1997年7月10日         労働者の力               第91号

都議選――健闘した市民の声・東京
総保守化の流れに鉄槌
共産党の躍進と右往左往新党派の凋落

                                  川端康夫


七月六日に投票日を迎えた都議選は、今後の国政を占う材料とされ、各政党は国政選挙並みの構えで望んだ。連日四〇度に迫る熱波に圧倒されつつ、史上最低の四〇%余の投票率という「熱気の薄い」選挙となった。結果は、自共対立構造の形成である。低投票率が一般に組織政党に有利だという理由はあれ、にもかかわらず投票所に足を運んだ「数少ない無党派層」の多くが共産党に投票したことの現れである。前回の主役となった旧日本新党勢力は霧散し、それを骨格とした新進党は議席ゼロ、さらに政界再編の第二の主役を目指した民主党も議席を減らした。さきがけの姿は選挙戦そのものになく、社民党もまた現有四議席から一議席に転落した。自民党の五〇議席台への、久々の復活、公明の現有議席の実質確保、そして共産党の第二党への躍進――これらが「自共対立」形成の中身であり、首都東京には、「自社さ」はもはやなく、また新進党もない――社民党に終わりを刻印し、民主党を飛び越えて東京の革新票は共産党に流れた。この結論は国政にいかに影響するだろうか。そして東京に新たな革新の旗印を立てようとして初めての挑戦を行った「市民の声・東京」の闘いはどうであったのか、次は見えるのか、どうか。

低投票率――その1
政治の白け、そして共産党

「争点なき都議選」といわれ、当初から投票率が心配されていたが、熱波に圧倒されたかのように史上最低を記録した。最も浮動性が高いという定評がある杉並選挙区では三六・一六%、前回比で一二ポイントも下げた。全体でもおおよそ一〇ポイント弱の低下である。
低投票率の影の主役、その一人は青島知事である。なんら特色ある都政への姿勢を示さずに経過してきている青島都政が、都政への関心を極度に失わせた。官僚や与党ブロックの操り人形となっている青島知事の現状からは、都知事選に示された無党派の熱気を引き出すことはないだけでなく、その反動の方が大きい。都政への関心は一挙に冷えた。
もう一つの主役は、日本新党を中心にする「新党派」の右往左往状況にある。
反自民の「大義」を掲げた細川内閣ブロックの中軸となった日本新党ブームが、前回都議選の特色であった。二〇議席を初当選で獲得した日本新党は、自民批判票を吸収し国政における日本新党ブームの前兆となった。だが、その後の羽田内閣、そして自・社・さの村山内閣を経過して、反自民連合や健全野党、責任政党、中道結集などの一切が、政治的野合の体のいい言い方でしかなかったことを暴露し、そして今や吸引力を失った。
新党派の失速によって自信をある程度取り戻した自民党、そして一貫した批判政党としての共産党に支持が流れ、中間部分は、その不透明性、一貫性のなさによって政治的吸引力を発揮できなかった。
消費税や健保問題など一連の高負担政策が社民党への打撃となったとともに、とりわけ沖縄特措法問題が民主党の迷走ぶりを際立たせた影響は大きかった。諫早湾干拓問題で民主党・菅がいかにパフォーマンスを披露しようとも、沖縄特措法問題での失点を埋めることは不可能な話だった。与党と野党の中間の「ゆ党」が民主党をわかりにくくさせたとはいえ、沖縄問題が右と左の分水嶺となり、ここにおいて民主党は決定的に「右」であることを示してしまったからである。

こうして、生まれるべくして生まれた低投票率は、国政における「安保翼賛体制」が柱となる総与党体制が地方政治総体をも覆い、各党相乗りの首長とそれに一貫して対抗し続ける共産党という構図が示す「政治的白け」と同じものではある。が、にもかかわらず最近の各種選挙が示し始めたのは、そうした白けを越えて、共産党への意識的あるいは確信的な投票行為が、層的な厚みを増してきたことだった。それは部分的なエピソードではもはやなく、したがって都議選における共産党の善戦はすでに確定的流れにあると見られた。
ここ数年間に浸透してきたこうした状況は、あるいは別の現象からも例証できる。すなわち極めて皮肉なことだが、社民党内部の路線問題において野党か与党かの論議の際に、野党に徹しても「共産党の陰に隠れるだけだ」という論理が、一種の説得力をもって展開されてきた経過がある。そうした流れが今年に入ってなお顕著になったのであり、今回の共産党の躍進は決して偶然ではない。
日野市や文京区で共産党が四〇%近くを獲得し第一党となった事実は、他の政党にとって東京の「革新派」の一定程度が、意識的な姿で共産党に吸収されていっている事態を端的に現すもので、一種の脅威であろう。自民党が議席的には復調したとはいえ、その絶対得票率は低下しており、また都議会における過半数にはほど遠く、そして他の新党派は流れをつかむことができていない。
ここに示される状況は、日本新党ブームやマドンナ旋風などが、いわばテレビ時代の見物民主主義的なゲーム参加感覚的な色彩をもって登場してきたのとは異なる環境を提示しているからである。白けを、現実の投票行為へと結びつけ、かつそこに新しい状況をつくり出す、そうした組織政党としての共産党の闘いは、マスコミ的感覚での風、ブームとは異なる力の表現だ。

