1997年12月10日         労働者の力              第95号

労働の規制緩和との闘い――労働戦線の分断を越えて
来春闘争に労基法改悪阻止の大高揚をかちとろう!

(1)

十一月二十七日、東京日比谷野音は三千人を越す労働者で埋めつくされた。
均等法やパート労働、派遣労働などに取り組む運動団体と全労協を主軸とする労組がスクラムを組んだこの集会には、連合や全労連代表のあいさつもなされ、「労戦再編」以降で初めての分断を越えた集会となった。全労連傘下の「全労働」(労働省の労組)も正式に実行委員会に参加し、また発言した。
翌二十八日は、労働省が労働基準法「改正」への叩き台を提出する予定になっていた。報道によれば「労使の主張の隔たりが大きく、打開策を求めて労働省が案を提起することになった」という経過ではあるが、「労働の規制緩和」全面化の突破口をこじ開けたい資本と労働省が緊密な連携を組んできたことは明らかであり、労働側にはとうてい容認できない筋書きとして受けとめられるものであった。
 (中央労基審は12月4日、対立部分は労使の両論を併記する案を答申した。この中には裁量労働(見なし労働制)のホワイトカラー分野でほぼ全面容認や、違反企業への罰則適用などの対立点があるが、資本寄りという基本スタンスは変わらない)
集会終了後、参加者は労働省前を通って国会議面への請願行動を行い、社民党、新社会党の国会議員団が受け付けた。秋期闘争のなかで戦闘的労組を糾合するはずの全労協の動きが立ち後れていた感は否めない。
 これを運動団体や中小労働者の組合のイニシアティブが克服したし、その熱気は集会全体を覆い、通常の労組集会とは様子を変えた参加者や集会の構成にそれが実感された。欧米労働運動の前進に呼応する日本での運動の始まりを予感させた秋期闘争を締めくくる集会が久々に実現された。関西や東北からも数十名が集会とデモに加わった。
また十一月二十一日には、全国港湾のストライキが行われた。アメリカ政府の圧力に屈した十月末の合意(運輸省・船主港湾協議会・外国船舶協会・日本港湾協会)は、民間労使協定に対する政府の不当介入であり、全国港湾が撤回を求めて決起したのである。
 イギリス・リバプール港湾労働者の闘いに最も密着してきたのは全港湾(全国港湾の主軸労組)である。そしてまた新ガイドライン・有事立法に直接さらされるのも港湾労働者なのである。
 闘いの輪は確実に拡大している。

(2)

バブル崩壊以降の景気低迷が「リストラ」をまん延させ、失業を拡大してきたのと同時に、低迷脱出の玉手箱のごとく、新自由主義の「改革論」が全面的に持ち出されてきた。「リストラ」は、まずは人減らしだが、そこには派遣労働者の増大、長時間労働の強要など、この間の労働法制のなし崩し改悪の「成果」が全面的に取り入れられてきた。
 さらに賃金体系の変動などをもって、企業は一部コア(核)労働力とその他の労働力に分別し、その他労働の流動性を増大させることを通じて総体の賃金コストを大幅に切り下げる方向を追求してきたのである。サービス残業や派遣労働の増大・実質無制限化を法的に確立しようとする狙いは、当該労働者はもちろん、パート労働の低コスト労働への固定化や男女均等労働の確立に背を向ける動きとして拡大していく。
しかも日本資本は、サービス残業や抜け道だらけの派遣労働の実態にあぐらをかき、あわよくばそうしたことの延長を法的にバックアップさせたいというのが本音である。厳密な法的規制や枠組みを積み重ね、違反企業に対する法的制裁(強行規定)をも実現していくというあり方には徹底的に抗戦することが基本となっている。
派遣労働やパート労働のホワイトカラー分野での「無制限」の拡大は、現在的にはこれら労働がほとんど地域最低賃金程度かそれに毛が生えた程度の低賃金構造であることを、さらに「無制限」に拡大していく。

(3)

中小零細企業労働者はもちろん、未組織労働が圧倒的に大部分を占めているサービス産業の比重が増大している現状にあって、こうした労基法の縛り、規制が「緩和」されていくとすれば、賃金構造の二重構造化や労働密度の強化をくい止めていく手段がさらに失われていくことをも意味する。
政治的傾向は別にして、労働組合主義的に組織されてきている旧総同盟系労組(ゼンセン同盟など)や中小零細企業を基盤にする全国一般などが危機意識をもつこともまた当然である。企業連型労組の、それもコア(核)社員を背景にしている連合の主力は、明らかに企業のリストラ戦略に呼応する方向性を提示してきていたが、今年に入って連合内部においても、労基法改悪への危機意識が急速に浮上している。秋は労基法改悪反対闘争の時だ、と。
十一月、連合は労基法改悪反対の行動を開始する。そうして連合内部の危機意識は、連合指導部のセクト主義、反共主義のかたくなな壁とも衝突していく。連合指導部はこの秋初めに労基法改悪反対の横断的なナショナルセンター同士の共闘についてマスコミからの取材を受け、ほとんど自動的に共闘を否定した。それがマスコミを通じて流され、指弾されるという事態が発生した。「共闘を拒否する」論理を連合指導部はセクト主義と反共主義以外には用意がなかったし、それを公にすることはまた不可能である。
こうして十一月の労働省前の座り込みは、結果として連合と全労連が月の前半と後半とを分かち合う形が生まれ、そして運動団体と全労協系労組のブロックが両者の媒介項として行動するという関係が生まれたのである。

