1990年3月10日         労働者の力              第7号

90年衆議院選挙−自民党の安定多数と社会党の躍進

流動の90年代に切りこもう

 自民党による空前の金権選挙、企業選挙が展開された九〇年総選挙は、自民党の「勝利」と安定多数維持の結果に終わった。自民党は三千万票(前回比一・五%増)、四六%(三・三%減)を占めた。
 保革逆転を実現した参院選から半年を経過して、自民党は前回より十五議席を減らしたとはいえ、過半数ぎりぎりが勝負という事前の予想をはるかに越える「勝利」をかちとった。高率の投票率は、自民党に危機ばねが働いたことを意味し、「政権選択」をめぐる政治意識が底流となった選挙という特徴に重なった。すなわち、直接にリクルート、消費税、農業の三点セットで動いた政治的な大流動が参議院選挙の性格であったのに対し、一定の時間を経過した状況のもとで自民党政府体制危機をさらに進めることの是非が問われたのが今回の総選挙の性格となった。自民党が「敗北=下野」論を意識的に流したことも、そのような意識を形成するに役だったであろう。また消費税が小売業者にはきわめて「うま味」があるものだという理解が「定着」し、減反の三年間の据置などによるなりふり構わぬ農民対策などが効果をあげたこともある。

自民党と社会党の勝利

 結果として、自民党政府体制の「転覆」を未だ現実の切迫した必要性としては認識していないという意識が多数派としての表現となった。
 社会党の「復活」もまた予想どうりかそれ以上の結果であった。土井委員長を先頭にした社会党は二〇数年ぶりに百三十九の議席を獲得し、五〇%を越える「大躍進」を達成した。農村部での堅実な支持の一定の持続に加え、とりわけ大都市部での勝利は、女性候補の擁立の成功が示す女性たちの強い支持を中心として、いわゆる革新浮動票が依然として土井社会党に集中していった事実を明らかにした。自民党への回帰が進んでいると言われた中で、農村部では参院選時の半数が確保され、また三年前には絶望的なまでの落ち込みを示していた大都市部でも参院選時の勢いを持続した。
 一千万という八〇年代の社会党基礎票は、八九参院選において倍増し、二千万票が社会党に投じられたが、九〇総選挙においては社会党は一千六百万票(五三・九%増)、二四・三九%(七・二%増)を獲得した。
 自民党四六・一四%、社、公、民、共、社民連の総計四六・〇三%。得票比率では伯仲であるが、これに自民党系の多数の無所属が加わる。社会党の躍進にもかかわらず得票の総数で自民党が野党を上回った。
 公民両党の後退と陥没、共産党の激減は広範な保守支持層が自民党に集中し、革新浮動票が社会党に集中したことを意味した。表面的には五五年体制の自社二党体制――正確には一・五体制が復活したかのようであった。

全面化する政界再編

▽公明、民社△
 事前から予測された「政界再編」劇は、選挙直後から全面化し始めた。民社は委員長交代を余儀ないものとしつつ、社公民路線の解消への動きを強め、公明は中道勢力論を顕在化させ、ともに社会党に距離を置き自民党との接点を見いだす方向に動いている。
 参議院での「保革」逆転を阻止するための自民党によるあからさまな「部分連合」なり連立の誘いに応じ、自己を高く売りつけ、そこに党の立脚点を求めようとする姑息な意図が見え透いているのであるが、全国的に成立している自公民ブロックを国政レベルで成立させて構わないという、開き直りの姿勢でもある。
 民社党の今後をめぐる総括討論は、いまや対立する両極が激突に向い始めていることを示した。一方は、塚本に代表されるもので、自民党の補完物として行動し、そのおこぼれを党の立脚点にしようとする。日経連が先頭にたった企業選挙の締め付けがすざましいものであったことが民社の票田を狭めたことも、塚本の言い分を支えるものとなっている。他方は、民社解党の立場に限りなく接近する立場である。社公民路線推進という旧来の立場は、同盟解散・「連合」結成のなかで社会党右派勢力との合流というスタンスに傾斜し始めている。
 革新浮動票がほとんど土井社会党に集約される構造の成立によって、公民両党は党の存在理由・基盤に根底的な打撃を受け、路線選択においてきわめてきわどい立場に追い込まれている。この両党は、いずれにせよ自民党との取引を選択するであろうが、そのことは参院と衆院の二つの選挙を経た今日、もはや重大なことではないと言って言い過ぎではない。「勝手に好きなようにしたらいいのだ」――すでに自公民路線に断を下した労農大衆の多くは、こう回答するであろう。
▽共産党△
 共産党はどうか。この党の問題もまた土井社会党と相対的関係にある。東欧とソ連の問題が相当の打撃を与えたことは事実であろう。だが見逃せない問題は、さる都議選と参議院選において、この党が従来の「真の革新、唯一の革新」の路線を転換せざるをえなくなったという事実である。
 いわば、一種の「内ゲバ」主義的印象を与えるまでの土井社会党に対する批判、攻撃は共産党が唯一の前衛党論の立場であり、そこからくるセクト主義がどしがたいものだという印象を刻み込むに十分なものだった。スターリニズム前衛党理論の硬直がこのように顕在化していなければ、東欧問題の「逆風」も多少は変化していたであろう。だが、全体として旧所感派的感覚を主軸にした現在の宮本体制と、土井社会党に集約される現在の「革新浮動票」の性格が異質であり、両者の相対的位置関係はますます距離を拡大している。東欧・ソ連の事態がなくとも共産党は「革新浮動票」の主要な流れから「孤立」し始めていた。それが加速されたに過ぎない。次に来るのは、たんなる路線、政策のレベルでは収まらない党そのものの存在理由が正面から問われる急激な大政治分解へのステップであろう。

不安定な自民党政権

 自社一・五勢力構造の「復活」は、日本資本主義の突き当たっている構造的な矛盾が極めて根の深いものであることを意味している。
 自民党政府体制はこれ以上はできないまでの問題の先送りとごまかし、そして利益誘導によって、「政権党」としての確証を手にいれようとした。農業「開放」論を封じ込め、日米構造協議を先送りし、安保問題を引き延ばした。これらの問題が自民党政府体制の直面するアキレス腱である事実は広く知れ渡っている。
 参議院選にいたる新潟補選はとりわけ農民層の反乱であり、都議選が示したものは都市市民層の拒否であった。いわゆる「三点セット」は日本資本主義と自民党政府体制のいきづまりを端的に先取りして具体化したものであった。
 日本資本主義、産業資本・金融資本の世界的展開のもたらす矛盾にさいなまれる自民党政府体制にとって、今回の総選挙の「勝利」は次に続く困難と破局の予感をいささかも軽くするものではない。金丸が言う「国難に備える挙国一致体制」とは、こうした構造がもたらす結果を想定したものに他ならない。
 日本資本主義の直面する矛盾が自民党政府の政策の問題としてはねかえっていることとは、要約すれば産業・金融資本の対外展開のために日本農業を犠牲にし、核安保体制維持・強化に全力をあげ、低コストとダンピングを維持する政策体系のもたらす問題である。とりあえず、自民党は「三点セット」の風化を待ち、問題の先送りで総選挙をしのいだ。それだけである。「安定多数」獲得のつけはこれからまわって来る。日本の産業・金融資本の根本の利害や「自由貿易体制」防衛の政策体系が、国内的な自民党政府体制の基盤と鋭く対立しているからである。急激な下落の過程を取り始めた株価と円安の進行は、この自民党政府の「勝利」がなんら今後に向けた実質を伴っていない事実が見抜かれていることの表現に他ならない。アメリカとの「構造協議」、在日米軍経費負担増の要求など、総選挙直後から先送りしてきた問題が一挙に持ち出され、ブッシュは海部を呼び出し、政治的言質を取り付けようとする。
 自民党政府の「安定」は過去の記憶となる事態がすでに始まったのだ。 
 九〇年代の不可避的政治再編はすでに昨年、顕在化した。この流れを逆転するための客観的要素はどこにも存在してはいない。

