1989年9月10日         労働者の力               創刊号
結成総会特集   結成総会アッピール

第四インターナショナル日本支部の再建へ全国協議会、新たな出発
    新たな革命党建設めざし全国協議会へ緒集しよう
                  
第四インターナショナル目本支部全国協議会
                            一九八九年八月

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 第四インターナショナルの旗のもとに苦闘してこられた日本支部の同志諸君、日本共産青年同盟と社会主義婦人会議を支援し闘ってこられた皆さん、そして、その革命的思想に連帯と協力を惜しまれなかったすべての皆さん!
 私たちはここに第四インターナショナル日本支部全国協議会を結成したことを、責任の大きさを目覚しつつ、報告するものです。
 私たちの共通認識は、これまでの日本支部に深刻な綱領的・組織的危機が存在していたことを痛苦をもって受けとめ、その総括を通して、マルクス主義=トロツキズムの創造的発展を図らなければならい、という点にあります。この認識を共有する全国協議会を組織的基盤とし、最大限自由な問題提起と相互批判を行いながら、ぜひとも日本支部の再生をかちとり、第四インターナショナルのさらなる前進に寄与したい、と私たちは決意を新たにしているところです。
2
 日本支部は周知のように、現代日本における社会主義革命のための有効な綱領と手順を見いだしえておらず、あまつさえ労働者階級に対してセクト主義的対応を行う傾向さえをも生み出し、さらに近年の組織内女性差別問題により男同志と女性同志との組織的断絶状況をかかえております。
 このような状況こそ日本支部の綱領的・組織的「破産」の現実の姿であり、このことを否定的に見すえないかぎり、革命的マルクス主義組織としての再出発の方途は見いだすことができません。旧来の思想と組織形態を固めたところで空虚な「決意主義」を単純再生産するだけであることは、火を見るより明らかであると断言せざるをえません。
 日本支部を協議会システムに移行させることによって再組織し、綱領の「破産」の克服のための共同討論を展開し、性差別主義的な組織形態を乗り越える作業をぜひとも成功裏に実現させたい、と私たちは考えています。
 全国協議会は、構成員の協議と合意によって、最低限一致しうる組織活動と大衆運動を展開し、共同の事務所を維持し、共同の機関紙を編集し、論争・研究のための理論誌を刊行しつつを将来再建されるべき日本支部の原型を模索しながら、第四インターナショナルの基本的立場を擁護する姿勢を堅持するものです。
3
 私たちの組織的危機とは裏腹に、現代日本の政治状況は風雲急を告げております。総評運動は終焉の秋を迎え、日本共産党は、伝統的スターリニズムの刻印を強く押された宮本指導体制に固執することによって、衰退の兆候を見せるにいたっています。一方、自民党一党支配体制の終わりが明確に意識される中で、ブルジョア指導層までが、社会党の西欧型社会主義政党への脱皮を喧伝しています。
 このような時代状況にあって、社会主義革命の前進をもくろみ、トロツキズムの旗を堅持するものがなさねばならぬことは自ら明らかであるというべきでしょう。それは、社公民・「連合」といった階級協調の政治潮流に対抗し、階級闘争の大義を守る労働者党建設の道を展望することにほかなりません。
 とはいえ、この新たな労働者党は、旧来の労働者がかかえた問題をはるかに超える諸課題をも解決する展望をもたなければならないという使命をも担っています。歴史的な女性解放のうねりを前進させ、地球規模での生態系破壊と闘い、第三世界人民、少数民族の権利を擁護する等々といった諸課題です。
 大胆に未来を展望しうる左派労働組合ナショナルセンターを闘いとることが必要とされているのであり、それを支えうる新たな社会主義革命の綱領をもった党が建設されなければならないのです。
4
 国際情勢の展開も人々の予測を超えるものがあります。ソ連邦のゴルバチョフは、「ペレストロイカ」(建て直し)によって、これまでの硬直したスターリン主義路線の見直しを始めました。けれども、彼の「代行主義」によっては、ロシア社会主義革命の理念への復帰は完成しえません。そしてまた、天安門広場の血の弾圧は、中国指導部が依然としてスターリニズムの思想的影響下にあることを鮮明に悲劇的な形で告げ知らせました。
 今こそ、ロシア革命の最先頭に立ちながらシベリアの流刑地に倒れたオールド・ボリシェビキたち、上海で戦闘的労働運動を闘いながらも毛沢東の獄に繋がれた左翼反対派の活動家たちに思いをはせるべきです。
 自発的な労働者農民の主権が、官僚主義に代わって実現されなければならない現代こそ、トロツキズムの基本的スローガンが現実的に根づくべき秋なのです。

 現代は、「社会主義思想の衰退」の時代と刻印されます。誰によってでしょうか-まず、例外なくブルジョア思想家によってです。かつても、同様の「社会主義思想の危機」の時代が存在しました。レーニンやトロツキーやローザ・ルクセンブルクやグラムシが、マルクス主義を創造的に蘇生させました。しかし「危機」を十分認識した上で、かつ理論的・実践的苦闘を通してのことです。
 私たち第四インターナショナル日本支部全国協議会は、来るべき苦闘の時期を思い浮かべながらも楽観的に、トロツキズムと第四インターナショナルの旗を掲げつづけます。その思想は戦闘的労働者農民が存在しつづけるかぎり健在です。その中核には、再建された第四インターナショナル日本支部が存在するでありましょう。その日本支部は全国協議会の苦闘によって必ずや再生するでありましょう。
 第四インターナショナル万歳!
 日本支部全国協議会万歳!

 一九八九年八月
  第四インターナショナル日本支部全国協議会結成総会

1989年8月
各地から仲間が集まって全国協議会結成総会を実現


協同の場にふさわしい新たな旅立ち

新たな出発
 日本支部の綱領的破綻と組織の解体状況の深化を直視し、旧来の日本支部の綱領的、組織的ありようの全面的な見直し、再検討を通じて、支部の再建をともに闘いとっていくための協同作業の場として、第四インターナショナル日本支部全国協議会の結成総会が、さる八月**ー**の両日、開催された。
 結成総会は、従来の日本支部組織構造を基本的に延長、持続せんとするレーニン主義派を中心とする、いわゆる「大会派」の「十四大会」開催強行に反対し、その「大会」に対置するという位置を与えられた。「十四大会」を日本支部の正規の大会としては承認せず、あらためて日本支部の全構成員の参加が保障された状況で正規の十四大会を開催することが、名実ともに同盟再建を闘いとっていくための前提である、との立場を組織的にも貫徹していくものとしての全国協議会の結成である。

何を確認したか
 全国の同志たち**名(オブザーバー*名)の参加のもとに、全国協議会は以下の提出文書を討論し、確認した。
 @ペレストロイカと社会主
  義の変革
 A参院選と全労協
 B日本支部の「綱領的破産」
  と再建の基本方向
 C暫定組織協定
 D結成アピール
 これらの文書は、討論にもとづいて削除、修正、加筆を加えたうえ、協議会機関紙紙上で発表される(本号、Cのみ次号)。この一20、Bの「日本支部の……」は、協議会活動の方向性をさらに実践的、理論的に深めていくにあたっての討論文書としての性格である。
 結成総会は、以上のほかに、国際活動、組織活動、財政活動、機関紙・誌活動、大衆運動方針について討論し、当面の方針、方向性を確認した。
 機関紙は月刊A3版四頁、定価二〇〇円、発行部数****部で出発する。機関誌、討論ブレティン・内部通信の発行もあわせて確認された。
 組織活動にかんしては、第一に全国協議会と地方・地区協議会の組織体制の採用、第二に年一回の全国総会と全国運営委員会、全国事務局、編集委員会、国際委員会、財務委員会、労働運動-大衆運動委員会の設置が確認され、構成メンバーが選出された。
 国際活動については、協議会準備委員会からの統一書記局への手紙にかんする報告、**同志との書簡による意見交換が報告され、きたる世界大会への代表派遣を確認した。
 大衆運動については、主要に全労協、国鉄、三里塚闘争にかんして報告され、協議会としての活動の具体化を早急に確立していくこととなった。

機関紙名を決定
 事前に機関紙名称が公募されていたが、一票投票による決定が行われた。準備委員会段階での討論のなかで浮上した四つの候補がそれぞれ推薦演説のあと、投票にかけられた。投票時点でやむなく参加できない同志たちには不在者投票の権利が確保された。投票にあたっては、当然そのほかの名称選択は自由で、そのような意思表示もあった。結果は、第一回投票で上位二つを選び、決戦投票の結果、「労働者・…・」系が第一位当選となった。ちなみに、他の候補は、「変革」系、「連帯」系、「新・・」系であり、決戦投票は「変革」系との問でなされた。
 確定名称は、当初提案にもとづいて『労働者の力』となった。

青年組織について
 青年組織への対応にかんして、オブザーバー参加の青年同盟**同志から間題提起がなされた。準備委員会からの報告の認識と現実の青年組織の状況認識の差が指摘され、総体としての青年組織の今後の方向性に踏み込んだ展望を再構築する闘いが必要であるという提起であった。各地方・地区の見解表明を含んだ討論の結果、基本的に受け入れ、「日本支部の……」文書から、青年組織にかんしての言及個所は、再検討が必要との観点から削除した。さらに具体的に各地方・地区での青年の相互討論を進めつつ、協議会活動への理解の深化をはかっていくなかで青年組織の今後の方向性を協同作業として見いだしていくことが確認された。
 全国協議会発足にあたっての正式参加者は**名である。


