1989年8月10日         全国協議会               創刊準備号

89年参院選はなにを明らかにしたか
全労協建設を軸に左派主体の再生・飛躍へ!
土井社会党の圧勝
 
                                      川端 康夫

 参院選の結果は自民党一党支配時代の「終わりの始まり」を刻印した。事前の各種調査で示されていたこととはいえ、七月二十三日の夜の開票速報の告げる結果はまさに劇的であった。これまで自民党の金城湯地であった一人区での相次ぐ自民党の敗北が告げたものは(連合の勝利をふくんで)社会党の地滑り的な単独の勝利…事実上の参議院における第一党としての登場である。自民党の結党以来の歴吏的敗北とならんで民社公明、共産の各政党もまた支持率を下げげた。首相指名にあたって、参院で野党第一党である社会党の土井委員長が指名される可能性が確実となるという、選挙結果がおよぼす影響が浸透していくには時間がかからなかった。各マスコミはあげて次期衆院選の予測をたて、現状が続けば確実に保革逆転が到来すると報じ、土井委員長のもとでの社会党を中心とする非自民党の政権の登場という司能性が提示された。九〇年代を貫いて二十一世紀につながる政治的流れの最初が自民党一党支配体制の「終わりの始まり」として表現されたのである。

自民党敗北の歴史的意味

 自民党の敗北そのものの直接的理由は、いわゆる四点セットであった。消費税、リクルート、農業自由化、そして宇野の買春間題が集中的に自民党政府体制からの大衆的離反を招いたことはいまさら改めていうまでもない。だが同時に自民党の敗北は自公民路線の敗北であり、とりわけ民.社党の敗北は大資本と大民間党組の利書の共通性を結び目とした政策体系が人民の反撃によって手痛い打撃を受けたことを物語る。
 自民党が巻き返しを意図して、その表紙を次々に取り替えたところで、自公民の敗北を導いた大資本と大民間労組の共通の政策体系に対する抵抗、拒否の流れに直接には対応しうるものではない。
 日本資本主義経済の成長を支えてきた最大の要因としての工業製品の輸出が「対米経済摩擦」に直面し、「内需拡大」への転換、「経済障壁の撤廃」を課題として掲げることを要求されたとき何が政策体系として提出されたのか。答えは、大資本と大民問労組の共通の利害として、農業のいけにえ化、大衆収奪型の企業防衛税制による資本活動の国内的基盤の維持・強化の方向であった。同時にこの両者にとって「防衛力増強」もセットであった。これらは、輸出に依存している大資本の利益のための「自由貿易主義」体制堅持を基軸とする政策体系の帰結にほかならない。
 このような自民党の単独支配体制(=自公民路線)の体系が、一方で「金余り現象」による地価高騰などの、富の「偏在化」を進行させ、他方で激しい企業合理化を通じて労働力の二極分解を作りだし、ここに中流意識の階層分解を表面化させた。所得税減税の恩恵ではなく消費税に直撃される、どう転んでも五百万の年収には届かない層の存在がパート、派遣労働の一般化が進むにつれてますますはっきりしてきたのである。
 消費税の強行という事態の対極の世界を象徴するものとして、金余り現象に群がる一部特権層の存在を明示したのがリクルート間題であった。こうして都市においても農村においてもリクルート間題はたんなるスキャンダルに終わりようがない、自民党支配の象徴となった。
自民党=自公民路線は明らかに都市と農村の両方において拒否されたのである。

