1996年1月10日         労働者の力              第74号

橋本政権発足 政治再編の後半戦の始まり
変動の時代に新たな左派勢力の展望を

川端 康夫


 一九九六年が始まって間もない一月五日、突如として村山首相の退陣が表明され、息つぐ暇もなく、自民党橋本総裁への政権「禅譲」、そして十一日の臨時国会召集、橋本(自・社・さ)連立政権の発足と続いた。三党連立が意味する圧倒的な議席数の差と、不満集団も新進党小沢には公然とは投票できないという環境の中で、橋本内閣はさほどの感激も憤激も呼び起こすことなく発足することになった。自民党が首班政党へ復帰した橋本内閣だが、「政治再編の後半戦」の始まりとしてしか理解できない。橋本「改革創造内閣」の、改革と創造の内容も少しも明らかではない。

社会・さきがけ新党構想の出発

 村山辞任は昨年末の十二月二十九日、村山の静養先(伊豆長岡)で行われた村山・武村会談で結論が出されたとされている。辞任劇の結果を項目的に整理してみれば、次のようになる。
 第一に、自社さ連立政権の今後が限りなく不透明になった。第二に、自民党は単独政権への復帰の筋書きを二つの可能性に置くことを公然化した。第三に、二極(二大政党)あるいは三極論の行方も限りなく不定型なものとなった。
 これらの三点は、一見して理解されるように、それぞれ同じことの別の表現である。自社さ連立の枠組みの動揺は、同時に自民・新進という対立の二大極という図式も動揺させる。あるいは自民・新進という二大極の動揺の始まりが村山・武村の「合作」を呼び起こした――そのような局面に至っている。
 そして第四に、社会党の「新党推進派」の中枢が解体された。第五に、村山・武村の構想は、自民・新進にまで及ぶ新党の地平を示唆している。第六に、小選挙区制度への「牽制球」が公然と投じられ始めた。
 ここでの第四と第五の点は、いわゆる政治再編が始まって以降、一方的に揺さぶられる立場に置かれてきた社会党サイドが、さきがけと組むことを通じて再編劇に積極的かつ主体的に役割を演じようという意欲を持ちうるところまで、ようやくたどり着いたことを示す。第六は、小沢新進党という枠組みを支える小選挙区制度とそのための切り札ともいうべき創価学会の集票力という手品の底を割ろうとする意図を表明している。
 これら錯綜した思惑を通じて、村山・武村も梶山(橋本)も、反小沢すなわち反新進党、そして新進党の解体を通じた再編劇の後半戦を(攻勢的に)意識していることが浮かんでくる。
 自民党が、現時点において自社さ連立路線派(Y・K・Kなど)であれ保保連合派(梶山・中曽根など)であれ、新進党を対極の政治勢力として認知することは毛頭考えていないことが明らかである。中曽根も故渡辺も、小沢主導のもとに新生党への合流を考慮した時期があったのは事実だが、それは過去のものだ。新進党における一・一ラインのぎくしゃくや羽田グループの党内「健全野党」宣言という現段階は、明らかに新進党の求心力を削ぎ落としている。現時点での保保合流論は、自民党主導の論理である。

久保亘の転換と社会党の新主流体制へ

 橋本首班選出において、社会党やその他の「造反組」が新進党の小沢に票を投じる環境になかったことの意味は大きい。社会党の「新党建設派」の大勢は、明らかな新進党・小沢路線への合流派であった。旧民社や民改連など「連合」を背景にした勢力と同様に社会党の右派部分もまた、全電通などの連合推進勢力の圧力、支持のもとに新生党・新進党路線へ傾斜し、左派部分の切り捨てを通じて、小沢的な二大政党論に与しようとしてきた。
 村山政権誕生という一種のクーデター成功以降も、こうした傾向は新進党志向として左派切り捨てに動いてきた。前委員長の山花は、こうした新進党志向勢力に詰め腹を切らされる形で社会党からの離党を決断せざるをえなかったのである。山花時代の書記長である赤松や山花の指南役であった元委員長の田辺、さらには佐藤観樹らのグループからは、前回の首班選挙において村山ではなく新進党の海部に投票するものまで登場した。だが今回、離党組を含めて、小沢への投票はゼロであった。そして久保は大蔵大臣・副総理として入閣し、ここに右派主導の新党結成論への幕は降りたのである。
 右派主導の新党論は、明らかにこれらの勢力の焦燥感を表現していた。何よりも社会党的には、反村山、反連立という印象をぬぐうことができず、そして同時に新進党志向をも表現できない、どうにも性格のはっきりしない新党論であった。その判然としないものに「第三極」なる意味付与をしようとしても、「二大政党時代」における「第三極」の位置づけを与えることはできていなかった。
 社会党は、総体として主体的には右にも左にも動けない閉塞状況にあった。枠組みを決定する要素は、客観要因としての村山政権の存在であり、それが持続する過程は新進党志向勢力への重しと作用したが、にもかかわらず社会党の展望が切り開かれるわけではなかった。
 閉塞状況を打破するには、新たな何かが必要であった。そうしてそれらの模索が、とりわけ昨年夏の参院選挙以降、本格的に始まったと理解できる。河野・土井・武村の連携が示唆された時期以降から、村山・武村の今回の下野までは一連の糸が続いていると考えることができる。
 村山は社会党の隘路からの突破を、そして武村は少数政治勢力からの脱却と自らの自前政権の夢を抱いて、当面は第三極論を表面上は踏襲しながらも、その実は第二極への主体的移行を内心展望して「合作」に踏み切ったということができる。

