1990年4月10日         労働者の力                第8号
千名の大争議団を支えぬく

全国体制の構築を

 三月三十一日、国鉄清算事業団はついに国鉄清算事業団労働者の一千百九十人への大量解雇通告に踏み切った。この日、全国の「雇用対策支所」でいっせいに「辞令」なる名称のもとで四月一日からの解雇通告がなされ、国労組合いんは辞令受取を拒否し、最後まで首切りを撤回求めて闘い抜く意思を強固に表明した。一千名を越える争議団がここに誕生するものとなった。三月二十日に解雇予告が出された清算事業団労働者一千四百人にたいし、ありとあらゆる手段を使って自主退職に追込み、解雇=首切りの形を極力避けようとしてきた国鉄清算事業団の攻撃に対して、国家ぐるみの不当労働行為を絶対に許さないという労働者の強固な意思が、解雇=首切りに正面から受けて立ち、空前の一千名を越える解雇撤回の争議団を誕生させたのである。国鉄解体の最大の狙いであった、闘う組合の解体、一掃という攻撃との正面から向き合った闘いとして貫徹されてきた国労を中心とした国鉄労働者の闘いは、この三年間の闘いにおいて自民党政府、JRの不当な攻撃をはねかえし、清算事業団労働者の原職復帰をかち取るにはあと一歩届かなかったが、戦闘的労組の解体の狙いを阻止することは成功した。一千人の争議団を抱えて、これからが闘いの総反攻の第三ラウンドである。争議団の自活体制を支え勝利を闘い取るためにこそ、全国的取り組みがさらに強化されなければならない。

 国家の不当労働行為と中労委問題

 国鉄解体、分割民営化の政策は、国家的不当労働行為が全面化される状態を前提とするものであった。すなわち国鉄解体が中心的な攻撃目標となった「行政改革」が「戦後政治の総決算」路線の一部であり、戦闘的な労働運動の解体こそがその最大の狙いであった。政治再編という歴史的事業を達成する最大のターゲットも国鉄であった。イギリスではサッチャーが炭労を狙い、アメリカではレーガンが航空管制官をすべて首切ったと同様の文脈が、瀬島竜三らによってプログラミングされたのであった。
 そのための方式として、一方での人活センター方式(これは多くの大民間企業で採用されてきたものの踏襲)であり、あと一つが偽装倒産・会社再建の方式であった。後者もまた独創的なものではなく、中小企業では種々の例がある。これらは、争議の形としては取り立てて目新しいものではない。資本の常套手段とも言える。そして今日の労働法体系と労働行政では一般論としては承認されない。
 だが、これが国家によって企画され、議会を通じて承認され、法律として実施に移されるとなれば、話は全然違ってくる。
 以上が地労委と中央労働委員会の対応の違いを生み出した。地労委での国労の全面勝利の連続が、中労委を困惑させ、立ち往生させる十分な理由の存在を明らかにしている。中労委が現在の労働法体系と行政の大きな枠組み(急速に改悪されているとはいえ、総体の体系の枠組みは依然戦後民主主義を残存させている)の上に存立する意思を抱くのである限りにおいて、中労委は国鉄で採用された行為を不当労働行為として認定しなければならない。地労委が一致してそうしたように。
 しかし、中労委は国家機構の一部として、国家が不当労働行為の張本人であるという判断を回避することを願っているのであり、否応なくこの事態に判断を下さざるをえなくなるまえに、「政治決着」で解決されることを期待していた。
 昨年七月以降、中労委は基本的に作業を中断している。そして、今回中労委はまたなんらのイニシアチブをも発揮しなかった。中労委がいつまで作業をさぼり続けられるのであろうか。彼らは国家を不当労働行為の当事者であると認定することができるのであろうか。できないとすれば、現在の労働法体系との折り合いをどのようにつけようとするのであろうか。「連合」が労働委員を独占している中労委において、自民党政府と結託して国鉄解体を支持したJR総連を抱えこんでいる「連合」路線への断罪ともなる判断を下しうるのであろうか。
中労委労働側委員である田村私鉄総連委員長は、JR総連と鉄産総連を抱える「連合」としては「なによりも連合内の団結を守らなければならない」という山岸の久保都市交委員長に対する見解表明に同調しつつ、「山岸会長の意見でいい。中労委委員として連合に物を言ってもらわなければならない時は要請する」と述べた。
 田村は意識的な時間稼ぎを行っている理由を自ら暴露したのである。その時間稼ぎの狙いは、国労の妥協・屈服をひたすら待つという一点である。だが国労は結果として、次項で見るように中労委の出番を作るような屈服的妥協案の立場に立つことを拒否し続けた。国労は中労委の判断を、地労委判断の延長で求めるという立場を崩すことはなかったのである。
まさに、一千人の争議団の誕生は、国家による不当労働行為に対し、その是非の判断を問うているのであり、中労委、そしてその労働側委員としての「連合」そのものが今やその政治的本質を根底的に問われることになった。  
 中労委問題とは、この機関が国労を救済するであろうという願望を託すことではない。中労委という機関に凝縮されている、政・財・官・労が結び付いた国鉄解体・戦闘的労組解体の協同のシステムそのものを追い詰めること、その矛盾を赤裸々に暴き出すことなのである。中労委引き出し=早期決着の期待を抱くことはできない。時間稼ぎが終わった後には、開き直りの方法に出る可能性が十二分にあると言わなければならない。「開き直りは承知のことだ」と応える闘いの態勢こそが必要なのだ。

