1997年5月10日         労働者の力                 第89号

さらけだされた連合運動の惨状
「春闘崩壊」をこえる主体的な思想と戦線を
 
                               坂本 二郎


無力感を体現した九七春闘

――九七春闘の概観はどうでしたか。
総体としていえることは、政治の状況とまさに比例して、労働組合側の総崩れが本当にきわまったということだろう。「政治」を特徴づけた最大の問題が沖縄特措法改悪問題で、衆院で九割、参院で八割という圧倒的な多数で、しかもほとんど実質的な論議もなく、わずか一週間、二週間であっさりと可決される。反対の勢力は微々たるもので、運動の側からすれば、あきれかえるというか、無力感というか、まさに議会多数派が形成されれば何でもありという政治状況が生まれた。
労働運動も結局、一九九〇年代の初頭に「連合」ができあがったということを通じて、実際に「戦闘的改良主義労働運動」というものは、完全に溶けてなくなったということだ。九七春闘にしても、JCなり大手単産が三月十八日に一斉回答をし、例えば円安で相当な好景気といわれる自動車でさえ、前年比七百円プラスアルファで決着した。造船・鉄鋼・電機、私鉄を含めて軒並み前年比二百円から三百円アップで妥結をする。妥結といっても一発回答を受け入れたということだが。
これで春闘は終わってしまったとまでいわれた。

連合指導部の「失墜」☆

――「春闘崩壊」と連合の関係はどうでしたか。
特に連合でいえば、大手組合の場合は、組合側が歯牙にもかけられなかった。徹底的に軽くみられたというが実態だ。自動車の例が典型だが、自動車の組合側が歯止めとして最低基準前年比六百円アップを設定したが、トヨタ資本は、その最低基準にさらに百円上積みした七百円の賃上げを出してきた。要するに自動車総連としては「最低歯止め」として、つまりこれ以下では妥結しないという水準を六百円としていたのだが、最大手のトヨタがそれをあっさり上回り、他の資本も追随する事態になったということは、労働組合のトップ集団が事態をどのように読んでいたのかが問われるということだ。最低歯止めとは何だったのかということになってしまった。
通常の例であれば、組合側が「百円玉一個」をめぐって粘り、闘いとった、勝ち取ったというポ―ズを示すための手段とするのだが、今年は逆に資本の側が、労働組合が賃上げ水準をどう設定しようが、それには規制力はない、という態度を鮮明に打ち出したこと、「百円玉一個の攻防」が資本の強い姿勢をみせつけ、資本の側にイニシアティブがあるのだという事態を際だたせることになった。
完全に足下をみられたわけで、労働組合側が典型的に無力感を痛感させられた例だ。
自動車がそうであれば、他方、私鉄は統一交渉方式を変えられ、また賃上げ水準算定についても方式を変えられた。賃上げが実質は昨年比プラス二、三百円アップで、例えば昨年は一万二千円で今年は一万二千三百円だと発表したいところを、実際の発表時にはポイント賃金に変えられ、八千七百円とかの水準にされた。大方に与える印象としては、昨年以下の賃上げということになりかねず、また春闘相場の「波及効果」としても何の役にも立たず、組合指導部としては面目丸つぶれということになったわけだ。
私鉄総連が中央統一交渉をもはやできなくなったということは、産業別組織の、産業別としての意味が完全に崩壊してしまうことを意味する。資本の側が今春闘で統一交渉を断固拒否したということは、もちろん資本の側からの個別的なテコ入れが多々あったにせよ、組合のサイドが勝手に崩れ、総連が内部的に腰砕けになったということだ。
また隔年春闘を本気に検討する動き(鉄鋼労連)や、ベア(ベースアップ)そのものをなくす動きも三井金属のみにとどまらず、武田薬品などにも広がりはじめた。そういう意味では、もともと連合は春闘を、(政治闘争偏重ではなく)春期生活改善闘争という形で、賃金問題中心の経済重視で進めるという方針を掲げてきたのだが、その肝心の経済闘争でまったくイニシアティブをとれなくなったのだ。
こういう状況では、作ってから七年目になったが「連合」の役割はいったい何なのか、という問題が表面化してくる。政治的にも分解が深刻だ。当初は新進党支持で反自民の大連合に結集するという方向で始まったが、自・社・さきがけの連立与党体制が生まれ、連合として一つにまとまれるようなものではなくなっている。

運動の二層分化―格差の拡大

――「春闘崩壊」は組合運動全体にどのように影響しましたか。
九七春闘のあと一つの問題点は、中小企業と大手との格差、ずれが顕著に出たことだ。中小企業の場合、四月一日実施の消費税五%引き上げという圧力をどうはねかえすか。さらには同じく四月一日から実施された、圧倒的に多数の企業数を包摂する中小企業の「時間短縮」――週四十四時間から週四十時間になる――その際の「コストアップ」にどう対応するかという問題があった。
いいかえれば、経営側は「消費税アップと時間短縮の相乗されたダブルパンチを受ける」と主張し、賃上げストップ、あるいは実質的な賃下げを主張してきた。中小企業での春闘は厳しい環境にあった。
こうした中小企業での流れとは違って、大手はすでに四十時間をクリアし、かつ自動車にみるように景気が回復基調にあるというなかでの九七春闘の惨状だから、「賃金相場の全体的波及効果」を基軸にした春闘の構造ががたがたになったのは必然だった。
中小の厳しい賃上げ環境を全体の力でどのように底上げしていくのか――こうした社会的波及力をもってはじめて春闘というものが社会的存在たりえてきたわけだから、そのような力、視点を失った九七春闘は意味がなくなった。なによりも連合の主力組合にそうした視野がない。

