1996年9月10日         労働者の力              第81号

米軍用地強制使用特別立法」阻止の百万人署名の成功を


沖縄県民投票 大田知事への支持表明
基地整理・縮小へ有権者の過半数を越える支持

 九月八日に行われた沖縄の県民投票は、投票率五九・五三%、基地縮小賛成が八九・〇九%の結果を示した。最終の開票結果は、賛成四八万二五三八票、反対四万六二三二票。当日有権者数九〇万九八三二人。賛成は有権者の過半数(五三%強)を越えた。
 沖縄県民の意思が、基地整理・縮小、日米地位協定見直しの方向にあることが明確に示された。昨年秋以降、大田知事が進めてきた代理署名拒否を含む政治姿勢が県民の過半数によって支持されたのである。
 最高裁は八月二十八日、異例のスピード審理のもとで、県民投票以前に知事敗訴の判決を下した。まさに、この政治的行為にもかかわらず、沖縄県民の大勢の意思は動かなかった。
 大田知事は、投票後の談話において次のように述べている。
 「賛成票が有権者の過半数を占めたのは、基地の存在が住民生活に支障をきたしていることを多くの人が認めた結果だ。投票結果に地域差が出たが、基地に頼って生活してきた人々の不安が表面化したのではないか。基地の存在が構造化し、人々の生活に不可分に結びついている。しかし、沖縄全体のおよそ半分の市町村には基地がない。それを考えると、六割に近い投票率はかなり高い数値だ。この結果を踏まえて政府はどうするのか、橋本首相からじかにおうかがいし、県の考え方をまとめたい。米国にも沖縄が主権国家日本の一部であることを伝えたい。公告・縦覧問題への対応は、県のスタッフだけでなく、議会や女性団体などと相談し、あらゆる角度から検討しなければならない」(朝日新聞9・10朝刊)
 県民投票に「法的根拠がない」「代議制民主主義に反する」「国全体の方針にかかわる事案は住民投票になじまない」などの理由をつけた意識的な反対キャンペーンもなされた。そして沖縄自民党が棄権をよびかけるなど、風当たりも一部に強かった。しかし県の姿勢や県民投票推進協議会の意思がそれらを乗り越えた。
 これ以降、政府も「本土総体」も、明確な県民意思を無視して問題を立てるわけにはいかないのである。
 だが日米安保体制を「国是」とする日本の主流的政治構造と沖縄県民の意思との間の溝は深い。否、矛盾している。日本「本土」政治が先日の最高裁と同じく再度の沖縄差別、沖縄切り捨ての衝動に駆られる可能性もまた、過去数カ月の自民党の動きを見れば極めて高い。大田県政への「屈服への圧力」あるいは「懐柔への餌ばらまき」などを通じても効果に限界があるとなれば、彼ら本土政治は強硬策に出ることは明らかといえる。
 「本土」が新たな沖縄差別の道を拒否すること、沖縄県民の意思を正当とし、それに「本土政治をあわせる」必要性を訴えることが、さらに重大な課題となった。
 沖縄米軍基地使用特別立法という強硬手段の発想をつぶすことが、まず最初の入り口である。全国で進められ始めた「特別立法反対百万署名」運動をさらに拡大浸透させ、この秋、一大民衆運動として成功させよう。

●沖縄の米軍用地強制使用のための特別立法に反対する百万人署名運動
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 近江ビル4F
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FAX03―3234―4118
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郵便振替00140―110332

友よ奮い立とう(アピール)
 一九九六年八月二十八日
  最高裁判決抗議集会

友よ 顔を上げよ
しっかりと前方を見すえ
互いに手をつなぎあい
さあ ともに運動をつづけよう
私たち民衆の平和と人権と自治は 今や
私たち自身で守らなければならないことが
最高裁によって示されたまでのことだ

友よ 朗らかな目を見開け
沖縄の民衆はこれまで
強大な米軍の軍事植民地政策に
素手で立ち向かい
それらを幾重にも包囲し
はねかえして
祖国復帰を自らのものにした

同胞よ 手の暖かさを感じあおう
沖縄の軍事基地とのたたかいの
運動はすでに
本土民衆に広がり
その人の輪のつながりは
平和の上げ潮となって
軍事勢力の脚もとに押し寄せている

仲間よ さらに胸を開こう
東アジアの国々の民衆も
平和を望まないことがあろうか
軍事基地を置くための敵とは
いかなるものであろうか
敵も戦争も作りあげられるものだ
国境を越えて人の輪を広げよう

人々よ 二十一世紀を開こう
沖縄の地政学上の基地のキーストーンを
私たち民衆の心でとらえれば
それは平和な人の交流と交易の
国際的な要の島となるのだ
朝鮮と中国、日本との深い結びつきを称えた
万国津梁の鐘を再び打ち鳴らせ

友よ 声を上げよう
情報と真実を民衆のものとし
何よりも平和憲法を私たちの後ろ楯とし
自治を未来を開く手だてとし
直接民主主義を立ち上がらせるのだ
歴史的県民投票を沖縄で完遂し
軍事基地はノンの叫びを国中にこだまさせよう

人々よ 共に歩きつづけよう
きっぱりと私たちは平和を求めている
どのような人も
いかなる少数者も
どのような所にすむ人も
人権を侵されては私たちの心が痛む そのため
私たちは運動をつづけよう

国際主義労働者全国協議会の第八回全国総会を開催


 国際主義労働者全国協議会の第八回全国総会は、一九九六年八月*―*日、宮城県で開催された。総会には第四インターナショナル・フランス支部のピエール・ルッセ氏がゲストとして参加し、主要にフランスとヨーロッパの情勢について報告した。
 第一議案は、高木による「二十一世紀の社会主義のために」。報告はレジメ。
1、なぜいま社会主義か
2、近代の遺産
3、古典的マルクス主義の擁護
4、トロツキズムの擁護
5、環境社会主義
6、組織論
 高木報告は、継続的に検討してきている「環境社会主義」論の枠組みを骨格にしつつ、第二議案の内容および資料として配付された共労党白川真澄氏の「近代を乗り越える座標軸の再獲得へ――20世紀を総括し、変革の大きな構想を考える作業のために」(蒼生誌掲載)を意識して展開された。主要論点を紹介すれば、「近代」の克服が必要なのか、古典的マルクス主義とレーニン主義・ボルシェビズム、レーニン主義とトロツキーの違い、現代のマルクス主義としての環境社会主義、レーニン主義ではなくマルクス主義を、などである。
 主要な論点の一つは、いわゆる「マルクス・レーニン主義」に対置してトロツキーを評価するという視点についてのもので、トロツキー評価も相対化・客観化が必要であり、その点からの検討が必要だという見解が出され、提起者との、一部激論を含んだやりとりがなされた。十月年革命直後の時期の「憲法制定議会解散」や「SL非合法化」問題などにおけるトロツキーの役割をどう評価するか、それらがスターリン主義の台頭とどのような関係をもつと見るべきかなど、旧日本支部的にはさほど検討されてこなかった部分である。
 また白川論文については、一部に新アナーキズムのにおいがすることを指摘しつつ、オルタナティブ論の試みとしては積極的検討の対象である。第二議案にある組織論については「レーニン主義ではなくマルクス主義」の立場に立つべきだという提起であり、基本的に承認された。
 第二議案は、川端によるもので、当面の方針の建て方についての部分と今後の検討課題の提起部分とが含まれている。沖縄闘争の基本的考え、地域的な政治政治勢力の課題などの部分は積極的な承認となり、その他の理論的、組織論的検討の課題設定の検討に入ることも確認された。
 総会終了後、昨年死去した同志大平の墓前に集い、故人を追悼した。
 本紙紙上に、第二議案の骨格を掲載するので検討されることを願います。
 以下の文書は、第八回総会に提出されたものに一部加筆・修正および省略を加えたものである。


第八回全国総会第二議案
政治情勢の現局面と課題

  
(1、2、3は略)

