1997年2月10日         労働者の力                第86号
崩壊する「春闘」
 激化する賃金抑制、労働法制の解体攻撃

 
         社会的存在としての労働運動の再生を

                                         坂本一郎

 「春闘」という文字がインパクトを持たなくなった。確かに現在でも、年ごとに春ともなれば「春闘」スケジュールがマスコミ報道で流され、組合側の賃上げ要求額や日経連の賃上げストップ方針などが紙面をにぎわす。闘争スケジュール、決起集会などの報道も相次ぐ。しかし春闘が社会的な関心を集め、生活の現実に関わる諸問題を取りあげ、要求として闘い、政府サイドや経営サイドとの華々しいやりとりを行う、それを民衆が関心をもって見つめ、または参加する主体として実感する−−こうした「春の一大イベント」の様相は、今はない。こうした「春闘終焉」時において、労働運動はなにを考え、なにをめざそうとするのか。そしてなにを闘うのか。あるいは古い言い方をすれば、「九七春闘の課題は何か」。

1、経済の低成長と春闘

 高度経済成長期に社会的波及力、役割をもった「春闘」は終了して久しい。高度経済成長を背景にした、労働分配率をいかに高めるかという一律賃上げ方式の「春闘方式」は、それなりに労働側が経営側に迫り、要求実現のために闘うという図式だった。そうした成長経済の時期が終わり、低成長、「物価安定」、経済構造改革が騒がれる事態において、「大幅一括・一律賃上げ」が、資本側にとって不可能になると同時に、労働側にとっても共通の統一した要求としてくくれなくなってきた。
 いい方を変えれば、賃上げが労働者全体を糾合できる要求であり、それを背景にして労働側が労働分配率の上昇を迫っていくということが社会的に意味のあった時代−−労働組合員全体を糾合し、その闘いの結果が米価や社会保障費や最低賃金などにはねかえり、そうした枠組みの中で非組織労働者や労働者階級以外の社会的諸階層に波及していくという社会的存在としての「春闘」というものがあった。それは、単に社会的広がりをもっていたというだけでなく、その枠組みの「核」として、労働者が団結し力をもって闘うことができていたことの持つ意味だった。
 だが、経営側が「世界最高水準の賃金」と称する時期−−これはインチキな操作で、為替相場が一ドル八〇円をきった二年前の換算率にすぎないが、しかし一ドル一二〇円台という五割も円が切り下がった九七年の現在でも彼らは最高水準だといってはばからないのだが−−「九五春闘」は、阪神大震災と急速な円高の進行のなかで、全電通が三月一日に一発回答で妥結し、その結果一挙に「春闘相場」が冷え込み、その後の今に至る賃金相場を規定する事態になった。全電通はその見返りに「合理化協力基金」という、一人あたま七万円とか八万円という「一時金」を密かに受け取るという取り引きをし、まさに意図的な賃金抑制政策への協力をおこなったのである。九五年春闘で定着した低率賃上げ相場−−一%、二%の相場が続くなかで百円玉二個や三個をめぐってのストの話もなくなるわけだが、労働組合員の集中力も、社会的な牽引力もなくなることは当然である。
 反面では、賃金相場が一定のレベルに達し、かつ経済成長率が鈍化する中での、成長率の成果配分という課題そのものへの関心が低下するという事態でもあり、賃上げ一本にしぼった「春闘」が、否応なく変化、多様化に直面したということでもあった。すなわち経営側の春闘への攻撃ということにとどまらず、労働側が、最低、少なくとも「狭い意味での組合員」の全体がトータルに関心持ち集中できる課題からはずれ始めたというのが現実に進行した事態であった。

2、雇用形態の流動化と春闘

 労働組合組織率の年々の低下傾向はこうした春闘方式を基軸にし、それを通じて社会的存在感を示しえた時期の終わりの表現にほかならなかった。それはいまも続いている。
 労働組合、労働運動は労働者個々人の要求、感覚の多様化への対応を迫られたし、迫られており、いわゆる「雇用形態の流動化」がさらなる拍車をかけたのである。
 連合が単一のナショナルセンターとして成立し、八〇〇万労働者を組織すると誇った時点でさえ、八〇〇万連合に対しての八〇〇万のパート労働者といういい方がされた。連合がいくら組織力を誇示しようが全体の労働人口からみればいかほどのものか、という事情をヤユしたものだが、その後の流れは終身雇用型雇用形態の崩壊、あるいは経営側からは解体へと突き進んできた。
 日経連は、「新時代の日本的日本経営について」と称して、高度専門能力活用型、雇用柔軟型、能力蓄積型といった、雇用形態を明確な三つのタイプへ分類することを提示している。三重の雇用形態である。第一の形態は派遣タイプ労働であり、第二のタイプは臨時・パート労働・季節タイプであり、第三が終身雇用を引き継ぐ形での基幹産業正社員である。この三重の労働市場への大まかな分類分けにもとづいて、労働市場の流動化というよりは処遇の多様化が急速に進んでいる。
 以前でいえば「不安定型雇用」、今の派遣・臨時・パート雇用の率の上昇が加速されているなかで、労働組合側がそれに指をくわえている一方で、たとえば九七春闘で電機連合が一万三千円のベースアップを要求しても、それは基本的に能力蓄積型の正社員のベースアップに終わり、そこで止まってしまう。
 「雇用縦断型」労働の派遣やパート労働は「時給労働」である。正社員のベースアップと、同じ産業や企業内で働く雇用縦断型労働者の時給の引き上げとの間に直接の連関はほとんど意識されていない。時給制の雇用縦断型労働に対しては、経営側は福利厚生費も社会保険費用も、ボーナスも、雇用保険費用も手当する必要はない。これらの諸経費が企業経費からすっぽりと抜け落ちているという観点からみれば、時給労働は本来、正規労働者の時間当たり賃金の、倍あるいはそれ以上の時給体系でなければ引き合わないのである。だが、総コスト削減の承認の上に正社員制度が維持されているという事情があり、また正社員が自らの時間当たり賃金より以上を派遣やパートに認める心情になるか−−これは大騒ぎになるだろう。
 労働者の関心が多様化していく背景にはまさにこうした「処遇の多様化−−差別化」の拡大があるのである。春闘は本当に職場の「労働者総体」の課題を取りあげているのかということになっている。ここで述べた例は「賃金」の側面であるが、それにしぼっても本工だけの労働組合は、いまや部分的存在となっている。
 経営側は、こうした総コストの削減をスムーズに進めるために本工組合に対しての一定の賃上げを保障してきた。六年間、年々の「春闘敗北」に、昨年ようやく歯止めがかかったと連合は評価しているが、別に労働側が闘って敗北を食い止めたわけではないし、反転攻勢にでているのでもない。まさに「合理化協力基金」と考えれば、資本は痛くもかゆくもないわけなのだ。

