1995年12月10日        労働者の力               第73号
村山内閣、沖縄代理署名問題を法廷に

 基地撤去へ広がる沖縄民衆の闘いに応えよう

 九六年三月と九七年五月の基地用地強制使用期限切れにむけ、代理署名拒否の動きが沖縄全島の市町村規模に拡大する様相を示している。現在焦点になっている土地・物件調書への代理署名拒否は那覇市・沖縄市・読谷村(反戦地主三五名の土地)であるが、九月四日の少女暴行事件を契機に、あらたに宜野湾市・嘉手納町らも、すでに代理署名は行ったものの今後は那覇市らの動きに同調する方向を打ち出し、復帰後二五年を経過した沖縄は、依然として基地の島であるという現実に正面からの対決に動き始めた。「沖縄の心がわかる。だから代理署名をする」として自己を正当化しようとする村山首相の詭弁ではすでに通用しない段階へと沖縄の闘いは突き進んでいる。九六年三月そして九七年五月へとさらに闘いは拡大していくであろう。闘いの核心は沖縄の「米軍要塞化」を規定している日米安保条約体制そのものにむけられる。反戦地主の闘いに連帯し、村山政権の「安保堅持」路線と闘い抜かなければならない。

太田・沖縄県知事「憲法との関係を争う」と主張

 十二月六?日、村山首相は、沖縄県の米軍基地用地強制使用の代理署名を拒否している太田昌秀沖縄県知事を相手に、職務執行命令請求の訴訟をおこした。「機関委任事務」に関して国が都道府県知事を訴えるのは初めてという異例の事態であり、裁判そのもののあり方も注目を集めるものとなっている。
 訴えの内容は、「太田知事が国の機関委任事務である強制使用の代理署名を拒否した結果、日米安保条約で定められた日本側の用地の提供義務が履行できなくなるなど、著しく公益を害する事態になった。にもかかわらず、知事はその後も首相の職務執行の勧告や命令にも従わなかった。地方自治法第一五一条の二に基づき、知事に職務執行を命じるよう求める」というものである。このことからも窺えるが、政府の基本的立場は、争点を機関委任事務問題に絞りこみ、早期判決を引き出す構えである。野坂官房長官は七日、「我々は憲法論争で対抗的な話をすることは差し控えたい。県民の立場で、騒音や環境問題で努力していかなければならない」(『朝日』12/8朝刊)と立場を明らかにした。
 他方、太田沖縄県知事は同日、「(強制使用は)公共の福祉のためというが、日本国憲法の平和主義と軍事基地は整合性を持つのか」「過去半世紀にわたって、地主の合意を得ないまま土地が収用されて、(軍用地として)提供されてきた。憲法が保障する財産権との関係はどうなるのか。法の下の平等というが、〇・六%の国土面積(の沖縄)に米軍基地が七五%あり、それが二十一世紀まで固定化、強化されるという懸念がある。」(同上)として、財産権や平和的生存権などでの憲法論争を展開する方向をあらためて提示した。
 国側と県側のそれぞれの立場は、政治的観点もあるが、なによりも行政執行の日程的余裕が切迫しているという事情にもよる。もっとも早く期限切れになる読谷村の知花昌一さんの土地七〇坪が含まれる「象の檻」=楚辺通信所は三月三十一日であり、四ヶ月も残されていない。また、他の反戦地主の土地は九七年五月に一斉に期限切れとなる。
 手続き上は、首相の職務執行勧告、命令、そして裁判(今回)と続くが、仮に裁判所が政府を是とすると、村山首相の代理署名となる。それから沖縄県収用委員会に申請し、受理されれば防衛施設庁の六ヶ月間緊急収用が可能となる。それと並行して収用委員会の審議がなされる。だが、「使用認定」の有効期限は一年間とされており、今年五月九日に村山首相名で出した「使用認定」の期限は来年(一九九六年)五月九日で効力が失効する。そうなるとあらためて一からのやり直しという事態になるのである。裁判という事態を考慮すれば残り半年という期間はきわめて厳しい。知花さんは「残り四ヶ月で裁判の結論が出るのは無理でないか」と見ている。
 政府はにもかかわらず、なにがなんでも最低限「緊急使用」にもちこむに必要なタイムスケジュールで行動しなければならないのであり、辞任した前防衛施設庁長官の宝珠山が時間の制約に焦り、村山の政治的逡巡を罵った理由でもある。
 期限切れとなれば、基地は「不当占拠」そのものの事態となり、地主の使用を拒否するに足る法的裏付けが失われる。二〇年前、四日の間だが不法占拠の事態となった時に、基地に突入した反戦地主たちは米軍の「管理権」によって拘束され、沖縄県警に引き渡されたが、法的裏付けがない以上は釈放せざるをえなかったのである。だが今回は、拒否当事者が県であり、県知事である。以前のような「数日間」の手続き遅れという事態とは根本的に異なっている。米軍の不法占拠状態は隠蔽しようがないものとなってしまうのである。政府、とくに防衛施設庁がしゃにむに手続きを進め、乗り切りをはかる理由がここにある。日米安保条約は、基地用地の提供の義務が日本政府にあると定めてあるのである。
 