4 日本における左派運動の現局面

 一九九五年は、明らかに社会党・総評ブロックの歴史的終えんとともに戦後革新運動の軸の喪失を刻印した年であった。政党としての社会党は、反自民連立、自・社・さ連立の中で革新的野党勢力の位置から転落し、ここに期待された新たな社会党左派と独立派が協同した新政党への努力も結実しなかった。
 八〇年代後半期の労働戦線が、総評解体の過程において、オール左派ブロックの成立の追求の一過程を含みつつ、結果として社会党・独立派のブロックと共産党のブロックへとそれぞれに収れんし、全労協が曲がりなりにも社会党左派・独立派の協同の全国センターとして成立した事実にはほど遠く、社会党左派は明確なイニシアティブを最後まで発揮しえないままに事態に押し流されつづけた。護憲派・市民派総結集をめざした九五年参議院選挙への過程は、幾度かのう余曲折を重ねつつも最終的に破綻し、「平和・市民」は浮揚力を欠いたままに選挙戦に敗北した。
 結果として市民派は行き先を失い、独立左派は分解局面に入り、そして社会党護憲派はひっそりとした新社会党の出発に帰結した。
 他方、共産党は一九九五―九六年を、党勢の新たな拡大、党の求心力の再強化への契機の年にしつつあるように見える。各種選挙を通じて共産党の拡大傾向は続き、先日の東京・狛江市長選においての共産党員候補が左派ブロックを糾合する形で勝利をおさめるという「輝かしき勝利」も実現した。
 また旧社会党・社民連の流れにあっては、保守党やリベラリズム政党への接近の動きが、疑似的な地域政党論を媒介にしつつ進んでおり、都市中間層の再糾合をあてこんだ都市型政党―第三勢力ブロック論を唱えつつ、保守リベラル政党形成のヘゲモニーをねらう動きが進んだ。
 社会党は党内の新党推進派に押され社民党へと衣替えし、さきがけとの合流による第三極化によって政党としての延命を模索したが、さきがけ内の保守派の抵抗によって潰え、展望をもてない事態となった。鳩山新党という曲球もまた社会党解体の一つの要素として作用する。
 新左翼の陣営においては、依然として内ゲバ勢力が存続し左派運動の再生への最大の障害となりつづけている一方、諸勢力が統一した大きな共通枠組みをつくり出そうとする機運・視野はさらに後退している。
 
5 運動状況

 諸運動の概況は以上の事態を反映して、分散・部分的・独立的に展開されてきている。市民運動としては全体を表現するような代表的運動はみられない。労働運動は、全労協運動の停滞を規定する自社さ連立政権との関係における「非政治化」に影響され、部分的・エピソード的動きはあるものの集中したエネルギーを表現するに至っていない。社会的諸運動として特筆されるべきはHIV訴訟運動であるが、ここでも三里塚や水俣闘争とも共通して、自社さ連立政府による「和解路線」の枠組みを出ることはできなかった。
 総じて大衆運動は、連立時代の影響を受けており、反原発戦線においてみられるように、一方で珠洲市や巻町などの拠点的運動の持続と深化がありつつ、他方で安保体制をめぐる「ハーフオプション論」などが先駆となったロビー活動的傾向の台頭も見られ、内部対立が拡大する徴候がある。
 いわゆる革新無所属議員運動も、一方に地域政党・ローカルパーティー的な政治的結集を展望する努力は持続してはいるが、新潟を除いては踏み切ってはいない。多くは地域密着型の無所属議員としてとどまり、むしろ政治的明確化を避ける傾向がみられる。
 女性運動は九〇年代に入って、さらに意識的な独自運動化の傾向を示しているが、にもかかわらず社民党の政権与党化は、長期的に見て全体的枠組みの求心力に無視できない影響をもたらすであろう。
 こうして政治的、運動的な全般にわたって、社会党・総評ブロックの崩壊の「後」の混迷と分解状況が反映されている。とりわけ村山首班連立政権成立の影響が直接的には大きい。
 
6 政治的局面と諸政党の離合集散

 自民分裂、反自民連立政権、社会党離脱、自社さ連立政権成立と激動した日本政治は、接近する衆院選挙で採用される小選挙区制度の重圧のもとに、さらなる離合集散の局面に突入しつつある。新進党の求心力の衰退、社民党・さきがけ両党の内部分裂状況、自民党内部のきしみ、まさに政治は「一寸先は闇」の事態ともなっている。
 反面、世論的には自民党単独政府体制の復活への警戒心は依然高く、HIVにおける菅厚生大臣や沖縄の大田知事への支持も高い。保守合同新政権へのハードルは依然高いのである。この状況が鳩山新党への社民党部分のなだれ込み志向の背景であろう。また、自民分裂、リベラル派結集の動きは鎮静しているとみられるが、新「保守合同」論が旧竹下派主導の形で進むのであれば再燃する要素ももっている。
 だが共産党と新社会党を除けば、議会勢力の体制の政治主張の隔たりに大きな違いはみられなくなった。「日米安保を軸とする国家的枠組みの堅持」の枠組み内部での再編劇は、都市中間層部分の政治的浮動という要素を一方で意識してはいても、政治離れ、投票率の不断の低下という傾向をさらに加速させていくことになる。
 選挙区政党プラス政権政党の要素が、巨大政党の出現につながるという指摘(石川真澄)がある一方、比例区部分での生き残りをかける共産党あるいは新社会党への票の流入(比例区政党)も多分に予測される。だが、そうした予測が成り立つにしても、いずれにせよ消極的・受動的なものだ。安保体制中軸の国家枠組みへの民衆的で持続性のある積極的オルタナティブによって引き出されてくるものとは言い難い。
 戦後革新の形成過程をふりかえれば一目瞭然だが、米軍―保守政治への対抗的展望、視点に基づく運動の広がりが民衆規模の「戦後革新」形成に結びついた。その巨大な広がりが、運動的、時間的経過の中で「戦後民主主義防衛」「護憲運動」的なものへと切り縮められていったにせよ、いったん成立した民衆意識は相当の時間の経過に耐えた。だが、その歴史蓄積が使い果たされた今日、新たな積極性は、新たなオルタナティブの台頭を待って再獲得されるものだ。