 社会党案と社会党、「連合」

 社会党は三月に注目すべきブレを示した。また「連合」内部の矛盾も露呈し始めた。
 まず第一に、社会党の田辺(JR対策委員長)を中心とするイニシアチブによって「妥協案」が作成され、国労などの闘う組合とは無関係に三月十九日運輸相交渉を行った。その内容主旨は次の通りである。再度、広域採用を行い、希望者全員のJR本州各社への採用。退職希望者は、三月三十一日付でJR各社に採用し、同日付で退職すること。そのさい条件に上積みする。
この申し入れは当然、運輸省から拒否されたが、その一部は受け入れられ、最後の段階での広域採用、自主退職条件の上積みがJRによって提示されることになった。結果は広域採用応募二名と、最終段階での駆け込み退職者の若干の増大となった。
 国労はこの社会党案に対して次のように表明した。「この申し入れは、雇用問題に限定して政府側に解決を求め、同時に中労委の場で採用差別など不当労働行為問題の解決を求める立場である。われわれは、あくまでも中労委の場で解決を求めて闘いをすすめるものである」(全国代表者会議。三月二十三日)
 すなわち国労は不当労働行為としての採用差別糾弾の立場を崩さないと表明したのである。
 田辺を中心とする動きに対して、JR総連は対抗集会を開き(三月二十八日日比谷野音、三千人。民社、公明来賓出席)、「国労の再採用絶対反対」を決議するとともに、三月三十日付で社会党への抗議の申し入れを行った。
 この動きについて鉄産総連は三月二十六日付で以下の組織連絡を行っている。「……JR総連は、本州JR各社への追加採用や再就職未内定者に対する求職活動資金6か月の上積み等を決定した運輸省、清算事業団に対して抗議するための集会を開催することを決定したもよう。このような集会は、本来の労働組合運動からは著しく逸脱したものといわざるを得ず、連合、交運労協に加盟する労働組合から、また、国際的にも孤立するものである。」
 第二に、土井委員長を積極的に動かそうとする試みが急速に拡大し、新人議員の活発な行動が進んだ。「国労だから、女だから、そんな差別は許さない」女のネットワークの緊急抗議声明には女性の衆参両院の議員の多くが署名し、三月十六日にネットワークと家族会の代表が土井委員長と面会した。政構研と連合の壁を女性の運動がその一部とはいえ、突き崩すものとなったと言えるのである。
三月三十日、社会党は山口書記長が坂本官房長官に文書で、土井委員長が海部首相に電話でそれぞれ雇用確保の申し入れを行っている。
社会党の政構研と連合派の勢力が築いてきた壁は大きく崩れ始めたのである。
JR総連は確かにJR東日本、貨物の両社が追加採用に応じないという姿勢をとらせるに成功したという、企業内的力は発揮した。だが、その他の各社は採用方針を決めたのであり、さらに彼らの社会党への申し入れ書、「この申し入れについて社会党は、わがJR総連にはまったく意見を聞くこともしておりません。公党たる社会党が、関係する組織、特にJRの最大の責任組合たるJR総連の意向を打診することもなく、一方的にこのような申し入れを作成し、政府に提出するなどは、常識を外れている行為である」が示しているのは彼らの明らかな孤立意識である。
三月十五日の「連合」第四回中央委員会で都市交の久保委員長が清算事業団労働者救済について発言し、さらに国際運輸労連(ITF)執行委員会は三月二十一日久保副会長の報告を受け、「清算事業団職員の雇用確保についての決議」をあげ、先進国公的部門での大量解雇という最悪の事態を避けるべきと表明した。
国鉄=国労解体の急先鋒としての「連合」指導部は今や国際的にも、その指導方針への疑義・批判を突きつけられるに至っている(注 国労はITFに加盟している)

 三月闘争と国労

さる二月末のスト中止が与えた影響は、国労組織の闘争意欲の全般的高揚という効果であった。
国労組織の外部はもちろんだが、スト中止が組織内部に与えた衝撃は大きかった。三月八日の中央委員会はほとんどの発言がスト中止への批判、糾弾であり、スト中止を導いた組織内の動揺の根深さに向かい合いつつ闘争を貫徹する意思結集の場となった。民同、革同両派を横断して生じた「政治解決」、組織防衛の衝動は未だ経験のない大量の争議団の発生という事態へのたじろぎによってもたらされたと言えるが、にもかかわらず旧態然とした企業内取引による組織安定という発想が根深いことを示した。
田辺が中心となって作成した社会党案は、この国労内の動揺と政治解決への衝動に水面下で対応したものと言われるが、3・8中央委員会以降国労組織は改めて組織を引き締め、断固とした闘いの体制を貫いた。三月十八日からの三日間のストは、全国で一万五千人が突入し、乗務員二十四時間反復、地上勤務者半日反復として闘い抜かれた。乗務部門から大幅に排除されている国労にとって、目に見える形のスト効果を十分にあげるというにはなかなかいかないが、それでも貨物部門への影響は大きく、全国で清算事業団問題でストを貫徹したという事実によって、妥協の動きを封じてしまう効果をもたらした。
清算事業団労働者問題が国労全体の問題であるという意識が闘いの中でかちとられたのである。これはこの三年間で始めてかちとったものといっていいものであり、最終段階での社会党案を受け入れる形で出された追加採用への応募がほとんどなかったことの根拠であった。
組織内の動揺と社会党を通じた政治解決への期待は、最終局面で清算事業団労働者が全面的に動揺屈服するのではないかという見方にもとづいていた。だが清算事業団労働者は断固とした闘い、すなわちまさに人権問題、民主主義の問題として、国家の不当労働行為と闘い抜く意思を表明し、そして国労組織もそれに応え闘った。この三年で組織が獲得した最大の成果であったと言える根拠がここにある。
スト態勢は、日常的に解体攻撃にさらされ、少数派となった国労にとって極めて強固な意識を要求するものであった。組織からの離脱もあった。だが組織への復帰もまたあったのである。
国労組織は四月一日以降、一千人の争議団を抱え、あくまで不当労働行為を打破し抜く闘いの局面に入った。これは未踏の闘いといっていい。はっきり言って国労組織にそれに対応しうる十分な準備があるとは言えない。一般論としての準備の素案として、地域毎の団結の維持とローテーションによるオルグと自活の態勢形成は提起されている。だが具体的な方針となれば皆無に近いと言えるであろう。その背景として、一部に中労委が乗り出すことによる早期決着などという意識的な雑音に惑わされる希望的観測があることも影響しているであろうが、基本的には政治解決に頼るという様々な思惑が飛び交う中で長期争議体制構築に腹を据えるまでに至っていない、その余裕を持てなかったというのが実状であろう。 中労委を引き出すためにも、裁判闘争(長期に渡るであろう)に備える態勢づくりが急務となっている。このことが不断に政治決着に傾斜しがちな組織的動揺の根を断つ前提である。
四月分給与支給、七月までの六〇%雇用保険支払いの期間を駆使した自活態勢構築が今後の闘いの成否を決することになる。
清算事業団労働者は九州、北海道において部分的ではあれ、結集、団結の拠点として詰所への篭城、占拠に入っている。三・三〇集会の高揚、支援戦線の拡大などによる闘いの拡大への期待感も増大している。かつての大国労としての、国鉄一家意識に支えられもした「唯我独尊」的な意識から、少数派ではあれ闘いの中で自己の存在の根拠を確かめつつ団結を築き上げて行く意識への脱皮が進み始めている。そうした過程から企業内外にわたる組織的結合の拡大を手繰り寄せていくサイクルもまた、より大きな可能性を見せていると言うことができる。
まだまだ二、三月において現象化した組織的動揺の基盤となった社会党・総評センターという旧構造、システムに頼る意識は根深いが、闘いがそれらを押え込んだことによって、国労は修善寺大会以降のいくどかの危機の中でも最大の危機を乗り切ったことが特筆されなければならない。総評解散、そして清算事業団労働者の大量首切りの二つを乗り切った国労組織にとって、一九九〇年四月一日は、まさに新たな門出の日付であるに他ならない。
いま改めて、新たに始まった闘いの第三ラウンドをハッキリとした反攻の局面にしていくことが意思統一されなければならず、その視点に立ってさらに全国に国鉄清算事業団労働者と固く結ぶ態勢を築き上げていくことが要求されているのである。 四月四日 川端康夫