(4)

山一証券の自主廃業を頂点とする相次ぐ金融業界での倒産、後退し始めた景気、円安の累進と株下落――消費税や医療費などを一挙にアップし、他方で長期の超低金利政策で金融資本救済を試みてきた総体の構造が、消費マインド低下を誘発した。にもかかわらず、バブル期の放漫な資金垂れ流しのつけを、体力の弱った金融業界は支えきれなかったのである。
しかもバブル期の放漫融資、投資とは土地投機にほかならず、そこに地上げ屋など「裏社会」の大規模な介入を招く十分すぎる理由があった。各地での産業廃棄処分場問題が企業を背景にした暴力団介入をにおわせていると同様に、「裏社会」は、詳細はまさに秘されているものの企業人への殺人や傷害を含むどう喝をも織り交ぜて、バブル期に踊った企業集団を資金源としていった。そうした「わずらわしさ」から逃れるために、また企業は自己の周囲に「暴力装置」や「総会屋」を引き寄せ、対抗の防波堤としてきた。まさに無限の悪循環である。しかもこの循環は螺旋的に拡大していく。
そして省庁再編といいつつも、実際は巨大な郵貯資金の奪い合いにほとんどが終始した「行政改革」の惨状。財政再建の実質的な枠組みが、手を触れない公共事業と趨勢的に削減されていく福祉予算という現実。そして自民党保保連合派はどさくさと政争がらみで「防衛省」昇格問題を押し出す。もはや労働者や民衆は存在していないかのようだ。
ここに政府・財界は公的資金投入に動き出した。金融システム維持の決意を示すこと――表舞台に引き出された宮沢元総理の言である。法人税減税や地価税廃止が財界から大合唱され、それに応えるついでに所得税減税も努力目標として与党三党から提示されている。これはあくまでも「さしみのつま」である。
賃金闘争は厳しい局面となるだろう。だが連合主力は依然としてストなし決着でいくつもりのようだ。私鉄は「昨年並み」を掲げ、労使での協議・調整機関で対処していくと方針化した。一昨年と昨年で連合春闘の実質はすでに終わったのであるが。
そこに「人の規制緩和」の攻撃が加わる。これをめぐる横断的な共同闘争の芽は、すでに実質のない「連合春闘」とは別次元のものだ。
リストラ攻撃に加わる賃金抑制攻撃、そして金融資本救済にひた走る橋本自民党政府。
新自由主義の労基法改悪と闘い、阻止していく戦線が広範に広がれば広がるほどに、政府・資本に組み込まれてきた企業連型連合指導部の足もとを掘り崩していくことになる。
新自由主義と対決する労働運動の高揚を!
来春期闘争を労働運動の大反攻としていくために準備を進めよう。

強行された王城寺原演習
既成事実化に反撃した地元住民の闘い


米軍のやりたい放題と当局の無力・無責任

 十一月十日から開始された沖縄米海兵隊の王城寺原実弾砲撃演習は、二十日に終了した。米軍は、十月三十日の先遣隊到着以来「やりたい放題」の連続であった。米軍が提供した情報は一方的かつ限定的であり、その対応は住民を無視し、翻弄するものだった。
 例えば滞在日程の延長と隊員の増員が突然告げられた。来年の演習日程が(大分・日出生台を除いて)すでに日米間で合意されている(王城寺は十一月)とのマスコミ報道が演習開始の直前にかけめぐった。「せめて隊員の外出を禁止し、夜間演習を止めよ」との地元の声は無視された・
 仙台防衛施設局は(どれほどの「当事者能力」があったのかは不明だが)「米軍が決めることだから」と居直りつづけた。宮城県や地元自治体の本音は演習が無事に終わってほしいというものであったが、混乱が絶えず住民の反発が高まり、「米軍の情報提供に的確さを欠くなど遺憾な点もあった」(浅野県知事)と言わざるをえなかったほどである。
 警察当局は演習場周辺に臨時派出所を設置したが、住民を監視し検問することが優先され、これもまた住民の反発を招くものであった。
 