7 左派ブロック再形成へのうねり

 昨年秋に始まった沖縄県政と沖縄民衆の新たな闘いは、それが本土において展開されている総保守化の流れと真っ向から衝突する性格を秘めているがゆえに、劇的である。「二〇一五年基地ゼロ」のアクションプログラムは、沖縄のみならず、日本、そして東アジアの政治・経済・軍事的な現構造への明確なオルタナティブである。また、あるいはそれゆえに運動の構造もまさに本土へのオルタナティブとして登場した。
 四月の大阪・東京における違憲共闘・反戦地主会・一坪反戦共催集会の構造は、完全な「沖縄発」の闘いとなった。沖縄の違憲共闘の踏み切りは、本土勢力(連合。社民党、公明党)の「拒絶」を越えようとするものであり、したがって大阪・東京の両集会ともに、全労協、全労連を軸にした集会となったのである。
 こうした「沖縄発」の意識は、あらゆる箇所に多様な姿で表現されてきている。新崎教授の挑発的な発言「安保が必要なら米軍基地を「本土」に持っていけ」と、「沖縄発」全国キャラバンが表現した「日本にいらない基地は沖縄にもいらない」のスローガンは、その整合性はいまだ留保されたままのようでもあるが、しかし本質においていずれも「ヤマトに向けた沖縄からの発信」であることには違いはない。
 沖縄はヤマトにあきらかに挑んでいる。
 問題は、第一に四月集会の構造を本土的に持続・拡大する構造の不在である。第二は沖縄への配慮を示したい社民党村山党首の存在にも関わらず、社民党の大勢は自民党サイド、官僚サイドの政治方向の容認に傾斜していることである。第三は地域政党論を標ぼうし、第三勢力をめざすJネットなどの諸勢力がまた安保問題において総保守化の枠組みに入り込んでいることである。
 以上から、沖縄―本土を貫いての運動を貫徹する政治勢力は、主要なものでは共産党勢力以外には存在しない。新社会党はいまだ形成過程にある。そこでの問題は、沖縄の違憲共闘の枠組みが、公明、社大、社民、共産という革新共闘で成り立ち、共産以外の違憲共闘傘下諸政党は、「本土」運動を共産党に一本化して委ねることはできないという事情にある。
 沖縄の運動構造に対応する「本土」の構造不在をこそ、四月の大阪、東京集会の盛り上がりが示した。大衆的高揚は持続性を保障されていないままにあった。
 社大党は、独自に自己のローカルパーティーとしての歴史的位置から、この四月に全国ローカルパーティー会合を開き、独自の提携先を模索した。その結果がJネットとの亀裂と市民新党にいがた、ローパス勢力との提携であった。全国キャラバンはそれを一部、市民派勢力、全労協勢力へと拡大した。また新社会党中央も一部加わった。このキャラバンが示したものはささやかな試みのレベルである。だが、これがさらに大きな枠組みへと拡大する根拠は十二分にあるのである。
 四月集会が客観的に要求する本土における(新たな)革新共闘――それが結果的には共産党主導型のものになるのか、それとも旧来型の表現をすれば「社共共闘型」になるのかは、先述したように発信元の沖縄にとっても重大である。沖縄でのローカルパーティー協議を発信した社大党からみれば、なおのこと重要な意味をもっているであろう。
 大局的には、違憲共闘に対応する社共共闘型をめざすことが必要である。同時に当面の実践的過程として社民党や連合の「左派」を含んだ広範な共闘の構造を展望するとすれば、それはまさに新たな(社共共闘型の)革新共闘を非共産党サイドが主体的に準備するための土台ともなる。社会大衆党の「発信」を受け、新社会党、独立左派、市民派が協同の枠組みの運動をつくり出し、それを社民党や連合勢力内部への波及力をもったものへと押し上げていくことができれば、「沖縄発」を受けとめる最初の段階を手中にしえたといえる。
 当面、違憲共闘の本土への呼びかけは、四月を受け継ぐ大規模な一日共闘の積み重ねとなろう。持続性ある協同の構築はまさに主体的課題である。「沖縄県」が「行政機構」と「自治」との間を不断に揺れ動くであろうことは予測に難くはない。「自治」の立場の基礎も強固なものだとはいえない。国家の「三権」が全面的に沖縄県を押しつぶしにかかる事態もまた十分に想定できる。「懐柔」の諸方策も全面化していくであろう。しかし、アクションプログラムのオルタナティブとしての積極性の位置は変わらない。沖縄県のアクションプログラムは、同時に「本土」サイドのアクションプログラムを要求しているのである。県道一〇五号線越え実弾演習の「本土」五カ所への移設計画が不可避的に呼び起こすものは、「基地をアメリカに持って帰れ」のアクションプログラムの始まりである。またアメリカ国内において「基地をアメリカにもって帰る」運動が生まれているとも伝えられている。さらに沖縄での民衆運動の国際会議の構想も出始めた。東アジア―日本、そしてアメリカを含んだ共通のオルタナティブがうまれる可能性を展望しても、それは夢想だともいえないであろう。

8 統一戦線党か市民政党か、あるいは前衛党か

こうした新たな歴史的、二十一世紀へとつらなる民衆運動を政治的に表現しようとすればいかなる視点が成立するであろうか。
 将来的に、大衆的で社会主義的、オルタナティブ的な民衆の政党が必要という視点は、おそらくは多くの政治勢力に共通する。ただし、この共通了解事項の枠組みをより厳密にすれば、いわゆるレーニン主義組織論の問題につきあたる。言い換えれば、前衛党論の立場に立った統一戦線戦術の適用の問題として、大衆的連合戦線党を意識するのか、あるいは前衛党組織論そのものから離脱して問題をたてるのか、という違いが出てくる。さらに踏み込めば、第二インターナショナル的なレベルに回帰するにとどまらず、マルクス主義の基本的立脚点である「階級概念」からの離脱をも志向する地点をも包含する。
 あえて簡略化すれば、次の図式になる。
 a 前衛党論による直接展開
 b 前衛党論による統一戦線戦術派
 c 連合戦線党の社会主義政党化
 d 大衆的民衆政党
 e 緑の党などの概念を含む市民政党
 f ローカルパーティー
 上記の内、aを除いた諸傾向が様々な共同作業や共同行動を通じて関わり合っている。この分岐は整合的に成り立っているわけではないが、先述した階級概念とともに、国家論レベルの問題設定とも密着してもいる。すなわち地域的自治概念に立脚する考えを透徹すれば、国家に対する地域政治連合というものにも通じる。こうした幅をもち、かつ錯綜して諸勢力の共同や対立あるいは相互浸透が進んでいく。
 aをすでに論外なものとすれば、b、cも内包する問題点はかなりの程度明確となる。これらの立場は、aの理論概念の延長上に、極めて組織戦術的なところから展開されてくるからであり、協同性が相互浸透の中で、新たな何物かを生み出すであろうという期待からは出発してはいない。あくまでも自己の党派の同心円的拡大のための組織戦術という発想の側面に濃厚にとらわれる傾向をもつ。
 もちろん、これらの傾向は現在的あり方というものであって、固定的なものだとは断言できないが、ここで強調したい点は、d、e、fの諸傾向の相互協同のレベルとはおのずと違ってくるということである。いわば、第三インターナショナルの諸系譜の枠組みにある建て方ということになろう。
 われわれは当然、歴史的には前衛党建設および様々なレベルでの統一戦線戦術を是とし、これをいかに駆使しうるかという立場にあった。権力闘争から党建設に至るすべての側面において、積極的な統一戦線戦術論の立場であったと規定できる。それは革命的前衛党という歴史観から導かれる左翼反対派―第四インターナショナルの当然の論理である。
 全国協議会としての発足に当たって、「レーニン主義組織論」に関して一定の留保を行った。以降、われわれの上記の問題に関する視点は「留保」のままにある。感覚的なレベルでの認識としては、あくまでも「旧日本支部のレーニン主義理解」への拒否であると同時に、ボルシェビズムやインターナショナル問題にまで踏み込むことも含んだが、その後は理論的整理を深めてきたとはいえない。だが事態は一歩進んで踏み込むことを求めている。
 次に具体的な道筋を検討する。
 
9「左派ブロック再構築」からの水路

 新たな「左派ブロック」への過程を、決して段階論的にとらえるということではないが、先述したように実践的現実からして非共産党的左派の求心力形成という過程が重要な要素となる。その中心的課題は、例えば消費税問題や憲法問題などとして諸方面から提起されてきてはいるが、当面の核心は沖縄、基地、安保問題にある。運動論的展開は別個に譲るが、沖縄がヤマトにつきつけている問題の性格は、古くかつ新しい。
 同時に、ローカルパーティー、社民党分派、独立派左翼、市民派左翼の混在した政治的協同の可能性もまた、古くかつ新しい。
 以上を縦軸とすれば、横軸は小選挙区制度への挑戦としての側面をもつ議会への介入、参加ということになろう。議会制度への「参加」という点についてのわれわれの論議は十分ではない。むしろ、いまだ始まってはいないというべきである。
 「革命戦略」との関連での検討は「無」であり、あえて規定すれば「介入」論のレベルにすぎない。だが「介入」論のレベルにおいても、新たな政治潮流・政党形成の過程においては正面から向き合うべき課題である。地域選挙から国政選挙に至る議会活動への「関与」を通じて、分断され個別化を余儀なくされている左派運動の全国性を再獲得していく道筋をつかもうとすることは、いわゆる実力闘争論による権力闘争論というものを冷静・客観的に見なければならないものとなってきている現実で、最大限度の注意がはらわれる必要がある。
 われわれは現在的には、いわゆる「運動圏と制度圏」という区別には立ってはきていない。むしろ原則論として、大衆運動と議会活動を一体的にとらえる立場にある。今後の実践上の視点は以上の両者を立軸・横軸として一体的に認識し、その視点からの運動の組立を追求していくことが必要である。
 この点から、沖縄発の運動を理解し、具体化をはかる。それを通じて、各政治潮流の相互の協同が政治・政党レベルの協同へと展開する可能性を見いだすのであれば、必要条件の第一歩の獲得ということになる。

