1990年5月10日         労働者の力              第9号
スミダ電機資本の居直りを許すな

韓国スミダ労組の決死の闘いに応えよう

  これまでの経過

 スミダ電機資本が韓国の勤労基準法と労働組合との団体協約(八八・七―八九・六)を一切無視し、ファックス一枚で韓国スミダ四五〇人の労働者を一方的に解雇・廃業させてから半年。労組代表(女性労働者四人)が来日してから五カ月余りが経過した現在、事態はますます切迫の度を深めている。
 十二回におよぶ交渉の中で「工場の操業再開を! それができなければ、せめてそれに代わる案を提出せよ」という労組の譲歩も含んだ要求に対して、完全な無視と責任回避を決め込み、二月二十日以降は社長の海外逃亡、担当者の不在を理由に一切の交渉を拒否している。
 スミダ労組よりも遅れて来日したTND労組、アジアスワニー労組は、ハンストを含む果敢な闘争によって三月中旬までに操業再開にはならなかったが、勝利的な解決を確認した。両争議の「合意書」の成果は、@韓国法人だけでなく日本本社を団交に引きずり出し連名の協定になっている、A解雇・廃業の不当・不法性を明確にしている、B労組の「操業再開」要求を受けとめる義務の確認、Cそれが困難な場合でも、雇用・生存権対策資金の支払い、D拘束者の釈放、E争議費用の負担――などであり、スワニーの場合は、それに加えて夜間学生の卒業までの保障、通訳への見舞いなどがあり、ほぼ要求通りとなっている。
 一方、一カ月半にわたって交渉による解決の道を踏みにじられた韓国スミダ労組は、「会社が責任ある解決を図らないのは、四五〇人の従業員全員が死ぬことを望んでいるのに他ならない。私たちは命をかけて抗議を申し入れる」と訴え、四月九日から再開した座り込みからハンスト闘争(十四日)に突入した。
 ドクターストップがかかり、二人が病院に移されるまでに至った二一六時間におよぶまさに命をかけたハンストは、二十三日でいったん打ち切られ本社前での座り込み抗議闘争が現在も続行されている。
 この間、キリスト者をはじめ、「進出企業問題を考える会」など日韓連帯の活動を行ってきた市民運動、そして全労協に主体的に参加し闘う労働運動を実現してきた人々を中心とする支援体制の広がりの中で、国会議員、通産省、韓国大使館、取引銀行などへの働きかけ、さらに葛飾区議会全会派に対する緊急要請行動、本社周辺住民への個別訪問による署名活動(二日間の短時間で三〇〇人の署名が集約された)などが勢力的に取り組まれている。
 社会的孤立が確実に深まっているにもかかわらず、労組代表たちのビザの有効期限切れをひたすら待っているかのように何の反応も示さないスミダ電機の姿に、労働者を単なる使い捨ての労働力商品としてしかみない資本の本質性が、民族的蔑視による排外感情と女性への差別によって、その横暴をより増幅させているのをみることができる。

「渡り鳥企業」化の背景

 六〇、七〇年代に日米安保体制とドルを基軸とした固定相場性による国際通貨体制を組織したアメリカの政治(軍事)、経済的庇護のもとで重化学工業化を「平和」的に実現した日本資本は、五五年体制の階級攻防の結果として高度経済成長期に現出した国内賃金の一定の上昇と中東諸国の帝国主義に対する反乱としてはじまった石油危機に対応して資本の国際競争の先頭に自己の地歩を固めていくために、知識集約型産業構造への転換を強力に推進した。
 国内では本工を軸とする階層的減量経営と合理化を強行し、国内においてはアジア諸国の低賃金労働力を際限なく活用し、それを非人間的な労働力集約型生産関係を確立していく前提条件にすることによって、資本の増殖運動の拡大を図っていった。
 日本資本の直接投資は、一般的に@資源確保、A現地市場向け、B投資先の国以外への輸出用に分けられるが、Bの性格をもつ投資は韓国、台湾などのNIES(新興工業地域)に集中した。
 輸出自由地域(加工区)の状況をみると、台湾の高雄では六六年台湾の投資の三七・六%が集中し、その効果が出た時期の七四年に輸出全体の九・一%、雇用で五・三%(七三年)を占めた。韓国では、韓国スミダも含めた馬山輸出自由地域に投資の五二・五%(七一年)が集中し、七〇年代には輸出の四%前後、雇用で一%を占めた。
 限定(指定)された輸出自由地域からの輸出比率としては高く、輸出効果も非常に大きいといえる。
 NIESの側も外資の導入と輸出競争力を身につけ強化していくために、材料や設備機械を免税にするなど特権を進出企業に与えつつ積極的に受け入れていった側面があるが、一方で日本資本が貪欲に進出していった最大の要因は、国内賃金の三〇―二〇%の低賃金と労働者の法的無権利状態の中で自由自在に利潤を蓄積できるという資本にとってはこのうえもない好条件であったのはいうまでもない。スミダ電機も七二年に馬山に進出して以降、資本金が十倍にふくれあがったといわれる。
 現在、韓国から撤退した「渡り鳥企業」の多くは、中国、マレーシアなどに生産拠点を移しているが、「……最近ではコストの問題だけでなく“貿易摩擦隠し”のためにも進出先を転々としているほど」(経済評論家・杉田望)ともいわれる。