国家・社会構造の動揺の深化

 政治再編劇の後半戦は確実に、新進党勢力の解体・切り取りを展望した自社さ勢力の動きと、小沢を立て、小沢の路線と力量に依拠して現状を防衛しつつ、さらに先の展望を切り開こうとする新進党とのせめぎ合いとして始まる。
 別の観点からいえば、梶山の持論とされる「保保連合」あるいは「保・個々連合」なる構想が下敷きにしているものが、仮に旧来の自民党的勢力の復活であるとすれば、そうした構想そのものがもはやアナクロニズムではないのかという指摘が必要なのである。
 日本政治の枠組みが内外ともに揺れている。旧来の枠組みが限界に達し、そして、そこに新たな政治流動と再編が必然化した。しかし、そのゆくべき先が依然不透明である。一時の主導的極であった小沢的路線の底も割れ始めたからこそ、新進党が一方の極であることの必然性もほころび始めた。
 住専問題の重荷、沖縄の「重荷」、あるいは大蔵官僚の行動や官官接待問題の噴出、さらにはバブル経済崩壊後の日本経済展望の不透明性、これらはまさに自民党政権と官僚機構の癒着の全構造が一種の金属疲労状況に直面していることを明らかにしている。より正確には、政治、行政、司法の枠組みの総体が、政・財・官(そして労)の結合の総体が、国際的な関係においても国内的な関係においても機能しなくなり、それぞれが再編に直面させられている。
 政・財・官が輸出競争力至上主義というもののうえに一つの陣営として結束し、その陣営が民衆の様々な要求や闘いに厳然として対決する。それが国家的な意思、必然の意思として貫かれ、有権者意識を封じ込め、同時に国家財政を自由にした利益誘導の枠組みで集票構造を築く。こうした五五年体制型の保守政治の政治環境は今、少なくとも基本のところ、すなわち輸出至上主義のところで崩れている。自民党政府体制は、その政・財・官の結合した体制として、一方で東西冷戦構造におけるアメリカ帝国主義のひ護を受け、他方では戦前の国家体制を姿を変えて引き継いだ、国家権力の一種の超然性を保持してきた。
 これが崩れている。しかし次は見えない。これが九〇年代中期の現実である。
 村山政権は連立時代の三番目の政権であった。細川・羽田の連立政権が反自民の装いをとりつつ、実態は新保守主義政治の確立に向けた政治体系に他ならなかった。村山政権は自社さの新連立によって、反小沢路線という新保守主義政治への民衆的抵抗感を背景にしようとするものとなってきた。だが、その村山政権は同時に伝統的な自民党政治の体系に自ら融合しつつ、そのほころびを繕う役割に終始してきた。これでは展望はない。
 自民党政権復帰のアシスト役を越えて、さきがけの「ソフトな保守主義」、村山の「ソフトな現実主義」によって政治再編の後半戦に参加する――これが新たな社会・さきがけ新党の位置づけとされるであろう。

「変動の時代」に独立左派勢力の展望を

 今、橋本政権が引き継ぐものは、崩れつつある政・財・官の癒着、そして、その傘のもとに組織されてきた利益誘導型、利権獲得型の政治と経済のあり方そのものである。
 自民党的なものの再帰には幾重もの障害があり、そして現在の自民党には、必要な「腕力」の基盤(政・財・官の癒着)がもはや十分には備わっていない。住専問題に臨む大蔵大臣のなり手が見つからなかったエピソードをみれば一目瞭然であろう。
 連立の時代において、政党はソフト・ランディング的な要素を考慮せざるをえない。橋本自民党は保守勢力の統合と単独過半数政党への復帰をめざすとすれば、一方でこうした要素を取り込みつつ、他方で小沢的・中曽根的な新保守主義の要素も取り入れなければならない。これはアクロバットであり、内的整合性が保障されるとは到底いえない。新進党が内部的にきしみを見せているように、自民党そのものも統一性は保障されない。これはさきがけや社会党が志向する新党にも共通することであり、政治再編劇がさらに混迷し続けるであろうことの明白な根拠だ。
 自民党政府体制が体現した日本の国家的・社会的あり方がくずれ始めていることが意味するものは、「変動の時代」ということにある。この変動の時代は、国家・社会構造の総体を通じて貫徹していくという予感を与えている。五五年体制=自社体制の崩壊という一時期はすでに終わったと理解されなければならない。変動は総合的なものだ――企業組合主義的・企業連的労働運動も、社会党の随伴者的性格を残し続けてきた社会運動も、それぞれ新たな姿への胎動を内包して過渡期、混迷期を経過していると理解されなければならない。
 こうした時期、一方にロビー政治的な、ソフトな保守主義やソフトな現実主義の引力も確かに強くもなるであろうが、反面、戦後的な経済成長主義と一対であった企業組合主義労働運動からの脱却の契機に転じていく可能性も着目されるべきである。変動の時代を、新たな独立した民衆的左派形成の場へと転化する――社会党の現実保守主義への溶解はその必要性をさらに明らかにしている。
 (九六年一月十二日) 川端 康夫

新春放談会
どんづまりの資本主義の時代をどう生きるか
社会的統制の実現めざし新しい世代の運動に期待


 一九八〇年代末に東欧・ソ連圏のいわゆる社会主義陣営の崩壊が始まり、そして冷戦時代が終わり、「資本主義」あるいは「市場経済」が勝利したといわれた。それから十年近い歳月が過ぎた。いわば現在の時点は、冷戦構造から次の世界への移行期の最後の局面といえよう。冷戦時代が終わった後の次の世界構造が「トンネルの先の光」のように、かすかにであれ見えてきてもいい頃であろう。この問題意識から現在をどのように認識し、その中でわれわれが一貫して追求してきた「社会主義の再建」を、どんな観点から、どのような大局的な方向で考えていったほうがいいのか――こうした点に関して自由に話し合ってもらった。当初は「世界革命の夢を見ようじゃないか」といった日常の枠をはずれた放談を期待していたのだが、結果は意外にも「真面目」なものになってしまった。いずれにしても、当然にも話には明確な結論があるわけではない。しかし、現在社会の様々な問題を考えていく上での、あるいは、日常の様々な運動を担っていくうえでの基本的な観点を形成するための、重要な論点が提出された放談会となった。

