1995年7月10日         労働者の力                第69号

95参院選挙総括と今後の展望
動揺する村山政権 新たな流動は必至
平和・市民の敗北を越え、市民派政治勢力のさらなる前進を

川端 康夫


 自社さ連立政権発足後の最初の国政選挙としての参院選挙が終わった。結果の第一の特徴は四四・五二%という史上最低の投票率であり、第二の特徴は新進党が比例区部分においても選挙区部分においても得票数で一位をしめたことにあろう。連立三党は辛うじて改選議席過半数を確保し、村山政権の維持で一致したが、史上最低の低投票率と、それにもかかわらず投票した「無党派層」の投票のかなりの部分が新進党に一票を投じたという事実は、三党連立の根拠を揺るがし、村山政権の命運をきわどいものにした。村山政権は内閣改造でぐらついた政権基盤へのテコ入れを計ろうとしているが、すでにポスト村山をにらんだ自民党内部の抗争があらわれ、さきがけの動揺も激しい。新進党は保守二党体制への流れに弾みがついたとし、衆院選挙の早期実施を声高に求めている。だが、この党の「意外な勝利」は一種の「勝ちすぎ」の感もあり、また勝利したとはいえ一気に政界の主導権を握るところには遥か及ばない点も指摘されるべきことである。各国のマスコミや政府筋の見解が一致するように、この国の政治再編は依然進行中なのであり、流動が今後ともに持続することはさけられない。護憲派・市民派が合流して政治再編に市民的基軸を打ち立てようとして結成した「平和・市民」もまた敗北した。無党派層の合流をあてこんだ平成維新の会も、スポーツ平和もさわやかも、そして農民連合も敗北した。いわゆる無党派層の風は吹かなかった。合従連衡に明け暮れる政界再編過程にあって、アンチ新進党の政権である村山政権に不満を感ずる層が変化を求めて投票行動にでた。同時に、圧倒的多数の無党派層は村山政権支持では行動せず、かといって積極反対にもでることなく傍観の態度を越えなかった。二院クラブが持続的な支持層を投票所に足を運ばせたこと、社会党の比例区得票が、一部では予測されていたように、さほどの目減りを示さなかったことなどなど、ある面ではきわめて動きの乏しい結果でもあったのである。

村山政権の落日

 四四・五二%という史上最低の投票率とは、前回一九九二年の五〇・七二%から六・二ポイントの低下、八九年の六五・〇二%からは二〇・五ポイントの低下である。前回に比して四二二万人が棄権したことになり、とりわけ女性の投票率の低さがめだつ。
 そのことのもたらした影響は、明白に組織政党に有利に働いた。新進党=公明党の勝利であり、共産党の勝利でもあった。
 投票日直後に行われた衆院選シュミレーション(朝日新聞)によれば、今参院選結果のパターンでは衆院選での新進党の勝利が明白だという。とりわけ大都市部での新進党が示した圧倒的な集票力の威力はすさまじく、自民党は大都市部とその周辺では、ほとんど議席獲得が期待できないという予測値が出されたのである。
 新進党の獲得得票総数は比例区一二五〇万六三二二票。前回の公明・民社・日本新党の合計より二一万八一四一票多い。選挙区総計一一〇〇万三六八一票。
 自民党比例区、一一〇九万六九七二票(三八六万四二二七票減)。選挙区一〇五〇万七五四七票(九一五万三五〇〇票減)。
 選挙区での新進党の得票数は、圧倒的に大都市部での飛び抜けた高得票数に起因する。他候補の倍の得票を新進党は獲得し、それを小選挙区に配分すれば自民党対新進党では自民党が完敗するわけである。大都市部の自民党議員がそう白になり、同じく都市部を基盤とするさきがけが動揺した理由がここにある。
新進党と共産党は低投票率の影響をほとんど受けていない。このことは、ある意味では驚くべきことである。公・民・日本新党に新生党を加えた新進党が幾分かのプラス得票をしたのはさておいても、共産党が比例部分で三四万票増という結果を叩き出したのは、この党の強力な選挙戦でのがんばり(一億枚の法定チラシ!)とともに、自社さ政権への批判部分の流入が一定程度あったことを示している。選挙区部分では五〇万票の減であり、比例区が選挙区得票を上回った選挙区が東京をはじめ数多い。明らかに政党としての共産党への投票行為が相当にあった。
 反面、新進党の得票数が絶対量としては著しく増加したとは言い難いのも事実である。いわゆる支持政党なしの無党派層の中で、投票したうちのおよそ三三%が新進党に票を投じたというアンケート調査もあり、公明党支持層の約六〇〇万から七〇〇万人を核とし、新生・民社の大半が加わった勢力を押し上げた要因が、こうした無党派層の部分にあったことも間違いない。旧日本新党支持部分の離反を埋め合わせたという意味がある(旧日本新党支持層では新進党支持は二五%という調査結果も出ている)。
 だが、選挙結果をどう見るかというマスコミアンケートが報ずるところによれば、選挙結果を「よくなかった」と見る層が四八%、よかったという層二六%であり、九三年七月総選挙(細川首班成立となった)直後の「よかった」層七三%と比べて対照的である。とりわけ女性サイドで早期総選挙を望む声が低い(三三%)という調査結果(男性では五五%)の意味は深長である。
 結論を急げば、今回の参議院選挙は村山政権の是非を問うという意味合いでは、否定的ないしは疑問的であるという傾向を示し、同時に新進党の勝利という結果に関しても疑問ないし否定的である。無党派層のうち非新進党の傾向は選挙には行かなかった。村山支持とはいいかねるが、さりとて倒すとも言い難い、という宙ぶらりんの状態で棄権に傾斜したといえる。
 こうして、新進党が「一人勝ち」したとはいえ、「倒閣」の力量と資格を与えられたわけでもなかった。総得票数から見ても新進党が二大政党の一方の軸というには少なすぎる。比例区得票率三〇・六一%に対して連立三党は四七・七六%である。共産党と二院クがあわせて一三%であり、この両党は非新進党である。すなわち新進党は六〇・七六%の反対勢力と直面している。さらに政党支持率でみれば新進党が得る数字ははるかに低く、選挙前の調査では一〇%台の前半を低迷していた。
 だが連立与党、とりわけ自民党とさきがけにあたえた衝撃は大きい。社会党がその無原則な路線転換の「つけ」に直面してきたのと同様のことが自民党とさきがけにも作用しつつある。「らしさ」「主体性の希薄化」によって党の吸引力と求心力を少なからず喪失した、という総括視点が強まった。自民党は連立維持優先への不満が渦巻き、現三役体制への公然とした異論が、橋本龍太郎総裁擁立への動きとして強まり始めた。さきがけの動揺はさらに深く激しい。すでにこの党は統一地方選挙における伸び悩みによる危機意識を強めていたが、それが一挙に高まった。党首であり大蔵大臣である武村の辞意表明や閣僚離脱などが、ガス抜きの過程かどうかは別にして、さきがけの危機意識の深さを表現している。
自民とさきがけが連立の効用に悩み、その路線的、立場的主体的存在感を発揮しようとすれば、それは必然的な三党政権内部の政策的あつれきの加速化をもたらす。戦後五〇年決議によって「遺族会関係者五〇〇万人の動きが止まった」と自民党筋が嘆けば、長良川堰強行によって社会党閣僚としての意味をすべて失った、と社会党関係者はぐちる。武村が大蔵大臣になって一つも得るとところはなかった、とさきがけは天を仰ぐ。連立政権は、「倒される」のではなく「自壊」の局面に突入したというべきである。
 すでに来年度防衛予算案のシーリングをめぐる対立軸が飛び出している。大幅増強を求める自民党とさらなる削減の形式を得たい社会党。いまや、社会党の路線転換に配慮するという名分で押し通せた昨年度とは位相が異なる。「連立政権維持のため」という名分の力は急坂を転げ落ちる様相にあり、さきがけの足して二で割る案の線で妥協が成立したとしても、最悪の事態=連立崩壊を先延べにするためだけのものでしかない。
 矛盾に満ちた村山首班を支えてきたものは、一つには民衆レベルにおける一・一ライン=新進党への警戒感、二つには三党の内部に働いた、連立維持=政権与党の利点の魅力、であった。三党連立という矛盾とバランスをとってきたこれらの要素の平衡が傾ぎ始めた。村山首班続投という枠組みでかろうじて三党連立の維持が可能になったとしても、それは大きくぐらついた枠組みそのものにほかならず、三党は政権を投げ出すわけにはいかない以上、早晩衆院解散総選挙に、政権とそれぞれの党の命運を託すという選択を考慮しないわけにはいかなくなったのである。
 内閣改造・第二次村山内閣は多分に「選挙管理内閣」の色彩が強い。その解散時期が、常識の来年春・予算案成立後なのか、それともこれ以上の譲歩を嫌う三党間の力学からハプニング的に年内に速まるのか、そのいずれの可能性もあるということである。

