マルクス主義
守るべきテーゼ

                       ダニエル・ベンサイード


雑誌、「ヴィエント・スール」向けにダニエル・ベンサイードが書き起こした以下の文書は、今日マルクス主義に課せられた理論的挑戦に取り組もうとする大胆な試みだ。筆者によれば、現代社会民主主義及び他の主要な政治傾向が示す理論的貧困さは、マルクス主義者を彼らの勝利にあぐらをかかせ、過去から受け継いだ正統主義信仰を単に自己確認させるだけに終わる可能性がある。しかし彼は、スターリニズム崩壊以降の世界において、革命的理論は今巨大な変革に真剣に取り組まなければならない、と主張する。彼の議論は広範な領域に広がっている。具体的にはそれは、現代帝国主義、ソ連と類似の諸国に関するバランスシート、現代資本主義が持つ階級構造、新らしい民族主義と共同体の主体性、社会運動と政党、そして差異と多様性に関するポストモダニズムの理解―さらにそれに連なる他の多くのもの―などにまたがっている。これは密度の濃い、難解な文書だ。しかしそこには、現代マルクス主義に対する挑戦への、さらにそれが持つ弱さへの重要な洞察があり、また将来の探求と熟考のための意義ある手掛かりがある。それ故我々はこの文書をここに英語で研究できるものとした。その難解さにもかかわらずこの文書は、多くの読者に刺激を与え、その興味を呼び起こすだろう。(IV編集部)

“我々は二重の責任に直面している。一つは、伝統の引継ぎであり、それは既成事実への屈服主義によって脅かされている。もう一つは、いまだ定かではない未来の輪郭の探求である”

 至近の10年(ソ連解体及びドイツ統一以降の)の展開の中で、あるものは確かに終焉に至った。しかしそれは実のところ何なのか。それは、エリック・ホブスボウムや他の歴史家が語るような、第一次世界大戦をもって始まりベルリンの壁崩壊で終わりを告げた、「短い二十世紀」のことだろうか。
 それともそれは、第二次世界大戦後の、冷戦を演じた二つの超大国が代表し、帝国主義中枢では持続的な資本蓄積と「フォード主義」的調整を特徴とした、より短期の時代のことなのだろうか。
 さらにまたそれは、資本主義と労働者運動の歴史における大循環、即ち1880年代に幕を明けた資本主義の発展、次いで植民地の拡張と第二インターナショナル形成が象徴する近代労働者運動の開花、このような歴史全体を指すのだろうか。
 労働者運動に関わる偉大な戦略的思考は、かなりの程度第一次世界大戦以前の前述したこの生成期に始まる。例えば、帝国主義に関する諸議論(ヒルファーディング、バウアー、ローザ・ルクセンブルグ、レーニン、パルヴス、トロツキー、ブハーリン)、民族問題(ローザ・ルクセンブルグ、レーニン、バウアー、ベル・ボロコフ、パンネクック、シュトラッサー)、党―労働組合関係と議会主義(ローザ・ルクセンブルグ、ソレル、ジョーレス、ニューベニウス、レーニン)、権力への道筋と戦略(ベルンシュタイン、カウツキイ、ローザ・ルクセンブルグ、レーニン、トロツキー)、がそれらだ。
 これらの論争が、世界大戦とロシア革命で幕を明けた革命と反革命の間の対立的運動と同じ程に、我々の歴史を構成している。しかし、方向性と選択肢に関するしばしば厳しい相違がありつつも、その時代の労働者運動は、相対的な統一と共通の文化を共にしていた。この遺産の内で今日何が残っているのだろうか。
 再刊された「ニューレフト・レビュー」創刊号の非常に不明瞭な論説の中でペリー・アンダーソンは、宗教革命以降で支配的秩序に対する代わりとなるものがこれほどに不足していたことはない、と評価している。チャールズ・アンドレ・ウドゥリーはもっと明確であり、現情勢の特質の一つは独立した国際的労働者運動の「消失」である、と主張している。
 こうして我々は今、先のはっきりしない過渡期の中間にいる。そこでは、古いものは廃絶されたのではなく日々死につつある。そして新しいものは、いまだ乗り越えられていない過去と、自律的な模索の事業に対する益々高まる切迫した必要性との間に囚われつつ、生みの苦しみの最中にある。そしておそらく後者の事業が、我々の眼前に開かれつつある世界に向けて我々を導くことを可能にするだろう。しかし今、旧来の労働者運動の伝統に孕まれた弱点の故に、一つの危険がある。それは、我々の右に位置する社会民主主義や他の敵手の理論的凡庸さを前提とした時、今日では限定的な価値しか持たない古い理論的征服地の単なる防衛へと、我々が身を任せてしまいかねないという危険である。確実に言えることは、理論は論争と対立を糧に生きる、ということだ。我々は常に、ある程度は我々の敵との論争に依存している。とはいえ、この依存性は相対的である。
 フランスで多元的左翼と呼ばれる、社会党、共産党、緑の党の大政治勢力が、原理的問題に対する取り組みにおいて非常に活発というわけではない、と言うことはた易い。しかし同時に、もう一つのこともまた思い起こさなければならない。即ち、1970年代の極左の論争は、そこに素朴さとまたしばしば若さの過剰があったとはいえ、その勢力の今日の論争よりもはるかに生産的で、また思考を豊かにするものであった、ということをである。
 それ故我々は、一つの時代からもう一つの時代への、危険に満ちた移行に手を着けた。そして我々は今流れの中ほどにいる。我々の理論的伝統は、既成事実に対する順応主義によって脅かされている。しかし例えそうであったとしても、この新たな時期を大胆に解明する一方で、我々の理論的伝統を同時に伝え、守らなければならない。私は、私が「開かれた教条主義」と表現したいと思う精神で、衝撃が起こる危険を犯してもこの試練に立ち向かう方を好む。
 何故「教条主義」なのか。それは、この言葉が例え芳しくない印象を与えるとしても(メディアが保持する共通感覚によれば、閉じられたものよりも開かれたものの方が、重いものよりも軽いものの方が、剛直なものよりも柔軟なものの方が常により良い)、理論の場合はすべからく、流行となっている思考への抵抗にはそれだけの長所があるからだ。何にでも使えるような印象が仕掛ける挑戦と、流行のもつ作用が要求するものは、パラダイムが変えられる前に真剣な論破がなされるべきだ、ということだ。
 何故「開かれた」なのか。それは、我々がすべきことは原則の宗教的保守なのではなく、それを新たな現実との対比で試験しつつ、世界の見方をむしろ豊かにし変革すべきだからだ。
 それ故私は以下に、守るべき五つのテーゼを提案したい。これらの形態は、拒絶に関して必要な努力を意識的に強調している。
1.帝国主義は、商品の世界化の中で解消されることはなかった。
2.共産主義は、スターリニズムの崩壊の中で解体されることはなかった。
3.階級闘争は、様々な共同体の帰属性に基づいた政治には切り縮められ得ない。
4.対立的な違いは、曖昧な多様性というようなものの中では解消されない。
5.政治は、倫理あるいは美学に解消され得るものではない。
 これらのテーゼは論証可能な問題である、と私は考える。以下で示す注釈は、これらのテーゼから生まれる帰結のいくつかを説明している。

