1998年3月10日         労働者の力              第98号
どこまで保つか果てしない右傾化
           民主党と野党連合新党構想
                                         川端 康夫
 元首相の細川が音頭をとって、新進党空中分解の後をうけた野党連合新党を結成する動きが加速しはじめた。四党の統一会派民友連を直線的に新党に移行させるには問題が多いとして、参院選比例区統一名簿と新党準備会とを二本立て的に平行させて進めるというのが細川案である。夏の参院選が切迫している状況の中で、選挙への対応に焦る議員心理を餌に新党移行の土台を作ってしまおうという構想だ。

民主党は限界に来ているか

 新党移行に関しては、今や最大野党となった民主党の対応が難しいものとなっていたし、なってもいる。羽田元首相が党首である民政党、旧民社の流れをひく新党友愛は新党移行積極論であるのに対して、民主党内部には相当程度の異論や抵抗があるといわれる。しかし民主党の菅代表は推進派であり、参院選比例区統一名簿や「政党連合」的組織の構想と新党「準備会」発足の二つの道筋を提案した細川案を受け入れる構えである。民主党幹部は準備会を「新党の予約」であるという(朝日新聞3・6朝刊)。
 保「革」連合の新進党の焼き直し版新党構想というわけだが、前者との違いは「小沢抜き」というだけのことにすぎない。そのような党に民主党が解消・合流するというわけである。細川、羽田、そして村山、橋本とめまぐるしく交代した政権構造の中で、連立や非連立、閣外協力という裏技やウルトラCが飛び出しても、それは(旧)革新の社会党の対応が問われてきたことであり、今回の党解消、保革新党結成とは次元を異にした話である。
 社会党から社民党、そして民主党と右傾化を続けてきたこれらの人々は、今や最終的に保革の枠組みの違いを全面的に解消するところへと行き着きつつある。民主党がそもそも鳩・菅新党という保革連合政党であるのは事実であるが、それでも「都市型社民党」と連合傘下の労組がそれぞれの思惑をもって党組織の骨格部分を形成しているという点で、保革連合政党の色彩がいくらか薄められている印象を与えてきた。
 しかし友愛(民社)や平和(公明)、そして民政(旧・自民系列)という新進党の不満分子と大合流する新党は、旧社会・社民部分、そして都市型の「市民派」部分にとって与える影響は違ったものとならざるをえないであろう。
 菅はこの間、その政治姿勢が変動する幅の大きさを広く印象づけてきた。自民党との連立を射程に入れた「ゆ党」論など、あまりの世論の反発にぐらついて非自民論に定着するまでの揺れは、菅自身の政治的信用度をみるみる間に失墜させるに十分であった。その本質は、政権政党でイニシアティブを握れる位置を占めたいということ以上ではないであろう。「小よく大を呑む」というべきか、あるいは人を踏み台にしてのし上がるというべきか、社市連、社民連、さきがけ、民主党という歩みの裏側はあまり誉められたものではない。
 だが菅は、都市型市民派政治家というイメージを与え続けることに成功してはきた。三多摩革新の分厚い支持を引きつけて彼は歩んできた。それが頂点に達したのが、さきがけ時代に入閣し厚生大臣としてエイズ問題の解明の先頭を切ったときである。その恩恵あるさきがけを切り捨て、武村を日干しにして民主党をつくり、その市民派としての「名声」を背景に代表に納まったのである。その名声が神奈川などの首都圏生活者ネットなどという市民派政治の流れを糾合するうえに役立つと見なされたからである。
 失墜している名声で、菅は果たして都市部「革新派市民層」をつなぎ止めることができるであろうか。新党問題はその瀬戸際となりかねない。
 民主党の低迷、旧公明グループの右往左往、企業連型労組構造に依拠するだけの友愛、そして羽田・細川の旧自民の保守勢力――これらが大合流して何が生まれるか。民主党内部にためらいが生じるのは当然である。だが小選挙区制度の圧力が「にかわ」の役割を果たすことになりそうである。