土井社会党を押し上げた力

 土井社会党に投じられた票がなにか確定した積極的な政治的意思表示であるとはいえない。また土井社会党の今後が、まさに政治的に不安定そのものであることも否定できない。
 だが自公民路線への明確な「ノン」の立場への支持こそが、土井委員長の社会党に投票として表現されたのである。ここには大資本の過剰なまでの「自由な」活動に対する、人民の「生活の価値概念」による制約・制御という意思が表現された。この国内的な表現は日本に特殊な「保護主義的動き」ということではけっしてない。
 国際的な流れとしてもまた、日本大資本の活動(それは資本主義の解消することのない矛盾を今日的に体現しているだけなのだが)に対するさまざまな形での抵抗、批判が強まっている。
 その一つは、国際的な資本問の競争・対立に対する、保護主義的な防衛策の拡大である。EC統合と域内市場の「閉鎖的」形成が進行し、それが主要に日本資本に対抗するものであることは明白である。またアメリカからする日本市場への開放要求が、実は日本の衝動にもとづいていることも明らかである。
 二つには資源をめぐる過剰収奪型としての資本活動に対南北問題は、開発・工業化問題が意味する、とりわけ日本資本の資源収奪への抵抗を増動」への世界的な抵抗は今や集中的に日本資本に向けられているといわねばならない。
自民党の政策体系に抗する流れーそれは資本活動への統制・制御の流れであるーが土井社会党に流入したのであり、この党の今後の基調を決定づける流れにほかならない。そして、それは今や「五五年体制」を規定した東西対立型の綱領的基調とは異なった様相を示さざるをえない。
 労働者国家の政治と経済の宮僚的硬直化・停滞と民主主義を求める人民の動きとが、五五年体制のもとでの反帝国主義“「社会主義国家」という結合の図式の基礎を奪いさった。
 換言すれば、社会主義はその全世界的勝利の展望において、自らの根底からの見直しを通じだ綱領の再建という課題に直面させられ、スターリニズム綱領の解体という時代を一種の歴史的な「迂回と再構築」の時代として経過せざるをえないものとなった。今日、「民主主義」が東西を貫いた人民の要求の鍵概念として表現されている。
 スターリニズム党としての日本共産党の敗北はまさにこうした時代の必然的表現であるであろうし、この党の表面的安定が崩れるのも遠い時期ではないであろう。「民主主義」の考えにもとづいた社会的運動として諸運動が展開し、かつ現存の「社会主義体制」には結合しない時代における、大資本の活動にたいするアンチとしての「オルタナティブ」要求の表現として土井社会党への集中が進行してきたということができる。長期低落に直面してきた旧来の社会党構造とは位相を異にした社会的要求と運動の広がりとの結び目として土井社会党が登場してきたのである。土井委員長への圧倒的な女性たちの支持が、女性たちの「男社会」に対する「オルタナティブ」というべき要求の表現であったことが事態を象徴しているであろう。

全労協形成をめざし、この歴史的再編期を闘おう

 土井社会党の勝利は端的にいえば「連合」と女性たちを両極にもった勝利であった。換言すれば社公民連合政権構想の装いによる「現実路線」の圧力と、それとは客観的に対抗する位置にあるなんらかの「オルタナティブ」の要求との相克が土井社会党を貫いて、今後の基調を形作り、かつ「党分裂」の要素を不断に増大させる不安定さを持続していく要素となるのである。総評の解体がすでに確定した状況のもと、「連合」は参院選勝利をステツプとして次の段階"「連合新党」ー社会民主主義勢力の合流としてーを遠くない時期に想定している。
 だが、自公民路線の敗北という事態は、当然にも参院選で華々しい勝利でデビューした「連合」にも貫徹していく。「連合」の勝利は地方一人区における社会党の代替物としての勝利であった。けっして「連合」としての勝利ではなかった。「連合」は原発において、外交政策において、防衛政策において民社党の体系"自民党の政策体系と基本的に一致し、消費税問題においても「直間比率」の見直し論の立場に立ってきた。
 八九年参院選とそれに至る各種選挙結果が示したものは、自民党の政策体系への抵抗と離反が土井社会党に一点集中していっていることである。「連合」の唯一の敗北が社会党と競合した岡山であったという事実こそ、今後「現実路線」に立つ「連台」その。ものが間われることを示した。
 一方に巨大な「連合」、地方に少数派としての「全労協」という労働組合ナショナルセンターの分解・再編は、自公民路線を成立させた過去の時期の組織的表現である。そして今日始まっている局面こそ「連台」の矛盾を赤裸々なものとしていく時期にほかならない。社会党・総評ブロツクの分解・再編は、党そのものを問題とする新たな段階に移行した。「連台新党」の進路か、それとも新しいオルタナティブを求める「労働者党」への進路か。この歴史的分岐のいずれの側に大衆的基盤が与えられるのか。「全労協」のための闘いが以上の課題を主体的にたぐりよせる軸心なのである。
 自民党単独支配体制の「終わりの始まり」は「党」を焦点とした五五年体制社会党・総評ブロツクの解体再編として労働戦線を軸とするすべての戦線に貫徹していく。この歴史的再編期を「全労協」形成に始まる新たな労働者党の実現の時期として闘い抜くことが闘う労農人民共同の課題となった。

