1995年11月10日        労働者の力               第72号

村山クリントン会談による安保再定義を許すな

沖縄の叫びに応え、安保破棄・基地撤去の闘いを

                                        川端康夫

 十一月四日、注目を集めた村山首相と大田沖縄知事の会談が行われた。およそ五時間におよんだとされるこの会談は、結局は政府が描いた筋書き−−首相による代理署名の強行への手順を尽くしたというポーズづくり以上のものとはならなかった。大田知事は代理署名拒否を貫徹する意志を明確に示し、県の総意をあげて「基地沖縄」の現状打破を要求し続ける姿勢を明らかにした。他方の村山首相は、「政治生命をかけて」という決意表明の手前もあり「対話」の体裁づくりに懸命になったが、内実は日米地位協定の運用面での改善や沖縄内部での基地統廃合の迅速化やというすでに決まっている事案の再確認、そして「国」と沖縄県との定期協議機関設置などの小手先技で終始した。

 安保再定義にひた走る村山内閣

 十一月七日には起訴された三名の米海兵隊員の初公判が那覇地裁で行われ、三名は起訴事実を大枠で認めた。少女婦女暴行事件が引き起こされたのは九月四日。起訴による日本側への身柄引き渡しが九月二十九日。その約一カ月後の初公判の罪状認否。これらから明らかに、日本政府サイドは明白に、十一月二十日に予定されているクリントン米大統領との首脳会談を前に事を「迅速に処理する」ことを最優先させている。自民党総裁の地位についた橋本は村山・大田会談をうけて即座に「大統領訪日前に首相による代理署名手続きを終わるべき」と表明した。これによって橋本はアメリカ側の意向、すなわち「大統領が代理署名を強要したというスタイルになっては困る」という意向にそって日本政府が行動することにダメを押した。
 村山政権はこの二カ月、ぐらつき通した。一方に現状改善の意思をいっさい認めようとしない外務省と外務大臣河野があり、他方に10.21集会に沖縄在住者の一割が参加するなどの憤激に燃え上がった沖縄民衆と、それを背景にした代理署名拒否(九月二十八日)という固い態度を打ち出した大田県政がある。
 辞職に追い込まれた宝珠山前防衛施設庁長官の発言はまさに歴代自民党政府の路線を引き継ぎ、かつ新たに「国際貢献国家」日本への「飛躍」を主張する外務省をはじめとする官僚集団内部の「ニュー路線」派を体現したものだった。そして、事件直後から村山政権の外務大臣・河野が先頭に立って主張した路線は、一直線に十一月二〇日の首脳会談における「安保再定義」の合意セレモニーに向かって敷かれており、そこには宝珠山の基本認識となんらの違いも見られない。
大田知事の九月中旬からの動き出しは、事件に触発されたものではあれ、突然の動きではなかった。知事は繰り返しアメリカ政府に対して基地縮小の働きかけを行い、訪米も四回行ってきていた。知事の直接の米政府への働きかけは、日本政府が建前だけの言辞に終始している現実に見切りをつけ、まさに自治体外交として展開されてきたのである。アメリカ当局筋の返答は政府間の事案であるとし、日本政府の動きがあれば検討するということであった。だが日本政府は、防衛施設庁長官として宝珠山が昨年に「沖縄は基地と共存すべき」と発言し沖縄民衆の憤激をかったにもかかわらず、発言の撤回だけで宝珠山をそのまま留任させてきたように、沖縄サイドの要求に対応する積極的姿勢を見せることがなかった。
 宝珠山の辞任が決定したのは、村山首相を「頭が悪い」と批判したことによるものであって、宝珠山自身の論理が問題となったからではなかった。官房長官野坂は宝珠山辞任に関連して、すでにその時点で「結果的には宝珠山の主張と同じことになるかもしれないが」とも述べていた。そして現に宝珠山の論理を本質においてなんら変更することなく十一月二十日に直進しているのである。
 政府と沖縄県当局との立場の違いはまさに「安保再定義」に集約されている。大田知事は「安保再定義」が日米安保の拡大・強化にほかならず、それが沖縄における基地の重圧を増すことになるという立場から地位協定見直しを要求している。村山はここに集約される対立には結局なんら手を触れることをしなかった。長良川河口堰問題を建設大臣として強行した野坂が官房長を務めていることが象徴的であるように、今回もまた村山首相は自民党と官僚機構とに依存し、その枠組みのデコレーションを務めることをもって「内閣の政治生命」を延長させたのである。