政党の枠組み越える運動を

 各種世論調査によれば社民党の支持率は思いのほか高いという数字が出ている。民主党に失望した部分が旧社会党への追憶として社民党に「陰ながらの想い」を寄せているということであろう。しかしこの党には大きくは二つの問題がある。一つは内部が寄せ集めであり、同床異夢の勢力の連合であるということ、二つには選挙を闘い抜くための集票能力も日常的な選挙区民との連携能力も枯渇しているということである。労組構造を連合・民主党に制圧され、そして都市型市民運動を菅に吸収され、さらには広範な大衆運動勢力との結びつきを村山連立時代に最終的に失った。後は「のたれ死に」だ、と民主党サイドは確信したはずだ。
 だが、社民党がのたれ死にをするという機会を生かせなかったのは、他でもなく民主党自身の責任である。民主党は何よりも「沖縄」でつまずいた。特措法で賛成にまわった民主党と、ぐらつきながらも大衆運動との連携の細い道筋を残しきった社民党との差は大きい。次いで労基法問題がある。ここでも民主党ではなく社民党議員が大衆運動との接点となっている。有事法制、組対法などなど、社民党の議員集団の内部に運動との接点を維持しようとする動きがあり、これが民主党との比較で、この党のわずかな可能性を少しずつではあれ復活させてきている。
 社民党は民主党と対抗して選挙戦を闘う方向性を示している。党機能がほぼ壊滅している首都圏や中京、関西などの大都市部では市民派を担ぎ出し、部分的に組織が維持されている地方では、旧総評系の教組や自治労の陰陽の支援を背景に闘おうとする。民主党が制圧した北海道でも市民派候補擁立の動きがあるといわれる。
 社民党はのたれ死にに抗して闘い抜こうとしており、その矛先は民主党に向けられているようにもみえる。新社会党が矛先を客観的には社民党に向けているように、順繰りの連鎖が生まれているようにもみえるのである。
 しかし参院選で自民党と対抗するもう一方の主役はやはり共産党であろう。今の野党で全選挙区で候補を擁立して闘う組織的力は共産党にしかない。その共産党が積極的な市民派の取り込みに動き出しているという情報も各地にある。だが今でも、共産党という巨大な組織との対等関係を築く可能性は、市民派には想像を越えた事態のままのようだ。いずれも「党」の枠組みから市民派や大衆運動へ接しようとする傾向を越えているとはいえない。
 また民主党も社民党も、それぞれのあり方ではあれ、旧社会党時代からは大きく右にシフトしていることを忘れてはならない。社民党でいえば、与党の枠組みから出ることを連合が社民党に要求し、それに呼応する党内グループもあり、対抗して土井党首が閣外協力維持で動いているという「ねじれ」もある。
 沖縄特措法反対闘争が先鞭をつけ、今、労基法闘争が示しつつあるような民主や社民、あるいは新社会や共産といった党の枠づけから解き放された新たな運動構造を築き上げようという動きが大事である。
 労基法改悪反対の九八春期全国キャラバン行動が成功し、そしてそのような新たな枠組みの動きが労働運動全体へ、そして大衆運動の全体へと波及していくならば、そこに新たな左派革新のうねりを見いだすことも可能となるであろう。
     (三月六日)

政府・空港公団はB・C滑走路跡地を解放せよ
三里塚闘争三〇余年の今日
北総台地に緑の復元を

 
 相川芝山町長の「一坪共有地解消よびかけ」を契機に、改めて三里塚の現状がクローズアップされた。本紙先月号に転載した加瀬勉さんの声明に続き、関西と宮城の声明が出されているので合わせて転載する。三里塚闘争の軸が、シンポジウム、円卓会議の場へ移行した一九九〇年代、支援側から見て闘争の行く末について全体的な不透明感を払拭しきれないできたのが実状だと思う。全国集会の中断や円卓会議をめぐる支援と同盟との不協和音などがあり、同盟内部、支援サイドにもニュアンス、対応に温度差があった。支援者総体として結果的に一連の事態への評価としては、いわば「判断停止状況」に近いものがあったようにも思われる。そうした過程を経たうえで、ここに転載した二つの声明は、現在の三里塚闘争の状況と展望への判断を明瞭に示しており、現地と全国の支援者たちの連帯を改めて構築するための素材を提供している。共有者および支援者の全体的、積極的な検討をお願いしたい。
(なお声明原文の洋数字表記は漢数字表記に改めた。編集部)

【資料】T  宮城の声明

 すでに新聞等でご存じと思いますが、本年度に入ってから空港公団は凍結中の二期工事を年度内に再開する意欲を示し、また、元反対同盟員である芝山町長・相川勝重氏は一坪共有運動の役割は終わったと主張して全国八六〇名の共有者のうち芝山町内三〇名に対してその解消を呼びかけました。
 一方、反対同盟は新年の旗開きにおいて、空港問題が決着するまで一坪共有地を維持し反対運動を続けることを確認しています。
 私たちが反対同盟の要請に応えて一坪運動を全国で展開し、数々のいやがらせや脅迫行為をしりぞけて共有者となってから十五年余の歳月が流れました。その後の三里塚空港をめぐる事態の推移に私たちは大きな関心をもち、また心配もしてきました。
 今この時点で、経過をふり返り、私たちの考えを表明いたします。

〈今までの経過〉

 一九九一年十一月、反対同盟はそれまでの運動の成果をふまえて、運輸省・空港公団に成田空港問題に関する公開討論をいどみました。
 農民と運輸省・公団が対等の立場で論議し、学識経験者五名(隅谷調査団)が調停にあたるという、いわゆる成田空港問題シンポジウム円卓会議といわれるものです。
 