社会党内の対立

 社会党に焦点が当てられつつある。複数擁立問題が示したものは、「連合」−政構研勢力による党の完全掌握の狙いの全面化とそれに対する反発の顕在化であった。田辺が主張する「社会民主党」への党名変更、山岸が公然と表明した山口辞任要求など、「連合」を背景にし、その力で社会・民社合流、左派排除による「政権政党への道」を切り開こうとする一連の構想は、一方では金丸の提唱する自民−社会の大連立に呼応し、他方では産業・金融資本の利害にそって農業開放などの政策を強引に「挙国一致」政治構造で推し進めようとすることに帰着するであろう。
 「連合」主力の観点からすれば、産業・金融資本の利害は同時に自らの利害と重なるものだから、彼らの「政権への道」は資本の利害に反するものであってはならないのであるが、それは土井社会党が伸長している基盤とは水と油のような関係にあり、このことは今後さらに鮮明なものとなるであろう。自民党政府体制の直面する矛盾は連合・政構研に重なるのである。農業「開放」論である連合が、同時に原発推進の立場であることは周知の事実である。八〇年代の政治構造に基礎を置いた連合の成立は誕生直後から新たな九〇年代の矛盾に突き当たった。
 山口追い落しを主要な狙いとした連合候補白石擁立という群馬三区問題が示したもの、そして兵庫一区での左派勢力の闘いが党を完全独裁支配せんとする政構研・連合への広範な反発のもとに岡崎当選をかちとった事実などが示唆するものは、社会党が政構研・連合勢力とそれに対抗する勢力が土井委員長支持勢力として登場するという両極に再編される可能性の増大である。
 現在、土井社会党は自公民路線の再現を恐れ、「現実的対応」を迫る総評センターなどの圧力にさらされている。だが、自公民路線があらゆる面で土井社会党を押し上げたモメントと対立するのであるがゆえに、「現実的対応」なるものは土井社会党の自殺の道であり、それは社会党そのものの歴史的自殺となるであろう。総評センターの真柄が何を言おうと、社会党の土井委員長のもとでの「復活」は、連合路線とは異質、対立する性格であり、しかも党内の狭い制約に拘束されない、現在の日本資本主義の構造とそれを表現する自民党体制に対するアンチ、対抗としての「オルタナティブ」=別のものへの契機を表現している。それはこの党の規約から、旧来タイプの社会主義イデオロギーの衰退、その信奉者の衰退を意味する「社会主義革命」が削除されるであろうこととは別の次元である。

社会主義の再生と全労協の任務

 自民党五〇%政党、社会党二五%政党という九〇年の構造は、今後ますます流動状況を深める政治再編の出発ラインに過ぎないであろう。
 社会党の「変容」が不可避であったのと同様、五五年体制のもとでの自民党政府体制それ自身が不可避的な変化・解体を迫られているのである。
 ドラスチックな政治再編が避けられないという認識のなかで、すでに出されている部分連合や保革大連立などにとどまらない幾通りもの政治勢力の組合せ論が登場してくるであろう。
 労農人民の主体的立場から見た九〇年代は、スターリニズム体制としての「社会主義体制」の否定と社会民主主義の世界的浮上という現時点での世界史的特徴をいや応なく出発の基礎とせざるをえないものである。 
 東欧のスターリニズム体制の崩壊は、東欧「社会主義」=コメコンと国家統制経済の崩壊とより端的な東西ドイツの(資本主義西ドイツへの吸収的傾向としての)統一に向かい始めている。こうした状況が社会主義革命を限りなく不透明な、きわめて遠のいた存在にさせている。旧来型の社会主義体制への移行という社会主義革命は問題にならないという意味においてそうである。
 だが、労働者人民にとって、進行している事態のあと一つの側面が意味するものこそ重大である。
 「社会主義国家」の現在の混乱は深刻な社会主義の危機を招来してはいるが、同時に党の独裁と資本家の支配の双方が存在しない労働者国家のための新たな時代、世界が準備されているという決定的な要素が存在しているという事実である。
 九〇年代は、旧来の社会主義概念の崩壊が新たな社会主義の再生に結び付くかどうかを問いかけるものだが、「再生」のための基盤は現在の東欧とソ連の「混乱」そのものがひきだしつつある。
 すなわち、現在始まっている東西ヨーロッパの労働者の合流は、西側の労働者にとって確実に、ベルリンの壁が象徴したどうにもならない思想的障壁の解体を意味するものとなるであろう。もはやベルリンの壁の西側に存在する資本主義西ヨーロッパの範囲での統合化に自己の視野と世界を限定する必要は一切なくなりつつあるのだ。スターリニズムの解体の進行という現実が、同時に西欧資本主義世界に基礎を置いている社会民主主義勢力の枠組みの流動を必然化させざるをえないのである。
 こうして、東西対立期に形成され、固定化した左派の構造は急速に時代に乗り越えられ、歴史的再編の過程に不可避的に投げ込まれていく。
 資本主義の全世界的な矛盾の拡大が、今後とも左派と社会主義のための豊かな土壌である以上、今日の社会民主主義の世界的浮上は、その体内に新旧双方の分岐・亀裂の要素を抱えこんだものとならざるをえない。
 日本の土井社会党としての社会党の「復活」と加速されていく内的せめぎあいもまた、こうした世界的流れ、状況を反映し、かつますます明確にその有機的一部を構成するものとなっていくに他ならない。
 われわれは、「自民党政府を倒せ。社会党を中心にした政府をつくれ。社会党、共産党に投票せよ」のスローガンのもとに総選挙を闘った。
 この立場は、総評解体に抗して社会党左派勢力との協同の作業として全労協を形成するために闘ってきた地平を基礎とし、人格的に土井委員長に象徴される社会党の新しい要素の総体との結合を意識し、かつその総体の結合に必要な求心力を労働組合運動の社会的展開=社会的労働運動の展開のなかに基礎づけようとする展望にもとづいている。
 全労協形成を具体的契機とする全国的な運動は、まだ始まったばかりである。依然として、確固とした姿をとるにはさまざまな努力を必要とする困難な形成期にある。にもかかわらず全労協は、存在し始めたという事実において、連合だけによる社会党支配の野望に抗せんとしつつも全国各地に分散を余儀なくされている左派的意識と運動の結合の場となりうる十分な可能性を、総選挙戦そのものなかで明らかにした。
 連合と全労連の双方からの組織攻撃に耐えぬく度合に応じて、全労協はその双方の内部により強化された影響力を発揮するという結果を拡大するサイクルが全国各地において確実に始まっている。
 総選挙が明らかにした事態、展望に主体的に対応していくという課題が問われる九〇年代の出発点に、全労協運動は辛うじて間に合った。
 改めて、九〇年代において不可避であろう歴史的な社会主義の再生に向かう階級の左派の政治再編に対し、この地点から具体的、実践的に踏み出さなければならない。     二月二十八日