 安保「見直し」−−二つの極

 沖縄県では知事の代理署名拒否への支持もほぼ九〇%に近いとの調査結果が出されている。また全国を対象にした最新の世論調査では、ほぼ八〇%近くが沖縄の基地縮小に賛意を示している。だが他方で、日米安保の役割についても五〇%以上が「評価する」立場でありつつも、在沖縄基地の再配置を「本土」で受け入れるべきとする見解は極少数である(『テレビ朝日』)。さらに地域に米軍基地を有する国会議員の六〇%以上が大田知事の代理署名拒否を支持する立場であるとも報じられた(『朝日』)。
 日米安保に対する民衆の感覚が一定程度「風化」し、また沖縄の過酷な現実に対する日常的な認識が希薄化してきているという近年の流れは事実であり、それが安保評価の数字に反映された一方、九月四日の事件の衝撃は、観念上の「安保評価」と安保の現実の落差を突きだし、潜在化させられてきた過酷な沖縄の現状への認識を一挙に表面化させた。基地の島沖縄の現状でいいと答えられる人は宝珠山的な「国家官僚」意識の持ち主だけであろう。民衆的意識の流れは、明らかに冷戦時代に築かれた「安保」体制の、沖縄を基地の島として維持してきた、そのあり方の「見直し」を求める以外の道筋にはないといわなければならない。
 それを直感するからこそ、村山の政治生命発言があり、また新進党は「沖縄の負担を軽くし、(日本全体が基地と共存する)」という小沢発言を、アメリカサイドの主張に寄り添う形で出してくる。
 ここ数年進められてきた小手先的な沖縄の基地再配置の動きは、当然にも沖縄県サイドの基地縮小の要求に対応のポーズを示すために、日本全土に再配置するのであれば米軍はそうした「方向を理解する」というという流れから出てきていた。国防長官ペリーの緊急の来日がそうしたアメリカ国防省サイドの理解を再確認すること、裏返せば、在日米軍の総兵力を堅持し、同時に「要石」としての沖縄の基地能力は維持し続けられなければならないということを再確認するためになされたのであった。
 だが、米軍がそういう立場を表明することは、ある意味ではまさに「気楽」なものであり、日本政府へのはねかえりは、実質不可能に近い「本土」への移転の検討ということに帰結する。沖縄県内部での移転や整理というレベル以上のものが要求される「整理」の枠組み、すなわち「本土への移転」は宙づりににされてきたのである。
 在沖縄基地の「本土移転」の具体化こそ、「安保」問題を再度、日本政治の第一級の課題に浮上させてしまうことは明らかであり、「安保再定義」などを、極力民衆の意識に上らせないように工作してきた日本政府のもっとも避けたいことであるのは明白である。沖縄の県道104号越え実弾演習の代替地に大分県の日出生台演習場が当てられていることへの反対を社会党大分県本部が表明してもいる。大分は周知のように、首相村山のみならず、防衛庁長官衛藤の地元なのだ。
 村山政権が大田知事に提示したことは実質「ゼロ回答」である。与党三党は「基地受け入れ自治体への財政優遇措置の検討を始めた」が「本土への移転は事実上困難であり、かつ現在基地を抱えている自治体との整合性の問題もあり、実質は沖縄県内市町村への適用にとどまるとの見方が強い」との報道がある(『朝日』)。村山内閣は、一方における「安保堅持」、アジア太平洋地域での米軍事力維持という立場と沖縄基地縮小という二つの命題の衝突に対して、なんら積極的な打つ手を持ち合わせないことを暴露した。
 他方、小沢の発言は、燃え上がった沖縄民衆の憤激に沈黙を守りきれなくなった新進党が重い腰を上げ、在日基地の七五%が沖縄に集中されている事実に対する沖縄民衆の当然の怒りへのリップサービスと自らの安保拡大強化路線とを接合させねばならないという立場から編み出されたものだ。「基地との共存」の必要性を沖縄県民に説教した宝珠山に対して、小沢は沖縄県民にだけ押しつけるのはよくないと批判し、同時に「基地との共存」を日本全土で進めるべきだと、安保体制の積極維持、運用、受け入れを、「小沢的な論理の率直さ」として、村山内閣との違いを打ち出すものとして、提起したのである。小沢の生命線であるアメリカ政府との密着の路線がここに打ち出された。
 沖縄大学の新崎盛照教授は、小沢とは百八十度違う方向で、「…もし日米安保体制が必要だとすると、米軍基地との共生は避けられない。沖縄だけに『共生』を『強制』することはもうできないはずである。いまこそ、本音で、日本の安全保障についての国民的な論議を徹底すべき好機である。もはや事なかれ主義的で場当たり的びほう策は通用しないといわなければならない」(『朝日』論壇)と述べた。
 まさに原発推進に対して「東京に原発を」と題された広瀬隆氏の著書、さらにはムルロワ環礁でのフランス核実験に対して、やるならばフランス国内で実験をせよと求めた声が想起される。沖縄は正面からの「安保論議」を日本政治と日本民衆に要求しているのである。小沢がどこまで問題をとらえているかは別にして、官僚機構の深部で密やかに進められてきた「日米安保再定義」問題が、政治の表舞台に引き出された。村山内閣の小手先技を突き抜けて、沖縄民衆の憤激は、「国民的な議論を経ることもなく、村山首相周辺とクリントン米大統領周辺のみの意思に基づいて、議会の審議・承認も必要としない一片の共同声明で決めてしまってよいのか。」「政府が沖縄の問題提起を真剣に受け止める意思があるのなら、二十日に予定されている『日米安保の再定義』を延期し、この問題に対する国民的合意形成をめざして、日本の安全保障についての根底的見直しを論議すべきなのである」(新崎盛照氏・同上)と問いつめている。

