1995年4月10日         労働者の力              第66号

社会党分裂騒動の終わりと無党派候補の衝撃
 九〇年代政治の転換期を刻印

川端 康夫  

 
 昨年秋以来、社会党を揺るがしてきた山花前委員長らの「新民連」による新党結成運動は、今年早々、阪神・淡路大震災のの激震に見舞われて一時停止を余儀なくされてきてはいたが、しかし社会党全体が応急的対応策としての「党をあげての新党への移行」論を掲げつづける要因とはなってきていた。時期的には統一地方選挙の後が含意されていた。ところが、この四月に入って村山委員長や久保書記長から参議院選挙以前に新党移行は困難、参院選は社会党として闘うなどが公然と表明され、五月新党移行論はもはや事実上消えてしまった。だが社会党の「安定」は遠いものだ。政治状況は既成政党の離合集散を越えて進み始めている。
 
新民連の壊滅―全逓のクーデター劇
 
 新党論が後退した直接の原因は、全逓における「クーデター」にある。衰退しているとはいえ未だ十六万人の組織人員を抱えている老舗の全逓が、さる三月二十九日の地方本部委員長会議で新民連支援方針の見直しを決定した。この決定に至る経過は、外遊中に事を起こされるという、まさに典型的な古典的クーデター劇をほうふつさせるものだった。
 山花前委員長の動きは、周知のごとく支持単産である伊藤全逓委員長の強い後押し、あるいは圧力のもとで左右されてきていた。その伊藤委員長が、三月段階で次期参議院選挙に社会党比例区候補として出馬することが全逓の組織内で決定(同時に委員長職を次期大会で辞することも)したのである。
 山花新民連の新党構想の最大かつ急進的支持者であった全逓の伊藤基隆委員長は、三月中旬訪欧の旅に出た。その留守中に高頭進書記長が各地方本部委員長らとの会合を持ち、伊藤委員長を次期参議院選に社会党比例区候補として擁立することを決め、亀田弘昭副委員長らが、帰国した伊藤委員長に「通告」したのである。そして二十七日に山花、関山両氏と会見した席上で高頭書記長が支援見直しを伝えた。高頭氏は「このままでは全逓三役の首が飛んでしまう。ぎりぎりの選択なんです。理解してください」と述べたという(朝日新聞4・6朝刊)。
 クーデターという意味は、第一に伊藤委員長は、実質は小沢・市川の新進党支持であり、村山政権と袂をわかち、新進党との選挙協力体制を実現するための「新党」運動として「新民連」を支持、否、叱咤・激励してきた。伊藤委員長が社会党比例区候補に推されるという事態は、第二に、伊藤委員長が新進党との合流による新党路線を断念し、同時に委員長職という権力の座から「一介の議員」へと祭り上げられることを意味するからである。さらに伊藤委員長は新進党からの参議院出馬を検討してもいたというから、まったくの「封じ込め」の「花道」である。
 
 山花新民連と全逓
 
 山花前委員長は、新民連の強硬派を構成するグループとは異なった政治経歴と傾向の持ち主である。新民連強硬派は、明白な小沢路線派であり、村山内閣誕生時においては海部支持にまわったグループで、もともとの社会党右派である。
 田辺誠、赤松(前書記長)らの旧デモクラッツ(右派勢力の核心部分)やその外側にウルトラ小沢シンパ的に存在した堀らのグループに引き寄せられる形で、山花氏は反自民・二大政党論に傾斜し、ついには新民連の代表に押し上げられた。
 その背景の力が全逓であった。全逓議員グループに属してはいても、一方の田辺誠は全逓右派出身であるに対して、山花氏は弁護士であり全逓左派を有力支持基盤にしてきていた。もちろん以前の全逓と今日の全逓の路線と力量には雲泥の差、月とすっぽんの違いはある。旧社研(佐々木派)、左派としての父親の議席を引き継いで出発した山花氏の議員経歴は、一九八〇年以降の全逓の右傾化とともに転身の連続となったのである。
 経過を簡単に整理しておきたい。うっちゃりを食った形の旧デモクラッツ・グループが態勢建て直しに動き始めたのは昨年の夏、村山政権誕生からまもなくであった。この時点で海部支持に動いた「造反派」は、別党路線を歩むか、それとも忍耐の一時期を味わうかをつきつけられたのである。村山首班というウルトラCを実現した野坂、山口らが勝利者の位置にあり、新主流体制を築いた。デモクラッツは村山・海部の選択をめぐって内部分解し、同時に主流の座からあっという間に追い落とされたのである。
 「まるで熱病に浮かされているようだ」。社会党や連合内からこんな視線を浴びながら、全逓は昨年六月末の村山政権発足直後から伊藤基隆委員長を先頭に、山花氏らの早期離党―新党旗揚げを促してきた(朝日、前同)。
 こうした動きを射程に入れつつ、五島らの旧デモクラッツ参謀グループが考え出した新対抗プランは、第三勢力結集の新党(民主リベラル新党)論である。保守二大政党への吸収に抗するという建て前によって自社連立に対抗し、同時に小沢新進党路線への合流を志向する勢力をも新党論によって糾合した、陣営の再建と党内イニシアティブの再掌握の狙いという、それなりに巧妙なプランが案出されたのであった。
 彼らがあてにした後ろ盾は、もちろん連合勢力の「多数派」であった。民社と社会両党の股裂きを回避するという名分のもとに、連合勢力の多数が新進党サイドで動くであろうという計算は十分に可能性があったし、なによりも旧総評系単産、その中軸ともいうべき旧官公労の全逓と全電通が後押しするとなれば大勢は決するとの読みもあったであろう。
 だが五島のプランには、「秀才」につきものの欠陥が含まれていた。それも重大な欠陥である。すなわち、第三勢力新党論という名分と、新進党との合流志向という実体との間のギャップがあまりにも大きなものであったという動かしがたい事実である。本岡や左近らの露骨な新進党との合流路線と第三勢力新党論とは、机上の理論としてはやりくりできても、現実の政治舞台ではとうてい統一しえない代物であった。
 新民連は急激に分解することになる。田口ら、自治労のひも付き議員たちが率先して分党、新進党との合流への反対論陣の急先鋒となることは当然として、五島らが第三勢力新党論の名分によって自縄自縛となり、ここに兵庫グループや大阪の左近などが分党急進派としてあぶり出されることになる。この図式は先の首班選挙で顕在化したデモクラッツの内部分岐の再現にほかならず、昨年秋から暮れにかけて、もはや新民連の位置は、党内右派勢力の再結集という狙いからはずれ、単に数的にどれだけ新進党に逃げ出すかという問題に帰着していった。
 五島がその根底において、分党・新党論者であるのか、それとも社会党の主軸を巻き込んだリベラル新党への転換論者であるかはなんともいえない。だがデモクラッツ分解に際して彼が村山支持路線に走り「急進派」と距離をおいた事実をみれば、党内政治を泳ぐための一定の才能をもっていることはいえるであろう。新民連分解においても彼は急進派に属さなかった。
 このぼろぼろの新民連を一身に全逓が支えた。全逓は昨年十二月の段階で、公式の組織決定として新進党との選挙協力準備に入ることを確認し、山花新民連に強力な声援、あるいは圧力をかけたのであった。全逓は、全電通や電機労連という旧総評中立労連ブロックの有力単産とブロックを組み、その力を背景として突出したのである。
 