テーゼ1.
帝国主義は、商品の世界化の中で解消されることはなかった。

 帝国主義は支配の政治的形態であり、それは資本の複合的不均等発展に対応している。この近代的な帝国主義はこれまでその外観を変化させてきた。それは消失したわけではない。この数百年の展開の中でそれは、三つの大きな段階を経てきた。
それは、
a)植民地征服と領土的占領の段階(イギリス及びフランスの植民地帝国)
b)金融資本支配の段階、あるいはヒルファーディングとレーニンが分析した「資本主義の最高段階」(産業資本と金融資本の融合、資本輸出、稀少資源の輸入)
c)第二次世界大戦後の、帝国主義大国数カ国間で分担された世界支配の段階―前植民地の形式的独立及び従属的発展(注1)
である。
 ロシア革命によって幕を開けた一時代は終わりを告げた。1914年以前に姿を見せたような金融支配を表している帝国的グローバリゼーションの新たな段階は、我々が既に入り込んだものである。そこでの帝国的覇権は、多くの形で行使されている。そこには、金融支配や通貨支配(貸付けの仕組みからなる支配を可能とする)、科学と技術の支配(特許に基づく準独占)、自然資源の支配(エネルギー供給、交易ルートの支配、生物有機体への特許設定)、文化的覇権の行使(巨大マスメディアの力が強化する)、そして終局的には軍事的覇権の行使(バルカンと二つの湾岸戦争に明らかな)(注2)がある。
 世界化した帝国主義のこの新たな相貌においては、領域の直接的な服属は市場支配に対しては二義的である。ここから帰結するものは、極めて不平等かつ極めて悪循環的に複合された展開であり、主権に関わる新たな諸関係(債務、エネルギー、食料、健康の依存性のような規定的仕組み、さらに軍事条約)であり、そして新たな国際的分業である。
 二〇年あるいは三〇年前まで経済的発展の道に乗ったと思われていた諸国は、今や再び低開発の悪循環に囚われている。例えばアルゼンチンは今、再び主に原材料輸出国(大豆はその主要な輸出生産物となった)である。またエジプトは今日、観光業者にとっての天国に過ぎないものになろうとしている。この国はかつて、1950年代にナセルのアラブ民族主義が支配していた時代、主権回復(スエズ運河国有化が象徴した)、文教政策の成功(中東諸国への技術者や医師の供給)、さらに工業化の開始(ブーメディエン支配下でのアルジェリア同様)を誇っていたのだ。2回の通貨危機(1982年と1994年)及びNAFTAへの統合を経た後のメキシコは、かつてよりもさらに「北の巨人」の従属的な裏庭のように見える。
 従属性と支配に関わる変容は、特に戦争の地域的戦略の変革及び技術的変革の中に反映されている。第二次世界大戦期間中には、互いに重なり合ういくつもの戦争に触れることなく、単数形の戦争やただ一つの戦線について発言することは、もはや不可能だった(注3)。冷戦終焉以降の対立の性格は、単純な善悪で陣営を処理する言語でのいかなる解明をも排除する。それらこれまでにない結び付きと多くの矛盾を孕む最近の対立は、簡単に割り切りすぎた対応の不毛性を示すのだ。
 フォークランド戦争の時、サッチャーのイギリスの帝国的遠征に対する反対は、アルゼンチンの革命派をして軍の独裁者を支持するよう余儀なくさせる、などということには全くならなかった。イランとイラクの対立においては、二つの国における革命的敗北主義が、圧政の二つの形態を前に正当とされた。湾岸戦争においては、「砂漠の嵐」作戦に対する国際的反対は、サダム・フセインの独裁政権に対してはいかなる支持をも意味しなかった。 グローバリゼーションの帰結もまた、諸々の対立の構造として現れる。我々が今いる時代はもはや、解放戦争の時代でも、支配者と被支配者の間の相対的に単純な対立の時代でもない。ここから帰結するものは、利害の錯綜と立場の急速な反転可能性だ。近年の諸々の対立内部で我々が位置取りを定めた際の問題点、誤り(何回かの)、そして諸困難からいくつかの教訓を引き出し、詳細な総括を行わなければならないが、その理由が上述した点にあることは明白だ。
 現実に錯綜する諸々の対立を、単純な「善」と単純な「悪」の間の対立へ単純化することは、ユーゴスラビアへのNATOの介入を正当化した「人権の帝国主義」論を多くの点で基礎付けるのだ。

帰結1.1
国際法と諸国の民主的主権は、人道主義的倫理には解消され得ない

 19世紀に確立された国民国家の機能は疑いなく変形され、弱められた。しかしそうであっても、国家を超えた国際法の時代には未だ到達していない。皮肉なことにこの10年でヨーロッパは、15,000km以上の新しい国境線を持つ10以上の正式な主権国家が出現するのを目にしてきた。ボスニア民衆、コソボ民衆、チェチェン民衆にとっての自決権擁護とは、明らかに主権の擁護である。全ての者が全ての者に対して行う純然たる奪い合いに対して抵抗力を提供する政治的主権に対して、吐き気を催すような民族主義や排外主義と正当な民主的精神をその下に混同させる「主権主義」という侮蔑的な主張が行われている。この主張が覆い隠すものこそ先の矛盾なのだ。
 国際法は今も尚、次の二つの正統制をはっきりさせるために必要とされている。その一つは新しいものであるが、人間あるいは市民の普遍的な権利の正統性である(国際刑事法廷のような制度がその一部の具体化となっている)。もう一つは国家関係の正統性(その原理は、「永久平和」についてのカントの主張に遡る)であり、国連のような制度はそこに依存している。しかしその正統性については、それを国連がそもそも持ってなどいない美徳などというものに帰することなく(そして勿論ボスニア、ソマリア、ルワンダでのその働きぶりが示した悲惨なバランスシートを忘れることなく)、はっきり言っておくべきことがある。それは、連合軍作戦に関わった大国が追求した目標の一つについてであり、それは新たな帝国的秩序の構築物を新たな支柱に有利なように修正することだった、ということだ。そこでの新たな支柱とは、NATO(その任務は、ワシントンでの創立50周年記念サミットにおいて再定義され、拡張された)及びWTOである。
 第二次世界大戦後に登場した勢力関係から生まれたものである以上、国連は疑いなく改革され、民主化されなければならない。その改革は、総会に有利な、そして安保常任理事会という閉鎖的クラブに反対の方向を持つものでなければならない(反議会主義は、比例制やフェミニズム化のような、厳密な監視の仕組みを持つ民主的な改革を我々が支持するにあたって、それを妨げる理由とはならない)。それは、そこに国際的な立法権を持つ正統性を与えるためにではなく、「国際的共同体」の必然的に不完全となる代表制が、それでも利害とものの見方の多様性を確実に反映するようにするために必要なのだ。
 同様に我々は、ヨーロッパの政治諸制度、ハーグ法廷や緊急刑事法廷さらに将来の国際刑事法廷のような国際司法諸制度についての検討を早急に発展させる必要がある。

注釈
 表面上今知的な人々は、東の官僚的な敵の崩壊と共に資本という概念は時代遅れとなったと考え、世界は今や形容詞のつかない民主主義(それを別のやり方で西としつつ)と野蛮との対抗を巡って組織されていると考えている。まさにこの時にあっては、帝国主義についての主張を現代化するということは、それが単に経済的支配(これは明白である)という観点からだけではなく、支配の世界的システム(技術上の、環境上の、軍事上の、地政学上の、制度上の)としても、資本の重要性に関する主張を現代化するということになる。
 メアリー・カルダーは80年代始めにはEP・トンプソンと共に、ヨーロッパへのパーシングミサイルとクルーズミサイル配備、及び「絶滅戦略」に反対し、核の武装解除を求めるキャンペーンを指導した一人だった。その彼女は今、「内部の平和と対外戦争との間の、秩序だった国内法と国際的な無政府性との間の、ウェストファリア時代の独特の区別は、冷戦の終焉と時を合わせて終了した」と語る。そこでの主張は、「我々は今や、世界的な法体制に向けた整然とした進歩の時代に入った」というものだ。それは、人呼ぶところの、言語矛盾を恐れなければ、「倫理的帝国主義」であり、メアリー自身が「恵み深い帝国主義」と呼ぶものだ。