 安保拡大を進める官僚機構の論理

 新崎氏が同投稿で述べた「日米安全保障条約は冷戦終焉後も本当に必要なのか。」を改めて引くまでもなく、自社さきがけ三党連立政権の成立は、外務省や防衛庁などへの不安材料となってきた。安保条約堅持や日本の防衛力拡大が従前の形の延長で、不動の路線として持続しえるのか。官僚機構は村山社会党の基本路線変更という事実にも関わらず、冷戦終焉後の軍事体制、軍事力の行方に神経をとらせた。新進党政権であれば、西側陣営の一翼を担い、積極的に軍事貢献を行うという方向には不安はない。しかし村山政権ではどうか。
 村山政権誕生以降、防衛費をめぐる自社両党の対立が続き、高価なおもちゃであるAWACS購入計画や次期戦闘機FXの開発費用の雪だるまの高騰への批判が暗黙に広がり、そして自衛隊の規模そのものを形だけとはいえ「縮小」するポーズを示さなければならない−−官僚たちの不安感は、再び三度、「外圧利用」の方法論へと向かったという。すなわち、アメリカ政府の日米安保の地球規模への拡大、より厳密には東アジア、インド洋、中東を範囲とする米軍の太平洋・東アジア戦略に対応した軍事力展開の枠組みに日米安保体制と日本の軍事力を全面的に組み込む、という筋書きで村山内閣の政策的枠組みを築いてしまおうとする方法である。アメリカは東アジア・太平洋十万米軍配置を設定し、沖縄基地の要石的あり方の再確認を表明した。とりわけ、米本土以外では唯一の海外配備である海兵隊が中東地域を意識した配備であることに明らかなように、日米安保の対象範囲を、形式だけではあれ「極東の範囲」とされている制約を全面的に取り払ったものへと組み替えることを打ち出した。
 フィリピンの巨大な空・海両基地の撤去、グアムでの基地の縮小に合意してきたアメリカ政府は、国内的にも膨大な財政負担の削減のために基地縮小を進めてきている。だが、日本にたいしては別なのだ。その理由は日本政府が積極的に米軍基地の展開を支え、必要経費を大盤振る舞いで負担する−−いわゆる「思いやり予算」をさらに増額するという政策を貫徹してきていることによるところが大きいのである。米本土に海兵隊を配備しておくよりも沖縄に配備しておいた方が金がかからない、というのである。 
日米外務防衛首脳会談(2+2協議)などの事務(=官僚)レベル協議の積み重ねがどちらからといえば日本側の積極働きかけを原動力として進められてきたとクリントン政権側からの情報は証言している。ペリーらが主張する「沖縄基地の整理縮小は日本政府の問題」という言辞には相当の根拠があるといわなけばならない。またペリーが東アジア・太平洋十万配備は不変と、緊急に来日して述べた背景にこうした日本側の官僚機構の暗躍があったと考えることもまんざら不当ではないといわなければならない。
 村山政権、あるいは伝統的な自民党政権の論理は、極力民衆レベルから軍事問題、安保問題、さらには核問題などを覆い隠すという手法に傾斜する。それに対して、とりわけ中曽根内閣以降、小沢的存在に象徴される論理は「戦後政治の総決算」路線、大国日本、国際国家日本、あるいは普通の国家日本の論理で政治的枠組みを組み替えることに置かれている。国連常任理事国化をめざしたり、核兵器使用を国際法違反ではないとする現在の官僚たちの思考方法は基本的にこうした流れの上に組み立てられてきている。官僚機構と中曽根、小沢ラインの意識・無意識の連携があり、役割分担の底流がある。これはまさに竹下派支配−−金丸・小沢時代が作り出したものだ。自民党が「自民党らしさ」を強調し、官僚機構との連携の再強化に動くほどに官僚機構との妥協や取引に走らざるをえないことになるのである。
 大蔵、外務の両軸を貫いて勢力を伸ばしてきたこうした新らたな国家主義的な官僚的思考は、政界混迷の渦中にあって、陰陽に小沢との連携を深めつつ、右派的なマスコミ論陣を利用しつつ、自らが「国家の主軸」だとの思い上がりの領域に達し、そこに、宝珠山発言が飛び出し、また核使用の是非をめぐる国際法廷での広島・長崎両市長の発言に干渉するところまで思い上がっている。自社さきがけが大蔵不祥事問題や大蔵の銀行政策の破綻責任などに満足な手を打てず、さらには小沢路線の先棒をかついできた前外務事務次官の斉藤某をアメリカ大使に起用するなどの迎合策をとり続けているほどに、この連立内閣は官僚機構の作る枠組みに対して無力である。
 だがこうした外圧利用のテクニックだけで沖縄民衆、日本民衆の意識を左右しきることはできない。政府機構や内閣レベルを制約したとしても、政治全体や意識総体の基軸をつくるためにはまた別の次元の動きが必要である。新生党・新進党の動向もニュー財界(経済同友会などを先頭にして)も、そして右派マスコミも総力を挙げて「朝鮮有事」を騒ぎ立てたことは記憶に新しい。朝鮮有事があれば、日本国家は総力をあげて米軍と協力し軍事作戦を行うのだ、とするこれら勢力のキャンペーンには、すでに憲法九条も安保条約の「範囲」もなかった。
 今回、村山政権との距離をもっとも最大にしている経済同友会は、しぶしぶ首相の「代理署名」はやむなしとする見解を十一月六日に出したが、村山の立場を支持するという点においては珍しい出来事に属するといっていいほどである。
 こうした連合勢力のキャンペーンの主軸が、世界情勢とりわけ極東情勢の不安定化ということにある。冷戦終焉後の「平和の代償」論に対抗することなくして九条の制約を踏みにじり普通の国家の軍事力確立へと進むことは十分にはできない。また、アメリカ財政の窮迫化による軍事費削減を日本国家財政で補填することは、アメリカ経済にその輸出の多くを依存する日本財界の当然の許容するところであるし、そのための財源として消費税を強引に導入しその率を引き上げることも当然の政策方針である。こうしてできあがる政策体系だが、にもかかわらず必要・十分条件として必要なのがそれを支える政治的枠組みにほかならない。
 国際的企業活動を得意分野とするある程度流行作家といえる深田某は、先日『朝日』紙上の「紙面批評」において、今回の安保問題についてのマスコミの姿勢、とりわけ『朝日』『毎日』の安保体制批判的な姿勢を批判し、慎重・冷静な『読売』の姿勢を是とする態度を打ちだした。そこにおいて彼は中国の軍事的膨張の姿勢や台湾問題への威嚇的態度を取り上げ、同時に昨年問題となった朝鮮有事をからませて、冷戦時代よりも現在の方が極東情勢は険しくなっている、と断言したのである。それゆえに、米軍を極東アジア地域に十万人張り付け、その基地として沖縄が十全に機能すべきなのだと主張する。安保体制堅持と拡大は、冷戦終了後の今日さらに重要であるとする彼の見解は、明らかに左右にぐらつく村山政権に対するいらだちとともに、日本の軍事力強化などの一連が、中国を軍事的対象として増強さるべきことの宣言である。
 この見解は、まさに主客逆転の論理の典型である。中国政府の軍事的視点が、湾岸戦争における米軍・多国籍軍の圧倒的な「近代装備」の脅威に直接に反射していること、その脅威的軍事力が冷戦終結後も極東アジアに張り付け続けられていること、その要に沖縄基地集団が位置していること、そして日本国家が長距離ロケットの開発、旺盛な原子力政策の展開、そして最新鋭の軍事力確保に懸命であること、これらこそが問題の核心であり、源泉なのである。もちろん中国政府が自らの権威を維持するために自己の大国意識を培養し、同時に膨大な人民軍との連携を国内統治の柱として重視するという現在のありかたを支持することはできない。そうであるからこそ、日本政府が中国にとっての外的脅威の増大の一翼をになうことの問題が浮かびあがってくるのではないか。
 深田某の見解と先に引いた新崎教授の見解とはまさに激突する。新崎教授の論理展開が沖縄県民の公約数的要素を意識したものとも思われ、その分だけ「沖縄の基地の本土への移転」などへの厳密な文言的表現は避けられている要素はある。にもかかわらず新崎氏は「圧倒的な県民世論、そしてそれを支持する国民世論の最大公約数的意見は、日米安保条約廃棄から日本の安全保障のあり方の修正・再検討を含めた『安保の見直し』を求めているのである。」と基底的に主張しているのである。
 対比はあまりにも鮮明である。
 
