1996年11月10日        労働者の力               第83号

 連立時代の「勝者なき」総選挙
 

問われる日本社会の転換へのオルタナティブ

 
憲法違反というべき選挙制度のゆがみ

 「政治改革」の名の下に進められた小選挙区制度という制度導入自体がもたらした政党の離合集散、議席のための個々の議員の政治的浮遊――公約も政治主張も政治的立場も、すべてが浮遊する無責任政党の姿としてリアルに示された。そこでの「政党本位の選挙」のむなしさ、しらけが戦後最低の投票率にはねかえった。
そして「死票」に直結するであろうという小選挙区における少数政党への投票行為の実感が、また無党派層を投票所から遠のかせた。政治的、制度的な両側面において、低投票率は約束されていたのである。
 比例区三二・八%の政党が過半数に近い議席を獲得するような選挙制度は、はたして民主的な制度であるかどうか。選挙直後から、重複立候補制度による敗者復活などへの疑問が高まった。それに乗じて単純小選挙区制度が正しいなどという論法も現れた。だが、政党への投票である比例区得票率とは全然違った議席数の現出という矛盾は、単純小選挙区制度になれば途方もないものになる。
 政治行為としての投票行為を正しく反映させるとすれば、最低限、制度的には完全比例代表制度しかない。小選挙区比例代表並立制度での選挙はこれで終わりにすべきだ。
 同時に、無所属候補への徹底的な差別選挙と立候補供託金の途方もない高額さ、この二つの要素を組み合わせると、個々人が自己の被選挙権を行使して他の政党なみの選挙活動を行おうとすることは事実上排除されている。この現実は、まさに被選挙権に徹底的な制約を加えた、まさに「法の下での平等」という憲法原則を正面から踏みにじる選挙制度といわなければならない。ここまでに個々の有権者、すなわち被選挙権者に対して過酷な選挙制度は、いわゆる民主主義諸国において他に例を見ない。明らかに「憲法違反」の制度だといわなければならない。
 しかも、それらの「政党」への国庫資金からの活動援助費が投入され、それを使用した膨大な政党広告がテレビ画面を占拠し、それらの政党が企業献金の拡大に奔走しているという現実が加わっている。文字通り、既成(大)政党の、既成(大)政党による、既成(大)政党のための選挙制度であり、その理不尽さと非合理性とが、投票行為そのものに深く影響したことは疑えない。
 
制度的トリックに支えられた橋本内閣

 そうした制度的制約、歪曲および相対的批判層の棄権の拡大の結果としての低投票率という状況下においてさえ、「民意」は自民党の全面復権に抵抗した――これが得票率が示すリアルな結果である。自民党は相対第一党であるにしても、ライバルの新進党とはわずか四%の差でしかなく、三割政党にすぎない。絶対得票率では、さらに低い数字だ。二〇%を切る支持率でしかない。
 だが、この数字さえも過大評価にすぎるのである。三百選挙区のすべてを闘う力量をもった対抗政党は、共産党および新進党に限定された。そこでの結果である。民主党や社民党あるいは新社会党は、選挙区選挙を真っ正面から闘う準備もしくは力量をもたなかった。これらの政党が小選挙区すべてで競ったら、自民党の得票率はさらに減少したであろう。
 にもかかわらず、自民党はほとんど単独過半数に迫る議席となっている。前号で予言したように、政権政党への可能性を失った新進党からの離脱議員や無所属議員を加えて過半数に近い。自民党の単独過半数政党への復活は、ゆがめられた制度によってほぼ可能になった。だが、あくまでも制度的に支えられた相対多数派政党である。さまざまな方面との連立や提携の追求はさらに必要であり、そのことが自民党のさまざまな傾向相互間の矛盾やきしみを拡大することにはなっても低めることはない。換言すれば、かつての時代のような包括政党としての自民党単独支配の再来とは決していえない。
 そうした、単独過半数に近い政党を軸にする「連立時代」がはじまった。橋本への投票は衆院において二六二票を占めた。さきがけと社民党が「健全与党(?)」として橋本への投票を第一回から行ったからである。さきがけはいざしらず、社民党は、これも前号で予言したように参院社民党の圧力が加わり、そのもとに土井委員長の「閣外協力」=「健全野党」路線は、「閣外協力」=「健全与党」路線に押し切られた。土井グループとして担ぎ出された市民派の三議員は土井氏へ投票したが、同調は得られなかった。旧来のいわゆる土井系議員、秋葉氏や濱田氏も橋本への投票に加わった。