韓国スミダ労組の闘いの提起するもの

 「渡り鳥企業」の労働者に対する管理・支配の実態は、国内の親会社(本社)―国外の子会社という系列化を企業活動の基本システムとして組織している。親会社に営業・事務職などのいわゆるホワイトカラー層を配置し、一方で進出先の現地子会社に劣悪な労働力収奪型の製造部門を集中することによって、両者間の労働内容が生み出す価値の差別的格差を構造化させ、それは必然的に本社(日本人)労働者と子会社の現地労働者との間に経済的利害を契機とする多様な緊張関係と矛盾をつくり出す基盤になっていかざるを得ない。このような相互関係の中から構造的に発生してくる矛盾は、両者の対立関係の固定化に帰着していく側面と同時に、日本企業の「国際化」をめぐる問題と深く連動しながら日本資本に対して国際的、社会的非難と孤立を強制していく可能性にも転化していくといえるだろう。
 七〇―八〇年にかけて顕著になった日本資本による生産拠点の海外移転によって国家の枠組みを一挙に越えて拡大した生産関係と生産力の無政府的な相互浸透の中から構造的に生み出される矛盾が、労働者運動に対してどのような具体的表現となって示されるのかを韓国スミダ労組の決死の闘いは象徴的に提起するものとなっている。
 連合は、労組代表が来日した直後に支援要請を受けているが、連合に敵対するような労組が支援していること、組合以外の第三者(キリスト教関係者、進出企業の問題を考える会)が交渉の窓口になっていることを理由に支援を拒否する立場をとっている。スミダ電機本社の組合が連合内全国一般東京一般の分会であるにもかかわらず、この問題を完全に放置している。右翼的労働官僚のセクト的組合主義が露呈していると同時に、本工主義を根幹とする連合の運動路線が日本資本によって収奪されるアジア民衆の闘いに応えるどころか敵対していく性格のものであることが、韓国スミダ労組の闘いを通して具体的に実証されつつある。
 このことは同時に、八〇年後半から増加している外国人労働者が提起する問題も含めて、われわれにとっての国際連帯活動のあり方がとらえ直されなければならない時期にきているともいえるのではないだろうか。
 生存権、生活権などのきわめて直接的な経済要求の実現からはじまる運動の中で国際連帯活動と社会的労働運動の結び目が縦横に拡大発展し、物理的にも精神的にも一体感を共有することのできる新しい要素と可能性が助成されつつある状況に積極的に対応していくためにもその作業が不可欠になってきているように思う。
 馬山・昌原労働組合総連合は「……日本の諸般の人権・労働団体と多くの日本国民が韓国スミダ労組によせられた関心と支援、連帯の志しに心から感謝したい。これはまさしく、自由と平和のための国際連帯の力がどれほど強く熱烈なものかを示している。馬昌労連は“労働者はひとつ”だという原則と人間性に対するゆるぎない信頼をもって、今後の弾圧と逆境を韓国スミダ女性組合員とともに乗り越え、外資企業の横暴を粉砕し、労働者解放のその日まで、日本国民のみならず全世界人類の良心と正義に立脚して闘っていくものである」という声明書(九〇・一・三〇)を発し、現地で争議化している日系企業――韓国東京電波(本社・東京大田区)、韓国中川(本社・三重県)、韓国スター(本社・静岡県)の日本企業主の不当行為に対する日本での宣伝活動と、東京電波本社の経営状態と事業計画および韓国東京電波の廃業方針の事実についての調査活動を韓国スミダに連帯する会と進出企業問題を考える会に協力要請してきている。
 われわれの関わり方の不十分性を認識し、今後の実践的課題として積極的に位置づけ取り組んでいくことが求められている。 澄田 心平

総括討論のために

    女性差別問題とレーニン主義

                 川端康夫

 第四インターナショナル日本支部が八〇年代に入って組織的求心力を急速に失って行った状況は、日本支部の中央委員会自らによって、「綱領的破産」と規定された。この規定を必然化させたものは、日本支部が直面した女性差別問題とそれへの対応の混迷であった。女性差別問題がなにゆえに「綱領的破産」を導いたのか、どのような意味においてそうなのか、これらについて理解はばらばらである。そのバラつきが組織の「分裂」状況の最大の原因である。 
私たち全国協議会の共通認識は、「綱領的破産」を(男性)組織と指導部の「レーニン主義」の行き詰まりに起因するという視点にある。こうした視点をさらに深め、また日本支部総体の討論の深化に寄与するための問題提起を行いたい。
一、はじめに

 第四インターナショナル日本支部にとって、組織としての存在を根本的に問われるという意味で直面する最大の課題となった女性差別問題は、当初からそうであるととらえられたわけではなく、討論の過程で性格を変化させてきた。そうして討論の段階を経るごとに、事態はより根本的な組織のあり方をめぐる視点の対立、政治分解を呼び起こすものとなり、最後的には日本支部中央委員会の分解、分裂を導いた。以上が、「組織分裂」にいたる一連の経過に関する私の認識の結論である。
 だが、この結論を総括の視点としてとらえる立場は、「総体としての日本支部」にとって共有されたコンセンサスとなっているとは言えない。