迫る衆院選―保守二党論と比例区政党論

 政治の焦点は衆院選に移行した。各馬一斉にスタートという感じで、ポスターが貼り出され始めた。
 先に引いた衆院選シュミレーションの結果から興味深い事実が浮かんでくる。例を共産党にとると、この党は衆院選において、その比例区部分で一九議席を得るという。選挙区部分では二議席で合計二一議席という数字が出された。これは現状を上回る。新進七三、自民六六、社会三九、さきがけ三。小選挙区部分では新進一七七、自民一〇五、社会一五、共産二、さきがけ一。合計すれば新進党は五〇〇議席の半数二五〇議席をとる(朝日、7・24夕刊)
 もちろんこのシュミレーションは、参議院選挙の結果を単純に当てはめ、かつ全選挙区に五党候補がそろうというありそうもない仮定のうえでのものである。小選挙区部分での保守二党化への力学は否定しようのない傾向だが、二〇〇議席の比例部分で幾分かそれが緩和されている。
 「今回の参議院選の唯一のプラスは、次の総選挙が自民対新進という二大政党を中心に戦われるのではないかという感じを持てたことだ。日本の政治にとっていいか悪いかはともかく、日本に二大政党制、政党本位の政治を実現するという選挙制度の改革の目的からいえば、そういう方向がちょっと見えたかなと。……社会党は小選挙区比例代表制を受け入れた時点で命運は決まっていた。いったんは、比例区でのほんの一握りの勢力にしかならないだろう。そこで国民に間に社会民主主義的な政党のニーズが生まれてくるのかどうか。ゼロからの出発なのかなという感じだ」(富森叡児東海大教授)
 「この機会に社会党に近い考えを持っている人たちを集合した形の新しい名前の政党、基盤をつくっていかなければ社会党はなくなってしまうと思うが、基盤づくりはできると思う。世の中の傾向は工業化社会ではA対Bという形の対立だったが、今は多様性だ。日本でも小選挙区のほかに総定数二〇〇の比例区が置かれた。多様性の中で、二党だけに移行しない傾向がある」(関本忠弘NEC会長)
 「不確定要因は比例区だ。政党の指導者らは、有権者は選挙区で投票した人の政党に投票すると考えているが、むしろ票を割る可能性の方が高い。小選挙区と比例区で、それぞれを基盤に質の違った政党が出てくる。……今後の政治の展開は選択の幅があり、政党をどうつくるか、いろんな可能性も秘めている。政党の側に頑張ってもらいたい」(大嶽秀夫京大教授)
 以上は朝日7・25朝刊の座談会発言からである。
 以上の引用が示すように小選挙区制度が直に二大政党化に結びつくかは論議の余地を残している。各人の発言内容や立場の評価には踏み込まないが、少なくともこの三人の理解そのものがばらばらであることだけは留意願いたい。
 だが、いずれにしてもこの制度は鮮烈な政党間の競争を引き起こすことだけは間違いない。無所属や個人的な立候補が強く拒絶され、また「ミニ政党」の挑戦も厳しく排斥される制度には間違いない。共産党でいえば三〇〇選挙区すべてに立候補し、そこで最善を尽くして比例部分での議席獲得が可能になる。そうした組織的力量をもたない、たとえば「さきがけ」がいかなる闘いを展開できるか、疑問符がつく。あるいは参院で一定程度の支持を得ている二院クラブのようなタイプの存在が衆院に挑戦できるかといえば、ほとんど可能性はない。
 「ゼロからの出発」(富森)、「基盤づくりはできる」(関本)、「政党をどうつくるか、いろんな可能性がある」(大嶽)――後ろの二者は比例部分における可能性に言及したもので、小選挙区部分は保守二大政党が支配することは前提されている。富森がいうように、この制度が二大政党を実現するためのものであると同時に政党本位の政治の実現のためのものだとすれば、比例部分でのその他政党の浮上の闘いもまた、この制度が意図したところだという皮肉なことにもなるのである。
 横路や海江田らの第三極構想や社会党とさきがけの接近などの動きの展望は、比例部分での議席獲得を主眼においたものであろう。シュミレーションは社会党の総議席を五三、さきがけ四としている。新進党二五一、自民党一七一の差は七〇であり、社会党とさきがけで(共産党の議席を計算に入れれば)キャスティングボードを握るという可能性は十分にある。まさに「政党をどうつくるか、いろんな可能性」があるということである。「自民党も新進党も政策的なねじれがあるのは問題」(富森叡児、同上)ということも明白であり、単純に自民・新進の保守二大政党にもならない可能性の方が高いともいえるのである。
 前節で触れたように、自社さの村山連立政権への積極支持が薄いという現実と同時に、新進党勢力への警戒心の強さも無視できないという状況が次の局面でいかなる展開を見せるか、それは各政党の組織的動き具合とともに、今回は傍観で過ぎた「無党派層」多数の今後の動向にも相当程度に依存する。ただ、村山政権の維持から、ポスト村山の組み合わせを争う総選挙となることは確実であるから、「新進党の一人勝ち」という結果には容易にはならないだろうと思われる。
 