用意周到な米軍の地元対策
 
 米軍と施設局の情報の食い違いが指摘されているが、納得のいく説明はない。なんらかの理由(例えば悪天候)で演習予定の変更を余儀なくされたことがあったのかもしれない。確かに市民グループの発表した砲撃回数は、矢臼別や北富士に比べればかなり少ない。夜間演習も一夜四発と報告されている(注)。
 とはいっても、米軍は用意周到であり、またそのシフトは総合的であった。演習中の十五日、第七艦隊の駆逐艦が仙台港に入港し、一般公開された後に十八日に横須賀港に戻った。海兵隊とは関係のない通常の寄港だとされるが、あまりにも露骨なタイミングであり、この間各地で強行されてきたガイドラインがらみの民間港利用の一環であるとともに、より直接的に王城寺原演習に対応したものだと考えるのが妥当だ。
 一方、海兵隊員は演習日程の終了後、地元の福祉施設を訪問し、クリスマスの飾り付けなどの「奉仕活動」を行っている。このほか地元での家庭訪問や陸上自衛隊OB(隊友会)が主催し、一部住民を招いた慰労会が開かれるなど、「地元住民との相互理解」のための積極的な接触が繰り返された。
 また海兵隊員の自由外出も確認されている。これまで仙台防衛施設局は、人権問題もあり、米兵を「檻に入れる」ようなことはできない、しかし外出に当たっては施設局職員を同行させると説明してきた。施設局の実際の対応は「個人的な外出まで同行できない」というものであった。九月の矢臼別では、施設局職員の同行により「観光目的」で外出したという。「自由外出」が確認されたのは初めてのケースということになる。毎日新聞の宮城県版は(海兵隊員は、仙台市内の)「アーケード街を道行く若い女性に「美しい」などと声を掛けるなどしていた」「「(仙台駐屯地まで)どうやって、いつ帰るかなどは考えていない」とも答え、門限のない仙台観光を示唆した」と報道している(11月22日)。

成事実化を許さぬ住民の反撃
追加演習を断念させる

 県による今春のなし崩し的な受け入れ表明以降、地元住民の反対運動は岐路に立たされることとなった。「地元との合意なくしては移転はしない」という防衛庁長官の発言は反古にされたし、浅野県知事も責任回避に腐心した。地元自治体や議会は住民に配慮して反対の立場を掲げつつも、移転受け入れ対策に軸心を移していった。もちろん安保と地元の「落とし所」を探っていた政治家や行政家たちにとっては想定された「シナリオ」であり、反対運動があれば取れるものも取れないという態度を表面化させた。移転は既成事実となり、反対運動には様々な圧力が加えられていった。
 運動の中軸を担ってきた人々の苦闘と模索が続いた。演習場周辺の各所に住民自身による看板が立ち並ぶようになったが、「米軍基地の町であっていいのか」という言葉に住民自身の気持ちが集約されている。こうした思いが、やがて地元から発せられた二つの呼びかけに結実していくことになった。米軍は期間中の悪天候を理由に、演習期間の延長を狙ったが、地元からの反撃は演習延長の断念に追い込むことになったのである。

実現した王城寺団結まつり

 「団結まつり」が地元反対組織の一つである「王城寺原現地住民の会」によって発案され、地元住民団体が結集する「反対連絡会議」の主催に発展していった。十一月十六日、八三〇人(主催者発表)が演習場に隣接する民有地に集まった。圧力をはねのけて壇上に上がった住民たちが演習反対を宣言した。市民運動を代表して沖縄百万署名宮城県実行委員会、宮城護憲平和センター、米軍移転・日米共同演習反対宮城県連絡会議が、賛同のあいさつを行った。米軍はこの日を演習日程からはずした。
 「まつり」(米海兵隊の実弾演習反対「王城寺原団結まつり」)は、「沖縄でいらないものは王城寺原でもいらないの一点で、小異を捨てて結集しよう」と呼びかけられた。そして、この趣旨は様々な困難を乗り切って集会を成功させようという地元住民を中心とする人々の意志と英知によって活かされた。賛同あいさつが先の三団体にしぼられたのも、地元住民が集会を主催することへの配慮があったからであろう。この点で県連絡会(平和委員会や全労連などで構成)が「まつり」の場で集会の画期的意義を強調したことは注目に値するし、同時に発言の真価がこれから問われていくだろう。

広がる共感の輪=「王城寺原コンサート」

 住民の苦闘と模索はもう一つ、「王城寺原コンサート」を生み出した。主催者は次のようにコンサートを呼びかけた。「私たちは、もう一度(暮らしの平和を守るという)原点に戻りたいと思う」「明日へのエネルギーが、自分のからだに湧き出る瞬間を、いっしょに感じてみませんか!」「喜納昌吉、11月、王城寺原コンサートへ」と。(呼びかけチラシより)
 平和のメッセージを託したコンサートは多くの、そして様々な(政治的集会への参加を見合わせていた)人々の共感を得て、地元の内外に急速に広まっていった。コンサートは大成功をおさめた。会場である色麻町民体育館は昨年八月、演習絶対反対を誓い決議した住民大会の場でもあった。
 演習の最終日に当たる十一月二十日、一千人を越える参加者たちは歌い、踊り、共感の熱気は晩秋の寒さを吹き飛ばした。
 団結まつりとコンサート――二つの集まりは別個に発案され準備されたが、ともに王城寺原の闘いが生み出したものである。既成事実化に反対し抵抗する王城寺原の原動力になっていくに違いない。
 これらに先立つ十一月十三日、「新ガイドラインに異議あり!全国縦断キャラバン」仙台集会が二百人を越える参加者で開催された。上原成信(沖縄一坪反戦地主会関東ブロック代表)と内田雅敏(弁護士)両名を招き、沖縄百万人署名運動宮城県実行委員会が実質の母体であるこの集会には、上記二つの集会の主催者や事務局の方々が出席し、地元の各々の立場から訴えかけた。以上の二つの集会が相互に連動し、ともに反撃の砦になること印象づけるものであった。