3、春闘終焉−−労働組合運動の危機

 日経連の連年唱えているベアゼロ論が必ずしも資本の総意とはなってきていない事情がここにある。
 こうして春闘は社会的広がりも鋭さもなくなってきた。本来的には「春闘」は労働組合運動の最大の核的課題だった。「一年を十日で暮らすいい男」といわれた相撲取りではないが、労働組合は「一年を春闘で暮らしてきた」ようなところがある。その春闘が解体し崩壊するのであるから労組の社会的影響力も運動もなくなるのは当然だし、労働組織率の年々の低下も当たり前といえる。
 その上、行革や規制緩和という問題のなかで、旧官公労系労組を中心に、政権党へ接近したりする傾向を深めている。自民党大会には自治労、教組、全逓、全電通、電機連合など六組合が来賓として招待されあいさつをおこなった。これら六組合はすべて旧総評系労組の中心組合であり旧同盟系ではない。連立政権枠組みのなかで社民党が力量を低下させていることをふまえた自民党そのものとの結びつきを計っているのである。基幹産業の企業連型労組が資本とタイアップしている構造を後追いしている姿である。これら二つの要素が基本となって労働組合運動の危機が顕在化しているのである。
 こうした経過を経て進行してきた「春闘の崩壊」がここまで進んでくると、経営にも労働にも、明確な春闘離れ、闘争離れの雰囲気が深まり、定着してくる。私鉄大手資本は中央集団交渉の中止を決めた。これは阪神大震災以降、関西系が中央集団交渉から離脱し、さらに本年関東の東急労組が離脱を決めたことを背景にしたものだ。
 鉄鋼論連は来春闘からの「隔年交渉」移行を決め、三井金属と武田薬品ではベアそのものの廃止が労使合意された。連合主力は春闘そのものの廃止に向けて突き進んでいる。
 労働運動が本当に再建できるのかどうか、まさに事態と課題は深刻である。
 
4、労働運動の分極化
    
「世界最高水準」に達し、賃金は頭打ちだ。しかし賃金の二重構造といわれてきた状況が解消されたわけではない。前述したように「処遇の多様化」によって格差はむしろ拡大する傾向にある。統計的にみれば、七〇年代の終わりから八〇年代初期にかけての第二次オイルショック直前までは賃金の格差−−規模別、地域別、性別−−は縮まる傾向にあった。「春闘」の成果の一つであった。第二次オイルショックによる全面的な「減量経営」を通じて反転して格差は拡大の傾向に転じた。全国一般全国協の、組合員約三〇〇〇名を対象にした過去五年間のアンケート調査によれば、中小労働者にとっての関心事は、依然、七〇%〜八〇%まで賃金問題、退職金問題などに集中している。
 格差そのものは解消されていない。中小労働運動にとっては格差是正のための賃金の底上げという課題は依然として中心的課題として残っている。規模別格差は一〇〇対七〇から一〇〇対六五の水準だ。さらに女子の賃金格差は男子の六〇%である。
 が、大企業労働組合を含めた総体の闘いとしての「春闘」という点では大きな変化が進行しているということである。それを敷衍すれば、ビッグユニオンとその他の運動の間の連携が断たれてきており、それぞれの道の違いが覆い隠せないものとなりつつあることでもある。
 大資本は、雇用形態流動化をさらに押し進め、いわゆる年功型賃金から能力重視型賃金への転換を進め、同時に基本賃金固定化、成果配分は一時金へというシステムを展望している。九七春闘に対しての日経連の方針は、六年連続ベアゼロ、生産性に余力がある場合には、まず雇用 確保に回し、その次には一時金の活用、次には価格の引き下げに活用せよ、賃上げはするなということだ。これに対し連合は「能力重視賃金体系」について基本的に了承する方向にある。年功序列型賃金すなわち生活給型の勤続年数で測定される賃金体系はなくなっても仕方がない、という方針である。「雇用を守るためには終身雇用にはこだわらず」ということだ。また電機連合は今年から春闘時に一時金を決める方式に移り、成果配分を一時金でという方向への迎合がはじまった。賃金自粛からベア廃止へのコースは三井金属がはじめ、隔年春闘は鉄鋼が踏み切る。
 連合は春闘廃止に進んでいる。自動車が円高を背景に賃上げの上積みなどをいっているが、それらが春闘の再構築になるとは考えられない。