社会的労働運動の構築を

全労協地域活動者会議に参加して                        
一、二年かけて全労協を全力で組織しよう

 二月二十三、二十四日の二日間、全労協地域活動家交流討論集会が行われた。百数十人が参加し、宮部議長の主催者挨拶を受けた後、山川さんの講演を聞き、ついで基調の提起に入り、それぞれの地方からの報告を受けた。その後、討論を行い、労研センター代表岩井さんの挨拶を受け、意見集約と考え方、取り組みの提起を行って二日間の日程を終えた。
 この討論集会に参加した二人の仲間に、集会の印象を含めて全労協の現状と課題、今後の方向性、われわれの任務について、自由に語ってもらった。

出てきた新しい芽

 昨年十二月九日に全労協が結成された。それまでは結成自体が目的になって全力をあげて頑張ってきたが、結成されたとたんやることを見失っている状況だ。第一回と第二回常任幹事会、拡大幹事会で出てきたものは非常に一般的で、例えば教育に関して「臨教申答申粉砕」というスローガンが出ているが、地域活動者会議で、教育合同の山下さんから「四月から文部省の指導要綱で『日の丸・君が代』が強制され、それと具体的に闘わなければならないときにあまりにも一般的だ。教育労働者の誰にも相手にされない」と批判された。
 また、準備会の段階で全労協の最大の課題として反原発が設定されていたが、四月に反原発の人々が大きな行動を準備しているのに、一言も触れられていない。全労連、連合には絶対にできない闘いとして、国鉄闘争と反原発運動がある。反原発運動は地域的にも大きな広がりと持続性をもち、非常に重要な課題だし、全労協に対する期待も大きいのだが。
 戦略的な課題である中小未組織の組織化についていえば、岩井章さん(労研センター代表)があいさつの中でいったように全労協には「ヒトもカネ」もない。だから、「ヒトとカネ」を集めなければならない。そのためには、これまで様々な経験をつんできた労働組合や活動家の知恵をかりる必要がある。未組織労働者の組織化のセンターをつくって、そこで具体的にどうやって組織していくのかを出して、そして春闘の中で未組織の労働者が共感できるスローガンがなにかを考えていかなければならない。こうした観点を欠いた通りいっぺんの春闘方針になっていた。

韓国労働者の闘争の衝撃

 ただ、春闘の中で地域活動家交流会を開いた意義としては、討論の中で具体的な課題や方向性が出てきたことがあげられる。
 例えば、国鉄闘争についてで、これについては別に触れる。もう一つは、韓国スミダとアジアスワニーだ。バリケードの向こうには資本、権力、連合がいて、こちら側に市民運動、日韓連帯勢力、全労協がいる構造になっている。こういう闘争を全労協がはっきりと位置づけて闘うべきだという具体的な意見が出た。この例のように未組織の組織化に向けた具体的なプランが出始めた。
 今度の交流会の前に初めて組織部会が行われた。未組織の組織化、地域合同労組づくり、ユニオンづくり、同時にそれが全労協にすぐに加盟できない官公労の活動家を地域でどう活かしていくか、まだあやふやな労働組合に対するオルグ、反原発、女性の運動、在日外国人労働者との関係などが討論された。
 結論的にいえば、全労協は、つくったものの、二カ月たってみて、まだ新しい運動の柱をたてきれていない。地域交流会の中で出てきた教育問題、地域の運動と組織のつくり方、未組織の組織化、反原発、春闘、韓国労働者との連帯を具体的な闘いにしていかなければならない。
 結成以後、国際部の必要性について時期尚早という意見が多かったが、現実の運動はずっと先をいっている。アジアスワニーの労働者が関西と四国の香川をいったりきたりしながら闘っている。それにかかわっている関西の労働者は、いつもは時間がないといっているのが、かなり無理をして四国までいって支援の闘争をやっている。団結頑張ろうの腕の振り方も韓国風になり、飲み会の後は韓国全労協の歌の大合唱になるという。
 韓国からくる労働者は、日本にくることや韓国に帰ったときに予測される弾圧から決死の覚悟になっている。また、もともと韓国の権力や資本との闘いは厳しい。それで彼らの闘いには妥協の余地がない。そうした韓国の労働者の闘いを支えられる全労協でなくてはならない。
 地域交流会で、これまでの運動の体質を根本からつくりかえていく方向性の議論が始まった。だから、地域からの報告を含めた二日間の交流会で出てきた内容が、今後の全労協の柱になっていくだろう。問題は、その内容を受けとめて全国指導部としてそれに応えられる方針、資料を出していけるかどうかだ。そこでの方針、政策立案能力が問われる。

旧総評運動体質の残存

 印象がまったくない。一言でいえば、古き総評運動の方針、民同レベルの考えたかのまま。すべての問題がが公労協なり公務員労働者の運動形態を軸にした考え方だった。現在の日本の労働者がどんな状況におかれ、何を考え何を要求しているのか、この点をまったく考えていない。極端にいえば、家や土地を買えないから車を買うという労働者の生活実態がある。これを批判できない運動ではだめだ。全労協は、中流プロレタリアートの共闘組織であってはならない。
 発言を聞いていて、まったく新しいと思ったのは一つだけ。国労大分地本の発言。ここは、二十七人中国鉄職員が八人、残りが清算事業団。その清算事業団からの発言だが、清算事業団が始まってからそこから五千人が就職して国労を脱退したが、彼らに対して国労の方が何も対処してないということだった。彼らが現在、どんな状況にあるのか考えれば、満足していないのは明らかだ。やめさておいて、その人たちと組めない国労闘争とは何なのか、ということだった。まさに、ここが問題だと思う。やめていった国労組合員が国労闘争支援に参加できないということは何なのか、という問いかえしだ。
A 民間では例えば、五十人の争議団の場合、自力では食えないから組合員籍を残したままバイトをしたり長期になれば就職して闘いつづけ、組合の大会に出る。国労に残って清算事業団で闘いつづける人だけが清算事業団闘争のにない手で、泣く泣く清算事業団を離れていった人が国労の籍からはなれていった。将来再びJRを国有化して国鉄に戻ってくる、そのために国労にとどまりつづける。その間、いった先に組合があればその組合にも入り、活動するが、国労の本籍は維持する――こうした闘いをやれてこなかった。分割・民営化阻止闘争から2・16の振り分け、3・16の採用を含めて一貫してどう闘ってきたかが問われている。
 分割・民営化で被害をうけたのは清算事業団や国鉄の労働者だけだったのか。違うんだ。線路をはずされ、駅舎を廃止された地域はそこの全体が大きな被害をうけた。そことどう連帯していくのか、この視点なくしては国労支援闘争はありえない。この視点がないと、企業内国労闘争になってしまう。町毎、村毎破壊された人々のためにいかに闘ったのか、これの批判的総括がなければ、今後の国労闘争は社会的闘争には絶対になっていかない。
 全労協は社会的闘争をめざしている。今の全労協の闘争は、ますます国労支援闘争になっていく。ここに矛盾がある。地域で運動をやっている人々や反原発の戦線は、連合、全労連はだめ、唯一頼りになりうる労働戦線は全労協だと思っているが、期待をかけられている全労協がますます企業内闘争を軸にした全国闘争を考えるようになっていく。これでは昔の総評運動とまったく変わらない。
 全労協がめざす地域共闘は、連合や全労連と質的にも違うものでなくてはならず、今の国鉄闘争のままでは無理だと思う。これは、実態として国労支援であり、社会的闘争にしていくためには、つまり本当の国鉄闘争をやっていくには、安全対策、要因補充などの闘いをやっていかなければならない。
 全労協が今つくらなければならない国鉄闘争は、千人の解雇が出たとき、それを社会問題にできるようにすることだ。今のままではそうはならない。全労協はもちろん、頑張っているが、そうした状況をつくる方向にない。
 全労協は国労を中心にしてつくられたから、いま言われたようなことを主張しにくい面がある。また、社会的闘争として下からの運動をつくれてこなかったという側面もある。