 「安保に風穴」−−九六年から九七年へ
 

 知花昌一さんは、八年前の沖縄国体で日の丸を引き下ろし焼き捨てたということで刑事被告とされ裁判闘争を闘った。控訴審判決(懲役一年、執行猶予三年)は十月二十六日だったが、息つく暇もなく今回の闘いの先頭に立つことになった。「三五名の少数の反戦地主の闘いが安保体制を大きく揺るがし、安保に穴を開ける状況となり始めている。九七年の一斉期限切れには全島的な闘いが繰り広げられるでしょう。来年三月の私の土地の期限切れは前哨戦です。」と語る(十一月十八日の講演集会「日の丸裁判から反基地反安保闘争へ」)。
 太田知事は「日本政府は在日米軍に年間六千億円もの思いやり予算をだしている。これは沖縄の年間予算とほぼ同じだ。」「復帰したら日本国憲法の適用を受けるというので復帰運動をやったが、復帰して二十五年近くたっても強制収用されたままだ。」「一番の問題は二十一世紀にまでこの基地を固定化する事を沖縄が認めるかどうかだ」とし、「日本の政治そのものが、民主政治とは何かが根本的に問われているのではないか」と語る(『世界』十二月号より)。
 この「日本の民主主義への問いかけ」に対して、これを被告としたのが村山内閣であり、連立与党、そして社会党である。社会党沖縄県本部は基地用地提供のために反戦地主らの説得を行うという悲惨な立場ともなっているが、なによりも強調されなければならないのは、太田知事、ひいては反戦地主と全沖縄民衆を被告としたことに社会党が最大の責任を有していることである。このことを抜きにして社会党の衣替えとか第三勢力化とか、あるいはそれへの党内的な抵抗などがなんらかの評価の対象となることがあってはならないのである。「安保に風穴を開ける」ことは、まさに戦後五〇年の日本保守政治に風穴を開けるだけではなく、保守二大政党化に雪崩うとうとする社会党の再編劇や解党騒動そのものの根本に風穴を開けることでもあるのだ。
 村山内閣は十一月二十八日に新「防衛計画大綱」を決定した。そこにおいては日米安保は必要不可欠であり、米国の核抑止力への依存を謳うと同時に、「@情報交換、政策協議などの充実A共同研究並びに共同演習・共同訓練などの運用面における協力態勢B装備・技術面での相互交流の充実C在日米軍駐留を円滑かつ効果的にする」と明言されている。村山首相は太田知事との折衝において在日米軍削減には否定的態度を示し、さらに全外務事務次官の斉藤駐米大使は、在日米軍の規模云々は第一義的にアメリカ政府の判断次第だと公言し、そうして在日米軍のリチャード・マイヤーズ司令官(空軍中将)は四万七千人の在日米軍兵力維持や普天間(海兵隊)、嘉手納(空軍)などの主要巨大基地は「有事」に備えて維持する方向を明らかにした。
 防衛予算をめぐりさきがけや社会党は戦域ミサイル研究などへの慎重姿勢を表明してもいる。しかしマイヤーズ司令官が安保の適用範囲の南限にスプラトリー(南沙)諸島を含めるなど、明らかに朝鮮半島や対中国への軍事シフトとして在沖軍の役割を強調したような事実には近寄らないのである。
  
 四月一日、知花さんは楚辺通信所にに入り、仲間たちに耕作権を貸与しそれを闘争資金にしながら、米軍の「管理権」との闘いを始める。私有地への交通権、地上物件の撤去命令の請求、損害賠償を求めるなどの闘いを宣言している。そして知花さんの闘いが続く中で五月九日を迎えることになるのである。
 安保破棄、基地撤去の沖縄民衆の闘いに応え、闘いを。 
「平和・市民」の解散を確認
 
 十二月九日、東京渋谷の勤労福祉会館において、「平和・市民」全国懇談会が開かれ、田、国弘、保坂、阿部、山田の各共同代表を交えた討論において、正式に「平和・市民」の政党および政治団体としての解散を承認した。集まりには全国各地からの代表を含めて約五〇名が参加し、解散の是非や今後の方向などについて活発な意見交換がなされた。全国組織として存続させるべきだ、あるいは全国は難しいとしても地域では活動を継続したいなどの意見が各所から出される一方、議員個々人の今後の選択の分岐が拡大している現状や、社会党の再度の流動への対応の必要性から「平和・市民」の枠組みを一度取り外した方がいいなどの積極解散論まで意見は多岐にわたった。
 結論として、財務処理を早急に行い、その上で組織としては「閉じる」。が、それぞれの人々があらためてどのような再結合が可能なのかは自由に討論し、方向を選択していくのは大いに結構であるという事務局と共同代表の提案が了承された。
 今後の方向の一つとして、「リサイクル平和・市民」という考え方が出され、さらには社会党内部の「護憲懇談会」との提携を考えるべきとの見解、あるいは新進党の党首選挙の行方や社会党新党問題の流動など、政界再編の混迷はまさに「一寸先は闇」であり、あらたな枠組みの模索も一定の時間がかかるなどの見方なども表明された。
 一月から、次の方向をめざした討論が、各所各様に具体的に始まることになると思われる。 
 