投稿・寄稿歓迎!
機関紙の定期購読をお願いします

 「全国協議会」という仮称で創刊準備号から出発した本紙は、結成総会報告にありますように「労働者の力」として正式に紙名が決定し、創刊号の運びとなりました。
 本号で明らかにされているように全国協議会は、人類の解放、社会主義の勝利をめざして、そのために要求されている様々な課題に憶することなく真正面から取り組んでいく協同作業の場であります。機関紙「労働者の力」を、協同作業の場たらしめていくためには、読者、同志の皆さんとの協同作業が濃密に展開される必要があります。この精神に立って皆さまの寄稿、投稿を大歓迎いたします。
 なお本紙の力量はまだ出発したばかりであり、まことにささやかなものです。皆さまの定期購読をはじめとする物心両面の御支援が不可欠です。よろしくお願いいたします。

第一議題
ペレストロイカと社会主義の変革
間われる自らのぺレストロイカ


変わりつつあるソ連の権力構造

ソ連では今日、ペレストロイカが「上からの民主主義革命」と呼ぶことのできるような姿で、後戻りすることなく前進している。
 ゴルバチョフの呼びかけも、初めは、共産党の頂点にいるものの約束がいつでもそうであったように、人々の不信と警戒に迎えられた。だが、ゴルバチョフとその若い支持者たちの、精力的な努力が、改革に情熱を示さない保守的な高級官僚の陣地を、一つひとつ突き崩し、占領していく様子が、広くあからさまに展開するにおよび、改革への大衆的な期待は、しだいに抗しがたいうねりとなって、ソ連社会をとらえはじめた。
 特権を享受し、改革を進めることを実質的にザボタージュしてきた高級官僚が、追放、引退させられ、重要なポストに若手の改革派がつぎつぎに登用されていく事実に、人々は、ペレストロイカ…「再建」の呼びかけが、言葉だけで終わらないことを納得したのである。書記長就任以来、ゴルバチョフが一進一退しながら人事に手をつけ、旧世代指導部の排除に取り組んできたことが、彼の決意が本物であることを知らせる、一番確実な方法なのであった。
 人民の最初の不信やためらいは、だんだんと、いっそう大胆な、より本物の改革を求める叫びや運動に変わりつつある。現在の権力と大衆の関係は、夕暮れのなかでキャッチボールを行うのに似ている。弱すぎたり強すぎたり、ときにはまるで方向違いの球が投げられたりするが、お互いに相手の存在を確かめながら、対話が続けられている。ともかく、対話は続けられている!
 そのようななかで、ソ連の権力の構造が変わりつつあるといえる。ピラミッド型に組織され、他の何者の介入も許さない、完全に排他的な独占的占有としての共産党独裁がいま、限られた部分であるとはいえ、大衆の「介入、監視」の下に置かれようとしている。その「介入、監視」のシステムとして、資本主義国家の政治制度である議会制民主主義の方法が、一部採用されはじめている。
 このような変化が、半世紀を超える長きにわたって不可侵とされてきた共産党独裁のシステムを、根本的に脅かすことは明らかである。このような改革が、保守的官僚の抵抗に出会わないわけには、とうていいかない。ペレストロイカは、ゴルバチョフとその支持者で構成される党指導部の改革派、一部それと重なりあう、より急進的な反官僚派の活動家層が、実質的に提携しながら大衆の支持をひきつけようと努力し、今のところ沈黙の抵抗に甘んじている保守的な官僚階層の巨大な勢力に挑戦していく、「陣地戦」として進行している。官僚の諸勢力、諸傾向と大衆の諸傾向、諸部分の不安定な、危険に満ちた均衡が成立している。大部分の大衆、とりわけ農民は、未だ受け身で、疑いの気分を抜け出ていない。その危なっかしい大地の上で、ペレストロイカ派と保守的官僚派との、必死の綱引きが行われているのである。

社会主義への大きな国際的影響

 ペレストロイカは、権力の政治的なシステムの改革に挑んでいるだけではない。それは、改革の基盤をつくりだすための政策をも展開している。
 ゴルバチョフの政府がもっとも力を集中しているのは、第一にはデタントの実現である。改革の目的である経済の成長力の回復にとってもっとも重い障害となっているのは、軍事的負担である。同時に、軍事官僚階層は改革が特権の排除にすすんでいく場合に、それを目分自身への攻撃と受けとめる部分であり、必ず改革の前途に立ちふさがろうとするであろう勢力である。
 デタントの成功は、軍事費の削減を可能にして改革的経済政策に貢献し、しかも職業軍人階層の政治的比重を、ソ連国家のなかで低下させる根拠を提供する。
 極めて重要な意義を持つ第二の分野は、農業における改革の推進である。農業改革は、ソ連経済の最大の弱点に取り組むことであるとともに、実は、スターリニズムの歴史的根源にメスをいれることにつながる。農業間題への真剣な取り組みは、ソ連が「不足の経済」から脱出するための第一の関門である。それは、コルホーズ制度の見直しなしには本当に始まることができない。そしてコルホーズ制度を今日見直すことは、理論的には決着がつかないままで、暴力的に葬り去られてしまっているネップからの論争に再び光をあてることであり、スターリニズムの出生の秘密である強制集団化を、まじめな検討と批判の対象にとりあげることである。
 農業の再建は、農民の活力、農民の生産への意欲を回復させることなしには、達成されない。かつては「コルホーズ奴隷」であった農民は、いまでもせいぜい「コルホーズ使用人」にすぎない。その彼らを、もう一度「農民」として再生させることが必要なのである。ちょうど、スターリンが行った「階級としての富農の撲減」の政策の逆を、行わなければならないのである。これが、ソ連史の真剣で核心にせまる総括を求めるものとなることは、理解できることである。
 ゴルバチョフの政府が今日取り組んでいる重要政策は、こうして、今日のソ連の国家の構造に重大な変革を導入するものであるとともに、ソ連史の新たな総括を提供することによって、国際的な社会主義の新しい流動状況をもたらすものとなるであろう。

ペレストロイカは「世界化」する

スターリニズムの総本山、モスクワからはじまったペレストロイカは、ただちに世界に広がった。
東ヨーロッパでは、「最後の障害」であるソ連自身が改革の先頭に立っているのであるから、おそかれはやかれ「民主主義」への流れはおしとどめられない。
 ポーランドでは、事実上共産党一党独裁は終わりを告げ、ハンガリーもそれに続くであろう。その他の東ヨーロツパ諸国にしても、単独で一党独裁体制をまもりぬけるほどの力をもってはいない。
 中国では、激しい民主化闘争が強硬な指導部によって鎮圧されたものの、その権力は革命の第一世代の最後の生き残りの権威にかろうじてささえられているにすぎず、本格的な変化が始まるまでにあと数年がかかるだけである。
 ペレストロイカは「世界化」しつつあり、さらにしていくであろう。
 だが、このように重大な変革が、労働者国家官僚体制の内部から、しかもその支配集団のイニシアチブによってつくりだされ、発展させられていくという事態は、トロツキズムにとって、あるいは反スターリニスト的なマルクス主義にとって、深刻なテーマを提起するものである。
 トロツキズムの立場からは、労働者国家の真実の改革は、官僚支配体制を打倒する政治革命なしには、問題になりえない事柄であった。今日、全労働者国家官僚体制の頂点に立つクレムリンの指導者の呼びかけから、まさに「上から」、真剣な、後戻りのできない改革が始まっているのである。
 改革の真の主人公は大衆で、その強大な圧力につかまれたゴルバチョフ一派が、しぶしぶ、たえず値切りながら、ペレストロイカをやらされている、というふうに事態を評価することはできない。大衆大多数は未だむしろ消極的である。たしかにゴルバチョフ派の左には急進的改革派が存在しているが、この部分を客観的に庇護しているのは、ゴルバチョフ派であといえる。このように、われわれのまえにある事実は、われわれのこれまでの「常識」とはかなりくい違っている。 われわれは次のような現象を目撃しているのである。
 完全に行き詰まった一つの体制が、自分の「身分」をもあえてかけて、体制の未来を回復しようとたたかう活動的な集団を、生み出したという現象である。このような現象は、歴史上、けっして多くはないとはいえ、これが初めてではない。
 ペレストロイカのこのような独特の性格は、また、その困難の本質でもある。すなわち、このような「上からの革命」が生み出されなければならなかったこの社会は、「下からの革命」の主体が、とうてい間に合ってつくられなかったことを意味しているからである。
 今日の改革の主体は、彼らの階級的な帰属集団において少数派であり、利害が鋭く対立する立場にいる。彼らが勝利するためには、自己の階級的基盤ではなく、大衆の圧力に頼らなければならない。それ故、彼らが途中で止まり、ここが終点であると言い出すことがないとは、だれもいうことができない。とはいえ、したり顔に彼らの裏切りを「予言」することほど、無意味なこともないのである。
 このような現実が、トロツキズムにとって死活の難問をつきつけていることはいうまでもない。この問題には、容易に答えることができない。だが、現実を決定するのは、改革への大衆的奔流が、抗しがたい規模と速度をかねそなえて、あらゆる障書を押し流す勢いに、いつ到達するかということである。事態の進展は、しだいにこうした様相を帯びつつあるように思われる。