 ほぼ三年間におよんだ討論、議論の中身は、
一、事業認定後二〇年をすぎて強制収用ができるのか否か
一、二五年間の闘いの意味について
一、航空行政批判と二期工事不要論
などでした。
 とくに航空行政批判と二期工事不要論は過去の航空行政の矛盾点をあますところなくさらけだし、現空港が世界に類例を見ない欠陥空港であることを満天下に示したといえましょう。
 
 その結果、
一、事業認定の失効、運輸省・空港公団による収用裁決の申請取り下げ
 (関係農民が強制収用の恐怖から解放された)
一、二期工事B・C滑走路建設計画を白紙にもどす
 (一九九四年以降の建設予算の計上中止、工事が凍結された)
一、今後の解決にあたっては、「空港をめぐる地域の理性あるコンセンサスをつくりあげる新しい場」が設けられ、そこに委ねられるべきである
との合意が得られ、次の円卓会議に討論の場が移されました。
 
 同盟はここで、シンポジウムにひき続き、元B・C滑走路跡地に現代文明批判の拠点として「地球的課題の実験村」を創出することを提案することになります。現空港の建設を許した背景には、造り捨て、使い捨てを中心とした大量生産・大量消費の物質文明があり、国が空港建設の経緯を真剣に謝罪するならば元B・C滑走路跡地を解放し、ここに農業がもともと持っている人間と自然との有機的な結合を軸とする新しい価値創出の場をつくるべきであり、これこそが次世代に残す成田空港問題の解決の仕方であると主張したのです。
 しかし、もともと二期工事を完成させたいためにシンポ・円卓会議に参加した感のある運輸省・公団は、あくまで話し合いでB滑走路をまずつくりたい、C滑走路については一時凍結し、B平行滑走路の完成後に改めて考えたいと主張し、両者の意見は対立したままこの会議は終了しました。
 その後、運輸省側、同盟、周辺地域代表者等が加わり、二つの組織がつくられ活動を開始しました。一つは成田空港共生委員会、もう一つは地球的課題の実験村委員会です。
 この二つの組織はそれなりの活動により成果をあげてはきましたが、円卓会議の対立をそのまま残した形での出発であったため内部矛盾をするどくはらんでいます。
 一方、公団側は昨年活発に動いて六軒の農家と移転合意し、このような中で冒頭の芝山町長の見解が出されたわけです。
 しかし、用地内には二戸の農家があり、用地外所有者の土地が点在し、東峰部落の共有地、神社、墓地、また共同出荷場や私たちの一坪共有地があります。運輸省・公団は強制力を否定された以上、解決不能といえるでしょう。

〈私たちの立場〉
 
 私たちは三里塚の展望について現地の方々とも話しあい、一坪共有者としてどのような立場をとるべきか考えてきました。
 一度自然を破壊すれば、元にもどすには果てしない努力が必要になります。政府・公団は現空港建設にあたり三〇万本の樹木を切り倒しました。地域との共生を真剣に考えるならば、元B・C滑走路跡地だけでなく、騒音地区の宅地跡やその他の所有する土地をも全面解放し、そこに一〇〇万本の広葉樹を植えるべきです。
 広葉樹林の創り出す腐葉土は無限の微生物を発生させ、どんな激しい雨も吸収し、川の水は濁らず、周辺一〇〇qにわたって地下水脈を豊富にし、湧水率を高めるでしょう。高谷川は満面に微生物とミネラルを含んだ川となり、芝山町だけでなく下流の市町村に限りない恩恵を与え、かつて新潟魚沼産のコシヒカリに次いで評価された千葉コシヒカリがよみがえり、畑もこの水が下肥になって適地適作のブランド作物が現れるようになります。この微生物とミネラルは九十九里浜にそそぎ、大量のプランクトンを育て、やがて二〇年もすればある日海面が沸き立つくらいの魚の大群が押し寄せるでしょう。
 かつて世界的名漁場といわれた三陸近海漁場を作り出したのは奥羽山脈・北上山地を埋めつくすほどに繁ったブナの原生林、その腐葉土でした。中間の盆地や平野部の農民は、農薬や化学肥料を使わなくても一反歩一〇俵の収穫をあげていたのです。日本海側の秋田ハタハタ漁が絶滅寸前にまでいったのは乱獲の他に、このブナ林が三〇年の間に五分の一にまで減少したことによります。
 自然の大サイクルを復活させ、その恩恵を全身に浴びて農林水産業が自信と誇りをとりもどし、高度成長期の拝金主義からぬけだすことは、時代の必然、未来からの要請であり、かつまた反対同盟の皆さんの意向でもあると思います。
 
 現空港を一〇〇万本の広葉樹林で包み込むこと、これこそ次の世代に受け渡せる解決の仕方であり、一坪共有地もこのような中でこそ昇華・解消されるものと思います。
 私たちは大義を失ったものの言うことに惑わされることなく、新たな責任を持った反対同盟の実験村構想と共に歩みます。