6、「春闘」枠組みを越えた新たな運動を

 とすれば、「春闘」という概念で問題を考えることとは違った角度で問題を見つめ直さなければならない。
 橋本内閣は今、六大改革なるものを言い出した。金融構造改革、経済構造改革、行政改革、財政構造改革、社会保障改革、教育改革−−すなわち日本経済が「構造改革」の時代に入っているのだというわけである。そうした出方とどう切り結べるのか。あういはまた、日経連が、「全世界で失業者が一〇億人、絶対的貧困層が十二億人」というILO調査を引き合いに出して、大失業時代の到来に備えよとアジっていることと、どう切り結ぶのか。そこに日本の労働運動がどういう風に再生していくのかという大きな枠組みがある。
 行政改革を例にとれば、昨年総選挙時に新進党が「公務員を十万人首切れば二十兆円の財源ができる、これで十八兆円の減税を行う」という「公約」を掲げたのはじめ、それぞれの政党が勝手にアドバルーンを上げはじめた。そこでもっともイメージしやすいキャンもペーンとして「国鉄改革のようなものを三つの四つも断行する」ということが言いださされた。
 だが「国鉄改革は成功したのか、実際は大失敗だったのではないか」という疑問は、大マスコミからは一つもだされなかった。
 国鉄分割民営化のどこが成功だったのか−−累積債務が二十兆円を超えた、これを解消するために民営化をするのだ、というふれこみだった。現実はどうか−−十年を経て、累積債務は三十兆円に届こうとしている。営利第一主義の結果、安全無視・事故多発、さらには赤字路線切り捨てによって過疎化が加速している。第三セクター化されたローカル線の赤字は、つまりは赤字の自治体への転嫁にすぎず、それは運賃の高騰という形で結局は民衆に転嫁されている。一人の労働者も路頭に迷わせないという中曽根の明言にもかかわらず、未だに千四十七人問題は解決していない。過疎を促進し、自治体に赤字を転嫁する−−なにが地方の時代であるか。中央集権と過密過疎を加速しただけである。
 国鉄分割民営化の十年間は、完全に失敗だったという象徴のようなものだ。
 このような「国鉄改革」のようなものを三つも四つもやることは、行政改革をおこなって財政赤字はさらに拡大する、社会の矛盾はさらに悪化するということを意味する。中曽根臨調で中心になった加藤某前慶応大教授は、失敗の原因は「バブルの崩壊にある」というまるで住専を食い物にした地上げ屋もどきの言をはいているのである。
 行政改革問題の最大の問題点は、二十一世紀にむけて、社会と国家の構造をどう構想するか、すなわち社会をどのようにしていこうとするのか、それにさいして国家財政の役割をどのように設定するのか、そこでの国家とはいかなるあり方になるべきなのか−−前提になるべき構想の論議が全く不在のままに言われていることにある。構想にしたがって行政のあり方、財政のあり方などが組み立てられていく。たとえば社会保障の財源問題での国民負担率をどう設定していくのかなど、すべてが絡んだ論議が展開されなければならないはずだ。六つの分野の、それぞれ別個に独立した改革などはありえない。しかし現状は「改革」の言葉だけであり、将来像は全く見えない。
 規制緩和問題も同じだが、「官業−悪」「民業・自由競争−善」という単純図式、いいかえれば「官しからずんば民」という対立パターンで押しきろうというのである。だが、社会福祉や高齢者福祉の問題で言えば、世界的にも「営利団体」ではなく「非営利団体=NPO」、つまり官か民かというパターンではない第三の枠組みの必要性への認識が強まっている。そうした概念までを包摂した社会像はいっさい提起されていない。
 自由な競争、制約のない競争イコール活力のある社会という論だけで事態が進もうとしていることは危険なことである。
 さらに、日本の行政改革論議には「軍事費削減」の概念がいっさいない。アメリカでの財政再建は成功したといわれる。財政再建法は二段階に分けられ、八五年から九〇年までの国家財政再建法は、総経費削減論で、ほとんど役に立たなかった。つまり各セクションが自己を例外化しようと争っただけである。九〇年以降の修正法は分野別のノルマを厳しく設定した。この法のもとでアメリカの国家財政は九五年までの五年間で五十七兆円!の国家財政の削減をおこなった。そのうちで、純軍事費削減は十三兆円にのぼる。農業関係は約三兆円程度である。大規模に軍事費を削減していったのである。しかしアメリカ国家財政再建問題の真に困難な課題はこれから以降だ。社会福祉財源の大幅削減に手がつけられる。これは社会的に大きな問題を引き起こす可能性は大だ。しかし第一次段階は軍事費削減の中心に押しきり、一応の成功といわれる。
 日本ではどうか。沖縄の基地予算、思いやり予算を含む総体の軍事予算についてはいっさいでてこない。行革大綱のなかには防衛関連はたったの三行しかない。防衛費は聖域化されている。
 こうして、つまるところ現在の日本の行革論は、国鉄改革の総括もなく、社会像の展望もなく、「官ではなく民だ」というだけの、ただ「蛮勇を奨励する」だけのものでしかない。このような単純な論議からは、行財政改革は「国民負担の増大と公務員削減−現業部部門の削減」というものに帰着するだけであろう。
 橋本の行革に関する演説がまったく魅力のないものであるのは以上から自明だが、他方、唯一対抗論陣をはる共産党も将来像の提示はできていない。つまり「共産党は大きな政府論だ」というキャンペーンに対抗できていない。すべてを公的に保障せよという論理だと攻められる。それにたいして「私たちはそうは言っていない」と反論するのが精一杯で、「では小さな政府論なのか」と問われれば回答に詰まる。官か民かの単純パターンから抜けきることができていない。水準的にはさほど変わらないところでやり合っている。
 すでに年金負担、老人保健負担にはじまり消費税アップ、特別減税打ち切りなどが九七年度予算案にもりこまれている。すべての合計で九兆円の国民負担増が強行されようとしている。
これに対抗する論理を労働運動、政党がもつこと−−これが現在の根本の問題である。