「社会主義の変革」の時代へ

 現在のこの大きな嵐は、ロシア革命を前後する時代にも匹敵するほどの意義を歴史に刻印するかもしれない、「社会主義の変革」の時代としてとらえられるべきであり、またそのような時代となるべく、全力で推進すべきである。
 ロシア革命以後の国際共産主義運動は、ヨーロッパ革命の敗北によるロシア労働者国家の長い孤立のなかで、第三インターナショナルのスターリンによる支配を許した。スターリン独裁下のロシア労働者国家の現実は、人類が社会主義の名によって描いたものとは遠くへだたり、共産党の頂点に立つ一握りのエリート集団が排他的に独占する権力ヘの、労働者と農民の絶望的な隷属を強制し、いかなる個人の自由な思考も、創造的な挑戦も許さない家父長的全体主義にほかならなかった。
 第二次世界大戦のなかからたたかいすすめられたアジア人民の帝国主義からの独立の運動は、ソ連の反ファシズム戦争に結合したことによって勝利し、ソ連に占領された東ヨーロッパとともに、全体としての「社会主義陣営」を構成したが、これらの諸国家の現実も、ソ連の体制の輸出として、全体主義的な官僚独裁にすぎなかった。
 社会主義の名は、その現実によって人々を魅きつける力を失っていった。世界の青年たちの熱情をそそぎこんだベトナム解放戦争が、その勝利の後に、ベトナム、カンボジア、中国の軍事的な民族対立に移行したことは、社会主義からの大衆的離反のための最後の一押しとなった。
 七〇年代以後の世界は、社会主義が人類の未来のイメージではなくなったことによる重大な困難を背負っている。
 第一に、とりわけアラブを中心とする「後進諸国」の解放の闘いは、宗教的対立にきわめて強く規定された民族対立、民族戦争の深い混迷に沈んでいる。
 第二に、「先進資本主義諸国」の労働運動は、全面的に体制内化し、改良主義が路線となり、帝国主義的国民国家の利書のなかに同化している。
 第三に、地球規模の自然破壊の進行が加速されているにもかかわらず、有効な国際的共同行動のイニシアチブは帝国主義諸国にゆだねられ、社会主義は「人類共通の危機」に立ち向かう闘いの先頭には立ちえないでいる。
 社会主義が、人間による人間の支配と抑圧を撤廃させる運動であり、理論であるという信念が、いまや基盤を喪失しているのである。社会主義もまた、新たな支配と抑圧の体制を生み出すにすぎず、場合によってはより過酷で貧しい支配と抑圧を人類にもたらしてきたイデオロギーでしかないとする絶望が、広く人々をとらえている。社会主義が理想としての魅力を失ったことに、今世紀のもっとも深い悲劇がある。社会主義が、もう一度闘う力を取り戻すことができるかどうかに、人類の二一世紀の可能性がかけられている。
 このことは、社会主義自身の問題である。社会主義が、自ら変革できるかどうかの問題である。社会主義が現実を変革する力を取り戻すには、自らを変革できることを示さなければならないのである。

 人民の主体的参加が中心課題

 ペレストロイカは、この「社会主義の変革」に直結する必然的な根拠を持っている。
 ペレストロイカは、労働者国家の危機が、体制そのものの死に至る停滞のなかから生み出されたものであった。体制の危機は、社会がその「成長の原動力」を喪失したことによってもたらされ続けたものであった。その社会は、人々が積極的に労働し、積極的に思考する、その動機そのものを持続的に産出しない構造になってしまっていた。国家は、すべての自発的な創造のエネルギーを芽のうちにつみとることによって、革命の危険を防止したばかりでなく、真の前進の可能性を自ら奪ってきた。そうした自分自身を閉じ込めるシステムが作動しつづけることが、体制が存続していくための基本的な前提になっていた。現状維持が至上の価値になるこのようなシステムが、長い時間をかけて強固に築き上げられた結果、この社会はあゆる部分で死のような停滞におおわれることとなったのである。
 これはスターリニズムとしても堕落である。生成期のスターリニズムは、その野蛮なやり方を通じてではあれ、現果の変革を掲げ、暴力と「自己犠牲」に訴えながら、国家の成長をめざした。
 スターリンのいないスターリニズムは、現状維持のメカニズムの自動装置となり、停滞の泥沼に深く沈みつづけている。体制が未来を失っていることを強い危機感においてうけとめることのできる、自らの未来を有している指導部がこの国家の支配的位置に登場して、問題を率直に検討することによってスターリニズム独裁の現状維持主義的全体構造の根本的な批判に進み、さらにその歴史的な見直しにまで着手したのは、必然である。
 現在のペレストロイカ指導部は、官僚によるピラミッド支配の構造そのものが、創造のエネルギーを窒息させている事実を取り上げざるをえず、社会的な成長力の回復には、体制の政治的な民主化が不可避であることを明らかにせざるをえなかった。
 これはいわば「民主革命」である。
 ほとんど一九二〇年代の初めから現代にいたるまでつづいた、人民の主体的参加を拒否してきた政治体制、党によるソビエトの代行、中央委員会による党全体の代行、そして書記長による中央委員会の代行という、労働者国家の歴史的で普遍的なシステムが、いまようやく労働者国家そのもののなかから取り上げられようとしている。
 われわれはこのことが、社会主義の変革の根本間題であると考える。社会主義がブルジョア諸国の「自由陣営」から非難をうけ、人々の支持を失ってきた最大の問題は、「自由の不在」である。そして、労働者国家が停滞の泥沼に沈んだ最大の要因もま、「自由の不在」にある。ここに、ペレストロイカがその国家それ自身の再生のためにたたかおうとする努力が、そのまま、社会主義の変革に直結していく必然性が存在しているのである。

 社会主義の根本的再検討から再生へ

 今日、「上からの民主化」は政治における議会制民主主義と経済における市場的手法という、それぞれブルジョア的方法論への接近として現れている。 ソビエトにおける「プロレタリア民主主義」は、事実上は「無秩序」に近いものであった革命初期の経験を除けば、理論的には別として、現実的に存在したとはいえない。現実のソビエト制度は、二〇年代以後は共産党独裁の「伝導ベルト」以上のものであったことはない。したがってソ連人民にとって、主体的な政治参加の方法として西側諸国の議会制度以外のものは、存在してこなかったのである。この事情は、東ヨーロッパでも、中国でも同じである。
 経済における改革が、市場原理の導入という点で共通していることも、基本的にはそれと同じである。国有計画経済のあり方が、結局官僚的な指令経済以上のものにはならず、本来「見えざる手」に対する人間の意識性の勝利をおう歌するはずのものが、実際にはますます資本主義経済に対する脆弱性の拡大をもたらしてきたという事実から、もはや目をそむけるわけにはいかないのである。
 ペレストロイカの路線が、社会主義の優越性を示すものとされてきた根本のところで、ブルジョア的原理に「屈服」するものとなっているところに、社会主義の危機の深さが現れている。だがこのことは、社会主義の「反省」が、出発から開始されなければならないことを示してもいる。
 資本主義から社会主義への過渡期の政策をめぐっては、多くの論争が存在した。この論争は、未踏の広野に踏み込む用心深さをもって、経験と理論の慎重な検証過程として注意深くすすめられたなら
ば、本来きわめて実り豊かであるはずであった。だが実際には、これらの論争は権力闘争の方法で「解決」された。正しさの基準は、分派の強弱にすりかえられた。スターリン派が勝利したのは、その理論と政策が「正しかった」ためではなく、彼らが勝利したがゆえに、その理論と政策の「正しさ」が証明されたのであった。そのようにして、理論や政策の「正しさ」の価値には、ケシつぶほどの大きさがわりあてられるようになってしまったのである。
 半世紀を経た今日、ロシア革命の社会主義建設にかかわる論争の諸課題が、ほとんど十分に研究されてこなかったこと、まして解決されているものはなにひとつないことを、われわれは見出す。過渡期をめぐる論点は、すべてこれからの検討に残されている。現在の段階における労働者国家の困難と、帝国主義の現実との双方にふまえて、二〇年代以後のやり残された論争が回復されなければならない。ネップから工業化と計画経済にいたるすべての論点と、レーニン、トロツキー、ブハーリン等々を初めとする、きわめて多くの偉大な論者たちに、新しい光があてられなければならない。
 ペレストロイカのなかで、今日、社会主義はブルジョア的原理にひざまづいているように見える。しかし、問題をそのように単純にとらえ、そこから社会主義の「破産」を導くことは、あまりに早急である。現在の事態が明らかにしているのは、社会主義の歴史をその出発点から見直すことを含んだ、根本的な再検討を通じて、理論的にも実践的にも再生をはからないかぎり、社会主義がもはや未来をもちえないということである。社会主義の「破産」をいうことは、まだ早い。だが、「社会主義の変革」は、そのような根本的な再検討だけが生み出しうるだろうこともたしかである。
 地球的規模の環境破壊に対して、未だ根本的な対策を打ち出すことができず、利潤追求の経済はいうまでもないが、生きようとする人民の必死の営為そのものが、人類の未来を脅かしているという現代の困難は、真に有効な計画経済の、世界的な確立によってしか解決できないであろう。したがって「社会主義の変革」の成否には、いまや人類の未来そのものがかけられているといわなければならない。
 