テーゼ2.
共産主義は、スターリニズムの崩壊の中で解体されることはなかった。

 新自由主義的反改良の思想は、商品の世界化に付随した市場に忠実な競合というものに帝国主義を薄れさせようとの試みと並んで、共産主義をスターリニズムに解消しようとする。そこにおいては、官僚的独裁は革命事業の只一つの論理的な展開であり、スターリンは、マルクスあるいはレーニンの正当な嫡子となる。理念は、概念のこの系統図にしたがって世界となる。彼等にとっては、歴史的展開やスターリニズムの暗鬱な惨害は、「プロレタリア独裁」、あるいは「前衛党」という主張の中に既に潜在的に存在するものである。
 もちろん現実に社会理論というものは、時代の批判的な解釈以上のものでは決してない。例え我々が、歴史や証拠に基づいて理論の力を弱めている弱点や論理的欠落を追及するとしても、その理論を別の時代の基準で判定することはできない。この点で見ると、フランス革命から引き継いだ民主主義の諸矛盾、人民、党、国家の混同、官僚制の持つ危険を前にした社会的かつ政治的に溶け合った無知(資本的主義的復古という主要な危険との関連で過小評価された)、これらが1930年代のロシアにおいては、官僚的反革命には好都合だった。
 ロシアのテルミドールの進展においては、連続の要素と非連続の要素が共にある。しかし、官僚的反動の勝利の正確な時期を確定することの難しさは、革命と反革命の間の非対称性に関わっている。確かに反革命は、革命の裏返されたもの、あるいは左右を転倒した像、即ち逆回転する一種の革命、ではない。それをジョセフ・ドゥ・マイストゥルは、フランス革命のテルミドールに関して非常に巧みに表現した。即ち反革命は、逆の内容を持つ革命ではなく、革命への反対なのだ。そこにはそれ自身の時間尺度があり、いくつもの衝突が蓄積され、それらが互いに補足し合う。
 トロツキーは、テルミドール派反動の開始時期をレーニンの死とした。しかしそれでも彼は、反革命は1930年代始めまでは完成されなかった、と語っている。その時期とは即ち、ドイツにおけるナチズムの勝利、モスクワ裁判、そして大粛清と恐怖の年である1937年、という時期である。そしてハンナ・アーレントは彼女の著作「全体主義の起源」において、官僚的全体主義の登場を完全に1933年あるいは1934年とする明白な年代記を明らかにしている。ロシア、ソ連においては、モシェ・レウィンが、1920年代終わりからの国家官僚機構員の量的膨張を明るみに出している。1930年代には、民衆運動に対する抑圧が規模において変化した。それは、チェーカ(政治警察)の行動あるいは政治裁判が予示したものの単純な延長ではなく、質的な飛躍である。そしてその中で国家官僚は、彼らを統制可能だと信じていた党を、破壊し貪り食ったのだ。
 この官僚的反革命が明らかにする非連続性は、以下に示す三重の観点から見て中心的問題となる。
 先ず第一に過去に関しては、歴史に合理的な理解可能性をもたらす、という点において。即ち歴史は、常軌を逸した人物が語った夢物語が作るものとしてではなく、社会現象やその結果が予め分かっている訳ではない利害の衝突、そして決定的な出来事、これらの結果として示されなければならないのだ。
 次いで現在との関わりにおいて。スターリニズム反革命の諸結果は、一時代全体を汚染し、国際労働者運動を長期に亘って邪道に導いた。現在における多くの逆説や袋小路(バルカンにおける危機の再発を始めとして)は、スターリニズムに対する史実に基づいた、ある経過的かつ社会的な展開としての理解なしには理解不可能だ。
 最後に未来との関わりにおいて。その中では官僚制の危険性が思いもかけない次元で明らかとなっているのだが、この反革命の成り行きは、依然として長期に亘って新たな世代に重くのしかかるだろう。エリック・ホブスボーンが書いているように、「ロシア革命とその直接的及び間接的影響を欠いては、短く凝縮された20世紀の歴史を人は理解できない」。

帰結2.1
社会主義的民主主義は、民主的国家統制主義とは全く別のものである。

 スターリニズムの反革命を「レーニン主義」が持っていた元々の悪の結果として描くことは、単に歴史的事実としての誤りと言うだけではなく、それはさらに未来にとっても危険である(因みに「レーニン主義」は、共産主義インターナショナル第5回大会においてジノビエフが作り上げた観念であり、それは国家の諸動機に対する新たな正統性信仰をレーニンの死後において正当化するためだった)。先のように考えた場合は、「権力に関わる専門家の危険」を防ぎ、透明な社会を保証するためには、数々の誤りに対する理解を確実にし、その誤りをすっかり正すだけで十分、ということになるだろう。
 このような観点は、多くのものの解決という見果てぬ夢とは例え断ち切られるとしても、社会を選択と仲裁から解放しようとした悲惨な経験から学ぶべき必要不可欠の教訓だ(必要性というものが歴史に条件付けられているとすれば、解決の豊かさという観念は極度に相対的なものである)。国家の急速な廃絶という仮説、さらに人民の(あるいは解放されたプロレタリアートの)均質さに基づいた絶対的に民主的な透明性という仮説を、我々が例え放棄することになるとしても、また結論的には、時間的尺度における不調和から来る結末全てを脇に置くとしても(経済上の、自然環境上の、また法的な諸選択、さらに慣習や心理や芸術は、特有の様々な持続時間を明らかにしている。そして、世代とジェンダーの矛盾は、階級対立と同じ方法では、また同じリズムでは、解決されない)、以下のことを我々の結論とすべきである。即ち、各々異なった分野のものとしての法と国家の弱まりという仮説は、それらの宿命付けられた廃絶を意味するわけではない、ということだ。そうでないならば宿命的結果は、権力の社会化ではなく、社会の国家化、ということになる。
 従って官僚制は、間違った理念が生み出す迷惑な結末ということではなく、一つの社会現象なのだ。それは確かに、ロシアや中国の初歩的な蓄積段階という枠内で、ある特別の形態を取った。しかしそれは、分業と欠乏にその根をもっている。それは様々な程度と多様な形態で示される普遍的な振る舞いの中に現れている。
 この歴史に基づく教訓は、第四インターナショナルの文書、「社会主義的民主主義とプロレタリアート独裁」、を基に1979年この方引き出された綱領的結論の深化に導くに違いない。先の文書は、原理としての政治的多元主義、国家と党との関係における社会運動の独立性と自律性、法文化、そして権力分割、これらについて特に述べている。「プロレタリアートの独裁」との考えは、19世紀の政治的用語という枠内である法的制度を喚起した。即ちそれは、当時恣意的な権力に与えられた名前であった暴政への反対の中で、ローマの元老院に付与された一時的な緊急大権、である(注4)。そうであってもそれは、最初からの曖昧さをあまりに抱え込み、さらに今も使われるにはあまりに多くの苦い歴史的経験に関係している。しかしそれでもこの注釈は、多数決民主主義の問題、社会と政治の関係、支配を弱める諸条件について、再構成する機会を我々に与える可能性を持っている。それらの諸問題に関しては、パリコンミューンという「最終的に発見された」形態の下で、プロレタリアート独裁が解答を与えたように見えたのだった。

注釈2.1

 スターリニズムは官僚主義的反革命を意味し、10月から生まれた体制の大なり小なりの不可逆的な進化という単純なものではない。しかしこの考えは、一般的な合意で迎えられることとはかけ離れている。むしろその反対が現実だ。つまり自由主義的改革派と悔い改めたスターリニストは、スターリン主義的反動をボリシェビキ革命の正統的拡張と見ることで一致している。それは、正統派共産主義者の伝統から出てくる「革新者」が、スターリニズムを恐るべき社会的反応としてではなく、主に「理論的逸脱」と考えることに執着する場合たどり着く事実上の結論である。
 
ルイ・アルチュセールは、彼の論考、「ジョン・ルイスへの回答」の中で、スターリニズムを「経済主義的逸脱」と特徴付けた。他の多くの理論家は、理論的誤りやその逸脱に強調点を置いた。これらの議論が示唆するものは、官僚主義の危険を避けるためにはその誤りを正すだけで十分であろう、ということだ(注5)。官僚主義的反革命に対する政治的分析における、いつまでも括弧付きの「理論的逸脱」という方法は、根源的な理論的原罪の探求というものと結び付き、単に「レーニン主義」というだけではなく、かなりの程度革命的マルクス主義あるいは合理主義的啓蒙主義の遺産までもの周期的再発性の清算へと導く。即ち我々は、レーニン非難から始まって、すぐさまマルクス非難…そして、あるいはルソー非難まで移っていく、ということだ。もしもマルテッリが書くように、スターリニズムが主に「無知」が生み出したものとするならば、権力に関わる専門家の危険を防ぐためには、より大きな理論的明るさだけで十分、ということになるだろう。それはあまりに単純だ。