国鉄闘争をどう考えるか

 分割・民営化阻止闘争の最終局面で「敗北」と総括したところは、分割・民営化で処分されたもの、例えば破壊される地域などをすべて忘れた。その次として国労支援になった。分割・民営化の闘いが終わったとき、国鉄闘争の第一ラウンドが終わったにすぎず、これから第二ラウンドが始まる。つまり、行政改革によって弾圧された人々と不況によって生み出された失業者たちと、国鉄労働者が共闘して戦を構えるべきだ、それがわれわれの新しいナショナルセンターの作り方だといった。これについてみんなは納得したが、分割・民営化阻止が戦略だったため、実際には国鉄労働者を含めて「敗北」といった。だが権力にとって事態は、まったく違っていた。権力にとって分割・民営化は新しい労働戦線再編のためのあくまでも戦術の一つだった。だからこそわれわれは、連合と対決する組織をつくらなければと頑張った。この点を見失った分割・民営化阻止闘争は、切り捨てられる多くの地域住民などのことを忘れてしまった。彼らは、国鉄の労働者一千人が首を切られたとしても、「それはひどすぎる」とはいわないだろう。
 われわれにとって、そういう意味で全労協をつくるということは「国鉄闘争を敗北させない」ことだった。第一ラウンドは、分割・民営化をして連合をつくったのだから向こうがポイントをあげたが、国労を中心に全労協をつくったのだから、第二ラウンドは五分五分だ。四月以降第三ラウンドが始まる。
活動家A その点でいえば、交流会の発言の中で四国の国労でアジアスワニー支援を必死になってやっている人が地域共闘論、職場闘争論、組合組織論の全体の見直し、点検をいっていた。つまりアジアスワニー支援の闘い、一種の社会的労働運動をやってみて、従来の運動の全面的な転換の必要をいったのだと思うが、「第三ラウンド」の始まりを感じた。

地域全労協をいかに組織するか

 もう一つは、全労協の地域組織に新しさを感じた。交流会にメリハリがなかったのではっきりしなかったが、地域組織に三つのパターンがある。
 第一は兵庫の県共闘。ここは社会党の分裂問題まで含んでおり、そこまでいかないと本物の労働運動の分解ができるはずがないとまでいった。教組はこの点で踏み込めていない。兵庫の県共闘は三万五千くらいの組織で、実質的にはミニ県評になっている。こういうのをつくっていくのが全労協の本来の目的だった。同時に社会労働運動センターをつくって活動家集団を組織して機関誌を出している。これが一つの典型例だ。大阪がこれに似ている。
 第二は徳島。まわりに様々な運動や組織がなく、また社会党の分解もないところ。だからたとえ少数であってもやっていくより他にない。しかし運動の中身を大きく問題にする。何%の賃上げということでなく、地球環境委員会、未組織の組織化委員会を全労協の中につくった。ここには少数でしか組織をつくれないところは最初から中身を明確にしていく目的意識性がある。
 第三は東京、京都、静岡など。共産党系、全労連が主導権を握っているが、県評が残ったところ。問題はどこでも全労協ができていないことだ。東京も準備会でとまっている。ここでの全労協の作り方が問われている。
 こうした三つのパターンにそって各地区の状況にあった組織方針を出していかなければならない。そして、そこの全体を貫く未組織の組織化、そのための官公労の活動家を含めた地域ユニオンづくりが必要だ。先行できるところから組織づくりを始めていくべきだ。ここ一、二年が組織化の正念場だ。

全労連との関係

 全労連との関係についていうと、三月六日に全労連東京の結成を彼らは予定していた。本来は昨年中につくるつもりだったが、十二月に東京地評が再建されるということを理由に延びていた。ところがごく最近になって全労連東京の結成が無期延期された。その理由は、今のままでは統一労組懇そのものが全労連東京になるだけで、それでは困るという声が出てきたためだ。
 この状況がどのように都職労にはねかえるか。十月会議系では、最悪の場合として、それぞれに戦術上の違いは当然あるが、分裂を覚悟しておくということで意思統一ができたようだ。その覚悟の上で都職労を分裂させずに都労連として全労協の中軸を担いながら、とりわけ都職労に関していえば、東京地評の中軸を担うということで共産党とどれだけ意思統一ができるのかが問題になっている。
 共産党系にとって都職労自体には問題はあまりないが、ところが自治体連絡協や全労連本部にとっては話が違ってくる。全労連百四十万構想の中で自治体連絡協を三十万と数えているから、都職労が抜けたままではとても三十万にならない。もう一つは、昨年の代議員のままでやる臨時大会ということになっており、そこでは勝てると全労連は読んでいるが、臨時大会で決めずに次の定期大会でということになれば代議員を全部決め直すことになる。そうすると都職を分裂させるのかどうかという組織問題になるので勝てるかどうか分からない。それを見越して、今度の臨時大会で彼らが強行する可能性がある。
 全労連がもう一つ必死にやっていることは、教組の分裂だ。県教組や高教組の動きはそれぞれはっきりしているが、全労連にとって問題になっているのは、私教連と大学職組だ。私教組は全教と日教組に二重加盟している。私教組には対教育委員会交渉というものがないから、教組の分裂問題が本格化したら、独立した方が組合として有利になる面が出てくる。ここでの組織化に全労連が必死になっている。今春に日教組と全教のそれぞれの教研集会が行われるが、全労協系としてどんな立場をとるかが問われる。中間的な教育労働者はたぶん、日教組の教研集会にいかざるを得ない。それを見た上での全労連の日教組分裂が一挙に加速すると思う。私教連や大学職組が半分になってもやむを得ずと。私教連や大学職組は反連合だから、連合や日教組にはいかない。そうすると上部組織のない学校単位の独立組織になってしまう。これを全労協が組織していかなければならない。
 これからあらゆる戦線で連合、全労連、全労協の戦が始まっていく。「日の丸・君が代」問題にしても、日教組内部にいるうちは、左派と共産党系が統一戦線を組んで左の方にひっぱていたが、これからはそうはいかない。
 日教組の今度の教研集会では、「日の丸・君が代」問題はまともに取り上げられないのでは。大阪の教育合同労組をめぐる状況がかなり一般化してくると思う。前にいわれた私教連について、単位組合で分裂しないところでは全体を全労協に結集させることが可能だから、個別の闘いをやりつつ、そうしていく方針が必要になっている。
 全労連は、教組でこのように動いていて、自治労のあちこちで分裂の動きがある。自治労に関していえば、自治労本部派は名古屋でやれたようには京都では彼らの思う通りにいっていない。
 全労連内部にかなりの対立があるといわれているが、彼らが今後どうなっていくかは、共産党のこれからの動向、分解にかかっているだろう。