労働行政の右傾化☆ 
――時短・賃下げを労働省は承認したそうですが、現実はどうでしたか。
以前にも述べたが、労働省、労働行政の全面的な転換の影響が大きくある。労働市場の変化の中で、雇用の流動化、弾力化、多様化を押し進めるという、もはや労働者保護の労働行政ではなく、労使の調整機関という役割に変化してきた。
時短の問題でいえば、今回の週四十時間への移行に伴って、賃金の切り下げが経営側によって目論まれた。例えば、月給十八万円で四十四時間労働だった、それが四十時間になるのだから、十八万円を四十四時間で割った時間給が一万六千三百六三円だ。その四十時間分が新賃金だ。差額は残業で埋めるか、アルバイト採用に回すかである。つまり四時間分が給料から差し引かれる。そうしないと経営は成り立たない、というのが経営サイドの主張であった。
この考えを、経営側は二月に労働省に伺いをたてた。今までの時短の歴史の中でこうした考えが実行されたことはなかった。
長時間労働やそれに伴う相対的低賃金を国際的な関係の中で是正していくというのがILO提訴や貿易摩擦問題の過程で労使ともに受け入れてきた理解であり、したがって大手企業で先行した週四十時間制移行にあたっても賃金に影響しないという措置が当然の前提とされてきていた。時短というものは、そういうものとしてとらえられてきたのだ。
だが労働省は今回、時給の変化がなければ、賃金切り下げは労働基準法には違反しない、あとは労使交渉で決めなさいという回答をした。賃下げOKということが全国の中小企業経営者に伝わった。実際にはどういうことになるか。月給十八万円が十六万三千円程度になる。基本給の切り下げは、一時金の減少、退職金の減少、厚生年金も減る。すべてに響く賃金切り下げなわけで、大変な事態となる。
こういう不利益なことを一方的にやれるわけがない。あの日経連でさえ、あわてて安易にやるなという指導したほどのひどい中身なわけだ。

中小運動の苦闘

――具体的にはどのようになりますか。
こうした事態が背景となって、今年の中小の春闘はまさに悲惨な状況となった。つまり賃上げ闘争というよりは賃金切り下げに歯止めをかけることが切羽づまった課題となってしまったのだ。
諸方面からの交渉の結果、労働省は三月三十一日に実質的には修正的な中身の通達を出したが、しかし当初の「労働基準法違反にはならない」という見解は撤回されていない。われわれが労働省交渉を行っても、労働省は態度をかえず、「お互いの見解の溝は深いですね」とうそぶくような態度である。
 組合があるところではストレートな現れ方はしていないが、しかし間接的には賃下げになるような影響が出てきている。賃金切り下げを阻止する代わりに、ベアを見送る――つまり、賃下げのない週四十時間への移行は実質は賃上げであり、その格差分は経営としては超勤やアルバイトで埋めるしかない、したがってベア分の原資はそちらの手当に振り向けるので、今年はベアなしだというのが経営側の理屈である。
 労働サイドからいえば、消費税や物価上昇を考えれば実質的な賃下げである。
 いままで週四十時間が実施されていた労働者は、労働者総数の六割に届いていなかった。今回の実施で九〇%を越えたが、その膨大な層は圧倒的に中小企業労働者である。
今春闘が示したことは、運動の主体からみれば、運動の二層分化、格差拡大の進行ということとなる。
連合主力は、三月中旬に早々と決着し、残された膨大な中小労働運動は逆風の中で闘い続ける以外にないということになった。そして中小の春闘は今も続いている。これでは連合のもとに結集し、連合が主導して闘うということの意味はないし、そういう事態でもない。連合には、指導力もなければ、包括的な牽引力もない。
 そうした現実から、改めて運動の主体的な再構築が問われている。われわれ自身で突破口をこじあけるしかないと考えている。
今後はさらに格差は拡大していく。おそらくは、はっきりと賃下げしたいという攻撃も出てくるだろう。個々の組合や労働者が個別の企業を相手にして闘うと同時に、労働省との闘いも避けられないものとなろう。一方的な雇用条件の変更は許されないと「労働基準法」に明記してある。裁判闘争を含んで闘いを準備しなければならない。仮に個々の労働者に具体的な賃金切り下げがかけられて、それに対する賃金切り下げ不当の訴訟を起こしたとしたら、これは相当におもしろい闘いになるはずだ。

資本主導の雇用流動化の拡大
――「人の規制緩和」がいわれていますが、運動への影響はどう現れていますか。
七月までには、これも以前に述べたことだが、裁量労働制の全面拡大に関する中央労働基準審議会の答申が出される。
これはいわゆる「見なし労働時間制」で、時間で計れない労働を、労働者の自由裁量で時間換算する方式だ。いいかえれば「請負労働」のようなもので、何時間かかっても「見なし労働時間で終わり」ということである。今でも研究職などでは採用されているが、それをホワイトカラー全体に広げるということだ。
 これには審議会の労働側委員もやむなしという態度のようで、どうにもならない。さらに「期間の定めのある労働」つまり有期雇用労働者の契約期限上限を一年にしているのを、三年もしくは五年に延ばす動きも実施される状況にある。
この二つともに問題は重大だが、とりわけ裁量労働制への移行ということは、時間で労働を計るということができなくなる、つまり個別の仕事請負と同じこととなる。
反対の側面ではもちろん、「労働者が束縛されず、自分が主人公になって働くことができる」という美辞麗句がつけられているが、実質はサービス残業の野放しになる。
そうした現象上の問題にとどまらず、本質的に労働を時間で計れない時代になれば、個人間の格差が加速度的に拡大する。全員が一斉に何時から何時まで働くということでは計れないということになれば、労働時間短縮が社会的趨勢としていくら進んだところで意味がないことになっていく。時間で計らない労働が拡大するのであるから。
また能力主義的な働き方が拡大し、その背後にサービス残業がいくらでも増えることになり、さらには、年俸制度導入が意味するまさに「個人請負労働」が全面化していく趨勢に拍車をかけることにつながるのである。「労働の個人請負化」の進展は、労働時間を基本的尺度として自らの団結の基礎としてきた労働組合運動の足下を脅かす重大な要素となりうるのである。
また「有期契約労働の上限期限の延長」は、短期雇用労働をさらに大量に生み出し、資本にとってはさらに都合のいいこととなる。