一九九八年二月十五日
 仙台・三里塚一坪共有者の会
  代表 古賀信夫
〈事務局連絡先〉大平次雄 
仙台市青葉区下愛子二本松8―31
TEL022―392―7946 FAX022―271―1981
宮城・三里塚闘争に連帯する会
仙台市青葉区北目町2―40―301電通労組気付
TEL022―223―3526 FAX022―267―6969
〈現地連絡先〉
柳川秀夫(反対同盟世話人)
 千葉県山武郡芝山町香山新田22 
 TEL・FAX0479―78―0085
 
私たちも賛同します
久保久 大内忠雄 亀谷保夫 星野憲太郎 山下司郎ほか一坪共有者六九名(二月十五日現在)

【資料】U 関西の声明
一坪共有者の皆さんへ
 
 この二月八日、関西三里塚闘争に連帯する会の新春旗開きに集まった私たちは、最近の三里塚現地の情勢について詳しい説明を受けて討論しました。その結果私たち自身も権利者である木の根と東峰の一坪共有地をめぐって、状況はかなり緊迫しており、この際共有者の一員として、私たちの意思をハッキリ表明しておこうということになりました。
 現地から伝えられる情報によると、今回の町長選で当選を果たしたばかりの相川芝山町長(元反対同盟、青行隊員)は、私たちが所有する木の根の共有地について、これが町民全体の悲願である芝山鉄道建設の最大の障害であるとして、一坪の権利の解消を要請すると声明しています。それによると、シンポ・円卓会議の結論としての「隅谷所見」によって、話し合いで空港問題を解決するルールが確立され、国の力による空港作りに対抗する手段としてとられた共有運動はその役割を終えた、したがって共有地の解消を求めたいということのようです。
 しかし私たちはこの声明の見解に納得することはできません。先ずシンポ・円卓会議の結論、またその集約としての「隅谷所見」は、確かに力による空港作りの放棄、話し合いによる空港問題の解決を約束しています。またその結果として事業認定は取り下げられ、一応土地強制収用の脅威はなくなりました。しかしシンポ・円卓会議の到達点はそれ以上でもそれ以下でもないと私たちは理解しています。その具体的施策として始まった共生委員会、地球的規模の実験村の事業化はまだこれからのことです。共生委員会の活動について言えば、それはこの国の政治や行政の現状から見れば画期的なものと評価できるでしょうが、公共事業を進めるためには当然そうあらねばならない地元対応の姿を示したものにすぎないのであって、しかもそれも緒についたばかりでその成果は今後にまたねばなりません。一方三里塚闘争三〇余年の闘いの思想的到達点でもあり、シンポ・円卓会議の最大の成果ともいえる地球的課題の実験村作りについては、基本理念の討議はほぼなされているものの、まだ実現への目途は立っていないのが現状です。
 そもそも三里塚闘争には常に二つの闘争課題が一体のものとして解決が求められていました。一つは農民、地元住民を虫けらのように、つまり政府や行政の施策の障害物としか見ないような政府の姿勢に抵抗する民主主義と人権の闘い、今一つは、これは初めからというより民主主義、人権のために体を張って闘ってゆく過程でだんだんに理解され、固まっていったものですが、政府や行政の施策が必ずしも正しいものでも理にかなったものでもないこと、公共事業という名の巨大開発が地域を破壊し農業を追い詰めていることを知って、これと闘うことの必要を自覚したことです。具体的には空港政策そのものに反対する闘いです。実はシンポ・円卓会議ではこの第一の課題については、政府の側が公式に謝罪し、その結果として事業認定は取り下げられ、解決した、勝利したと言ってよいでしょう。しかし第二の課題、空港行政の誤りについてはまだ答えは出ていませんし、これ以上の空港拡張を行うかどうかについて反対同盟と国側の意見は対立したまま結論は出ていません。反対同盟の側は、これ以上の空港拡張は騒音被害や地域の乱開発を一層拡大するだけで、折角の共生委員会の活動さえ絵空事に終わらせかねないし、シンポ・円卓会議で到達した地球的課題の解決、農的価値の復権による地域、社会の再編という大目標そのものにも逆行すると考えているからです。
 またそれに関連して芝山町民全体の悲願のように言われている芝山鉄道そのものも、初めから膨大な赤字が想定され、それが今の国、地方自治体の財政状況から見ても、住民の過大な負担を招くだけのものであることは明らかです。これはひとえに空港拡張予定地内の未取得の用地問題に打つ手を失った政府・公団の側が、元の反対派農民を含む芝山町民を巻き込んで、反対同盟と共有者を地域で孤立させ、話し合いのポーズをとりながら空港拡張を進めて行こうと企む腹の中が透けて見えるように思います。
 いずれにしてもこのような諸条件を考える時、現状は空港問題の解決や、ましてや反対同盟が三里塚闘争の勝利を宣言し、共有地を解消する条件としてはほど遠い状況にあると判断せざるをえません。
 以上のような判断から取り合えず、一坪共有地を守り抜くための私たちの決意と条件を明らかにした声明を発表すると同時に、集会の参加者一同の連名で共有者の皆さんに現状をお知らせし、ご協力を呼びかけることにしました。
 一九九八年二月八日
 追伸 公団その他(現地でも反対同盟以外のものも)から何かの文書、連絡などがあった場合は必ず左記までご連絡下さい。
 