エコロジー問題を考える

山本 悟

 長い間多大な迷惑をかけ続けてきた母親が、つい先日息をひきとった。こんなことがあると、誰でも普段あまり考えたり、思いだしたりしないようなことが頭の中を通り過ぎて行くものだ。そんなこんなをここであれこれ書いてみてもしょうがない。しかし滅多に頭の中に浮かんでこないだけに、案外自分自身のことや、自分がやってきたこと、やろうとしていることを反省する良いきっかけにはなるものだ。ちょうど同じようなことが、エコロジー運動を考えてみる場合にも言えるのではないだろうか。

<はじめに>

 一つのこと、一つの運動、一つの思想に身を任せていると、自分の持っているエネルギーを集中できるし、またある種の充足感に浸ることもできる。しかし反面、非常に短絡的な思考方法に陥りやすい危険も伴う。
 端的にいって、私は、というより左翼全般はおおよそエコロジーの運動や主張に対して、検討を加えないまま冷淡な態度をとり続けてきた。
しかしマルクス主義の理論と運動が、歴史的な曲がり角にさしかかっている現在、まるでそれと反比例するかのように世界的にエコロジー運動が大きな流れとなり、多くの民衆の関心を集めているのはまぎれもない事実である。
 そうであればこそ、エコロジー運動を私たちの運動を反省・総括するための鏡として考えてみてはどうだろうかと思うのである。ただし、これまでのエコロジー運動に対する冷淡な態度から、手のひらを返すような無批判的迎合や、すりよりではなく。

私の視点−違和感

 エコロジーに関わる実に多種多様な運動が私たちの周りでも存在している。そして私自身それらの運動に、表面的には非常に近いところにいるとたしかに思う。この文章を書くことになったのも、それが理由である。
 しかし冷静に考えてみて、私がその運動に「のめり込んでいる」かといえば必ずしもそうとは言えないように思う。むしろ、身体はそうした運動の中にどっぷり浸かっているように見えながら、いつも別の視点から問題を考えているようである。
 それでは、その「別の視点」とはなにか。
 要するにそれは「階級闘争」という言葉に集約される、これまで私たちが固執し続けてきた視点であるだろうと思う。
 この「別の視点」にこだわっている以上、日常的に接することになる、さまざまなエコロジーに関わる運動や主張に対して、なにがしかの違和感を感じてしまうのは至極当然のように思う。
 私はここでまず第一番目に、この違和感の数々を列挙しようとは思わない。
 もちろんたとえ未整理なままではあっても、それはそれで今後の討論にとって無意味だとも思わないので後述するつもりだが。それよりも、私が「エコロジーの世界」に迷い込んで以降、こうした払拭しがたい違和感と同時に、それとは逆に「この世界」の中で自分が共通・共有できると感覚し続けている「モノ」について述べた方が有効ではないかと思う。
 それは何かと言えば、あらゆるエコロジー運動が具体的に体現してくれている、「直接的な『政治』への参加」という行動の仕方・方法・スタイルである。
 たとえばそれは、よくマスコミに取りあげられる「グリーンピース」の直接行動である。彼らの実態などについて私は良く知らないけれども、文字通り地球狭しと登場する彼らの行動力には、ほとほと感心させられるものがある。また日本においてもこの間の選挙で常に話題とされてきた、生協活動を基礎にした女性たちの運動がそうした例としてあげられるだろう。
 さらにそれらほど世間の耳目を集めていなくてもゴミ問題や資源問題などへの関心から始められる、無数のリサイクル運動など例をあげれば枚挙に暇はないし、またその行動様式も実に多様でもあり柔軟でもある。
もちろん一つひとつの行動の形態や表現方法には、思わず目を伏せてしまいたくなるようなナンセンスなものもあるように思うし、また問題の本質のとらえ方を取り違えているように感じるものもある。

共感する理由

 それでもなぜ、私がこのようなことに共感するのだろうか。
 第一、エコロジー運動の魅力として私があげた、「『政治』への直接参加」と呼べるような行動様式は、エコロジー運動の専売特許でもなんでもないはずだ。
 現代という歴史の尺度だけで考えてみても、やはり世界中で巨大な流れを形成している女性解放の運動もそうであるだろう。またソ連・東欧における民主主義を求める民衆の決起もそうであろう。
 私あるいは、私たちという尺度で考えてみるとどうなるだろうか。
 私たちのほとんどがなんらかの形で経験し通過して行った、六〇年代末〜七〇年代の「青年の急進化」の時代の行動様式もまた「政治への直接参加」ではなかったのだろうか。
しかし、党というものを知り、階級闘争・革命を知り、歴史や世界情勢を教えられ、こうしてさまざまな知識や知恵をつけて行くにしたがい、自分が直接に参加をするという行動様式を忘れ、あるいはそれから卒業して行ったのではないだろうか。
そして覚えていったものは、代行主義・プラグマチズムといった範疇に属する「モノ」ではなかっただろうか。そしてそれらは、理論化され運動の中に蓄積されて行ったというより、意識化されないまま組織の中に慣習化されていってしまったようだ。
 とりあえず私は、これらのことをその源泉である「党の理論」とともに、すべて否定し去ろうとは思っていない。むしろ「党の理論」にとってある種の必然ですらあるとした上で、再検討すべき最大の課題として設定しておこうと思う。
 もう一つ私が感じていることがある。
 それは私たちの運動が、あらゆる問題、あらゆる課題を、国家・資本との関係、それとの闘いという視点から捉え、分析し方針化していこうとするあまり、自己変革、あるいは自己との闘いというものを、非常に消極的なものとして捉えてきたのではないかと思う。、
これは私のごく身近なところで起きたことだが。たとえば、ゴミ問題への対処の仕方をめぐって、個々の消費者の意識の変革の方により重点をおいて考えようとする人と、国や自治体に対する要求の方により重点をおいて考えようとする人というような形で、この視点の違いは日常的に表面化する。
 そして私などはごくごく自然に、後者に重点をおいて考えてしまう思考方法が染みついているように思う。
 このことは、女性差別問題とも通底するものがあるように感じられ、私たちにとって重要なテーマであるだろうと思う。