平和・市民の闘い―敗北ではあったが

 小選挙区制度に風穴を開けるため、比例区で二%の政党制限条項を突破しようとして参院選に挑んだ「平和・市民」の闘いは敗北に終わった。比例区の得票率は〇・九三%、三七万七七八六票である。
 選挙区では東京での田秀夫候補が四位、四三万五七七三票、一一・四%で当選したものの、兵庫の旭堂小南陵候補は五位、一〇万七五二七票、六・九%、愛知の丸山悦子候補は五位、三万六〇七七票、一・九%に終わった。新潟のにいがた新党候補の高見優候補は五位、三万二四七九票、三.六%であった。また田候補の得票と比例区得票の比率は二三%、旭堂候補と比例区二八%、丸山候補と比例区七八%、高見候補と比例区二八%であった。愛知での市民派候補として戦った丸山候補(無党派層のほとんどが末広候補に流れたと思われる)の得票の「堅さ」を例外として、選挙区と比例区の比率は、一般に「浮動票頼み」の際の目安とされる三〇%にも及ばなかった。
 平和・市民に無党派の風は吹かなかったわけであり、全国的組織力の弱さや準備の遅れ、知名度のなさ等々を現職議員のネームバリューと市民派運動の拠点的影響力、そして護憲派的危機意識の盛り上がりで埋め合わせようとした平和・市民の「選挙ブロック政党」戦略は失敗したのである。
 要約すれば、今回の平和・市民の闘いは、有権者を揺り動かすために必要な、選挙戦における政治的な琴線にふれることができなかった。小選挙区制度への風穴を開けるため、保守二大政党化を許さないため、平和憲法を維持するため等々の諸論理は、アンチ新進党の鮮明な立場であるが、現局面で「アンチ新進党」の訴えが切迫感をもったかといえば、先述したようにそうではなかった。潜在的には存在してはいても、表層はむしろ村山連立政権の是非、景気対策や危機管理、あるいは官僚体制との関係や先にあげた諸々の要因への評価が選挙選での主役であった。
 さらにいえば、新進党に投票するか否か、という一種の「究極の選択」に直面し立ち往生した有権者の心理が、アンチ新進党=村山支持派という論理回路のもとに立ち往生し、消極的な意識のままに投票行為から遠ざかったといえる。「選択肢が見えない」という表現は有権者の消極的気分を表現したのであり、平和・市民の位置もそれにもろに巻き込まれた。

選挙区選挙では

 内田選挙という東京で三一万四二九一票を獲得した三年前の参院選挙は、市民派の総動員ともいえる闘いだった。その時の「切迫感」が薄れた今回は、やはり選挙体制の相対的な弱まりは否定できなかったし、田候補も自身の抜群の知名度と安定的な支持層の存在なしには当選は難しかったであろう。
 「風が吹かな」ければ、残るは知名度と組織力である。東京における中村敦夫と見城美枝子の両候補にも風が吹いたとはいえない。田、中村、見城ともに初日のポスター貼りではほとんど優劣は出なかった。知名度でも世代間や性別間の差がありつつも同等とみていいであろう。中村は連立与党さきがけ公認であり、見城は東京21という提携相手の性格が不鮮明で非公明系新進党との陰での連携の印象を拭えず、田候補は双方には属していないがアンチ新進党色彩が鮮明ということの違いがなんらかの作用を及ぼしたであろうし、そして組織的には、力量とエネルギー的には多少減退しても内田選挙以来の東京全労協の組織と市民運動部隊とのねばり強い連携があった田候補が幾分か強かったということであろう。
 旭堂候補は市民派の立場を強調しつつ、同時に護憲社会党との全面的協力体制で選挙戦に臨んだ。左右社会党の分裂の最先端を行く兵庫では、右派が連合型候補、左派が平和市民の公認候補を推すという形になったのだが、連合候補の二四万七五一三票に対して旭堂候補は一〇万七五二七票に終わった。予測をはるかに越える敗北と言っていい。護憲社会党兵庫は先の統一地方選での敗北に続いて二度目の敗北を喫した。護憲社会党が、「社会党」を押し出さずに全面的に「平和・市民」で戦った判断は了としても、比例区で社会党票が二二万七三八七票出ていることから見て、護憲社会党が平和市民公認を推すことへのとまどいが社会党支持層に残っていたことは間違いないであろう。
 愛知選挙区は前述したが、以前に「原発いらない人々」で愛知選挙区を戦った場合よりも六五三四票のプラスを示し、比例部分との緊密度の高さから見て、愛知における市民派政治の一定の前進を示したと見て間違いなかろう。新潟に市民新党にいがたの得票は新潟市内で見る限り最近の各種選挙で倍々ゲームを達成した数字であると報告されている。比例区部分においても九二二一票・一・〇%という数字は、さきがけからの比例区候補(一万五六六九票、一・七%)がグループの重なるところから出馬したことを考慮すれば相当の闘いだったと評価しうる。
 ここでもローカルパーティーとしての闘いの着実な前進を見ることができる。以上二地区はあくまでも市民派政治、ローカルパーティーの政治の表現であり、東京や兵庫の例とは異なる位相にあるが、戦った主体のサイドの運動的・組織的手応えは相当にあったと聞く。

全国では

 その他は全国的にどうだったか。各県別の比例区得票率は〇・五%を上下するラインにある。石川、島根、香川が最低ラインの〇・三%にあり、神奈川の一・三%を除外すればおおむね一%ラインには達しなかった。平和・市民の得票率はなにもしなければ〇・三ないし〇・四%というところであり、地域的な運動が展開できたところ、および大都市部で〇・五%を上回ったが一%には満たない結果となった。
 市民派の選挙という面では八三年の無党派市民連合が獲得した五〇万九一〇四票、一・〇%、八九年選挙での三つに分かれた環境派の総計が六四万七〇六三票、一・二%という歴史がある。平和・市民の闘いも同じレベルにとどまった。はるか以前の戸村選挙からたどっても、得票率一%の壁は厳然として存在しており、全国的に平和・市民はこうした壁を突破するための準備と力量を欠いていたことを改めて数字的に再確認したといえる。
 
市民派政治・政党と平和・市民

 小沢一郎は某紙とのインタビューで次のように語った。「無党派層は本来、非・反政府の層である」と。したがって新進党には票が来ても政権与党には票がさほど流れないという読みが当たったのだ、と自慢する。
 それはさておき、平和・市民に無党派層の風が吹かなかった現実にたって考えれば、二〇年余におよぶ各種の参院選への挑戦は同じようなレベルを、様々に手を変え品を変え繰り返してきたことになる。一%のレベルを上下するのであれば、ある人の辛辣な表現を借りれば、「福祉」のような「永遠の泡沫政党」とさほどレベルは変わらないことになる。
 だが平和・市民が主体的意図として各種の先行者とは違った点を持ったとすれば、それは明確に二%の制限条項を越えた恒常的な(連合・政治ブロックの)政党であることをめざし、同時に現在日本社会へのトータルな対抗プランをもった、オルタナティブ政党として政治参画をしようとしたことであろう。今回でも農民連合のような明確なシングルイシュー政党の立場を掲げて選挙戦に参入した人々もあった。シングルイシュー的な立場は尊重されるべきであり、農民連合が様々な困難を越えて全国選挙に挑戦し、一定の得票を獲得したことは正当に評価されてしかるべきだ。環境派諸運動や護憲派の運動などの特徴をもったそれぞれの闘いが即座に同一の歩調をとれるわけでもないことを考慮すれば、シングルイシュー的なあり方をトータルな対抗政治をめざすオルタナティブ政治運動に強引に結びつけようとすることは明らかな誤りである。
 その上で「平和・市民」はどの程度までオルタナティブな政党であったかが問われる。すなわちオルタナティブ政党とは、「第三極」政党論という保守二党を前提にし、それとの関係で存在価値を持とうとするような政党のありようではなく、自ら独自の、独立の価値体系を持とうとする存在である。その点で言えば、もちろん、平和・市民はきわめて薄弱なものでしかなかった。鮮明だったのは唯一、総保守化に風穴をあけるという政治的方向性と反改憲の立場であったといえる。冒頭に引いた小沢の言い分と関係づけるならば、平和・市民はアンチ小沢的存在であった。それだけをとれば政治的に誤っていたわけではないが、アンチ小沢という関係性でしか自らの位置を設定できなかった弱さと不十分性が、連立三党対新進党という図式の泥沼からの脱出させなかったとはいえる。
 今後の展望ということに移るならば、大きく二つに分けて考える必要があろう。一つは市民派の政治、すなわちオルタナティブの政治と政党という点に関して、二つにはそれと付随する「平和・市民」の将来展望についてである。 
 