 全逓と新進党、村山政権
 
 しかしここで留意しておくべきは、相棒であるはずの全電通が、すでになにかしら後景に退いていた事実である。山岸時代に突出してきた全電通ではあり、基本路線の性格にはなんらの変更もあるはずもないが、しかし動きは相対的に鈍く、全逓の突出がその分だけ目立った。
 郵政大臣に全逓OBの大出が就任し、また自民党サイドからしきりにNTT分割論や郵貯・簡保の民営化などの気球があげられるなどの効用も手伝ってもいたであろう。いずれにしても、新進党サイドが強力に固めたとされる郵政省に対する自社政権の包囲網が敷かれ、郵政大臣・大出俊というくさびが打ち込まれたという事態の中で、全電通の慎重な姿勢が明らかになりつつあったのである。
 全逓伊藤委員長が小沢びいきであり、市川と意気投合した間柄である。その委員長のイニシアティブによって全逓が突出することになったのだが、すでにその時点で、郵貯・簡保の民営化の方向が出たら伊藤委員長は腹切りものだとの声もささやかれていた。「官業は民間を圧迫するな」との声が、バブル後遺症に苦しむ(当然の報いではあるが)銀行界、経済団体から発信されてきており、行革の対象にされかねないという危機感が少なからずただよっていた状況であった。
 仮に伊藤委員長が新進党との合流、取引によって郵政事業の現状を防衛しようとしてきたのだとしても、それは舞台裏側での謀議のレベル以上ではありえず、政治の表面に出せるようなものではありえない。
 新進党自身が行革と規制緩和を名分としているのであり、貯金・保険民営化の圧力は将来にわたって消えさることはないのである。他方、自社連立政権がどう喝を本気で実行に移すつもりであったということも考えられない。官界の利権構造に手をつけられず、むしろ官僚をいかに自陣営に引き込むかというレベルで推移している村山政権と新進党とのせめぎ合いがある以上、どう喝はあくまでも観測気球的なレベルである。村山政権のみならずそれ以前の細川、羽田両連立政権の実質も官僚機構の抱き込み以外ではなかった。
 しかし二大政党の抗争にまともに巻き込まれることになれば、事態は変わってくる。敵は少ないほうがいい――行革のうねりがさらに大きくなることは明らかだからだ。労組官僚機構の判断はこのように動くであろう。
 「伊藤氏には情報産業関係の大産別組織を作ろうとする野心があった」――有力労組の幹部。「情報化時代を迎え、労働組合レベルでも一元的な組織をつくれば、政府や産業界への発言力も強まり、ひいては自らの政治力アップにつながると読んだようだ」「伊藤氏は小沢氏から、新進党が政権を取れば、郵政省に両労組(全逓と全郵政)の統合に協力するように働きかける、との誘いを受けたのではないか」――全逓出身の元参議院議員(前同)。
 全逓は伊藤委員長のもと、政権内部に食い込み、小沢・市川サイドの郵政一家構築の一翼をになってきた。労組が政権とのゆ着を深め、労組官僚機構の安定をはかるとともに郵政事業そのものの安定化もはかるという構図一般について、全逓の官僚機構は異存がないであろう。この二十年来の基本路線の枠組みがそうである。しかし、その政権が新進党政権でなければならないという理由もない、村山政権であってもいいはずである。そうでないとすれば……。
 以上が大臣大出の就任という自社連立側の意図として明白に示されたときに、伊藤委員長の突出は、個人的な性向、個人的な好みの問題へと帰着していくことになる可能性を明らかにした。昨年十二月の全逓の態度表明をとりあげた報道は、すでにそうにおわせていた。伊藤委員長は、諸方面で懸命に新進党支持ではないと繰り返していたが、新進党との選挙協力の準備という方針の前には弱々しいものでしかなかった。
 今年一月に入って昨年末の決定への異論が拡大・表面化してきた。二月中央委員会は議題にしないことでのりきったと伝えられる。
 重ねて「地方には統一地方選に社会党から候補を出すところが多い。執行部が官公労仲間の自治労や日教組と対立する形で、新党路線を突っ走ることは当選を危うくするものだった」(全逓関係者、前同)。
 委員長は全逓官僚機構の一員ではあっても、その全部を独裁しうるものではない。全逓官僚機構は伊藤委員長の「花道」としての参議院比例区候補という選択をした。大震災は、新民連を退場させる絶好の口実になったのである。
 
