1995年6月10日         労働者の力               第68号

選挙ブロック・新政党「平和:市民」始動す
2%の壁の突破をめざし、参院選の勝利の全国態勢をつくりあげよう

                                     川端 康夫


 さる六月二十八日、東京千代田区の東条会館にて、新政党「平和:市民」の結成総会が成功裏にもたれた。全国各地から二百名を越える人々が参加した「平和:市民」の結成総会は、五月四日、十四日の二度にわたって開催された全国相談会の確認にもとづいて準備されたものであり、なんとしても護憲派・市民派の総結集で改悪された選挙法と新たに強行導入された政党助成法が築こうとしている「民衆の政治参加への厚い、高い壁」を突破せんとする意志を表現しようとする熱意にあふれていた。「平和:市民」は、七月一日に選対本部を発足させ、全国での第二次公認候補の擁立運動や具体的な選挙準備を開始し、「平和:市民」のチラシ、ポスター作成、選対ニュース発行、宣伝活動にとりかかった。全国宣伝カーも出来上がり、そして、全国数千名に発送した「発足のあいさつと支持の訴え」には即時に次から次へと返信が殺到している。既成政党が作り上げた幾重もの壁を突破して新たな政治主体を登場させるために、「平和:市民」の全国選挙態勢の参加を呼びかける。

 代表に田、國弘、保坂の三氏、事務局長に内田氏を選任
 
会合は國弘正雄さんのあいさつではじまり、連帯のメッセージの紹介が続いた。「護憲のための連帯」の代表であり、「平和:市民」結成に尽力された小森龍邦衆議院議員を皮切りに、同じく衆院議員の岡崎宏美、金田誠一、浜田健一さん、参院議員の中尾則幸、大脇雅子、栗原君子、旭堂小南陵、紀平悌子さん、そして前衆院議長の村山喜一さんのメッセージが紹介された。
田議員のあいさつのあと、内田雅敏事務局長が「平和:市民」結成の経過、基本政策、性格と運営方針などを報告し、討論のあと、拍手で確認された。大久保青志さん(前都議会議員)が参院選方針と第一次公認候補を提案。候補者は、東京選挙区・田秀夫、兵庫選挙区・旭堂小南陵、比例区・國弘正雄、いとう正敏の四現職。比例区では六人以上の擁立をめざし、選挙区は可能な限り多くの地区で擁立をめざすことが確認され、選挙区候補者をもたない地区でも比例区選対を開設することを確認した。選挙資金は、一口一万円の一万人運動でつくりだし、全国千カ所での連絡・行動ポスト設置をめざすことも確認された。共同代表の今後の補充や第二次公認候補の早急な擁立も確認された。
 討論には名称問題や具体的選挙活動の方法、さらには他の諸団体やグループとの共同などの質疑や見解がだされ、また、宮城、新潟、静岡、愛知、大阪、岡山、熊本、東京・三多摩から発言がなされた。
 最後は結成宣言を東京・杉並の福士敬子区議が読み上げ、全力で参院選を闘うことを確認した。
 参院選は、七月六日告示、七月二十三日投票の予定である。第二次公認候補を六月中下旬、結成記念集会を六月下旬に東京で開くことが予定されているほか、各地でのタウンミーティングの開催が追求される。選挙戦は残すところ一月を切った。政界の離合集散が激化する中ではあるが、各政党ともに選挙準備に突入している。どの政党も決定的な浮上力を示していない。先日の兵庫県の地方選挙においても社会党の衰退が明白だった。新進党にも求心力は薄れ、自民党も不断の分解の可能性におびえ、そして国会では国対政治の再度の横行と党略にまみれた国会決議や不信任案騒動が続いた。強引な選挙制度改悪を通じた政界再編は、それに主体的、永田町政治の流儀でかかわった諸政党の政治的基盤を洗い流しかねないという「有権者」からのしっぺ返しをうけている。東京での青島知事への圧倒的支持は、こうした既成政党の惨状への反射物である。
 欺瞞の「政治改革」のバランスシートは明らかになったのである。にもかかわらず、この政治改革論がつくった政治を民衆から隔離するという小選挙区制度や政党助成法の壁は国政レベルにおいて厳然と存在している。この障壁を崩さない限り、民衆の政治参画が「観客民主主義」に押しとどめられる事態は続く。
 「平和:市民」はその障壁を打破するために出発した。さあ、ともに参議院選へ。