何を学ぶか

 私は冒頭に、エコロジー運動に対して「無批判的迎合や、すりよりではなく」、私たちの運動を「反省・総括するための鏡として考えてみてはどうだろうか」と述べた。
 なぜかというと、エコロジー運動と一口に言ってもあまりにも間口が広すぎ、あまりにも雑多であり、また多くの疑問が内在しているからである。「迎合や、すりより」といった没主体的な関わりでは、せいぜい混乱を招くか、良くてこれまでの運動からの乗り移りにしかならないと思うからである。
エネルギー問題を例にして
以下、私が一番疑問に思っている点である、エネルギー問題について触れたいと思う。
どこかで聞いたことがあるか、何かの本で読んだことがあると思うが、有機野菜などを扱っている人たちや運動体の中で、生産者と消費者のあるべき関係を表現する際、よく「顔と顔の見える関係」といういいかたをする。この表現には、彼らが彼らの経験を通して蓄積してきたいろいろな意味が込められているように思う。
 しかし、ことエネルギー問題に関する限りこの言葉の意味合いは、分業の否定・抑制、自給自足的な社会を想定したエネルギー絶対量の低減化にあるように思う。
 そして私が想起できるエネルギー問題に関するエコロジストの本道・正道(などと言うものがあるとすれば)とはそのような立場であり、主張であるように思う。
どのように低減化していくのか、どのレベルまで低減化するべきかなど、さまざまに見解が分かれるところであろう。
 たとえば槌田敦は、この点について「一九六〇年に戻る」ということは、「現実的な課題である。江戸時代に戻るなどという想像もつかない話とは違っていて、多くの人たちにまだ記憶のある時代へ戻ることだから理解しやすい」(「石油文明の次は何か」)と述べ、一つの目標として一九六〇年のエネルギー消費量を掲げている。
 ただ、この著書自身が約一〇年前のものであり、一九九〇年の今日、一九六〇年を「多くの人たちにまだ記憶のある時代」といえるかどうかは、微妙なところではある。
 ところが現実に展開されている生産者と消費者を結ぶ(‖「顔と顔の見える関係」を創り出す)ための方法は、飛行機や高速道路網や鉄道というきわめて高度に発達した輸送手段や、宅配便に代表される流通手段の利用ということが前提になって行われている。もちろんそうではない形態は存在するであろうが、それはきわめてまれだろう。
 もしこのこと、すなわち高度に発達した輸送・流通手段の利用がこうした運動の前提であるとすれば、その運動が掲げるエネルギー絶対量の低減化という難題とは明らかに矛盾してしまう。
 このことと関連して、マスコミでも大きく取り上げられたので記憶されている人も多いだろうが、三月二十日仙台高裁で「福島第二原発訴訟」の控訴審判決が下された。
 原告の控訴を棄却した判決であったこと以上に、「推進必要と異例意見」(読売)という見出しがつけられたように、判決文の中で「原発をやめるとしたら、代替発電は何にするのか」という裁判長の意見が述べられたことがクローズアップされた。さらに判決は御丁寧にも「地球温暖化問題、酸性雨問題を生じ、地球環境を汚染するので、火力発電は安全だ、とはいえない」とも述べている。
「これは、司法審査を離れた、いわば裁判長の“本音”の部分」(読売)であったり、原発推進のための政府や電力会社の常套手段であるだけならばたいして問題にしなくても良いだろう。
しかし、この代替エネルギー問題は、チェルノブイリ原発事故を見てこれまでの原発神話から目覚め、率直な不安を抱いてる人たちにとって、一番ネックになっている問題だろう。いやそればかりではない。「原発は危険だ、一日も早くストップさせたい」と考えている人たちにとっても、重要であると同時に難題であり続けてきたし、これからもあり続けるだろうと思う。
技術的な進歩によって原発の安全性を高めれば、問題は解決すると主張する人はともかく、ソフトエネルギーを代替エネルギーにしようという主張も、直面している問題の本質からは、あまりにも空想的でかけ離れているように思える。
とすればどう考えても、エネルギーの消費量を減らす以外には考えられない。
 しかし、この地球規模でのエネルギーの低減化は、国家間の新たな対立を惹起するだろうし、新たな南北問題をも提起するだろう。場合によっては宗教・民族対立という形で表面化するかもしれない。
 ソ連・東欧の民衆の闘いもまた、ことエネルギー問題に関する限り、当面は増大の速度を早めることになろう。もちろん、それには、核兵器をはじめとする軍事力という途方もない無駄を削減して行く可能性も創り出してはいるのだが、そのことをもってとりあえずの収支をプラスマイナスゼロとするのは、あまりに楽観的であり、あまりに客観主義的であろう。
 そしてなによりも最大の問題は、高度に発達した科学技術と生産力を享受し続けている私たちが、この課題に応えられるかだと思う。
先述した「顔と顔の見える関係」を追求している運動ですらが、現に抱え込んでいる矛盾は、この代替エネルギー問題の困難さの例証をしてくれているように感ずる。

現実に即した展望を

 私にはそれはちょうど、深刻化する宗教対立や民族対立と同じような難問に思える。つまり一般的・原則的な正しい立場といったものは比較的容易に提起できそうであるが、複雑に絡み合った現実に即してどこからどのように克服して行けば良いのか、その方途はきわめて難解である。
 そればかりではない。長い歴史という尺度で蓄積されてきた宗教・民族問題であれば、その解決も長い歴史という尺度で考えるというスタンスも可能かもしれない。
 しかし、チェルノブイリに匹敵する原発事故という悲劇がないと仮定しても、着実に地球規模での環境破壊はその速度を早めており、あまり長い尺度で考えてはいられないのだから、ことは重大である。
 ・「現代社会人は好むと好まざるとにかかわらず、はっきり言って地球の悪性ガンです。どんなにあがいてみてもそれから抜け出すことはできませんが、せめて進行の遅い良性のガンになって、地球の腐っていくのをくい止めたいと思うのです」という一文は、牛乳の紙パックのリサイクルを呼びかけるビラの一部分である。書いた本人がどれほど意識しているかわからないが、これほど素直な絶望感の吐露もないだろう。
 この絶望感からの解放の方途やイメージは、まだ混沌とした闇の中にあり、現実のエコロジー運動の中にあらかじめ準備されているわけではない。それは私たちをも共同の主体とする闘いの中から探りだして行くしかない。

 四月の下旬を中心に、全世界的にアースデーの一環としてさまざまな取り組
みが行われる。そしてその直後には五月一日のメーデーがやってくる。残念ながら当面この両者が一つに合流する可能性はない。
 しかし労働運動の中からも、これまでのあり方からの脱皮が討論されるようになって数年がたった。そしてこうした討論から、たとえば「社会的労働運動」という用語も頻繁に使われるようになったし、その実践のための試みも行われている。
 もちろん、現実の運動が目にみえて変化していったとも思えない。
 たとえば国労にしても、あれだけの攻撃を全身に受け、それに打ち勝つには今までのように狭い職場の中に閉じ込もっていては駄目だ。これは偽らざる国鉄労働者の意識であるだろう。しかしたとえ頭はそうではあっても、いかんせん身体の方がおいそれとはついていかない。血を流して変革の必要性を感じているはずの国労においてそうなのだから、それは当然といえば当然かもしれない。