再分解を濃厚にする諸政党

 選挙戦を振り返れば、自民党以外の他の政党、新進、民主、社民、共産、新社会の諸政党は、民主党を除けば、おおむね事前の予測の範囲での得票となったといえる。
 新進党は、旧自民党グループ、創価学会票、民社党票でそれなりの善戦をみせた。一五〇〇万票という数字は対抗政党としては十分すぎる獲得票である。だがこの党の問題は、政権党でなければ意味がないという野合政党であることにある。したがって、この党はいかなる政党間の組み合わせにおいても政権に達しないという事実が確定した段階で、「次はない」という結果となる。選挙直後からのぼろぼろとした脱落―自民復帰の動きは、細川・羽田の「分党論」の挫折にも関わらず、依然続いている。
 羽田グループの最終的動きが見えてはいないが、いずれ党内バランスが崩れることになるのは明らかである。さらに民主党との連携の可能性は旧民社党サイドに拡大している。選挙区で「人物本位」を建前とした創価学会勢力がさらに路線を「柔軟化」させる可能性も大きい。
民主党の結果評価は少々難しい。「風が吹いたか吹かなかったか」といえば、「微風は吹いた」ということか。少なくとも改選議席数は確保した。東京では菅ブームもあって得票率は新進党に微差で続く三位、社民党丸ごととさきがけが合体した北海道では第一党となった。だが、それ以外では離された三位である。近畿では共産党にも負け第四位であった。期待されたブームが起こらなかったことも事実である。
旧総評系労組が民主党中軸へと転換したこともあり、全国的におしなべて社民党組織が崩れ、社民党の組織票が民主党に移行したし、東京・神奈川のように旧さきがけや生活クラブ生協などの市民票が新たに加わった場合もあるが、にもかかわらず第三極政党としての存在感を強く打ち出すに必要な数には至らなかった。
 政権との距離感をめぐった民主党内の綱引きが続いている。菅と鳩山兄弟のそれぞれのグループのニュアンスの差は一時のエピソードとはいいきれない。
 民主党の将来路線を見る場合の視点が違っていることによるであろう。すなわち、新進党がいずれ分解再編されることを想定した場合の新たな「野党再編」劇をどのような構図で描くのかの問題が大きい。新「保守党」路線なのか、それとも労組幹部が描く連合内部の分岐の解消への動きなのか、それとも自民との大連立の可能性を描くのか。
 明らかに菅は将来における「自民党勢力」との大連立の可能性を捨てていない。すなわち自民党は単に制度的助けを借りての相対多数派政党にすぎないのであり、自民党内部のきしみや政財官癒着の変化の可能性も低くはない。いいかえれば「健全野党」であれば新進党との提携などが先行するはずが、民主党の現実は自民党との協議が先行した。それも菅は「定期協議」であり、抵抗する鳩山は「随時協議」を対案にしたが、押し切られる様相である。
 つまり、五二議席の衆院勢力を「たかだか」と見るのか、相当のものと見るのかということでもある。たかだか五二議席でしかない民主党の将来像は未定型である。「連立時代」の圧力とは「政権との距離」が近いという圧力である。五二議席は「政権」という重量物質の引力で不断に揺すぶられる。

土井社民党の迷走と問われる新社会党の今後

 社民党は一五議席を確保した。土井効果はあったというべきであろう。本来であれば社民党の選挙戦はありえないはずであったし、事実、北海道では不戦敗を甘受し、小選挙区の多くも見送らざるをえなかった。比例区総得票数三五五万票は北海道抜きの数字であり、得票率六・四%も最低限度の議会政党としてのラインをクリアしたとはいえる。土井グループの三名が東京・近畿の比例区に急きょ立候補し滑り込んだことも土井効果である。
 以前の土井ブーム時に社会党が獲得したおおよそ一五〇〇万票が、民主党に九〇〇万、共産党に二〇〇万程度流れ、新社会党に一〇〇万弱、社民党に三五〇万が残ったという計算もできる。
 議会政党の最低限の形はかろうじて残したとはいえ、この党が依然断末魔にあるという事態は変わらない。現時点において最大の問題は、やはりこの党の将来像は何かという点がまったく不明であることにある。前号で述べたように、土井社民党は参院社民党勢力に押し切られた。かりに、土井グループや社民党に残り選挙戦を闘った旧協会派部分が「ゼロ」からの出発を唱えたところで、総評・社会党ブロックとしての組織構造がほとんど壊滅してしまったところでの党組織の展望を描けなければ、それは実体をもたない。そして現実はその弱点が露わとなった。
 参院社民党の一部は民主党に流れたが、現在時点では少数である。なお社民党に残る三〇名弱の議員集団のほとんどは、「野党路線」に徹底抗戦の構えを示し、衆議院サイドから伊藤幹事長らの呼応を得て土井路線=健全野党路線を粉砕した。こうした部分の政治組織展望は「安楽死」願望だと称される。野党路線は共産党以下にしかならず、与党路線は自民党にのみ込まれる。いずれにせよ展望はないのであるから、残された任期を政権与党として安楽に暮らそう、とでもいうべきか。
 新社会党は比例区総計九六万票、目標とした全国二%にわずかに届かなかった。全国単純比例であれば三人の当選が望めたという分析結果があるが、制度上の不利をまともに受けたわけである。数字的にみれば、新社会党の苦戦は大都市部での劣勢にある。地方部での一定の「健闘」に比して大都市部、とりわけ東京での劣勢はきわだった。東京で闘わなかったわけではなく、小選挙区に一定数を擁立した結果が比例得票六万あまりの結果は、ここでも深刻な分析を必要とするだろう。北海道における一〇万票とくらべれば落差は顕著だ。
 簡単にまとめてしまえば、新社会党の得票は相当程度、旧社会党支持層のうちの社民党批判票だったと思われる。社会党―社民党の政治的コアがいまだに残存する地方において、新社会党は社民党得票の一部を食いちぎった。北海道の場合は社民党の不戦敗であることから、民主党へのなだれ込みへの批判票が新社会党に集中したとみることができる。
 その他の地方において土井再登板の影響を受けなかったとはいえないだろうし、旧社会党支持層が新社会党を通り過ぎて共産党に流れ込んだ割合も多かっただろう。だが、すでに社会党―社民党の組織的核=コアが大都市部で相当に崩壊してしまっていたという事実の影響の方がはるかに重大である。
 そして新社会党の選挙戦術の中心が社民党批判におかれていたことも、地方部では一定の効用をもったにせよ、旧社会党支持層が風化を深めている大都市部での集票力の限界性を突き出したのである。東京以外でも広島選挙区などの例などを聞くに、新社会党は新たな革新政党として自らの政治的主張、展望を語るには準備されてはいなかったという感が強い。
 旧社会党内部の、いわば「内ゲバ」的対応には、形成されたばかりというハンディを割り引いて見なければならないが、にもかかわらず政治的な旧社会党左派・総評左派的色彩の「古さ」、抵抗政党型主張から抜け出ていないという旧態さは、やはりマイナスに作用したといわざるをえない。