 日本支部組織の「分裂」に関して、依然として「なぜ」あるいは「対立点が不明」という意見が多くあることは事実である。また日本支部の総括に関する見解が(男性メンバーによって)さまざまに試みられ始めている。それらの感想や見解には、多くの正しさ、傾聴すべき点が含まれていることを認めた上で、にもかかわらずそれらの試みが日本支部の組織的な拡散と求心力の解体の全般的で急速な進行を解き明かし、組織再建に向かう手がかりを見いだすという課題に肉薄しきれずにいる感を与える最大の理由が、「組織の根本問題」である女性差別問題に接近していない、あるいはしきれていないということにあるからである。
 当然のことながら組織再建を掲げるときに「組織の根本問題」の克服なしには不可能であるが、その「根本問題」の性格についての理解が一致したものではないというのであるならば、出て来る回答は「再建は不可能」というものであろう。
「組織の根本問題」についての理解、対応の違いが組織維持の限界を越えて拡大したことが「分裂」の原因であったのであり、その「克服」なしに、「再建が可能である」とはとうてい語れない。
 確かに、私もそうであるが男性メンバーにとって一般に、女性差別問題を語ることはかなり気が重い作業となる。男性という性に属するがゆえに女性たちの提起に対する自らの見解に誤りがつきまとうのではないかということにとどまらず、個々人にとって自己切開をするどく問われるということを避けては通れないという意識が働くからである。組織的沈黙の原因の一つというべきだが、それらの事実は、しかしながら依然として男性が組織の多数であり、主導権を握り続けていることと矛盾したことにならないであろうか。ましてや、今日本支部の「組織活動」という面において女性たちが日本支部=「男性の組織」との切断された状況にあるという事態を好むと好まざるとにかかわらず直視せざるをえないのであるから。
 現時点の日本支部について、「分裂」にいたる過程およびその後の経過を含めて、少なくとも二つの点が指摘されなければならないと考える。
 第一には、意識の程度がどうであれ「男性という性」に属するメンバーの共通項として、性差別問題の「彼岸化」の実現、「風化」の待望、あるいは「女性メンバーの組織離脱による解決」という結論への期待などに傾斜する要素が全然ないとは言えないということである。第二には、党組織の問題と性差別問題が論理的な「二元論」として意識的に把握される傾向の問題点である。つまり党組織を貫く「組織原理」と女性差別問題とは次元の違うものとして区別する考えかたの問題である。
 以上の問題は当然にも重なっているが、中央委員会=男性組織が女性たちの多くと対立し、その後明らかな機能マヒに陥り、そして組織的な切断状況に至ったという過程の導き出す一つの理論的衰退の過程の結論として、こうした「風化」待望、二元論思考が浮かび上がってきていると言わなければならない。「組織の根本問題」の抽象化とは女性差別問題それ自身の彼岸化に他ならないのであるが、組織そのものの政治的限界=組織原理の限界に突き当たった(男性)組織の自己保存、延命の手段であり、従って一種の「居直り」が根底に潜んでいると言わなければならない。そして、このことが、現時点における「組織的沈黙」の最大の要因であるに他ならない。
 支部組織の「分裂」という現実から見れば、最大の転機は第十三回大会である。この大会以降、(男の)組織は女性差別問題をめぐって一挙に分裂事態に入った。このことは、女性差別問題がいつまでもその「克服」を引き延ばし続けられない性格であることを示したと同時に、日本支部の再建は、まさに女性差別問題の「克服」なしには不可能であることを示した。
 第十三回大会という「転機」は、前述したような論理的な二元論的使い分け、すなわち便宜主義的な対応法に流れていた(男性の)組織が女性たちによって根底からその正体を暴露されてしまったことによって生み出された。従って、「転機」は男性の主体的立場から訪れたのではない。女性たちによる男性組織に対する正面からの突きつけに直面し、具体的な組織構造問題に対する回答に迫られるなかで、男性の組織はその二元論的便宜主義に安住できず、対応の分裂=組織的分裂へと突き進むものとなったのである。
 第十三回大会という「転機」は、二度目の「転機」である。一度目は、中央委員会・政治局がレーニン主義に立った一元論的論理の立場によって女性差別問題に対応しようとし、結果として事態の混迷を深めた第十一期五〜六CCといえる。その中間期となる第十二回大会の時期に男性組織は次第に二元論的な論理の使い分けに傾斜していった。女性たちの提起は空転させられ、処分をめぐる問題はあいまいなままに棚ざらし的状況となり、そして女性たちの組織活動からの離脱が進んだ。こうした状況に依拠した二元論的使い分けの上に、(男性)組織の分派闘争が展開された。
 第十三回大会の「転機」は、便宜主義的使い分けの方法が明らかな限界を刻印されたにもかかわらず、依然として持続するのか、それとも論理的一元論に復帰するのか、後者に立つとすればその時、「原理」となる組織論をどのように、すなわちいわゆるレーニン主義の立場から立てるのか、そうではないのかに要約される三分解をもたらした。
 私の見解は、第十三回大会の「転機」とは、まさに日本支部の共通する組織原理として存在してきたレーニン主義組織論を真っ向から検討の対象にするという内容としてはじめて理解しうるという立場である。