未組織の組織と地域共闘

 日教組分裂の問題でいうと、全国で教育労働者が百五十万くらいいるといわれているのに、その半分も組織できていないという問題が根本にある。現在の全労協、全労連、連合の対立は、およそ半分の教育労働者内部のものであって、本当の多数派は残りの労働者を組織したところがなる。
 「連合たかだか八〇〇万、パート八〇〇万」という言葉と同じ状況だ。
 組織された教育労働者の中での対立で労働組合としての機能、例えば対教育長交渉能力が問題にされるが、そうではなく教育労働者が直接かかえている問題、例えば文部省の教育要綱に反対、抵抗できないという現状、抵抗すれば周囲からすごい重圧がかかるという現状があり、ここでは労働組合が抵抗しようとする労働者にとっての防波堤にならない状況がある。全労協がこの点で、闘える質をもった団結、防波堤になりうる労働組合を形成していく方針を打ち出して、組合の中にいる全労協の労働者が未組織の教育労働者を組織していく。ここに全労協が本当の多数派になっていく展望を求めるべきだ。
 自治体の中での同じような闘いや中小民間の未組織労働者を組織していく闘いも、本質的にまったく同じだ。組織する側が労働者がいまかかえている問題、課題は何かということを知らないと組織できない。教組が歴史的にばらけてきたのは、教育労働者がかかえていた問題を知らなかったからだし、自治労がすっきりと連合にいけないのは、地域住民の運動があるところの組合が連合ではその運動に逆行すると判断しているからだ。
 そうした地域の運動を全労協の側から提起し、地域運動を糾合し、その運動に結集している未組織の労働者を組織していくこと――この運動が全労協と全労連、連合の対立点になっていく。方針上の対立が鮮明になればなるほど、「日の丸・君が代」、反原発などの個別課題の共闘がナショナルセンターの展望に深く関係していく。今のままでは運動上の対立構造になっていないから、全労協の側からナショナルセンターの問題を鮮明に提起できない。そうした運動が例えば四月から始まる。これが「第三ラウンド」だと思う。
 未組織の組織化運動は、官公労の側からみると、パートとか中小民間のことになり、自分たちの職場にいる労働者を未組織だと思わない。組合費を払っているだけの組合員も未組織なのだが、そうは考えていない。まして組合に入っていない労働者がたくさんいる。彼らを確実に組織していく、つまり職場の中の未組織を組織していくことが地域の未組織を組織していくことと同じものとなっていかなければならない。この職場の組織化とそのための方針が鍵だと思う。
 自治体、全逓でも同じで、反核・反原発、反基地をやっている。全労協の地域組織ができるのに二、三年かかると思うが、県評センター問題が大きい。そこで一定の運動がやれるという状況がある。だが、この県評センター自体が二年間でなくなる。この時間の要素もある。

新しい質の運動を

 この二年間で手弁当ではない労働運動が崩壊することを自覚させなければならないと思う。今の全労協のように全部自分持ちという運動が主流になってくる。国鉄闘争も同じだ。ストライキをやって犠救をもらう時代はほぼ二年間で終わる。県評センターが残っている間だけしか、旧来の運動形態はつづかない。
 民間の、特に中小ではストの賃金カットの補填なしは当り前になっている。七月に全労協の第二回大会が行われるが、それまでに一九九〇年代を見据えた、中小民間の未組織の組織化を含めた社会的労働運動の戦略的課題とその方針をどれほど出せるのか、それに向けた具体的な出発をつくれるかどうか、これが鍵だと思う。地域活動家交流討論集会で、こうした問題が出始めたが、本当は予め、このような方針を出して、それについて具体的に検討していくことが必要だったと思う。その意味では、闘いの具体的課題が地域から突きつけられた段階といえる。
 全労協は一応できたのだから、これを本物にしていく鍵は地方、地域の全労協だ。
 全労協をつくると決まったときからの感じでいうと、降り積もった雪の上を歩くように最初に歩いたものが全労協になるということだった。下からつくりあげていったものが全労協になる。

90年代連合の矛盾をみすえて

 もう一つの大きな状況は連合内の矛盾だ。八〇年代の連合を結成するまでは連合への追風があったが、結成した時点ですでに追風がなくなっていた。連合の90春闘もそうだけど、自民党の危機の中で企業ぐるみ選挙によって民社党の票を奪ってしまった。自民党にはもはや民社や連合を使って労戦や政党再編をしていく余裕がない。
 電力労連では必死になって原発擁護の運動をやってきたが、しかし資本の側は今回の選挙で完全に自民党についた。連合の方に危機が生まれつつある。このことは、旧総評系の連合にとっても矛盾になる。国家権力や資本と連合の関係という面からも、90年代の連合の内部矛盾をきちんとみていく必要がある。
 特に韓国スミダやアジアスワニーのような闘いが今後、拡大、増大してくるし、発展させていかなければならない。そうした闘いの対象になる資本には連合がある。墨田電気に東京一般があるが、その分会は韓国からきた労働者は「労組ではなく、反日感情をあおりにきた」とか「ハンストの裏でたらふく食っている」とかいって企業防衛の立場にたった。
 こうした闘いは、日本にとって初めてであり、国境を越えて闘いがやってきて、しかも日本に日韓連帯運動や市民、全労協といった、その闘いに呼応する運動があった。そして日本の労働者が、これまでごまかされていた状態から、韓国労働者の怒りにつき動かされて、ごまかしをすかしてみることができるようになっていく。前にいったように具体的な交流を通じて労働者の間で確実に変化が起きている。
 政治と労働組合がますます連動していく状況になっている。この中で連合の矛盾を予測して介入の方法をはっきりさせていかなければならない。
B 全労協をどう変えていくのか、この点で決定的に重要なのは、どういう政治勢力をつくっていくのかという視点だ。全労協に結集している左派は、共産党を見習う必要がある。集会も一つの闘争なのだという点を。何か問題が起きたら支援を要請したり、支援するという体質を越えなければならない。全労連や連合にも集会を呼びかけ、その結果を全体化していく必要がある。
 三月から一斉に攻勢に出て、堂々とやっていく。全労協がどんな存在で何をやっているのかを、はっきりと大衆に示していかなければならない。