 堺市桃山台1―5―2―103 上坂喜美 TEL0722―96―2346
大切な自己責任の論理
          若葉マークの自動車社会論A
                                    高山 徹

悪いものは悪い

 本紙96号で「自動車の社会がこうした違法行為の積み重ねの上に成立しているという、そのマイナス面をくどくどと書き連ねてきたのは、果たしてこれでよいのだろうか、という素朴な疑問を提出するため」と書いた。
 その後、この問題を時々考えてみたのだが、どう考えるべきなのかよく分からない。96号を書いた当時は「悪いものは悪い」と割り切っていたのだが、それだけではどうもすみそうもない。確かに、悪いことを悪いと強く主張し、その是正を求めていく姿勢は大切だと思う。当時は、この線でいこうと考えていた。
 というのは、最近のデータを知らないが、これはもう四十年以上前の話で、そのまま通用すると考えていいのかどうか分からないが、私の体験からは十分通用すると思う話がある。
 それは、約百キロメートルくらいの距離を二つの方法――一方は交通法規を遵守、他方は相当に無視した乱暴運転――で実験走行をして、その結果を検討した。後者が時間にして約十分程度早かったが、ストレス(確か走行後の血圧か脈拍)を調べたら後者の方が圧倒的に高かったというのである。四十年前とは道路状況や自動車の数など条件は大幅に違うが、道路上の自動車密度は大きくなっているのだから、この結果は案外、現在でも基本的に同じと考えてよいと判断している。そして、こうした結果は意外と知られていない。
 自動車が数々の違法行為を繰り返しながら走行しているという事態の背景には、「急いでいる」という事情がある。暴走族やスピード感覚を楽しみたいという特別の事情を除外して、普通の人が普通に走る場合に違法行為を積み重ねる最大の原因は「急いでいる」につきるだろう。ここで前述の実験走行の話となるのだが、「急がなくちゃ」と思って違法行為を重ねて走っても実際にどれほど早くなるのか――意外に早くならない、あるいはストレスの蓄積や体験した怖い思いなどの代償としてはそれほど時間が短縮されていない。走行距離が短ければ短いほど、急いで走っても結果に大きな違いは出てこない。
 会社名は忘れたが、ある宅急便トラックの後ろに「私たちは交通ルールを守ります」か「違法運転をしません」と大書してあって、私が見た限りでは速度にしても制限速度を遵守している。宅急便のトラックだから、そのデータを普遍化するのは難しいかもしれないが、この会社は遵法運転の各種結果を公表すべきだと思う。そうすると、多くの人が意外だと思うような数字が明らかになろう。
 違法行為を積み重ねた走行は、個人のレベルでも控えめに言って得になることは大きくない。これを社会全体に拡大した場合はどうなるだろうか。日本経済が交通(流通)の面で、各種の違法行為の上に成立していることは紛れもない事実である。ことにトヨタ自動車が日本的な優れた生産方式として自慢している「カンバン」方式は、流通の面では大きな無理を強制していると思われる。
 こうした違法行為の上に成立しているプラスの面とマイナスの面とを比較する研究が必要だと思う。この場合、国民経済的に数値化できる項目だけでなく、人間の健康や大気など環境への影響などをも検討の対象とすべきであろう。その結果、どんな結論が出てくるのかまったく分からないが、前記の結果から推測するなら、大きな違いが出てこないような気がする。違いが出てくるとすると、経済の面を重視するのか、それとも市場以外の面を重視するのかという立場の違いからではなかろうか。