☆低投票率――その2
右の市民派の低迷と埋没★

新党ブームとともに、あるいはその別の表現として「市民派」政党論が喧伝されてきた。日本新党に始まり、新進党や大前や岩国などの動き、あるいは社会党―社民党も、そして民主党も、新党ブームに乗り、そして都市型市民意識に対応しようとした。また地域分権にあやかった地域政党も各地で展望された。北海道の横路などの動きは、東京や神奈川などへ波及し、東京・神奈川の消費者運動とも結びついた。
こうして社会党・総評ブロックの衰退と解体が拍車をかけた市民派政治の模索は、大前などの「右」から市民運動派の「左」までの幅で追求され、都知事選での青島ブームが、その最盛期といえた。
そして社民党の大半を取り込んだ菅を代表とする民主党が、首都圏における「市民派」政治を糾合する形となった。生活者ネットワーク運動もまた民主党の運動系列に加わり、今回の都議選ではいわば民主党の別働隊的な動きを示すことになった。
三多摩方面における菅的な、旧社民連的な、「市民派」民主党、台東や文京などを中心とする鳩山的、保守本流的意識の民主党という水と油のなかにあって旧社民党部分の低迷にかわる新戦力として、この生活者ネットワークの登場が期待された。
結果はどうか。生活者ネットワークは八選挙区で立候補させたものの、当選者は現有から一名減の二名にとどまった。これらの候補は一部を除いて民主党の推薦候補であり、ネット候補ではあっても実質は民主党の枠組みによる選挙だったが、江戸川などで見るように得票も予測よりは低迷した。
ネットは、民主党と組むことによって、プラスよりはマイナスを背負い込んだといえる。左、革新の市民派の色彩を発揮することなく、したがって新たな市民派結集の一つの結び目の期待感を抱かせることなく、またそうしたイニシアティブを発揮しようとすることもなく、民主党のバイプレーヤーになって埋もれてしまった。
民主党の枠では一時、地域政党を標ぼうして「東京市民21」を主導した二名の旧社会党女性議員も落選し、三鷹市での落選を含め民主党に流れた旧社民党系のちょう落も顕著だった。民主党に「新鮮さの魅力」を求めても、すでにそれは峠を越していた。繰り返すが、沖縄問題が決定的だったのだ。
他方、社民党は、前回衆院選で示した市民派候補擁立の姿勢をも見せることすらできなかった。現職四名プラス党専従職員の擁立というものが最後に出てきたものだった。社民党の鈴木和美都議選選対委員長は「私らはもう完全に底をついた。来年の参院選でどうやって飛躍していくかを考えていく」(東京新聞七・七朝刊)と述べた。沖縄特措法問題で、党の内外で稼いだ得点は、それに倍する失点で無にされた。

☆低投票率――その3
市民の声・東京と新社会党★
 

都議選へ初めて挑戦した市民の声・東京、そして社民党から分離して初の都議選を闘った新社会党は、いずれも議席には届かなかった。市民の声・東京は台東、目黒、世田谷、杉並で公認候補を擁立し、また荒川と北多摩三区で市民派候補を推薦した。新社会党は板橋区と足立区で公認候補、中野で現職の社民党離党候補を推薦して闘った。
市民の声・東京の得票総数は二六五四七票、得票率〇・七七%、絶対得票率〇・二八%。新社会党は得票数六四七七、得票率〇・一七%、絶対得票率〇・〇七%であった。
ちなみに各党派の得票率と絶対得票率(当日有権者との比)を示しておく。自民三〇・八二%/一二・三六%。共産二一・三三%/八・五五%、公明一八・七四%/七・五一%、民主一〇・三三%/四・一四%、新進一・八八%/〇・七五%、社民一・八八%/〇・七五%、太陽〇・四六%/〇・一九%、ネット二・五三%/一・〇二%。(いずれも推薦は除く)
市民の声・東京は、東京の市民派を、右の市民派、民主党に対抗して、左的に革新の流れの中に結集しようとして都議選に挑戦をした。前区議の福士敬子さんを擁立した杉並選挙区では、あと一歩の次点で惜敗した(一二二四九票)。他の選挙区では自公共民などの既成政党の壁は厚かったが、青島都政批判を明確に掲げて闘い抜き、低投票率の中ではそれなりに健闘したといえる。
新社会党は二名の擁立にとどまり、選挙確認団体の活動はできず、選挙戦の結果も相対的に低調に終わった。
この二つの傾向は、基本的には反PKOの闘いの中から生まれた内田選挙以降、沖縄特措法闘争など、全労協を媒介項にした一定程度の共闘関係の枠組みにあるが、具体的な都議選での共同の関係は、ほとんど検討もされなかった。市民の声・東京は、どちらかといえば純粋に市民派選挙を志向し、新社会党は独自の党勢拡大の選挙にとどまったという印象だ。
東京の市民派、あるいは左派傾向の旗は立てられた。市民の声・東京の闘いは、都議選というレベルでも、市民派独自の闘いに一定の可能性を提示した。沖縄特措法闘争を共同で闘った勢力は、あともう一つ、社民党内部の「市民派傾向」がある。自社さの枠組みの中に、この傾向が埋もれてしまう可能性もなくはないが、にもかかわらず社会党ブロックの総崩壊を通じて右にシフトして市民派を獲得しようとする民主党勢力に抗して、東京に新たな市民運動、市民派の力強い軸心を築いていく可能性は依然残されている。
沖縄特措法に続く政治的な核心課題は、今や安保再定義、ガイドライン、有事法制への対応に突き進む様相にある。防衛庁は「国防省」への昇格を、行革のどさくさで果たそうともしている。政界再編の右往左往は確かに一時的な結果として、圧倒的な保守勢力の議会勢力分布を生み出した。だが、そうした総与党化状態に対する水面下での激しい抵抗が拡大してきていることを、都議選は共産党の予測を越える躍進の姿で示した。沖縄闘争において示されたように、共産党が具体的な大衆運動には消極的であり、かつ党の独自性に固執する傾向は変わらないが、運動の圧力が、この党をも大衆的闘いの場へ引き出すことも可能にしていく。
果たして社民党あるいは民主党は、このあからさまなガイドライン安保、有事法制化への動きに追随していけるのであろうか。あるいは党としての全体性を維持していけるのであろうか。将来はまさに不透明となったといえる。
市民の声・東京の健闘は、ガイドライン安保反対、有事法制反対の大きな枠組みを築いていく中で、東京の革新的市民派の政治的結集の軸となり、かつ政治的な左派結集の軸心となりうる可能性を明らかにしたのである。(七月八日)

宮城全労協などが沖縄交流ツアー


六月十六日から三日間、宮城から全労協組合員を中心とする二十六名が沖縄を訪問した。「沖縄を知ろう・体験しよう」という交流ツアーの一行は、瑞慶覧長方さんや糸数慶子さんたちの心からのご好意により、交流会や戦跡めぐりなどを通じて貴重で感慨深い一時を過ごすことになった。
発端は、沖縄社会大衆党顧問瑞慶覧長方さんが、沖縄から東北・宮城に駆けつけた昨年の「沖縄発全国キャラバン」であった。キャラバンは、米軍実弾射撃演習場の移転先に指名された王城寺原と沖縄との歴史的出会いの場となったが、この企画の受け入れを実現した人々にとっても、沖縄との新たな関係の出発となった。
「この間の闘いでの出会いを、日常的な関係の視点でとらえ返し、次の世紀を考えていきたい」
 ツアーの動機を参加者の一人はそう語っている。(S)