寄稿 出獄のあいさつ――前田道彦
圧力釜社会で生活して
3・25三里塚現地で会いましょう

和多田さんへの支援よろしく

 出獄してから二カ月半ほどたとうとしています。出獄した十二月十六日からしばらくの間、身の回りの変化の激しさをモロに肌身に感じ、地に足がつかない日々を過ごしましたが、二月に入り、故原君の墓参りも終わり、やっと少しだけ落ちついています。
 長い間の御支援、本当にありがとうございました。また、「和多田・前田カンパ」うれしかったです。確かに受け取りました。しかし、まだ獄中には和多田さんが残っています。今年八月三日出獄しますが、あと半年の間、どうか彼への支援をお願いします。
 ところで、獄中報告かたがた、刑務所という国家機関がどのように機能しているのか、そのさわりだけでも紙面を借りて述べさせていただきたいと思います。国家の「暴力装置」には、それなりのメカニズムと論理があり、それが、実に現代社会の縮図として私たちにいろいろと考えさせるものをもっているからです。
 刑務所のチョーバツでいちばん多いのは、ケンカです。多いときには、月に十数件のケンカが発生します。もちろんチョーエキ同士のケンカです。私が服役していた横浜刑務所で、最もケンカが多くなったのは、八六年から八七年にかけてでした。この時、とりわけ刑務所内の警察権を握る保安課長が変わり、渡辺某なる男がその任についたのでした。彼は、所内の規則を一新し、締めに締めたのです。作業時間中、チョーエキ同士の交談は禁じられています。しかし、作業上の話は仕方ありませんので許します。ところが渡辺保安課長は、これを挙手合図による許可制にし、その後、交談中は脱帽とし、また、その後、作業交談の時間も二分以内というお触れを出し、最後には、交談許可をうける場合、交談するものたちはお互いに無言のままで合図を送れということになりました。つまり、規則は次の規則を生み出し、最後には、その規則が本来、守ろうとしていた行為をさまたげ、それと敵対するようにすらなっていくのです。作業交談を保障するためにとられた規則がそれと敵対するわけです。こういう形で、チョーエキの暮らしが締め付けられていきます。

社会の縮図=刑務所

 こうした状態になると、チョーエキの心理にただならぬ波が騒ぎ始めます。口の聞き方が気にくわなかった、自分を無視した、笑った、滑ってころんだ……ちょっとしたことがきっかけになりケンカになります。これは、ちょうど圧力釜の中に似ています。ものすごい圧力がかかる釜の中では分子同士のぶつかりが激しくなり、外に出ようと力をつくします。しかし、少しでも針の穴でも出口があけば、そこに力がかかり、釜は爆発です。したがって、鉄の上に鉄をかぶせ、すべての穴を塞ぎきらねばならないのです。刑務所で規則を厳しくすればするほど、その分チョーエキの不満は大きくなります。したがって、この不満の爆発的発展を抑えるために、より以上に厳しい規律が必要となるのです。これはチョーエキ同士の横へのぶつかり合いを生み出します。そして、これがケンカ多発の原因です。刑務所の中の「いじめ」も、この力の結果です。現代社会の、とりわけ企業組織もこの論理とメカニズムが貫いているのではないでしょうか。刑務所が経済外的強制によって圧力釜社会が成立しているとするなら、企業組織は経済的強制力でもって、この構造が形づくられているような気がします。圧力釜社会の圧縮された空気が突破口を見つけられなければ、それに比例して横へのぶつかり合いが増えていくことになるでしょう。
 しかし、そんな神経がすり減りそうな圧力釜の中にいて、どうしてこれに反乱が生じないのか、不思議だと思う方もあろうかと思います。確かに、チョーエキは看守に対して外で考えている以上に不満とうらみを抱えています。しかし、看守に暴力的に立ち向かったり、当局と渡り合うような事件はまれです。何がチョーエキをそうさせているのかといえば、「累進処遇制度」というやつが、そうさせているといってよいでしょう。

残酷な累進処遇制

 累進処遇というのは、受刑者の生活態度に応じて処遇を変えていくといういやらしい法規です。たいていはチョーバツがなければ、刑の半分で二級に進めます。二級は、手紙を週一回出せ、面会も週一回、テレビ視聴時間が増え、集会という映画とお菓子の集いにも参加できるようになります。ところが、チョーバツになれば、これが一からやり直しになるのです。集会やテレビはあきらめもつきやすいのですが、獄の外との交通が遮断されることは、決定的に心へのダメージとなります。これを避けたいと思うのは人情でしょう。また、とりわけ「かたぎ」の人たちにとっては仮釈放のための審査資料という、いってみれば大学進学のための内申書みたいなものを握られていますので、なおさらです。また、処遇級が違っていれば利害もおのずと違ってくるので、団結の仕方もむずかしくなってきます。こうして圧力釜社会は守られています。しかし、こんな社会で生活させられた人間が、社会生活(シャバの生活)に向けて自分をならし、適応していけるはずはないのです。チョーエキたちは、圧力釜社会から逃れてシャバの暮らしに希望を燃やしますが、シャバには、また別の形の圧力釜社会が待ちかまえているのです。刑務所という圧力釜社会の中で、それから逃れる術しか学ばなかったチョーエキは、こうして再びシャバの圧力釜社会に適応しえなくなります。これが再犯の構造です。
 刑務所的圧力釜社会の中で苦しんでいるのは、チョーエキだけではありません。看守たちも被害者です。

悲惨な看守の生活

 看守たちの生活は思う以上に悲惨なものです。朝六時四〇分の点検に始まり、夕方五時三〇分の「閉房点検」までが正規の勤務です。これに加えて、ほとんどの看守には三日に一回夜勤が待っているのです。隔週休二日制になって夜勤は増えています。これらの勤務をこなして初めてそれほど多くはないが、少しだけ割のいい給料を手に入れることができるのです。こうしたハードな労働をこなすためには、極端な職住接近が必要です。彼らのほとんどが、刑務所隣接の官舎に住み、四六時中上司に彼らの家族まで含めてにらまれているのです。看守である限り、これは一生つづきます。結局彼らは「檻」と「檻」を行き来して給料をもらっているわけです。
 看守たちは、刑務所内で必要以上に上司にていねいに対応します。工場に上司が入ってくればドアをあけてやり、出ていくときもそうする、ドアボーイも逃げるようなサービスをしたり、上司が工場内に入ってきたときには、作業上でも歩いている者を止めて作業場の方を向かせて通りすぎるのを待つとか。こうした上司へのサービスは、上下関係をはっきりさせるためになされるものであり、チョーエキが看守にへつらうのは、看守たちの上下関係ですらこれほどのものだから当然だということを示すためになされるのです。
 人権のない人たちに人権を要求しても、それがどんなものかわからないのですから、馬の耳に念仏です。もし、私たちが看守に人権を求めるならば、彼らに人権を与えると叫ぶことが同時でなければならい気がします。彼らに労働三権をかちとることは、刑務所的圧力釜社会と闘うために不可欠な要素だと思います。
 刑務所生活について書き出すときりがありません。しかし「暴力装置」とはいっても内部に働いている論理は、シャバの社会とあまり変わらないし、それだからこそ、現代社会の矛盾をかい間みせられたような気がします。もっともっと面白いことがありますが、それはいつかまた、お話させていただこうと思います。
 これからゆっくりですが、私も戦線に復帰させていただくつもりです。ともに頑張りましょう。
 三月二十五日、三里塚現地で会いましょう。
 一九九〇・二・二七       前田道彦