 われわれの限界はどこにあったか

 根本的再検討の対象という点では、第四インターナショナル自身およびその一員としてのわれわれも同一である。われわれは、自らのペレストロイカをせまられている。
 第二次世界大戦後、第四インターナショナルは、戦争を通じて形成された世界情勢=米ソ対決の構造のなかで、ソ連と労働者国家の陣営が帝国主義に対して勝利するためにたたかう立揚に積極的に立った。これは、スターリニズムの基盤が労働者国家の孤立にあり、それ故、労働者国家群の成立と拡大こそ、スターリニズムの根拠そのものを奪う基本的な要因となるという見通しにもとづくものであった。トロツキズムとトロツキーを悪魔のことく攻撃しているソ連労働者国家の存立と強大化に積極的に立脚しよつとするこの第四インターナショナルの路線は、大きな矛盾である。そこには、第二次世界大戦がスターリニズムと帝国主義の双方ともの墓場となり、ヨーロッパはファシズムのくびきをプロレタリア革命によって脱け出るだろうとしたトロツキーと第四インターナショナルの予測が、あまりにも全面的に破産したなかで、その新しい現実のなかに新しい展望をつかみとろうとする必死の努力が示されている。パブロとパブロ派が最初にその立場にたち、やがてキャノン派もそうした。
 その後の経過を見るとき、第四インターナショナルのこのような立場は、少なくとも現実的であったといえる。さまざまな「新左翼」の短命な離合集散に比較して、第四インターナショナル派は、相対的に大きな勢力と、組織と運動を今日まで持続しえていることは、その現実的路線のおかげである。
 だが、そのこととは反対に社会主義の新しい変革のための寄与という点から見ると、第四インターナショナルのこれまでの運動には限界があったといわなければならない。現実の労働者国家に積極的に立脚する戦略は、社会主義の変革と新しい試練への挑戦において、保守主義的傾向の一つの基盤ともなった。フェミニズムやエコロジーといった、新たな人類的課題に対して、第四インターナショナルは積極的な問題提起者となるよりも、むしろ受動的な対応にとどまってきた。
 今日、第四インターナショナルは、その労働者国家においてますます深く、広く展開されていくペレストロイカに直面して、目らの歴史的総括をせまられている。労働者国家圏の軍事的・政治的拡大のためにたたかうというこれまでの戦略(われわれはそれを「世界社会主義台衆国の樹立」と表現してきた)は、すでに有効性を失っている。われわれが「世界的二重権力論」と名づけたこの戦賂は、すでに「現実的」でもない。社会主義の変革の課題の解決をともなうか、少なくともそれをめざすという意味を持ちながらでなければ、「労働者国家圏の拡大」は、人類が真実の解放に貢献するという役割を果たすことができないというのが現実なのである。第四インターナショナルもまた今日においては、社会主義の変革の課題に貢献することができるのか否かを問われ、そこに自らの存在意義を示さなければならない。
 以上のことは、日本支部に強くあてはまる。日本支部は、一九八○年代に衰退と崩壊の過程をたどった。この衰退、崩壊の原因は、基本的にはわれわれの路線が、戦略が、現実に適合していなかったところにあった。
 日本支部は、ベトナム解放戦争の勝利以後は、世界にたいする現実的な関係を構築する立脚点を喪失した。「世界的二重権力論」は、ベトナム以後の世界では、すでに保守的スターリニスト官僚の擁護者の役割を果たすにすぎない位置に転落してしまっていたのに、われわれはそれに気づかないできたのである。
 ベトナム・カンポジア対立におけるわれわれのベトナム支持の立揚、アフガニスタンヘのソ連の軍事介入を支持した立場等々は、われわれが落ち込んだ政治的に保守的で反動的でさえあった位置の良い例である。
 はたしてわれわれは、「労働者国家防衛」の論陣を張るときに、そこに現実に住み、暮らしている人民にとって、その国家が何物であるか、何物に見えているかを、本当に問題にしてまであろか。現に存在する労働者国家の人民が、そこで生活するよりも、「自由」なブルジョア国家で暮らすためにあらゆる危険をかえりみず国境を越えつづけているという現実を、ベトナム革命勝利のためにたたかった一員としてのわれわれは、どのように責任をもって解明し、解決の道をさぐったであろうか。およそわれわれは「労働者国家」について、その国家が、その国家の人民の目からどのように見えたか、見えるのかという点をぬきにして、その「階級的性格」や「進歩性」について断じていたのではないだろうか。
 現実の労働者国家に生きる人々にとって、そこに生活するということがきわめて困難で、耐え難いものであったことは明らかである。したがってわれわれが労働者国家の側に立つとする戦略を掲げ理
論を展開する場合には、そこに住み、そこに生きる人々の現実をふきえようとする意識的な努力をどれほどなしたかを、つねに自らに問おうとする姿勢を保つ必要があった。だが、実際にはわれわれは、その努力を十分にしてきたということはできない。
 われわれの「世界革命戦略」もまた、政治力学主義と急進主義の刻印を強く押されているのであり、スターリニズムが体現した非人間的政治主義の誤りを免れているとは、けっしていえないのである。

 一切のタブーを排して

 ペレストロイカは、社会主義の変革を問い、その担い手を問う。
 自分自身のペレストロイカを持とうとするわれわれは、自らの運動の前提においてきたすべて、タブーとしてきたものの一切を問い返す決意をもって、社会主義の変革の運動に加わるべきである。
 社会主義の変革は、国際共産主義運動の歴史的総括と、その諸論争の再検討をともなう、長い時間と曲折を経過する過程であるだろう。われわれが、第四インターナショナルと日本支部の再建をめざすといっても、社会主義の変革のこの全世界的な過程からはなれて、なにごともなしえないことは、あまりにも明らかである。われわれ自身の社会主義の理論と実践、われわれ自身の綱領と組織、われわれの「革命」を、全世界のペレストロイカの試練に投げ込み、社会主義の変革へのわれわれの貢献を果たさなければならない。
 全国協議会は、そのための場所になるのでなければならない。
(文責織田進89・8)

第二議題
日本支部の『綱領的破産』と再生の基本方向

なにゆえに金国協議会なのか
再建の道としてのその必要性と必然性


日本支部の組織的分散と政治的拡散の進展
70年代同盟の推移
 日本支部の政治的拡散の進行は七〇年代後期に明確になり始めた。その要因を求めるとすれば、まず第一にベトナムでインドシナ革命の勝利に続く国際情勢の構造転換-米中平和共存関係の成立の影響であり、第二には、労働戦線再編の進展が契機となった社会党・総評ブロックの分解と社公民ブロック形成への動きの始まりの影響であった。
 第一の問題は、六〇年代に成立した世界的なベトナム革命支援、反帝・反米の「急進的青年運動」の流れが直面した情勢転換そのものであり、日本支部の再建の政治的基調の基礎を揺るがす間題であった。
 第二の問題は、反帝の東アジアー革命中国と結びついたーのうちに国民国家の将来を展望するというコースから「西側陣営の一翼」への進路の切り替えが進み始めたこと、そこに階級の左派の国際的な展望が切断されつつあるとの表現であった。
 反帝永久革命、アジア社会主義連邦、合同計画経済という、再建日本支部の綱領的基調の基盤が、運動とストレートに結びつかなくなる情勢が開始されたのであった。
 これらの諸問題は支部としては正面からとりあげ、検討してきたとはいいがたい。十一〜十二回大会にかけての「階級の敗北」の提起とそれをめぐる論争は、支部の総括に入る前提論議の次元にとどまったと一言える。問題の核心にはまだ入り込んではいないというべきであろう。

 5〜-6大会のアジア革命と社会主義の論争
 76年社共政府論争
 77年8期9中委
 78年5・17決議での対立
 79年アフガン論争
 80年参院選間題の論争。独立組合をめぐった論争--第一次、
 82年日韓連帯闘争をめぐる論争
 83年女性差別問題
 83年独立組合問題-第二次。「階級の敗北」論争

 以上の簡単な表から透けて見えて来るのは、国際・国内情勢の転換にいかに対処せんとするかいうことと、運動的組織的な路線・方針をいかに設定するかということに関して、七〇年代後期以降、集中的に問題が顕在化し、かつそれが累積していったという事実である。

 総括の視点はなにか

 方針の凝縮度が次第に低下し、技術的な対応によって場を切り抜け、一方では組織的強権、他方では組織的拡散が進行したという構図が、まさに綱領的な求心力の解体に基盤があることが読み取れる。
 第一に、「反帝永久革命」とはどのようにとらえられていたか、反帝=反米、最終的には米帝打倒によって完成する反帝永久革命と社会主義の関係はどうとらえられたか。第二に、権力をめぐる闘争として直接的に把握された過渡的綱領の認識-政府スローガンをめぐる論争の波状的な再燃が、国家と党との直接対決という五・一七決議などにど
のように引き継がれ、影響を与えたのか。第三に、国際・国内情勢の転換に抗する実力闘争としての三里塚闘争の位置づけ-「党としての闘争」的認識ではなかったのかどうか。第四に、階級の再編に対して、左派の階級的労働運動、ナショナルセンターにいたる展望はいかなる政治的なものとして認識されていたのか、戦略と戦術が実は建前と本音になってはいなかったかどうか。第五に、世界的二重権力論が現状維持的二重権力論に変わり、そのうえでアフガン問題の解明に失敗したという事態があるが、二重権力という歴史的概念を現状分析の手段・代替物としたのではないか。
 世界情勢認識に関する転換の必要性に迫られたのであるが、それは同時に世界的二重権力論に含まれた過剰なまでの反帝主義、過渡的綱領解釈のこれも過剰なまでの権力闘争主義などの結果、「革命論」に関しても不定型性を拡大させ、ほとんどまとまりのつかないものとしていったのである。そしてその結果が「組織」の一人歩き…組織防衛・機関防衛と最後通牒主義的な官僚化であった。
 これらの全面的な総括には、現在は手がとどかない。だが、組織の官僚化と最後通牒主義が綱領的破産のもたらした組織的な帰結であり、それとの闘争が総括の作業の入口として今日提示されているのである。総括の視点はこの協議会システムの選択ということ自身に含まれているのである。

 組織内女性差別間題
 綱領的な行き話まりが導いた「組織の一人歩き」と官僚化という事態は、女性差別問題によって最終的に同盟の破産に行き着いた。これには充分な根拠があった。
 性別役割分業という組織的現実と「性別を越えた組織」という建前との矛盾が明らかになった時点において、レーニン主義組繊論に関する認識は従来のままではありえない。だが、組織の一人歩き、官僚化が組織の「民主ではなく集中」に傾き、上意下達主義に傾斜するものであことから、女性差別問題が引き出した矛盾は「綱領的破産」を直撃するものとなったのである。
 党中央からの指令にもとづいて一元的に行動する組織を理想としたことにほかならない「全国単一制」の強調とは、各級組織の生命線である自主性・自発性とその保障としての自治権を考慮しない。綱領と路線に関する拡散・分散の進行に対する官僚的いらだちの発露である「単一制」の強調は、なによりも女性同志たちの組織への提起と衝突する性格であった。
 問題は、第一に「単一制」を原則として貫徹するのか、それとも「単一制」それ自体を批判的に検討するのか、と
いう単純な形で表現されたのであり、それは実践的には、女性同志たちの提起の拒否か、承認か、それとも迂回か、という選択が要求されたことであった。
 七〇年代同盟の「綱領性」としては女性たちの提起は否定されるべきものとしてあった。そして組織内女性差別問題の過程はそうした七〇年代同盟の綱領性そのものの差別主義的実態を明らかにしたのである。ここで必要とされたことは、七〇年代同盟の綱領性の全面的な再検討に踏み込み、その回路をつうじてあらためて綱領的求心力の回復、組織的求心カの回復の方向を探ることであった。だが、こうした方向での総括が必要であるという視点は一致せず、ここに七〇年代同盟の政治的「統一性」の雲散霧消が明確なものとなった。