97宮城蔵王植樹祭に反対して


【宮城】 第四十八回全国植樹祭は五月十八日、宮城県白石市の国立南蔵王青少年野営場で開催された。昨年の東京植樹祭から反対運動をバトンタッチされた「九七宮城蔵王植樹祭を考える会」は、一年間にわたって現地視察、監視行動、学習会、宣伝などに取り組んだ。植樹祭当日は仙台市で反対集会が開催され、首都圏や関西などからも参加した。(なお来年は群馬県、再来年は静岡県で開催される)
「考える会」が反対運動に取り組んだ当初の視点は、第一に反天皇制であり、第二にまやかしの自然保護、「緑の運動」に反対するというものであった。
全国植樹祭は天皇制による国民統合のイベントとして宮内庁を頂点とし行政、警察、民間総掛かりで準備される。多額の税金が投入され、自治体や学校をはじめ公的部門が動員され、民間ボランティアが組織される。こうしたことがほとんど問題にされることなくまかり通っている。しかも、警察・行政一体となった反対運動への執拗な妨害・介入が行われる。これらのことは今回の植樹祭でも繰り返された。
天皇・皇后が滞在した三日間にわたり、またその準備のために大々的な警備態勢がしかれた。
植樹祭当日、仙台市では「青葉祭り」が開催されていた。その雑踏のなかで「両陛下奉迎委員会(会長は県議会議長)」が主催する「奉賛提灯パレード」が行われた。当日、会場の白石市はひっそりと静まり返っていた。他方、仙台市では(偶然かどうかは定かでないが)祭りと奉迎の二つの行事が混在し、終日、喧噪のなかにあった。
一方、少なくとも表向きは、「緑」や「森の再生」といったことが植樹祭の前面に掲げられた。「宮城の植樹祭は自然を破壊しないからいい」というデマやいかがわしい誤解も手伝ってか、「自然環境保護」を唱える著名な人々が植樹祭キャンペーンに加わったりもした。地元の小学校にはくまなく「緑の少年団」が組織され、自然保護とボランティア活動の格好の舞台として学校ぐるみの参加が押しつけられた。
「考える会」は現地視察を重ね、対抗してキャンペーンをはった。会場造成のために重機が入り、周辺環境はこの数年で大きく変貌した。それらは森の再生のためには不必要なことである。現にブナの森を復活させるために地道な運動を続けてこられた方々や林業関係者の多くが、「このような手法では森はよみがえらない」「一度破壊した環境の復元には長期にわたる試行錯誤が不可避である」と厳しく批判した。
「植樹」そのものの是非は別にして、特に近年のこのようなイベント主義は、いわば「積んでは崩し」であるというわけである。(蔵王山麓に広がるこの地域に首都圏機能を誘致するなどということはその典型である)
植樹祭会場が果たして今後どうなるのか、興味深い。
「考える会」は、このような活動の積み重ねのうえに「蔵王植樹祭」の因果・因縁そのものを問題にすることとなった。つまり蔵王は、沖縄米軍演習の移転問題で揺れる「王城寺原」とならんで宮城県の著名な戦後開拓地であったという事実である。
「戦後、中国からの引揚者が国策として蔵王に入植し、開拓に失敗して下山していった。手放した土地を買い占め、国家に売り戻して財をなした人物が後に参議院議員となったことは、地元の人々にとっては語りぐさである」(要旨・「考える会」会報より)。
天皇・皇后の植樹祭の会場が蔵王の国立野営場である、という話にはこのように極めて因縁深いものがある。植樹祭の主催者側が「戦後の農地開拓により森林が伐採、開墾された跡地」であり、「(厳しい気象条件によって)荒れ野となっている」(「公報」)という表現で片づけているこの地には、「『満蒙』開拓という天皇制・日本帝国主義の国家的侵略事業の先兵とされた農家の次・三男が、戦後は展望のない入植・開拓を余儀なくされ、しかも失敗し山をおりていく外なかった歴史」(考える会会報)がある。
全国植樹祭の会場にこの地がなぜ選ばれたのか、公的には何の説明もない。しかし選定に当たり、「入植五十年」にして天皇がこの地を訪れるという因果に関連して、主催者側のなにがしかの、あるいは明確な意図があったと考えてみることができる。そのような意図を歴史に照らして暴露することは重要である。その意味で、「考える会」の活動は端緒であり、部分的なものにとどまったが、貴重であったということができよう。
*蔵王中腹の青少年野営場は、わずか数時間の植樹祭のためにつくりかえられた。不自然で人工的なイベント空間で、植樹祭を祝う伝統芸能や太鼓演奏、マーチバンドなどの「祭り」が繰り広げられた。その演出には「火伏せの神事」が意識されていたと想像することもできる。蔵王連山は古来、著名な活火山であったという。
*ちなみに、一九五五年、第六回全国植樹祭が宮城県大衡村で開催された。大衡村は「王城寺原」演習場の地元である。戦後最初の入植者たちが上野駅を発ったのが一九四五年十二月。開拓農民たちが「ここは俺たちの土地だ」と米軍戦車に立ち向かったのは一九五二年。米駐留軍の使用が解除され、自衛隊演習場に移行したのは一九五八年であった。
現在、大衡村役場には米軍演習場移転絶対反対の横断幕が掲げられているが、その隣には「昭和万葉の森」が広がっており、「昭和天皇御手植えの松」が残されている。

同志館内竜二君の死を悼む


 館内竜二君は六月十五日、午後四時三十分、国立ガンセンター(宮城県名取市)で永眠した。享年三十九。腎機能不全に肺炎を併発しての急逝であった。
告別式は十七日、仙台市で行われた。各地から寄せられた弔電が紹介され、またかつて館内君が所属した宮城合同労働組合の星野憲太郎委員長が友人代表として弔辞(別掲)を読み上げた。
 館内君の「最初の活動」は、一九七五―六年当時の高校生自殺問題であり、共青同宮城県委員会高校生班協議会のメンバーとしてであった。三里塚開港阻止闘争に参加し(七七年五・八闘争で不当逮捕される)獄中闘争を経て、宮城に戻った彼は、連帯する会・女川現闘に一時期所属した後、塩釜市に移住、宮城合同労組に籍を置いて地域活動に携わった。その後、インター三里塚現闘団員として活動した後、東京で働き暮らしていた。
 九二年、ガンと診断された彼は、私たちに病状を説明し、東京で摘出手術を受けた。しかし九五年夏(手術から三年目を迎える直前)に再発、再び東京で入院、投薬治療を受けた。そして今年一月に再々発を告げられ、故郷・宮城県で三度目の入院生活に入った。三月に続いて五月、「七月には仲間たちと再会できる」と言い残して投薬治療を受けたが、ダメージから回復することなく永眠した。
 最後を看取った遺族によれば、「急性肺炎を併発し強制呼吸器を挿入するために麻酔をかけたので静かな最後だった」「麻酔によって意識がなくなる前に、皆さんへ連絡してほしいと告げられた」とのことであった。
 「もう闘わなくてもいいと、父が呼んでくれたのだと思っている」――彼は入院を控えていた今春、お父さんもまたガンであることを知った。お父さんは、彼が二度目の投薬治療を受ける直前の五月六日、仙台市の病院で死去した。彼が見舞って一週間後のことである。
 「皆さんのおかげでさみしくない葬儀にすることができた」との言葉を遺族からいただいた。各地の皆さんにお伝えし、報告ならびに御礼としたい。この間の経過を含め急の事態について皆さんに十分にお伝えできなかったことをお詫びします。
 九七年七月七日 (仙台・J)