注釈2.2

 エリック・ホブスボームによる「過激派の時代」のフランス語版出版は、知的健全さ、またフュレーの方法における歴史編集やステファン・クートワのスタイルによる歴史裁断に対する反駁を明らかにする労作として、左翼から歓迎を受けた。それに十分値するこの賞賛はそれでも、その成果に含まれた非常に問題のある側面をはっきりさせないままにしている、という危険を伴っている。
 ホブスボームは確かに、テルミドーリアンの墓掘り人が負うべき責任を否定はしない。しかし、歴史の客観的法則を根拠に、起きたことは起こるべくして起こったものであるかのように、彼はその責任を低めているのだ。彼は、違ったものになり得たかもしれないという可能性について、殆どちらりとも目を向けていない。
 こうして彼は、彼がこの奇妙な世紀の逆説と考えるものにたどり着く。即ち、10月革命の最も長く残った結果とは、平和におけると同様戦争においても、自身を改良するよう急き立てつつ、その敵を救い出すことだった、と(注7)。それはまるで、革命の自然な展開であり、恐るべき社会的かつ政治的対立の結果ではないかのようである。そしてこの対立の結果という点で、スターリニズム反革命はどちらにおいても最小のものというわけではない。歴史のこの「客観主義化」は、論理的な結論に到達する。即ちそれは、ボリシェビキは1920年に、今から振り返ってみた時主要と思われる一つの誤り、つまり労働者運動の国際的分断という誤り(共産主義と社会民主主義―編注)を犯した、という結論だ(注8)。
 共産主義インターナショナルへの21か条の加入条件が採択され適用された諸環境は、確かに批判的な検証を必要としている。しかし例えそうであったとしても、労働者運動の国際的分裂をもっと深く理解することを我々に可能とするものは、それをイデオロギー的な意思や教条的な過ちの結果として考える方法ではなく、革命が及ぼした根源的な波及として、また革命の防衛を当然のことと考えた(ローザ・ルクセンブルグのように批判的に)人々と、それに反対し帝国主義との神聖同盟に関与した人々との分水嶺に基づいて理解する方法である。
 両大戦間の時期がホブスボームにとっては「国際的規模における思想的内戦」を意味するとしても、彼が語るものは基本的な諸階級や資本や社会革命ではない。彼が語るものはそうではなく、進歩と反動、反ファシズムとファシズムなのだ。結果として彼は、「諸勢力の異常な分極化」の再分類について語ることになる。この視野の枠内では、ドイツ革命や、1926―27年の中国革命や、スペイン内戦と人民戦線に付いての批判的総括が入る余地は殆どない。
 ホブスボームは、スターリニズムの反革命に関していかなる社会的分析も行うことなく、1920年代以来、「戦闘の余燼が静まった時、ツアーの古い正統的帝国はその基本的姿をそっくりそのまま、もっともボルシェビキの権威の下で、復活させた」、と述べることで満足している。彼にとっては逆に、ハンガリー革命の粉砕をもって、1956年になって始めて、「社会革命の伝統が枯渇」し、あたかも孤立したまま消える単独の火事のように、「革命に忠実な国際的運動の分解が、世界的広がりを持つ革命の消滅を画した」、ということになる。つまり、「レーニンのボルシェビキが世界を変えたのは、何よりも組織を手段としてである」、とされている。この弔辞をもって、官僚制に対する真剣な批判が回避される。つまり官僚制は、単に圧政、社会的所有に基づく計画経済が示した「不便さ」としてしかみなされていない。その認識はあたかも、この所有が真実に社会的なものであり、また官僚制とは、反革命的な政治的危険性というよりはむしろちっぽけで単に嘆かわしい経費であった、とみなすもののように見えてしまう。
 ホブスボームの著作がもつ視野は、むしろ「歴史家の歴史」のものであり、出来事の大転換点においてあり得る選択肢の発見を可能とする、批判的なあるいは戦略的な歴史に求められる視野ではない。
 ピエール・ナビルは「生きているトロツキー」の中で、この方法論的な観点の持つ到達範囲について力を込めて強調している。「それが誰であれ、既成事実を防衛する者達の視野は、政治的主体のものよりもはるかに短い。活動的かつ戦闘的なマルクス主義は、しばしば歴史となっているものとは逆向きのレンズに引き寄せられる」、と。
 ナビルが語るところによれば、トロツキーが「予測」と呼ぶものは、予知あるいは予報というよりも、預言者的な先手着手により近い。革命的運動に風が吹いている時には出来事が意味することを自然であると見出すその同じ歴史家が、物事が複雑となり、流れに逆らう泳ぎ方を知ることが必要になるときには、その運動の中に否定的な要素を捜し求めるのだ。「方向に調子の不具合が出ている中で歴史の下書きをする」(ウォルター・ベンジャミンの定式にある)という政治的要請に思い至ることは、彼らには難しい。この政治的要請が歴史に与えるものは、事実や怠慢や過ちを列挙し目録にする歴史の懐古的な分別の枠を押し広げる可能性だ、とナビルは述べている。しかし悲しいことにこれらの歴史家は、ある穏健派に一定の革命の勝利を導く可能性を与えたかもしれない正しい道を指し示したり、あるいは反対に、テルミドールの時期における合理的かつ勝利につながる革命的政策を指し示すことは控えるのだ。

注釈2.3

 我々の運動がこれまで無視してきたあることを行うことが有益だろう。それは即ち、全体主義という考えについてのより深められた討論を概括的に取り上げ(さらに近代帝国主義の時代とのその諸関係を)、そして特に官僚制的全体主義についての深い討論に着手する、ということだ。トロツキーはこの用語を彼の著作「スターリン」の中で、その理論的な位置どりに正確な規定を与えないまま何回も使用した。全体主義の起源についてハンナ・アーレントが彼女の三部作の中で分析した一定の一時的な諸傾向(大衆に生じた階級の砂状化、民族への凝集化、政治の傾向的退化)、及び官僚制的全体主義の場合にそれらの諸傾向が身に着けることのできた特殊な形態、これらに同時的に取り組む中でこの概念は、極めて有効であるとみなされる可能性があるだろう。さらにまたこうすることは、以下のことも確認させるだろう。つまり、この有益な観点を粗雑に、そしてあまりに拡張して使用した場合それは、我々の時代における唯一の適切な主張として、民主主義(無限定の、あるいは形容詞のつかない、それ故ブルジョア的な、現存の)と全体主義の間で相手を正当化することに思想的に奉仕してしまうのだ。

注釈2.4

 官僚的反革命という観点を力説することは、先の世紀の革命に関する総括についてのより詳細な論争を締め出すことを、全く意味しない。それとは逆に我々は、より深められた批判的再構成(注9)に依拠しながら、刷新された展望からそれを再度我が物とする必要がある。
 理論的解明に関する様々な試み(マティックからトニー・クリフに至る国家資本主義、リッツィからバーナムあるいはカストリアディスに至る新たな搾取階級、トロツキーからマンデルに至る堕落した労働者国家、等の理論)は、実践的方向における重要な結論を含むとはいえ、いくつかの修正を介するならば、スターリニズム反革命という判断とは全てが一致する。
 現在カトリーヌ・サマリーが、権力をもつノーメンクラトゥ―ラとの闘いは政治革命だけではなく新たな社会革命を要求する、と提起しているならば、しかしこれは単なる用語上の修正ではない。マンデルが豊かにしたトロツキーのテーゼに従えば、過渡期社会の主な矛盾は、計画経済の社会化された形態と、官僚的寄生と特権を源とする分配のブルジョア的規範との間にあった。それ故「政治革命」は、獲得された社会的下部構造と一致するするものに政治的上部構造を移すことにある。この主張をアントニー・アルタスは、「ポスト―資本主義社会内」の誰か(誰を問題とするのか―訳注)、を忘れている、と言う(時系列的には資本主義の後に現れたとしても、世界的広がりをもつ資本蓄積の矛盾によって事実上は社会の性格が決定されている時においては、「ポスト」と表現されないことがより適切と思われる社会においてだけでなく)。そして、「そのような社会では国家は、生産関係構築における決定的な役割を演じるという意味において、不可欠の部分である。そして、官僚、国家の社会的集団は、賃金形態が共通であるという問題を越えて、直接生産者に対する搾取関係の内部に位置を持つ、という観点は上述した見地によるのだ」、と主張する。
 この論争の継続は、分野と政治的概念の特定を犠牲にした、直接的に社会学的な用語における政治現象の特性付けに関わる理論的混乱、に注意を向けさせることになろう。「労働者国家」という概念に帰せられる多くの曖昧さは、ここから生じている。それはまたおそらく、「労働者の党」という観念の場合も当てはまる。そしてこの観念は、政治勢力の機能をある種の深い社会的「本性」を基準として、対立と連携からなる一つの勝負に関連付ける傾向があるのだ。