70年代同盟の綱領性 両性の断絶一組織解体

 レーニン主義組織論の再検討、豊富化

 「正しくか正しくなくかはともかくとして物事は党の機構で考えられ、決められる。しかしそこではあまりにもわれわれぬきで、われわれにかわって考えられ、決められる。われわれの側から不審、疑惑、反駁、批判の声が発せられると、それに対して叱責や、規律を守れという呼びかけ、そしてもっとも多くは反対派的であとか、いやそれどころかフラクション的であとかの非難さえがわれわれの耳にはねかえってくる。われわれはあくまで党に忠実であり、すべてを党に捧げるかくごでいる。しかし、われわれは党の見解をつくりあげ、党の行動方針を定める活動に積極的かつ自覚的に加わりたいのだ!」(トロツキー、『新路線』藤井一行訳二十二ページ) 「機構的な方法が有力になればなるほど、それだけ党の指導はその執行機関(委員会、ビューロー、書記等々)の行
政的指令といれかわっていく。われわれは、そうした路線が強まっていけば、万事が小グループの人々の手に、時にはひとりの書記-人を任命したり、更迭したり、指令を発したり、責任を追及したり等々をする-の手に集中されていくことを知っている。指導のそのよつな変質のもとでは、党の基本的できわめて価値ある優位性-党の多様な集団的な経験というーが後退する。指導はまったく組織上の性格をおびるようになり、しばしばただの命令やひきまわしへと変貌する」(同上三十二ぺージ)
 組織的タガハメの意識にもとづく組織防衛論にとって、論争はそもそも有害無益である。レーニン主義派の機関防衛分派なる自己規定の思考については以上のトロツキーの指摘から多くを示唆される。
 討論、論争が必然であるはずの組織状況にあって、組織決定をふりかざすことは、討論の封圧、決定の官僚的自由裁量を導くだけにすぎない。排除の論理が機関防衛論と表裏一体なことにほかならないが、それを「分派」として組織するにいたっては、あらゆる反対派は「組織撹乱」要素となってしまうのである。
 排除の論理からは生産的なものはなにも生まれない。 これらの意識を表現するものとして、「徒党主義」「分派主義」などのレッテルの乱発があった。これらの用語は、少なくとも第四インターナショナリストであれば、その使用に関してきわめて慎重にならねばならない。トロツキーと左翼反対派のスターリニズムとの闘争の過程は、スターリニストによる以上のようなレッテルはりとの闘争の過程でもあった事実は共通の認識のはずである。トロツキーは繰り返し語っている。たとえば、分派闘争については、「分派主義だと批判するのであってはならない。分派形成の根拠の解消のために闘う必要がある」と。
 分派形成が組織構成員にとって「権利」であることは、一般的には路線、方針上の対立が避けられないという真実から導かれている。その上で、その解消については、対立が克服されるはずのものであるという考えが前提となっている。だが、スターリニズムが創出したものは(官僚機構としての)党組織防衛の立場に党員を動員し、批判、反対を組織に対する反逆=反党分子として粛清していく方法であった。その前提として「党の一枚岩」が強調され、分派形成が悪であるという概念がつくられ、そこに「分派主義」なる用語が新たに意味づけられて登場してきたのである。ここには、党の物神化が必要であったが、労働者国家ソ連邦の国家機構と一体となった一党独裁制度が根拠を与えた。
 「分派主義」「徒党主義」などのレッテル乱発は、このようにして、スターリニズム的組織思考の影響の反映にほかならず、そのあとには、討論の不在という不毛の荒野がただ横たわるだけである。

「犬会派」の選択した道

 以上のすべての要素を総合してもそれだけでは、同盟が男女両性間の断絶状況という絶望的な現在の事態には至らなかったであろう。決定的な事態は、同盟が性差別の構造にあったことの顕在化によってもたらされたのである。
 もちろん、そうではないと言い張ることは論理的には可能である。そして、そのように主張する部分も現にさまざま存在する。同盟が性差別構造の上に成立していた、という考え方は厳密な意味では少数派である。
 大会強行を主張する「大会派」の論理には、この八O年代の同盟を規定した女性差別問題について真剣に考慮しているという要素はほとんど見られない。いわく「党員の権利」としての大会。いわく「女性たちは主体的選択で大会に参加しない」。いわく「同盟は女性同志たちが地区の構成要素ではなくとも全国同盟の一部であることを確認した一などの、一連の「大会派」の大会強行の論理づけが示すものは、同盟組織の今後にあたって、女性同志たちは枠外であり、「主体的に残った男性メンバー」による同盟組織を展望するという以外ではない。
 では、そのような「残ったメンバーの同盟」はいかなる論理的存在でありうるのか。男性だけの組織として今後を展望するのか、あるいは「主体的に参加しない女性たち」とは別個な「主体的に参加する女性たち」を新たに組織するのか。そのいずれにせよ、この組織は「地区の構成メンバーから女性同志たちを除く」という決定について言い訳、弁明に終始するか、それとも開き直るかの存在となることははっきりしている。
 社会構造としての性別役割分業-性差別社会との闘争は、端的にこの性別役割分業に立脚した同盟のありよつ自体の解体と再編を意識化せずしては不可能である。「男主義」の「革命組織」では、性差別社会との闘い=社会革命を推進することはできない。そのような党は歴史の批判に耐えられるものではないー七〇年代同盟が直面した事態の真実はここにあった。同盟はまさに「解体的出直し」に迫られているのであり、そうした事態としての「男女両性間の断絶」である。
 大会問題とは、このような組織的現状にどのような方向を持とうとするのかにかんする根本的な分岐のかかった問題にほかならない。
 女性差別間題が明らかにした七〇年代同盟の根深い性別役割分業的組織構造に立脚して、組織の民主集中制を持続することはできない。
 十三期三中委が提起した問題は以上の矛盾であった。中央委員会の多数は、民主集中制の検討を回避することでその場を切り抜けようとした。それだけであれば取り返しは可能であったかもしれない。だが、レーニン主義派は、その後において三中委決議の再検討を、理由を説明することなく拒否し続けたのである。この一連の事態を通じて、問題はのっぴきならぬものへと発展した。すなわち、レーニン主義派は、十二大会に象徴される従来の同盟の民主集中制概念についての再検討には絶対に踏み込まない立場を維持し、そのうえで民主集中制の堅持と例外条項としての女性同志たちという概念を持ち込むことによって、組織の日常運営から疎外された女性同志たちの現状を肯定し、つづいて基本組織からの除外というコースを突き進むことになった。その終着駅が、彼らの「男大会」である。

 十二大会の組織諭

 十二大会で「定式化」が試みられた七〇年代同盟のレーニン主義の問題点は、その理解がジノビェフ的なコミンテルン組織活動テーゼの考え方にもとてづき、「ボルシェビキ化政策」の組織路線の影響を強くもっていたところにあったといえよう。日本共産党の組織運営の思考の影響も加わって、第一に分派にかんして、事実上の禁止に等しい理解、第二に民主集中制に関する党中央優先型、祭三に階級還元型としての諸階層の要素の軽視などがあげられる。例えば分派の問題について「見解の留保、行動の統一」という概念が一般原則として定式化されるという状況について、より深く踏み込んで検討し直すという経験は皆無であった。
言い替えれば、レーニン主義の主体的摂取ではなく、スターリニズム的に変形された理解の機械的な踏襲という状況が実態であったといえる。
 分派闘争の発生がこうした組織論にかんするスターリニズム的理解を浮かび上がらせたのであるが、とりわけ女性差別問題にかんして表現されたものは、上からの組織統制に比重がかかった性格であった。換言すれば、規約が統制主義的に理解され、組織民主主義としての検討・理解がほとんど深まったものとはなっていなかった。ここに、規約ということの意味、概念そのものが問われることにならざるをえないものとなったのである。組織の維持にとって不可欠であるはずの組織内民主主義の保障としての規約は形式的な機械論的な理解による統制のための手段に転化させられていた。こうした本末転倒の理解の誤りは、われわれにとってまさに経験的にのみ感得されえたのである。
 レーニン主義組織論の理解は世界的にも千差万別といっていい。しかし、日本支部にとっては組織内女性差別問題での試行錯誤の過程ではじめて主体的立場でとらえかえす契機を与えられたのである。 このことが女性同志たちが受けた組織的打撃を埋めることにはならないのは事実であるが、組織の再生という課題に接近するための必要条件であると考える。