 新たな選挙ブロック形成の意義と性格

 「平和:市民」の結成は、いくつもの新しさが表現されている。一つは、それが明白に「選挙ブロック」として自己を位置づけていること、第二にその選挙ブロックが「公職選挙法上の政党」であるとしていること、第三に組織の形態・性格を「ネットワーク型」としたこと、第四にさまざまな組織や団体、自己の主体を維持した上で協同しあうことを許容し、同時に団体と個人との間の権限の差異を設けないことなどである。
 この組織はしたがって、中央執行体制や中央決議機関のような、いわゆる中央集権的なものをもたない。代表にも特別の権限は保障せず、あくまでも五月の二回の全国懇談会=円卓会議が平場での参加者の平等な討論で進められたことのまったくの延長上の組織である。こうした「政党」が、いわゆる「政党論」上でいかに定義されるかは、また別の問題であるが、少なくとも今世紀における「政党」のあり方が大きく問題視されている今日での不可避的な選択ということはできるのである。
 「平和:市民」の結成は、第一の動機として、なによりも既成政党陣営の大半が参画した小選挙区制度導入を骨子とする「政治改革論」の欺瞞とその結果としての民衆の政治参加が極度に制限されるという政治システムに立ち向かい、それに風穴をあけ、そして最終的にはそうした選挙制度や政党への公費助成制度を葬り去るという目標にある。第二の動機は、そうしたシステム改革にこめられた戦後民主主義の清算と新たな軍事大国化への「跳躍」の策謀と正面から闘う新たな民衆の政治的結合体を登場させようとすることである。第三の動機は、東西対立時代の終焉とともに総体を飲み込もうとする資本主義のむき出しの論理に抗し、民主主義と人権、環境の防衛そして「南」と「北」の結合された協同などを掲げた政治勢力と理念の枠組みをあらたに創設しようとすることにある。
 そしてその結成が参院選を直接の目標としてなされたのは、衆院選での小選挙区法の極度の制約条項を前もって突破するために参院選が決定的であるという事情からである。 
 小選挙区法強行を骨子とする衆院の新選挙法・政党助成法が、建前として「政党本位」への移行をを掲げ、その実はあらたな政党の参加を極度に制限し、政治を民衆の手の届かないレベルに「隔離」してしまう目的をもって採用された。現職国会議員五名、ないしは直近の国政選挙での得票率二%が最低の政党資格要件として設定され、それを満たさない政党や政治団体、あるいは無所属の個人は選挙活動からは事実上排除される、というのである。そして既成政党には小選挙区と比例部分への重複立候補が認められ、同時に選挙区と連動した比例区選挙が可能になる。さらに既成政党には公費助成が行われる。
 こうした選挙制度・公費助成制度は、一方では一般民衆を純粋に「観客民主主義」の当事者としつつ、他方で許容された政党(二大政党)以外の選択権を剥奪してしまうことをねらったものだ。いずれ、参院選や地方自治体選挙にもこのような方式が導入されることになる。そうしたときには、都知事に青島を選ぶとかの余地もなくなっていく。これらが「政治改革」論の露骨な本質であり、こうした方策をひねりだした輩は、民衆レベルの民主主義が彼らの「普通の国家」路線への跳躍の最大の障壁であることを知り尽くしつつ、同時にまっとうな方法では民衆の力を打破できないことを身を持って味わってきた存在である。
 上部構造としての永田町の政治枠組みでの離合集散は、従って新たな枠組みにおける議員個々人の「生き残り」、つまり、想定される二大政党のいずれの側を選択するかに帰結されて動いている。社会党が解体の最大の標的であるがゆえに、この党が右往左往をくり返すこともまた当然なのだ。
 「平和:市民」の闘いの第一は従って民主主義のための闘いである。そして、いまだ辛うじて新たな選挙システムには組み込まれていない参議院の選挙システムを利用して、突破口を開けようとするのである。もちろん、この参議院選挙のシステムも、近年の流れの中で相当に改悪されてはきている。旧全国区選挙から比例区選挙方式に移行する過程では、比例部分での選挙に活路を見いだそうとする人々の参入の可能性を極力排除するために、政党活動、選挙確認団体活動以外の「選挙活動」はまったく禁止された。比例部分単独での比例区候補個々人の集票のための「選挙活動」は存在しない。選挙区での集票活動が結果として比例部分の政党選択投票に結果として影響する以上ではない。つまり、全国での前選挙区に候補者を擁立し、集票活動を展開する政党が比例部分でも有利となるような仕組みなのである。
 しかし、にもかかわらず比例部分単独で、改選議席五〇の枠組みに滑り込むことは可能だ。ここが小選挙区・比例代表並立制の「厳格性」との違いである。こうした、辛うじて残されている許容範囲を最大に駆使して闘おう、というのが「平和:市民」の選挙戦略なのである。

 市民派、護憲派の協同の展望を切り開く

 選挙ブロックであると同時に政党である、という位置づけは、制度的に一定強制されたものともいえる。同時に、これからの時代の「政党」のための実験ということも可能だ。この複合的性格について全体が一致しているのでは、もちろんない。また、討論に加わりながら参加を留保した人、あるいは昨年からの一連の動きに参画しながら五月の討論に参加しなかった人、それぞれに立場や思いが別にあることも当然だろう。
 「平和:市民」結成への討論過程には明確にはでなかったような、これらの位置づけへの疑問や異論は今後とも繰り返し討論、論争されていくことになる。しかし、新たな時代の、新たな政党観ということになにかしらの前提的に定まったものがあるわけではない以上、「平和:市民」結成への討論では特別に問題になることはなかった。選挙協同の枠組みでの一致があった上で、「平和:市民」の依拠基盤をどこに設定するかが、おそらくは最大の結成に当たっての問題点であった。すなわち、市民運動サイドに政治勢力的な蓄積と準備が不足し、社会党サイド的には「別党コース」が少数派である、という事情において、かつ将来的な新たな全国政党を展望するうえで、現状においてなにが選択されるべきなのか、なにが政治的基盤とされるべきなのか、なにが結集の旗印とされるべきなのか。「円卓会議」は、当然にもこれらについての視点や対応が、まさにさまざまである事実を明るみに出した。
 「円卓会議」は既報のように、社会党護憲ネット、新党・護憲リベラル、護憲のための連帯、の三者の準備討論で実現した。護憲ネットは選挙協力の方策をさぐり、護憲リベラルは自己の戦列の拡大を意図し、連帯は大連合の方策を模索した。そうして全国各地でそれぞれ闘いを拡大してきた、いわゆるローカルパーティーの諸グループがはじめて共同討論の我に主体的に参加した。また独自に全国選挙を追求してきている「農民連合」も将来の協同の可能性を求めてオブザーバーとして参加した。これは文字通りの意味で「生まれも育ちも」違う勢力の協同・合流の試みであり、現状では最大級に幅を広げたものであった。
 結論としては護憲ネットは選挙協力の線を採用し、護憲リベラルと連帯はともに新たな「平和:市民」形成を選択した。ローカルパーティーの人々は積極協力の方向を選び、「農民連合」はとりあえずは独自の選挙戦をえらんだ。選挙協力レベルの結論ではあれ、社会党内護憲派と市民戦線が協力態勢をとったことは過去を考え、将来を見据えれば清水寺からの飛び降り同然の大変な結論である。が、もちろん、それぞれに問題をのこしたままの選択であった。
「平和:市民」への結集も今のところ万全とはいえない。不協和音がないといえば嘘になる。結成への過程に参加しつつも、別個の選択をあえて行おうとする人々もある。「護憲派結集」にあくまでこだわる人々は「平和:市民」的結集に違和感を表明した。だがあえていえば、「護憲派結集」へのこだわりはよしとしても、二回にわたる討論の過程と結論への正面からの態度表明がなされたわけでもなく、同時に護憲派結集論の将来の姿が不明であるという点は指摘しておかなければならない。ある意味では「分裂策動」的な行動が突然に持ち出されたという意味で、平場での、対等な討論のなかから一致点、相違点をさぐり、一つの結論をだすというあり方からはほど遠いものであるといわなければならない。あらたな政治勢力を協同で作り出そうとする試みは、決して政治的取引やかけひきからうまれるものではないということを、「平和:市民」はこれからの行動の中で明らかにしていくだろう。 
 また、市民戦線が主体的に国政選挙に取り組むスタイルが定着しているのでもなく、過去のさまざまな取り組みが蓄積されているわけでもない。さらに労働戦線での総評解体以降の独立的な労組の、独自的な全国的な政治的行動の共有経験があるわけでもない。多くは長年の社会党との関係のしがらみを背負って個別に対応してきている。多くの人々やグループにとって、「平和:市民」の闘いが初めての国政選挙への主体的な取り組みになり、多大な困難性を克服しつつ政治舞台への登場を切り開くということにならざるをえないのである。その意味で、選挙戦の態勢づくりへの楽観はもちろん、自然発生的追い風ムードがでてくるということも無前提的にあてにすることもできない。すなわち、いわゆる「観客民主主義」の興味を引きつけるための舞台装置が整っているわけでは決してないのである。
 これは、市民戦線や独立的な労働戦線の主体的に挑む闘いである。無からつくりだすも同然であるから、戦線の大連合も即時的には難しい。様子見や無関心が多いことも了解しておかなければならないが、しかし、社会党・総評ブロックの衰退・解体とともに全国性を失おうとしているさまざまな運動の流れを再度結合していくうえで、独立の政治的橋頭堡を築き上げなければならない上に立てば、さけては通れない課題であることを否定することもできまい。アンドレ・ジイドの書名を借りれば、「力を尽くして狭き門より入れ」、である。
 「平和:市民」は新たな時代の、新たな政治勢力、政党形成への一つの方策として、選挙共同、選挙ブロック、選挙政党の方法からはじめることを選択した結果なのである。この選択に応えて闘うことからすべてははじまると考える。
参院選を闘い抜き、新たな政治勢力の広範な結集の道を主体的に切り開こう。
   (六月十四日)