ポスト新民連の社会党
衰退の安定か、衰退の混迷か
 

 新民連が挫折した結果、社会党の今後の基軸は、第三勢力論新党への移行を将来的な方向づけの名分としつつ、村山政権として踏み切った政治的転換を地ならしし、派閥の再編成へと動き出す可能性を高めるものと思われる。もちろん各所での「ねじれ」は、すぐには解消されるものではない以上、北海道のような「ぎくしゃく」は今後とも「余震」的に続くであろうが、少なくとも従来型の左右両派の抗争の垣根は基本的には取り払われている。 
 だが以上の事態は、社会党が今後とも安定化するかどうかということとは無縁である。
 まず第一に、第三勢力新党論の前提は保守二大勢力との関係における第三勢力論であり、「党の主体性」を維持しつつ連立工作で政権与党のうまみを味わおうという、これもまたきわどい戦術でしかない。ここには不断に伊藤委員長や兵庫グループのような新進党への合流や、伊東ひでこ前議員が典型に示したように自民党に吸収されかねない動きをはらむ。新選挙法のもとではなおさら選挙協力が議員個々人にとって命綱ともなることを合わせて考えれば、「党の主体性」なる文言が実態を持つに至るほどの政治性が社会党に残っているか、はなはだ疑問というべきだ。
 第二に、そしてこれが最大の要素となるが、政権のための員数合わせ、議員個々人の生き残りのための離合集散を繰り返すことによって、既成政党全般が民衆から見放されつつあることの影響である。政党助成法しかり。税金を公費助成という形で私物化し、かつ企業献金にはなんらの遠慮もしない。政権与党になるためには政策も公約も、あらゆることを犠牲にする。ひいては、各党の利害調整の談合型地方行政をお手盛りでつくろうとする。既成政党は個々の議員の利害を追求する業界団体の集まりでしかない――一連の政治改革論、新党論の帰結はさんたんたるものだ。既成政党は坂を転げ落ちるように民衆のエネルギーから無縁になっていきつつある。
 選挙ブロックでしかない新進党もいまや「新党ブーム」を呼ぶところからはほど遠い。自民・新進が激突した秋田、岩手の知事選は、以前の時期の「自民党の分裂選挙」となんら変わらない。互いに業界団体を動員しあっている。新進党内部は旧公明党とのぎくしゃくが高まる一方である。市川は新進党内に高まる反公明感情にいらだちを見せ、「何も新進党だけにすがりつかなくとも」と発言した。
東京知事選挙において、東京公明党が石原を支持し、新進党が自主投票に追い込まれたこと、党内の最強の結束派閥としての位置、さらにはその派閥的力によって新進党の動向が左右され、また将来の議席保障も決められかねないなどが合わさった反公明感情が渦巻いていることは容易に推測できる。東京知事選で石原支持の公明と岩国支持の旧日本新党などの勢力は、まったくの分裂選挙の様相を呈した。
 社会党は一連の政界再編劇の中で最大にもみくちゃにされた。したがって、民衆から見放される度合いもまた最大である。自社さ連立成立以降もこの党は新民連騒動への対応に追われ「社会党らしさ」を打ち出す努力は陰が薄いものであった。そして政策の大胆な転換は、連立条件に合わせるためという、非主体的な視点からの選択であったが故に、論理を自ら主体的に整合させるという側面は皆無であり、政策的な積極性を完全に損ねる結果ともなった。すなわち、結論としてこの党は、政権維持に必要な押し進む力を内的に生み出すことなく、ただ連立の枠組み、自民党の応援によって存続している感を広範に与えてきた。むしろ「さきがけ」に政策的積極性があり、ある側面では社会党を飲み込んでしまう勢いをも感じられるのである。さきがけの勢いは一定程度持続しており、堂本議員や一部都議など、社会党から部分的に食いちぎってもいる。
 第三勢力新党構想が現状の延長線上に進むとすれば(進む以外に選択の余地は少ないが)、その当面の対象は「さきがけ」や旧日本新党グループ、参議院の民主改革連合などになる。これらは「雑多」であって、すぐさま合流することは考えられないし、当面にかぎって見れば、到底、社会党が結集の吸引力を持つとは考えられないのである。もし、これら勢力が合流する場合があるとすれば、その政治的枠組みは社会党の基盤ではなく、リベラル保守党としてのさきがけを基盤にするという可能性の方が高い。大都市、特に東京で見る分には社会党の存在感は完全に希薄である。
 村山政権の命運もあといくつと数えられるようになりつつある現在、社会党が統一地方選挙で大幅後退することは必至である。地方勢力を含めた党総体として本格的に「生き延び」を考えざるをえなくなることは避けられないものとなるだろう。その際、この党が再び内的混迷に陥るか、あるいは相対的に安定しつつ進むかは、前述したように、依然として自民・新進の抗争の行方に左右される。自民党が社会党をパートナーとして必要とするのは新進党との抗争が持続する間だからである。保守連合の可能性が現実ともなれば、社会党の第三勢力政党としての位置もなくなる理屈であり、いずれにせよ社会党が相対的な安定状況を示すとしてもまったくの一時的な現象にとどまるであろう。
 政界再編劇はなおも続くのである。