7、決定的な「人の規制緩和」との闘い

 先日、日経新聞に「いよいよ人の規制緩和に手がつく」という見出しが踊った。「人」の規制緩和とはすなわち、「必要なときに必要な労働者を必要な期間だけ使用する」−−労働の「カンバン方式」だ。それに邪魔になる規制はすべて撤廃−−労働紹介業を民間に移行させることにはじまり、人材派遣業の全面的拡大=原則自由、労働時間の弾力化=一年間変形労働時間制で、週四〇時間が守れれば労働日を延長していい。さらに最良労働時間の導入=時間で計れない労働を見なし労働として設定する。たとえば研究者やプログラマー、編集者、放送ディレクターなどに限定からホワイトカラー全般に拡大する。いわば労働の個人請負化であり、労働時間概念の廃棄であり、サービス残業の常態化につながる。
これは労働基準法の骨抜きそのものである。
また「期間」の問題である。現行法では期間の定めのある雇用は一年間に限定されている。これを三年ないし五年に延長しようというものだ。現行法の裁判所での法解釈は、幾度もの繰り返しの雇用は、期間の定めのない雇用に転化しているとされる。これを期間延長して、法解釈の抜け道をつくろうとするものだ。
 これら総体が、戦後労働法制の廃棄なのである。労働者保護法制のための省が労働省であるという戦後労働法制の概念が、資本の立場に立つ労働雇用調整省へと変わらされるということだ。
 戦後労働法制のなかでも労働基準法は「強行法」であり、違反すれば罰則が加えられる。労働組合法にしても、少数組合に団交権が認められるという世界でもユニークなものだ。労働基準法が突破されれば次は労働組合法だ。これらは労働組合の存在そのものに関わる決定的な問題なのだ。とりわけ少数組合にとっては死活に関わるし、企業連型や企業内組合からの脱皮をめざすにおいても、資本側の攻撃をはねのけるうえで重大なものだ。
 労働組合運動の新たな再生のためにもこの戦後労働法制、強行法規としての労働基準法の実質廃棄との闘いをくぐり抜けなければ、何事もはじまらないというべき重大な課題なのである。
 韓国労働運動が労組法の改正−−複数組合の存在の法的承認を求めて闘い続けてきた。それに対して金泳三政権は、労働の「カンバン方式」の強行導入で応えた。韓国労働者の闘いが示しているものは、まさに人の規制緩和との闘いであり、労働組合運動への規制の撤廃である。
 (二月一三日)  
 

軍用地特措法の改悪阻止!
三月国会上程の阻止を!沖縄百万人署名運動のさらなる拡大を!

MRTA欧州代表イサーク・ベラスコにインタビュー
今回の行動はフジモリを弱めた

−日本大使館公邸を攻撃目標に選んだ理由は何か?
 現在の日本は経済大国の一つであり、アメリカのウォール街の一部を買い取ることができるほどだ。多数のアメリカ企業に日本資本が入っている。こうしたことから、日本がラテンアメリカで果たす役割が増大してきている。また日本は、フジモリ大統領をラテンアメリカにおける日本への大切な支柱だと考えている。
 今日、ペルーでは日本とアメリカの利害衝突が存在し、日本は自らの立場を強化するために、ペルーの「汚い戦争」に金を出している。日本政府は、国際援助機関で働いていた二人の自国市民が準軍隊組織に殺害された事実に部分的であれ、責任をとるべきである。ペルーのこうした殺人的な政府・体制の維持に日本政府は大きく貢献しているのだ。以上が、MRTAが攻撃目標を決定した理由であり、この場所が攻撃されたことによってペルー独裁は大きく傷つけられるだろう。

−今回の占拠は、「隊列を整えよう」を口実にフジモリの地位を強化するか、それとも政権内部に分裂を生じさせるだろうか?
 フジモリ政権は追いつめられている。政権と協力する者は、ビジネスマンであろうと、あるいは政治家や軍人であろうと、誰もが誠実、高潔であることが危険だということを知っている。また、ある日、彼らがMRTAの戦争捕虜になったとしても、現政権は彼らを助けようとはしない。ラテンアメリカ史上、助けようとしなかった前例はない。ニカラグアFSLNの同志たちは、三度ほどソモサ独裁政権と結託する政治家やビジネスマンを捕まえたが、いずれもFSLNの要求実現として終わった。だがフジモリは、人の命に完全に無関心である。それが彼のパートナーの命であってもだ。政権を支えているビジネスマンは、このことをじっくり考えるべきだ。

−軍隊とフジモリ政権との関係はどうか?
 これまで軍隊があれこれの政権に与えてきた支援は、国家テロと政権の腐敗を隠すことに貢献しただけだった。政権の人間や高位の軍人はひどく腐敗している。そしてフジモリ政権は、彼らに訴追免責権を保証している。しかし軍と情報機関との聞で麻薬の利益に関して対立が生じている。時には、お互いに対立する行動さえとっている。百七十kgのコカインが大統領機で運ばれたことがつい最近、暴露されたのも、このためだ。だが、こうした一切の行動が罰せられることはない。そして政府は、汚い戦争や拷問、人権蹂躙、老人や女性、児童などへの殺人については、完全に口をつ
ぐんでいる。

 −MRTAが武装闘争を展開するに至った理由は?
 一九七〇年代のペルーには、およそ六十から七十の左翼組織があった。そこから大きく分けて二つの流れが生じた。一つは、民主的な過程を通じて国家の問題を解決しようとした。もう一つの流れは、政治対話の道は閉ざされており、それ以外の方法をとるべきだと考えた。

 −活動家の人数は?
 政治・軍事組織としてのMRTAの第一回会議−当時は合法組織−には、約三百人が参加した。もちろん、全体の人数はこれよりも多い。この会議以降、地下活動に移り、武装宣伝活動を行う最初の部隊が設立された。例えば、ラジオ局を占拠したり、軍の兵たん部を攻撃したり、食料を満載したトラックを徴集して、その品物を貧困地域に配布したりした。
 最初の軍事衝突は一九八四年、南部であった。軍隊が、農村ゲリラの確立を支援していたMRTAの部隊を包囲した。長時間の戦闘後、十二人の戦士が逮捕され、多くの武器が没収された。別の部隊は包囲網を突破し、他のMRTA部隊と合流することができた。ペルー軍の配置や作戦の特色は、市民への大規模な攻撃を伴うことだ。
 安全上の理由から、現在のわれわれの力量については言えない。だが、われわれの勢力は全国に展開しており、様々な水準、分野で組織されている。農村部隊、特殊部隊、司令部、民兵隊などがある。
 われわれのメンバーは、扇動、労働組合の組織化、社会運動、ゲリラと様々な多様な分野で活動をしている。常々言っていることだが、ペルーで革命を行うのはMRTAでなく、ペルー人民がその膨大な社会的、政治的な組織を通じて行うのだ。