車は自己責任

 圧倒的な人が違法運転をしている状況にあって、悪いものは悪いと大きな声で主張しても、あるいは遵法走行をした方が結果的には得だという「事実」をいくら宣伝したとしても、事態が改善されるとは思えない。それを端的に示すのが次の事実である。
 これは三本和彦著「クルマから見る日本社会」(岩波新書、一九九七年一月発行)からの引用である。
 「何よりも不思議なのは、一九五九年にはじめて年間一万人以上の交通事故死亡者が出て以来、四〇年近く……それが続いているにもかかわらず、交通政策が内閣の目標になったことが過去一度もないことだ。これは日本人の民意の低さに通じる。
 大腸菌O157によって十数名の死者が出た途端に日本中がパニック状態になったが、膨大な数の交通事故の死傷者に対して、なぜこれほど鈍感なのか。人の命の重さを数で天秤にかけるわけにはいかないとはいえ、交通による死者にこれほど冷淡な国には疑問を抱かざるをえない」
 ここで三本さんが「日本人の民意の低さ」と指摘するのは、インターナショナルビューポイント誌論文「ヨーロッパ連合の交通政策批判」と同じ立場、すなわち移動の権利を衣食住と同等の基本的な権利と考えるからである。そして、その権利意識の弱さ、あるいはその権利を強く行使しないことを指してのことである。
 交通事故の圧倒的な多数は、その直接の原因とは別に、それなりの違法運転あるいは無謀運転がある。日常的な違法運転の累積のうえに交通事故に至る。「交通による死者にこれほど冷淡」な日本とは、実は日常の交通違反を問題にしない社会状況の端的な表現である。そうだとすると、民意の低さをいくら指摘しても、それによって民意が高くなることがないように、交通に関する社会状況が変化していく可能性もまた小さい。なお前掲書では、交通問題を解決するために必要な諸課題を具体的に指摘していることを付け加えておく。
 これまでは、自動車交通を人間の側から見てきたが、車の側から考えてみたい。車が人にどんな作用を及ぼしているのか、この点を若葉マークつきで考えてみる。
 ここでいう車とは、ガソリンや経由を燃やす内燃機関を動力とする自動車、それも主として普通の人が乗る乗用車のことである。このタイプの車は、工業製品としては相当に成熟しており、車の性能はナビゲーターシステムとか、排気ガスの質とかの面を除くと、基本的な発展はありそうもない。逆に言えば、現在の基本能力、つまり速度(加速力)や制動能力、回転半径などには変化はなさそうである。だから、自動車教習所で繰り返して教えられることに「自動車の性能がいいのであって、あなたの運転能力が素晴らしいのではない」という錯覚の危険性がある。基本操作を身につけてしまえば、ある程度の水準の運転ができるような自動車となっている。
 そうした性能の自動車を道路で操作することの第一の前提は、車は自己責任の論理が貫徹しているということだ。私は教習所では実技しか受けなかったので、どんな教え方をしているのか分からないが、いわゆる学科教習では、この自己責任論を徹底して教えるべきである。
 実際に初めて一人で道路を走ったときに、自己責任ということを痛感した。同乗者がいれば感じ方は少しは違うかもしれないが、すべてを自分の判断で実行し、その結果を自分でとらなければならない。車に漫然と乗っていると気がつかない場合があるが、車はそれ自体が凶器である。一定以上の速度で衝突すると、乗っている人の命はもちろん、車が衝突した人の命を奪う、あるいは人の一生を大きく変える可能性が極めて強い。自動車の基本構造は鋼鉄製で、それなりの強度を保っているが、人が日常走行している速度では、車にぶつけられた人にはその強度が凶器となり、乗っている人の生命を保証するには十分な強度ではない。
 自動車を運転するときは、このことに徹底して自覚していなければならない。ところが、違法運転をしている場合、この自覚が基本的に欠落している。車の基本論理が自己責任であるという場合、それは市場で売買するのと同じ意味においてであるが、だが、車の操作に命や人の人生がかかっているのだから、極めて深刻な意味で厳しく自己責任の論理が貫徹していると考えなければならない。
 この点でかねてから不思議に思っていることがある。それは車を運転していて人の命を奪ったり、あるいは負傷させた場合に「業務上過失致死」や「業務上過失傷害」の罪にしか問われないことである。法律の専門家に質問したり、あるいは書物で調べたことがないので、素人の独断と考えていただきたいが、何が「業務上」なのだろうか。業務上とつけば、そうでない場合に比べて刑罰が軽くなる。遊びに行く人が猛烈な速度で走行し、その結果、人の命を奪っても「業務上」なのである。おそらく、車を運転すること自体が「業務」と考えられているのだろう。
 今、日本では免許取得可能年齢者の九〇%以上が免許を持ち、その大部分が実際に車を走らせているときに、つまり車の運転が特殊なことでなく、ご飯を食べるのと同じようにごく普通の日常行為となっている時代にあって、こうした考え方は時代錯誤といわなければならない。
 自動車の運転に違法行為がまかり通っているという事実は、この自己責任の論理が自覚されていないか、あるいは間違って理解されている結果だと思われる。
        (つづく)