エコロジー運動もそうだが、地域運動とか市民運動とかの側は総じて労働運動には冷淡であるように思える。少なくとも彼らの側から積極的に合流をめざそうとはしていない。しかしこれはやむを得ないことであろう。このことの原因・責任はやはりこれまでの労働運動のあり方のほうにありそうである。
 それゆえ労働運動が開始したこの飛躍のための試みと挑戦は、単に労働運動の内部の問題にとどまらない。私たちのきわめて主体的な課題とし続けなければならない。
 その上で、私はエコロジー運動に関わっているものとして、そちらの側からこちらの側(労働運動)へのアプローチを追求していきたいと思っている。
 メーデーとアースデーの合流を願いつつ。    (四月一日)

三里塚反対同盟 新たな組織体制へ

二期工事阻止、成田治安法粉砕

3/25三里塚現地集会を開催

管制塔戦士前田さんを迎えて前段集会

 三月二十五日、横堀の反対同盟闘争本部前広場で「二期工事阻止、成田治安法粉砕、3・25三里塚現地集会」が開かれた。全国から結集した八七〇人が、福富節男さんを中心にした不当検問との闘いから始まる行動を全一日闘い抜いた。前段には、横堀団結小屋において管制塔戦士前田さんを迎える連帯する会呼びかけの集会が久々に開かれ、約二百人が参加した。三・二六を闘った連帯する会が横堀団結小屋を守る中軸になろうとの前田さんのアピール、地権者でもある熱田代表の挨拶のあと、岩沢吉井さん、連帯する会上坂代表がそれぞれ、横堀小屋防衛の意義と方向について発言した。
本集会は柳川秀夫さんの司会で始まり、石井新二さんの開会あいさつ、熱田代表あいさつ、石毛博道さんの経過報告がなされた。そのなかで反対同盟の組織体制変更が報告された。再度熱田代表が登壇し、体調が思わしくないとの代表辞任に当たっての態度表明を行いつつ、農地死守で公団と闘うとのさらなる闘いの決意を明らかにした。熱田代表から、新たに世話人としてバトンを受け渡された四人が次に決意を表明した。小川源さん、石井武さん、笹川英佑さん、柳川秀夫さんである。石井さんは、熱田代表の担ってきた重責を四人で分担して闘うと体制変更の理由を明らかにした。
弁護団あいさつに続いて、前田道彦さんがヘルメット姿で立ち、十一年九カ月ぶりの出獄とさらなる闘いの意思を熱烈にアピールした。わくわくツァー、上坂さん、首都圏行動、国労高崎の仲間、労農合宿所、福富節男さん、そして泉州沖に空港を作らせない住民連絡会の小山さんからそれぞれ発言があった。
反対同盟の体制変更にともない、反対同盟の呼称は、「三里塚芝山連合空港反対同盟(代表 熱田一)」から「三里塚芝山連合空港反対同盟(熱田派)」に変更される。菅沢事務局長解任後空席になっている事務局長は補充せず、事務局員の一年交代とし、この一年間は石毛さんが担うことになった。世話人体制の採用とともに反対同盟の体制は集団指導制に切り替えられた。熱田代表は幹部会メンバーとして活動することになった。
 反対同盟の体制変更は、九〇年度二期概成の断念に追い込まれ窮地に立たされている政府、公団が苦肉の策として持ち出してきた成田治安法攻撃を打ち破り、事業認定の完全な失効、収用法の実質打破をさらに明確にしていくという新たな段階にともなうものとしての性格をも持っている。

新しい体制と新しい運動

 熱田代表のもとでの反対同盟は、東峰裁判を闘い抜き事業認定二〇年の期限切れと政府、公団の論拠との正面からの論戦=公開質問状と江藤との公開論争という闘いの軌跡を作ってきた。また膨大な機動隊の動員と不断の監視、検問、そして用地全体を荒れ野と化すといった公団の攻撃に対抗し、緑の大地と民衆の三里塚の建設という方向を打ち出して闘い抜いてきた。この成果は、まさに反対同盟の闘いの原点が民衆の民主主義の不屈の貫徹にあり、政府と公団のあらゆる論理が強権としての国家権力のむき出しの発現に他ならないことを徹底して明らかにするという姿で表現されてきた。
 政府公団は、まさに憲法に触れることを自他ともに意識せざるをえない「危険」な成田治安法に訴えるという最後の手段に追い込まれている。江藤が述べた「破防法を適用せよ」の言葉こそ、政府公団が置かれている矛盾を物語る。彼らにとって、もはや残されているのは「超法規」的手段の動員しかないことが示されているのである。
 三里塚闘争は、八九年十二月十六日の事業認定から二〇年の「期限切れ」を経て新たな段階に入ったのである。この段階がどのようなものか、いかなる期間続くものなのか明らかではない。しかし民衆の民主主義の最良の発露としての三里塚反対同盟の闘いはまた、従来の青年行動隊を同盟の軸にした新たな体制のもとで、九〇年代を多様な戦術を駆使して闘い抜く意思を表明した。
 同盟と共に闘いぬいてきた支援の戦線もまた、反対同盟の新体制への移行に対応し、具体的に横堀団結小屋の断固たる存続こそが新たな闘いの出発であるという上坂、岩沢両氏の発言・提起に応えつつ、九〇年代の闘いを全力で作りだしていくことが求められている。
 九〇年三月にいたる時期は、自民党政府のと輸省にとって、国鉄、三里塚のいずれにおいても「超法規」の強権を発動を「余儀なく」された時期であった。自民党の圧倒的な議会勢力を背景にした強権に抗して闘い抜いてきたこの二つの闘いに共通するものは、まさに人民、民衆の民主主義の強烈な主張である。一時的な利害では、闘いの断固たる継続を支えられるものではない。九〇年代における人民の可能性を顕著に示す二つの闘いは、ともにこの三月において新たな闘いの段階へ踏み込んだのであることが確認されなければならないのである。(K)

モスクワニュース紙から 
スターリニストの「ささやかな」偽造

 この有名な写真には普通「スモールヌイ学院のレーニンの書斎の前で警備をする赤衛軍の兵士」という説明がついている。だが、Niva誌の一九一七年をみると、違った説明がついている。そこでは「ペトログラードの革命的な日々。十月蜂起。スモールヌイ学院で。人民委員会議長レーニンと外務人民委員トロツキーの書斎の前で警備をする赤衛軍兵士」となっている。十月革命後の最初のとき、レーニンとトロツキーは同じ書斎で活動していたのだ。後になって、この事実は注意深く隠され、古本屋では、このNiva誌の一九一七年の巻の販売が禁止された。(モスクワニュース紙8|9号から)
新刊紹介
「諸君の大統領 われらの首相」   [連帯]の軌跡を学ぶ
                      ポーランド資料センター編訳 大村書店
ペレストロイカの原点