 参院選挙を闘って−市民の総括討論集会が開催
 
 十二月十日、東京・文京区民センターで、「どうなる?どうする?日本の政治」のリレートーク集会が開かれた。コーディネーターは「市民の意見30」の福富節男さんと「市民の政治全国ネット」の宮本なおみさん。「戦後50年、2つの選挙をくぐって」と副題された集会は、地方議員の方々や各地の市民運動の担い手など、統一地方選挙と「平和・市民」の参議院選挙のふたつの選挙を闘ったなかでの感想や今後への方向性などの十九名のリレートーク方式で問題意識を深め、共通性を探っていこうという趣旨。参加者は九〇名。
 三年前に活発な市民的エネルギーの発露として盛り上がった「内田選挙」と比較した場合に、相当の重苦しさを伴いながら闘われた「平和・市民」選挙ではあったが、その敗北の「痛み」を共有しつつ、その上で「市民の政治、政党とはなにか」にこだわろうとする意識、意欲が参加者や発言者に共通するものであった。討論の初期は、「市民の政治」や「平和・市民」への評価が当然のことだが多少の分岐を示したが、おおまかな方向性として「市民派政党」を追求するという結論に煮つまった。
 なお会の終了後の「忘年会」も、盛大に盛り上がった。
 トークの発言者は以下の通り。阿部知子(小児科医)、石井彰(自治市民93)、石崎あつ子(草の実)、内田雅敏(弁護士)、大倉八千代(憲法九条を世界に広げる会)、大久保青志(前都議会議員)、坂本史子(目黒区議会議員)、島田信子(PKO違憲訴訟原告)、中北龍太郎(大阪・弁護士)、中村まさ子(江東区議会議員)、永井よし子(文京区議会議員)、橋本文子(日野市議会議員)、福士敬子(杉並区議会議員)、古沢くみ子(北区議会議員)、武藤有子(中野のごみを考える市民の会)、安増武子(草の実)、谷津志津(草の実)、柳谷あき子(前藤沢市議会議員)、柳田真(都労連交流会)。以上敬称略。
パレスチナ

イスラエル占領地における第三世界政治

                            ワリド・サレム(エルサレムにて)


