1997年9月10日         労働者の力                第92号

「保保」・「自社さ」の対立を越えて

アジア民衆とともに新ガイドライン、有事法制化阻止の
闘いを
 
川端 康夫


 八月下旬の一週間、保守政界を揺るがした保保連合論と自社さブロック論の「抗争」に一定の決着がつけられた。一般には、自社さ派が保保論者陣営の挑戦を押し返したという見方であり、それによって自民党の現行三役体制の基本軸の継続が確実視されてもいる。本紙が届く時点では、そうした争いの決着がついているであろう。保保、反保保の両陣営にボナパる橋本続投体制の中で、この抗争は何を意味したのだろうか。中曽根と竹下という過去の大物がそれぞれに存在価値を示したのであるが、少なくとも保守陣営の内部抗争に社民党が巻き込まれ、政治的にからめ取られてしまう傾向を内包したことも事実である。
 
 保保連合騒動−−核心は東アジア政策
  
 中曽根らが抗争の「仕掛け」の好機と見たのは、加藤幹事長が安保の新ガイドラインの枠組みと性格について、党独自の対中、対米外交をすすめ、これに首相官邸(の梶山)が反発したということであった。しかし、加藤は新ガイドラインを定着させ、スムーズに運用するための地均しを試みたのであって、新ガイドラインに異議申し立てしたのでは決してなかった。
 加藤の中国政府への説明は、「日本周辺」には台湾海峡は含まれないというものであり、これはブロックを組む社民党はもちろん民主党の支持を得るものと踏んでの解釈であった。いいかえれば、南北朝鮮の軍事境界線を直接に対象として、日本周辺有事論が組み立てられていると説明したのである。
 これに対して、官房長官梶山を筆頭に保保連合派が攻勢に出た。すなわち日米安保は地域を特定しないところに日本周辺有事への「抑止力」となりうる、と。加藤発言は軽挙妄動だ、と。そしてその上に梶山は一歩踏み出す。「台湾海峡」も日本周辺有事の対象地域である、と。
 この発言の波紋は大きかった。九月初旬の橋本訪中を控えた時期に、政府の官房長官が台湾海峡への介入を公然と主張したことの無神経さは、大方の驚きを呼んだ。官房副長官の与謝野を先頭に保保連合派は懸命に梶山発言防衛に奔走した。いわく「安保条約が定める極東」に台湾海峡も当然はいるから、梶山発言は正しい」と。
 しかし、日中国交正常化は、一つの台湾を前提として実現され、国際法的には中国と台湾の問題は明確に「国内問題である」とされてきたのであり、梶山の発言は国内政治に介入・干渉するものである。これが日米安保の意味するところであれば、対中国への攻勢的な軍事同盟となる。この路線にのって橋本訪中がなされるとすれば、橋本は中国に喧嘩を売りに行くことになる。これは橋本にしては最大の迷惑にほかならない。
 これに新進党小沢が密接に絡んだ。小沢は八月二十五日、竹下との会談を設定し、自民党三役の前面入れ替えの条件が可能ならば、自民党との政治ブロックに踏み切る構えを竹下に伝えた(らしい)。中曽根らと連携し、いわば自民党新進党派のように小沢は行動したのだが、中曽根のうえに竹下の了承を得られるなら、小沢が保守政治のキーパーソンとして復帰できるとの読みがあってのことだったろう。しかしその会合は不調に終わった(ようである)。
 こうして、「大勲位」中曽根、そして竹下の「復活」がお膳立てされた。竹下とともに竹下派が政界の軸心の位置を固め、そして中曽根は相も変わらぬ保守の「大元帥」の位置を謳歌する。自民党右派と新進党小沢派の保保連合への性急な動きは、結果として竹下と竹下派の復権を導いたのかのようである。
 しかしここで忘れてならないことは、竹下がどう動こうとも、影の主役は中国であり、そして東アジア民衆であった事実である。保保連合騒動は、日本政治にとって日本と東アジアとの関係が今後さらに重大なものとなることを明らかにした。
 