二、日本支部と女性差別問題

 日本支部にとって女性差別問題は組織、大衆運動に関する総体的な関わり方を問うものとして、その「はじめ」から問題提起された。
 問題発生からほぼ十年。組織の混乱以外の積極的な提起が一切なされないことの要因は、問題切開の視点が組織総体としてなかったと言うことに帰着するであろう。そして視点が見いだせないということは、党組織としてのあり方の問題=「われわれのレーニン主義」の問題が鋭く提起され、(男性の)組織総体が明らかな立ち往生の状況に入り込んだからである。
 「始まり」は、第一に労農合宿所における女性差別行為=性犯罪問題であり、第二に三里塚現闘における性差別問題と現闘所属の女性同志たちが結成したグループの問題提起であった。前者は性差別に対する組織としての基本的立場および大衆運動組織のなかの男女両性の関係を問い、後者は性差別、性的支配を日常的に補完するものとしての組織の男性支配、男性=組織官僚という構造に対する糾弾であった。 
 だが(男性指導部・メンバーによって)理解されたのは、組織の防衛という観点から、革命家個々の資質、指導部としての資格、「罪」の軽重の問題であり、性差別にかんする組織・運動そのものありようではなかった。いわば革命的運動、革命的組織における「あるまじき行為」の発生に対する闘争という理解に立つものだったのである。
 総じて、男と女の間で物事はすべてその出発からスレ違った。
 三里塚から「始まった」問題は組織全体に拡大していった。明らかな強姦行為への対応をめぐって始まった問題は組織の性格、構造をめぐる両性の論争、対立として全体化していった。
 女性たちによる告発・糾弾が拡大するにしたがって、革命家としての「あるまじき行為」論にもとづいて当該の個々人の「罪の軽重」を判断し処分を決定するという方法と、組織の差別主義的構造の告発に拡大する女性たちの論理とはますますかみあわないものになっていった。
 男性の多くにとって指導部批判の姿をとって表現された組織構造への批判、糾弾は、その意味、位置を捉えられないがゆえに、一種の組織内権力闘争や、政治的体系をめぐる分派闘争的展開のようにも受けとめられた。「ためにする糾弾」、「告発の政治利用」などの声が渦巻くことにもなった。事実評価、認識(差別行為か否かをめぐる判断)の分裂、対立が拡大し、相互(=女性)有責論も台頭する。
 女性の組織専従が「男組織」の支持を獲得する上での「特殊な関係性」を具体的な差別行為告発の形で提起した事態のなかでこうした両性間の対立がのぼりつめていく。性差にかかわらず専従としての本分をつくすことに違いはないという男性サイドによる「(男女両性の)機会均等論こそレーニン主義」と、女性たちの多くによる「機会均等論こそ差別を強化するもの」という対立が全面化した。問題は組織が依拠しているレーニン主義をめぐる対立として公然化したのである。
 指導部(=男性)は、レーニン主義の徹底化による組織防衛の立場から、女性たちの多くの傾向を「急進主義・おんな主義」として批判していた。レーニン主義の組織原則という日本支部の両性に共通するものとなってきた規範、価値基準の理解・解釈の再確認と徹底化のうえに組織活動、組織運営の集中化、一元化を再確立するという立場であり、日本支部の従来の立場からすれば必然的というべき方針であったといえる。だが、角度を変えて見れば以上の方針は、当時の女性たちの多くの主張を(レーニン主義と異なる)急進主義的な「おんな主義」として規定し、(男性の)組織・指導部による否定と組織的な(分派的)闘争の宣言を内包していたという性格であったことは否定できない。
 日本支部(の男性)にとって、一方では性的支配、抑圧が可能となる基盤としての組織構造を指摘しつつ、他方で処分の軽重を問題にする女性たちの立場を理解することはできなかった。「除名」を提案すればとかげの尻尾切りと批判され、「権利停止」を提案すれば組織的かばいだてと批判されるという事態に対して組織機構は対応力を失って行く。処分の基準・規範が大混乱に陥っていくのであるが、指導部が依拠した「あるまじき行為論」による処分という概念の矛盾が全面化したのである。
 女性たちの「わがまま」への抵抗や、発言、提起を理解しえないといういらだちからくる「分かるように言ってくれ」という開き直りなどの一連の流れは、ある面では男性サイドの悲鳴でもあったが、現実には女性差別問題の討論が両性の意思疎通をより高い次元で再獲得するのではなく、反対に意思疎通の断絶を拡大する作用を果すものとなっていった。
 女性にとって「特殊な関係性」が、その度合は別にして常に意識されざるをえない状況を告発したものであるにもかかわらず、その意図は理解されなかった。と言うよりも例え理解をしたとしても、ではどうすればいいかに回答しうるための枠組みがなかった。男性のレーニン主義組織論・概念は、ここに女性たちの提起との関係では完全に行き詰まったのである。
 レーニン主義の再確立、「おんな主義」批判を展開したところで、女性たちの主張の根拠である性差別問題を消し去ることはできず、また性差別の克服を提起したところで抽象的に終わらざるをえなかったからである。レーニン主義の貫徹を主張した中央委員会決議はほとんどの女性同志たちを獲得しえなかったし、また中央委員会自身も決議に従って行動を貫徹しえなかった。(いわゆる新左翼の多くの党派で現象してきたと同様な)女性たちとの組織的決裂という中央委員会決議が示唆する結論にたじろいだということもあったが、そうした決議が男性の側に部分的ではあれ極度の反動的対応を生み出したことを自己批判せざるをえなくなったことの影響であった。
 にもかかわらず、(男性の)中央委員会は総体として、レーニン主義の原則として提起された決議に対して積極的異論、対案を持つことができなかった。現実の混乱への対処方針を新たに見いだすことができないという、宙づりの状況となった。中央委員会の一連の決議は、その意図とは反対に、中央委員会に表現される従来の(男性)組織の論理の限界を明らかにしてしまったことによって組織のさらなる全面的な拡散化を導いた。
 男性メンバーによる性暴力、性的支配の存在という現実に迫ろうとする女性たちと男性組織の認識のズレが頂点に達し、両性間の対立が鋭いものとなると同時に、(男性)組織の論理的限界があからさまなものとなった。女性たちの少なくない部分が組織を離脱し、あるいは組織活動から離れた。組織の「解体」状況、遠心化と拡散は覆い隠せない事態として進みはじめた。
 中央委員会決議の骨格・性格は次の第十二回大会にも引き継がれたが、両性の一時的妥協の性格を含んだ十二大会以降、レーニン主義を振りかざして女性たちに対抗するということも衰退していくが、中央委員会が女性差別問題に積極的イニシアチブを取ろうとすることもなくなっていく。中央委員会は女性たちの組織活動からの離脱と独自的なフラクション、グループ化に対して自らまた距離をおいて対応せざるをえないことになっていく。両性の「断絶」がいわば「不可逆的に」進行していったのである。
 ここに、男性の中に、前述したような論理的な二元論的便法に流れる組織的状況が形成されはじめた。すなわち、男性に対してはより以上のレーニン主義を要求し、女性に対しては沈黙するという便法である。日本支部(男性)の一部に、女性たちとの断絶を女性たちの「主体的選択」の結果として理解する、すなわち組織的な女性たちの離脱を女性たちの主体的決定であると規定したいという傾向があるが、その基礎はこの時期にあるとも言える。
 今日においてもこれらの決議についての総括はなされていない。総括の視点、内容についての不一致が続いてきたからであるが、その真の要因はこれらの一連の決議のベースとなっている第十一回大会と第十二回大会およびその各中央委員会の「レーニン主義」の立場をめぐる問題に求められるということが、今日でも一致しないからである。
 私は不一致の最大の要因として、この「二元論的使い分け」が未だに持続されていることにあると考える。
 もちろん、こうした二元論に対抗して従来のままのレーニン主義の強硬な「貫徹」を求め、自ら組織分裂を選択した部分も十三大会後に登場した。それには「どうぞお好きに」としか言いようがないのだが、核心的問題はこうした便宜的二元論が論理的な袋小路に落ち込んだことの反映に他ならず、女性差別問題の棚上げ、彼岸化につながり、総括の深化を妨げる結果となっているというだけでなく両性の組織的「断絶」という事態に依存した方法にすぎないということにある。
 二元論の克服という必要な出口は、「われわれのレーニン主義」を見直し、理解と適用の抜本的転換の方向に求められる必要があると言わなければならない。