パレスチナ解放機構(PLO)議長のヤセル・アラファトは、一九九四年七月にガザに戻るとすぐにお気に入りのゲームを始めた。すなわち、パレスチナ人の様々な反対派政治勢力を分断し、彼の統制が効く諸政党の形成を始めたのであった。新政党のすべては、アラファトによる明白な権威づけのもとに生まれた。この事実は、パレスチナ自治政府(パレスチナ・オーソリティ)がこれらすべての政党に対して、その政治活動への公認を求めるよう要求するだろうことを意味している。
 この点は、三カ月前の「ハマス(イスラム抵抗運動、イスラム復興主義の組織)は、自らが政党に組織替えし、(イスラエルとの)和平プロセスを支持する場合、来るべき選挙に参加できる」というアラファト声明からも明らかである。
 こうした新しい政治潮流を形成する意図は、「当局に忠実な野党勢力」の存在を確保することにある。
 アラファトの目的は、従来の政治の枠組みを排除し、新しい枠組みを形成することである。これが、パレスチナ平和運動を結成し、一九九五年初めにガザを訪問した社会主義インターナショナルの代表団に対して、この国際組織の影響を喜んで受け入れるパレスチナ人政党の結成を支持すると公約した背景にある意味なのである。
 アラファト自身の組織であるファタハの一般メンバーや活動家は、現在ハマスとイスラム聖戦とに向けられている弾圧は、次の段階ではファタハの清算とそれに代わる新政党の結成となっていくだろうと述べている。そして、これらの活動家やメンバーは、すでにこうした過程が進行中なのではないかと考えてさえいる。
 ファタハの清算は二つのレベルで進行するだろう。一方ではファタハ指導部の一部がパレスチナ国家機構に組み込まれ、高い地位の役職が与えられる。このやり方はすでに採用され、パレスチナ自治機構の創設過程で実行され、次第に重要な意味をもつようになっている。他方、ファタハ内部のすべてのアラファト反対勢力は、組織的かつ直接的に排除されていくだろう。
 一九九五年五月、パレスチナ解放民主戦線(DFLP)の十三人の幹部は、アラファトとの会談後、DFLPを離脱し、「和平プロセス」支持を発表した。またアラファトは、人民党(前の共産党、PPP)に対しても巧妙に対処して、すでに新生政治エリートに近づきつつあった同党幹部の一部を分裂させた。
~/~ イスラム聖戦は、武装闘争を停止することはないと主張しているが、一九九六年五月まではガザ回廊での一切の軍事活動を停止することで同意しているように思われる。一九九六年五月とは、占領地と自治地域との最終的な地位に関する直接交渉が設定されている日付である。
 マスメディアは、この組織内部の対立を大々的に報道している。それによると、自治地域やその外部での指導者がそれぞれに声明を発し、そして、それらが相互に対立しているという。たとえば、獄中から解放されたアブド・アラー・アル・チャミはその際、オスロ(秘密交渉による中東和平プロセス)は「すでに現実のものとなった」のであり、これを認めなければならない、と述べた。ただし彼は後に、メディアが彼の発言を歪曲したと語ったが。
 ハマスもまた、自治区での一切の軍事行動を中止すると約束し、より戦闘的なアル・カシーム部隊に対して、この公約を守るよう圧力をかけると発表している。そして実際に、アル・カシーム本人が直接弾圧を受け、その部隊は武装解除された。
 パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は、パレスチナ自治政府の支配下にある地域での一切の軍事行動の停止を約束し、これら地域では当局の方針に従って行動している。この代償としてアラファトは、PFLP機関紙の発行禁止処分を解除し、投獄されていた同組織幹部を解放した。PFLPとパレスチナ自治政府との合意から四カ月がたったが、PFLPは当局の規制からほとんどはみ出たことはない。
 ハマスやイスラム聖戦、そして程度は弱いがDFLPがパレスチナ自治政府と激しく対立してきたのに、PFLPは大きな対立を経験していない。この理由の一部は、PFLPが武装闘争を放棄し、徴発的な行動を一切避けてきたことにある。最近、イスラエル人入植者と兵士に対する行動を理由にPFLPの十一人の活動家が逮捕されたが、しかし二日後には釈放された。
~/~ 諸組織に対する武装解除活動は、一定の人数を割り当てて現在もなお継続されている。パレスチナ自治政府の機構は現在、五万三千人の文民と一万八千から二万万人の種々の治安機関に雇われている人々から構成されている。そして一般人の中で二万万人程度が情報提供者になっているとみられている。官僚機構の月給総額は三千万ドル。パレスチナ自治政府の年間収入四億四千万ドルのうち、およそ半分以上(二億二千八百万ドル)が人件費にあてられている。
 文民、ことに治安機関内部の文民が高い比率を占めている事実は、イスラエルがパレスチナ自治政府に押し付けた役割を説明している。そのイメージの一つは、パレスチナ自治政府が新たに設立した国家治安法廷である。この機関のアドレスは秘密であり、秘かに会合して午前一時に判決を宣告する。いかなる訴訟でも弁護人の出廷は認められない。
 ガザ最高裁判所は、権力機構の別の側面を明らかにしている。最高裁とみなされながらも、この法定は形式的なものにすぎない。同法廷の決定が効力をもつのは、アラファトの承認を受けた場合だけである。
(注 「ガザでは、「電話一台取り付けるにもアラファトの許可がいる」という話が、本当とも冗談ともつかずに語られている」(立山良司著「中東和平の行方 続・イスラエルとパレスチナ」)
 ガザのすべての政治的な人々は、恐怖と期待のうちに生きている。人権基金は最近、PFLPの三人の若い活動家逮捕に関する非難の表明を拒否した。パレスチナ自治政府は、メディアを厳しく統制しており、東エルサレムでのアラビア語メディアでさえ例外でない。厳しい検閲と様々な禁止条項が存在している。たとえば、アル・ウンマ紙が発行禁止処分を受け、親ハマス紙アル・ワタンの編集者、サイード・アブ・サメーは、反体制の宣伝を行ったとして二年の投獄刑を宣告された。同紙は三カ月にわたって発行停止となった。
 パレスチナ自治政府は、予防的治安勢力の支配力をガザのすべての町に及ぼそうとしている。そして百五十人のPSAの人員がエルサレムに配置され、パレスチナ自治政府にのために働いているが、イスラエル治安機関に関しては慈悲の態度をとっている。
 パレスチナ自治政府は、諸政党の意思を打ち砕き、新聞やジャーナリストを圧迫すると同時に、その支配力を社会全体に拡大しようとしている。そのための一つの戦術が、従来からの社会指導者や部族長(特にガザとヨルダン川西岸のエリコの)と結びつくことである。別の戦術として、非政府組織に対して規制や監視を強め、これらを守ることを拒否する組織を圧迫するというものがある。
 ハマスおよびイスラム聖戦とアラファトとの交渉はこの数カ月間、中止されている。両組織は、彼らの獄中者がもっと多く解放され、パレスチナ自治政府の国家治安法廷が撤廃されなければ、再び交渉の席につくことはないと表明している。
 ハマス、イスラム聖戦以外の諸政治組織との交渉は進行していたが、諸政治組織の共同代表団が上述の二つの条件を交渉の真の基礎とするようアラファトに要求し、アラファトがそれを拒否したために現在、中断している。