 露呈した中曽根・小沢路線の性格
 
 九月に入っても、中曽根は「加藤更迭」を繰り返し、小沢新進党はその政策に「日本周辺には台湾海峡が入る」と明記した。走り出した車は止まらないとでもいおうか、小沢派は、台湾海峡を日本周辺有事の対象にするという一点で、保保連合を結実化させようとうごめいている。
 だが他方、風見鶏中曽根はもはや台湾海峡にはふれず、幹事長職独裁の危険性への言及に水路を変えた。そして梶山は、官房長官辞任と竹下派への復帰で、保保連合論の急先鋒の位置から逃げだした。
 保保連合ブロックはとん挫した格好だ。しかし波紋は大きい。というのも、この騒動は、政治の一つの核心問題が「東アジア」問題にあることをあらためて公然化させたからである。すなわち、九十年代の政治環境は、基本的には「一国主義的国際貢献論」とでもいうべき小沢的論調への対抗軸をもたずに経過してきた。この立場は、簡潔に日米関係だけを基準にしたものだ。アメリカにいかに気に入られるか、アメリカの要求にいかに応えるのかだけが基準だったといっていい。この立場を「一国主義的」というのは、日本国家の軍事的復活、強権化実現のための視野からアメリカとの関係(国際関係)を強調するのであり、東アジアやそのほかの地域、諸国との関係はなんら配慮していないからである。例として、海部から細川、羽田と続く時期の小沢路線は、ソ連崩壊、ロシアの苦境という事態に対して、唯一「北方領土返還」のためだけに行動したことをあげれば足りる。こうした「一国主義」は一連の従軍慰安婦問題に発する教科書問題キャンペーンに顕著だ。
 アメリカにしても日本保守政治内部からの「梶山的」独走には困惑せざるをえないであろう。朝鮮半島、台湾海峡のいずれにしても極度に微妙な政治・外交問題であり、とりわけ朝鮮半島をめぐっての四国協議の場を成功させたい現時点での日本政府部内からの露骨な、国際感覚をまったく欠いた発言を歓迎する気には決してならないであろう。
 そして同時に、韓国は果たして、韓国周辺地域での「日本軍隊」の恣意的な跳梁跋扈を容認する気になるであろうか。日韓併合を是とし、従軍慰安婦問題はなかったと居直り、南京大虐殺はでっち上げと主張するような日本保守勢力が、その復活した軍隊を日本周辺に派遣する−−こうした感覚で東アジアの将来像を、東アジア民衆とともに築いていけると考えられる人はいまい。
 要するに、これらの保守大連合論の人々は、東アジアについて真剣にはなにも考えていない、文字通りの「一国主義」に他ならないのである。そしてその内実として、次のように考えている勢力が強力に内在していることもまた、明らかとなったのだ。すなわち「普通の国家」=「富国強兵、国体擁護」そして「内務省復活」と。
  
 「保保」−「自社さ」抗争の罠
 
 過去の栄光を懐かしむ「さきがけ」の前大蔵大臣武村は、早速に九月二日、「日米中安保」を言いだした。保保派への対抗軸が中国、東アジア関係にあると見抜いた感覚はよい。だがもちろん、なぜ「日米中」なのか? どうにもならない「大国感覚」ではないか? 
 民主党は、台湾海峡問題を踏み台にして、野党路線に徹し「駐留なき安保」論の貫徹という方向を再確認した。在日米軍の段階的縮小を実現していくという。沖縄特措法での醜態の反省は少しはあるのだろうか。しかし、感覚のするどさの点では武村には明らかに負けている。
 さて社民党はどうか。社民党は台湾海峡問題を公の場に引き出したという「功績」はあるが、他方、朝鮮半島問題を暗黙の前提として呑んでいるとしか見えない。そして反保保の渦中に巻き込まれ、自らハードルを低く下げてきているようにも見える。台湾海峡問題にしても、中国政府がどういうかというところまで引き下がっている。自らが東アジアそして日本に対していかなる未来を見通すか、という点ではほとんど話にならない。感覚的にはもはや、自民党加藤派なのか?
 話を少し戻せば、政府筋が「日本周辺」を規定しない理由の一つには、北朝鮮を無用に刺激しないためというマスコミ情報が流されはじめてもいる。逆をいえば、日本周辺有事とは直接には南北朝鮮問題への軍事的介入を対象としたものだ。
 北が「南進」し、ついでに日本への攻撃をしかける、という荒唐無稽をあおり、それを防ぐためには、米日両軍が「北」を軍事制圧する必要があるというシナリオが騒がれたのはさほど古いことではない。細川内閣の時である。当時の社会党、いまの社民党がそうした(アメリカCIAの)「極秘情報」を突きつけられ、青ざめたと想像することは行き過ぎではあるまい。今でも日本政府筋、そして一連の内閣に参画した諸政党はそうした図式の影響下にあるのであろう。彼らはいずれも「朝鮮半島有事」への対応を暗黙の前提にしてきているようにみえる。
 だが、そのように騒ぎ立てること自体が、「北」に対する軍事的恫喝にほかならないことに気づいているのだろうか。国内的に疲弊し、体制的にぐらつきを隠せない「北」にとって、直接的な軍事的恫喝こそ、恐るべき最大のものではないのか。一方で軍事的制圧を準備し、他方で「秘密外交」的に知らぬ顔をする−−これを「日本周辺」あいまい化の理屈にするとは、まさに、恥知らずの二枚舌外交である。
 事態は、まさにある種の「ピンポン」的回路で、つまり保保と反保保のやりとりの中の間の「勝ち負け」や「妥協」を通じて、一貫して「右」の方へと誘導されてきたのだ。「左」の側は依るべき論理を見失い、ただひたすら「右」の要求を懸命に値切るだけに終始してきた。保保、反保保のやりとりの土俵に乗っている間は、決してこうした悪循環を断ち切ることはできない。
 東アジア民衆との協調関係の確立という「国際主義」的視野の上でのみ、アメリカの帝国主義的グローバリズムをひたすら利用するだけの保保連合派の偏狭な「一国主義」と対抗しうるのである。
 