 安保破棄・基地撤去を

 日本の政治状況は、東アジアでの軍事的脅威の増大をあおり立て、さらなる軍事増強、安保強化拡大へと突き進むのか、それとも東アジア民衆の共存、共生と平和的関係の確立のために大胆に歩むのか−−この両極の対抗へと次第にピッチをあげてきていると認識されなければならない。アメリカの基本政策が中国の政治的経済的伸長を極力封じ込め、それを基本としつつアジアにおける自らの優位性を保持し続けることにある以上は、軍事的撤退を自ら積極的に検討することもありえないであろう。また、その軍事力展開を日本が国家財政でもって保障するということが持続するかぎりにおいて、米軍がその最新式の近代兵器を中国沿岸−−沖縄に張り付け続けることも恒久化するといわなければならない。
 この悪循環を断ち切るという構えなしに、冷戦後の「平和の配当」を実現することはできないし、基地の島沖縄の現状を打破することもできない。政府が米兵による少女暴行事件を弾劾し、発生の構造自体の克服に真剣に取り組むのであれば、沖縄基地の再編強化を阻止するところから始まるのである。
 そして、日韓併合の正当化や植民地支配賛美などの発言が相次ぐ自民党閣僚の輩出など、この連立内閣に自民党らしさを求める勢力の本音が横行している現状を、前述した官僚集団との関係と重ね合わせれば、村山内閣に働く政治力学は、日本革新勢力の解体を完成したあとの保守勢力の抗争とそれを通じてさらに肥大化するであろう官僚集団の増長への道を掃き清めるだけである。安保再定義の中止に橋本自民党が対立するのであれば、なお以上にそのような連立に未練をもつべきではない。
 村山首相は、安保再定義の密室強行をやめよ。安保体制全般の、即刻の「見直し」作業を全国民衆に公開して進めるべきである。
 日米安保条約の破棄、基地撤去、そしてアジア民衆との共生のために闘おう。