資料

 「平和:市民」の性格と運営

(1)「平和:市民」の基本性格
 @「平和:市民」は、市民派と護憲派の政治勢力を総結集し、選挙を共同でたたかう組織(公選法上の政党)です。
 Aこの組織は、連合、自治、公開を原則とするネットワーク型の組織です。
(2)会員
 @基本政策に賛同し、選挙カンパ(一口一万円以上)を納める個人は、会員となることができます。
 A会員は、原則としてこの組織の各種の会議に出席し、意見を述べることができます。
 B会員は、決定に対して留保・批判する権利を持ち、行動に参加しない自由も保障されます。
(3)選挙運動
 @選挙運動は、ボランティア参加を原則とします。
 A会員にならなくても、運動への参加、資金や物資のカンパ、政策の提言を歓迎します。
(4)運営の仕組み
 @「平和:市民」の基本政策、代表、候補者リスト、財政計画などは、全国総会または全国調整会議で決定されます。
 A日常的な運営は、全国調整会議が行います。全国調整会議は、全国の一一ブロックの運営委員(複数でもよい)、国会議員団・候補者、代表、事務局長、各委員会責任者、事務局スタッフなどによって構成されます。
 Bブロック単位あるいは都道府県単位で、必要に応じて会員による協議会を開き、独自の政策を決めたり、共同の活動に取り組むことができます。
 C全国調整会議の下に、事務局および各種委員会を置き、必要なスタッフを配置します。
 D代表と事務局長は全国総会で選出します。代表は複数の共同代表とします。(5)財政
 @「平和:市民」の財政は、会費、カンパ、その他事業収入によってまかないます。
 A「平和:市民」への寄付は、政治資金規制法にしたがって処理します。

「平和・市民」結成宣言
 東京の青島幸男さん、大阪の横山ノックさん。どの政党の後援も受けない二人の新知事を生み出したのは、党利党略で舞台裏の談合を繰り返し、総与党化する既成政党への不信であり、人々の声を無視する「永田町政治」への厳しい批判でした。
 アジア・太平洋戦争が終わってから五十年、世界も日本も大きく変化しつつあります。これまでの政治のあり方、社会のあり方、日本と世界の関係などが根本から問い直されています。しかし、永田町政治の状況は目をおおうばかりであり、既成政党に世の中を変える希望を託すことはできません。
 こうした事態を憂い、それと正面から取り組み、まもなくやってくる二一世紀への展望を切り開くために、政治を変える新しい「政党」の誕生が求められてきました。
 この間、「政権与党」となった社会党の「護憲」理念の放棄に反対する国会議員、各地の無所属市民派議員、さまざまな政治的・社会的課題を市民の自立的な運動として取り組んできた人々が、共同の席につき、対等の立場から、人々の願いをよりあわせる新しい「政党」を作り出そうとしてきました。幾度にもわたる討論を積み重ねた上で、私たちは今日、七月参院選に取り組むための新しい「政党」である「平和・市民」の結成にこぎつけました。 
 「平和・市民」は、これまでの政党のあり方とはまったく違った新しい型の「政党」です。大多数のはたらく人々、生活者など「草の根」の願いをこめた、既成の政治への対抗軸となる「政党」です。それは民主主義と人権、平和・環境などの立場から、地域の主体性を大切にした分権と共同の理念が統一されたネットワーク型の「政党」であり、さまざまな人々がともに力をあわせ、七月に迫った参議院選挙の「比例区」と「選挙区」を闘うための「政党」です。
 「平和・市民」は、軍事力によらない平和をめざし、軍縮と国際協力をすすめ、侵略戦争・植民地支配への謝罪と反省をこめた戦後補償を実現し、平和憲法を実現します。
 「平和・市民」は、環境、人権、福祉、自由な教育、女性の自立と参加が優先される差別のない社会を作ります。
 「平和・市民」は、市民が主人公となる参加・公正・自治の政治をめざします。