日本支部協議会体制への転換を実現しよう
全国協議会をめざす第二回懇談会
一九八九年七月二日

                      (一)
 日本支部のすべての同志のみなさん。長きにわたって闘いを共にして下さった社会主義婦人会議と共産青年同盟のみなさん。そして日本支部にたいして心からの支持と協力惜しむことのなかったすべてのみなさん。
 日本支部組織の政治的な求心力の解体状況とそれにもとづく組織の遠心化という解体則危機が続いていることは広く認識されていることと思います。
 私たちは、この危機を克服し日本支部の新たな再出発をかちとるためには、全国党協議のシステムを過渡的体制として採用し、討論の全面的活性化による同盟再建の方向性についての共通認識を最初の一歩からつきあわせていく必要があるという結論に達しました。
                      (二)
 日本支部組織は周知のように「組織内女性差別問題」により男性と女性との組織的断絶状況が持続しています。
 この組織状況こそ日本支部「破産」の姿であり、私たち日本支部の「男」にひとしく自己の革命観、組織観の根底的見直しを迫った問題でした。私たちは、「男」たちの党組織に関する価値観・意識が転換することなしにこの組織的なデット・ロックからの脱却の方法はないと考えます。
 組織の協議会システムヘの移行はこうした間題意識にたってあらためて全面的に男女両性にとっての党組織とはなにかをもっとも核心的な課題としてとらえ、それを手がかりとしつつ「綱領の破産」に接近する共同討論の場を見いだしていこうという考え方です。
 協議会システムヘの移行は、現日本支部の構成要素それぞれの、将来をいかに展望するかの主体的選択の問題です。
 協議会は、日本支部の同志たちの協同作業を作り上げて行く場にほかなりません。従って、協議会は当然民主集中制の組織であることを凍結し、協議と合意の基準において最低限一致しうる組織行動と大衆運動の調整、無理のない財政負担、共同の機関紙活動と論争誌・研究誌としての機関誌の発行、共同の事務所を設け、その立場を第四インターナショナルの一翼として明確にし財政納入を行い、将来の再建されるべき日本支部の原型を探り、形成していく場となります。
                      (三)
 天安門の血の弾圧がスターリニズムの歴吏的役割をあらためて決定的に告げ知らせました。
 ペレストロィカにおいてコルバチョフは、とりあえずはレーニン主義への回帰を提唱しているように見えます。しかし過去をなぞることではおさまりようもない形で、複数党制、民族自決・独立、計画経済と市場問題などのさまざまな問題が一挙に吹き出しており、私たちの「政治革命論」それ自体が時代に遅れる「硬直」した存在となりかねない情勢となっています。
 スターリニズムの「没落」の時代に挑戦することは国内的には、社会党(総評)・共産党体制の時代の終えんにたいする新たな主体のための具体的展望と方向性を作り上げていくことにほかなりません。
 女性の要素、市民の要素、エコロジーの要素などの多様な要素が日本資本主義、帝国主義の進路にたいする未分化な体系化されてはいないが、しかし新たなオルタナティブの原型形成の可能性をしめしています。旧来の野党・反政府勢力を代表しだ労働組台連動の資本主義への屈服・接近・癒着という「破綻」に抗する左派労働組台ナショナルセンターのための闘いという核心的課題もまたこれらの新たな要素との結合によって主体的基盤を飛躍させていくことが可能となりましょう。
 これらは総体として、社公民・「連合」の党形成に対抗する左派の合流としての新たな労働者党形成の契機を表現していることであります。
                      (四)
 私たちの再出発への共同の踏みだしは、以上のいわば二十一世紀という時代に向かう激しい歴史的転換・激動と流動のさ中に立ち、主体的にたち向かうことでなければなりません。
 「全労協」の形成はすでに十二月結成に踏み切る段階に入りました。自公民路線と本質においては矛盾しない「連合」が土井社会党の圧勝という文脈のなかで「勝利」したこと自体が矛層であります。「連台」は土井社会党に投じられた人民の意志とは明らかに対立する存在であります。「全労協」を人民の選択、意志表示と緊密に結び合わせ、来る九〇年代、そして二十一世紀に立ち向かう左派共同の主体的な軸として築き上げていくという私たちの課題は、いまやますます重大なものとなっているのです。