~/~ パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は、二方面での連携関係の樹立を必要としている。一つは、民主勢力、特にFDLP(パレスチナ解放民主戦線)やパレスチナ人民党、そして自治地域内の無党派個人などとの再結集であり、他方は、オスロ協定に反対している十組織間でのより広範な連携(パレスチナ諸勢力同盟)である。後者のより広範な連携関係の内部では、民主的な関係に重きを置くことが不可欠である。だが残念ながら、PFLPは、そうしたやり方を依然として重視していない。
 民主愛国同盟(DPA~K~)、つまり二つの戦線間の協力関係を発展させるための枠組み形成は、地域ごとにその方針やメンバーの面で極めて不均衡である。たとえばナプルスでは、ハマスは参加していない。つい最近、同地域のDPA指導者、バッサム・アル・シャカと十のオスロ協定反対組織とが彼がダマスカスを訪れた際に交渉したにもかかわらずである。
 ラマラーでは、人民党はイスラエル人の入植に反対し、エルサレムがわれわれに帰属するという共同綱領を基礎にDPAに参加することに合意した。だがラマラーDPAの文書は、オスロ協定を非難するのではなく、それを「さらに発展させ、変更させていく」と主張している。ベツレヘムとヘブロンでは今なお、二つの戦線間およびそれらに近い個人などで同盟関係を形成する可能性について協議中である。
 インティファーダ(大衆蜂起)は後退している。だが、自らの土地を守り、入植に反対する大衆的なイニシアティブと行動力は強まっている。
 人々の基本的な気分は、行動を拒否したり、あるいは行動できない諸政党に対する一種の失望である。人々は「政治家」に頼ることなく行動を開始している。
 最近のそうした行動例としては、土地接収に反対する三つの座り込み闘争と、エルサレムの居住権の保障を要求する非政府組織が組織した新たなダム建設反対の一九九五年四月一日のデモがある。
 ダビデ王がイスラエルを建国してから三千年という神話をもとにしたイスラエル国家の祝祭に反対する闘いは、様々な形をとって展開された。アル・イサウイヤでのデモ、ベタニナでは土地取り上げに関する記者会見、エルサレムの一地域では強まるユダヤ人支配に抗議するデモなどがそうである。
 経験をつんだ政治的な活動家たち(その一部はPFLPのメンバーであるとみなされて逮捕されたことがあるが)が、こうした闘いの組織化で重要な役割を果たした。組織化の過程では、各地での居住権をめぐる運動が貢献した。しかし、これらの闘いは活動家の個人的な働きによるものであり、特定組織が「遠隔操作」した証拠はない。
 こうした活動に参加する人々の数が増えていることは、明らかに積極的な意味をもっている。だが同時に、この事実は、すべての政治組織に共通する弱さをも示している。
 現在展開されている示威運動は、平和的であり、暴力を伴わない。こうした事実の結果の一つは、非合法闘争の放棄やすべての抗議闘争を合法的にしていこうとするだけに終わらないかもしれない。闘いをあちこちの土地接収反対や居住権要求に制限する危険性が存在している。しかも、接収の背景である占領に対する闘いや政治闘争、すなわちパレスチナ人の国家建設や本来の土地に戻る権利、自決権などのための闘いを放棄する危険性がある。
 パレスチナ人の住宅問題の根本は、イスラエル人が入植や接収を通じて居住地域を拡大しているために、パレスチナ人の権利が侵害されていることである。従って本質的な問題は、土地接収反対や居住権のための闘いが「大問題」をめぐる政治闘争と連携していかなければならないことである。だが、現段階では、事態は正反対になっている。
~/~ エルサレム自治評議会がつくられた。それは、ファタハ、PFLP、FDLP、人民党(PPP~k~)、ハマス、DFLPから分裂したフィーダのそれぞれの代表と、五人の個人(親ファタハ二人、親PFLP一人、ムスリム宗教指導者一人、キリスト教一人)とから構成されている。ファイサル・アル・フセイニーが主宰しているが、十一人の評議員の枠外である。
 評議会に所属する委員会として、保健、教育、文化、観光、商業、土地問題、その他の問題を扱うものがつくられている。評議会の権限とそのイスラエル国家との関係は、今後定められることになっている。評議会は、公式にはパレスチナ自治政府とは無関係であるが、評議会が受け取る資金の配分権を握っている。
 評議会は、エルサレムにおける土地接収問題(イスラエルは土地接収計画をもっていた)に関して明確な態度をとることを拒否した。だが、主宰者のファイサル・アル・フセイニーは、少なくとも評議会の精神上の権威者であるようであり、この問題に関して評議員に働きかけたり、メディアに発表している。
 評議員は上から任命される。DFLP、PFLP、PPPの「代表」は、それぞれの組織から評議員として活動することを認められていない。
 エルサレム評議会が三つあるエルサレム問題「解決策」の一つに向かう第一段階となる危険性が存在している。その三つとは次の点である。
 ★イスラエルとパレスチナの自治評議会を分離し、それぞれが西と東のエルサレムを統治する。
 ★単一の包括的なエルサレム評議会を形成するが、実質的には西と東を分離して統治する(形式的にロンドン自治政府と類似の構造となる~K~)。
 ★統合自治評議会の形成。
 PFLP、DFLP、ハマスはもちろん、これら三つのタイプのいずれの評議会にも参加を拒否するだろう。だが、現在の評議会は、三組織以外の「交渉プロセス」に参加しているパレスチナ勢力の動向を見る試金石となるかもしれない。
 いくつかの政治組織は、エルサレム評議会の廃止と「作業委員会」の形成を要求している。ナプルスとラマラーでは、こうした委員会が各政治勢力の収用な共通組織体になっている。村落や地区の代表がこれに参加し、該当社会の問題を討議している。
~/~ 一九四八年休戦ラインの内部に居住するパレスチナ人は、イスラエル国家の市民であり、この国の議会政治に限定されているものの参加できる。「二つの戦線(DFLPとPFLP~K~)」のメンバーが主として支持している組織は、愛国民主再結集(リグループメント~K~)(PDR)である。設立会議は今月に開かれることになっているが、すでにアブナ・アル・バラード運動や協定と平等運動、モハメド・ミアリ進歩運動、ネゲベ草の根運動などを行っており、無党派活動家も参加している。
 アブナ・アル・バラード運動の大会は、代議員の約五九%の多数で次のイスラエル国会(クネセット)選挙では候補者を立てないこと、PDRの立候補反対、いかなる組織に対しても公式の支持を表明しないことを決定した。
 この決定は妥協の結果だと思われる。ある一つの小さな少数派は、同運動を解消してPDRブロックへの参加を望んだ。その他の少数派は、同運動あるいはPDRの選挙綱領にイスラエル国家のシオニスト的本質を除去する要求を入れるべきだとした。もちろん、こうした要求を掲げた候補者名簿をイスラエル国家が認めるはずもない。
 長く激しい討論の末、同運動はこの大会を経てさらに強くなり、新しい戦略のもとに団結している。
 一九四八年休戦ライン内部のイスラム原理主義運動は、イスラエルの選挙を完全に無視するだろう。立候補もしないし、どの候補者を支持・推薦することもないだろう。これは、形式的にはアブナ・アル・バラード運動の態度と同じである。ただ、原理主義系の有権者が投票すると思われていないのに対して、同運動の有権者はPDRの候補者に投票するだろうと期待されているのが、両者の違いである。
(インターナショナル・ビューポイント誌~H~11~I~月、271号)
フランス公務員労働者(10月初めの闘い)