労働組合と「規制緩和」☆

――港湾規制緩和問題で全港湾がストを行いましたが。
同じようなことだが、「規制緩和」が及ぼす影響も重大な要素として浮上した。港湾荷役に対するアメリカの圧力は途方もないものだった。日本の港湾業務のありよう、「規制だらけの労働条件」に対して、日本船がアメリカに寄港したら罰金を科すという、まさに「江戸の敵を長崎で」というようなことだった。
こうした「港湾の規制緩和」への圧力は、港湾労働の条件をめちゃめちゃにすることを核にしたもので、港湾労働者は三月にストライキを実行した。
港というものは国の財産である。国は、港を使用して行われる港湾荷役を、「港湾労働法」という法律で、業者の数もそこで働く荷役の労働者の数も規定し、そこでの労働条件――労働時間、賃金、さらには仕事がない場合における、いわゆる就労手当や労災、福利厚生など――を包括的に決めるシステムができてきていた。こうした措置は、全世界的に同様なのだが、やくざ、マフィアの介入に対抗する必要な方式として、労働側が闘いの中で国際的に強制してきたものだ。
だが今回の港湾の「規制緩和」は、そうした方式を放棄し、港の所有者は国であっていいが、そこには企業が自由に参入でき、自由に労働条件も決められる。その結果、昼夜を問わずの荷役はあたりまえ、という状況を資本は作らせたいのだ。
現実にはイギリスで先行して強行されたもので、ここではいわゆるサッチャリズムのなかで港湾労働者の抵抗が正面から突破された。それを日本に対してやろうということだ。
日本では全港湾と同盟系の組織とが一緒になって「全国港湾」という組織をつくり、共同闘争を組んで闘っているが、なかなか大変な事態だ。
港湾労働者の闘い、国への要求のなかで積み上げてきた、経営への規制、労働者保護のための規制そのものなのだ。だが、そうした労使双方の間の積み上げとはまったく別のところから、つまりアメリカ政府が日本船に罰金を科すというやりかたでの制裁を経営側に加え、それを通じて、築き上げられてきた日本の港湾労働の環境を崩してしまおうというものだ。
 こういうやりかたが当たり前になってきているわけで、言い方を変えれば、労働運動が「社会的公正」を求めて闘い続けてきたこと、それ自身が「悪」であるという攻撃がなされているのである。

規制緩和、行革の大合唱の中で

――「春闘崩壊」を越える方向性はいかがですか。
連合の運動が、その政治的傾向は問わないことにして、いわゆるユニオニズム、労働組合主義であっても構わないから、労働者保護のためにいかに闘わうのかが問われるところだ。しかし、そうした方向での努力は一切なされていない厳しい現状だ。
規制緩和の大合唱、行革の大合唱、いわゆる六大改革の大合唱というなかで、ちょっと待てよ、本当にそういう形で進む社会というのはどういう社会なのだ、ということを問題にでき、またストップをかけられるような思想的なバックボーンの構築がないと、労働組合運動の展望は暗い。流されるだけに終わってしまう。
典型的には、今国会に「男女雇用均等法の見直し」が出され、それに基づく「労働基準法の女子保護規定の撤廃」が実施される。
女子に対する深夜労働、時間外労働規制がなくなるのだが、男も女も長時間労働はおかしい、時間外労働規制が確立しているのであれば話は別だが、長時間労働は野放し、残業は青天井という現実だ。そうした状況で、男女均等をいうのであれば、女子の残業規制ははずせ、という主張は、どのような社会を作り出そうとしていることなのか――そういう議論が正面からされなければならないと、閉塞状況の突破は難しい。
つい先日経験したことだが、この問題をめぐって労働省交渉を進めるために、社民党の議員に紹介議員になってもらった。ところが、労働省側はその紹介議員に対して、社民党は与党の一員として残業規制撤廃に賛成しているではないか、なぜあなたは反対見解の紹介議員になっているのかと詰問するような有様で、共産党や新社会党をのぞけば、紹介議員すらもほとんどいなくなってきている現実だ。
こうした閉塞状況の突破のための戦線を本気になってつくり出すための努力が本当に問われた――これが九七春闘が残した最大の課題だと思う。
(四月二八日収録・文責は編集部)

七月都議選へむけて、東京ロ―カル始動
「市民の声・東京」――四人の公認候補擁立を決定

来る七月六日の都議選投票に向けて三月二十八日、東京・飯田橋の中央労政会館にて選挙確認団体「市民の声・東京」結成集会がもたれた。
「市民の声・東京」は、無所属市民派のネットワークで、「市民の政治・東京」や「平和市民ネット」などに関わってきた市民・地方議員が新たに都議会選挙に挑むべく、東京ローカルの闘いとして結成したもの。
三月二十八日の午後、東京都庁で記者会見を行ったあと、夜の結成集会には約八十人が参加し、「東京を変える十の緊急提案」「東京を変える八つの重点政策」を第一次共同政策案として発表するとともに、四人の公認候補者が紹介された。
公認候補者は、杉並区・福士敬子(現区議)。世田谷区・下元たか子(前都議)。目黒区・大久保青志(前都議)。江東区・田中やす子(江東ウィメンズフォーラム代表)の四人。
「市民の声・東京」の政治的スタンスの特徴は、青島現知事への批判的立場である。「市民の声・東京」を準備してきた市民派、地方議員の多くは、濃淡の差はあれ、前回の都知事選では青島現知事を押し上げた流れにあった。九五年都知事選で無党派層の圧倒的支持を受けて登場した青島知事のその後に対して、「結成の趣旨」は、青島都政出発時の都市博中止は高く評価できるが、その後の一連の施策は市民の期待を裏切るものと批判している。「公約違反の臨海副都心推進や食料費問題にかんする情報非公開をはじめとして……日の出と新海面のゴミ最終処分場の強行、動く歩道設置によるホームレスの強制排除、原宿の歩行者天国の廃止、外国人職員の昇進差別など、市民の声に背を向けてきました」としている。
都議会の既成各会派は、社民党が民主党に吸収され存在していないのをはじめとして、いわゆる市民派層を目当てとして目論まれたいくつかの「市民派政党」も、民主党にまぎれこんだりと離合集散を重ね、何が選挙に有利かというだけの視点で右往左往しているだけであり、資本とゆ着した強大な官僚機構をつき崩していく視点を欠いている。
そうしたなかで、青島都政は(鈴木都政が残した財政危機に対して、九七年度予算案において)「自民党主導の大企業優先政治、市民生活を犠牲にした開発優先政治の継続を今後も続けていく宣言に等しい」としている。
六月二十六日の告示に向け、市民の声・東京は五月十七日に決起集会を開催するとともに、各選挙区の選挙態勢を支える、宣伝カーでの活動などを精力的に展開している。また、会員、賛同人を募り、カンパを要請して選挙戦を闘う資金協力を訴えている。
 「市民の声・東京」を支持し、四人の候補の当選をめざそう。
 
「市民の声・東京」公認候補
杉並・福士敬(よし)子(五八歳、杉並区議、八三年初当選以来四期)
世田谷・下元たか子(四三歳、前都議、世田谷市民運動「いち」)
目黒・大久保青志(四五歳、土井社会党委員長市民秘書、都議、國弘正雄参議院議員秘書、平和市民事務局長など歴任)
江東・田中やす子(五三歳、江東ウィメンズフォ―ラム代表)
*「市民の声・東京」連絡先
東京都千代田区三崎町三―一―一八近江ビル四F
電話・ファックス〇三―三二六四―九五七八