光と影? 宮城県知事選と王城寺原

 ところで、やはり県知事選にふれておくべきだろう。「無党派対党派」「非政党対政党」――これが浅野陣営の巧みな選挙戦術だとしても、多くの人々が浅野の当選という形で既成政治に対する不信感を突きつけようと投票場に向かったことは明らかであろう。
 しかし浅野と自民・新進の市川候補は王城寺原問題に一言もふれることはなかった。両陣営による争点外しであり、特に浅野陣営にとっては受け入れ責任を不問に付すための意図的な操作でもあった。加えて演習に強く反対した共産党候補が圧倒的な大差で敗北し、「王城寺原問題の既成事実化」を一般的に印象づけることにもなった。
 王城寺原は無視され黙殺された。住民のいだいた疎外感はいかばかりであったことか。本土政治と沖縄の関係が、くしくもこのとき、王城寺原にのしかかることになった。
 少なくとも本土政治が沖縄によって問われたと認識するならば、「痛みの分かちあい」論や安保聖域論について堂々と述べるか、あるいは国の横暴を阻止できなかった経過を告白するかして、県民の判断を問うべきであったはずだ。そうでなければ、「情報公開」や「地方の時代」の浅野知事にとっても、王城寺原は「小骨」(沖縄と同様に!)にすぎなかったということになる。
 県知事選挙では、浅野勝手連のはなばなしい躍動とは対照的に、確かに王城寺原は沈んでいた。しかし浅野は光であり、王城寺原が影であるということはいえない。団結まつりとコンサートは、それぞれに「沖縄と結んで」開催されたものである。そこには、かつて米軍との土地解放闘争に立ち上がった開拓者たちとその後継者たちにとっての歴史的因果関係がある。犠牲と悲劇を強要し続ける米軍が、沖縄から再び王城寺原に戻ってきたからだ。
 王城寺原の闘いが発するメッセージと共感の確かさに比して、浅野はどうか。県選出議員との予算要求説明会を東京で主催した県知事に、自民党県連は予算獲得に尽力することを誓った。知事は「正直ほっとした」と吐露したという。浅野政治のかげりがここに垣間見えている。
    (十二月五日)
 注 市民グループの調査によれば、矢臼別での砲撃演習は十日間で昼二五五九発、夜間演習六日二四二発。王城寺原はおなじく十日間で四三〇発、夜間一日四発(うち二日間は昼夜ともゼロ)である。

秋期闘争に続き、新ガイドライン・有事法反対運動がさらに拡大へ
名護市民投票(12/21)勝利に向けカンパ運動を!


 十一月二十一日、東京・日比谷野音で開かれた「戦争協力を許さないつどい」(実行委員会/全労協・一坪反戦関東ブロック・全国FAX通信などの市民運動団体が参加)が千八百人を集めて行われた。また全国キャラバンが十一月三十日に東京で一カ月間の行動集約集会を行った。キャラバンは、沖縄名護を出発し、矢臼別、王城寺原、北・東富士、そして日出生台を結びつつ、十一月に集中された日米共同演習が強行された新潟・滋賀の闘いを沖縄と結んだ。
 十二月の名護市市民投票支援、来春の有事法制案国会上程反対に向けて、さらに各方面で多様な行動が準備され企画されている。とりわけ各自治体を射程においた運動は、これまで多くは右の勢力が自民党・新進党などと結んで駆使してきた方法だが、地方議会と草の根を結びつけていく運動として、もっと意識的に取り組まれていい闘いだ。右往左往している公明党や民主党、あるいは与党離脱に揺れ動く社民党などを、市民運動や住民運動が直接に身近なところで態度を迫ることになる。「遠い永田町の話」で逃げを打たせないためにも。
 各地、各団体で様々な闘いが企画されているが、以下に一部を紹介する。
▼【資料】97ガイドライン安保・有事法に反対する全国FAX通信bSより 
 
★海上ヘリ基地NO! 名護市民投票を勝利させよう!
 更なる圧倒的なカンパを名護へ!
 ――意見広告運動も開始!▽
 「ヘリ基地NO! 女性たちの会」が、琉球新報と沖縄タイムスへの意見広告の掲載運動を開始しました。名護では、「振興策」と政府財界による力ずくのヘリ基地容認キャンペーンの一方で、「『反対』に投票を!」と呼びかける多くの人々の多様な取り組みが必死に続けられています。
 もう限られた時間しかありません。連帯の意志をカンパに込めて、意見広告の実現を!
●申し込み締め切り:12月13日(土)
●掲載予定日:12月19日(金)
●参加料:一口・一〇〇〇円
●目標人数:三〇〇〇人
●目標金額:三〇〇万円
●振込先:銀行口座名義 ヘリ基地NO!女性たちの会 代表 高江洲あやの
 琉球銀行三原支店(普)242―931
 郵便振替 口座名:高江洲あやの 記号17030番号9017191
●問い合せ先
 〒902沖縄県那覇市三原3―16―15―405 高江洲あやの
 電話/FAX098―834―4862
         