時代の転換を画した一九九五年

坂本功□ 昨年の一九九五年は確かに一つの時代の区切りを画したと思う。現実の運動としても、北京で行われた世界女性会議や、あるいはそれが火をつけた沖縄での闘争など、元気な様々な大衆運動が登場してきた――こうした全体状況としての新しい時代、転換の認識はある。だが、大衆運動全体については、話を聞いたり、読んだりするだけだからはっきりしたことは言えない。
 労働者運動に関して言えば、一九九五年で明確に一つの区切りがついた。全労活、大阪集会、10月会議、東京集会などといった形で日本労働者運動の左派は、一九七〇年代に始まって運動を展開してきたが、一九八〇年代も左翼労働運動の潮流は、総評・社会党の最左派として活動を行ってきた。
 一九八二年に労研センターが登場した。総評左派の三つのグループ(太田、岩井、市川)が労研センターとして合流した。これが中心となって総評解体に対する抵抗闘争を展開した。そして労研センターを通じて全労協結成が提唱され、一九九〇年に全労協と連合が形成された。この過程は、もう少し子細にみると、先の三グループが労研センターに合流したのだが、労研センター全体として運動の主導権を握ったわけではなかった。岩井グループが政治指導部の役割を果たした。
 総評が健在だった頃、われわれを含めて日本新左翼は、総評の最左派と提携しての新しい潮流形成をめざして活動してきた。この基本的な活動方向は、当然にも社会党の動向とも連動していた。
 冷戦時代の終わりを重大な背景として、政治再編、政党再編の動きが始まった。自民党が分解し、三十数年にわたって持続してきた自民党一党支配構造が崩壊し、雨後の竹の子のように新党が次々と結成された。こうした政治状況は、社会党にも波及したし、ひいては労研センターを中心とする流れにも影響を与えた。
 政治再編の動き、労働者運動再編の動きの中で、つまり一九九〇年代に入って問われていたのは「どんなヘゲモニーを打ち樹てるのか」だった。まさに、この時点で、九二年に労研センターは解散してしまった。ヘゲモニー勢力としての自己を維持できなかったのである。
 だから、日本の左翼労働運動の一九九〇年から九五年までを一言で表現するなら、「政治的な飛躍が要求された、まさにその時点で自己解体をとげた」ということになろう。労戦統一問題でも対応がバラバラになり、九〇―九二年の政治再編の過程(今なお進行しているが)に対しても分解していった。その結果が昨年の参議院選挙における平和・市民の惨敗として現れた。ここで総評解体攻撃の始まりからの一つのサイクルが明確に終わったと見るべきだと思う。
 その意味で、七〇年代、八〇年代の闘いの延長線上に運動、闘いを継続していくなら一九九五年以降、つまり、これからの時代を闘っていけるとは考えられない。一九七〇年からの二十五年間、あるいは一九八〇年から一九九五年までをきちんと総括して、そのうえで二一世紀に向かう潮流をどのようにつくっていくのか――これが鍵だ。

これからの闘いの基本軸

坂本□ 戦後の経済、社会、政治の構造すべてがぶっこわれ、五五年型の労働運動、労働組合運動の枠組みが終わったのだから、その枠組み自体をもう一度立て直すこと、これが基本的な課題だ。これに着手する以外にない。その場合、具体的にどこから、どの方向で立て直していくのか、これが問題だ。
 この点に関して考えている一つの柱は、反失業闘争である。あるいは新しい意義づけをされた反失業闘争といっていいかもしれない。
 ソ連・東欧の社会主義陣営が崩壊して、全世界を市場経済が支配するようになる。そして資本主義の勝利が謳歌されたが、現実に起こっているのは、日本やアメリカ、あるいはヨーロッパでも大失業時代といわれる状況だ。日本では就職の大氷河期とさえいわれている。こんな時代、つまり資本主義が社会の将来を保証できなくなっている時代に、どう対応していくのか、どのような攻勢に打って出るのか――こうした大きな構えが必要であり、これ以外に労働運動、労働組合運動を立て直していく起死回生の手があるわけではない。
 日本の失業率は、九五年十一月期で三・四%と戦後最悪の数字を記録した。そして通産省は、経済構造が転換する過程で重厚長大型の従来の経済構造から排除され失業するる労働者数は四百五十万人となるだろう、と試算している。他方、トヨタの社長は、アメリカ並の生産性に達すれば二千万人が余剰労働者になる大失業時代が到来するだろう、と言っている。通産省は、トヨタの社長よりももう少し緻密に計算して労働力移動を考慮して四百五十万人と試算しているのだが、そのうえで規制緩和による新規雇用の創出で四百万人が吸収されると予測している。
 だが、いずれにしても少なくとも四百五十万人が失業をし、再就職できた場合でも旧来より悪い労働条件を強制されたりして、労働者の階層分化が激しくなっていかざるを得なくなる。この状況と全面的な対決ができる労働者階級の運動をどのように構築していくのか――これが問われている。
 実際、昨年後半にフランスで展開された公務員労働者のゼネスト、あるいはアメリカのAFL―CIO(米国労働総同盟産別会議)の会長選挙でサービス産業の労働組合から立候補者があり当選したという事実、これらの背景には、サッチャー・レーガン路線(規制緩和、資本の野放図な活動の許容)の結果としての欧米労働者の二極分解、貧富の格差拡大がある。日本でも事態の流れは、この方向に進んでおり、これをどう予測し対決していくのか――これが大きな問題になっている。
(注 AFL―CIOは、オルグの対象としてもっぱら製造業労働者こそ真の労働者と考え、サービス労働者やハイテク産業の知的労働者を敵視してきた。今秋、ニューヨークで開かれた同会議全国大会でも激しい路線論争があったが、サービス労働者の組織化に熱心なグループが初めて執行部人事を押さえた。 日経新聞「アメリカの葛藤」から)
 九六年春闘で具体的にやろうとしているのは、規制緩和、とりわけ労働分野での規制緩和と対決することであり、「ストライキ実力闘争で規制緩和を打ち破れ」をスローガンにして闘っていきたい。

規制緩和と闘うとは?

