1997年11月10日        労働者の力               第94号

日本版サッチャリズムとの闘い
11・27労働基準法改悪反対全国集会の成功へ


橋本内閣による新自由主義路線の強行

 第一次橋本内閣の労働大臣に元郵政労務屋が就任したことは、この内閣の骨格が心底から新自由主義(ネオリベラリズム)路線にあることを象徴した。この大臣のもと、まず最初に表れたのが労働行政の百八十度の転換であり、「労働者の保護」から「労働者の統制」へという労働行政の位置づけの転換が強行されたのである。労働省はこうしたラインに沿った労働法改悪を規制緩和・行政改革の大合唱に乗って一挙に実現すべく、まずは労働基準法の「抜本的」な改悪から突破しようとしてきた。
 十一月二十八日に中央労働基準審議会による改悪案の「最終取りまとめ」が出される。これを踏み台にして、来年の通常国会に労基法「改正」法案を上程する構えである。
 改悪案は見なし労働全面化への道を開き、労働者派遣事業の、これまた原則自由化が目論まれている。
 一言でいえば、「企業は人員削減を進める一方で、人材派遣、パートなどの非正規雇用の活用に力を注ぎ、人材派遣業や民間の職業紹介業の対象業務を大幅に拡大するという規制緩和も急ピッチで進められている」「労働者の権利確保、処遇の向上やトラブルの救済策など、非正規の雇用者を保護する新たなルールを作っていかなければ、単に企業にとって使い勝手のいい労働力を増やすことになりかねない」(朝日新聞11・5朝刊)

朝日の論調から

 同記事をさらに引用すると次のように続く。
 「総務庁の今年の労働力特別調査によると、雇用者に占める正社員の比率は七六・八%で、昨年より一・七ポイント低下し、一九八五年調査開始以来最低になった。この一年間に百二十万人の雇用者が増えたが、パート、アルバイト、派遣などの非正規雇用がその九割を占めているためだ」
 「労働省は、政府の規制緩和の推進計画や欧米先進国の制度を踏まえ、(派遣業の対象)業務の原則自由化を推し進める構えだ。欧米先進国では、対象業務はすでに自由化されているか、もしくはもともと制限がない。だが、日本より手厚い労働者の保護策(セーフティーネット)が整い、派遣期間も短い。あくまでも臨時的雇用の色彩が強いのだ」
 「ドイツの派遣期間は最長一年、フランスは一年半、期間の制限のない国でも平均派遣期間は、アメリカが二週間、イギリスが九週間程度(労働省調べ)だ。しかもドイツ、フランスは制限期間を過ぎると、派遣先企業と雇用関係が生じたと見なされる」
 「一方日本の派遣期間は一年だが、二回の延長が認められており、事実上、同一企業に三年程度派遣できる。さらに職種別の同一賃金が原則で、派遣と正社員の賃金差が少ない欧米に比べて、格差の大きい日本との違いも無視できない」
 「対象業務が自由化され、期間の制限が小さく、賃金が安いとなれば、企業には、まことに使い勝手のいい労働力になる正社員の代替としての雇用が一挙に広がるが、それを労働者からみれば、雇用の不安定さが増すことを意味する」
 「日本の派遣制度も、欧米のように対象業務を自由化していくのも一つの選択ではあろう。しかし、現行制度でさえ、許可されていない業務の派遣が増え、企業側の契約違反が絶えない指摘が多い現状では、まず実態を調査した上で、国際的に見劣りのしない労働者保護を確立してからでも遅くはない」
(以上は、中川隆生編集委員による主張)
 中川氏はドイツ、フランスの大陸諸国とアメリカ、イギリスのいわゆるサッチャー、レーガン路線とを、ぼかしてはいるが区別的に述べている。そのうえで、日本の派遣労働の実態はアメリカ、イギリス以下だと指摘している。氏が、対象業務の自由化も一つの行き方とも述べている点を除けば、まことによく書かれた文章である。
 中川氏の雇用状況に関する把握は、主張につけられた中見出しに集約されているようだ。
◆新規採用は中止
◆減らぬ契約違反
◆大きい賃金格差
 まさに、進行している事態は以上のようなものだ。派遣労働を少しでも味わった労働者であれば、企業内部における賃金格差や差別、不安定雇用からの圧迫感などは心底からの実感であろう。
 そして、こうした労基法改悪は労働三法全体の改悪シナリオの第一弾として押さえられる。サッチャーが、イギリス労働組合を徹底的に法改悪でもって押さえ込んだ「教訓」を、日本の政府・財界は踏襲しようとする。そして、そこに保・保派の巨頭、中曽根が介在するわけである。
 中川氏は同時に、正規社員にとっても「対岸の火事」ではないことも指摘している。ごく一部の「コア社員」以外は不正規労働化されかねないのが流れとなっている以上、正社員はいつまでも正社員でいられるのだろうか、と問いかけているわけだ。
 ようやくにして、連合が「労基法改悪反対」の行動を開始した。「企業は人件費削減の姿勢を崩そうとせず、「非正社員化」の動きは強まるばかりだ」(同上)の圧力が、企業よりの連合にとっても脅威と感じられるほどのものとなった。

