パキスタン
ゴルジャ―織物労働者の大勝利

                  ファルーク・タリク
  

 ゴルジャの織物労働者、約15,000人による39日間のストライキは、素晴らしい勝利のうちに終わった。これは、ストライキに参加した労働者の犠牲的行為なしにはあり得なかった。28名の労働者は、今も獄中にあり、保釈適用の抗弁が受け容れられることを待っている。8月15日、トバ・テク・シンの州労働調整庁舎において、ストライキ労働者の代表者、機織工場経営者、そして地方政府の会合は、7時間を優に越えて続いた。
 この会議は、労働者の賃金を1日当たり97ルピー(1・61ドル)から160ルピー(2・66ドル)へと引き上げることで合意した。また彼らは、全ての機織工場が政府に登録されることでも合意に達した。そして社会保障カードが労働者に発行されるはずだ。またこの州に社会保障病院も建設されることになる。ここでは機織工場経営者による前代未聞の賃金凍結が続き、過去18年もの間賃金が据え置かれてきたのだ。

長い抑圧への反撃が始った

 パキスタン機織工業の中心都市、ファイザラバードから40キロメートル離れた町であるゴルジャには、合計で20000人の労働者がいる。この年月労働者達はあらゆる種類の抑圧にさらされてきた。相互にいがみ合う長い歴史を持つ2つのやくざ集団によって、町は分割されている。これは双方による何十人という殺人を生み出してきた。しかしこれらの集団は、労働者を抑圧するという点では団結していた。
 ストライキは、町の機織労働者の約70%が参加して7月8日に始まった。その1日前彼らは、3000人以上の参加の下、即時の賃金引き上げを要求する大衆集会を開催していた。ここで彼らは労働組合を結成し、要求受け容れのために15日間の猶予を与えた。
 7月8日に1人の労働者が、組合結成と集会参加を理由に告発され、工場から追い出された。この事件は当該街区の労働者による即刻のストライキに火を点けた。2時間も経たない内に、町の労働者殆どは抗議のために工場を離れた。「今以外にない」、これがスローガンだった。こうしてストライキが始まった。
 当地の主唱者、サイフ・チーマが、労働者を支える上で決定的な役割を果たした。彼の家がストライキのセンターとなった。さらに彼は、町の中心にストライキキャンプを設営することを支援した。パキスタン労働党(LPP)のトバ・テク・シン州書記は労働者達に、「労働者クワミ運動(LQM)」と呼ばれているファイザラバードの機織労働者運動と接触させた。LQM指導部の多数はLPP党員だ。この2つの運動の協力は、ストライキ継続にあたって決定的な役割を演じた。パキスタンの左翼連合、アワミ・ジャムーリ・テレークの州指導者達は、ストライキ労働者達に全面的に連帯した。
 ストライキ労働者達は様々な場面で、機織工場経営者のやくざ者たちに苦しめられた。そして当地の警察はそれらに対して何の行動も取らなかった。むしろ彼らは警察の嫌がらせを受け、何人かの労働者は罪状もなく日なが拘置された。しかし労働者達はスト続行を決意していた。
 有力紙「デイリーエクスプレスパキスタン」が殆どの機織工場は稼動しているとの嘘を書いたとき、ストライキ労働者は抗議のためその新聞のコピーを燃やした。これは当地の経営者達に状況を操作するための口実を与えた。そしてジャーナリストの何人かはストライキ労働者に背を向けた。この地のジャーナリストの多くは経営者の親密な友人だった。彼らはストライキの報道をボイコットし、ストライキの報告は地方紙、全国紙を通じ全く載らなかった。
 8月1日、当地の警察は夜遅くストライキキャンプを解体した。これは翌日の大衆集会を妨害するためだった。ここで筆者は、労働者に連帯して演説することになっていた。8月2日、1000人以上の労働者が集会に参加した。そこでは、翌日朝までにキャンプを設営するという筆者の勧めが同意された。さらに、全国的な、また国際的な連帯キャンペーン開始も決められた。集会は感動に満ち、労働者達は、筆者やラホールの他の労働組合指導者達に本当に喜んで耳を傾けた。