−政権、ことにフジモリ大統領は、ゲリラに対する全面的な勝利を宣言したが。
 二つの要素がある。ことにセンデロ・ルミノーソ(輝く道)の指導者、アピマエル・クスマンが政府との和平協定に調印したことが大きい.
 第二は、MRTAの戦術的な後退があった。数次にわたるペルー軍の攻撃や人民への弾圧、ネオリベラル政策などの結果、われわれの社会的な基盤が弱くなった。
 そこでわれわれの政治的、軍事的な構造をペルー中央の農村と森林地帯に集中した。その他の地域では、コマンドと民兵組織があるだけだ。この二つは、都市で政治的組織的な活動を農民や労働者を対象に展開している。
 政府は、ゲリラ、特にMRTAが敗北したとウソを言うだけでなく、それを信じたがっているのだ。政府は今、新しい状況に遭遇しているのだ。
 われわれは、政府が考えるほど弱くはない。MRTAが全国で行った、軍に大きな打撃を与えた攻撃の数に、これは明らかだ。政府は、これらの打撃を隠そうとしたが、うまくいかなかった。政府がゲリラを敗北させていないこと、政府のネオリベラル政策が貧困をさらに悪化させていることを人々は知っている。
−二ヶ月前、リマの下町で三日間の暴動があった。警察が路上商人を締め出そうとしたためだ。市民と警察合わせて数百人が負傷した。政府への抗議活動は増大しているのか?
 そうだ。一九九五年末以降、人々は自らの組織、動員能力を徐々に再建してきた。生存権を防衛するための暴動は、他にももっとある。だが弾圧が事態を変えた。以前はリマの至る所に警官や兵士がいた。現在、その数は減っている。秘密警察と私服の弾圧者がとって代わったのだ。最近、私の友人であるドイツ人が街頭でブリーフケースを盗まれた。数秒後に少なくとも二十人の私服警官が現れ、盗人を手荒くぶんなぐった。

−センデロ・ルミノーソが再組織され、その路線は変化したようだが?
 政府との和平協定に調印したために、センデロ内部のほとんどで深い対立が生じた。武装闘争の継続を主張するグループは武装宣伝活動を再開し、もう一つは彼らが批判していたMRTAの活動−人々との交流を行っている。
 政治手法にいくつかの修正があったとしても、センデロは前と基本的に変化していない。例えば九六年三月に労働連動活動家のパスクアル・アロスダが殺害されたが、センデロは、自らの道を立ちふさぐもの、意見を同じくしないものすべてを攻撃した。

 −センデロとMRTAとの関係は?
 センデロは独裁的に支配したがる。彼らは、自らが真実を唯一保持するものであり、革命の唯一の基準であると主張する。だから彼らは、ペルーにセンデロ以外の革命組織の存在を絶対に認めない。最善の場合でも彼らは、MRTAを「武装改良主義」とか「裏切り者」と言った。そうでない場合は、われわれを「主要な敵」と呼び、多くのMRTA活動家を殺した。また、われわれの部隊を待ち伏せ攻撃さえしたことがある。これらは、どのようにしても正当化されない。彼らは、革命の諸価値から逸脱している。

−MRTAの将来展望をどのように考えているか?
 われわれは、いかなる思想よりもペルーの現実をまず優先させて考える。社会主義を建設したいと考えているが、東欧諸国のように実際に失敗したモデル、スタイルを考えているのではない。 ペルーに、国家中心主義あるいは社会の官僚化を望まない。これまでの歴史がそう教えている。五年ごとの選挙による選挙民主主義でない民主的で多様な社会、男女が労働現場、地域に等しく参画し、自らの運命を決定できるような社会を形成したい。人々が主役の参加型民主主義でなければならない。
 MRTAは運動として出発した。この内部には、非常に多様な社会階層がいる。都市および農村からの男女、知識人、宗教関係者など社会全体から参加してきている。もちろん社会を変革するために現在国家を破壊し、新らしい国家をつくる必要がある。つまり権力を掌握しなければならない。しかし誰のために、何のために権力を握るのか。これが問題の核心だ。権力を握るべきは、都市および農村部の労働者である。
−これが答えだ。そして参加型民主主義が必要だ。人民の権力のためのメカニズムを推進すべけであり、われわれは何年にもわたって、これを実行してきたのだ。
(出典Junge Weit96年12月30日号インターナショナル・ビューポイント誌285号)

日本大使公邸占拠事件
主導するペルー・ゲリラ

特別報告 J・デユボン、E・工レーラ、B・スカンクワマール

 かつてチェ・ゲバラが「革命連動の合言葉は大胆不敵さだ」と述べたことがある。ツパク・アマル革命運動(MRTA)のゲリラたちは、最大限の大胆不敵さを発揮した。彼らは、その目的を達成するまでに幾多の困難があるにしても、日京大使公邸占拠をみごとに計画し、実行したのである。

ツパク・アマルとは

 MRTAは、一九六〇年代に形成された左翼革命運動(MIR)とレオニダス・ロドリゲス将軍の社会革命党から分裂した「マルクス・レーニン主義」とが統合した運動で、一九八五年から九〇年までのアラン・ガルシア(APRA)政権時代に急速に成長した。通常は、チャンチャンマーヨ州の森林地帯で活動をしている。時折、首都のリマやその他の都市を急襲して誘拐や銀行襲撃などの目立つ行動を展開する。
 MRTAは、ペルーの内戦にあっては常にわき役の位置にあった。主役はセンデロ・ルミノーソ(輝く道)と政権であった。しかし、センデロ・ルミノーソと比べてツパク・アマルの戦術ははるかに柔軟だった。例えばペルー史上最も巧妙な脱獄を成功させるなど、数多くの大胆な行動を展開した。脱獄は、最も厳重な監獄といわれていたカント・クランデの内部に通じる三三〇メーターのトンネルを掘って成功したのであった。そのために鉱山労働者の同志を活用し、換気の問題を解決し、経緯儀コンパスを使って監獄内の目的地点に正確に到着し、四七人の同志すべてを全員無事に解放したのであった。
 彼らはまた、コロンビア、エクアドル、チリ、ポリピアなどの組織と一緒に「ラテンアメリカ大隊」をつくろうとした。センデロ・ルミノーソやコロンビアのFARCゲリラとは違って、麻薬マフィアとは関係をもっていない。
 一九九二年に創設者であり最高指導者であったピクター・カンボス・ボライが捕まった以降、守勢に回った。何人かのメンバーは、フジモリ大統領が導入した特別恩赦法を利用。一九九三年には、彼らの主要活動地域であった北東部のサン・マルチンのジャングルとフニン地域を軍隊に占領された。その際、チリ生まれの「ナンバー・スリー」だったハウメ・カスチーオと軍事指導者の一人が捕まった。大統領側は、テレビでMRTAは明確に敗北したと自慢げに宣言した。