改悪反対で新たな共闘の芽

 労働省前で十一月前半に連合が、後半に全労連がそれぞれ座り込み闘争を展開する。分担の取引でもあったかのような構図だが、連合は「全労連との共闘はない」と公言してもいる。ぎりぎりの局面に来ているにもかかわらず、互いのセクショナリズムの敷居はいまだ越えがたいようだ。
 だが、そのようなしがらみとは無縁な全労協や中立単組、各種ユニオンの具体的な活動が壁を突き破りもし始めている。11・27集会実行委員会には、全労連傘下の全労働(これは労働省の組合で、労働行政転換の圧力に直接にさらされている)が正式に参加することになったし、実行委員会は連合サイドへも参加を呼びかけている。実行委員会は労基審答申前日の二十七日、日比谷野音を埋める意気込みで準備に大わらわで、労働省へのデモも企画している。
 実行委員会を呼びかけた団体の名前をみれば、この動きが画期的であることが理解できるだろう。まさに「非正規労働」の分野で、懸命に食い込み組織化しようとする闘いがいまや前面に出始めてきたのである。
 11・27集会の成功は、後退してきた労働運動からの脱却を図ろうとする大きな契機となりうる。正規社員も非正規社員も共同で闘える場を築いていくことは、企業連型労組構造の巨大化を追求してきた連合型をも、また男子本工型労働に強く依存してきた旧来型労組運動をも越えていく新しい可能性をつかみ取っていく契機ともなるはずだ。
 全国から集会の成功を勝ち取っていこう。(K)

 
■★11・27実行委員会呼びかけ団体☆
*変えよう均等法ネットワーク
*女性のワーキングライフを考えるパート労働研究会
*派遣労働ネットワーク
*有期雇用労働者権利ネットワーク
*春闘再生「行政改革・規制緩和・労働法制改悪」に反対する全国実行委員会
■★連絡先☆
全国一般南部(有期雇用ネット事務局)
пZ三―三四三四―〇六六九
東京ユニオン(派遣ネット事務局)
пZ三―三七七〇―三四七一
オリジン電気(全国実行委事務局)
■★協賛 日本労働弁護団☆
■★11月27日 午後6時〜☆
日比谷野音
 デモ 午後7時30分出発
 (国会請願→労働省包囲)