10 地域政治勢力からの水路

 分散・分断の圧力を受けている大衆運動や政治運動をあらためて全国的に連携させる努力は、同時に地域的にも政治的上部構造からの大衆的疎外の進展への対応を同じく要求する。
 議会が総与党化状態を深めるほどに、民衆的な「直接民主主義」的な要求が拡大する。住民請求や情報公開、住民投票などの手段によって、議会と行政機構の「超然化」と対抗しようとする。地方自治、地方主権、地方政府などの概念もまた、中央政府の「超然化」に対抗しようとする動きの表現である。
 政・財・官・労の結合としての中央政治の総保守化状況は地方にも貫徹するが、市民レベルでの「直接民主主義」、地方自治体レベルでの「分権主義」などは、「民主主義」を肌で実感させる性格をもつものであり、いかなる政治傾向といえどもにわかには否定できない性質のものである。国家と地域の間に一線を引き、地方分権をそのレベルに押しとどめようとする動きもあるが、自治体外交などに踏み切った沖縄県政の例は、革新自治体運動の衰退と崩壊以降の新たな一歩である。
 生産と消費、生活が都市の巨大化とスプロール化の中で分断され、ここに労働運動のもった凝集力の拡散、分散を生んだ。市民運動や住民運動などのいわゆる生活者運動などが労働運動から分離しつつ展開される傾向を深めた。労働運動の側も「社会的労働運動」などの提起を通じて打開を模索してきてはいるが、成功してはいない。組織論的視点が先行した感があり、概して「政治の不在」という問題に突き当たっている。
 ローカルパーティー論の試みは、地域的な政治そのものへの挑戦を通じて運動主体の分散と拡散とに対応しようとする試みとみることができる。ローカルパーティーが、ローカルとして自己完結するものなのか、あるいは全国政治への挑戦を秘めた運動なのかはとらえ方の問題であるが、それ以前に、地域政治そのものへの対抗という視点に注目すべきである。
 地域における政治的総体性を形成していく道筋は、おそらくは議会活動を意識的に一つの結び目として設定する労働運動、市民運動、生活者運動、住民運動などの総合の構造である。そこにはNGO、NPO活動などを含むボランティア運動の水路も関わってくる。それは地域的独自性を踏まえるがゆえに、ローカルな政治勢力であり、ローカルな政治運動ということになるのであるが、それが自己完結するものだという意識は少数であろう。むしろ地域的な主体からの「発信」の全国的連携という姿、手法がいかにも地域密着型、地域自治民主主義の担い手という印象を与える。
 「政治の回復」をさぐるとすれば、まず第一に政治が存在している場所、空間に向き合う必要があるのである。

11 いかなる大衆的政治勢力をめざすのか

 村山政権成立以降に顕著になってきたロビー政治的傾向の勢いがいつまで持続するものかは容易には断言できないが、保守政治への対抗を謳う第三勢力結集論やリベラル新党論にもかかわらず、政治の中枢的流れは実質的に保守論理に巻き込まれていく。
 一部の労働組合が自民党との接触を射程においていることをもみれば、加藤幹事長が表現する路線は明らかにアメリカの民主党型政治である。社民党村山派やさきがけの武村のリベラル新党形成論は政治的には後景に退いた感もあるが、そうした離合集散を貫いて、政治的枠組みの軸しんが保守へと移行しつつあることは間違いない。
 ロビー型政治と運動と一線を画す流れをいかに表現するか――先述したように現在統一的用語はない。社会主義派を含んでオルタナティブ運動派という用語も試されているが一般化はしていない。規定なしの「市民派政治」的理解であいまい化されているが、ここには「労働運動」領域が位置づかない。今後の展開の中で用語も選択されていくであろう。対抗社会論というのも使い古された感じもし、また大衆的語感という感じもしないし、理論的にも「静的」である。
 
イデオロギー的課題
 
 仮にここではオルタナティブ勢力とするが、その要素を社会主義派、環境派、民主主義派、平和主義派などと想定する。現在はもちろん、これらを統一する理論的枠組みは存在しないし、近い将来にもその可能性が高いとはいえない。理論的作業は、われわれ的にも協同作業的にも停滞的である。同時に、環境社会主義―エコ社会主義の論理を同志高木は継続して問題提起しているが、おそらくは大枠的な協同の方向性がここらあたりにあるであろうことは確実ともいえる。
 グローバルな時代、ボーダーレスな時代における社会主義像と世界変革の論理。およびグローカルといわれる地域密着型政治との一貫性。資源循環型社会とエネルギー保全。それらの前提となる経済システム像。これらが一定の主流的理論と政策体系の柱となっていく過程は、もちろんいわゆる「イデオロギー闘争」のレベルを経過する。だが、その「イデオロギー闘争」は、前衛党主義的な「他党派打倒の理論闘争」という色彩を極力排除して遂行されるものでなければ、協同作業を通じた協同の理論と政策ということに到達することは不可能である。
 われわれは先述した組織論の問題とともに、革命論、権力論の問題につきあたっているし、ここにあげた経済システム論などをふくんで、二十一世紀の社会主義像を世界的拡がりおよび異種な理論系譜相互の協同作業の過程を通じて切り開いていく必要に直面している。
 グローカリズム(グローバルとローカル)の視野において、六八年運動の体現した伝統的近代主義的価値観の転換の系譜をひきついで、われわれはオルタナティブ勢力の協同を拡大しつつ、その世界的方向性の解明を意識する。したがって、主要に二つの分野からの作業を通じて接近する必要がある。理論と政策である。この作業の具体化に踏み込むことを課題とする。

運動的課題
 
 全国的に、すでに提起されている沖縄発の左派全国運動への着手を通じて、協同作業のレベルを引き上げ、基本的な四つの政治潮流の協同作業推進の一翼をになう。四つとは、平和市民(市民の政治)、ローカルパーティー勢力、社大党、新社会党である。媒介となる「沖縄発」は九七年五―六月まで、たぶん二段階の運動となる。後半は新社会党も意識する新「反安保共闘」的な継続性をめざすことも含まれる。
 政治協議関係をこのレベルに引き上げつつ、選挙ブロックの可能性も追求されることになる。ただし、選挙ブロックは参議院選(および地方選―都議選)での可能性であると現時点では認識する。衆院選は制度上、政党選挙であり、非党員が比例区名簿に登載されることはない。支持・支援の活動ということになる。近々に想定される衆院選挙は、ごく一部地域(東京、近畿、中国)プラス新潟を例外として選挙体制そのものが見えていない。
 「非連立、非新進の候補への投票を」呼びかけることを確認し、必要あれば具体的支援活動も行う。
 地域的政治勢力への具体的準備作業を開始する。全国性を支える基礎力は、地域的な政治的運動的な力量の蓄積とその全国的提携の力量にかかっている。地方議員を生み出し支えうる力量の獲得を政治的力量のメルクマールとして展望する必要があり、次期統一地方選への対応を急ぐ。
  踏み込んでみれば、
A、労働戦線(略)
B、労働戦線を基軸とした流れとは若干位相を変えて、市民派選挙の系譜がある。
 列挙すると、
 86年 中山千夏選挙(参議院東京選挙区)同時選挙・自民圧勝
 89年 「原発いらない人々」選挙(参議院比例区)
 92年 内田選挙(参議院東京選挙区)
 95年 統一地方選挙、平和・市民選挙(参議院選挙区・比例区)
以上を通じて、繰り返し市民派選挙の構想が登場してきた。主体的な変化は、敗北の結果として余儀なくされたが、地域的な蓄積、とりわけ愛知における各種選挙への挑戦の積み重ねの実績は大きいものがある。同時に革新無所属議員連盟の分化を通じて、ローカルパーティー論が生まれ、市民新党にいがたやローパスへと発展し、愛知のそれと並んで市民派の選挙闘争・議会活動への視点の転機となった。こうした流れの中で、東京・大阪などを中心に「市民の政治」として、九五年地方選挙が意識的に取り組まれ、全国的に一定の効果をあげ、平和・市民につながる流れともなった。が、全体的には地域的蓄積というレベルを明確には越えていない。
われわれは、基本的にこうした流れとは距離があった。地方議会への積極的参加を通じて一つの政治勢力として登場し、それを横につなげていくという水路は、われわれにとってまったく経験のない「新しい」問題の建て方である。より積極的に言えば、階級概念を中心に組み立てる思考に対して、これらの発想は市民的政治参加という視点から成り立つものであり、「市民的」という言葉の概念規定が、当時も今も明確化できないという特徴をもっていたがゆえに、全体のイメージもかぎりなく不定形である。こうした状況に対する一定の定式化の材料を見いだそうとして様々な試みがなされてきているが、それらは多分に「階級概念」につきあたり、階級概念の「否定」か、それともそれへの固執かという対立的関係をも形成することになりがちである。現状的には「深く悩まず」にそれぞれの立場から、それぞれの視点を持って取り組むという段階が必要であろう。
「市民派」という場合に、ここで述べている例は、いわゆる急進主義的諸戦線運動とは様相を違えた発想である。あるいは旧時代の、戦後革新運動の一部を形成してきた市民運動とも違っている。全国政治への主体的参画を主体的な「政党」の形成を通じて実現しようとするところに「新しさ」があることに留意されたい。
今回の提起は、「それぞれの立場からそれぞれの視点をもって」、問題の内的解明を今後の課題として認識しつつ、しかしこの「新しさ」に参画するという提起である。
C、以上の二つの関係を多少理論的にみれば、次のようなことがいえる。労働戦線のサイドからは「社会的労働運動」という提起がなされてきた。この提起は総体的には足踏み状態である。
先述したようにワーコレや対抗社会運動的傾斜がみられる一方、ゼネラルユニオン論が表現した企業内組合運動からの脱却を媒介とする労働組合運動の大再編と展望はほぼ忘れられてしまっている。労働運動は全般的に政治的積極性を後退させ、企業・職場に閉じこもる傾向にあるようにも見える。
言い方をかえれば、ゼネラルユニオン的な社会的大再編の思考は、端的にはイギリス社会的な「階級社会」を主体的につくり出すというもので、その発想の是非はおき、日本社会が急速に第三次産業化へと突き進み、同時に労働と生活とが途方もなく分離されてきている時代において、概念的なレベルでは別であるが、政治的には現実との極めて大きな「距離」を生み出してしまう。そうした「政治」あるいは労働者政治の空白の拡大が、地域社会の「日常的」政治との落差を不断に拡大し、ここに「市民派政治」という概念の導入される余地が生まれ拡大してきたということができる。
 労働戦線の非政治化傾向、あるいは「独自の政治化思考」の結果としての思考の「断片化」は、社会党左派―総評左派運動が新たな左派労働者政治運動へと発展する展望の挫折の一つの表現である。これはそれなりに一つの方向として尊重されるべきだが、われわれがめざす方向とは違う。
 われわれは「労働者階級の政治」を取り戻す、あるいは新たに創出するために闘う。労働運動の政治と市民的政治の現状における「かい離」を否定はしないが、にもかかわらずそれら相互の分離・分断に反対する。全国レベルにおける積極的な左派共同戦線再構築のための闘いも、議会活動分野への積極参加も、「労働者階級の政治」復権の闘いの一部である。