 保保連合騒動を縫う「新自由主義経済論」の攻撃
 
 保保連合派の一時的挫折という現象は、他方では新進党内部のきしみを増大させた。この党の「主流」である小沢グループは自ら新進党に見切りをつけ、自民党右派と合流する路線に展望を見いだそうと決意したようにみえる。公明党グループについで、民社党・友愛会グループにも動揺が拡大している。電力総連は三日、組織内候補の新進党比例区へのエントリーの保留を表明した。小沢が公明党や民社党グループの庇護者であり続けるという見通しに確信を持てなくなったからだといっていい。
 小沢が政治の主軸に復帰する道は、いまや保保連合以外にはありえない。加藤らの自社さ派は小沢復帰の最大の障害であるがゆえに、そして日米基軸論が保守陣営の「不動」の統一見解であるがゆえに、小沢はさらにアメリカ帝国主義の(共和党的右派の)ロビーとして行動し、中曽根的な「新自由主義と国権主義」の「行動隊長として」として行動することにこだわらざるをえないであろう。
 他方、自民党の反小沢派は自民党の中枢権力を維持し続けなければならないという立場にある。その観点から反小沢ブロックの結束を持続させようとする。つまり反小沢ブロックは自民党内部の権力闘争に従属することを要求されてくる。結果は、限りない保守路線への追随である。
 では、その他の諸グループにはどのような道が残されているのか。
 太陽党や反小沢の新進党グループは、反保保大連合を形成することによって政治の主流への復帰を模索しはじめている。民主党の野党宣言も基本的には同じようなものだ。そしてこのような形で模索されはじめている反保保ブロックは、依然として旧態同然に、アメリカの要求を、東アジアの現実政治に依拠して値切るというだけの「ハト派」姿勢にとどまるであろう。「日米基軸論」を動かすことは不可能だからである。(その限界に野心家、武村が目をつけたのであろうが)。
 同時に、日本経済の行きづまりと財政悪化は日本経済に、ドラスティックな「新自由主義」的な処方箋を振りだす圧力となっている。大衆課税の拡大と労働分配率の引き下げを軸とし、他方に法人課税の軽減や持ち株会社の解禁などの野放図な資本活動への道を開く。中曽根と竹下は、この点では一致していると言っていい。安保政策では一定の距離はありながらも、社会・経済のレーガン、サッチャー的な運営についてはなんらの距離もない。
 こうして、保保と反保保の争いを通じて、さまざまな国権主義や復古主義、排外主義などのもろもろを引き連れて、足したり引いたり、掛けたり割ったりしながら、「戦後政治の清算」が進んでいく。
 「地方分権」が実は「国権」確立の方策であったり、行政改革の「核心」が防衛庁の「国防省」への「昇格」であったりする事態は、保保−反保保を通じてさらに拡大するであろう。労働省の解消は、労働行政の「反動」をさらに突きつめていく。現業部門の「民営化」や郵貯・簡保の民営化は民間大資本に国営事業を譲り渡す以外の何物でもない。
 官業が民間を圧迫する? 少なくともこの十年、民業の金融機関が、何か誇れることをしてきたことがあるのか? 
 「国土」にとって不可欠な、森林維持は、果たして経済効率の問題なのか? 林野会計が三兆円の累積赤字というが、他方何も役立たない自衛隊は、累積してどれだけの「国費」を使ってきたのか。
 橋本行政改革−−すなわち保守主流の行政改革が、読売新聞の渡辺の主張するように、文字通り大蔵省を温存しようとする事実をどう考えるのか? 財政と民衆統制の行政、そして軍事を明確に国家の統制のもとに置き、その他を民間資本に譲り渡す、という本質を明らかにしたことだ。国家統制が縮小・緩和される必要は民衆の要求である。だが現実に進んでいる「行革」というものは、まさにその正反対のしろものなのだ。
 
 アジア民衆との共生を目指す政治潮流を
 
 保保、反保保の争いが何か決定的と考えるとすれば、それはまさに根本的な誤りを犯すことである。日本「帝国主義」は、本当に東アジア民衆と敵対し、そして「勝ち抜く」ことができるのか? 不可能である。労働分配率を切り下げ、税負担率を高めることで、社会的安定を維持できるか? 不可能である。
 客観的な「彼らの不可能性」にこそ、民衆の闘いの歴史的根拠がある。日本保守政治は否応なく、東アジア世界、東アジア民衆との緊張関係をきしませる方向へと動くであろう。不安定雇用の増大、失業率の上昇そして賃金の抑制・切り下げの圧力ものもとに、日本の社会的・階級的緊張は不可避的に高まるであろう。
 少なくとも、企業連型大労組以外の中小労働者運動や公務員運動が、賃金と雇用の双方の側面で厳しい攻撃に直面していく。大企業内部もまた、企業内に労働力を蓄積しておくという方式を放棄することは明らかだ。年功賃金制の放棄、賃上げの放棄へと大労組は動き出した。労働組合運動の新たな分解は避けられない。そして政党関係の新たな分解・再編も避けられない。
 沖縄特措法問題との闘いは、こうした保保・反保保「抗争」の真実の姿を垣間見せた。民主党は特措法支持にまわったことによって、その「革新性」のでたらめさをさらけ出し、都議選での敗北に導かれた。特措法阻止の闘いがあってはじめて、反保保論理のインチキさが突き出されたのである。安保再定義、新ガイドラインそして、その結果としての有事法制化への動きへの対応が、もはや保保、反保保の論理ではどうにもならないことは、事実として明らかとなっているのだ。
 すでに政治環境は、「自共時代」への傾斜をみせている。政治改革から政治再編、二大政党論から保保、反保保の構造−−九十年代の一連の経過の真相が、少なからぬ人々に見抜かれつつあることを物語る。同時に、有力な反対派政党、政治傾向があれば同じく少なからぬ民衆的支持が寄せられることも、この間の一連の地方選挙がしめした。アジア民衆への「抑止力」としてアメリカ帝国主義とともに行動するのか、それともアジア民衆との協調、共生の道に日本の将来像を導き出そうとするのか−−分水嶺は明確だ。そしてまた、ごく少数の一部の繁栄謳歌と圧倒的大多数の呻吟とに引き裂かれているアメリカ社会の後追いをするのか、それとも雇用と賃金の安定、社会的不公正の是正を掲げる展望に忠実であろうとするのか−−この分水嶺も明らかだ。
 あらたな、「永田町政治」から独立した全国的な政治潮流を建設し、企業連型運動から独立した労働運動再構築の水路を切り開く課題は、まず第一にアジア民衆とともに進む、新ガイドライン、有事法制化阻止の闘いからはじまる。
  (九月四日)