闘いの中で二〇年
三里塚労農合宿所、閉所へ


五月四日、三里塚労農合宿所の閉所式が現地の敷地内で行われた。三里塚芝山反対同盟の皆さんとともに、合宿所設立の中心的役割を果たした「三里塚廃港要求宣言の会」「三里塚闘争に連帯する会」「労働情報」や各地の仲間など、二〇〇人近くが全国各地から参加した。
一九七七年五月五日の合宿所開設から二〇年の節目の日、心配された天候も回復して青空が広がりはじめる中、午後一時過ぎに連帯する会事務局の田代さんの司会で集会がはじまった。
廃港要求宣言の会の鎌田慧さん、労働情報元編集人の樋口さん、反対同盟の石井さん、そして合宿所を守り続けてきた吉澤さんのあいさつ、連帯する会の上坂さんの乾杯の音頭と続いた。合宿所や反対同盟の方々の手作りのご馳走を前にした歓談では、各地から集まった仲間たちが、そこここで談笑し、闘いを偲び、現状を報告し合い、今後を語り合う姿があった。
合宿所は、三里塚空港開港阻止、廃港への闘いが急速に盛り上がりはじめた一九七七年の四月に建設工事を開始した。同月十七日には空前の二万三千人を結集した四・一七闘争が行われた。
翌年の開所の翌日、五月六日には岩山鉄塔の抜き打ち撤去と闘う五・六〜八の連続闘争が展開された。この闘いの中で東山薫さんが機動隊のガス弾によって虐殺された。
九八年の開港阻止闘争では、二月の横堀要塞の闘い、三月二十六日の空港突入・管制塔占拠闘争がともに合宿所に近接して激烈に闘われた。
その後、合宿所がある横堀地区は、木の根地区とともに二期阻止闘争の中心地区として政府・公団・機動隊との最前線となり、合宿所は全国から闘いに結集する仲間たちの結集点、拠点として、他の多くの団結小屋とはひと味違った存在として、闘いの渦中にあり続けた。
女性差別問題、三つの棟の全焼という歴史を経過しながらも、合宿所は、とりわけ全国の無党派層の活動家の拠点として、二〇年間を闘い抜いた。
「空港廃港」の歴史的スローガンの実現には至らなかったが、しかし、政府、空港公団は一九六二年の池田内閣における第二国際空港建設の閣議決定以来三〇年を経た九一年に、二期工事実力着工断念を表明した。隅谷調査団、成田空港円卓会議などを通じて、反対同盟(旧熱田派)は、運輸省の最終的な二期工事断念を求めての働きかけを進めてきている。
一九九四年の秋をもって、反対同盟主催の現地集会は開催されていないが、それ以降も、横堀新畑裁判での熱田さんの勝訴、運輸省の謝罪文、東山裁判における最高裁での原告(両親)勝訴、元熱田派団結小屋への成田治安法適用断念など、反対同盟自身の闘いは続いている。一坪共有地もまだまだ健在である。
合宿所は、今後は「横堀農業研修センター」として活動を継続していく。
最後の数年間、合宿所を維持してこられた佐藤さん、吉澤さん、本当にご苦労さまでした。

合宿所女性差別問題と旧第四インター日本支部問題


合宿所閉所を、女性差別問題を回避しては語ることはできない。今考えている問題意識を表明します。
八二年の女性差別問題は、合宿所を拠点としてきた全国の仲間たち、とりわけ女性たちによる鋭い糾弾を引き起こし、闘いの「男性型」的あり方の全般が鋭く指弾された。
なかでも行為者Jが所属していた(旧)第四インターナショナル日本支部は、その組織構造、組織構成のイデオロギーの根底的切開を迫られた。日本支部として合宿所の討論に参加し、組織としての自己批判を行う努力をする一方、現在の私たち(国際主義労働者全国協議会)を含めて、当時の日本支部は、その組織観のあまりの男性型的理解、さらには硬直した中央集権主義的組織理論がもたらす極度のゆがみに否応なしに直面させられ、それへの対応をめぐって、対立し、分裂し、分解し、分散した。それに続いて、インターナショナルの「公式支部資格」も失った。
私たちを含め、旧日本支部は、組織を貫いた男女間の対立の克服に方途を見いだせないままに推移し、いまだ組織的な再結集の手がかりを得るには至っていない。
が、合宿所にはじまった旧日本支部の「組織内女性差別問題」の切開の過程で、私たちを含めた旧日本支部を構成した多くは、旧日本支部が少なからずもっていた唯我独尊的な、党派闘争論的組織建設、前衛党建設論的傾向の限界、そのマイナスの側面を痛いほどに実感させられた。私たちは、合宿所問題にはじまる旧日本支部の内的・組織的解体を、積極的に受けとめ、新しい再結集の不可欠な糧にしていかなければならないと考えている。
しかし、多くの仲間が組織を離れ、また分派を形成したものの自ら解散していった部分もある。また女性たちの多くが結集したグループが、当初、自ら課した日本支部組織再建の課題の望みを放棄したことの責務も、男たちは、その傾向の違いを問わず、回避することはできない。その課題に、いかなる内容でもって接近できるのか、私たちはまだ手探りのままだ。
私たちを含めて、私たち旧日本支部の運動はあまりにも男性型でありすぎた。これは、私たちにとどまらない多くの左翼運動、あるいは諸運動にも共通した傾向であったと思う。程度の差はあれ、戦前の日本共産党運動以来、左翼の男性の全般もまた、明治維新の志士気取りのようなものから、まったく自由であったとはいえないであろう。
六〇年代後半期のラジカリズムは、歴史的な一時代を画す運動理念を内包した。その系譜は、その後のさまざまな運動の水路を通じて、男性型運動、組織、そして社会変革理論、理念の作り替えの契機として現れてくる。わたしたちは、それを、もっとも大規模な民衆運動としての三里塚闘争において、もっとも大規模に組織的に遭遇した。それ以前には、こうした契機は組織建設論に吸引され、解消されがちだった。だが合宿所問題は、私たちにそうした便法と開き直りを許さなかったのだ。
合宿所問題は、旧日本支部の、そのままの姿での組織的維持を許さなかった。
私たちは気づくのに遅すぎたのだが、気づいた以上は後戻りは許されない。ここから新しい出発を模索する。

     (川端 康夫)

本の紹介
レスター・C・サロー著(山岡洋一/仁平和夫訳 TBSブリタニカ)
資本主義の未来
資本主義の根底を脅かす5つの地殻変動が始まった!