全国協議会の八月結成に結集を!
日本支部の再生をめざして!
以上は、日本支部全国協議会をめざす第二回懇談会の確認文書を、本紙掲載のために編集したものです。


 創刊準備号(本号)は、とりあえず仮称「全国協議会」の紙名で発行しました。第四インターナショナル日本支部全国協議会にふさわしい機関紙名の提案をお願いします。次号(創刊号)から新しい正式名称で出発したいと考えていますので、八月末までにふさわしい紙名を提案くださるよう、お願いいたします。 

ペレストロイカ=上からの民主革命を考える
社会主義の変革の時代と「民主主義」
問われる政治革命の綱領
織田進

 ソ連では、ストライキについての法律が近く作られるというニュースが、最近報じられた。ストライキが、法の保護を受けた問題解決手段になるわけである。また、株式会社の導入などについても検討されているという。ゴルバチョフのペレストロイカの成り行きには、目を見張る思いがする。その「上からの民主革命」は、ポーランドやハンガリーでは、共産党の一党独裁が、事実上終わりを告げる事態へと広がった。この二つの国は、かつて激しい抵抗をソ連の支配に挑み、後者はおびただしい血で戦車のキャタピラを染めた。今日二つの国民が、歴史に預けておいた「民主主義」や「独立」を取り返すにあたり、モスクワに感謝を捧げないからといって、礼を失することにはならないのである。

迫られている社会主義の自己変革

 ポーランドの選挙での「連帯」の圧勝が伝えられた同じ時に、われわれは、北京天安門広場の人民解放軍による大量殺毅を目撃した。天安門広場を埋めた民主化闘争には、中国のほとんどの大都市からきた学生活動家が参加していた。この時期が文化革命以来いく度となく裏切られてきた「民主主義」にもう一度挑戦する、しなければならぬ機会であるととらえたからである。彼らの判断の根拠には、胡耀邦の早すぎた死とともに、ソ連、東ヨーロッパのペレストロイカの予想外の進展があった。
 ソ連における「上からの民主革命」、ポーランドとハンガリーの「共産党一党独裁」の事実上の終わり、中国民主主義派大衆運動の野蛮な圧殺、これらは一つのつながりの中にある。
社会主義が、自己変革を迫られている。
社会主義の改革が、未だかつて経験したことのない希望と苦痛を伴う混乱の試行を始めている。社会主義を信念としてきた者たち、目標として闘ってきた人々は皆、この混乱の中にとらえられている。「社会主義の変革」が今日の時代に刻み込まれたのである。
 これはいわば、二十一世紀を迎えようとする人類に対して、歴史と未来の双方から「スフィンクスの謎」が問いかけられているのだと考えることができよう。自分自身が何者であるかを知ることなしには、もはや人間はこれ以上前進することを許されないところにきてしまっている。