三、女性差別問題とレーニン主義

 では、こうした日本支部のレーニン主義組織原則が直面した矛盾とそこから導き出された論理的混迷・混乱を回避する可能性はあったであろうか。私は、ほぼ百%なかったと言わざるを得ない。女性たちから「男性の開き直り、歴史の正当化」と批判されることを覚悟しつつ、私は、可能性がいくらかでもあったなら、「日本支部の綱領的破産」という規定、表現は正しくはないと考える。「綱領的破産」という表現が「一億総ざんげ」になる可能性は一般論として常にあるだけでなく、日本支部の現状において現実の可能性となっていることを自覚したうえで、「綱領的破産」という表現・規定に同意しているからである。
 私自身がそうであるが、男性組織は、一貫して「男も女もない、民族・人種の違いもない」組織における民主集中制の信奉者であったし、女性差別問題の当初から女性たちが鋭く指摘していた男性主導組織、指導部の問題を受け入れる基盤を持たなかった。女性たちの提起が男性主導組織のレーニン主義の検証に向かうものとしてフィードバックされずに、男性組織、指導部によってレーニン主義と体系的に異なるものと理解されたことには十分以上の根拠があった。
 日本支部組織を貫いて存在してきた「男性原理」と言うべき性格の上にレーニン主義を適用しようとすれば、それは男性のための(言い過ぎという反論があるだろうが)レーニン主義に帰結していく。少なくとも男性によって理解される範囲を反映するレーニン主義の展開である。
 「民主集中制」概念がスターリニズムのもとで極度の官僚的中央集権主義に肥大化していった背景として「民主集中制」概念のなかにそうなるための潜在的要素が含まれていることを指摘しなければならないのだが、レーニンが自らの体系を定式化するにあたって、官僚主義との闘争や繰り返し「大ロシア主義」との闘争を強調せざるをえなかったことの意味が問題を解く鍵であろう。すなわち「民族差」を「超越」する「階級の党」が成立する前提、あるいは必要条件として「大ロシア主義」の克服が語られ、民主集中制成立の条件として官僚主義の除去が強調されている。
 言い替えれば、そうした条件なしにはレーニンの定式化は有効性を持たないことが、定式化を推進したレーニンその人によってもっとも鋭く意識されていたと考えられる。そもそもいわゆるレーニン主義組織原則なるものに対して、ボルシェビキ左派としての「真のレーニン主義派」(ダニエルズ『ロシア共産党党内闘争史』)と闘い、民族問題でローザと論争し、また一九一七年の四月などの決定的重大局面では全くとらわれることなく行動した人こそレーニンその人であったことを忘れるわけにはいかない。
 いわば条件つきの「レーニン主義組織論」はレーニン自身を担保、保証としトロツキーらの革命の第一世代の指導部に支えられて、民主と集中を弁証法的に結合するものとして存在しえた。そして「条件つき」が取り払われたときには悪無限的な「一枚岩主義」の肥大化が進み始めたということができよう。
 このような意味での条件の一つとして、民族差の問題を性差の問題に拡大するという結論を当時のレーニン主義は明確には持たなかったように思われる。さらに、官僚主義や大ロシア主義との闘争においてレーニンがその危険性が卓越した時に、すなわち「条件」が成立しない状況が現れたとき、民主集中制の党概念をどのように捉え直したであろうかについて具体的に検討しうる十分な材料を手にしているわけでもない。これらについての検討は、トロツキーと左翼反対派の闘いの教訓をも含めて、すべて今日の世代の主体的課題であるだろう。
 今日スターリニズム批判の世界的流れにおいて、複数主義、連合性などの問題意識――前衛党概念のとらえ直しに結び付く――など、レーニン主義の否定あるいは再検討が叫ばれている。もともとレーニンに反対する立場である社会民主主義の陣営からは、ドイツ社民党のラフォンテーヌなど、従来見られた反共主義としての社会民主主義から脱皮せんとする社会民主主義の、マルクス主義を含む社会主義運動総体の流れの中の正統派として位置づけ直すような動きも出ている。反レーニン主義は流行現象のような状況にある。
 私たちは、トロツキズム=ボルシェビキ・レーニン主義者として、スターリニズムに抗しレーニン主義の真の展開、適用を実践する立場にある。だが私たちのレーニン主義がスターリニズムによる歪曲の歴史的影響を少なからず受けてきたことを認めないわけにはいかない。理解・解釈の部分的問題もあるが、最大は理解・解釈の教条主義的方法の問題であった。いわば一九〇二年紀元のような、「何をなすべきか」にのみ固執し、レーニンの思考を総体としてとらえず、またそのレーニン主義を社会主義運動、マルクス主義運動の総体の流れの中に捉えようとするものでもなかった。またコミンテルン(最初の五年)の規定を主体的に摂取し、それを現代に深めるという視点を持つものでもなかった。むしろコミンテルン最初の五年間をスターリニズムによる歪曲、抹殺に抗して復元するという思考方法にあった。
 私たちにとって、女性差別問題への対応を通じて得た、まさに苦い経験・教訓は、「われわれのレーニン主義」の再検討、豊富化が決定的課題であるということである。
 私にとっての八〇年代は、レーニン主義の貫徹というところから、頭をあちこちぶちあてながらレーニン主義の再検討、再認識・豊富化というところへの問題設定のひっくりがえしに到達したことに尽きるとも言えなくはない。
 こうした問題意識がいかなる整理に至るか、今はっきりした結論を言う立場にはない。
 だが、少なくとも次のように言うことはできる。性別役割分業という社会構造からあらかじめ自由である政治組織、党という存在を想定して、レーニン主義組織論を一般原則的組織原理とすることは不可能だ、と。
 私は、以上の視点は民族問題にも適用されるべきではないかという問題意識を持っているがここでは立ち入らない。
 しかし「一国一支部」「中央集権的民主主義」などを骨格とする、コミンテルンを引き継いだ第四インターナショナルの国際規約の立場がそのままに今後とも遵守されるとも思えない。「レイス」「ジェンダー」と「クラス」すなわち人種、性差と階級の関係が、「民主と集中の弁証法的結合」という枠組みを突き動かしているからである。
 インターナショナルは、組織における女性フラク、グループの位置をめぐって揺れ動いてきた。組織論における中央委員会・政治局−各級組織の単一の構造、言い替えれば、組織的な単線的構造に対する女性たちの闘争は、性差を越えた指導部と組織の概念に対する一種の「複数主義」の要求として理解しうる。
 女性たちの要求に対し、インターナショナルは以前の時期には明確な否定の立場をとった。その後は立場を微妙に変化させてきているが、明確な結論を出しているとは言えないあいまいな状況と言える。
 私たちもまた、以前の時期すなわち「レーニン主義貫徹」の立場の時期、女性たちの独立的フラクション、グループに反対の立場であった。しかし現在は「複数主義」の方法への転換、移行に踏み込む必要があると考えている。「一枚岩主義」回避の条件について、レーニン、トロツキーの理解していたことよりももっと厳しくとらえることが要求されていると考える。換言すれば前述したようにトロツキーやローザが行ったレーニン主義組織論批判がまったく的外れであったとは言えないからである。
私たちの視点はすでに「同数委員会」概念として提出されていることを付け加えておきたい。 一九九〇年五月