必読の書
 このほど大村書店から「諸君の大統領 われらの首相||ポーランド[連帯]政権を読み解く」が出版された。ポーランド資料センターの編と訳である。目次の大枠を紹介すると、Tポーランド「連帯」政権のめざすもの U独立自治社会の建設をめざして V労働者自主管理と市場経済 W自立した文化のための闘い Xナショナリズムを越えて 解題||水谷驍となっている。工藤幸雄が序文を書いている。
 十一本の論文が掲載されているが、そのうち十本はポーランド資料センターが過去十年にわたって発行しつづけてきた「ポーランド月報」に掲載されたものである。「月報」をずっと読んでいたから読む必要はないというのは大間違いだ。あえて挑発的にいえば「月報」を定期的に、かつ系統的に読んできた人はおそらく数十人を越えない。しかも「諸君の大統領 われらの首相」は、ポーランド資料センターが百号近くにわたって発行してきた「月報」から、これこそは必読だと精選した論文から編まれている。とすれば、資料センターの十年の活動の大きな部分をこの本一冊で知ることができることになる。
 つまり、ポーランドのほぼ十年間の動向を、その内部で真剣に討論、論争されてきた内容を通じて知ることができるのだ。だから、この本は、「月報」の読者にとっても、あるいは「月報」を読んだことのない人にとっても必読である。あまり熱心な読者ではなかった私には、まことにありがたい本である。
 しかも時間の経過ということを考えなければならない。というのは、昨年、一九八九年の激動のことであるが、この激動によって、人々は大きな意識の変化を強制され、同時にこれまで十分には明らかにされてこなかった様々の事態に陽の光があてられてきた。この変化のうえにたって本書を読むと、これまで読んだときとはまったく違った新しい角度から、新しい問題意識で読むことができるに違いない。ここに、本書が「月報」から編まれたものであるにしても、必読の書としての存在価値がある。

 本書の帯に「ペレストロイカの原点」「東欧変革の基本思想||新しい社会建設をめざして」とある。これほど本書の性格をずばりと現した言葉はない。
 この本を読んでいて思い出したのは、一九八三年十二月の戒厳令後のことであった。それは、戒厳令を「連帯」の綱領的敗北として強調する主張に関してである。この主張について、それはそうなのだが、という感じがわき起こった。なぜ、「だが」なのか、その時点では論理的に説明できず、そのため議論にならなかった。直感的だったが、「連帯」が一時的に敗北したにしても権力の側に「連帯」を壊滅させるだけの力はなく、「連帯」が不死鳥のごとくよみがえる気がしてならなかったからだ。
 また、「連帯」の綱領的敗北を強調することが正しいとしても、なにかしら空しさがつきまとってしまう。一種の最後通牒的なセクト主義ではないか、「連帯」は綱領的に敗北したとしても存在しつづけるのだから、闘いの指針が必要である。そこで綱領的敗北を指摘することにいかなる意味があるのか||私の思いはこんなものだったろう。
 今の時点から振り返って考えると、そこには革命論に関する違いがあったのかも知れない。綱領的敗北を強調する傾向には、革命を政治権力獲得の闘いとだけ狭く解釈する論理があったのではないかと思う。確かに、この論理は言葉としては革命が政治権力を奪取して、社会を再組織していく第一歩であるという考えに反対するものではないだろうが。表現がふさわしいかどうかわからないが、このようにわれわれが主張していたとき、実際には、政治権力の奪取が社会全体の変革、再組織とは無関係なものとされていたのではないだろうか。共産主義の目的は、共産主義社会の建設、つまり本当に人間的・自然的な社会を建設することにある。その最初の一時期、国家権力を一つのてことしていくために政治権力の奪取が不可欠だいうのがマルクス主義の考え方だ。
 この考え方を機械的に理解した場合、まず政治権力を奪取して、それから社会の変革だということになる。これは、「連帯」の綱領とは正反対の考えである。だが、機械的な理解には明らかに政治(国家)と社会(共同体)との機械的な分離がある。国家と社会(市民社会といわれるもの)との関係は複雑で、きちんと整理されていないが、国家と市民社会との現実的な複雑な「相対的自立」の関係を考えると、機械的な分離からは、政治主義が生まれるといわなければならない。われわれの革命論にこうした論理構造があったのかどうか真剣に総括しなければならない。
 ことに問題が「政治革命」に直接に関わっていたのだから、この点は非常に重要だ。というのは、労働者国家の社会についてわれわれがどれほど現実的に知っていたのかという思いにとらわれているからだ。いま、ソ連や東欧についていろいろと明らかにされている諸事実がわれわれに社会主義の見直しを迫っている実際も、われわれのこうした点に関する無知と無関係ではないと思うからである。

なぜ「自治共和国」なのか

 ・「一九二八年初以来の共同体(農村社会の伝統的な共同体、スホード||引用者注)に対する国家的統制の強化、その到達点としての廃止は、一面からみれば確かに伝統的小宇宙の解体、廃止の立法以前にしばしば既成事実となっていた解体、による政治的世界の拡大を結果した、ということができるが、しかしそれは、伝統的自治に代わるべき新しい社会的自治の創出を意味したのではなかった。反対にそれは、社会的自治そのものの否認をもたらし、社会的自治を基礎としてはじめて形成が望みうる政治的自治の可能性をも排除することになった。いいかえれば、共同体の廃止ないし解体は、あらゆる『社会的なるもの』の国家への吸収を方向的に確定したのであり、そのことによって、政治的世界を社会的基層にまで拡大することを果たしえたのである」(渓内謙「スターリン政治体制の成立」第四部)
 少々長い引用だが、これの意味は明らかだろう。労働者国家では「社会的なるもの」の「国家への吸収」(この典型的な例が国家構造と党の一体化である)があったのだから、極論すれば、国家を疎外しているにしても「相対的自立」をした社会がなくなっていったことである。共産主義に向かう過程は、社会が真に人間的・自然的なものへ国家を死滅させつつなっていくことであろう。だが、スターリニスト社会では、これとは正反対の過程が進行した。「社会」が「死滅」したのだから。そうだとすると、「政治革命」の前提に「社会の自立」をおくことは必然的ではなかろうか。この点からわれわれの「政治革命」論を再検討すべきである。
 本書八〇ページでゲレメクが「要は、市民あるいは組織が、自分に何ができるかを自覚できるかどうかだ。社会を無関心から呼びさますための一大キャンペーン、それがこの綱領(自治共和国綱領)の役割だと私は信じている。わが国が直面している危険のことがよく口にされる。……私の考えでは、一番恐ろしいのは内部の侵略、つまり、無関心が人々を侵すことであり、社会が受け身になってしまうことだ。それはこの十年間ずっと背負いつづけてきた重荷だった。その
重荷を放りだせたのは、ようやく八〇年八月のことだ。あの時われわれは突然、積極的、それもすばらしく積極的な社会を目にした」という。ここでは「社会的なるもの」が「国家」に吸収されはじめて四〇数年にしかならないポーランドでの革命のあり方の根本が提起されている。そして、ここに本書の、また「自治共和国綱領」の中心がある。
 一九二〇年代末からはじまった農業の「集団化」と「超工業化」がソ連で最初の「上からの革命」だった。そしていま、ゴルバチョフのペレストロイカとして二度目の「上からの革命」が進行している。最初の「上からの革命」が「社会的なるもの」を国家に吸収したが、今度はその逆を進行させる番である。東欧では「社会的なるもの」が完全に「吸収」されてしまわなかったために「自立した社会」の建設が比較的容易だったが、ソ連ではそうはいかない。ゴルバチョフのペレストロイカにできることは「自立した社会」の建設を可能にする条件をつくることだけである。社会は自ら自立を獲得しなければならない。この過程を助けるためにわれわれに何ができるのか、問題はこのように出されている。
 本書の最後に「ナショナリズムをこえて」の一章がもうけられている。現在のソ連での動向をはじめとして民族問題が緊急の解決を迫っているときに適切な設定である。民族問題の難しさはいうまでもない。本書のこの章はこのことを思い知らせる。社会が自立を構築していく過程で、民族主義に依存することの危険性を教えている。
 本書が読者に投げかけるものは実に根本的である。現在、ソ連や東欧で進行している過程を理解するための必読の書である。
 なお、出版元の大村書店は注文制をとっているため、一般書店では簡単に入手できない。近くの書店で注文するか、直接大村書店に注文していただきたい。
 大村書店 東京都板橋区熊野町八−二 ナカダビル
・03−973−8711 