魅力的な書名

 本書は新聞などで盛んに宣伝され、ベストセラーとの評価を得ているから、すでに読んだ方も多いだろう。また最近、NHKのテレビ放送で著者自身が出演した、本書の内容に即した番組が放映されたことがあるので、それを観て本書を知っている方も多いだろう。いずれにしても経済に関する著書がベストセラーになったり、社会的な評判を集めるというのは、中公新書として出版された「複合不況」以来のことではないかと思う。
 私が本書を購入した理由の一つに「資本主義の未来」という書名の魅力がある。約四二〇ページ、二二〇〇円という本は、普通なら図書館で借りて読もうと思うはずなのだが、柄になくひょんなことから買ってしまった。本書がベストセラーとなった理由の一端は、こんなところにもあるのかもしれない。
 本書でも幾度となく指摘されていることであり、世間の様々な意見も同様に主張していることだが、現代は先行きがまったく不透明で、不安に満ちている。昨年であったか、哲学書が一種のブームになった。こうしたやや奇妙な現象は、「不安に満ちた時代」という状況を抜きにしては考えられない。
 そうだからこそ「資本主義の未来」という書名は、社会主義の崩壊以降、全世界を覆い尽くそうとしている資本主義(市場経済)をいささかなりとも真剣に考えようとする人にとっては、非常に魅力的である。しかも、その書名が資本主義の未来に関して楽天的であるか、それとも悲観的であるのかを判断させない、いわば資本主義の運命に関して中立的であるところが奥ゆかしくていい。

いかにもアメリカ的

 先に述べたテレビ番組で、著者は著作前に二カ月間アルプスだかヒマラヤだかでじっくり構想を練ったという。それだけ本書への意気込みは強かったのであろう。
 本書を読み進んでいく過程でまず感じたのは、いかにもアメリカ的だということである。「アメリカ的」という表現が何を指すのか正確な記述は私にはできないが、推理小説を読んでいても感じるところなのだが、ヨーロッパ、ことにイギリスの推理小説では、一見したところでは無駄というか、本筋と関係ない描写がかなりあるが、アメリカのそれでは緊張感を大事にするせいか、できるだけ無駄な描写を省こうとする。それと同じ感覚である。
 感覚的な表現であるが、まず数字を中心とする事実の記述が非常に多い。それ自身は悪いことではないのだが、その数字や事実からすぐに結論を引き出しているという感じ、あるいは結論を急いでいるという感じを受ける。一つの事実が意味する内容には、いくつかの可能性が考えられ、それらを十分に吟味(読者とともに考える姿勢)して結論を導くという態度はない。書名の奥ゆかしさに似つかわしくなく、読んでいること自体がせわしなく、何か急がされているような感じになる。
 そうした感覚となる原因は、著者が五つのプレートのせめぎ合いとして現代の資本主義を描写しているが、それら五つの相互関係がどうなっているのか、その点にはほとんど触れられていないため、本書の全体を統一している「原理原則」というものがあるとしてだが、それが不明なことにあるのではないかと思われる。
 それと、当然のことなのだが、レギュラシオン学派がしたように「資本主義」を検討するためには、一つのモデルが必要であり、本書はアメリカを取り上げている。この点で本書はアメリカの現状分析となっており、その正しさには一定の吟味が必要であるとはいえ、それだけでも本書は必読といえよう。

五つのプレート☆

 著者は現在の資本主義を突き動かしているのが五つのプレート(地質学でいうプレート・テクトニクス理論からの借用)であり、その上で現代の歴史的な瞬間を「平衡断絶期」――生物学の概念、つまり量的な変化が質的な変化に転化する瞬間、臨界点――と位置づけている。
 訳者は「訳者あとがき」で「経済学者が書いた本といえば、しちめんどうくさい理論や数式がならんでいるというのが通り相場だが、本書はまったく違う。さまざまな経済理論についても触れているが、それはあくまでも説明するためであって、経済学を解説するためではない。実際の経済活動にたずさわっている人なら(つまり、いまの世の中に生きている人ならだれでも)容易に理解できる言葉で、経済の現状と将来を説明している」と本書を紹介している。こうした著者の態度は、本書の構成、方法論にも明確に現れている。つまり、わかりやすい。
 以下、五つのプレートに関して著者の記述を紹介する。引用符を省略しているが、以下は引用である。
■第一のプレート――共産主義の崩壊□
 アメリカの高校卒業生全員に学力テストを行い、それと同じテストを旧共産圏の人たち全員(一九億人)に実施したらどうなるか。旧共産圏のなかで、アメリカの高校卒業生の平均点を上回る人が何人くらい出てくるだろう。答えは、ほぼ「無限」である。
 世界の資本主義にとって、教育程度の高い労働力の供給が大幅に増加したわけで、この新しい供給源は、資本主義世界の賃金水準に大きな影響を与えはじめている。それによる激震が起こるのは、これからである。(現在進行中の「価格破壊」を説明する原因の一つがこれである)

■第二のプレート――人間主体の頭脳産業の時代□
天然資源の時代から知識の時代へ
 一九九〇年代から二一世紀初めにかけ、特に急成長する産業は何かについて、日本の通産省が一九九〇年に作成したリストを見てみよう。このリストには、マイクロ・エレクトニクス、バイオテクノロジー、新素材、通信、民間用航空機、工作機械・ロボット、コンピューター(ハードとソフト)といった産業が並んでいる。これらはすべて人間主体の頭脳産業であり、地球上のどこにでも立地できる産業である。こうした産業がどこに拠点をおくかは、だれが頭脳を組織して、それを活用できるかにかかっている。
 人間主体の頭脳産業の世界では、天然資源が経済活動を支配することがなくなる。世界資本市場が発達し、どこからでも物資が調達できる世界では、生産要素の賦存比率は意味を失う。次から次へと新商品が開発されるため、労働市場や資本市場は均衡状態に達する暇がない。
消費重視の価値観がもつ危険性
 メディアは世俗的な宗教になり、共有する歴史、民族文化、本当の宗教家族、友人に代わって、現実認識をつくりだす最大の力になってきた。
 我慢することに価値があると認めないメディアの圧力で、汗して働くことに価値があると考える人は、わずか一〇年の間に、六〇パーセントから四四パーセントに減った。過去を破壊し、自分の経験と年長者の経験を結びつける社会のメカニズムをなくしていったことは、二〇世紀後半の「不気味な現象」だ。