国鉄清算事業団労働者の大量首切りを許すな
 国労三月闘争を全力で支えよう

 国労が、二月二十六日から二十八日にかけて計画していた三日間のストライキを延期したことは、清算事業団職員の雇用対策期限切れをわずか一カ月後にひかえ、いまだに国労内部に闘いに対するためらいが存在していることを明らかにした。政府・JR側がなんら実質的な譲歩の姿勢を見せていない中でのストライキの延期に対しては、中央共闘会議や弁護団の中からも強い不満の声が上がっているが、何よりも、首切りを一カ月後にひかえる中で、闘い続ける決意を固めている清算事業団組合員からの激しい怒りの声が国労本部に集中している。また、二月二十三日から二十四日にかけて行われた全労協地域活動家交流討論集会でも、今回の国労のストライキ延期にたいする質問が相次いだように、国労の闘いを支援してきた全国の労働組合・活動家の間にも、落胆と怒りの声が広がっている。こうした状況の中で、三月末までの闘いが非常に重要になっている。三月二十九日から三十日にかけての国労のストライキと、それを支援する連帯ストライキにむけて、体勢をたてなおして、闘いを押し上げていくことが求められている。

 清算事業団闘争の位置

 八七年四月、分割・民営化の時点で、JRへの採用を拒否された七、四〇〇人の労働者のうち、現時点でも約二、〇〇〇人の労働者とその家族が、「地元JRへの採用」を要求して踏みとどまっている。将来への切実な不安を抱えながら、なお闘い続けている彼らこそが、三年間のうちに「転職」を完了させ、国家的な不当労働行為をうやむやのうちにもみ消してしまおうとした自民党政府・JRのもくろみを打ち破ったのである。
 一生をかけて闘い続けようとする清算事業団労働者にどう応えていくのかということが、これからの労働運動の質を鋭く問うている。
 国鉄分割・民営化の攻撃は、直接的には八二年の第二臨調答申から始まったが、その本質は六九年の第一次再建案策定以来の、国鉄労働運動にたいする攻撃の総決算でもあった。それは、民間では七〇年代はじめに基本的に完了した、労働組合の労資一体化の攻撃を公共部門でも貫徹しようとする、自民党政府と独占資本による八〇年代戦略の柱とも言えるものであった。
 この攻撃は基本的に貫徹され、国労は脱退・分裂・退職などで最盛時の二十四万人から四万人まで減少し、国鉄労働運動の主流は最悪の右翼的潮流が占めるにいたった。しかし、その過程で、現場労働者の踏ん張りが修善寺大会の勝利を実現し、分割・民営化と同時に職場から労働運動を一掃し、連合路線にもとづく一企業一組合の労資協調体制を実現しようとした、政府と独占資本の計画を大きく破綻させたのである。清算事業団への選別はその報復以外の何物でもなかった。だからこそ、清算事業団労働者の「解雇撤回! 元の職場に戻せ!」という悲痛な叫びにどう応え、どう闘うかという問題が、単なる戦術問題にとどまらず、自民党政府・独占の九〇年代戦略にどう立ち向かうのか、連合路線に合流した社会党・総評主流派との関係をどうするのかといった、国鉄労働運動の戦略問題と結びついて議論されてきたのである。

 二つの立場

 清算事業団闘争をめぐってはこの間、国労内部で二つの立場が表明されてきた。
 一つは、清算事業団への選別・排除の本質が、国家による不当な首切り、不当労働行為であることを踏まえて、国家による不当首切り撤回闘争として闘おうという立場であり、この立場は、各地の労働委員会で国労側の主張が全面的に受入れられるとともに力を増してきた。これに対してもう一方の立場は、たとえ本質はそうだとしても、現実的な闘いとして、国鉄改革法二三条による選別・解雇という事態を事実上受け入れた上で、法律にそって雇用確保の責任を政府に取らせようという立場である。こうした現実主義的な方針と、原則的な方針との間で、国労はこの間揺れ続けてきたといえる。
 それは、例えば、定員割れを起こしている本州JR各社への「広域採用」への対応や、九〇年四月一日を越えることも辞さずに闘う「長期闘争」方針か、それとも「短期決着」方針か、また、あくまで中労委の場による決着か、社会党・「総評」ブロックとの関係改善による対政府交渉の重視かなど、昨年の二回の全国大会やいくつかの機関会議の中で議論が闘わされてきたのである。
 基本的には、全国大会と機関会議の中では、「労働委員会命令の履行! 地元JRへの採用!」を要求し、長期闘争も辞さずに闘うという原則的な闘いの立場が確認され、それにもとづいて、昨年十一月二十二二日の全国集会から十一月三十日の第一波ストライキ、そして今年一月十八日の第二波ストライキが闘われてきたのだが、今回のストライキの延期は、本部中闘段階の腹がいまだ完全に固まっていないことを明らかにしたと言える。

 三池闘争の限界への挑戦

 国鉄労働者は、八二年の第二臨調答申からかぞえても、すでに八年間にわたって自民党政府・独占資本と対決し、闘い続けている。階級闘争の旗を掲げる労働組合を日本から一掃しようとする、自民党政府・独占資本の長期戦略に対決して、四万人弱の組織を維持しているのである。このことは、多くの民間企業では「階級闘争派」がその痕跡さえ解体され、また、闘う部分が主体を維持したところでも圧倒的な少数分裂組合や少数反対派としての闘いを余儀なくされていることとくらべると、非常に大きな成果だと言える。そして自治労、日教組、全逓といった、旧官公労の「階級闘争派」の拠点組合が、指導部自ら転向して自民党政府・独占資本の戦略に身をすり寄せ、連合に合流したこととくらべれば、まがりなりにも「階級闘争派」の指導部を維持したことは、戦後以降の国鉄労働者の営々とした闘いの成果である。
 この間の沖電気や池貝鉄工などのレッド・パージとの闘いが、すべて変質した組合指導部によって切り捨てられ、敵対さえされる中で闘わざるを得なかったこととくらべれば、国労が昨年の二回の全国大会で「清算事業団闘争に組織の全力を上げる」ことを決定したことの意義は明らかだろう。
 しかし、こうして「闘う指導部」を守った国鉄労働運動は、分割・民営化以降、立ち向かっている敵の正体をしっかりと見据え、闘いの戦略をはっきりさるまでにはいたっていない。そこがはっきりしていないことが、この間の国労の動揺を生んでいるのである。
 昨年、清算事業団闘争の方針をめぐって、全国大会や機関会議の中で、清算事業団所属組合員から「藤林斡旋案の危険性」という問題がたびたび提起された。それは、社会党・旧総評勢力と政府との政労交渉に望みをかける傾向に対して、首切りにさらされている組合員から遊離した政治決着は認めないという意志表示であったが、このことは客観的には、国鉄労働運動が「三池闘争の限界を越える」ことを要求するものであった。
 いうまでもなく、中労委への「白紙委任」と、その結果としての「藤林斡旋案」によって一、五〇〇人の指名解雇を承認して敗北した三池闘争は、その後も企業内に無視できない第一組合の勢力を維持した。しかし、藤林斡旋案の受諾によって指名解雇された仲間と切り離され、「企業内左派組合」として生き残った三池労組は、社会主義協会分裂以降の労組内部の派閥抗争の激化とあいまって、それ以降、日本の労働運動・社会運動に対する積極的な役割をほとんど果たすことなく現在にいたった。資本は、闘いぬき、生残った第一組合をも「資本の内部に包摂」し、労資関係の安定を確保してきたのである。このことは、大民間での解雇撤回闘争が次々と「勝利・和解」を勝ちとった八〇年代について、職場に戻って以降、何ができたかという問題ともつながっている。「藤林斡旋案」を越えるということは、そういった問題を含んでいると思われる。
 また、清算事業団闘争の中で、「全国単一組合としての本部の指導性」ということがたびたび問題にされた。とりわけ、多くの組合員が新会社に採用された本州の国労組織では、JR各社から各エリア本部に対して「清算事業団問題の政治決着、全労協の凍結」を条件に、企業ごとの労資協調体制に取り込もうという攻撃がかけられ、各エリア本部が動揺するという事態が続いた。北海道、九州を中心とする清算事業団組合員から、清算事業団闘争に熱心でない本州の各級機関を指導せよという要求が、本部にたびたび強力に投げかけられたのである。この問題もまた、分割・民営化を越えて「全国単一組合」として生き残った国労が、いったいいかなる闘いを、どこにむけて展開していかねばならないのかという戦略問題と固く結びついて提起されているのである。