最近のソ連の事態が提起する若干の諸問題について


                        織田進

 東ヨーロッパの激動がソ連に還流して、ペレストロイカはいっそう緊迫した局面を迎えている。本紙第五号では、基本的な論点で考えを述べたが、その後もきわめて重要な事態の進展があったので、いくつか問題を整理してみたい。
大統領制を導入

 1 大統領制の採用は、現在の行き詰まりを打開するためのごく限られた選択の一つであると思われる。
 この新しい制度には二つの側面がある。
 第一に、憲法六条の修正と結びついた大統領制は、ソ連国家の政治システムを議会制民主主義に立脚した制度に決定的に転換させることになる。大統領は、人民代議員大会と直接投票制を通じて有権者に責任を負う執行機関とされ、共産党機構に直接統制されない。国家権力が、制度的には共産党独裁の装置から離れる。
 第二には、この制度は、ペレストロイカの危機打開には強権が必要であるという現実を反映している。ペレストロイカは、頑強に抵抗する保守的官僚機構を粉砕しなければ進むことができず、深刻化する民族紛争を調停する強い介入がなければそのつど立ちどまりを余儀なくされる。大胆な経済改革を実現しようとすれば、人民の諸部分の利害の衝突を抑制しつつ、迅速、強力なイニシアチブが発揮されなければならない。政治権力の中心に権限を集め、強権を発動してペレストロイカの危機を打開しようとする方策||いわば「強権的改革路線」こそ、大統領制のもう一つの趣旨である。
 議会制民主主義への移行が、新たな「強権制」の樹立によらなければ実現しない||ここに、ペレストロイカの矛盾があらわになっている。大統領制と現実に適応しうる人格が、ゴルバチョフその人の他には見いだせないこと、現在そうであるだけでなく、近い将来においても多分そうであろうということを考えるとき、この矛盾はいっそう際立つ。
 ペレストロイカの成功と、その上に実るはずの、世界的広がりをもった「平和と民主主義」が、これまで以上にゴルバチョフ個人の判断、選択、そして運命に結びつけられることになるのである。これは危険な道である。だが、この道の他に、現在可能などんな道が開かれているであろうか。

2 導入された大統領制のもとで権力の実体はこれまでも存在し、現に機能している国家官僚機構であり、その担い手たる共産党官僚集団をとびこえて新しい実力装置が形成されたわけではない。一世紀に近い蓄積を誇るこの官僚機構を、かつてレーニンが『国家と革命』のなかで熱をこめて描いたようなものにとりかえることは、それほどたやすくできる業ではない。
 問題となっているのは、この官僚機構を「国民」の監視のもとにおくことを可能にする「民主主義」の政治システムの構築であり、そのシステムの代表として行動する権限を恒常的に委任されている法的介入の機関としての大統領制を確立することである。
 大統領制は、ペレストロイカの障害になっている保守的官僚機構の個別の抵抗を、国民的要求の重みをかけ、人民代議員大会が反映している全体的・政治的力関係の中に引き入れることによって打ち砕くことを可能にする。だが、この全体的・政治的力関係そのものを離れ、超越的な力を行使して奇跡を起こすことはできない。新たな「強権制」としてのゴルバチョフの大統領制といえども結局、ソ連人民が達成した成長の限界のなかでたたかっていく以外にはないのである。

民族問題の展望

3 民族主義運動は、連邦中心部で進んでいるこのような苦難の選択とは別の展望をつかもうとしているようである。
 バルト三国も、イスラム系の諸民族も、ゴルバチョフ改革の成功に自らの未来をたくすのではなく、ソ連国家の求心力の弱まりを、一日も早い分離独立に刈り取ろうとしている。彼らはただ、ゴルバチョフが敗北して、スターリン主義的専制権力が復活することを恐れ、その恐れのためにゴルバチョフとの決裂を回避しようとするだけである。
 ゴルバチョフは、ペレストロイカの進展の上に民族共和国の経済的再建がなしとげられなければ、独立の基盤が生まれないと説得する。だが、民族主義派にとっては真相が逆である。独立なしの改革は従属の深まりに導くものでしかない以上、独立こそが人民が改革のために全力を傾注することとなっていくはずの出発点だ、というのである。だから、ペレストロイカが遅れ、生活の耐え難さがつのればつのるほど、分離独立への願望がのっぴきならないものになるのである。
 最高会議で採択された離脱法は、分離独立までの法的手続きをきわめて過酷な条件として定めている。この過酷さの真の理由は、保守派官僚勢力とロシア民族主義との結びつきである。この離脱法を、彼らが承認するとすれば、それが離脱を食いとめようとする内容をもつものである、という点に慰めを見いだすからである。それにもかかわらず、法の成立は半歩の前進である。法は改正することができる。だが、離脱が合法的な行為とみなされたという事実自体はもはやくつがえらない。
 アゼルバイジャンの強硬な分離要求と反アルメニア運動は、一時押しとどめられた。
 リトアニアの一方的独立宣言とそれにつづく「実力行使」は、ゴルバチョフの指導のもとでの最高会議の対抗決議を呼び出し、連邦軍事力の威嚇に直面して、迂回を要求されている。
 エストニアもまた、独立宣言を発表し、年内の憲法制定のスケジュールを打ち出したが、リトアニアと同様の「実力路線」を予定しているものかどうかはまだわからない。
 事態は、ゴルバチョフと民族指導部の全力を傾注した知恵くらべと駆け引きの様相を呈している。
 だが、これらの動きを見ると、民族主義運動潮流は十分な大衆的支持基盤と強固な意志を所有してはいるが、よく訓練された指導部という点では、経験的な手探りの過程を終えてはいないと思われる。彼らは、ゴルバチョフの背後に複雑に絡み合った政治勢力の危険なバランスがあること、もっと重要な課題はロシア民族主義プロレタリアートの大ロシア排外主義の克服であることを、いくつもの障害に直面し、それを乗り越えていく努力を通じて学んでいかなければならない。
 それにもかかわらず、連邦離脱のハードルをとびこえられないほど高くしようとする法的な試みは、最終的に成功しないであろう。早期独立をかちとろうとする諸民族の熱情は何ものによっても阻めず、まして全面的な軍事力の行使に頼ろうとするのは、ペレストロイカの命運全体を脅かすことにつながる。
 民族主義を押しとどめることは、結局不可能である。いくつかの民族共和国の分離独立は不可避であり、ソ連邦の枠組みそのものの再検討が日程に上るだろう。このとき、新しいソ連邦の性格を決めるうえで一番肝心な事柄は、連邦の中軸であるロシア民族プロレタリアートが、諸民族の苦しみや願望、不当な扱いを受けた歴史にたいして、どれだけ真の理解をもち、援助を行うことができるか、ということである。
 ソ連の民族問題が本当に問いかけているのは、ロシア民族プロレタリアートの成長である。