共産党は政治的軸芯になりうるか

 共産党は予想通り、ここ数年の上昇機運をそのままに得票数、率、議席の大幅な拡大につなげた。七三〇万票の数字は党の歴史上かつてない数字である。選挙戦にむけての周到な準備、明確な政治主張、踏み込んだ政策的提起と展開――旧社会党支持層から相当部分が共産党に流れた十分な根拠があった。選挙区における七〇〇万票の数字は、その大半が「死票」に終わるであろうという事実にも関わらず投じられたことを考えれば、共産党への投票はかなりの確度で「確信票」であったことを物語る。「生まれて初めて共産党に投票した」例も、多く聞く。
 しかし、七〇〇万票で二議席という選挙区の結果は、制度上のハンディを覚悟していたにしても、いささか不本意であったろう。ぎりぎりのところで議席に届かなかった点は、やはり社民党が土井カードを切ったことの影響もあると思われる。「ゼロからの出発」論によって、社民党も「批判票」の分け合いに部分的に参入しえたからである。
 次はどうか?
 好意的に見れば、社民党も新社会党も突き当たっている諸問題、すなわち旧来型抵抗政党タイプ、批判票掘り起こしの党活動の限界について、共産党も理解しているようである。今選挙戦でみせた積極的な政策提起の努力はそれを物語るし、選挙後、新進党との政策的提携の可能性を示唆するなど、実質感をもった「野党」への意欲は示されている。この党の持つ抜きがたい前衛党型組織感覚が至るところでにじみ出てくるという側面も、過渡期の現象として割り引いて見ることも必要かもしれない。
 だが、この党がその組織力を通じて三〇〇選挙区すべてに候補を擁立し、「革新の首座」を固めるために闘いをさらに継続するとしても、早晩一定の限界に直面することは見えている。比例区政党としての地位を保持しつつ、その枠組みからの突破を追求するところで、党の政策的基軸に相当程度の影響を持つ諸問題が避けがたく浮かび上がってくるからである。すなわち端的に言えば、この党は、批判勢力なのかそれとも一定の政治的影響力を行使し、全体の政治動向に関与する政党なのか、という問題である。使い古された用語でいえば、「綱領」の問題が出てきてしまうのである。
 少なくとも今回の選挙では、この党が「いかなる目標を掲げた政党であるか」は、真には問われなかった。だが次からはそうはいかないのである。

二十一世紀へ誰が挑戦するか

 今総選挙の争点は「行革」「財政再建」「消費税」などとして設定され、とりわけ「行革」は最大の焦点として、各党が競って公約を乱発し、違いがわからないほどに至った。消費税問題はまた、小沢の超減税路線が信用されず、また自民党は公然たる据え置き派を生み、混乱と不信を印象づけた。社民党も最後まであいまいなままに終始した。行革―消費税バーター論にたった民主党は、それによって「風」を作れずに終わった印象も強い。
 消費税と行革バーター論に立たなかったのは、新社会党と共産党である。この両党ともに共通して、弱者救済論や既得権保護、あるいは公的援助・負担の重視という性格を押し出していた。そのなかでも相対的には共産党の方が、軍事費や安保費などとの連関についてより一貫した方向を示した。
 国の財政危機からの脱却という点において、保守派系統とその他の傾向は明らかに分岐していた。自民党は他の競争政党―新進党・民主党が得点を稼げなかったことによって相対第一党の座を確保しただけである。