既成政党離れの衝撃
九〇年代前期政治の終わりの始まり

 
 東京の青島、大阪の横山――民衆が彼らの行政能力、政治的力量を評価して支持すると見るものはいまい。選挙のプロ集団は、無党派候補への高支持率はしかし最終的な投票行為には直結しないと期待する。そうではあるかもしれない。本紙が届く頃には結果は出ている。
 しかし、問題の核心は、総与党化現象の進行と相反する無党派候補支持の増大というすう勢をどう見るかである。政治改革の二大政党論が総与党化に帰着するという落差が与える政治への幻滅がこれほどまでに影響を与えている時期は、戦後にはなかった。
 折しも日本資本主義がどうやら相当に深刻な転換期を迎えつつあるという認識も避けては通れないものとなってきている。小沢路線が登場してからわずか数年で、路線的な効用も疑わしいものとなった。国際的にも国内的にも、小沢流パワーゲームのための舞台装置が色あせてきているのである。
 五五年体制の後は、国際的に通用する大国日本の路線の出番であるという論調に浮かれる余裕も日本資本主義には、もはやあるまい。政・財・官・労の結合による強力な政治的ヘゲモニーの確立という、九〇年代前半の政治的基調に勢いがなくなることも当たり前ということでもあろう。
 以上は、村山政権の基盤をもろいものとするのみならず、離合集散に明け暮れてきた政治的上部構造の総体的危機の進行でもある。同時に、小沢的強権路線のたそがれを刻印し、そしてその強いけん引力が政治の総体の基軸となる中で、現実主義化路線をたどってきた社会党の選択が見当違いな結果になることを示唆している。社会構造とその根底を形つくる経済構造の、相当に大規模な歴史的変化の徴候はすでに見えている。定まったものがない一時期がはじまり、そこでは一本調子の政策論のレベルでなく、政治的方向性をめぐる多様な分岐が浮上してくることになるであろう。私たちの主張する新たな「革新政党の創出」という事業の土壌は、確実に準備されていることでもある。
 経済成長に乗った政・財・官・労の結合とは対照的な、経済停滞、低成長の時期の政治的概念の必要性がさらに広く認識される時期に、すでに突入しているのかもしれないのである。そこでは、大量生産・大量消費、資源略奪・浪費型経済システム、洪水型輸出とそれを支える内外価格差などの経済体系が通用しないことになる可能性は大いにある。
そこでは、近隣外交、アジア外交を含めた戦後保守日本政治の転換が、小沢的なものとの対照的レベルで必要となる。私たちにとっても、旧来型のパターンから飛躍した発想なしには対応できなくなることも確実だ。
 無党派候補への高支持率は、単に既成政党の離合集散が与える幻滅の結果にはとどまらず、政・財・官・労の結合体としての日本政治の力が明らかにけん引力を失う局面の始まりとして衝撃的なのだ、と考える。
 (四月六日)

新刊紹介
イェニー・マルクス ――「悪魔」を愛した女
フランソワーズ・ジルー著
新評論


新しい視点から

 社会主義陣営が崩壊し、社会主義(共産主義)が思想としての価値を大きく疑われるようになってから、すでに相当の時間が経過した。そうした中でマルクス主義や、これに関連する人々に関する書物がかなり出版されている。本書の奥付を見ると、新評論から「シュルツとマルクス」「ユダヤ人マルクス」などが刊行されている。そのほかにも「はじまりのレーニン」「エンゲルス論」「マルクス――読みかえの方法」「マルクス主義改造講座」「ぼくたちのマルクス」(いずれも未読)などが広告などから散見される。
 これらは、マルクス主義者が社会主義陣営の崩壊という新しい時代においてマルクス主義を再考したものや、マルクス主義とは完全にではなくともほとんど無関係であった人がそれぞれの立場からマルクス主義世界からは自由な観点で考察したものである。本書は後者に属する。
 私が毎日のように通っている小さな市立図書館でたまたま見出したのが本書であるが、おもしろいと言えば語弊があろうが、なかなかに考えさせられる本である。一読を勧めたい。
 副題を見ると、マルクスを「悪魔」と表現するなんて、と思ってぎょっとするところがある。本書の訳者(幸田礼雅、一九三九年生まれ、英仏文芸翻訳家)は、この点に関して次のように指摘している。
 「(本書の副題に)「悪魔と結婚した女」と書かれているのだ。いくら社会主義諸国の崩壊が相ついだといっても、マルクスを「悪魔」呼ばわりするのはひどかろう。しかし、そう考えるのは硬直したマルクス主義者で、実は、このタイトルはジルー独特のユーモアと見るべきであろう。……その意味も、決して悪意や、中傷に満ちているとも思われない」
 だが、この点は意見が分かれるところだろう。確かに「悪魔」なる言葉をどのように理解するのかという問題はある。全体として宗教心が弱まっている現代社会では、ことに、こうした精神的な物事をちゃらけかす風潮が強い日本では、自分の子どもに「悪魔」と命名しようとするくらいであるから、全面否定の意味合いは薄れている。しかし、キリスト教などの一神教を背景として考えると、日本で感じる以上に強い否定的な意味が込められているのかもしれない。

著者の社会主義認識

 訳者は著者のフランソワーズ・ジルーを「フランスの人気女流作家」と紹介している。そして本書の著者紹介は次のようになっている。
 「アラブ系スイス人として一九一六年に生まれる。コレージュ・ド・グロスレーを卒業後、映画界入りをし、ジャン・ルノワール《大いなる幻影》の助手を務めた。大戦後《エル》の編集に携わった後、週刊誌《エクスプレス》の設立者として活躍。七四〜七六年にかけジスカール・デスタンのもとで閣外大臣を経験。著書多数。一九八四年《名誉ある女性》でメディチ・アカデミー国際賞を受賞。……ミシガン大学名誉教授」
 つまりマルクス主義を専門に研究したわけでもなく、歴史を研究している人物でもない。そのためか翻訳者が指摘しているが、次の例にみられるごとく事実誤認が散見される。
 「ブルジョワジーを賛美すると共にその死を宣告した《共産党宣》は、ロンドンで刊行された(同じとき、ルイス・キャロルが《不思議の国のアリス》を出版したのはまったくの偶然である)。[《不思議の国のアリス》が出版されたのは一八六五年で、著者の勘違い]」
 しかし著者は決して思想的な立場として、反マルクス、反マルクス主義ではない。著者の社会主義認識は次のように披れきされている。
 「今や偶像は失墜した。人類の思想に不可欠の役割を果たしたものとしてのマルクシズムは引き潮のように去り、社会の管理方式としてのそれは「不適格」の烙印を押された。たんに七十四年間の実習期間において、それは、その目的のどの一つとして達成させられなかったと、あるいはそれを支え続けた人々に、それはなんらのの幸福と、尊厳と、自由をもたらさなかったと言ってすむことではない。とはいえ、研究の手段として、分析の道具として、[マルクスの]仕事は今なお絶大な力を有しており、そこでは、確かに一人の強靭な精神が、膨大な量のデータを関係づけ、人間に関する一つの科学を確立したのである」
 いずれにしても本書は、マルクスの思想的な発展過程をたどったり、マルクス主義の変遷を探るといったものでなく、イェニー・ヴェストファーレンとカール・マルクスとの関係と二人を取り巻く人々に焦点を当て続ける。この意味で従来のマルクス主義研究者が注目してこなかった点が分析の中心となっており、新しい視点からの研究であり、性差別問題という面からマルクス主義を再検討する一つの手がかりになるのではないかと思う。