第九回総会コミュニケ


 国際主義労働者全国協議会は去る八月**〜**日、第九回総会を**において開催した。
 主要議題は、ヨーロッパにおける労働運動とインターナショナル、日本情勢と当面の任務であり、前者は、ヨーロッパ訪問から帰国した坂本、高木両同士の報告、後者は川端が報告した。
 第一議題の「ヨーロッパ労働運動とインターナショナル」は、坂本がフランス、ベルギーを中心にして、大陸におけるユーロマーチ(反失業行進)とイギリス、リバプールの港湾労働運動を中心にした反サッチャリズム、反失業闘争について、訪問・インタビューにふまえての報告をおこなった。高木は、「レストレーション(復古)からレストレーション(回復)」と銘打った報告を行い、そこで八〇年代〜九〇年代の階級運動を要約し、ヨーロッパ労働運動の再攻勢局面とインターナショナルの位置についての分析した。
 両報告は、ともに、八〇年代中期以降の欧米における「新自由主義経済」理論に基づくレーガン、サッチャーの攻撃のまえに労働者階級が相当程度の後退・敗北を余儀なくされてきたこと、にもかかわらず九〇年代後半期は明らかにそうした一時期が終了しつつあり、労働運動の攻勢局面がはじまったと規定し、以下のように述べた。
 大陸における社会民主主義運動が「新自由主義理論」に押しまくられ、かつそこからくる労働者階級の戦闘的翼への抑圧を強めてきたこと、にもかかわらず戦闘的翼が自らの主体的な不屈の闘いによって情勢を切り開き、その力によって、どうしようもない社会民主主義政党を押し上げてきたとする。フランス社会党、あるいはイギリス労働党の反労働者的政策への傾斜にも関わらず、労働者階級はこれら政党を押し上げ、政権の座につけたのである。この現象が大陸にとどまらないことは、アメリカのチームスターズとUPS(ユナイテッド・パーセル・サービス)の闘いが勝利したことにも示される。ヨーロッパ世界におけるインターナショナルの位置はいまや新たな攻勢局面に入ったととらえられる。ソ連崩壊とレーガン・サッチャーイズムの攻撃の一時期は終わりつつあり、日本における同類項の「中曽根イズム」やその亜流との闘いもまた、新たな主体的闘いとして切り開かれなければならない。
 第二議題は、まず最初に、保保連合論と新自由主義理論が日本保守政治の政治的主調を築きつつあるという分析を行い、次いで、バブル崩壊後の経済的低迷が偶然的なものではないとし、ここに、資本サイドの攻勢の持続・拡大が、階級関係の緊張の底流を増幅させているとする。「自共時代」の傾向はさらに拡大し、旧社会党ブロックの系列はさらに混迷・解体局面を深める。同時に企業連型労組の集合体である連合と中小、公務員運動の落差は拡大していくと見通しする。そのうえで、東アジアにおける日本帝国主義が、政治的・経済的に保保連合的な外交路線を継続しえるかどうかについての限界を指摘し、東アジア関係こそが日本の将来を決する大きな枠組みとなると指摘する。したがって、政治的核心点は、保保、反保保の「争い」からいかに独立し、かつ三八度線を含んだ新たな東アジアとの政治的・経済的な協調関係を展望し、そして同時にそれに基軸をおいた新たな政治的潮流・政党形成を意識していくべきと結論づけた。

 第三議題として、機関誌についての報告と決議をおこなった。
 第四議題として、組織と財政についての報告、討論をおこなった。
機関紙『労働者の力』の新発行体制について

