イスラエルの未来が賭けられている
                  ミッシェル・ワルショウスキー

 「我々は南の村々を塵芥にしなければならない。…そこに未だ電気が通じている理由を私は理解できない」。
 これらの言葉をもって、イスラエル司法相であり、元労働党指導者のハイム・ロマンは、ビント・ジャイル侵攻失敗の後で、レバノンにおける軍事攻撃の継続に対する彼の賛意をまとめた。閣内で労働党のベンジャミン・ベン・エリエッツの支持を受けたイスラエル軍最高司令部に関する限り、回答は全村落破壊後の南部占領である。この計画によればイスラエルは、村落破壊に先立つ何10という投下チラシの通告という方法で、当地の住民に退避を「要請」することになっている。留まることを決める者、あるいは「人道的な」チラシの呼びかけを単に受け取っていない者は、テロリストとみなされることになる。

21世紀の再植民地化戦争

 実に恐ろしい(?)、しかし予期されなかったことではない。レバノンにおけるイスラエルの戦争は、21世紀の戦争の典型だ―再植民地化と地球上の人民の、帝国への服従を求める戦争―。
 これらの戦争においては、市民の生命は極めて限られた価値しか持たないだけではなく―全ての戦争におけると同様―、積極的にであれ消極的にであれ、テロリズム支持という罪のある、正当な標的とみなされる。そこにおいてはテロリズムは、彼ら市民のまさに文化とされる。この10年の中で我々は、支配的主張の徐々に進む展開を見てきた。即ち、テロリストグループからテロリスト国家へ、そしてさらにテロリスト民衆へと。世界的戦争の終局的論理は、対立がもつ性格の全面的な民族還元化である。そこにおいては人はもはや、政策や政府や特定の目的をめぐって闘うのではなく、ある共同体に1体化させられた「脅威」と闘う。この時代の出発点は恐れであり、終点は憎悪である。
 イスラエル兵2人の拉致という口実を使いつつイスラエル政府は、世界的で終わりのない先制的な再植民地化戦争における新たな戦線を開く決定に踏み込んだ。彼らは、「中東における新たな民主主義」に向けた道を開くために彼らの兵士を送り込み、この新しい種類の民族的戦争の副次的な犠牲者として、彼ら自身の民衆を犠牲に供する準備ができている。これは、ハーレッツ紙1面に載せられたイスラエルのネオコンの手になる金のかかった広告の中に、はっきりと表わされている。
 そこにはこうある―イスラエルは世界的聖戦に対決する戦争の最前線にある。我々には2つの選択肢がある。1つの道は、撤退と分離を通して、1方的退却を通して、極端な信心にふける者を強化する道である。これはイスラエルを、熱病のようなイスラムと開明的な世界との間の主要な闘いにおける現場とするだろう。もう1つの道は、穏健派…を強化し、イスラエルを、異教徒間の[原文のまま]了解と公正がある世界の中心とする道である。中東においてはいかなる近道もない―と。そしてこの広告の最後にある短い結びは、「忘れるな。人間の生命に対するねじくれた覚めた敏感さは、我々に、多くの者の生命並びに我々の息子達の血という真の代償を払わせることになる」だ。(以上、注1)

イスラエル国家のあり方が揺さぶられている

 イスラエル世論の中では、例え正当とは言えないとしても、現在の軍事作戦の有様に異議を唱える声が益々大きくなっている。しかしその1方でアメリカ政府は、停戦のために努力している勢力の圧力に屈しないよう、イスラエルに要求している。
 「レバノン内の情勢を変えることを目標とする戦略に関して、指導的人物は今、アメリカ国務省長官、コンドリーザ・ライスであり、我が首相のオルメルトでも国防相のペレツでもない。彼女は、停戦に傾く国際圧力に現在まで進んで立塞がってきた人物だ。…この目的をやり遂げるために彼女は、軍事的切り札を必要としている。しかしそれは不幸なことに、イスラエルが今だ手渡すことができていないものなのだ。ヒズボラとレバノンに対する砲火による懲罰を除けば[原文のまま]、イスラエルの切り札は本日まで、国境近くの2つの村の占領に限られている。イスラエルが戦闘における軍事的切り札をこれ以上増やさないのであれば、我々は政治解決の中でその結果に苦しむことになるだろう」(注2)。
 上述した記述の形で経験豊富な政治軍事評論家のツェフ・シフは、アメリカ国務省長官のエルサレム訪問がもつ性格を概括している。
 しかしながら遅かれ早かれアメリカ政府は、多かれ少なかれつい最近ローマで輪郭が描かれたものを基に、政治解決を受け入れるしかないだろう。それは即ち、この終わりなき先制戦争の次の回までということだ。そしてその戦争においては、イスラエルが、いわゆる文明化された世界の、武装した前衛としての役割を演じ続けることになる。
 イスラエルの世論が理解し損なっているものは、彼らの政府の政策に孕まれた、アラブとムスリム世界の心臓部における国家のまさに存在に関わる劇的な意味である。イスラエル国家は、その限界を知らない野蛮さと1方における文明化という言い回し並びにそのような戦略によって、その国家が中東においては部外者であり敵対的存在である、またそうあり続けたい、ということをこれ見よがしに示し続けている。それは即ち、アメリカ合衆国の武装飛び地、21世紀の反ムスリム10字軍以上のものではない、ということだ。
 そして、10世紀前の10字軍の運命は誰もが知っている。
 ベイルート爆撃が引き起こした憎悪―レバノンの生活・生産基盤の破壊、何100人もの市民の死、何100000人もの難民、南部における焦土作戦―は、ムスリム世界至るところで巨大である。それは、北の諸国内のムスリム共同体にも急速に伝わる可能性がある。その上にこの憎悪は、1982年におけるレバノン侵攻のような以前の明白に類似した危機とは異なって、文明化を掲げた主張と対立の民族還元化に彩られた世界的戦争という肥沃な土壌の上で、今まさに発展しつつある。従って、戦争の暗雲が消え去り、遺体が埋葬された後になっても、この怒りを静めることは極度に困難だろう。
 オムレット、ペレツ、ハルトは、中東における我々の民族的存在そのものを焼き払う可能性を高める火遊びに手を染めた、イスラエルが今まで得た者達の中では最も危険で無責任な指導者だ。
 小さなイスラエル反戦運動の弱々しい肩の上には、現在のイスラエル市民と我々の社会の道義的品性の運命ばかりではなく、世界のこの地における我々の子供達のまさに未来が載っている。
 「我々は互いに敵であることを拒絶する」、これは我々のデモにおけるスローガンの1つである。以前には、このようなスローガンがこれほどに重要かつ切実、またこれほどに存在に関わるものであったことはない。
*筆者は、イスラエルのジャーナリスト、作家であり、またオルタナティブ・インフォメーション・センター(AIC)の創設者。著作は数多いが、邦訳本は「イスラエル=パレスチナ、民族共成国家への挑戦」(つげ書房新社)。
注1) ハーレッツ紙、7月30日付け
注2) ハーレッツ紙、7月30日付け

 

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