解雇撤回・JR復帰を求める国労闘争団結成

一千人の大争議団の強固な闘争体制を確立しよう


 国労と国鉄闘争支援中央共闘会議は四月二十二―二十三日の両日、全国から国労の代表者六十人と支援百人を結集して全国交流集会を開催した。この交流会と、続く二十四―二十五日に被解雇者を結集して行われた「解雇撤回・JR復帰を求める国労闘争団(国労闘争団)」の意志統一をもって国鉄闘争は、文字どおり解雇撤回をめざす新たな段階へと突入した。ここでは、全国交流会の討論を紹介しながら、国鉄闘争の到達段階と課題について報告する。
 全国交流会は、稲田国労委員長と中里支援共闘議長の闘争報告、山田宏二氏、岩井章氏、中西五州氏の特別報告、そして北海道・九州の国労闘争団の報告をそれぞれ受けたあと、出席者が経験と意見を述べ、中央共闘と国労が答弁し、集約をするというかたちで行われた。その中で、特別報告に立った岩井章氏は、短期決戦型であった三池闘争の経験と国鉄闘争を比べながら、中労委での和解をめざすとすれば原職復帰はありえず、中労委命令を勝ちとることを目標に全体の力関係を変えるとすれば、闘いがかなり長期化するであろうとした上で、「敵よりも一日も長く、敵のいやがる闘いを進める」として、国際自由労連や世界労連対策をはじめとする闘いの国際化、外国人労働者との結合、韓国・フィリピンなどアジア民衆の争議との結合、地域の労働者や市民運動との結合などの課題を提起して、総評運動の限界を意識的に越えることを通して闘おうとする姿勢を示した。また、中西五州氏は中高年事業団での豊富な経験を踏まえて、生産協同組合のパンフレットを紹介しながら「食いながら闘い続ける」ことが可能であることを訴えた。
 交流会での討論と答弁、集約を通して明らかになったことの第一は、交流会への百人の共闘関係からの参加自体が示しているように、国鉄闘争への共感の持続である。社会党左派系、十月会議系、共産党系など、政治的立場を異にする様々な共闘団体から、それぞれの地方で、清算事業団労働者のオルグ受け入れ、連帯する会の拡大、連帯ストライキや職場集会などの闘いが報告された。こうした国鉄闘争への支援の広がりは、地労委命令の履行・地元JRへの採用という原則的な要求をかかげて、昨年十一月以降、四波にわたるストライキを打ち抜いた国労の闘いがつくりだしたかけがえのない財産である。共産党系の参加者からは、国労・全動労・全労連・中央支援共闘による、共闘関係の一元化を求める発言もいくつかあったが、そのことが共闘の広がりを逆に困難にするという認識は大多数であり、中里中央共闘議長は、「中央共闘は国労の方針にしたがって支援する組織であり、全動労は上部組織である全労連の指導を受ける立場にある。国鉄闘争では、九百六十四人の被解雇者を抱える国労の闘いで方向性が決まるので、全労連も注目してほしいと伝えてあり、了解されている」と答弁し、国労を中心に、社会党左派、十月会議系、共産党系を含めた現在の共闘関係を今後も継続するという態度を明らかにした。
 第二に明らかになったことは、国労が、四月以降の闘いの戦略的な展望を意志統一できていないということである。それは具体的には、中労委段階での闘いを、解雇撤回・原職復帰の命令を獲得することを目標にして闘うのか、または三月までと同様に、依然として和解による解決をめざすのかという方針上の未確定としてあらわれている。共闘団体からの発言の多くがその問題に触れ、地労委での十七件の命令を無視した千人の解雇という事態に対して、中労委がまったく動かなかったことは、「労働者保護機関としての中労委の任務放棄である。労働委員会制度の変質であり、労組法全面改悪の動きと連動していると見なければならない」という情勢認識から、三月一杯をかけて国労が追求した、中労委での和解による勝利という方向から、中労委を糾弾し命令を迫るという闘いへの転換の必要性を主張したのに対して、国労からの明確な答弁はなく、いまだに意志が統一されていないことを示した。
 中里中央共闘議長は集約でその点について、「国労と闘争団が長期闘争を決意できるかどうかが問題であり、中労委命令獲得に方針が一致しないのは、国労の中に長期闘争になることへのおそれがあるからであろう」とふれた。
 昨年の二つの全国大会を通してつくられた国労の方針は、基本的に、地労委段階での全面勝利をテコに、中労委の場にJR各社を引き出して、勝利的な和解をはかることにおかれており、それが不可能な場合には、自活体制の確立を含む長期闘争を辞さないという二段がまえになっていた。それは実際のところは、「清算事業団問題」の圧力から早く「自由になりたい」という右翼的な部分と、あくまでも、政府・JRに不当労働行為の責任をとらせ、地元JRへの復職を求める清算事業団組合員の要求の折り合いをつけたものであった。三月末までに、中労委を動かして、清算事業団組合員の納得できる勝利的な和解を勝ち取るという方針が実現できなかった以上、長期闘争に踏み込むことが絶対に必要になっているが、国労は意志統一を完了していない。
 中労委で、解雇撤回・地元JRへの復職の命令を勝ち取るためには、五―十年の闘いを覚悟しなければならないが、このことは、中労委をめぐる方針が単なる戦術上の問題ではなく、九〇年代に、国労がいかなる闘いを展開するのかという長期的な方向性を規定するからである。
 九〇年四月以降、国労は解雇された千人弱の国労闘争団と、およそ三万五千人(うち、東京地本が一万人弱)のJR各社に採用された組合員で構成されることになった。この二つの要素を踏まえて、国労はいかなる路線のもとで、いかなる闘いを展開するのか。戦略的な方向性をめぐる議論が必要である。一方では、千人の不当解雇撤回とJRへの原職復帰を闘いの焦点としながら路線を確定していこうとする立場があり、また、一方では、依然、解雇撤回闘争の「圧力」から身を遠ざけ、和解によって「身軽になる」ことを通じて、JR各社の組織を基礎として「正常な労使関係」をつくろうとする動きがある。こうしたことが路線の確定に障害となり続けており、交流会でも、被解雇者の組織名称について、「なぜ、争議団とせず、闘争団と名づけたのか」という質問がいくつか出たが、「争議団ではみじめに映る」という一部の意見が名称にもあらわれたといわれている。
 言うまでもなく、国労が抱える千人弱の被解雇者こそは、八〇年代の自民党政府と独占資本の基本路線であった行政改革と右翼的な労戦再編の攻撃に国労が抵抗し続けたことへの報復であり、階級的労働組合運動の解体と国家資産の独占資本への切り売りという、分割・民営化の真実の姿を告発し続ける歴史的な証人である。千人の労働者とその家族の人生を賭けた闘いを守りぬき、その闘いを基礎としてこそ、九〇年代の国鉄労働運動は、国家と連合の労使一体体制の外にたつ、新しい時代の新しい労働運動を作り上げることができる。
 現在、被解雇者は、地域ごとに十人を基礎とする闘争団に組織され、関東と関西におよそ百五十人の常駐オルグ団を置くことが決定されている。そして、最も意識的な北海道・九州の被解雇者は、十月集会第三分科会(労働者生産共同組合)の参加団体や東京地評、学者などが進めている「ワーカーズコレクティブ」の研究会に参加して、労働者生産共同組合にむけた討論を開始している。千人の労働者とその家族が、食いながら闘い続けることのできる支援の戦線を早急に作り上げること通して、国鉄労働運動が闘う方向性を確定するために闘わねばならない。

当面のスケジュール
五月二十三日
 全国統一行動
 @全国一斉ビラ撒き
 AJR各社・会長出身会社・運輸省・労働省・運輸省各地方局抗議行動
 B日比谷野音一万人集会
六月八―十日
 北海道・九州現地激励団派遣
 全国から北海道・九州にそれぞれ五百人を派遣
六月十日
 人権と民主主義を守るシンポジウム(北海道・九州で)
六月二十一―三十日
 東京総行動
六月二十九日
中央総決起集会(全国動員)
モスクワニュース紙(15号、4/15)から