揺さぶられたが生き延びた

 MRTAは戦略的かつ組織的な後退にもかかわらず、再建再結集を開始し、全国的な登場を準備していった。一九九六年十二月十七日、リマにある日本大使公邸を占拠し、フジモリ大統領の母親や兄弟姉妹をはじめ五〇〇人を人質とした。
 その目的は、逮捕されている同志全員の解放によって新たな戦略的状況を形成し、MRTAを合法化させることである。これは「コロンビア型」勝利となるだろう。同様なものとして、四月十九日運動(M19)や人民解放軍、社会主義革新潮流(ELNから分裂した組織)などの活動があり、これら組織がコロンビアの合法的な枠組みに登場することを可能にした。
 MRTAのそれまでの軍事作戦の成功例は、ペルーのマスコミで報道されていないし、政権の側も認めていない。だが過去三年間にMRTAは、二つの兵営と四機のヘリコプターを破壊した。今回の行動は、MRTAの戦略上の修正を示している。つまり、特殊な限定的な要求であり、ペルーの獄中にある四〇〇人の同志の釈放を現在は七三人となっている人質との交換条件にしている。作戦指導者、ネストール・セルパは、人質の家族達の不安や精神的衝動(トラウマ)とペルーの政治囚の家族たちのそれとを比較している。大使公邸占拠部隊は、その人質には刑務所当局がMRTAの戦士たちに対してとるよりもはるかに人道的に対処している。

ペルーの人権問題

 ペルーでの人権無視と耐えがたい生活水準は、人権に関して考えられる最低限の水準以下の状態をつくり出している。その背後には、フジモリ政権のような親資本主義政権に対してはたいていの場合、その人権無視に目をつむる西側諸国の偽善さがある。
 ペルー人口は、その五四%が先住民、三四%が先住民とスペイン人との混血であり、政治のエリートの大部分は白人である。こうした特権階層は、彼らの支配に挑戦するすべてに対する厳しい弾圧を要求している。その結果、非常に広範な政治的不満が制度化された国家テロによって隠されている。
 アルペルト・フジモリは一九九一年に大統領に選出された。対抗候補は作家で右翼のマリオ・バルカス・リョサだった。フジモリは、主張した社会民主主義的な政策を実行するのではなく、対抗候補の経済の自由化と民営化を推進し、国際通貨募基金(IMF)と世界銀行が処方する緊縮政策という苦い薬をペルー国民に飲ませた。その見返りとしてIMFと世銀は融資を保証し、外国資本の投資を奨励した。
 フジモリは自分が日系二世であることを利用して、それまでの政治家とはまったく違って従来の政治システムとそれが奉仕してきたエリート金持ち層とは無関係な人物として登場した。彼は、貧しい人々に勤勉と自助努力を説き、節約と企業家的な技量の開発を勧め、自由な市場の友になろうとしている国家への依存をやめるように訴えた。彼はペルーの外側では、民族的な起源を利用して日本からの投資を促進し、それを文化の貢献者である「証拠」とし、日本人のように勤勉に働いてペルー経済をラテンアメリカの虎といわれるほどに成長させると約束した。

 フジ・ショック

 フジモリは一九九二年、国会と司法制度を解散し、大幅な改憲を実行した。大統領による上からのクーデターの結果、その権力は独裁者のそれとほぼ同等となり、制約要因は強くなっていた軍隊から支持のみとなった。
 その政権は、基本的な労働基準を解消し、公共部門で大規模な人員削減(半減)を実行した。そして大部分の国有企業を民営化し、輸入関税を引き下げ、通貨交換に関する制限を撤廃した。
 こうした「フジ・ショック」は、ネオリベラル右翼の主張を試すものであり、社会的な基準のみならず、ひどい経済指標からも要求されていたと主張された。ペルー労働人口の八〇%は、職がないか能力以下の仕事にしかありついていなかったし、数百万の人々が医療を受けられないか、ほ
とんど受けられない状態にあった。フジ・ショックまでペルー人口二千二百万人の半分が貧困な生活していた。それが現在、ほぼ七〇%になっている。MRTA公邸占拠部隊の指導者、ネストール・セルパは、今回の行動の動機として貧困問題を強調し、「MRTAがこの国の政治生活に登場したのは、大部分のペルー人に最低限の必需品すら与えない、この制度と闘うためである。この状況は、フジモリ政権時代に少しも変化していない。というよりも実態は悪化しており、ペルーの貧困者の数は大きく増加している」と述べた。
 国内市場を外資に開放したために、多くの国内企業が倒産した。ペルーの通貨、ソルは人為的に高めに維持されており、そのためぜい沢品の輸入には好都合だが、輸出を難しくしている。銀行は金利を高くしており、外資の誘致には好条件だが、国内企業にとっては投資資金を借りるのが困難になっている。ペルー資本にとって唯一の道は、多国籍企業の第二バイオリンの位置に甘んじて、共同事業において下位の役割を果たすことでしかない。
 ペルー経済は、一九九〇年代初めにフジ・ショック以外の理由によって成長したが、そのデフレ的な効果は景気後退の可能性があったがだが、それが高い利子と低めに評価された公共部門資産の購入を通じてストック市場での高い利潤の可能性とに引き寄せられた投資資本にとって望ましい状
態となった。
 富は少数の人間、ことに外国人に集中した。フジモリはMRTAが人質をとったことを非難しているが、彼は国全体を外国金融資本の人質にしているのだ。
 フジモリ政権を支えているのは、国際金融諸機構と軍隊の二つである。大統領が厳選した軍組織内での側近メンバーは、個人的にも非常に忠実であり、力の濫用や過剰行使によって罰せられる可能性を恐れない。

