患者はすでに死亡して体温が下がり、別の患者は熱にうなされているが、二人の患者の体温を平均すれば正常、というわけである。これこそがロシアの現在なのだ。ロシアの「ニューリッチ(新興富裕層)」は、富で膨れ上がり、国際的な浪費家世界で伝説になってさえいる。他方、人口のほぼ半分を占める「ニュープア」は、ほんの少し前までは生活水準が低かったといわれていたブレジネフ時代を懐旧的に思いこがれている。どうすれば現政権の政策が人々の憤りをかき立て、当局を暴力的にさせるのをやめさせられるのだろうか。
 民族問題に関する政府の方針はどうか。エリツィンがゴルバチョフを排除しなければならなかった時期は、エリツィンはロシア連邦共和国について語っていた。連邦内での多くの主権国家(の独立)を認める発言だった。だが権力を十分に掌握するや、方向転換をし、独立を要求する一切の行動は、武力攻撃でもって「歓迎」された。ロシア内の各民族、人種が、この転換をどう考えると思われていたのだろうか。「センター」がまた嘘をついた、とでも。
 これらの問いは修辞学的なものである。なぜならば、現在のロシア権力は、社会的な不安定、無秩序、不公正な支配、そして暴力から利益を得る社会政治勢力の手中にあるからだ。この社会政治勢力を構成する一つの層は、「新ロシア人」であり、彼らは西側世界の普通の企業と違って一〇%から二〇%の安定した利益を目的にするのでなく、急速に金持ちになることを追求する。彼らの目標は、年率数百%の利益であり、投機や汚職、暴力といった経済外手段による資本の超集中と集積である。彼らは、無軌道や強制の満ち満ちた社会から得られる利益に執着する(注)。
 この社会政治勢力を構成する別の層は腐敗した官僚であり、彼らが特権や賄賂にあずかれるのは無法や法制度上の混とんがはびこっている状況においてである。こうした不法行為の規模は想像を絶するものがある。ガイダール政権の大蔵大臣をいくどか務めたボリス・フェドロフは、つい秘密をもらしてしまった。大統領のダーチャ(別荘)や狩猟小屋、その他の資産の市場価格は約十億ドル、という秘密である。この金額は西側世界が約束した融資総額に匹敵する。官邸に張り巡らされた通電フェンスの建設費用は、大規模なシベリア石油ガスコンプレックスの当時の売却価格に等しい……。
 不幸なことであるが、同様な事態がロシア内のいくつかの独立共和国とロシア地域で進行している。チェチェンで生まれたドダエフ政権もまた、われわれが抱えている基本的な諸問題を映し出す一片の鏡である。そしてチェチェンでもまた、権力の正統性は極めて小さい(ドダエフは三年前、モスクワの助けを得て議会を解散した)。事態はまったく同じであり、経済と社会の秩序解体、全能のマフィア一族による支配、与党と野党の間の違いを民主的なやり方で解消できないし、その意思さえない点でも同様である。そしてもちろん、大量の武器がある。戦車、砲、機関銃などが大量にある。チェチェン当局に譲渡されたのか、売却されたか、あるいは交換されたものである。

排外主義の危険が

 チェチェンには、絶え間ない軍事衝突が不可欠であると考える支配層がいる。エリツィン中央政権がより乱暴に振る舞うほど、分離独立主義の波がより強くなっていく。ロシアの国境地域で民族主義が強くなると、中央では大国ロシアという排外主義がより強力になっていく。そして、その傾向には、わが国でより権威主義的で半ファシスト体制の危険性が本当に強まっていくことである。
 以上の傾向は、チェチェンでの情勢発展に伴って全面的に展開されてきた。現在、どんな人物がエリツィンを支えているのか。「大ロシア」を形成するために「南方進出」の拡張主義を主張するジリノフスキーや半ファシスト組織であるロシア民族統一党のバルカーショフらが、そうである。さらに、好戦的な愛国主義勢力やエリツィン政権とその政府の閣僚経験者らがいる。
 これらの事態は、たまたまそうなったというものではない。四年前、われわれは声を限りに「エリツィンは望むべき道ではない。彼はジリノフスキーやその一派の踏台に過ぎない」と主張した。一年前、十月の流血事件後、エリツィン大統領は、ジリノフスキーのスローガンと言葉を借用して明白にロシア排外主義の外套をまといはじめた。エリツィンが「南方進出」を試みたり、存在もしない「ユダヤ人フリーメーソンの陰謀」と闘い始めると、ジリノスキーには出る幕がなくなった。実際の行動展開がチェチェンだった。しかしロシアとその軍隊の力は弱まっており、チェチェンで実際に生起しているのは、強力なこぶしによる一撃でなく、太い不器用な指による暗中模索である。
 チェチェン事態での結果は、ロシアとチェチェンの若者の死である。チェチェンとロシアの子どもらと老人たち……の死である。
(注)確かにロシアの民間経済部門の一部には、資本の「原始的蓄積」をすでに達成したものがある。この部門では、富の集積程度は、急速な利益拡大よりも安定性がもっと重要な意味をもつようになっている。この事実が、右翼政党の一部がチェチェンでの「警察行動」に暗黙の支持を与えていたのが、後に戦争拡大に反対するようになった理由を説明する。彼らには、見通しの暗い混乱よりも安定と秩序が必要なのだ。
(インターナショナル・ビューポイント誌263、一九九五年2月号)
石油をめぐる衝突

 三年前にロシアの旧体制は崩壊したが、しかし、いまだにそれに代わる新しい体制は登場していない。「正直」な企業人金持ち上位百人のうちの六十一位までをはじめとして、旧体制のエリートの多くが依然として権力の座にある。フラマン語新聞のロシア専門ジャーナリストは、ロシアの経済利益は基本的にロビー活動を通じて決定されており、なかでも石油の生産と販売関係者のロビー活動が大きな比重を占めている、という。
 「石油販売企業は、その法的な地位はあまり明確でないが、官僚にとって大切な収入源になっている。百八十億ドルから二百五十億ドルくらいの金が主としてスイスの銀行口座に秘かに移されている。このロビーは中央権力の高いレベルで活発である。同時にすべての地方有力者もまた、自らの地域での私有化を管理したがっている。こうした動きが官僚内部でのあらゆる類の衝突の原因になっている。マフィアもまた、石油の民営化に関与している。一例をあげると、シベリアのウラジオストクの石油全部が官僚に盗まれ、モスクワを経由することなく直接に西側に売却されている」
 「チェチェン自身の石油資源は大きな意味をもっていないが、しかし、この地域はアゼルバイジャンとカザフスタンの石油資源の流通にとって死活的な意味をもっている。アゼルバイジャン、イギリス、トルコ、ノルウェー、アメリカによるコンソーシアムは、アゼルバイジャン三油田の製品をカズピ海経由の水路輸出に利益を見出した。トルコ経由で原油を輸出する計画だった。しかしロシアは、この計画に反対した。モスクワは、この周辺の石油流通を支配しようと決意した。アゼルバイジャンの油田と黒海のロシア港を結ぶパイプラインは、チェチェンを通っている」
インターナショナル・ビューポイント誌263号)
トロツキー会議

 モスクワで一九九四年十一月十―十二日に行われたセミナーの席で、「レオン・トロツキーの遺産研究委員会」の発足が明らかになった。このセミナーには、旧ソ連から主としてロシア人が、そしてウクライナ、ベラルーシ、リトアニアなどからも、さらには資本主義諸国からも二十人の参加者があり、全体で百二十人が出席した。次の会議は一九九五年十二月八―十二日に予定されている。
(インターナショナル・ビューポイント誌263号)