ソ連共産党の現状はいかに


 ソ連共産党に何が起きているのか。党の内部に何が起きているのか。ソ連共産党が再び集団的な指導部になれるとは信じていない世論は、これらの問いへの回答を熱心に求めている。ミハイル・ゴルバチョフの大統領選出と大統領会議の任命によって、執行権力の中心は形の上で党本部からクレムリンに移った。この移行によって当の機関紙は毎週掲載していた「ソ連共産党中央委員会の動き」という記事の掲載をやめたほどである。論理的に説明できない事実があり、様々な噂を巻き起こしている。そうした噂の一つは、リガチョフが署名した秘密の指令が党内に出回っており、それがあらゆるレベルの党の地方組織に送られたといっている。
 現在の段階でその噂の真実性を証明できない。先週の土曜日(四月十四日)に出た共産党中央委員会の「プラウダについて」という決定は、この噂を否定しているようにみえる。他方、白ロシア共産党の「ソ連共産党内の民主綱領派」の支持者に関する決定は、共和国共産党内での粛清の開始以外に解釈のしようがないものである。
 ソ連共産党内での大会準備討論は、非常に複雑で異常な状況の中で進行している。その特徴は、二つの綱領の存在である。一つは中央委員会の、もう一つは民主綱領のものである。バルト諸国の共産党の分裂や自由民主党、キリスト教民主党の出現によって状況はさらに悪化している。そして、ソ連共産党には、様々な階層が批判を浴びせている。
 以下の記事がこうした状況が提出している様々な問題に回答を与えてくれるとは幻想をもたないが、今日の政治状況に若干の光を投げかけるものと考えている。  ドミトリー・カズーチン モスクワニュース紙政治評論員
 人々の声――党内状況に関する社会学的調査

一九九〇年二月、連邦世論調査センターは、ソ連共産党の役割と党内状況に関する国民の評価について昨年三月に行ったものと同じ調査を再び行った。質問は、ソ連各地の二五〇〇人に対して出された。
 ソ連共産党の威信低下を回答者の80・7%が認めた。同様に党への不信は増大している。実際的に党を信頼している比率(21―27%)は変わらなかったが、全面的に不信をもっている回答者の比率は23%から35%へと確実に増大した。党内の状況に対する見方はさらに厳しくなっている。40%が分裂が始まりつつあるとし、34%が党の分解過程が進行中だとしている。回答者のほぼ半数が、党が主導権を失い、社会変革に適切な影響力を行使できないとみている。全体としての党の政治能力だけでなく、党の目標と思想的指針にも不信がある。51%は、党の綱領に示されているソ連共産党の目標は実現不可能であり、現実性を失っており、党の実際的活動と一致していないと回答している。
 60%以上は党が国を誤った方向に導いているという考えに全面的あるいは部分的に同意し、ほぼ90%は党の誤ちが国の発展を阻んでいると考えている。党の指導部と一般党員の責任に関しては様々な見解がある。国民の三分の二以上は現在の危機の責任を指導部に帰し(37%は前の指導部に、29%が現在の指導部に)、17・4%は現在の危機の責めを負うべきは一般党員をも含む党全体であると信じている。また、10・9%は、現在の袋小路の源が社会主義のイデオロギーにあるといっている。
 ソ連共産党の役割と権威についての社会的記憶は、ほぼ全面的に革命期の英雄主義の精神が生み出した時代のものである。62%の回答者は、わが国はソ連共産党なしでは強国になれなかったという考えに同意している。党の権威の頂点を革命と内戦時代(39%)、祖国防衛戦争とその後の二十五年間(25%)に置き、党の果たした役割については最初の五カ年計画の数年間(18%)、革命前(13%)を評価している。2から4%の回答者が、NEPの時代、フルシチョフの雪解け時代、停滞とペレストロイカの時代に置いている。今日の直接の経験から、現在の党の役割と権威の評価は低い。
 したがって、世論調査で党の機関について以下のような結果になったとしても、ほとんど驚くにあたらない。回答者の大多数(76・3%)が、党の各種委員会や工場やオフイスの党の組織が主として管理機構の利益を代表し、党の上部の決定を遂行するものになっているとしている。わずか5・8%だけが党の各種委員会や党の組織が一般党員の意思と意見を反映していると考えているにすぎない。当然、党員であることが急速な出世の早道と考えられている(33%の回答者は「共産主義者はより高い地位にのぼる位置にいる」ことに同意している)。3%だけが共産主義者の仕事ぶりがよく、生産の面でもより積極的だとしている。
 20%が党の解散の必要を認め、半分以上(52%)が認めていない。20%は、党が社会を統合する力だと考え、37%がこの考えに部分的に同意し、34%が反対している。
 生産と管理の面で党の構造を残す必要性については、意見が鋭くわかれている。42%は党の機関は必要なく、なくすべきだと考え、38・4%は党の活動を大きく変えて残すことに賛成している。ほぼ三分の一以上は、ソ連共産党は対等の立場で他の政党と政治的影響力を争うべきだと考えている。相対的な少数(20%)は社会生活への党の介入を少なくすべきだと考え、12・3%はソ連共産党への信頼は回復されないと考えている。
 党に対する信頼を強化する方法としては、37%が党の隊列の粛清と党大会の全面的な公開をあげ、22%が党の諸文書の公開をあげている。25%が党の規約学習をより高い水準で行う必要性に同意している。多数(56・2%)は、そうした学習は学びたい人だけでよいとしている。
 興味深いのは、人民が党以外の諸機関に選出した共産主義者の位置に関する世論である。代議員がまず第一に応えるべきは、党ではなく、選出した有権者(58・4%)や自分自身の考えだ(35%)というものだ。党の決定を優先させるべきだとするものは、8・8%とまったくの少数である。
 世論は、党の内部で起きている事態や誰が誰のために語っているのかについて注目している。党の指導者のうちで最も信頼を得ているのは、ゴルバチョフ(54%)、ルイシコフ(38%)、エリツィンとシェワルナデ(それぞれ12%)である。反対に否定的な評価を得ているのは、リガチョフ(30%)、エリツィン(11%)、ゴルバチョフ(9%)である。
 ユーリ・レヴァダ