★▼日本の民主主義の根幹に関わる大問題「新ガイドライン」について
 来年の2月1日に大きく集まりませんか▽
 
 来年2月1日に、新ガイドライン・有事法制に反対するための市民の大きな行動をやろうという企画が進んでいる。12月1日の相談会では「一つの演壇でやる一つの集会というありきたりのイメージではなく、いろいろの催しを会場で同時並行的に行い、デモのとき合流するという方式はどうか」「メインの企画以外に、音楽、舞踏、芝居などの路上パフォーマンスで不特定多数の人に訴えるのはどうか」などいろいろな提案があった。とにかく会場は代々木公園を仮押さえ(多分大丈夫でしょう)。具体的な企画は会議で。
*連絡先:憲法を活かす会/市民の意見30の会・東京/全国FAX通信/戦争への道を許さない女たちの連絡会/日本カトリック正義と平和協議会/NO!レイプNO!ベース女たちの会
★▼地方自治体から新ガイドライン反対決議の動き!▽
 
 東京の「北区に平和と緑を!市民の会」が11月6日付「新ガイドライン策定に反対する旨の意見書を政府に対して提出するように求める」陳情を区議会に提出、現在審議中。東京の各自治体では同趣旨の請願・陳情が相次いでいる。多摩地区では10月30日段階で小金井、田無、清瀬、武蔵村山、多摩の各市で反対決議がなされ、多摩市以外の4市では政府への意見書も同時に採択された。多摩地区では27市すべてで陳情が提出され、7市で不採択、10市で継続審議などとなっている(保谷市議会事務局作成/鈴木美紀・同市議提供の各市請願・陳情提出状況一覧表による/具体的な資料は事務局まで)。
 また町田市では10月29日に市長と市議会議長が外務省・防衛施設庁を訪れ、米軍厚木基地の訓練飛行騒音に対して改善を求める要請を行った。10月に入って「耐え難い飛行」(広報・まちだ11・11号)が連続していた。
 
★▼全国FAX通信▽
申し込みは下記へ
●東京都千代田区三崎町3―1―18 近江ビル4F
●TEL03―5275―5989 FAX03―3234―4118
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●購読料三〇〇〇円(年間)
●郵便振替00110―4―408708
  全国FAX通信
イタリア
     共産党再建派大きなチャンスを逃                                  リビオ・マイタン
 イタリア共産党再建派(PRC)は、一九九八年度政府予算案に関して反対の態度を撤回した。共産党再建派全国指導部の一員であるリビオ・マイタンは、PRCが新しい戦略を構築しない限り、中道左派プロディ政権に有効に対抗できないと警告している。

PRCとオリーブの木

 共産党再建派とオリーブの木(一九九〇年三月にイタリア共産党が改称した左翼民主党、中道諸党、カトリック勢力、緑の党などの連合体)とは、一九九六年の選挙期間中は相互に攻撃しないとの約束を交わした。PRCは、オリーブの木が組閣する場合、議会で反対しない(信任する)が、その後は政府の政策と実際の行動に応じて投票態度を決定すると約束した。
 九六年六月以後、PRCは、政権多数派の一部と自らを考えるようになった。いわゆる閣外協力である。
 しかし、この閣外協力は対立を免れなかった。PRCは、同党が一貫して反対してきた派遣業を合法化するという労働省案をついに承認した。その見返りとして労働大臣は、若者に対して八〇万リラ(約四五〇ドル)の月給で半年から一年の期間契約労働を一〇万人分保証すると約束した。PRCの中堅カードル二〇〇〇人が同党議員は労働大臣提案に反対すべきだという署名をした。別の対立として、PRCがアルバニアへの軍隊派遣という政府提案に反対したことがある。軍隊派遣は、中道右派が賛成したおかげでかろうじて可決された。
 だが、深刻な問題は一九九八年度財政法(予算案)をめぐって発生した。夏の議会休会前にPRCは、プロディ首相提案に反対であると明確にシグナルを送った。それでも議会で全面的な討議が行われるまでは、予算案に反対投票をしないだろうとしていたが。
 九月初めプロディ首相は、PRC書記長ファウスト・ベルティノッティに対して、政府は九七年予算案と同じような譲歩を左派に行うつもりはないと語った。インフレーションと公共部門の財政赤字に関するマーストリヒト条約が定める基準を遵守し、なおかつ新欧州通貨同盟に参加すると決めたプロディ政府は、年金を初めとするさらなる支出削減を図った。昨年度は、PRCの強い主張によって年金が削減対象から外された経緯があった。
 PRC指導部は、プロディ首相の非妥協性に怒って対応した。首相は事態の悪化を怖れて交渉を拒否した。彼が本当に関心があったのは、自分自身の連合を確立し、各労働組合全国組織と別個の合意を形成することだった。そうすることによって、PRCが孤立し、自分を支持する以外になくなると考えたのだ。彼は、労組に対してすら、年金が悪化するのは子どもの時から働き、そのため退職年齢になるまでに年金基金に十分に貢献した労働者であることを納得させた。
 議会に提出された最終予算案は、昨年度ほどには厳しくなかった。それでもPRCにとって受け入れがたいものだった。そのうえPRCが要求した譲歩は一つも入っていなかった。