■第三のプレート――人口の増加、移動、高齢化(略)
第四のプレート――グローバル経済□
 グローバルな統一市場をつくろうという動きは出ていないが、EUにみられる協力と調和は全世界が必要としている。ヨーロッパでは、イデオロギーが経済を突き動かし、世界では、経済がイデオロギーを突き動かしている。しかし、力の方向がどうであれ、力がかかるところは同じだ。
 グローバル経済をうまく機能させるには、国家主権を大幅に放棄する必要があるが、右も左も声をそろえて、反民主的だと抗議するだろう。そして、この抗議は正当である、……民主主義の原則に基づくなら、世界政府を選挙で選ぶしかないが、右も左も真っ先にそうした政府の設立には反対するだろう。
 したがって当分の間、世界経済のゲームは、ルールが流動的ではっきりとわからない環境で続けられていくだろう。ルールができて、それが広く公表されたとしても、誰がその番人になるかはわからない。平衡断絶期には、先のことはまったくわからない。

■第五のプレート――覇権なき世界□
 過去半世紀、資本主義世界をひとつにまとめたきたのは、資本主義のイデオロギーではなく、共産主義の恐怖と、それがもたらしたアメリカの力とリーダーシップだった。
 現在、世界をひとつにまとめるような脅威もイデオロギーもなく、リーダーもいない。共産主義が死に、GATT(ブレトンウッズ)体制が終わり、経済力が均衡するようになり、自国が脅かされないかぎり、どこの国も軍隊の派遣で戦死者が出る事態を容認できず、人びとの心をつなぐイデオロギーはなく、民主主義と資本主義が限りない個人主義を認めている世界が出現した。結束の絆がなく、政治のリーダーシップがない世界である。
 リーダーシップが欠けているのは、人物や力量の問題ではない。平衡断絶期にリーダーがいないのは、環境の脅威や環境から生まれる機会を明確に理解している者がいないからだ。すべてが流動的であり、政治力を発揮できるしっかりした基盤がない。

「民主主義」対「資本主義」

 以上の引用からも理解できるように、本書は現在の資本主義についてあれこれ言われている諸点を「適当」にまとめたもののようにも見える。この点では、ことに新しい内容はないともいえよう。だが、引用が示しているように、それぞれのプレートに関する分析は常に政治問題が基本的に絡んでいる。当然といえば当然なのであるが、現在の資本主義(市場経済)は、いくら市場に任せる(文字通りの自由放任)とか規制緩和が声高に叫ばれても、それが絶対に不可能であるからこそ、こうした分析になっているのであろう。
 私が新鮮に感じたのは、著者の資本主義観ともいうべきものである。著者は次のように述べている。
 「資本主義には、社会的にこう「しなければならない」という考え方がない。個々人が貯蓄と投資をしないという選択をすれば、経済は成長しない。しかし、そんなことは問題ではない。個々人は自分にとっての厚生を最大限に高める決定を行うのであって、それによって社会が停滞してもかまわない」
 「資本主義には、個人の選好は社会のなかで形成されるという観点がまったくない。……どの社会でも、自制と社会による抑制の組み合せが必要だが、自制ですらも社会的に形成される。……しかし資本主義は、個人の行動が他人に直接の害を与えないかぎり、自制を求める根拠をもっていない。
 ここから、単純な疑問が出てくる。社会制度を指揮しているのは誰なのか、という疑問だ。資本主義は社会制度の存在そのものを認めていないので、その答えは、誰も指揮していないということになる。しかし二一世紀には、こんな答えは通用しない」
 こうした資本主義の基本性格がむき出しになった結果のいくつかを著者は指摘している。
 「発表された(アメリカの)人員整理の総数は一九九三年に六〇万人に急増し、九四年一月には一〇万四〇〇〇人と月間の過去最高を記録し、その年全体では五一万六〇〇〇人と前年を少し下回った。そして、解雇の嵐は吹きやまない。一九九五年には、六〇万人近くになると予想されている。その一方で、企業は過去二五年間で最高の利益を上げているのである」
 「革命や戦争の敗北を経験しなかった国で、この二〇年間のアメリカほど、急速かつ広範囲に不平等が拡大した国はない。そして、国民一人当たりGDPが増えているときに、実質賃金が下がるというパターンは、アメリカ史上一度もなかったことである」
 そこで提起されているのは次のような内容である。
 「資本主義と民主主義とでは、力の適正な配分に関する考え方が大きく違っている。民主主義にとって、経済的な不平等の拡大は大きな問題である。「一人一票」という政治的な平等が正しいと信じているからだ。民主主義のイデオロギーとそれに基づく準拠集団では、大きな不平等と相いれない性格をもっている。資本主義は、それが生み出す不平等が公正で正しいものだという逆のイデオロギーをもっているが、不平等を擁護するために苦労している」
 「外部の敵に代えて内部の敵をつくりだして国民の不満を解消する方法はとるべきでないとするなら、よりよい世界をつくるため、全国民が協力できるような大きな目標を掲げる必要がある。これまで、社会主義や福祉国家をめざす人たちには、そうした目標があった。……社会主義も福祉国家も、取り残された人たちを救済し、社会の将来を明るくするような道を示していない」
 「民主主義が機能するためには、ユートピアのビジョンが必要である。よりよい社会を築くための道筋を示し、狭い利益を超えるなんらかのビジョンが必要である」
 「左派の政党はもっとむずかしい課題をかかえている。変化の原動力になる将来へのビジョンを提示するのが、左派の政党の役割である。そのビジョンはユートピアのようなもので、達成することはできないし、現実的でもない場合が多いが、そうしたビジョンの中に、社会をよりよくするために使える要素がある」

 著者は最後の章の「結論」で次のように述べている。
 「皮肉なもので、資本主義の競争相手が消えた……まさにそのときに、資本主義は根本的な変身を迫られている」
 「コロンブスと変わらぬ努力と未知の世界をめざす意思をもって、わたしたちの旅を始めようではないか」
 本書を現状分析の書として研究し、著者が言う「ユートピアのようなビジョン」を形成することこそが急務だと思う。
(高山徹)
イギリス
         労組内左派の協同強まる
                                フレッド・レプラット

