イギリス
言論の自由に対する深刻な脅威
−人種主義的宗教的侮蔑処罰法案−

                    アラン・ソーネット

 −労働党ブレア政府は今、イスラム教嫌悪感情からイスラム教徒を守ると称して、「人種主義的宗教的侮蔑扇動罪法」と彼らが呼ぶものを導入することを提案している。ISG(国際主義的社会主義グループ、第4インターナショナルイギリス支部−訳注)の指導的メンバーであり、同時にレスペクト(労働党の左に位置する左翼連合政党−訳注)指導部メンバーでもあるアラン・ソーネットは、それは全く反対に作用し、イギリスに既に存在するものの今や廃れてしまっている不敬罪法を拡張するものとなり、言論の自由を脅かす、と主張している。レスペクトの議員であるジョージ・ギャロウェイは、この法案の下院通過に際して賛成投票してしまった。そしてレスペクト全国指導部多数派は、この態度に対して何の問題も見ていないように見える。これは大きな間違いである、とソーネットは主張している−IV編集部

 上院は、目下のところ下院に対して優先権を持つ「人種主義的宗教的侮蔑扇動罪法」を、260対111の票差で否決した。政府は今、その通過を強制するため「議会法」に訴えるという脅しを最後まで徹底すべきか、それとも上院が提案した修正案と妥協すべきか、そのどちらかを決めなければならない。
 イングランドとウェールズに効力を持つこの法案は、言論の自由と市民の自由に対する深刻な脅威であり、新労働党によって「テロとの戦争」の一部として進められている市民の諸権利に対する広範な攻撃の不可欠な一部だ。この法案は事実上、イギリスに既に存在している神がかった不敬罪法を拡張し、不寛容と偏屈を助長し、その上に宗教的共同体を分断し、検閲という亡霊を呼び出すことになるだろう。
 下院における第3読会においてジョーギ・ギャロウェイが、レスペクトの議員としてこの法案に賛成投票した以上、上に述べたことはレスペクトにとって深刻な問題だ。その上、レスペクトそれ自身はこの法案に立場を決めていないとはいえ、9月のレスペクト全国評議会における討論に際して、発言者の大半はこの法案を支持したのだ。

人をせせら笑う労働党の策略

 法案は、宗教的侮蔑扇動という新たな犯罪概念を作り出すために、1986年の公共秩序法第3部を拡張している。この法案がもし通過すれば、「侮蔑されているように見える、あるいは宗教的であるかそれとも人種主義的な、その種の侮蔑を掻き立てるように見えると誰かに思わせる」どのようなことも話したり出版した者全ては、7年の投獄に値する刑事犯罪に手を染めていることになる。起訴を可能とするためにそこで使われる用語はただ一つであり、間違いなく「自尊心を傷つける」という用語が想定されているはずだ。
 早くもプロテスタントの福音主義圧力集団、「キリスト者の声」は、宗教的侮蔑を扇動しているという理由でコーランを売る書店を告訴するために、この法律を使用するつもりだと脅しをかけた。この団体の指導者であるステファン・グリーンは「ガーディアン」紙に対し、「コーランがもし差別的で憎悪のこもった説話でないとするならば、何がそのような概念であるのか私にはわからない」と語っている。
 新労働党は、この法案はイスラム教への反感に基づく攻撃からイスラム教徒を守るものだ、と主張している−しかしそのような攻撃の殆どはもちろん、彼らが引き起こしたイラク侵略の後で、彼ら自身がイスラム教徒共同体を悪魔のように見立てたことによって引き起こされたのだ−。そして彼らの主張にもかかわらず、同様のやり方で進められたオーストラリアでの類似の法制定は、キリスト教原理主義者によってイスラム教徒を圧迫するために利用された。人権団体の「リバティー」はこの法案に強く反対している。代表のシャミ・チャクラバルティはその態度表明に続いて、「この法案の背後にはなるほど善意があるのかもしれない。しかし検閲への道は、そのような形で掃き清められるのだ」と語った。
 この法案は事実上新労働党が行使している人を小ばかにする策略であり、そこには、イラクへの戦争によってイスラム教徒の支持票に被った損害を取り戻すという目論見が透けて見えている。総選挙期間中チャールズ・クラーク内相は国中の全モスクに向けて手紙を書き送り、その中でこの法案の提出を明らかにすると同時に、保守党と自由民主党がそれに反対であることを際立たせた。法案に対する議論を整理した要約的報告の中で「リバティー」は、イスラム教徒議員であるジャヤスッディン・シディッキイ博士のこの問題に関する発言を引用している。彼は、「保護と平等と社会的包含を求めるイスラム教徒の関心は具体的かつ純粋なものである。しかしながらこの立法の各段階は、イスラム教徒共同体の中に生じた労働党支持の大量消滅を食い止めたいというような、全くの政治的動機で推進されている」と語っている。
 それ以上にこの法案は、宗教的差別の扇動−いろいろな形態による−が現在の法律で起訴可能である以上、現行法に対して何物をも付け加えない。そのような起訴は、特1998年の「犯罪及び騒乱法」に対する修正条項の下で可能である。その修正は、宗教的にあるいは人種主義的に状況が悪化させられる場合を包含するために、不安と苦痛を引き起こすことを犯罪とするよう法を拡張している。「リバティー」は一人のBNPメンバーに触れている。この人物は、撮影され、「秘密諜報員」というBBCの番組でテレビに映された、一人のイスラム教徒に関する論評を理由として、今起訴に直面している。この例が示すように、イスラム教徒への毛嫌いは、とどのつまり宗教的口実を被せた人種的差別なのだ。