弔辞
館内竜二君へ
(友人一同を代表して)
  
 日曜日の深夜、あなたのお兄さんから急な報せを受けました。
 最後にお会いしたのは三度目の入院中、外出許可がおりた四月下旬でした。これから次の治療のサイクルに入る、七月に終了予定なのでそのときまで仙台の皆さんには知らせないでほしい。心配かけるし、治療中はダメージが大きく会うこともできないから、といっていました。だから、この悲しい報せは友人の多くにとって、突然のことでした。
 
 最初の出会いはあなたが高校生のとき、一九七五年であったでしょうか。哲学的で、早熟そうな印象でした。しかしあなたは持ち前の人なつっこさで、すぐに皆から愛され、慕われる存在となりました。あなたは、物静かでありながら、時として早口で快活に話しかけました。その独特のスタイルは最後まであなたのものでした。
 
 あなたは、仙台に戻ると話していました。いろいろな事情もあっただろうし、東京での生活は体力的にももう無理だと感じていたのかもしれません。母と暮らすといったときのあなたの優しい顔を思い起こします。そのとき、生き抜こうというあなたの意志を感じました。
 
 あなたとともに青春時代を駆け抜けた仲間たちと再会する場を実現することはできませんでした。申し訳ありません。また、あなたが新しい仲間たちと出会い、次の時代に出発することも不可能になってしまいました。
 
 あなたが慕っていた菅原修二君が二九歳の若さで急逝してから来年で二〇年目になります。修二君をしのぶ集まりを開くことができたら、そこにあなたも元気で参加できたら、と思っておりました。残念な気持ちでいっぱいです。
 あなたの微笑みと、はにかんだ表情、そしてともに生きた時代を私たちは忘れません。
 いまはゆっくりお休みください。
 さようなら。
 一九九七年六月一七日

イギリス総選挙――保守党の惨敗
           労働党政権下での任務は何か
                                  ローランド・ランス
 一八年間も権力を握ってきた保守党が惨敗し、トニー・ブレアの新生労働党(ニューレイバーパーティ)が勝利した結果、イギリス政治は大きな変化を遂げることになるだろう。しかし生起するであろう変化は、労働党新政権のおかげではなく、労働党政権にも関わらず、あるいはむしろ労働党政権に対する人々の対応がゆえだと言うべきである。

地滑り的な保守党の敗北

 誰もが予想しなかったほどの大敗北を保守党は喫し、その結果、同党は志気阻喪し、展望を見失っている。保守党議員の半数以上が落選した。他方、かろうじて当選した議員らは、衰弱した同党の指導権をめぐって激しく争っている。ジョン・メージャーの閣僚のうち七人が落選した。その中には、右派のマイケル・ポーティロ(国防相)も含まれている。
 トーリー党(保守党)は、スコットランドとウェールズで議席を失い、イングランド都市部でもほとんど勝利できなかった。党内の対立と抗争のため、今後長年にわたって政権復帰をめざして一丸となった闘いを展開できそうもない。
 保守党の大敗北から最大の成果をあげたのは、もちろん労働党であり、前例のないほど多数の四一九議席(定数六五九)を獲得した。労働党以外の政党もまた、保守党の破局的な敗北から成果をあげた。自由民主党は四六議席に倍増し、スコットランド国民党もまた三から六議席へと倍加した。そして北アイルランドではシン・フェイン党が二議席を獲得した。
 ジャーナリストのマーティン・ベルは、労働党と自由民主党の推薦を受けて、マンチェスター郊外の保守党の牙城であった選挙区でトーリー党の腐敗議員ニール・ハミルトンと争い、勝利を収めた。

労働党以外の左派の状況

 労働党の左に位置する勢力の選挙結果は、多様であった。グラスゴーでは、地域活動家のトミー・シェリダン(前ミリタント派、現在は社会党)がスコットランし社会主義同盟(SSA)から立候補し、一一・一%の得票率だった。その他のSSA候補も善戦し、平均して一%以上を得票した。労働党議員だったデイブ・ネリストは、社会党から立候補して六・五%を獲得した。
 炭鉱労働者組合の指導者アーサー・スカーギルは、ウェールズ北部のニューポート選挙区で社会労働党(SLP)から立候補し、五・二%の得票率だった。その他の一握りのSLP候補も善戦した。カーディフ・セントラル選挙区では、明確に革命的な選挙綱領を掲げて闘ったテリー・バーンズが五・三%の得票率だった。
 イーストロンドンのイーストハム選挙区では、弁護士のイムラン・カーンがSLPとして最高の六・八%を記録した。同選挙区では、労働党がそこで住民の大部分を占めるアジア系人の要求に関心を払っていないと批判されている。カーンは、有名な地域活動家であり、極右のイギリス国民党(BNP、この選挙区で三・二%を獲得)に対して積極的な反対行動を展開している。労働党の左に位置する候補に寄せられた投票総数は約七万だった。

極右は

 ファシストの国民戦線は、ロンドンのいくつかの選挙区で一〇〇〇票以上を得票した。イーストロンドンのベサナルグリーン選挙区では、主要三政党がいずれも黒人候補を擁立したが、国民戦線は七・五%の得票率だった。
 マーストリヒト国民投票反対党のビジネスマン、ゴールドスミスは、八万票を獲得したが、それは彼が自分の膨大な財産から二千万ポンドを運動資金に投入したためだとみられている。一票につき二五ポンド(約四〇米ドル)になる。
 シングルイッシュー(反アボーション)候補はどこでも苦戦した。また従来と同じくナチュラルロー(自然法)党やモンスター・レイビング・ルーニー党も低い得票だった。