張り子の虎経済
危機の原因と労働運動の課題

                                  テリー・ローレス

 韓国の経済危機は、アジアの虎と呼ばれた諸国が追求してきた経済戦略全体を問い直す必要性を明らかにした。

財閥という特殊構造

 韓国の平均所得は、一九九七年八月の一万米ドル(以下同じ)から十二月後半の五千ドルへと数カ月のうちに半減した。株式市場は破たんした。一九九六年では、上場株式の全市場価格は百十七兆ウォン(百三十九億米ドル、当時の交換レート一ドル八四四ウォン)だったのに、一九九七年のクリスマスイブには六十六兆ウォン(三十四億ドル、一ドルが一九六五ウォン)となってしまった。すなわち、株価の下落とウォン安で韓国企業の「値段」は四分の一に落ち込んだのである。全上場企業の値段が、世界で七〇番目の大企業であるダッチ銀行グループINGの価格以下となったことを意味する。
 韓国は、これまでも一九六九年にIMF(国際通貨基金)から、一九八三年には日本からと、二度にわたって経済危機を救われてきた。このことは、韓国経済が財閥の存在とその経済戦略に関連して基本的な構造問題、欠点を有していることを示唆している。多数(三十)存在する財閥は、商品価格の急落やもっと一般的には利潤率の低下を覚悟して、相互に激しく競争する。財閥を解体することこそが、韓国の労働組合KCTU委員長が主張している「経済の民主化」のために不可欠である。
 この間の経済危機における最初の警告は、半導体価格の急落と世界的な鉄鋼の過剰生産だった。これら二つの傾向が一九九六年、韓国で最大規模の数財閥を襲い、利潤率を大幅に低下させた。こうした財閥の戦略は、短期資金を借り入れて、それを生産規模の急速な拡大にあてるというもので、驚異的な経済成長が持続している間だけは有効であった。
 経営危機に陥った財閥は、信じられないほど過大の借入金を背負い込んでいた。最も劇的な破産だった韓宝(ハンボ)財閥の場合、政治的な腐敗と経営戦略の間違いとの教科書的・典型的な実例となった。だが、ほとんどすべての財閥が、この韓宝と同様のぞっとするような危険を冒す経営活動を展開していたのだ。ハラ財閥が十一月に破産したとき、その借入金は財閥資産全体の二十倍にもなっていた。
 東アジアの長期にわたる経済ブームが終了し、この地域は停滞を基調とする新しい時代に突入した。利益率は、この二十五年間で初めて五%以下となった。現在の経済危機は、マルクス主義経済学者エルネスト・マンデルがG7諸国の長期戦後ブームを分析したのと同じ方法で分析されるべきだ。この地域の経済が危機に陥った原因は、技術上の経済基盤が地域全体で同じ水準に達した結果として生じた、マルクスが言うところの利潤率の低下傾向に求められる。韓国は最近、千万台の自動車販売を祝ったばかりであった。

外資主導の改革か

 財閥の解体が行われるとするなら、それは外国資本の主導のもとに、そして民主化を伴わずになされるだろう。こうした財閥の解体では、外国資本による企業吸収(買収や合併)が進み、その過程に対する民主的な管理・統制が行われないために、韓国労働者にとっては最悪の結果を招く可能性が大である。韓国政府がとった最初の「危機克服」策は、貿易・商業の制限に関する法律の撤廃だった。この法律は、自動車や電子製品を初めとする日本の商品が韓国市場に流入するのを防いでいたのである。
 かつての朴大統領が日本の工業・産業路線を直輸入したために、韓国工業の全部門において、その構成企業が今や、自分よりも大きな日本の同種企業に吸収されそうである。韓国企業に対する外国資本の資本保有率上限が昨年十二月三十日に五五%へと引き上げられ、一九九八年末には制限それ自体が撤廃されることになっている。
 相対的に弱体な韓国ブルジョアジーにとって、G7諸国のいくつかと不平等なパートナー関係を結ぶことが唯一の解決策だと思われている。中期的には、日本、ヨーロッパ、アメリカの経済力が韓国において増大するであろうが、その前に全世界規模の景気後退ないし不況の局面がある可能性が強い。
 もちろん、日本資本による韓国企業の所有が進行するなら、階級的なものと民族的なものとが織り合わさった不満に再び火がつき、爆発的な力学を潜在的に形成していく。日本のブルジョアジーはことを慎重に運ばなければならず、名前だけの韓国人経営者を残すだろう。このような事態は、家族経営をもっぱらとする財閥にとっては、決して新しい現象ではない。今世紀の変わり目、韓国が日本の植民地だった当時に、現在の財閥の祖父母の世代(当時の土地所有階級)が演じた役割と本質的に同じである。
 次期大統領金大中は、スモールビジネスの重要性を強調し、資金の流動性を高めるための複数の基金設立を明らかにしている。国民経済の約六〇%を占める二十の財閥家族に対立して金大中がどのように行動できるのか、その力は極めて限られているようだ。
 財閥の側は、特定の分野に特化して生き延びる可能性を追求しているようだ。各財閥は、それぞれが全工業分野に多数の企業を有しているが、特化しようとする以外の分野に属する企業を他の財閥に売却して生き残りを図ろうというのである。これは、彼らの韓国的愛国主義と同時に、家族財閥という観点を超えられないというその限界を示している。この計画は、実際に行われることがあるにせよ、失敗に終わりそうだ。経済の混乱はあまりにも巨大である。
 政府はまた、賄賂や公務員などが行った強要による金銭といった不正蓄財を経済の表、本流に環流しようと努力している。地下経済の金や賄賂・強要の結果としての贈り物と金銭は現在五百億ドルに上るという報告もある。金泳三大統領が韓国のOECD加盟に当たって、OECDの基準に達すべく金融の透明性を高めるために導入した措置の結果、これらの資金は地下経済に入り込んでいった。
 大統領選では、すべての候補者が巨大な資金を地下に追いやる結果を招いた実名口座などの実名取引制度を撤廃すると公約した。金大中は当選後、公約のいくつかを変更し、長期政府債の発行を行うと発表している。しかも、その資金の源泉は明らかにされていない。