 「平和・市民」は、そこに参加する私たちひとりひとりがともに作り出して、育てていく「政党」です。参院選への全国共同の取り組みの中から、「政治を変える」ことに挑戦してみませんか。
 既成の政党はもうごめんです。永田町政治よさようなら! いま市民の政治が始まる!
  一九九五年五月二八日
「平和・市民」結成宣言
 東京の青島幸男さん、大阪の横山ノックさん。どの政党の後援も受けない二人の新知事を生み出したのは、党利党略で舞台裏の談合を繰り返し、総与党化する既成政党への不信であり、人々の声を無視する「永田町政治」への厳しい批判でした。
 アジア・太平洋戦争が終わってから五十年、世界も日本も大きく変化しつつあります。これまでの政治のあり方、社会のあり方、日本と世界の関係などが根本から問い直されています。しかし、永田町政治の状況は目をおおうばかりであり、既成政党に世の中を変える希望を託すことはできません。
 こうした事態を憂い、それと正面から取り組み、まもなくやってくる二一世紀への展望を切り開くために、政治を変える新しい「政党」の誕生が求められてきました。
 この間、「政権与党」となった社会党の「護憲」理念の放棄に反対する国会議員、各地の無所属市民派議員、さまざまな政治的・社会的課題を市民の自立的な運動として取り組んできた人々が、共同の席につき、対等の立場から、人々の願いをよりあわせる新しい「政党」を作り出そうとしてきました。幾度にもわたる討論を積み重ねた上で、私たちは今日、七月参院選に取り組むための新しい「政党」である「平和・市民」の結成にこぎつけました。 
 「平和・市民」は、これまでの政党のあり方とはまったく違った新しい型の「政党」です。大多数のはたらく人々、生活者など「草の根」の願いをこめた、既成の政治への対抗軸となる「政党」です。それは民主主義と人権、平和・環境などの立場から、地域の主体性を大切にした分権と共同の理念が統一されたネットワーク型の「政党」であり、さまざまな人々がともに力をあわせ、七月に迫った参議院選挙の「比例区」と「選挙区」を闘うための「政党」です。
 「平和・市民」は、軍事力によらない平和をめざし、軍縮と国際協力をすすめ、侵略戦争・植民地支配への謝罪と反省をこめた戦後補償を実現し、平和憲法を実現します。
 「平和・市民」は、環境、人権、福祉、自由な教育、女性の自立と参加が優先される差別のない社会を作ります。
 「平和・市民」は、市民が主人公となる参加・公正・自治の政治をめざします。

 「平和・市民」は、そこに参加する私たちひとりひとりがともに作り出して、育てていく「政党」です。参院選への全国共同の取り組みの中から、「政治を変える」ことに挑戦してみませんか。
 既成の政党はもうごめんです。永田町政治よさようなら! いま市民の政治が始まる!
  一九九五年五月二八日

東欧・旧ソ連圏の経済改革の五年間
カトリーヌ・サマリー

 東欧・旧ソ連圏での一九五〇年代以降の経済改革は、市場メカニズムと私的生産の拡大を優先させてきた。しかし現行の経済改革は、単に従来の改革の規模を拡大したというものにとどまらない。今日、クレムリンの指導者らは、単に「市場メカニズム」の大規模な利用のみならず、すべての生産手段をも包含する資本主義市場の利用を望んでいる。ポーランドとハンガリーではかつて、小消費財生産、手工業部門、あるいは商業部門を対象にした小規模な「民営化」を実験的に行っていたが、現在、これら諸国では、産業のほとんどの部門を民営化の対象とした改革を行っており、すべての国営企業に資本主義的生産関係を導入しようとしている。チェコ共和国からアルバニア、あるいは戦争前のチェチェンに至るまで「ポスト社会主義諸国」の社会は移行期にある。この地域に関する広範かつ野心的な研究において、パリ大学のカトリーヌ・サマリーは、この移行期を三つのレベル、つまり諸新政権の狙い、国家機構の改革、経済の転換――から分析している。

エリート層の目標

 東欧・旧ソ連圏の新エリート層とそのブルジョア政権の第一の目的は、立法と抑圧の枠組み、すなわち国家機構を修正することにあった。修正されたこの構造は、新しく形成されたブルジョア支配階級と世界ブルジョアジーに奉仕する任務をあてがわれ、基本的な社会経済転換を遂行する役割を与えられた。この最後の段階が、新支配層と彼らに融資する外国の勢力が考える以上に困難であることが、これまで証明されてきた。
 社会経済レベルにおける資本主義復活に関する単純な定義は存在しない。それは、採用すべき資本主義の「モデル」が存在しないのとまったく同じである。東側世界における新資本主義が国ごとにまったく違ったものになるだろうことは、すでに明白である。同様に民営化率は、資本主義への「質的な転換点」あるいは「後戻り不可能な移行」の基準にはならない。問題とすべきは、資本主義の論理(財産所有権、利潤追求の生産関係)が支配しているか否かである。この意味では、東側世界で資本主義構築のための建築資材がすでに明らかに据えられていることは、確かなようである。
 新エリート層の目的は、新たな市場規律と階級関係を形成し、それによって利潤の基準からは役立たない企業群の閉鎖を強行できるようにし、そして、すべての企業においてコスト削減を絶えず実行できるようにすることである。資本主義の新市場が形成されれば、新富裕層は彼ら自身の私的利益にしたがって、それらの企業を売買できるようになる。

経済の転換

 一九八九年から一九九二年までに東欧・旧ソ連圏の「ポスト共産主義」諸国の経済は、単に停滞したというのでなく、縮小したのであった。同時期、ハンガリーでは二〇%の生産低下、チェコ共和国は三〇%、ロシアは四〇%、ポーランドは五〇%の低下であった。ソ連圏の分解の結果として誕生した新独立諸国の経済状況は、さらにひどいものであった。
 旧東ドイツは、資本主義の枠組みに吸収された唯一の例である。東ドイツ以外の諸国は、その道を進むことはできなかった。というのは、再建に必要な膨大なコストを支払うのが、西側諸国の納税者であるからだ。わずかの諸国(ポーランド、ハンガリー、スロベニア)は、かろうじてこの危機から抜け出しつつある。その他の東欧とCIS(独立国家共同体)諸国は、「発展途上国」の水準に沈み込みつつあり、断片化(旧ソ連)あるいは資源や領土をめぐる戦争(旧ユーゴスラビア)の状態にさえ入っている。
 これら諸国すべては、絶えざるインフレーションに苦しめられている。一九九四年で最低のインフレ率は、チェコの一二%である。ロシアのルーブル貨幣は、インフレによって対米ドル価格が一九九二年六月の二〇〇ルーブルから同年夏の二〇〇〇、そして一九九四年七月には四〇〇〇まで低下した。
 失業率はほぼすべての諸国で一五%以上を超えているものの、どこでも企業の再構築(リストラ)は始まってもいない。実際に進行している激動の「破壊的」な側面は、価格システムとそれまでの生産と流通の回路に多大な影響を与えていることにある。従来の供給網が崩壊し、さらにハードカレンシー(ドルなどの信用力ある通貨)での支払しか通用しなくなったという事情によって、東欧・旧ソ連圏のすべての地域、国家、全体の破局を招き、旧東側世界諸国相互の結合を追求するような圧力を生み出していった。
 OECD(経済協力開発機構)諸国を対象とする貿易の追求へ再び路線転換したことは、東欧・旧ソ連圏諸国の対外債務をさらに増加させることになった。
 各地域相互の、そして各国相互の不一致が増大した。資本主義への移行における進行の程度は、極端にまで不均衡である。
 ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、スロバキアは依然としてCOMECON(経済相互援助会議)貿易ブロックの崩壊と価格システムの転換からの脱出段階にある。ハンガリー、ポーランド、スロベニアはある程度進んでおり、生産および金融システムの再建に着手している。このことは、これら諸国の民営化計画にも反映されており、労働生産性の上昇と実質賃金の低下に示されている。そして労働生産性が上昇したために労働力の削減が可能となり、その結果、これら「改革が成功」した諸国では失業が増大した。