撃演習迫る王城寺原

 全国各地で新ガイドライン反対、有事法制化反対運動が展開
 九月下旬に、新ガイドラインの日米合意がなされて以降、米軍は積極的に日本の港湾、空港、基地などの施設使用に向けた準備活動を開始してきた。小樽や東京港などへ米艦船を入港させ、さらには日米両軍隊の共同演習を拡大するなど急ピッチである。また米海兵隊実弾演習地の本土移設も強行されている。当該自治体や住民の困惑、抵抗を無視して押し進められているこうした動きに対して、各地で反対や抗議の活動が広がっている。関西では滋賀県のあいば野、新潟では関山で日米共同演習が強行された。これはまったく新しい動きである。
 一昨年の「沖縄発全国キャラバン」に続いて今年も十一月一日から一カ月、「新ガイドラインに異議あり! 全国縦断キャラバン」が取り組まれている。沖縄・名護市の闘いをはじめとして、あいば野、関山での抗議行動や実弾演習移設地の日出生台、王城寺原、矢臼別、北・東富士の各演習場での闘いも連携した全国運動であり、十一月三十日、東京で集約集会が予定されている。
 また沖縄特措法問題では動かなかった社民党、旧総評系労組が組織する平和センターも新ガイドライン反対の行動に取り組み始め、部分的には関西のように民主党も動き出している例も見られる。
 全労協は新社会党や市民運動と連携した集会を十一月二十一日に東京日比谷野音で開催する。この実行委員会には共産党沖縄選出の古堅衆議院議員も顔を出しており、沖縄特措法闘争の流れも引き継がれている。
 しかし、ようやく動き出したとはいえ平和センター系の運動は、全労協や市民派の闘いと一線を画した対抗運動のような性格を見せており、東京では11・21日比谷集会の前日の二十日に平和センターが集会をぶつけ、関西ではあいば野で、これもまた以前から準備されてきている市民派の関西実行委員会行動とは別個の独自集会に固執するなど、相当に度し難い要素も目立つ。
 社民党市民運動部や各県の平和センターが、連合や民主党などに引きずられるのではなく、広範な民衆とともに共同の運動枠組みを作るために努力することが今後の大きな課題の一つであろう。運動は全国的に見て、社民党や新社会党、あるいは市民派や共産党などといった分断を越えてはいない。
 そうしたなか、宮城の王城寺原演習場をめぐる運動は、一部に不協和音があるものの、以前の用語でいう社共共闘スタイルの成立にこぎつけた。地元三町村(色麻町、大郷町、大衡村)の住民の会の精力的な活動が超党派による11・16集会(資料参照)の牽引力となった。社民党・平和センター系、共産党系、市民派・全労協系が対等の位置で参加する共同の集会である。全国的にも画期的な集会の構造であり、今後の展開が注目される。
 王城寺原での実弾演習は十一月十日からの十日間と予定されている。この間に、以下資料の諸行動が準備されている。

宮城県知事 ゼネコンと勝手連と王城寺原米軍演習 現職が圧勝
    演出された「無党派対党派」と地方版「保・保」の敗北


浅野降ろしへの反発

 【宮城】十月二十六日投票の宮城県知事選は、現職・浅野の圧勝に終わった。その経過をスケッチしてみた。
 投票率はゼネコン汚職の前回選挙から一七ポイント(39%から56%へ)上昇した。各候補の得票は、浅野六二万(民主、社民が自主的に支持)、市川三一万(自民・新進推薦)、高橋五・五万(共産推薦)。数字の上では前回より増加した投票者の数(33万)が浅野の得票増加分に相当する。
 浅野陣営は「無党派対党派」を選挙の争点として持ち出し、「福祉・情報公開の浅野」を売り込み、勝手連や百円カンパなどの独特のパフォーマンスを繰り広げ、マスコミの宣伝効果を全面的に引き出した。自民・新進推薦の市川はダブルスコアで完敗した。先の衆院比例代表での両党の獲得票五九万の半分にすぎない。自民・新進の関係は最後までちぐはぐであり、ゼネコンなど業界への強烈な締め付けも功を奏さず、党派対無党派の構図に引き回された。
 投票日のはるか以前、不在者投票が前回に比して倍増していると報じられた時点で、人々は浅野勝利の流れをつかんでいた。マスコミ各紙はその後の調査で一様に「無党派層の急増」を報じた。告示後、小沢は一度も県内に入らず、自民党県連は新聞広告まで出した橋本総裁の来仙をキャンセルされるという醜態をさらし、勝ち馬に乗ろうとする保守系地方議員の寝返りをくい止めることもできなかった。
 結局、自民と新進は、市川の出馬声明が小沢と三塚に囲まれ東京で行われたことに対する県民の疑念と嫌悪の感情を克服することができなかった。浅野はまさにその点をつき、「県民の誇りをとりもどせ」と訴えた。