「広範な左派」の結集

 二月一日の日曜日、二百人の代議員やオブザーバーが集まった会議が開かれた。呼びかけたのは、様々な労組内部の「広範な左派」による運営委員会。参加者の大部分を占めたのは、教育労組、通信労組、保健・自治体労働者による組合のユニソン、公労協、印刷労働者のGMPU、MSFなどの労組であった。参加者の多くは、職場委員や支部の役員、地域労組の幹部、あるいは全国執行部の役員などを経験している。会議の目的は、労組内の広範な左派を結集し、最低賃金制の再導入などの具体的な目標の実現を目指して行動の調整を図ることだ。
 それぞれの労組内部の左派は、必要に迫られて各自の労組内の活動だけに関わってきた。しかし、資本家と保守党からの厳しい攻撃、加えて労組官僚が行動を起こさないという状況の中で、労組は危機に陥り、左派も後退を余儀なくされてきた。ナショナルセンターであるTUC(労働組合会議)に所属する労組員数は、一九八五年の九千八百万人から現在の六千九百万人へと急落した。ストライキ件数の減少はもっと急激で、一九八五年には六百四十万件だったのが、一九九五年には今世紀で最低の四十一万五千件となった。若者は、労組に関心を示さず、加入する可能性はほとんどない。二十歳以下の労組員はわずか六%である。こうした結果として、鉄道や通信などの民営化された企業や公務員などの年輩の世代に労組員は集中している。

守勢であるが

 過去二十年間、労組は三つの攻撃に遭遇してきた。一つは経済危機、第二は資本家の攻撃、第三は反労組的な立法攻撃である。資本家は生産性を上げるために労働者数を減らしてきた。その結果、今日のイギリスには「直ちに仕事に就く用意がある」と表明している失業者が三百十万人もいる。
 現在生まれている雇用は、危険が多かったり、あるいはパートタイムであったりする。鉄道、通信のように産業全体の民営化が実行され、また、鉱山業などの産業は事実上消滅(二〇〇〇年に営業している炭鉱は十二だとみられている)してしまった。保健などの民営化がすぐには行われない産業では、「内部市場」が形成され、「市場の力」が作用して賃金を含む各種の価格が決定されるメカニズムが導入されている。
 資本家の攻撃は労働条件を急速に悪化させ、柔軟労働時間制度(フレキシビリティ)やチーム労働、一時的な労働契約などが導入されている。いくつかの労組は、労働条件に口をはさまないという条件で唯一の交渉労組としての地位を確保した。また各種労使紛争に関して、ストよりもその決定が強制である調停制度に委ねると表明した労組さえあった。
 資本家がこうした攻撃に基本的に勝利を収めた一つの理由は、マーガレット・サッチャーが首相になった一九七九年以降、政府が財界を支援して各種の反労組法を制定してきたことにある。現在では、ストのためにピケを張ったり、他の労組の闘いを支援する連帯行動は違法である。いかなる産業行動についても、その賛否を問うための郵便による秘密投票が法律で義務づけられている。そのため正式のストの呼びかけは、スト実行までの時間がかかり、また手続きが複雑であるため、資本家の介入を容易に許すこととなる。
 いくつかの産業での賃金水準を決定するための賃金評議会の撤廃や労働者からの不平申立に対する審査期間の延長などの法的措置は、資本家の武器を強力にした。しかし、最も異常なのは、今日のイギリスにあっては労組の承認を要求するストライキが違法だということだ。
 過去二十年間にわたる敗北の責任は、各労組とTUCの指導部にある。この主張は、労組が直面している問題を小さなものと見るためでなく、前進するための別の道があると指摘するためである。現在の労組指導部は、効果的な反撃を組織できなかったのである。
 そうした状況にあって、それぞれの労働者や集団が行動を起こした場合でも、それらは孤立させられるか、行動を拡大したり、それに対する連帯行動の組織化を労組官僚に拒否されてきた。ヒリングドン病院労働者やリバプールのドック労働者は、長期にわたるストライキを展開し、両方とも十八カ月に及んだが、残念ながら労組指導部のこうした姿勢を確認することになってしまった。
 資本家の全国的な攻撃に対する労組からの全国的な反対運動が組織されることはなかった。反労組法のもとで、組合指導者や選挙で選出されるのではない労組役員は、労働組合員に相談するのでなく、弁護士などの法律専門家に相談する道を多くの場合選択した。

行動における団結を

 広範な左派に結集しているそれぞれの勢力は、独自の伝統や経験、政治的性格もっている。TGWU内部の一部のように、消極的な、しかも選挙を確実にするという目的で参加したものもあった。社会主義教員連盟(STA)のようにはっきりと、また選挙で選出されるべく活発な運動を展開したものもいた。STAは、組合員の直接的な関心事だけでなく、政府の攻撃によって生じている政治問題をも取り上げており、近い将来に教員労組全国執行部で多数派をとるだろう。
 こうした相違にも関わらず、組合左派は、労組の基礎が行動にあることに基本的に合意した。労働者が行動に参加してくるのは、資本家の攻撃に反対する産業行動が組織された場合であることを経験は教えている。しかし、労組指導部の多数派とTUCは依然として、労組を安い旅行やクレジットカードを斡旋する厚生組織的な労組、あるいはEUの社会憲章の中にある労働者保護規定に依存する組合へと変質させようとしている。
 広範な左派に共通する軸の一つに、労組内民主主義のための闘いがある。つまり、必要ならば、各支部や労組員が産業行動を行える権利のための闘いである。役員の選出を実現し、彼らからの説明を求めたり、全国大会の決定が実現されるように行動する権利のための闘いである。
 広範な左派は、賃金統制や適正な水準での最低賃金の設定、民営化された産業を再度公共所有に戻すこと、労働者階級にとって不可欠な福祉国家実現のための資金の供給などの諸問題で、来る労働党政府と闘っていく基盤を整備しておく必要性を十分に理解している。
 最近明らかにされた労働党の新しい主張は、保守党(トーリー党)の経済政策を今後二年間引き継ぐこと、反労組法を撤廃しないこと、民営化の考えを持続することなどを鮮明にしている。労働党は、ブルーサークルセメント会社における五年間有効な労働協約を歓迎している。
 非強制的な余剰人員削除の代償に、組合は全面的なフレキシビリティの導入と調停委員会による賃金決定を受け入れた。その数週間後、労働党の雇用問題担当スポークスパーソン、ピーター・ヘインは、労働党政府は例えば公務員の場合のように、それが可能であればフレキシビリティを導入することによって雇用を確保すると言明した。
 来る総選挙とそこで十八年間に及ぶ保守党政府を受けて労働党政府が実現する可能性が強い中で、政治情勢は変化する。労働党政府は、十八年間の保守党政府から解放された安心感から労働者がほっとしている短い期間は、蜜月を味わえる可能性がある。
 しかし、労働党政府なら、現状の打破があるべきで、ことに賃金、最低賃金の上昇、保健をはじめとする各種福祉制度への資金供給を少しでも実現すべきだという期待がすでに高まっている。
 長年にわたって賃金が低下し続け、貧富の格差が拡大し、民営化された企業管理職の報酬が不愉快にも上昇してきたなかで、労働党政府が二年間の賃上げ凍結を行うなら、それがマーストリヒト条約の基準を満たすためとしても、労組員と労働党政府との亀裂をもたらすだろう。広範な左派が結集したのは、まさにこうした状況においてである。その勢力はまだ小さいが、労働党政府からいくつかの譲歩を勝ち取りうる産業行動の波の先端に位置する新しい真実の指導部に発展する可能性を秘めているのである。
(インターナショナルビューポイント誌3月、286号)