綱領間題の核心・スターリニズム没落の時代とは

 今日がスターリニズムの衰退、没落の時代であることは誰も否定できない。しかしそれがいかなる世界史的時代であるのかーこれがわれわれの直面する根本問題であろう。スターリニズムの没落は、言い替えれば「社会主義国家」圏の行き詰まりがその体制それ自身の危機を導くということにほかならない。国家の官僚的な強権化と民主主義の欠如に彩られているスターリニズム体制は明らかにその国家を維持しうるイデオロギーの危機に直面している。スターリニズム党の独裁なる概念はもはや官僚を除いては信ずるものはいないであろう。
 ポーランドの連帯主導の政府、ハンガリーの複数政党制導入などの動きは、その行方をはっきりと指し示せない状況の到来を物語る。
 経済は市場を人為的に飛び越えることはできず、また政府体制は民主主義に基礎を置かねばならないー労働者国家の直面している問題は深刻そのものである。天安門事件を強行した中国共産党やキューバ、あるいは東ドイツなどの将来像になにか期待しうるものがあるであろうか。より一層の強権化に人民が未来を託すことがありえようか。

 時代構造の転換の中で

 このような姿で刻印されている「社会主義」の危機はまさに指導部の危機の発露であるが、それにとどまらずマルクス主義そのものの「危機」=イデオロギー的な硬直化もまた顕在化してきた。公式のマルクス主義もまた「生産力主義」として、批判の対象として例外ではないという事実がもつ意味は大きい。そしてとりわけ民主主義からかけ離れた現象を示す現存社会主義の存在が、マルクスとレーニンの名で正当化されている歴史のパラドックスに直面しているのである。
 「党」が、無前提的に資本主義に対抗する前衛としての存在であということもまた、同じ文脈のなかで投げ捨てられつつある。「党」は改めて前提をつけられて検証されなければならない時代であり、「党」は改めて歴史的現実のなかから「再生」されねばならないのである。スターリニズム的社会主義、スターリニズム的党は歴史の袋小路に入ってしまった。
 われわれの直面している時代は、旧来の東西=体制間対立と社会主義=東側との結合という図式の崩壊の時代であり、同時に資本主義体制の諸矛盾は依然なんら変わることなく再生産されている時代である。ペレストロイカの急進派のあるものにとっては、体制間対立の図式は意味を持たない、投げ捨てるべき概念ですらあろう。
 (スターリニズムの)「党」が根本的に問い直されるれる時代における革命党・インターナショナルの建設とはどのようなものか?
 七〇年代同盟の体系の基軸であった東西対立…世界的二重権力構造論にもとづく情勢認識。主体としての強大なレーニン主義党という認識が濃厚にふくんでいたスターリニズムの影響。これらからの主体的脱却をつうじた社会主義、マルクス主義の再生と新たな世界的主体…インターナショナルの建設への参加。
市場の論理の貫徹とその作用の無政府性の発現に対する闘いと克服にかんするマルクス主義の認識とテーゼをより豊なものにした再生の時代をつかみとる時代-「綱領」への挑戦は歴史への挑戦である。
 スターリニズムの解体の進行は同時に錯綜した様々な価値観をもった主体の並存どいう非トータルな主体の時期として表現されている。シングルイシューの拡大はまさに旧来のトータルな価値体系の解体の過程の産物である。
 問題は、第一に、流れ込むべき大海の再生のための闘いであり、第二に、自らの主体的意識において行動しようとするそれぞれの意識の自主的結合の実現である。
 われわれが直面するものは、「この指とまれ」という同心円型の組織方針ではない、諸運動の相互の結合の推進という課題である。そのためにはまずもって、主体相互の平等の民主主義的な関係形成から始まる。
 その作業は、われわれにとっては党組織のありようから開始されなければならない。

同盟再建の道 その綱領的、組織的方向性

 国際組織の一員として
 協議会システムヘの移行は、それだけでは「解党的出直し」の実践の出発、開始にすぎない。同盟の再建は、以上に述べたことから明らかであるが、スターリニズムの分解・解体の時代における新たな左派主体建設の基本展望
ーインターナショナル建設の展望に凝縮された綱領的再建ということに帰着する。
 インターナショナル総体において激しい討論・論争が始まりつつあるが、それはまさにペレストロイカ時代の新た
な革命像と主体の展望ということに集約される、必然的な論争にほかならない。
 大衆的前衛論にもとづく「出し抜き革命論」の行き話まり以降、ヨーロッパ世界でのインターナショナル建設は、スターリニズムの衰退・分解と束西関係の変化のなかで、緑、フェミニズムの多大な影響、圧力を伴いつつ、全面的な既成概念の再検討の回路にはいりこんだ。また反帝イズムによって強大な国家権力と対抗しようとするSWPはキューバ・カストロ路線との融合の道を選択した。
 そのいずれにせよ、大戦後のインターナショナルのたどってきた道筋からの大きな転換が内包されている。
 われわれの日本支部再建はこうした時代の大転換にあたって、より先行的に深刻な綱領的検討を開始したヨーロッパの同志たちと連携しつつ、組織の物神化、スターリニズム的レーニン主義理解のドグマ化と決別し、組織の最終的解体を刻印した男女両性の断絶の克服の実現という姿として実現されなければならない。

男女両性の断絶の克服ー再建の核心点
 同盟再建の核心点は、男女両性の断絶状況の克服にある。今日、七〇年代型の党再建概念はありえない。性別を超越した党組織の概念もまた採用しえない。七〇年代同盟が、性別の超越という建前にありつつ、その現実が性(差)別役割分業の社会構造を無批判的に引き継ぎ、その基盤の上に組織建設を進めたこと、そして綱領的イデオロギー性としてもまた、同様であったという性格を徹底的に洗いださなければならない。党が両性にとって共有のものであるならば、その党は両性の対等の立場によって形成されることが必要条件であろう。
 性差を階級概念に解消しえない、してはならないという考えを再出発の起点とするとき、両性の党は始めから一つの存在ということではなく、別個な要素が合流して協働するものという考え方を含んだ「発想の転換」が必要であろう。日本支部の再建の過程は、現実にこのような実態にほかならないと思われる。対等委員会、同数委員会の概念は、いまや組織理念上にとどまらず、支部再建にとって具体的、実践的に採用すべき方針となっているのである。
 以上の考えは当然にも、女性の立場からすれば両性の党に対する女性党という選択がありつるという現実の状況にあるという理解にたっている。いまだ、「性差を超えた党」という概念が左翼陣営では多数的傾向であろうとは事実である。だが、男の側がその男主義を社会的基盤を通じて不断に拡大再生産する構造を対象化しないで、理論的な「正しさ」を組織的に押しつけることがしばしば、あるいはほとんどの場合に発生するものであるという認識を捨象しているという事実から、「性差を超えた党」という概念を、アプリオリな一般理論として採用することはできない。
 女性党の概念と両性の党という把握の関係は綱領の本質における違い、対立としてあるのか?そうではなく実践的現実的な組織のありかたの、よりベターを求める選択という次元の問題として、今日提出されていると理解される必要があろう。すなわち、天上から天下る「階級還元論的正しさ」の破綻という歴史的現実が、男女両性の組織的な関係に対してその最初のところから具体的実践を通じた再検証を必要とさせているのである。
 民族問題と階級闘争との関係におけるレーニンとローザとのあいだの歴史的論争「ユニウスの小冊子について-レーニン」をひもとくまでもなく、階級還元論のもつ一種の論理的急進主義の要素は可能なかぎり回避されなければならない。そして同時に、現在の問題はそうした問題が「党」そのものの問題として表現されていることにほかならない。「党」は、いまや聖域であることはできない。まして日本支部にとっては、現実問題そのものなのである。

いかに協同するのか

 再建に向かう過渡的時期の組織的核心は、両性間の組織的断絶の現状から出発して、協同にいたる道筋を見いだしていくことにある。全国協議会は、構成する分派、グループ、同盟組織、個人の自立を基礎にした協同の場であるが、女性同志たちの自治・自決権、同数委員会の追求を前提として出発する。女性、青年の組織、グループを含む各種大衆組織、活動家組織との相互討論関係をこの前提的認識にたって実現しようとする。
 「党」間題は、労働組合運動を初めとするすべての社会的運動とその組織体のありようの凝縮である。男女両性の対等な協同として労働組合を初めとした社会運動体を成立させようとしていく闘いの展開が、党の再建を準備するであろうし、また逆も真実である。
 全社会が両性の対等性の確立にむかわねばならず、その実現が労働者階級自身によって切り開かれなければならな
い。直接的に問題となるのが家父長制的社会構造の問題である。「家族」は類的存在としての人類の生存と再生産が個々に委ねられているという社会に基礎づけられている。これは個々に、人為的に超越することはできない。だがこの歴史理論=史的唯物論が女性たちの現在的な「従属的位置」の正当化、合理化、言いかえれば男たちの居直りの論拠となれば、奇妙なことになろう。
 家族の解体、あるいは止揚がマルクス主義の理念の根底におかれるのであるが、これは現在社会では根本的解決は不可能である。にもかかわらず家父長制的社会構造との両性の協同の闘いが実現されていかないかぎり、社会主義の闘いとそれをかかげる「党」は人類の半数である女性たちから背を向けられる存在となろう。それを現実的、現在的にいかに表現、実現するのか-すなわち両性が家族制度の制約というなかでもいかにその対等性を実現するために闘い、努力するのか。
 根底的問題としての家族「制度」の本質的解決は未来に委ねざるを得ないが-共産主義の問題-最大限家父長制とその意識の排除と可能なかぎりの現在的政策の形成、例として「家事・育児の社会化」「ポストの数ほど保育所を」などの批判的検討など、労働と家庭、長時間保育、育児休職などが女性たちの課題であり、かつ、したがって部分的な要求であるという認識は、社会的運動体が「家父長主義」=男主義=性別役割分業のままにあるという制約から意識的に自らを解き放とうとする度台に応じて、初めて克服されていく可能性をもつであろう。
 