 企業社会を解体する新たな理念と運動を

 こうして、清算事業団闘争の中で提起されている問題は、分割・民営化以降の国鉄労働運動がたちむかっている敵が、実は労働組合勢力をもその内部に取り込んだ、労資一体の「企業社会」そのものであることを示していると思われる。労資一体の「企業社会」から排除された国鉄労働運動と清算事業団労働者は、「企業社会」を解体していく戦略を獲得しないかぎり、本当の勝利を勝ちとることができないだろう。そして、その戦略は、出来上がったものとしては、どの勢力からも定式化されて提起されてはいない。
 分割・民営化攻撃の中で、「階級闘争派」としての国鉄労働運動を防衛したのは、基本的には「職場闘争を基礎にした長期抵抗路線」であり、実態は「仲間を裏切るのはいやだ、競争はしない」という、国鉄労働運動が長年にわたって培ってきた素朴な「階級的自覚」であった。しかし、こうしたものの力だけでは、分割・民営化以降の国鉄労働運動は、多数派形成にむけて本格的な反転攻勢に転ずることなく、早晩、「企業内左派組合」として、JR各企業ごとの企業社会内部に包摂されてしまうであろう。
 清算事業団闘争は、その最先端で、札幌地本での「こくろうブランド商品の開発」、釧路地本での「地域的な事業の開拓」といった、「生き、かつ、闘い続けるための生産共同組合」の問題意識を作り出し、また、争議団としての地域共闘を作り出す粘り強い取り組みをすでに生み出している。長期闘争を覚悟した労働者とその家族がいるかぎり、闘いは否応なしに企業の壁を越えざるを得ない。
 こうした清算事業団労働者の闘いを、JRに採用された本務労働者も含めて、すべての国鉄労働者の闘いの根底に据えること、意識的に企業の壁を越えた労働者の連帯と共同闘争をつくりだすことが問われている。そして、このことを通して、労資一体の企業社会の外側に労働者・民衆のよって立つべき理念と運動をつくりだすことが求められているのではないだろうか。これに成功したとき、清算事業団闘争の完全勝利と、九〇年代の新たな国鉄労働運動の可能性が切り開かれるのではないだろうか。
 清算事業団労働者はすでに、国労の長期闘争方針にもとづき、四月以降の全国的なアルバイト・物販体制などの検討に入っているが、当面三月末までの闘いがそれ以降の帰趨を決定する重大な山場となっている。一月二十一日に行われた中労委の総会では、労働側委員の提起によって清算事業団問題で激論が交わされたが決着せず、次回、三月七日の中労委総会が焦点になっている。また、解雇通告がなされるであろう三月下旬の二十九−三十日に国労の全国ストライキが、また、三十日には全労協系各組合の連帯ストと、中央一万人集会が準備されている。清算事業団労働者とともに、三月闘争に総力をあげることは、すべての闘う労働組合と労働者の責務である。
 早川 謡児

当面の闘争日程

三月十六日 九〇春闘勝利! 国鉄闘争勝利!全労協総決起集会(全労協主催)
午後六時 東京日比谷野音
二十六日−二十八日 運輸省、労働省、JR本社要請行動 
 ハンスト・座り込み
(国労本部・東日本本部・東京地本)
六日〜二八日 各JR会社および会長出身会社要請行動 
 ハンスト・座り込み
(国労各エリア本部・各地本)
九日〜三〇日 国労全国ストライキ
O〇日 支援共闘連帯ストライキ
O〇日 一万人集会
日比谷野音
二月二十八日

本島市長の銃撃に抗議し言論の自由を求める長崎大集会・

大行進に一千人結集

 二月二十四日、「長崎は告発する、卑劣なテロリズムを。長崎は許さない、恐怖による支配を。そして、それは今、言論の自由の確立を求めてこの地に集まったすべての人々によって、日本全国の決意となった」と「長崎アピール」が、本島市長銃撃に抗議し、言論の自由を求める長崎大集会の万場の拍手の中で採択された。
 一月十八日、本島長崎市町が右翼暴力団正気塾のメンバー田尻によって銃撃され、重傷を負った。「言論の自由を求める長崎市民の会」はこれまで全国から三十八万人余の署名を集めて、本島市長の発言を支持し、脅迫やどう喝から守ろうとしてきた。しかし昭和天皇野もが明け、警察の警備が解かれてからすぐ本島市長が白昼市役所前で撃たれた。
 市民の会は、このテロを自分たちが許してしまったものと感じ、強い衝撃をうけた。翌十九日に緊急集会、二十一日に該当署名行動を行い、長崎大集会・大行進の準備を懸命に進めてきた。
 爆心地のすぐ近くの長崎平和会館ホールは、全国から集まった一千人の人で一杯になった。集会を主催した市民の会の代表の岩松繁敏さんのあいさつをはじめに、法政平和大学の尾形憲さん、ノーモア南京・名古屋の会の水田洋さん、ピースボートの辻元清美さん、やめよう元号関西連絡会の井上清さん、福岡の伊藤ルイさん、全国被曝二世教職員の会の平野伸人さんが意見発表を行った。それぞれの運動をやり続けることにより言論の自由を追求していくことが強調されたが、共通点は「天皇制」をなくさなければ「言論の自由」は常に犯されるということだったろう。集会は「言論の自由」を求めるものであるが、それは同時に「言論の自由を圧殺する」天皇制そのものに迫る集会でもあった。
 集会の第二部では、大分の松下竜一さん、奄美の旧無我利道場、沖縄読谷村など各地から二十九人が次々と発言した。
 翌二十五日、長崎市民会館前から一千人を越える参加者で、長崎大行進が銃撃現場の市役所前を通って行われた。