テーゼ3.
階級闘争は、様々な共同体の帰属性に解消されることはない。

 あまりにも長い間いわゆる「正統」マルクス主義はプロレタリアートに、その意識がいずれはその本性をもって出会うであろう思想に従い、こうして全人類の救世主となるという一つの使命を帰属させてきた。後の日の失望は多くの人にとっては、以前の日のその幻想に比例している。自身をある種の「あらゆるもの」に転換できなかったことによって、このプロレタリアートはそれ故ゼロにまで切り縮められた。
 我々は、マルクス主義の階級闘争概念は、大学の社会学とは大して関係があるわけではない、ということを思い起こすことから始めるべきだ。実際にも彼は、問題に対する追求を統計学的に進めているわけではない。しかしそうだとしてもその主な理由は、当時原理が萌芽状態にあったということではなく(公式的記録の残る最初のインターナショナルの大会は1854年)、もっと原則的な理論上の理由である。即ち、階級闘争は、資本蓄積を支配する資本と労働者間の搾取関係に不可分な対立であり、生産者と生産手段間の分断が生み出すその結果だ、ということなのだ。
 こうして、資本の行う生産、流通、再生産という段階においてマルクスが捉えたものを我々が見るときそれは、いかなる意味でも細分化された、あるいは基準化された、さらにまた分類化された諸階級の定義などではなく、諸階級の構造的敵対が孕む動的な概念である。諸階級は生産過程の段階だけで定義されているわけでは決してなく、全体からなる再生産によって定義されている。ここでは、賃金を巡る闘争、分業、国家機構との諸関係、そして世界市場が関わりあっている(まさにこのことから明らかとなるものは、流通過程との関係における、資本論第二部に顕著に見られる労働の生産的性格が、プロレタリアートを定義しているわけではない、ということだ。これらの問題が流通過程の諸相に関し取り組まれ、1970年代には広範に議論された。それらは、国家独占資本主義の理論の中で共産党が、そしてそれとは逆の方からプーランザス、バウデロット、そしてエスタブラーが、共に防衛した諸テーゼに明確に反対するものだった―注10)。
 マルクスはプロレタリアに関し一般的に語っている。一般的に言って19世紀には、人々は勤労諸階級について多元的に語っていた。ドイツ語の「アルバイタークラッセ」と英語の「ワーキングクラス」は、かなりの程度で全般的な意味をもち続けた。その一方「クラッセ・ウーブリエール」という用語のフランスの政治的語彙における使われ方は、曖昧さになりがちな、ある限定的な社会学的含みを必然的に伴っている。即ちそれは、近代工業プロレタリアートと結び付き、サービス業や商業の被雇用者を排除する含みをもっている。しかしこれら後者の人々も、生産手段の私的所有に対する関係、分業への位置付けという観点から見た場合、あるいはまして賃金取得者としての地位や彼らの報酬額という見地に立てば、搾取という似通った諸条件を耐えているのだ。
 おそらく理論的には、「プロレタリアート」という用語の方が「勤労階級」という用語より好ましい。発達した諸社会におけるこの階級は、活動人口の実に三分の二から五分の四の間を占める。そこでの興味深い問題は、時に予言されたようにこの階級が消えた、ということではない。そうではなくそれは、プロレタリアートの社会的変容並びにその政治的表現という問題である。ただしそこにおいては、過去二〇年の経過の中で実体的な減少を経験してきた(活動人口の35%から26%内外へと)とはいえ、狭義の工業プロレタリアートは今も消滅からは程遠い(注11)、ということが了解済みとの前提がある。
 プロレタリアートの本当の状況は国際的な眺望から明らかとなる。ミッシェル・コーエンが「世界のプロレタリア化」と呼ぶものが明白となっている。1900年には10億人の世界人口の内賃金労働者はおよそ5000万人だった。それが今では、60億人の内約2〇億人が賃金労働者である。
 それ故問題は、厳密な社会学的規定というよりも、理論的かつ文化的なそして特に政治的な、質の異なる段階の問題である。階級という観点はそれだけで、諸闘争と組織のある形成過程が生み出す産物である(EP・トンプソンの「イギリス労働階級の形成」に対する序文参照)。その途上において、一定の理論的概念及び闘争に裏打ちされた自己決定、これらを含む意識が確立される。つまり、階級帰属感情は、社会学的に決定されるものと同じ程度には、階級形成が孕む政治的過程の産物なのだ。その上でこの意識の弱まりは、諸階級とその諸闘争の消失を意味するのだろうか。この弱まりは巡り合わせてきなもの(闘争の引き潮と流れに関係した)なのだろうか、それとも構造的なもの(支配の新たな仕組みの結果であり、それは単に社会的なものばかりではなく、ミッシェル・スーリャが名付ける「絶対的資本主義」として、文化的で思想的なもの)なのだろうか。ここにはその思想的表現を代表するポスト近代性の主張が付随している。階級闘争の有効性が日々の生活の中で実証されているとしても、ポスト近代の断片化や個人主義といったものが、果たして共有された集団性の一新というものを我々に抱かせることを可能とするのだろうか。商品物神崇拝と消費主義、また一過性と即効性に対する熱中の全般化を仮定したとき、未来の見えない極度の溶け合いという時期のかなたに、政治的かつ社会的な二重になった構想というものが再び現れる可能性があるのだろうか。
 この時、高い優先性の下で関わらなければならない理論的任務の一つは、賃金労働者の社会学的変容のみならず、蓄積様式という見地から見た賃金関係の目下進行中の変容だ。それは、労働組織の見通しと同様、法的な政治的諸規制とフレデリック・ジェイムソンが「後期資本主義の文化的論理」と呼ぶものの見通しから探求されなければならない。
 サッチャー―レーガンの年月の反改良に関してなされる超自由主義に対する批判は、拘束を解かれた規制解体後に現れた商品のジャングルというイメージに取り付かれるあまり、再組織と生じつつある再規制の試みの数々をもし吟味するということがないならば、その目的を誤るという危険を犯すことになる。ボルタンスキーとチアペッロが述べることだが、資本の支配は、正統制と正当化のない、搾取と抑圧が剥き出しの形の下では、持続不可能なのだ(ヘゲモニーなしに持続する賦課は決してない、とグラムシは語った)。

注釈3.1
 それ故今日程に上っているものは、現在の生産諸力(新しいテクノロジー)、資本蓄積並びに社会的再生産の全般的諸条件に基づいた、世界構造、領域的組織、法的諸関係の再定義である。キリスト教民主党、イギリス保守党、フランス右派、これらの伝統的政治勢力の転換に我々が見ている諸危機は、また国民国家枠組内で戦争以降彼らが満たしてきた機能が疑問に付されていることは、上述した枠組においてのことである。さらに、社会民主主主義諸党に起きている変容もまたその枠組内におけるものである。そしてこれらの諸党のエリートは、公的部門の私有化並びに国家部門エリートと私的部門エリートの融合を通して、ブルジョアジーの統治層と益々有機的に統合されている。
 再転換渦中における伝統的ブルジョア陣営の弱さを仮定し、社会民主主義諸党がしばしば資本の近代化のための一時的責任を担うよう呼び出されている。そしてこれらの諸党は、将来構想を失ったポストスターリニズム諸党、及び加速する制度化に抵抗する思想的持ち合わせを欠いた緑の諸党の大多数を、それらの軌道に引きずり込んでいる。
 従って、ブレア―シュレーダーの第三の道という公約における最低基準を持つ社会的ヨーロッパなのか、それとも「社会的基礎の再創出」という課題に関するフランス経営者協会の術策なのか、としてリスボンのヨーロッパサミットで輪郭が描かれ、論争されたものは、ルールなき自由主義、というものではない。そうではなくそれは、今だかつて聞いたこともないような形の、リベラル―コーポラチズムの、さらにリベラル―ポピュリズムの枠組における新たな賃金関係なのだ。将来に可能な唯一のポピュリズム形態は、フランスのパスクァやビリエルのような人々のもつ、懐古的な主権主義の類であろうと考えることは、危険なほどに視野が短いと思われる。
 法に対する非人格的な関係を超越する個人的契約(極度に不平等な社会ではしばしば個人的従属と同義となる)の法的卓越性を通した、賃金支払いを受ける株主、私的年金基金(連帯を犠牲にした)、社会的結び付きの「再封土化」(アラン・スピオがそう非難した)、これらを目的とした改革が現に目指されている。これら全てが描くものは、新たな資本―労働の協調的連合である。そしてそこに存在するものは、グローバリゼーションの大量の犠牲者を踏み台とした小さな勝者集団である。この傾向は一定の状況の下では、オーストリアの右翼ポピュリスト、イェルグ・ヘイダーやロシアのプーチンのやり方に現れているように、発作的な民族主義―リベラリズム形態と完全に共存可能である。
 他方で、効果がなくその上おそらく人を欺くことになるものは、上述した例を現代のまたおそらく前例のない形態の右翼の危険と結び付ける代わりに、1930年代のファシスト運動との類推で例えばハイダーの例に対処することである。反ハイダー決起に参加することは例え正しいとしても(しかしそうであっても、ベルルスコーニ、フィニ、ミロン、ブラン、その他並に彼を中傷する数多くの者の何人かが示す独り善がりをしっかり心に留めて)、我々が忘れるべきでないことは、ハイダーを生み出したものは何よりも、保守党と社会民主党の13年に及ぶ連立でもあり、EUにおける民主主義の欠落でもあり、彼をまさに今いる所に着かせた緊縮政策でもある、ということだ。
 重要なことは、今日の世界で反動の脅威が帯びうる奇妙な形態、即ちヨーロッパ再形成における地域主義がもつ役割及び民族主義と新自由主義の結合、これらを深く考えることだ。ハイダーは、「私とブレアは保守主義と対決している」と語る時、彼なりにではあるが、ブラックユーモアに事欠かない(注12)。我々の党は双方とも「社会的不公正なしに福祉国家の硬直性を逃れたいと思っている」。双方とも「法と秩序」を欲している。双方とも「柔軟にされた条件に基づく市場経済が、企業と賃金労働者に新たな機会を生み出す」と考えている。FPОと同様労働党はそれ故、「そこに我々が生きているその世界的な転換に対して」非教条的な取り組み方を採っている。そこにおいては「左や右という旧来の区分けは見当外れとなった」。「移民に関する厳しい立法とシェンゲン協定とを受け入れるブレアと労働党は正しいのだろうか」、とハイダーは問い掛けている。そして、「ブレアが過激派でないとすれば、ハイダーもまたそうではない」、と彼は応じる。
 地域的ポピュリストであるハイダーは、ブレアと同程度にNATO贔屓であり、それは彼がユーロに関わる場合よりももっと偏ってすらいる、と我々は付け加えなければならない。