 九七年九月号(第九二号、今号)より、『労働者の力』の形態を変更し、B4ノビの判型での発行にします(従来ははA3判)。基本的理由は、編集体制の変更にともなうコスト上昇を従来体制では吸収できないためですが、同時に編集−印刷のタイムラグを縮小することもあります。少々小ぶりになりますが、今後ともおつきあいください。なお定価は変わりません。
反失業ヨーロッパ行進、アムステルダムに到着
      解説 ヨーロッパ規模の運動基盤を形成
                                    ジャン・デュポン
 六月十四日、アムステルダムに結集したヨーロッパ行進は、すべての予測を越えた規模となった。行進主催者側は三万五千人と発表したが、オランダ警察当局は五万人と分析した。ヨーロッパ連合(EU)の全参加国から結集がみられた。
 アムステルダムで展開された四時間の行進は、同じ都市で行われるヨーロッパ首脳会議に対抗するもので、この日に向けて九週間前から十八のコースでヨーロッパをくまなく巡る行進が組織され、反失業、不安定な雇用反対、周辺化反対を訴えてきた。
 第四インターナショナルは、ほとんどの国で行進の組織化に関して重要な役割を果たした。アムステルダムの五万人集約集会には、相当な規模のグリーンの隊列、かなりの数のアナーキスト、「自律派」潮流なども参加していた。第四インターナショナル以外のトロツキスト諸潮流や毛沢東主義潮流なども最終行進には動員していた。
 この行進は確かに成功だった。だが、ヨーロッパ連合の基礎そのものを揺るがしたかどうかについては、明らかに疑問が残る。主催者側は概ね最終的な行動の結果には満足しているが、社会民主主義諸組織内部の左翼がこの行進に関心を示さなかった事実を大いに残念に思っている。イタリアの共産党再建派、ドイツの社会民主党(PDS)、ギリシャの共産党が参加したが、共産党系からはこれだけである。それでも参加した共産党は、運動に大きく貢献した。
 運動の中心的な原動力は、フランスの反失業組織であるフランスAC!だった。これは、フランスとイタリアにおける労働組合運動内部の戦闘的なネットワークである。第四インターナショナルとその支持者が運動の成功に貢献した地域では、この数年間、彼らが地域の運動に大きな役割を果たしていたのであった。ヨーロッパ行進が示したもう一つの意味は、ヨーロッパ労働運動内部の左派が少数派ではあるが、かなりの規模で、かつ既成左翼である社会民主主義潮流とスターリニスト潮流とは完全に独立して組織されたということである。
 政治的、メディア的な衝撃もまた、運動の側からする一切の予測(と実際の力)を越えたものがあった。事実、ヨーロッパ行進への膨大な支持が、急進的な左翼から寄せられた。ほとんどの国で、改良主義左翼は行進に関心を示したが、精神的支援あるいは最小限の実践的な支持にとどまった。
 アムステルダム行進は、ヨーロッパサミットに対する今や伝統的な行事ともいえる対抗サミットと時期を同じくした。対抗サミットには二千五百人が参加し、ワークショップや会議を行い、雇用やエコロジー、反戦、第三世界の諸問題、フェミニズムなど広範囲の問題を検討し議論した。参加者の多くはオランダからだったが、組織委員会は、これまでの対抗サミットの経験をふまえ、ヨーロッパのみならず、非ヨーロッパ地域からも重要な報告者、提起者などを招待した。
 「下からのサミット」で最も重要な側面は、運動スタイルと見解の多様性(これらは、こうした運動では普通のことである)ではなく、共通の基盤が形成されたという事実にある。この事実は、社会的、政治的な運動がヨーロッパ化していく可能性を示している。

クリストフ・アギトン、ロベルト・クレミュー

 失業と不安定雇用、周辺化に反対する十八コースのヨーロッパ行進は、四月十四日に開始し、二カ月後、アムステルダムに集約された。その成功、あるいはこうした行動自体が前例のないもだ。ルクセンブルクからフィンランドまで、ヨーロッパ各地に多様性を容認しあう行進組織委員会が形成された。これらの委員会には、反失業組織が存在する地域ではその組織、主として組織左翼が指導する労働組合を支援する潮流なども結集した。
 行進が展開されている期間、ヨーロッパ各地で失業者と勤労大衆による千以上もの集会が行われた。こうした行進は多くの場合、反失業と外国人排斥に反対する運動との共同行動の契機となった。パリでは国立銀行が短時間ではあったが、占拠された。
 ヨーロッパ行進は、ヨーロッパ連合の外部に対しても大きな衝撃を与えた。スイスとノルウェーでも委員会が形成され、サラエボとボスニア・ヘルツェゴビナのツスラでも行進が行われた。ボスニアでの八つの行進のほか、アムステルダム集約集会には、トルコ、アルバニア、アラブ語圏北アフリカ、アメリカ大陸諸国からも参加があった。
 六月十四日のアムステルダム集会と行進は、これまでで最も重要な全ヨーロッパ規模の行動となった。今年初めにブリュッセルで組織された雇用確保の行進、これは在ベルギーのルノー工場をスペインに移すのに反対する行動で、七万人も参加し、規模としては今回の行進よりも大きかったが、参加者はベルギーからが大部分で、残りは隣国のフランスからであった。これとは対照的に、今回のアムステルダム行進には、フランス、ベルギー、ドイツにとどまらず、ギリシャ、スペイン、デンマーク、スウェーデン、イギリス、フィンランドからも参加者があった。
 この運動への参加者が前例がないほどに広範囲にわたっていたという事実は、ヨーロッパ連合に関する政府間の交渉に対して、その重要性を左翼がますます明確に認識しつつあることを示している。
 イタリア、イギリス、フランスで左翼が選挙に勝利を収め、ヨーロッパ連合において最大かつ最も豊かで人口も多いドイツで社会問題に対する関心が強まっている事実は、アムステルダムで行われる政府間会議がEUが設定している社会政策上の優先順位を再検討すべきことを表している。だが、これまでのヨーロッパサミットと同じく、ヨーロッパ各国政府の首脳は、共同市場の拡大については討議したものの、社会問題を後景に追いやった。
 ヨーロッパ各国政府は、一九九八年に新しい共通通貨が導入される時に、採用すべき具体的な政策にますます執着するようになっていく。彼らは、共通通貨ユーロを採用できる国はどこか、どの国が採用すべきかを検討し、あるいは採用基準を緩和するかどうか、つまりスペインとイタリアを共通通貨採用国にすべきかどうかなどを討議するだろう。
 ヨーロッパ共通通貨を巡る議論は、同大陸のマスメディアをにぎわせ続けるだろう。イタリアとスペインの両政府は、通貨同盟への参加が拒否されるなら、それを自らへの侮辱と考えるだろう。フランス社会党は最近の選挙で勝利したが、その基盤には、参加基準の緩和と南欧諸国の参加推進という訴えがあった。他方、ドイツでは外貨準備高として保有する金を再評価(従来より高く見積もる)して、国家財政の赤字をより少なく見せる方法を考えついたが、その方法を政府が発表した結果、コール政権の大蔵大臣と同国の強力な中央銀行であるブンデスバンクとの間で激しい衝突が生じた。