 両性の協同実現のために

 支部再建の核心である両性の協同の実現のために、日本支部の全構成要素のレベルでの女性たち相互の自立的な協議関係形成とそれを媒介にした両性問の協議・討論の場の成立という回路が必要であろう。
 日本支部の全構成要素を包摂した女性たちの、男に組織的に対等である女性たちの組織-協議のシステムの実現にむけての努力、支援、援助が協議会として闘われなければならない。
 協議会システムが日本支部の全構成要素の協同作業のシステムとして確立していくためには、現在までに累積したさまざまな相互の不信や対立関係の整理、解消が全国的にも地区的にも、さらには各組織レベルで積み重ねられていくことが前提であろう。組織内女性差別問題の七年間は、いま同盟総体としての総括の視点自体にかんする共通の認識すら形成できていない。全国的にも、地方・地区的にも問題は山積みされてペンディングされたままの状態である。地方・地区の諸問題が全国的に共有されず、組織的な総括から教訓と新たな方向性への組織的手がかりを見いだしていく努力が切断されたままである。いわく「保守的差別温存構造」いわく「女性差別糾弾無条件擁護」などの「言葉」の羅列が、実は同盟活動の総括に踏み込むことを回避することにつながっていたという痛切な事態こそが断ち切られなければならない。
 同盟再建のための前提であり、必要条件である両性問の討論関係の回復にとって、問題はいささかも過去のものとはなっていない。改めて主体的な全国的つきあわせと総括の作業を、組織そのもののあり方の再検討という視点にたって進めていかなければならない。

 本当の再建大会めざし

 協議会は、日本支部の全構成要素が再建にむけた協同の作業を進める場である。現実的に、レーニン主義派の絶対的拒否があり、当面はレーニン主義派とその同調者を除いた組織的営為となる。彼らは、主体的に組織分裂の道を、排除の論理の帰結として選択した。だが、われわれはきたる数年の時期を過渡的時期として、全国的な協同作業の場としての協議会の闘いを拡大し、認識の協同化を広く実現し、現日本支部の全勢力の結集による同盟の再建大会=第十四会大会を闘いとることをめざす。一九八九年八月

第三議題      参議院選挙と全労協
全労協建設から左派主体の建設へ
飽和点に達した日本資本主義と自民党政府の危機

 社会党の追い風と自民党の逆風

 自民党の記録的大敗となった八九参議院選挙は向こう六年問の参院での与野党逆転という「けたはずれ」の事態を作りだした。半数改選という事情はあるが、実質的には社会党第一党という事態が生み出されたのである。
 突然に「政権交代」が現実的課題となって浮上した。長年続いた自民党の単独支配体制に「突然に」訪れた危機が、政権交代の可能性という誰も現実的なものとは考えてこなかった状況を導き出した。
 自民党と社会党の二党体制が復活したかのことき事態であり、ここに一部ブルジョアジーからは、二大政党による政権交代という図式が生まれたという理解すら表明されている。
 この事態はいかにして生まれたのか、また、いかなるものへと発展していくのかー九〇年代から二十一世紀(金丸によれば参院で自民党が回復するとしても十二年かかるのであり、そのときはすでに二十一世紀に突入しているのである)の政治関係の基調を左右する要因にほかならない。
 長期低落にあえいでいた社会党をここまで押し上げた原因の一つは明らかに自民党の「改革路線」からの農民、都市市民双方の離反であった。「弱者」切捨てが基調となった自民党の「改革」は大資本・大労組の共通の利書にそうものであった。中曽根の提唱した「八六年体制」なるものは、こうして大衆収奪と弱者切捨ての強化をべースにするものであったがゆえに、「改革」の体系総体への抵抗、否定の表現が自民党からの離反、自民党の政策体系の否定とならざるをえない必然性があった。消費税は年金改悪などの一連の政策体系の象徴にほかならなかった。また農業は自民党のもとではその将来を期待できないものとなってきたのである。
 大資本とその随伴者としての大民間労組の政策の共通項は依然としてダンピング体質を残す工業製品の輸出による「立国」という体系のもとにある。「国内」の犠牲による輸出至上主義の体系がいまや批判の対象となったのである。
 土地の高騰がしめすものは明らかに冨の偏在の進行であり、中産階級意識のばらけの始まりであった。「国民」の犠牲の上に成立する金余り現象とその一極集中。それを奪い合う一部の層の登場ーリクルート間題が単なるスキヤンダルに終わらない理由は十分に存在した。
 だが、自民党からの離反が社会党に全面的に流れ込んだことにはまた別の理由がなければならない。
 社会党の長期低落は労働者階級の社会党離れ、労組離れの進行と都市市民化の過程に介入しえなかったこと、および食管制の風化に対応できなかったことからもたらされた。労組の企業主義への屈服の進行、社会的使命観を喪失した労組活動への転落が意味したのはこの党の市民社会からの疎外が顕在化することであった。社会党が都市政党から農村政党となり、かつ農村でも位置を持たなくなっていったことの結果が組織の硬直化と低落の過程であった。それはまた同時に、この党が構造改革論争を経て以降、その左派の政治基調を規定した主要な要因であった国際情勢、とりわけ東アジア情勢の転換の深い影響ということにもよっている。反帝国主義の基調の基盤が失われたことによる方向性不明がこの党の左派の伝統を断ち切ると同時に、不確かで路線としてあいまいなソ連派=協会派の疑似的なレーニン主義の党建設論という閉鎖的な左派を形成させた。
 今回の一連の選挙での社会党の回復にあたって、労組は主導的な役割はほとんどもたなかった。明らかに土井委員長が表現する都市市民層ーとりわけ女性の支持が築き上げた勢いの全国的な相乗効果の結果である。自民党が直面した逆風は、土井委員長体制としての社会党に都市市民層の多様化した意識が全面的に流れ込む結果となったのであり、旧来型の社会党構造とは異質な政治表現である。
 反原発と農民層の結合としての青森の例が示したものは自民党の政治、「改革」の体系に対するアンチ・テーゼの要求に対応しえると理解された土井委員長の社会党という存在なのであった。
 「連合」の飛躍はもっぱらこの土井社会党の登場の流れのなかでの事態であった。民社党の低迷=敗北が示すように社会党の躍進のダミーとして「連台」への投票がなされたのである。

 新しい政治の胎動

 土井体制は未知数である。「生活保守主義」の左右ぶれのにすぎないという言い方にはある程度根拠はあ。だが、その「生活保守主義」が自民党と大資本・大労組の共通の「開放経済=自由貿易主義」と対立する性格を示しつつあるのというのが事実である。少なくとも、旧来のイデオロギー的な左右の分岐-国際的な東西対立関係のある種の表現としてのーとは様変わりした中での対立である。
 したがって、その綱領は、例えば「戦争勢力-平和勢力」「平和経済」「社会主義国家との連携」などの旧来型の綱領の延長ではありない。「民主主義の要求」を基調にした、いわゆる「オルタナティブ」としかいいようのない不定型な、旧来にはなかった何物かである。
 だが、ここには大資本の過剰なまでの「自由な」活動に対する、人民の「生活の価値概念」による制約・制御という意思が表現された。この国内的な表現は日本に特殊な「保護主義的動き」ということではけっしてない。
 国際的な流れとしてもまた、日本大資本の活動(それは資本主義の解消することのない矛盾を今日的に体現しているだけなのだが)に対するさまざまな形での抵抗、批判が強まっている。
 その一つは、国際的な資本間の競争・対立に対する、保護主義的な防衛策の拡大である。EC統合と域内市場の「閉鎖的」形成が進行し、それが主要に日本資本に対抗するものであることは明白である。またアメリカからする日本市場への開放要求が、実は日本資本の活動に対する産業防衛の衝動にもとづいていることも明らかである。
 二つには資源をめぐる過剰収奪型としての資本活動に対る抵抗、批判の増大である。南北問題は、開発・工業化問題が意味する、とりわけ日本資本の資源収奪への抵抗を増大させてきた。「自由な資本活動」への世界的な抵抗は今や集中的に日本資本に向けられているといわねばならない。自民党の政策体系に抗する流れーそれは資本活動への統制・制御の流れであるーが土井社会党に流入したのであり、この党の今後の基調を決定づける流れにほかならない。
 環境問題が急浮上したように資本活動への統制の圧力が高まっている。こうした「自由な資本活動」に対する統制・制御の重層構造の顕在化、これが「生活保守主義」が直面する状況なのである。反原発が時の流れとなり、環境、動植物保護が拡大し、資源保全が多数見解となりつある現状況はまた、生活における安全、福祉間題などの一連の広がりをもった「生活」のあり方をめぐる価値観の多様化、分散化の深化でもある。
 「中流新貧民層」と追い詰められる農漁民1この二つの要素が土井社会党を押し上げた主たる要素であると同時に土井委員長に吸引される女性の要素が事態を加速している。男政治の時代は確実に終えんに向かいつつある。「女性の時代」はまた「生活と環境」を表面に押しだし、ここに都市の「中流新貧民層」との連動を強化する。
 都市における土井社会党は労組の比重の激減を埋め合わせる生協活動などのネツト・ワークに依存する度合を強めた。また労組は、地域ユニオンなど、パート労働、派遣労働との接触をもつものほどその活動が地域的な広がりをもって活性化している。
 とりわけ都市部においては、核家族化し、地域的に分散化した労働者は、旧来型の労組機構の延長では集票能力を持たない。地域の組織は社会党にとってはほとんど空洞化してきた。東京、大阪の支持率の低落は都市のスプロール化現象と無関係ではありえない。
 ここに男性の会社人間化という個別化と女性の地域活動への進出という連携との際だった対照が存在している。「生活保守主義」という現象は女性の政治的登場と明確に密接不可分なのである。
 拡大する富の偏在と大衆収奪型の自民党の政策体系、資本の利潤追求の無政府性への反発につながって、現在の「生活保守主義」の動向にオルタナティブ的要素を付与しつつあるといえる。
 いわゆる「現実路線」なるものが、公民両党の主張に寄り添った、原発・安保・農業などに関する大資本と大民問労組の共通利書を表現するものであることが明確である以上、自公民路線への批判の顕在化という参院選が示した特徴的な性格は、今後、「現実路線」そのものへの、潜在的だがしかし底深い批判と対置として表現される可能性を示しているのである。