ブルジョア的知識人マルクス

 著者は、子ども時代のカール・マルクスやイェニーの関係を両家のつきあいを含めて紹介していく。この時点で、当時の貴族あるいはブルジョア(市民)の生活態度、基本的な考え方をを明らかにする。これは、例外はあるにしても、イェニーやマルクスを取り巻く人々の基本的な生活態度でもある。その一部を紹介する(引用の後の()内は、本書の章名)。
 「一八四七年のエンゲルスの手紙は、彼がパリ滞在中に書き、マルクスにやって来いと誘ったもの」として、簡単に手紙の内容を紹介し、著者は次のようにいう。
 「遊び回ったり、一杯やったり、女を引っかけたり、いずれにしても珍しいことでない。要するにマルクスもエンゲルスも、人生に対し、享楽的だったと言うことだ。おそらく彼らは、何がイェニーの楽しみかなどとは考えても見なかったにちがいないし、そもそも彼女に楽しみがあるかどうかも知らなかった。十九世紀の人間はそういうことを問題にしない。そして、二〇世紀の人々も……」(美しきパリ生活)
 「[マルクス]は、この制度(資本主義)の犠牲者ではない。が、彼らは、この制度の怒れる証人であり、この世界を変えるべきだと信じ、そうすることが労働者の使命だと信じていた」(共産党宣言)
 ここで問題となるのは「十九世紀の人間はそういうことを問題にしない。そして、二〇世紀の人々も……」の部分である。十九世紀の人々が享楽的な生活態度や愛する女性の気持ちや考えを尊重しなかったことを問題にしなかったとしても、後のマルクス主義者(たろうとする人間)が、この点についてどんな態度をとるかはまったくの別問題である。われわれがこれについて無批判であったのは事実である。そしてマルクスの次のような態度は、男のマルクス主義者(たろうとする人間)にとって何よりの頼みの綱となった。
 「三十六歳のカールは健康を害している。……マルクスはエンゲルスに手紙を書き、自分を「負け犬」にしている不幸を数え上げ……、「家族のない者は幸いなるかな」と言い、さらに、こう書いている。「普遍的な願望を抱く者にとって、結婚生活の、私的な、日常的な困難に身をすり減らすことくらい馬鹿げたことはない」(「マダム、アイ、ラブ、ユー」)
 それでも著者は、二人の関係について、あるいはマルクスの女性に対する態度について次のように述べる。問題を多面的のとらえようとする著者の立場が感じられる。
 「イェニーは、歴史がいくつかの法則に従い、いかなる個人の介入にも従属しないと信じ切っていたのか? ……しかり、彼女はそう信じていた。彼女は人類愛的行動に熱中する女ではなかったが、マルクシズムのために戦う一兵卒ではあった」(共産党宣言)
 「マルクスに言わせれば、女性はとくに社会が変革期に差し掛かっているとき、必ず重大な役割を果たす。友人の医師クーゲルマンに書いた、彼の手紙は有名である。「歴史に通じている者なら誰でも知っていることだが、大きな社会的変化の意義は、女性の社会的地位の変化によって正確に測定されることを知っている」
 私生活において、マルクスは女性をつねに信頼したが、とくにイェニーにはあらゆる面について相談し、仕事にも深く係わらせ、ときには政治的判断を求めた。レンヒェンについても同じで、彼女の意見を高く評価している。この時代の男性としては、これは立派である」(「マダム、アイ、ラブ、ユー」)