もう一つのヨーロッパ

 ヨーロッパにおける社会進歩を実現しようとすることは、ヨーロッパ通貨同盟(EMU)の参加基準を定めているマースリヒト条約を破棄することだけでなく、昨年末にアイルランドのダブリンで調印された安定化協定をも破棄することを意味している。後者の協定は、EMU後の経済統合基準を定め、これに参加する各国経済を数年間ネオリベラルのやり方で拘束する。
 ネオリベラル以外の路線が可能である。雇用を優先させ、一つの職を複数の労働者が担当するなどして一人当たりの週労働時間を削減する政策である。これによって失業者や不安定な職に就いている労働者が、適正な賃金で働く可能性が大きくなる。そしてヨーロッパにおける不安定雇用の増大という現在の傾向を逆転させることも可能となる。この点こそが、今後数カ月においてヨーロッパ規模で議論されるべきことである。
 ヨーロッパ行進組織委員会は、これらの問題に関して明確な立場をとった。すなわちマーストリヒト条約が定める統合基準は認められない、と。というのは、この基準こそが、EMUに第一陣に参加しない国をも含めて、EU全体で社会関連予算を大幅に削減する根拠となっているからだ。

共通の要求

 「もう一つのヨーロッパ」を追求する社会運動が初めて対抗路線を提出したのは、イタリアのフィレンツェで開かれた一九九六年六月の対抗サミットにおいてであった。そこに結集した各種の社会運動組織と労働組合が、現在の行進組織委員会となっていき、今年二月のブリュッセルで会合をもった。ヨーロッパ全体から五〇〇人以上の活動家が集まり、「拡大フィレンツェ要求」を検討し、各国の社会運動が同意する広範な要求で一致した。
 例えば、社会的な周辺化をなくすための緊急の措置や失業者に適正な生活水準を保証せよ、などについて広範囲な合意が形成された。ほとんどの国で、失業者が自分の家から立ち退かせられたり、ガス、水道、電気などが供給停止されるのを防ぐための運動を、ヨーロッパ行進支持者が展開した。こうした傾向は、基本的な権利や要求がすべての人が居住、教育、保健などを享受できるようにするための基礎だという認識を示している。
 また、すべての参加者が中心要求としなければならないと考えた主要要求、失業率の持続的な低下の必要に関しても全体的な一致をみた。そして大規模な雇用創出計画が、ことに健康や教育といった社会的な需要が大きいのに満たされていない分野で必要である。そしてヨーロッパ全体で週労働時間が削減されなければならない――しかも勤労者の所得を減らすことなく。
 ヨーロッパにおける政治文化や各国ごとの優先順位の相違にも関わらず、こうした課題に関して一致した。イギリスには、最低賃金や労働時間に関する法的な規制がない。イギリスの行進参加者は、確かに週労働時間の削減に賛成ではあるが、むしろ適正な所得保障と完全雇用の実現を強調していた。つまりサッチャー時代に奪われたものを取り返すことに重点を置いていた。他方、ドイツの失業者グループは、「押しつけ労働」に最大の関心を寄せていた。押しつけ労働とは、失業者は、当局が提供する職は、その条件の如何に関わらずに受け入れなければならず、そうでないと失業保険をもらえなくなるという新しい法律が規定するものである。旧西ドイツ地域では、大量の失業が生まれており、他国と比べて、ほとんどのドイツ人は職がない人をまともだと考えない傾向がある。
 イギリスとドイツのそれぞれ失業者運動の間には何を優先させるかに関して、基本的な対立は明らかに存在しない。それでも共通の要求を作成するには、一定の時間が必要である。
 ヨーロッパ行進における第二の主要な論点は、ヨーロッパ統合計画をどう評価するかであった。デンマークと最近のEU加盟国であるスウェーデンとフィンランドからの参加者は、統合計画を人々に希望を与える点で生涯になっていると評価した。そしてヨーロッパ行進のような運動は、労使間の団体交渉に関するヨーロッパ規模の規定のごときEU強化につながる要求を掲げるべきではないと強調した。