不透明な知事選への過程

 もちろん不透明感が残るし、疑問も多い。オール与党構造で各党が浅野を支持した場合は、結果はどうだったろうか。また新進が反自民で推した場合は。
 浅野が時の流れに敏感であったことは確かだが、無党派対党派は、開き直りの選挙戦術にすぎないのでないか。勝手連も少なからず特定の政治勢力のダミーなのではないか。浅野陣営は、人々の政治不信を政党不信にすりかえたのではないか――そうしたことは多くの人々が感じていたはずだ。
 加えて二つ問題がある。一つはいうまでもなく米海兵隊の王城寺原演習問題である。浅野県知事が、当該道県のうちで真っ先に王城寺原での海兵隊演習受け入れの決断をした県の責任者であることは明らかだ。人々は、彼の説く地方自治がその程度のものであることを思い知らされ、あるいは理解した。同時に、それが彼の再選シナリオであることも。あるいは、浅野を使い捨てるという「もう一つのシナリオ」が進行していたことの圧力の中での「決断」だったのかもしれない、と。浅野の政治は、一切が密室の中、すなわち「情報公開の浅野」とは対極の旧来的政治の世界で遂行されたのであった。
 もう一つは別の視点であるが、出口の見えない経済停滞感へのいらだちが及ぼした影響である。公共投資型景気テコ入れを相も変わらず夢想し、そこに展望を託す土建屋型の保守政治の視点からすれば、浅野県政はやはり(前回選挙で自民党の県政治をパニックに陥れたゼネコン汚職問題の)迂回であり、緊急避難にすぎないのではないか。中央の政治力を押し出す「本格保守県政」が必要だとする立場が背景にあったのではなかろうか。この点で、建設官僚OBの市川が格好の人材としてかつぎだされたし、また負けようのない選挙だったはずだ。
 にもかかわらず、浅野降ろしの強引さ、小沢的手法、市川陣営の旧弊ぶりに対する反発が浅野を押し上げた。愛知和男(前新進党県連会長)の自民党復帰、隣県岩手の小沢が新進党宮城県連会長に就任、小沢と三塚による地方版保・保の手打ちと市川候補の参議院議員からの転身、これ見よがしのゼネコン型業界選挙――これら一連の経過に対する人々の拒否感が浅野の雪崩的な圧勝を生み出した。
 投票率上昇といっても五六%にすぎない。政治不信が解消されたとはとうていいえない。しかし、多くの有権者が、自分の投票によって浅野の勝利をともにかちとるという明確な目的意識のうえで投票所に向かった。その投票行為は、最低の投票率に終わった三カ月前の仙台市長選(オール与党16万対共産党推薦候補7万、投票率最低の32%)と明らかに異なっていた。

あおりを食った共産党

 その影響をまともに受けたのが共産党であった。共産党は仙台市長選での成果をテコに知事選に臨んだ。浅野の政策隠し(王城寺原)を批判し、彼の得意分野を暴き(福祉指標は全国最低、情報公開も内実は問題)、また政策宣伝カーは「無党派との連携による共産党の全国的なうねり」をこれまでになく精力的に訴えた。しかし結果は惨敗であり、打撃は深刻であろうと思われる(多くの共産党活動家はこの結果を予測していなかったふしがある)。得票は前回知事選の六〇%に激減し、仙台市長選の七万票にも届かなかっ――支持母体の会員が前回より五千名も増加したといわれているにもかかわらず。
 同日に行われた神戸、川崎の選挙とは際だった違いである。地方的に特異な例なのか。あるいはもっと根本的、構造的な問題をはらんでいるのか。有力な選択が他にある場合、共産党が政治不信、無党派層の受け皿にならないとするなら、共産党の「無党派層との連携による政権獲得」路線に与える影響は大きいはずだ。
 付け加えて共産党が新路線を採用するにしても、候補者や活動家に体現されるその組織はいまだ旧来的ではないのか。自民・新進の市川は度し難く旧来的であった。だが共産党候補に対する評価もおおむね、「誠実かもしれないが、新しさは感じない」というものであった。日本共産党の矛盾といってしまえばそれまでだが、公平に考えて共産党のニューウエーブが切実に問われた、ということもいえるのではないか。