レンヒェン問題

 著者はマルクスの「悪魔」的側面の大きな問題の一つとして、「カール・マルクスが使用人(レンヒェン)に子どもを産ませた」事実をとりあげ、かなりのページをさいて叙述する。
 「多くのマルクスの伝記作家は、長年この言葉(イェニーの自伝的ノートの一節「一八五一年夏の初め、ある事件が起こり、公私共々我々は大変悲しい思いをしましたが、これについては私は語るつもりはありません」)を目にしながら、それが何を意味するか調べようともせず見過ごしてきた。が、これこそは女のうめき声だ。しかるにマルクスは、一家の重荷の全重量が妻の肩にかかっているのを知りながら、しばしばエンゲルスに対し、彼女がヒステリーを起こして困ると嘆いている」(ロンドンか地獄か、以下同じ)
 「真実の一端が、……いわば一世紀あまりのち(一九六二年)の真実の一部が現れ始めると、人々はそのあまりの衝撃の大きさに驚き、それを否定しようとさえした。……その真実とは、カール・マルクスが使用人(レンヒェン)に子ども(ハインリヒ・フレデリックと名づけられる)を産ませた、ということである」
 マルクスの相談に対してエンゲルスは「いつこちらに着くか、教えて欲しい。後は、委細面談の上で決着をつけよう」と返事を送る。これに関して著者は次のように言う。
 「一体、何に決着をつけるというのか? 実にひどい話だ。要するにレンヒェンのお腹の子の親権を誰が引き受けるかということなのだ。……エンゲルスはマルクスへの友情とイェニーに対する不安の故に、さらに共産主義の大義のために、この割りの悪い役割を引き受けた。……しかし、レンヒェンの意見は? 彼女の意見を彼らは求めらだろうか?……とうていありえないことだ」
 「男という存在は、つねにそのセックスにより支配されているということを、イェニーは知らなかった。もっとも、そんなことを積極的に認める女がどこにいよう? とにかくこの事件は、事故、単なる事故にすぎない、と彼女は自分に言い聞かせた。マルクスの犯した誤ちと、それを隠すための嘘に、彼女がどれほど苦しんだか我々には分からない。だが、彼女が苦しんだことは確かである」
 日本でこの問題が岩波新書であったと思うが、活字になったのを読んだとき「あまりの衝撃の大きさに驚」いたのを記憶している。まさか、という感じだった。「否定しようとさえした」に近かった。と同時にマルクスも男だったんだな、と思った記憶がある。一九六〇年代の末か、七〇年代初めことだったと思う。当時の第四インターナショナル日本支部がこれについてどんな態度をとったのか知らない。少なくとも私は、これの問題で他人と討論した記憶はない。
 改めて本書を読んでみると、衝撃の大きさは昔ほどでないにしても、問題の深刻さ、根深さを感じないわけにはいかない。

沈黙の共犯関係

 また、著者はさりげなく述べている次の一節は重い。
 「偽善を越えた、何かもっと崇高な気持ちが……つまり、各自が何よりも大切にしてるものを守ろうとする感情に動かされて、彼らは皆沈黙し合った。そして、その沈黙は、カール、イェニー、レンヒェンが一緒に眠る墓の中まで続いた」
 掲げる理想や大義が大きければ大きいほど、ある組織、集団が深刻な問題をかかえた場合、これに関して沈黙(暗黙)の共犯関係というべきものが成立しがちである。なにもマルクス主義世界に限られた問題ではない。また、当時のマルクス主義派が革命運動、労働者運動でほかの潮流と激しく勢力争いをしていた事情を配慮すると、「やはり、そだろうな」と思わざるを得ない。事態は次のように展開していく。
 「最後に生き残ったエンゲルスが、その臨終の際、ついに崩れた。喉頭癌に犯された彼は、もう口を満足に利けなかった。かれは石板の上に書いた。「フレデリックはマルクスの息子だ」」
 「その言葉は、エンゲルスの秘書兼家政婦ルイーゼ・フライベルガーが、ドイツ労働者運動の指導者アウグスト・ベーベルに宛てた長文の手紙の中で報告されている。この手紙が発見されたのは一九六二年のことで、これによってフレデリック・デムートに関する研究が始まったのはごく近年のことに過ぎない」
 著者は、この問題については事実を述べるだけで分析をしていない。沈黙の共犯関係がなぜ成立するのか、どうすべきであったのか、また、エンゲルスが臨終の際になぜ事実を明らかにしたのかなど、考察していない。重い問題ではあるが、人間の解放を考えていこうとする以上、これは避けて通れない重大な課題である。

 訳者は、本書を評価して次のように述べている。
 「私自身もそうだが、恐らくジルーもまた、マルクスを理論的に批判し、あるいは歴史的に評価し、さらに、新たな世界観の構築の基礎をつくる大任は、次世代、あるいはその後の人々において初めてなされると考えているように思う。……そういう意味でも、もはや科学者でも神でもなくなったマルクスの実像を虚心に見ることが可能な若い人々に、読みやすく、面白く書かれたこの本の一読を勧めたい」
 訳者のように明るく勧められるわけではないが、一読をお願いしたい本である。
~S~(三月末、高山徹)

ヨーロッパ各国共産党を襲う危機
スペイン――若干の成功を収めたが
統一左翼のもろい同意
第四回全国大会報告

                             ハイメ・パストール


 スペイン共産党と同党より左に位置するいくつかの左翼政党が統一左翼(IU)を結成して以降、統一左翼は腐敗した社会労働党(PSOE)政権を脅かしうる勢力に発展してきた。だが、急成長の影には暗い面もある。以下は、ハイメ・パストールによる同組織第四回全国大会の報告である。

指導部提案の大会宣言

 統一左翼の書記長格(ジェネラル・コーディネーター)フリオ・アンギータが、大会の開始を宣し、そこでこの数年間の活動に関して自己批判的な総括を行った。全国指導部は政治組織としてのわれわれがかかえている諸問題を次のように認識していた。すなわち、全国選挙での得票率は順調に伸びているが、それぞれの地方や各種組織、最も力強い社会層での根付きが深まっていない、という点である。この不均衡に伴う危険性は、いくつかの地方組織でのセクト主義と「新路線」に対する行き過ぎた満足感の両面に表れていた。しかしながら大部分の代議員が、この数年間のすばらしい成功が再現されるとは考えていないようだった。
 エストレマドゥラ(州都メリダ)とカスティジャ・ラ・マンチャ(州都トレド)の代議員だけは、全国指導部の報告に含まれる諸問題を真剣に検討しようとした。その他の代議員は、全国指導部報告を討論なしで承認しようとし、発言権を私的な会話のために行使した。こうした真剣さの欠如は、多くの地域組織に残存している「旧来の政治スタイル」を反映したものであり、この傾向の克服は徐々にしか進んでいない。
 大会が採択した宣言は、地球規模での文明の危機、新旧の様々な社会的差別、周辺世界―中枢世界間の対立、資本主義経済と福祉国家の危機をテーマとしていた。宣言にみられる明確な「赤と緑との結合」傾向は、IU内部の主要政治潮流が前進をとげたあかしであった。宣言は、もろい福祉国家における社会的な利点を守る必要を承認するのみならず、時代遅れになった社会民主主義的な考えの焼き直しをも提案してなかった。様々な価値の新しい体系をつくりだそうとする宣言は、IUが新旧の諸社会運動をスペインおよびヨーロッパ規模で新しい社会陣営に収れんさせていくために活動する基礎となるだろう。
 宣言は以上を基調として、スペインに関する部分ではフェリペ・ゴンサレスの与党、社会労働党(PSOE)を激しく批判している。国民の大部分は、この党のネオリベラリズムによる経済、社会政策とバスク分離主義運動に対する国家テロリズムのために苦しめられてきた。現在の政治と諸政党の危機こそがスペインの基本性格である。大会への報告文書は、新しい行動形態を見出し、IUを既存の反資本主義諸政党すべてを糾合できる「社会政治運動」に転換していく必要を強調した。残念ながら、労働組合指導部の優柔不断な路線に対する批判については、われわれの短期的な政治的な可能性を否定するものとして大会指導部は歪めたものを提出した。
 様々な同盟に関する統一左翼の態度は、イスキエルダ・アルテルナチバ(オルタナーティブ・レフト、IA)が提出した次の修正案に要約される。これは、一九九四年九月の全国政治評議会で承認された。
 「われわれが希求するヘゲモニーは、カリスマ的指導部あるいは強力な官僚機構のそれとはまったく無縁である。ヘゲモニーは唯一、相互尊重を基礎とする様々な潮流の統一のみから生じる」