民衆の視点からの「オルタナティブ」の形成を

 今後のための問題提起を、この選挙戦の総括視点として提出しておきたい。
 それは、今選挙に象徴される一九九〇年代政治の混迷は、単純な要因に起因するものではありえないが、あえて要約すれば、八〇年代までの高度成長経済(最後はバブル経済)社会の行き詰まりに起因している。国家財政の極度の悪化、輸出至上型かつ国内的な高収奪型社会構造への外圧、産業空洞化の進行、高齢化社会構造などが「日本アズナンバーワン」の幻想を砕き始めた。
 にもかかわらず、日本の政治経済構造は依然として対アメリカ主軸型でありつづけ、安保体制を軸心とした意識は新国家主義と重なって強められ、他方に新保守主義的な解決方法を安易に提起する風潮へと押し流されてきた。いわば、旧時代(七〇年代型構造)の行き詰まりに対する処方策が「新保守主義」的・新国家主義的傾向として登場した。抵抗型路線は明確な対処方針をもたなかった。
 すなわち「対案」が生み出されてはきていなかったのである。
 いわゆる新保守主義は、サッチャー・レーガン型路線が典型なようにむき出しの資本主義の様相に相当に傾斜する路線である。それは国民経済の中での格差を拡大し、したがって社会的な相対的安定を犠牲にする。それへの備えとしての強権的政治への傾斜が押し出される。
 保守政治の中にあっても、こうした傾向への抵抗もまた生じてくる。サッチャー・レーガン型政治が必ずしもその後において継続されきってはいない根拠である。
 さきがけ、そして菅タイプの政治方向は新保守主義への一定の対抗関係をもった、まさに「民主党」型政治の流れにあった。それは特殊日本においては、日米安保基軸体制の容認のもとに、その枠組みの内部で、諸階級間の利害を調節しつつ国民経済を運営しようとするタイプである。
 それゆえ、この新保守党のイメージは労働組合や生活協同組合などの「利益集団」をも取り込み、それらの結合の上に政治構造を築こうとするのである。
 自民党は新保守主義傾向と民主党傾向の双方の要素を抱え込んだ、その意味では旧構造を引きずった雑多性を、「包括政党」の装いでつないでいる存在であり、不断に双方の傾向に分岐し、かい離する様相を示していくことになる。
 新保守主義の論理を単純化すれば、社会政策的には「自助努力」の強調となる。行政的政策には強固な権力装置を維持した「小さな政府」論である。これは明らかに矛盾した論理だが、今は立ち入らない。「公」と「私」が明確な二項対立論理で提示されている。国家権力構造の維持、大資本の利害、そして高所得者層の利害の擁護以外は手をふれない、民衆はそれぞれ勝手に生きていけという超然タイプである。
 他方、民主党タイプの政治方向では、ここのところが「あいまい」化されてくる。「民衆」のそれぞれの領域にまたがる利益集団との調整が前提されているから、一定の民主的スタイルを伴うし、社会的「弱者」への配慮のポーズも出てくる。だが、それらは同時に大資本との調整でもあり、さらに経営体と決裂できない「労働組合的利害」から自由になることもない。
 かなり単純化した図式だが、以上のように政治傾向の違いは描写できる。
 さて投げかけられている課題は、ここに述べたような「民主党的」疑似社会性とは明確に区別される「社会性」である。「公」と「私」に分裂させるあからさまなブルジョア政治傾向に対して、「公」と「私」間に「社会」を浮上させる――これが菅的な「市民参加政治」のポーズの背景であり、より本質的には「社会主義」の論拠である。
 あるいは「社会」主義といいかえてもいいが、人は「社会的存在」である以上、社会をいかに有機的に組織するかという問題を回避して、政治と経済を論ずることはできないはずである。
 今回の選挙において、「野党陣営」すなわち新社会党や共産党のサイドからは、日本「社会」の組織化についての論点は明確には提示されなかった。別の言い方をすれば、「オルタナティブ」は提示されなかった。「オルタナティブ」は今後の課題として残されたままである。
 しかし、沖縄においては「最高判事」への不信任が三分の一に達した。沖縄の県政が掲げ、沖縄民衆が支持した基地整理・縮小および基地のない島としての将来展望である「アクションプログラム」は沖縄サイドからの日本国家に対する「オルタナティブ」の骨格である。その視点を最高裁は九月二十八日、真っ向から否定した。不信任は当然の答えである。
 社会党・総評構造の解体に伴う戦後革新の政治的混迷、方向性喪失と対比して、沖縄民衆が提示する「オルタナティブ」はまさに鮮明であり、活力に満ちた展望である。日本民衆もまた、自らの「アクションプログラム」をもち、それのもとに行動する必要性を促されているのであり、この課題に最大限に応える力量が新たな社会主義―「社会」主義陣営の政治的躍動を担うであろう。
 独立左派、市民派の共同の作業は、まずなによりも、こうした視点の共有からはじまると考える。
 以上が今回選挙が提出した最大の課題である。
 十一月十一日

ビートルズ私論・愚考
                                    高山徹


大バッハとの関連(続

 大バッハを「ヨーロッパ近代の生成過程ので青春のほうこう(叫び)」と位置づける引用で前号は終わった。これには大筋では同意するが、やや異論がある。というのは、大バッハが近代ヨーロッパの生成過程(これをどのくらいの時間と考えるのか、一つの問題である)を生きたことは客観的な事実といえるのだろうが、問題はかようには単純ではない。
 つまり「教会に従属的であった音楽を、本当に人間の手に……するための道程」というのように事態は単純ではない。大バッハは楽譜の冒頭に「ただ神のためにのみ」と記したという。彼の宗教は、形式的にはルター派の正統派に属したが、実際には敬けん主義に影響されていた。敬けん主義は「(個人の)宗教感情や心情を重んじ、それの倫理的実行を旨とする」(音楽之友社、バッハ事典)もので、宗教共同体の一部として神と向かい合うのでなく、宗教共同体に属する個人として神と向かい合う、という。ここでは、自分の内面を見つめる作業が強く要求される。こうした意味では「近代的な自我」の第一歩であろうし、他方ではあくまでも宗教共同体の一員としての個人なのであり、「旧世界」にとどまっていたともいえる。
 いずれにしても、大バッハが時代の移行期に生きたのは事実であり、しかも「昂然たる人間精神の奔放な猛々しさ」を表現した。それは「世界精神の顕現」(F・ブルーメ)なのであるから、「必然の王国」としての自由がある。
 他方で、ビートルズも時代の移行期に活動した。あの時代は、ベトナム戦争という「東西冷戦構造」が絶頂に達していたが、今の時点から考えると、冷戦構造が終わりに向かう局面の開始した時期でもあった。
 そしてビートルズには、次のような意味での自由があった。
 「(映画イエロー・サブマリンについて)偉大であるとか、雄大であるとか、荘厳であるとか、いうものではない。ただ感じることは、画面が共同の意識とかかわりを持ちながら十分に生きている、ということである。生きている、ということは、個性的である、ということであり、個性的であることが、表現の必然につながっている、ということである」(「ビートルズとの対話」三木卓 一九三五年生まれ 詩人)
 「〈したいことをする〉という言葉はよく使われる。しかし、それは簡単にいわれるほど楽なことでも、おもしろく楽しいことでもない。若者がその言葉を口にして行動するとき、往々にして、いま、自分の眼の前に立ちはだかっている面倒なことから逃れようとしたための結果であることが多い。そういう場合は甘えに過ぎないのであって、その人間自身は反抗している気でいても、早晩行き詰まるだろう。〈したいことをする〉ということは、ふつうのコースを生きるよりも、もっときびしい道を行く、ということに他ならない。
 ビートルズの四人は……〈したいことをする〉という自由を確保しながら、自分自身で生きていく姿勢をつくり出すことにおいて徹底性をつらぬいたのである。それは音楽についていえば創造性を発揮することに全力をかたむけた、ということだ」(前同)
 大バッハとビートルズとの共通性とは、他ならぬ、この「自由の質」にある、と私は思う。あるいは、この自由の質が生み出す音楽作品の創造性にある、と。その質とは、当人が意識しているかいないかにかかわらず、時代の移行期を「わが道をいく」ように真剣に生きることである。そして、それはその時代の共同体的な意識と深く関係していた。