侮蔑の対象は思想か、人か

 そして「リバティー」報告は、以下のように展開されている。即ち、「民主主義においては、最も受け容れがたく狭量かつ攻撃的な発言だとしても、それを法で処罰することは、極めて大きな慎重さを持って扱われなければならない。自由な言論は、感情を損なわれることからの保護に比べればはるかに貴重な価値である。発信された見解を犯罪とすることは、法の意図としては保護するはずであった攻撃を受けやすい共同体に対して、しばしば向けられる。それでなくとも我々の刑法集は、民衆に敵対する実体を伴った脅しや行動へと憎しみを転換しようとする者達を対象とするような、公共の秩序、暴力、さらに財産侵害といったもので既に充満している」と。
 法案はその焦点を、個々人が必要とする保護から信仰体系それ自身の保護へと移しているが、それこそ即ち一種の不敬罪法である。それは人々に、攻撃を受けている対象は彼らの理念ではなく彼ら自身ではないのか、と主張することに余地を与えるだろう−こうして、他の人々の宗教的信条に関して強い形で表現された観点は、果たして起訴を可能とするのか否か、に関する議論を巻き起こしながら−。上院の自由民主党員貴族であるロード・リスター(そして尊敬を集めている人権法律家)は、それを次のように論じている。即ち、「宗教的侮蔑を内容とする扇動を犯罪とするための追求の中で、この法案は攻撃を受けやすいグループを宗教や信念に結び付けることになる。この法による犯罪の定式化を仰々しく書かれている一種の不敬罪法と同種とするものこそは、民衆諸グループそれ自身の保護と、彼らの信念並びに、彼らの信念を侮辱から保護しようとしている人々に対して印象を残す諸行為の保護という、両者の保護の間にある結び付きなのだ」と。彼は一つの例として、「イギリスムスリム評議会」指導者のサー・イクバル・サクラニクが、新たな刑事処罰法によって「悪の詩」の出版を理由としたサルマン・ラシュディーの起訴が可能となると確信している、と指摘している。
 上院の委員会審議で証言したインドの前法務長官のソリ・ソラブジェは、インドの実例から同じ問題点を引き出している。即ち、「差別的で侮蔑的な発言や表現を刑事処罰で禁止する法律は、不寛容、分裂促進、表現の自由に対する不合理な干渉を鼓舞する。経験が示すものこそそれだ。原理主義的なキリスト教徒、宗教的なイスラム教徒、そして信心深いヒンドゥ−教徒はその時、互いが互いの宗教的教義や慣習に対して刑事処罰の仕組みを発動させようとする。それが今インドで日々、そして益々頻繁に起きていることだ」と。
 法案反対で運動しているキリスト教徒グループは、その主張を次のような形で10月11日付「タイムス」紙の一面ぶち抜き広告に載せた。即ち、「キリスト教徒や人権運動グループ、さらにその他の諸組織が懸念していることは、この法案がもし今の形のまま通過した場合、宗教的問題に関する開かれた意見交換に障壁を作り出し、自由な言論に対する個々人の権利を危険にさらす、ということだ。その上にそこには、法案で使われている包括的かつ混乱しやすい言葉使いのために、この法律は潜在的に誤用される可能性が高い、という懸念もある。それが悪意のある動機を持って適用されたならば、この法案は市民的自由と民主主義社会を掘り崩すかもしれない」と。