制度上の改革

 選挙の勝利が判明したのを受けてブレアは「新生労働党として内閣を運営し、新生労働党として統治する」と述べた。時を逸せずに自分の意図を明らかにしたのであった。長年にわたって福祉制度を攻撃してきた右派のフランク・フィールドが福祉改革担当大臣に任命された。
 議員ではないBPの責任者が貿易大臣に任命された。別の裕福なビジネスマンが最低賃金を審議する委員会の長となった。
 新政府はまた、所得税を引き上げない、反労組法を撤廃しない、トーリー党がたたき売った各企業・産業を再国有化することはないなど、その狙いを繰り返して表明した。
 しかし歓迎に値する改革も少しはある。移民政策における厳しい側面のいくつかは緩和された。政府はまた、地雷の売却禁止を約束し、ロンドン自治体政府が復活されることになった。
 制度上では、大きな変化がありそうだ。その一つがスコットランド議会の確立であり、二年以内にほぼ確実に実行される。同議会は課税権を持つことになる。ウェールズ議会もほぼ同様に確立される。選挙制度も比例の要素を取り入れた方向で改革されそうだ。
 スコットランドとウェールズでは、保守党は議席を失った。保守党は、選挙戦ではグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国解体の危機を訴えていた。したがって同党が、これらの議会設立に強固に反対したとしても、その主張に正当性はない。
 選挙勝利の結果で、歓迎すべき要素として女性議員の大幅な増加がある。これは、主として労働党が一定数の女性候補を確保する政策(後に法廷はこれを違法としたが)をとっているためである。労働党側の議場には、一〇〇人以上もの女性議員がいる。それでも議席数の四分の一でしかない。だが積極的で重要な成果といえよう。

そしてわれわれは

 全体として労働党政権は、政策の変更というよりも政治スタイルの変化をもたらすことになろう。大蔵大臣のゴードン・ブラウンは、(ロンドン)シティにおける銀行家の会議に出席したとき、イブニングでなく普通の背広姿であった。
 トニー・ブレアは、トーリー党首相よりも問題を起こす可能性が少ないとして、ヨーロッパでは概して歓迎されている。だが彼が最近開かれたヨーロッパ連合首脳会議前にマーガレット・サッチャーの意見を聞いたことを注意する必要がある。
 トーリー党に対する圧倒的な反対をブレアの「新生労働党」路線に対する積極的な支持だと考えるなら、彼は間違っている。投票日の出口調査は、労働党への投票者の六五%が富の再分配を望んでおり、七五%が現在以上の民営化に反対していることを示した。こうした強い要求がある政策こそ、労働党指導部が実行しないと公約してきたものだ。
 数百万の労働者が労働党に投票したのは、教育・保健・年金や福祉・住宅支出を増やさない、公務員の賃上げをしない、というブレアの公約を支持したためでなく、そうした公約にも関わらず、であった。
 変化への要求は強力であり、このことが新政権との対立に至るにはそれほど時間はかからないだろう。福祉支出を現在以上に減額しようとしたり、あるいは公務員の賃金凍結を実行しようとすることは、欧州単一通貨採用の基準条件を満たすためであっても、トーリー党の惨敗に自信を持った労働者階級から激しい反対を受けるだろう。

左派議員は行動開始

 ブラウン蔵相は、中央銀行の独立性を保証するために、利子率の決定権をイングランド銀行に渡すとしたが、これはヨーロッパ中央銀行を受け入れていく第一歩とみられる。
 このことは、労働党政権がトーリー党政権と同様に、銀行の管理や雇用の創出よりもインフレーションとの闘いを重視することを意味している。新政権による新しい制度の下では、銀行は自らの利益にそぐわない経済政策を簡単にサボタージュできるだろう。
 一七九という大々的な議席差のために、労働党は右からの攻撃を軽視できるが、だが同時に、こうした力は、労働党の隊列を乱したり、あるいは公共支出の増加を要求する左派議員に対する脅威にもなる。
 選挙前、多くの労働党左派議員は、波紋を投げかけたり、あるいは選挙戦略を妨害していると非難されるのは間違いだと主張した。
 こうした言い訳はもはや通らない。今や左派議員は、ブレアの綱領に挑戦すべき時なのだ。そうした挑戦が党からの追放をもたらすにしてもである。一つ明確なことがある。ブレアが左派議員と激しく闘った場合、彼らを最も強力に擁護する方法は、運動する強力な左派を構築する過程で、労働党党員や労働組合員と力強く連帯することである。
 活動家たちはすでに一連の会議を予定しており、そこでは左派が前進する方法が議論される。こうした会議の最初は、五月三十一日にロンドンで行われる社会主義運動グループネットワークのそれであり、労働党や労組の活動家と数人の議員が参加することになっている。
 この会議は、選挙の勝利を受けて闘う道を議論すると同時に、事実上、労働党の民主的な組織運営を排除することになる党機構改革に反対する闘いをも論議する。さらに六月にはコベントリーで社会主義連合ネットワークの、七月にはリバプールで福祉国家ネットワークの会議がそれぞれ予定されている。
 反失業ヨーロッパ行進のイギリスにおける成功と、来るべき多数の労組定期大会とともに、これらの会議は、トーリー党の惨敗という熱狂的な状況にあっても、真の課題を無視すべきでないことが確認されていくだろう。
(インターナショナルビューポイント誌6月、289号)

第四インターナショナル統一書記局声明
(一九九七年五月十三日)