おびただしく流された血

 アムネステイ・インターナショナルは、一九八〇年から一九九二年までにペルーで行われた超法規的な暗殺・殺人のうち政府がその五三%に、センデロ・ルミノーソが四五%に関与していると分析している。そしてMRTAが関与したのはわずかに一%でしかないとみている。アムネステイ・インターナショナル報告は、一九八〇年から一九九五年までを対象としているが、何千人もの「行方不明者」や超法規的な暗殺、軍隊や警察による拷問を報告している。国連拷問禁止委員会(UNCAT)でさえ最近になって「テロ犯罪の尋問段階で広範囲にわたって拷問の存在が認められ、拷問の実行者が罰せられることはない」と報告した。
 ペルーの様々な人権組織は、一九九二年以降に七百人から千人が無実なのに起訴され有罪判決を受けた、と伝えている。ゲリラヘの共感を表明すると、二十年の懲役刑となる。リマの弁護士、ロナルド・ガマーラは、テロの理由で逮捕された者の三分の一は無実であると分析している。
アムネスティ・インターナショナルは、テロ行為を理由に捕らわれている数千人が「公正な裁判を受けるという基本的な人権を剥奪されている」とし、次のように報告している。一般市民が「軍事裁判」で裁かれ、「それは合法でもなく、公平でないばかりか(政治から)独立してさえいない・・⊥し、軍事法廷での有罪率は九七%である、と。国際人権グループは、「無実なのにテロ関連で起訴された」八六人の良心の囚人をとりあげている。アムネステイもまた、千人の「良心の囚人」を報告している。
 そしてアムネステイ・インターナショナルは「膨大な数の人権蹂躙行為が正当な調査が行われずに放置されている」と報告し「人権蹂躙の加害者に法的な手続きがとられることはなく、その犠牲者と家族に対しては何ら補償がなされない」と述べている。
 ペルー政府は九五年に二つの恩赦法を成立させたが、それらはアムネステイ・インターナショナルによると、「一九九〇年五月から一九九五年六月半ばにかけて軍、警察、その他の政府機関が行ったすべて未解決の人権蹂躙犯罪を巧妙にカバーし、…武装勢力と国家警察のメンバーで有罪判決を受けた者への恩赦を無効にする傾向」がある、ということだ。

うんざりし疲れた人々

 センデロの戦術の原則は「味方でない者はすなわち敵」である。これが裏目に出た。彼らは、フェミニスト指導者家からトロッキスト闘士に至るまで多くの進歩的な活動家を殺害してきた。そして、自らの思想や戦略に関する反対や議論を許さない。彼らの指導者、グスマンが一九九二年に逮
捕され、その結果、弱体化し、組織が分裂したが、なくなったわけでない。彼らと政府との戦闘によって三万五千人の命が亡くなった。
 こうした犠牲に対する反感や武装闘争への反発の増大によって、フジモリ政権のセンデロ制圧攻撃に対する支持が強まった。これが一九九五年に彼が大統領に再選された大きな理由である。またフジモリ一九九〇年の七六五%というすさまじいインフレを九一年には、一三九%、九五年には一〇%に抑えた事実も、再選された理由の一つになっている。
 MRTAにとって残念なことに人々は、センデロ・ルミノーソよりは少しましな悪、と考えている。すべての人を豊かにするというフジモリの公約を信じたがっており、暴力にはうんざりしている国民の間では、彼らへの支持をほとんどない。
 ペルーの有権者の態度は、アメリカ大陸と共通である。緊縮政策には非常は不満をもっているが、それでも左翼の曖昧な公約よりも安定した経済と低いインフレ率という公約を選択する。ブラジルで労働党(PT)のコロール・デ・メロとフェルナンド・エンリケが敗北したことから得られる明確な教訓の一つである。
 MRTAが合法政党になれば、少しよい展望が生まれるかもしれない。だが、この道には危険も満ちている。彼らは、コロンビアのM19がたどった道、すなわち左翼ゲリラから転進して国際通貨基金(1MF)と世界銀行が推進するネオリベラル政策を支持するに至った道をとることもできる。あるいは、グアテマラのURNGの方法をとることもできる。彼らは最近、政府と和平協定を締結したが、その条項の一つには何万にもの「行方不明者」や村全体の大量虐殺などに責任がある軍人への起訴免責がある。
 ペルーの伝統的な「左翼」であるポピユリストのAPRAと統一左翼(IU)は、一九九五年の選挙ではうまくいかず、不信の対象となっている既存政治勢力の一部とみなされている。彼らは、数カ月のうちに勢力を再建する可能性がある。左翼系日刊紙、ラ・レプブリカが先導している反民営化
と現政権の権威主義と腐敗とに対する運動を通じてである。
 過去六力週間の事態が大衆運動を再活性化する可能性がある。その可能性が実現するか否かは、今後の事態の展開とラディカル左翼の実践による。