プロディの失墜と回復

 その結果、政府とPRC議員との間で激しい議論が展開された。PRC議会グループ代表のディベルトは、政府は経営者団体コンフィンダストリアと銀行業界の道具となり、「市場の意思に屈服」していると語った。
 中道右派の野党勢力は、イタリアがフランス、ドイツと共同歩調をとって単一通貨同盟に参加するのが遅れることがないように考慮して予算案に対する投票態度を決定するというサインを送った。
 PRCはすべての交渉が行き詰まり、予算案への反対投票を決定した。十月九日、首相は辞職を発表した。それからPRCに対する前代未聞の攻撃が開始された。政治家(本来中立であるべきスカルファロ大統領も攻撃した)や各種自治体首長、経営者グループの代表などらが、経済が回復に向かい始めた時期にPRCが政治危機を促進し、他のヨーロッパ諸国との統合を遅らせていると非難した。労働組合もまた、PRCを攻撃する陣営に加わった。
 民主左翼党(PDS)の日刊機関紙ウニタはヒステリー状態になった。PRCに最も近い新聞マニフェストさえ、ベルティノッティPRC書記長は脅迫を止めるべきだと主張した。「普通の市民」あるいは「労働者」を自称する人々からの脅迫や攻撃の電話、FAXが応接の暇がないほどかかってきた。
 冷戦時代の暗黒の日々でさえイタリア共産党は、こんな事態に遭遇したことはなかった。PDSや労組指導部の操縦以外にも、多様な要因が働いていた。多くのイタリア人は、「国民的合意」や絶対の存在と考えている市場経済の論理、マーストリヒト条約が定める統合基準、緊縮予算などと対立する政治勢力を認めることはできない。それ以外の市民は、以前に支持していた保守党政権よりましな政策を遂行できない「彼ら」の中道左派政権に対する不満のスケープゴートにPRCを仕立て上げた。
 それから二十四時間以内にPRC指導部は、後退したようだ。十月十日、書記長は、同党は予算案の修正と週労働時間を二〇〇〇年までに四十時間から三十五時間に削減するという確約の代償として、政府と一年間の協定を結ぶ用意があると語った。
 率直な交渉が行われ、合意に達した。PRCは再び議会多数派の陣営に加わり、予算に賛成すると約束した。プロディ首相は辞表を撤回し、議会の信任投票を要求した。
 PRC全国指導部四十七人の内、七人が革命派であるが、日頃の戦術的な対立にもかかわらず、この政治危機の間は結束して重要な役割を演じた。十月十二日にはローマで集会が開かれ、五百人が参加し、その席上、マルコ・フェルナンドとリビオ・マイタンが国と党との危機について議論をした。十四日にPRC全国指導部会議が開かれ、そこで革命派の五人がベルティノッティとプロディとの協定に反対票を投じた。残り二人の革命派指導者は、離党を表明した。
 オリーブの木はPRCとの協定を必要としていた。彼らにはこれ以外の選択はなかった。プロディ首相が辞任して総選挙を行っても、オリーブの木が政権に復帰できる保証はない。だがPRCは、労働者階級が要求する改革を政府がいささかも実行しなかったのだから、多数の票を獲得する可能性があった。
 プロディは危機から脱出し、その連合は強化され、予算案が議会で承認されることになった。また大きな反対もなく親ヨーロッパ統合路線も継続が可能となった。中道右派ブロックが危機に陥っているからだ。プロディは、今月末に行われる地方自治体選挙で成果をあげることさえ期待できる。
 だが、こうした保証の一つとして安定していない。短期的には有利な事態の展開にもかかわらず、社会経済情勢は依然として微妙である。いついかなる時でも、衝突が起こりうる。
 そしてプロディは、彼の制度改革計画の緒についたばかりだ。これから一、二年の間に各政党間と社会に存在する深い対立を克服して一定の合意を形成しなければならない。他方では分離主義の北部同盟が、不安定と緊張の種であり続けている。
 だが全般的には、オリーブの木はこの政治危機から利益を得た。PRCは逆だ。中道左派政府に対する党の戦略を練り上げる点での、この党の困難さが再度露呈したのである。党指導部内に鮮明な対立が存在している。
 先の全国大会で私は、PRCは議会多数派に参加したり、プロディを支持したりしてはならないと発言した。プロディ政権の社会経済政策と外交政策は、われわれPRC内左派が警告した内容の正しさを証明した。
 オリーブの木を構成する各政治勢力、ことにPRDは、イタリア憲法を大統領制度に近づける方向で改訂する方針に関連して、中道右派と共同作業の枠組みを作り始めた。そして現行憲法を無視して、公立と私立双方の教育機関に同等の国家資金を与えることで、両者は合意した。
 プロディ政権は、自らが最も優先するのは、マーストリヒト基準を達成し、ヨーロッパ単一通貨採用に合流することだと強調している。
 PRCは最近の対立に関して重要な譲歩を勝ち取ることができなかった――一貫して反対してきた年金「改革」さえ受け入れたのに。
 その見返りとして、イタリア南部の深刻な失業(二五―三〇%)を改善するための公共事業計画に関して、何一つとして重要な成果をあげられなかった。この点が、プロディと合意に達する前提であると党は考えていたのだが。
 いくつかの表面的な予算案の修正を別として、PRC書記長ベルティノッティは、労働時間を短縮するというプロディの公約を党の大きな勝利だと描き出している。それは違う。プロディが約束したのは、資本家と労組との交渉を実現するようにするということだ。PRCが常々不可欠の課題と主張している賃金削減なしの労働時間短縮には少しの言及もない。
 二〇〇〇年までに労働時間を短縮するというが、その時にはEUの安定化協定が実行されているはずで、単一通貨のユーロを採用した国ではマクロ経済政策を自由に変更することはできない。そのうえ、現在の政府が今後四年間も持続するという保証はまったくない。
 PRCは、新しい戦略と新しい路線なしにはイタリア議会で多数を占める中道左派との対抗関係を維持できない。「再建」から七年、今こそ、そうした新しい戦略、路線を展開すべき時である。
(インターナショナルビューポイント誌十一月二九四号)
四人の闘士に聞く
     三年目に入ったリバプール港湾労働者の闘い
                               インタビュー(グレン・ボリス)
 インターナショナルビューポイント誌のグレン・ボリスが次の四人のリバプール港湾労働者にインタビューをした。ジミー・ノラン(マージーサイド港湾労組職場委員委員会議長)と職場委員のビリー・ジェンキンス、ハービー・ホリーヘッド、そして職場委員であり国際連帯を担当しているテリー・タイ。なおマージーサイドとは、一九七四年に新設されたイングランド北西部の首都圏州であり、その州都がリバプールである。