リズム感

 以上は「音楽に接する態度として最悪の悟性による」大バッハとビートルズとの共通性の理解である。感覚的にいうと、両者の共通性は、私のようにリズム感覚の鈍い者でさえも踊りだしたくなるようなリズム感にあると思う。ビートルズのそれについて先の三木卓は次のように述べている。
 「わたしがビートルズに惹かれているのは、或るスリリングな感覚の冒険であるのだ、ということに思いあたる。歌の形式を突きやぶろうとしながらなおかつ、歌として成立して終わるという、運動の感覚であり、その運動の瞬間の連続にこちらも身をゆだねて、その冒険の興奮を追体験するということのたのしさである」
 大バッハのリズムの基礎には、当時の(と、それまでに存在した)舞曲がある。その典型の一つが無伴奏チェロ組曲の六曲である。六曲は「基本的にすべて同じ構成によっている。すなわち、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグをこの順序で配し、サラバンドとジーグの間に任意の舞曲……を挿入し、それらすべての前にプレリュードをおく……舞曲は、むろん様式化され、リズムの快さとともに、深い精神性が感じられるようになっている」(バッハ事典)。
 この曲は、昨年であったか、ある酒会社のウイスキーの宣伝に使われ、耳にした人も多いはずだ。リズムの快さが踊りだしたくなる感じを与えるのだが、実際に体を動かそうとすると、様式化された音楽に体がとてもじゃないがついていけない――そんな「運動の感覚であり、その運動の瞬間の連続にこちらも身をゆだねて、その冒険の興奮を追体験する」ような作品である。
 音楽の感じ方にはかなりの個性差があるので、両者の作品に対する前記の感じ方は私に特有なのかもしれない。あるいは、ビートルズと大バッハに対する私の思い入れが、両者にこうした共通性を感じさせているだけなのかもしれない。いずれにしても、私にとっては両者が有する「自由の質」と、そこから創造される作品の「運動の感覚であり、その運動の瞬間の連続にこちらも身をゆだねて、その冒険の興奮を追体験する」ような緊張感が惹かれていく理由なのである。

ビートルズ=ジョン・レノン説

 前号の初めに昨年大晦日のビートルズ特集テレビ番組に関して「違うな、製作者らはビートルズを私とは違って認識しているのでないか」と思ったと書いた。その理由は不明だとしたが、今になって考えれば製作者らにとって当時のビートルズは「追想の対象」だったと私が感じたことにある。少なくとも当時のビートルズが発揮したエネルギーの源が何であったのか、これを追求する姿勢がほしかった。
 それとは別の理由もある。ビートルズが世界を席巻していた当時、ファンは四人のだれそれが好きだ、だれが最高だと騒いだものだ。私もそうした一人であったが、ジョン・レノンが死んでからのことだが、秘かにビートルズ=ジョン・レノン説を立てていた。前述のテレビ番組に違和感を覚えた理由の一つは、これに関係している。番組は四人の強烈な個性が巧みに組み合わさってビートルズが存在した、という表面的な理解を前提にしていた。プログラム作製上、こうしかありようがなかったのかもしれない。だが、それでは追想するだけに終わってしまう。一歩踏み込む姿勢がほしかった。
 先の三木卓は次のようにも書いている。
 「ジョンは周囲のものの意見を聞いたりせずに育った。自分自身の感じることや判断したことを、社会の通念よりも優位において生きる、という態度をたもちながら生きた。……
 ジョンは、自分自身の欲望に忠実な人間であって、そうでしか生きられないような人間であるように思われる。そして相当主観的な人間である。すでに証明済みの問題、既知とされている問題も、自分自身がやってみるまで納得しないようなところがある」
 こうしたジョン・レノンがいたからこそ、あの四人が強烈な創造性を発揮し、私がいう「自由の質」を表現しえたのだと思う。解散後のそれぞれの作品を聞くと、運動の感覚、運動の瞬間の連続、それによる緊張感はジョン・レノン以外の音楽からは感じられない。ぼやけているとしか表現のしようがなく、惹きつけられるものがない。
 そうすると、グループとしてのビートルズの復活はもはやありないことになる。テープなどに残ったジョン・レノンの音楽の断片をきわめて行動な現代の技術を駆使して、他の三人の演奏と組み合わせても、それは絶対にビートルズの作品にはならない。ビートルズの新曲としてフリー・アズ・ア・バードを聞いたときのちょっとした失望感は、ビートルズの復活がありえないのだという現実の再確認に他ならない。
 そうすると、彼らが現役時代に収録した二百数十曲が今後の人々にどのように受け入れられていくのか、問題はこのようになっていく。