組織的課題(略)
青年講座
         われらが時代の社会主義
                                  ダニエル・ベンセイド

 一九六八年(フランス五月革命)の後、革命家たろうとすることや革命が簡単にできるという幻想が流行した。人々は「すべてを直ちに」と安易に要求した。こうした幸せな気分は、第二次世界戦争後のほぼ途切れることなく持続した資本主義の高度経済成長という「栄光の三十年間」の結果として部分的に説明される。「社会主義」のソ連と東ヨーロッパ諸国が崩壊してしまった現在、多くの人々が革命あるいは社会主義という考えは果たして有効なのだろうかと疑問に思っている。そのように考えない人々は、世界は変革されるべきだと確信しているが、変革されうるのどうかに関しては疑問を感じている。

1 問題を正しく見る

 より良き社会というわれわれのモデルは依然として生きている。われわれはことに、ベルリンの壁が破壊されソ連が解体した時に崩壊した体制をわれわれのモデルとしては考えていなかったからである。人間解放の闘いというのは、ある一つのモデルに別のモデルを対置するようなものではない。その闘いは、人口の二〇%を占める金持ちが世界の富の八五%を有し、二〇%を占める貧者がわずか二%しか有しないという現代世界における不正、抑圧、一般化しているみじめさに抵抗することから始まる。市場を基礎とする今日の世界は、不平等と暴力を伴っており、どうしても受け入れることはできない。

 大量の失業と社会の周辺に置かれる人々の一層の増大という二つの現象は、この制度の不合理さをまぎれもなく証明している。生産性の著しい発展の結果、五十年前と比較してほぼ同じ時間あるいは少ない時間で五倍もの富の生産を可能になっており、それによって余った時間をほかの活動に使うことを可能にしている。すなわち、
◆労働時間の大幅な短縮、労働それ自体の変化、そしてこれは、すべての人が地域社会の活動に積極的に参加するための前提条件である。
◆住宅、教育、健康、文化といった社会的な必要を満たす。教育を高めたり立派な保健を享受できるかどうかを、誰がどのような考えで決定する権利をもっているのだろうか。なぜ自動車を販売することが経済にとって良い活動であり、健康のための支出が悪いことなのだろうか。

 資本の論理の不合理さはますます拡大しており、そこでは例えば新規雇用が七十万増加するとニューヨーク証券取引所の株価が下落する。この社会では、すべてが労働時間の交換を基礎にして価値が測定され、活動が組織されている。そして、この呪われた測定手段の限界は、労働がさらに複雑になっている知識の体系を組み入れるにつれて、労働そのものが極限的に抽象労働になっていくことに表れている。

 環境破壊と再生不能なエネルギー資源の略奪的な浪費はまた、社会的諸関係を測定する手段の不適切さに由来する不合理さの別の表現である。目先の利益追求への過度の熱中は、様々な種類の汚染や森林破壊、ゴミの再生といった中期や長期の問題を無視させている。「今日だけを考えて、明日は明日の風が吹く」という気分がはびこり、その気分が生物種の保存に必要な世代間の連帯精神を破壊している。政治の管理や導きを受け、長期的な至上命題を考慮する経済だけが、自然を破壊することなく人々の基本的な社会的必要を満たすことができる。

 現在の経済危機は一九七〇年代から続いており、この期間、短期的あるいはエピソード的な景気回復によっても、先進国でさえ失業の減少という事態は生じなかった。これは企業の利益率の問題にとどまらない。利益は回復してきたが、生産設備への投資や新たな雇用の創出を伴いはしなかった。現在の危機は、資本蓄積と社会的諸関係の再生産における地球的な危機なのである。ブルジョアジーがこの危機を克服できるとしても、それは、搾取・抑圧された人々の多大な犠牲の上でのことである。
 すでに経済の地球規模化(グローバリゼーション)を口実にして、領土と(経済上、司法上、通信上の)空間との新たな分割が実行されつつある。この分割が平和裏に行われるはずもない。すでにボスニア、ルワンダ、チェチェンといった多くの悲劇を生み出しており、これらの悲劇は「中世からの脱却」では絶対になく、まさに地球規模の再分割の一部なのである。

 戦争、失業、多くの人々の周辺化、生態系の危機――これらは未来なき明日の前触れである。将来の世代は現在の世代よりも必ず良い生活を送るだろうといった幻想はすでに、ぼろぼろになり始めている。世界を変革することがかつてなく要求されている。革命家の役割は、この要求が早急に実現されるように行動することである。

2 進歩に関する新たな考え

 技術的な知識体系とその実現可能性の巨大な発展が必ずしも社会的、文化的な進歩に結びつかないというのは、本当である。資本の論理が支配する中では、進歩と後退とは分かちがたく結合している。従ってわれわれは、進歩に関する基準を大産業や「宇宙の征服」などに還元されないものとして定義しなければならない。単純化しすぎることを恐れずにあえて言えば、次の三つの本質的な観点をもつべきである。

◆生産性の巨大な発展によって可能となった労働時間の大幅短縮の実現。これは、労働に対するわれわれの関係と労働それ自体の根本的な変化を意味する。抑圧された日常生活において労働時間が占める割合が減少すること、すなわち、労働疎外の削減こそは、社会の民主的な展開にとって第一の前提条件である。このことによってすべての人が、政治に対する自己の責任の実現や権力に対する管理活動を十分に展開できるのである。
 労働時間の短縮はまた、各個人が自由に活動するための前提でもある。人間という種の各個人の尊重すべき多様性は実現されなければならないが、その目的は、より豊かに創造的な人格、より多様な個人、集団的な要望を形成することにあるのであって、市場を基礎とする社会にまん延する順応主義という実体のない、骨抜きにされた個性を祝福するためでは決してない。このようにして人類は、費用―利益分析に縛られ、巨大な見せ物としてのスポーツに幻惑されている状況を脱し、かつての「遊び」の感覚と肉体の喜びを取り戻すことができるのである。