勝利まで闘い抜く

――闘いの二周年が近づいているが、港湾労働者の状況はどうか。
ノラン 非常に困難であり続けたこの二年間とまったく同様に、元気で頑張っている。五〇〇人の港湾労働者全員が闘いの側にとどまり続けている。ただ二人の死亡した仲間を除いてだが。そのうちの一人は、ピケを張っている最中に心臓麻痺で倒れた。完全な職場復帰を実現するまで闘い抜く決意の圧倒的な強さが、以上の事実に示されている。私たちはこの間、ストライキ基金から支給される週五〇ポンド(およそ八〇米ドル)で生活をしている。当然私たちのみならず家族にも多大な苦労がかかっている。
ジェンキンス 労働者は男女ともに、政治的に非常に成長した。ことに国際政治、国際連帯に関して大きく目覚めた。私たちが闘い続けている力の源泉の一端が、国際連帯にあるからだ。私たちを支援してくれている労働者に対しては、この争議を勝利まで闘い抜くことによって応える決意だ。

――あなたたちの組合が所属している運輸合同労組(TGWU)は、どんな支援をしてくれているのか。
ノラン はっきり言えばゼロだ。しかし六月に行われたTGWUの隔年に開かれる全国大会では、私たちを支持する九つの決議が提出された。TGWU執行部は、この九つの決議をまったく討議しないままに、「組合組織を維持し、法の枠内で行動する」必要性を強調する自らの議題を提出し、これを投票にかけた。挙手による投票だったが、明らかに賛成の方が少なかった。多くの代議員が座るのを拒否して、用紙による投票を要求した。数分間、議場は収拾がつかなくなり、議長も手をこまねいていた。それから議長は、翌朝用紙による投票を行うと述べた。
 翌日の投票で執行部は、二八三対一八二で敗北した。九つの決議が討論されることになり、すべてが採択された。現在ではTGWUは、私たちの争議を支援している。素晴らしい勝利であり、私たちは今、TGWU執行部が私たちと会い、争議の結論を素早く出すにはどうするのかを討議することを待っている。
ジェンキンス TGWU執行部はこの間、労働組合主義を快く思ってこなかった。私たちのために組合内でストライキ基金を設けさえしなかった。また国際的な支援をつくり出すための援助もせず、すべてを独力で私たちは実行した。TGWUは、支持している労働党議員を使って、争議を解決するために議会に私たちの問題を提案すべきだ。

大切な国際連帯

――イギリスに労働党政権が誕生したことは、闘いにとって何か有利になったか。
ノラン いいえ、そんなことはない。実際、労働党政府は嘘の約束をして私たちの邪魔をしてきた。北西部地域労働党は、同地域の全労働党議員を集めて集会を行い、そこで私たちと「今年の早い内に」会うと言ったが、そんな気配はまったくない。真剣に対応していない。(労働党議員団の指導者で運輸大臣の)ジョン・プレスコットがやって来て、私たちを会うという噂が一カ月前にあったが、それ以降、何の音沙汰もない。