 問われる社会主義の再構築

 始まっている時代が「五五年体制」の東西対立関係のもとでの選択=綱領とは別個のもの、すなわち市場経済の一定の承認とその統制・制御という回路を通じてさまざまな綱領が模索される時代であることが明らかになった。混台経済論などのさまざまな試み、理論的追求があらためて要求される時代である。
 EC統合が示すブロツク経済化などの方法が資本の国境を越えた活動との矛盾を解消しうるものでないことは明らかである。資本の矛盾は確実に深化する。ただ、その解決の方向としての「国有化と計画経済」論が、スターリニズム的指令経済としてドグマ化された旧来のままの理解の踏襲では一歩も進まないという時代となったことを確認する必要があろう。
 同時に、社会党と共産党という相互の垣根が限りなく解体し、再編される過程を通じた新たな政治勢力、政党を準備する時代にはいりつつあるということもまたいえるのではないか。
 少なくとも「左派新党」とは、それが実現していくとすれば、現在までの社会党と日本共産党の概念が崩れ、政治的再編が進行する場面での可能性であろう。
 八○年代の世界情勢の変化が与えた影響は、「社会主義」の挫折と市場経済の「勝利」として、いわば「体制変革」のコース、すなわち資本主義から社会主義への転換という道筋に多大な障書物を置くものとなったことである。にもかかわらず解決しようのない資本主義の矛盾の再生産に対して、必然的に他のなにか=オルタナティブが求められる。社会主義の綱領の「挫折」
時代ではあるが、しかし「変革」の必然性を表現するものとしてのオルタナティブ。これはわれわれの観点でいえば、「未完の綱領」であろうが、「社会主義モデル」の挫折という歴史的時期の性格がこのサイクルをくぐらなければならないものとしているのである。
 「自然の克服と調整」が生産力の飛躍的上昇の中で十分に可能であるとする従来までのテーゼは、現在は根底的な疑問にさらされており、そして現存の「社会主義」は確かにその批判に耐えられる存在ではない。
 民主主義の真に徹底した実現としての「社会主義」、男女両性の真の平等の実現としての「社会主義」ーこれらが「画に描いた餅」、社会的虚構にほかならないという事実はいまや世界的な了解事項となってしまった。
 一方で社会主義が再構築を要求され、他方で無政府的な資本活動へのなんらかの制御・統制の必要性が痛感されている。また現存の「社会主義」=「労働者国家」自身がペレストロイカ=「再構築」をせっぱつまった課題としている。こうした二十世紀の最終局面の錯綜した性格の一つの表現として土井社会党の勝利がある。
 資本活動に最大の優先順位を与え、日本資本の世界的展開を国家の総力をあげて支援してきた「日本株式会社」の政治委員会としての自民党政府体制のつまづきは国際的な要因に基礎がある。日本資本の「自由な」「国際的活動」の継続のための犠牲とされる運命を農民層は拒否した。減税によって法人としての日本資本の国内基盤をさらに強化し、国際的には対外援助の増
大によって資本活動の領域をさらに拡大せんとする財政プランとしての「消費税」はまた拒否された。長く日本人民の固定観念と化してきた日本株式会社という輸出至上主義の「国是」の歴史的なゆらぎの始まりが自民党支配体制ーあるいは自民・民社・「連合」の共通する政策体系ーにひびをいれはじめた。
 「輸出至上型」への国際的あつれきの増大とともに高まる東アジアの経済侵略・資源略奪への批判は、資本と自民党政府自身が「前川リポート」を作成せざるをえなかった文脈をさらに顕在化させる方向で作用し続けている。社会主義という出口を見いだせないが、しかしなんらかの「別なもの」の要求が模索されざるをえないという事態は国際的にも、国内的にも-土井社会党の「政権担当能力」の問題としてもーさらに必然的なものとなっていくであろう。
 社会主義という出口は、これらの過程から、あらためて手繰り寄せるべきものである。

 流動する局面と全労協の可能性

 以上の諸関係からして、日本政治情勢は一転して不安定な流動の局面に入った。土井社会党の今後の方向性をめぐる錯綜し、かつ相克する政治的関係が核心的なものとなっていく。
 民社党のはじまっている党内抗争が自民・民社連合政権か社公民の連台政権かをめぐる路線選択の先取りである。「連合」は明らかに、民社・同盟、そして公明党につながる自公民路線と社会党・総評の主流である社公民の路線の両方を含むあいまいな存在である。いまいわれている「連合新党」なるものは、公民両党の路線の地平に社会党を全面的に接近、屈服させるための
どうかつの手段にほかならない。
 「連台政権構想」などをてこにした公民両党の社会党に対する「現実路線」への転換の圧力は、現在の局面では自公民路線を歩んできた公民両党の生き残り策として、「路線的転換」を回避するがためには社会党の路線的屈服を最大に引き出すほかはないとの狙いにもとづいているであろう。それゆえ、「連台」の影響力はまた、こうした公民両党とそれに呼応する社会党内の
勢力の合流を形づくるものとして作用する。
 だが、「野党連合政権」=社公民連合政権を現実化させる前提となった最近の社会党の拡大それ自体が、公民両党の想定する「社公民連合政権の綱領」とは対立する性格で作りだされてきた矛盾のなかにある。公民両党の採用してきた自公民路線への民衆の批判は深く、その深さが土井社会党を押し上げた力そのものにほかならないという構図を突破することは容易なものでは
ない。
 「連合新党」の打ち上げにもかかわらず、労働戦線の分裂・再編の進行は、土井社会党をめぐる綱引きを基調として動くという局面を一定期間持続することになるであろう。状況は、「左派」にとっても同じである。違いがあるとすれば、土井社会党浮上の要因が、公民両党との結合をめざし、路線の「現実化」を公民両党の基調に融合させんとする右派の諸勢力、「連合」と
は客観的に対立していること、「左派」にとっては新たな基盤となる可能性をもっていることであろう。
 土井社会党を浮上させた要因の性格からして、労組が従来のままの性格で社会党の左右対立の基軸になり続けるとは考えにくい。左派的な諸勢力が旧来の、とりわけ官公労的閉鎖性のままに在り続けるならば、こうした新しい可能性に結びつくことは困難である。
 「連合」と政構研、「全労協」と党建協の図式にストレートに結びつくかどうかは留保せざるをえないが、少なくとも土井社会党の浮上局面が持続する期間、新党形成は左右のいずれの側にしても主体的には困難であろう。
 「連合」からすれば、岡山での社会党との競合における敗北は土井社会党に対するイニシアチブという点で影を落としたわけだし、「全労協」からすれば旧来の社会党左派=協会派の解体状況がその力量に打撃となっている。土井社会党という新しい要素との結合なしには、左右ともに決定的な組織的行動のイニシアチブを発揮しえないであろうことは確実である。
 「連合」という巨大な労働組合ナショナルセンターの成立は、とりわけ国鉄解体と国家的不当労働行為の容認を共通語とした一時期の路線、選択であった。労戦再編が労働官僚の離合集散というレベルではくくりきれないものである以上、土井社会党の勝利という情勢が与える影響は大きい。
 土井社会党の時代の労働組合ナショナルセンターとはなにか1「全労協」そして左派ナショナルセンターのための闘い、追求すべき課題と方向がここにある。「連合」は土井社会党に対し不断に右からの圧力を加える存在であり、究極的には右への分裂を引き起こすべき勢力である。土井社会党の勝利がなかったならば「連合」にとっては今よりもよりよい環境=さらなる右転換の進行という事態が成立していたであろうが、土井社会党の圧勝が事態を変化させたのである。彼らが国労解体、不当労働行為容認の基本姿勢と土井社会党の勝利に貫かれる民主主義の要求との落差を埋めることができない以上、圧倒的なヘゲモニーを政治的に(組織的にではなく)掌握するという展望につては、もはや容易なものとはいえない。
 「全労協」は、「連合」と対立する諸要素との距離においてもっとも接近している存在であり、これどの結びつきによって確固とした基礎を与えられる大きな可能性が提示されたのである。また日本共産党の直面する社共統一戦線にむけた路線修正の動きが、中・長期的には統一労組懇の闘うナショナルセンターの不安定さを拡大していくであろうことによって、なおのこと
「全労協」が社会党・総評ブロックの分解・再編の一方の立て役者となりつる条件が拡大していっているといわねばならない。
 社会党・総評ブロックの分解・再編は労働組合ナショナルセンターの分裂・再編に始まり、いまや共産党そのものをも巻き込んだ政党再編の時代へと突入しつつある。
 共産党のスターリニズム党としての命運はきわめて厳しい事態となっていくであろう。「真の革新・唯一の革新」の路線が十二分に打撃をうけてしまった現在、宮本体制の命運は終わりつつあるといえよう。そのあとはなにか。路線的・綱領的混乱は必至である。ヨーロッパの諸共産党、とりわけフランス共産党の凋落が日本に無関係ということにはならない。スターリニズ
ムとしての共産党の存在価値が世界的に問われているのであるから、この党が分解と分散の局面にはいっていくことは避けようのない事態であろう。
 この一連の時期を通じて、旧来の社会党・共産党.総評ブロックという、日本の労働者階級人民の左派を表現してきた存在の再編が貫徹していくのである。日本労働者階級人民が大資本と大民問労組の結合という右への再編の圧力に抗し、東アジアの現実と生活の現実に根ざした新たな左派的結合を築きあげることができるのか否かーインターナショナルの一部としてのわれわれの闘いの方向はここにある。(執筆川端康夫)一九八九年八月