市民派政治からオルタナティブ政党へ

 市民派の政治表現としての選挙ブロックの政党がオルタナティブな政党になるためには、相当のう余曲折の過程が必要であろう。シングルイシュー的な、あるいはローカルなパーティーが全国的に結びあうときに、国政レベルの政策と政治展望が求められる。その際の「飛躍」の触媒としてオルタナティブ政党を志向する持続した運動と組織が求められるのも事実であろう。平和・市民が各地の運動体やローカルパーティー、労働団体などとの「政策協定」を結ぶ運動を進めた発想は、今後に新たな方向性を提出した。中央発信型の政党ではなく、相互発信型のネットワークの映像が生まれた。平和・市民が提出した、非固定的で「やわらかな」組織というイメージは、この相互発信型の連携を総体として取り上げたものだが、それを一時的な限られた共闘としてしまえば、全国性においてトータル性をもったオルタナティブ政党への過程は難しいものとなる。
 他方、国政参画型の政党を掲げるのであれば、いずれかの国政選挙において二%の得票率をクリアする力量なしには問題にならない。衆院選が相当に近くなる可能性が高まっているが、現時点で衆院選での議席獲得は小選挙区部分で可能だと甘いことはいえない。せいぜいできるとすれば各ブロックでの比例部分での可能性の追求である。しかし、この闘いで全国二%を獲得できるという力はとうていない。市民派や護憲派の政治共闘が可能だとしても、挑戦できる選挙ブロックは限定されたものだ。三年後の来るべき参院選を語ることも時期尚早とはいえないが、しかし今回の結果から見れば現状の延長では相当に難しい。
 そこで前提になるのが組織的、恒常的な力量を掘り起こしていくことであり、同時に可能ならば持続的政党として名称定着の努力も必要となる。参院選敗北という現状においても、各地でのローカルパーティーや市民派の選挙運動体は久々の国政選挙を経験しつつ自立的政治参加への手がかりと確信を深めてもいる。
 社会党の衰退と第三極新党への解消という流れが消えない以上、それぞれの運動体が社会党を政治的代理や政治的表現として、棲み分けや相互利用関係を持続することも不可能になっていく。東京を例にとれば、市民的な運動を議会に伝動する議員がいまやいないという不幸な事態にある。東京都議会議員を自ら送り出そうという動きが出るのは当然ともいえる。第三極新党などの動きがいかに表面的に市民派を装おうとも、その実体が「連合」組織と結びついたものであり、あるいは市民派を標ぼうする生活クラブ生協の代理人運動が結局は神奈川でのさきがけとの結合にみるように既成政党と接近していっている。
 市民派は自らの「代理人」を必要としているのである。そうした市民派の政治参加が政党としての活動になるかは不定形である。地方議会においては全国政治ほどの政党化がいまのところ強要されていない。無所属であることの利点も広範な有権者を対象にした場合にはあるからである。その不定型さをそれとして尊重しつつも、政治的な共同の表現への動きを生み出していくような環境と政治的明確さ、組織的な活動を準備し追求していく意識的な全国連携が必要であろう。
 
任務を終えた「平和・市民」

 選挙ブロック政党の、議員集団と市民派の接合ということのプラスとマイナスの両側面はあれ、議員集団とそのスタッフと市民派との同権的な関係の成立というところには至らなかった。時間もたりず、業務に追われて意識のすりあわせの努力も不十分だった。緩やかな選挙ブロック政党という概念と、全国比例区・選挙区選挙を集中して闘うという要素を溶け合わせるまでの準備と時間がなかったというべきか。「平和・市民」は政党要件を失った。 
 「平和・市民」は、ローカルパーティーや各地の市民派勢力、労働組合活動家および国弘正雄議員ら護憲・リベラルの議員団とそのスタッフ、社会党護憲ネットの一部勢力、およびその他の政治勢力の連合が構成したが、組織構造的な「へそ」である全国調整会議はこの総体の一部しか表現しなかった。「選体」の主要決定機能は議員団サイドがはなさず、また諸グループの相互の意志の疎通も最後まで成立しなかった。それぞれのグループはそれぞれの部署をそれぞれの意志に基づいて「排他」的に遂行した、というのが近いであろうか。
 そうした内的ぎくしゃくは、議員団周辺の根深い永田町感覚がもたらしたJR総連との隠微な関係をめぐる問題で表面に出た。東京の田選挙の主力部隊は東京全労協であるが、その一方で全労協と正面から対立するJR総連の「援助」をも受け入れる工作を議員周辺のどこかのレベルが行っていたようなのである。そのよう部分は「右手と左手を分離しておけばいい」とでも考えたのかもしれない。だが、JR総連がそうした隠密行動ですませるような代物ではなく、純粋に善意の応援者であるということもない。JR総連は「応援」の代償を要求する。それが国労支援問題に直接にかかわることは誰が見ても明白であろう。
 田選体は公式にJR総連の申し出を断り、選挙中に国労支援の立場をあらためて確認した。平和・市民選体も事務所開きで本部長の金田誠一議員が国労支援は当然のことと明言した。だが一時的なこととはいえ、そうした永田町的政治感覚が横行したことは後を引くのである。
 残念ながら、個々の議員の善意(これは事実である)は別にして、永田町的感覚と市民派的思考方法が各所で衝突し、最後まで融合し得なかった。またアンチ新生党を越えたところでの政治的行動、感覚においてもバラツキが持続し、議員活動をそれとして見るときにはやはり永田町的な生き延び感覚、すなわち平和・市民的的な原点ではなく、伊藤秀子的な、「リベラル政権を作る会」の方向性にひかれる傾向も払拭できないことが明白になりつつある。今後の共同の方向性をたぐるのはきわめて難しいというのが実体といえる。
 もちろん、こうした内的困難性を抱えてはいても、それらを一歩一歩乗り越えることを通じて、平和・市民の全国的定着と、相互発信的な、柔らかな組織性を原点においた発展させていくべきだという見解は相当に有力な見解だし、ある面では正論でもあろう。
 だが、あえて言えば、第一に、〇・九三%と二%との間の距離はきわめて厳しいものがあり、それを克服するための政治的・組織的力量は、全国の一致した共通の目的意識性と多大の努力を必要とする。田議員が総括会議で、「全国比例区選挙を行うのはまずは組織であり、護憲・リベラルのような党=組織を持たない党はほとんど挑戦できないものだ。それゆえに市民派との連携が必要だった」と述べたが、「連携」を支えるに必要な相互認識に深いギャップがあり、その克服が一朝一夕ではなしえないことも明らかである。
 第二には、政党資格を失った平和・市民が議員個々人を「束縛する」力量をさらに失ったことをあげなければならない。平和・市民は政治団体に衣替えをする方向が出されているが、議員活動にとって必須の院内会派をどう構成するかは議員団に委ねてもらう旨の発言があり、そうした院内会派と政治団体としての平和・市民のずれはさらに大きくなるであろう。
 こうして、現状を突破するためには、相当の一致した目的意識的な協同性が必要なのだが、敗北し、政党要件を喪失した平和・市民がその任に耐え得るとは到底いえないと考える。
 平和・市民を中途半端な政治団体として残すことは技術的にはいくらでも可能だが、恒常的な整合性のある組織活動(財政活動を含めて)を築く展望が見えない以上、それは開店休業ないしはそれぞれの部分が勝手に「平和・市民ブランド」を都合のいいように利用する以上のことにはならないであろう。平和・市民は選挙ブロック政党としての任を終えた。事後処理(これはこれとして大変だが)をすませて、いったんは解散する方が、平和・市民を構成したそれぞれの部分の今後を自由化し豊かにする点からもベターと考える。組織の解散が運動の清算とはイコールではないのである。