――労働運動がどんな要求を労働党政府に突きつけるべきだと考えるか。
ホリーヘッド それは非常に難しい。トニー・ブレア首相は最近、労働組合会議(TUC、ナショナルセンター)で「柔軟な労働力が必要だ」と明確に述べた。だが、私たちは、政府がマージー・ドックス社の株を一四%も保有しているのだから、その大きな力を利用して私たちの職場復帰を実現すべきだと要求している。また、過去三〇年間にイギリス政府とEUの資金数百万ポンドがマージー・ドックスにつぎ込まれてきたが、この使い道について公的な調査も要求している。この間の財務状況と経営者の個人利用がなかったか、と。
 イギリス労働組合にとって最も重要な課題は、労働組合を拘束しているすべての反労組法を撤廃することだ。この国の反労組法は、西側世界で最も弾圧的かつ制限的だ。そのために、イギリス国内で支援行動を組織するうえで多大な困難に直面している。

――リバプール港湾労働者は、第一回港湾労組職場委員国際運動の組織化を実現したが、その進展過程と国際連帯を重視する理由は。
ホリーヘッド 様々な国を訪問して、そこで寄せられた財政的な支援が大きな助けになった。これがなかったなら、これほど長期にわたる争議を続けることはできなかっただろう。私たちが訪れたすべての港湾で、臨時工化と民営化という私たちと同じ問題が浮上していた。
 私たちの闘いは、港湾労働者の抱える問題を国際化したといえる。港湾労働者は、自分たちが直面している問題や、多国籍企業と闘うなかで問題をいかに克服していくかを、国際的に議論できるようになった。主要な港湾企業は六社あり、これらと国際的に連帯して闘う必要がある。どの国として孤立していないのだから。

――支援はどの程度あったのか、また、その効果はどうだったか。
タイ 九月八日に行われた第三回港湾労働者国際行動デーは、あらゆる予測を越えたものとなった。リバプールの私たちの闘いが、臨時労働や大量解雇、この産業における規制緩和などの脅威と闘おうと決意している港湾労働者全体のシンボルになっていることが証明されたのだ。
 リバプール港は現在、停滞している。入港する船舶は、過去二年間より二四%も減少している。
 国際的な支援は圧倒的なものだった。三〇カ国以上の港で行動が展開された――二四時間のストライキやリバプール港を利用する船舶のボイコットまであった。港がない国で私たちの支援者は、イギリス外交館の周囲でデモを行い、労働党政府が争議を早急に解決するように要求した。全世界の港湾労働者は、リバプール港を根拠地とする船会社の船舶をボイコットし続けている。

――ウオーターフロントの女性たちという組織も大きな成長をとげたが、どんな役割を果たし、闘争にどのように貢献したのか。
ホリーヘッド ウオーターフロントの女性たち(WOW)は、私たちの闘いとは不可分な、その一部だ。港湾でのピケ行動で積極的な役割を果たした。また、自分たちの代表を各地に派遣し、資金を募集した。彼女たちの精神的な支持が、解雇された夫たちを闘うよう勇気づけた。これによって家庭内の緊張も大いに和らいだ。ピケと貧しい生活の二年間にもかかわらず、一つの家庭も壊れていない。
 リビアのカダフィ大佐が最近、このWOWに対してヒューマンメリット賞を送った。五年前に南アフリカのネルソン・マンデラさんが受けたのと同じ賞だ。WOWは五万ドルを受け取り、それをスト基金に入れた。

――二年間闘い抜いているが、職場への完全復帰に近づいたか。
 まだまだだ。私たちは圧力をかけ続けているし、もっと頻繁に交渉が行われることを期待している。六〇人の労働者を復帰させ、残りをペイオフするという会社提案を私たちは拒否した。
 私たちの要求は、解雇された全員が解雇前と同じ賃金、労働条件で労働組合の承認のもとに職場復帰することだ。これらの条件のために、数十年間闘ってきたのであり、これ以下の労働条件を受け入れることはできない。未来の世代と人間として自らの人生のために闘う。
(インターナショナルビューポイント誌二九四号)

第一四回国際青年友好祭への
第四インターナショナル青年キャンプからのメッセージ


 同志の皆さん
 私たち五〇〇人の青年は、フランスで開催された一四回目の第四インターナショナル青年キャンプにヨーロッパ一五カ国から集まったものです。
 革命的な青年による私たちの諸組織は、キューバの人々とその革命に対する長期にわたる連帯の伝統を第四インターナショナルと共有するものです。
 私たちは、帝国主義者の犯罪的な対キューバ制裁に反対し、キューバ革命を防衛する宣伝と運動を積極的に展開しています。
 今年のキャンプでは、エルネスト・‘チェ’・ゲバラの死三〇周年に関連して、大々的な集まりをもち、彼の一生とその遺産を祝福いたしました。チェは、全世界の私たち若い人々にとって、今日の時代に革命的であることの高潔さとその実例となっています。彼の勇気と大胆さ、抑圧され搾取される人々に寄せる深い感情、国際主義と反帝国主義などもまた、私たちの価値基準になっています。
 民主的な諸権利を守り、強制的な軍役(徴兵)に反対し、適切な教育と生活水準を要求し、ヨーロッパの緊縮政策と失業に反対する、こうした私たちの闘いにおいて、彼が象徴する価値観を全世界の若者に賞賛しています。
キューバ革命万歳!
第四インターナショナル万歳!
勝利まで前進しよう!
(インターナショナルビューポイント誌二九四号)