ペルー日本大使公邸の虐殺


 第四インターナショナルは、ペルー政府がその首都リマの日本大使公邸において、MRTAの戦士たちに対して行った残酷な作戦への憤りをすべての革命的民主的な人々と共有するものである。
 ゲリラ戦士は誰一人として殺さなかったし、誰一人として傷つけることもなかったし、そして最後通牒を発することもなかった。だがフジモリ大統領は、陸軍、空軍、海軍を動員し、それのみならずアメリカ、イギリス、イスラエルの力を借り、日本政府との共謀のうえで、大虐殺を行うことを決定したのだ。彼はゲリラ戦士が一人として生き残ることを望まなかった。彼の目的は、公邸内部の戦士全員を抹殺することだった。
 全世界のブルジョアマスコミは、ためらうことなくフジモリ大統領の行動に満足感を表明し、アルベルト・フジモリ大統領に自国政府が送った賛辞と祝福への一体感を表した。この邪悪な人物は、MRTAの闘いによって汚された専制者としての自らのバッジをきれいにしたというわけだ。
 フジモリとその一味は、ペルー人民に対して明確なメッセージを送ったのだ。すなわち、国家こそがいかなる種類のものであれ、すべての力を独占するのであり、「国家利益」こそが何ものよりも優先するのだ、と。そして、この「原理・原則」に挑戦するならば無慈悲に罰せられる、と。
 資本主義システムの枠組みは尊重されなければならない、と。ことにラテンアメリカにおいては、この原則を受け入れようとしないものは、法律によっても、あるいは民主主義によっても保護されない。そうした人々に対する「低劣度戦争」は、すでに中米やその他の地域において多くの打撃をもたらしているが、この事態は続いていくだろう。これがまたフジモリとその帝国主義同盟者が、ラテンアメリカ大陸のすべての被抑圧者・被搾取者に送ったもう一つのメッセージなのである。
 それぞれの革命組織は、MRTAと同じ戦略・戦術を採用するか否かをを選択する権利を有している。MRTAの戦士がとった方法が有効であるか否かを自問する権利を有している。また、彼らの闘いが「自国」あるいは外国の抑圧者に対する正統な闘いに貢献したのかどうか、自問する権利がある。だが、ラテンアメリカの支配階級とその帝国主義的パトロンが「勝利」を叫んでいる現時点においては、哀悼の意を込めてMRTAへの全面的な連帯を表明することこそが、われわれの任務である。
 われわれはまた、ペルーにおける政治囚の、とうてい受け入れられない非人道的な獄中生活の改善を要求する。すべてのペルー政治囚に対する国際連帯は、われわれの義務である。
(インターナショナルビューポイント誌289号)

 

マーストリヒト条約でない、もう一つのヨーロッパを

 

 ヨーロッパ連合(EU)は、利潤と神聖なる私有財産の原理に基づく多国籍資本による支配を意味している。EUとはネオリベラルのヨーロッパであり、通貨同盟と「安定化協定」とはさらなる緊縮政策に至る道である。

はじめに

 もう一つのヨーロッパとは、資本よりも労働がはるかに重要とされ、集団の利益が私的な利益よりも大切にされる社会である。社会的なヨーロッパとは、われわれの時代における最大の社会的な病弊である失業をなくすことが最優先される社会のことである。この社会は、住民の多数が必要としていることを満足させようとする。
 世論調査や様々な闘いは、社会的ヨーロッパを追求する展望の進歩を確認している。広範な行動の統一、社会運動内部における様々な潮流間の協同――こうした事態が具体的な要求に関して可能になりつつある。労働運動と社会運動にとっての問題は、EUと当然にも社会的ヨーロッパに反対する資本家とに対する抵抗・反撃をどの方向に向けていくかである。
 図式的になるおそれがあるが、この運動内部の様々な潮流の主張をみてみよう。

社会民主主義

 ヨーロッパ労働運動を支配しているのは、社会民主主義潮流の政党と労働組合の戦略である。この潮流がEUを全面的に支持し、キリスト教民主(中道右派)潮流と永続的に連合していることが、EUの議会的な基盤と、必要とされる社会的・制度的な諮問委員会の存在を可能としている。社会民主主義の支持なくしては、現在の形態ようなEUはありえない。
 社民は、慎重な選択あるいは幻想をもって、EUを自らの唯一の展望と認識している。彼らは、EUを社会的、民主的社会の「ヨーロッパ型モデル」として、あらゆる類の美点をもって飾り立てている。
 社民の指導者たちは、EUの「社会的、民主主義的な欠点」をみつけ、強い確信を持たないまま、その「改善」や「民主化」を嘆願する。彼らは、強化された強力なEU機構を一貫して主張してきた。彼らは、EUこそが民族主義と極右に対する防壁であると主張する。実際には、EUの名前で課せられている社会的な後退が一つのヨーロッパという考えに不信を抱かせているために、そうした人々の間で極右が支持を拡大している。
 社民の戦略は明らかに失敗した。この失敗から脱却しようとする作戦は、新しい条約に社会的な内容の補足議定書を盛り込んだり、イギリス労働党のトニー・ブレアやフランス社会党のリオネル・ジョスパン(いずれも新首相)の貢献を強調して、社会民主主義の支持者の信頼を回復することにある。だが、これらの作戦はほとんど成果はない。
 公式労働運動と社民指導部に対する反対は、増加している。反対する勢力は、形成されている新しいヨーロッパがもたらす破滅的な影響と闘うことを望んでいる。だが、これら勢力の戦略は多様である。
 社会主義ならびに共産党内の「民族的な」左派は、社民指導者の全ヨーロッパ主義に反対する。この潮流は、フランス、ドイツ、イギリスなどでかなり強力で、国家主権を理由としてマーストリヒト条約を批判あるいは反対する。彼らは、EUや共通通貨、ヨーロッパ中央銀行、ブッリュッセル委員会などの非民主的な性格を非難する。そして現在の危機からの脱出が一国的な経済活性化計画で可能だと考える。
 彼らの考えは不可避的に、国民国家や一国の議会制度、自国の中央銀行と通貨などに対する幻想を伴う。そして時には、労働者、人民を分断する源である民族主義的排外主義に陥りかねない。この戦略は、幻想であるし、危険でさえある。

ヨーロッパ主義

 第二の潮流である社会党、共産党、緑の党内のヨーロッパ主義もまた、EUの及ぼす影響とそのネオリベラル的な方針に反対する。だがEUシステムに対する根元的な批判をためらい、その反対の態度を貫こうとはしない。この原因は、彼らがEUの制度的な危機が民族主義、ことに極右の成長をもたらすのではないかと怖れていることにある。
 その結果、この「ヨーロッパ主義者」は、ヨーロッパ機構や単一通貨、中央銀行などを、EU市民の社会的、エコロジー的政策のために必要な前提条件とみなして、擁護したり、あるいはその改革を要求することになる。彼らは最近、批判を強めたが、それでもヨーロッパ諸機構支持の態度を変えてはいない。そのため一貫した確信ある戦略を提起できない。
 労組や社会運動、政治グループ内部のラジカル左翼は、EUに全面的に反対し、資本家や帝国主義者の計画だと非難する。だが、大資本の追加的、補足的な手段とは考えない。こうした表面的な認識のため、EUの前進やその可能性が提示する、労働運動や反資本主義の日々の闘争にとって障害となっている事実を過小評価する。
 改良主義左翼と同じく、彼らには二つの対照的な態度がある。その一つは、EUが非常に長期にわたる過程であるから、労働者階級が資本主義と対決するためには自らの労働現場で、そして政治的には「超国民国家構造」を気にかけずに自国政府と闘うべきだ、というものである。この戦略は、自らを一国の政治的な枠組みに制限し、民族主義へ傾斜する危険を犯している。
 第二の態度は、国際主義的、社会主義的宣伝を展開し、ヨーロッパ各地の闘いと連帯して行動する。だが、こうした抽象的な国際主義は、EUの危機に対する具体的な政治回答にはならない。
 こうした態度からは、EUと対決する明確な戦略や綱領は生まれないし、ヨーロッパ規模の労働運動と社会運動を構築する持続的な努力をも生み出さない。EUと真実に対決する道は、社会運動と国家という二重のレベルに存在するに違いない。