川端康夫□ 規制緩和反対の運動とは何をめざしているのか。この点については、それぞれの立場からいろいろな意見がある。例えば、日本の物価は異常に高いが、それを安くするためには規制緩和が不可欠という意見がある。あるいは「米を一粒たりとも入れない」とか「大店法反対」などといっていたが、どうなのか。
坂本□ 川端が言うように規制緩和に関しては、いろんな意見がある。実際、全労協の議論でも「いい規制緩和がある」との意見もあり、「労働分野での規制緩和反対」と主張している。
 内橋克人著「規制緩和という名の悪夢」という本があり、これはおもしろいし、規制緩和問題を考えるうえで必要だと思う。ここで提示されている事実などを参考にしながら、考えてみたい。
 レーガンの規制緩和は一千万人の「マクドナルド雇用」を生み出した、といわれている。つまりサービス産業で新規雇用に成功したというわけだ。しかし実際には階層分解が極度に進んで、労働者の間でも貧富の格差が拡大した。
(注 消費者サービス産業の多くは、極めて労働集約的であり、低賃金職で最も所得水準の低い職種だ。ちなみに、給仕係の九二年の中位週給は二百二十ドルだった。年間四十週で年収に換算すると、わずか九千ドルにも満たない。都市経済が再生していく過程で、専門知識や技術を持たない多くの労働者たちが、こうした低賃金のサービスに従事することを余儀なくされている。日経新聞「アメリカの葛藤」から)
 これを背景にして女性運動や公民権運動などがこれまでに獲得してきたアファーマティブ・アクション(少数民族などの社会的弱者に対する積極優遇策)などへの攻撃が逆差別反対として激しくなっている。アメリカで国家予算がない状態になって、政府活動の一部が停止している背後には、こうした事情がある。
 ヨーロッパでも、今までもかなり強力だった労働者保護規制(社会保障や最低賃金制度、労働時間の短縮など)を強化することが膨大な失業(ヨーロッパで現在千五百万人)を生み出しているのだとして、労働者保護規制を緩和しようとする攻撃が強められている――OECD(経済協力開発機構)の労働組合に関する諮問委員会によると、労働者保護の規制を撤廃しても新しい雇用は創出されない、のだが。

歴史を逆転させる規制緩和

坂本□ 規制緩和を歴史的に考えると、次のようになる。
 資本主義が発展する過程で、労働者階級や資本主義以外の分野に対する資本のむき出しの支配、搾取を規制し、人々の生活を保護しようとするのが「規制の役割」であった。労働者階級の運動や力、資本主義以外の分野の力が強くなったこと、社会主義世界の出現などの事情が規制を次第に強化する方向に作用してきた。この歴史的な流れをソ連・東欧の崩壊と世界的な労働者側の力の後退を背景として逆転させようとするのが、規制緩和にほかならない。
 日経連はこの五年間、毎年規制緩和を主張し続けている。生活を良くするためには、企業の国際競争力を低下させる賃上げではなく、物価全体を下げて実質賃金を上げることが有効であり、そのために規制緩和が不可欠という主張だ。
 欧米がサッチャー・レーガン路線を踏襲し、規制緩和を続けていったら一体社会や人々の生活がどうなるのか、考えるだけでも恐ろしくなる。
寺中進□ 日本では、規制あるいは規制緩和という言葉が広い意味で使われて、わけが分からなくなっている。「政治改革」という言葉も同じだったが、一種のスローガンとなっている。大衆の言葉としては、どうなのだろうか。
 人々がある程度、規制緩和を受け入れ支持しているのは、それで反官僚の気分が満たされるように思えるからだ。つまり官僚から各種の権限をはく奪していくという意味で、人々は規制緩和という言葉を使っている。
 規制緩和とは、資本の全面的な自由を再度確立することにほかならない。だから労働者にとって本質的に有害な概念ととらえるべきだと思う。例えば、物価問題一つをとってみても、経済にはその地域性に見合った価格体系があるのだから、物価が下がれば同時に賃金も下がってしまって生活が良くなるはずもない。日経連の主張は全くのペテンだ。
坂本□ 規制、規制緩和の言葉がどんな意味をもつのか、それは別に考えなければならない。だが基本的には、それが歴史的に進歩なのかどうか、あるいは人々の生活にどのように影響するのか、この観点から検討しなければならない。
 例えば、あるスーパーの隣に付属する大きな駐車場があるとしよう。スーパーの経営者は、駐車場のすぐ脇にガソリンスタンドをつくって顧客の便宜を図りたいと考える。ガソリンスタンドの設置が自由化されると、スーパーの経営者は、早速つくるだろう。その場合、経営者は、ガソリンスタンドが本業ではないから利益を無視してガソリン一リットルで一円の利益があればいいと考える可能性が強い。そうなると、例えばその近くでガソリンスタンドを経営している人にとって、それは正当な値下げといえるだろうか。
 こうした問題とは、特に労働分野で極めて切実だ。最近の顕著な例でいえば、アルバイト・スチュワーデスの問題がある。アルバイト・スチュワーデスの採用によって、航空会社の労働組合が数十年をかけて獲得し、つくりあげてきた様々な権利、例えば結婚しても働き続けられる権利などが、ぶっこわされてしまった。その他の権利、労働条件も同様になっていく可能性が強い。

輸出主導型経済と対決する

川端□ 日本経済そのもののあり方としていえば、必死になって輸出をし外貨を稼ぐという基本路線が、これまでは世界経済の拡大を基盤にして、なおかつ世界経済の拡大に貢献するという形で通用していたのが、そのあり方自体が世界経済のかく乱要因になって、どうしようもなくなった、ということだと思う。日本の電話料金が非常に高く、あるいは港湾や空港の施設利用料金が高く、これらの施設の利用に関して日本がパスされていく状況が生まれている。日本の社会、経済の基本的なあり方についていえば、明治以来の考え方が荒波にさらされている。
 あるいは、この二十年間、オーストラリアやニュージーランドでは労働党政権下で規制が強化され、そのために経済が衰退したとして規制緩和の動きが始まっている。
 規制緩和には、資本の野放図な活動を許容するという面と、こうした、どうしようもなくなった経済、社会構造を転換しようとする面の二つがあるのではないだろうか。
坂本□ 日本経済のどしゃ降り的な輸出拡大と、それによるドルの蓄積が世界経済のかく乱要因になってしまい、この存在構造そのものが通用しなくなった。だから、それを変革するために規制緩和が必要だというのは、その通りだと思う。
 日経連もまた、経済構造、社会構造を転換するために規制緩和が必要と主張している。しかし、その主張は本質的に輸出主導型構造を担ってきた産業を維持・発展させようとするものであり、それ以外の産業分野を切り捨てていこうとしている。日経連の主張は、輸出主導産業が大幅な貿易黒字を記録しているのは、リストラクチャリング(企業や産業の立て直し)や合理化をぎりぎりまでやってきた結果であり、例えば日本の物価が高い原因は生産性が上がっていない(その努力をしていない)産業を保護するための規制の存在にある、というものだ。そのうえで、流通、サービス、農業などの「改革」、つまり従来のあり方のぶっこわしを主張している。
 この主張に対抗して、どんな目標を人々の言葉で掲げるのか、これはソ連・東欧が崩壊した現在では、なかなか明確には表現できない。だが、少なくとも次の二点がいえると思う。
 一つは、輸出主導型の経済構造反対だ。
 もう一つは、従来は経済関係(市場)内部で意識されていなかった組織や関係を、経済の仕組みの中でとらえ直していくことだ。例えば阪神大地震で学校などの地域センターの役割が注目を集めた。地域の意味をも含めて、これらをもっと注意して日常的に、その位置づけを考えていかなくてはならないし、NGO(非政府組織)やNPO(非営利組織)などの役割も、経済の仕組みの一環として考え直していく必要がある。そうなると、輸出主導型の規制緩和とは真っ向から対決することになるだろう。これが対決軸となっていくだろう。