第四インターナショナル青年キャンプ
フランスで開催


 第十二回青年キャンプは、七月にフランスで開催された。これは、第四インターナショナルと支持協力関係にある青年組織による例年の行事であり、今年は十二回目である。開かれた場所は、フランス南西部のツールーズ近くの村である。ポーランド、スロベニアを含むヨーロッパ各地から約八百人が集まり、一時は村の人口が倍加した。
 開会(七月十八日)に際して二日前に亡くなったエルネスト・マンデルを追悼した。確かに今回の青年キャンプ参加者には、マンデルの名前は従来の参加者や上の世代の人々ほどにはなじみあるものでなかったが、彼の人生とその政治的な貢献は会場を大いに感動させ、最後にはインターナショナルの斉唱(キャンプの「公用語」となっている九つの言葉による)となった。
 いずれのキャンプも、国際主義を強化する場であった。各キャンプ参加者は、それぞれの国の状況を説明し、教育費の削減や人種差別主義、極右の成長、女性が避妊や中絶施設を利用することへの攻撃などに対する闘いの経験を交流した。国際連帯活動をできるだけ具体的なものとするため、フランスの同志たちは、メキシコ南部のチャパス、ダカール、セネガルの同志たちを招待する特別の基金募集活動を行い、彼らをとりまく状況や実際に展開されている闘いなどについて報告を受けた。
 セネガルから来たアダマ・スーマレは、同国に対する国際通貨基金(IMF)と世界銀行が強制する構造調整計画の悲惨な影響を報告した。彼はまた、スイスのアルタナーティブ・ソルデールからの参加者たちとともに、セネガル学生の耐乏強制政策に対する闘いとスイスで展開されている弾圧されているセネガル学生への支援活動を報告した。
 チャパスのガブリエル・ラミレスは、不屈な人々の闘い、サパチスタ(EZLN)の闘いを報告し、サパチスタが指導する闘いの意味を明らかにした。
 旧ユーゴスラビアに関する報告を行ったのは、デンマーク議員(赤・緑連合/統一リスト)であり、ボスニア連帯運動(国際労働者支援、IWA)の中心的な指導者の一人である。
 このキャンプのために主催者は、「国際連帯常設委員会」を設置した。これは、各国参加者がこれからの一年間、共同の国際連帯活動に携わっていくように計画する組織である。計画された活動には、全ヨーロッパ規模のチャパス連帯キャラバン、フランスのリヨンで行われる予定の一九九六年サミットに向けたデモなどもある。
 国際連帯活動がキャンプの中心テーマではあったが、これ以外にも様々なテーマがとりあげられた。今日の青年の闘い、権利の平等、人種差別主義に対する闘い、新たな道徳秩序、女性が自ら望むように選択する権利のための闘いなどがとりあげられた。
 フランス共産主義者同盟(LCR)のダニエル・ベンセードは、閉会フォーラムで「われわれの望む社会」と題して講演し、真の平等主義を判断する基準、ことに男女間の抑圧的な関係を排除する意義について明らかにした。
 各種フォーラムとワークショップで行われた活動は、情報や経験の交流がすべてというわけではなかった。開催地域からの参加者が、ツールーズとその周辺のブドウ園(ワイン醸造所)訪問を組織し、また、キャンプのメニューに各種地元料理や特産チーズをつけ加えた。デンマークからの参加団は、「ナイトラン」を組織し、熱心な百人の参加者があった。また「ペンギン・フットボール」競争や現地グループによる音楽に合わせたダンスなども行われた。
 われわれのキャンプは、一年に一度一週間にわたって展開される「社会主義の島」では決してない。だが、キャンプでは、新しい日常生活が可能であることが証明されたのであった。これまでのキャンプと同様に音楽、ダンス、ゲームの夕べを生き生きとしたものにしたのは、レスビアンとゲイの参加者たちであり、われわれの日常生活が社会の性規範によっていかに支配されているか、制限されているかを明らかにした。女性だけの空間とパーティはまた、女性間の連帯と仲間意識を強めた。
 国際主義と連帯感とをともにしたキャンプを経験した現在のわれわれの課題は、これからの一年間における生きた活動の輪をつくり出し強めることである。上述の連帯活動のみならず、全ヨーロッパでの教育制度の状態や学生の闘いの展望を概観する共通パンフレットに関する作業が進行中である。
 これらの闘いや活動に関心をもち、来年の青年キャンプに参加したいと思う方は、第四インターナショナルと支持協力関係にある当該青年組織に連絡をください。
(インターナショナル・ビューポイント誌9月、269号)
オランダ支部、全国大会を開催

 第四インターナショナル・オランダ支部(社会労働党、SAP)の第十三回全国大会の第一部は、六月十七―十八日にユトレヒトで開かれ、全国各地から代議員、党員、ゲストなどが集まった。
 全国大会では、第四インターナショナルの最近の世界大会と同様な議論が展開され、参加した同志たちは新たな情勢認識を獲得しようとした。代議員の三〇%が課題と展望に関する少数派の対案を支持した。
 中心議題は、右翼の攻勢、ヨーロッパ統一、左翼の反撃という枠組みにおける課題と展望に関するものだった。大会はまた、SAPの刊行物に関しても議論した。一連の刊行物とともにアナーキスト・自律的傾向から出発した共同の月刊誌について論議された。この共同の月刊誌が、組織の政治意識の形成に貢献してきたのであった。機関紙活動再編の一環として、隔月刊誌の発行の可能性も存在する。少数派は現在の月刊誌を改善する決議を提出した。機関紙と組織建設に関する議論は、九月に行われる第十三回大会第二部で継続して行われることになっている。
(インターナショナル・ビューポイント誌9月、269号)

国連の第四回世界女性会議
中国で開催


 国連の第四回世界女性会議は一九九五年九月、中国の北京で開催される。公式の政府間会議に先立って恒例となっているNGO(非政府組織)の会議が並行して行われる予定である。第三回世界女性会議まで、NGOのフォーラムには多数の女性が結集した。今回も同様になろうか、何が期待できるのだろうか。

 第一回世界女性会議は、国際婦人年の初年度に当たる一九七五年にメキシコで開催された。この会議の結果の一つとしてとして一九七九年に、女性差別撤廃条約が採択され、国連加盟国百八十カ国中百三十八カ国が調印している。これ以降の会議では、教育、労働、健康(以上は第二回コペンハーゲン会議)、女性の地位向上、解放、人権の活用(第三回ナイロビ会議)などが強調されるようになった。
 今回の世界女性会議の目的は、以下の諸点にあるとされている。教育、健康、経済・社会・政治面における女性の地位、メディアにおける女性像、女性に対する暴力の排除など、女性の地位向上を阻んでいる今日の主要問題に関する行動綱領の採択である。
 九月四―十五日に行われる政府間の会議では、「平等・開発・平和への行動」をテーマとする女性の地位向上をめざす行動綱領を採択しようとする。
 第一回世界女性会議から二十年が経過した今日の女性をめぐる事態から考えるなら、多くの人は、こうしたトップレベルの会議に関して疑問をもたざるを得ない。会議の責任者であるミズ・モンゲーラは、行動綱領が採択されたとしても、その実現のための財政措置や適切な機構がとられない限り、行動綱領は女性にとって虚構の勝利となるだろう、と次のように警告している。
 「適切な機構が……つくられず、行動綱領を実現しようとする状況が確立されないと、行動綱領は何ももたらさない。適切な機構に関していえば、ナイロビ会議以降、ほとんどまったく前進はない。……そして、女性に関する前進が存在していない事実は、このことの結果なのである」
 今日、女性問題が政治、経済、イデオロギー問題となっており、そうでありながら「国家の利益」が第一優先となっていることはまったく明らかである。たとえばフランスでは、一九九三年十二月に調整委員会がつくられた。その委員会は、関係当局、全国女性組織、政治家、様々な背景をもつ「専門家」などの代表から構成されている。同委員会は一九九四年六月、国連に対して「フランスにおける女性 一九八五―一九九五年」と題する報告を提出した。女性の現状に関する記述にはまことに興味深いものがあるが、解決策として示されているのはフランス政府の見解を反映したものであり、われわれを満足させるものではない。