積極的な社会運動を

 力関係は、労働者や社会運動の闘い、世論の動員、市民社会の活動などを通じて変わる。
 この政治的社会的な力学は、依然として一国的レベルで作用する。しかしEUがネオリベラル政策の調整センターであるから、力関係の力学は自然にEUと衝突していく。そのため連帯や要求、行動のタイプ、組織形態などにおいてヨーロッパ的なものが登場してくる。各国の政府と支配階級の背後で、社会運動のあらゆる側面においてヨーロッパレベルものが形成され始めている。
 われわれは現在、行動的で戦闘的な労組運動を構築する段階にある。ヨーロッパ労働組合連合は、真の労組でなく、空っぽの殻であり、各国労働官僚はこれを欧州委員会や欧州理事会への「圧力グループ」として利用しているだけである。
 より積極的な発展の可能性は、ことにEUがネオリベラル的な政策を持続する限り、消し去ることはできない。ネオリベラル政策の持続は、一般組合員だけでなく、労組運動の企業や産業、地域などのあらゆる部門でも反乱を起こさせることになる。その反乱は、当事者の心配や関心に従ってヨーロッパレベルのイニシアティブへと突き進んでいくだろう。一連の多国籍資本において無力だとしてもヨーロッパ企業委員会が形成されることは、一つの積極的な結果をもたらす。すなわち、多国籍企業の各国ごとの工場・事業所の代表者らが水平的に結合することを可能とするのである。
 労働運動とは違って社会運動の力関係への関与は少ないが、しかし、そのヨーロッパ規模の結合やイニシアティブははるかに積極的である。国境を越えて展開される共通の行動を、協同の運動や活動、共通の要求を基礎にした団結の強化などを通じて発展させていかなければならない。
 模範的な実例は、ルノーグループの労働組合である。同労組は、グループのすべての工場を包含する労働協約を要求し、さらにはヨーロッパ自動車産業全体に及ぶ協約をも要求している。その他の部門(注目すべきは印刷産業)でも、労組がヨーロッパ全体で統一要求を基礎にして連合している。鉄道労働者は、産別行動の調整を図っている。徐々にヨーロッパ全体における最低賃金要求の核的な部分が確立されている。これには、最低賃金保証、最低限の社会保障制度が含まれている。また最大労働時間や安全と衛生に関する標準基準の制定も要求されている。

権力はどこに

ヨーロッパ規模の運動と組織という戦略の第一の側面だけでは、不十分である。EUに関する政治展望も必要だ。政治展望は、それぞれの国の歴史や状況に応じて多様である。
 いくつかの国、ことに北ヨーロッパ諸国では、EUへの加盟はつい最近のことであり、一体性もまだ弱い。左翼が統合への主たる反対勢力である。EUの核となる諸国に比して経済的な統合が進んでおらず、EUが課す諸条件はこれら諸国の社会的、エコロジー的、民主的状況の悪化を意味している。こうした状況にあって、EUから撤退するための闘いは、EUを弱めることになる。しかし、このための闘いは、鮮明な国際主義と左翼の綱領とを必要とする。
 EU中心部諸国では、経済統合が進行しており、別の「ヨーロッパ的な」社会的、経済的な展望が示されない限り、EUと対決しようとするのは無意味だと労働者大衆は感じている。これら諸国で、国家主権防衛の立場からEU脱退を主張しているのは、右翼と極右である。
 いかなる場合であれ、経済と社会を急激に方向転換するには、新しい政府、新しい政治権力が必要である。この考え方は、過去一五〇年間、一国のレベルで明確であったし、正しかった。だが今日ではもはや通用しない。その理由は以下の三つである。
●政治権力は定義しにくい。もはや国民国家の枠にとどまっていないし、だからといってEUに完全に移っているのでもない。事実、EU内の重要な決定はすべて、各国政府によってなされている。
●経済権力は現在、多国籍資本の手中にある。金融市場は、一国レベルで社会的、経済的な戦略を決定するすべての異端者を罰している。EUは、こうした状況をも反映し、同時に強化している。
●経済の活性化、金融市場の統御、失業の消滅、主要な社会的経済基盤の建設、不均等発展、人間の移動、核兵器、中心的な運輸体系、その他の社会的、経済的、エコロジー的な諸問題――こういった重要問題は、一国レベルでは解決できない。これらに関するすべての要求は、調整された共同行動の強化、制度化したそれをすら必要としている。

 ほとんどの人々は、この考えに関する変化を自らが日常的に関わっている現実やマスメディアから、そして労働者として、消費者として完全に明確に理解している。
 しかし、この現実の結果は、政治的な無力感の大幅な拡大である。労働運動は、こうした弱点を克服する有効な手段ではないし、しばらくはそうなりえない。EUは、社会民主主義(第二インターナショナルの諸政党と各国の労働組合官僚)の祝福を受けてつくられたが、労働者の社会的な権利や戦術的な成果をヨーロッパレベルで受け入れることに抵抗している。団体交渉や民主的権利、労働組合の権利、知る権利、労働条件と生産過程に影響力を行使するしたり、全レベルの経済と政治面において参加し、協議する権利、政党を通じて立法過程に関与する権利、「大衆動員型圧力行使交渉戦術」――こうした権利や成果は、労働者階級が一国的に長年にわたる困難な闘いを通じて獲得してきたもので、かつては非常に有効だったが、EUの状況では時代遅れになってしまった。
 戦略的な結論を下さなければならない。すなわち、政治的な決裂は、危機がヨーロッパレベルのものであったとしても、まずはある国で発生するだろう、と。