統制された市場経済へ

寺中□ 今の話と関係するが、市場経済という言葉がある。しかし、その意味は例えばヨーロッパでもイギリスと大陸諸国では違うし、特に労働者階級側は社会的市場経済、つまり統制された市場経済という言葉を使う。
 現在、市場経済の主流となっている新自由主義(ネオリベラリズム)あるいはサッチャー・レーガン路線といってもいいが、その基本的な考え方は、利潤優先が極端に進み、人間の生活を組織するという観点から恐ろしく離反している。
 人々の生活を組織する基礎が経済であり、そのため雇用の確保が特に大切なのだが、これを無視した「雇用なき成長」の経済となっている。そしてアメリカの経営者は、リストラ(生産の外部委託など)による「生産なき利益追求」を考えている。このへんが、これからの闘いを考えていくうえでのポイントだと思う。
(注 九四年、主要製造業のトップが集合した会議で、ジョンソン&ジョンソンのラーソン会長は「われわれはもはや、従業員を増やすつもりはない」と明言した。米国製造業で「雇用なき成長」が常態化しつつある。 日経新聞「アメリカの葛藤」から)
 資本主義には、この傾向が本来的に内在しているのだと思うが、これを阻止するために各種の規制(統制)が行われてきたのだから、これからも、運動の側からいろんな統制の仕方を考えて実現していく必要がある。具体的には、NGOやNPO、ワーカーズ・コレクティブなどを含めて、運動の側から考えていかなくてはならない。
 その際に考慮すべき点がある。これまでの経済構造、つまり一国あるいは中枢部で価格や生産量が決まっていた構造がグローバル化の過程でこわれてしまったことだ。従って、新しい構造の中で大衆の側から統制の方法を考えていく必要がある。そこで一つの参考になるのは、欧米では投資信託会社が全面的な情報公開をして、人々にとってためにならない企業からの資金の引き揚げを提案しているような行動だ。
坂本□ そうした点でいえば、日本では職業紹介業に強い規制がかかっているが、アメリカは原則自由である。従って労働者派遣業も自由なのだが、労働条件などで違反があった場合は、派遣先企業が罰せられ、しかも、その罰則は極めて厳しい。しかし、日本では紹介業に強い規制があるが、派遣業それ自体に関しては野放図に等しく、違反があったとしても放置されているのが実態だ。特に労働分野では、人々の権利や生活を侵害する行為が野放図となっている。こうした問題も追求していく必要がある。
川端□ 日本では、土建業や建設業界で談合が行われていた(今でもやられていると思うが)が、その当事者たちは談合を「仕事を公平に分配するための必要悪」と考えていた。日本では、欧米の投資信託会社や派遣業の例のような社会的な規制ではなく、内部規制が現実を支配している面が強い。つまり利権集団が密室で規制をやっている、というのが実態だ。
寺中□ 川端と同じことを言うのだが、日本の規制は「村的規制」だ。その一例として大企業をあげると、ここでは内部規制がものすごく強い。例えば、表面上なんと言っていてもグループ内(系列)でしか取引をしないという実態があり、系列外取引が取引口座の問題などでできないようになっている。つまり大衆とは関係のない規制が支配している。これを大衆による規制、統制に変えていく必要がある。