スカンジナビア諸国最大の労組で左派が前進
変革を求めるボルボ労働者

                               ペーター・リンドグレン


近づく労組の選挙

 三月十二日、スウェーデン・イエーテボリ(同国第二の南部にある都市)のボルボ工場で、労組の代議員が選出される。労組左派反対派は、スカンジナビア諸国で最大の工場において、戦闘的な労組を再建し、かつスウェーデンの政権党、社会民主党と労組との資金的なつながりを断つべく積極的な運動を展開している。
 労組反対派のイエーテ・キルデンは「われわれが勝利することは、締め切られたじめじめした家の窓を開けるようなものだ。立候補したのは、われわれすべてが必要としている真剣に闘う組合を組織する第一歩としてである。われわれ自身の労組といえる指導部を実現する闘いが必要かつ可能であることを金属労働者に示すためでもある」と語っている。
 労組反対派は、ボルボ工場でこれまで二十五年間も闘い続けており、現在では同社イエーテボリ工場における第三〇支部内の三つの下部組織を握っている。反対派は、ボルボ労組執行委員会に四人を立候補させ、イエーテボリの第四一支部の代議員選挙には九十八人を立候補させている。同支部は、イエーテボリの金属労働者全体を組織している。

決定的な少数派

 労組反対派の立候補者全員が勝利したとしても、それでも彼らは、中央執行委員会で少数派であるし、第四一支部代議員二百九十人の三分の一を占めるにすぎない。しかし、こうした数字は勝利に近いのである。というのは、同支部では、社民潮流は従来から五十から八十程度の代議員を獲得してきただけであり、労組反対派が代議員大会で単一としては最も重要な潮流になるからだ。
 全国金属労組がその規約を変更し、労組反対派の活動を封じ込めようとしたのは驚くに当たらない。選挙に関する内部規約のため、労組反対派の組織名称は「社会党・独立派」としなければならない。
 三人の中央執行委員候補者は社会党(第四インターナショナルスウェーデン支部)のメンバー(イエーテ・キルデン、トーマス・ヨハンソン、ラース・ヘンリクソン)で、それぞれが所属する労組下部組織の議長である。もう一人の立候補者、デニス・オルソンは、無党派である。

戦闘的な雰囲気

 労組反対派が選挙でいい結果を出す可能性は大きい。一九九四年十月選挙で政権に復帰した社民党政府は、厳しい歳出削減を実行してきた。同党は、一九九五年のEU加盟に関する国民投票を中心となって推進し、僅差で勝利した。その後に行われたすべての世論調査は、スウェーデンが全加盟国中で(EUに対して)最も不満が多いことを示している。現在でもブルーカラー労組員(スウェーデンの組合組織率は世界最高で、全労働者の八四%が組合員である)の七〇%は「EU反対」を主張している。
 昨年、社民党政は一九三〇年代以来で最大の抗議行動に見舞われた。政府が失業保険の給付額を失業前の所得の八〇%から七五%へ削減したためである。今年の一月には、住宅、教育、医療関係の支出削減が断行された。ボルボ労組の選挙から二日後に、失業保険のさらなる給付削減が行われようとしている。その結果、六万人の失業した労組員が失業手当を完全に受けられなくなり、さらに低額の社会福祉手当への依存を余儀なくされる。

結びつきの切断

 一九九六年十二月、労組反対派が握っている三つの下部組織は、社民党支持をやめるよう(同党への資金援助に下部組織のメンバーの九〇%から九二%が反対した)投票して可決した。社民党の影響下にある第四のグループでは、ラース・ヘンリクソンが執行委員に論争を挑み、同僚の八五%の支持を獲得し、与党との結びつきに反対することになった。
 先月、社会党の週刊機関紙インテルナチオナレンが明らかにしたところによると、ボルボの役員会で同社のトップ五人に対する膨大な額の報酬と年金支給に賛成したという。
 先鋭な対決はあるが、労組内部の雰囲気は良好である。全国労組連合体(ナショナルセンター)LOの週刊新聞は、以下のような議論を紹介している。
 LOの議長は「大幅な賃上げは組合員の利益にならない」と主張する。これに対してトーマス・ヨハンソンは、労組反対派を代表して「この主張は、企業の利益が上昇し、かつ低賃金のみならず、政府の政策によっても金銭面で打撃を受けている組合員に対する裏切りに他ならない」と反論している。
 これに対する比較的好意的なベルティル・ヨンソンの返答は、スウェーデン労組運動内部で新しい事態が生まれつつあることを示している。つまり、労組反対派の代表であると同時に、「トロツキスト」社会党のメンバーでもあるトーマス・ヨハンソンが、労組ナショナルセンターの指導者と、その機関紙において論争しているのだ。しかも、ナショナルセンター側の主張には「反共主義」の色彩はない。

社会党

 同国北部ウーメオのボルボ工場では、その金属労組の代議員一人と二人の代議員候補は、社会党のメンバーである。また中部ファルンのスカニア工場労組の代議員も、社会党員である。
 金属労組大会の代議員に革命派のメンバーが選出されたのは、今回が初めてである。それと同時に、これらの労組では、社民党が候補者をたてられなかったことも指摘しておかなければならない。ウーメオとファルンは、政府の支出削減と闘う労組反対派の最前線であり、全国から注目を集める事態も多い。
 事態の兆候はよい。だが労組反対派は、本当に勝利できるだろうか。彼らは、三つの候補集団においては最強ではあるが、その他の二十七人の候補者に比べて経験ある選挙運動活動家が少ない。また資金面でも苦しい状態にあり、組合員全体に主張を伝えるのが困難である。社民党には、六十人の専従と二百人の半専従がおり、勤務時間中でも活動できる。しかも、これらの活動家は労組反対派が勝利すると、職場の組立工程に戻らなければならないと恐れているのだ。
(インターナショナルビューポイント誌286号)