市民派の分解

 「市民運動派」はどうだったか。仙台市長選では、市民運動活動家たちがオール与党に反対する立場から共産党候補と政策協定を結び、推薦する動きがあった。共産党候補の善戦にはこのような動きが関与していた。「市民派」が共産党を公然と推すことは仙台市政に関する過去のいきさつからして異例のことではあるが、この間の全国的な動向と連動するものであり、現市長を自民、新進と相乗りして推した民主、社民両党への批判がこめられていたことは明らかだ。しかし知事選では「市民派」は分解し、市長選のような位置を占めることはできなかった。
 浅野に向かう圧倒的な流れの中にあって、しかし反保・保の大義名分によっても王城寺原問題を不問に付すことはできないと考える人々は独自の道を選択した。反保・保を優先すべきであると考えた人々の多くも、浅野勝手連の外にいた(民主党につながる人々は、議席復活の千載一遇のチャンスとして浅野知事選を闘った)。
 参院補選において、「市民運動派」はいっそう多様な政治選択に直面することになろう。

王城寺原の砲音のもとで

 参院補選は王城寺原演習の砲撃音の中で闘われる。自民党は不戦敗を余儀なくされ、新進党も土壇場の立候補となった。共産、社民、民主は知事選とタイアップして補選を準備してきた。知名度では前社会党の衆議院議員であった民主党候補(太陽党推薦)が圧倒的であり、しかも民主党は菅直人らを仙台に送り込み、浅野勝手連との連動を強くアピールしてきた。人々はこの党のうさんくささにどのような評価を下すだろうか。
 党再建を宮城からと訴え、自分は根っからの社会民主主義者であるとアピールする社民党候補がどれほどの票を獲得するかも、この党の路線問題とからめて注目されよう。そして共産党は。
 それにしても県知事選は「無党派選挙」であり、参院補選では徹底した党派選挙(党勢拡大のための選挙)という在り方は、政党と人々の双方で、どのような整合性をもつのだろうか。
 選挙疲れの気配が漂っている。初めての連座制適用による衆院選補選は十二月だ。いずれにせよ、知事選の熱気がそのまま参院補選に引き継がれるとは思えない。
 また浅野にも、現実政治が待ち構えている。議会内少数派を貫くのか、自民・新進との協力を模索するのか。そのとき「勝手連」は浅野に何を期待し、要求するのか。
 (J 十一月二日)

【資料】「市民の政治・仙台」会報/号外(一九九七・一〇)から
砲王城寺原演習は県知事選の終了後に――これが責任逃れのシナリオだとささやかれてきました。ところがその後、参議院補欠選挙が十一月に行われることになりました。
 政治的な打算がすべてに優先し、地元の苦しみなどそっちのけ、というわけです。地元住民の気持ちを重ねてふみにじる暴挙ではありませんか。こんな政治は認められません。
 演習に反対する沖縄。受け入れに反対する王城寺原。二つの地元の声は正当です。基地撤去こそ解決の道です。私たちは、沖縄、王城寺原と連帯し、移転強行に反対します。
 