 この二十年間、宗教にもとづく宣伝・扇動が強められてきた。そして宗教制度を有する多くの国家は、女性に反対するロビー活動を展開してきた。ローマ教皇とイマーム(ムスリムの導師)などは、反動的な言説を押し付けようとし、多くの場合、成功した。カトリックの総本山バチカンは多くの場合、こうした会議では単なるオブザーバーなのであるが、カイロ国際人口開発会議でみられたように強力な圧力行使を控えるようなことはない。
 北京会議に向けて四地域――アジア太平洋、ラテンアメリカ・中東、アフリカ、ヨーロッパ――の会議が行われ、一九九五年四月のニューヨーク総合会議に続いた。国連による地域分けはなにやら滑稽である。というのは、ヨーロッパには東欧と北米(アメリカ合衆国とカナダ)が含まれているからだ。
 フランス政府代表団を構成するのは、エレン・ギセロとその部下、女性協会諸連合の代表、CLEF(ヨーロッパ女性ロビー調整委員会、フェミニストが参加しているが中心は女性協会)、CNFF(女性と家族に関する情報と文書全国センター)、必ずしも女性の権利擁護に積極的とはいえない政府機関などである。つまり女性の代表というのは、権力の座にあるバラデュール政府の見解を反映するものなのである。いくつかのNGOが政府間会議への参加資格を与えられた。たとえばフランスでは、民主主義のための女性連合や若い女性(元来はプロテスタント系組織)がそうである。
 ウィーンでなされた行動綱領草案での改善がニューヨーク会議で削除された。決定は満場一致で行われることになっている。そのためマルタの代表は、スイスの一グループによる中絶に関する権利を基本的人権に含めようとする提案に対して拒否権を行使できた。多くの公式代表団は、カイロ国際人口開発会議の線を超えようとはしなかった。カイロ会議の文書は「人口調節計画は、人口管理の一部であり、開発にとって不可欠である」となっている。北京で提案される最終文書はまだ見ていないが、あらゆる徴候は、それが最小限主義的なものになることを示している。

NGOフォーラム――フェミニストの演壇になり得るか

 公式会議に先立つNGOの各フォーラムは、こうした欠点を補えるのだろうか。女性の多数に利益に反するこうした決定に立ち向かえるのだろうか。NGO諸組織の多数は、フェミニスト組織でなく、そのいくつかは明らかに反動的である。(ことにラテンアメリカの)宗教的原理主義者が、これら組織において前よりも強くなったようである。
 だが、この数年間、NGOの役割は増加しており、その有用性に関する議論も深まっている。NGO組織の非政府性が攻撃を受けている。というのは、金持ち国のNGO収入の四〇%が公的な補助金だからである。補助金を出す公的機関との結合は無視できない。従ってNGOは、多くの点で、ことに女性の地位、状態に関する点――貧困――で政治的な矛盾に直面している。貧困は多くの場合、政治の結果であり、ここからNGOにとって政治的な問題が出てくる。
 すなわち、苦痛を軽減しようとするだけか、それとも、社会改革の行動に積極的に参加すべきか。目標実現の行動を中期的に考えるのか、それとも、短期的に考えるのか。「北」と「南」とでは、NGO組織は大きく異なっている。おそらく、こうした会議の結果は、いわゆる途上国に大きな影響を与えるだろう。
 これらすべてのことから、次の点をいえる。この分野で活動する諸組織の代表と対面することは明らかに興味深いが、しかし、国連の旗の下でのフォーラムという文脈において、大陸規模での調整された行動の可能性に関して幻想をもつべきではない。本物の政治的な違いが、これら組織の間にあるのだ。
 四地域会議の一つであるヨーロッパ会議では、その限界がすぐに現れた。旅費などの参加費用を有している組織だけが、これに参加できた。そして、そうした組織は極少数だった。ウィーンの主催者が招待したグループは、フェミニストというよりは女性の組織であり、大きな闘いに参加した程度が少ないグループだった。ここから、貧しい地域では、組織の資力による選別がもっと大きな作用を果たしたものと容易に考えられる。
 フェミニストたちは、各駅で少なくとも一人以上の女性を乗車させる「北京行き列車」の組織化を考えた。この考えは魅力的だったが、しかし、一体誰が列車でいくほどの時間的な余裕があるのだろうか、こんな旅ができるのだろうか。
 アングロサクソンとアメリカの優越さが、各委員会で使用する言語の問題でも再び顔を出した。英語が選択されたのだが、これはスペイン語系の参加者から抗議を受けるに違いない。この種のフォーラムでは、アメリカの大規模なNGOに属する準職業的な活動家の姿である。それにもかかわらず対立が表面化した。例をあげると、中絶に関するワークショップでCADAC(中絶と避妊の権利に関する調整委員会)からの参加者は、アメリカの保険制度とはひどく矛盾しないのではない、無料中絶の権利のために激しく闘わなければならなかった。
 千五百人の参加者にとって、多数のワークショップでの困難が待ち受けている。グローバルな見解を共有すること、最終文書を作成すること――このためには、民主的なやり方を決定過程での経験ずみのものと両立させる必要がある。NGOフォーラムがあまりにも穏当でない要求に水路を開いたり排除するためだけに存在しているのでは、と思われるかもしれない。