EUの改善か

 その他のヨーロッパ大陸諸国では、多くの行進者は、「もう一つのヨーロッパ」のための闘いは汎ヨーロッパ的な要求を通じる道をとるべきだと考えた。そうした要求とは、現存するEU諸構造、ことに社会分野の構造を拡張するものである。
 運動内部のこうした違いを早急に解決する方法はない。だが、今後の数カ月あるいは数年間に展開される大衆動員の形態が、戦略的な議論の行方に明瞭に影響を与えるだろう。もし大衆動員が基本的に国民的な枠組みにとどまるなら、これは政治的、社会的対決を知覚するレベルにある。だが汎ヨーロッパ的な要求に基づく闘いを発展させることができるなら、共通の要求を前面に掲げ、「真のヨーロッパ建設」の新しい戦略を構築することがより容易になろう。
 われわれが望ましいと考える方向にヨーロッパを発展させるために、汎ヨーロッパ的な社会運動が必要である。あるいは、いかなるタイプのものであれヨーロッパなるものを建設するためには、汎ヨーロッパ的な運動が不可欠なのである。商品、サービス、資本が自由に移動する自由市場を基礎にして、ブリュッセルのEUテクノクラートが指令して建設されるヨーロッパは、最初の衝撃でおそらく傷つくだろう。
 一九九五年十一月から十二月にかけてのフランス公共部門のストライキの第二波が起こったら、と考えてみるとよい。その場合、対決に関して決定するのは、フランス国家ではなく、ヨーロッパ委員会であり、ドイツのフランクフルトに新たにつくられる通貨当局である。そうした場合、フランスは、数年前にイギリスとイタリアが欧州通貨制度(EMS)から脱退したように、共通通貨システムから脱退するだろう。このことは、現在のヨーロッパ建設がいかにもろいものであるかを示している。


ヨーロッパのアイデンティティ

 ヨーロッパのアイデンティティは、共通の闘い、共通の抗議を通じてのみ形成される。この意味で一九九七年は、真にヨーロッパ規模の動員が実現された年として記憶されるだろう。一九九二年の連帯鉄道ストライキのような、これまでの汎ヨーロッパ的なイニシアティブは、数において少なく、産業、職業的に限定されたものだった。そして世論に対する影響力もごくわずかだった。
 これとは対照的に一九九七年前半には一連の事態が生じた。まずベルギーにあるルノー工場を賃金がより安いスペインに移すという決定に対する闘いが起こった。ルノー労働者の闘いは、ベルギーとフランスの世論に影響を与えたばかりでなく、その他の分野にも衝撃を及ぼした。ヨーロッパ労働組合連合(各国労組指導者による圧力グループ)は、五月二十八日にEU規模の抗議行動を組織した。そしてヨーロッパ行進は、アムステルダムに五万人を結集し、失業や不安定雇用、周辺化に抗議をした。
 ネオリベラリズムとヨーロッパ統合のテクノクラート的なやり方に対するこうした挑戦は、ヨーロッパ規模の社会問題を政治舞台の中心に押しやった。ヨーロッパ行進は、汎ヨーロッパ的な政治動員という信頼に足る考えを実行したのであった。
 ヨーロッパ行進ネットワークにとって今、優先すべきは、ヨーロッパを貫く動員を支援する水平的なネットワークを構築することである。ヨーロッパ労働組合連合やヨーロッパ失業者ネットワーク(ENU)と競争するのでなく、これらを強化する必要がある。例えばENUは、非常に異なったタイプの活動を展開している様々な失業者グループを抱え込んでいる。ヨーロッパ行進は、自らの行動を通じてこうした違いを尊重し、多様性から学びとる必要性、首尾一貫して多様性を保った運動を構築する必要性を学んだ。またアムステルダム行進は、イタリアなどのようにこれまで失業者グループの一国的な連合組織が存在しなかった国における、そうした組織の確立を促進もした。
(インターナショナルビューポイント誌7月、291号 Politique―La Revue7―9月号から了承を得て転載)

 

新書紹介 鬼頭秀一著(ちくま新書)
自然保護を問いなおす――環境倫理とネットワーク


はじめに

 大学入試で小論文試験を課すところが増えている。最も単純な問題は「何々について君の考えるところを述べよ」というものであるが、多くの場合、新聞記事や論文の一部を課題文として取り上げ、それに関連して問題を提出し、受験者の読解力や論理的な思考能力を判定しようとする。
 そうした課題文として今年の入試で複数の大学で取り上げられたのが、本書である。ちなみに昨年の入試では中公新書の「ゾウの時間ネズミの時間」が他を圧倒して多かった。課題文として取り上げられるのは、その思考方法が一般的で無難であるか、あるいは相当に独自の考え方、類例のない問題の取り上げ方(もちろん論理的に一貫していることが不可欠の条件であるが)をしているかのどちらかである。
 本書は後者に属する。本書の一部を入試課題文で知った(残念ながら書名や出版社の記述がなかった)ので、読んでみたいと思っていたのだが、ひょんなことからちくま新書だとわかり一読に及んだ次第である。
 著者の鬼頭秀一(敬称略)は、裏表紙にある紹介によると「一九五一年名古屋生まれ。東京大学大学院理学系研究科(科学史・科学基礎論)博士課程単位取得。現在、青森公立大学教授。科学技術社会学を軸に、学際的な研究成果を視野に入れた新しい環境学を構想している」人物である。
 先だってNHK教育テレビで二夜わたって放映された、白神山地の保護問題と諫早湾干拓問題を例にした番組で、環境保護と人々の生活(生業)との関係を中心に解説者兼進行役のような役割で登場した。ご覧になった方も多いかもしれない。その姿勢や態度は、決して学究的でなく、自然や生業をもった人々と「つながって」(著者あとがき)いこうとするものであった。