終わりに

 三年前の内田選挙以来、全国的にも東京レベルでも新しい政治勢力としての登場の方向が明確化され、先の統一地方選挙では全国各地での意識的取り組みと、横断的連携の構造が生まれ、相当の成果をあげた。「市民の政治全国ネット」自体の力量はさておき、新たな市民派の政治勢力をめざそうという運動が意識的に始まった成果は高く評価されていい。単発的な全国政治への挑戦という今までのレベルを越えて市民派の政治運動を築こうとする意志は、「市民の政治全国ネット」が担保となって可能である。
 平和・市民の試みは成功しなかったが、急進主義運動の崩壊のあとの荒野に改めて水路を引き直し、かつ急進主義運動がなしえなかった民衆との幅広い結合のもとにオルタナティブな政治運動と政党をつくりだそうという呼びかけを全国に提示したということは明確であり、それなりの確かな手応えもあった。市民の政治全国ネットは、平和・市民に寄せられた全国からの多くの期待と希望を背負っていかなければならないだろう。ローカルパーティーや各運動団体との緩やかな提携関係をさらに持続、発展させて、「市民の政治全国ネット」は自らをさらに豊かにするとともに、全国政治への挑戦の準備と基盤形成に力を注ぐ必要があろう。
 衆院選挙で、すべてのブロックでは無理だろうが、可能な地域での衆院比例区部分への挑戦が「護憲派・市民派の結集」によって始まる。また、東京では二年後の都議選への挑戦が平和・市民の活動を経過して意識され始めている。社会党の歴史的解体はもはや避けられないのであり、その後継が連合を支えにした「リベラル新党」的なものになっていくことも明らかであるから、民衆の政治表現としてのオルタナティブ政党の基盤は、大資本のトップである関本が指摘するまでもなく、十分にある。それが現状の永田町レベルからは容易にはつくりだせないことも、また富森がいうまでもないことである。
 政界では延命のための離合集散は続くし、政治的な「安定化」は幾度かの国政選挙を経過してはじめて到来するであろう(到来するとすればだが)。それらの過程は様々な「政界」からの働きかけが幾度も繰り返し市民派になされることでもある。「平和・市民」は、護憲派と市民派のブロックの最初の試みだった。こうした地平はさらに拡大されていくことにもなろうが、それらはさておき、市民派政治のさらなる飛躍を独自的につくりだすことが求められているのである。
(八月三日)
インターナショナル・ビューポイント誌特集 世界経済分析
           増える利潤、下がる賃金
         「先進諸国」経済が成長する兆しの意味


                                解説 マキシム・デュラン

 ブルジョアジーは最近、いくつかの経済的な成功を収めたようであるが、一九六〇年代のような高度成長時代を実現するには至っていない。賃金上昇率の停滞は避けがたい。アメリカでは、国民所得に対する賃金の比率や実質賃金は一九七〇年代初め以来、一貫して上昇していない。他方、労働生産性は一九〇八年代に再び上昇しはじめている。フランスの現在の危機は、一九八三年に当時の社共政府が実施した緊縮政策に端を発している。
 現在の成長が持続できない理由を理解するためには、利潤動向を見定める必要がある。国民所得に対する賃金部分の持続する低下は、搾取率の上昇、つまり国民所得に対する利潤の比率の増大である。しかし、それでも利潤は不十分である。
 地球規模の競争にさらされているため、企業は絶えず生産の合理化と製品の改善に迫られている。そして、この関係は一貫して強まっている。資本構成率(全資本に占める固定資本の割合)は高まっており、常に過剰生産の状態にあり、新たな生産設備の償却は進まない。この事実をもとに基本的な利潤率を計算すると、資本家が不況(リセッション)から脱出するに必要な水準に比してはるかに低いのである。
 資本家政府の賃金上昇を阻止する政策は、資本の利潤率にとっては有効であるが、他方では、国内市場の需要を抑制する側面がある。多くの国で公的債務の膨張が、経済の再活性化の手法実行を妨げている。これらの国では、資本に対する課税が様々な手法で削減され、国庫収入が減少しているが、他方では歳入の減少に見合った歳出の削減は一向に実行できていない。
 ラディラカルなエコノミストたちは、問題の一つが強力な金融資本にあるとみている。つまり、金融資本が様々な基金に対してより利潤の上がる投機的な道を提出しているために、産業投資に必要な資本の蓄積を妨害している、というのである。この見解は認められない。金融部門と産業部門との利潤率が平均化するからである。左翼エコノミストは、自立した金融部門が存在すると考えるべきでない。金が自由に金を生み出し、しかも資本の生産過程とは無関係、という金は存在しえない。
 各国政府は、賃金コストを低い水準に押しとどめ、輸出を拡大する政策をとってきた。その結果が激しい不況(リセッション)である。これこそが、一九九〇年代初めの現実であった。
 利潤率は、資本の二面的な性質、すなわち単に剰余価値を生産するだけでなく、同時に剰余価値を実現する存在でもあるという本質の指標である。利潤率の不十分な上昇(少なくとも経済成長期を実現するには不十分な)は、回帰的な矛盾の結果である。すなわち賃金上昇阻止政策と国際競争の激化が互いに強めあい、需要と供給との圧力を絶対にときほぐせないほどに込み入らせているのである。
 エルネスト・マンデルが主張しているように、長期の成長あるいは不況(後退)を長期循環としてでなく、長期波動として考えるべきである。長期波動としての不況から同じく長期波動としての成長期への自動的な移行過程は存在しない。この移行を決定する諸条件(の大部分)は、厳密な意味において経済的なものではない。これらの条件を、単純に利潤率の回復に帰することはできない。経済というものは、資本主義が本質的には共存できない自らの様々な力学をうまく働かせ、諸力学を共存させようと闘う場である。それぞれの危機の問題は、明確である。事態全体を回復できるだろうか、回復する方法は、その代償は――である。
 現在の状況は、資本主義システムの諸困難を鮮明に示している。現時点で、現在の成長は安定した持続するものに決してなりえない、とはっきり主張できる。現在の成長は、弱く矛盾に満ちた不確かなものである。そして、これこそがわれわれが生きている世界の本質なのである。資本主義システムの健康度は改善されつつあるが、この事実は、このシステムは失業や人間の欲求を満たしえないといった、固有の問題を解決できることは絶対に意味しない。 
アメリカ経済
             その成長は持続するか
                            
メアリ・C・マロイ
 アメリカ経済は危機だ――と何度もいわれ、人々は日常生活において危機の影響を感じている。だが、何が基本的な問題なのだろうか。アメリカ企業が国際競争力を失ったので、賃下げや失業、利益率の低下などを受け入れなければ、企業は競争力を回復できない、といわれてきた。メアリ・C・マロイは、そうした議論がごまかしと主張するだけでなく、「アメリカには産業空洞化を阻止する産業政策が必要だ」という左派の主張に挑戦もしている。