注釈3.2
 近年出現した1926年に書かれたルカーチの未発表文書は、「歴史と階級意識」の防衛において、党は絶対精神の遂に発見された形態であるとする、ルカーチのウルトラヘーゲル派的解釈を一定程度まで無効にする(注13)。ジノビエフ派によるボルシェビキ化の大会であった第五回共産主義インターナショナル大会において、「客観主義」を理由としたルーダスとデボーリンの攻撃に対してルカーチは、プロレタリアートはそのあるがままに従って行動するように宿命付けられ、党の任務はその発展の先を読んで手を打つという所にまで切り縮められている、とするルーダスの主張を拒絶する。ルカーチにとって党の明確に特定された(政治的)役割りは、階級意識の形成は物神崇拝と具象化という現象と恒常的にぶつかり合っている、という事実から生じている。スラボ・ツィツェークが彼の結びで述べるように、彼にとって党は、歴史(普遍性)とプロレタリアート(特殊性)の間の三段論法において、中間項の役割を演じている。それとは反対に社会民主主義にとってプロレタリアートは、歴史と科学(教育を施す党に体現された)の間の中間項であり、スターリニズムにおいて党は、プロレタリアートに君臨する支配を正統化するために歴史の意味を使う。

テーゼ4.
対立を孕んだ違いは、曖昧な多様性には解消されない

 今や―ポストモダニズムとその類似理論に従えば―、社会的対立を階級的対立に還元主義的に意味付けることに反対する一つの対応として、諸空間と諸対立の多元性のときである。それらの特定性と還元不能な特異性において、各々の個人は多くの特性からなる独特の組み合わせである。分析的マルクス主義の中の一定の諸傾向と同様ポスト近代性の主張の殆どは、方法論的な個人主義という濁り水への階級諸関係の溶解というまでに、この反教条的批判を採り入れている。ここでは、階級の諸対抗だけではなく、もっと一般的に対立を孕んだ違いまでもが、「違いのない一つの多様性」とかつてヘーゲルが呼んだことのあるものに薄められている。すなわちどうでもよい数々の特異性からなる一群である。
 確かに違いの防衛として通用しているものは、しばしば寛大な自由主義的包容力に帰着する。そしてこの包容力それ自身は、商品の均質化を消費者主義として裏返したものである。その一方、相違に関するこれらの自由主義的術策そして個性なき個人主義に反対するとして、個人的独自性の擁護を掲げる数々の主張はそれどころか、人種あるいはジェンダーの相違を自然化し、固定化する傾向がある。問題がある点は、差異に関する主張ではなく(それは諸対立を構造的に構築することを可能とする)、その生物学的自然化であり、あるいはその個人の独自性重視主義的絶対化である。こうして差異は、万人に普遍的なものの構築に内在させられる利害や立場の調停として自身を刻み込むものであるにもかかわらす、その極端な分散は、文字通りに差のない普遍性の構築にただ無力に身を委ねるのだ。それ故、人が普遍性を放棄し、個人に閉じこもる時、はびこるものは普遍的な恐怖だ、とアラン・バデューが言うことになる。
 差異と普遍性の関係としてのこの弁証法は、我々がしばしば出会う諸困難の中心に位置している。例えばそれは、同性愛運動の役割あるいはその平等性についての諸討論とその理解の欠如に示されている。ジャッケス・ブンカーは彼の著作「さようなら、補助規範」において、抑圧と対峙する力関係並びに実のある普遍性という展望の中でのその望ましい弱まりを創出するための、積極的に主張される差異が作り出す弁証法を大枠的に論じている。しかし、非排除的な性的実践の利益を基準に、ジェンダーにおける差異の廃止を宣言する風変わりな運動の場合はこれとは異なり、その主張は、論理的に還元主義的な持続的集団的積極主張全てを拒絶するという点にまで達している。
 風変わりな議論は逆に、即時の差異排除を宣言する。願望のこもるその言葉使いは、その中では社会的必要という論理が失われ、完結へのある種取り付かれたような熱望を急き立てる。その瞬間に命をもつ歴史なき個性の連続という風変わりな主題は、もはや同性愛の闘士というものではない。そうではなくそれは、性的に特定されることのない、あるいは人種で定義されることのない次々と変わりゆく個人であり、彼の感覚と熱望の単なる割れた鏡である。この風変わりな主題が擁護する流動性が、交換と流行の間断なき流れと完全に適合的である以上、この議論がアメリカの文化産業から暖かい歓迎を受けたことは、少なくとも驚くことではない。そして同時に、過去においては規範への挑戦を意味し、新たな民主的権利の征服を知らしめた権威侵犯は現在、消費主義的主観性を構成する一つの遊び心のある局面として陳腐化されている。
 上述した論議に平行する現象として、一定の潮流は、性の「より具体的な、特定された、身体的な」範疇という形で、ジェンダーという社会的範疇に反対している。彼等は、「性的多元性」を支持する方向で「ジェンダーのフェミニズム」を乗り越える、と宣言する。そのような運動がマルクス主義と批判的フェミニズムを同時的に拒絶する、ということは驚くに値しない。階級関係及び社会的分業に直接関係するジェンダーの諸問題に取り組むために、マルクス主義の諸範疇は有効な道具を提供したとは言えるだろう。しかし、「性的権力」を理解し、必要性の経済とは異なった望みが作る経済を発見するためには、一つの独立した理論(「ファウカルト流派」的な生物政治が鼓舞する)を創出する必要があると思われる。
 同時に、商品を介した、ゲイ市場に向けられた資本の新たな包容力は、非生産的な性的志向に向けられた資本の本質的な敵意、という考えの衰弱に導いている。資本の近代秩序と同性愛との間にある減じることのない敵対というこの考えは、違いの単純な積極的主張という手段による、社会秩序の自然発生的転覆を人が信じることに余地を与えた。つまりそのような観点からは、秩序に対決するには、同性愛の人々が自身をそのようなものとして宣言するだけで十分であった。同性愛嫌いによる支配に対する批判はこうして、自己宣言という挑戦と個性を自然であるとする不毛な試みで終わる可能性がある。それとは逆に、異性愛と同性愛がもつ諸特質が歴史的かつ社会的範疇であるならば、それらの規範との対立的関係は、差異とその克服との間にある弁証法を示唆し、ジャッケス・ブンカーはそれを要求する。
 この問題を孕んだ、そしてジェンダーの諸関係あるいは言語と文化の伝達を扱う場合には明らかに豊かな論点は、階級対立にそれが関係する時の帰結を欠いた場合はそうならない。ウルリッヒ・ベックは、現代資本主義に「階級なき資本主義」という逆説を見る。ルシエン・セーブは言う、「構築されたものの一極には確かに一つの階級はいるとしても、他方には階級が全くいない、という仰天するような事実がある」、と。プロレタリアートは、表面上一般化された平坦線の中に溶け込んでしまった。つまり我々は今や、「階級の名の下にではなく、人間性の名の下に一階級的戦闘を闘うことを」余儀なくされている、と言うのだ。
 マルクス主義の伝統の中ではここに見た主張はどちらであれ、一つのことを思い起こさせる陳腐なものである。それはつまり、プロレタリアートの解放に向けた闘争は、資本主義の下に留まる限り、人間性の普遍的解放のための闘争という具体的な調停を内容とする、ということだ。そうでなければ我々は、ルシエン・セーブの手になる著作の残りに基づき、戦略的帰結が一杯に詰まった一つの理論的飛躍を手にしたことになる。つまり彼の目にはもはや、富の社会的割り振りという問題は本質的なものではないのだ(従って、普遍的疎外との関係で搾取は二義的となっている、ということが論理的な帰結となる)。そして社会的変革は、もはや急速ではない、永久的かつ漸進的な変革[脱疎外の―IV編注]へと切り縮められている。また、権力の征服(ギレ・マルチネの著作の元々の書名)という問題においては国家の問題が消滅している。つまりそこにあるものは、「多数の同意という諸条件において遅かれ早かれ権力へと至る、段階的に進行して行くヘゲモニー形成」であり、そこには事態を決する衝突、というものが全く想定されていない(しかしそうは言っても、ドイツから、スペイン、チリ、あるいはインドネシアを挟んでポルトガルまで、この「多数の同意」というものがこれ程にまで実証されたことは、かつて一度もあった試しがない)。我々は、ロジャー・マルテリにも同じ響きを見出す。彼にとって「本質的なものは、もはやある集団から他の集団への権力移行を準備することではなく、個人並びに彼らの生活の社会的諸条件を支配する可能性を各々の個人に与え始めること」なのだ。個人的解放という極めて正統的な反全体主義的テーゼはこうして、社会的解放というものが薄められた孤独な喜びに終わる。
 現実の社会の中にある抑圧と支配の諸形態の間には確かに相互作用があり、一つの特定の形態(階級支配)が他の形態に及ぼす作用には、直接に構造的な連鎖関係をもつことのない機械的でない作用がある。しかし例えそうであるとしても、ある与えられた時とある決定されている社会関係の内部で、これらの相互作用がもつ力をもっと正確に測定するという問題は残っているのだ。我々は単に、利害の巡り合せ的でどうにでも変え得る連携を生み出す可能性をもっているような諸対立と諸空間の構造を持たない一つの並存、を扱っているに過ぎないのだろうか。そのような場合に想定可能な統一はただ、ある純粋な道徳に発する任意性からしかやって来ないと思われる。そうでなければ、資本と商品物神崇拝という普遍的論理が、諸闘争のある相対的な統一の諸条件を生み出すという点にまで、社会生活全ての空間に病的影響を与える、ということなのだろうか(しかしここには、ほのめかすことすらされていないものがある。つまりそれは、先のように言ったとしても病変の現れる様々な社会の時間にはそれ程の調和はない、ということであり、結局ここには諸対立の、一つの支配的対立への還元がある、ということだ)。
 我々は、ポストモダンの落ち着きのなさに物神崇拝化された抽象的全体性を対置させることはしない。そうではなく我々の主張は、脱全体化(ないしは脱構築)は実質をもつ全体性と関係を絶ったものではない、ということであり、それはある種の先験的な全体性ではなく全体性に向かう途上にあるものだ、ということだ。この過程としての全体化、収斂化は、経験の明確な表現を媒介に生じる。しかし、その全体化過程は一つの傾向的統一に支えられるわけではないと、もし仮定されるとするならば、その場合諸闘争の統一は、気まぐれな意思(換言すれば、倫理的な任意性)から立ち昇る以外はないだろう。そして上述した傾向的統一は、商品の世界化に孕まれた悪意のこもった形態の下にここで理解されている資本を、特定の人格を持たないその執行者として、まさに現にここにある。