民営化の遅れの原因

 諸新政府のこれらすべての野心的な主張の背後には、これらの諸国の民営化の主要な形態が小規模な商業と旅行業に限定されてきたという真実が隠されている。例えばハンガリーでは、大企業のわずか二〇%が民営化されているにすぎない。
 しかし外国資本――これは一九九二年の民営化による収益の八〇%を実現したのである――外資よりもハンガリー「民族」資本に有利な新規立法措置によって追われている。そのうえ、最良の企業はすでに民営化されてしまっている。ポーランドでは、商業の八〇%が民営化されているものの、旧公営製造業企業の一〇%が民営化されているにすぎない。
 換言すれば、経済の移行が最も進んでいる諸国においてさえ、資本の不足と大企業を再構築する社会的(そして政治的)コストへの恐れから、改革のリズムは落ちているのである。
 時には成功国とみなされるのはチェコ共和国だけである。公式統計によると、工業と農業企業の八〇%以上で「所有権の転換」がすでに行われたことになっている。しかし「民営化クーポンによる民営化と投資ファンドの出現……は実際、企業の苦しみを引き延ばし、企業の再構築を遅らせているだけだ。これらのファンドは所有者としての役割を部分的にしか果たしていない。その社会的な効果を予想できる再構築に先行すべきであるのに」といわれている。
 チェコ共和国の相対的なマクロ経済の安定は、債務の少なさ、一九八九年以前でも経済状況が相対的に良好であった事実、観光業の急速な成長、オーストリア国境での活発な経済活動、有利な為替レートといった有利な環境が原因であり、それらにハンガリー新政権のリベラルな言説にもかかわらず、実際には支出を惜しむ社会政策をつけ加えるべきである。
 しかし企業間信用は非常に膨張している。一九九三年四月に導入された破産法は、依然として施行されていない。実質賃金は卸売物価以上の率で上昇している。これらすべての事実が、市場の弱体さとなって現れている。一九九〇年から一九九三年までに二十億米ドルの外資が投資されたが、一九九四年の外資の投資は急速に減少した。チェコ政府を「その目的が、競争者の駆逐あるいは現地企業を下請け、ないし優良な組立企業に押しとどめることにある資本の誘致を望んでいる」と批判する声が上がっている。
 ロシアでは、エリツィンのクーデターとそれが目指したリベラルなショック療法の加速にもかかわらず、進行中の「民営化」は、中央国家の権力の低下分すべてが多数の地方権力グループの利益となっていることを反映している。
 「賃金取得者および圧倒的多数の企業の前管理者たちは、新たな「所有者」になりつつある勢力にコントロールされている。従って大部分の場合、所有権の変更は企業内部の人々の行動には影響されない。多くの企業は独占的な状況を維持しており、市場の規制にも、あるいは強力な金融のしばりにも従属もしていない」
 ロシアに対する民間外資の投資は一九八九年で二十億ドルで、チェコ共和国と同じ規模で、対ハンガリーの四倍弱であった。

最も混乱しているロシア

 ロシアの経済状況は、連邦共和国のそれぞれの地方、地域が占める市場での位置に応じて大きく違っている。軽工業と生産財および輸送資材製造業は、需要が大幅に後退している。わずかに存在する需要は輸入商品に奪われている。食料品製造はとりわけそうである。これらの部門の企業は、物々交換や企業間信用によってかろうじて生き延びているにすぎない。
 軍産複合体は、困難が伴う民需への転換を始めたところである。この複合体の力の源泉は、国家機構との結びつきに存する。
 エネルギー産業の寡占企業や基本的な産業資材あるいは輸出製品を生産できる部門だけが、ロシア工業市場においてわずかに有望であり、民営化の点でも展望は存在する。OECDの原油輸出におけるロシアのシェア(市場占有率)は一九八八年の四七・八%から一九九二年の七二・五%へと増加した。
 しかし、この部門での所有権をめぐって諸勢力、国家機構の間で騒動が生じている。例えば、極東ロシアのような「独立共和国」をめざす地方政権は、油田の所有権を主張しているが、この所有権に対するロシア中央諸権力の「強引」な介入が行われている。