弾圧を打破った連帯の文化

 8月3日にキャンプを設営するという試みは、28名の労働者の逮捕を生み出したが、そこには我々の同志、LQM代表のミアン・アブドゥル・カユムが含まれていた。労働者達は警察から肉体的暴力を受け、ストライキ指導者は、侮辱を目的として首の回りに靴を吊り下げられた。そして警察によって彼は経営者達の前に引き出された。
 筆者と他の30名は、反政府扇動並びに刑法144項附則の罪状で事件記録が残された。この逮捕と事件記録は、電子情報と印刷媒体を通してストライキを多くの人々に知らせることになった。このニュースを当地の敵意あるジャーナリストが隠すことは不可能となった。
 労働者達は逮捕と暴力を乗り越え、再度ストライキキャンプを立ち上げることができた。それは労働者の結集地点となった。何百人もの労働者が日々キャンプで一体となり、彼らのリーフレットを配布する。この問題では警察も屈服するしかなかった。
 8月5日、地方当局者に面会するためにトバ・テク・シンに向かおうとしていた80名以上の労働者が逮捕された。警察は州全体を封鎖し、多数の労働者がこの地方に入ることを許可されなかった。それでも400名以上の労働者が、逮捕に抗議するため州の裁判所に集まることができた。そして州当局者は交渉開始のために代表者を招いた。この交渉は受け容れられた。8月5日から15日まで何度もの交渉がもたれた。
 組合は、要求は逮捕された労働者の釈放に止まる訳ではなく、主な要求はより良い賃金と労働条件にあることを明確にした。さらに、もっと多くの労働者が監獄に入る心の用意はできているがストライキはそれでも終わらない、ということもはっきりさせた。
 8月8日筆者は、他のLPP指導者と共にラホールから再びゴルジャのストライキキャンプに出かけた。筆者はここで労働者に演説したが、事件が同様に筆者に対しても再度記録された以上筆者を逮捕するよう、ゴルジャ警察を招待した。このようにした目的は、ストライキ労働者に対する完全な連帯を明らかにし、我々が彼らを見捨てないということを示すことにあった。警察は筆者逮捕には出てこなかったが、キャンプのすぐそばにいた。トバ・テク・シンで同日開催された新聞評議会はしかし国中に大きく報道された。
 8月11日、地方当局者に面会し人権侵害に抗議するために、パキスタン人権委員会代表団が町にやってきた。彼らもまたゴルジャのストライキキャンプで演説した。この代表団には2人のLPP指導者が含まれていた。
 ムシャラフ将軍、労働相、内務相に抗議文を送るための全国、国際連帯キャンペーンもまた、良好な圧力を生み出した。地方当局は最終的に、労働者を助けるきっぱりとした立場に立った。
 1日2ドル以下の賃金に甘んじさせられてきた労働者が決行した39日間のストライキは成功のうちに終わった。労働者達は喜びを感じている。キャンプは労働者自身の手で撤去された。ストライキはただ、抵抗と連帯と犠牲精神の文化が極めてはっきりとしていたからこそ終結に至った。弾圧だけではストライキを終わらせることができない、このことが経営者と当局者には明確だった。とはいえ、ストライキ参加者は当地の労働者の70%に止まった―それ以下では決してなかったが―。指導者は今も獄中にいる。もっとも希望がないわけではなく、8月19日には保釈になるかもしれない。
 トバ、カマリア、さらに他の町の労働者が、賃金引き上げへの支援を求めて我々に接触しつつある。我々は、この地方並びにパキスタン全域における賃金引き上げを要求するために、8月末に機織労働者大会を計画している最中だ。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版9月号)
注)筆者はLPP書記長。


 

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