◆男女(女男)間の関係の平等もまた、進歩に関する基準の一つである。というのは、この関係は、他者性(と両性間の違い)と種の普遍性とに関する最初の相互的な経験であるからだ。(フランス語から英語への翻訳者は、この点に疑問をもつ。つまり、女性の赤ちゃんにとって最初の他者性の体験は、自分の母親との間で結ばれるからである)一般化すれば、女性に対する男性からの支配と抑圧が存在する限り、見慣れぬ人、在留外国人、他の場所から来た人、つまり他者は脅威に感じられる。

◆重要な点は、真実に普遍的な人類の連帯実現に向けて活動することにある。その道は、真に地球的な規模で開花する生産と通信のもとで、相互の違いを正しく認識してすべての人が豊かになることにある。資本の命令による市場の普遍化は、抽象的で矛盾に満ちた骨抜きの普遍化である。国際通貨基金(IMF)や世界銀行、世界貿易機関(WTO)が支配する(ことに債務を武器として)中で、資本による市場の普遍化は、その影響を受ける側では、アイデンティティの危機やコミュナリストの撤退、宗教上の恐れ、外国人排斥と人種差別を煽り立てている。この状況にあって、国際連帯は、依然として新しく新鮮な思想である。

3 いかなる社会主義か

 問題は、ある一つのモデルを別のモデルに代えたり、あるいは「天の都市」の青写真を描くことではない。未来というものは、現存する社会の矛盾を正確に認識することから始めて、つくり出していくべきなのである。しかしながら、すべての革命的な事業には、夢の側面が必ずある。まだ表れていない可能性を探り出すためには、夢見るという作業が必要である。

 半日しか働く必要がない世界を想像してみよう。この世界では、労働の意味がわれわれの世界とは完全に違っている。つまり、人生を通じて自らを啓発する時間が十分にあり、一つの固定された労働による人間性の特化がなく、しかも労働者であるとともに、時には詩人であったり、画家であったり音楽家であることさえ可能である。今日の専門化した「芸術」世界では、芸術に関して何か発言できるのはごく少数の「専門家」であり、大多数の人々は何かを発言する機会やその手段をもたない。労働時間の短縮は、社会を大きく変化させ、性別によるものを含む労働による社会的な分断を克服していくために不可欠な前提である。

◆われわれが考える社会主義は、大多数の人々の需要を満たすことを優先し、利益とそれに伴う特権を追求するものではない。各個人の多様な人格に見合った多様な労働や生活を意味する。こうした展望は、生産と通信における主要な生産手段の「神聖」なる私有制を侵害せずには実現できない。いかにすれば、社会的な需要に応じた生産を、しかも長期的に自然環境と共存し、目先の利益水球とは無縁な基本研究や技術開発のうえに立つ生産を実現できるのだろうか。競争と市場(あの恐るべき金融市場一つでも)を放置するなら、市民とは無関係な目先利益追求の決定がなされるに違いない。
 不動産の私有制を放置したままで、自然保護を追求しているといえるだろうか。保健と教育に関して企業の横暴を許したままで、生産性上昇の成果をこの分野の発展に向けられるだろうか。市民の権利や労働組合の権利に関する様々な発言にもかかわらず、利益追求法則のもとにある実際の労働現場を支配するのは、民主主義でなく、経営側の専制である。

 民営化と公共サービスをめぐる論争が、問題の本質を明確に示している。すなわち、社会的な必要を配慮せずに自らの都合、利益拡大を優先させる個別企業に公共サービスを委ねるのか、それとも、すべての人に食料、住宅、文化などの最低限必要なものを保証するのか――の論争である。生存・生活する権利が所有権より優先する、とわれわれは考えなければならない。しかし、このことは、主要な生産と交換の手段を国家が所有することを意味しない。それらを社会に与え、社会自身が自らの未来を決定し、管理できるようにすることを意味するのである。

 可能な限り民主主義を最大限実現したい。決定を実際に行うべきは誰か――集団としての市民か、それとも金融市場か。人類の未来は、手品のように帽子からぱっと取り出すことができるものではない。最大限の民主主義を実現するには、時間――何が中心問題であるかを学び、それについて多くの人が議論に参加する時間――が必要である。また、専門家に全面的に依存しないですむための手段、やり方が必要である。
 こうして、課題は、政治の考えを取り入れ、機構としての民主主義のみならず生産と文化の面においても民主主義を拡大し、自主管理と代表者による代議制に対する統制を拡大していくことになる。このことは、様々なプロジェクトや計画の中からの自由で多元的な選択、政党から完全に独立した自律した労組や社会的な運動、そして民主主義の拡張を前提にしている。繰り返すが、その民主主義は、単に政治的なものでなく、社会的、自主管理的なものでなければならないのである。

 重要な観点の最後は、国際連帯を発展させることである。一切の狭い排外的な排他主義と闘うためである。われわれは世界市民として考え行動するするべきであり、普遍的な人権宣言に含まれていた当初の意思を持続しなければならない。このことは、何世紀にもわたって略奪と支配に苦しめられてきた従属国の人々と日々連帯していくことを意味する。現在では略奪は、債務として存在し、この債務のため債権者が自らの条件や命令を押し付け、いわゆる「発展途上国」をその段階に押しとどめておくことができる。

 こうした全体状況において、いかなるヨーロッパを展望すべきか。マーストリヒト条約のヨーロッパ――単一市場と統一通貨のヨーロッパ、(欧州裁判所の)判事と銀行家が支配するヨーロッパ――は、開かれたヨーロッパとは完全に無縁である。

 われわれを新しい、マーストリヒト条約ヨーロッパのとは異なる未来に導く道は、たった一つしかない。明日の闘いは、すでに今日、芽生えている。ブレヒトの作品に「一日闘うのは良き人々であり、長年闘い続けるのは非常に良き人々であるが、生涯闘い続ける人々こそが不可欠である」という有名な言葉がある。これはまた、われわれの社会主義についても言えることである。すなわち、最大多数の人類をお互いに「不可欠」とするような社会主義である。
(インターナショナル・ビューポイント誌七月、279号)

ネオリベラリズム反対の欧州会議
コンクリートジャングルにおけるユーロ・サパチスタ
ブラウリオ・モロ


荒廃した都市

 ベルリンにジャングルが? 奇妙に思われるなら、フリードリッヒ通り周辺をしばらく歩き回ったり、ビル――大部分は賃貸や売り出し目的のオフィスビル――建築工事が進行している広場などを眺めたりするとよい。ジャングルという言葉の意味が実感されるだろう。ドイツ政府は、ボンからベルリンへの首都移転の準備として東ベルリンでの建設工事を熱心に進めている。
 この地域では高揚した資本主義が感じられる。反面、経済は依然として不況が続き、コール政権は社会的運動あるいは労働運動による成果に対して攻撃をかけているのだが。そして、この攻撃の結果、労組が社会支出の削減に反対する闘いを持続すると決定するなら、この夏は熱くなるに違いない。
 ベルリンには、資本主義というヒュドラ(ギリシア神話に出てくる九頭の大蛇)のコンクリートジャングルとは別の頭もある。つまり資本蓄積のみならず弱肉強食の論理が支配してもいる。ベルリンは、紛れもなく一つのジャングル、マーケットジャングルであり、目には見えないものの、毎日、様々な壁が建てられている。
 このコンクリートジャングルに五月三十日から六月二日にかけて、ヨーロッパ二十六カ国から千人以上が参加して、「人道を求めネオリベラリズムに反対するヨーロッパ大陸会議」(以下、ヨーロッパ会議)が行われた。呼びかけたのは、サパチスタ民族解放軍(EZLN)。最初は、大陸全体からネオリベラリズム反対とそれに代わる路線を話し合うために人々を結集するという計画はユートピアだと思われたが、多数の人々の確信と疲れを知らない準備活動とによって実現されたのだ。

