パキスタン
LPP指導者、自爆攻撃で殺害さる

         ファルーク・タリク

 同志アブドゥラー・クレイシはもはや我々と共にはいない。LPP(パキスタン労働党)北西辺境州(NWFP)州評議会の一人の指導者が、スワト峡谷において自爆攻撃に遭い命を落とした。彼はこの峡谷のもっとも知られた古参の左翼指導者だった。
 現在、この峡谷では宗教的原理主義者に対する軍事作戦が進行中であり、峡谷の大部分は宗教的原理主義者の支配の下にある。2007年11月3日の非常事態強制に対してムシャラフの独裁政権が持ち出した主要な理由の一つは、病的な宗教的囚われからこの峡谷を解放する、ということだった。
 アブドゥラー・クレイシは、スワト峡谷における左翼政治の開拓者だった。1935年生まれの彼は、この峡谷で労働者階級の基盤から登場した。彼は50年代始めに最初の組織、「スワト・ロルワリ」(スワトの善意)を組織した。この組織は、スワトのナバブに反対して臆せず声を上げ、王に反対する民衆の抵抗を組織したことを理由に彼は数回逮捕された。彼は60年代始めにこの峡谷から追放され、彼の国籍は剥奪された。この峡谷においては、峡谷のナワブが最終的な権力を手にしていた。こうして彼はパンジャブのゴジャランワラに住むことになった。彼は、60年代の主要な左翼政党であった民族アワミ党(NAP)の指導者、アジュマル・カタクとシカンデル・カーン・カリルの親密な友人だった。
 1968年にスワト峡谷はパキスタンに公式に統合された。同志アブドゥラー・クレイシはNAPを組織するためにスワトに戻った。そして彼はNAPスワトの総書記に選出された。1974年に、ズルフィカル・アリ・ブットー(昨年暗殺されたブットー元首相の父親―訳者)はこの党を非合法化し、アブドゥラー・クレイシはその時逮捕された者たちの一人だった。その後彼はさらに進んで、アワミ民族党(ANP、非合法化された党の新しい名前)に加入した。しかし彼は、この党内部のイデオロギー的な混乱に満足していなかった。そして彼は、ANPの中でもっと明確な社会主義を求めていた。その後に彼は、バジンジョのパキスタン民族党に加入した。ソ連崩壊後に彼は左翼の政治から去った。その展開は彼を非常に深く失望させたのだ。
 しかし2006年にLPPが最大のメーデー行進を組織した後に、彼はLPPに合流した。その行進には600名以上が参加したが、その人々全ては峡谷の様々な産業の小規模職場から集まったのだった。峡谷をおおった赤旗は、まさにこの年党に合流するという決断に向け彼を鼓舞した。
 2007年6月のNWFP・LPP第二回州協議会で彼は、党のNWFP評議会の21名の一人に選出された。この年に彼は峡谷の様々な地域に党を組織し、LPPはこの峡谷において主要な左翼政党となった。彼が党への合流を決断した後、左翼活動家の殆どがわが党に合流した。
 LPP農民書記局総書記であり党全国委員会メンバーでもあるハキム・バフダルは、アブドゥラー・クレイシの親密な友人だった。アブドゥラー・クレイシについて彼は我々にもっと多くのことを伝えている。「かなりの間彼は、LPPの活動に極めて大きく勇気付けられてきていた。彼は週刊『マズドゥール・ジェッドジュード』(労働者の闘争)の定期購読者だった。彼の入党決断の後、党は全峡谷内で非常な尊敬を受け権威をもった。彼はこの峡谷の中で左翼政治の象徴だったのだ」と。
 アブドゥラー・クレイシは、ナンゴライ地区の検問所近くで自爆攻撃に遭い殺害された。巻き添えで他の数名の市民を殺害する形で攻撃者が自身をも吹き飛ばした時、彼はその地区を通り過ぎようとしていた。事件は2007年12月9日に起きた。それは、LPPがラホールで第四回協議会を開いていたその日だった。そして彼を含むこの峡谷からの代表は、道路封鎖と軍事作戦のために上記協議会に出席できなかった。同志ハキム・バハドゥルただ一人が、非常措置の規定に基づいて組織されたこの協議会に出席するために、峡谷を脱出できた。
 彼の家族は、さらに攻撃が続くことを恐れ、このニュースを早々と公開することを望まなかった。彼らはその公表を望まなかった。家族は、左翼思想を理由として彼自身を狙った攻撃だったのではないか、と心配していた。家族は今この側面を調査中であり、この件に関しNWFP・LPPに助力を要請している。LPPは今、家族の了解の下に、大きな苦痛と共に彼の死を広く伝えている最中だ。
 同志アブドゥラー・クレイシがLPPで活動した年月は僅か16ヶ月でしかなかったが、彼の全生涯は左翼思想に捧げられていた。彼は最も困難な環境の下で活動した。そして、宗教的原理主義思想の上げ潮がこの峡谷の中に侵入していたただ中にもかかわらず、彼はLPPに合流した。彼は、彼の生命ではなく思想についてもっと多くの注意を払っていたのだ。LPPは、同志アブドゥラー・クレイシを追悼する集まりをパキスタン全土で開催するだろう。
*筆者はLPP総書記。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版2月号)

 

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