IUと主要二政党との関係

 「信頼に値するPSOE内の反主流派(反フェリペ・ゴンザレス)は最弱であり、そして最強の反主流派は最も信頼できない」――こうした政治状況において「制度の安定性を追求するか、それとも右翼への反対を重視するのか、という一般的な路線によっては、PSOEが悪しきフェリピシモ(フェリペ主義)の慣習と決裂するまでは(PSOE)とのいかなる合意も正当化されない」
 しかし地方レベルでの合意は、それが「われわれの自立を確保し、一切の従属的な立場を拒否する目的で一貫している」かぎり可能である。
 IUは確かに主要右翼政党、国民党(PP)との「共通の目的や価値観にもとづく合意」を否定しているが、しかし大会は「フェリピシモの下で国家権力が集中される事態において民主的な改革を獲得するための限定した透明な(PPとの)協定」の可能性を排除はしなかった。
 イスキエルダ・ヌエバ(新左翼、IN)は、右翼との闘争を最優先の課題とする修正案を提出し、PSOEとの政権連合の可能性を残した。しかし、この修正案は作業委員会で二五%の支持を得られず、全体会議の討議にかけられるに至らなかった。
 PSOEと対等であったり、あるいは町村レベルで連立して勝利するところでは、競争的経済モデルと社会的ダーウィン主義の国際的な風潮の枠組みで危機管理にあたるのでなく、「転換期の文化」の創出に務めるべきであることが確認された。PPが統治しているところではいかなる場合も、野党の立場を貫徹し、左翼の社会的な基盤の解体に抵抗すべきである。もし、これに関してPSOEがわれわれに同調する場合、彼らを歓迎する。また、PSOEが統治しているところでは、彼らとの協定の可能性をIUの全国政治評議会が判断することになる。

国家制度と民族問題

 スペインの国家制度と民族問題に関する委員会は、例えばスペインの多民族国家としての性格を反映する上院への改革といった憲法修正を伴った連邦国家制を提案した。IA潮流内部のわれわれは、討論の中で表明された自決権の考えが依然としてあまりに漠然としていると判断した。われわれは批判的な修正案を出し、自決権ならびに民族独立の権利が憲法修正に含まれなければならない、と主張した。本修正案ならびに類似の案は全体会議で二五%を得票したが、採択には至らなかった。
 多数派は、フランコ体制後の一九七八年新スペイン憲法への「対処」問題の再燃を明らかに避けようとしたのであった。しかし、この問題での議論は続いている。一般党員は依然として、エウスカディ(バスク)やカタルニャ、ガリシアにおける民族多数派の民族問題要求に敏感である。われわれは、こう主張したとしても反動的なスペイン民族主義の復活には反対である。もし右翼政党のPPが次期選挙で勝利すると、非カスティージャ諸民族(前述のエウスカディやカタルニャ、ガリシアなど)の不安定かつ限定的な自決に対する挑戦が起こるだろう。
 組織内民主主義に関しては、一連の措置によって一定の前進がみられた。組織内潮流形成の権利が承認された。将来選挙の候補者選定での予備選挙制が導入された。未解決の主要内部問題は、IUの全国組織としての定義に関してである。ある傾向はゆるやかな連合性(とりわけ民主的でないが)を主張し、その他は誇張された「ネオ集権型モデル」を主張した。
 残念ながら、青年組織の規定もまた未解決となった。IA内部のわれわれは、青年の反帝国主義、エコロジー、そして反戦運動は現時点で最も急進的かつ活発な社会層である、と主張した。青年運動を過大視するのではないが、IUを社会政治的運動に転換するためには、もっと青年に向かうことが唯一の道である、とわれわれは考える。左翼組織全体として、若い世代のメンバーと指導者とを必要としているのである。
 代議員間での合意を求める傾向は、スペイン共産党(PCE)と共同してIUを形成した二つの小政党、社会主義行動と共和左翼に好意的になりがちであった。大部分の非連合党員と自らの代議員をもたない党員は、社会主義行動と共和左翼とに有利な指導者候補リストに反対した。二人のエコ社会主義者、緑が一人、IAの二人、そして「赤―緑」傾向の無党派の数人が一〇三人からなる全国政治評議会に選出された。