はじめに

 アメリカ経済の問題に関する最も共通した説明は、製造業の国際競争力の喪失である。製造業は一九七〇年代初め以降、「低賃金」(第三世界諸国)あるいは「高賃金」(ヨーロッパと日本)などの競争者の単位賃金コストの低下に対抗できなくなっている、といわれる。そこでアメリカ資本は、「低賃金」による国際競争力回復戦略をとってきた。
 極端なエコノミストは、この戦略が製造業で失業を増大させたのだと主張する。そして彼らは、まともな政府なら、この「空洞化」対策にではなく、公的部門および民間部門の職業訓練、研究開発、新たな社会的経済基盤(インフラストラクチャ)形成に投資したであろう、と議論を展開する。この議論には、次のような意味が明らかに込められている。すなわち、資本主義国家の「産業政策」あるいは「ゆるやかな指標設定による経済の計画化」といった経済政策によって、産業基盤を再建でき、労資双方に利益になる――というのである。
 クリントン大統領が選挙中の公約である「成長選好」方針を放棄し、国家財政の赤字削減ときつめの金融政策をも放棄した事実は、アメリカ政治を支配しているのが金融資本にほかならないことを鮮明にした最新の事実の一つでしかない、と「産業空洞化論者」は主張する。アメリカ国家政策がなぜ、「非生産的」な金融と軍事部門の利益だけを確実にしようとするのか。民主党はなぜ、西ドイツや日本の経済的な成功を支えたといわれる「戦略的介入主義」モデルに従おうとしないのか。
 こうした「産業空洞化論者」の考えは、過去二十年間のアメリカ経済の実態をとらえているようであるが、資本の利益率と同時に勤労者の生活水準を上げる経済回復の道筋を指し示しているのだろうか。大いに疑問の余地がある。

三つの基本的な欠点

 アメリカ経済の長期的な停滞の第一の原因は、国際競争力の問題にあるのでなく、すべての資本主義に共通な生産を機械化しようとする傾向に由来する平均利潤率の低下にある。資本主義世界では、成長率が鈍化し、構造的な失業が増え、大部分の勤労人民の実質賃金は低下し続ける。そして、アメリカ製造業の国際競争力が回復している証拠があるのだ。

各国の輸出シェア(%)
年  81   85   93
日 9・0 10・7 8・5
独 13・7 15・0 10・4
米 13・8 10・5 13・7

 アメリカが産業政策を採用しないのは、金融資本が支配しているためではない。世界のブルジョアジーの間に生まれつつある共通の意識は、アメリカ的「自由市場」産業モデルが、利潤を拡大できるものとして復活しているし、このモデルはほかの国にも適用できる、というものである。
 現在の経済危機は、「産業空洞化論者」が考えている以上にはるかに深刻である。平均利潤率をかなりの水準に引き上げるために必要なのは、大部分の資本財の破壊と競争および投資の一時的な停止である。
 現在の危機の根源は次の諸点にある。
 アメリカ製造業のいくつかの部門は、一九七〇年代以来、激しい競争圧力にさられてきた。アメリカ労働者の労働条件と生活水準は、この期間に大きく低下してきた。一九八〇年代だけでも製造業の雇用は、百万人以上も減少した。また、実質賃金も、一九七九年以降、確実に低下した。労働者階級の居住地域は破壊され、その家族はそれまでの生活を奪われ、弱体化した。
 根本問題は、このように事態が展開した基本原因である。すなわち世界経済におけるアメリカ製造業資本の地位が低下したのが基本原因か、それともすべての工業諸国で平均利潤率が低下したために世界経済全体の成長が停滞したことが基本原因か――と問題は提起されている。この問題に適切に回答するには、国際競争と世界的な平均利潤率(平均成長率)とがアメリカ製造業の雇用に及ぼす効果をそれぞれ分けて考えなければならない。
 経済の中心が製造業(第二次産業)から第三次産業に移行しはじめたのは、一九世紀後半からであり、この傾向は長期波動の拡大期、収縮期のどちらでも進行した。一九一九年までは、第三次産業と製造業とがそれぞれ雇用する労働者数はほぼ同じであった。しかし一九一九年から一九五〇年まででみると、全労働者数で占める割合は、第二次産業では六ポイントしか増大しなかったのに、第三次産業では三五ポイントも増加した(減少したのは農業部門)。
 つまり一八七九年から一九五〇年にかけて、第二次産業の雇用者数は確実に増加したのだが、第三次産業の労働者数が占める割合に比較すると、その割合は低下してきたのである。そして一九五〇年以降は、製造業雇用者の割合そのものが低下してきた。一九五〇年から一九七〇年までの長期拡大期において、製造業部門雇用者の占める率は、三四%から二七・四%に低下した。一九七〇年代初めに長期波動の後退局面が始まると同時に、この低下傾向が加速された。一九九〇年現在では、製造業部門の雇用者は、全雇用者のわずか一七・四%を占めるにすぎなくなってしまった。

製造業の地位低下

 製造業労働者が全就労者数に占める割合が長期的に低下してきた事実それ自身は、製造業の雇用の絶対数が減少したことを意味しない。この絶対数は、国内市場の需要が盛んであれば、外国企業にある程度市場を奪われることがあっても、増加し続ける。リベラル派のブルッキング研究所のエコノミストたちは、一九七〇年代では、国内市場の停滞によって製造業雇用は一・五%の減少となったが、貿易の関係では二・一%の増加となった、と分析している。同じ研究は、同一期間における自動車生産の減少の二〇%は貿易赤字に起因するが、残りの八〇%は国内販売の不振に原因がある、と説明している。
 ラジカルなエコノミスト、アーサー・マクイーワンは、自動車販売の水準が一九七八年と同じであったなら、一九八四年では七〇万台以上も販売できたであろう、と推測している。
 雇用の減少、とりわけ一九八〇年代後半以降の減少は、生産性の向上(資本構成の高度化)と平均利潤率の低下による世界貿易全体の需要停滞とが相まった結果である。別の角度からみると、製造業雇用の絶対数は、生産の機械化による雇用減少の効果が投下資本増大による雇用創出効果で相殺されずに、停滞したのであった。企業は既存工場の資本構成を高めたのだが、新しい能力を実現したのではない。
 この投資ブームは、アメリカ製造業の国際競争力を強めた。一九八〇年代後半以来、製造業の生産性は、年率五%、特に自動車製造では一〇%も上昇した。十年間、強引ともいえる企業再建を続けた結果、一定の国際競争力を回復したようである。一九八七年から一九九二年にかけて、耐久消費財の輸出は九七%も増加したが、輸入は三四%の増加にすぎない。確かにこの期間の為替レートの変化が輸出を増やしたのだが、生産性の上昇が大きな役割を果たした事実を見逃してはならない。一九八〇年代初めでは、アメリカの鉄鋼一トン当たりの労働時間は西ドイツや日本よりも約三〇%も多かったが、一九九三年にはアメリカの労働時間の方が一〇%も少なくなった。
 こうした企業再建や産業再構築は、緩慢な苦痛に満ちた、しかし経済循環の上向きと相まって、ワシントンの政策立案者の関心を集めた。五年前にはクリントンやその政策ブレーン――ライシとタイソン――には魅力的と思われた西ドイツや日本の「産業計画」モデルは、今では官僚的で柄が大きいだけのものになってしまった。現在、要求されているのは、変化する市場の需要に柔軟かつ迅速に応じる能力の拡大なのである。

金融資本が支配者?