テーゼ5.
政治は、倫理であれ美学であれ、どちらにも解消されない。

 全体主義的な多元性の廃絶を通してだけではなく、商品への分解によってもまた、政治は終局的に世界から完全に消え去るかもしれない、とハンナ・アーレントは恐れた。そして確かに上に見た商品の分解作用は、商品に張り付いたその裏側にあるものだ。この恐れは、現実が既に脱政治化の時代へと入り込んだという事実によって、確認されている。ここでは公共的空間が、経済的恐怖を引き連れた暴力的な諸力によって、さらに抽象的な道義主義によって押しつぶされている。政治とその諸特質(構想、意志、集団行動)のこの衰弱が、ポストモダンのわけのわからない言葉に息を吹き込むのだ。しかしこの傾向は、諸事情の絡み合いが作り出す影響という問題以上に、現在の空間圧縮の波及下における政治行動の諸条件に生じたある種の危機が姿を変えたものである。進歩という近代の宗教が意味するものは、時間の文化であり、また次々と何物かになること、の文化である。この文化は空間をその代償とし、空間を一つの飾り物に、さらにある種偶然的な役割にまで切り縮めている。ファウカルトが指摘したことだが、空間は死と同等なものとなり、固定され、静止したものとなり、命をもつ時間の弁証法的な肥沃さと豊かさに対置されたものとなる。資本とその再生産の地球規模における広がりの暴虐非道な回転が、空間を評価する諸条件をひっくり返す。ある意味のこもった時期が持続できる時間の縮小そして空間における場の消失という、この二〇年に亘ってこれほどにまで激しく感じられてきた感覚を表すものこそ、上に見てきた現象なのだ。政治の美学化というものが、民主主義の諸危機に内在する周期的な再発性の傾向であると、例え仮定するとしても、地方への憧れ、起源の追求、必要以上に積み上げられる装飾、さらに信頼性を装う巧妙な策略などが疑いの余地なく暴き出すものは、不確実と成り果てた諸条件を前にした時の政治の無能性を実証する苦悩に満ちた目眩である。
 政治が第一次近似では羊飼いの技術、あるいは織り工の技術と思われている、ということの中に暗黙の内に含まれているものは、その中で都市(その公共的空間と選挙による委任の周期的受け渡しを備えた)が特定の形となる、空間と時間の一定の尺度である。しかし語られる対象としては、市よりも市民権の方がはるかに多くなり、尺度と委任周期の全般的混乱の中で、市民は使えない観念となっている。しかしそうであるとしても、「諸都市が存在し、さらに世界が政治の不足に明け渡されているこの広大な時期に我々が存在しているからこそ、なおのこと政治の諸問題が沸き起こってくる、そのような一時代に」我々は今も生きているのだ。政治は、安定的保持と空間の、神なき世界において可能であるものの道筋を描き出し、さらにそれを動かすためのこの世の技術として、今も残っている。

帰結5.1
歴史は、バラバラにされた明日なき時間の中に解消されはしない。

 ある全体を統一的に包含する大きな物語に対するポストモダン的な拒絶に含まれるものは、手段化された知性の独裁を伴った進歩幻想に対する一定の正当な批判ただ一つではない。それはまた、歴史の脱構造、そしてそこには中間領域の構想がもはや入る余地のない直接性、一時性、廃棄可能性、というこれらの文化をも意味している。
 調整に欠陥のある様々の社会それぞれの時間の間の結合においては、政治の一時性は、つかの間の瞬間と到達不能な永久性との間にある、まさに中間領域の一時性である。それは今、持続性と決定に関するある種の変更可能な尺度を必要としている。

帰結5.2
場と側は、無限定的空間というぞっとするような静けさの中に解消されるわけではない。

 労働力の相対的なあるいは条件に大きく左右される可動性に関する、資本(貨幣と商品)の地理的可動性に孕まれた不整合が、不均等発展の現在的形態に現れている。一方この不均等発展は、絶対的帝国主義の時代において剰余価値の移転を可能としている。即ち数多くの一時性の間の不均等発展が、各々の空間の発展を補足し同時に退けているのだ。その結果として、諸領域の可動的尺度、諸流動資本に対する支配がもつことになった重要性、商品の主権の下位に置かれた弱く補助的な諸国家の寄せ集めが支える大枠的世界秩序、といったものがある。
 しかしながら集団的行動は空間において組織される。即ち集会、会合、出会い、そしてデモなどだ。その力は場において行使され、アンリ・ルフェーブルが強調したように、出来事の名前そのものが日付(一〇月、七月十四日、七月二六日)と場所(コミューン、ペトログラード、タリン、バルセロナ、ハンブルグ)に関係付けられている。そして単なる経済的論理に還元不可能な場所の違いを生み出す能力を持つものは、階級闘争ただ一つだけである。

帰結5.3
戦略的機会は、経済的要請には解消されない。

 特定の瞬間が持つ政治的意味、即ち機会、希望に窓を開ける分岐点は、戦略的意味を構成する。それは一般的な必要性というものには還元不可能な、特定の性格の可能性に込められた意味である。つまりそれは、恣意的かつ抽象的な誰もが持つ任意の可能性、全てが可能と思われるような可能性、という意味ではなく、ある計画、獲得すべきある目標にふさわしい決定のための好機が出現した時と場所で、ある権威による決断が作り出す可能性という意味である。それは、その日が終わった時、諸事件の絡み合い、具体的状況に合わされた応答から感じ取られることになる。