 『基地のない平和な島』=これが沖縄の願いです。演習の本土移転は「痛みの分かちあい」ではなく、基地・軍事演習の「たらい回し」です。
 
◎★米海兵隊の演習反対! 新ガイドライン=有事立法反対!
沖縄と王城寺原を結ぶ11・13集会☆
■第1部 講演
 上原成信さん(沖縄一坪反戦地主会関東ブロック代表)
 内田雅敏さん(弁護士)
■第2部 王城寺原からの訴え
 コーディネーター 山田幹夫(沖縄百万人署名宮城県実行委員会代表)       ◆時・所 十一月十三日 午後六時半 イズミティ21
◆主催 新ガイドラインに異議あり!  全国縦断キャラバン・仙台集会実行委員会
 
◎★米海兵隊の実弾演習反対! 王城寺原団結祭り☆
 十一月十六日(日曜日 午前十一時)
◆色麻町・除ゲート周辺民有地
◆主催 米軍実弾演習移転反対連絡会
◆地元各地区住民からの発言、メッセージなどのほか、芋煮や産直販売などの企画も予定されています。

◎★すべての武器を楽器に
王城寺原コンサート☆
 出演 喜納昌吉とチャンプルーズ
◆十一月二十日(木曜日 午後七時)
◆色麻町・町民体育館
◆主催 コンサート実行委員会

アメリカ UPSスト
              現場からの報告
                                    マーサ・グルーエル
 私たちは、UPSストが解決されたと発表されたが、解決内容の詳細が報道されていない時点で記者会見に行った。記者会見での報告とこのストライキについてよく知っている人々の話によると、チームスター労組が一万人の新規常雇用とかなりの賃上げを獲得したのは明らかである――もちろん常雇用とパートタイマーとの時間給には未だに相当な差が残ってはいるが。組合はまた、運輸業界の年金基金に対する管理権を維持した。組合側の大きな譲歩というのは、通常の三年間労働協約ではなく五年間の協約を締結したことである。この勝利の重要性は、わずか一〇年前の一九八七年に当時のチームスター労組指導部(反改革派のオールド・ガード)が組合員の五二%が拒否したにもかかわらず、極めて不利な協約をUPS労組に押しつけた事実を想起すれば明白である。今回の勝利は、労組というものの力のみならず、組合民主主義の力をも示した。

最近で最大のスト

 ユナイテッド・パーセル・サービス(UPS)におけるチームスター労組のストライキは、この二五年間のアメリカで最大のストである。この事実は、ジョン・スウィーニィがAFL・CIO(アメリカ労働総同盟産別会議)会長に就任した時に約束した「新しい戦闘性」のの賜物であろうか。そうではない。UPSチームスターのストは、この二〇年間におよぶ運動の成果である。運動の先頭に立ったのが、民主的組合をめざすチームスター労組員集団(TDU)であり、彼らは、腐敗したホッファ指導部を追放し、組合を民主化し、「適正な労働協約と活発な労組」のために闘ってきた。TDUは、一九七六年に結成され、「組合の改革、適正な協約、活発な組合」のために闘ってきた。そのメンバーの多くは現在、組合執行部に籍を置いているが、チームスター指導部とその組合員の戦闘化と、従来からの労組中間指導部に多数残っている反改革派オールドガードとの「サンドイッチ状態」になっている。
 現在のAFL・CIO指導部は、従来よりも幾分積極的である。しかし、その路線には、UPSが行ったようなストは含まれていない。ジョン・スウィーニィは、チームスター労組がパートタイマー問題をめぐってUPSのごとき巨人と正面衝突するよりも、UPSの主要な商売敵であるフェデラル・エクスプレスのような会社での労組組織化にその力を注いでほしかったと思われる。しかしチームスター指導部は、AFL・CIO指導部とは相当に異なった方針をとっている。もちろん彼らは、フェデラル・エクスプレスでも組織化を行っているが。
 UPSのストライキは、アメリカにおける最低生活を保障できる賃金がどうなるかが争われていたが、同時に一つのテストでもあった。すなわち経営側がどうすれば従業員の忠誠を確立できるのか、民主化された労組、そしてTDUがUPSの企業文化と倫理にどうすればうまく対抗できるかがかかったテストであった。
 同社のきびきびした制服姿のイメージと「最高にきめ細やかなサービス」というスローガンは、世間のみならず労働者の見方にも影響を与えていた。茶色の制服シャツは、一種の社会的な地位(そして、ある者はセックスアピールと言うが)を示し、効率性を喚起させた。UPSは、現場責任者を動機づけるために一貫して内部昇進の方針を採用してきた――現在の最高経営責任者(CEO)は、かつては運転手だった。
 自己犠牲に対する報酬という文化的(カルトと言う人もいる)雰囲気の裏側には、労働ペースに対する絶えざる監視があった。このため労働者の多くは、休憩時間にも働いていた。他方、何十年にもわたる会社側とチームスター・インターナショナル指導者たちとの友好的な関係は、政治的な訓練がない労働者をして経営側が運転手に適切な支払いをしているものと思わせていた。
 労組は一九九〇年代初めまで内部の組織化を行わなかった。が、職場は次第にたくさんのパート労働者を含むようになってきた。パート労働者――若い人、より搾取されている人、明白な理由がある人などは、組合への信頼を失っていった。スト開始時点では、パート労働者が六〇%を占めていた。