 金融資本が国家主導の製造業復活にとって第一の障壁だろうか。
 クリントン政権の「自由市場」政策は金融資本の支配の表れである、とする「産業空洞化論者」の主張には二つの仮定がある。第一の仮定は、金融資本の利益は産業資本の利益とまったく一致しないというものである。第二は、金融資本がクリントンに彼の選挙公約である介入主義をやめさせるほどに大きな経済的な重みがあるというものである。
 金融と「実質」(製造業)のそれぞれの部門が、経済的、政治的に明白に異なるとの見解は支持しがたい。製造業企業は現在でも、金融資本にとって大切な顧客である。そして、この三十年間、金融資本と産業資本との間では役員の兼任などを通じて統合が進展してきた。金融部門に向けられる資財が増加したのは事実であるが、この傾向は一八世紀半ば以来続いているのである。
 巧妙な手法による莫大な利潤と、金融企業役員の巨大な報酬は金融資本の「独占超過利潤」の証であるという印象には、金融資本が製造業よりも一貫して多くを稼いでいることを示す事実に基づく証拠はない。ある一時期、平均利潤以上を獲得できる能力があるとき(新企業の参入や新規投資)には、より高い金融操作によって利益を維持するよりも、むしろ産業部門と金融部門との間には利潤率の平準化があった、と考える方が根拠がある。
 換言すれば、損失の時代は、金融資本が「実質」部門で行ったように金融部門での健全な利益の時代に交替した。それから、金融部門は、製造業と同様の循環的かつ構造的な転換――資本の集中と集権化、機械化――を経験したに違いない。過去八年間におけるアメリカ金融部門では、こうした予測通りの事態――企業合併や買収、ダウンサイジング、コスト削減の波がウォール街を駆け抜けた。
 また、連邦準備制度理事会(FRB)の過去四年間の金融政策が金融資本の利益だけを図ろうとしてきたことも明らかではない。FRBは、一九九一年から一九九四年初めまで短期金利を低くし、一九八〇年代につくられた不良債権の悪影響を最小限にとどめようとした。金融資本の利潤の多くは、銀行が支払う短期金利の低さと長期国債の高金利との差額から生じた。
 しかし短期金利が相対的に低かった事実は、産業資本にも有利に働いた。長期金利は短期金利に応じて次第に低下し、産業資本の利子などによる金融コストを減少し、投資の一時的な活発化に寄与した。
 同様にFRBは、一九九四年に金融を再度引き締めたが、これは第一義的に投資抑制と景気過熱の抑止を狙ったものではなかった。投資抑制と景気過熱の防止は、意図せざる結果となったであろうが。だが、実際にはFRBの措置は、「高収益」が火をつけた債券市場での投機をやめさせることになった。金融企業や非金融企業、地方自治体(カリフォルニア州オレンジ郡が投機活動を行った自治体として最も有名)などは、低利の短期資金を借入し、それを高利の長期国際に投資し、その差額で利益を上げた。
 一九九四年二月、FRBはブレーキをかけ、短期金利が上昇しはじめた。投機筋は今や、投資から得られるよりも多くの利子を支払うことになった。こFRBの措置のために債券市場は、一九九四年は一九二〇年代以降で最悪の年になった。他方、ニューヨークでは企業が、債券での損失とデリバティブ(金融派生商品)による損失のために相次いでレイオフ(一時解雇)を発表した。

ゼイ肉落し戦略

 FRBのアラン・グリーンスパン議長は、金融恐慌(パニック)を防ぐことによって「実質」部門の循環的な景気回復を狙ったものとみられる。
 同様に、最近のドル安に対するFRBの穏やかな態度は、「金融資本のヘゲモニー」論とは一致しない。FRBは、高金利による金融投資の活発化という手法で懸命にドル高に導こうとするのではなく、逆に為替レートを維持し、ドル安による輸出の拡大と外国からの直接投資の増大を図ったのであった。
 金融資本が、産業資本の競争者でもなく、経済のヘゲモニーも掌握していないとすると、現政権が経済の舵取りとして金融政策に絶対的な重みを与えている事実をどのように説明できるだろうか。「インフレ抑止政策」は、アメリカ資本の競争力を国内的にも国際的にも強化するための広範な戦略の一部である。このゼイ肉(特に財政赤字)落し戦略は、コスト削減と生産性向上を実現できない企業が生き延びる余地をなくそうとするものである。
 これは、いくつかの方法で実行されている。第一は、福祉やその他の公共支出の削減である。その背後には、中産階級への減税や産業活動の結果として、各種の財が「生産的」な部門に流れるとの期待がある。財政赤字が減少すると、利子支払、税の重負担が軽減され、国債保有者から「生産的」な資本家納税者に収入が再配分される、というわけである。
 第二に、ゼイ肉落しは、景気回復期において輸入品への国内需要(外国の市場で需要が盛んになったとしても)を鈍らせ、貿易収支の赤字削減に役立つというのである。一九八九年から一九九一年にかけて、ドル安と国内市場の停滞とが相まって貿易収支赤字は八六%減少した。一九九三年以降、アメリカの景気循環が上向いたのに日本とヨーロッパの景気回復が遅れたため、貿易収支の赤字は大きく増加した。
 最後に、おそらく最も重要な点であるが、歳出の拡大を抑制することは、すべての資本家に対して強く制限された市場行動を課することになる。雇用創出や職業訓練、社会的な経済基盤の形成、都市の再開発、減税などのために必要とされるインフレを招く措置は、資本家にとって非効率かつ「高コスト」のやり方を許す。というのは、この場合、短期的には価格上昇とコスト上昇との間にギャップがあり、それを利用して利益を上げられるからである。
 一九八〇年代に盛んに行われた企業合併と買収によって、効率が最低な資本家は追放され、残りの資本家も生産の再編とコスト削減を余儀なくされ、競争力を強化し、「最適企業」のみが生き残れる(つまり最少コストで生産する企業だけ)環境を形成するであろうゼイ肉落しを支持する合意が資本家階級の間に生まれた。クリントン政権は、「特定部門の特殊利益」ではなく、資本主義競争の論理に誘われて政策決定をしたようだ。

ケインズ世界における競争と効率との矛盾

 歴史というものが導き手であるなら、景気の全般的な回復、つまり「経済拡大の長期波動」の基礎は、主要に経済的ないくつかの障害に直面している、といえる。過去二回の停滞の長期波動を終わらせた時点、一八九〇年代と一九三〇年代における利潤率上昇のための極めて厳しい二つの条件を思い出す必要がある。
 一八九〇年代には、利潤が労働者階級の収入から資本家の収入に転換することによって、利潤率の上昇が生じた。一九三〇年代には、生産過程の機械化と資本コストを増大させる競争圧力が低下したため利潤率が上昇した。この「息つき休止」によって資本家は、投資に対する見返りの増大を実現できたのであった。
 現在、経済回復の第一条件は実現しつつあり、これから数年のうちに労働者階級と人民の抵抗がないなら回復傾向は確実に加速されるだろう。企業は実質賃金を低下させ、パートなどの不安定雇用を増やし、同時に他方では、労働日の強化と生産の自動化によって生産性を上げた。失業保険給付と福祉支出を抑制する政府の政策は、労働者の間の競争を激しいものとし、その結果、企業は実質賃金を低下できたのであった。
 資本は、政府の「管理した競争」なしに医療・健康コストを削減できた。医療産業の再構築(特に医療サービスの提供を制限する健康維持機関(HMO)の増大)は、資本家の支出を軽減し、他方では広範囲な人々が医療を受けられるようになるという期待をしぼませている。
 経営者の攻勢と政府の緊縮政策は、その意図を実現してきた――生産性は上昇し、実質賃金は上がらないか、あるいは下がっており、全利潤は急激に増大している。現在の景気循環では、資本はうまくやっている。
 しかし第二の条件、つまり効率的な装備への投資の必要性を減らす資本家間の競争の中止は、現実問題になっていない。企業は、非常に高度な資本構成の現存装備に、さらに装備をつけ加えている。投資を軽減しようとの努力(流れ作業の組立ラインをそれぞれ独立した作業単位に置き換える)は、製造業では一般化していない。確かに、生産性の上昇と実質賃金の低下によって利潤は大幅に増大しているが、短中長期の稼働率に対応する利潤率は上昇していないのである。
 需要変化との関係で利潤率をみることは、現在の経済危機の原因を探るために極めて重要である。需要不足が利潤率低下の原因であれば、調整措置は下降傾向を示さないが、実際には示している。この事実は、国内需要の減少が作用していることと、平均利潤率の低下が原因でないことを強く示唆している。コスト削減は、経済拡張の「長期波動」を始動させるに十分なほど、つまり利率以上に基本的利潤率を上げることはなかったが、しかし利潤率がさらに低下するのを防ぐ効果はあったのである。
 生産の機械化と賃金低下によって絶えずコストを削減させようと働く力は、日本や西ドイツでもアメリカの生産性上昇に対応していくので今後、さらに強力に働いていかざるをえない。
 金融危機にまで至らないとしても、国際競争の圧力は今後数年、さらに強力に作用し続ける。世界経済が破局を迎える場合、各国の中央銀行と政府はおそらく、有効需要創出と市場メカニズム維持のための計画をつぎはぎ的に作成するだろう。
 過去二十年間において資本が「反国家」方針を歓迎してきたにもかかわらず、資本家政府は、有効需要の大幅な減少とその結果としての不況とを阻止しようとするケインズ的政策を完全に放棄したわけではない。
 経済破局(と大量失業という政治的脅威)を回避しようとする資本家政府の行動は、利潤率の急速な上昇を実現するであろう「息つきの休止」の出現を遅らせることになる。
(インターナショナル・ビューポイント誌266、5月号)
エルネスト・マンデル(インタビュー)