先進資本主義民主主義への接近

 ゴルバチョフの経済改革は、必然の鉄の腕に導かれて、「上からの民主革命」の敷居をまたいだ。改革の旗手たちは、教科書も前例もない道を手さぐりで進もうとしている。
 ソ連から東ヨーロッパに広がりつつあるペレストロイカには、一つの共通した要素が現れている。それは、西欧型の議会制民主主義と市場経済のセットー「先進資本主義民主主義」への接近である。
 これまで共産主義派は、ブルジョア議会制民主主義が、独占資本家階級の権力独占を保障する仕組みにすぎず、それを通じて極少数の大ブルジョアジーの利害を「国民的共通利害」に見せかけ、諸階級を一つの支配階級の足下に隷属させる手段であると判断してきた。マルクスを援用してプロレタリアートはでき合いの国家機構を利用して社会主義にむかうことはできない」と主張し、プロレタリアート独裁の新しい国家権力を作り出さないで社会主義のために生産関係と社会を改造することができないのは自明の真理であるとした。
 その理論では、プロレタリアート独裁の新しい国家権力構造が、ブルジョア民主主義と異なる点はどこにあるとされてきたのだろうか。
ブルジョア議会制は、諸階級を抽象的個人、すなわち「一票」に分解して、階級対立を外見的に超越する「国家」吸収する「問接民主主義」ある。
 他方、プロレタリア独裁の権力構造ープロレタリア民主主義は、被支配階級であるプロレタリアートがその階級的団結の組織そのものを権力の組織に転化せしめるのであり、工場を原点とする「直接民主主義」のシステムである。パリ・コミューンが初めて「実例」を示したこの「労働者議会制」と「コミューン型権力」の理念は、レーニンによってロシア社会主義革命の権力組織の方法として追求され、工場と農村、兵営に基礎を置くソビエトの権力制度が形成されていった。


ソビエトの変質

 ソビエトは、少なくともその最初の理念においては、プロレタリア犬衆が権カを「自分自身のもの」として統制することを可能にする「直接民主主義」の「労働者・農民の議会制」として、「大衆民主主義」の機関として出発した。だが、その後の現実の歩みの中でソビエト制度はボリシェビキ=ソ連共産党の一党独裁を比類なく強固に防衛する政治機構にまたたく間に変質した。
 西ヨーロッパの議会制は、多かれ少なかれ大衆の政治的気分の変化の表現を、時には国家の政治的手詰まりりやにっちもさっちもいかない危機さえも宿す。現在日本でも、リクルートと消費税の「逆風」に見舞われた自民党政府は、少なくとも今後六年間は参院で少数派に転落することになり今や「世界のブルジョアジー」の地位を不動にしている日本財界の政治的需要を満たすには、弱体にすぎる有様となっている。
 これに反して、ソ連のソビエトシステム、およびその輸出としての中国-東ヨーロッパの政治制度では、権力の危機に到るような大衆の批判や要求がシステムとして表現されるようなことは絶対にありえなかった。大衆のであったはずの「直接民主主義」は、支配党の支配層が人民全体を監視し、統制し、生殺与奪の権を握るための「直接支配」のシステムとして、実際に働きつづけた。ソビエト制度は、スターリン全盛時代には、まさに徹底した全体主義体制の、奴隷監視網のシステムであることを実証した。そのようにして二十世紀の労働者国家奴隷制を、ソビエトシステムー「工場、農村、兵営から始まる民主主義」が保障したのであった。
その歴史的帰結として、ソ連でも東ヨーロッパでも中国でも、人々は西欧資本主義型の議会制民主主義にひきつけられている。自分が誰に投票するのか知られない自由、提示された複数の可能性の中から、自分の意志で選択できる権利が確保されているブルジョア民主主義」は、今や労働者諸国家の民主主義派の共通の行動綱領になっている。