言論弾圧の危険

 この点に対してロード・リスターは、議論に広い視野を与える。つまり、「新たな言論処罰は広範囲にわたっている。それは、脅迫的なののしりや辱めを与える言葉、振るまい、文字にされたもの、レコード、あるいは宗教的辱めの扇動を意図したか、そのように見える番組、などに適用される。他の大多数の重大な刑事処罰とは異なり、この法による刑事処罰には罪を犯そうとした意図は全く必要とされない。そしてそこにある諸規定は、公共の場で話された言葉に対してだけではなく、私的な場での発言に対しても適用される。またそれらの適用範囲は、電子メディア、演劇、映画、創作作品、聖職者や司祭やコメディアンや政治家が語る政治論議に及んでいる」というものだ。このような理由があるからこそ、ローワン・アトキンソンやステファン・フライのようなコメディアンや芸能人が、この法案に全く正当にも反対運動を行っている。
 政府は、ユダヤ人やシーク教徒が現行法で保護されている以上、別の集団に対しても新しい法律が必要、と主張する。これこそ本質を逸らした形式的議論だ。ユダヤ人やシーク教徒は、民族グループとして、つまり彼らの宗教的信条を理由としてではなく、彼らの民族性を理由として保護されているのだ。それ故、彼らの民族性−例えばアジア人やパキスタン人としての−を理由としたイスラム教徒に対する辱めを扇動することからは、これらのイスラム教徒は全く等しく保護されるだろう。
 政府は、法の不法な利用に対しては大きな安全装置がある、とも主張する。これは、起訴に関する事前の拒否権が法務長官に与えられる、というものだ。しかし、この問題に関して現在の、あるいは将来の法務長官を我々が信用すべき理由は何ら説明されていない。法案に対する有力な敵手である自由民主党議員、エバン・ハリスもまた、この点を突く。「警察に尋問されたり、逮捕されたりした人々にとって、法務長官は何の慰めにもならないのではないだろうか。議論の助けとするために例を上げよう。原理主義的キリスト教徒の一グループがゲイの人々に対する辱めと中傷を広めているとして−ここで我々は、ある宗教に従っている人々に内務省が与える保護を、ゲイの人々は受けることができない、ということに気付く−、さらに、キリスト教徒の偏屈者は彼らの考えを理由として軽蔑されるべきであり、まさに侮蔑に値する、と議会外で語る義務が私にあるとして、その時法務長官は果たして、我々が警察の訪問を受けないと保証できるだろうか」。
 さらにリスターは続ける。「言論の自由は、宗教の平等及び自由と同様、原理的な市民的、政治的権利である。その保護は、我々の自由な社会の中心に置かれている。自由に発言する権利は、根拠のない政府の支配や干渉なしに意見や情報を交換するあらゆる人に認められた権利を意味する。それは、悪意ある考えが過度に、あるいは衝撃を与える方法で表現されることを含んでいる。それは、宗教的な信条と実践に対する攻撃的な批判を含んでいる」。

より自由な言論を

 法案に対するイスラム教徒の意見は分裂している。「イギリスムスリム評議会」は法案を支持する方向で運動している。その一方「全英ムスリム協会」は立場を決めていない。その指導的人物の一人であるアナス・アルティクリティ−昨年のEU議会選挙にレスペクトの候補として立候補した−は少なくとも反対である。
 法案は、下院の様々な段階で労働党左派(そしてそれほど左とは言えない部分)の反対を受けた。そこには、ジェレミー・コルビン、ジョン・マクドネル、アラン・シンプソン、ポール・フリン、ケイト・ホイ、ボブ・マーシャル・アンドリュース、そしてデニス・スキーナーが含まれている。自由民主党とプライド・シムルは、保守党と同様に、もちろん彼ら自身の見込みに従って反対した。
 上院の修正は、起訴に必要な用語の定義を狭くすることを意図している。このことによって起訴は、辱めを与える言葉あるいは悪態、というよりも「脅迫的用語」を理由とするものに制限されるかもしれない。彼らは、このことによっていくつかの場合には起訴がより困難になる、と主張している−しかし我々は、それが法廷で審議されるまでは、その実際を知ることはできない−。
 我々に今分かっていることは、この法案の原理に違いはないということだ。それは依然として自由な言論を脅かし、元の言葉使いと同じ程度に不和を起こさせるものとなるだろう。それは、使うには例えより困難になるとしても、依然として一種の不敬罪法となるだろう。そして「イギリスムスリム評議会」は、上述した修正を拒絶し、元の言葉使いを支持する主張を展開している。
 それ故この法案は、今競りにかけられている言葉使いのどちらが最終的に受け容れられたとしても、とても支持できるものではない。狭量と闘い、寛容を強めるために我々が必要としているものは、より抑圧的な法律ではなく、より自由な言論だ。
 レスペクトはこの重要な問題について再度よく考える必要がある。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版11月号)
 
 


 
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