             資本はなす術を知らない

――現在の景気回復傾向は本物だろうか。成長期に入ろうとしているのだろうか。

 資本主義経済には二種類の循環がある。好況と不況との短い明確な循環と成長と後退の「長期波動」とを区別する必要がある。一九四九年から一九七〇年代初めまでは、短期の循環があったが、全体として成長の長期波動の中にあった。だが、構造的な失業あるいは中核的な労働者層での失業が一九七三年以来着実に増えてきた事実を見れば、それから現在までの二十二年間は後退の長期波動であったといえる。
 公式統計は嘘をついている。都合の悪い一切の数字を排除してしまう。世界労働運動の側の多くの研究者と同じく私は、帝国主義諸国だけで五千万を超える中核労働者が失業していると考えている。第三世界では、何億もの労働者が失業中である。
 また、「新貧民層」の確実な増大現象がある。住民の一〇・三%が、この層に入っている。近い将来、スイスやスウェーデンも同じ状態になるだろう。帝国主義諸国は、一九三〇年代以降、こうした水準の周辺化現象を経験してこなかった。
 後退の長期波動の中にあることの証拠は、第三世界でとりわけ明白だ。メキシコの大多数の国民の生活水準は、第二次世界大戦前と同じである。その他の諸国では、児童労働が、しかも半奴隷労動的な状態で増加している。
 労働組合にとって現在の景気回復は、ドイツ金属労働者を見習って「生産は拡大し、利潤は増えている――われわれの分け前をよこせ」と闘うよい機会である。現在は実際に勝利できる瞬間である。だが、現在の回復が短期的な循環のそれであり、長期波動としては、少なくとも今世紀中は後退の局面にあることを忘れてはならない。

――一九九一―九三年以降、利潤は一二%から一三%も増加している。しかし、この利潤の増加が長期循環を成長の方向に向かわせないのか。

 成長が永く持続するためには、生産投資の拡大が重要な条件である。そして資本家が生産投資を拡大するには、利潤の増加と市場の拡大という二つの前提が必要である。現在、中心的な金融センターで資本の集中が進行している。多国籍企業のいくつかは非常に強力であり、「貨幣の再民営化」とでもいうべき事態がある。そして、これらの企業に対する政府や各国政府間の協力による管理はますます困難になりつつある。世界にどれほど巨額の「自由」資本があるかをだれも知らない、という事態を考えてみるがいい。どれほどあるのか分からないものを、管理できるはずもない。
 多国籍企業は一方で膨大な金融資産を有し、他方では利潤を上げる可能性がある生産投資に関しては非常に制限され、投資の余地がほとんどない。この原因は流動性の過剰にある。商品資本の大部分は、流動あるいは半流動貨幣資本に転換される。この余剰貨幣資本が投機に流れ込んでいる。通信技術が高度に発達したため、この余剰資本は瞬時に世界を駆けめぐる。
 世界の主要証券市場で一日に動く通貨量は、一年間の世界貿易で動く通貨量に匹敵するのだ。そして、この資本の「液状化」はまた、想像もつかない割合の債務増を生み出している。
 マルクス主義者はしばしば、主体的要因の危機、つまり労働者階級が階級として考えることができず、共通の利益に従って行動できないことを熟思する。だが、現在問題なのはブルジョアジーの危機である。彼らは、どこに向かうべきか、何をなすべきかが分からない。どうすれば、自らの反労働者、反労働組合方針を実行できるのか、被搾取者、被抑圧者が反乱する可能性はどのくらいか――ブルジョアジーは、これらの問題に関して、見解が対立し、決定できないのだ。

――被搾取者、被抑圧者が反乱することはありそうか。

 彼らは現在、守勢である。だが、いくつかの防衛闘争で勝利するなら、もっと攻勢的になるだろう。反対に、失業がさらに増え、労働運動指導部が緊縮政策に屈服していくなら、抵抗力はより弱くなっていかざるを得ない。その時は、極右の攻勢の強まりという危険に直面することになる。ファシストのみならず、抑圧的な「強力国家」の質的な強化という二面からの危険である。
 第二にもちろん、社会主義への信頼の危機という問題が存在する。労働者階級は、スターリニズム、毛沢東主義、ポストスターリニズム、社会民主主義、第三世界の進歩主義を装った民族主義などの失敗を見てきた。そして現在、これら失敗した以外の左翼、地球規模で反資本主義的解決を実行に移そうと少なくとも努力しようとする勢力を知らない。
 その結果、存在する抵抗運動は、一時的であったり、孤立している。そうした運動は、容易に解消・吸収される。でも、いくつかの抵抗運動は、以前よりも強力になっている。アメリカ最高裁は、堕胎の権利をより厳しく制限する判決を下したが、百万以上もの女性が街頭に登場し、デモを行った!
 また、別の要素は「責められるべきは、腐敗し無能な連中だ」と主張する勤労人民の勢力が現在は少数ではあるが、成長しつつあることだ。連中が腐敗していることはずっと知っていたが、われわれの方がもっとうまくできることを理解するのは、新しい事態である。十分に熟達している労働者は、自分たちの主任技師や管理者に不満をもっている。学生らは、学校で何も教えられず、失業が待っているだけという事態にあって、時間を浪費していると不満をもっている。これらの要素を熟成させ、発展していくのを助けなければならない。
 ドイツ金属労働者に話を戻そう。彼らの労働組合、IGメタルは、世界で最大かつ最も資金が豊かな労働組合であるが、全組合員三百万人による三カ月のストライキ以上に、彼らが世界の勤労人民に提供できるものはない。産業において特別の位置を占めている少数の企業の中心的な労働者(おそらく六―七%)を職場から引き揚げさせ、金属産業全体の生産を止めたのであった。突如として経営者らは、ストと生産停止の代償を支払わさせられた。
 われわれは確かに守勢であるが、しかし決して無力ではないのだ。