イデオロギーの危機の克服へ

高木圭□ 規制緩和に関して、概念使用上の混乱がある。アルバイト・スチュワーデスが正社員の権利破壊のために利用された例が紹介されたが、アメリカでも同じような例は多い。それらの事例一つひとつを何が緩和なのか、階級的にとらえていく必要がある。
 日本で規制緩和が強く主張されるようになったのは数年前であるが、世界的には八〇年代である。八〇年代の世界経済は、戦後資本主義の転換期にあたり、それを主導したのがサッチャー・レーガン路線であり、新自由主義のイデオロギーだった。アメリカ帝国主義がベトナム革命に敗北して以後、古典的な帝国主義政策を貫徹できなくなった。その中で衰退した経済の再建策として登場したのがサッチャー・レーガン路線だったといえる。
 ケインズ的な労働者階級との一定の妥協のうえで展開される支配路線をやめて、労働者保護を否定して資本主義の強力な基盤形成を追求した。新自由主義経済、そのイデオロギーの本質を世界資本主義に位置づけ、それへの対抗策をしっかり考えていかなければならない。
 社会民主主義やスターリニズムが労働者階級と大衆を支配していた時代、影響力を強く保持していた時代には、大展望は社会主義にあり、その実現のために克服すべき根本課題は「指導部の危機」である、という基本的立場、主張だった。しかし新自由主義がはびこり、ソ連・東欧が崩壊した現在では、新しい基本的立場、新しい政治、経済のスローガンが必要だ。
 私は、この点で現在の根本問題を「イデオロギーの危機」として認識し、そのうえで大局的な展望をつくり出すことにあると考えている。この場合、注意しておくべきは、ゴルバチョフの改革路線に対して急進改革派として登場したエリツィンが傾斜していったのが新自由主義だったという事実だ。
 現在、ロシアの労働党で活動を続けているカガリツキーは、新自由主義を的確に認識して、次のようにロシアの現状を考えている。
 「全人民の財産」として実際は官僚全体で統制していたものを、個別の官僚がそれぞれの間で分割して管理するようになっている。これが私有化の意味である。そしてブルジョアとしての能力を有した企業家がいないので、経済の混乱が深まっていくばかりだ。他方では、「社会主義」の名の下で存在していた無料の教育、医療、土地の共有といった労働者大衆の既得権利を奪う動きが進行している。
 そして、こうした状況が、エリツィン的な私有化か、それともスターリニズムかの二者択一しかない中で、ロシアやポーランドで旧共産党が一定の支持を獲得している理由である。ここでも新自由主義とどのように闘うのかが、基本的な課題になっている。
 フランスでも、シラク政権は、フランスがEU(ヨーロッパ連合)の中で主導権を握るために労働者階級が政府の足を引っ張ることがないようにと、新自由主義の立場から労働者階級への攻撃を強めている。福祉の切り捨てや老後保障のために必要な勤続年数の長期化などが、それである。そして、ここをめぐって公務員労働者のゼネストが展開されたのであった。
 日本でも、支配階級の内部で労働者階級となあなあの妥協的な態度でやっていくのか、それとも新自由議的な攻撃を強化していくのか、ここで分岐が生じている。
 今後の闘いの基本軸は、イデオロギーの危機を新自由主義との対決を通じて克服していくことにある、と考えている。
高山□ その場合の具体的な闘いの基本軸、基本方向をどのように考えたらいいのだろうか。
高木□ ヨーロッパでは、階級関係が日本に比べてはっきりしている。労働者階級の家庭に育ったものは労働者階級に一生属し続けることになる。その間、生活する居住区や学校、文化なども特有のものを保持し続けることになる。こうした階級関係が明瞭に存在することを前提にした活動様式を仮に「コミンテルン・スタイル」と呼ぶとすると、六八年世代のトロツキストといえども、このスタイルに属していたといえる。
 ところが最近、ヨーロッパの第四インターナショナルのメンバーから聞いた話によると、ヨーロッパで行われている青年キャンプでは、いい意味での青年の自然発生性を許容するようにしている。そうすると、新しい運動が多様な形で生まれてくる、という。逆にいうと、新しい運動の可能性が青年の自然発生的な活動に秘められていることになる。
 日本の例をあげると、昨年十月に行われたトロツキー研究会で「ロシアでまともな革命家はトロツキーだった」と発言した民青同員がいた。二〇代の学生だったが、健康な意識をもっており、そうした世代が登場していると感じている。
 先ほど、イデオロギーの危機を克服することが根本課題であり、そのためには新自由主義との対決が不可欠だと述べたが、その際のキーワードは「民主主義」である。
 スターリニズムが成立していく過程は、一九二〇年代末の穀物危機に始まり、上からの農業集団化、重化学工業化、「計画経済」として進んでいった。その実態は、官僚的指令経済であり、労働者の権利を剥奪していく、労働者民主主義を否定していく過程でもあった。
 これに対してトロツキスト反対派は、社会主義権力の維持と、市場の利用という方法の維持を主張し、ソビエト民主主義の確立こそが決定的に重要だ、と訴えた。ロシア革命の経済は、内戦期を別にすればNEP(新経済政策)として、つまり市場を利用することから始まった。そして市場を利用するうえで、あるいは市場の無秩序を統制するために労働者民主主義が決定的に重要であると考えられていた。
 現在、ソ連・東欧では私有化、市場経済の利用が新自由主義イデオロギーの下で盛んに喧伝されているが、それは誤りである。新自由主義の旗振り役を担っているのがIMF(国際通貨基金)と世界銀行であるが、その現実の結果からも明らかなように、労働者大衆を犠牲にした市場経済の利用の仕方である。
 ついでに言えば、エルネスト・マンデルとアレック・ノーヴがこの点に関して大論争をやった。スターリニスト的な社会主義と対抗する方法として、ノーヴは社会主義的市場経済を主張したが、マンデルは労働者民主主義の決定的な重要性を訴えた。

階級の現状と新しい運動

高山徹□ 野放図になっている資本主義を社会的に統制する方法を考え実行していかなければならないというのは、その通りだと思う。しかし、その場合、実行していく主体の問題をどのように考えればいいのだろうか。
寺中□ 労働者階級の現状を世界的にみると、アメリカや日本では極めて大きく力を落としているし、社会的影響力としても、その後退は著しい。ヨーロッパは、少しはましかもしれないが、力を落としている事実に変わりはない。
 労働者階級やその組織としての労働組合は、資本主義が発展する過程において、それを社会的に統制する単一の機構、手段として登場し発展してきた。しかし資本主義がどんづまり状況に陥ってしまい、そこで先祖帰りを図ろうとしているが、そのためには社会的統制の構造、機構をぶっこわしていかなければならない。今、展開されている労働者階級、人々に対する攻撃――世界的に共通しているが――の歴史的な意味がここにあると考えている。
 そして欧米で日本ほどには野放図な規制緩和、労働者大衆への攻撃が行われていない理由を考えると、市民社会の存在を基盤にして、緑の運動や消費者運動、生活協同組合、フェミニズムなどの多様な運動が育っている事実があるのだと思う。
 現在の資本主義のどんづまり状況に対して、それをいかに再構築していくのか、そのための社会的統制を考えていくうえで、前述のような新しい運動に学んでいく必要がある。
坂本□ 若い人々に職を保証できない資本主義のどんづまり的な危機の中で、労組組織率二三%の半分を占めている連合は、先祖帰りを図る資本主義に完全に組み込まれてしまっている。こうした状況にあって小さな労組が決定的な影響力を持てるだろうかと考えてみると、それは極めて困難といわざるを得ない。
 だが総評・社会党構造が存在していないのだから、たとえ実際の力は弱くても、オピニオン・リーダーにはなれるはずである。その場合、肝心な点は、旧来は総評・社会党が果たしていた資本主義を社会的に統制する構造そのものをつくり直していかなければならないのだ、という認識である。しかも、そのつくり直しは労働組合主義では絶対に実現できないし、多元的であることが要求される。
 昨年の沖縄の闘い(現在も持続している)は、最初に述べたように北京の女性会議に参加した人々が始めたのであった。ここには、単一の運動課題に専念するという従来のシングル・イッシュー的な運動とは違った新しい要素が存在していると思う。
 例えば宜野湾市で開かれた県民集会では、集会場に行くバスが無料になった。これについて保守、革新を一緒くたにした「グルミ闘争」だという批判があったが、それは当たらない。ここにもはっきりした表現はできないが、新しい要素があったと思う。
 また、若い人々に変化が出てきた、と直感している。仙台でエイズ薬害問題のデモがあった。五百人くらいのデモだったが、一種のお祭り的な雰囲気があり、共感する方も受け入れやすいものだった。また、多くの人から指摘されている阪神大地震でのボランティア活動参加者の例もある。
 仙台のある老人ホームで労働組合をつくったが、そこには一〇代、二〇代の若者がたくさんいる。労組をつくってから学習会を行い、そこで「この職場を選択した理由」について自由に語ってもらった。その話は優等生的な答えというか、例えば「おばあさんの世話が大変で、母が苦労しているのを見ていて、老人への社会的な世話が必要だと思った」という話が出てくる。
 この若者たちは、真剣にそんなふうに考えており、かつ、その考えにそって真面目に働いている。世代が違う、と思った。
 つまり、これまでの話にそって言うと、社会的統制を職場で実際につくって行使している。「あるべき社会像」を体現している世代が登場している、と感じた。老人ホームでは、しゃべり方、行動がゆっくりしており、独自の行動様式というか、価値基準がある。今の社会の中に、新しい社会が部分的に準備され生まれ始めている、といえよう。