旧共産党勢力の分岐

 一九八〇年代の状況悪化の過程で東欧の人々は、もはや失うものは何もないと考えるようになった。彼らの希望は、市場と民営化によって生活水準が大幅に向上することであった。
 東欧・旧ソ連圏の広範な人々の間に広がった幻滅は、「昔は良かった」とする感情を拡大しており、この事実は、非スターリニスト潮流への豊かな土壌を提供している。
 というのは、「過去の成果」(社会保障制度、労働権、文化的な要求充足に関する「平等主義」――これらの権利が官僚的に歪められていたとしても)が、経済移行の過程で損失を被った人々の心の中で大きな位置を占めているのである。この事実は、「経済改革」の先駆者とであるポーランドやハンガリーをはじめとする諸国で、「旧共産党」勢力が規則的といっていいほどに政権に復帰したり、あるいは得票率を伸ばしている点に示されている。
 これら旧共産党勢力は、政権に復帰すると、大きく矛盾する二つの方向を同時に実現しようとする。一方では彼らに投票した有権者の関心に部分的に応えようとし、他方では外国資本などの彼らへの融資者の要求する政策を遂行しようとする。その結果、これらの政党の多くは、二つの基本勢力に分岐しつつある。
 第一の勢力――彼らは、経済改革が引き起こした社会状況の悪化をもう一方の勢力よりも強く意識している。この勢力の社会的な基盤は、労働組合活動家や改革によってひどく打撃を受けた労働者、農民である。
 政治的には、この勢力は「ネオスターリニスト」と極右を含む民族主義と同盟関係を結んでいる。そしてスロバキアの「労働者共産党」のように民営化に明確に敵対している。彼らの政策の原点は、「国を外国に売ろうとする奴ら」とIMF(国際通貨基金)から国を守ることであり、この論理は「国家資本主義」、あるいは「中国をモデルとする」「強力な(市場経済と計画経済との)混合国家」のファシスト的変種に転じやすい。
 これらすべての政治的論理は必ずや、IMFとの対決を導き、同様な政策を追求する東欧・旧ソ連圏の潮流との同盟を求めることになる。
 第二の勢力――第一の勢力とは正反対に、明白な「リベラル民主」潮流との同盟を結び、自らを外国資本とEU(欧州連合)に受け入れられやすくしようとする。
 この勢力は、労働者に対して「責任ある」社会政策の「限界」について警告する。彼らは、新「社会民主主義」潮流における「リベラル」派であり、次期選挙で敗北するなら政権を返上する用意がある民主派として認められようとし、欧州連合との統合を熱心に追求する。
 これら二勢力の相対的な力関係は、国ごとに異なる。ポーランドでは、農民党を起源とするポピュリストが支配的なようである。ただし旧共産党の社民とは対立を強めつつある。彼らの目的は、「大規模」な民営化を阻止するまでいかないにしても、その速度を緩めることにある。旧共産党内の「リベラル派」は、かつてソルダルノスティ(連帯)に属していたリベラル潮流との同盟を追求しているようだ。
 ハンガリーでは第二の変種(旧共産党とリベラルとの同盟)が新政権を支配しており、工業民営化の加速政策を表明しており、対外債務を減らす中での外資に対しても開かれた民営化を遂行するとしている。
 だが、これら諸国のどの国においても真実の政治的な安定は、実現していない。というのは、資本主義の論理に従おうとする経済転換過程が依然として多大な社会的なコストを要求しているからである。
 しかしながら、経済改革に対する社会的な抵抗もまた、断片的であり、企業内部にとどまっている。大企業における労働者と管理者との対立を内包する両者の黙認関係は、外資によってもいまだ放置されており、この関係が独立した階級的な対立へと成長するのを阻害している。「共有財産」は二重の運動力学の支えであり、ここでは市場メカニズムとより強硬な金融政策が展開されており、労働者がわなにかけられることになり、管理者と労働者との階級分化が生じ、そうでない場所では、階級対立は遅延させられるだろう。
 組織的な左翼は、民族主義的スターリニスト的タイプの諸政党と自らを社会民主主義と位置づける様々な諸政党との間に分極している。登場すべき反スターリニスト・反資本主義の潮流は、周辺的な存在にとどまっている。ある者たちはごく小さな集団にすべての勢力を注ぎ込み、その他の活動家たちは優勢なネオスターリニストあるいは社会民主主義潮流の中に民主社会主義的な傾向として入り込もうとしている。
 世代間の違いも強烈である。二十歳代の若者は、個人として金持ちになるという新しい価値観に没頭(これらの若者がアナルコ共産主義の伝統と結びつく可能性はあるが)し、旧世代は過去の潮流すべての状況、しかも袋小路に陥っている状況を反映している。
 新しい左翼、現在の左翼にとって代わるべき左翼は、西ヨーロッパで新たな労働組合左翼と反資本主義の運動が欧州連合とIMFの計画への代案を提出できたときに、はじめて周辺的な存在から抜け出すことができるだろう。つまり、東側世界での現在および近未来の闘争は、一九五六年のポーランドとハンガリーの労働者評議会、一九六八年のチェコスロバキアとユーゴスラビアでの社会主義的反政府勢力、一九八〇年代ポーランドの自主管理運動(連帯)などの運動力学を規定したのとは、まったく異なった枠組みに位置するのである。
 旧制度の残存物を維持することや、これよりももっと悪いことであるが、現在の腐敗状況から生まれてくる「赤・褐色同盟」を支持するという選択は、決して進歩的ではありえない。
 以前にも市場改革は行われたことがあった。一九八九―九〇年の改革の新しさとは何か。また、この改革を実行しようとしている諸政権の改革の失敗に対して、多くのトロツキストが期待しているような戦闘的な社会主義的社会行動が生起しない理由はどこにあるのだろうか。
 この点に、東側世界の勢力間の関係を規定する重要な要因がある。この要因が一九五〇年代のそれとは異なる状況を形成したのであり、一九六八年あるいは一九八〇年のそれとは異なる一九八九年の労働者階級の条件を形成したのであった。その要因とは次の諸点である。

大衆闘争の新しい枠組み

 第一の要因――官僚的な計画経済の制度が長期にわたって危機の状況にあり続けたこと。そのため、経済の外延的(量的)な成長を内延的(質的)な成長に転換できず、そのために資源と改革を実行する能力を浪費し、経済状況が悪化し、とりわけ若い世代を中心にして腐敗、官僚的な保守主義、自由の欠如などが原因となって道徳的、政治的な危機が加速された。
 第二の要因――一九七〇年代の輸入および融資が急増した一時期以降、中欧と東欧の一部の諸国で債務危機が発生したこと。これは、「社会主義的」改革の破滅を予見していたのであり、IMFからの圧力を招くことになった。このため、それらの政権はまもなく、その存続を正統化していた限定付きの良い生活と社会保障を実現するという外見をもはや維持できなくなってしまった。
 ソ連は、一九七〇年代の原油価格の上昇によって利益を得たが、沈滞の十年が続いた後の一九八六年には反オイルショックが出現した。レーガン就任以後の新たな冷戦局面による軍備拡大の重圧は、同時期の設備投資を劇的に後退させてしまった。
 第三の要因――それまでの数十年間にわたって、先進資本主義諸国と東欧諸国との格差は次第に狭まってきたが、この時期に再び拡大しはじめた。官僚的指令経済とは違って、資本主義には危機の局面にあって、革新を実行し危機に対応する能力があった。
 官僚が自ら抱える問題を解決する唯一の可能な方法は、反労働者攻勢の強化であった。しかし、この方法は、行われているゲームの反資本主義的な規則を基礎とする以上、実行は不可能であった。官僚指導部内の重要な勢力は、こうした歴史的な袋小路の状況に直面して、世界ブルジョアジーにすりより、資本主義復活派の代理人に自らなっていった。経済成長と労働者の生活保障を通じて保たれていた特権と権力をもはや維持できなくなった官僚は、自らの陣営の立て直しを民営化によって図った。
 幻想を抱くべきではない。資本主義の復活に一部の官僚が反対している事実には、いかなる「思想的」な理由も存在していない。昨日もそして今日も、官僚はただ自らの利益をプラグマティックに守ろうとするだけである。昨日は自分を外国資本に売ろうとした、あるいはブルジョアジーへの転身を図った官僚の道に立ちはだかっているものは、極めて具体的である。
 つまり外国資本が、全般的に投資が必ずしも利益が上がらないか、あるいは安全でないためにロシアから撤退することであり、財産の法的、経済的な所有権の移行を有効に実現するために必要な「市場での立場」や政治的、経済的な支援、企業内での有利な力関係などを官僚が有していない事実である。
 東側諸国の改革の失敗(とりわけユーゴスラビアの自主管理の失敗)と、西側世界での福祉国家の危機的な状況は、一時的ではあれ知識人の間でリベラルな市場信奉思想に一定の力を与えることになった。官僚的改革の袋小路に対する様々な知識人集団からの「急進的」な提案の多くは、西側の効率的かつ民主的な経済を「モデル」としていた。当時としては、実行するに十分な根拠があると思われた。