会社の危険な賭け

 UPSはアメリカで最も利口な企業の一つである。それなのに、なぜストを挑発したのだろうか。会社は、自分の側に従業員を心の底から掌握していることに賭けたと思われる。つまりストが始まって数週間たてば、必ず相当数のスト破りが生まれると読んだのだ。彼らは賭けに敗北した。
 労働組合員は、一九九三年以降に新しく採用された四万三千人の内、三万五千人がパート労働者だと知って衝撃を受けた。労組の中心要求――パート雇用を常雇用にせよ――は、組合員を団結させると同時に、今日の産業争議ではまれなことであるがストに対する世論の広範な共感が生まれた。その共感を生み出したのもこの要求であった。ある世論調査では、スト側を支持するのが五五%、それに対して会社支持は二七%という数字を示した。
 UPSがパート労働者を最初に採用したのは一九六八年。全国労働協約を交渉する前のことだった。一九六八年に会社側は、チームスター委員長ジミー・ホッファの同意を得て中西部でパートを採用した。他方、東部では、この問題をめぐってストライキとなった。一九八二年にはUPSは全国(UPSとチームスターの協約があるところ)でパートを採用するようになった。そしてパート労働者の劣悪な賃金に関して、チームスター・インターナショナル役員の同意を得るのもさほど難しくはなかった。
 UPSパート労働者の仕事は、決して背後に隠れたものでなく、荷物の仕分け、配送用の小さな茶色トラックに荷物を乗せることである。それは、様々な大きさと重さの数千という荷物を上げ下ろしする危険な重労働である。
 こうした作業に当たるパート労働者は、数日あるいは数週間仕事をしたあと、職場を辞めていく。こうした仕事に耐えて怪我をしなかったものが、運送トラック運転手のための訓練を受けることになる。その場合でも、一日中トラックを運転させられることになる。
 そうした運転手の中から比較的疲れが少ない都市間トレイラートラック運転手――UPSの用語で「フィーダー」――になれる者が出てくる。しかし、これも常雇用トラック運転手の裾野を構成する巨大なピラミッドの底辺でしかない。
 チームスターは、こうしたピラミッドの底辺がさらに急激に拡大していくのを阻止するために闘うべきだったのである。荷物を仕分けしたりトラックに積載する大量のUPSパート労働者の時間給――九ドルプラス健康保険――がパート労働者の中でいい部類に入るにしても、常雇用への転換要求は、心に訴えるものがあった。組合はまた、過去一四年間一度も引き上げられなかったパート労働者の初任給も含めた賃上げ要求を掲げた。
 チームスターは、自らの闘いをパート労働や不安定雇用問題に関して一層敏感になりつつある世間に対して「適切な常雇用職の問題」として訴えた。すべての若い労働者や二〇代の子どもを持つ親は、適切な賃金で長続きする常雇用職を見つけるのがいかに困難であるかをよく知っている。最近のゼネラルモーターズのストライキもまた、期間工を常雇用に転換することを中心要求としていた。
 他方、UPS労働者の年金基金をチームスターが関連する複数企業全体の基金から切り離してUPS企業が独自に管理するという会社側提案の狙いは、フィーダー運転手への好待遇を確保することにあった。これらの運転手は、比較的年齢が高く、より高い年金に引き寄せられる傾向がある。労働者から集めた数十億ドルもの年金基金を扱うことは、企業にとっては好都合である。
 運輸業界としての複数企業合同年金の利点は、それが相互保護の機能を持っていることだ。運輸産業が一九八〇年代にこれを導入した時、UPSやその他の優良企業が支払った基金は、閉鎖した企業労働者の退職金や赤字年金などへの補助に使われた。現在、UPSがその組合に対してチームスターの他の組合に背を向けるように要求しているのは、これまでと同様に企業としての「健全性」を維持したいためである。
 チームスターは、UPSが賃金支払い費用に困っているから、こうした要求をしているのであり、年金基金に関して彼らを信用してはならないと応酬した。
 事態は、今回のストライキがいかに深くUPSのチームスター組合員の気持ちと意識に訴えたかを示した。最初の一週間にストの隊列を離れたのはわずか三%以下だった。
 世論の強力な支持を背景にして強い団結を保ったストライキは、大きな利益をあげている部門だけを閉鎖した。このビジネスは外国に移動することはできない。現代のアメリカにおいてさえ、一五日間のストライキがいかに強力であるかを、UPSストは示した。
(インターナショナルビューポイント誌九月、二九二号)
TDUのコメント
           この戦に勝利したのは誰か