共同性を求めて

 私が「ビートルズ以後はわれわれ(社会主義)の番だ」と書いた意味は、以上から考えると、ビートルズ以上の「自由の質」をわれわれが提示すること、われわれ以外の何者にもそれができないということである。社会主義が「必然の王国の自由」をめざすのだから当然といえば当然の話であるが、実際にその自由の質を提示するのは、それほど簡単ではない。ビートルズはそれを実際に様々な活動を通じて現実に示した。だが、われわれは? 言葉だけ。しかも、多くの人々に通じない言葉だった。
 なぜ通じなかったのか。次に紹介するのは、天野正子著「「生活者」とはだれか 自律的市民の系譜」(中公新書)の一節である。 「六〇年代のマイホーム主義といった、家族に関心の集中化された私生活化の動きが、さらに八〇年代になると、家族単位から個人単位への個人主義的な私生活優先の価値観へと変換されつつあった。他方では「豊かさ」を既定事実とする生活保守主義のなかで、趣味や嗜好の世界での交わりしか持てず、「私」や「仲間うち」という世界に自閉する「オタク化」現象が広がり、欲望が排他的に「私」や「仲間うち」にむけられ、それにともない対他的、社会的な関心が失速しつつあった」
 こうした「変換」の基礎は、東西冷戦構造や社共・総評構造の崩壊という客観的、歴史的な事実があった。そして私たち(旧日本支部)は、この変換にまったく対応できなかった。あるいは組織全体としては、変換を認識することさえなかったのではなかろうか。
 この変換の一つの指標として、われわれに直接に関係するものとして労働組合組織率の低下という現象がある。組織率の低下は、長期にわたるじわじわと少しずつ進行した過程であったから、問題の存在を認識しにくかったとはいえよう。「だが、それにしても」との思いをぬぐいきれない。
 前号で「今の若者は共通する解放のシンボルをもてないのだ」と述べたが、この背景には先述の「変換」がある。つまり人々の共同性が崩壊したのであった。この共同性を再構築するために、さまざまな試みがなされている。生活クラブ、ワーカーズ・コレクティブなどの新しい社会運動、地域運動などがそうである。おそらくは、こうした共同性を回復するところから始めないことには、展望は形成されないのだろう。
 いずれにして、この状況をどのようにして突破するのか、あるいは、この状況が崩れる客観的な時代とはどのようなものか――これらの問題を認識していかないことには、八〇年代にかけて進行した一つの転換に対応できないままに終わってしまうことになる。 

「社会条項制論」は有効か
マキシム・デュラン


 ヨーロッパ、北アメリカ、日本では、第三世界の労働組合がない労働搾取工場からの大量の商品が売られている。労働者の健康や安全に関する規制がほとんどなく、また労働運動に対する厳しい弾圧のため、低賃金と経営者のほぼ全面的な自由が保障されている。また多くの国では工業化につれて児童労働はなくなるどころか、ますます生産の中心を占めるようになっている。「北」の労働組合のいくつかは、こうした企業からの製品輸入を禁止することが、第三世界の労働者によりよい労働条件を保障し、「北」の資本が低賃金を求めて工場を移転しようとする誘因をなくすのだと主張している。マキシム・デュランは、こうした新たな保護主義は間違った戦略だと述べている。

議論の背景

 社会条項に関する議論は、資本主義的なグローバリゼーションによって受けた打撃を反映しているにすぎない。資本家はますます「自助努力」という単純な戦略を信頼するようになっている。現行の規制緩和、投機資本、投機的な投資――これらは、世界市場での、生産性の水準が違う地域、社会、国家相互間の自由な競争を妨げていたすべての要因を排除しつつある。
 社会条項という考えは、市場競争に一定のルールを与えようとすることである。プロレタリアートの地球規模での労働条件の低下、最も強く搾取されている諸国の「標準」への低下を阻止しようとすることである。
 これは複雑な議論であり、組織労働者運動の立場も明確とは言いがたい。
 国際労働機関(ILO)には、五つの「社会条項」がある。あらゆる社会主義者、民主主義者は、労働者の結社の自由(八七条)と経営者との交渉の権利(九八条)とを擁護する。また「人種、性、宗教、政治信念など」にもとづく差別(一一一条)や児童労働(三八条)、強制労働(二九条と一〇五条)を禁止しているILOの条項を尊重する。
 第二の社会条項は、より広範なもので、社会的ダンピングに関係している。低賃金やひどい労働条件、社会保障制度の不備などによって「南」と東欧の諸国は、北の諸国との貿易において「不公正」な競争力という有利さを得ている。そこからさらに、こうした条件によって生産されている商品になぜ特別の関税を課さないのか、といった主張が出てくる。この措置を実行すれば、低賃金で児童を雇用する経営者の利益を減少させるだけでなく、社会条項の立法を促進し、他方では、この税金が関係する諸国の労働者に役立つ財源となりうる、と主張される。
 だが問題の本質は、こうした税金が北側諸国のブルジョアジーによる極端に選別的な保護主義以外の何物でもないことにある。社会条項に関する上述の主張は、富裕国における労働者と経営者の間の偽善として昔からある、おなじみの物語にすぎない。
 この新たな社会的保護主義は、経済学的には間違いである。アメリカとバングラデッシュとの間の賃金格差の基本原因は、両国間の生産性の差にある。そして、この生産性の差は、長年にわたる生産設備や職業訓練への投資、公的資金による社会的な経済基盤の差にもとづいている。したがって賃金や社会保障制度の格差を理由にした関税は、バングラデッシュ製品をアメリカ市場から締め出すだけである。