労組は反撃するか

 労組の反撃はどんなものになるだろうか。もし闘いが起こるとするなら、重化学工業がその場となろう。一九九六年十二月から翌年一月まで、同産業で闘われたゼネラルストライキの再現となるだろう。この部門を中心的に組織しているのはKCTUであり、一九九五年に国家公認労組FKTUから戦闘的な方向で分裂したナショナルセンターである。
 闘いとなると、労組とその闘いを弾圧するのは、韓国政府ではなく、IMFとなる。闘いの結果は、韓国に投資しようと考えている外国資本、とりわけ韓国の企業や財閥を買収しようとする外資の決定に明らかに影響を及ぼすだろう。その闘いは、防衛的であり、この数年間にG7諸国で展開されたストライキを連想させるものがある。
 勝利の見通しは大きくない。労組の闘いが勝利するなら、外国への資本逃避が再び始まるだろう。その結果、さらにウォンが不安定になり、インフレーションが進行し、輸入品価格が上昇し、倒産も増大していく。
 こうした事態に対して労組は、次の両面で闘っていく必要がある。一方では、失業をできるだけ少なくするために闘い、他方では、倒産などで失業した労働者に対する補償を実現し、失業労働者に対する国家による救済制度を創設することである。韓国の場合、企業の帳簿・財務内容を公開させることはおそらく多くの人々に精神的な衝撃を与えるだろうが、それは同時に財閥が説明していることが実際にはどんな実態なのかに関する経済学的な分析・記述を深める多くの材料を提供することにもなる。
 金大中政権は、IMFと約束した金融・財政改革を実行するために、一九九八年の初めにも労働法を改定しなければならない。KCTUは、労働法改悪がされるならゼネストで闘うと明らかにしている。
 国家公認労組のFKTUは、IMF寄りの立場をとっている。その指導者は、最近行った金大中との会談の中で、IMFや資金援助提供国に手紙を送り、その組織は緊急援助合意に伴う各条件を守るだろうと述べた。会談後、「組合員は、職の共有(分かち合い)とそのために必要な賃金条件のために運動を始める。レイオフは最後の手段だと組合員は考えている」と述べた。
 どんな大衆動員であっても、次の二つが中心的な課題だと思われる。第一は、企業合併や買収の場合に、余剰人員を解雇できるように労働法を改悪する問題(整理解雇制、注を参考)である。一昨年のゼネストの結果、二〇〇〇年までは大量レイオフを行えなくなっている。韓国経済を再び外国資本に対して魅力あるものにするためには、政府はこの内容を変更せざるを得ない。
 第二の問題は、企業破産の場合に他の債権者よりも優先して労働者の債権(労働債権)が保証されなければならないということである。これは、レイオフされた労働者に対する失業保険制度がない韓国では労働者にとって死活問題である。
(インターナショナルビューポイント誌2月、297号)
注 二月二十六日朝日新聞「金大中大統領就任 大量失業時代も幕開け 問われる国民の政府」から(ソウル、植村報告)
「大統領就任式開会の直前まで、国民会議(金大中総裁)の党本部に、労働者が一月もろう城していた。整理解雇制の導入などに抗議してのことだ。
 金大中氏の呼びかけによる、労組と財界、政府の「労使政委員会」は今月六日、同制度の早期導入で合意し、国会は十四日、制度実施を来年まで猶予した勤労基準法の条項を削除するなどの法改定案を可決(二月二十日実施)した。最高裁判例をもとにこれまで行われてきた整理解雇を法に明文化したものだ。
 この委員会に出ていた労組ナショナルセンター「民主労総」の代表はその後、組合員に突き上げられ、代表職を辞任した」

注 IMFの韓国支援(朝日新聞キーワードから)
 金融危機に陥った韓国に対し、国際通貨基金(IMF)は、財政支出の削減や増税などで経常収支の赤字を減らすなどの条件をつけて金融支援することを決めた。IMF自身の融資決定額は、通常方式で算出した融資可能額を大幅に上回る二百十億ドル。世界銀行やアジア開発銀行、先進国十三カ国も支援に加わり、支援総額は五百八十三億ドルにのぼる。韓国には、IMFが提示した構造調整プランの目標数字が厳しすぎる、との声もあったが、金大中大統領はこれを受け入れ、実施に移す意向を示している。