北京――開催地決定の問題

 国連当局が開催国を決定した点に関連して新たな問題が最近、生じている。北京政府は、こうした国際会議を北京で開くことによる政治的、経済的利益を明らかに歓迎しているが、しかし、必要な関与を行う意思はない。NGOフォーラムは、北京からおよそ六十キロメートルも離れた場所で開かれることになり、現地の女性組織と遭遇する可能性はほとんどなく、しかも外部世界との接触もほとんど不可能である。
 参加を許されるのは、五十にも満たないNGOだけであろう。すでに多くの人に対してビザが不許可になっている。当初、三万人の女性が参加すると予測されていたが、中国政府は千七百人の女性しか受け入れそうにない。チベットと台湾の組織は、レスビアンの組織と同様に入国が禁止される。フェミニストが北京のみならず、NGO会議においても少数派であることは、すでに明らかである。
 こうした事態について異議申し立てがなされるべきである。アムネスティ・インターナショナルは、七十五カ国の女性のおかれている逆境に関する報告をすでに提出し、その中で女性を危険な状態に追いやっている三つの状況――戦争、武力紛争、性差別を指摘している。アムネスティは、草の根活動を行ってきた独立人権諸組織と協同する意向である。
 フェミニストにとっては、それぞれ独自に同様に意見表明を行った方が効果的なようである。フェミニスト諸組織が単独で独自にこうした国際会議を開催できると考えるのはユートピ的であるが、そうした会議がもつであろうメディアへの反響を利用することをそれぞれの国で考える必要があろう。(向こう側に)同化されていない諸機構を利用することは、常に難しい事業なのだ。
(インターナショナル・ビューポイント誌9月、269号) 
新書紹介
         溪内 謙著(岩波新書)「現代史を学ぶ」



 著者の溪内謙(敬称略)は、「現代社会主義を考える」「現代社会主義の省察」などですでになじみのロシア現代史研究者であり、全四冊の「スターリン政治体制の成立」という大著で、ソヴィエトの権力と農民の関係の変動に着目して、これを「スターリン主義体制への転換を規定した基本的局面」としてとらえ、その歴史像を「下から上へ」という方法で再構成していった人である。
 著者は一九二三年生まれ、七十歳をやや過ぎた年齢である。すでに高齢といって差し支えないと思うが、研究テーマに関連して「私の企てはいまだ途上にあり、完結には至っていません。農村現地における統治方法の質的変化、それに対応する政治秩序の交代の研究については、不十分ながら一応まとめることができました。それにつづいて、政治体制総体がスターリン主義と特定できる構造的変化をとげ、新しい政治文化が形成される一九三〇年代の研究が現在のテーマとなっています」と述べ、また、「近年のアルヒーフの公開は、これらの問題の多くを史料に基づき研究することを可能にしております。……これからも老いの重い足を引きずってアルヒーフを訪れるほかありません」と、現役研究者としての姿を各所で覗かせている。
 「五 テーマの展開――権力と農民をめぐって」の中で、次のように自分の研究テーマを説明している。
 「私のテーマは、二〇年代から三〇年代にかけての政治権力と農民との相互関係の展開過程を、両者の接点をなす農村現地に照準を合わせて追跡し、その過程が分泌した秩序と制度の形成過程と性質を、史料に基づいて論証することにありました」
 「このテーマ選択は、つぎのふたつの仮定に立脚しておりました。すなわち、(一)一九二〇年代末から三〇年代初めにかけての時期は、スターリン主義と呼ばれる政治制度と価値体系の形成にとって決定的な転換点であったこと、この転換にとって最も基軸的な政治的変動は、国民の大多数を占める農民を巻き込んだ農業集団化運動にあったこと、集団化を争点とする政治権力と農民の紛争とその結末とが、転換の回転軸となったこと、(二)そこでの政治権力と農民の相互関係の変動過程を実証することによって、スターリン政治体制の成立のメカニズムをその基礎過程において再構成できる、というものでした」
 そして著者は、「スターリン批判」のあった「一九五六年から五年をついやして執筆した『ソヴィエト政治史――権力と農民』(一九六二年、新版一九八九年)」を助走段階の仕事と語る。一九六二年という年に注目していただきたい。スターリン批判があったといえ、日本の学問世界では依然としてスターリン主義の影響力が強く、六〇年安保闘争によって日本共産党の「権威」も一方では挑戦を受けていたものの、他方では高まりを見せていた時代である。
 私がこの著者のいくつかの著作に接して感じるのは、「学問的な誠実さ」あるいは「ひたむきさ」である。本書もその例外ではない。党派的な世界(これに関しては本書一三八頁「党派的アプローチの支配」を参照)を生きてきた人間としては、一種のあこがれの念を抱かざるを得ない。誤解してもらっては困るが、著者に党派性がないといっているのではない。党派性を超越した誠実さやひたむきさがある。本書の中で著者は、J・S・バッハに二度ほど高く評価する方向で言及しているが、ここでいう誠実さ、ひたむきさとは、私が大バッハに感じる「ひたむきさ」と同質のものである。