ゼネストに突入

 フランス公務員労働者の七つの労働組合は、シラク政権(ジュペ首相)の攻撃に対して統一して起ち上がった。フランス政府は、公務員労働者の一九九六年の賃金凍結を発表した。しかも、その発表の仕方は、極めてあわただしく拙劣だった。
 しかし現時点では、この統一した抗議を政府は、憂慮していないように思われる。政府は、攻撃を強め、ゼネストが設定されている十月十日が近づくにつれ労働組合に対して侮辱的な態度をとるようになっている。その理由の一部は、政府が公務員労働者のストライキの影響を過小評価しているためである。また、ストを阻止できないと知っているために、社会的な対決に関して自らの強さと決意とを大々的に示そうとしているのでもあろう。
 フランス政権は、次の二つの理由から公共支出を削減しようとしている。一つは金融投機者を喜ばせるためであり、もう一つはヨーロッパ統合をめざすマーストリヒト条約が定める通貨統合のための基準を実現するためである。だが、この実現を追求することは、シラクが今年初めの大統領選挙で行った公約と矛盾している。それはまた、様々な社会運動、特に組織労働者の運動と対立することが不可避となっている。その結果が、シラク大統領とジュペ首相に対する支持率の前代未聞の低下なのである。
 ジュペ内閣の汚職スキャンダルとそれによって政権の動きが鈍くなっているという現状にあっては、シラク政権の強硬な態度表明は、世論の労働組合に対する支持の気分を大きく増やすことになる。ある世論調査によると、人々の五七%は「一九九六年の賃金凍結に抗議して闘う公務員労働者に対して支持しているか、あるいは好意的である」という。そして二六%だけが抗議行動に「憎悪」あるいは「反対」だという。さらに失業者の間では、ストに対する支持の傾向が一般市民よりもわずかだが強い。失業者の五八%が支持側、反対は二〇%となっている。
 つまり公務員労働者とその他の労働者、組織労働者と失業者の間で対立が生じるに違いないといわれていたが、そんな事実はまったくない。その理由の一部は、公務員労働者の闘いが、失業問題を大きく取り上げているからだ。そして、闘争のスローガンと旗には、公共部門での労働条件の悪化、パートタイム労働の拡大など不安定になっていく労働条件が闘争対象として掲げられている。
 その他の課題として、ストライキが掲げているのは、もちろん賃金もそうであるが、国有企業の民営化がある。テレコム社の労働者の七〇%がストに参加している(教育労働者では三人に二人が参加した。その他では概して五〇%の参加率である)が、民営化はこの労働者にとって大きな脅威になっている。
 十月十日、二百万人以上の労働者が仕事をやめた。フランス主要都市の公共交通は機能を停止した。そして労働者数十万人がデモを行った。
 これらの闘いのうちには、公務員労働者の間だけでなく、公務員労働者というサービス提供者とその消費者である市民との間でもつながりをつくり出そうとする真の意欲が感じとられた。学校に若者の失業の責任があるのではない。労働組合に公共交通料金の値上げに責任があるわけではない。
 四つの「改良主義」労働組合は、労働現場のスト権投票で少数の賛成しか獲得できなかった。しかし主として前バラデュール首相時代の経験のおかげで、スト主催者側の様々なレベルの三者機関と協議機関では、スト賛成が多数を占めたのであった。
 共産党系のCGT(労働総同盟)と単独労働組合であるFSU(教育労働者の労組)は、パリのデモを単一の隊列で展開することを提案した。しかし、これは通らなかった。それぞれの労組がそれぞれの隊列を組むことになった。抗議行動に対する政府の新たな提案を待つ姿勢を強めている四つの改良主義労組の隊列に参加した労働者の比率は、わずかに五人に一人だった。
 公共相は、「一九九六年第2四半期」での交渉を提案した。これに対してCGTとFSUは、独立単産十組合のグループと同様に強く反対した。一九九六年の賃金凍結撤廃を要求し続けているだけでなく、交渉の即時開始をも要求している。
(インターナショナル・ビューポイント誌~H~11~I~月、271号)
新書紹介 立山良司著 「中東和平の行方 続・イスラエルとパレスチナ」
 十二月二日付の日経新聞四〇面は「激動にすくむ政治・経済書」と題して、中央公論社が一九六六年に創設した吉野作造賞が九五年度は二度目の受賞作なしに終わった事実をとりあげて次のように述べている。
「政治・経済書の低迷の背景には書き手の側の自制もある。……渡辺利夫東京工業大学教授は「現在は巨大な過渡期。予測や分析が現実を裏切った結果、研究者の目に惑いが生じ、論壇にも自制が働いた」と見る」
「厚手の政治・経済書が苦戦する中、政治・経済関連書を積極的に出版しているのが各社の新書だ。中でも中公新書は宮崎義一氏の「複合不況」に代表される本格的な政治・経済書を出版。……中公新書編集部長は「……採算の関係から厚手の本の出版がしにくい現状では、新書は単なる啓蒙書以上の存在となるべきだ」という」
 その中公新書から九月二十五日に発行されたのが本書である。
 著者の立山良司(敬称略)は、一九八九年九月に同じく中公新書で「イスラエルとパレスチナ」を刊行しており、本書は副題からも明らかなように、その続編である。著者は奥付によると中東現代政治を専門分野としており、毎日新聞記者から在イスラエル日本大使館専門調査員、国連パレスチナ難民救済事業機関職員を経て、一九八九年から中東経済研究所勤務、現在は同研究所主幹、という。
 著者は「はじめに」で次のように語る。
「イスラエル・PLO合意が各方面で変化を引き起こしていることは事実だ。一連の変化はパレスチナ問題やアラブ・イスラエル関係を今後、どのような方向に引っ張っていくのだろうか。……最も必要とされていることは、さまざまなレベルでばらばらに進行している現実の動きを、大きな時代の流れの中で改めて組み立てなおし、全体を俯瞰することだろう。本書がそうした作業の一助になれば幸いである」
 中東全体に関連する書物が極度に少なく、パレスチナ関係はほとんど一般には入手できないという状況にあっては、本書は貴重な一冊である。最後にインターナショナル・ビューポイント誌の記事「第三世界的なパレスチナ政治」に関連するパレスチナに関する本書の記述を引用する。
 ~K~「(パレスチナ人ジャーナリストが、自治の開始とともに自主規制を始めざるを得ない)状況を生み出している原因がPLO指導部の政治意識や政治スタイルにあることはいうまでもない」
「長い間の武力闘争を生き抜いてきたためだろうか……アラファトらPLO幹部は、セキュリティ意識が非常に強い。パレスチナ警察の規模がガザとエリコだけで一万八〇〇〇人に達していることも、過剰ともいえるセキュリティ意識を反映している。……「このままでは警察国家になってしまう」という批判も決して誇張ではない」
「最大の問題は、アラファトを中心とする自治政府が、パレスチナ人一般の間で正統性を確立していないことだ」
「自治政府を含むパレスチナ人社会は悪循環に陥りつつある。イスラエルとの交渉は進展せず、生活や経済はまったく良くならない。このため和平反対派への支持がいっそう高まる。これに対しアラファト指導部は危機意識を強め、無理にでも「敵」を抑え込もうとする。すると、アラファト批判がさらにひろがり、ハマースの台頭に拍車がかかる、という悪循環だ」
 なお二面の地図は本書からの引用である。
~S~(高山徹~K~)~