 民主綱領派ソ連共産党の再組織にかわるこの計画はいかなるものか

 モスクワ党クラブが昨年四月、わが国で初めて組織された。数カ月間にわたって、われわれの計画として、党の根本的な改革のための臨時党大会の招集を実現しようと試みてきた。中央委員会に手紙を送り、数多くの会議を開き、企業や事務所で話をし、署名を集め、集会に参加してきた。
 だが、すぐに規約が要求する臨時大会招集に必要な数(全共産党員の三分の一、六百万!)だけの署名を集められないことがはっきりした。そこで、方針を変更した。
 硬直した党の公式機関に働きかけるのは役に立たず、自らの新しい独立した組織の創造、左翼的で民主的な組織(民主綱領派、DP)を党の内部につくることにしたのである。
 ソ連共産党内の左派ブロックによる全連邦会議が一月二十、二十一日に開かれた。
 設立された時点でおよそ十万人の共産主義者が参加した。全連邦会議に参加した代議員の社会構成からDPの社会構成を判断すると、40%が教育機関、研究機関、設計機関など、20%が工業企業、5%が労働者、20が党の専従である。参加者の60%が十年以上の党員歴をもっている。
 われわれは現在、党員、非党員を含めて民主綱領を推進するメンバーの登録作業を進めている。様々な民主組織や党クラブが百以上の都市に存在している。地域間の調整にあたる人物や、五十七人からなる全連邦調整会議が選出された。
 民主綱領はまた、われわれの機関紙の名前である。五万部が配布されており、独立組織の部数としてはかなりのものである。
 われわれの綱領草案は、党の公式の機関紙、特にプラウダ、モスクワプラウダにも掲載された。そして、中央委員会二月総会が承認した二十八回党大会への綱領草案が掲載されたことにもよって、党内で広範に討論されている。
 これら二つの綱領は、原則的な違いがある。いくつかの主要な違いを指摘しよう。民主的な方針の上に築かれた組織だけが民主的改革を遂行できる。これこそ、われわれが「民主集中制」に反対する理由である。形式的には、民主集中制は、頂点から下へと報告(下部の党組織の党員が一度でも中央委員会書記や地域の党組織の報告を聞いたことがあるだろうか)され、下部から上部に選出されていくことになっている。だが、現実には民主集中制はおそるべき原則、すなわち「分割統治」の実行を意味している。すべての党の組織は、他の党の組織から分断され、孤立し、すぐ近くの組織で何が起きているかさえ知らない。初級組織の上には、非常に多くの層、ピラミッド型の構造――細胞の委員会、地区の委員会、市の委員会、地方の委員会、共和国の中央委員会、中央委員会、政治局、そして書記長という構造がある。だから、民主綱領は、組織の根本的な改革、水平的な組織構造、つまり市や地方の委員会の代わりに書記の会議、少数派の権利の承認を提唱している。
 われわれは、党内の民主制を承認し、また、党組織間の民主制、一貫した政治的複数制を認める。政治における党の位置と役割は、有権者がその投票を通じて候補者に伝える意見によって決定されると考える。
 民主綱領は、党の役員、機構、いわゆるマルクス・レーニン主義が完全に使いつくされたという深い危機感を表明する。ソビエト版マルクス主義としてなされたすべての変更、修正がなくされたとしても、今日、古典として教えられたものだけを指針とすることは不可能であると考える。現代の新しい問題は、新しい思考、新しい名前、概念によってのみ解決可能である。
 すべての抑圧的な機構に反対し、かたくなな教条に反対するとすれば党の左翼はは何を支持すべきであろうか。もちろん、われわれは、スターリニズムを認めないし、民族的な愛国主義を認めないし、まして党の官僚がわれわれの運動への不信を増大させようとして、資本主義、搾取、私有財産に対する無意味な愛着がわれわれにあるという、純然たるブルジョア的、資本家的考えをもたない。
 党内左翼の本当の目的は、民主的社会主義、人間の顔をした社会主義、すなわち、国際的な社会民主主義、社会主義の運動の基礎となっている綱領である。われわれは、保守派の行動によるるソ連共産党の分裂の不可避性をはっきり認識し、新しい党を民主綱領と人民代議員地域間グループの綱領――党は連邦主義を原則にしてのみ建設される――とを基礎にして結成する意図を宣言する。
 五月末にわれわれは、会議あるいは民主綱領の第一回大会を開く。そこで、タイムリミットの問題と保守派と決別する手続きがはっきりと決められるだろう。
 イリヤ・チューバイス(民主綱領調整会議)

 私はなぜ離党したか

 白ロシア作家同盟の会議でK・タラーソフは、次のような離党届を読み上げた。何がそうした決定をさせたのか。
 一九八八年十月三十日、スターリニズムの犠牲者を追悼する無許可の集会が誰か公式の指令によって散会させられた。この集まりの参加者の多くは共産党員であったが、参加しなかった共産党員が参加した党員の顔にガソリンをかけた。人民狩りが行われた。
 チェルイノブイリ事故は恐ろしい反響を呼んだ。もれた放射能のせい――これからもひどく長期にわたって放射能の影響を受け、ひどい結果が不可避である――ではなく、当時の第一書記スルユンコフ(今では前となったが)と前の共和国最高ソビエトの議長だったタラーゼヴィッチを初めとする共和国の中央委員会と政府の間違った方針のためである。彼らは、最も重大で決定的な時期に犠牲者をだましてモスクワに行き、もっと指導的な地位を求めたのである。今日でも白ロシア政府は、無気力をさらしている。共和国の指導者たちは、「核戦争を阻止するための国際物理学者」がチェルノブイリの犠牲者を無料で救援すると申し出ているにもかかわらず、環境保護、医療、経済の面で諸外国に援助を要請しなかった。
 もう一点をあげる。たとえば、歴史の真実を明らかにしようとする学会のような動きに対する政府、党の態度である。その学会は一九八八年に設立されたが、いまだに公式に登録されていない。なぜか。学会のメンバーが、白ロシアの地域におけるスターリニズムの犯罪を研究して、一九二〇年代の初めから様々な人々の集団が大規模に虐殺されたこと証明したからである。。それらは、単なる弾圧ではなかった。弾圧はブレジネフ時代に行われた。それはジェノサイド(皆殺し)だった。
 私の離党決定を促した触媒になったのは、白ロシア社会主義共和国の人民代議員大会の選挙綱領の発表だった。この綱領では何が提起されていたか。
 私には、急進派、自由派、保守的労働者や農民の考えを一緒くたにすることは想像さえできない。これらの人々は固有の利益をもっている。一つの党の組織がそれを維持するために可能なことをなんでもやろうとするのなら、その党はすべての社会的、政治的な運動の自由な存在を許容しなくてはならない。だが、党はこの反対に、不可侵性、選択性、絶対的な服従を要求する。
 私は、これに反対し、党内にフラクションを結成し、党内闘争を行うことが無意味だと考える。こうした環境にあっては、創造的な人々はいかなる党にも属するべきでないと確信している。党の内部に様々な意見の存在を認める機構がないときに彼らが規律にしたがうことは不自然である。
 私は、白ロシア共産党中央委員会が憲法第六条の撤廃と、社会的運動の公認を提案するだろうと待ち望んでいた。また、党の指導者が広範な人々と対話し、共和国のすべての力を結集してわれわれの複雑な問題の解決にあたるだろうと期待していた。だが、そのような提案はなかった。
 記録 タチヤーナ・チューリナ