国際機関の役割

 さらに問題はある。だれが、どのようにして世界貿易機関(WTO、前のGATT、関税と貿易に関する一般協定)規則の実行を担保するのか、という問題である。ここで語られているのが原則や権利ではなく、条項であること自体が、社会条項を主張する運動が自らをWTOのような国際機関への圧力集団と考えていることを証明している。労働者の基本的な権利を守る闘いが、ここでは「公正な競争」のためにはどのような条件が必要かという問題に歪曲されている。労働者の権利は、国際競争とは無関係な独立したものである。また労働者の権利は、基本的に国際的な貿易に依拠しない各国経済の問題なのである。
 WTOが自由貿易制度に対する「社会的な条件の違いによる侵害」を主張し、実際に攻撃する可能性がある。そのことが同時に、自由貿易、すなわちWTOの存在理由そのものであり、帝国主義諸国政府の基本戦略である自由貿易の正統性を強くするだろう。
 われわれのような社会主義者は、この議論において法律的な条項としてでなく、社会的な基準の問題、社会問題として論じるべきである。われわれは、北の南に対する一切の保護主義に反対する。WTOがわれわれの代わりに「社会的条件の違いによる自由貿易への侵害」に対する攻撃を行うことを認めない。適正な労働条件を最もよく確立し守ることができるのは、北と南の労働者の共同闘争、国際連帯にほかならない。
 これまでの数十年間、世界経済は多かれ少なかれ国や地域ごとに分断されていた。その結果、労働運動もまた、それぞれの国や地域といった単位ごとに展開されてきた。そのために、世界的に労働条件は改善されてきたが、しかし非常に不均等になってしまった。
 世界経済の現在の長期停滞傾向の中、しかも産業のグローバリゼーションが進行している状況では、これまでの条件が一変しつつある。スイスから韓国に至るまで資本家は、生産を賃金や労働条件がより劣悪な場所に移そうとしている。また各国の労働者は、自国内での競争を強いられている。そして労働条件は、世界的に悪くなっている。被抑圧階級と抑圧階級との力関係は、世界的に後退している。
 国際連帯というのは、各国の闘争が他国の闘争と類似しているから連帯するといった主観的なものではもはやありえない。国際連帯の必要は客観的なのである。われわれの階級敵は、この方向に決定的に踏み出している。彼らは、世界各地で協調したやり方でわれわれと闘うことができる。彼らの武器は、統一と世界市場である。
 世界の賃金生活者に選択の余地はない。この事態に押し流されるのか、それとも何事かをなすのか。現在とるべき最善の道は、自らを国際的――産業別、部門別、あるいは職業別に――に組織することである。連帯と協調を強め、労働条件の基準に関するわれわれの綱領を作成し、その実現のために闘い始めることが不可欠である。
 そうした国際組織は、階級としての独立原則に立たなければならない。WTOの力の源泉となっている国際諸協定を修正しようと期待して、いくつかの社会条項を書き換えることは、われわれのなすべきことではない。なすべきは、大陸を越えた労働協約、新たな普遍的社会基準を実現すべく、自らを組織していくことである。
(インターナショナル・ビューポイント誌280、九月号)

環境保護主義?
                        ルイス・ミゲル・サンチェス・セセーニャ


われわれのモデルは何か

 社会的、生態系的な危機の解決は、市場経済、正確には資本主義を問題にすることなくしては不可能である。国際化とグローバリゼーションは資本のモデルであり、ここでは競争力がいかんなくその力を発揮する。国際化した資本は、完全な自由化、つまり資本の全面的に自由な移動を要求し、世界レベルでの行動の自由を全面的に獲得しようとする。われわれは、GATT―WTOやマーストリヒト条約のヨーロッパ、現行世界経済の組織のされ方に反対する。
 世界貿易の自由化が進行する中にあっては、輸出よりも国内需要に力点をおいた自律プロジェクトを要求する必要がある。国内需要を伸ばし続けることが、経済の安定や開発、雇用の拡大にとって肝要である。このことは、対外貿易をなくすことでなく、生産を国内需要に合わせ、輸出による財源を(追求する)経済モデルが必要とする輸入に振り向けることを意味する。われわれが考えているのはもちろん、住宅、保健衛生、教育、環境、公共輸送……などの集団的な需要のための輸入である。要約すれば、外需中心から内需中心へと生産体系を転換することが必要である。
 同時に、国民国家の概念がもはや有効でないと考えなければならない。すなわち地域住民の問題を扱うには大きすぎ、反対に地球規模で相互依存が進行している中では小さすぎるのだ。現在では、国民国家の中央政府は、地域的な行動はできず、しかも地球規模で問題を扱えない。だからこそ、政治の分権と地域開発が緊急の課題になっている。現在の地域での選択は、住民の一部のみに影響するような単純に社会的――もっと多くの道路、道を、それとも病院を――ではなく、自主組織か否か、集権か分権か、資本と労働力の集約的投下か否か、テクノロジーはハードかソフトか……といった選択なのであり、人類の存続に関係するのだ。
 「地球規模で考え、地域的に行動する」という簡単なルールを尊重すべきだ。例えば、競争力の強化、貿易の拡大、輸出傾斜の生産といった要素は、自動車輸送の不断の発展を必要とし、そのためガソリンなどの再生不能なエネルギー資源を大量に消費する。このエネルギーは、現金価格としては安価だが、社会的生態系的費用は莫大であり、巨大な輸送ネットワークを意味する。また競争力強化のためには明らかに、根本的な構造改革(経済各部門の自由化や民営化、集団的な既得権益の侵害、資本への減税など)と資本移動の完全な自由(バブルと投機につながる)が必要である。
 加えて、ますます競争が支配するようになっていく世界にあって、ヨーロッパでの雇用問題を「解決」するために、いわゆる福祉国家の解消(労働条件や賃金、社会保障制度の後退)か、あるいは周辺諸国からの超搾取のさらなる強化が必要である。