加藤滋さんをしのぶ会

 加藤滋さんをしのぶ会が十一月十九日、宮城県仙台市で開かれ、地元を中心に一六〇名の仲間が出席した。この会を呼びかけたのは、加藤さんとともに運動を進めてこられた宮城県内の方々で、阿部宗悦さん(女川原発反対同盟会長~K~)、清水宏幸さん(医師~K~)、鈴木宏一さん(弁護士~K~)、星野憲太郎さん(宮城全労協~K~)、山田幹夫さん(市民の政治・~H~95~I~仙台代表)の五名。
 しのぶ会は二部構成で行われた。「同志は倒れぬ」の斉唱で始まった第一部は、加藤さんを追悼する発言が続いた。目頭を押え、しのび泣く参加者たち。スタッフとして場外で各々の仕事をこなしつつ、館内放送に聞き入る電通労組の組合員たち。それは、加藤さんの死がまぎれもない現実であることを改めて確認しあう場となった。
 呼びかけ人を代表して阿部宗悦さんは、「平和・市民」の参議院選挙で東北各県を連れだって行脚した思い出にふれつつ、「大きな空洞をどう埋めるか不安であるが、ともに世直し運動を前進させるこをと確認する集いにしたい」と主催者挨拶。阿部さんはこの日、「加藤が仲間とともに女川にやってきたというので探したが、どこにもいない」という夢から醒め、一睡もできないままであったという。
 山川暁夫(大阪経法大学教授)さんは、まったく心の準備なしに唐突に訃報を耳にした時、衝撃を受けたという。イタリアの反ファシズムの映画のシーン(旅芸人の記録)に寄せて、「よう頑張ったな、よう生きたなと言いながら、ずっと拍手して加藤君を送りたい」と心情を語った。
 西村卓司(連帯長船労組)さんは、「加藤に会って議論したいことが山ほどあった」として、論題の一つに「戦後補償」問題をあげ、一九一七年のロシア革命の無併合・無賠償の原則(と後の無抑留)を今日いかに位置づけ活かすのかと問いかけた。西村さんは「心の奥底で加藤と会う」ため翌日、電通労組の仲間たちと「加藤を離さなかった田んぼ」を訪れた。
 佐々木力(東京大学教授)さんは、友人として、またトロツキストの同志として発言。ある雑誌の編集者に「プロレタリアなどというのは今の世界のどこにいるんだ」と論駁されたとき、真っ先に浮かんだのが加藤さんの顔であったとエピソードを披露し~K~「(第四インターナショナルの指導者の)マンデルのベルギーと同様に労働運動の拠点を形成した仙台」への熱き思いを語った。
 電通労組顧問弁護団を代表して新美隆さんが「にこにこ笑いながら、あの坊主頭を撫でる仕草」に言及した時、会場がなごんだかのようだったが、それも一瞬だった。「二回の、彼が走り回った今回の選挙が命を縮めたのかと思うと感無量だ。今度はむしろ彼が私たちを走らせていくのではないだろうか~K~」。
 「二回の選挙」の事務局長でもあった鈴木宏一さん。「市民の政治」全国ネットの一員として仙台市議選に挑戦し、休む間もなく突入した「平和・市民」の参議院選挙では選挙母体の分裂もあって準備もないまま闘わざるをえなかった。淡々とした語り口で加藤さんとの交流を振り返った鈴木さんは、最後に「二回の選挙を闘いぬいた果ての戦死」であると悲痛な思いを吐露し絶句した。
 遺族から挨拶を頂いた後、呼びかけ人から清水宏幸さんが発言した。「しのぶ会を遺族の方々とともに、加藤さんの闘いの姿やその功績を共有する場とした」と常々遺族を気づかい、いたわってこられた清水さんは「これからも遺族の皆さんと苦労を分かち合い、加藤さんの想いを胸にして進んでいこう」と呼びかけ、第一部を締めくくった。
 献花を終え、第二部に移った。前田裕晤(電通労組全国協議会)さんの開会の発言、山田幹夫さんの献杯の音頭、足立実(東京東部労組)さんからの挨拶、ともに運動を進めてきた地元の人々からの発言、七四ゼネストの記録フィルム上映(加藤さんが全電通分会委員長として指導~K~)、メッセージ紹介など盛り沢山の内容であった。時間の経過とともに参加者の交流の輪が会場に広がっていった。なかには、加藤さんの死が引き合わせた懐かしい出会いもあった。
 最後はインターナショナルの大合唱であった。
 皆が加藤さんを本当に惜しみ、彼とともにあった日々を確かめ合いながら、しのぶ会は終了した。