経済改革の根本

4 所有権をめぐる論争は、経済のペレストロイカの核心である。そして経済のペレストロイカこそ、全ペレストロイカの核心である。
 ・「市場か計画か」という分け方は、事態の真実からかけはなれている。現実的な選択は、次のように提出されている。
 非合法化され、地下に追いやられている市場から、日々復讐を受けて行き詰まっている官僚的指令制を防衛するのか、それとも市場を白日の往来に引っ張りあげ、労働者と農民がそこで経済法則と生きた運動とを学べるようにして、民主的計画のための学校に転化するのか、と。
 だが、問題をこのように投げ出したときに、最初に解決されるべきことが、経済活動の主体の位置を、どのようにして、官僚機構から労働者、農民大衆のところに引き下ろすのか、という課題なのである。所有権問題の意味はそこにある。
 抽象的な論争は真の争点をつかめない。私的所有の復活が資本主義への屈服であるか否かというような整理の仕方は、実際には「社会主義」が官僚的所有のベールでしかない現実を無視している。
 経済的営為の主体を、大衆自身のところに引き下ろすこと||これが核心である。株式制度や個人農制度など多様な形態の共同所有、私的所有が合法化されることは、労働者と農民が経済の主人公になっていくための制度的前提をつくる。これにたいし、官僚機構の本質的基盤は、国有企業とその行政的結合機構としての国家にある。「所有の民主化」のたたかいは、この死活の権益をめぐって、官僚と労働者、農民大衆とがひくにひけない対決をいどむ戦場である。

欧州統一とソ連

5 ドイツ統一の問題が、急速に進展している。思いがけない早さで、東西ドイツの再統一が実現しようとしている。ゴルバチョフは、統一そのものには拒否権を発動しないと決断したようである。
 現在の時点で行われるドイツの統一は、資本主義的基礎の上に成立せざるをえないであろう。経済的には、世界の資本主義強国である西ドイツに、東ドイツがのみこまれることとなるのは必然的である。いろいろの保留条件が置かれたとしても、この統一は、ヨーロッパの政治的バランスを崩しかねない。
 それにもかかわらず、ゴルバチョフがドイツ統一の受け入れを選択したのは、「ヨーロッパ共通の家」構想への布石となることを願ってのことである。
 ロシア革命以来のソ連国家の最大の問題は、ヨーロッパからの孤立であった。一九一七年の革命の直後から、革命国家ソ連は、革命的ヨーロッパとの合流を熱望しながら、反動的ヨーロッパの固い扉が、内側から開け放たれる日を夢見つづけた。第三インターナショナルはそのために組織されたが、ヨーロッパ革命は挫折し、スターリンはヨーロッパの「敗北」に反動的に依拠して「鎖国」した。だが、そのスターリン自身も、東ヨーロッパの併合によってヨーロッパの封鎖を解こうとした。トロツキーは「ヨーロッパ社会主義合衆国」の綱領を掲げ、ロシアとヨーロッパの社会主義的合流を人類の展望の中心にすえた。
 ペレストロイカのソ連にとって、今までのいつの時代に劣らず、ヨーロッパとの合流は肝心のこととなっている。現実にも、経済改革はヨーロッパ資本の支援なしには一歩も進まない。ヨーロッパとひとつに結ぶことなしに、ソ連の歴史的な孤立を終わらせることなしに、ペレストロイカの本当の前進はありえない||これがゴルバチョフの確信になっていると思われる。そして、この確信には、歴史的な根拠がある、と私は考える。
 ・「ヨーロッパ共通の家」構想とは、ひとつの「混合ヨーロッパ」へのソ連の合流を意味している。ソ連||ロシア革命国家の歴史的な悲願が、この構想の中に込められている。ドイツ統一への大胆すぎるほどの譲歩は、この宿願の重さをわれわれに教えているようである。

任務はなにか

6 アメリカをはじめ、資本主義各国がソ連のペレストロイカを支持し、ゴルバチョフ政権を支援していることが何を意味しているのかということは、ひとつの大きな問題であるが、ここではふれない。
 だが、この支援は、危機のペレストロイカの困難をやわらげ、ゴルバチョフと改革派に時間を提供することとなる。そして、いまゴルバチョフと改革派にとっては、何よりもこの時間が必要なのである。だから、これらの資本主義各国で社会主義のためにたたかおうとする人々は、それぞれの国家の政権が、ソ連にたいして条件つきでない援助を行うように要求する運動を組織することで、ペレストロイカへの貢献を行うことができる。
 日本では、日本の政府と資本家が援助や貿易によってソ連を支援するように要求する、労働者の運動を組織する必要がある。議論を尽くすべき課題はいくらもある。ゴルバチョフとそのペレストロイカ路線をめぐってさまざまの評価があることは当然である。だが、ゴルバチョフ政権の危機を打開して、ペレストロイカの進展を助けることは、社会主義の革新をめざす人々にとって共通の利益であり、責任でもあることに議論の余地はない。
7 ソ連共産党の新しい綱領のための草案は、画期的な意義を有する文書である。とりわけ、それが「人間」の観点から過去の共産主義を批判的に点検し、スターリン主義を思想的に総括し直す必要を述べているところにおいて、そうである。
 この文書は、われわれ自身の綱領的再建の論争のための、ひとつの素材とする価値がある。だが、その点については、これからの課題にしておきたい。
   一九九〇・三・三一