 スト解決の合意事項は、組合側の要求がほぼ九〇%満たされている。われわれUPSチームスターが勝利したのだ。勝利を実現した理由は、過去二〇年間にわたって労組の改革運動を展開し、その結果として、わが組合が今回の闘争を指導できたのであった。
 また組合員を裏切らずに積極的に闘うチームスター・インターナショナルの指導部を選出したからこそ勝利したのだ。六カ月に及ぶ労働協約に関する運動を展開したことも、われわれが勝利した理由である。われわれは正しく闘争目標を設定し、これらの目標について組合員だけでなく、アメリカの人々にも訴えた。われわれは、組合員を団結させた。すなわち、組合としてなすべきことすべてを行ったのだ。
 われわれは、力を強め、過去数十年間でアメリカで最高に支持されたストライキを打ったが故に勝利したのだ。UPSチームスターがともに闘い、チームスター組合員の団結の力や勝利への決意、意志を過小評価した会社側を驚かせたが故に勝利したのだ。
 われわれはこれから、この精神、勝利をさらに拡大すべく前進していく。来る運輸産業の労働協約闘争から始まって、チームスター労組ならびにすべての労働運動の細部にまで、われわれの闘争精神、今回の勝利の意義を広めていく。われわれは、組合改革運動を前進させ、最善の労働組合主義を実現し、闘いを革新し、新しい指導部を建設し、チームスターの勝利をかちとっていく。われわれがこれらを実現したとしても、それは新チームスターの最初の勝利にすぎないが、労働運動を前進させ、力あるものとしていくだろう。

TDU全国オルグ、ケン・パフの談話


 今回の勝利は、過去二〇年間に及ぶチームスター改革の頂点、その一部である。チームスターの組合員たちは、われわれの労組が闘えるようにするために、そしていい仕事、常雇用といった重大な課題で勝利できるようにするために、困難な努力を重ねてきた。一〇年前、チームスター・インターナショナルの執行部は、UPS経営陣と秘密取引を行い、UPSチームスター労組に対して、投票で多数が反対したにもかかわらず、秘密取引の結果としての協約を押しつけた。その結果、パートタイム労働が無制限に導入されることになった。だが、これもすでに過去のものとなった。今、われわれは、労働者すべてにとっての重大な勝利を実現できる新しい組合指導部と労働組合を確立したのだ。