 信じたくないが現実である加藤さんの死。仲間たちは、この「心の準備のない唐突の」事態のなかで、困惑の気持ちを引きずりながら対応に追われてきた。しかし、彼の死は、やがては皆の心のなかで思い出となっていくに違いない。

 なお、しのぶ会は「加藤さん追悼集」を発刊した。また、しのぶ会の内容を収録した報告集もまもなく出版される。問い合わせは「しのぶ会」事務局まで。
 仙台市青葉区北目町二―四〇―三〇一
  電通労組本部気付
加藤滋さんが生前著した文書から

            しのぶ会発行 加藤滋さん追悼集から転載

遙かなロシアに思うこと

        一九九一年九月

 たった三日間のクーデターが失敗したソ連の情勢は、一挙に共産党の解散、レーニン像の撤去という事態に入り、共和国の独立、連邦の解体という事態が急速に始まった。アメリカ、ヨーロッパなどの介入、どう喝の動きの中で、これまでの民主化の闘いが資本主義への回帰まで進むのかわからない状況が、マスコミで報道されている。
 民主化の闘いが一党独裁を解体し、一枚岩的権力支配の連邦が崩壊するのも必然だと思われるが、民族問題、経済再建などの根本的な問題は何も解決されるとは思えないし、これからの課題である。
 ロシア革命と社会主義の問題から、今日の歴史的な情勢を考えなければならないような気がする。おそまつなクーデターの状況が明らかになるにつれ、これがソ連の権力機構かと信じられない思いがするし、同時に激動する情勢の中の大衆のエネルギーの凄さをも感じる。
 ペレストロイカ、グラスノスチなど民主化の闘いの成果が、激動する情勢のダイナミズムによって新しい歴史の可能性をもたらすと信じたいし、歴史の逆廻りはあり得ないとひそかに想いたいものです。東欧情勢が一つのサイクルだとすれば、今日のソ連情勢は次の新しい情勢のサイクルの始まりになるだろう。社会主義体制が再度歴史に挑戦することが、地球の破滅を救うことになるだろう。このことは今日のソ連、東欧情勢の本質的な問題が、地球全体の問題に重なっているからである。
                 (電通労組 加藤 滋)

「平和・市民」結成で新しい流れを

         一九九五年六月

 五月二十八日、市民派、護憲派の新党が誕生した。参議院選挙を闘うための公選法上の政党「平和・市民」だ。東京で開かれた結成の集いには、宮城、新潟、静岡、愛知、大阪、岡山、広島、熊本など全国から一五〇人が参加した。
 前日の二十七日には、社会党が新党への移行として「九五年宣言」を臨時党大会で確認し、新しい局面に突入した。統一地方選挙での東京、大阪の知事選における青山幸男、横山ノックの勝利は、既成政党拒否の選択であり、今日の政党再編の流れに対する明確な意志表示である。
 五月三十一日、青島都知事は、都議会、官僚の圧力を跳ね返し、世界都市博覧会の中止を宣言した。全面対決である。翻って村山連立政権は、官僚の圧力の中で全面屈伏の最悪である。
 政治不信の構造は、既成政党への不信であり、新しい政治の流れを要求していると考えるべきである。しかも、政治を市民の手に取り戻すことは、言いかえれば主権在民の民主主義の基本を要求している歴史的な大闘争、政治闘争であるだろう。
 「平和・市民」は生みの苦しみの中からようやく結成された。市民派、護憲派の総結集とは言えない不十分さがあるし、労働戦線はこれからである。しかし市民の手に政治を取り戻す可能性を発展させて、政治不信を政治の新しい流れに作るために、「平和・市民」に結集し、七月の参議院選挙を闘おう。
                (電通労組本部執行委員 加藤滋)