帰結5.4
目標は、運動、過程の中の出来事には解消されない。

 ポストモダンのお喋りは、歴史なき出来事、過去や未来なき事件への好み、さらに危機なき流動、断絶なき連続性、目標なき運動への好み、これらに進んで手を差し伸べる。忍従というポストスターリン主義の用語法の中では、未来の崩壊が行き着いた先は戦略が論理的にゼロ水準の地点だ。つまり、楽しむことなく、また束縛なく、今の瞬間を生きること、だ。明日に期待を持たせることのできない思想家達は従って、「もはや形のない共産主義」を伝道することで満足している。つまりその「共産主義」は、「常に完遂されることのない、衝突と断絶のいくつもの時を含む漸進的な、永続的な運動」とみなされる(注14)。「革命の新しい概念」を擁護しつつ説かれるものは、「革命なき革命的過程、革命的進化」、あるいはもっと進んで、極度の今との一体性に向けて「遅れることなくもっと進むこと」だ(注15)。「進化が結晶化する単一の時はもはやない以上、革命はもはやかつてあったものではない」、と確認した上で、「もはや大飛躍も、大後退も、決定的な敷居もない」(注16)、とされる。
 確かに、単一の革命的瞬間というもの、歴史に対する奇跡的な啓示というものはもはやない。しかし決定と臨界的な敷居というものはあるのだ。しかし連続への断絶の溶解は、個人的な疎外からの脱却を基に手にできる権力の表現に対する論理的な対応概念だ。「多数が一致するという諸条件の枠内において、遅かれ早かれ権力に到達するヘゲモニーの漸進的構築」、とルシエン・セーブは言う。時間と関わりなく政治を定義するこの「遅かれ早かれ」は、前世紀の光とその試験のなかでは、少なくとも厚かましく見える(スペイン、チリ、インドネシア、ポルトガル)。何よりもそれは、物神崇拝と商品化の悪循環、支配再生産の諸条件を無視しているのだ。

帰結5.5
政治闘争は、社会運動の論理には解消されない。

 社会運動と政治運動の間には、万里の長城も完璧な仕切りもない。政治は社会の内部で、抑圧への抵抗の中で、犠牲者を活動的主体へと転換する新たな諸権利の宣言の中で、巻き起こり、創出される。しかしそれにもかかわらず、独自的制度としての、同時に一般的利害の偽りの具現化としての、そして私的な欲望には還元不可能な公共的空間の保証人としての国家の存在は、ある特定された政治的分野、特殊な勢力関係、対立の言語を構造化する。そしてここで、社会的対立が排除と凝縮、対抗と連携の勝負の中で公言される。従って階級闘争は、諸党間の政治闘争という形態の下に調停されるやり方で、そこで表現される。
 全てのものは政治的なのだろうか。それに疑いはない。しかしただある程度まで、一定の点までに過ぎない。即ち望むなら、「最後の瞬間」に、多様な道筋で、ということである。
 諸党と社会運動の間では、単純な分業ということ以上に弁証法、交互作用、そして相互補足性が作用する。社会運動の諸党への従属は、社会の国家化を意味するだろう。
 それとは逆に社会に奉仕する政治は、急速にロビーイングへ、利害共同体化へ、一般意志なき特殊利害の集約へと至るだろう。というのも、解放の弁証法は一つの長く平穏な河ではないのだから。実際民衆の熱望と期待は、多様であり、矛盾に満ち、自由の切迫した要求と保障を求める要求との間でしばしば分裂している。政治の特定された機能は、実にそれらを時にはっきり表現し、時にそれらを結合することから構成される。

注釈5.5
 ジグムント・バウマンは、政治の危機への回答に寄与するために、社会運動の能力を調べている。その過程で彼が評論しているものの一つは、明確な根拠を持つ政治的選択の消失だ。そしてもう一つは、アングロ―サクソン系諸国においては階級的代替路線の混乱が、虹の政綱、という労作に向かう傾向に翻訳されているという事実だ。この虹の政綱は、全てを捉えようと追求すると同時に、その優先性が世論調査から得られるようなスローガンの、支離滅裂な切り貼りとみなされている。
 そこで彼が強調するものは、社会運動がポストモダンの影響を受ける際のその受け方だ。即ち、限られた生活期間、弱い連続性、ある一回性の困難の偶然性に基づいて再結合し、問題が解決されるや否や四散する諸個人の一時的集合体など、がそれだ。それは綱領や指導者の落ち度ではない、とバウマンは言う。つまり、この無定見と間欠性は、このような調和のない時間という姿を取った欠乏と苦しみの、累積的でもなく統合的でもない性格をむしろ反映している、というわけだ。こうして社会運動の能力は、大きな変革を要求し、大問題を提起するには貧しい、となる。それらは、彼らの先輩、大衆政党の貧しい代役であり、この無力化された断片化は、商品世界的自由放任主義のど真ん中において、警察署にまできり縮められた国家の主権喪失を忠実に反映したものである(注18)、とされる。
 一方ツィツェークは、新たな社会運動の散乱の中に、前世紀の敗北の一つの結果、忍従という背景の上に現れた新たな主観性の増殖を見ている。国家、財産、そして諸組織に対するこの応答は、脱全体主義化と階級意識の弱体化の論理的結果であろう。政治に対する拒絶は、社会的なものに対して過去一〇年に「政治哲学」が作り上げた、政治に関する制限に対する反応だ。しかし、政治と非政治の間に限界を描き、政治から一定の領域を取り除こうとする行為は、「卓越性を基準とした政治的行為」と同じである(注19)。
 ラクローから見ると、解放は限りなく権力によって汚されようとしている。それは、その完全な具体化が自由の全面的な収縮を意味すると思われる程に、である。左翼の危機は、官僚的共産主義の破綻及びケインズ主義的改良の破綻という二つの形態の下での、未来を表現することに関わる二重の終焉の結果であると思われる。あり得るルネッサンスが「新たな社会像の再構築」を意味するとしても、ラクローはいかなる急進的な代わりとなるものをも直視していないが故に、先の定式は依然として極めて漠然としたままである。
 それらに反対する議論の中で、中道左派の新たな党内政治と対抗して、ツィツェークは力説している。その主張は、「世界的な代わりとなるものの理想主義的な空間は、その内容を待つ間は空のままに残されることは間違いないとしても、しかしそれでもそれを開かれたままに保持しておくこと」に携わる中で行われている。こうして事実上左翼は、忍従と自由主義者の脅迫との間で、選択しなければならない。その脅迫によれば、急進的変革は何であれ、新たな全体主義的惨害へと帰着するに違いない、とされる。
 ラクローは統一の展望に見切りをつけているわけではない。逆に彼は、運動のくっきりとした表現を想像できなくしてしまうような諸運動の散乱の中に、ポストモダン論と同じ失敗を見ている。
 我々の前にあるものは、従属的な国際化の中で片隅に追いやられるような敗北によって強制された、指導性なき、小物入れのような、中心を剥ぎ取られた諸運動なのだろうか。しかしまた、社会的再生産や、抵抗の諸空間の積み重なりや、運動の自律性と各運動固有の持ち時間に関する確認、についての様々な範囲における再展開もあり得る。
 上に紹介したものが、単純な断片化やくっきりした表現についての思考というものの先に進むのであれば、それら全てが否定的というわけではない。しかしそれがなされないのであれば、その結果はただ、ばらばらのロビーイング(被支配者に及ぼされる支配の効果としてのまさに下級将校のイメージ、cfクーベラキス)か、あるいはご主人の言葉という手段による、あるいは政治的普遍化を科学的普遍化へと還元すると思われる科学的前衛(「科学的社会主義という新たな化身」)による、あるいは政治的普遍化を絶対的命令が作る普遍性へと還元すると思われる倫理的前衛による、権威主義的統一、しかない。
 しかし上に見たどちらの場合であれ欠けているものは、諸闘争の領域の拡張とその政治的統一という手段による具体的な普遍化過程に対する探求だ。この展望において、普遍的主題、即ち資本それ自身と商品世界の具現化が生み出す支配の多重的作用、に戻る以外に、別の道は全くない。

1.アレックス・カリニコス、「今日の帝国主義」(「マルクス主義と新帝国主義」所収)、参照。
2.ギルバート・アシュカル
3.エルネスト・マンデル、「第二次世界大戦の意味」、参照。
4.V・ガローネ
5.ルシエン・セーブ
6.ロジャー・マルチネ
7.エリック・ボブスボーム、「過激派の時代」
8.同上
9.カトリーヌ・サマリー他、の議論(「批判的共産主義者」、157号)
10.ニコス・プーランザス他
11.ステファン・ビュード、ミシェル・ピアルー
12.「デイリー・テレグラフ」00年2月22日
13.ハンガリーで最近再発見され、「追随主義と弁証法」という題名の下英語で出版された。スラボ・ツィツェークの後書きが付されている。
14.ピエール・ザルカ
15.ルシエン・セーブ
16.ロジャー・マルチネ
17.ラクロー
18.「ジグムント・バウマンからデニス・スミスへの手紙」(デニス・スミス、「ジグムント・バウマン、ポストモダンの予言者」所収)
19.ツィツェーク
(「インターナショナル・ビューポイント」04年12月号)



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