経済反革命との闘い

 反革命のシナリオがかつて考えられていたように、外国軍隊の侵略であったなら、愛国的な考えが力を発揮したであろう。事実、このシナリオがキューバにおいて実現するなら、「反帝国主義」抵抗闘争を想定できる。だが、資本主義復活という反革命の「経済」版は、とりわけ圧倒的多数の人々が市場の下でより良い生活ともっと多くの自由を望んでいる状況にあっては、はるかに致命的である。
 東の労働者の間で支配的な態度は、プラグマティズムと大きな期待であった。ある労働者は民営化に「基本的」に賛成し、ある労働者は民営化が自分の失業につながると考えて、自己の属する企業の民営化に反対した。外国資本は、それが設備投資を行ったり、雇用の継続や賃上げなどを約束する場合は、労働者の抵抗を必ずしも受けなかった。
 概していえば、労働組合の権利が抑圧されてだまされたことが判明したり、買収された企業が単に売るために買われたにすぎないことが判明したり、あるいは国が再び外国に支配されると思われるときなど、対立がセンセーショナルなものになる。
 労働者が所有権の分散化と市場とによって自らの職場でもっと大きく管理権を行使できると考えられる状況があれば、労働者はこの過程に対して開放的になるだろう。市場はまた、市場において良好な位置にあると思う人々(輸出企業関係者、豊かな地域の人々)とそれ以外の人々とを分断する。
 ソ連圏とCOMEON崩壊以後の強い通貨をもつ諸国に対する対外債務の増加は、「構造調整」への外からの圧力を強め、世界資本主義への組み込みと民営化と向かわせた。資本主義復活という本質的なベクトルは、IMFや世界銀行(世銀)、欧州連合といった世界ブルジョアジー諸機関の介入の力にある。
 しかし、これらの帝国主義的な介入は、買弁ブルジョアジーの役割を果たすものとみられていた地域諸政権によって遅延させられた。新たな形態の植民地化が強制されつつある。
 結局、自らを売ろうとする官僚にとっては、買い手が存在しなければならず、買い手はその国の「市場価値」(その経済の強力な部門)と政治的安定性を判断する。現在のところ、ハンガリー、ポーランド、チェコ共和国、スロベニアは、最も魅力的である。
 他方、かつてのソ連邦を構成した各共和国は分解の過程にあり、多くの場合戦争状態にあり、市場価値と政治的安定の観点からは明らかに魅力はない。投資を検討しようにも、国の天然資源の所有者さえ不明なのである。

民族ブルジョアの可能性

 問題は、国内的(どのような「民族」ブルジョアジーが資源を占有するのか、どの国家に保護されて、か)であり、同時に対外的(外国の資本家は誰と有効な契約について交渉するのか)でもある。
 欧州同盟に参加できるかどうかは明らかに、中欧と東欧およびバルト海三国で現在進行している力学にかかっている。これら諸国はすべて、欧州連合との協定を調印しており、欧州連合事務局からは数多くの約束を得ている。しかし、それでも東欧の農業や鉄鋼、同製品に対して再導入された保護主義的障壁を停止させるに至っていない。
 当該諸国が参加できるかどうかの可能性は、極めて不均衡である。将来の決定を左右するのは、これら諸国の対外政策の信頼性である。
 だが「構造調整政策」が要求する巨大なコスト、諸国の移行過程の不均衡な信頼性、そして信用供与や投資という形での導入された資本などの事情は、基本的に欧州連合を指向し続ける諸国と、物々交換(バーター取引)と地域的な経済統合とによって危機に対処しようとする諸国との分岐の力学を強めている。この分岐の過程は、これら諸国の経済的な分解に関心を示す欧州諸機構と専門家たちによって促進されようとしており、さらに、少数ではあろうが、これら諸国の一部が欧州連合に加盟できるだろう――早ければ二〇〇〇年までに――と確信させている。
 他方で、これら諸国を「新世界秩序」に包含しようとする動きも政治面、軍事面で起きている。東欧の現在の諸政権は、秩序の不安定さの増大とロシアの影響力の復活という事態にあって、NATO(北大西洋条約機構)への参加を希望している。だが諸政権は、NATOへの参加ではなく「平和のためのパートナーシップ(協力関係)」を形成したいとする西側の回答や、この方向にそったアメリカとエリツィンとの予備交渉に失望させられている。
 と同時に、西側提案を受け入れざるを得ない状況にある。ロシアの指導者は、NATOとのパートナーシップ提案を受け入れる条件として、ロシアを大国として、さらにこの「地域の秩序維持」に不可欠な存在として認めることを要求している。
 国内で社会的、経済的な大混乱があるからこそ、「大ロシア」を追求する新政権の可能性が増大している。あるいはチェチェン介入に示されているように、現政権が「大ロシア」の方向に傾斜していく可能性が増大している。こうした傾向は、アメリカへの政治的、経済的な従属として非難されている諸事態への敵意の強まりに示されている。
 旧ユーゴスラビア問題の危機的な状況を別にして、全体的には東欧諸国とロシアがNATOとのパートナーシップを要求していることは、ヨーロッパにおけるNATOの果たす役割への期待を強めている――アメリカと西側諸国との意見の対立を招くことなしにである。ワルシャワ条約機構解体の状況にあっては、反NATO反戦闘争の大衆運動こそが進歩的な行動である。だが、これとは正反対の動きが生じている。左翼とみなされる世界にさえ、介入主義の考え方が強まっている。
 世界ブルジョアジーの世界機構(IMFや世界銀行、NATOなど)の存在が大きくなっているという事態には、旧東ドイツと西ドイツとの間で生まれたような、東欧諸国とロシアを西側に吸収するにたる現物の資本の動きが伴っているのではない。世界ブルジョアジーは自らの危機の中で、東欧と旧ソ連に対する(第二次世界大戦後の疲弊したヨーロッパを復興させた)「マーシャルプラン」を実行できる手段や能力をもってはいない。世界ブルジョアジーにとって解決すべき問題の深さと性質は、前例がないほどのものなのである。