依然として火は燃えている

 ラテンアメリカの革命運動とゲリラ闘争は、同大陸における綱領的かつ文化的な伝統・継承の本質の一部となっている。武装闘争の善悪両方の教訓は、大陸規模での膨大な社会的・政治的運動の展開に大きな影響を与えている。
 ゲリラ闘争が展開された理由の一つは、この地域の資本主義に特有の暴力と排除という条件があったからだ。特有の排除と暴力の形態が、地域の社会的、政治的な力学や人々に共通の記憶と想像、要求、闘いの手段と結果などを決定してきた。
 この点を理解できない左翼知識人はしばしば、武装闘争をある種のひどい間違い、あるいはセクト主義とみなす。こうした評価は、ラテンアメリカ社会の経済的、政治的、社会的、文化的な実体を無視しているのである。
 今回のMRTAの行動やメキシコでサパチスタが闘い続けている事実は、国連の後押しでグアテマラのゲリラと政府とが和平協定を調印し、あたかも大陸規模で「武器よさらば」が行われた現時点で、武装闘争に関する議論を再び起こしている。影響力のあるラテンアメリカ作家ホルヘ・カスタニエーダは、チェ・ゲバラが三〇年前に開始したゲリラ・サイクルが終わりつつあると主張している。チェはゲリラに「一つ、二つ、もっと多くのベトナムを」と訴えた。カスタニエーダは、この事態が起こらなかっただけでなく、「権力を獲得し社会を変革する手段としてのゲリラの時代は終わ
った。今日なお、チェ・ゲバラは象徴であるが、しかし軍事の指導者としてではない」と述べている。
 カスタニェーダはまた、武装闘争に質成している大部分の組織は、もはや革命的でない、と述べている。「そうした組織の綱領は、この地域に多大な被害を与えている自由な市場の妄想と比較すると急進的である。が、ラテンアメリカ左翼の綱領の重要部分は、一九六〇年代初めのケネディ大統領による「進歩のための同盟」のそれとほとんど違っていない」と分析している。
 カスタニェーダは間違っている。確かに、一九六〇年代に考えられていたようには、もはや近い将来に革命が実現する展望ほない。また、武装闘争を通じて権力を獲得する戦略を実行することも、現在の条件下では現実的ではない。だが、それでも今日、権力獲得の目標と革命という夢は、依
然として現実的であり、今日的な意義があるのだ。
 ブラジル労働者免(PT)の指導者、ジョアン・マチヤードは、急進左翼の諸要求を「進歩のための同盟」という「中道親帝国主義者」のそれを比較すること自体がおかしいと主張している。ラテンアメリカで進行中のネオリベラルによる反改革の経済政策は、不平等をひどく拡大し、さらには
国民の尊厳を激しく傷つけており、そのため、経済改革や社会的公正、公民権、国民の尊厳などのための闘いは「反資本主義」の性格を要求されている。すなわち、クローバリゼーションの時代にあって、資本主義が「国民国家を解体し、市民という存在をなくしていく」傾向にあるからだ。
 この意味は「今日では、穏健ではあるが、しかし一貫して進歩的な人のみがラディカルでありうる。シナリオは単純となりつつある。一方には資本主義者と種々雑多なポストモニストがおり、他方には、依然として連帯と尊厳の気持ちをもつ人々がいる」ということである。
 カスタニェーダは、まさに彼の武装闘争戦略に対する弔辞の中で「急進民主主義者」とポストスターリニストの現実主義者の主張、つまり「価値の再配分を伴う改良は(国家)制度の手順を通じてなされる」を繰り返している。だが、合法領域が極めて限られており、大衆闘争がひどく弾圧
されている国家で可能だろうか。
 ポリビアでは、ストライキは数百人規模の逮捕者と複数の死者が出て終わる。メキシコやペルーで、選挙は公正に行われていない。グアテマラでは、六〇%以上の有権者が棄権をする。コロンビアでは、この数年間に三万人以上の野党・反政府活動家が暗殺された。ブラジルでは確かに左翼が
一定の大きな勝利を実現し、いくつかの自治体を統治しているが、この国においてさえ土地なし農民運動(MST)は、プランテーションや農園の占拠、警察に対する自衛のための武装を余儀なくされ、土地闘争を低強度内戦に転化しつつある。

誰がゲリラなのか?

一九六〇年代と七〇年代のゲリラ戦士は、自由業や学生活動家、急進勢力、労働者運動の「階級闘争派」などの出身であった。今日のゲリラ運動の一般戦士は、圧倒的に社会の最底辺の人々、どんな類の仕事も家もない人々から構成されている。この事実は、メキシコのサパチスタ軍あるいはコロンビアのFARCやELN、ペルーのゲリラを見れば極めて明白だ。
 1MFと世界銀行が指令する「構造調整」計画は、飢えと貧困をもたらしたが、受け入れがたい社会的な現実に対する反乱という大衆運動のための新たな条件をもつくりだしてしまったのだ。
 この反乱における主役は、「資本主義的な近代化」に最も手ひどい打撃を受けた社会集団である−先住民、土地なし農民、都市スラム街の住民−これらの人々は市場経済の縁辺で生活をしている。
 ネオリベラルによる構造調整計画はまた、ラテンアメリカの労働組合を分断した。ほとんどの国で、合法左翼はお飾りにすぎない。こうした時期にあってMRTA(とセンデロ・ルミノーソ)は、都市の最貧国地域の住民、土地を追われた農民、あるいは麻薬捜査官・マフィアや政府の麻薬絶滅部隊に畑を荒されたコカ農民などから勢力を補充してきたのだ。
 過去八年間に政治的な理由によって、二万五千人以上が暴力死をとげた。日本大使公邸を占拠しているゲリラのほとんどは、十六歳から二十二歳までの少年、少女である。彼らは、思想を超え、綱領を超えて自らの運命を変えようとしている。この国では毎年三十万人の若者が労働市場に参入
してくるが、仕事を見つけられる可能性は全然ない。
 ラテンアメリカの歴史的ゲリラ潮流の大部分は最近、政治の表舞台に参加していった。そして、その綱領と戦略は、これまで一度として武器を手にしたことがない改良主義者のそれと同じである。
 だが武装闘争の経験は、明らかに消えつつあるのではない。ネオリベラリズムの苛酷さは、一定の人々に武装闘争以外の道を残していないのだ。ラテンアメリカは、依然としてチェ・ゲバラを生み出している。われわれは、反乱の復活を目撃しているのだ。
(インターナショナル・ビューポイント誌97年2月、285号)