改良と革命との関係は?

高山□ 今の坂本の発言に共感するところ大であるが、ドイツ社会民主党のカウツキー時代に改良主義論争が展開されたが、改良主義だと批判された側は、労働者階級の運動の成果として生まれた労働者間の新しい関係とか、職場状況などを見て、理想社会が部分的に生まれており、これを育てていくことが社会主義運動だと主張したのではないか、と思う。そうだとすると、われわれが従来主張してきた革命の問題をどんなふうに考えればいいのだろうか。
坂本□ 新しい運動が多様に存在しており、新しい世代が登場していると考えているが、その新たに登場した主体を展望するうえで、あるいは改良と革命との関係を考えるうえで、権力論をどのように考えていくのかが重要なポイントだと思う。つまり権力奪取のイメージが従来のままで通用するのかどうか、きちんと考え直してみる必要がある。
高木□ 革命と改良の関係の問題は、非常に重要だと思う。
 レーニンはNEP転換期に、その優れた政治的センスをもってボリシェビキに対して技術者や軍の上級者、高級官僚にきわめて丁寧な態度で接するよう指導した。つまりレーニン、トロツキーは、改良主義的な政策を重視し、それを実現するためには彼らの技量が不可欠だと考えて、そうした接し方を指導した。レーニン、トロツキーを改めて評価した。
 革命党は、具体的な改良の政策を持たなくてはならない。女性の権利や少数派民族の権利、労働条件の問題……レーニンが明瞭に述べているように、こうした問題に関して左翼急進主義のやり方はだめであり、同時に改良主義には、これらを実現する能力がない。現在、硬直したレーニンというイメージを抱いて幻滅を感じている人が二〇年代のレーニンを読むと、極めておもしろいと感じると思う。
 八〇年代にスウェーデンやドイツの社会民主党の政策を少し研究したが、労働時間の短縮や環境保護、女性の権利の問題などについて、彼らの政策に興味を感じた。少なくとも新自由主義の政策よりも、はるかにましである。