本書の構成

 本書は、環境倫理思想の系譜、生業論と社会的リンク論を中心とする新しい環境倫理をもとめて、白神山地の保護問題をめぐって――の三部からなっている。これから分かるように本書は、環境問題に関する一種の哲学的な考察とその現実的な適用となっている。
 私たちが環境問題を考えるとき、自然や人間、あるいは人間の生活といった概念が自明なものと前提されているようである。自然や人間といった分かり切ったことを、何を今更という感じがしないわけでもない。環境問題といったとき、私たちの脳裏にまず浮かぶのは、環境破壊の実際やその原因、対策といった事柄である。本書は、そうした人々の常識にのっけから挑戦する。大学入試に引用された箇所でもあるが、それをみよう。
 「環境問題はいまやどこへ行っても大はやりである。……その中でも、この「共生」という言葉は時代のキーワードにさえなっているようで、あらゆるところに氾濫している。
 ……この言葉も、少しつきつめて考えてみるととたんに分からなくなる。「共生」という言葉はそもそも生物学の用語である。生物学では……一般的には、二種間で両方または一方が利益を受けて、どちらも害を受けないような関係である相利共生や片利共生だけを意味することも多い。つまり、独立の存在としての二つの生物の間の相互関係として規定されている。しかし、「自然との共生」は、その用語の本義にはそぐわない使い方がされ…」
 共生のみならず自然という言葉も、その意味するところに関して実は人によって大きな違いがある。小さな一例を挙げると、テレビ番組で水田に囲まれた場所にいたあるアナウンサーが「こんなに豊かに自然に恵まれたこの場所は……」と語った。水田は、いうまでもなく大昔から人々が苦労に苦労を重ねて築き上げてきたもので、まさに人工物の典型である。稲も同様に工業製品に近いと言っても差し支えないほどに人工的な作物である。そうした点を無視して植物があると、それを単純に「自然」と呼ぶ風潮があるようだ。これは確かに、極端な例かもしれないが、考えさせられることだ。
 こうした入り口から環境保護に関する様々な論点、主張を検討し、結局、環境倫理を第一章で歴史的に分析していく。

社会的リンク論

 本書の中心をなすのは、第二章「環境倫理をもとめて」であり、ここで筆者のキー概念である「生業」と「生活」の視点からの環境問題、環境問題の社会的リンク論が展開されている。その内容を具体的に紹介する余裕はないが、いずれにしても自然と人間、そして両者の関係を全体的に、かつ現実に展開されている「生業」や「生活」の多様性を踏まえて論を進める必要を強調している点が注目される。
 これは序章の記述であるが、「文明史を中心に人類と環境との関係を総括しようとする場合……種としての人間は自然の一部でありながら反自然的な要素を持つ存在であるということである」とする湯浅赳男に対して、「このような議論は確かに一面真実である。しかし、逆にこの問題を資源経済学的な観点からのみ論じるのはことの半面しか捉えていないのではなかろうか……。文化の多様性に十分に思いを馳せないような文明論は人間と自然とのかかわりあいの中にある営みを単純化してしまう」と批判している点に、筆者の姿勢が明確に表れている。
 この視点から人間とその生活を全体的に捉えようとする場合の中心概念が社会的リンク論である。筆者による図を掲げておいたので参照されたい。
 著者は「あとがき」の中で次のように述べている。
 「書き終わって新しい地平に立ってみると、再び科学技術の問題に立ち戻ったようである。環境問題の一つの大きな原因は、近代の科学技術が、本書で論じてきた二種類のリンクの不可分性を切断し、リンクのネットワークの全体を崩すような役割をしてきたことにあるのではないかと推測されるが、もしそうであるならば、伝統技術と近代科学技術を、社会的・経済的リンクや文化的・宗教的リンクの関係性という視点から捉えて比較することは重要な作業である。また、今後の科学技術のあり方を展望しようとしたとき、社会的・経済的リンクと宗教的・文化的リンクの不可分性を保持したような形で、持続可能な形で地域社会に受け入れられる、科学技術のあり方を模索することが必要となろう」
 いわゆる初期マルクスは自然と人間との関係のあり方を模索したが、しかし、その内容は十分に継承されずに、スターリニズムによってむしろ逆の方向に曲げられてしまった。本書は、初期マルクスの思考を再考していくうえで重要な契機の一つになるのではないかと思われる。一読をお薦めしたい。
 (八月三十一日 高山徹)