ヨーロッパ会議の二つの顔

 ヨーロッパ会議を正しく評価するためには、国際連帯活動が直面している現在の困難な状況を認識する必要がある。すなわち、労働組合の弱体化と大部分の左右を問わない政治組織の危機と、そしてもちろん、サパチスタの政治主張である。
 様々な国からそれぞれの背景をもつ多数の人々を結集するためには、そして、その人々を数日間、共通の基調に向けて相互の経験と関心を集中させていくのは、それ自体困難な課題である。誰も、絶対に誰も、これまでにこうした会議を呼びかけるような大胆さ、あるいはサパチスタのような正当な権威をもっていなかった。この種の初めての経験であったから、その結果は当然、会議全体での不均一さがみられ、驚くほどの成果もなかった。しかし、それでも非常に重要な成果はあった。現在、何が問題なのかが明らかになったことである。
 ヨーロッパ会議は、ネオリベラリズム、女性とフェミニズム、東欧問題、国際主義、移民などのテーマで行われた。これらのテーマがさらに三十五の作業グループに分けられ、より細やかな議論が展開された。

結果は

 作業グループの多くは、文章として結論を提出した。各作業グループや閉会全体会議において、非常に多様な意見が出された。多様な意見には、非常に熱心で必要なイニシアティブ(例えば「チャパス連帯ボート」)のようなものから、信じられないほど不合理なものもあった。後者の例としては、参加者がフランスのリヨンで開かれるG7サミットに対抗する集会を拒否したことがある。出席していたほぼすべてのフランス諸組織が提案したものであったのだが。
 会議が到達した結論は、参加各国におけるEZLN連帯行動に関する議論を活発にするし、ヨーロッパ大陸規模での連帯行動組織の出発点となるだろう。
 労組と政治組織がほとんど参加していなかった事実は、ヨーロッパ会議の一つの肯定的な側面である。そうした組織のわずかのメンバーを例外として、労組と左翼は、この会議に参加する必要性を認めなかった。この事態は、ヨーロッパの社会状況が生み出したものであると同時に、ヨーロッパ会議組織委員会の一部が下した労組と政党を招待しないという決定による。この決定の理由は、それらを招待することがヨーロッパ会議が政治的に利用されたり、あるいは「制度と化す」という根拠薄弱な主張であった。
 幸いなことに、こうした考えは、最終文章には含まれなかった。その文章は、「われわれは、次のような課題を闘っている人々すべてを代表しているわけではない」と述べ、だからこそ「民主主義と自由、正義のために闘っているすべての人々」に、ネオリベラリズムと闘うという巨大な任務に挑戦するよう呼びかける、と訴えたのであった。
 今年の復活祭に開催されたアメリカ大陸会議と同様に、ベルリンで開かれたヨーロッパ会議は、各国の人々を確実につなぎ、現在のヨーロッパで構築可能な行動調整型のネットワークに関する議論を開始するきっかけとなった。「女性とフェミニズム」のグループに参加した百二十人以上の女性が、恒常的な通信を維持しようとするネットワークの構築に同意した。

今後の課題は

 ヨーロッパ会議が課した任務の一つ(そして国際的には、チャパスのイニシアティブが課した任務)は、大量の個人や特別のイニシアティブをどのようにして結集させるかだった。それによって、積極的に行動に参加する意思をもつと同時に、「政治的」と思えることを拒否する人々を結集できるようにすることだった。また、いくつかの場合にある種の「制服を着た連帯行動」を行えるようなイニシアティブを結集することでもあった。
 例えば作家のパコ・イガンチオ・タイボは「作家と社会的抵抗」と題する興味深いレクチャーを行った。百人(全参加者の一割)以上がその話を聞いた。彼がハビエル・エロリアガとセバスチアン・エンチインの二人――EZLNに参加しているとして政治囚になっていたが、今年の六月初めに国内および国際的な圧力のためにメキシコ政府が釈放した――に言及した時、参加者の六割以上が二人について知らなかったために、相当驚いたという事実があった。
 もちろん、ヨーロッパ会議参加者の多くは、国際連帯活動で豊かな経験をもち、また、それぞれに独自の展望をもっている。そうした組織・個人として、バスク国際委員会、チャパス連帯マドリード・プラットフォームの参加者、イタリアのブレスチア連帯委員会の参加者、いくつかのドイツの委員会があげられる。こうした自律した精神というものは、中期的に何か具体的な成果をあげていくために、絶対的に必要である。
 ヨーロッパ会議は、われわれ自身の姿を鏡に映し出した。そして、今後なすべき課題の大きさを示した。
 われわれをサパチスタの「希望のインターナショナル」に導くことになる道が当面、閉ざされることになる。換言すれば、ごく少数の例外はあったが、東欧からの参加者が極めて少なかった。メキシコのサパチスタ戦線組織委員会から、少なくとも具体的な連帯行動に関して合意を形成することの重要性を強調する繰り返しての呼びかけがあり、チャパス南東の山岳地帯からの同様の趣旨のメッセージも送られてきたのだが、ヨーロッパ会議は、この点で何らの具体的な決定もできなかった。
 だが、今回の経験は、その限界を含めて第二回ヨーロッパ会議開催への種を蒔いたことにはなる。第二開会議の命運は間違いなく、メキシコでの状況によって決定される。しかし、今回の実績がヨーロッパの人々の経験をもとに持続し成長するなら、サパチスタは、彼らの行動の成果に新たな成果を書き加えることができるだろう。ネオリベラル反対の、サパチスタ支援の国際連帯を築き上げよう。そうすることが、ヨーロッパの人々自身が「資本主義はもう(飽き飽きだ)十分だ!」の連帯を構築していくことにつながるのだ。
(インターナショナル・ビューポイント誌279号)
ロシア大統領選挙第一回投票が示したもの
             不安定さと幻想の喪失
                                     リビオ・マイタン

 ロシア大統領選挙の第一回投票結果は、一九九五年十二月に行われた連邦議会選挙が明らかにした政治的、社会的な傾向を改めて確認した。
 ロシアには、東欧諸国のどことも同様に、しかも規模はもっと大きく、官僚化した過渡的社会の崩壊期に形成された諸制度に対する激しい拒絶がある。これは、長期におよぶ経済崩壊や苦悩する社会、適度に効率的かつ民主的な制度の不在、新たな収奪・搾取階層の出現、その階層があらゆる類の無節操な、時には犯罪的な金融・商業活動を通じてさらに富んでいる事実、人々の大多数がますます貧困化している事実などのの結果である。
 政治およびイデオロギーの面では、以上のような状況は、「市場経済」と「西側民主主義」に対する幻想を急激に打ち壊し、そうした幻想を助長しはびこらせるのに多大な貢献をなしてきた知識人の影響力を急速に失墜させてきた。
 人々のこうした拒絶は、部分的には矛盾した、いくつかの形で表現されている。一九八九年から一九九〇年にかけての人々が真剣に考え、かつ行動した数年間を経て、混とんとした状況が深まるにつれて、政治的な無関心が増大していった。その結果、一方では、以前の制度にあった利点を解体したとみなされる勢力への非難であり、他方では、ロシアの衰退と国際政治におけるロシアの急激な地位低下とに対する不満が蓄積していった。
 過去を懐かしむ感情は、スターリン時代(ことに一九三〇年代)に向けられているのではなく、国家の硬直化と経済の停滞とが時期的に重なったものの、もはや大々的な抑圧がなくなり、広範囲の社会階層の生活水準が向上したブレジネフ時代に向けられている。こうした感情が、ある年齢層を共産党候補のジュガーノフに投票させた理由の一つである。
 第一回投票までの数カ月間とその後の数日間の事態は、ロシア状況の不安定さと心もとなさとを示した。エリツィンは昨年十二月の議会選挙前に、支持の拡大を狙って自分の「ネオリベラリズム」政策でひどい打撃を受けた社会階層の生活改善策をいくつか打ち出した。その中には、市場改革と最も強く関係していた何人かの政権メンバーの解任があった。
 第一回投票の結果が判明した直後、四十八時間もたたないうちにエリツィンは、信じられないことにジュガーノフに次ぐ政敵であるレベジ将軍(同投票で三位となった候補、安全保障会議書記に就任)と組むと発表し、レベジと敵対関係にある政権メンバー――特に注目されたのはパベル・グラチョフ――を降格させた。彼はまた、この機会に、早い時期に政権から追放したチュバイスのような人物らを再び取り込んだ。
 エリツィンとレベジが交渉し合意に達した時間は、いまだに明らかになっていない。レベジは確かに彼の選挙運動中にエリツィンを激しく批判したが、同時に「過度の国家主義」にも反対し、エリツィン大統領と同様な経済政策を提案していた。
 両者の合意関係がいつまで継続するかは、明確でない。エリツィンがレベジの新しい地位が余りに危険すぎると考え、自分を中心とする権力内部の配置構造を変えようとする可能性もある。エリツィンからすれば、レベジは、後継者になるべく自らの立場を強化し、場合によっては後継時期を速めようとする可能性が強い人物なのである。また、エリツィンが様々な理由からして、他の戦術を採用する可能性も排除できない。
 ジュガーノフのロシア連邦共産党(CPRF)は、現在ポーランドとハンガリーを統治している「旧共産党」とはやや違っている。ロシアの共産党は、その理論と政策、ことに過去に関しては修正や調整の過程を経ていない。CPRFは多面的な性格をもっている。官僚化した過渡的社会の失敗に関して本質的な教訓を学んでいないようだし、極右的な傾向をも含む民族主義者と共通の地盤に立ってもいる。
 ジュガーノフ自身が多面的である。モスクワの活動家、アレクサンドル・ブスガーリンは、彼を「ごたまぜ――経済では社会民主主義、政治では国家主義、イデオロギーでは共産主義・キリスト教正統派、国境と民族に関してはショービニスト」と分析している。
 以上のように述べたとしても、ジュガーノフが大統領になるなら、東欧で政権を握っているいくつかの旧共産党と同様の問題に直面することになる。現在の力関係を考えると、彼は重要な問題に関して同様な選択を迫られる可能性が強い。ポーランドとハンガリーの旧共産党と比較すると、彼は、国家により重要な役割を果たさせ、保護主義的な経済政策を採用し、自前の外交政策を展開するかもしれない。
 第二回投票はまだ実施されていないが、それでも次の一点は確実である。すなわち、ジュガーノフあるいはエリツィンのどちらが大統領になろうとも、ロシアがかなりの程度の経済成長をとげることはないし、社会的な安定を実現することもありえない――このことだけは確実である。
(インターナショナル・ビューポイント誌279号)