不安定の原因は

 東欧と旧ソ連で不安定を生み出している第一の要因は、資本主義復活の過程に関して、それを正統とする社会的な基盤が存在していないことにある。というのは、資本主義復活の過程それ自体が破壊的だからである。この過程が社会的な基盤を獲得する唯一の道は、相当の人々の物質的な生活条件を好転させることにある。こうした好転が起きれば、チェコ共和国のように諸政権にとってマヌーバーの余地が生まれる。
 社会保障などの社会的な保護措置が大幅に失われた結果、これまでは知られていなかった様々な現象が起きている。商店には品物はあふれているが、人々の大部分がそれに近づくことさえできなくなっている。医療サービスや文化の面でも同様である。ここには、排除、大規模な周辺化、多数の人々の社会的位置の低下という状況がある。
 ここにこそ、スターリニスト的な資本主義との決裂と現在の資本主義復活路線との本質的な不整合がある。スターリン時代の強制的集団化と市場メカニズムの機械的な抑圧――しかも、その経済的、生態系的、人的、政治的なコストを別にして――は、急速な社会的文化的な上昇と大量の社会的な保護が伴っていた。
 資本主義復活過程に対するスターリニズム「旧制度」の抵抗は、調停者としての市場の浸透が弱かったロシアの方が中国よりも強く、ハンガリーよりもブルガリアやルーマニアの方が強い。旧制度の中核であった企業や地域の方が、小商品生産に開かれていた部門よりも抵抗が強い。農業部門では、非常に多様な反応が存在している。市場と民営化を媒介として状況が改善する可能性が明らかでない集団農場では、社会的な保護への執着がみられる。ポーランド、ハンガリー、ルーマニアの農民は、旧共産党に投票する傾向がある。
 基本的に、資本主義復活過程は、それに必要なブルジョアジーがいないために資本が不足している。ブルジョアがブルジョアであるためには、その人がブルジョアを自称するだけでは、あるいはわずかの資本を有するだけでブルジョアになりたいと願望するだけでは不十分である。問題は、諸資金に支援された階級としての強さなのである。市場改革の導入は、合法、非合法の両面で絶えず個人が金持ちとなる可能性を拡大している。
 闇市場は以前にも存在していた。だが、必要な規模の「資本の原始的蓄積過程」はどこにも存在していなかった。資本の原始的蓄積過程がようやく始まったのは、一九八九年以後のことである。一九九〇年代当初で蓄積されていた資金(預金など)は、民営化に向けられた全資産の一〇―二〇%であった。そして、誰もが自らの蓄積資金を株式に投資しようとはしなかった。

ノーメンクラツーラ

 新ブルジョアジーの二つの主要な国内候補勢力は、ノーメンクラツーラと中間層である。後者は、商業やサービス業といった小規模な民営化から生まれてくる。経済マフィアは、両方のカテゴリーにまたがっている。
 ノーメンクラツーラは、自らの役職上の特権を財産と金の特権に転換することを切望している。だが彼らの願望は、一方で旧機構のパージ(追放)によって実現が妨げられている。と同時に、資本主義の復活に必要な諸点でも彼ら自身の限界が存在し、願望の実現を妨げている。旧ノーメンクラツーラの一部は、ブルジョアの候補としての適格性と社会的な知識を有しており、外国資本に奉仕する「買弁」ブルジョアの役割を果たし得る。旧機構からパージされた現在でも彼らは経済の責任ある地位を維持しているが、各自は、彼らが「市場」で占める位置や管理している経済機関の規模、国家との関係などで、まったく異なった状況にある。
 東欧と旧ソ連の大部分の工業大企業は、世界市場という競争基準に対面して、次第に姿を消していくだろう。その多くはすでに事実上、破産している。たとえ彼らが国民ブルジョアジーになりたいと切望したとしても、ロシアの大企業や軍産複合体の管理者は、必要な資本財も、あるいは外国資本と競争する中で企業を再構築する能力ももっていない。
 その結果、管理者と労働者集団との対立含みの同盟関係が形成され、いくつかの企業や地域内部において企業解体を阻止しようとする動きが生まれることを依然として期待できる。
 その力学は、強力な公共部門に支えられた「国家資本主義」のそれとなるだろう。世界市場に対する保護主義的な障壁は、労働者に一定の保護となるだろうし、企業内部において旧来の力関係を維持することになるだろう。こうした状況の極度の両義性こそが、所有権の可能な限り急速な転換を提唱するジェフリー・ザックスの「専門家」を追放させるに至ったのである。
 そうした専門家らは、所有権の急速な転換によって、企業レベルでの管理者―労働者間の旧来の関係を破壊し、本物の投資家に有利な民営化を実現したり、一時的な国家所有を確立し管理者らが資本主義的な規律を強制できるようにして「集団所有」に伴う一切の曖昧さをなくそうとしたのであった。
 基本的に、信用制度の変化と(破産状態にある企業の閉鎖を伴った)市場論理の発展は、企業内部の力関係を修正できるだけである。進行中の急上昇する社会的な動きは、再転換を実現するに必要な財政的な手段を有していない政治家を恐怖に陥れている。これが、この地域の多くの国でみられる反応抑制の主要な源である。主として大規模工業の企業――「旧スタイル」のメカニズムと社会関係が存在する企業――では、そうした反応抑制が歪曲された・危機の中・一貫性がなく・信頼にたる社会的な展望なしの形で存在している。
 この抵抗は、労働者にとって決して「より良い」状況を意味せず、自立した闘争を生み出す条件をも意味していない。混とんとしたロシアでよりも、再統一したドイツでファシズムと資本主義に対して闘いを組織することの方が疑いもなく容易であるだろう。