今後の展望と任務

 また、女性に関する決議は、「欠点、言葉と実際の行動との矛盾」を承認した。組織内部のフェミニスト意識を強めるためのIU内議論が開始された。
 IUは、社会を転換する反資本主義路線を展開している。活動家たちは、社会民主主義を作り替えるためでなく、それとは明瞭に異なった新しい潮流形成のために闘っている。こうした方針は、経済と政治面および国家機構を貫く重要な「構造改革」を含んでいる。運動に関する熟慮における共通の筋道は、新しい社会モデルの追求である。この路線と行動計画は、来る地方自治体選挙と諸民族地域での自立議会選挙で明確な形をとるであろう。もちろんIUが連合相手を求めるにつれて、この内容を水増ししようとする圧力がより具体的になってくるだろう。
 これからの数カ月間に行われるいくつかの大切な地方自治体選挙で、IUがPSOEと対等の成績をあげる可能性は十分にある。しかし全国選挙での支持基盤の差は依然として大きい。指導部報告が強調しているように、選挙での成果は拡大したが、これは左翼の社会基盤により深く根を張ったということと同じではない。左翼政治の社会的な基盤となる社会層内部にヘゲモニーを確立するために、もっと多くの課題を実行しなければならない。
 われわれは、前進しつつある社会諸層との同盟関係を築き上げなければならない。この点で「マドリード社会的諸権利のための市民プラットフォーム」は、大部分の労働組合指導部が参加をためらっているものの、重要な役割を果たすであろう。また、広範囲にわたって様々なNGO(非政府系組織)のイニシアティブが存在しており、IUはこれらに参加したり、あるいは支持して闘わなければならない。そして選挙活動がわれわれの組織活動のすべてを吸収するのでないことを確認しておく必要がある。
 PPとPSOE双方に対して同時に闘っていかなければならないことは、明白である。IU全国指導部は、IUが右翼と結託してはさみうち攻撃をかけてPSOEを追いやろうとしているという非難に困惑しているように思われる。そうした非難は、時には当たっているが、しかし多くの場合、われわれをPSOEのチア・リーダーの位置に押しやろうとする狙いが隠されている。
 われわれは、カタルニャの右翼民族主義陣営とためらうことなく結託し労働者階級を攻撃するPSOEを、意義ある路線を提起できない右翼批判を否定せずに確実に批判できる。バレンシアからのある代議員が主張したように、IUは、右翼のためのはさみでもなく、また、PSOEのための松葉杖でもない。
 IUは結論的にいえば、過小評価すべきでない政治的な再組織化と再編を表現しているのである。社会的動員を激励し、左翼路線のためになる方向で選挙でPSOEを打ち負かそうとするなら、そしてスペインにおいて新しい路線、反資本主義、国際主義の綱領への信頼を回復するためには、この政治的な再組織化と再編に関与し続けなければならない。
(インターナショナル・ビューポイント誌264、三月号)

フェミニスト・社会主義者のサマーキャンプ
一九九五年七月二十二―二十九日
フランス南部で開催


 第四インターナショナルとシンパ関係にあるヨーロッパ各国の青年組織が開催する第十二回サマーキャンプへの参加受付が始まった。一九九四年のサマーキャンプには、二十カ国以上からおよそ千人が参加し、イタリア中西部のトスカナ州で一週間を過ごし、議論を深め、文化的な様々な催しを楽しんだ。今年は、参加者がさらに多くなり、内容的にも向上するであろう。
 ほとんどのヨーロッパ各国首都を出発するバスが運行される予定。参加費用(食事代とすべての行事参加費を含む)は、出発する国などによって五百から千フランスフランまで。
(インターナショナル・ビューポイント誌264号)
ヨーロッパ核軍縮行進
1995年1月12日―10月12日

 ヨーロッパ五カ国に存在する原子力発電所と核兵器工場を、核のない世界を要求して十カ月間に「訪問」する計画である。行進隊は現在、フランスとイギリスを訪問してベルギーを行進中である。行進の計画は次の通り(数字は月・日)。
ドイツ3・19―4・28
チェコ共和国4・29―5・18
オーストリア5・19―5・25
スロバキア5・26―6・18
ウクライナ6・19―8・8
白ロシア8・9―8・12
ロシア8・13―10・12
 「十カ月間に十二カ国」行進を調整するのはマザーアース。同グループは一九九二年の人間本来の諸権利デイに、終点をアメリカ・アリゾナ州のショショーニ族テリトリ(現在、核兵器の実験場となっている)とする九カ月間行進を組織したことがある。
(インターナショナル・ビューポイント誌264号)
ニカラグア
サンディニスタ、ついに分裂

 セルヒオ・ラミレスを初めとする何人かの指導者が、昨年の十二月から今年の一月にかけてサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を離脱した。彼は、ダニエル・オルテガを中軸とする従来からの指導部に対する社会民主主義的反対派の指導者である。
 それ以後、ラミレスは、サンディニスタ再生運動(MRS)を創設し、現ラカヨ政権以上に改良主義的な綱領に中産階級を獲得すべく、中道右翼との協力を推進している。
 他方、オルテガは依然としてFSLNは「大衆の利益を守」らなければならないと主張し続けているが、IMF(国際通貨基金)を後ろだてにする構造調整計画に対抗するにたる路線を提起できないでいる。この計画こそが、ニカラグアの人々の健康と社会保障制度を脅かしているのである。彼はまた、ピナタ・スキャンダルに巻き込まれている。これは、サンディニスタが一九九〇年二月の選挙で敗北してから権力を委譲するまでの間に起こった、多数の国有企業が民営化されるに際して、それらがサンディニスタ指導者のものとなった事件である。
 FSLNの中心人物に対する世論の批判は厳しく、そのためFSLN組織のイメージが傷つき、多くの活動家が失意のうちにある。
 大統領選挙は一九九六年に行われる予定になっている。現在のサンディニスタの状態からするなら、デマゴギー的なニカラグの首都マナグア市長、アレマンが世論調査で優位に立っている。
(パキータ・マルケス、インターナショナル・ビューポイント誌264号)