「アジアの時代」をどう考えるか

坂本□ 経済でも政治でもボーダーレス化、グローバリゼーション化が進行する中で「アジアの時代」といわれ始めている。ASEAN諸国のみならず、中国、ベトナムの発展にはめざましいものがあるし、さらに最近ではインドも一時期の停滞局面を脱して、発展の軌道に乗っているといわれている。このアジアの問題にどう取り組むのか、これが突きつけられているが、それを考えていくうえで中国問題が重要だろう。
 中国の現在のやり方を見ると、毛沢東思想というか、政治的には一党支配に依拠して実際に現場でやっていることは社会主義的市場経済というらしいが、わけが分からない。
高木□ 二一世紀に中国が国際的な主導権を握るのは、ほとんど間違いがない。また、インドに関して言えば、これまでインドからスーパー科学者的な人材が輩出されていたが、それは個別の現象であり、彼らが活動する国内的な基盤はなかった。多くの場合、そうした科学者が育ち研究を続けていく場は欧米だった。しかし現在は、そうした国内的な基盤が生まれ、例えばソフトウェア産業でインドは輸出大国になっている。
 いずれにしてもアジアに巨大な可能性が存在しているのは、間違いない。
 中国の社会主義的市場経済の中では、エリツィンのロシアほど破局的ではないが、貧富の格差が拡大してきている。そこで大きな不満が広く生まれており、中国が一党支配を維持できるかどうかが問題になっている。そして現在の中国政府は、この点に関して回答を持っていない。
 そもそも毛沢東は、労働者民主主義とは無縁なところで党建設、革命をやった。八九年の天安門事件で感じたことは「労働者民主主義を知らない中国の歪みが一挙に噴出したな」であった。労働者民主主義を保証しないことには、中国の社会主義的発展はありえない。
 他方、香港、フィリピン、スリランカでは、階級意識の高揚があって、われわれの運動が成長している現実がある。
 カストロが来日した時、二一世紀が社会主義でなければならない理由として環境の問題を指摘した。環境問題に関連して経済を管理すること、つまり世界的な経済体系として雇用を保証し、環境を破壊しないものに転換する必要を訴えた。
 毛沢東主義は、かつて左翼の基本路線の一つとして選択の対象になっていたが、こうした状況の中で、その存在意味を失っている。
 日本資本主義の方向を考えるうえでも、中国との関係がどうなっていくのかがますます重要になっていく。
寺中□ アジアに関して二つ疑問がある。日本のマスコミの悪いところだが、それっとばかりにすべてのマスコミが一緒になって「アジアが成長センターだ」と喧伝している。
 パキスタンと韓国に行ったことがあるが、そこの状況を一言でいうと、社会内部の不均衡がものすごいということだ。韓国はパキスタンより少しはましかもしれないが。
 社会を構成している様々要素の間に、経済のファンダメンタルズを含めて日本が問題にならないくらいに大きなギャップがあり、いびつである。しかし表面に表れている数字は、経済成長を示している。もし、この状態が続くとしたら、その経済とは一体何だろうか、人々の生活はどうなってしまうのだろうか。統計が人々の生活とは無関係な指標でつくられているのだ、と思う。
 例えば現在、中国市場が注目を集めているが、その場合、中国十二億人のうち一億人が市場となればいい、あとの十一億人は切り捨ててもいいという考えをブルジョアは持っている。アジア全体に対しても同じ考え方だ。こんな考え方を根本的に問わなくてはならないし、そうした成長の持続はありえないと思う。
 もう一つの疑問は、個人と社会との関係の問題で、個人の自立が弱いといわれるアジアでは、これは重要だと思う。
 新自由主義のイデオロギーという側面にリベラルといわれていた人がひかれていくケースが多い。若い人にとっては、新自由主義の「個人の責任、自由、解放の重視、その結果としての社会の解放」という主張、つまり個人主義とタイアップした面が魅力になっているのだろう、と思う。この側面、ことに「個人がのびのびとなる」側面がどんづまりになった閉塞的な社会の中で一定の力を発揮している。
 私自身は、現在の世界化、相互依存の深化の中で個人がとれる責任の範囲、あるいは自由になれる範囲はしれたものであり、反対に個人が与える影響(特に害悪)が巨大になる可能性があると考えている。個人が自由に振舞って、それが人類全体を解放させていくことになる可能性が小さくなっている。
川端□ 個人も自由、社会ものびのびが理想だが、共生という考えがどこかで関係しているのではなかろうか。
坂本□ 前述の「規制緩和という名の悪夢」で紹介されているが、アメリカで規制緩和を推進した政府関係者が、その成果を示そうとして新しく企業を起こすのだが、それはすべて失敗に終わった。その意味で、個人の自由というかアメリカン・ドリーム的な努力すれば必ず成功するという考えは、現実には保証されていない。
 アジアについては分からないが、寺中が言った意味でいうと、例えばインド(知らなさすぎるのだが)がいびつな社会構造のままで一定の成長があったとは思えない。極端な社会構造のままでは成長を続けられないのだから、一定の社会構造の変化があったのだと思う。確かにアジアが直線的に成長を続けられると考えるのは短絡的だが、アジアの人口とそのエネルギーをもう少し現実的に個別的にも検討してみる必要がある。
高木□ アジアというのは極めて不均質であり、いわば便宜的にこの地域をアジアと呼んでいるにすぎない。例えば中国を内部的にみれば、民族問題一つとっても極めて複雑であり、中国人からソ連のように中国が民族問題で分解していく可能性について聞いたことがある。
 しかしアジアの経済成長で一部の人だけが豊かになっていくのであって、ここに大きな矛盾が生まれている。
 個人の自由についていうと、レーガン、サッチャーじゃない若い人がひきつけられているのは、新党さきがけ的なものだ。社会党もさきがけにひかれている。
 共産主義は元来、個人の能力を全面的に開花させることを目標にしていた。最近、マルクス主義思想界でマルクスの人気が高くなっているが、それはマルクスが共同体と個との矛盾の克服を個の解放を含んで熱心に考えたことに起因している。だからマルクスが社会的所有というとき、それには個体的所有が含まれていた。社会的所有を国家所有に歪め、個体的所有を否定したのは、スターリニズムである。こうした元々の考え方がさきがけ的な考えよりも若い人々をより強くひきつけるようになるには、あと数十年かかると思っている。

第四局を樹立するのか

坂本□ 最後に一九九六年の日本の政治の流れがどうなるのか、考えてみたい。
 社会党、さきがけ、横路、海江田までを含んで第三極が問題になっている。社会党とさきがけが消滅して新党としていこうとしているが、これに対抗する「第四極」が問題である。昨年の平和・市民まで、われわれは第四極をつくろうとしていた。現在、自立派は第四極を改めてめざすべきなのか、それとも別の道、つまり第三極に半分足をつっこみ、なおかつ半ば自立した存在になるという道を選ぶのかの岐路に立っていると思う。後者は、政党政治、現実の政治のレベルでは第三極と関係を持ち、同時に自立性を維持しながらいく道だ。
 選挙制度としては最悪の小選挙区制ができたおかげで、小選挙区制で一回当選した議員は五回は自分の優位が動かないと考えて、小選挙区制を絶対に変えようとはしない、といわれている。そうだとすると、社会や運動が非常に多元化しているのに、政治としては極めて一元的な状況が生まれてくる可能性が強いといわれている。このへんをどのように考えるべきだろうか。
川端□ NECの関本会長は昨年、社会がこんなに多様化しているのだから政治が一元化されるはずはないと言った。戦後構造、社会党をも含んだ保守党支配の政治構造が崩壊したことに現在の政治状況の根本原因があるのだから、二大政党化を進める小選挙区制であっても、それ以上に崩壊の力学が作用して政治はばらけていくと思う。
坂本□ 政治状況の基調は川端が言った通りだと思う。その過程でいろいろな運動をつくって力を強めていく以外にない。だが、現在でもすでに存在している運動と政治(政党)とのねじれ現象が今後、極大化していく中で、第三極から運動に対して「おさそい」が出てくる。その場合どうするのか、このねじれを、どこから、どのように壊していくのか――これが現実の課題になる。
高木□ 資本主義構造そのものの高度成長の時代が終わった。これからは、今まで話されてきたように労働者への攻勢が強まり、大失業時代など矛盾が世界的規模で深まっていく。だから、社会主義イデオロギーの危機を逆転していく方向での動きもありうるだろう。その際、ブルジョア内勢力であるさきがけ的な傾向に勝つには、矛盾の本質を世界的に認識し、それを本当に克服する道を提起しなければならない。
川端□ かつての社会主義的な、あるいは社会民主主義的な人々が現在、第三極あるいは第二極の左に、ロビー活動的に行っている。そうでない勢力の拡大に期待したい。
(採録・文責 高山)