歴史的方法の有効性

 本書は「新書のくせに」といいたくなる面がある。新書は、一つのテーマを入門書的に扱うのであり、難易度に差があるとしても重くないのが普通である。
 「現代史を学ぶ」という題名通り「歴史学入門書」の一面は確かにある。現代史を学ぶというよりもむしろ現代史の研究方法を学ぶといった方が、本書により即しているが。第二章のテーマから、第三章史料、第四章文章化は、まさに研究の基本方法といって差し支えない。そして一般方法の間に著者が実際に行ってきた方法とその内容がはさみ込まれている。本書から読み取れるのがこれだけであったら、決して重いとは感じなかっただろう。
 「あとがき」では、次のように語られている。
 「学問の自分史を他者に語ることは絶対にすまい、研究結果を通して自分を表現することが正道である、と心に決めていたのですが、「共産圏の崩壊」という出来事が決心を変えました。……書き終えて恥ずかしい思いを抑えることができません」
 著者が「決心を変えました。書き終えて恥ずかしい思いを抑えることができません」とまで語る重さが本書にある。ここに本書が新書でありながら、それを超えた重さを読者に感じさせる背景がある。
 そして本書が対象とするのが「現代」であるから、必然的に研究方法と生きる「方法」とが重なってくる。時代が歴史的に大きく転換したのだから、あらゆる面で従来の方法は必然的に転換を迫られる。この転換は、当然にも基本的な考え方、「哲学」の領域にもおよぶ。著者は、この点に関して歴史哲学に属する分野に踏み込んでいく。
 著者は「はじめに」の中の「歴史的方法の有効性」で次のように述べる。
 「現代は冷戦期よりももっと先がよめなくなった、これは現代の共通感覚であり、不安感です。
 その不安感の根底にあるのは……ひとつの時代は終わったらしい、しかしなにが終わったのか、なにの始まりを意味するのかよく分からない、そういう不透明感であり、霧の彼方に予想外の変化が、それも爆発的なかたちをとって待ち受けているかもしれないという不安感です。私たちは、既成の価値体系と制度原理の自明性が大きく揺らいでいるなかで、未来への確か手掛かりが模索される閉塞的な時代を生きている、といえましょう
 現代の動向を包括的に理論化した知的ブレイクスルー(飛躍的刷新)を私たちはまだ手中にしていません。時代の閉塞性がとりわけ意識されるいまのような状況においては、現代を歴史的起源にさかのぼり、そこからの変容の過程を跡づけることによって理解する歴史的方法は、とくに魅力的なものと映るはずです。「どこへ」という疑問は、「なぜ」という過去に向けての問いに結びつくのです」
 そして本書の最後の部分「おわりに」で「現代史に学ぶこと、歴史家ブロックに従って「理性を人間に関する諸事象の変化のプロセスの理解のために用いる」(『マルク・ブロック』)ことの大切さが、いま強調されなければならないのです」と述べた後で次のように結論する。
 「現代史を学ぶことの意義は、たんに未知の「事実」の発見と収集に終わるのではなく、現代が直面している「問題」を発掘し、提起し、解明に寄与すること、現代史の「創造」に参画することにある」

アメリカ化への反対?

 本書を読んでいて、「連帯を求めて孤立を恐れず」という東大闘争の頃に流行した言葉をしきりに思い起こした。たとえば「第四章 文章化」には「たゆまぬ勤勉」「既成の文献はよまない」「孤独に耐える」という項があり、研究者としての心構えが説かれている。こうした心構えが「連帯を求めて孤立を恐れず」という態度を思い起こさせたのだろう。まことに厳しいものがあると思わざるを得ない。この厳しさは、本書の重さに通じるものであろう。
 また「第三章 史料」では「第一次史料に基づく」ことの重要性が強調されている。研究者にとって当然の方法だと思うのだが、著者がこのように強調するのは「第一次史料」に基づかない研究者が多いためだろう。
 これに関連して思い出したのは、大バッハ研究のことである。ヤングという人が「バッハとライプチィヒの教会生活」を著すまでライプチィヒを含む北部ドイツでは一七世紀には教会生活が今日と同様に衰退し、「宗教共同体」は大きく崩れていたとされ、その前提で大バッハ研究が進められていた。ところがヤングは大バッハが主な音楽活動を行った聖トーマス教会の文書(教会も官僚組織であるから膨大な文書が保存されていた)を分析し、一八世紀前半のライプチィヒの教会生活が一七世紀のそれと変化していなかったことを明らかにした。第一次史料に基づく研究とは、本書でも説明されているように膨大な史料を精読することであり、大変な作業である。
 著者のこうした基本的な態度を私なりに大きく拡大解釈をしてみると、「アメリカ的なもの」への反対、抵抗があると思われる。著者がこの点をどう意識しているのかとは、まったく無関係な私の直感による拡大解釈である。「アメリカ的なもの」の定義は難しい。だが、先日テレビでフランス大統領シラクがCNNのインタビューに英語で回答しているのを見た。「文化ナショナリズムのメッカであるフランスで、アメリカナイゼーションとフランス語の英語化(アングリシズム)の波を食い止めるために、国策として必死の文化防衛作戦に着手した」(地球化時代の国際政治経済、中公新書)そのフランスの大統領が英語をしゃべったのである。
 この「アメリカナイゼーション」は明らかに、コンピュータと通信技術革新を一つの重大な背景とする時代の趨勢である。この趨勢は、フランス大統領をして英語をしゃべらせるほどに極めて強烈である。しかも、この趨勢を受け入れたら一体人々の生活がどうなっていくのだろうか――この点を考えるいとまを与えず、否応なしに受け入れを迫るものである。
 著者がアメリカ的なものに対して「ヨーロッパ的なもの、ヨーロッパが理想とする人間像、研究方法」を擁護しようとしていると考えるのは、私のうがちすぎであろうか。本書は、随所で「二分法」や「党派的アプローチ」の危険さを指摘している。「アメリカ的なもの」と「ヨーロッパ的なもの(あるいは非アメリカ的なもの)」とを単純に対立させて考えるべきではないが、「アメリカ的なもの」あるいは現代の世界の趨勢に対していかなる態度をとるのかは、「現代の動向を包括的に理論化した知的ブレイクスルー(飛躍的刷新)」を実現するために、重要な観点と思われてならない。
(一九九五年十月末 高山徹)