どのような決裂か

 短期的には、ヨーロッパ規模では存在していないが、従来からの労働運動が中心的な社会的要求に関して闘いを組織したり、あるいはEUと対決するとは期待できない。あるいは、ある国で革命的な高揚が起こり、それが他のEU諸国に急速に拡大していくという事態も期待できない。より現実的な仮説は、ある国での政治危機がその政府を揺さぶる、あるいは交替させる事態である。その直接の原因は、強力かつ大規模な社会運動か、あるいは力強い社会的な動員を生み出す議会選挙か大統領選挙であろう。こうした動員の影響は国境を越えるであろう。
 そうした一国での突破は、直ちにEUのネオリベラル政策や規則、マーストリヒト条約が定める諸基準、安定化協定、ヨーロッパ中央銀行の独立性などと衝突することになる。
 このような危機は、ほぼ自動的にヨーロッパレベルに発展する。EUは「政府間協議」の方法で運営されているから、隊列を乱すおそれのある政府、あるいはそれを余儀なくされている政府がEU諸条約を守り続けるように保障するのが、欧州理事会だからである。このことは、ヨーロッパ全体が関係することを意味する。すなわち、EU諸機構や各国政府、支配階級と労働者階級、そしてすべての社会的、政治的な運動がそうである。EUの政治的、機構的な危機が発展するかどうかは、運動の力が決定する。この時点で、国際主義的で反資本主義の方針を状況に適切に応じて提起する必要がある。政策の優先順位を一変させる社会的ヨーロッパの提起は、その内容に応じて具体的な政治的、経済的な措置へと結実するだろう。
 社会的政府、真実の左翼政府はその時にいかなることをすべきなのだろうか。まず第一に、ネオリベラルに基づく政策体系の優先順位を逆転させ、社会政策を活動の中心に据えることである。そして、そうした政策体系を行うように他のヨーロッパ諸国に呼びかけることである。社会政策の遂行は、一国レベルで、労働者、女性、若い人々、移民、彼らの中でも最も不利な状況におかれている人々にとって好ましい具体的な措置となっていく。これらの措置は、所得、住宅、保健、教育、社会的経済基盤の構築、公共交通体系などを対象とする。この政府は、その政策体系を各国政府の頭越しに、ヨーロッパの人々に対して各国が追求する新しい政策としてのみならず、ヨーロッパ全体に適用されるものとして提起していく。この政府の経済的、政治的な政策体系は、ヨーロッパ全体を貫く社会的動員を促進し拡大する政治戦略と密接に結びついている。
 この綱領の鍵となるのは、失業をなくしたいという願望である。失業をなくすために、賃金を削減することなく労働時間を大幅に短縮し、再び経済成長をもたらすような経済全体の再編を行うことが必要である。これを実現するためには、この政府は、通貨をきちんと管理し、自らの社会政策の実現に役立てなければならない。このことは、共通通貨採用のための単一基準や安定化協定、一国あるいはヨーロッパ規模の中央銀行の独立性などを必ずしも尊重しないことを意味する。
 この政府は、ヨーロッパの他の諸国人民に以下の三つを提案する。
●これらの政策を他の国でも採用するように、そして社会的権利を保障するヨーロッパの建設を始めよう、と。
●投機的な資金の自由な移動を統制する。そのために最も有効なのは、投機的な資金移動に課税する点でアメリカ、日本と合意することである。だが、ヨーロッパ単独でもそうした課税を実行できる。EU自体が、相対的に自律した強力な経済圏だからである。
●単一通貨への統一基準を廃止し、まったく別の経済的、社会的基準による通貨安定ゾーンの創出を提案する。

 このもう一つ別のヨーロッパは、大陸規模のものであり、社会的必要を満たす方向で成長を実現するモデルと調和し、完全雇用を実現し、環境を保護し、国際的に協調していくヨーロッパである。

人々が決めるべき

 EUを危機に追いやり、社会的ヨーロッパへ前進していくことは、加盟間の関係を再定義することでもある。このためには、民主的は方法が必要であり、各国の人々の自決権を尊重し、EUの専制的な運営と決別する必要がある。ヨーロッパにおいて人々がどのように生活しようとするのか――これを決定するのは政府でなく、まさに人々の権利なのである。これは、単にどの程度の超国家性を人々が望むのか――連合か、連邦か、それとも国家間の調整なのかという選択の問題ではない。この政治権力がいかなる機構をもつべきなのか、という問題でもない。つまり、政府や選挙のタイプ、共通議会の設置場所、有するべき権力、どの種類の権力を一国の行政機関に残すのか、政治の透明性、管理機能をどうするのかなどの問題がある。
 また、社会が基本とすべき原則の同意が必要である。所有制度は私的所有か、社会的所有か、基本的な社会的権利はいかなるものか、男女間の関係はどうか、労働規定は、いかなる民主的自由か、中央国家機関のあり方は、労働現場における労使双方のそれぞれの権利は、ヨーロッパ以外の世界との関係は――こうした問題がある。
 社会経済分野と同じく、この分野において真実の左翼政府は、人々の最大限の支持を獲得し、ヨーロッパ全体での社会的動員を可能とする適切な戦術を行使し、行動する空間を可能な限り拡大する。既存の諸条約について再交渉するかどうか、ゆっくり進むかあるいは急いで進むか、EUの現状を批判するかどうか――これらはすべて純粋に戦術問題である。
 以上に関するやり方は、明確であると同時に本当に民主的でなければならない。ヨーロッパの人々の協同を規定する憲法のようなものを決定し、承認するのは、まさに人々のために、なのである。この政府は、各国で普通選挙によって選出されるヨーロッパ人民議会を提案することができる。この議会は、一つあるいは複数の憲法草案を議論し、その結果を各国の投票にかけることになろう。
 こうしたラジカルな民主的方法は、EUにおいて政治危機が深まる場合にも有効である――その政治危機が、労働者階級の攻勢がなくて、通貨同盟の危機のように、あるいは条約にある国が国民投票で反対した場合に生起した場合でも。
 支配階級は、EUに対するいかなる挑戦にもためらわずに反撃するだろう。とりわけ彼らの利益を脅かす真実の社会的ヨーロッパを形成しようとするすべて企図に対して。彼らの反撃は力の試し合いとなる可能性がある。経済や金融上のサボタージュ、政治のボイコット、外部からの威圧などが予想される反撃である。
 左翼政府は、自国のみならず国境外の支持をも受けて、こうした挑発行動と闘い、資本との闘いに前進していくだろう。
(インターナショナルビューポイント誌ヨーロッパ特集号、第四インターナショナルヨーロッパ書記局編集、290号)