エルネスト・マンデル研究センター資金カンパのお願い


 国際的なマルクス経済学者であり、第四インターナショナル統一書記局の指導者であったエルネスト・マンデルが昨年亡くなりましたが、この度、オランダのアムステルダムに「エルネスト・マンデル研究センター」が設立されました。同研究センターは、アムステルダムのIIRE(研究・教育のためのアムステルダム国際研究所)内に置かれています。
 マンデルは、一九八二年のIIRE創設援助者の一人です。同研究所には創設以来、全世界から多くの活動家や研究者がセミナーや教育コース、会議に参加してきました。これらすべては、英語、フランス語、スペイン語での刊行物の発行計画および多くの言語で書かれた二万五千冊の書籍とパンフレットを擁する図書館によって支えられてきました。マンデル自身もこのIIREで、教え、学び、討論してきました。
 エルネスト・マンデル研究センターは、マンデルのこうした活動を今後も継続するものです。さらに、ニュースレター発行やマンデルの業績に関する国際セミナーも予定されています。センターはまだ出発したところです。こうした活動を展開するために、同センターは国際的にカンパを呼びかけています。
 われわれは、「エルネスト・マンデル研究センター」の設立を支持するとともに、その活動を日本でも支えていくために広く資金カンパを訴えるものです。
一九九六年六月
呼びかけ人
 酒井与七 佐々木力 塩川喜信 志田昇 鈴木英夫 西島栄 西村祐絋 橋井宣二 水谷驍 湯川順夫
 カンパ額は一口五千円単位で、郵便振替にてお願いします。
問い合わせ先
トロツキー研究所
 東京都福生市熊川五一〇
 ヴィラ四 一〇五号
 アトリエみ・ゆ内
電話/FAX
0425―53―8114
郵便振替
00130―1―750619
 なお寄せられたカンパは全額、オランダの同センターに送られます。

ドイツ型モデルは死んだ
                                マヌエル・ケルナー


 長年にわたってドイツは、他のヨーロッパ諸国からうらやむべき、見習うべきモデルと見られてきた。経済は躍動し、その通貨マルクは強力であった。労働組合は強いものの穏健だった。労組は、社会的パートナーシップの枠組みの中で活動をし、その結果、ドイツに社会的な危機は発生せず、大量の失業も回避できていた。
 コール政権の緊縮政策に反対するボンにおける六月十五日の巨大なデモは、「ドイツ型モデル」の終わりをわれわれが目撃していることを実感させた。資本家や経営者の諸組織は、コールを強く支持している。だが、ボンでのデモを組織したのは、ドイツ労組連合(DGB)と様々な社会運動の組織であった。
◇公式統計によるとドイツの失業者は「わずか」四百万人であるが、労組側は七百万とみている。
◇旧東ドイツ(GDR)の産業はほぼ破壊されてしまった。本年最初の四半期で東側の経済はゼロ成長だった。失業は西側よりもはるかに多く、生活水準も明確に低下している。平均賃金の水準も、旧西ドイツの八五%にすぎない。通貨安定のチャンピオンだったドイツは、もはやマーストリヒト条約が定める統一通貨採用の条件を満たしてはいない。
◇コール政権は、労働者側の社会的な成果に前例のない攻撃を仕掛け、同時に金持ちには減税や補助金などの様々な優遇策を実行している。これらはすべて「強力な通貨を維持する」との名目で行われている。資本家と経営者はますます攻撃的になっている。賃金カット要求を強め、フレックス制の全面的な導入をもくろんでいる。
◇社会民主党(SPD)はこの数年間、野党としてはまったく機能してこなかった。同党は、保守党政権のジュニア・パートナーの役割に自己を限定している。グリーン(緑の党)は、「制度」要求の路線を採択した。そのエコロジストや平和主義者としてのイメージは、信頼を失いつつある。
 旧東ドイツ共産党は、民主社会党(PDS)へと変身したが、矛盾した立場にある。一方では支持を拡大するために「変革」の党たろうとするが、同時に、自らのイメージを穏健なものとし、地方、地域の自治体政府の与党になろうともしている。

 二百七十万の組合員を擁する強力な金属産業の労組IGメタルの委員長、クラウス・ツビッケルが、最初に「雇用協定」を提案した。それは、賃金要求を抑える代わりに、今後三年間に三十三万の新規雇用を創出し、見習い期間の若年労働者に良い条件を与え、さらに一定の社会保障を維持するというものである。彼は、この提案を一般組合員にいささかも相談することなく行った。
 労組、経営者、政府の「円卓会議」は「二〇〇〇年までに二百万の新規雇用を創出」を決めた。この約束には、具体的な実行策は何もない。
 DGBは、経営者と政府との間で「雇用とドイツの生産を維持する協定」を締結した。こうして労組は初めて、ネオリベラル的な状況に自ら入ったのである。また、政府が当初目標としていた失業保険給付の五%削減に対して、三%削減で合意した。
 しかし地方自治体選挙が終わってしまうと連立与党は、労働組合と合意した共同的な関係を維持する気はさらさらなくなってしまった。政府は、一方的に雇用協定を破棄し、新たに五百万ドイツマルクの支出削減(その半分は連邦政府、残りは州政府の予算)を発表した。
 DGBは円卓会議路線をあきらめた。そして四月末以来、ほとんどの産業別労組の指導者らは、彼らが言うところの「下からの協定」路線の展開を支持し始めた。換言すれば、大衆動員方式であるが、限定された、しかも強力な統制をかけたものである。
 一般組合員は、この大衆動員方式に自主的な諸組織を形成して力強く参加し、他方では指導部批判を強めていった。また、失業と人々の周辺化に反対する学生と労組における一定の左翼的なイニシアティブもみられた。
 繊維、化学、鉄鋼、公共部門などいくつかの産業で、労働協約をめぐる対立が存在する。これらの産別労組は、政府と経営者の緊縮攻撃に対する抵抗を組織している。だが労組は、平均でわずか一・八%という穏やかな賃上げを承認してしまった。しかも、当然ながらツビッケルが雇用協定提案で約束したことを政府と経営者から何ら譲歩をかち取ることなくである。
 連邦議会は間もなく、最新の緊縮提案に関する審議を開始する。これこそ、六月ストライキの成果のうえに攻勢を仕掛け、強力な産別間共同行動を組織する契機となる。すべての人が夏休みから帰って来るまでに、これを実現できるなら、世界で三番目に大きな国における労働者と資本家との力関係を変える過程に入り始めることになる。
(インターナショナル・ビューポイント誌279号)