ネオリベラリズムの限界

 ネオリベラル経済学では、大量輸送システムが要求される。それによって、競争力を高め、経済成長を支え、同時に民間の資本蓄積を図ろうというのである。そして、その狙いは、地域間のバランスをとったり、交通手段を確保したり、あるいは雇用を確保することでなく、金融、消費、生産のそれぞれの中心地間のコミュニケーションを拡大することにほかならない。
 これらすべての理由から、また、われわれをとりまく不均衡な状況がでたらめな成長の結果であることからして、経済構造と社会構造を適切に機能させるためには、スケールの選択が必要である。オルタナティブ・フォーラムのマドリード宣言「わが地球のもう一つの声」(一九九四年十月)は「経済のグローバリゼーションと生態系のグローバリゼーションとはコインの裏表であり、資本主義の新たな展開と不可分であり……この過程に反対し、天然資源の責任ある利用に関する決定能力をコミュニティニに戻す必要がある」と述べている。グローバリゼーションの中にあっては、地域経済を守ることは、持続可能な経済を実現する社会的、エコロジー的な闘いの一部である。
 表面とは違って価値や倫理のシステムは、社会に対して活気に満ちて提示されているのではないが、科学と技術の周辺的な存在でも補足的なものでもなく、むしろ、それらの基礎、原動力なのである。基本的にハード・テクノロジー(集権的、資本集約的で原材料とエネルギーを大量に消費し、廃棄物を大量に出す)は、その成長の時期からまさに、生態系の危機と大量失業とを生み出してきたのであった。その結果、われわれは次世代に無責任な環境上の負債を押しつけている。ハード・テクノロジーとその組織的生産的な存在形態は、生産資本の天国である。テクノロジーとその経済的な活動は、その有益性よりも熱力学的な観点から判断しなければならない。またテクノロジーを選択する場合、社会的な側面を重視しなければならない。
 優先すべきは、エネルギーの生産と消費の分野における積極的な行動であり、エネルギー効率を大いに高め、再生可能なエネルギーの利用を拡大しなければならない。また、民主化の方向での新たな産業戦略――廃棄物の少ない生産を考えていく必要がある。

持続可能な開発

 地域の持続可能な開発のために非常に優先されるべきは、毒性物質を排出しない、耐久的で修理可能、リサイクル可能、そして過剰包装を必要としない有用な製品を生産するということだ。そして分権と小規模を意図したソフト・テクノロジーは、人間尊重、環境への影響が少ない、再生可能な資源の利用、容易に社会的に管理できる資源の利用などという観点から最優先しなければならない。より民主的かつ自由な社会を追求するのなら、この方向へこそ前進しなければならない。われわれの現在の選択が、次の世代の生活を決定するのだ。
 問題を市場の枠内、商品の生産、流通、消費の枠内で考えるなら、われわれは、このシステムに完全に依存することになり、真の社会的需要を軽視することになる。市場というものは、社会的な協調、統合を促進しないし、労働者の決定権がない生産過程は搾取も貧困もなくさないし、市場分野での労働も生産至上主義や消費至上主義の価値システムによる疎外を廃絶することもない。労働崇拝もまた、資本家の利潤を拡大する、つまり剰余価値と搾取率を高めるためのものでしかない。
 だが投下資本の利潤を計算した、その効用が疑わしい製品をとめどなく販売するための労働と、連帯のため、あるいは森林を回復したり周辺化された集団を支援するなどのプロジェクトを協働して働くこととは、まったく違っている。
 したがって社会的に有用かつ環境にとって持続可能な職業を地域的に展開する必要があり、それが地域生活の質を改善する。一九九四年四月にフンダシオン・デ・インベスチガシオネス・マルキスタスが行ったセミナーでは次のような報告があった。
 「失業問題の解決策を見いだすためには、交換価値を生産する市場ではなく、使用価値の生産として問題を扱わなければならない。市場では見られないが非常に重要な需要がある製品を生産する社会的に有用な仕事はたくさんある。教育、保健、社会的な支援、自然保護……失業者に市場での仕事を通じてでなく、市場を通さない社会的に有効な方法でサラリーを払ために、もっと多くの資源を振り向ける必要がある。こうして交換価値が支配する世界において、使用価値のカテゴリーを回復できるのだ」
 要するに、経済活動が地域的に相互に関連し、その地域の資源の利用を促進し、その場所の雇用を拡大する、そうした地域経済を活性化する必要があり、他方、北の諸国は、発展途上国との貿易のやり方を改め、土壌や森林の保全、エネルギー効率の高い技術の利用、住宅、食料、簡易水利施設、教育、公衆衛生などの改善に資することを追求する必要があるのだ。
 使用価値を重視した新しい価値システムがなければ、この地球村で全人類が生き延びられるような持続可能な開発というものはありえない。これこそは、明日に延期できない挑戦なのである。
(インターナショナル・ビューポイント誌280、九月号)