スターリン政治体制の特質=「内戦原理」

 さらに政治における問接民主主義システムヘの傾斜は、その土台としての経済の「間接民主主義」=市場経済へのいっそうの接近の傾向と一体になっている。
もちろん初期ソビエトの直接民主主義型権力が、自動的に全体主義的支配システムを招き寄せたと主張することはできない。むしろ逆に、当初のソビエトの特徴は「下からの統制」を大幅に保障したことであり、経営はもちろん戦闘中の軍隊の指揮系統さえも選挙制度による大衆統制のおかげで無秩序と機能不能を免れなかったほどである。だが革命初期の混乱からの回復過程で、ソビエトの。「大衆民主主義」は急速に「上からの統制」にとって代わられた。
 この変化が作り出されていった原因はどこにあったのだろうか。それは、ロシア革命国家が実際上は内戦によって創出されていったという歴史的事実である。ロシア革命が地球上にはじめて登場させた労働者国家、プロレタリア独裁の権力は、三年の長きにわたる内乱一内戦を通じて、その土台から頂点に至る機構と運営システムを形成した。目標を設定し、戦略と戦術を練り上げ、大衆を動員し、「敵」を打ち破っていく、国家運営の原理、政治的方法の根本が、内戦の方法論そのものによって規定されていった。
 権力がその支配の全体(政治、経済、文化に至るまで)を「内戦」として実現していく構造こそ、スターリン政治体制の際だった特質である。内戦期から「発展」していったロシア革命国家のこの「内戦原理」を、スターリンが見事に「完成」した。ソビエト型直接民主主義は、「内戦」型政治支配としての共産党一党独裁を実現するシステムとなることによって、全体主義的大衆統制に最も効果的に奉仕する政治制度に変形したのであった。

新世代の指導部登場が意味するもの

 共産主義者といえども、政治的自己形成過程の核心を構成した歴史的な局面の質によって、その思考の型や方法に決定的な影響を受ける。レーニン、トロツキーもまた、スターリンほど極端で戯画的ではなかったとしても、「内戦」型の思考方法を感じさせることがある。
 近年、ソ連の指導部から「内戦」型指導部の世代が退場あるいは追放され、「平和時」の国家経営の中で成長し、習熟してきた新しい世代がそれに代わりつつある。ゴルバチョフらは、そうした意味において新しい世代なのであり、彼らにとって国家はその構造の安定性によって安定させられるべきものであって、いつでも訴えることのできるむき出しの「階級的暴力」に安易に立脚すべきものではない。
 このような新しい指導層が世代として登場してきたことに、ペレストロイカの重要な特質が存在している。スターリンの時代にはあってもなくても同じであった「法律」が、ゴルバチョフの時代には支配の正当性の唯一の根拠としての位置に高められることになる。
 指導部の世代の違いの意味をまざまざと見せつけたの、は、天安門広場の惨劇であった。ケ小平を筆頭とする革命第一世代が未だ実権を握る中国では「内戦」の方法論がいぜんとして国家の中枢に所を占めている。革命の第一世代が言ったと伝えられる「中国では百万人といえども一握りである」という言葉も、この観点に照らせば容易に了解される。中国の近代化=改革は、指令部の発する戦闘指令にもとづいて「戦い」、実現されていくべきものであって、戦闘の最中に命令に服従しない兵士が銃殺されることが当然であるのとまったく同じこととして、天安門広場を占拠した「脱走兵」「反乱兵」は、処罰されなければならなかったのである。

なにが問われるのか

 ペレストロイカは「上からの民主革命」である。それは、西欧型議会制民主主義と市場経済のワンセットを経験的、模索的に導入しながら、硬直し、停滞している労働者国家の経済、社会、政治、文化の生命力を復活させようとする新しい指導部の世代が、いま徐々に大衆のエネルギーの流動化を引き出しつつある局面にさしかかっている。彼らは苦しみながら手探りしている。
 われわれは大言壮語を控えるべきだと、私は思えてならない。われわれの「政治革命」の旗が、内容のない、こけおどしの標語に色あせたままで平気でいてはならない。われわれの「政治革命」の綱領は、どんな「民主主義」を提案すべきであろうか。
 ゴルバチョフを先頭とするペレストロイカの担い手たちが繰り広げていく経験の教材から、われわれが学ぶことは確かに豊冨にあるだろう。だが逆に彼らの方がわれわれから学ぶべきものがあるとするものは、はたしてどれほどあるであろうか。
 社会主義の変革という、二十世紀の最も本質的な課題に、人類がようやく手をかけようとしているのである。われわれがその仲間入りをするためには、まず己の教条を疑うことから始めなければならない。
      (一九八九年八月六日)